2021年10月31日 06:00
シンママで女性漫画家の水野英子「私にしか描けない物語がある」
という強烈な思想に共感した水野さんは、アメリカやヨーロッパで取材をし、怒濤のように描き続けた。
人気投票は常にトップ。70年、小学館漫画賞を受賞する。水野さんは31歳。いつしか少女マンガのパイオニアとして若い世代に慕われる存在になっていた。水野さんはマンガ家を目指す少女やファンが、いきなり自宅に訪ねてきても家にあげ、おおらかに対応する姉御肌。新人からもさまざまな相談ごとを持ちかけられた。
マンガ人気の高まりとともに、マンガ家を取り巻く状況が大きく変わり始めた時期でもあった。
「雑誌社は当たりそうなテーマとノウハウで、マンガを量産するようになりました。そのために、描ける新人を安価なギャラで囲い込む。ところが『よその雑誌に描いてはダメ』と言いながら、その後の仕事がありません。新人は大勢出ましたが、デビューしても生活できない人が多かったのです」
まだ、著作権の考え方が普及していない時代だ。水野さんも、赤塚やちばてつやから著作権の意味を初めて教えられ、驚いたという。
「著作権を知ることは、とても大切なことだと思いました」
そこで、ごく親しい友人に声をかけ、自宅で著作権勉強会を開くことになった。