くらし情報『シンガー・ソングライター小椋佳 もう燃え尽きた…でも、余生も愛燦燦』

シンガー・ソングライター小椋佳 もう燃え尽きた…でも、余生も愛燦燦

「平家物語に『見るべきほどのことは見つ』という言葉があるんですけど、サラリーマンとしてずっとやってきて、組織の中で蠢くボクも含め、トップから下の人、お客さまのありようも、全部見終わったなっていう感じがあって。そうなると、サラリーマンとして残るのは出世のためにあくせくするだけなんです。そんなエネルギーを使うのは、ボクの人生ではないと思って、’93年、49歳のときに銀行員をやめたんです」

銀行員時代には表立った活動ができなかった小椋に、コンサートツアーの依頼が次々に舞い込んだ。

「バブルの時代に、地方自治体の首長がハコモノを造るのが盛んだったらしいですよ。自治体も催し物を主催するけど、赤字ばっかりじゃ困りますよね。そんなとき『小椋佳のミニコンサートをやると、一応お客さんでいっぱいになるし、収支がプラスで終わる』ってことがわかってきて、年間100本やったことも。もう50歳からですよ、ボクのステージ活動って」

57歳のとき、新設された看護学校の校歌を作った縁で、人間ドックを受診した。

「その後に沖縄公演があったんですが、打ち上げ後にホテルに帰ると、家内から『朝一番機で東京へお戻りください』と電話が来た。

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