永井真理子インタビュー「やらなければいけないと思ったのは、新しい曲を作るということ」
それで、7枚目のアルバム『OPEN ZOO』(1993年)のときに全部を変えたんです。周りのスタッフからやり方に至るまですべて。ただ、一気に何もかも変えるわけにはいきませんから、最初は既存のスタッフさんに新しいスタッフさんを入れて、昔のものを捨てるのではなく融合させていくという方向で体制を変えていきました。
――とはいえ、前作の『WASHING』(1991年)では、アルバムチャートで初の1位に輝いていますから、そこを変えるというのはかなりの勇気と労力が必要だったでしょうね。
私はチャートの順位とか売上枚数とか気にしたことがなかったので(笑)、このタイミングで変えることに躊躇はなかったですね。もうデビューする前からそこは変わってないんですよ。順位や売り上げよりも、自分がそのときに何をやりたいか――それが一番大切なことで、それが出来なければ歌は歌えないと思っていたので、その気持ちが命そのものだと思いました。
――『OPEN ZOO』で叶ったことというのは何だったんですか?
それはもう全ての収録曲において自分が入って、これをやりたい、あれをやりたいっていうことを具現化していけたことですね。