少人数の職場ゆえ、2人目の出産の際には、他のスタッフに極力迷惑をかけないようなタイミングで産休を迎えようと計画的に妊活をしたつもりでした。ところが、根本的な知識不足によって最も人手が欲しいタイミングで出産を迎えてしまったのです。ざんげの気持ちでいっぱいだった2人目の出産体験談です。※コロナ禍前の体験談です 我慢を続けた2人目妊娠私たち夫婦は3人子どもを持ちたいと思っていたので、1人目の出産直後から2人目の妊娠をいつにしようか考え始めました。そして、1人目は1年間育休をいただいたので、復職して丸2年は我慢しようと決めました。 1人目を産んだころは私の周囲も1人目出産ラッシュ。ところが復職して1年が経ったころ、同じころに1人目を産んだ同僚たちが2人目出産ラッシュに入ったのです。幸せそうな同僚たちに焦りとうらやましさを感じ、妊活をスタートしてしまおうかと思いましたが、他のスタッフに迷惑をかけたくない一心で我慢に我慢を重ねました。 痛恨の計算ミス私の職場では8月中旬に大きな主催イベントがあり、私自身もそのイベントのなかで担当企画を持っていたため、そのイベントが終わってから産休に入るようにしたいと考えていました。イメージとしては9月中旬の出産です。 しかし、1人産んでいるにもかかわらず、妊娠0日目の数え方を完全に勘違いしていた私。しかも2人目妊活を開始してすぐに妊娠したため、出産予定日が大事なイベントのわずか1週間後になってしまったのです! やさしい職場に助けられ職場に迷惑をかけたくないと計算したはずが、最も迷惑をかけるタイミングでの妊娠となってしまった私。それでも上司含め同僚たちも笑顔で受け止めてくれ、「やりたいなら体を一番に、やれるだけやりな」と、私の判断で本番までできる範囲で関わっても良いと言ってくれました。 経過も良好だったので、一応出産予定日の3週間前には産休に入ったものの、その後も自分の体調と相談しながら担当企画の進捗を見届けさせてもらっていました。 まさかの本番まるかぶり胎児の経過も良好で、イベントの前日リハーサルにもほぼ終日立ち会い、このままイベント本番を迎えてから出産できるなと勝手に安心していました。ところが翌日の本番早朝、まさかの陣痛が! しかも気づいたときにはもう5分間隔。最も恐れていたイベントの本番と私の出産本番が丸かぶりになってしまったのです。 分娩台の上でも陣痛の痛みとイベントが無事に進んでいるかの不安とが入り交り、出産後も喜び半分、ざんげの気持ち半分という、なんともほろ苦い経験となってしまいました。 私の場合は理解のある職場だったので、大迷惑をかけてしまったにもかかわらず笑顔で祝福してくれましたが、申し訳なさが消えず、自分では素直に喜びきれませんでした。3人目こそしっかり計算をし、笑顔で職場にも報告できるような妊娠・出産を目指したいものです。 監修/助産師REIKO著者:笹谷みずき 二女の母。地方の住宅街から離れた山の中在住。現在は外勤めですが、いつかは自宅周辺の自然を活かした事業を起こしたいと目論見中。地方での出産・子育ての楽しさを伝えるべく、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年11月22日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 作画/ぐら子監修/助産師 松田玲子著者:伊藤あいり3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年11月21日結婚して1年が経過したころ妊娠し、義両親に妊娠したことを伝えたところ、義母から驚くべき言葉を返されました。え!? おめでとうじゃなくて……?なんと、義母から「出生前診断は受けたの?」との返答が! おめでとうと言ってもらえると思っていた私は、とてもショックでした。 出生前診断については、妊娠初期のころに夫と相談して受けないことに決めていたので、義母にはそのことを伝えましたが、翌日から毎日、義父母から夫に出生前診断を受けるようにと連絡がありました。しまいには、実母にまで……! もうノイローゼになるかと思いました。 不安だった結果が出るまでの1週間仕方なく、クアトロ検査(妊婦さんから採血した血液中の成分を測定して、赤ちゃんがダウン症候群、18トリソミー、開放性神経管奇形である確率を算出するスクリーニング検査)を受けることにしました。しかし、私がお産する病院ではクアトロ検査の取り扱いがなく、むしろ「なんで受けるの?」と聞かれ、助産師さんと話していたら涙が止まらなくなり、泣いてしまいました。 それでも、義母からの連絡は続き、出生前診断ができる病院を探しました。当時は仕事もしていたなか、出生前診断が受けられる週数は決まっていて、予約も必要であるため、本当にスケジュールがタイトでした。 クアトロ検査の結果が出るまでの約1週間、不安で不安で仕方なかったです。しかも、血液検査、超音波検査合わせて8万円もの費用がかかりましたが、義両親からの援助はなく……。受診のとき、夫がわざわざ休みをとって病院に付き添ってくれたことだけが救いでした。 孫フィーバーに急変!診断結果が安心できるものだったので、ほっとして義母へ連絡したところ、手のひらを返したように孫フィーバーに急変しました。 超音波の画像をみて、「どっちに似てるかなー。名前決めていい?」と……。また、私は里帰りはせずに、実母に1カ月通ってもらいお世話をお願いすることになっていたのですが、週一で義母もお世話したいと言い出し、産後ぐらいゆっくりさせてほしかった私は困惑しました。 今では、義母との距離もようやくわかるようになってきました。そして、夫に義母との架け橋になってもらうことが、重要だと改めて実感しました。 ※出生前診断によってすべての先天異常がわかるわけではありません。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小池佳子32歳で結婚。33歳初産。バリバリの営業職。夫は年下の草食系男子。
2022年11月18日結婚当初から、私たち夫婦は2人以上子どもが欲しいねと話していました。夫婦共に子どもが好きでしたし、夫は2人きょうだい、私は3人きょうだいだったため、きょうだいがいる家庭が当たり前だと思っていたのです。そんな私たち夫婦の共通認識に変化が起きたきっかけは、1人目の妊活でした。1人目の妊活夫は既婚の友人が多く、私との結婚前から友人の妊活話を聞くことがあったようです。そのなかで、友人が奥さんから「今日排卵日だからよろしくね」と言われてセックスするというエピソードを、「俺はそんなふうにプレッシャーをかけられるのは絶対に嫌だ」と話していました。 そんな夫の気持ちを尊重して約1年間は基礎体温と排卵検査薬から排卵日を予想し、排卵日前後にそれとなく私から誘っていました。 人生で一番つらい日々妊活を始めて最初の半年は特にストレスもなく過ごすことができていましたが、次第に夫は誘う私の手を眠いと言って払い除けるようになっていきました。そんな日もあるかと最初は気にしなかったものの、「勘弁してよ」「何? そんなにしたいの?」「んー(寝たフリ)」などと拒まれることが増え、次第に私は夫を誘うことが怖くなっていきました。 しかし夫との子どもが欲しかった私は何度も誘い、何度も拒否され……。女性としての自信を失い、愛されていないのでは? と思い悩む日々を送っていました。 子どもが欲しいと語る夫への提案拒まれる悲しさを夫に話すとその月は応じてくれましたが、私が言ったから仕方なくしているんじゃないかと思い、悲しみが消えることはありませんでした。それでも共通の友人に子どもが欲しいと語る夫。そんな夫に私が提案したのは不妊治療でした。 最初は反対していた夫でしたが、検査の結果私に問題はなく、夫が乏精子症と診断されたことから不妊治療へ協力的に。結局タイミング法や人工授精では授かることができず、体外受精で第一子を授かることができましたが、あんなにつらい思いをするのであれば、もう子どもは1人でいいと考えるようになりました。 妊娠、出産、そして2人目妊活へ夫は妊娠中も産後も私の体を気づかってくれ、穏やかに過ごすことができました。そして育児に積極的に参加する夫の姿を見るうちに、もう1人子どもが欲しいと思うように。しかし、妊活のつらい記憶からなかなか踏み出せずにいました。 そんなときに見つけたのが、生理日から排卵日を予測してくれる携帯のアプリです。夫にもアプリをダウンロードしてもらうことで、私が生理日を入力すると妊娠しやすい時期を夫に共有できるようになりました。そして、私からは誘わずに夫のタイミングで誘ってもらうことで2人目妊活に踏み出すことができたのです。 夫に拒まれ続けたつらい記憶から2人目妊活に踏み出せずにいましたが、アプリのおかげで数年ぶりに夫から誘われ、2人目妊活を始めることができました。夫も自分の態度のせいで私につらい思いをさせてしまった罪悪感から、2人目妊活を言い出せなかったそうです。授かることができるかはわかりませんが、ストレスを溜めず、ゆったりとした気持ちで過ごしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:小谷 かずえ不妊治療を経て出産。現在3歳女児の母で元ウエディングプランナー。転勤族で九州在住し、ウエディング関係の記事や妊活に関する記事を執筆中。
2022年11月15日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2022年11月07日わが家には、小学生の娘と幼稚園児の息子がいます。もともとは子どもは2人欲しい、と思っていたのですが、子育てしていくうちに子どもたちのかわいさからいつしか、子どもは3人いてもいいなあと思うようになりました。けれど、結果的にわが家は子どもは2人、ということになったのです……。そのいきさつをお話しします。ずっと、子どもは2人が良いと思っていた私は3人きょうだいの末っ子です。実家は家族5人で住むには少し手狭だったので、19歳で引っ越しをするまでずっと、母と同じ部屋で寝ていました。自分の部屋がないことがずっと不満でした。 自分の周りにはたまたま2人きょうだいの子が多かったこと、また母はいつも忙しそうに「3人は大変」と言っていた記憶があったので、自分は将来は子どもは2人が良いな……と漠然と思っていました。一方、夫はお姉さんと2人姉弟。子どもは2人ぐらいがちょうど良い、と思っていたようです。 3人目が欲しいと思ったきっかけ私が住んでいる地域は比較的専業主婦のお母さんが多いこともあり、お子さんが多い家庭も多いようです。娘が通った幼稚園にも、お子さんが3人、4人いるお母さんたちが多く、みなさんパワフルなので、はじめは驚きました。 けれど、そんなお母さんたちがせわしないながらも幼稚園の委員をこなしていたり、お子さんたちそれぞれに習い事をさせていたり、毎日充実して楽しそうにキラキラと輝いて見えたのです。そんなお母さんたちのなかにいるうちに、憧れに似た気持ちを抱き、いつしか自分も3人目が欲しい、と思うようになりました。 2人目を不妊治療で授かったわが家3人目が欲しいと思うようになった理由はもう1つあります。わが家は2人目不妊で、息子は不妊治療の末授かりました。息子がおなかにいたとき、息子は双子でした。ですがバニシングツインで1人消えてしまったのです。 そのことがわかったときは本当にショックで悲しかったですが、それと同時に、お空に帰ってしまったその子をいつか絶対呼び戻したい! と強く思ったのです。 3人目が欲しいな、と言った私に夫は夫は仕事が多忙なので、息子が生まれる前から私はワンオペ育児でした。1人のときはなんとかなっていたのですが、子どもが2人になると余裕がなく、明らかに家の中は荒れ気味でした。