■前回のあらすじ検査結果を聞きにクリニックへ行くと、僕の分身たちが動く姿を目の当たりにします。妊娠に問題もないようで一安心!■妻の卵管造影検査…果たしてその結果は僕は出しただけだというのに、妻は痛みと闘いながら検査を頑張ってくれました。卵管が詰まっているというのもあくまで「疑惑」であり、これからしばらく妊娠率が高まる期間というのもあって、期待と不安が入り混じります…。■未だ不妊の原因は不明…ついに次のステージへ妊娠不可能ではない!それが分かっただけでも前向きに捉えられるようになりました。しかし、タイミング療法では授かることができず、僕たちは新たに未知のステージへ進むことになります。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月15日■前回のあらすじ義姉が難病を発症。とても辛く苦しいはずですが、妻はそれでも不妊治療を続けたいと言いました。■ついに院長先生とご対面!検査結果にドキドキ…診察室で見つけたもの、それはなんと…まさか、実物を画面越しに見せてもらえるとは思いませんでした。健気に一生懸命動く分身たちを見て、生命が宿る神秘を感じずにはいられません…!■院長先生の丁寧な説明に期待が膨らむ運動率は相変わらず低かったようですが、妊娠には問題がないという丁寧な説明のおかげで心がスッと軽くなりました。そして、なにより大きな希望が持てたような気がして、嬉しかったです。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月14日■前回のあらすじクリニックでの任務遂行後、提出する際には鮮度が保たれる工夫がされており、誰にも会わずに帰宅できる配慮が嬉しかったです。■思いもよらぬ事態が起こる…義姉の突然の難病発症…。治療法がない病気なだけに、先の見えない不安が突如襲ってきました…。■苦しみながらも不妊治療は続けたいという妻介護、仕事、不妊治療…辛いことや大変なことはたくさんあるけれど、それでも前向きに不妊治療を続けたいという妻の気持ちをしっかり受け止め、サポートしたいと思いました。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月13日30代半ばで結婚して妊活を始めたころから、それまでとは明らかに生理の様子が変わってきました。生理周期はほぼ同じなのですが、経血量がぐんと減り、日数も短くなってしまったのです。「この状態で妊娠できるのかな?」と、だんだん心配になってきました。 20代とは変わってきた、30代の生理20代のころはとにかく経血量が多く、3日目あたりまでは2時間おきに厚手のナプキンを交換しないと漏れてしまうほどでした。夜間も夜用ナプキンを取り替えないと、朝までもたなかったほど。生理が始まってから完全に出血が止まるまでに1週間はかかり、「ああ、面倒だな……」と、毎月憂うつな気分になっていました。 それが、30代になってしばらく経つと、経血量が減り始めました。きちんと出血するのは初日と2日目くらい。その後はチョロチョロとしか出ず、4日くらいで終わってしまうようになったのです。 経血の色も黒っぽくサラサラしてきて、かつてのような粘度のある鮮血ではなくなってきました。 医師から「大丈夫」と言われたけれど…ちょうどそのころ結婚し妊活を始めていたのですが、なかなか妊娠しません。妊活中は、普段よりも生理の様子が気になりました。 そこで妊活のために通っていたクリニックで相談してみたところ、「子宮内膜の厚みは十分にあるので、問題ないでしょう」との回答。「経血の変化は加齢のせいだろう」とのことでした。 それでも、「私の子宮、ちゃんと受精卵が着床しやすいフカフカのベッドになっているのかな?」と、生理がくるたびにため息が出ていました。 その後、2人の子どもを出産そんな不安がいっぱいではありましたが、結局その後、妊娠することができ、アラフォーで2人の子どもを出産しました。1人目はホルモンを補充しての体外受精でしたが、2人目は自然妊娠です。 けれども、その間には2度の流産を経験するなど紆余曲折もありました。1人目の産後の生理も、再開するまでに2年近くかかりました。授乳を続けていた影響もあるのかなと思いますが、このまま閉経してしまうのではないかと思ったほどです。やはり、生理のしっかりあった20代が、私にとっての妊娠や出産の適齢期だったのかもしれないと、しみじみ思います。 10代、20代のころは経血量が多くて面倒に思っていたのですが、加齢によりかつての勢いがなくなってくると、今度は心もとなくなってきました。不安なときは専門家に相談しながら、この先も体の変化とつき合っていきたいです。 監修/助産師REIKO 著者:桐谷きこり
2020年12月12日■前回のあらすじ滞在時間に指定はないものの、様々な葛藤と闘いながら任務に集中…!■1分1秒を争う!鮮度がより良い状態で届けなければ!任務を遂行しても、浸っている余裕はない…!分身たちを送り出す小窓も院内のひっそりした場所にあるので、提出する際も気まずさがなく良かったです。■誰にも会わずに鮮度を保つ工夫!病院側の配慮が嬉しい鮮度を保ちながらしっかりプライバシーも守られ、帰りは気まずい思いもせずに帰宅できました。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月12日■前回のあらすじついにあの部屋へ…。想像とは違った小綺麗な部屋、病院の細かい配慮に感心します。■ジャンルの偏りに疑問…このような雑誌が真面目な病院で堂々と認められている感じがとても不思議な感覚でした…。■滞在時間の指定はないものの…もはやここでは開き直る力が問われました!恥ずかしさや様々な葛藤と闘いながら、ミッションを遂行するためひたすら集中しました。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月11日■前回のあらすじ女性ばかりの院内で待っている間、羞恥心でいっぱいに。そしてついに採精室に案内され…■想像とは違ったあの部屋の中思っていた以上に広くて小綺麗な部屋に緊張が増してしまいます…それにしても一体なぜこんなに暑いのか!?■病院の細かな配慮が心強い採取後、少しでも劣化を防ぐための細かい配慮がされていることにとても感心しました!しかし、看護師さんとの恥ずかしいやりとり、新たな治療のステップに早く慣れなくてはならないことに多少焦りも感じてしまいます。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月10日■前回のあらすじ今度の検査は専用の部屋で採取することに。どんな部屋なのだろう…と好奇心が湧きます。■女性ばかりの院内に心がざわつく…検査のためとはいえ、これから自分がすることが周りにバレているのではないかと思うと、羞恥心に襲われます…。■専用の部屋はひっそりとした場所に若い女性に案内され、更なる情けなさと羞恥心でいっぱいに。しかし、とてもひっそりとした場所にあるというのは、少し安心感がありました。