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スーパーで販売されている野菜の値段が、どのようにして決められているか考えたことはあるだろうか。一つ数百円のジャガイモも、5個入りで300円のニンジンも、農家の方が汗水流して作った産物。そのどれもが、天候に恵まれなければ実らないかもしれないリスクを背負い、決められた規格通りに栽培しなければ商品にならないという過酷な環境で作られている。しかし私たちは、野菜を購入するときに値段の安さに固執し、生産過程の苦労も知らずに文句をつける。傷んでいようものなら、お店にクレームを入れるだろう。そしてその野菜は、捨てられてしまう。スーパーに入った時点で、お金を払う時点で、あたかも自分が上の立場にいるかのような振る舞いをしてしまうのだ。2009年に開始した、表参道駅を出てすぐの青山通り沿いで野菜を販売する「ファーマーズマーケット」では、農家さんが自分で作った野菜に自分で値段をつける。「家族を養うためにこの価格設定にしています」、「これだけ情熱をかけて作ったのでこの値段にしています」と自由な売買が行われている。農協は全国の農家から野菜を買い取ることで多くのビジネス機会を提供しました。僕自身、農協の仕組みは素晴らしいものだと思っています。ただ、一方で、農薬を使わないこだわりの野菜を作りたいなら、自ら販路を開拓しなければいけない現状があります。ある種、“真面目な人がバカを見る”ことも少なくないのです。ファーマーズマーケットは、そうした信念を持って野菜作りに取り組む農家を応援する取り組みです。青山の土地を安価で貸し出し、オルタナティブな販路を提供。新鮮な野菜を求める消費者と、新鮮な野菜を届けたい生産者をつないでいます価値ある活動ですが、されど商売。どれだけ新鮮な野菜でも、すべてが消費者の手に届くわけではない。もちろん安価な野菜で済ませたい消費者も多く、売れ残ってしまうこともしばしば。するとファーマーズマーケットに参加している農家の方たちは、残ってしまった野菜を運営事務局に寄付して帰るそうだ。“新鮮な野菜が食べられることは奇跡” 価値ある活動を支援する「Re-think Food Delivery」「Re-think Food Delivery」は、ファーマーズマーケット内で売れ残ってしまった新鮮な野菜を買い取り、周辺レストランに配送する新たな取り組み。スーパーで売られているものよりも新鮮で、なおかつ信念を持って作られたこだわりの野菜を食べる機会を提供している。参加するレストランは、運営事務局に事前にお金を預けることになっている。どんな野菜が届くか分からないのにこの仕組みが成り立つ理由は、「シェフの考えと生産者の考え、消費者の考えが一致しているから」。現在は渋谷区から15店舗のレストランが参加している。都市に“顔の見える人間関係”を取り戻す。ファーマーズマーケットが目指す“人間関係のハブ”都市とは違い農家が多い地方では、損得感情のない人間関係をよく見かける。たとえば、近所の農家がとれたての野菜を「よかったら食べて」と届けてくれることも少なくない。そうしたコミュニケーションが生まれるのは、常日頃から密なやりとりがなされているからこそ。顔の見える関係性が重要なのである。ファーマーズマーケットは、単に新鮮な野菜の販路になるだけではなく、都市に少ない“心の豊かさ”を育む取り組みともいえる。拝原さんは、「Re-think Food Delivery」のシステムを全国に広げようと奮闘中 。「新鮮な野菜を新鮮なまま提供したい」という考えから、参加店舗は渋谷区内に限っているが、仕入先の農家はエリアを拡大しつつある。想いを持って農作物を育てる農家を応援し、ファーマーズマーケットの価値を最大化しようと挑戦中だ。たとえば今の時期だと、愛媛県で柑橘類のフードロスが問題になります。春になれば、山形でさくらんぼが大量に廃棄される。高価な値段のつく高級品も、実は信じられないほどロスがあるんです。農家さんたちは気づいていないかもしれませんが、食べたくても食べられない人がたくさんいます。これからは、僕たちがその問題に歯止めをかける存在になりたい。全国の生産者と消費者をつなぐハブになれたらと思っています残念なことに、私たちはご飯が食べれることを当たり前だと思っている。お金を払えば野菜が買えることに何の疑問も持っていない。拝原さんの話を聞いて、ハッとした人も多いのではないだろうか。「過酷な環境下で育った野菜は、もうそれだけで奇跡」。スーパーで売られている野菜も、誰かが汗水流して一生懸命作ったもの。もちろん野菜だけではなく、身の回りにあるすべてのものがそうだ。ファーマーズマーケットは、私たちに「当たり前」のありがたさを教えてくれる。「ありがとう、いただきます」、そんな気持ちを忘れずに、毎日を過ごせる人間でありたい。▶︎オススメ記事・スケボーと起業には共通点がある。無価値な落花生を「3カ月で3万個売れるピーナッツバター」に変えた男・「次世代の幸せのヒントは“農”にある」。オンライン農学校を展開する農村のトレジャーハンターAll photos by Jun HirayamaText by Mitsufumi ObaraーBe inspired!
2018年03月12日経済がバブルのように膨らみ続け、その恩恵を受けた人々は豪遊し、異常な高揚感が日本に漂っていた80年代、ヨーロッパには違った空気が流れていた。冷戦の影響をダイレクトに受けたヨーロッパ諸国のなかでも一国が西(資本主義)と東(社会主義)の二つに分断されていたドイツは極端だったといえる。経済的に発展し自由を謳う西ドイツとは対照的に、映画や音楽などのカルチャーさえも検閲されていた東ドイツ。ドイツ北東部に位置する都市ベルリンにいたっては町内に存在する大きな壁を境に、西と東に全く異なる世界が広がっていた。西ドイツの住民すら近寄ろうとしない東ドイツのなかの孤島と化したそのベルリンに、ガードの目を盗み西から東へと音楽を“密輸”する、あるイギリス人の男がいた。ベルリンの壁をすり抜け音楽を“密輸”した男70年代後半から80年代後半にかけて、自由を謳歌する西ベルリンから厳しく統制された東ベルリンに音楽を“密輸”していた男の名はMark Reeder(マーク・リーダー)。マーク・リーダーBe inspired!の姉妹メディアHEAPSでは2017年5月からマークのベルリンでの回想録を半年にわたり連載した。▶︎【連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録(完結)そして2018年2月、満を持してマークが来日。1982年に西ベルリンで始まり、音と光を実験的な表現で探索するフェスティバルBerlin AtonalとHEAPSの共催で、映画上映とトークイベントが行われた。時は流れ、ヒッピーがメインストリームだったマンチェスターに突如パンクが到来する。ある日ロンドンのセックスピストルズってバンドがラディカルだってどこかで読んだんだ。すごく興味を持った。どっかの新聞にはそいつらが老人に唾をはいたって書いてあるんだ。「やるじゃないか」って思ったね店にセックスピストルズと並び3大パンクの一つに数えられるThe damned (ダムド)のレコードが入荷するとマークはすぐに夢中になる。The damnedってバンドのレコードが店に入ってきて「なんだこれは!」ってなったんだよ。まず、すごく短くてさ。その頃は複雑な音楽がいいものとされていて、うんざりしてきたとこだった。人気の絶頂だったYES(イエス)のアルバム『Tales from Topographic Oceans(海洋地形学の物語)』は片面だけで25分とかなんだよ、なのにThe damnedのレコードは立ったの2分半。3分ですらないそれまで主流だった音楽とはまったく異なるこの新しい音楽を受け入れられなかったヒッピーの店員たちは次々に辞めていった。それでも「生」のパンクに魅力を見出したマークは最後、一人っきりになりながらもパンクを店で売り続ける。マークのマンチェスター、パンク到来時代の話からはベルリンの偉業に通づるマーク・リーダーという男のエッセンスが垣間見られる。セックスピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K」のレコードを手に入れたとき、パーティーに行ってかければフロアのみんなが死ぬほど盛り上がるぞなんて思ってたら、フロアはヒッピーだらけで、そのなかでもすごいでかい図体したやつが「なんだそのゴミみたいな音楽は」って言って、ぼくのレコードにタバコを押し付けたんだ。そいつがでかすぎてぼくは何もできなかったけどね。まあ、それがパンクロックに対する当時の大衆の反応だった誰にも注目されていなかったベルリンの可能性をいち早く信じ移住したことや、大衆に受け入れられなかったパンクを信じ発信し続けたこの「自分がいいと思ったらまわりの反応は気にしない」という精神こそが、結果的に現代から振り返ると伝説となった、ベルリンやマンチェスターのカルチャーシーンの最前線にマークが立っていた理由だろう。現代の若者にマーク・リーダーが伝えたいこと60年代、70年代、80年代、90年代、それぞれの時代ごとにスタイルと音楽が頭に浮かぶ。しかし、21世紀を迎え、「2000年代といったらこれだ」「2010年代といったこれだ」といえるようなものがないと指摘するマーク。しかし新しいものを生み出すのにはリスクがともなう。受け入れられないかもしれないし、クレイジーだと思われるかもしれない。特に日本では「出る杭は打たれる」というぐらいだから新しいことを始めるのは社会の風潮を考えても難しい。そんな状況をマークに話すと、マークが母からもらったアドバイスを教えてくれた。それは「もし一回挑戦してうまくいかないなら、もう一度挑戦しなさい」。みんな“最初の人”になるのを恐れてる。みんながやってることをやるほうが簡単だから。それが問題だよね。何かを生み出して、挑戦するのは簡単じゃない。でも成功するかどうかは問題じゃないんだ。失敗したっていい。挑戦はしたんだからね。もしそれでうまくいかなかったら、もう一度挑戦するんだ。一回目で何が失敗だったのかをちゃんと学んでね。自分を幸せにするための科学みたいなもんだよ。科学者だって成功するまで何度も失敗してる
2018年03月09日今の社会を生きていくなかで「集団」というものに身をおくことは避けられない。特に、学校生活で「集団行動」が重んじられやすい、小中高時代は。その後大学などの学校に進もうと、働くようになっても似たようなことは多かれ少なかれ続いていく。社会で生きていくということは、何らかの形で「集団」と関わっていくことのようだ。絵を描いて生きていこうと決めていたけれど、あんまり覚悟については考えていなくて、行動するので必死だった。特に壁画を描いていたときは、ほかの人は依頼を受けて描いていたかもしれないけど、自分の場合は依頼が来ないから「壁に描かせてください」って聞いて、yesかnoの返事で決まる感じだった。そんなことを海外で度々繰り返していて、描くことに集中していたから自分の作品の概念とかはそんなに気にしていなかった。ただ制作するうえで妥協できないところはあったし、絶対仕上げるということは自分のなかで決めていた描くことに対するエネルギーで溢れていたことは、決して悪いことではない。だが自分に言い訳をして気が向いたときにだけ絵を描く、展示が決まってから制作を始めるということもあった。そのときの彼に足りなかったといえるのは、「自分自身と向き合うこと」。彼からすると実際には向き合っていたつもりでいたが、思い返してみるとそれはまだ浅いもので、自分の描いた絵が何を意味するのかを理解できないでいたのだ。本気で自分自身と向き合うときに感じる「恐怖心」彼が自分自身と本格的に向き合うようになったのは、多くの作品を目の当たりにして、そうして自分を受け入れることでしか到達できない領域があると実感してからだった。一年半か二年くらい前から土曜日は奥さんとギャラリー巡りをすると決めていて、巨匠から無名の作家までなるべくジャンルを問わず見るようにしていた。そのなかでアートの歴史に名を残す作品作りって自分自身と生涯向き合い続けるくらいの覚悟がないと成し遂げられないんじゃないかなって感じて。どこまで覚悟したんだろうとか、何を失ったんだろうとか。やっぱりそれだけ時間を割いて作るわけだし、それだけ何かを削っていかないと描きたいものに到達できないのかなって思ったんですよね。そう思ったときにまだ自分は浅いなって。だから成長しないとな、ってそんな感じだったのかなあえて「表現者」だと名乗ることで、自分自身に自覚をさせるインタビュー中のYuma氏の発言で、筆者が気になったのが「この先も描き続けていくことに、あえて使命感を持つようにした」というもの。彼は自身の肩書きを定めていないのだが、アーティストや画家、表現者だと口に出すことで、日常生活で感じる「不確かさ」や「混沌」の先にあるものを追求し作品を生み出すという役割を自分自身に自覚させている。アーティストやフォトグラファーなど表現を職業とするとき、どこからが表現者なのかという境界線がわかりにくいが、名乗ってはじめてそうなれる、という側面があるといっても過言ではないだろう。ときには、世間のなかにもう少し溶け込んで“まぎれこんでしまえば”楽なのかもしれない、と思うことがあります。でも、実際は人との関わりが複雑な日常に溶け込むと、集団のなかの寂しさを抱えることになります。どのみち人は寂しさや疎外感を抱えて生きているのです。ただそんな気持ちを抱えているのは、生きたいっていう気持ちがあるからではないでしょうか?なので、それらは生きていくためには大事な感情だと思っています彼の話してくれた「生きていくための大事な感情」という言葉には、他人がどうかという話ではなく、そんなことも含めて等身大の自分自身として力強く生きていこうとする彼の心情が込められている。彼はそんな思いをあくまでも個人的なことのように話してくれたが、それは多くの人にとって普遍的なものであろう。それぞれの人が疎外感や寂しさを抱えながら生きていてもおかしくない。大切なのは、一人ひとりがそれをどう自分のなかで受け止めるかではないだろうか。Yuma YoshimuraWebsite|Instagram|Facebook秩序と無秩序、そして“群集”をテーマとした個展 「まぎれこんでしまえば – magirekonde-shimaeba」を3月10日(土)〜4月1日(日)に、彼が2009年から2013年にかけて発表した作品のアーカイブと、2015年から2017年始めまでに制作した未発表作品が展示される個展「逆走-gyakusou」を3月17日(土)〜4月1日(日)に開催します。
