93歳の推し活がバズり中!闇市にも浅草にも松潤ほどの男はいない!
だから、今もテレビの懐メロ番組で、その歌が流れると泣けちゃうのよね」
ずっと快活な口ぶりだった千恵子さんが突然涙ぐみ、当時の苦労の大きさが伝わるのだった。
戦後も一家の働き頭が千恵子さんであるのは変わらなかった。
次には、北千住駅前の闇市でラーメン屋を始めた。
「この1杯5円のラーメンは売れに売れて、当時の大卒銀行員の初任給と同じくらい稼いで、1年で4000円ためました。でも、お金よりうれしかったのは、無職だった父が手伝ってくれたこと」
これで、ようやく生活も落ち着くかと思ったら、千恵子さんは思いがけない行動に出る。
「あたし、ええかっこしいで、小さなラーメン屋で終わりたくなかった。できるなら、東京のど真ん中で働きたいと思ったの」
■呉服屋、佃煮屋と働きながら、80代半ばになって、テレビに出ていた松潤に釘付けに
千住から現在の浅草5丁目に引っ越して呉服屋を開いたのが20歳のとき。
屋号の「千草屋」は、ここから始まる。
すぐ近くには、あの吉原大門もあるが、観光名所の浅草寺などとは少し離れていた。
「あたしは10歳から団子やラーメンを売ってきて、商売には何が大切かを身に染みてわかっていました。