発達障害であることを公表した栗原類さん、初の自叙伝の見どころを紹介!出典 : 今月10月6日に、モデルの栗原類さんの自叙伝である『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』が発売されました。最近はモデルとしてだけでなく俳優としても活躍する栗原類さんは、昨年5月に自身が発達障害(ADD)の診断を受けていることを公表しました。今回の自叙伝はそんな類さんが自分自身について振り返り、これからの夢を語る1冊となっています。ミステリアスな雰囲気を醸し出している類さんは、日々の生活で何を感じ、何を思い、何を考えているのでしょうか。著書に収められている、母親である栗原泉さんや主治医である高橋猛さんによる類さんの幼少期の振り返り、友人である又吉直樹さんとの対談からは、栗原類さんが「輝ける場所」を見つけるまで支え続けた人の存在がうかがえます。「発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由」 著: 栗原類「ネガティブすぎるモデル」でブレイクした栗原類さん。本当はどんな人?出典 : 筆者・栗原類さんは1994年生まれの21歳。日本人の母親である栗原泉さんと、イギリス人の父親との間に生まれ、ニューヨークと日本を行き来しながら育てられました。小さいころから忘れ物が多く、注意力が散漫であった筆者は、8歳のときにアメリカのニューヨーク市で発達障害の一つである注意欠陥障害(ADD)との診断を受けます。ADDとは、attention-deficit disorder の略で、注意力の低さや集中力の短さなどの症状を一つの障害としてみなしたものです。現在ではADHDとして診断されるこの障害ですが、他の人からは「障害がある」ことは一見すると分かりません。例えば、類さんの障害の特性には以下のようなものがあります。・ついさっき言われたことが数分後に思い出せなくなってしまう・人の表情などから相手の気持ちを読み取ることが苦手・うれしい気持ちや楽しい気持ちを表情にすることが苦手こういった特性のために、人とのコミュニケ―ションがうまくいかない場面もあり、少年時代はいじめに悩まされたり、不登校になったりと、「生きづらさ」を感じることもあったそうです。自分なりに努力を続け、発達障害と向き合ってきた類さん出典 : ご自身の障害に苦労することもあった類さんですが、著書の中では発達障害を「脳のクセ」と表現しています。自分の脳のクセに気づいて、環境を整え、改善する訓練をすることが、「生きづらさ」の解消につながると語ります。作品中では自分の障害に向き合うために、日々努力を続ける姿が印象的です。例えば、忘れっぽさや集中力の低さに対しては、事前に周りの人に自分のクセを伝えることで協力を依頼する。嬉しい・楽しいという気持ちを抱いたときは、表情で伝えられない分、人よりも丁寧な言葉や行動で気持ちを伝える。類さんは、「忘れっぽい」「感情が表情に出にくい」という「脳のクセ」を無理やり直そうとするのではなく、そのクセが相手を傷つけないように工夫をしたり、自分ができそうな行動に代替することで、自身の障害に対して向き合ったのです。同じ発達障害の診断を受けた母・泉さんが、子育ての中で忘れなかったこと出典 : 類さんがこのように自身の特性に気づき、障害に向き合っていくためには、周りの人からのサポートが欠かせませんでした。特に、母親である栗原泉さんは、今でも類さんにとって大きな支えとなる存在です。泉さんは、類さんと同じように発達障害の診断を受けています。しかし泉さんは、同じ診断があっても、類さんのことを「自分とは違う個性を持った人間」と考え、その個性を常に尊重・尊敬することを忘れないようにしていました。その一方で、類さんにとって必要なサポートをすることは惜しみませんでした。周りに過保護すぎると言われることもあるそうですが、泉さんは力強くこう語ります。「他のみんながこうしているからとか、普通ならこうだからという尺度ではなく、自分の頭で考えて、自分の子どもにとって、必要なものは何なのかを選択している。」泉さんの存在があったからこそ、類さんは自分の輝ける場所に辿りつき、今でも苦手なことに向き合う努力をし続けることができているのでしょう。類さん自身も、「注意してくれたりアシストしてくれる人がいることで、その人の環境は大幅に違うはずです。それは過去、現在、未来、全てに影響します。」と、サポートしてくれる人がいることの大切さを語っています。周りの人や環境との関わりによって障害のあり方は変わってくるのです。あきらめず、成長する努力を続ければ、誰でも「輝く場所」を見つけられる出典 : 発達障害の特性とうまく付き合いながら、類さんのように活躍できる人は、稀なのでは?と思われる方もいるかもしれません。しかし、類さんはこう語ります。「人は、発達障害であろうとなかろうと、『その人が輝くための場所』さえ見つけることができれば、そしてあきらめず、その人なりの時間軸で成長すれば。誰もが必ず輝くことができるのだと思います。」決して諦めることなく、自分のペースで努力を続け、今の「輝くための場所」に辿り着いた類さんの言葉は、これからもたくさんの人を励まし続けるでしょう。
2016年10月13日「私が子どもの頃はそんなことなかった」あまりに違う息子のことが理解できず…出典 : 教室を立ち歩く(私はやらなかった)揶揄されてカッとなって手を出してしまう(私にはなかった)テストのときに集中力が途切れて解かずに終えてしまう(私は途切れる前に解き終えて問題になることはなかった)自分には経験のなかった彼の特性ゆえの言動に戸惑い、対処に困り、自分はそんなことしなかったのに…と過去を振り返る。比べてはいけないと頭ではわかっているのに、過去の自分と現在の彼を、心の中でつい比べてしまう。発達障害のある次男を育てていると、そんなことがよくあります。もちろん、言葉に出してしまえば彼を傷つけるのはわかってる。でも、私自身が精神的に辛いときなど、余裕がなくなるとつい、心の底の方で周りや自分と彼を比べて、「あれもできない、これもできない」という目で次男を見てしまいそうになる。そんな自分が母親でいいのかと、怖くなることもありました。栗原類さんの母、泉さんの経験に自分を重ねる出典 : 今回読んだ栗原類さんの新著『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』では、私が抱えていたまさにその、母が息子と自分を比べてしまう困難についての経験が書かれていました。栗原類さんの手記のあとに添えられていた、母の泉さんの手記。アメリカで類さんが診断を受けるときに、ご自身の発達障害についても示唆され、その特性の違いにより自分と比べてしまう困難が起こっているだろうことについても指摘を受け、接し方について教育委員会から助言を得たエピソードがありました。教育委員会での会議で「(略)あなたは自分が子どもの頃、何の苦労もなくできたことが、どうして息子さんにはできないんだろうと理解できないかもしれない。