でも、今はそれで仕方ない、と思っていたのです。そんな中、3人目を考えているということを夫に軽く伝えてみました。すると夫は目を丸くして、「3人目〜?」と驚いたような反応で、その反応にしばらく悩みましたが、やっぱり欲しい! と思った私は、今度は真剣に「3人目が欲しい」ということを伝えたのです。 すると夫はこう言いました。「どの口が言ってんの?」と。普段キツいことを言う夫ではないので、余計この言葉はグサッと刺さりました。それと同時に、それなら少し助けてくれてもいいのに……私たちの子どもなのに⋯⋯と悲しくなり、夫のことが他人に見えてしまいました。そしてそれ以上、3人目の話はできなくなってしまったのです。 幼稚園に入園したやんちゃな息子が、お友だちの弟や妹にやさしくしてあげているのを見たり、3人目を妊娠した友人の話を聞いたりすると、今でも3人目が欲しかったな、と思うことがあります。けれど、子どもを2人授かれたことも当たり前のことではありません。そのことに感謝をして、今目の前にいるかわいい2人の子どもたちに、しっかり目を向けていきたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月05日当時私は、小学4年生の息子と小学6年生の娘を2人育てるシングルマザー。夫と離婚し、仕事や家事、育児に追われる毎日でした。付き合っていた彼は6つ上。彼にも離婚歴があることは知っていました。妊娠11週目のある日、彼から「大事な話がある」と言われます。そして、彼の戸籍謄本を見て、私は衝撃の事実を知ることになったのです……。見せられた戸籍謄本には、2枚目があった彼との子どもを身ごもり、妊娠11週のことです。大事な話があると言われ、私は入籍の話かなと思っていました。手渡されたのは、1通の封筒。入っていたのは、戸籍謄本でした。彼の情報の下には、奥さんの名前と誕生日、入籍日、そして、離婚した日。正直、知りたくなかった内容ばかり。さらに「2枚目を見て」と言われて、もう1枚あることに初めて気付きます。そこには、男の子の名前が書かれていました。「実は元奥さんとの間に子どもがいる。」と彼は言いました。そして、子どもが1歳6カ月のときに離婚し、それから会っていないこと、養育費を月に5万円払っていること、元奥さんはすぐ再婚して、再婚相手との間にも子どもがいること、これらを淡々と続けて言いました。私は目の前が真っ暗になり、「そっか」としか言えませんでした。 悪化するつわり…彼からは何度も「俺は、子どもができにくい体だから」と聞いていました。デリケートな話なので詳細は聞きませんでしたが、子どもができないことで離婚したのだろうと、私は勝手にそう思っていました。そのため、妊娠がわかったとき私は驚き、奇跡が起きたのだと、喜びの気持ちでいっぱいになっていました。ひとりになるとあの戸籍謄本を思い出し、涙があふれます。もともとあったつわりも、余計にひどくなった気がします。水分もほとんど摂れなくて、吐いて貧血をおこしてしまう状況になることも。そんなときは10分も立っていられません。そんな状況でも、仕事も家事も育児も休めないので、体重は10kg落ちてしまいました。 このままじゃダメだ。私が出した決断私の元夫は、すぐ多額の借金をする人です。将来、子どもたちにお金を借りにくるかもしれません。元夫が、借金を残して亡くなる可能性もあります。その場合、子どもたちは相続放棄の手続きが必要となるでしょう。そのため、再婚相手に子どもがいるということ自体がショックでしたが、養育費の支払いがある、という金銭面の問題にもさらに不安がつのってしまいました。 また、彼に子どもがいるという、大事なことを子どもたちに隠しておくのは気が引けて、私の子どもたちに子どもがいることを伝えてほしいと彼にお願いしました。しかし、いま子どもたちと関係を築き上げているところだからと話したがりません。何度も話し合った末、もう少し待つことに。 そして私は2つ決断しました。1つは、彼が子どもたちに実の子の話をしたときは、家族の関係を取り持てるよう私が間に入ること。もう1つは、万が一彼の子どもを引き取ることになったときは、分けへだてなく4人の子どもを育てる、ということです。 私の祖父母は再婚同士で、そのことを母から打ち明けられたのは小学生のころでした。祖父とは血が繋がっていないことがわかり、知ったときはショックは受けました。しかし、愛情をいっぱい注いで私をかわいがってくれた祖父。祖父は血の繋がりがなくても本当の家族になれることを教えてくれました。私はふと、このことを思い出しました。 夫婦だって、もともとは血の繋がりのない他人同士ですし、血の繋がりがあっても意見が合わないことはよくあります。これから彼が実の子どもの話を私の子どもたちにしたとき、子どもたちがどんな反応をするのかわかりません。ショックを受けたとしても、祖父が教えてくれたことを思い出し、不安はありますが、お互いを思いやる気持ちがあればきっと家族になれると信じて寄り添っていきたいと思います。 著者:樋口 みき13歳と1歳の女の子、10歳の男の子を育てる母。離婚、婚活を経験し、ステップファミリーとして生活。年の差兄弟の生活スタイルの違いに翻弄されつつ、パワフルに生きています。
2022年11月04日私は性交渉が大の苦手で、第二子を出産してから4年間レスでした。でも、3人目が欲しくて始めた妊活。フルタイム勤務と育児で毎日フラフラでした。月に1度、排卵前後3日間の夫婦生活にギブアップし、見つけた妊活アイテムを使うことに。妊活で変化した夫との関係についてお話しします。もう妊活に疲れてしまった3人の子どもをもつ共働き夫婦です。3人目を希望し、夫婦生活を積極的に始めました。しかしセックスは痛いだけの私。いつも夫に誘われるのを寝たふりで4年も避けていたため、内心イヤイヤです。それでも妊活のため、不妊外来で言われたタイミングで、月に排卵前後の3日間は夫のご機嫌をとり、夫婦生活をしました。 しかし、半年過ぎても思うように妊娠できませんでした。毎日の仕事と育児のあと、くたくた状態での妊活。私はなかなかうまくいかない妊活に、精神的にも肉体的にも疲れてしまいました。 「夫婦生活 きらい 妊活」で見つけた不妊外来でタイミングを言われるのもストレスで、通院を中断。私は少しノイローゼになっていたため同じ思いの人がいないか、「夫婦生活 きらい 妊活」でブログ検索を始めました。すると「わが家はシリンジで第二子をつくりました」という記事が。 実は4年間のセックスレス中、ひとりで済ませていた夫。そのせいか、私とのセックスでは最後までできず、「精子だけ直接注射できたら良いのにね」とボヤいていました。まさにコレ!と思った私は、さっそくシリンジキットを取り寄せてみました。 「精子製造機じゃない!」と焦る夫夫にシリンジキットを説明し、「じゃ、よろしく」と言うと、「待て、俺は精子製造機じゃない! することはする」と反抗姿勢。4年セックスレスだったので、また私から誘われなくなるのが心配だったようです。しかし通院は中断しても、個人的にタイミングをとっていた私。 次のタイミングの3日間、仕事から帰宅する夫に私が何度も誘おうとすると、「⋯⋯寝たい。ムリ。あれ持ってきて、トイレで出すから」とついに観念しました。それから第三子を授かると、予想通り夫婦生活はなくなりました。夫は「妊活のときはあんなに求めてきたのに」と、また嘆いています。 この妊活での夫の態度から、子どもができてからの私は、夫への愛情表現がなくなっていたことに気づきました。その後、夫婦生活はなくても、子ども抜きで一緒にお風呂へ入るなどスキンシップをとるようになった私たち。今では夫から夜も誘われなくなりましたが、アイテムを使用しての妊娠をきっかけに、夫婦の愛情は夫婦生活の行為よりも、お互いの意識の問題だと気づくことができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:巳村 糸8歳、5歳、0歳の子どもを持つママ兼保育士。趣味は旅行、レジャー、ショッピング。家族5人になり、軽自動車を手放して7人乗りの天井が見える車を購入。この夏は初のオートキャンプを計画中。
2022年11月04日1人目を授かったとき、妊活期間はわずか6カ月でした。きっとまたすぐに授かれるだろう……そんなつもりで2人目を計画しましたが、なかなか飛んできてくれないコウノトリ。年の差が5歳のわが家の2人目妊活エピソードをお伝えします。ある日突然コウノトリにお手紙を書いた娘2人目の妊活に踏み切ったきっかけは、娘が3歳のときの出来事でした。初めての育児、ほぼワンオペ育児だったこともあり、毎日必死だった私にはまだとても2人目を考える気持ちの余裕はありませんでした。夫は娘を溺愛してはいるものの、仕事が忙しいため、子どもはひとりでもいいかなと思っていたようです。 でも娘は幼稚園で下の子がいるお友だちをうらやましく思ったようで、ある日突然、コウノトリさんに「いもうとかおとうとをください。こんなこ」と絵も添えて、つたない文字で一生懸命手紙を書いたのでした。それを見た夫と私は、2人目の妊活をスタートすることに決めました。 不妊治療専門クリニックを受診2人目の妊活も、1人目同様すぐに妊娠できるだろうと思っていたのですが、1年経っても授かりませんでした。娘のためにも2人目を早く産んであげたかったので、アドバイスをもらうつもりで不妊治療専門のクリニックを訪ねました。 まずさまざまな検査をしていただきましたが特に問題は見つからず、そのままタイミング法を続けながら、妊娠の確率を上げるための薬を飲み始めました。 タイミング法から人工授精へ半年くらいタイミング法を続けたころ、先生から人工授精のお話がありました。年齢も30代半ばを過ぎていたため、結果につながりやすいだろうとのことでした。夫に話すと、そこまでしなくても……という反応でしたが、気乗りしないながらも協力してくれてありがたかったです。人工授精を開始したらすぐ授かれるかと思っていましたが、なかなか結果に結びつきません。 娘のお世話をしながらの通院や薬の服用などに疲れてきたので、スポーツジムを契約し、気分転換を図りました。そして5回目の人工授精。検査時の数値もあまり良くなく、今回もダメだろうな……と思った矢先、まさかの双子の妊娠が判明!! 妊活スタートしてから1年と9カ月目のことでした。 バニシングツインを乗り越え、無事出産まさかの双子妊娠で、わが家は喜ぶと同時に大騒ぎになりました。弟か妹のどちらかが欲しいと思っていた娘も困惑していたようです。しかし残念ながら、1人は初期にバニシングツイン(双子のうちの1人が亡くなり、子宮内で消えてしまうこと)で、いなくなってしまいました。 悲しみのなか、もう1人の妊娠継続に影響がないか心配しましたが問題なく成長し、健診には毎回娘が一緒に行ってくれて心強かったです。そして出産予定日前に自宅で破水。家には私と娘しかいませんでしたが、娘は5歳になっていたので、私の指示通り動いてくれました。そして夜中の出産だったにもかかわらず、娘の強い希望で出産にも立ち会うことができました!※コロナ禍前の体験談です。 現在娘は7歳、息子は2歳になりました。2人ともお互いのことが大好きで、本当に仲良しです。また、娘は母性に溢れており、私よりも母らしいことがあります。なかなか2人目を授かれず、歳の差が大きくなっていくことに焦りを感じていましたが、今ではワンオペ育児の中戦力となってくれている娘に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月02日子どもは3人!の予定でしたが、40歳過ぎてまさかの4人目妊娠! 悩んでいた私たち夫婦は義母に子どもの妊娠について報告しましたが、予想していたのとは違う言葉が……。そのときの私たちの気持ちの変化や決断、その後のお話です。