恋心はもちろん、芸事への憧れが鶴八は強い。それは同じ芸事をやっている自分にも通じることで、いくら僕の本名が好きでも芸を嫌われたら、やっぱり自分を全否定されているような気持ちになると思うんです」と、役と自らをリンクさせ、分析する。
父の死後、若くして中村屋を牽引することになったふたり。追善興行を前に、改めて十七世、十八世の偉大さを噛みしめている。「やっぱりうちの父は、観客だけでなく、スタッフや役者をも魅了する力、巻き込む力がすごかった。それは役者が必ず持っていなきゃいけない、大きな魅力だと思います」と勘九郎が言うと、七之助も「残念ながら僕は祖父の記憶がほとんどありません。でも先輩方の思い出話を聞くと、本当に愛された人だったんだなと。うちの父以上に人間っぽいというか。
そしてそんな祖父や父のことは、僕たちが言うまでもなく、皆さま一人ひとりの胸の中に今もあると思います」と続ける。
歌舞伎のため、また新派のために「僕らは魅力的なものをつくり続けなければいけない」と語る勘九郎。しかもこの追善興行は先代の思いも注がれている。舞台上のふたりを通して、十七世、十八世の姿をも感じられるであろう本作が、魅力的でないわけがない。