不思議でしょうがないでしょうね。だけどそう思ったときは、子どもの頃に自分ができなかったことをたくさん思い浮かべてください。そして、自分ができなかったことで息子さんができていることを、ひとつでも多く見つけてあげてください。そうすれば『なんでこんなこともできないの?』という気持ちがしずまり、子どもを褒めてあげられるようになります」と言われました。---発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)KADOKAWA本文より引用「過去の自分なら出来たことと、子どもが出来ないことを比べない」ここまでは私も頭には入っていましたが、「子どもには出来ていて、過去の自分は出来なかったことと比べる」という視点に、目からウロコが落ちる思いがしました。「比べてはいけない」んじゃない、「彼の良い所と比べればいい」んだ!息子に出来ること、私に出来ないこと出典 : 振り返ってみると、私自身にも「出来ないこと」はたくさんありました。たとえば私は方向音痴で、初めて行く場所にはスマホのナビが欠かせません。2度目以降の場所でも入る道を1本間違えれば自分がどこにいるのかわからなくなったり、どっちの方角に向かえばよいか分からなくなることもあり、小さい頃からよく道に迷う子でした。対して次男は、1度行った場所は経路の風景から現地の様子までしっかり記憶する力があり、まず道には迷いません。以前来た時と逆方向から入った商店街で私が迷っているときに、「この先にこれとあれがあって、何個めの角で曲がれば着くよ」と案内してくれたこともありました。小さい頃の私は極度の人見知りで、小学生になっても近所のよく会う人にも挨拶ができず母の後ろに隠れていた記憶があります。今ではそんな片鱗は見せないのでこの話をすると周囲から意外だと言われますが、小学校低学年の頃までは顔を知っていても周りの大人と話すのを避けていました。そんな私の子供なのに、次男は小さい頃から人見知りをせず登下校のときにも元気に挨拶をします。畑仕事をするおばあちゃんたちに挨拶をして世間話をし、ほりたてのジャガイモを袋一杯抱えて帰って来たりすることも。屈託なく話す様子が可愛いと近所のおばあちゃんたちの人気者です。今までは、私が出来て彼が苦手なことばかり目についていました。けれど、改めてゆっくり考えてみたら、私が苦手だけど彼が得意なことだって、たくさんあるのです。出典 : このことに気づいたとき、障害のある子たちの保護者が集まる座談会で、司会者さんから言われたある一言を思い出しました。「お子さんの良いところを話してください」保護者の集まりは、ついつい子どもの問題行動やその対処法ばかりが中心になりがちです。だけどその日は、司会者の方の投げかけにつられて、一人、また一人と参加者が子どものいいところを話し始めたのです。「うちの子はとても優しくて、自分が疲れていると気にかけてくれるんです」「お友達がお休みしたときに心配して、お手紙を書いていたことがあったわ」「そういえば、いつも家の手伝いをよくしてくれます」お子さんの良いところを話す皆さんに続いて私も、次男のことを話しました。思いついたのは前述したような、自分が苦手だったけど次男がラクラクとこなすことばかりで。順番に我が子の良いところを話していき、最後に司会者さんがおっしゃいました。「その顔を、お子さんに見せてあげて」ハッとしました。自分の顔の筋肉が緩んでいるのを感じたからです。見回すと周りのお母さんたちの顔も本当に柔らかい、自然な笑顔でした。凸凹な親子が一緒に生きるためにも、親自身が自分を見つめること出典 : 栗原さんの手記の中で母の泉さんが繰り返し書かれていたのが、いかに親である自分自身が良い状態を保つかということ。発達障害児の育児は健常児の何倍も負担が大きい。泉さんご自身も、ご実家や担当医をはじめとした周囲の方の協力を得ながら自分自身のメンテナンスをこころがけ、類さんに対して良い状態で接することができるような自己管理をされている様子が紹介されていました。"子育てはロングラン。短距離走のように瞬間的に力を発揮しても、あとが続きません。"(本文より)力を入れ過ぎず抜き過ぎず、自分たちのペースで。私と次男それぞれのペースで。子どもが自分にちょうどいいタイミングで親から巣立って行くその日までを、一緒に走り抜くためにはどうしたらいいのか。栗原さん親子のこれまでが綴られたこの手記には、そのためのヒントが詰まっていたように思います。もちろん、私は私で、泉さんとは別の人間です。泉さんが類さんにしてきたことと同じことを次男に与えることは、多分できない。けれど、次男と他の3人の子たちそれぞれにとって、彼らの人生に並走するパートナーとしての親のあり方を改めて考えるきっかけを与えてもらえた、そんな1冊との出会いでした。発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)KADOKAWA出典 :
2016年10月13日発達障害のある子どもの保護者たちが始めた、署名キャンペーン先日、発達障害児童のための専門的な教員を増やすための、文部科学省に向けた署名キャンペーンがインターネット上でスタートしました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)「change.org」署名キャンペーン: 発達障害の子どもの個性に合った教育を!学校現場で専門の知識を持った先生を増やしてください!発達障害の小学校6年生の男の子を持つ親です。小学校入学時からずっと、発達障害児向けの通級指導のクラスに入れず、4年間「待機児童」となっていました。他に優先すべきお子さんが沢山いて空きがないと言われ続け、この2年間は申し込みすら諦めました。仕方なく通常学級のみに通わせていますが、周りのお子さんに興味はあるけどコミュニケーションの取り方が分からない我が子は、これまで沢山苦労してきました。1年生の時から待ち続けて、気付けば今年で小学校卒業です。このキャンペーンは、発達障害のあるお子さんのいるご家庭保護者の方々有志によって呼びかけられています。学習や行動面に困難がある子どもを個別にサポートする手段として、「通級」による取り出し授業も重要な選択肢の一つですが、このキャンペーンのエピソードのように、通級指導教室のニーズに対して空き枠や教員数が足りず、「待機児童」が発生している学校や地域も少なくありません。発達が気になる子どもたちの学びの機会を保障・拡充していくべく、「LITALICO発達ナビ」としてもこのキャンペーンを応援しています。このコラムでは、今回のキャンペーンの背景にある、障害や困難のある生徒児童を取り巻く状況と、学校教職員の配置・育成に関する政策動向をおさらいしてみます。通常学級で困難を抱える子どもたちへの支援を取り巻く現状出典 : 「6.5%」この数字に見覚えのある方、この数字が何を指すかご存知の方はおられますか。これは、通常学級の中で、知的発達に遅れはないものの学習・行動面で著しい困難を示す生徒の割合の推計です。