7浪して53歳で医師に! 貴子先生語る「小中学校ではずっとクラス最下位でした」
心身に限界を感じ、帰郷を決意した。そして、
「摂食障害になったり、人間関係をうまく築けない自分の心の空洞の正体を知るために、心理学を学ぼう」
そう思い、26歳のときに島根大学教育学部にAO入試(総合型選抜)で入学。以降、実家の薬局を手伝いながら、臨床心理士を目指した。
「勉強を続けるなかで、私の根っこには“母に見捨てられた”という消化できないままの感情があると、改めてわかってきました」
座学に加えて、2年間にわたりアルコール障害や摂食障害のセルフミーティングに関わるなかで、ある思いに至る。
「私の理想とする医療をやろうと思ったら、自分自身が決定的な判断を下せる立場にならなければできないのではないか、と。そのとき初めて、医師になりたい、という思いが芽生えました」
32歳の決心を「応援するよ」と誰より喜んでくれたのが、父親の邦洋さんだった。当時、邦洋さんは近所で中華料理店を営んでいた。
しかし、そのわずか半年後の1997年9月半ば、貴子さんは顔見知りの酒店店主から、父の店が2日間も閉まったままだと聞かされる。
「胸騒ぎを覚え合鍵で店に入ると、父が倒れていました。救急車を呼びましたが、私は意外に冷静で、もうダメだなと思っていました。