認知症の実母モチーフに作品撮った映画監督が語る「家族」
監督として収入を得られる映像制作の仕事は、年に1本あるかないか。熊谷さんはパートで稼いだお金で、自主制作映画を撮り続けたが、何年たっても長編を撮れない焦りもあった。
「新人と言われてはや10年。長編の脚本も何本か書きましたが、どうしても映画にしたいような脚本が書けなくて」
幸子さんの病気がわかったのは、そんなころだった。
「認知症って病名がついちゃうのは、やっぱり怖かったですよ。認知症のイメージってあまりにも絶望的すぎるじゃないですか。どんどん人格が崩壊して、母が母でなくなってしまうという恐怖心が私にもありました。この病気の症状の1つなのですが、そこに存在しているものが本物に思えないこともあるそうです。
私も母に言われたことがあります。『ニセモノのまどかちゃんのくせに、まどかちゃんのふりをして、お料理なんかして』って」
だが母の闘病と向き合ううちに病気に対するイメージも変わっていった。「認知症は決して絶望ではない」と、気づいた熊谷さんは、この病気を、長編映画にしてみようかと思いつく。
「私はこれまで、ハートウォーミングな作品とか、家族物語とかを毛嫌いしていて、避けてきたんですね。