長女の誕生日にシリアへ…戦地の女性の刺繍作り支援する考古学者
夫婦の仲がぎくしゃくし始めたのも本当です。ただ私にしたらもう現場に戻ることはないと思っての決断でした」
シリアに旅立ったのは、くしくも、長女の2歳の誕生日だったという。その後、山崎さんは、20年間もの間、シリア第二の都市であるアレッポに暮らし、多くの遺跡を発掘するとともに、シリア人の学芸員と再婚し、’90年に連れてきた幼子の子育てもするなど、イスラムの生活を肌身で体験してきた。それだけに、現在のシリアが置かれている状況に加え、この国が日本ではテロと結び付けられて語られることが悔しくてならないと嘆く。
「シリアの人たちほど、柔軟な生き方をし、相手に対して寛容な民族はいません」
この活動が軌道にのるまで、簡単な道のりではなかった。
「シリア人女性の作った刺繍が、わざわざ他国から発送されるのには理由があります。作り手である、のべ40人すべてが、母国シリアから逃れ、他国での避難生活を余儀なくされているからです。最初に作ってくれていた首都ダマスカスの5人は’15年に突然、消息不明に。
いまはトルコやエジプトの避難所や、ヨルダンの母子センターの女性たちとスカイプなどで連絡を取り合っています」