2012年に文部科学省によって行われた、全国の小中学校の児童生徒約5万3千人の状況を対象にした調査結果で示されたもので、以来、発達障害のある子どもの教育・支援政策を議論する上での重要な前提指標となっています。調査では、①学習面(「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」)②行動面(「不注意」「多動性-衝動性」)③行動面(「対人関係やこだわり等」)の3点について質問紙が配布され、担任教員が学級の児童生徒の状況について回答しました。6.5%ということは、たとえば30人学級であれば、1クラスにつき約2名の子どもは、勉強や行動・コミュニケーションで大きな「困り」があり、なんらかの支援を必要としているということになります。こうした通常学級の子どもたちの困難を解消する手段として、「通級指導教室」という、自分の苦手なことに合わせた個別の支援・指導を受けられる少人数の教室が存在します。通級指導の対象となった子どもは、授業時間割の一部は通常学級を抜けて通級教室に通い、個別の支援・指導を受けることができます。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)ただし、通級指導教室は現状全ての小・中学校に設置されているわけではなく、通級がない学校で通級指導の対象となった子どもは、近隣の学校の通級教室に移動して授業を受けることになります。こうした事情もあり、2012の同調査でも、困難が大きいとされた6.5%のうち、「現在、通級による指導を受けていない」児童生徒は93.3%に上るという結果が出ています。さらに、これら「現在、通級指導を受けていない」児童生徒のうち97.4%は、「過去、通級による指導を受けたことがない」ということです。冒頭の署名キャンペーンにあるように、複数年にわたって通級待機状態にある子どもたちも決して少なくないと言えます。文部科学省初等中等教育局特別支援教育課, 「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」, 平成24年12月5日通級指導員を10年で10倍へ―文科省の予算要求とその実現可能性は?出典 : 次に、先日提出された、文科省による2017(平成29)年度概算要求を見てみましょう。文部科学省初等中等教育局, 「2017(平成29)年度概算要求」上に述べたような通常学級の子どもたちを取り巻く状況を受けて、通級指導に関わる教員の増加に注力した予算要求が提出されています。1) 教員対子ども比率が現在の13:1から10:1になるように、教員数を追加で10年間にわたって毎年890名増やすこと2) 増加教員を加配ではなく基礎定数化することの2つが大きな柱です。1つ目の増員目標ですが、これは、通級指導教員を今後10年で10倍に増やしていくという方針を示した数値です。少子化の進展により、日本の学校の児童生徒数全体は減少傾向にありますが、発達障害に対する認知の向上や、個別の支援を必要とする子どもたちの早期発見体制が整ったことなどもの要因もあり、通級指導の対象となる児童生徒は、この10年で約2.3倍に増加しました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)今後もこうした個別の支援に対するニーズは拡大していくと思われ、専門的な個別の支援・指導が行われる通級指導教員の増員が目指されています。次に、通級指導教員を「基礎定数化」するとはどういうことでしょうか。これまで、通級指導教員は、「加配定数」という扱いで、毎年の予算折衝ごとに人数が決められていました。これを、通級の対象児童生徒人数に応じて、教員の必要人数を機械的に算出する「基礎定数」枠に変更することで、安定的・計画的な教員採用・配置を出来るようにするという狙いのようです。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)一方、今回提出された予算要求については、財務省との間で考え方の相違があり、交渉は難航しているとの見方もあります。これに対して、財務省は、通級指導と日本語指導の教員定数を基礎定数に組み入れることには賛成しているものの、加配定数の増加は認めない考えです。少子化による児童生徒数減少で、放っておいても、これから基礎定数は減少していき、そのうえで加配定数の増加を認めなければ、教員数全体を大幅に削減できる……という狙いです。つまり両省は、基礎定数の変更までは同じ方針でも、その後の加配定数の扱いについては、まったく別の考え方を持っているわけです。---「ベネッセ教育情報サイト」, 小中学校の先生の数はどうなる「定数構想」めぐり攻防か, 2016/10/11公開, 2016/10/13最終アクセス通級指導教員を定常的に確保し増やしていくための予算が確保できるかどうかは、この秋の予算交渉が正念場となるようです。一人ひとりの個性を伸ばす教育を。市民の声を力に変えて出典 : 署名キャンペーン上では、「1日も早く専門的な知識をもった先生を、もっと多く、増やしてください。」という声が上げられています。また、署名に賛同した人たちの投稿コメントの中にも、発達障害のある子どもを持つご家族の体験談や、現場の教職員の方々の悩みの声が寄せられています。また、このキャンペーンは決して「発達障害児童」だけのためのものではないでしょう。診断の有無によらず、学習・行動面で個別の取り出し支援が必要・有効な子どもは多くいるなか、専門性の高い教職員を安定して確保・育成していくことは、全ての子どもたちの学びが保障される社会をつくるために、とても重要な施策であると思います。私たちは、発達障害の子ども一人一人が必要な個別支援を受けられるよう、専門の先生を増やすように国に求めます。この問題は、何も発達障害の子どもだけの問題ではありません。コミュニケーションが得意・苦手、足が早い・遅い、手先が器用・不器用など、子どもはみんな違います。一人ひとりの子どもたちが学校で自分の個性に合った教育を受けられる、そんな社会を私たちは望みます。子ども達はこの国の未来です。どうかこの問題が国に届くように、皆さんの力を貸してください。---「change.org」署名キャンペーン: 発達障害の子どもの個性に合った教育を!学校現場で専門の知識を持った先生を増やしてください!実際に、通級指導の担当教員をどれだけ確保できるかは、今後の文科省と財務省の間の予算交渉次第ですが、それによって、今後の教育環境の方向性が大きく決まってきます。来年度の予算交渉が本格化するこの時期に、署名キャンペーンを通して家族当事者や市民の声を伝えることは、重要なアピールとなります。今回の署名キャンペーンを、「LITALICO発達ナビ」としても応援したいと思います。この問題に関心を寄せ、賛同される方はぜひご署名をお寄せください。以下のページからオンラインで簡単に署名可能です。「change.org」署名キャンペーン: 発達障害の子どもの個性に合った教育を!学校現場で専門の知識を持った先生を増やしてください!