まさかの4人目妊娠!34歳で1人目の子どもを出産し、3歳、5歳、7歳の子どもたちがいました。結婚した当初から子どもは3人!と決めていたのでまったく妊娠の予定はなかったのですが、41歳目前のときに体調不良に。この感覚はもしかして……と思い、妊娠検査薬をしてみると陽性。 予定になかったのでとても驚きました。すぐに夫に連絡し、どのような返事がくるのだろう……と思いながら伝えたところ、意外にも「よかった!!」とすぐに返事がきました。ただ、私は年齢的にも身体的にも先のことを考えると複雑でした。 夫婦での話し合い私たち夫婦は新しい命が宿ったことにとても幸せでしたが、問題はたくさんあり、夫が帰宅してから話し合いをしました。 「私の年齢が40歳を過ぎていること。3人目出産後、体調を崩したこともあり、今回無事に出産・育児ができるのかということ。子どもたちの教育費など金銭的なこと」など。 ある程度計画していましたが、4人となると大きな変更が必要になります。体や金銭面で不安があり、出産は簡単に決めることができませんでした。 義母に報告私たち夫婦だけでは決断できなく、夫から義母に4人目妊娠したことを報告してもらいました。報告したのは、「おめでとう! 楽しみにしているよ!」という言葉が返ってくることを少し期待していたからです。 悩んでいた私たちに、出産という決断の背中を押してもらえると思っていました。ですが、義母から言われたのは「生活していけるの? 今の3人の子どもたちを一生懸命に育てたらいい」という言葉でした。 夫婦の決断義母の本音を聞き、夫も予想外の義母の返事にショックを受けたようで、私に「俺たちの子どものことだから自分たちで後悔しないように決めよう」と言ってくれました。中絶するなら少しでも早く決めなければいけない、でも簡単に決めることもできず、たくさん話し合いました。 夫は一番私の体調のことが気になっていたようです。私は数年先のことを想像し、夫に「やっぱり産みたい。産まないことを選択したら一生後悔し続けるはず」と素直な気持ちを話しました。 出産を決めた私たちは義両親に報告。義母はしっくりいかないようでしたが、義父は「よかった! 産まないと決めたらどうしようかと思っていた」と。その後切迫早産になりましたが、結果的には出産予定日より10日早くなったものの、無事赤ちゃんを出産することができました。かわいい赤ちゃんの顔を見た義母は、今ではメロメロでとても溺愛しています。いっぱい悩んだけれど産む決断をして本当によかったです! ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。 ※2021年12月14日:内容の一部を修正
2022年11月01日職場の同僚のMahoさんとRisaさん。一緒に仕事をする中でお互いに惹かれあい、お付き合いをスタートさせました。現在Risaは妊娠中。この秋に出産予定だそうです。YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、そんなお2人の正直な気持ちや家族の在り方について、ありのままの姿を動画で紹介されています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 今回は、YouTubeチャンネル視聴者からの2大質問「どうしてRisaさんから産むことにしたの?」「性別はどちら!?」に応えてくれましたよ♪ これまでの道のり~出会いから妊活まで~ Mahoさん(写真左)とRisaさん(写真右) 職場の同僚であるMahoさんとRisaさん。最初は仕事仲間として接していたそうですが、徐々にお互いを意識するようになったと言います。 お付き合いを始めた2人。将来子どもが欲しいと思っていたMahoさんは、Risaさんと過ごしていくうちに「Risaとだったら、絶対に子どもを幸せにできる」という確信を持てたそうです。 「どんな人生を歩んでいきたいか」「どういう家族を作っていきたいか」について、きちんと話す場を作ってお互いの気持ちを言葉にして伝えあい、2人で子育てをしようと決心!そして、同性カップルの子育て事情について徹底的に情報を集めて勉強をしました。 『子どもの成長のために、私たちだけでなくいろいろな大人に関わってサポートしてもらいたい』と考えたお2人は、ご家族や友人などに報告を済ませ、妊活をスタート! 実績が豊富なデンマークの精子バンクで、1,000人以上のドナー候補の中からドナーを決定し、5回目のチャレンジで赤ちゃんを授かることができました。 妊娠報告の動画をアップし、周囲に報告をしたときの反応は…?前回、妊娠報告の動画を投稿されたお2人。自分たちの選択に誇りを持っているものの、「ネガティブなコメントがきたら……」と思うと、投稿するかどうか悩んだ時期もあったそうです。 でも、実際に投稿してみると……!? Mahoさん:賛否両論あると思っていたのですが、予想以上にあたたかいコメントが多くて何度も泣いてしまいました。これから先、ネガティブな意見を言われることがあるかもしれませんが、「そういう考えもある」と受け入れつつ、応援して支えてくれる人との時間を持つことで、幸せに過ごせたらなと感じました。 Risaさん:もちろん、私たちの考えが絶対に正しいとは思ってはいません。でも、妊娠できたことに対してだけでなく、情報をオープンにしたことに対しても応援してくださるコメントが多くて。「子どもはかわいいよ!」「出産頑張って……!」とたくさんのかたが応援してくださいました。 会社に報告した際にも、ママたちの応援をすごく感じ、「こんなにサポーターがいるんだ!」と仲間がたくさんいることに気づかれたそうです。動画のコメント欄でも、子育ての先輩や子育て真っ最中の方の声がたくさん!男性・女性に関係なく、子育ては共通の課題なのではと語ります。 続いて、コメント欄でとても多かった質問とは…? 質問1. どうしてRisaさんから産むことにしたの?前回の動画をご覧になった方から「どうしてRisaさんから産むことにしたの? 順番はどうやって決めた?」という質問が多かったようです。 お2人の回答は……!? Mahoさん:2人で話し合ってそれぞれ1人ずつ産む話になりました。そこで、年齢が高いRisaから産むことにしたんです。 答えは、明快! 「年功序列」でした。子どもが2人欲しいと思った理由は、「きょうだいがいた方が楽しそうだから」ということと、もう1つ大きな理由がありました。 Mahoさん:私たち家族の環境が少し特殊なので、「分かり合えるきょうだいがいた方が思春期に相談しあえるかな」と思ったんです。 子どもたちの将来を考えて、きょうだいを作ろうと計画されたのですね。そもそも、お2人は自分で子どもを産みたいと思っていたのでしょうか? Risaさん:私は最初、自分で産むことに関しては、「どちらでもいいかな」と思っていたんです。将来的に子どもを欲しいとは思っていましたが、そのとき女性と一緒にいるなら選択肢は2つありますよね。「絶対に自分が産みたい!」とまでは思っていなかったです。 Mahoさん:私は「絶対に自分が産みたい!」と思っていました。子どもは2人欲しいとなったときに、具体的に想像してみると……どうしてもRisaの子どもにも会いたいと思って! 想像するだけでかわいすぎますよね♡ そんな話をしているうちに、Risaさんご自身も「すごく産みたくなってきた!」と気持ちが変化していったそうです。もちろん「Mahoの子どもも絶対にかわいい……!」と笑顔を見せるRisaさん。お互いが相手を心から大切に思っているのが伝わってきます。 将来的なプランなので、実際にどうなるかは未定ですが、今のところは1人ずつ産む予定だそうです。 そしてもう1つ多かった質問は……!? 質問3.性別はどちら!?続いては、赤ちゃんの性別について! 診察の際に性別を教えてもらったRisaさん。最近SNSなどで話題の、赤ちゃんの性別をサプライズで発表する「ジェンダーリビール」でMahoさんに性別を伝えました! ジェンダーリビール:gender(性別)、reveal(明らかにする)という意味で、性別発表のサプライズイベントのこと Risaさんが用意をしたのは、2枚の紙とおいしそうな大福。大福の中身がキウイだと男の子、イチゴだと女の子という風にしたそうですよ♪ 突然のことにMahoさんは驚きつつ、心の準備をしてから大福の中身を見てみると…… 中からキウイが……!愛犬のハルちゃんに「男の子だって!」と報告したMahoさん。「なんだか泣けてくるものですねぇ」と、みるみるうちに涙が溢れます。 なんて幸せな動画なんでしょう……!ちなみにRisaさんも性別を教えてもらったとき、ほろっと泣いたそうですよ。 Risaさんは「男の子と女の子、どちらにしてもうれしいけれど、性別がわかると不思議と感動するし、『子どもが産まれるんだ』という実感が強くなりました」とのこと。 この動画にもあたたかいコメントがたくさん♪「性別発表の動画……なぜかわたしも一緒に涙止まりませんでした」「愛のある動画でもらい泣きしちゃいました!」「お2人の元に生まれてくるお子さまは本当に幸せだろうなと思います! こんなに温かくやさしいママたちの背中を見て、やさしい子に育つんだろなとわくわくします」「毎回、幸せをお裾分けしてもらっているような感覚になります。ありがとう!」「赤ちゃんが『お腹の中ですくすくと成長してるんだなぁ』と思ったら、なんだか心がジ~ンとなり涙。そしてMahoさんがジェンダーリビールで泣いてる姿を見て、またもらい泣きで涙。本当に素敵だなぁって思いました」 お2人が心から尊重しあい、赤ちゃんを心待ちにされているのが伝わってきますよね。おなかにいるときからこんなに愛されている赤ちゃん、幸せですね。大きくなったら、ぜひこの動画を見て欲しい……!! ◇◇◇自然体な2人の暮らしを発信し続けているMaho さんとRisaさん。今回の動画でも、お互いが相手を思いやり、子どもの将来のこともじっくり考えて物事を決めているのが伝わってきました。拝見するたびに、ほっこり幸せになる動画ばかり。これからもMaho Risa Familyさんから目が離せません……! 現在、世の中にはさまざまな「家族のカタチ」があります。これからますます広がるであろう多様化の時代、どんなカタチの家族も幸せになれる社会になるといいですね。 YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、お2人の日常生活の様子、妊娠経過についてなど、さまざまな動画を投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年10月31日初めての出産後、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころでした。それから毎月妊娠検査薬とにらめっこをして約半年、待ちに待った陽性判定が! ですが、順調にいくと思っていた妊娠は思いがけない結果となってしまい……。改めて妊娠・出産は奇跡なのだと感じずにはいられなかった体験談をご紹介します。考え始めた2人目私が長男を出産したのは20代前半のころで、授かり婚だったため、1人目を妊娠するにあたり妊活をすることはありませんでした。できれば長男にきょうだいを作ってあげたいこともあり、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころです。 ちょうどそのころになると2人目の話をするママも多く、実際に妊娠するママ友もおり、自分も2歳差で産めたらいいなと思っていました。 待ちに待った陽性判定2人目を考え始めてから、毎月生理が来るたびに落胆していましたが、避妊をやめてから半年後、妊娠検査薬で待ちに待った陽性反応が! 