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月09日■前回のあらすじ初めのうちは楽観的に考えていたものの、月日が経つにつれて不安は募り、自分たちは不妊だと自覚します。■年齢的に焦りを感じ始める半年間タイミング療法で授かることが出来なかったので、早く次のステップへ…と焦りを感じずにはいられませんでした。いったいどんな部屋なのか!?■ついにデビュー!? 切なさと好奇心で複雑な思いに自宅での採取は鮮度が少なからず落ちるため、リスクは大きい。病院で行うことですぐに検査ができるのは、非常に大きいメリットだと思いました。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月08日■前回のあらすじ初めての不妊治療の検査。僕の分身たちの検査結果は…■数値を良くするためにやったこと電磁波が良くない、長風呂が良くないと言われても、普段の生活に溶け込みすぎていてとても気を遣いますよね。しかし、この頃の僕は不妊治療について楽観的に考えていました…これから長い道のりを辿るとも知らずに…。■今月もダメだった…毎月繰り返すたびに不安が募るゴールが見えないから余計に不安が大きくなる…妻がため息をつく姿を見るたびに、僕も事の重大さに気付き始めるのでした。■不妊治療で有名な病院を紹介される不妊治療で名高い病院なら…と期待しつつも、先の見えない道のりに不安も残る。さぁ、またここから新たな不妊治療のスタートです…!次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月07日■前回のあらすじ自然に妊娠できると思っていたもののなかなか授かることができず、軽い気持ちで産婦人科に相談したら…■検査のためとはいえ気分が落ち込む検査のために行為に及ばなければならないというのは、頭では理解していても妙な気分になってしまいます。■鮮度が命!運び出しも重要なミッション生ものと同じだから運ぶのも一苦労…。少しでも新鮮な状態で病院へ届けなくてはなりません。結果を待つ間はとてもソワソワしていました。■まさかの結果に傷つく…運動率が低いという事実を知ったときは、さすがにショックで…質を上げるためにできることは何でもやってやる! という思いでした。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月06日2018年に待望の第一子が誕生!息子の誕生を機に、思い切って育休を取得した新米パパ、トンです!僕たち夫婦は結婚当初から自然と子どもの話題があがり、自然と妊娠して自然と家族が増えるものだと思っていました。しかしその道のりは決して簡単なものではありませんでした…。これは、僕たち夫婦の妊活時代のお話です。■僕たち夫婦は不妊治療を受けていました大きな不安があったあの頃。今は息子がここにいることに幸せもひとしおです!■自然と妊娠できると思っていた…不妊の特集番組がやっていると、気になって観てはいたけれど、どこかで自分たちは平気だという思いの方が強かったと思います。■軽い気持ちで産婦人科に相談したら…何気なく病院に相談に行ったつもりが、あっという間に本格的な治療が始まっていきました。次回に続きます。コミックライター: トン 【同じテーマの連載はこちら】 こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ この連載の全話を見る >> 4人目と5人目の話 この連載の全話を見る >> モンスターワイフ この連載の全話を見る >>
2020年12月05日この記事では、妊娠を希望し、婦人科検診を受けたときに病気が見つかった先輩ママの体験談をお伝えします。 当時、36歳で未婚だった私。結婚・妊娠に焦りはあったものの、婦人科検診もほとんど受けていませんでした。 婦人科検診で病気が見つかったそんななか、お付き合いしている方とそろそろ結婚という話になり、婦人科検診を受けることに。すると卵巣嚢腫、そして、子宮筋腫がボコボコあり、一刻も早く手術することになりました。 そして、どうにか無事に手術も終わり、結婚して子どもができればと思っていたのですが、なかなか妊娠できませんでした。 検査を受け、妊活をスタート!ようやく不妊治療も視野に入れ、病院に通い始めたのが39歳のときでした。当時の私はまったく知識がなく、体外受精などをおこなえばすぐに妊娠するだろうと思っていました。しかし、ようやく自分自身の置かれている状況がわかってきて、どうしてもっと早く病院に行っておかなかったんだろうと後悔に打ちひしがれていました。 夫婦それぞれ検査を受け、幸い問題はなかったため、タイミング法から始めました。しかし、そんな簡単には妊娠できず……。 気分転換に近場の旅行へそんななか、自分の年齢もタイムリミットが近づいているので、次のステップへと進む話がありました。そのとき、大した大きさではないものの、子宮筋腫を取ったほうがいいという話があり、腹腔鏡手術をして取ることにしました。 その後、次のステップに進む前に夫婦で気分転換に近場の旅行に行くことになり、その月は不妊治療をお休みして1カ月後に再開することになりました。 自然妊娠できてよかったところが、その気分転換がよかったのか、手術がよかったのか、その後まもなく自然妊娠することができました。妊娠したのは40歳、出産は41歳のときでしたが、高齢でも自然妊娠できたことが本当にうれしく、感謝しています。 不妊治療中は、終わりが見えなくて本当につらかったですが、もっと若いときにちゃんと病院に行って体を診てもらっていたら、もう少し苦労しなくていいこともあったのではないかと思います。 また、出産のトラブルの可能性も増えたり、40歳に入ってからの高齢出産はリスクがあることを知り、早めに病院へ行っておけばよかった、と感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:高橋えみ1児の母親。育休中。
2020年12月01日30歳で結婚し、1年経っても子どもができず1年半の不妊治療。タイミング法と人工授精を経て、念願の妊娠! しかし妊娠後、「出生前診断」を受けるかどうしようか悩みました。結果として、NIPT(新型出生前診断)を受けた私の体験談です。 出生前診断を受けようと思った理由1年半の不妊治療で主な検査をし、特にコレといった原因は見つからなかったものの、妊娠したあとも「私の体」に何か子どもに悪いことがあるのでは……?という気持ちがありました。また正直なところ、障害に対して正しい知識がなく、不安や偏見がないと言ったらウソになる自分がいました。仮に障害が見つかっても、それに向き合う準備期間にしたい。特に妊婦健診での指摘もなく、一般的に出生前診断が推奨される35歳以上の出産でもありませんでしたが、漠然とした不安から出生前診断を受けようと考えていました。 苦労した病院探し出産予定の病院では出生前診断をおこなっていませんでした。出生前診断を受けたい気持ちはありつつ、しっかりと調べていなかった私。