2018年03月09日初めまして、車椅子ジャーナリストの徳永 啓太(とくなが けいた)です。ここでは私が車椅子を使用しているマイノリティの一人として、自分の体験談や価値観を踏まえた切り口から”多様性”について考えていこうと思っています。そして、私の価値観と取材対象者さまの価値観を“掛け合わせる”、対談方式の連載「kakeru」をスタートします。様々な身体や環境から独自の価値観を持ち人生を歩んできた方を毎月取材し、Be inspired!で「日本の多様性」を受け入れるため何が必要で、何を認めないといけないかを探ります。徳永 啓太今回は「はじめる」をテーマに活躍されている方の背景や、なぜ始めたのか熱い想いを伺ってみたいと思います。インタビューしたのは2017年に起業をした中島 ナオさん。彼女は学芸大で美術教育・デザインを学び、会社員として働いていましたが、2014年に乳がんを患っていることが発覚。がんの治療を行いながらも環境を変えるため学芸大大学院に進みます。再び学び、デザイン教育の研究を進めていた際、身体と向き合う事で生まれたヘッドウェア「N HEAD WEAR」を開発。その鮮やかで他にはないデザインによりメディアから注目を浴びます。現に私もそのヘッドウェアが彼女を知るきっかけになりました。その後、彼女が起業し、新しいことを”はじめる”決意をした理由とは。左:徳永 啓太右:中島 ナオさん▶徳永啓太日本の「多様性」に疑問符をつける。“健常者であることが良しとされる国”を車椅子で生きていて感じること“暗い”や“辛い”というがん患者のイメージを払拭する女性インタビューするまで考えることの無かった「がん」について自分の事のように情報を集めてみることからはじめました。そこで感じたことは、日頃から将来起こりうる病や怪我、事故などに関心を持ち、意識しながら生活をしていないという事でした。例えば、風邪を引かないとその予防策について調べないし、怪我をしないとその症状について関心を持ちません。予想をしていないからこそ、その分自分に大きな病にかかったとき「まさか自分が」と大きなショックを受けます。 特に「がん」はその一つ。重い症状と今のメディアの影響により、がん患者と聞くと“暗い”や“辛い”というイメージを持ってしまいます。実際私もそうでした、彼女に会うまでは。N HEAD WEARを被る中島 ナオさん中島ナオ(以下、ナオ):これ自分で作ったんです。いまあるアイテムに被り続けたいものがなくて。そしたら見知らぬおば様に”いいわね、素敵ね”って声をかけて頂いて嬉しくて。 今回、私は中島さんの病について知りたいと思いがんの質問ばかり用意していたが、それは不毛なことであるという事に後々気付かされます。そしてこちらからお願いしたインタビューにもかかわらず、最初に質問したのは彼女からでした。積極的で明るい姿勢に、また私の凝り固まったイメージを更新してくれました。彼女は私が持っていたイメージを払拭するかのように明るくキラキラしていました。 ナオ:徳永さんは車椅子に乗っていますが、身体的に病が進行するってことはありますか? 徳永 啓太(以下、徳永):私は脳性麻痺という障害名で体が動きにくく、力が弱かったり細かい動作ができなかったりしますが進行性ではないです。強いていうなら老化でしょうか。それは一般の方と同じだと思います。沢山ある情報のなかで見えてくる「白」か「黒」ナオ:私がブログで発信を始めたのは、がんになっても大丈夫と言える社会を実現させたいと思ったからです。それは医学的にも社会的にも今は実現できてないと思います。それを変えたくて。というのもまだまだがんになったら生活の中で手放すことの方が多い、職業だったり私生活などでも諦めている人が多いと感じるからです。私がやっていきたいことは”白”と”黒”と二極化された情報だけでなく、その間グレーの中で生活する上でもっと希望が持てる情報を届けたいと思ってます。そういった考えに至るまでは個人的にSNSで顔を出すことすら好まないタイプでした。▶ナオさんがグレーについて綴ったブログ『輝くグレーの世界もあるんだよ!』はこちら。 徳永:SNSで顔を出さない人だったなんて想像つきませんでした。変わった転機はあるのでしょうか。 ナオ:1年半前(2016年)に転移してステージ4(がんが他の臓器に転移し手術が難しい状態)になり状況が変わったことですね。治療とずっと向き合っていかないといけない状況です。この先どこまで続くかわからない、現状を変えるしかないと、丁度この時期に具体的な行動を始めていきました。リアルと向き合ってできるデザイン「N HEAD WEAR 」徳永:がんになってからデザイナーになって、そして起業したんですよね。 ナオ:そうです!以前、会社員としてデザインの仕事をしていた時期もありますが、その後は教育関係の仕事をしていましたし、具体的にデザイナーとして歩み始めたのは病気になってからです。というのもやはり希望を感じるものを作りたくて、確かに無理していくことはないけれども、何かを失っても、諦めなくてもすむ側面はあると思っています。だからあえていっぱい始めてみようと思って。始めた事はヘッドウェア以外にもいっぱいあります。 徳永:実は今日インタビュアーとして、ナオさんから普通聞きづらいような事を聞くのが私の役目だと思っていました。でもそうではなくで、生活の事情を踏まえたうえで解決できるデザインを提供したいんだなと思いました。私でいうと例えば車椅子で生活する上で排泄の事情や、街中で困る情報を提供する事で読んだ方が関心を持ったり共感してもらったりする事で広めていく。それに価値があると思っているんですが、ナオさんは別の角度から発信していきたいんだなと感じました。 ナオ:ヘッドウェアもそうですが、問題に対して今あるものと違う路線で形にしていきたいですね。以前は洋服でさえ買うのをためらった時期もありました。それはこの先どうなるかわからないからいつまで着られるかわからないんです。そう言った背景を持つ私がこれからもいろんな事を始めて発信する事で、同じ境遇の方が希望を持ってくれたらいいなと思ってます。ヘッドウェアも私が一点一点作るというよりは他の企業や専門性を持つデザイナーさんと繋がって発信できたら広がるんじゃないかと思っていますし、その他構想している事を形にするべく起業する事にしました。自分で作っていくのに限界がある事も理由としてありますが、私はやりたいことを、いろんな方と一緒に叶えていきたいと思っていて、社会と接点を持つことが大きな希望につながるとも考えています。 徳永:ナオさんの場合やれる事って沢山あるって事ですよね。ヘッドウェアはその一つであって職業に縛られているわけではないからいろんな分野で活躍できることが強みですね。 ナオ:活躍していきたいですね!ガンになった時、何者でもなかったからこそ、行動し続けられているのかもしれません。起業し、関わってくださる方が増えてきている今、大きな可能性を感じています。中島ナオ氏も参加する徳田祐司個展『Another Eye』開催期間:2018年3月2日~28日場所:CLEAR EDITION & GALLERY企業ブランディング、商品企画、広告コミュニケーションなど、広範囲のプロジェクトを手掛け、国内外60以上のデザインアワードを受賞してきた徳田祐司の個展が2018年3月2日(金)より、六本木CLEAR EDITION & GALLERYで開催される。徳田は自身が代表を務めるデザインエージェンシー株式会社canariaのビジョンのひとつに「Design makes a Positive Way.」を掲げているが、今回の個展『Another Eye』にも同様の想いが込められている。詳しくはこちら。▶︎オススメ記事・「政府の対応を待っていたら、みんな死んじゃう」。“ときに危険を伴う呼吸の二面性”を芸術で発信する女性・54杯目:「セックスのこと、教えて」。担当医も教えてくれない、病気や障害を持つ人の“性教育”を話す場を作る若者 #ChronicSex|「丼」じゃなくて「#」で読み解く、現代社会All photos by Keisuke MitsumotoText by Keita TokunagaーBe inspired!
2018年03月08日日本社会は自由なのか、考えたことがあるだろうか。代々木公園にいた高校生二人に「生活していて不自由に思うことはない?」と、今回の取材対象である20代の若者たちが聞いてみると返事は「いや、特にない」というものだったという。だが、その高校生たちにとって日本社会は本当に「自由」なのだろうか?日本のジェンダーギャップ指数のランキングは144カ国中111位(2016年)とかなり低く、平均して女性は男性の66%しか賃金がもらえていないというデータもある。また、日本社会は決して自分の抱えているメンタルヘルスの悩みや、セクシュアリティについてオープンに話しやすい環境ではないだろう。そんなことを問題と感じ、B.G.U.(ビージーユー)という名の多面的に「自由」を考え直すフリーペーパーを使い、発信する若者たちがいる。Be inspired!は、編集長を務める大学生のYumeと、アパレルのショップスタッフと薬剤師の仕事をしておりB.G.U.の紙面によく登場するMakotoに「なぜ人々は自由に対して疑問を持たないのか」「なぜ人々は似たような人生しか選択しないのか」をテーマにインタビューを行った。Yume(左)とMakoto(右)「自由」って、一体どんなこと?「自由」とはどんなことをいうのだろうか?ほかからの束縛を受けず、思うままに振る舞える状態というのが、その言葉のさす意味の一つだ。さらに中世のヨーロッパでは「身分的な自由や特権がある状態」が「自由」だったという。(参照元:コトバンク)Yume:自由って何かって考えると、法的なことではなく、固定観念等そういう“縛り”なしに振舞えたり行動したりできることだと思って。それは、ほかの人の自由を奪わないということでもあって、たとえば「自由」だからってLGBTQの人を否定するのは自由ではない彼女はさらに、自由とは「自分の好きな選択肢を選べること」だと強調した。自由とは、「普通はこうだから」という考え方に縛られたり、それと自分自身を比べたりせずに生きられる状態かもしれない。日本では法的に同性婚はまだ認められていないが、最近までサウジアラビアに存在した「女性の自動車の運転を認めない法律」のように、何らかの行動が法によって制限されることは少ないのだが、自分の好きな選択肢を選んだときの風当たりの強さが社会文化的に残っている。Yume:日本に選択肢はあるんだけど、邪道(“普通”の人が選ばない道)を選んだら、否定されるとか噂になるっていうのが不自由じゃない?日本では自分の好きなものを選ぶ「自由」はあるけど、それを選んだらどうなるかって考えると、そこが自由じゃないそんな日本の教育に存在した目に見える「縛りつけ」に疑問を感じ、自分の意見を述べる練習の機会が少なかったと話す二人だが、大学では「自分で考えることの大切さ」を感じる経験をしたという。Yumeの場合は、グループごとに難度の高い文章を与えられプレゼンテーションやディスカッションを任せられる授業で、Makotoの場合は、「人の生と死」をテーマにしたビデオをみる授業など、受け身でいては何も生まれない実感や、現実を見せられることでいやでも自分はどう思うか考えさせられたのだ。Yume:衝撃的なものを見るって自分の慣れていないものを見るってこと。それが重要だと思って。いろんなことに触れるという経験を若いときから作るべきだなって。日本の英語の教科書で外国人といえば白人ブロンドの人が多いけど、外国人ってそれだけじゃない。外国人=英語っていうのも違う。そういうふうに教育のなかで人間を一面的に表現したり、一部の人しか登場させないのは偏見につながるおそれがある。たとえばトランスジェンダーの人をもっと見せるとかもそうだし、普段そんなに見ないものや触れないものを、もっと授業で見せるのもすごく重要だと思います。普段触れないものだからこそ印象に残るのだろうし「自由な選択」をしようにも、社会の現実やその多面性を知ることなしには、選ぶことさえないのではないだろうか。多様な世界を見せることに重点をおかず、自分で考えることを学べない教育では、多面的な考え方が身につけられず、その結果「型にはまった人生」しか歩めなくなってしまうおそれがある。Yume:教育でも生き方とか自分のあり方でも、本当は全員にとって一つの正しい答えなんてないはずですよね。自由なはずだけど日本って“正しい答え”がある。こういう見た目でこういう性的対象がいい、という正しい型にハマろうとして自分や個性を殺すことが多々ある。そもそも教育から「絶対正しい答え」があって、だから国語の問題でも解答は完全にこれ、これ以外はありえないっていうのが多いし、みんなの生き方もそうだなって思えて。生きていきながら「自分にあった正しい生き方」を見つけるべきなのに、みんな社会がいう“正しい答え”をただ目指している感じがする。だからそこから外れていると、なんか間違った生き方に見えちゃうんですよ二人だって、初めから自分の意見が言えたわけでもないB.G.U.では、「もし自分や他人を苦しめている問題に興味を持ったら考えてみよう」という姿勢で活動している二人だが、意外なことに、自分の意見を人に伝えたり理解しようと質問したりするようになるまで時間がかかったという。授業で生徒が発言することが「当たり前」だったアメリカの学校に通った経験のあるYumeは、日本の学校に通うようになって目立たないことをよしとするクラスメイトに合わせるようになった経験がある。Yume:大学の授業でも一番前に座っていたし「はい!」って手を挙げて発言する人なんですけど、やっぱり1,2年生のころはみんなの視線を気にして過ごしてて。でもそれじゃあ全然勉強にもならないし、ちゃんと意見を言わないと何も吸収できないからと思って、恥ずかしいのを捨てて発言するようになりました。振り返ってみると、そんなことをするのが一人だけっていうので結構葛藤したんだなって思う。誰も何も言わないんですよ、先生が質問しても。そういう誰も言わないから自分も言わないみたいな考えから、誰も言わないからこそ私は言おうっていうマインドセットに変わって。だけどそうなったのも3年生になってからかな自分が慣れていたものから脱け出そうとするとき、それは簡単にいくものではない。だが二人は、現在では自分の好きな道を自分で選択し、より人生を自由に生きる方法を見つけられたようだ。多様なバックグラウンドがあるからこそ、発信できるもの二人が運営に携わる、フリーペーパーのB.G.U.は多様なバックグラウンドを持った人たちが不自由に感じるところをピンポイントにわかりやすく、マイノリティの人にもマジョリティの人にも、楽しみながら学べるような媒体で、固定概念を少しでも打ち壊していくという思いで制作されている。制作や配布を行うのは、それぞれ育ってきた環境や人種、ジェンダー、セクシュアリティもさまざまな若者たち。Yume:発信したいと思ったのは、ただ生きているだけとか、ただ自分たちの身内で話しているだけとかだと人に伝わらないという思いがあって。日本にも似たようなことを話している人はたくさんいると思うんですけど、それを形にしているのはすごく少ないと思っていて、まだ未熟なフリーペーパーなんですけど何か変えていけないかなって始めたんですまず自分で思考することが、「自由」への追求につながる「自由」というものは、かなり漠然としたものに思えてしまわないだろうか。それははっきりと目で見ることはできず、ある人にとっては特に気にすることのないもので、またある人はそれを得るために常に戦い続けているというものかもしれない。だが、確かなのは「自由」について自分で思考してはじめて、本当の意味で「自由」を追求できることではないだろうか。自分の自由に生きるには、もちろん自身の経済的な側面が関係するが、自分の考えと責任で選択しようという勇気が持てたとき、きっと生き方の幅が広がる。B.G.U.Website|Instagram|Twitter|Facebookウェブサイトで英語・日本語で記事を読めます!印刷可能PDF はb.g.u.befree@gmail.comにメールを送ってゲット!B.G.U.ファミリーは随時ライター・アーティスト・個性豊かなメンバーを募集中です!「若者の転職ストーリー」が掲載される2号目を3月にリリースします!