妊娠5週にあたる日に産婦人科へ行き、正常妊娠であることを確認できました。 このままいけば長男と2歳半、2学年差での出産予定。ですが、胎嚢の大きさが小さめで、排卵日がずれているのかもしれないと医師から言われたことが少し気になりました。 2週間後に再診。しかし……初診から2週間後、妊娠7週で再度受診したときのことです。心拍が確認できるころでしたが、あるはずの心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見当たりません、あるのは大きくなった胎嚢のみです。ここで医師から私が告げられたのは「流産の可能性がある」ということでした。 ただ、翌週になれば心拍が確認できるかもしれないということで、1週間後に再診になりました。つわりもありましたが、長男の妊娠時と比較してラクだったのを覚えています。 初診から1カ月。結果は……妊娠8週に再度受診しましたが、やはり大きくなっているのは胎嚢のみで心拍は確認できませんでした。もう1週様子を見ることになりましたが、妊娠9週になっても心拍は確認できず……。胎嚢も崩れてきており、「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」の診断がおりました。 このまま自然排出を待つより手術してしまったほうが良いということで、翌週には流産の手術をしました。幸いにも私の場合、他の病気などが原因ではありませんでしたが、医師の話によれば経産婦でも半分近くの方が流産を経験しているそうです。 流産から3カ月経ち再度妊娠しましたが、「また流産するのでは……」とヒヤヒヤしていたのは忘れられません。結果として長男と3歳差で次男を出産し、その後に次男と2歳差で長女を出産しました。自分とは無縁だと思っていた流産を経験し、妊娠そして出産は奇跡なんだと改めて感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月09日義母は、身長が私とほぼ同じです。そんな義母に、妊娠前から「ごはんちゃんと食べてるの?」、妊娠中には「もっと食べなきゃ!」「産後は、痩せてると育児できないよ」と、会うたびに体重のことを指摘され、嫌な気分になりました。「義母と、親しくしたいけれど、嫌なことは嫌だ」と正直に私の気持ちを夫に伝え、義母との良好な関係性を築けるように義母と私の間に入ってもらいました。私の体重を気にする義母……義母は、身長150cm、40kg前後の私に「体重何kgくらいあるの?」と会うたびに聞いてきます。ごはんはしっかり食べているし、保育士をしているのでよく体を動かすこともあり、さらに体質も関係しているのか私は太ることができません。 義母は妊娠前・妊娠判明直後、産後も私に体重を聞いてきましたが、それが大きなストレス。保育士をしていることもあり、子育てをしていくだけの体力はしっかりあると思っていました。産後、子どもを見にきたときの義母からのひと言目は「何kg増えたの?」でした。 体重で決めつけられるのが苦痛妊娠中のことです。安定期に入り、義実家にも妊娠したことを報告しました。すると、「私は、産後痩せちゃって子どもをお風呂に入れられなかったのよ。だから太ったほうがいいのよ!」と、痩せていると子どもを支えられないと、義母は決めつけてきました。 義母は、過去の自分の経験から心配しているのだと思いますが、考えを押し付けられているように感じました。「最低でも42kgはないと、子育てしていけないよ!」と具体的な数字まで出してきましたが、体重や体調は人それぞれ。妊娠中は、義母に会うのが嫌になってしまいました。 我慢できず、夫に打ち明けた結果せっかくのうれしい出来事の妊娠・出産なのに、体重のことばかり気にする義母に、私は会いたくなくなってしまいました。夫に「私は、義母に体重を指摘されることがすごく嫌だ。仕事では保育士をしているし、痩せているけれど子育てはちゃんとできるよ!」と義母に対する怒りをぶつけました。 夫は、そのことを義母にそれとなく伝えてくれたようで、息子が1歳になった今でも時々言われますが、子育てを楽しむ心の余裕ができたこともあり、以前ほど気にならなくなりました。 義母との関係を悪化させたくなく、体重の指摘、義母の経験を押し付けられることを我慢していました。体力や体重は人それぞれという考え方はない義母。我慢しすぎず、もっと早く夫に伝えればよかったなと思いました。息子が生まれ、義母と会う回数が増えました。良好な関係を築いていくために、私が我慢すればいいと考えていましたが、夫に頼ることもときには大切であると実感しました。 著者:白田 よう保育士として働いていたが、出産を機に退職。やんちゃな男の子を育てながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年10月05日いよいよ2人目の出産が近づいてきた妊娠37週。産婦人科の先生からは「もういつ生まれても大丈夫」と言われ、陣痛を待つ日々が続きました。しかし出産当日、あろうことか陣痛を放置し、入院費用を安く済ませようとした私の恥ずかしい失敗談をご紹介します。入院費用が無駄になったママ友第2子妊娠中のときのこと。出産したばかりのママ友に会いに行きました。「陣痛が来たと思って、夜中11時に入院したの。そしたら痛みが消えちゃって、病院の朝ごはん食べてそのまま帰ったんだよ」と、出産前の体験談を話してくれました。 彼女の通う産婦人科は、午前0時から翌日午前0時までの24時間で1日分の入院費がかかる仕組み。ママ友は数時間病院にいただけで、2日分の入院費約2万円を支払ったというのです。 そこで私は自分が通う産婦人科の入院費用のシステムを調べることもなく、「とにかくギリギリまで家で耐えよう」というおかしな思考に。 陣痛なのかわからない…我慢すべし!1人目の出産時は陣痛促進剤で陣痛を起こしたため、陣痛が来る前から病院でスタンバイ。痛みがあると、すぐに助産師さんに相談できる状況でした。家で陣痛を待つのは第2子が初めて。 出産予定日前日の午前4時。腰に重い痛みが出てきました。陣痛の間隔をアプリではかるものの、10分だったり、20分だったり。まれにかなり強い痛みがありましたが、起きてきた上の子の朝ごはんを作ったり、洗濯をしていたりすると痛みを忘れることも。 「こんな朝早くに行ったら、早朝の追加料金がかかるかもしれない。これは陣痛じゃない……」。間隔がバラバラという理由だけで、陣痛ではないと自分に言い聞かせ、家で我慢していました。 病院に着いたときには子宮口8cm午前10時を過ぎても、痛みは続いていました。でも間隔は、5分のときもあれば15分のときも。「外来も始まった時間。追加料金もないはず」と思った私。一度病院に電話をしてみると、電話口の助産師さんからすぐ来るようにとの指示。病院へ着き、器械を20分ほどつけて陣痛の確認。子宮口の開きもチェックしてくれました。 すると、助産師さんは焦った様子。陣痛は4~5分間隔、子宮口は8cmも開いていたのです。私はすぐに分娩台へ。点滴の処理が終わるのを待って、助産師さんから「はい、いきんで」の声が掛かります。5回いきんだら、第2子がこの世に誕生していました。病院に到着して約1時間後の話です。 「もう少し入院が遅かったら、家や道端で生まれてたよ。3人目は気をつけて」。そうやさしく注意してくれた助産師さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。入院代をケチろうと軽く考えていた私。子どもと自分にとって、非常に危険な行動をしてしまいました。陣痛か迷ったら、まずは病院へ電話をして相談するべきだったと後悔しています。 ※入院のタイミングは産院の指導に従いましょう。また、出産前に何か気になるとこがある場合は、産院に連絡し、指示を仰ぎましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2022年10月04日2人目の妊活中、マタニティ用品や育児グッズは1人目のときの物をまた使えばいいので、妊娠・出産に向けて特に何か準備が必要だとは考えていませんでした。しかし、実際に2人目を授かってみると、予想しなかった問題が生じたのです。つわりがつらい!1人目のときはつわりがほとんどなかったのですが、2人目を妊娠すると、つわりがつらく、ひどい船酔いのような状態が何週間も続きました。 そのころ、上の子はまだ幼稚園入園前。1日中遊びの相手をするのが大変で、一時保育を利用してみたいと考えました。ところが、それまでに一時保育の利用経験がなく、預けられる施設を探すところからのスタートになってしまいました。 一時保育の予約がとれない!?近所で見つけた施設は、事前に利用登録が必要でした。なんとか登録手続きを済ませたものの、いざ利用の予約を入れようとすると「すみません、その日は一時保育の枠はいっぱいです」と、思いがけない回答が……。 つわりの具合を見ながら、どうしてもつらいときだけ預けようと思っていたのですが、予約は早めに入れておかないとすぐいっぱいになってしまうようです。結局、思ったようには利用することができませんでした。 早めの情報収集と利用登録を!当時住んでいた地域は子どもが多く、保育園や幼稚園の入園は激戦状態。一時保育も例外ではなく、「使いたいときに使うためには、複数の施設に利用登録しておいたほうがいいよ」と、あとになってママ友から教わりました。 妊娠前は特に一時保育の必要性は感じていなかったのですが、何かあったときのためにもっと早くから情報収集をして利用登録を済ませておけばよかったです。 1人目のときは妊娠経過が順調だった人も、2人目以降も同様とは限りません。実家が遠方など頼れる人が近くにいない場合は、不測の事態に備え一時保育等を利用できるよう準備しておくことをおすすめします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:奥田美紀2児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月03日第3子の妊娠中、おなかの子に先天性の疾患があることがわかり、帝王切開で出産することが決まりました。もともと里帰りではなく、産後は義母にきてもらう予定でしたが、今回は帝王切開なので入院が9日間。自然分娩のときと比べると4日ほど長いうえ、しかも産後は生まれた赤ちゃんの治療もありバタバタすることが予想されていました。義母や上の子たちが大変な思いをしないためにはどうしたらいいのか、私は悩んでいました。今までと違う入院中の生活上の子たちを産んだ病院は家から車で10分ほどの場所だったので義母や上の子たちは毎日お見舞いにきてくれていて、義母や上の子たちが困っていることを聞けたので都度対応できました。 しかし今回は家から車で1時間近くかかる場所、さらにこども病院なので感染症予防の観点から病棟への立ち入りが制限されており、上の子たちは病棟に入ることができません。つまり大人が2人以上いるときしかお見舞いにこられないので、夫が仕事の休みのときにしか義母と会うことができないのです。 義母の心配事入院中、義母が困っても即座に対応することは難しかったので、私は前もって義母に心配なことがないか電話で聞いてみました。いろいろと話し、伝えられることはその場で伝えましたが、義母は特に「子どもウケする献立作り」と「子どもが体調を崩したときの対応」に不安を持っているようです。 こういったことは非常に複雑で、電話で教えたところで、すべて記憶してもらうのは難しいもの。そこで私は「上の子たちの説明書」を作ることにしました。 上の子たちの説明書ノートを1冊用意し、上の子たちの普段の1日の流れから書き始めました。食事についてはあまり細かいことを書きすぎると義母が大変だと思ったので、「好きな物、嫌いな物」と「食べる量の目安」や「各自の食器」だけにしました。 体調不良時の対応については「病院に行く目安」や「かかりつけの病院」だけでなく、「常備薬や体温計、保険証等の場所」も書くようにしました。その他、「トイレの対応」や「DVDプレーヤーの使い方」など詳しく書いていき、それぞれ項目にインデックスをつけて、「上の子たちの説明書」の出来上がりです。 忙しい入院中に大活躍張り切りすぎたかなとも思いましたが、結論から言うと「上の子たちの説明書」は大活躍でした。産後すぐ、生まれた赤ちゃんは容体が急変して手術となり生死を危ぶむ状況が続いていたので、私はとても日常の困りごとに対応できる状態ではなかったのです。 何度か家族全員でお見舞いに来てくれましたが、病棟を離れられる時間は限られていましたし、上の子たちも場の雰囲気を察してか機嫌が悪く、とてもゆっくり相談にのることができる状態ではありませんでした。義母からも「あれのおかげで連絡が取れなくても不安がなかった」と絶賛されました。 今回のことで、子どもたちに関する情報を記録し、共有しておくことの大切さを思い知りました。今は特に子どもたちと離れる予定はないのですが、何か起こってからでは準備が間に合わないので、このとき作った「子どもたちの説明書」を常にアップデートしながら備えておこうと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療的ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院で農学を学んだ経験から食についても執筆。
