「大谷選手の行動は本当に正しい」“ギャンブル依存症一家”の地獄を田中紀子さんが告白
父母は、田中さんが3歳のときに離婚。それ以後、母方の実家に移り住んだ。
「実家の祖父も、99歳で亡くなる2週間前までパチンコをやるほどのギャンブル好きでした。実家は小さな雑貨店を営んでいたのですが、祖父がいつも店のお金を持ち出すので、ウチはとんでもなく貧乏でケンカが絶えませんでした」
自宅には風呂もなく、それが原因で、学校の友達からいじめられたこともあったという。
「母も悔しかったんでしょうね。〈いい学校に進学して、公務員になって、いい男を捕まえなさい〉というのが母の口癖でしたから」
中学1年生までは成績も優秀で、母の期待に応えようとしていた田中さん。しかし、中学2年生になるころには、期待に沿えない自分を責めるようになっていった。
「とにかく貧乏暮らしから抜け出したい一心で、高校・大学時代はバイトに明け暮れました」
田中さんは、短大卒業後に就職した百貨店で出会った男性と23歳で1度目の結婚を果たすも7年で離婚。
その後、バイト先で出会ったのが、ともにギャンブル依存症問題に取り組んでいる今の夫だ。ただ、彼もまた相当のギャンブル依存症だったようで……。
「彼は当時、早稲田大学の6年生。