2016年10月13日発達障害児童の親が何よりも知りたいのは、子どもの将来のこと出典 : 発達障害の息子は6歳。その成長は一進一退を繰り返す日々です。今回は、栗原類さんの書籍『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を読んで、発達障害児を育てる親として、感じたこと、気付いたことを綴ってみたいと思います。幼い頃に発達障害(ADD)と診断を受けた栗原類さん。類さんが今こうしてご自分の障害を告白し、その生きざまを本にして綴ったことには、大きな意味があると私は思います。まず、私たち発達障害児の親は、毎日毎日が子どもへの支援や配慮に手いっぱいの状態です。肝心の「この先に何があるのか」「この子がどう育っていくのか」ということに対する将来像が全く見えていません。これは、発達障害児を育てている親同士で話すと、よく出てくる話です。発達障害児を育てていると、誰もが思うのです。「ロールモデルが欲しい」と。しかし、一般的に取り上げられる「発達障害の大人」のロールモデルといえば、人より秀でた才能があったり、その才能ゆえに幼い頃から特別だったような、いわゆる「天才型」の人が多いのです。実は、これは親にとって、何の励ましにもなりません。そんな特別な子どもはごく一部で、大抵の親は、「誰にでもできることがなかなかできるようにならない」という発達障害児の育児に、毎日くじけそうになりながらも、自分を励ましている状態ではないでしょうか。等身大のロールモデル、それが栗原類さんだった出典 : そこで彗星のように現れたのが、栗原類さんという存在でした。彼は、感覚過敏や強いこだわりといった、発達障害児独特の特性があったのはもちろんのこと、記憶力の弱さや人の感情の読み取りが苦手といった困難さを持ち、学校の勉強にもとても苦手意識がありました。中学生時代にはいじめに遭って不登校になり、高校受験も失敗、決して順風満帆とは言えない人生を送ってきています。この言い方は語弊があるかもしれませんが、私たち親から見ると、栗原類さんは「とても身近な発達障害児」であり、等身大の発達障害当事者であると言えます。この本の表題には「僕が輝ける場所をみつけられた理由」という言葉が入っています。「輝く」という言葉に、芸能人として、モデルとして、華々しい生活をしている類さんのイメージが湧くかもしれません。しかし、この本を読んでいるうちに、類さんは決して「輝ける場所」という言葉を、才能を生かして大活躍する華々しい場所、という意味で使っているわけではないことが分かります。類さんにとっての「輝ける場所」とは、できないことや苦手なことが沢山あっても、それを補い受け入れながら、好きなことを好きと言える安心できる居場所、そんな場所である気がします。そしてそれこそが、多くの発達障害児にとっての「輝ける場所」なのかもしれません。類さんを支えてきた存在、栗原泉さん。その子育てスタンスとは?出典 : 発達障害児は、よくある曖昧なルールや、空気を読み取るのがとても苦手です。普通の子どもであれば、いちいち口に出して注意せずとも習得してくれる社会的ルールのようなものを、発達障害児には、繰り返し伝えなければなりません。しかも、伝えたとしてもすぐに忘れます。次第に、毎日毎日ガミガミと注意を繰り返す自分が、嫌になってきます。本の中に登場する、栗原類さんのお母さん、栗原泉さん。彼女の強力な支援のもと、類さんは目の前に立ちはだかる数々の困難に、1つひとつ対処していきます。面白いことに、栗原泉さんも、決して特別なお母さんではありません。類さんの教育環境を考え、海外に移住するようなフットワークの軽さはありますが、言われたことをどんどん忘れていってしまう類さんに、何度も何度も同じことを畳みかける一面も描かれています。泉さんは「過保護と言われてもいい。子どもの幸せを優先する」というスタンスで育児をしています。発達障害児の親は、これを読んだらきっと、肩の力が抜けることでしょう。なぜなら私たち親は、いつも自分が過保護になり過ぎていないか?自問自答している状態だからです。手助けをしなければ、当たり前のことがなかなかできるようにならない、しかし、「自分の手助けが、いつかこの子の自立を阻むことになるかもしれない」、と手助けするたび罪悪感を感じる毎日。泉さんの「子どもが今幸せであることを大切にする」という割り切った姿勢は、子育てに葛藤を抱いていた私にとって、涙が出るほど有り難いものでした。子どもの得意なこと、好きなことを無理して探していない?出典 : また、泉さんは、発達障害児の世界観を形作るのは「好きなこと」である、と述べ、いろいろなことを体験させることの大切さを説いているものの、泉さんが類さんに体験させてきたことは決して、「特別な何か」ではないことが分かります。博物館や美術館に連れて行くでもいい、インターネットやゲームをさせるでもいい、テレビで一緒にコメディを見るでもいい、泉さんが類さんに体験させたのは、日常的にできる小さな楽しみでした。この本を読んで、発達障害児にとっての「好きなこと」を探すのは、もっと気楽な気持ちで取り組めばいいのだと分かってきます。発達障害児の親をしていると、なぜか「この子の好きなものは何?」「才能のありそうなものは何?」という質問を、周りから嫌というほどされるのです。この質問は、数学や芸術などの天才的な能力があることを、暗に子どもに期待しているものだと思います。これは、一部の天才的な才能のある発達障害者ばかりが取り沙汰されてきたことに原因があるように思います。他のことが全部苦手でも、1つとんでもなく長けている部分があるはずで、そこを伸ばせば良いじゃないかと。この質問をされるたびに、子どもの天才的な才能を見つけることのできない自分のダメさ加減と、特に飛び抜けたものがないように思える息子への情けなさが募るのです。等身大の泉さんの姿で気付かされる、私たち親が背負ってきた無言のプレッシャー出典 : しかし、ほとんどの発達障害児は、平凡な子どもたちです。いや、平凡なことすらも、普通の人よりも何倍もの努力をしないとできるようにならない子どもたちです。ですから、「特別な才能」をわざわざ探すこと自体が、子ども自身の本来の姿を見ていないように感じるのです。