2022年10月02日職場の同僚のMahoさんとRisaさん。一緒に仕事をする中でお互いに惹かれあい、お付き合いをスタートさせました。現在Risaは妊娠中。この秋に出産予定だそうです。YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、そんなお2人の正直な気持ちや家族の在り方について、ありのままの姿を動画で紹介されています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 職場の同僚であるMahoさんとRisaさん。最初は仕事仲間として接していたそうですが、徐々にお互いを意識するようになったと言います。 Mahoさんから見たRisaさんは、「誰とでもすごく仲良くなって、みんなを巻き込んで仕事ができる人」ずっと尊敬していたのだそうです。一方、「Mahoはとにかくいっぱい笑う人。一緒にいて楽しいんです」とRisaさん。いつしか仲の良い同僚という関係を越え、自然とお付き合いが始まったのだそうです。 今回は、同性であるMahoさんとRisaさんの妊活の流れについて紹介します。お2人は妊活プロセスに4つのステップを踏んだと言います。いったいどんなステップだったのでしょうか。 ステップ1:どうして子どもを持ちたいと思ったのか「ビジョンのすり合わせ」 Risaさん(写真左)とMahoさん(写真右) 最初のステップは話し合い。「どんな人生を歩んでいきたいか」「どういう家族を作っていきたいか」について話し合ったそうです。 仕事柄、資料を作ってプレゼンをすることが多いというお2人。資料を作成し、ディスカッションを重ねたと言います。しかも、宿泊をして、「考える時間」「考えをシェアする時間」などを設けたのだとか。まるで合宿みたいだったと、当時を振り返り笑い合います。 Mahoさん:私は今の状況に感謝した上で、自分自身で幸せになるための意思決定をし、幸せを最大化したいと考えています。「私個人」「私とRisa」「Maho Risa Family」としてもっと幸せを増やしたい。そして両親や友だち家族という広い単位でも幸せを増やしていきたいと思っています。 子どもに関しては、「自分が幸せになるだけでなく、子どもも幸せにできないと一歩踏み出してはいけない」と思っていました。でも、Risaと一緒に過ごしていく中で、「Risaとだったら、絶対に子どもを幸せにできる」という確信を持てたんです。Risaさん:Mahoの考えと重なる部分はもちろんあります。私は自分だけでなく、いろんな人との関わりの中で幸せを感じるタイプなので、その関わりを広げていきたいと思っています。私自身、家族との関係があまり良くなかった時期もあったのですが、祖母が亡くなった出来事を通じて、家族との関係が良くなっていきました。そのときに改めて家族との繋がりを感じ、「自分は自分でいいんだ」と安心しました。そして、家族の重要性を実感できたんです。 昔から子どもは持ちたいと思ってはいましたが、その時のパートナーの性別次第で「自分が絶対に産みたい」というところまでは考えていませんでした。Mahoと出会ってファミリープランを話す中で、「できれば2人子どもが欲しいね」という話になり、「それぞれ1人ずつ産むなら年齢の高い私から妊活を始めよう」ということになりました。 お互いの気持ちを言語化し、改めて考えを確認し合ったお2人。「家族でも話さないと理解しきれないことがある。きちんと話す場を作って想いや考えを言語化してシェアすることが大事だと思う」そう、力説されていました。 ステップ2:リアルな情報で具体的なイメージを。「同性カップルの子育て事情を情報収集」 すり合わせの次は情報収集! 「同性カップルで子どもを持つのはどういうことか」をイメージすることが重要だと考えたお2人は、本や動画などで情報収集を始めます。 Risaさん:同性カップルで子どもを育てている人が周りにいないから「実在するのか……?」という所からのスタートでした。Youtubeなどで見つけて動画で実際の様子を見ることができたのは本当に良かったです。 Mahoさん:もちろんネガティブな事例に関しても調べました。将来子どもが悩んだりする事例も勉強して、どう改善していこうか考えました。 生まれた子ども側の視点も学んだことで、「最初から真実を全て子どもに伝えていこう」と考えたというお2人。他にも、同性パートナーが子どもを持つことを支援している団体にも話を聞いたり、法律の観点や方法などについても調べたりと、いろいろな人の話を聞くうちに、お2人の中で子どもを持つということがよりリアルになっていったと言います。 現在は、同じように事例がなくて悩んでいる人がいたら、このMaho Risa Familyチャンネルがサポートになればいいなと考えているのだそう。 ステップ3:最初、親に反対されたけれど……。「家族や友達への報告・共有」 3つ目のステップは家族・友人への報告。なるべく早く家族や友人へは報告するようにしたそうです。その真意とは……。 Mahoさん:子どもを育てるとき、子どもの成長のために私たちだけでなくいろいろな大人に関わってサポートしてもらいたいと考えています。そのため、早めに周囲に報告することが大切だと思っていました。 Risaさん:私たちの想いや方法を理解して受け入れてもらうには時間がかかると思っていました。そのこともあって、早めに伝えることにしたんです。 理解してもらうのに時間がかかると予想したからこそ、早く伝えたというお2人。当初、Mahoさんのご両親は難色を示していたそうです。「よくわからないから」「どういう方法か知らないから」という理由だけでなく、「子ども(私)や孫のことが心配だったからなのでは」とMahoさんは話します。 Mahoさん:(子どもを持つことが)悩まずただハッピーなことばかりとは思っていないんです。自分たちにとっても子どもにとっても、同性カップルであるからこその悩みはあると思います。でも、「それ以上の幸せを作っていきたい」という気持ちを伝えていったことで、親には徐々に理解してもらえるようになりました。 時間をかけてお2人の気持ちを伝えていったことで、今ではご両親も理解していて、孫の誕生をとっても楽しみにされているのだとか。 友だちは「子どもを持つのも、選択肢としてあるのは当然のこと」と、自然に受け入れてくれたそうです。むしろ、「2人は子どもどうするの?」と友だちから聞かれたこともあったとか。「妊活している」と話すと応援してくれたそうです。そんな友だちに、お2人はとても感謝をしていると言っていました。 ステップ4:そして、いよいよ!「妊活スタ―ト」 いよいよ妊活を決意し、いろいろな選択肢の中から実績が豊富なデンマークの精子バンクを選択。なんとドナーの候補は1,000人以上! 血液型や身長、性格、直筆の手紙などさまざまな情報から精査して、ドナーを選んだそうです。 Risaさん:将来子どもに伝えていくときに、父親についての人柄など、情報が多ければ多いほど良いなと考えたんです。 Mahoさん:子どもが18歳以上になった時に、「望めば父親に会いに行ける」という選択ができるようなドナーを選びました。 子どもが選択できる選択肢をなるべく多くしたいと考えたとお2人は言います。そして、ドナー決定後、Risaさんは毎月妊活にチャレンジ。5回目で赤ちゃんを授かることができたそうです。話し合いを始めてからここまでおよそ1年半。「子どもに将来『こういう想いで授かったんだよ』と説明できるので(話し合いなどを経たのは)よかったと思っています」と、笑顔で話されていました。 ◇◇◇ Mahoさん、Risaさん、ステキなお話をどうもありがとうございました! 動画を拝見していて、お2人が心から信頼し合い、納得できるまで話し合いを重ねて今があること、自分たちだけでなく子どもの将来も考えながら妊活に挑戦したことが伝わってきました。 会社の同僚として出会い、互いに惹かれ合ってMaho Risa Familyとして新たな一歩を踏み出されているお2人。キラキラした笑顔を見ていると、将来もし悩むことがあったとしても、Maho Risa Family一丸となって乗り越えていけるはずと思わずにはいられません。 今の世の中には、さまざまな「家族のカタチ」があります。多様化の時代、どんなカタチの家族も幸せになれる社会になるといいですね。 YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、お2人の日常生活の様子、妊娠経過についてなど、さまざまな動画を投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年09月27日私は4人の子どもを育てていますが、下の3人の妊娠中はにおいつわりで苦しい思いをしました。私は妊娠すると嗅覚が異常に鋭くなるらしく、今まで大丈夫だったほとんどすべてのにおいで気持ち悪くなってしまいます。そしてその状態は出産まで続くのですが、周りの人にはなかなか理解してもらえず、妊娠中は耐えて耐えての毎日でした。そのときの体験談をお話しします。※コロナ禍前の体験談です。 こんなにおいまでダメになる一番ダメだったにおいが排水溝のにおいで、一番キツいのがお風呂タイムでした。お風呂に入るたびに吐きそうになりながら、鼻息を止めて上の子をお風呂に入れる毎日。シャンプーや洗濯の洗剤、柔軟剤、ソープ類など何から何までダメになり、大好きだった香水やアロマオイルなどのにおいも受け付けなくなりました。 また、玄関を開けて家に入ったときのにおいでさえ気持ち悪くなるくらい、追い詰められていた時期もあります。洗剤やシャンプーに関しては、2人目の妊娠時にいろいろ試して大丈夫な物を見つけられたのが救いでした。 同居ゆえのつらさ自分たちが使う物はなんとかできるのですが、義父母の発するにおいはどうしようもなく、このことでかなりつらさを増していました。義母の洗濯の洗剤や柔軟剤のにおいが強烈で、部屋のほうまで漂ってきて地獄でした。 また、キッチンを共有しているので、そこでの洗剤や義母が洗ったタオルの柔軟剤のにおいが手を拭いただけで付き、具合が悪くなっていました。