くらし情報『北条政子は“悪女”だったのか。妻、そして母としての苛烈な愛』

2022年5月8日 06:00

北条政子は“悪女”だったのか。妻、そして母としての苛烈な愛

政子の激しさは、時代の激しさだとも思うんです。当時、実は夫婦別財産で、女性も自分の権利を守るためには戦いました。私は、むしろ政子の決断と行動の速さに注目したい。それが、のちに政治でも生きてくるんです」

政子の意向で側室を持たなかった頼朝だが、御所の女房である大進局(だいしんのつぼね)との間には男子をもうけている。政子は彼女が御所で出産することを許さず京へ追いやったが、生まれた子の命までは奪わなかった。

そして頼家誕生の翌年、長女・大姫の婚約が成立する。相手は源義仲の長男の義高。大姫5歳、義高11歳という幼さだった。


ともに平氏打倒を掲げる源氏一族ながら、深い対立関係にあった頼朝と義仲だが、義仲は嫡男を「人質」に差し出すことで、裏切らないという姿勢を示したのだ。

ところが、その婚約の早くも翌年、義仲は頼朝の送った軍勢により殺害される。つまりは、頼朝が約束を反故にしたことになる。父の死を知った義高の報復を恐れた頼朝は、なんと、わが娘の婚約者の暗殺を命じたのだった。

■尼将軍政子は息子と実父を鎌倉から追放した

「逃げて!大姫は、義高殿に死んでほしくはありません!」

義高の暗殺計画を知った大姫は、母の政子とともに、彼を逃亡させようと必死に説得。

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.