妊娠15週のときにふと読んでいた妊婦向け雑誌に「出生前診断は妊娠18週くらいまでに受ける」という記載を読み、無知な自分に焦り、急いで病院探しを始めました。 可能であれば、確定診断の出る羊水検査が希望でした。しかし外来の患者や35歳未満の妊婦には実施していない病院が多く、見つけた病院は平日の日中にカウンセリングと検査を含めて3回来院が必要と、フルタイムで仕事をしていた私にとっては難しい条件だったのです。ネットで調べた結果、年齢制限がなく1回の来院で日曜日でもNIPT(新型出生前診断)を実施している病院を発見。すぐに予約し、週末に受診しました。 いざ検査検査はまずNIPTを受け、陽性だった場合は羊水検査に進むという流れでした。費用は23万円ほど。当日は、まず問診表や同意書を記入。その後個室に呼ばれ、医師から検査の説明とカウンセリングがありました。その後採血し、お会計で終了。所要時間は1時間弱でした。結果は10日ほどで郵送されるとのことで、10日間は「普通に過ごそう」と思いつつも、どこかでずっと診断結果のことを考えていました。陽性だった場合は、どうしようか……と。 診断結果は郵送で診断結果が届き、紙には各項目ごとの内容と「すべての項目で異常は見られませんでした」という記載がありました。 もちろん、この結果がすべてではないことは理解していますが。しかし、冒頭でもお話ししたとおり、もし障害が見つかっても、それに向き合う準備期間が必要だと考えていたので、私は出生前診断を受けてよかったと思っています。 出生前診断は賛否どちらの意見もありますが、私は受けたい自分の気持ちに正直になり、検査を受けることを決意しました。ただ、実際に検査ができる病院を探すのが大変でした。そして費用もかかりますので、受けたくても条件的に受けることが難しい人が多いのではないかと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:森まり子0歳の男の子のママ。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして活動中。主に子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの美容記事を執筆している。
2020年11月25日現在、生後8カ月になる娘の子育て中です。この子には姉がいました。結婚3年目でやっと授かった子どもは妊娠10カ月のときにおなかで突然亡くなり、不育症の診断を受けました。子どもの死を経験し、そこから這い上がって無事出産するまでの体験談です。 子どものことよりも仕事を優先してしまう自分結婚後、私はすぐに子どもが欲しいと思っていましたが、夫は妊活にあまり積極的ではありませんでした。お互いの考え方やタイミングが合わなかったこともあり、子どもを授かったのは結婚して3年後のことでした。 妊娠中はおなかの子どものことよりも仕事を優先してしまう自分がいました。職場で貧血で倒れることや、おなかが張ることがありましたが、「これくらい大丈夫」とおなかの子どもに言い聞かせていました。 職場の先輩が「ひとりの体じゃないんだよ」と声を掛けてくれても、妊娠の経過が順調だったこともあり、大分無理をしていたと思います。 胎動が感じられない臨月に入ったある日、おなかが張ったかと思うと、それから胎動を感じなくなったような気がしました。不安な気持ちのまま誰にも相談することができず、一晩過ごしました。そして、次の日の朝、かかりつけの個人病院の診療時間が始まるのを待って受診しました。 病院の診察台の上に横になったときには、すでにおなかの子どもの心臓は動いていませんでした。原因不明の突然死でした。私は事態を受け入れる間もなくそのまま市内の総合病院に運ばれ、陣痛促進剤とバルーンで陣痛を誘発して3日後、赤ちゃんを出産しました。 心も体も回復できないまま…医者からおなかの子どものことは説明されていたのに、産んだら本当は生きているんじゃないかと出産するそのときまで私はどこかで期待していました。そして、動かない自分の子どもと対面するまで、私はひどい夢を見ているんだと思っていました。 現実を受け入れられないまま退院し、子どもの埋葬を済ませ、夫は仕事に戻っていきました。空っぽのおなかと残酷な現実に、私は何のために食べるのかわからなくなりました。そして、子どもと幸せそうに過ごす友だちを見るのがつらくて、部屋に引きこもっていました。体は軽くなったはずなのになぜか鉛のように重いのが不思議でした。 それでも仕事は待ってはくれませんでした。心も体もまったく回復していないのに、産休はあっという間に終わってしまったのです。1日のうちに気持ちがジェットコースターのように上がったり下がったりを繰り返し、自分の気持ちをコントロールすることがとても難しく思いました。仕事の帰り道、「ああ、こうやってうつになっていくのかな」とふと考えることもありました。目の前の仕事をこなし、忙しさに身を任せていたら月日は勝手に過ぎていきました。 2人目の妊娠もう一度、子どもが欲しいと思えるまで1年かかりました。友だちの何気ない言葉に励まされ、妊娠する決心ができました。子どもの死を経験するまでは、妊娠して出産するのは当たり前にできることだと思っていましたが、2人目の妊娠中は出産するそのときまでずっと不安がついてまわりました。 赤ちゃんの産声を聞いた瞬間は、感動し過ぎて涙は出ませんでした。前回の出産のときに全部流しきってしまったのかもしれません。出産は大変だけど、こんなに愛おしい気持ちになれるから、みんな頑張れるんだと思いました。温かく、必死に生きている赤ちゃんを見て、お姉ちゃんの分まで大切に育てようと心に決めました。 1人目のときも2人目のときも妊娠経過は順調で、今でも何が原因で亡くなったのか、どうして2人目の子は元気に生まれてきてくれたのか自分でもわかりません。それぞれの運命だったとしか……。ただ私が言えるのは子どもを亡くしたときにそこで諦めて立ち止まっていたら、今の子どもには一生会うことはなかったということです。つらいときは気持ちも目の前も真っ暗でしたが、自分の子どもを見たとき、自分はこの子に会うために生まれてきたんだと思えるくらい素晴らしい気持ちになりました。命の大切さ、命があることに感謝することの大切さを教えてくれたこのできごとは、私には必要な経験だったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:八代 華8カ月の娘と育休消化中。
