【旅の途中の神様訪問】風情溢れる柴又の帝釈天で猛烈に幸せを願う
一本の木から彫り出していると思うとすごい技術。
池泉式の庭園(回廊より母屋を眺める)
庭園内にも御神水が沸いています。
ここにも猿がいます。
幸せを願うとはなにか、考えてみる
帰ってから改めて曼荼羅について調べてみました。
曼荼羅とは、仏教(密教)の世界を絵柄で表したもので、宗派によってその意味や表す世界は異なるものの「悟りの境地」が示されてあると書かれています。
悟りの境地と聞いての勝手な解釈ですが…。
これは、人々のどのような願いもそのすべては神様に見通されていて、その上で「あなたのお願い事はなんでも聞き入れますよ」と、曼荼羅は示しているということなのでしょう。
だから、何か特定したご利益があるというわけではなく、家内安全も無病息災も学業成就も心願成就も、「願う事のすべてが=ご利益」ということに繋がります。「ここは自分の幸せを願うところ」という言葉の意味には、曼荼羅の示す「悟り」についてを集約して伝えた結果だと理解しました。
帝釈天の敷地内にいる三猿。自分に都合の悪いことは見ないフリ…。
…と、言うことは。
柴又帝釈天について書かれていたいろいろなご利益情報は、なかには勘違いされているものもあったとして、どれもあながち間違ってもいないのかもしれません。