2018年03月07日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』第3回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。前田エマ個展:「失う目」日時:2018年3月16日(金)〜18日(日) / 23日(金)〜25日(日) <計6日>13時〜20時 ※イベント開催30分前からギャラリーは一旦閉めます。入場料:500円(お菓子と飲み物付き)場所:Fluss 東京都世田谷区等々力2丁目1-14 B1 (このたびFlussでは、前田エマの3年ぶりとなる個展を開催いたします。「失う目」と題された本展では、とあるマンションの一室から見える風景を通して、ひとりの人間の「目」が作りあげられる過程をたどっていきます。建物が作り出す風景を切り取り提示する「目」。親が選んだ一室で育つ価値観という「目」。成長しそのことを疑う自分自身の「目」。「上書きされ続ける記憶のなかの風景」をテーマに制作を続ける前田が、4年ほど前から強く関心を抱く「親(家族)」に対する疑問や感動を手がかりにして、インスタレーションを展開します。詳細はこちら。instant GALAクラウドファンディングあの日、あの時、あの場所で、あなたは何を着ていましたか?「載せたら終わり」の新時代、載せても終わらないものは何ですか?服への愛着・愛情を喚起し、ソーシャルグッドなファッションのあり方を発信する、思い出の服の祭典。4月22日(日)渋谷WWW Xにて初開催です。
2018年03月06日「なんでできないの?」 「映画の配給ってフリーランスでできるんですね」とドキュメンタリー映画の配給をフリーランスとして行うサニーフィルム代表 有田 浩介(ありた こうすけ)氏に言うと、そう聞き返されて、答えに困ってしまった。 確かに、できない理由が具体的に頭に浮かんでいたわけではなかった。そもそも映画の配給をするのに何が必要かを知らない。それでも漠然と「できない」を前提にしていた。 やりたいことを仕事にするのは、現実的ではない、夢物語だ、というような風潮が世の中には存在する。だが、なぜ現実的ではないのか?その議論はやっぱりされぬまま。 今回Be inspired!は、日本で類をみないフリーランスのドキュメンタリー映画配給者になるまでの経緯や、仕事に対する情熱あふれる思いを有田氏に聞いた。 自分のやりたいことを仕事にすることは、決して非現実的ではない(だからといって楽でもない)。サニーフィルム代表 有田 浩介氏日本でおそらく最年少、そして最新参者のフリーランス映画配給者ドキュメンタリー映画を専門に配給を行うサニーフィルムは厳密に言えば会社ではない。有田氏が個人事業で、つまりフリーランスでやっているのでその名は屋号という。 国内外の映画祭に足を運び、厳選した映画のライセンスをとり、契約をして、日本での配給権を取得後、それを日本の劇場に流し、DVD化・テレビ化・デジタルプラットフォームへいれる。その間、法務業務、営業業務、宣伝業務、経理業務などもすべて一人で行っているのが有田氏だ。 日本にフリーランスで映画の「宣伝」をする人は少なくないけれど、「配給」はごく稀。ひとりでやっているというとなおさらだ。ドキュメンタリー映画の配給をフリーランスでやる人が他にいるとしても、おそらくそのなかでは有田氏が38歳で最年少、そして最も新参者だろう。 2016年の11月にはオランダ、アムステルダムのIDFA(International Documentary Film Festival Amsterdam)というドキュメンタリー映画祭に初参加し、2本の映画を買い付けた。日本の配給会社は毎年カンヌ、ベルリン、ベネチアと主要な映画祭に行きますが、今の僕がそこに行ってもしょうがないって思っています。世界三大映画祭でみんなと競っても値段が高くなっちゃうだけだから、他の会社が目をつけてない映画祭を探していて、その一つがIDFAだったIDFAはドキュメンタリー映画祭のなかでは世界最大級。世界中から出品されるドキュメンタリーの数は300本を越え世界ナンバーワンで、この映画祭でプレミア上映する作品の数もナンバーワン。日本のニュースは国際報道があっても報道される内容は限られている。アメリカのニュースや中国や朝鮮半島のニュースが多い。でもヨーロッパの映画祭に行くと、ロシアとウクライナの紛争の最前線にある街の少年の話など、日本にいたら絶対に知り得ないような東欧の話がいたるところにあって。初めて参加するIDFAでの活動方法は全く想像がつかず、過去に行った事がある日本人に問い合わせましたがあまり具体的なアドバイスはもらえず、まずは自分の勘で行ってみることにしました。結果的に他の映画祭で出会ったドキュメンタリー人と再会しいろいろ教えてもらいました「世界の片隅の話だけど、それが世界の中心の話なんだよ」ドキュメンタリー映画を専門に配給している有田氏にドキュメンタリー映画の醍醐味をうかがうと、「世界の中心を感じているんだと思う」という答えが返ってきた。映画祭に行くと、世界の片隅の話がそこら中に多くあります。日本では知り得ない話と出会うと、日本にも伝えたいって思う。世界の片隅の話だけど、それが世界の中心の話なのです。そこにいつも感動する。サニーフィルムとして初めて配給した『サファリ』という映画も、ナミビアで行われているトロフィーハンティング(衣食住のためではなく、娯楽として行われる狩り)の話だけど、それって日本からしたら遠い世界の裏側で行われていることの話ですよね。でも、そこの人からしたらそれが世界の中心で、トロフィーハンティングが中心の世界もあるんだなと思う。そういうものに触れて、考えてみると心が動きます現在、フリーランスで映画の配給を行う有田氏はもともと新卒で入社し、大手音楽レーベルの会社に勤めていた。数年働いたのち、やりたいことが変わってきたと感じた彼は20代後半で旅に出る。安定した仕事を離れて旅に出るという決断に不安はなかったのかと聞くと、「そのときはなかったけれど、帰国したあとはもがいたよ」と言う。旅から帰ってきたあと特に仕事などないので、旅の資金の残りの50万円を使って神奈川県の海沿いの葉山に引っ越しました。当時唯一持っていたものは横須賀のホームセンターで買ったママチャリだけ(笑)それで逗子駅まで行って、片道900円ぐらい使って東京に来て、いろんな人と打ち合わせして、何か仕事にならないかっていろいろ売り込んでいました。葉山に引っ越してから、フリーランスになって一番最初に得た音楽の仕事は、パンクバンドのツアーマネージャーでした。東京・名古屋・大阪のライブツアーを一緒にバンドとまわる仕事です。英語も喋れるし、レコード会社で宣伝部の仕事もしてたのでメディアの対応もできました。そこからだんだんツアーマネージャーだけじゃなくていろいろ仕事をもらえるようになりました。旅に出て世界の空気を吸えば自由になれると思って会社をやめたら、帰国して不安定なフリーランスに意外と不自由を感じ、不安に陥ったり、迷ったり、自分がやっていることがこれでいいのかどうかってことを常に考えるようになりましたその音楽系フリーランスの期間を経て、仕事の発注元だった海外アーティストに特化したレーベルに入社する。そこで海外アーティストのライセンス業を学び、レコード制作や宣伝の仕事をしながら、映画の仕事と出会った有田氏。そのレーベルが映画配給を始めたのだ。数年後、残念ながらその会社は倒産し、次は何をしようかと考えているとき、レーベル時代に知り合ったフリーランスの映画宣伝マンに映画宣伝の仕事に誘われる。そこから有田氏の“売れない映画宣伝マン”としての時期がスタートする。そこから3年ぐらいは、まったく売れない宣伝マンをやっていました。年間3本とか。年収なんて100万くらいしか稼げなくて。宣伝だけでは食べられないのでPVやCM制作などの映像制作の仕事もかけもちました。今はドキュメンタリーがシネコン(一つの施設の中に複数のスクリーンがある複合映画館)で公開されることってよくありますが、その当時は本当に稀でした。小規模なドキュメンタリーは予算もすごく少なくて、あまりフリーランスがやりたがる仕事ではなかったのです。僕みたいに新参者か仕事がない人しかやらなかったです(笑)ドキュメンタリー専門の配給をやっていると、ドキュメンタリー好きなんですか?とよく聞かれます。もちろん好きですけど、あの時代唯一与えられた仕事がドキュメンタリーの宣伝の仕事で、いつの間にかドキュメンタリーの仕事が得意になっていたんです(笑)生活は決して楽ではなかったけれど、情熱を持って仕事をこなしていくうちに映画宣伝マンとしての有田氏に転機が訪れる。2013年に彼が宣伝した映画が記録的な大ヒットを出したのだ。そこからは電話が鳴り止まない毎日が始まったそうだ。しかし映画宣伝マンとしての成功で、彼にとって明確になったのは本当に自分がやりたいこと、配給だった。自分でいい映画を日本に持ってきたかった。そこから配給をするための様々な情報を集めながら、自分で配給を始めるための準備期間に入る。 そして数年後の2016年、有田氏の1本目となるシリア内戦初動時を描いたドキュメンタリー『シリア・モナムール』の配給(共同)をするに至った。常にワクワクすることだけをやってきた「自分がやりたいことを仕事にする」というのは日本や、欧米でもそうかもしれないが、比較的裕福な国の若者の人生の大きなテーマだろう。しかし日本に住んでいると、世間体、将来への不安、あるいは一般的な職や就職形態以外の選択肢が見えづらく、一歩を踏み出せずにいる人も少なくないかもしれない。 「そのときそのとき選んだ選択で人生を進めていくと、一つの線になる」。そう話す有田氏の言葉と彼の人生そのものが、自分のやりたいことと不安の狭間で立ち止まってしまっている人の背中を押してくれるのではないだろうか。人に迷惑をかけない限りは将来をあまり気にせず直感を信じて、そのときにやりたいことをやったほうが自分はワクワクできることは確かである。サニーフィルムWebsite代表・有田浩介。2004年よりメジャーレコード会社に勤務。2007年にフリーランスへと転身。2007年から2010年までの3年間、約200タイトルの音楽契約、宣伝、流通業に携わる。2010年にサニー映画宣伝事務所名義で映画宣伝へと転職し国内外のドキュメンタリーを中心にパブリシティー業務に従事する。2015年に『シリア・モナムール』を「テレザとサニー」名義で初配給する。2017年サニーフィルムへと改名し映画配給を専業とする。国内外の映画祭に参加し、特定のジャンルやテーマにとらわれず様々なドキュメンタリーの配給を通じて世界の多様性と映画の可能性を社会に伝える事をミッションにする。近々で6月16日岩波ホール公開『ゲッベルスと私』と、8月ポレポレ東中野ほか夏休みロードショー『ゲンボとタシの夢見るブータン』の公開が控えている。ドキュメンタリー映画の未来は活気に満ち溢れていると思います。才能ある若手作家と新しい作品は潤沢に誕生し、人々が本質的に求める未来のエンターテインメントこそドキュメンタリーになると信じています。(2017.11月)
2018年03月05日全身がXで覆われ、異様なオーラを放つこの男性。彼は一体なんのために、こんなに多くのタトゥーを入れたのだろうか。Xタトゥーは全部で4万個。この数字がもつ意味を考えてみてほしい。アルフレッドは自身をアーティストでもアクティビストでもなく、「アーティビスト」(アーティストとアクティビストの造語)としている。彼がタトゥーという表現で動物の権利と自由を訴えるきっかけとなったのは、 “Poner el cuerpo sacar la voz” (薬の密売や崩壊した政府に反抗するという強い信念をボディペイントで表現したメキシコのアーティビストたちのグループ)である。彼らを含むアーティビストたちからの大きな影響を受けたそうだ。もちろん、他の動物の権利の保護を訴える活動家たちとも協力したりデモ行進や街頭キャンペーンのような一般的な活動にも参加しているが、アルフレッドはヴィーガンアーティビズム(完全菜食主義+アート+動物の権利を訴える活動)が大きな可能性をもっており、この社会の状況を変えるためにはできるだけ多くの「ツール」が必要だと考えている。彼にとってタトゥーも社会へメッセージを伝えるツールなのだ。人種差別ならぬ「種差別」そしてもし平和で公平な社会に生きたいのなら、エシカルヴィーガン(食べ物だけでなく、身の回りのものからできるだけ動物由来のものを避けること)が唯一の方法だと彼は考えている。普段生活をしているなかで、人間本位にならない考え方を持ち続けることは簡単ではない。ただ、人間が他の動物たちとこの地球上で共存しているという事実を忘れてはいけないだろう。狩猟家系からビーガンへこのような強い信念をもって行動するアルフレッドなのだから、長年ビーガン(完全菜食主義)として生きてきたのだろうと思う人も多いかもしれないがそうでもない。彼は代々、狩猟や漁業を行ってきた家系に生まれた。そのような環境で育ってきたがゆえ、幼い頃は自身も狩猟や漁業に連れて行かれたそうだ。家族の影響を取り除くのはとても大変だったという。今の彼にとって、重要なことは育った環境や社会に馴染むことでもなく、持続可能性や社会における公平さなのだ。正反対と思える環境で生活してきたからこそ、動物に対する思いやりを十分が強いのかもしれない。様々な経験の連続が少しずつ彼の意識に影響を与え、結果として彼をビーガンという選択肢にたどり着かせた。人間のために犠牲になっている動物たちがいるという事実を彼を見るたび思い出すかもしれない。しかし同時に、その事実に目を向ける強いきっかけを誰かがつくってくれなければ気づかない社会であることも確かだ。奪われていく動物たちの権利を一分一秒忘れないようにするために刻まれたタトゥーは、人間の動物と彼らの生活を尊重する気持ちを刺激し、動物の立場になって考える大切さを教えてくれる。彼の表現から動物の感情に共感できたり、動物たちの痛みを感じられたり、同じ生き物として考えたとき、五感に響く何かを感じないだろうか。それを感じた人々が心の中に動物との共存を考えるきっかけとなる何かを刻んでいってほしい。Alfredo MeschiWebsite|Instagram