2020年11月13日1人目を妊娠しているときから、「子どもは2人欲しいよね」と夫婦の意見は一致。ですが1人目を不妊治療で授かったので、「2人目不妊になるのでは?」と心配に……。なぜなら1人目ができるまでに、3年かかっていたからです。1人目が落ち着いたら……と、そのときの私はのんびり考えていられませんでした。そのような状況で2人目を授かり、私が感じたことをお伝えします。 2人目不妊を想定して早めに妊活を開始1人目は不妊専門の病院に3年通い続けて、妊娠した経験があります。そのため、子ども同士の年の差を気にしていられませんでした。2人目も不妊となると、1人目を連れて頻回に病院に通わなければいけません。薬の副作用で思うように体が動かないことも……。万が一の事を考えると、私は1日でも早く妊娠できる体に整える必要があると考え、30歳で2人目の妊活をスタート。産後6カ月目のとき生理が再開したので基礎体温の測定を開始して、安定するのを待ちました。そして1人目が生後10カ月のころに断乳をして、葉酸摂取を開始したのです。 予想に反して2人目はすぐに妊娠!結果、1人目を妊娠するまでに3年かかったのですが、2人目は妊活を開始して2カ月で妊娠しました。一番心配していた不妊問題もあっさり解決して、私たち夫婦は晴れて年子を授かることができました。年子は大変だな……と思いましたが、子育てが落ち着いたら早めに再就職をしなければいけなかったので、早々に子宝に恵まれてよかったと一安心! 不妊治療には高額な治療費がかかるため、その分を教育費に回せられると考えると安心できました。 1人目に対してフォローしたこと 子育てはひとりだけでも十分大変ですが、子ども同士の年齢が近ければより手がかかるかもしれないと感じていた私。早々に2人目を考えていたこともあり、1人目には自分でできることはなるべく自分でさせるようにしていました。 自分でごはんを食べる・簡単な脱ぎ着はもちろん、外では抱っこを極力せず「赤いボールまで歩こう!」「あっちにワンワンがいるよ! 見に行こう!」と声掛けをして、歩くことの楽しさを子どもに感じてもらえるよう工夫をしました。しかし1人目も1歳6カ月で、まだまだ甘えたい時期だったと思います。寂しい思いをさせないために、2人目の授乳中も1人目を一緒に抱っこをしたり、2人目が寝ているときは1人目との時間をたっぷりつくるよう意識しました。 私の場合は「不妊」の可能性があったため、2人目はかなり焦って妊活をしました。そのため子ども同士の年齢差も考慮できず、1歳6カ月差に……。ですが常にライバルであり心強い仲間になった子どもたちを見て、今は年子で本当によかったなと思っています。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:太田 いこ岡山県在住、年子姉妹の母。フルタイムで働きながらライターとしても活動中。主に、不妊・育児・ママ友などのテーマで記事を執筆している。
2020年11月04日不妊治療は、精神的にも時間的にも経済的にも大変なもの。私の場合、まずは地元の産婦人科に通い、そこから大きな病院に転院しました。通院自体も大変なうえに服薬に複数の検査……。しかし、その終わりが来たのは突然でした。そんな私の不妊治療体験談をお伝えします。 赤ちゃんはそのうち授かるものだと思っていた…結婚3年目にして赤ちゃんを授からない私に、母が「それは不妊だよ」と言いました。当時、恥ずかしながら私自身は焦ってもおらず、のんびりと構えていたのですが、このことを機に少し考えるようになりました。 そこで、地元の産婦人科へ行ったのが不妊治療の始まりでした。最初はタイミング療法で「問題がなければすぐにできる」と言われたものの、結局半年経っても赤ちゃんを授かりませんでした。そして、医師に「うちよりも検査が充実した病院に行ったほうがいいね」と、地元で一番大きな病院を紹介されたのです。 通院と検査と服薬の日々不妊治療専門の病院に毎月車で通い、タイミング療法に加えて、私と夫の生殖機能検査、毎月の服薬に卵巣の確認、人工授精……。これらを何度か実施しましたが、半年以上経っても、一向に赤ちゃんを授かる気配がなく、少し疲れてきたころでした。 医師から「子宮卵管造影検査をしてみないか」と打診を受けて、これを実施。しかし、その直後も妊娠はできず、ゴールの見えない治療にあきらめかけ、熱心に取り組めなくなってしまいました。 久しぶりの“治療をしなかった”月に通院している病院が諸事情で1週間ほど休診になったことがあるのですが、折しも私のスケジュールとぴったり合致してしまい、そこで久々の「服薬も検査も何もしない月」ができてしまいました。 次の通院のために記していた基礎体温がなかなか下がらず、まさかと思って妊娠検査薬を用いてみたところ、なんと陽性! そのときに宿ってくれた赤ちゃんは、結果、私たちの子どもとして生まれてきてくれることになったのです。 とはいえ、私としては治療が無意味だったわけでなく、服薬や基礎体温の管理で「妊娠しやすい体」になっていたのかもという印象でした。そして、久々の「服薬も検査も何もしない月」に、気負わずリラックスしていたこともよかったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:半田あきら一児の母で専業主婦。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月02日「86万ショック」と言われた2019年の出生数。2020年は新型コロナウイルスの感染が拡大し、今後の出生数に影響を及ぼすのではないかと懸念されていました。厚生労働省でも新型コロナウイルスの感染拡大が妊娠・出産にどのような影響を及ぼしているのか把握するために調査をおこなっています。今回、平成30年1月から令和2年7月までの妊娠届出数の状況について自治体に照会し、取りまとめ、その結果を公表しました。 妊娠届とは?医療機関で妊娠が確定し、胎児心拍が確認できると、「母子健康手帳をもらってきてください」と言われることが多いと思います。そのタイミングで妊娠届を市区町村に提出すると、母子健康手帳が発行されます。その母子健康手帳の発行の際に必要となるのが、妊娠届出書です。 いつまでに妊娠届けを出さなければいけないかという期限は法律上定められていませんが、厚生労働省では、妊娠11週以下の時期での届出を勧奨しています。なお、平成30年度には93.3%の妊婦さんが、妊娠11週までに届出をおこなっていたとのことです。なお、多胎妊娠の場合、赤ちゃんの数に関わらず、1件の届け出としてカウントされます。 新型コロナウイルスの影響で届出数が減少!?新型コロナウイルスの感染者が日本で確認されたのは、今年1月。そこから徐々に感染者数は増え、全国の感染者数が100人を超えたのが4月1日でした。その後、4月7日には、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県及び福岡県の7都府県に対し、緊急事態宣言が発出され、4月16日には全都道府県に拡大されました。 厚生労働省の調査によると、2020年4月の妊娠届出数は75,807件で、2019年の4月と比較すると0.4%減でしたが、5月の妊娠届出数は67,919件であり、2019年5月の81,911件と比較すると17.1%減と大きく減少していました。5月以降は横ばい傾向ですが、2019年に比べると、7月までの累計数では27,806件、5.1%の減少となっています。 安心して子どもを産み、育てるためには…心身の健康や経済面、周りのサポートの有無、医療の充実など安心して子どもを産み、育てるために必要とされる条件は各家庭によってさまざまかと思います。 