その両者のカットバックを通して、高度成長期の平和がまばゆい市民社会からはぐれてゆくアウトローの姿が痛覚とともに描かれる。その時、渡哲也の表情もしぐさのひとつひとつも、かけがえのない弾け方を見せる。
さらに70年代日本映画の異形の至宝として強烈な印象とともに記憶され続けるのが、1975年の深作欣二監督『仁義の墓場』。そもそもあの『仁義なき戦い』の主役・広能昌三の最初の候補は渡であったが健康を害して受けられず(主演の大河ドラマ『勝海舟』も体調不良で途中降板し松方弘樹にバトンタッチするなど、渡は病気によっていくつもの大役を逃した悲劇的な人でもある)、喝采を浴びた実録路線も終わりを迎えつつあった時に、季節はずれの凄まじい「戦後」の亡霊が現れた感じであった。
『無頼』シリーズと同じ藤田五郎の同名原作は、組織の掟に反逆し続けた伝説のやくざ・石川力夫の短くも壮絶な生涯を描いていたが、渡はこのやくざですら手に負えない究極の暴力性と破滅志向の権化のごとき男を圧倒的な迫力で演じきった。シャブと肺病に蝕まれ、文字通り死神の形相と化した渡が、自分のために心身を削って尽くしたあげく自殺した妻の遺骨をがりっがりっとかじる、あのまがまがしさ。