そうではなく、泉さんは、類さんが楽しい経験をすること、ちょっとでも好きだと言ったことをとても大切にしています。そして、そんな毎日の小さな「好き」が、やがて大きくなってからの類さんにとって宝物となります。しかし、泉さん自身は、類さんに好きなことを作らせるために躍起になっているわけでもなく、それを極めさせようとするわけでもなく、類さんの楽しいという気持ちを自然に尊重しています。この本で泉さんという等身大の母親の姿を目にして、私たち発達障害児の親は、子どもに対する目も、自分に対する目も、少し優しくなるのを感じるのです。環境は違っても、泉さん親子が取り組んできたことは、「特別なこと」じゃなかった出典 : この本を読むと、類さんが育ったアメリカという国の教育の包容力や、日本の教育とのシステムの違いがとても印象に残ります。ややもすれば、「アメリカで育ったから類さんは恵まれていたんじゃないか?」というようなことを考える人も少なからず出てくるのではないかと思います。けれども私は、類さんが「輝く場所をみつけられた理由」は、アメリカという環境で育ったことが全てだったとは思いません。類さんと泉さんの凄さは、困難にぶつかるたびにそれを分析し、それにいかに対処するかを冷静に考え続けてきたことだと思います。また、高橋先生という専門家に相談し、自己判断のみに頼らなかったことも重要なことだったと思います。そして、対処法についても、誰もが雰囲気やコミュニケーションの中で察してしまうような些細なことでも、泉さんはしっかりルール化していました。泉さんと類さんが、発達障害である自分と向き合うために日々やってきたことは、決して「何かすごいこと」ではないのです。それは本当に、小さな取組みの積み重ねでした。なぜ私たちは、子どもの成長を待てないのだろうか?出典 : 発達障害の特性を劇的に軽減する魔法なんて、残念ながらありません。けれども私たちは、結果が出るか出ないか分からないような小さな取組みを日々積み重ねることに辛くなってしまって、どうしても劇的に変わる何かを求めてしまいます。そこをグッとこらえ、20年、30年の長いスパンで子育てを見つめながら、今ここでできる小さな行動を積み重ねていく、それが今の「輝ける場所」にいる類さんを作ったのだと思います。泉さんは、「コツコツやることの大切さ」を類さんに教えたい、と言っていましたが、お2人の20年の生きざまこそが、まさに「コツコツやることの大切さ」を表していると思います。そしてそれは、先の見えない毎日をもがきながら歩き続ける、発達障害児とその親を、どれだけ励ますものであるか、想像に難くありません。栗原さんの体験談に、発達障害児を育てる親としてもらったもの出典 : 類さんがアメリカにいた当時、まだ日本では「発達障害」という言葉がそれほど認知されておらず、教育現場でただの問題児として扱われて育った人たちが沢山いました。類さんが1番辛かったという中学校時代は、まだ日本では発達障害に関する認識が薄かった頃かもしれません。そういう意味では、先をいっていたアメリカという国で幼少期をおくり、適切な支援を受けることができた類さんはとても貴重な体験をされたのではないかと思います。しかし最近になって、日本の教育現場でも発達障害についての認知が広まり始め、いろいろな体制が急速に変化してきていることを私は肌で感じています。私の息子が入学する予定の学校では、発達障害児の聴覚過敏に配慮し、運動会のピストルを音が小さいものに変えました。刺激に弱い子どもは、特別支援級のついたての中でテストを受けることもできます。別の学校では、特別支援級の授業にiPadを導入するようになりました。類さんが10年以上前にアメリカで受けていた特別支援教育が、ようやく日本にも少しずつ入ってきています。今この時代は、10年、20年前に辛い思いをして育った発達障害の子どもたちが築いてきたのだと思います。私はこの急速に変化していく過渡期の社会を、発達障害児の親として、しっかり見守っていこうと楽しみにしています。類さんの本は、そんな社会を生きる私たちに、生きるヒントをくれる貴重なものであったと思います。発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)KADOKAWA出典 :
2016年10月13日こんにちは、親子でADHD(注意欠陥・多動性障害)をやっています、ママライターの木村華子です。事の発端は今年の4月。年度始めの家庭訪問で担任から「療育センターで教育相談を受けてみては?」と勧められたのが始まりでした。それから今日に至るまで、検査や今後の支援・教育方法にまつわる相談を重ねています。そんなある日、ADHDの支援を受けようとする私たち親子のことを知った近所のママ友から声を掛けられました。要点をまとめると、それは以下のような意見です。・『療育センターを勧めるなんて、なんて失礼な担任だ!』・『私だったら、「うちの子の何を見て、そんなことを言うんですか!?」とキレると思う』・『木村さんちのお子さんは全然良い子!担任が間違っている。療育センターなんて行く必要はない』じつは、彼女のような意見は少数派ではありません。多くの親が、わが子の発達障害を受け入れられない心境に陥る といいます。今、この記事を読んでいただいている方の中にも、心あたりのある方がいらっしゃるかもしれませんね。しかし、実はその思考や姿勢が、子ども自身をさらに苦しめてしまうことをご存じでしょうか。今回は、発達障害を持つお子様のパパ・ママが現実を受け止めることの重要性についてお話しします。●「わが子に限って、そんなこと……!」親の姿勢が子どもを傷つけた悲劇3つ息子の教育相談を受ける中で、さまざまな方から両親の姿勢が子どもの支援を阻害してしまったというエピソードを耳にしました。以下に、「わが子に限って、そんなこと……!」と拒否してしまう心が招いた3つの悲劇を紹介します。●(1)療育センターを勧められたのが納得できなくて……!『知り合いの息子は療育センターを勧められたけど、ママは納得していなかった。学校から提出を求められた教育相談の申込書に子どもの能力についてのアンケートがあったが、“障がい者”になってしまうのが怖くて、本当はできないことも「できる」と回答。その結果、支援は不要だと判断され、息子には何の改善策も取られなかった 。