ベビーカレンダーが、2016年5⽉23⽇〜2019年5⽉23⽇に出産し、現在妊娠中ではない経産婦さん703名を対象におこなった調査でも、「新型コロナ流⾏前に第2⼦以降を希望していたママのうち約32%が妊娠を延期または諦める」という結果が出ています。 その理由として、●新型コロナウイルスの特効薬やワクチンがないなかで妊娠·出産することは、⺟体にも⽣まれてくる⾚ちゃんにもリスクが⼤きいと思ったため。●⽴ち会い出産や、産後⼊院中に家族の⾯会ができないのはネックだと考えた。●経済的な不安が増えたため。などが挙がっていました。新型コロナウイルスの感染拡大が妊娠届出数の減少にどの程度影響を及ぼしたのかは、今回の調査では明らかにはなっていません。ですが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、勤務先の休業や仕事の減少し、世帯収入が減少したという家庭も少なくありません。また、日本生殖医学会による不妊治療に関する提言(※1)や、感染予防にともなう産院の対応(※2)などの影響もゼロではないと思われます。 新型コロナウイルスの感染者数は全国的に見ても下げ止まりの印象ですが、これから寒くなり、今後感染者数を始め重傷者・死亡者がどのように推移するか予断を許さない状況かと思います。今後も、新型コロナウイルスの影響が妊娠・出産にどのような影響を及ぼすのか注視し、さまざまな情報を発信できればと思います。※1)2020年4月1日、日本生殖医学会では、日本で新型コロナウイルス感染の急速な拡大の危険性がなくなるまで、あるいは妊婦さんが使用できる予防薬や治療薬が開発されるまでを目安として、不妊治療の延期を選択肢として患者さんに提示するよう推奨する旨の提言をしました。※2)新型コロナウイルスの感染予防の観点から、妊婦健診の間隔を延ばしたり、超音波検査の回数を減らす、パートナーの立会いやご家族の面会を制限している施設があります。 監修者・著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2020年10月21日妊娠に欠かすことのできない卵子ですが、みなさんは卵子についてどのくらいご存知ですか? 実は卵子にはみなさんが知らないような不思議な話がたくさんあるんです。卵子のことを知ることで、ご自身の体のこと、命のことをより深く知ることができるかもしれません。そこで、意外と知られていない卵子について、浅田レディースクリニック理事長 浅田義正先生のお話を交えて紹介していきたいと思います。今回は、「精子と妊娠の期限」に関するお話です。 精子はどうやってつくられる?生まれたときには約200万個あり、加齢とともに減少していく卵子。卵子の数は限られていますが、一方精子はどうなのでしょうか。 精子は、精巣のなかにある精細管(せいさいかん)という部分でつくられます。卵子と同じように、原始生殖細胞である精細胞が分裂して精子になります。卵子は、生まれてから一度も新しくつくられませんが、精子細胞の元となる精原細胞はなくなることはなく、分裂した細胞がほぼすべて成熟した精子になるという特徴があります。精子は第二次性徴くらいから毎日つくられるようになり、男性はほぼ一生涯を通じて精子を産生することができます。 精子も卵子と同じように老化する?卵子と異なり毎日つくられる精子ですが、精子も老化するのでしょうか。浅田先生いわく、「加齢の影響がまったくないというわけではありません。しかし、その影響は卵子に比べれば桁違いに低く、妊娠率などの臨床成績にはまったく考慮する必要がありません。 論文では94歳で生児を得た記録もありますし、精子の老化は生殖年齢ではまったく考慮する必要はありません。精子の所見は個人差が非常に大きく、年齢よりも若くても所見がはじめから悪い人も多くいますし、個人でも精液検査は大きな結果のバラツキがあり、あまりあてになりません」とのこと。 妊娠はいつまでできる?現在、日本では女性の社会進出が進み、晩婚化が進んでいます。厚生労働省の人口動態統計によると、今から50年前の1970年の女性の平均初婚年齢は24.2歳、最新のデータ(2017年)では29.4歳と5.2歳上昇しています。 女性の妊娠する力が最も強いのは22〜23歳だと言われています。しかし、最新のデータからも妊娠する力のピークを過ぎてから結婚する女性が多くなっているのが現状です。しかし、実際には40歳以上でも妊娠・出産され、子育てをしている女性もたくさんいらっしゃいます。現在、自然妊娠ではアメリカの57歳の女性が最高齢とされていますが、2019年には体外受精で妊娠した70歳の女性が双子の赤ちゃんを出産し話題となりました。 浅田先生いわく、「70歳の女性が妊娠した事例は、卵子提供と思われます。個人差はありますが、一般的に自然妊娠できる年齢の限界は42〜43歳。身体面、卵子の状態、安全なお産という観点から見ると、22歳〜35歳ぐらいまでに出産できるのが理想的」とのこと。ちなみに浅田先生のクリニックでは47歳が最高齢の出産だそうです。加齢とともに妊娠する力が衰え、不妊の原因は女性側にあると思われる人も多かったようですが、最近では「男性不妊」と言う言葉があるように、男性側の原因による不妊も明らかになってきています。しかし、浅田先生によると、「精子があれば人工授精、顕微授精で解決できます。女性の晩婚化、女性の年齢、卵子の老化が不妊症のダントツの原因です」とのこと。 最近は見直されてきている性教育ですが、まだまだ生理に関することや妊娠の仕組み、避妊の方法にとどまっていて、妊娠の期限に関する情報を得る機会が少ないようにも感じます。「性」に関する教育も必要ですが、今後は男女の生涯を通じた心身の変化ついて学ぶ機会が増えるといいなと思います。 著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。
2020年10月17日妊娠に欠かすことのできない卵子ですが、みなさんは卵子についてどのくらいご存知ですか? 実は卵子にはみなさんが知らないような不思議な話がたくさんあるんです。卵子のことを知ることで、ご自身の体のこと、命のことをより深く知ることができるかもしれません。そこで、意外と知られていない卵子について、浅田レディースクリニック理事長 浅田義正先生のお話を交えて紹介していきたいと思います。今回は、「排卵後の卵子の寿命」に関するお話です。 排卵後の卵子の寿命はどのくらい?卵巣から排卵された卵子は、卵管の先にある卵管采(らんかんさい)から取り込まれます。一方、腟内で射精された精子は、子宮内から卵管へと進んでいきます。そして、卵管膨大部で受精し、成長しながら子宮内へ移動、着床することで妊娠が成立します。 精子の寿命は、腟内に射精されてから72時間から120時間(3~5日間)に対し、卵子の寿命は、排卵されてから24時間と言われています。これは、排卵から2日後の妊娠率が0%に近くなることから、卵子の寿命が尽きたと考えられているからです。 