2022年5月8日 06:00
北条政子は“悪女”だったのか。妻、そして母としての苛烈な愛
この時代、長男の頼家が無事に成人を迎える保証はなく、正室の子に万が一のことがあれば、妾の子が将軍になる可能性もあったのです。政子は、そんな周囲からの重圧のなか、まさに命懸けで実朝を産んだのです」(山本さん)
しかし、実朝誕生の喜びは長くは続かなかった。
1197年に大姫が心の病いの癒えることなく20歳で亡くなり、その2年後には頼朝が51歳で突然死。さらにわずか5カ月後、次女も原因不明の熱病で急逝する。
頼朝亡きあと、政子は出家して「尼御台所」と呼ばれるようになり、家督は18歳だった長男の頼家が継ぎ、2代将軍となった。
「征夷大将軍は男しか任命されません。政子は征夷大将軍にはなれませんが、幕府内で“後家”として、実質上の将軍として活動するようになる。つまり、後家とは、男女のジェンダーを超えた、公の男の領域でも活動することを許された特別な存在なんです」(野村さん)
こうして「尼将軍政子」が誕生する。
同時に、頼家の独り立ちまで、時政や義時はじめ御家人たちが合議制で政治を進めることとなり、今回のドラマのタイトルでもある「鎌倉殿の13人」が誕生する。
もともと頼家は、幼少期に乳母に養われていたころから、有力な御家人の比企(ひき)