2018年03月03日※この記事はウェブメディア「EPOCH MAKERS」の提供記事です。井上聡|Satoru InoueThe Inoue Brothers共同代表1978年、コペンハーゲン生まれ。グラフィックデザイナーとしてデンマークで活躍した後、2004年に2歳下の弟・清史とアートスタジオ「The Inoue Brothers/ザ・イノウエ・ブラザーズ」を設立。日本の繊細さと北欧のシンプルさへの愛情を融合させたデザイン。そして、いいものを作って社会を前進させる「ソーシャルデザイン」にこだわる。今年1/25に初の書籍『僕たちはファッションの力で世界を変える ザ・イノウエ・ブラザーズという生き方』を出版。▶︎インタビュー&文:別府大河▶︎現場写真:Natsuko&別府大河▶︎TOP写真デザイン:山田水香▶︎写真提供:The Inoue BrothersPhoto by Robert Lawrence in AndesPhoto by Robert Lawrence in Andesデザインムーブメントのカラクリー「Style can’t be mass-produced…(スタイルは大量生産できない)」僕はこのコピーが大好きで。The Inoue Brothersのどのプロジェクトを見ても、まずどれもカッコいい。とにかく心が動かされるんですよね。僕たちがやるのはソーシャルデザインだけど、その前提としてクリエイティブにものすごく力を入れているんです。どれだけ社会的に素晴らしい活動をしても、人の心を打てなかったら結局は届きませんから。あと、そういうものをつくっていると共感してくれる人が増えて、自然と感度の高い人たちが集まって来てくれるんですよね。しかも多くの場合、「お金」ではなく「物やスキル」を交換して創作していて。だから、あんなクオリティの高い映像をつくるのも、お金はほとんどかかっていないんですよ。「ギャラは払えないけど、交通費とホテル代を出すから一緒に来てくれない?」これが、世界屈指のフォトグラファーや映像ディレクターとのやりとりで。ースピード感が凄まじいですね。デンマークのいいところは、スキルさえあればすぐにチャンスが巡ってくるところ。なぜなら、国の社会経済が発展しているので、流通が整備されていて、ネットワークが張り巡らされているから、クオリティの高い仕事をしたら瞬く間に有名になれるんですよ。しかも、国が小さくて人口も少ないから競争相手も多くない。さらに地理上、デンマークはヨーロッパ大陸と北欧の結節点にあるから、もともとインターナショナルなマインドもある。何をやっても否定されない文化も根づいている。こういう環境だからこそ、デンマークにはいいデザイナーやアーティストが育っているんだと思います。そして、僕もその恩恵を受けたひとりなんです。Photo by Robert Lawrence in Andes葛藤。そして新たな挑戦へPhoto by Robert Lawrence in Pacomarcaー実際にトップまで駆け上がった聡さんだからこそ説得力があります。その後、どういう経緯でThe Inoue Brothersをつくったんですか?デンマークの頂点が見えてきて、次はヨーロッパ、世界へと進もうとしていたときに、仕事に違和感を抱くようになったんです。仕事の内容や規模が大きくなっていくほど、打ち合わせは契約書の確認になっていき、デザインはまず最初にコンプライアンスに準じないといけなくなったり。「全然自由にクリエイティブな仕事できないじゃん」って。弟もヴィダルサスーンで当時史上最年少でアートディレクターに就任。華々しい活躍の裏で、彼も似たような不満を抱えていたんです。それを機に、僕はデザイン会社を解散し、2004年に弟と貯金をすべてつぎ込んで「The Inoue Brothers」を設立。Photo by Robert Lawrence in Andes「クライアントのもとで仕事はしない」「投資家も入れない」、そして「単なるデザインではなく、社会に貢献するソーシャルデザインをしよう」とだけを決めて始動。大量生産が社会を破壊するのが明らかになりつつあった当時。アメリカの電気自動車メーカー「テスラ」、デンマークなら風力発電機メーカー「ヴェスタス」らが先導して、社会問題をデザインで解決する「ソーシャルデザイン」の世界的なムーブメントが僕らを後押ししてくれたんですよね。でも今思えば、僕らを動かしたのはそれだけじゃなかった。ソーシャルデザインを突き詰めていくと、その思想はデンマークデザインの根本でもあったんですよ。People’s DesignPhoto by Robert Lawrence in Andesー「ソーシャルデザイン」と「デンマークデザイン」はどういったつながりがあるんですか?レジェンドと言われるデンマークのデザイナーには共通して、「People’s Design(人のためのデザイン)」という考え方があったからだと思います。無駄なものを削ぎ落とし、余計なコストをかけない。機能性を大切にして、値段が高くても一生使えるように長持ちさせる。彼らの作品は、使う人の姿をどこまでも想像して、愛情を込めてつくられているんです。ーなぜそもそもデンマークのデザイナーにはそういった考え方があったんですか?デンマークが農業国家だからだと思いますね。国民の大半は農家。仕事熱心で、道具が好き、道具には機能性を重視します。日中は外の寒い畑で働いたら、夜は家に帰って家族と心地いい時間を過ごしたい。だから、落ち着く暖色の明かりの中で、お気に入りの家具と過ごすライフスタイルが育まれました。それらすべてのデザインの主人公は「人」。物は「人生と家族と環境」を楽しむための道具だったんです。奥さんのUllaさんはとてもチャーミング。レジェンドたちがさらに面白いのは、職人気質の傾向が強まりつつあった中で、ある程度の量産を始めたこと。素晴らしいものを数少ない人に楽しんでもらうより、たくさんの人にいい家具を使って素敵な人生を送って欲しい。そういった思いから、アーネヤコブセンらデザイナーは、質を保ちながらも工場で生産できるようにした。デンマークデザインは、どこまでも「人のためのデザイン」だったんですよね。だからこそ今もなお、世界中でこんなにも多くの人々に愛されているんだと思います。Photo by Robert Lawrence in Andes光があれば影があるPhoto by Robert Lawrence in Andesー洞察が深くて面白いです。デンマークのデザインは、「人のため」の積み重ねだったんですね。一方で、デンマークのデザインは現在、かなり大企業化していますが、それはどういうことなんですか?実はそこにもデンマークらしさが滲み出ているんです。デンマークの強みといえば、デザイン以外に貿易があります。この歴史をひも解くと、デンマークの負の側面が見えてくるのと同時に、この国の本当の魅力がわかってくるんですよ。デンマークは海賊ヴァイキングの名残か、常にその時に一番強いところと組む性質があるんです。「ヒトラーが強そうだからヒトラーと組もう」「ヒトラーが負けそうだから次はイギリスだ」と。たとえば、アメリカのブッシュ大統領がイラクを攻撃し始めた時、全世界で唯一株価が跳ね上がったのが、デンマーク最大の貿易会社「A.P. モラーマースク」。理由は、アメリカの武器を運ぶのがマースク。戦後、建物を直す物資を運ぶのもマースク。だから僕らの周りは全員マースクが嫌い(笑)。Photo by Robert Lawrence翻って、今のデンマークのデザイン。これがここまで売れ始めたきっかけは、日本とアメリカでの北欧ブームが大きいと思います。それを機にどんどん商業化して、今やほとんどの有名なデザイン会社はアラブか中国の投資家が持っている状況。デンマークのデザインは、一番強いところ(=お金持ちのアラブや中国)と組んだことによって、自らの手を離れて形骸化してしまった。だから、「人のためのデザイン」が生まれたのもデンマークの文化だし、そうでなくなってしまってるのもデンマーク人の昔からの考え方だと思うんです。デンマークが面白いのは、こんなにも善悪がはっきりしてるところなんですよ。Photo by Isa JacobPhoto by Isa Jacobすべては「信頼」からPhoto by Robert Lawrence in Andesーこんなインタビューは初めてで、刺激的です(笑)。聡さんはデンマークのことを客観的に観察しながらも、デンマークの素晴らしいところを受け継いで活動しているところが面白いですね。The Inoue Brothersはソーシャルデザインにこだわろう、「人のためのデザイン」を突き詰めようと立ち上げましたが、特に当てがあったわけではありませんでした(笑)。そんな時、デザイン会社を解散したばかりの僕を、ある研究者が見つけてくれたのがきっかけでした。その人の研究内容は「アルパカの毛皮は世界一高級なのに、アルパカと共に生きる人々はなぜ南米で一番貧しいのか?」。彼が10年以上研究して出した結論は「原因は、ブランディングとデザインが発達していない教育」でした。そこで僕に「交通費が自腹でよければ、すべて案内するから来ないか?」と。僕はふたつ返事で「行きます」。Photo by Robert Lawrence in Andes|研究者のAlonsoPhoto by Robert Lawrence in Andes35時間かけてたどり着いたアンデスは、標高5000メートルの高地。着いてまもなく、生活すらままならないはずの人たちが、家からパンなどあらゆるものを出してきて、すごく温かくおもてなしをしてくれたんです。それはあまりにも衝撃的で、感動的で。僕はデザインを教えに行ったはずなのに、本当の愛や人生で大切なものを彼らから学んで帰国。すぐさま弟にそのことを伝え、2ヶ月後、次はふたりでアンデスへ行き、アルパカセーターのプロジェクトはスタート。毛の刈り方を指導し、世界最高級のセーターを実際に見せるなど様々な試行錯誤の末、普通は40〜50年はかかると言われている最高級のアルパカセーターの制作を10年で実現に成功し、たくさんの方々に届けられるようになりました。そして現在、僕たちはアルパカセーターと同じように、自分たちが本当にいいと思った鹿児島の陶器をフランス人アーティストとコラボでつくったり、東北で白いTシャツを生産過程にこだわってつくったり、世界でも希少なローコットンから衣服を作るプロジェクトも進めてます。もちろん全部ダイレクトトレードで。Photo by Robert Lawrence in AndesPhoto by Robert Lawrence in Andesー幅広い活動をされながらも、The Inoue Brothersの軸は本当にブレませんよね。すべての活動のベースは「信頼」なんです。生産者やクリエイターとの信頼関係があることはもちろんのこと、僕らは流通の人とも絶対に価格交渉しません。僕らに提案してくれた価格は、きっと職人さんが悩み抜いて出してくれたもの。もし下げるとなると、その職人さんの仕事のクオリティが落ちてしまう。アンデスの山奥でも日本だろうとデンマークだろうと、これは僕らの普遍的な哲学です。クオリティの高いものをつくるには、仲間の信頼に応えてこちらも信頼することが大切だと信じています。だからこそ、デンマークデザインはレジェンドたちのコラボレーションによってここまで発展した。そして、僕らも彼らのように、こんなシンプルでカッコいいやり方で、「人のためのデザイン」を生み出し続けていきます。The Inoue Brothers…出版記念「デンマーク育ちのクリエイター兄弟が紡ぐ本当のエシカルと新しい生き方」EPOCH MAKERSコラボイベント会期2018年03月06日(火)定員50名時間19:00~20:30(開場18:45~)ゲスト井上聡さん 、石井俊昭さん、 別府大河さん場所TSUTAYA TOKYO ROPPONGI 2F 特設イベントスペース参加費書籍購入で無料 or 500円共催・協力PHP研究所申込方法Facebookイベントページより「参加」ボタンを押す
2018年03月02日きっと、誰にでもある自分の「嫌いなところ」。今日だってどこかに、誰にも会いたくなくて、鏡を見るのも嫌な朝を迎えた人がいるはず。でも、自分の嫌いなところだって自分が思っているほど悪くない。隠したり、変えたりして、無理に好きにならなくてもいい。自分は嫌いでも、そんな自分を好きな誰かがいる。嫌いは嫌いのままでも、大切にすることはできる。自分を好きになるために、コンプレックスをなくすために脱いだ目黒だったが、彼女は嫌いな自分との新しい向き合い方を見つけた。脱いだ後、自分の弱さや嫌いな部分を否定し続けるのはやめようと思いました。それと同時に、今まで自分が嫌いだと思っていたところを肯定してもらえた気がしました。写真を撮られることが嫌いだったのに、脱いだら服を着ていたらわからないようなところを、まわりの人にほめられたりしたことで、顔だけではなく、トータルで見てもらえることに気づけたので救われました。自分が嫌いだと思っていたところも褒められるようになって、違う角度からコンプレックスを見ることができるようになりました。こんなに自分のことが嫌いではなかったら、たぶん脱いでもなかっただろうし、何も考えずに生きていたと思います。自分の嫌いな部分を通して、大切なことを知ることができました脱いだことによって、自分がどんな人間が少しわかった気がします。自分のことを認めたいからこそ、まわりから評価されることで、嫌いだと思っていたところが誰かの目には私の良さとして映っていることを知り、あとからそういうところを自分の個性として構築してきたと思います。脱ぐ前は、本当に自分がどんな人間かわからなかったけれど、「自分はこういう人です」という名刺を作ることができたと思う。だから、写真部の友達の一言がなかったら、今の自分はなかったです。ほんのちょっとのきっかけで、自分を変えていこうと思えました。私は、「脱ぐこと」を自分が生きるために、自分を建て直すためにやっています。脱ぐことは誰にでもできることで特別なことではないと思います。ごく普通の見た目で、胸も小さいし、貧相な体で、コンプレックスはたくさんあるけれど、こうやって脱ぐこともできるし、なんとか生きています彼女は、服を脱いだ自分に意味を見出したのだ。目黒は、これからも彼女が彼女のままでいるために、服を脱いでカメラの前に立つのだろう。自分らしい抜け道の見つけ方
2018年03月01日小さな頃、近所のご老人に可愛がってもらった記憶はないだろうか?筆者は小学生の頃、近所のおばあさんの家によくおじゃましていた。池の魚の種類を教えてくれたり、お菓子をくれたりと、優しかったおばあさんとの時間は、今も温かい思い出だ。 しかし、都会に住んでいると、隣人の名前がわからないことも多く、そうしたご近所さんとの世代を超えたつながりは、生まれにくいのかもしれない。そこで今回は、ニュージランドで広がりを見せつつあるネットサービス「Surrogate Grandparents(サロゲイト・グランドペアレンツ )」を紹介したい。世代を超え、互いに心地よい関係を生み出すプラットフォーム「代理の祖父母」という意味の名前を持つこのウェブサイトは、孫がいない、もしくは孫と離れて暮らす祖父母世代の人々と、両親が既に他界していたり、離れてくらしているなどの理由から、子どもの祖父母代わりとなる人を探す家族をつなぐ、マッチングサイト。 サイトの開設者である、Jo Hayes(ジョー・ヘイズ 以下ヘイズさん) 自身、シングルマザーとなり、祖国のイギリスから離れた育児に孤独を感じていたことがサイトの開設のきっかけとなったという。当サイトを通じ、友人の母親という「代理祖母」と出会い、子どもたちも代理の「おばあちゃん」との時間を楽しみにしているというが、そういった出会いは、どのように生まれているのだろうか?日本でこそ、オープンな心でデリケートな問題もあるが、ニュージランドのサイトは当地のテレビ番組でも紹介され、アメリカのフェイスブックグループのメンバーは、3000人を超えている。血はつながらなくとも、多くの人が「家族」のような暖かい支え合いを求めているのかもしれない。 そして、核家族化、高齢化が進む日本でこそ、そうした需要は高まっているのではないだろうか? 2025年には、国民の3人に1人が65歳以上になるといわれ (参照元:現代ビジネス)、独居老人の数は、年々、増加の一途をたどっている。(参照元:内閣府) 孤立しているのは、高齢者だけではない。2014年度のミキハウス子育て総研の調査によると、「子育てにおける孤独感を感じたことがある」と答えた母親は半数以上。「どんな時に孤独感を感じるか」の問いには、63.7%が「子どもと自分だけで家にいる時」と回答した。「孤育て」も表面化している問題だ。 近年、日本でも出会い系アプリや、フェイスブックグループなど、ネットを介した出会いも広く受け入れられるようになった。しかし、こうした世代を超えたつながりを生み出すものは、まだ多くはない。 Surrogate Grandparentsのようなサイトを通じて、次の世代に無条件に愛を注いでくれる祖父母世代と、子どもたち、そして保護者が、信頼できる関係を広げていければ、日本の未来はより明るいかもしれない。▶︎オススメ記事・高齢化する日本に今必要!“ギブアンドテイク式”の「お年寄り」も「若者」も得をする出会い系サイト・「68人家族です」。米ポートランドで見つけた孤独な子供と高齢者が一緒に暮らす「新しい家族のかたち」、ブリッジ・ミドウズText by Miroku HinaーBe inspired!
