萩本欽一82歳語る「僕がまだ走れるのは慎吾がいるから」仮装大賞復活で香取への感謝
一歩下がって相手を立てる香取は、素人のよさを引き出す番組に最適だと萩本は見抜いていたのか。思えば、’20年に逝去した澄子夫人も似たような性格だった。
「正直、不気味だなと思ってたの。僕がさ、家庭を顧みないのに、何にも文句を言わない人だったから」
亡くなる数カ月前、萩本が病院にお見舞いに行くと、息子が母親に質問した。
息子:お父さんのどういうところが好きで結婚したの?
母親:まあ好きはないわね。
息子:ウソでしょ。好きでもないのに結婚しないよ。
母親:好きじゃなくて、ずっとファンだった。
「この言葉で疑問が解けた。僕の仕事をずっと応援してくれていたんだね。私の中では、いつまでも『お世話になった姉さん』という感覚だった。スミちゃんも俺のこと『ねえ』とか『ちょっと』としか呼ばないしね。一度、夜に名古屋から新幹線に乗ったらさ、(家に近い)小田原で停まると気付いたの。『帰っちゃおうかな』と電話したら、『気使わなくていいから』って。誰か来てんのかと心配になるよな」
亡くなった直後、妻の妹が「お姉ちゃんが最後に入院したとき、何を持ってきたと思う?」と聞いた。想像もつかない萩本の目を見ると、小さなバッグを指した。