幸い、食べ物のにおいはわりと平気だったので、料理はできたのが救いかなとは思います。 私がとったせめてもの対策家の中のにおいが基本的に無理なので、体力と相談しながら出かけるようにしていました。家のお風呂以外は不思議と大丈夫だったので、温泉や自分の実家に行ったときには、束の間のにおいからの解放を味わったものです。 また妊娠中でも使用できる薄めたアロマオイルをスプレーしたりして、不快なにおいをごまかしたり、マスクをしたりもしました。他にもドラマを観たり、友人とおしゃべりをしたりして気をそらすことも効果的でした。 においつわりは目に見えにくいので、苦しいのは自分だけで、周りからは理解されにくいのがつらいところだと思います。今さらですが、もっと自分とおなかの赤ちゃんが快適に暮らせるように、家族にお願いしてもよかったのかなとも思います。妊娠中は無理をしたり我慢したりするよりも、工夫することが大事だと思った体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKOイラスト/キヨ著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年09月08日第2子妊娠中、妊娠9カ月、突然の出来事が起こりました。それまで大きなトラブルもなくほぼ順調に来ていたのに突然の体調不良。そしてお尻の辺りがひんやりしました。破水したのかと思ったのですが……!? 真夜中に起こった衝撃の体験を紹介します。腹痛と寒気が…第2子出産を機に退職することを決めていた私。あと1週間で有休消化に入ろうとしていた妊娠9カ月のことです。3連休の週末初日、上の子と自宅で遊んでいるときになんだか腹痛と寒気を感じるようになりました。仕事に行っていた夫の帰宅までは、なんとかごまかしながら子どもの相手をしていました。 しかし、夜には発熱。翌朝は体温が下がったものの、水様便を伴う腹痛があり、その日は自宅でゆっくりしていました。そして夕方には次第に体温が上昇、その夜事件は起こりました。 お尻がひんやり!?夜中も何度か腹痛で目が覚め、そのたびにトイレへ行ってはまた寝る、を繰り返していましたが、深中の2時ごろ、お尻の辺りがひんやりして目が覚めたのです。1〜2時間おきに繰り返す腹痛とお尻の湿った感じ……。まさか、陣痛と破水?! 慌てて布団をめくると、なんと水様便が漏れてしまっていたのです。とりあえず出産に備えて購入していた夜用ナプキンを当て、おしりの下にバスタオルを敷いて寝ることに。そのあとも何度か腹痛で起きましたが、徐々に治まり、翌日にはナプキンも不要な状態になりました。あのときは本当に焦りましたが、その後は何事もなく、胎児は妊娠39週5日までおなかにいました。 無理は禁物だと実感あと1週間で有休消化という状況で、まだ会社のデスクは散らかったままでした。さらに、引き継ぎしたいことや関係先へのあいさつなどやることがいろいろ残っており、焦りやストレスがたまっていた私。そんなストレスなどが原因となって体調を崩してしまったようです。幸いにも早産にはならなかったものの、無理は禁物と思い知らされました。 第1子産休の時に引き継ぎで苦労したので早めに取り組んだつもりでしたが、もっともっと余裕が必要だったかなぁとも反省しました。何事にも無理をせず、ストレスをためないように心がけることが大切だなと思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:柳 蓮花4歳、0歳の2児の母。第1子出産後はフルタイムで仕事をしていたが、第2子出産を機に退職。在宅ワークの道を模索しつつ、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年08月23日8歳と6歳の男の子、4歳と生後2カ月の女の子、4人の母しています。毎日バタバタしておりますが、1番下の子が生後1カ月過ぎたころ、ほっこり&衝撃を受ける出来事がありました。 次女が生まれると…!?生後2カ月の次女ちゃん。みんながそのかわいさに癒され、抱っこの取り合い、ミルクをあげる係の奪い合い、隣で寝たいなど、ちやほやされる毎日でした。 しかし、1カほど月経つと、上の子たちも赤ちゃんに慣れてきて、赤ちゃんがぐずっても男の子たちはゲームに夢中!「姫(次女)ちょっと見て〜!」の私の声も届かず……。泣 うるっと感動そんなとき、私が助けを求めているのを聞いた当時3歳8カ月の長女は、次女に歌を歌ってあげたり、リボンをつけてあげたり、本を読んであげたりと忙しそうに、そして一生懸命にあやしてくれていました。 その様子を見守っていた私はうるっと感動! ……したのも束の間で、よーくみると自分のスナック菓子も「あーん!」としているではありませんか。びっくりしてすぐに止めましたが、チビママしてくれる長女のやさしさに感動して、さすがに怒ることはできなかったほっこりエピソードです。 今では長女から、次女へ「まだ〇〇ちゃんらミルクなんだからね。もう少ししたらごはんたべられるよ〜!」とおやつをあげることはなくなりました。それでもやさしいチビママは健在です。 著者:こた8歳、6歳、4歳、生後3カ月の4児ママです。普段は看護師、現在育休中です。子沢山エピソード沢山あります。わいわい賑やかな毎日です〜。
2022年08月23日私は妊娠初期のころ、つわりに耐えながら「これよりきつい陣痛なんて耐えられるのか?」などと思っていました。でも産院で実施されていたヨガに通ったことで出産に良いとされる呼吸法を学び、出産への恐怖が軽くなりました。妊娠中や出産時にどのように良い影響があったのかをお伝えします。※コロナ禍前の体験談です。 ヨガで妊娠後期トラブルを解消医師から安定期に入ったら体を動かすよう言われました。しかし妊娠後期になると、足のつりやむくみで動くのがおっくうに。毎日の体の不調で気分も落ちていました。そんなときに産院でヨガが開催されていることを知り、健診のついでに参加しました。 ゆったりと無理のない動きのマタニティヨガ。体を伸ばすことがとても気持ちよく、それからは毎週ヨガに通いました。そして足のつりやむくみが解消されていき、気持ちも上向きになりました。 ヨガで学んだソフロロジー呼吸法ヨガではソフロロジー呼吸法の練習がありました。穏やかな音楽をBGMに、呼吸を意識することでリラックスした状態になります。さらにイメトレによって出産を前向きに捉えられるよう、気持ちをコントロールします。お産をラクにする効果があるとされているようです。 気持ちのコントロールには練習が必要。毎週ヨガに通った結果、臨月には練習中にリラックスしすぎて眠ってしまうほどになりました。 陣痛開始! 意識もうろうとしながらも…ヨガで体のトラブルが解消し、ソフロロジー呼吸法で自分をリラックスさせる方法も習得。妊娠41週目、いよいよ陣痛がきました。産院での陣痛中は呼吸を意識しました。そして呼吸を意識する余裕がなくなってきたところでナースコール。 すでに子宮口が9cm開いているとのことでした。私があまりに静かに陣痛に耐えているので、助産師さんもお産が進んでいることに驚いていました。呼吸に集中することで痛みが軽減されていたようです。 出産の瞬間まで呼吸を意識した結果…子宮口が9cm開いていることがわかってすぐに分娩室へ運ばれました。分娩台に乗っても常にソフロロジー呼吸法に集中し、陣痛時間5時間で生まれました。出産の瞬間は呼吸どころではなく痛かったのが正直なところ。ただ出産後に助産師さんから「呼吸が乱れなかったからスルッと生まれましたよ」と言ってもらえました。自然とソフロロジー呼吸法を継続できていたようです。 私の場合、ソフロロジー呼吸法により、出産は最小限の痛みで乗り越えられたようでした。妊娠中は穏やかで落ち着いた時間を過ごせるきっかけになったヨガ。妊娠中にヨガに通い、ソフロロジー呼吸法をマスターしておいてよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:海原えめ3歳の男の子を育てるアラフォー母。幼児食インストラクターの資格を保有。育児において食生活を大切にすることを重視している。
2022年08月16日私は24歳で1人目を出産しました。けれど、本当は子どもは産みたくないと思っていました。結婚にも、子どもをもつことにも夢をもっていなかったためです。それは自分が育った環境が、愛にあふれているとは言い難い環境だったこと、心療内科に通っていることが関係していました。私が子どもを産むなんて、育てるなんてできるはずがないと思っていたのです……。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 私は産みたくないと思っていました自分のおなかの中に命が宿っていることを知ったとき、私はまだ結婚をしていませんでした。結婚というものに夢をもったことがなかった私は、同じくらい子どもを産むということにも消極的でした。それは自分の育った環境が、愛にあふれているとはいえないものだったことが大きく関係していると思います。また、私自身が心療内科に通っている状態で、子どもを産むなんて恐ろしいことだと思っていたというのもあります。私のような人間が、ひとを育てていくことなんてできるはずがない。そう自分ひとりで考え、決めつけてしまっていたのです。 彼との話し合い私はすぐに彼に、おなかに赤ちゃんがいることを話しました。そして産みたくないという私の気持ちも伝えました。すると彼は、私の気持ちを尊重し、産まない決断を了承してくれました。しかし次の日、仕事から帰った彼は青白い顔をして私に「産んでほしい」と言ってきたのです。その日は1日中子どもを産むかどうかを考え続けてくれていたらしく、「家事の手伝いはあまりできないけれど、子どものことはたくさん手伝う。普通のお母さんになろうとしなくていいから、いっしょに子どもと成長していこう」と言ってくれました。彼もまた私と同じように、家族に恵まれてこなかったために、自分の家族を作ることを心のなかで望んでいたことを、この話し合いを通してはじめて話してくれました。 母からの応援その後、同居している私の母にも出産について相談をしました。母は、いつも明るくお調子者な彼の真剣な様子に驚いていましたが、私と産まれてくる赤ちゃんとの生活に関する話を真剣に聞いてくれました。そして「私も年齢的にできることは限られているけれど、出来る限りの手伝いをするから、産んでみたらいいと思う」と賛成してくれました。私はパートで仕事をしていたので、その後は職場の上司にも、結婚すること、妊娠していること、産むつもりであることを伝えました。上司も、いっしょに働いている人たちも、私の体調などを心配しながらも応援してくれると言ってくれました。 私は、出産とは母親と子どもの問題なのだと、無意識に思い込んでいたのだと思います。だから全部を自分が背負わなくてはいけないのだと感じて自分ひとりで決めようとしていました。けれど、赤ちゃんを産むまでの道のりは、ひとりで進めなくてもいいのだと知りました。心配なことや、不安なことはまわりに頼ったり、聞いたりしても大丈夫だと。私にとっては、新しい家族のカタチです。産むのは母親にしかできませんが、そこまでの道のりを、家族やまわりの人たちに助けてもらって、そうして赤ちゃんとの対面は叶うのだなと私は知ったことで、産むことを決意しました。でした。子育ては大変ですが、あのとき産むことを決意してよかったと思っています。著者:福島 総子7歳と10歳の元気な兄弟の子育てに四苦八苦の毎日を送りつつ、趣味の読書や映画鑑賞を活かしての記事執筆を続けています。
