柴田理恵語る92歳母の遠距離介護「孤独死覚悟する母の意思を尊重したい」
柴田さんが高校生のころ、小学校時代に須美子さんが担任だった男の子と同じクラスになった。
「彼は早くにお母さんを亡くしていて、おばあちゃんと暮らしていました。あるときその子に『ばあちゃんが倒れて遠足の弁当を作れなかったときに、担任だったお前の母ちゃんが代わりに作ってきてくれたんだ。本当にうれしかった』って言われて。この話を聞いたときは、ちょっと泣いた(笑)」
照れ笑いする柴田さんだが、お母さんの話をする際、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
■母が洗濯物を出さない意外な理由
そんな母・須美子さんの介護が始まったのは’17年10月のこと。柴田さんのもとに、須美子さんから「高熱が出た」と連絡が入った。
「近くに住む従弟(いとこ)に母を病院に連れていってもらうと、腎盂炎(じんうえん)と診断され、入院することに。
慌てて駆けつけ『お母さん、わかる?私だよ』と話しかけても、意識がもうろうとして『あ~あ~』と言うばかり。お医者さんから終末期医療に関する話もされ、そのときばかりはこのまま認知症になって亡くなるのかなと思いました」
気丈な母の弱った姿は、さすがの柴田さんでもこたえたという。
「しばらくして少し回復した母に、『お母さん!』って声をかけたら、私のことがわかったんです。