ステージ4の末期がんを抱えながらキッチンカーを走らせる子ども3人ママ
という書き込みも。
「BIGBANGを聴きながら、病気に負けてたまるかって、もう、一心不乱に書きました」
■「がん患者に責任ある仕事はまkじゃせられない」の言葉に一念発起、42歳にして女子短大を受験・入学
退院後、治療を受けながら、秋吉さんは仕事に復帰。ホルモン療法が奏功し、容体は安定。がんは少しずつ小さくなってもいた。
「最初は仕事量も減らしてもらってましたが、意外に私が元気なので、だんだんとペースは戻っていって、気づけば以前と変わらぬ仕事をこなすように。ちょうどそのころ、責任者のポストが空いて。実績的には私が後任でもおかしくなかったのですが……」
結果的には、別の同僚が出世することに。会社からは「がんのあなたに責任ある仕事は任せられない」と説明された。
「悔しかった。私、がんを告知されても一度も泣かなかったのに。そのとき初めて、家に帰って大泣きしました。『こんなふうにして、私の人生、終わるのかな』って」
それは、これまで必死に蓋をしてきた不安や恐怖といった後ろ向きの感情が、一気に涙となってあふれ出てきたかのようだった。
しかし、彼女はひとしきり泣くと、ここでふたたび立ち上がる。