子宮・卵巣を全摘出、脳に腫瘍…大病の末に北新地放火殺人事件で兄を亡くした伸子さん
兄の事件のニュースに『ここのクリックの患者でした』という方がかなりの数、書き込みをされていたんです。『すごくいい先生でした』『先生のおかげで生きてこられた』など、兄はすごく患者さんに頼られ、慕われていたんですね。
兄があれほど毎日忙しくしていたのは、患者さんのために一生懸命だったんだと思うと、涙があふれて止まりませんでした」
それから2年半。苦悩を乗り越えるまでの歩みを追った。
父親は内科医、母親は歯科医という医者家族に生まれた伸子さん。弘太郎さんは4歳違いの兄だった。
「子どものころの兄はずっと勉強していた印象があります。学校が重なったのは小学校だけ。
勉強を教えてもらった記憶もないし。
あ、でも、兄がプロレスの技を教わってきて、私に技をかけたことがありましたね。『ちょっとかけさせて』『あいたたた』って(笑)」
歴史が好きで、中学生のころからお城や史跡、古墳などを巡り、釣りも好きだった弘太郎さんだが、いつも忙しそうだった。
自身の心療内科クリニックでは、生きづらさを抱えた人たちや職場復帰を目指す人たちに寄り添い、復職をサポート。父親の医院の近くでも新たにリワークプログラムを始め、産業医もしていたという。