くらし情報『「昭和のくらし博物館」女性館長が伝える「家族の平和」』

2017年7月16日 06:00

「昭和のくらし博物館」女性館長が伝える「家族の平和」

機銃掃射や焼夷弾で一面の火の海。下の妹が『火がついた、熱い!』って泣くんですね。体に火はついてなくても、それほど空気も熱かったんです」

家は焼失。家族はなんとか無事だったが、いまあらためて小泉さんは「戦争には絶対に反対です」と声を大にする。

「私は忘れません。食べるものがどこにもなくて、大人も子どもも栄養失調で、電車を待っている駅のホームで全員がしゃがみ込んでいた光景を。揚げ句の果ては、塩までなくなりましたから」

’45年(昭和20年)夏、11歳で小泉さんは終戦を迎えた。東京は焦土と化し、戦後2年目まで、一家は横浜の農村地帯の牛小屋を改築した家で生活。
続いて東京・羽田近くの工場を改造した家に転居。そして戦後6年目の’51年(昭和26年)春、ようやく落ちついた先が、現在「昭和のくらし博物館」になっている大田区の木造家屋だ。

やがて’54年(昭和29年)4月、20歳の小泉さんは女子美術大学の洋画科に入学。学費を作るために2年間働いてからの進学だったが、努力だけではプロの画家になれないと断念。卒業直後に、「家具の設計事務所を始めるので、手伝ってくれませんか」

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