2018年02月28日スーパーの野菜の棚を前にして、欲しい野菜の山からつい1番見た目が綺麗なものを手にとってしまってはいないだろうか。なんとなく綺麗な方がいい。味も鮮度にも関係はないけれど、私たちが何気なくとるその行動。ドイツのあるスーパーではそれができない。なぜなら、そこには他のスーパーでは置かれることのない、形やサイズが売り物にならないようなものしか置いていないからだ。これが、未来のあるべきスーパーの形なのかもしれない。Photo by Maja Seidel食べられるのに「見た目」が理由で捨てられる食料毎年、世界の生産量の3分の1にあたる約13億トンの食料が廃棄されている。(参照元:消費者庁)衝撃の量だが、問題は「もったいない」ことだけではない。食料を育てるのに使われた水、燃料、土地、そして労働などあらゆる資源が無駄になっているのだ。食料を育てるところから、消費者のもとに届くまでの工程で33億トン以上の二酸化炭素が排出されているという現状もある。(参照元:NATIONAL GIOGRAPHIC)食料廃棄の原因は家庭からでたもの、飲食店で余ったものなど多様であるが、そのなかに形やサイズなどの「見た目」を理由に出荷されることなく農家で捨てられている野菜や果物の存在がある。オンライン販売も行うドイツ・ベルリンにあるスーパーSirPlusでは食料廃棄を減らすため、形やサイズを理由に他のスーパーの棚には並ぶことのない食料を救い出し、販売している。フード・レスキュー(捨てられる運命の食料を救い出すこと)をメインストリームにしたいんだ。そうすることで、食料廃棄を大幅に減らしたい。全ての食料には同じ価値があって、命の輪の一部であるべきなんだ。消費者と、生産者と非営利団体に、食料廃棄と生産過多への解決方法を示したい。地球上の限られた資源を守りたいなんとなく綺麗な野菜や果物を選んでいるのなら、それは意識するだけで変えられる。賞味期限が消れている食べ物を考えずに捨てるのではなく、自分の感覚で判断すれば無駄にしなくても済むかもしれない。SirPlusは何よりそんな「意識」を広め、そしてお店やインターネット販売で、安く食料が買えるだけでなく地球にも優しい消費を簡単にしてくれている。地球の資源が限られていれば、無駄をたくさん出す私たちの消費の未来も限られている。そのことを考えると、SirPlusのようなスーパーが、未来のスーパーのモデルなのだと言えるだろう。名前Website|Facebook|Twitter|Instagram
2018年02月27日こんにちは、伶奈です。大学院まで哲学を専攻しちゃったわたしが、読者から日常の悩みや社会への疑問、憤りを募り、ぐるぐる考えたことを書き綴る連載の第6弾。一方通行ではなくみんなで協働的に考えられるようにしたいので、時に頷き、突っ込みながら読んでくださると嬉しいです。最初に「ハラスメントはなぜ起こるのか?」ということを考えてみます。(今回は、パワハラやセクハラ、スメハラを含むハラスメント全般について考えたいと思います )ハラスメントが起こるのは、端的に「弱いから」でしょう。有無を言わせない様子から一見強そうに見える加害者は、「欲望を抑えられない」「人を支配してしまう」という「人間の弱さ」が露呈している、とても惨めな姿だと思います。本当は「人間関係にお前の幼稚さ持ち込まれても知らんがな」の一言に尽きるのだけど、怒りや欲望や暴力を剥き出しにする圧倒的幼稚さを前に、わたしたちは抵抗できず、被害者は常に弱い立場に置かれてしまうのです。理性、想像力、そしてコミュニケーション人間はみんな、他者を支配、吸収してしまおうとする弱さを持っています。けれど、人間を他の動物と隔てる「理性」という機能で、そのどうしようもなさを制御しています。この「弱さ」は、理性の欠如に起因すると同時に、他者と自分との線引きができなくなる「土足問題」でもあると思います。言い換えると、他者を他者だとわかる「想像力」の乏しさ。わたしだって、急に思い出すことがある。「そっか、あなたはわたしじゃないんだ」。わたしたちは、つい自分の見ている範囲を他者の基準にしがちだ。まじで、しがちなのだ。ハラスメントあるある文言、「え〜別にされても良いって顔してるよ〜」「NOと言わなかったからYESだろ」「なんでこれもできないんだよ」「やれって言っただろ」。おい、落ち着いてくれ。わたしの心や気持ちや意図、少しは想像してくれ。ところが、想像力には限界があります。表情を読み、相手の言わんとしていることを想像することは大事だけど、想像力を完全に働かせることはできないから。想像はあくまでわたしのなかに保存され、あなたの脳内とわたしの脳内が触れ合うことは一生ないのだから。だからこそ大事になるのは、「コミュニケーション」だと思うのです。ハラスメントは「言った、言わなかった」「嫌だった、嫌がっているなんてわからなかった」と、二者が永遠にすれ違いを繰り返す、圧倒的コミュニケーション不足の問題でもあるからです。もしかしたらわたしも、加害者になりうるかもしれないでも正直、わたしはとても怖い。無意識のハラスメントが。誰をどこでどう傷つけているかわからないということが。共感を求めたはずの被害者意識が肥大し「わたしの方が大変だった」というマウンティングを繰り広げそうになることが。そして人間が、実は理性や想像力やコミュニケーションをうまく使いこなせないということが。たとえ「死ね」と直接言わなくても、ディナーにしつこく誘わなくても、お尻を触らなくても、すべての言葉や行為が、それが発せられた瞬間、毒矢になる可能性をもつ。街で聞く誰かの「幸せだな」という声が、大切な人を亡くしたばかりの人の背中を刺すかもしれない、世界はそんな不安定な場所なのです。だから、もしかしたらわたしも、加害者になりうるかもしれない。なっているかもしれない。そう自覚し、隣りの人に想像力を持って接することができるかどうかで、世界は違って見えるのかもしれません。そして、誰かを傷つけていたと知ったときに、これまでの自分を捨て、変わる勇気を持てるかどうかが、このどうしようもないわたしたち人間を救う、唯一の道だと思います。みんなで血相を変えて絶対的な正しさや他者を攻撃する言葉を探すよりも、かっこいい理念やイデオロギーにしがみつくよりも、自分自身の弱さに気づき、人と人とのコミュニケーションのなかで、言葉を積み上げながら生きたいなと、わたしは思います。続きは一緒に考えてくれたら嬉しいです。意見や批判、感想をお待ちしています。Twitterハッシュタグ「#REINAの哲学の部屋」で。3月の連載のテーマ募集します!読み込んでいます…田代 伶奈Twitterベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。現在自由大学で「未来を創るための哲学」を開講。Be inspired!ライター。
2018年02月26日こんにちは!池尻大橋からALL YOURSというお店でDEEPER’S WEARというブランドを取り扱っている、木村 昌史(きむら まさし)がお送りします。毎回お騒がせしている24ヶ月連続クラウドファンディングチャレンジですが、今回はそのプロジェクトとは違うサイドプロジェクトを短期間で始めさせていただきます!僕らが利用しているおなじみのクラウドファンディングサービス「CAMPFIRE」で資金調達した3つのアパレルブランドが集まり、『(un)TREND』というイベントを3月10日(土)、11日(日)に開催することになったんです。本誌「Be inspired!」と手を組んで。今回のイベントのステートメントがこちら。トレンドを作ることが正解だったファッション業界。トレンドに乗ることが正解だった消費者。しかし、その“正解”は果たして「正解」なのか。今の時代、ファッションを楽しむ人々は、ファッション業界によって作られたトレンドではなく、SNSなどで出会った各々のアイコンをお手本にしたり、ただ自分の好きなものを追いかけたりし、ブランド側は次々と人権、アニマルライツ、環境などに配慮し、生産過程を考慮したものづくりをし始めている。「消費を煽るトレンドサイクルはいらないのではないか」そんなことを考えるイベント『(un)TREND(アントレンド)』を始めます。さぁ、押し付けられた「流行」から解放されよう。ALL YOURSWebsite|Web store|Blog|Facebook|Instagram|Twitter|FlickrTEL:090-6075-5854住所:〒154-0004 東京都世田谷区太子堂4-4-5 三軒茶屋リリエンハイム #1004
2018年02月23日トレンドがめまぐるしく回り続ける今、たとえば10年間、あなたの箪笥を支え続けている服はあるだろうか。いやそもそも、10年という月日を考えて作られる服がどれだけあるだろう。もし10年間着たいと思える服があるとすれば、それはもう服というより、思い出の媒介、アルバムのような役割すら帯びているはずだ。そんな人生に寄り添う服を作ろうというのが、“10 Years Clothing”と名付けられた、新進気鋭のブランド「10YC」。この今までにない挑戦の原動力は、意外なところにあった。「これって自分たちが作りたいものを作ってるだけなんですよ」。いったいどういうことだろう。10YCのスウェットを着て颯爽と現れた、10YC代表の下田さん10YCの仲間と一緒に住んでたことがあるんですけど、彼がある日、1万円近い値段出して買ったというTシャツを手にして、「これ一回洗っただけでヨレちゃったんだけど、お前の業界どういう仕事してんの?」って言ってきたんですその日を境に、自分が苦労して納品した服が、翌週にはセール品としてたたき売られている状況。それでも売れずに処分されていく大量の在庫。しかし次々と新しい服を納品しなければならない日常。セール時の値引を見込んで計算されている定価。それらのすべてに違和感を感じ始めた。だから仲間と「自分たちの作りたい服を作ってみよう!」となったんです。しかもクオリティが高くて、丈夫で、着心地も良いやつを。そこでそんな服を作るにはどうしたらいいのかってことで、“旅行も兼ねて”全国の紡績、編み、織り、裁断、縫製、染色の現場を訪ね歩きました。そこで出会ったモノ作りに熱い思いを持っている人たち。その姿勢から、大量生産・大量消費ではないモノ作りの豊かさを学んだんです。そしてこれは絶対に広めなくちゃいけないものだと思いました「自分たちの作りたいモノ」を作るという真剣な遊びを続けて約1年。クラウドファンディングでプロジェクトを公開するやその反応は上々。目標金額を大きく上回る支援の輪が広がった。10YCの創業メンバー。左から下田さん、根津さん、後さんだから結果的にブランドを立ち上げたんです。最初は起業しようなんて全く考えてなかったんですよ。始まりは仲間内のノリです。「なんか面白いことしようぜ」っていう「自分たちの作りたいモノ」が「みんなに求められるモノ」と重なったとき、下田さんたちはブランドの立ち上げを決めた。何かを作るなら良質で、できるだけ長く着てもらいたいという意味が込められたブランドは、今年から本格的に始動している。着る人にも豊かなモノ作りの世界を知ってほしい。職人の思いを纏う服そうして「着る人も作る人も豊かに」をコンセプトに立ち上げられた10YC。その製品は上質な生地を使い、下田さんたちが直接会って契約した、高い技術を持つ全国の工場で生産される。それらの工場とは直接やり取りをしているため、仲介にかかる費用を削減でき、その分の浮いた資金が品質向上のために使われている。大胆にも製造原価率の内訳をホームページ上で公開。同時に契約している生産現場を取材し記事にして発信している。消費者は製品の生産過程や、そこに込められている思いを考慮して購入を検討することができる。原価をオープンにしているのは、50%とか80%オフになっている服が本当はいくらなのかがお客さんにはわからないからです。業界外の人は服ができるまでにどんな工程があって、どれぐらいのお金が何に使われているのかを知れないじゃないですか。そこを知ってほしかったのと、あとは現場の人の熱い思いを伝えたかった。大量生産・大量消費じゃないモノ作りがちゃんとあるんだってことを知ってほしい。そういう豊かなモノ作りがあると知ったうえで着てもらいたいというのが、10YCの思いですPhoto via 10YC websiteある工場長の「モノ作りは効率じゃなくて想いだよ」という言葉に感化され、私たちに知られざる世界を伝えることにした10YC。業界の常識に当てはまらない、モノ作りの背景を感じることのできる服が、こうして生まれた。「自分たちの着たいものだから自信を持って届けられる」アパレルってトレンドや季節に合わせて短期で商品を回していくので、実は10年着られたら困るんですよね。でもうちは「10年着られる」と胸を張って言う。これは耐久性の話ではなく、10年という長期間でも着続けてもらえるというということなんです10年という経過に耐えうる品質があっても、そこに愛着が無い限り、その服を着続けることは確かにないだろう。今日も何気なく着てしまっている服。それが10YCの目指すところだ。長く着たいという愛着を持ってもらうために、いろんなことを考えています。たとえば3月からスタートする予定の「リペア」や「染め直し」のサービスがそれです。服のメンテナンスですね。「汚れたり破れたから捨てる」という前に、僕たちに預けてください、より良いものにしてお返ししますという感じです業界の常識と真逆の方向性を志す10YCの姿勢。その根源にあるのは、これまでのやり方をなぞるだけではダメだという意識の表れにあった。トレンドを追いかけて速く商品を回していくというのが、これまでの業界の常識でした。速さが命だったんです。でもここ最近はそれじゃ上手くいかなくなってきた。だからいろんなブランドが丁寧なモノ作りをしようとしているんですけど、トレンドを追い続けることに特化していた組織体制を変えるのはそう簡単じゃありません大量生産・大量消費の時代が過渡期を迎え、時代の転換点にある今、喫緊の課題は新しいモノ作りの指標を確立すること。トレンドに代わる「何か」。10YCにとってのそれはなんなのだろう。まあ僕ら作りたいものがいっぱいあるんですよ。これからどんどんシャツもパンツも作りたい。自分たちの作りたいモノを作っていくだけというか。だって、お客さんに自分たちが着たくないものは売れないでしょう?ただそれだけですね「自分たちの作りたいモノ」を作る。その姿勢をぶれずに持ち続けることで、10YCはどのような価値を創造していくのだろう。どのブランドも変化を迫られる厳しい時代のなかで、彼らの歩みはポジティブな空気であふれている。最初は内輪だけの面白いことから始めたら良いと思うんです。それに共感が集まれば、お金はクラウドファンディングでまかなえますし、それで起業して、結果的に失敗したって死ぬわけじゃないですから。まあ初めての起業だったので、びびってたところもありますよ。でも一人じゃ辛いことも、仲間がいれば支え合えます。みんなもう少し起業についてライトに考えても良いと思うんですよね「失敗しても死ぬわけじゃない」。そんな楽観が、これからの時代を作っていくのかもしれない。10YCWebsite|Instagram「着る人も作る人も豊かにする、未来のためのものづくり」の実現を目指し、2017年11月にローンチしたウェアブランド。製造委託先の工場と直接取引し、中間マージンを除くことで品質が良く長く着続けられる製品を提供しつつ、工場に適正な工賃を支払い、モノ作りの現場に利益を還元。「着る人も作る人も豊かに」する、持続可能なモノ作りのサイクルを構築している。
2018年02月23日人生の大きな決断の一つ、職業選択。大学生は、就職活動を通し自由に企業に話を聞きに行き、自分に合った会社を探すことができる。しかし、大学に入っていない、中卒・高卒者の就活状況はかなり制約に縛られていることを、あなたは知っているだろうか?また、制度的な制約に加え、中・高卒者へのネガティヴなイメージがさらに企業の受け入れのハードルを高くしている。人間の働く能力は学歴によって大きく変わるのか。若者の挑戦したいという思いを遮断してしまう、今の学歴中心の就職市場は、彼らのチャンスを無慈悲に奪っているのではないだろうか。この不公平を減らすべく立ち上がったのが、中・高卒者限定の「ヤンキーインターン」プロジェクトである。インターン生は食事や住まいなど、生活インフラが無償で提供され、英会話学習や各業界人の講義を聞いたり、実際に営業の仕事を実践するなどして半年間の研修を行う。人生の選択肢を幅広く提示し、消去法ではなく自分の意思で選択した道を歩んでもらうことが目標だ。ヤンキーインターン参加者の右からbefore、after①ヤンキーインターンを提供する株式会社ハッシャダイは、「中・高卒者の存在が認知され、仕組みが定着し、ハッシャダイが不要になる世の中こそが、僕たちが目指す世界」であると語る。自社の事業の存在意義をなくすことが、最終目標であると言い切る彼らから伝わってくるのは会社の利益よりも本気で社会をよくしようという強い思いだ。ヤンキーインターンが提案する、中卒・高卒者向けの“第0新卒”枠現在、就職する際の応募には、新卒、第二新卒、既卒、中途採用といった様々な枠が存在する。このうち第二新卒とは、大学を卒業後、新卒として企業へ就職したものの、3年以内に退職、または転職活動を行っている人のこと。これを参考に、ハッシャダイは”第0新卒”と称した中卒・高卒者向けの新しい枠を、ヤンキーインターンを踏み台にして新たに市場に作ることを試みている。ヤンキーインターン参加者の右からbefore、after②「中卒高卒のネガティヴなイメージをリブランディングによって変え、市場を作ることによって企業に入ってきてもらう。市場が形成され色々な事業者が参画してくると、ユーザー利益が増え、結果的に就職先の選択肢が増えることになる」と話すハッシャダイ。この理念に共感した人は着々と増えており、2016年にはヤンキーインターン参加者が就職する際のスーツ・鞄などの購入のための資金獲得を目的としたクラウドファンディングも成功させた。学歴に頼らず自分を売り込む時代の到来へ
