93歳の推し活がバズり中!闇市にも浅草にも松潤ほどの男はいない!
だから、ほかの店がやってないアイデアで注目してもらえるよう工夫したんです。
着物を買ってくれたお客さんにお土産を持たせたり、民謡教室の催しに呼ばれると着付けまでやったり。当時、『時給1万円の女』と呼ばれてたの(笑)」
結婚してすぐに、3人の子供にも恵まれた。
「ただ、長男は5歳のときに川に落ちる事故で亡くなりました。そのつらさを忘れようとするように、夫婦で死に物狂いで働いて、おかげで40年もの間、店を繁盛させることができました」
やがてバブルが崩壊し、和服を着る人も減り、さらに夫も亡くなったことで、千恵子さんは廃業を決意する。驚くのは、ここで隠居生活に入るどころか、70歳にして新たに起業したことだ。
「だって、健康なら、働くことは楽しいじゃありませんか。で、何をするかって思うの。
そのときひらめいたのが、呉服屋時代にお客さんに持たせていた佃煮でした。
その佃煮も最初はよそから仕入れてたの。でも、おいしくないのよ(笑)。だったら自分でと、手作りしてたんです。特に自慢は、葉唐辛子の佃煮。よし、これをオリジナルの売り物にしようと」
同居していた次男の隆さんと裕樹子さん(60)夫婦も手伝い、家族経営の佃煮屋で、千恵子さんは70代、80代と、またも必死に働き続けた。