2022年08月09日長男が3歳のころのお話しです。義母と電話で話していると、「2人目ができないのは私のせいだと夫が言っている」と聞かされました。なぜか、私が原因で子どもができないことになっているのです。私も2人目が欲しいと悩んでいた時期で、その言葉はとてもショックでした。そこから私がどのように対処したかや、今の義母との関係についてお伝えします。男性不妊のわが家義両親には伝えていませんでしたが、私たち夫婦は男性不妊のため、不妊治療で長男を授かりました。私は2人目が欲しいと考えていましたが、夫が不妊原因に対処しようとせず悩んでいました。 そんなときに、義母と電話で話していると「あなたたちが2人目を作らないのは、恭子ちゃん(私)のせいなんでしょ。○○(夫)がそう言っていたわよ」と。夫がそんなことを言うはずないとはわかっています。それでも夫が言っていたと伝えてくる義母に不信感を抱き、ショックと怒りで言葉が出ませんでした。 義母の話は嘘だった以前から、義母は自分の伝えたいことを、誰かが言っていたと遠まわしに伝えてくることはありました。きっと義母自身が、私が2人目を欲しがっていないと考えて、それを責めたい気持ちがあったのだと思います。 念のため、夫に義母から言われたことを確認しましたが、当然ながらそんな事実はなく、義母の言葉は嘘だと判明。妊娠・不妊というとてもプライベートな問題について、軽々しく口を出してくる義母に対して怒りが収まりませんでした。 もう義母に会いたくない義母からの言葉のダメージは強く、翌週に義実家に行く予定でしたが、私はとても行く気にはなれませんでした。義母に会ったら似たようなことを直接言われるのも目に見えていたので、私は義実家に行かないと断固拒否。夫と子どもだけで行ってもらい、私がどうして行かないのかの説明は夫に任せました。 不妊原因については話さなかったようですが、義母の言葉に私が傷ついていることは伝えたので、それ以降、義母から連絡が来ることもなく、会いに行かないことをとがめられることもありませんでした。 義母との関係修復のきっかけ半年ほど義母と距離をとったことで私も冷静に考えられるようになり、義母は、私たちに2人目ができないのを気にしていたのだと考えられるようになりました。でも、それを上手に話すことができずに、あのような言い方になったのだと思います。あのときは私自身も2人目ができないことを悩んでいたので、義母の言葉に過敏に反応してしまいました。 そうやって冷静になったころに、子どもの誕生日に義両親からプレゼントが届いたので、いい機会だと思い、プレゼントのお礼の電話を私から義母にしました。直接話したことが関係修復のきっかけとなり、今は義母と適度な距離感で過ごせています。発言に対する謝罪などはありませんが、現状に満足しています。 義両親の言動を変えるのは難しいですが、何もかも我慢する必要もないので、無理せず付き合えるよう距離をとることも大切だと気が付きました。距離をとることで問題が大きくならないよう、義母への説明を夫にお願いしたのもいい判断だったと思います。何より、しっかり冷静になれるまで時間をかけるのが、私にとってはポイントでした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:高橋 恭子6歳男児のママで現在妊活中。理学療法士として働きながら、ヒプノセラピストの資格を取得。仕事、子育て、家事など経験を生かした記事を執筆中
2022年08月02日私は3歳の男の子と0歳の女の子のママです。長男の妊娠期は切迫早産で長期入院になり、2人目は妊娠がわかった妊娠5週ごろから自宅で安静に過ごすよう医師から指示を受けました。それでも切迫流産、切迫早産になってしまったのですが、そんななかで、私が家族に対して後悔していることをお話ししたいと思います。急な里帰り安静期間が長くなるにつれ、私は動けないストレスで精神的にもボロボロ。当時2歳になったばかりでイヤイヤ期の長男にも、ちょっとしたイタズラ程度でも大声で怒鳴るように……。一方、夫は仕事と家事をひとりでこなし、とても疲れている状態でした。 そんなとき、妊娠32週の妊婦健診で医師から子宮頸管があと少しでも短くなったら入院だと告げられたのです。私が入院になると、夫の仕事中に長男のことをみる人がいません。夫と話し合い、私の両親に頼んで妊娠32週に里帰りをすることにしました。 イライラが今度は両親に……実家でお世話になり始めると、普段はあまり両親には頼らず子育てをしているせいか、長男も両親もどのように関わればいいのか模索しているようでした。私からも長男の食事の味つけや、してはいけないことをしたときに注意するポイントなど両親に前もって伝えましたが……。 「やめて」と言っても隠れてお菓子をあげようとする、スマホばかり見せる父や、長男の食事についてなかなか理解してくれない母にイライラして、何度か怒ってしまいました。両親も私がものすごい剣幕で怒るので、驚いていました。 イライラしないためにしたこと両親にまでイライラしてしまう自分が、情けなくてつらくてたまりませんでした。そんなとき、夫に相談すると「ちゃんとご両親に何でイライラしているか、家でもイライラしていたことを伝えたら?」とアドバイスを受けました。 後日、両親に今は入院せずに過ごせるかとても不安なこと、長男のイヤイヤ期も重なり、育児が自分の思うようにいかずにつらいことなどを伝えると、両親は「わかっているから大丈夫だよ」と言ってくれて、安心と同時に少しイライラが緩和されました。 その後もイライラを抑えることは難しかったですが、正期産の時期に入ると動けるようになり、少しずつイライラは軽減されました。夫は長男と外出、母は私の愚痴を聞いてくれて、父は甘い物を買ってきてくれるなど心遣いがうれしかったです。ひどいことばかり言ってしまった私に寄り添い、気遣ってくれた家族のおかげで無事に出産でき、とても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:八木さつき2歳男児、0歳女児の母。ケアマネージャーの資格を取得。妊娠・出産・子育てに関する体験談を執筆している。
2022年08月01日32歳で結婚した私には、高齢出産は他人事ではなく、いろいろと調べていました。高齢出産の場合、早産や妊娠高血圧症候群になるリスクが高まること。成功例のような芸能人の高齢出産報道の裏で苦しんでいる母親がたくさんいること。それらを知った私は34歳までに妊娠しなかったら子どもはあきらめようと決めていました。しかし私が妊娠し、告げられた出産予定日は35歳の誕生日をとっくに過ぎた日付でした。とにかく自重正直、あきらめかけていたときに妊娠した子です。私でも妊娠できたんだ!と驚いたのと同時に、大丈夫なのか?と不安が襲ってきました。情報や知識がある分、恐怖心も強かったのです。だからとにかく自重しました。 無理、無茶、頑張る、は一切しない。早寝、早起き、朝ごはん。おなかを冷やさないように飲み物は温かいものにし、散歩をして血行が悪くならないように過ごしました。その結果、定期健診のたびに助産師さんに誉められ、不安もやわらぎました。 気持ちに余裕が持てる妊娠がわかると同時に子ども中心の生活に切り替えましたが、不満はほとんどありませんでした。というのも結婚が早くはなかったおかげ(?)で、仕事も遊びもたくさんしてきました。結婚してからもしばらく子どもができなかったので、夫と2人で過ごす時間も十分に持てました。 その結果、仕事のキャリアに対する不安や遊びへの未練はほとんどなかったのです。妊娠中は自炊をしたり、散歩をしたり体調を整えることに専念できました。 体力はないけど楽しむ知恵はある出産は想像以上に体力を消耗しました。しかも回復する隙を与えてくれない、怒涛の育児。オシャレをして、おでかけするママたちをネットや雑誌で見ると、まぶしいやらうらやましいやら。けれどしょうがないと受け入れ、今の自分ができることを考えました。 とことん子どもと一緒に過ごしたり、写真をはがきに加工してネットを見られない祖母に子どもの近況を伝えたり、本を読んだり。体を使わず知恵を絞って、みんなと同じではない、私だけの新米ママ生活を作り上げました。 この先、子どもに障害があることがわかるかもしれない、そんな不安は今でもあります。けれどリスクを取って産んだのは私だと腹も据わりつつあります。先のことばかり考えて不安になるのではなく、今を大切に子育てしたいと考えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2022年07月22日私は1人目の子を3,900g、2人目は4,030gで出産しました。2人とも概ね妊娠34週前後から成長曲線の一番上か、もしくは抜きん出たようなグラフになっており、出産に恐怖を感じていました。特に1人目に関しては出産準備から、すべて何もかもが初めての経験ということもあり不安が募るばかり。ここでは、2人ともビッグベビーと言われていた私が、出産に対する不安を拭うため妊娠中にどのようなことを心がけたのかお伝えします。※コロナ禍前の体験談です ネットのネガティブな情報に振り回され過ぎない私が特に大切にしていたことは、インターネットの情報に踊らされすぎないことです。もちろん、さまざまな情報を瞬時に収集できる点においては、大いに助かっている側面もあり、この時代に生まれたことをとても感謝しています。しかし、このメリットはデメリットと表裏一体で、あまりにも情報が多いことや、誰が書いたかよくわからない記事に踊らされて不安を煽られるような側面もあったのも事実。 特に私はビッグベビーだと事前に予測されていたので、「ビッグベビーは難産になりやすい」などといった不確かな情報で心を乱される時期がありました。したがって特に正期産の時期に入ってからは、難産の情報を集めるより、いかに安産で生まれてきたか、というポジティブな情報しか収集しないようにしていました。これによってネガティブにならずにお産を迎えることができたのでよかったと感じています。 外部とのネットワークを大切にする私はさまざまな事情があって、1人目・2人目ともに里帰り出産せず近所の産婦人科で出産し、そのまま自宅で赤ちゃんと過ごすことを選びました。また、実親や義親が遠方に住んでいた経緯もあって、親戚類はほぼ頼れない状況。環境的に孤独になりやすいことも心配でした。 私は書籍やWebメディアの情報から「育児は孤独にならないほうが良さそうだ」ということを学んでいましたので、出産前から市のプレママ教室に通ったり、産婦人科が主催のヨガ教室に通っていました。 そのなかで、すでにお産を経験している先輩ママもたくさんいて「私も1人目はビッグベビーだったよ」など貴重な体験談を聞くことができ、「私だけじゃないのだ」と感じて勇気をもらえたことがよかったです。そのおかげで、各教室のママたちと出会えて、そのままスムーズにママ友になれたのもラッキーでした。 自治体の情報をあらかじめ収集しておく産後は親戚に手伝いを頼めなさそうな状況でしたが、ワンオペ育児は避けたいと考えていました。また、ビッグベビーを出産予定だったので「お産がより困難になり、産後の肥立ちも回復までに時間がかかるのでは?」と予測し、できるだけ外部の業者・行政に育児や家事を頼ろうと決めたのです。しかし、民間のベビーシッターへの依頼はとても割高になりそうなので、産後のママをサポートする自治体のシッター・家事代行事業の情報収集をすることに。また、赤ちゃんと自宅でずっと2人きりということも自分の性格上キツいなと感じ、せめて子ども同伴でもリフレッシュできるように「子連れOK」の美容室や整体院なども事前に調べておきました。 お産の前に情報収集したことで、産後に慌てることなく美容院や整体院に通うことができ、精神的な安定を保てました。 大きめの赤ちゃんが生まれるということで精神的な負担や動揺があったので、出産前に、情報を集める際は不確かな内容やネガティブな記事はあえて目に入れないようにしました。