2018年02月23日2017年12月に行われた若者が集まるカルチャーイベント「Making-Love Club」の第4弾で、とあるフリーランスモデルが摂食障害*1、パニック障害*2、醜形恐怖症*3であることをカミングアウトした。彼女の名前は美佳。同世代の若者たちを前に、自分が悩まされていることをさらけ出すのにはどれほどの勇気が必要だっただろうか。そんな思いから、Be inspired!は「摂食障害」と向き合う彼女の側面に焦点を当てるインタビューを行った。(*1)大きくは食事をとらない/とれない「拒食症」と食物を大量にとる「過食症」にわけられる、過度の食行動の異常がみられる病気。「拒食症」では体重が極端に減るが、自分ではその極端さを理解できていないことが多い。「過食症」では食べ始めると自分ではコントロールができず、大量の食物を食べてしまった後悔から憂鬱な状態が続くことが多い(*2)突然の動悸や息切れ、強い不安をともなうパニック発作に襲われる病気。また発作が起きるのではないかという恐怖心から日常生活に支障をきたしてしまう(*3)自分の容姿に対する自己評価が低く、自分の容姿に対する悩みを強迫的に/過剰に気にしてしまう病気驚いたのは「どうして食べられないの?」「どうして食べすぎちゃうの?」と聞かれたこと自身が抱えている病気について、どうして人前で話そうと思ったのか聞いてみると、意外なことに「あれは直感だったんです」という答えが返ってきた。同イベントのトークショーで「BMI18*4を下回るモデルの使用を禁止した海外ブランド」が話題に上ったため、もしかしたらこれが話すタイミングかもしれないと感じた美佳。来場者が自由に発言できる時間に、思い切って出演者や来場者を前に「モデルとして自分の抱えている病気について発言するかどうかの葛藤」を口にしたのだ。親しくなった人には病気について伝えていたという彼女だが、知らない人が多く集まるイベントでのカミングアウトでは今までにないほど声が震えていたと振り返る。いずれは病気のことも公にしようと思っていたものの、理解してもらえるのかという不安や「メンタルヘルスの問題を抱える、まだ売れてないモデル」というレッテルを貼られてしまうのではないかという心配も感じていた。彼女がカミングアウトしてきた相手にはわかってくれる人たちもいる一方、「摂食障害」という言葉さえ知らない相手の場合には、理解してもらうことはたやすくなかった。知識のない子に言われて私が逆にびっくりしたのが「どうして食べちゃうの?」「どうして食べ過ぎちゃうの?」っていう単純な疑問みたいなこと。それが私にもわからないから、こうなってしまっているのに。そういうのを聞くと「そう言われてもな、じゃあ言わなければよかった」って後悔します会場には同様な受け止め方をする人、彼女の経験を人ごとにしか感じられない人たちもいるかもしれない。だがそんな心配をよそに、イベント終了後には「勇気をもらった」という言葉や、「私も実は同じことに悩んでいました」というような言葉を多く受け取ったという。(*4)BMI数値は身体の「肥満度」を測るものとして世界的に使われており、「体重(kg)÷(身長(m)×身長(m))」の計算式で算出できる。「低体重」に分類されるBMI18が、日本のファッション誌で“モデル体型”だとされることが多かった。また世界のファッションショーでは、人々が「不健康な痩せ方」を目指す傾向を助長しないようBMI18.5以下のモデルを使わないという動きが広まっている「メンタルヘルスの病」と闘うファッションモデル彼女の摂食障害は過食症から始まり、拒食症にもなった。病状が落ち着いているときもあるが、摂食障害を克服するのには時間がかかるもので、闘いはまだ続いている。最近ファッションモデルとして本格的に活動を始めた彼女だが、ファッションが好きになったのも病気になってからで、モデル事務所にスカウトされたのもそうだ。さらに、初めてのファッションスナップは精神病棟から外出許可をもらって参加した。ファッションが好きになったのは自分の病気がきっかけでした。原宿でスカウトされたのは5年くらい前でバイトをしていたときなんだけど、学校を辞めて自分には何もなくなってしまったという絶望感があって、そのときに出会ったのがおしゃれをすることで、バイトのない日は原宿に通っていて、そんな頃に竹下通りでスカウトされてのちにモデル事務所に所属することになりましたそんな彼女は昨年、モデル事務所に所属し続けるのではなく、フリーランスモデルの道を選んだ。フリーランスなら自分で受けたい仕事を決められるが、そのためには自分自身を自力で売り込んで仕事を見つけなければならない。また、体調管理も仕事を続けていくうえで必須なため、自分の病気と嫌でも向き合わざるをえなくなる。今まではたとえば私が過食しちゃってそのままお風呂にも入れてなくて具合も悪くて、「ごめん今日無理なんだ…」ってドタキャンすることが多くて、でもそうするとやっぱり相手が「どうして?」「なんでこんなに体調悪くなるの?」って離れていってしまうことがありました。でもだからって今仕事をしていてドタキャンするわけにいかないから、自分で体調管理や自己管理をするようことが大事ですが、それでも急に過食したいという衝動に駆られてしまうこともあってすごく難しいですよねそんな苦しさを感じながらも、モデルとして仕事をしていきたいと思わせてくれた出来事があった。それは初めてモデルとして仕事をしたフォトグラファーとの出会い。彼女がヌードで撮影したのは彼とだけで「今後ヌード撮影のオファーが来ても、ほかのフォトグラファーのだったら受けない」と断言するほど信頼をおいている。そんな彼とSNSを見ながら情報交換をしていたとき、顔のそばかすが特徴的な人気モデルのモトーラ世理奈が写った、日本のロックバンドRADWIMPS(ラッドウィンプス)のCDジャケット写真をたまたま見つけた美佳。すると同じ写真を見た彼に「それが君でもおかしくないよ」と言われ、今まで感じたことのないやる気が湧いたという。一般的にネガティブだった「そばかす」に対する印象をポジティブに変えたともいえるモトーラ世理奈のように、何か美に対する価値観を変えてやろう、と思ったのだろうか。自分の体験をオープンに話すという、「表に出る者」としての責任彼女はモデルの仕事をするうえで、ある「使命感」を感じているという。それは、自分の抱えている病気やその経験を話すこと。アメリカの歌手LADY GAGA(レディー・ガガ)が摂食障害を患っていたことを告白したように、有名人がメンタルヘルスについて発言すれば、たとえば美佳のカミングアウトを理解できなかった人にとって彼女の病気を知る機会になるかもしれない。そういう意味でも、発言一つで救われる人はきっと少なくない。「私はたまたまメンタルヘルスの病を抱えていて、表に出る人になった」ということを発信する使命があるんじゃないかって勝手に思っていて。そうすることでメンタルヘルスの病を抱えている人に勇気を持ってもらいたいとは言わないけど、諦めないでほしい。私も部屋の中で一人で過食をして落ち込んで泣いたり、引きこもりになったりした。みんながモデルになれって言いたいわけではないんだけど、社会に出られる可能性があるとか好きなことができる可能性があるってことを信じてほしい。そういう気持ちがあって話をするべきだと思いました「彼女は摂食障害の患者の代表だ」ととらえられることは、決して彼女が目指していることではない。彼女が目指すのは一人のファッションモデルとしての活躍だが、今後は人前で話す機会があれば、自分の抱えてきた病気について積極的に話していくつもりでいる。もちろん病気について聞かれたら答えるし、隠すことは何もない。でも「この人摂食障害で、頑張っているから」って私のことをフォローしてくれている人もいるし、モデルとして応援してくれている人もいるし、親戚のおばさんも私のことをフォローしてくれているから、そればっかりにフォーカスしなくていいかなって2018年、“モデル体型”が存在しない時代に突入“モデル体型”といえば、どんな体型を想像するだろうか?まず思い浮かべるのは「細い人」かもしれない。今でこそ「プラスサイズモデル」や多様な見た目のモデルを目にするようになったが、それはここ最近の話にすぎないのだ。美佳も過去にはメディアが提示してきた「細い“モデル体型”こそがすべてという風潮」に飲み込まれてしまっていたという。ティーン誌を読んでたころって「これがモデル体型だ」って思い込んでしまっていて、BMI一覧とか身長と体重がグラフになっている表とかに載っている基準がすべてだと思い込んでしまった時期があって、それを満たしていなかった私はダイエットに一生懸命になってしまって、すごくネガティブになりましたね。最近も同じグラフを目にすることがありますが、あれって今も必要なんでしょうか?あれを見て誰が得するのかって思いますモデルとして本格的に活動を始めてからも、どんな体型でいればいいのか考えてしまうことは多い。だが、彼女は「求められる体型なんてない」という結論に至ろうとしている。近頃はブランド側のモデルの選び方も変化しており、SNSで見つけたブランドの雰囲気に合いそうな人に声をかけることもよくある。モデルをどうブランドに合わせるかというよりも、どう合うモデルを見つけるかという考え方となってきているといっても過言ではない。昔は「細くてきれいで」っていうのが当たり前だったかもしれないけど、最近は一つのブランドに多様なサイズのモデルが一緒に使われているのを見る。だからモデルになるための体型の基準なんてないんじゃないかって結論を持つようになって、そのためにダイエットをしなくてもいいって思うようになった。インスタを見てブランドから連絡がくることもあるんですが、インスタには自分のサイズを書いてないですよね。ぱっと見で使いたいかどうかなんだと思います。「あ、使いたい」みたいな、だからサイズではなくて雰囲気が重視されているような気がしてます「モデル」とは、どんな存在であるべきか?いつの時代も「美しさ」を追いかける人たちがいる。それで目標とされたり崇拝の対象となったりするのはいつも、ファッション誌を飾ったりランウェイで歩いたりSNSで莫大な数のフォロワーを持ったりしているようなモデルたち。そのモデルという存在は「ブランドの服を引き立たせる存在」でしかないこともある。だが、特にSNSが発達してからは個人として発言しやすくなり、社会的に意味のある意見を発信するモデルの存在が注目されるようになった。そんな流れを受け、発言をしたモデルが身につけたブランドの服が好き、と考える消費者が少なからず増えてきているに違いない。美佳のように、モデルの影響力が持つ可能性や意味を理解したモデルが、今後日本でも姿を表してくるのではないだろうか。美佳(MIKA)Instagram
2018年02月22日「服をただ着るのではなく、マニフェスト(宣言)として着よう」というモットーを持つBe inspired!の編集部がセレクトしたブランドの詰まった「人や環境、社会に優しく主張のあるWARDROBE(衣装箪笥)」を作り上げる連載、『GOOD WARDROBE』。今回は、イギリス・東ロンドンを拠点にする、デニムを中心にエコフレンドリーで機能性が高く、ジェンダーレスな製品を提供するI AND MEを紹介。ファッション業界で人気ファストファッションなどのバイヤーとして10年以上働いたのち、同ブランドを立ち上げたJessica Gebhart(ジェシカ・ゲブハート)に話を聞いた。ーデニムに関しては、日本の伝統的な手法を使って、しかも日本の工場からも仕入れているみたいだけど、どうして日本なの?日本人はデニム界の王者だと思う。今日まで続く、素晴らしい“本物”の技法を持っていてる。私たちが使っているあい色のセルビッジ生地(旧式の技法で織られる「耳」と呼ばれるほつれ止め処理が施された生地)も伝統的なシャトル織機を使って織られている。日本のセルビッジデニムは最高級の生地を使っていると思う。ーこれからはどう成長していきたい?I AND MEはマス向けではないけど、何ヶ国には進出したいと思ってる。(もうすぐ日本にも初めて出荷されるの!!)あと、いつか自分たちだけのお店を持てたら最高だな。▶︎オススメ記事・#8:「話題性」や「売れたときに得られる利益」は二の次。ロンドンの社会派ストリートブランドとは|Bi編集部セレクト『GOOD WARDROBE』・#7:胸には“SEX”と小さくプリント。健全な性教育を受ける権利を追求する「いやらしいTシャツ屋」とは|Bi編集部セレクト『GOOD WARDROBE』All photos via I AND METext by Noemi Minami ーBe inspired!
2018年02月21日フェアトレード、ダイレクトトレード、オーガニック、ベジタリアン、ビーガン、ゼロウェイスト、昆虫食、未来食…。東京の街に日々増えていく、お腹をただ満たすだけではない「思想の詰まった飲食店」。「ビーガンの友達と、ビーガンメニューのあるレストランにいきたい」、「サードウェーブの先を行くコーヒーが飲みたい」、「フードロスがないレストランに行きたい」、「無農薬野菜が食べたい」、「友達や恋人と健康な食事をしたい」、「ストーリーのある食材で作られたものを食べたい」「地元の食材を食べたい」などなど。そんなニーズに答える連載。「食べることはお腹を満たすだけじゃない。思想も一緒にいただきます」、その名も『TOKYO GOOD FOOD』。フーディーなBe inspired!編集部が東京で出会える、社会に、環境に、健康に、あなたに、兎に角「GOODなFOOD」を気まぐれでお届け!第18回目の『TOKYO GOOD FOOD』は、ニュージーランド発のコーヒーショップ、「ALLPRESS ESPRESSO Tokyo Roastery&Cafe」。あとはスタッフとお客さんとの距離が近いかもしれません。自然に距離が近いというか、無理のない感じでお互いがフレンドリーになれるというか。生活の身近にあるコーヒーを通じて、「オールプレスと関係を作っていきませんか?」という提案をしている感じです。ではアグネスさんにお聞きします。なぜ本社のあるニュージーランドではなく、ロンドンでMYOは始まったんですか? もともとロンドンチームのアイデアだったんです。だから特に理由はないんですが、当時私たちはコーヒーに興味がある人に向けて、楽しくて実践的、それでいてコーヒーを淹れる技術をデモンストレーションできるイベントがやりたいと思ったんです。日本で行なっているのも同じ理由ですね。で、実は一度きりの予定だったのが、イベントの大成功を受けて続けることになったんです。このイベントは私たちが何をしているのかを知ってもらえるし、私たちはお客さんのことを理解できる。そして互いのコーヒーへの情熱を共有できる。MYOはオールプレスを知ってもらうのに最高の手段だと思います。ではいま、実際にMYOを担当していらっしゃる志保さんにお聞きします。まずはMYOの概要を教えていただけますか?はい。私たちスタッフのレクチャーを受けてもらいながら、「ドリップのやり方」や「エスプレッソマシーンの使い方」を参加者の方々に体験してもらいます。目的はお客さんに楽しんでもらうこと。オールプレスに来てよかったなと思ってもらうこと。バリスタの仕事を身近に感じてもらうことです。どのくらい参加者が来ますか?20~30人は来られますね。イベント中に来店する一般のお客さんが多い場合は、スタッフが出入りする扉も開放して、誰でも自由に入ってもらえるようにしています。参加者の方のリアクションはいかがですか?「思っていた以上に難しい」という声をよく聞きます。バリスタは当たり前のように完璧な一杯を作りますが、それがどれだけ難しいことなのか、そこにどんな技術があるのかということに驚く方が多いようですね。CHANGE SOCIETYオールプレスはニュージーランドのコーヒーカルチャーを日本に伝えていますが、このことでどのような変化が起きると思いますか?エスプレッソに関して、「ただ苦い」という印象を持っている方もいると思うのですが、その印象を変えていければと思っています。フラットホワイトやロングブラックなど、コーヒーにはまだまだいろんな飲み方があるということを、ここから伝えていけたらいいなというわけです。黒船サードウェーブもずいぶん浸透し、コーヒーの楽しみ方に一層の深みが出てきた今日この頃。今後新しい風を吹き込むのではないかと注目を集めているのが、オセアニア系のコーヒーカルチャーなんだとか。オールプレスのスタッフはオセアニアに造詣のある人が多い分、純度の高い情報を伝えられる環境がある。「オセアニア系エスプレッソ」という他にはない特徴が、これからの新時代を牽引するのも近いかもしれない?来週の『TOKYO GOOD FOOD』もお楽しみに!ALLPRESS ESPRESSO Tokyo Roastery&CafeWebsite|InstagramAddress:〒135-0023 東京都江東区平野3丁目7−2Tell:03-5875-9392営業時間:月~金 9:00~18:00 土日 8:00~17:00
