震災から7年…サンドウィッチマン続ける“東北密着型”復興の形
「震災芸人」と揶揄されることもしばしばあったと昨年3月、ラジオで明かしていた。
「ただ、僕らはあの津波を目の当たりにしたわけですよ。芸人ではなく宮城県民として生き残った僕らはやるしかないでしょ、と。『サンドウィッチマンを見たら東北の大震災を思い出す』って声もあるとも言われたんですよ。そしたら富澤が『もっと面白けりゃ大丈夫じゃない?』って」(伊達)
宮城県民としての、そして芸人としての矜持から“覚悟”は生まれたようだ。2人は「自分たちにできること」を模索し、行動に移していく。義援金を募ることもそうだが、被災地を含め“東北で仕事をする”ということを意識して取り組むようになったと冒頭の会見では明かしていた。
「僕らが頑張れば仙台でも(みんなが)ロケとかやってくれるじゃないですか。
そしたら、どんどん仙台がメジャーになっていくし」(富沢)
しかしそれは自分たちのためでもあるようだ。16年6月、ラジオで語っている。
「(被災地に)行かない時期が2カ月くらいあったりすると、ちょっとだけ自分の中でも風化しているんですよ。