支援も無く、能力に見合わない教育を受ける息子は学校の勉強からどんどん取り残されていった』(Sさん/30代・主婦からのエピソード)●(2)パパの理解が得られないため、家庭のムードが険悪に『同級生に、発達障害があるお子さんがいた。ママは比較的早くに娘の状況を飲み込んでいた。問題点を理解したうえで、受けられる支援や教育方法の改善を前向きに学んでいたようだけど……。パパがそうも行かなかったみたい。ママが「こういう支援があるみたいだから、考えてみよう」と提案しても、「そんなもの必要ない!あの子は普通!甘やかしたら、それこそ将来ろくでなしになるぞ!」などなど、理解ゼロな発言でママを罵倒していた らしい。ママ友と愚痴っているのをよく聞いた。お仕事の関係か、パパが家にいるのは平日の夜と休日。つまり、子どもがいる時間帯に言い争いをしていた様子。いつもニコニコとかわいい笑顔を浮かべていた同級生のお子さんも、次第に卑屈な性格に変わってしまった 』(Mさん/30代・主婦からのエピソード)●(3)通級指導教室へ通うことを、親子ぐるみで隠し通しているうちに『通常学級に在籍しながら、週1回の通級指導教室へ通うある親子のお話。決められた曜日に通常学級の授業を抜けて通級に行くため、他のクラスメイトから「どこへ行くの?」と聞かれることもあるようです。その子のママはわが子が通級へ行くことをできるだけ他言したくなかったため、「同級生には、毎週病院へ言っていると言いなさい 」と言い聞かせたそうです。お子さんもママの言いつけを守り、「病院へ行くんだ」と答えていたようなのですが、毎週ウソを重ねることがストレスになり 、次第に「ウソをつかなきゃイケナイことを、私はしているの?私は隠さなきゃイケナイ悪い子なの?」と、心が不安定な状態に。ママの考え方や言動が自己肯定感を引き下げてしまった出来事でした』(福岡県で通級教室の指導員を行う女性からのエピソード)●子どもの障がいを認めること、まわりに隠さないことの大切さわが子の発達障害を受け入れることや、周囲の人たちにそれを隠さないことには大きな勇気が必要です。私たち夫婦も、当初は「ちゃんとした大人になれるのか……これからどう育てていくべきか……」などと不安を抱きながら、何度も話し合いを重ねました。そんな大人たちの懸念を吹き飛ばしてくれたのは、息子本人です 。療育センターへ行くことに対し、お友達から「どこへ行ってるの?」と聞かれた彼は、臆することなく「僕って、大人のお話を集中して聞けないじゃん?それを直してくれるトコロがあるみたい!」と返していたのです。そしてまわりのお友達も、「へえ、そうなんだ!頑張ってね!」と送り出してくれていた様子。あっけらかんとした子どもたちのやりとりに、覚悟が足りていないのは大人の方だった ことを思い知らされました。息子はとっくの前から自分の不得意に悩み、受け入れ、そして改善させようと前を向いていたのです。わが子が“その気”になっているのに、大人が後ろを向いているわけにはいきません。一口に学習障害といっても症状や程度はさまざまで、ケースごとに抱く不安も異なるかと思います。とはいえ、極端にまとめれば、“できないこと・苦手なことに悩んでいる ”ということに変わりはありません。不得意なことができるようになるためには親がその事実を認めることと、周囲の方に隠さず伝えることで積極的にサポートを仰ぐことが重要なのではないでしょうか。●世間体は、お子さまの“できない”を受け入れることより大切でしょうか?私事ですが、このたびの“息子のADHD騒動”の最中(さなか)、母親である私自身のADHDも発覚しました。昔から物忘れが激しく、お勉強も決して得意ではなかったことには原因があったのです。そんな私ですが、発達“障害”を障害だと感じたことはありません 。特別忘れっぽい性格をしている私は成長の中で、「お、提出物だ。こういうの、私はすぐ忘れちゃうんだよね〜、だから今すぐ済ましちゃおう!」といった具合に、自分なりの対処法を編み出してきました 。発達障害の有無に限らず、すべての人間に得意・不得意があって、おそらく私のように自分なりの対処法を見出してきたはず。それぞれが持つ不得意やそれに応じた対処法は、それぞれがうまく生きていくためのノウハウです。決して特別なことではないと感じませんか?昨今注目度の高まっている発達障害児への支援については、要は私のような小学生に対して早い段階で“自分なりの対処法”を教えてあげるサポート なのだと思っています。「私が小学生のころにこんなサポートがあったらよかったのにな」と、正直わが子がうらやましい……。障がいと言ってしまえば、確かに聞こえは良くないかもしれません。しかし、「頑張ってるのに、まわりの友達と同じようにできない……」と不得意なことにわが子が苦しんでいることだけは確かです。小さな胸に芽生えたコンプレックスは、パパやママが気にする世間体よりも無価値でしょうか?優先すべきは、お子さまの“できない”に真っ向から立ち向かってあげること。親子で逆上がりや自転車の練習に励んだときと同じテンションで、お子さまの“できない”を受け入れてあげてみてはいかがでしょうか。●ライター/木村華子(ママライター)
2016年10月12日発達障害の大人が医療機関を利用するとき、どんな問題が生じるか出典 : 児童精神科医の吉川徹です。これまでの連載では「発達障害と医療」をテーマに、医療機関や診断を受けるタイミングなど、様々な角度から執筆させていただきました。今回は、発達障害と医療の問題を考える際に特に悩ましい、成人された方の医療の利用についてです。この問題は大きく分けて、●子ども時代から大人への医療の引き継ぎ(移行医療)の問題●成人期になって初めて、発達障害を主なテーマとして医療を利用するときの問題の2つがあります。大人になってもスムーズに医療機関を受診し続けるには出典 : 近年では子どもの発達障害を診療できる医療機関はかなり数が増え、診断を受けている子どもも急増しています。こうした子ども達はいつ大人の医療に移行していくのか。これは遠からず全国的に問題になることは目に見えています。子ども時代に診断を受けた方のうち、大人になっても医療が必要な方は、実はそれほど多くはありません。