2018年02月20日アフリカ・欧州中心に世界の都市を訪れ、オルタナティブな起業家のあり方や次世代のグローバル社会と向き合うヒントを探る、ノマド・ライター、マキです。Maki & Mphoという会社を立ち上げ、南アフリカ人クリエイターとの協業でファッション・インテリア雑貨の開発と販売を行うブランド事業と、「アフリカの視点」を世界に届けるメディア・コンテンツ事業の展開を行っています。連載第1弾のゲストは、昨年末初来日し、Be inspired!でも取り上げたクリエイター・ユニット2ManySiblingsの一人、ヴェルマ・ロッサ。ヴェルマは、ナイロビを拠点にヴィジュアルコンテンツの制作・編集・配信や、地元のクリエイティブ起業家を集めたイベント開催などを手がけるマルチなクリエイター姉弟ユニット2ManySiblingsのクリエイティブ・ディレクションを担当。筆者とは、2015年にナイロビで開催されたイベントで出会って以来の関係で、昨年末には、弊社ブランドのビジュアルの制作を依頼したりと、協業も始めています。2ManySiblingsは、2013年に、拠点であるナイロビのクリエイティブシーンやストリートスタイルなどの記録、Tumblrへの投稿を開始。米国VOGUEにも取り上げられるなど、今や欧米を中心に世界的に注目されています。ヴェルマ個人のInstagramのフォロワーは、約3万人。ナイロビ拠点のクリエイターとしては、無視できない存在になりました。独自スタイルが注目されてモデルとして被写体になることも多いヴェルマですが、決してセレブリティになることはなく、謙虚に自分の人生に向き合っています。そして、未だマスメディアからは(多くの場合ネガティブに)断片的な情報しか発信されていないアフリカの、ポジティブなストーリーを発信したいと使命を持って活動しています。今回はそんなヴェルマのあり方と、その生き方に結びつくに至った考えやエピソードを通じて、ある一人の「クリエイティブ起業家の肖像」に迫りたいと思います。「わたしはキュレーター、地球の花、観察者、そしてスポンジ!」。ヴェルマ・ロッサって何者?マキ:そうだね。最初に聞きたいのは、ずばり、ヴェルマ・ロッサは何者なんだろう。ヴェルマ:わたしは、キュレーター。わたしは、地球の花!マキ:(笑)ロッサ(ローズ)は、花の名前だしね。ヴェルマ:ミドルネームはローズだけど、「地球の花」というのは、もうちょっと比喩的な意味。つまり、成長して、素晴らしいものとして開花するという自分自身の進化の過程かな。マキ:なるほどね。キュレーターとしてのヴェルマがどう形成されたのか、とても興味があるんだけど、生い立ちを教えて。ヴェルマ:いろいろな事に対して、関心や意識が高い子どもだったかな。成長の過程における自分の経験に影響されたと思う。夢のように素敵な生い立ちだった。ヴィンテージの電化製品のコレクターでもあった叔父がいて、いつも母親がホームメイドジャムを作ったり、ベーキングしたりして、父親は60年代のアフリカン・ジャズを毎日かけたりしてた。家の前には、線路があって、コーン畑が一面に広がっていた…。10代は割と普通だったかな。髪を剃りあげて青に染めたりはしたけど!マキ:素敵すぎる生い立ちだね。今のキュレーターの活動に結びつくような要素もありそう。ヴェルマ:わたしは、観察者であり、スポンジなの。自分自身に、ある種の感情をもたらすようなこと、人々、時間や空間を捉えるのが好き。自分の経験や学びの進むべき方向性をより多く得られたり、オルタナティブなあり方を吸収できる機会を探求し続けているだけ。視覚的なものに対しての感覚が強くて、写真も独学で習得した感じ。「ナイロビの断片をシェアしたいと思った」。アフリカにおけるクリエイティブ先進国、南アフリカからから自国にクリエイティブ活動を持ち込んだパイオニアマキ:2ManySiblingsの活動を表面的に見ると、SNS発信やイベントのプロデュースなど、アウトプットがメインという感じもするけれど、ヴェルマの活動の本質は、周囲を観察し、学ぶというインプットなのかもしれないね。いまの活動(ビジュアル・ストーリー・テリング)を始めるきっかけとかってあったのかな。ヴェルマ:7年間過ごした南アフリカでの生活が直接のきっかけかな。時間もあって、何か刺激が必要だった。アーティスティック表現を求めてた。ヨハネスブルグでの、最高にクリエイティブな表現者たちとの出会いも大きかった。マキ:前回、東京で対談イベントを開催した際に言っていたけど、2013年から今に至る間に、TumblrやInstagramというツールが、一気に普及したのはヴェルマの成功につながっているよね。インターネットやスマホ、SNSで個人が発信するのが簡単になって、特に画像は言語の壁を超えることができるからメリットも大きいけど、デジタルツールが「クリエイティビティ」そのものや、自分の生き方にどう影響していると思う?ヴェルマ:奇妙な感じ。作品のライフスパンが非常に短くて、人々は常に次なる何かを期待している。つまり、すぐに忘れて次のものに飛びつく。実際に、生のアート作品を見たりするのに比べて、芸術的価値も下がる。ネット上に存在するものとしては、永久に存在するわけだけど、注目されるのは一瞬のこと。ものによって、例えばGURLS TALK(英国モデルのアドワ・アボアが立ち上げた、女の子が安心して自分たちの経験を共有するためのプラットフォーム)とかは、メンタルヘルスとか、セクシャリティ、アイデンティティなどのトピックについて有意義なディスカッションがされたりしているけどね。みんなすごく本音を言っている感じはある。今は、どうやってもっとIRL(In Real Life=現実の世界)での存在価値を高められるかを考えているところ。少なくとも1週間に2回とかは、スマホから離れてデトックスしたりもする。SNSによって、自分自身が認知されたり、活動の幅が広がったり、評価されたりして、海外での仕事が増えたりしている一方、不健康な側面もある。ラブ・ヘイトの関係だね。マキ:ポスト・インスタグラム時代もいずれやってくるだろうし。ヴェルマ:SNS以前の時代のほうが、自己表現の方法は優れたものがあったと思う。芸術家たちは、より現実世界と向き合っていた。バスキアとかピカソとか、ある意味、これまで以上に今っぽさがある。マキ:素晴らしい芸術家たちは、しばしばその評価が付いてくるのは死後という問題はあるけどね。そういう意味では、今の時代は、クリエイターたちが、即時にキャピタライズできる可能性があるという意味では、テクノロジー活用のメリットがあるようにも思う。「常に次のプラットフォームを模索し続けている」。変化する世界において、自分も進化し、よりよい世界をつくるマキ:悪いニュースのほうが、ニュースになりやすいというは一般的にも言えるけどね。ヴェルマ:ただ、CNNがやっているAfrican Voicesというセグメント(旅、ファッション、アート、音楽、テクノロジー、建築など様々な領域において、独自のサブカルチャーを創出している、今最も輝くアフリカ大陸の逸材を紹介するコーナー)は、そういったマインドセットの変革に向けてのいい動きだと思う。マキ:ヴェルマたちのような個々のクリエイターたちが活発化すると同時に、影響力のあるCNNのようなプラットフォームが、少しずつ多様化していくのはいい動きだね。ヴェルマ:あと教育カリキュラムも重要。現状、欧米教育においてアフリカ大陸に関する情報が組み込まれていない。きちんとした情報と仕組みに基づいて教育されない限り、人々の意識は変わらない。未だに、アフリカ大陸が一つの国だと思っているような人もいるというのは、信じ難い!マキ:そういった現状に対する、ある種の反発のようなものも、ヴェルマのクリエイティブな活動のエネルギーになっているのかもね。ヴェルマは、自分のやりたいことをできている(もしくは見つけた)という感覚があると思うけど、世の中で自分のやりたいことをそこまで明確にもって、かつ突き進めていける人たちばかりではないよね。自分のやりたいことはどう明確になったと思う?ヴェルマ:うーん…。「天使の啓示」みたいな一つの出来事はないかな。自分が発信する画像に対してポジティブな反応をもらうことは、自分が正しいことをしていると証明される感覚。でも自分自身は、常に変化し続けていて、進化し続けている。今何かパッションを持ってやっていることが、必ずしも来週、来年に同じかどうかわからない。常に次のプラットフォームを模索し続けている。世界に対して、より影響力があって、かつ自分自身もより満足できるようなプラットフォームをね。マキノマド・ライターMaki & Mpho LLC代表。同社は、南アフリカ人デザイナー・ムポのオリジナル柄を使ったインテリアとファッション雑貨のブランド事業と、オルタナティブな視点を届けるメディア・コンテンツ事業を手がける。オルタナティブな視点の提供とは、その多様な在り方がまだあまり知られていない「アフリカ」の文脈における人、価値観、事象に焦点を当てることで、次世代につなぐ創造性や革新性の種を撒くことである。
2018年02月19日ターメリック(ウコンと同じ植物)といえば真っ先に思いつくのがカレー。だが、そのターメリックが料理以外にも着色料、薬品など幅広く使われていることを知っているだろうか。また近年ではアンチエイジングなどの美容効果があることからターメリックラテ(ターメリックとミルクを合わせたもの)をメニューにおいているカフェもある。そんなターメリックはインドが原産であり、その生産量と輸出量は世界一。それゆえインドでは安価で手に入るのだ。しかしターメリックブームのアメリカでは、ターメリックの栽培地域が限られていることもあって、インドより断然高い値段で売られている。さらに、栽培するインド人農家には労働に見合った賃金をもらえていない人たちがいるのだ。この商品となる製品を栽培する生産者よりも、販売者の方がはるかに多くの利益を得ているという事実を知れば、フェアじゃない取引を行う販売者たちに怒りが湧いてこないだろうか。だが、そんなターメリック産業における不平等な状況を変えようとするひとりの若者がいる。インドのムンバイ育ちでアメリカ在住のSana Javeri Kadri(サナ・ジャヴェリ・カドリ)は、2017年8月にDiaspora Co. (ディアスポラ・コーポレーション)を設立した。Diaspora Co.ではインドの南部ヴィジャヤワーダから直輸入したターメリックを販売している。香辛料の取引において不公平な賃金の支払いがあるという事実を知ったサナは、公平な取引によってインドの農家に最大限の利益をもたらすことを目的に起業したのだ。Diaspora Co.の製品は4代続くターメリック農家のものを取り扱っており、クルクミン*1が豊富で品質の高いものである。サナたちのウェブサイトを見てみると、ターメリックの活用法はさまざま。アメリカで流行しているターメリックラテなど飲料から、ターメリックを入れた料理やお菓子、ターメリックを染料として使い染められたインドの伝統衣装のサリーまでが紹介されている。(*1)クルクミンとはターメリックに含まれている黄色の色素で、ポリフェノールの一種。抗酸化作用や肝機能の向上、消化不良の改善や美肌効果などが期待できる固定観念をなくすという点で、彼女がクィア(性的マイノリティの総称)であるという点も主張している。いまだに性的マイノリティの社会的な立場は弱く、彼らに対して偏見をもつ人は少なくない。そのため、性的マイノリティであることを大々的に主張することで、それに対して理解のない人々から批判や差別的な発言を受けるかもしれない。しかし当事者であるからこそ同じクィアの人々の立場を理解でき、自らが声をあげ発信していく人間となって、そのようなの人々の社会的な立場を確立しようとしている。Diaspora Co.に はこのような彼女の思いやアイデンティティがそのまま反映されているのだ。身近なところから「フェアな社会」の実現を目指す▶︎オススメ記事・p.20 アパレル企業が「ゴミ野菜」に手を出した。フードロスを減らす、“着る野菜”とは。|『GOOD GOODS CATALOG』・p.19「“ブサイク野菜”をインド料理へ」。チャツネで年間700kgもの廃棄野菜を救うファミリー。「Eat Me Chutneys」|『GOOD GOODS CATALOG』All photos by Diaspora Co.Text by Shizuka KimuraーBe inspired!
2018年02月17日テレビや雑誌でよく目にする、“モテるファッション”という言葉。女の子に向けたものだと、そのほとんどが「女の子らしさ」を主張するものだと言っても嘘ではないと思う。大量生産がふつうな現代、テレビや雑誌で目にするそれらの“モテるファッション”はお手頃な価格で簡単に買え、似たような格好の人は多くなる。決して「女の子らしさ」が悪いというわけではないけれど、“モテるファッション”というコンセプトについ疑問を感じてしまう。“モテる”という、異性の気を引くことを動機としたファッションがどうしてここまでマスメディアで押し出されているのか。今回Be inspired!は“モテるファッション”に違和感を抱き、ある意味「女の子らしいモテるファッション」とは正反対の男の子のようなファッションを楽しむファッションモデルNanamiに、日本社会のこの傾向について意見を聞いた。ーファッション面では誰にインスピレーションを受けていますか?誰というのはないのですが、80’s 90’sのファッションにかなりインスピレーションを受けています。映画を見始めてからドラマも好きになって、ファッションだけでなくヘアメイクや音楽までも当時の雰囲気を取り入れています。そのなかでも特に『セックス・アンド・ザ・シティ』のミランダの初期のマスキュリン・ファッション(男らしいファッション)が私のツボを押さえています。あと、ウィノナ・ライダー、マドンナ、『フレンズ』のモニカのファッションが好きです。メンズのファッションもしっかりもチェックして参考にしています。ー服って「男・女」と二極的なことが多いですよね。(たとえばズボン/スカートとか)その壁はなくなるべきだと思いますか?なくなるべきだと思います。そのせいで自分の好きなようにファッションを楽しめない人も世の中にはいると思います。最近、日本でも徐々にLGBTQなどに関しての理解が深まってきている傾向にあるので、これからはなくなっていく方向に進むことを期待しています。ーどうして多くの人はマスメディアが作り出すトレンドをフォローするんでしょうか?自分のやりたいスタイルがない人は勧められたものに対して簡単に好意を持つ印象があります。近年、SNSが盛んなのもあり情報があふれすぎています。私たちが情報を求めているようで、実は私たちは興味がありそうな情報や関連性のある情報を与えられていて、広くは見れていないのが現状です。この原理を利用してトレンドが生み出されていることがほとんどだと思います。ー自分の本当に好きな服を着ることがなんで大事なんだと思いますか?自分の好きな自分でいると、自信が持てると思います。ファッションはまさに自己表現の一つだと思います。誰かのために服を着るのは私にとっては信じらないことです!(笑)たとえ誰かに認められなくてもせめて自分がなりたい自分でいたいです。ー将来はどんな女性になりたいですか?芯のある強い女性になりたいです。強い人は優しい人です。そして常に自分のやりたいことをして人生を楽しんで、同性に憧れられるようなかっこいい女性になりたいです。▶︎オススメ記事・保守的な国ケニアで“出る杭”として活躍する姉弟クリエイティブ起業家から学ぶ「日本人に欠けていること」・「無条件で子どもを愛してあげて」。10歳のドラッグクイーンと母に学ぶ“自分らしく生きることの大事さ”All photos by Mathias AdamText by Noemi MinamiーBe inspired!