しかし、浅田先生は「不妊治療の際に排卵直前の卵子を培養しますが、たとえ受精しなかったとしても卵子は2〜3日は確実に生きています。排卵から2日後の妊娠率が0%に近くなるのは、卵子の問題ではなく着床環境の変化によるものでしょう」とおっしゃいます。 実際妊娠の詳しいメカニズムはまだ明らかになっていないと言われています。今のところ、排卵後の卵子の寿命は24時間とされていますが、もしかしたらもっと長生きなのかもしれませんね。 妊娠しやすいタイミングとは?排卵日当日が1番妊娠しやすいと考える人が多いかもしれませんが、排卵日は1番妊娠しやすいタイミングとはかぎりません。最も妊娠しやすいのは排卵日2日前と言われています。基礎体温法、排卵検査薬など自分で排卵日を予測することは可能ですが、少しの要因でホルモンバランスは崩れやすいので、ピンポイントで排卵の時期を予測することは難しいというのが現状です。 浅田先生いわく、「排卵された卵子が卵管膨大部にたどり着くよりも先に精子が先にたどり着いて卵子を待っている状態のほうが、妊娠しやすいという結果があります。つまり、排卵検査薬などを使って排卵日がわかってから性交渉をしても妊娠率は低いということになります。ですので、排卵前後の1週間でよいので、そこで2〜3回性交渉すればほとんどの人は妊娠することができます。2〜3日に1回性交渉ができていれば100%タイミングが合っているので排卵日を気にしないで性交渉したほうがよい」とのことです。妊娠するには、排卵のタイミングや卵子と精子の寿命を考えた上での性交渉がポイントとなります。しかし、ポイントはそれだけではありません。次回は、「妊娠の期限」についてお話ししたいと思います。著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。
2020年10月12日妊娠に欠かすことのできない卵子ですが、みなさんは卵子についてどのくらいご存知ですか? 実は卵子にはみなさんが知らないような不思議な話がたくさんあるんです。卵子のことを知ることで、ご自身の体のこと、命のことをより深く知ることができるかもしれません。そこで、意外と知られていない卵子について、浅田レディースクリニック理事長 浅田義正先生のお話を交えて紹介していきたいと思います。今回は、「卵子の老化」のお話です。 卵子はどんどん年老いていくって本当?35歳以上で初めて妊娠・出産することを高年(高齢)妊娠・高年(高齢)出産と言い、染色体異常や流産をはじめとする妊娠・出産のリスクが年齢とともに増加する傾向があります。その要因は母体の加齢に伴う身体的なものもありますが、「卵子の老化」も要因の1つなのです。 ママのおなかの中にいるときに卵子のもととなる原始卵胞がつくられ、約200万個ある状態で生まれてきますが、これ以降、原始卵胞の数が増えることはありません。そして、成長ともにどんどん減少します。生理周期とは関係なく、原始卵胞は約6カ月かけて成熟卵胞になります。ヒトの場合、最後の1カ月でひとりの赤ちゃんを産むためにひとつの成熟卵胞が育ち、他の卵胞はしぼんでいきます。結局、1個だけが成熟して、排卵されます。 排卵までの時間が長いということはその分だけ原始卵胞も年令を重ね、老化することになります。さらに、多くの細胞が関与する見た目や身体機能の老化以上にひとつの細胞である卵子は早く顕著に老化するのです。 卵子の老化により、成熟の段階でおこなわれる減数分裂がうまくできず染色体の数が異なる卵子ができたり卵子の機能を失っていたりするものも出てきます。その後の細胞分裂でも染色体異常が生じたり、受精卵が成長しなかったりうまく着床できない、あるいは着床しても育たない、流産してしまうということになります。 卵子の老化には個人差はある? 老化を食い止める方法はある?高年妊娠では染色体異常や流産のリスクが高まりますが、40代で自然妊娠して元気なお子さんを出産される方もいらっしゃいます。なぜなら、卵子の老化は均一に起こるものではなく、老化の程度に少しバラツキがあるからなのです。では、卵子の老化には個人差があるのでしょうか? また、老化を食い止める方法はあるのでしょうか? 浅田先生によると、「保管機能(冷蔵庫)が悪い人は早く劣化してしまいます。ただ、何人も子どもを産むと、卵巣の血液の循環が良いため卵子の保管機能が少し良いかもしれません。実は昔のほうが高齢出産は多く見られました。一方で子宮内膜症の人は冷蔵庫の機能が悪いため卵子が劣化が早い傾向にあります。でもそれよりも経年劣化のほうが影響が圧倒的に大きいです。また、卵子の老化は生活によって防ぐことはできません」とのこと。 現在、日本の少子化の要因の1つに女性の社会進出に伴う晩婚化や晩産化が挙げられています。結婚する・しない、出産する・しないは個人の考え方があると思いますが、卵子が老化するということを知ると、また考え方も変わってくるかもしれませんね。 卵子の在庫は調べられる?約200万個の原始卵胞を持って生まれてくるとはいえ、自分が何歳で初潮や閉経を迎えるのかわかる人はほとんどいないのではないでしょうか? 卵子の在庫を知ることに対して浅田先生は、「ライフプランを立てる意味では役に立つ」とおっしゃいます。では、卵子の在庫を調べる方法はあるのでしょうか? 浅田先生いわく「今までは目安がなかったため突然生理がなくなったりしましたが、今は、血液検査で卵子の数を調べることはできるようになりました。調べるのは5,000〜6,000円ででき、すぐ結果がわかります。ただしそれは100%の答えではありません。そのときのホルモンバランスによって量が変わるので、ざっくりとした『少ない』『普通』『多い』がわかる程度」なのだそう。 この検査は産婦人科だけでなく検査センターでも受けられ、家庭でもチェックできるキットなどもあるようです。気になる方は一度調べてみてもいいかもしれませんね。 今回は、「卵子の老化」についてお話ししました。次回は、「排卵後の卵子の寿命」に関するお話です。著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。
