「サブカル少女が、お笑い猛獣の檻に放り込まれた」清水ミチコ 挫折と転機の『夢で逢えたら』
「なんだっけ。藤井さんが言っていた四文字熟語」
「?」
「誰か、教養がある人はいないの?(笑)」
「“雲外蒼天”だって。スマホで調べた。意味はわからないけど」
和やかな雰囲気で、家族で作り上げているステージなのだと感じた。
「たしかに、両親はお笑いのセンスがあったし、ネタを思いつけば夫や娘に最初に見てもらっていました。その娘が、毎回、夫婦で武道館に来てくれるのも励みです。私の芸のルーツは、家族にあるのかもしれませんね」
■「うれしさで足がふるえた」ーー。 笑いの味を覚えた中学の応援演説
岐阜県は飛驒高山で、お菓子やケーキ、果物を取り扱う清水屋商店の長女として、清水ミチコは’60年1月27日に生まれた。
「両親はふだんから楽しい人たちで、人の悪口を言うときも、夫婦して『もっとうまい言い方はないだろうか』『一言で特徴を表したい』って真剣。悪口っていっても、笑いがあると嫌な感じがしないんですね。私の芸の根底には、両親の姿があるかもしれないです」
テレビを見ていても、両親共に出演者の笑いには厳しく、辛辣な批評も出るほど。
「そんな両親を喜ばせようと、学校で人を笑わせた話をすると『やめなさい』『お前の笑いは寒い』って、すごく叱られるんです。