くらし情報『北条政子は“悪女”だったのか。妻、そして母としての苛烈な愛』

2022年5月8日 06:00

北条政子は“悪女”だったのか。妻、そして母としての苛烈な愛

政子は知恵を絞り、眉目秀麗な彼を女装させて逃がそうと図ったが、鎌倉を出た所で義高は殺されてしまう。

「なぜ、なぜ、義高殿を殺す必要があったのですか。あれほど、大姫もなついていたのに」

問いただす政子に、頼朝。

「ここで見逃すと、あとでわれわれの息子の頼家が恨まれることになる。私が、かつて同じ立場だったからわかるのだよ」

黙るしかなかったが、政子は大姫の傷心を思い、義高の首を討ち取った御家人を許すことはできず、頼朝により彼は死罪となった。

深く傷ついたのは、最愛の婚約者を失った幼い大姫だった。

「大姫は、誇り高い将軍家の嫡女に生まれながら、実父により婚約者を殺されてしまう。それで、心を病んでしまうんですね。
今でいう摂食障害になって、その病状はついに回復しなかった。母親として、政子の悲しみはどれほど深かったでしょう」(野村さん)

1185年、壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。翌年、政子に次女の三幡が生まれている。そして1192年、頼朝が征夷大将軍に任じられて鎌倉幕府が成立し、武家政権が始まる。同じ年に誕生したのが、次男の実朝だ。

「長男から次男誕生まで10年もあります。政子36歳のときで、当時としては高齢出産でした。

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