2020年10月07日妊娠に欠かすことのできない卵子ですが、みなさんは卵子についてどのくらいご存知ですか? 実は卵子にはみなさんが知らないような不思議な話がたくさんあるんです。卵子のことを知ることで、ご自身の体のこと、命のことをより深く知ることができるかもしれません。そこで、意外と知られていない卵子について、浅田レディースクリニック理事長 浅田義正先生のお話を交えて紹介していきたいと思います。今回は、「卵子の数は生まれたときから決まっている」というお話です。 そもそも卵子ってどうやって作られる?赤ちゃんの性別は、卵子へ辿り着くのが「X染色体をもつ精子」か「Y染色体をもつ精子」かによって決まることはみなさんもご存知かと思います。卵子とX染色体をもつ精子が受精すると女の子が生まれてきます。 浅田先生いわく、「生物の個体をつくる体細胞と脈々と生命(DNA)を繋いでいく卵祖細胞(卵原細胞)などの生殖細胞はつくられる工程が別」なのだそう。 体のパーツをつくる体細胞はどんどん分化し、そのなかで卵巣のもとになる生殖隆起がつくられます。すると、原始生殖細胞がアメーバ運動で移動し、卵子のもとになる卵原細胞になります。 おなかの中の赤ちゃんが2頭身となり健診時には心音も確認できるようになる妊娠7週ごろには、60万個もの卵原細胞がつくられているのです。そして、ほとんどのママが胎動を感じられるようになる妊娠20週ごろに最も多くなり、500万〜700万個くらいになると言われています。 卵子の数は有限! 生まれたときにはもう決まっている卵原細胞は、赤ちゃんが生まれる前に減数分裂(46本ある染色体を半分にする細胞分裂)を始めます。本来減数分裂は2回連続でおこなわれますが、卵原細胞は1回目の減数分裂の途中で休眠してしまいます。そして、原始卵胞という状態で、赤ちゃんは誕生します。このときの原始卵胞の数は約200万個。これ以降、原始卵胞の数が増えることはありません。 生まれたときに約200万個あった原始卵胞ですが、小学校に入学するころには50万個ほど、思春期には約20万〜30万個と、成長ともに減少していきます。その後、残った原始卵胞は生理周期に合わせて約3~30個ずつが卵巣の中で成長していきますが、そのうちの1個だけが成熟して、排卵されます。日本の女性の閉経の平均は51歳。それまでに排卵される卵子の数は約400~500個と言われています。では、原始卵胞を多く持って生まれてくると、妊娠しやすいと言えるのでしょうか? 浅田先生いわく、「もともと持って生まれた原始卵胞の数に多い少ないはありますが、卵子を保つ体の機能(いわゆる冷蔵庫みたいなもの)の大きさも違います。だから、個人差が大きいです。持って生まれた原始卵胞が多いからといって妊娠しやすいわけではありません」とのこと。卵子がタイミングよく受精し、無事子宮内に着床することで妊娠が成立するわけですが、もともと約700万個あった卵源細胞の数を考えると、とてつもない確率と言えますね。 今回は、「卵子の数は生まれたときから決まっている」というお話をしました。次回は、「卵子の老化」に関するお話です。 著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。
2020年09月17日妊娠検査薬の陽性反応を見てから長い長い12日間もの日々を経て…… やっと婦人科へ! 妊娠してました!!! ちゃんと先生に診てもらい、ようやく妊娠に至ったんだと安堵……! 正直、治療にはかなりの時間がかかると覚悟していたので、トントン拍子にここまでたどり着けたのはかなり運がよかったと思っています。 ほんと……長い期間を……待ったので……かなりの知識をつけてしまいまして(ネット情報ですが)先生が教えてくれるより前に画像がどういう状態かわかるという(笑)。 なにはともあれ、これで妊活編は終わりになります。長い前振りの末、「妊活レベル1」から「妊婦レベル1」へ……! 【第61話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年09月01日「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」と診断され、不妊治療を開始しました。仕事と不妊治療の両立はとてもストレスがかかるものでしたが半年で妊娠確定、しかし……。 不妊治療の末、妊娠検査薬で陽性反応!私は結婚したのが34歳だったので、年齢的にすぐに妊娠できるか不安がありました。不妊治療をしていた友人の助言を受け、不妊検査を受けてみると「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。不妊の原因にもなる病気なので、そこから不妊治療を開始することに。 治療開始から半年、通院している私と受け身な夫との感覚の差にイライラし、仕事と不妊治療の両立に限界を感じていました。そんなときに妊娠検査薬で陽性反応が! 夫婦で手を取り合って喜びました。 喜んだのも束の間…妊娠検査薬で陽性反応が出たのでさっそく病院へ。ところがまだ妊娠4週目。胎嚢は確認できましたが、胎児心拍は妊娠6週目ころになってからとのこと。このときは何の不安もありませんでした。しかし、妊娠6週目になっても妊娠7週目になっても胎児心拍が確認できず……。 妊娠9週目まで様子を見てもらいましたが、残念ながら稽留流産と診断されました。喜びから1カ月も経たないうちに、地獄に突き落とされた気分でいっぱいに。痛みもまったくなく、なぜダメだったのか?ばかり考えて泣いて過ごす日々でした。 悲しみと不安だらけの掻爬手術次の妊娠を少しでも早く考えているなら、掻爬手術(そうはしゅじゅつ)をしたほうがよいと先生からすすめられました。悲しみと手術の不安で当日はボロボロ涙が出るばかり……。夫も心配してくれて仕事を休んで付き添ってくれました。 手術をする前は、痛さや怖さを想像して不安だらけ。しかし、麻酔で眠っているので痛さは感じず、いつ終わったかもわからないうちに終了していました。目が覚めたときには、病室のベッドの上。術後の痛みもあるのかと不安でしたが、特に痛みはなかったです。 子どもが欲しくてつらい不妊治療に通っていたので、流産を知ったときは絶望的でした。引き続き、不妊治療に通いながらも自分を責めて泣いて過ごす日々でしたが、掻爬手術から2カ月半後、新たな命が私のおなかに戻ってきてくれました。あの経験があったから、戻ってきてくれたわが子がより愛おしく大切にしたいと感じられるんだと感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2020年08月30日「あれ、生理?」「もしかして着床出血?」「生理にしては早くない?」「生理にしては茶色い?」……これって妊活している方にとっては一喜一憂の出来事ですよね。ただの生理だと思って放っていたら、取り返しのつかない事態に発展する恐れも…。そこで、私が「危なかった…」と感じた妊活中の体験を紹介します。 妊娠判定日の1週間前、茶色い出血がダラダラと…妊活歴が2年ほど経過し、ついに体外受精までステップアップしたときのことです。凍結胚移植も無事終わり、あとは妊娠判定日を待つばかりでした。 しかし、妊娠判定日の1週間前くらいから、茶色い出血がダラダラと出始めました。生理の終わりかけのような、茶色いおりものという感じ。私は毎月の生理前後にも茶色いおりものがダラダラと続く体質だったので、特に変だとは思わず、「あ、ダメだったか。生理が来たのかな」と勝手に解釈し、仕事も毎晩20時くらいまで普通に残業して働いていました。 担当医からのひと言は予想外!しかも、思わぬ危機までそして、いざ妊娠判定日になり、病院を受診しました。「きっとダメなんだろうな」と思いながら、血液検査を受け、担当医の診察へ。すると、担当医から発せられたのは「妊娠しています」というひと言でした。私は、「じゃあ、あれって生理じゃなかったの!?」と、とても驚き、そして混乱しました。 さらに驚いたのは、担当医からの「切迫流産です、今すぐ安静に過ごしてください」という通告でした。