くらし情報『7浪して53歳で医師に! 貴子先生語る「小中学校ではずっとクラス最下位でした」』

7浪して53歳で医師に! 貴子先生語る「小中学校ではずっとクラス最下位でした」

中学卒業後は周囲の同級生たちが進学校に進むなか、「偏差値が足りず」に私立の女子高へ入学。両親の離婚は、その直後だった。

「母は家にはおらず、父も外に女の人がいたりで常に両親はいがみ合っていたので、娘の私でも、離婚は当然の結末と思いました。高校を出ると、地元での暗い生活を何とか断ち切りたいと思って、上京します。とにかく、あの家から、島根から出たかった」

東京女学館短期大学では、かろうじて好きだった英語を専攻した。

「まわりはお嬢さんだらけで自家用車での送り迎えもあるなか、たぶん自転車通学は私だけ」

家賃9千円のアパート、弁当販売店でのバイトなど苦学生の生活だったが、家族の煩わしさから解放されて充実した毎日だった。

卒業後は東京でレナウンの海外事業部に就職し、3年後には日本航空に転職して羽田空港でグランドホステスとして勤務する。「大好きな高倉健さんのチェックインを3回ほど担当したのは、忘れられない思い出です」

しかし、短大を出て社会人になって、順調に過ごしているように見えるが、実際は違っていた。


「もう上京してすぐから、拒食と過食を繰り返す摂食障害が始まっていました。一時は、体重も一気に15キロくらい落ちてしまって」

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