2018年02月16日日本じゃ滅多にお目にかかれない光景の一つに、路上でサッカーに興じる子どもたちの姿がある。たとえばこれがブラジルだと正反対で、ストリートサッカーに歓声をあげる子どもたちを見つけるのは簡単だ。でこぼこの地面に立ち、空き缶をボールに変え、壁にできたヒビをゴールに見立てるその想像力は、長らくブラジルのサッカー界を牽引している。しかしボールを追う子どもが、車にはねられて亡くなるケースが後を絶たないという現実が一方にある。だからといって、子どもたちの情熱を無理やり押さえつけることはできない。「じゃあどうする? グラウンドを作ればいい。同時に、地域の問題を解決するための拠点にしたらどうだろうか」。そう考えた人々が集まり組織されたNGO「love.fútbol(ラブ フットボル)」。アメリカで設立され、活動拠点はブラジルからエジプト、インドまで多岐にわたる。同組織の日本支部である「love.fútbol Japan(以下、LFJ)」が2月16日(金)から中目黒で開催するのが、チャリティーサッカー写真展「GROUND」。love.fútbol JapanWebsite|Facebook現在、クラウドファンディングを実施中「ブラジルに『子どもの命』を守るサッカーグラウンドをつくる!」中南米、アジア、アフリカで地域住民と一緒にサッカーグラウンドをつくり、グラウンドを拠点に貧困、教育、治安、環境、ジェンダー問題などの地域課題の解決に取り組む米国発NGOの日本支部。love.fútbolはストリートサッカー中に交通事故で亡くなってしまう子どもがいる問題を背景に設立され、「サッカーが好きな世界中のすべての子どもが安全にサッカーできるグランドのある社会」を目指している。これまで6か国27地域で地域住民とともにサッカーグラウンドをつくり、31,000人以上の子どもたちが安全にサッカーを楽しめるグラウンドを届けている。
2018年02月16日「農業は稼げない」「農業は大変だ」と誰もが口を揃える。そして農業を“かっこいい職業”だと考えている人もそう多くはないだろう。私たちの生活を支える産業であるのに、なんとも残念な話である。 そうした農業の“イケてないイメージ”を、刷新しようと挑戦する男が東京にいる。コズ株式会社の代表取締役 井本 喜久(いもと よしひさ)氏。彼は、農業とは対極にあるインターネットやデザインのチカラを使って“農”の世界に新風を起こそうと汗を流す。アルバイト社員から経営者に。大失敗と成功の先に見えた、本当にやりたいビジョン井本さんの仕事のルーツは、広告業界。もともとセールスプロモーションを軸とし、さまざまなメディアを絡めたコミュニケーション企画を得意としていたそう。アルバイトとして入社した20歳から7年間の修行を積み、そのなかで自ら考えた「策」によって世の中を変えていけるかもしれない、という「根拠のない自信」が備わる。そして自ら会社を立ち上げた。 企画力とコミュニケーション力をフル活用しつつ「元気のない地方を活気づけたい」。これが、独立後最初に描いたビジョン。地元広島に戻り、アパレルショップを設立した。地元が田舎なので、そこに新しい価値を見出し、地域を盛り上げたかったんです。当時は「文化の発信といえば、ファッションだべ」くらいにしか考えていなかったと思いますしかし、勢いだけで始めた事業は大失敗。多額の借金を背負ってしまうことになる。そんなときに救ってくれたのが、前職時代の社長だったそう。先の見えない事業にもがいている井本さんを見て、半ば呆れながら出資をしてくれたという。100%子会社になり、広告事業で再スタートを切った。農の面白さで“次世代のPEACE”を作る。新型農家を育てる「The CAMPus」とは?井本さんいわく「“農”の世界には解決すべき課題が山積み」。農業従事者の高齢化、担い手不足による離農者増や、耕作放棄地の増加などなど、さまざまな要因が重なり合い、まだまだ農家を目指す若者たちの数も少ない。そうした“農”に対する重苦しい雰囲気をぶち壊す必要がある。ある種「農改革」ともいえるムーブメントを起こすために、井本さんが立ち上げたサービスがオンラインの農学校「The CAMPus(ザ・キャンパス)」なのだ。静岡県沼津市の泊まれる公園「INN THE PARK」で行われたThe CAMPusのオープンニングパーティの様子「The CAMPus」はインターネットとデザインの力を駆使し、それぞれの農家が持つ独自の哲学、価値観、暮らし方などを講義としてオンライン上で発信。「人生を充実させるシンプルな生き方のヒントは“農”の中にある」というメッセージを伝えている。アナログな産業をメディア化することで、誰もが気軽に農業と接点を持てる環境を生み出した。また実地研修という農村体験の機会も用意していて、農家の仕事とその地域の“リアル”を肌で感じることも可能だ。世の中の人が“農”に少しでも興味を持つことで“消費”が活性化し、農家さんの“商売”へと繋がる。商売が回り始めれば地域を豊かにできる。地域が豊かになれば、またそこに次世代が集まって来るでしょう。もしかしたら、そのなかに地域の新時代を担う農家なる人が現れるかもしれない。そういった“農”を軸にした地域活性のムーブメントを作りたいんです井本さんは、“農”の現場には食だけでなく、現代人の暮らしをより楽しくするヒントが満載であると語る。農村の暮らしは「幸せな人生の縮図」なのだそう。静岡県沼津市の泊まれる公園「INN THE PARK」で行われたThe CAMPusのオープンニングパーティの様子僕は元々農家の息子で子どもの頃からずっと米作りを手伝いながら育ち、棚田で手で田植えをする時代を経験しました。家の裏山に流れる川の水で米作りをする。そしてその裏山の雑木を剪定したものが薪木となって釜戸でご飯が炊かれる。水田以外に畑があり、自分たちが作った野菜を祖母やお袋が美味しい料理にしてくれて食卓に並べてくれた。今思うと、なんて豊かな暮らしなんだろうと思うけど、当時はそういう農村の暮らしがダサいと思ってました。「ここには何にも無い!」という虚無感みたいなものが大きかったように思います。大学から東京に出て都会の暮らしに慣れ、当たり前のようにビジネスの世界に飛び込んで生きていくなかで、もっと美味しいものを食べたい、もっと健康的に暮らしたい、などの欲求が大きくなっていきました。そんな時に子どもの頃を思い出してみると、農村の「当たり前の日常」がいかに素晴らしいことだったのかということと、実は「あそこにすべてあったんだ!」と気付かされました。旬の野菜をその季節に食べる。自分たちが食べたいものは自分たちの手で作る。無いものは作ればいい。この「足るを知る」精神がカッコイイと思えるようになりました弱肉強食の資本主義に疲れてしまう人は少なくない。資本主義の洗礼を浴びた一人として、「低燃費な最小単位の生活の面白さ」がある農村の暮らし方にこそ、次の新しい時代を切り拓いていく“知恵”が溢れているように思ったのだそう。ある種「成長することを義務付けられた生きづらい社会」を「楽しい社会」へと変化させるキッカケが農村にはある。人間である以上、誰もが価値の生産者であり、その消費者である。しかし消費が当たり前になり、人間は消費することへの感謝を忘れがちだ。「The CAMPus」は、誰かの手によって私たちの生活が成り立っていることを教えてくれる。 人が生きていくためにもっとも重要なインフラである“食”にフォーカスを当て、自分が生産者にも消費者にもなれる“農”をフューチャーした、人間の生活そのものを見直そうとする取り組みは、私たちにとって「本当に大切なことは何か」を気づかせてくれる。「モノと情報に溢れた忙しい日常に疲れたとしても、ちょっと手を止めて農村の原風景を思い浮かべてほしい。そこにある最小単位の暮らしに思いを巡らすだけで、気持ちは少しづつ前向きになっていくはず」。優しい口調で語る井本さんの言葉にハッとしたなら、ぜひ一度「The CAMPus」をチェックしてみて欲しい。あなたが今、何かの壁にブチ当たった状態だったとしても、そこから抜け出すヒントが“農”の世界で簡単に見つかるかもしれないから。▶︎オススメ記事・「高級オーガニック野菜をお手頃に!」魚のフンを利用して野菜を育てる“インドア農業”の革命児、NYに現る。・スケボーと起業には共通点がある。無価値な落花生を「3カ月で3万個売れるピーナッツバター」に変えた男All photos by Jun HirayamaText by Mitsufumi ObaraーBe inspired!
2018年02月15日理由もなくイライラしたり、猛烈に悲しくなったり、そうかと思ったら急にバカみたいにハッピーになったり。ティーンエイジャーの世界は忙しい。子どもの頃みたいに自分の知っている世界がすべてだと安心しきって生きてはいけないけれど、大人に面倒を見てもらってるぶん自分の好きなようにすることもできない。子どもと大人の狭間で時間を持て余し、自分の存在の意味を何度も考え、その空虚さに恐ろしくなることだってある。大人になると忘れがちだけれど、ティーンエイジャーの世界にはいたって真剣に、特有の苦労がある。社会派の映画を紹介する『GOOD CINEMA PICKS』で今回は、渋谷ユーロスペースで開催中の北欧カルチャーを発信するノーザンライツフェスティバル2018から、ティーンの葛藤を生々しく、同時にドリーミーな世界観で描く『チーム・ハリケーン』をピック。海外のチューインガムを連想させるビビッドカラーに溢れたこの映画はどこか空想の世界かのようにも感じる。しかし、主人公たちの悩みはいたって現実的。摂食障害、鬱、貧困、家出、自身のセクシュアリティとの葛藤など、これまでも、今も、これからも、多くの若者が向き合う問題。若手映像作家のUMMMI.は『チーム・ハリケーン』は「アタシたち」の映画だと話していたが、それは登場人物が誰1人として完璧ではなく、それぞれがもがきながらかっこ悪く生きているからかもしれない。暴言を吐いたり、意地悪を言ったり、調子にのってみたり…彼女たちは、人間らしい。だからこそ彼女たちの友情や、努力を愛おしく見守りたくもなる。本作の監督アニカ・ベウは作品について「ティーンエイジャーだった頃の自分へのラブレターなの。そして、自分と、1度はティーンエイジャーだった大人、そして今ティーンエイジャーとして生きている子たちへ、思春期に抱える独特のエネルギーとか弱さを愛して、大切にしてあげてっていうリマインダーなの」と話す。(引用元:Women and Hollywood)誰もが1度は経験したことのある、ティーンエイジャーという特別な人生の期間。その頃の経験を乗り越えた人もいるかもしれないし、引きずっている人もいるかもしれない。どちらにせよ『チーム・ハリケーン』の8人の誰かに強く共感し、もがきながらもどこまでも自分らしく生きる彼女たちに勇気付けられる大人は少なくないだろう。『チーム・ハリケーン』2018.02.16 Fri21:10〜チケット@ユーロスペーストーキョーノーザンライツフェスティバル 2018Website|Facebook|Twitter@ユーロスペース
2018年02月14日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』第2回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。運命の出会いを生んだ、千原徹也の『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。千原 徹也(以下、千原):「nakEd bunch(ネイキド バンチ)」のニット。28歳くらいの時、まだ京都に住んでた頃に代官山で買ったの。イラストレーターのエドツワキさんが昔10年やってたブランドでね。僕は単純にエドさんのファンで、京都から代官山に毎シーズンわざわざ買いに行ってたんです。いつも好きな服を買うだけのために東京に行ってた。みんなが買っているものは買わないえる:この服をもし手放すとしたらどんな時ですか?千原:もうボロボロだから、人にあげるにしてもねぇ。14年も着てるから、もはや他の人が着れるのかっていう…。でも自分の子どもが欲しいって言ったらあげるかな。そしたらアレンジとかしてもらっても良いね。える:モノを大切にされるんですね。物持ちが良いと言うか、結構どれも長く持ってますよね?千原:そんなことないよ。着ないやつはサラッとあげちゃってる。いっぱいあっても同じ服しか着ないんだよね。える:千原さんって、いつも個性的な服を選ぶイメージ。千原:着るモノで個性というか、性格が分かるよね。えるちゃんは赤ばっかり着てるからこだわりが強い人なんだろうなとか、ちゃんとそういうのを整理できて決められる人なのかなとか、ちょっと大変な人かもなとか。笑赤い服ばっかり着てるっていうだけでどういう人か想像ができる。服って自分に対して一番見られてるものじゃない?だからみんな常に自分の性格とか好きなものとか考えて買うと良いと思う。える:確かにそうですね。私の場合は色と大体のシルエットで覚えてもらえていることが多いかも。私にとってこのスタイルは正装のようなものです。一番好きな色とアイテムと髪型が変わらないから変える必要も今はない。これ以上の好きなものがないんです。千原:そうそう。1個で良いからこれは誰も着ないだろうとか買わないだろうっていうもの、その人の気持ちで買ったものがあれば。思い切ったやつが1個でも。それで自然に他のものもコーディネートされていくと思う。これ誰が買うの?ってものをじゃあ僕が買う!ってなるものがやっぱり1つは無いと。僕は最近デカすぎる帽子を買いました。デカすぎて中が余ります。笑試着しながらお店の人に「これサイズ変ですよね?」って言ったら「そうなんですよ、だから誰も買わないんです」って言うから、…じゃあ僕が買おうって。でもやっぱりデカすぎて中が空洞になるから、この前は小銭入れをここに。笑える:ははは。笑千原:服を作ってる側もヒントになると思うんですよ、みんなが買っているものは買わないっていうことが。これ売れてるんですっていうものは絶対買いたくない。千原さんにとってファッションとは、個性そのものなのだと思います。彼らしい服装というものが確かに存在していることが何よりの証。千原さんは私にも同じことを言ってくれました。それは強い武器だよ、とも。大切な人と自分を繋ぐものが自分という個性をつくっているなんて、とても素敵。千原さんのニットのように、未来の自分への贈り物になるようなものが今1つでも選べていたら良いなと思います。これから迎え入れるものをより丁寧に選びたくなる時間でした。Tetsuya Chihara(千原 徹也)Twitter | Instagramれもんらいふ公式サイト▶︎オススメ記事・「服をたくさん持つことがおしゃれではない」。“普通のバイヤー”じゃなかったからこそ気づけた「服を大切にする精神」・#001 「ファストファッションでも大事にすればいい」。エシカルファッションプランナー鎌田安里紗の『記憶の一着』|赤澤えると『記憶の一着』Interview photos by Ulysses AokiText by Eru AkazawaーBe inspired!
2018年02月13日「ファッションはいつも人々の注目を集めている産業で、非常に大きなプラットフォームだと思ってる。だから、重要な問題に光を当てるのにファッションを使うのが素晴らしいアイデアだってことは明白だよ」。そう話していたのは、売り上げの半分以上を寄付し、社会問題の提起や解決を目指す取り組みを行っているロンドンのストリートブランドのデザイナーたちだった。「服をただ着るのではなく、マニフェスト(宣言)として着よう」というモットーを持つBe inspired!の編集部がセレクトしたブランドの詰まった「人や環境、社会に優しく主張のあるWARDROBE(衣装箪笥)」を作り上げる連載『GOOD WARDROBE』。今回紹介するのは、政治的な問題の提起をしたり慈善団体やNGOの活動をサポートしたりしている、ロンドンのストリートブランド「Hypepeace(ハイプピース、平和を作るの意)」。同ブランドの創始者であるファッションデザイナーのJとグラフィックデザイナーのMに話を聞いた。12XU(Hypepeaceの国内取扱店)Website|Instagram|Twitter|Facebook〒151-0064 東京都渋谷区上原1-33-16TEL:03-6804-7130Mon.-Fri. 2:00pm-10:00pmSat.Sun. and holidays 12:00pm-8:00pmClosed:Thursday▶︎オススメ記事・#7:胸には“SEX”と小さくプリント。健全な性教育を受ける権利を追求する「いやらしいTシャツ屋」とは|Bi編集部セレクト『GOOD WARDROBE』・#6:「エシカルは二の次、デザインが最優先」。なのに“100%エシカル”なデンマークのファッションブランド|Bi編集部セレクト『GOOD WARDROBE』All photos by Hypepeace unless otherwise stated. Text by Shiori KirigayaーBe inspired!
2018年02月11日今週末は2月11日の日曜日が「祝日」のため、月曜日が「振替休日」となり、学校や仕事が三連休となる人も少なくないだろう。正式には“国民の休日”と呼ばれる「祝日」が日曜日にあたると、それに最も近い平日を休みとするように決まっているからだ。では来たる2月11日は何を記念した日なのだろうか?多くの人にとってはただの休日かもしれないが、それは「建国をしのび、国を愛する心を養う」(引用元:内閣府)ものとして定められた「建国記念の日」。そんな祝日に合わせ、とある展示が阿佐ヶ谷にあるギャラリーで開催される。
2018年02月09日「車イスに乗っている人」と聞くと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。 車イスを使っている理由はそれぞれ違うし、その人の生き方こそ多様にもかかわらず、特定のイメージを抱いている人も残念ながらいるだろう。だがそれは、車イスを使用している人が身近にいないからかもしれない。 「脳性まひ」と生きながら、「車イスに乗っている人とはこういうもの」というステレオタイプを壊していくかのように、お笑い芸人を目指したり、ホストクラブで働くことになったりと“多様な生き方”を体現してきた寺田ユースケ氏にBe inspired!はインタビューを行った。▶︎オススメ記事・日本の「多様性」に疑問符をつける。“健常者であることが良しとされる国”を車椅子で生きていて感じること・アメリカ人は大きく笑い、日本人は小さく笑う理由。All photos by WOODDY(Instagram | Vimeo)Text by Shiori KirigayaーBe inspired!
2018年02月09日リムジンよりこんにちは。カミーユ綾香です。北九州と並ぶスラム街として、流星街という場所があります。人間国宝、富樫義博先生の漫画ハンターハンターに出てくるスラム街ですが、その街が世界に発するメッセージとして、こういうものがあります。我々は何ものも拒まない だから我々から何も奪うな恋愛でも宗教でも思想でもそうなのです。自分や他者が信じたり愛したりするものを奪ったり否定しなければ、全てはうまく行くのです。色んな極論や例外はありますが、大原則として奪わずに、自分と相手の絶対不可侵領域を守るという認識があると、大抵のものごとはうまくいきます。 何を信じて誰を好きになろうとその人の勝手です。私は相手が男でも女でも日本人でも外国人でも前科者でもサイコパスでも、誰にもなんにも否定されたくない。どぶ川に沈んだチョコを思い出しながら、愛してやまないクロロ団長にチョコレート送りたいなと思う今年のバレンタインでありました。CAMILLE AYAKA (カミーユ 綾香)Facebook|Twitter北九州市出身。在日韓国人と元残留孤児の多く住む多国籍な街で育つ。警固インターナショナルの代表としてアジア各国を飛び回りつつ、十数言語による語学スクールとインバウンド支援の多言語ウェブサイト制作会社を運営する一方、難病の重症筋無力症とパンセクシュアルというセクシュアリティの当事者として、様々なマイノリティの生きやすい社会を目指して精力的に活動中。「マイノリティの爆弾」を「マジョリティ社会」に投げつけるために2017年5月から本メディアBe inspired!で連載中。
2018年02月09日