ただ継続した投薬が必要であったり、前回の記事にあるような診断書が必要であったり、どうしても医療のサービスを継続して利用する必要がある方もいらっしゃいます。特に小児科で診断、治療を受けていた場合、必然的に移行が必要となることが多いです。児童精神科などの場合では、医療ニーズが高い場合には継続して診療を受けられることもあるでしょう。最近では発達障害の診療に対応できる、成人の医療機関も増えてきています。成人医療への移行に備えて、地域の医療事情について早めに情報収集を行っておけると安心です。移行が必要になる時期はおおむね15歳〜20歳前後であることが多いのですが、できれば20歳ごろ、総合支援法医師意見書と障害基礎年金の診断書が揃っていると、後の移行がスムーズです。その時期の移行が可能かどうか、通院中の医療機関に相談してみる価値はあります。大人になってから初めて発達障害がわかったとき、医師による診断が必要だとは限らない出典 : もう1つ悩ましいのが、大人になってから初めて発達障害をテーマにして、医療機関を受診する際の問題です。成人期の発達障害診療を受け入れていると広報している医療機関はまだ少なく、たどり着くのが難しい地域もあります。それ以外にも成人期の医療には様々な課題があるのです。まず、そもそも大人になった方の発達障害の確定診断を行うことは、医師にとってもかなり難しいという問題があります。発達障害の診断の多くの部分は、乳幼児期や子ども時代のエピソードの聴き取りに拠っています。成人するころまでには、養育者の記憶も曖昧になり記録も散逸しており、どんなに頑張っても診断を確定できるだけ根拠が得られないことがあります。こうなるとせっかく受診しても「特性はありそうだけれど、診断は確定できない」と伝えられてしまいます。特に専門性の高い医師ほど、正確な診断と診断基準を意識するので、このような伝え方が多くなります。乳幼児期の情報が充分得られない場合、発達障害診断のみを目的にした医療機関受診の効率は下がってしまいます。次に、不眠や不安などの発達障害以外の症状がなく、発達障害の疑いしか医療への「入場券」がない場合、医療機関への受診はそれほど実りのあるものにはならないことも多いという問題があります。成人になるまで診断を受ける機会がなかった方の場合には、当面の主要な問題は発達障害そのものよりも、不眠や不安、抑うつ、強迫症状や精神病症状などであることのほうが多いのです。このように他の精神症状がある場合には、むしろそれを入り口として、優先して相談、対応することが望ましいことが多いのです。その場合、受診できる医療機関の間口も広がるので、通える医療機関を見つけやすくなります。「発達障害の診療はしていません」というクリニックでも、通院中の患者さんの疾患の背景にある発達障害には、気づいてくれたり対応してくれたりすることもしばしばあります。この場合でも支援者の口コミなどで、発達障害の対応に慣れた医療機関を選んでおけるとなお良いですね。何のために受診するのかよく見定めて、効率的に医療機関を使おう出典 : 診断書や薬物療法が不要である場合、本人や周囲の人がその特性に気づき、実際に工夫しながら対応する中でそれを確かめることが可能であれば、発達障害の確定診断は、必ずしも必要ではありません。極めて限られた専門医療機関を別にすると、一般の成人精神科医療機関の診療の時間や構造は、障害特性そのものへの対応を相談するのには、あまり適していないことも多いのです。成人期の発達障害医療はまだまだ発展途上です、今後大きく状況は変わっていくかも知れませんが、現時点では医療機関を受診する目的をよく見定める必要があります。それは診断なのか、診断書なのか、薬物療法なのか。あるいは得意な医療機関は限られますが、自己認知の支援なのか。それともむしろ併存する他の精神疾患の診断や治療なのか。ご本人や支援者の方にはうまく見極めていただき、医療機関を効率よく使っていただけるとよいと思います。
2016年10月12日医療機関による受診が必要になる、「診断書」の取得出典 : 前回はいつ医療機関による受診をするのか・勧めるのか、というテーマでしたが、一方でどうしても受診、診断が必要なタイミングというのがあります。その代表的なものが、診断書が必要になる時期です。発達障害を持つ子どもや大人が健康に成長し暮らしていくためには、様々な支援が必要になることがあります。その入場券になることが多いのが診断書です。今回の記事では診断書が必要になる代表的な場面と、その時期を解説します。ただし、診断書を巡る状況は、地域によって少し異なることがあります。地元の支援者や先輩の親御さんにも確かめてみるとよいでしょう。18歳未満で診断書が必要となる場面出典 : 子ども時代には診断書が必要な場面は、実はあまり多くありません。知的障害を伴う方の場合、愛の手帳や療育手帳などと呼ばれる知的障害の福祉手帳の取得には、原則として医師からの書類は必要ありません。地域の役所の窓口から申請でき、その手帳があることで多くのサービスが利用可能です。以下では、医師の診断書が必要となる場面をご紹介します。知的障害の手帳の対象ではない場合、精神保健福祉手帳という精神障害の福祉手帳を取得することがあります。子ども時代の取得はまだ多くはありませんが、だんだんと取得する方が増えているようです。精神保健福祉手帳の取得には必ず医師の診断書が必要となります。子ども時代の取得にはそれほど多くの利点はありませんが、必要であれば診断書の発行を受けることが可能です。福祉手帳の取得をしていない場合、児童福祉法に基づくサービスを利用するための「受給者証」を発行してもらうために、医師の診断書が必要となる地域があります。制度本来の主旨からするといかがなものかと思うのですが、残念ながらそのような運用が広がってきているようです。また地域によっては、通級指導教室や特別支援学級などへの入級にあたって診断書を求められることがあります。幼稚園などの場合でも、園への助成金などの支給のために、診断書の提出を求められることがあります。これも文部科学省などが通達している特別支援教育の方向性からすると、本来あってはならないことだと思うのですが、残念ながらそのようなルールが設定されている地域もあるようです。また障害の状態によっては、特別児童扶養手当の支給対象となることがあります。