SNSなどをまったく見ないようにしたことで、結果的に産後、落ち着いた気持ちで育児ができたことにつながっていると思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年07月12日私には、4歳の長男と2歳の長女がいます。私はもともと2人の子どもを希望しており、「2歳差のきょうだい」にこだわっていました。それには、私なりの考えがあったからです。どうしても2歳差で授かりたいという思いから、あの手この手で妊活に臨みました。今回は、私が2人目計画で2歳差にこだわった理由と、妊活中に試したことをお話しします。年の近いきょうだいへの憧れ私には、9歳離れた姉がいます。正直、仲の良い姉妹とは言えません。私が7歳のころ、高校1年生になった姉はアルバイトを始め、お互いの生活スタイルはバラバラに。一緒に遊んだり、おでかけしたりした記憶もあまりありません。 姉妹ではあるものの、壁を感じるような存在であり、ずっと姉に気をつかって生きてきました。そんな私は幼いころから、年の近いきょうだいに憧れを抱いていました。そのため2人目を考えたときに、「年の近いきょうだいを作ってあげたい」と思うようになったのです。 できるだけ早く!2歳差を希望私の両親は、同世代の両親に比べると高齢です。私が26歳で長男を産んだとき、父は72歳、母は67歳。持病のある2人は、私が幼いころから現在に至るまで入退院を繰り返しており、両親の老いをひしひしと感じています。姉は結婚していますが、子どもはいません。私は、父と母に「早く2人目に会わせたい」と考えるようになりました。 父と母には2人の孫を生きがいに、楽しい日々を送ってほしかったのです。「できるだけ早く」とはいえ、経済面を考えると「年子は難しい」という考えに至りました。こうして私たち夫婦は「年子よりも2歳差」に選択肢を絞り、2人目の妊活をスタートさせることになったのです。 2人目の妊活で試したことさっそく、長男が生後9カ月になったタイミングで2人目の妊活をスタート。はじめは妊活アプリを使用して、妊娠の可能性が高い日にタイミングをとりましたが、2カ月ほど経っても妊娠に至らず……。次は基礎体温計を購入して、朝の目覚めに基礎体温を測るようにしました。しかし基礎体温を2カ月ほど測っても、妊娠には至らなかったのです。 「排卵日を絶対に逃したくない!」と思った私は、次に排卵検査薬を試してみることにしました。排卵検査薬で陽性反応が出た日と、翌日にタイミングをとった結果、1カ月後に2人目の妊娠が判明! 妊活を始めてから5カ月と、スムーズに2人目を授かることができました。 「2歳差が良い」と考えていた私ですが、結果的に理想としていた2歳差で長女を授かることができました。妊娠が判明したときは、父と母だけでなく、私より11歳年上の夫も喜んでくれました。現在は、わんぱくな4歳の長男と、お兄ちゃんが大好きな2歳の長女の育児に奮闘していますが、充実した毎日でとても幸せです! 監修/助産師REIKO著者:華彩 あんず4歳男児と2歳女児の母。婿入り婚で、両親と同居中。趣味は美容やコスメ集め。最近は2歳の娘もオシャレに興味を持ちはじめ、「早く一緒にショッピングを楽しみたい」と期待を膨らませる日々。美容や育児をはじめ、ブライダルや暮らしなど幅広いジャンルを執筆中。
2022年07月09日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は42.4万人でママたちの間でも話題になっています。今回は、46歳で12人目を出産したHISAKOさんが、高齢出産のリスクについて語る動画をご紹介!12人目がどうしても欲しかった! まずは、12人目の不妊治療について教えてくれました。HISAKOさんは前の旦那さんとのお子さんが10人います。再婚して、11人目となる今の旦那さんとのお子さんが1人生まれただけでも最初は十分と思っていたそうです。でも、どこかで11人目のお子さんと同じ遺伝子を引き継いでいる兄弟を作ってあげたいと思ったそう。 「上の兄弟たちに失礼かもしれないけど、自分の気持ちに嘘つかんとこ!」と明るく本音を話してくれるHISAKOさん。 できることは全部やって、それから諦めようと44歳で不妊治療をスタートしました。しかし、顕微受精を5回行っても妊娠できませんでした。やれることはやったからあきらめようと言いつつ、手帳には排卵の日にハートマークをつけていたそうです。45歳の1年間はそんなふうに過ごしていました。46歳になってそれももうやめようと決めて、普通に過ごし、でも避妊はしないでいたら、なんと自然妊娠が判明! 妊娠が継続するとは思っていなかった 助産師であるHISAKOさんは、46歳での自然妊娠率、流産率などを考えて、奇跡で妊娠はできたけれども、「きっと流産するな」と思ったそうです。ところが、流産せずにお腹の子は乗り切ってくれました。 46歳の妊娠の心配は流産だけではありません。例えば、染色体異常であるダウン症のリスクは、20代であれば1万分の1ですが、35歳になると300分の1に、46歳になると30分の1になるそう。実際にHISAKOさんも出生前診断について考えました。 でも、出生前診断でわかるのは一部の染色体異常のみ。それ以外にも生まれてこないと分からない異常もたくさんある。さらに、生まれたときは元気でも、そのあと病気や怪我をすることもある。そう思ったら、「そんだけわかって、だから何なん?」と思ったそう。 来るもの拒まず受け入れるしかない 結局は、受け入れるしかないというという結果になったHISAKOさん。でも、不安がないとか、すごい覚悟があるとかそういうことではないと言います。「不安ですよ、一緒やで私も」と。今は、障害があたったりしても受け入れると思っているけど(当時妊娠28週)、実際に生まれてきたらどうなるかわからないと話しています。最終的には、出生前診断は受けないことにしたそうです。 このあと9番目の子どもが生まれてすぐに耳の検査に引っかかったこと、7番目の子どもが発達障害であること、2人とも妊娠中は何も問題がなかったことも話してくれています。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2022年06月30日私には6歳の女の子と生後11カ月の男の子がいます。娘のこともかわいがってくれているものの、息子を妊娠して以来、義理の両親から「長男ファースト」な言動が垣間見えてモヤモヤしてしまった、そんな私の体験談をご紹介します。 「長男なんだから」義理の両親にとって、子どもは夫と妹さんの2人です。結婚当初からよく「長男なんだから、お盆とお彼岸には必ず帰ってきてお墓の管理を」とお義母さんに言われてきた私たち夫婦。 子どもが生まれる前はお義母さんの言う通りに、お墓参りのためだけに春と秋のお彼岸とお盆の年に3回、休みの日に夫と2人電車で2時間かけて帰省。でも、子どもが生まれてからは時間の面でも体力の面でも余裕がなく、自然とお墓参りは免除されるようになりました。 「女の子だったらどうしようかと…」娘を出産してから4年後、念願の第2子を妊娠。娘がすごく育てやすくかわいくてたまらなかった私は、2人目も女の子でもいいと思っていました。でも、お義母さんは違ったようで……。 妊婦健診のたびに性別がわかったのか電話で聞かれ、妊娠6カ月でおなかの中の赤ちゃんが男の子だとわかると、「これでまた女の子だったらどうしようかと思っていたわ! 男の子でよかった~」と心の底から安堵したように言われました。お義母さんに悪気はなく純粋に喜んでいる様子でしたが、「女の子だったらどうしよう」のひと言に、私はすごくモヤモヤしたのをよく覚えています。 「跡取りを産んでくれてありがとう」義理の両親は、会うたびにたくさん遊んでくれたり、おもちゃや洋服などをプレゼントしてくれたりと、娘のこともよくかわいがってくれています。でも、誘っても娘のお宮参りには来なかったので、私は勝手に義理の両親は子どものイベントにはそんなに興味がないのだと思っていました。 その後無事に息子を出産し、初めて会わせたときのことです。「近藤家の跡取りを産んでくれてありがとう」とうれしそうに言うお義母さん。さらには、娘のときにはなかった夫側の親戚への息子のお披露目会やお宮参りの日取りの相談まで……。男の子と女の子でこうも態度が違うものかと、ギャップにすごく驚きました。 お義母さんの何気ない「長男ファースト」な言動にモヤモヤしましたが、義理の両親は昔ながらの「家を守る」という感覚が強いからだと理解しています。嫁いだ身として私は義理の両親の気持ちを尊重しつつも、男の子と女の子の差で娘が疎外感を感じないように娘のイベントにも足を運んでもらえるように気をつけようと思います。 作画/はたこ著者:近藤あいこ6歳女児と1歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年06月29日産後は生理が再開するまで時間がかかると思っていた私。しかし実際は想像とはまったく違い、想定外のことがたくさん起きました。そんな私が体験した産後の生理についてご紹介します。産後の生理について知らなすぎた私産前に参加した母親学級で、「産後は徐々に元の体に戻っていく」と聞いていました。産後の生理再開について個人差はあるものの、半年くらい生理は再開しないんだろうなと思い込んでいたのです。1カ月健診では産科の先生から「悪露の残りが少しあるけど特に問題ないから、少しずつ日常生活に戻していくように」との指示がありました。日常生活に戻るうえで夫婦生活についても話がありましたが、生理が始まらないということは排卵もされないと思っていた私は、何も考えずに1カ月健診後すぐに夫婦生活を再開。このときは後々、どんなことが起こるか考えてもいませんでした。 え? 悪露? それとも…?産後1カ月半で違和感を覚え、トイレに行くと出血がありました。1カ月健診で「悪露がまだ出るかもしれないが、そのうち治まる」と言われていたので、悪露がまだ出ているんだとばかり思っていました。しかし、2日目にはなんだか出血量も増えて下腹部や腰に痛みもあるような……。もしかして生理かも?と思っていたら、約4日で出血が止まりました。時期にして産後45日ほどのことです。産科の医師に念のために確認すると、「早い人だと産後1カ月ほどで再開する人もいる」とのこと。そう⋯⋯これが私の生理再開の合図だったのです。 生理が再開したということは?生理が再開したということは、周期が不安定だが排卵も再開していることが多いそうです。帝王切開での出産だったために、医師から次の妊娠までは1年くらいは空けるように言われていたこともあり、生理再開の相談をしたときも「くれぐれも妊娠しないように気をつけること」と言われました。 しかし! 産後の排卵周期の不安定さを甘く見ていたからなのか、産後5カ月ごろに2人目の妊娠が判明し、そのときすでに妊娠10週。産科の医師からはすごく怒られた記憶があります。 産後の生理の再開時期には個人差があるとは思っていましたが、まさかこんなに早く再開するなんて思ってもみませんでした。無知が故に妊娠し、第2子を妊娠できたことはとても幸せなことでしたが、産後の排卵や生理について勉強しておくべきだったと反省しました。 ※産後の性生活については、1カ月健診で問題なければ再開しても問題ありません。また、産後の生理再開には個人差があり、月経の前に排卵が起こるため、望まない妊娠を避けるためにも避妊が必要です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ののぱ監修/助産師 松田玲子著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2022年06月19日