2022年2月10日 09:30
熊本県菊池市の地域活性化に向けて#1【福田政隆】可能性を強く信じられるようになった原点
地元で建設業を営んでいた祖父が、年に1回、親族じゅうに声をかけて連れて行ってくれる旅行を、とても楽しみにしていたのを覚えています。両親が離婚した後、父とは疎遠になりましたが、父方の祖父母はその後もとても可愛がってくれていました。
ただ、今思うと、女性ばかりの家庭の中で、末っ子の僕は少し守られすぎていた気もします。自分ではあまりそういう自覚はなかったのですが、息子である僕に気を配りすぎる母に対して、よく近所の人が諭しているシーンだけは、なぜか鮮明に覚えているんです。
子供の頃は、自分ではそういう感覚はあまりなかったですけどね。母も、二人の姉と歳の離れた末っ子の私を一人前に育てようと、必死だったのかもしれません。
あらゆる可能性を強く信じられるようになった原点
水泳一家で育った私は、小学生になって地元のスイミングスクールで水泳をはじめました。小学生でも平日の朝7時から学校に行く前に練習をしたり、夜も遅くまで練習をするような、かなりレベルの高いスイミングクラブだったんです。
小学生の頃は、周りに比べてカラダも小さく、努力してもなかなか芽が出ませんでした。親戚や家族が水泳でたくさんの輝かしい記録をもっていたので、「期待の水泳選手として早く結果を出して、みんなの喜ぶ顔がみたい!」