「え、流産?」思わず声が出ました。生まれて初めて妊娠できたのに、喜ぶ暇もなく、いきなり流産の危険性を指摘されてしまったのです。「切迫流産」は、まだ流産しているわけではなく、そのリスクの中にあるという状況。通常は、自宅安静もしくは入院をして出血が収まるまで様子をみます。 私は、診察後に美容院の予約を入れていたのですが、医師には「美容院も、仕事もダメ。とにかく自宅安静か入院を選ぶように」と言われました。 担当医の言葉で思い知った「妊娠って奇跡」私は当初、自宅安静を選びましたが、数日後にさらに大量出血。怖くなって入院に切り替えました。担当医からは、「妊娠判定1週間前の出血があった時点で、なぜもっと早く受診しなかったの? 毎日、仕事も残業もして動き回っている状況で、本当に流産する恐れがあったよ」と注意されました。そこで改めて怖くなり、妊娠がいかに奇跡なのかを思い知りました。 2週間の入院中は、毎日薬を飲み、診察を受けながら寝たきりで過ごし、その後は、また自宅安静。実家に帰ってお世話になり、ここでもほとんど寝たきりで過ごしました。仕事は、結局2カ月ほど休職しました。 この体験から学んだことは、不正出血があったらすぐに病院に相談してみること、そして必要があればすぐに受診したほうがいいということ。そして、決して妊娠がゴールではないということです。私と同じように毎月不正出血があるような人でも、妊活している時期には、たとえ不正出血でも、病院に相談したほうがいいのだなと思いました。 監修/助産師REIKO-----文/佐川ゆきさん
2020年08月27日妊娠検査薬で陽性反応を確認。生理予定日から1週間経ち、フライング時期から脱しました。 毎度ながら陽性が出てから受診までが長い!8日って……1週間以上じゃないですかぁ(怒)! 前回流産時にも少し経験したつわりが、早くも始まったようです。 つわりって人それぞれだと思いますが、この時点の私の場合は、一瞬「うっ、気持ち悪い?!」とうずくまったあと、1分くらいしたらスッと何事もなかったように元気に戻る感じでした。それが1日に3度ほどあるくらい。 【第60話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年08月25日フライングだけど、妊娠検査薬で陽性反応を確認。しかし生理予定日から茶色い出血が続いています……。 せっかく陽性が出たのだから前回のような悲しい思いはしたくない!調べて安心できればいいけど不安なことも書いてありますよね……。 結局はなるようにしかならないのですが、やっぱり気になるうぅぅ……!! 時間を無駄に持て余してるから余計に調べずにはいられない!というか気付いたら調べてる!!! スマホを置いても! 手が! 勝手に! 無限ルーーーープ!! 【第59話につづく】 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年08月21日高温期17日目。基礎体温のさらなる上昇で、かなりの自信を持ちながら妊娠検査薬を使います! 出ました、陽性!今回もなかなかハッキリな濃さでした! でも脳裏に浮かぶのは前回の流産……。あまり浮かれすぎず……冷静に……みーくん(夫)にとりあえず連絡しました。この時のみーくんも前回同様冷静だったと思います! 何より気になってたのは生理予定日から続く出血でした。着床出血なら少量ですぐ止まるらしいんですよね。3日も続いてトイレに行くたびに目についたので、さすがに着床のものではなさそう……。 この不安もあって、かなり冷静だったのだと思います。 第58話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年08月18日タイミングをとった後、生理予定日を超過。 妊娠初期症状はないものの、高温期15日目で変化が……!? マンガでは一瞬ですが長く感じた3日間でした。毎朝、基礎体温を測るのは楽しみだけど、「下がらないで」と祈る日々です。 今回は特に妊娠初期症状も何もなかったので、期待はほぼしていなかった気がします。 ところが、17日目にもなってこの急上昇……! 「あっ、これ妊娠してるわ……」と、かなりの自信が一気に沸きました。 第57話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年08月14日妊娠しているとは思いもせず、胃のむかつきや気分が悪い日が3日続いたので、また胃腸炎になったと思い込み薬を飲んでしまいました。しかし、夫が妊娠してるのではないかと気が付いてくれて、妊娠検査薬を使うとなんと陽性! 今回は、妊娠に気付くまでの体調の変化や妊娠判明までの様子についてお話しします。 普段、健康なのになぜか気分が悪くなり…年に1〜2回しか体調を崩さない私ですが、その日は通勤途中の電車で気分が悪くなり、体調の変化に戸惑いました。その日はなんとか出勤しましたが、1日中体調がすぐれなかったので早退することに……。 胃のあたりが気持ち悪かったので胃腸薬を飲んで寝ましたが、翌日も体調は悪いままで食欲もなくなっていきました。腹痛も起こってきたので胃腸炎だと思って受診しようと思いましたが、あまりのしんどさに病院へ行くことができませんでした。 夫が妊娠ではないかと気付いた 体調がすぐれないまま3日目に突入し、その日は仕事が休みだったので寝込んでいました。夫が友だちに「妻が体調を崩している」と伝えたところ、「妊娠ではないか」と言われ、念のために妊娠検査薬を使うことに。 すぐに夫は妊娠検査薬を買いに行き、試したところくっきりと陽性反応の線が出ました。妊娠と思っていなかったのでうれしかった反面、初めてのことでどうしたら良いか夫婦共にわからず、とりあえず近所の産婦人科を探しました。 産婦人科の検査で妊娠確定!翌日は日曜日でしたが、胃腸薬を飲んでいたことも不安だったので休日受診できる産婦人科を探しました。検査を受けたときは妊娠6週で、心音も確認でき一安心! 妊娠確定後は私の負担を軽くするために、夫婦で家事の分担や働き方について話し合い、夫が家事を半分負担することに。 仕事のほうも残業はせず、土日も休みをもらうことに決めました。上司にすぐに報告するか迷いましたが、体力仕事だったため事務作業に回してもらうようにお願いし、体への負担を減らしたのです。 私はこのことから妊活中に体調を崩したら、自己判断せずに妊娠の可能性を考えるべきだと思いました。妊娠検査薬で陽性が出たらまずは産婦人科を受診し、妊娠確定後は夫婦でこれからどのように生活していくか考えることが重要だと実感しました。妊娠が確定してから、夫と家事や仕事について話し合うことで、つわり期間中の体への負担を少なくできてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:sawawa著者:中道麻智子一児の母。管理栄養士として給食を作っている。管理栄養士の知識を生かした記事や、初めての妊娠・出産・育児で学んだことを中心に記事を執筆している。
2020年08月08日