やや厳しい世帯の所得制限などもありますが、支給にあたっては医師の診断書が必要です。18歳以上で診断書が必要となる場面出典 : 歳以上になったときに、障害者総合支援法による様々な福祉サービスを受けるためには、診断書ではないのですが、「医師意見書」が必要になります。また20歳になると、障害基礎年金の対象となる方も出てきます。障害年金の受給には必ず医師の診断書が必要です。この中で特に注意しなければならないのが、子ども時代に医療機関を受診し診断を受けた後、経過が順調な場合、特に身近で適切な支援が受けられている場合です。このとき、どこかの段階で医療機関の受診が不要になり、通院を止めていることが少なくありません。しかしその場合であっても、18歳以降に福祉サービスの利用の可能性がある場合、障害基礎年金が受給できる可能性がある場合には、それに備えて少なくとも1,2年前からは通院医療機関を確保しておいた方がスムーズです。初診でいきなり診断書の発行を受けることは困難です。16歳、17歳という年齢であれば、成人の精神科医療機関に受診できるので、通院先の選択肢は格段に広がります。初診には予約が必要であることもありますので、将来の診断書の発行に備えたいという受診の意図を伝えて、事前に確認しておくとよいでしょう。この他、就労支援を受ける際に医師の意見書を求められたり、障害が重度である場合には特別障害者手当の受給のためにも診断書が必要となったりします。必要な時期に診断書の発行が受けられるように情報収集しておけるとよいですね。
2016年10月10日不自然なまでに文字を間違える息子…病院の診察で判明したのは?出典 : 発達障害のある小学生の息子は、ディスグラフィアの診断を受けています。ディスグラフィアとは、知的な発達は遅れておらず、文字を読むこともできるのに、文字を「書く」ことに大きな困難がある障害を言います。小学校1年生のときの息子の字は、枠からはみ出たりして乱雑だったのですが、学校の先生も私も「丁寧さに欠けているだけ」だと思っていました。ただ、100点ばかりのテストでも、名前だけ赤ペンで「ていねいにかきましょう」と直されていたことがありました。しかし1年生の終わりごろになって、文字の汚さ以上に間違い方に特徴があることに気が付きました。例えば「お」の点が無かったり、1つの単語の中にひらがなとカタカナが混ざったり、漢字の「へん」と「つくり」が逆だったり、鏡文字になっていたり…ちょうど発達障害について専門機関にかかり始めた頃だったので、合わせて相談すると、「書く」ということが特に難しいディスグラフィア(書字障害)があるとわかったのです。とにかく「書けるように」訓練する日々…息子と私の葛藤出典 : その後、字が書けるようになるための訓練が始まりました。息子はなぜ字を書けないのか、そしてどうすれば書けるようになるのか。通級の時間も漢字を覚える練習をたくさんして、言語聴覚士さんによる訓練も受けました。このとき特に役立ったのは「ハイブリッド・キッズ・アカデミー」の遠隔評価キットです。子どもの読み書きの遅れがどの程度であるのか?の評価を、在宅で受けることができ、どういった対処が望ましいか?までのアドバイスがもらえます。ハイブリッド・キッズ・アカデミーしかし、通級の時間全てを漢字を覚えることに費やして、その時間には覚えても、家に帰るともう書けない…息子は決して怠けているわけではなく、何度も何度も練習しています。でも書けるようになったと思っても、それも束の間で、覚えた漢字がポロポロと頭の中から消えていく…それがどれ程悔しく辛く、そして切なかったことでしょう?いつしか息子は「文字を書く」行為にものすごい拒否反応を示すようになっていました。そんな息子の様子を見ていて、私は葛藤していました。確かに今後、受験などで字を「書かなければいけない」ことはあるかもしれない。でも、ここまでさせなければいけないのだろうか。「文字が書ける」ことはそこまで大切なことなのだろうか、と。「文字が書けない」ことは障害なのか?息子の成長を本当に阻んでいたものは出典 : 息子はパソコンを使ってローマ字のタイピングもできますし、正しい漢字を選んで変換することもできます。それに、自分で字を書くことは難しいですが、「作文」は出来ます。私が代筆すれば、原稿用紙2~3枚の良い文章を書くことができるのです。そんな息子の様子を見ているうちに、息子に対する「文字を書けるようになってほしい」という思いは消えていました。それよりも「書く」ことが前提の課題を前にしたとき、「書く」という最初のハードルにとらわれて、課題自体に取り組む意欲を失くしてしまう方が大問題だと思うようになりました。何か自分のやりたいことを始める前に、「自己紹介」「説明」「作文」などが求められると、未だに息子は顔が暗くなります。「これ、書かなきゃいけないの?」「…やっぱりやめようかな…」と恐る恐るつぶやきます。「パソコンで打ち込めばいいんだよ。何なら喋ってくれたらママが打ち込んでもいいから。」と私が言うと、息子はホッとして取り組む気になってくれています。目の前の「できないこと」にとらわれて、子どもが意欲を失わないように出典 : まだまだ社会にはこういった障害は認識されておらず、学校側に理解してもらえないこともあるかもしれません。私も学校の先生にはICT機器の導入などをお願いしたのですが、難色を示されてあきらめたという経緯があります。「できないこと」ばかりにとらわれて、子どものやる気や意欲の芽を摘んでしまわないよう、「こういう子もいるんだ」という認識が浸透してほしい。そして「合理的配慮」として快く代筆やICT機器などを使わせてあげてほしい!心からそう思います。
2016年10月09日発達障害の疑いがあるとき…医療機関を受診する適切なタイミングはいつ?発達障害の疑いのある方、またそのようなお子さんがいる保護者の方で、「医療機関をいつ受診するか」にお悩みの方もいらっしゃるかと思います。また、「発達障害の存在が疑われる子どもに医療機関の受診をすすめる際、どんなタイミングがよいのでしょうか」というのは、支援者の方もしばしば口にされるご質問です。発達障害のある子どもの場合であれば、保護者は様々なプロセスを経て、子どもの発達特性に気づき、その特性と長くつきあっていくための準備を進めます。その過程は男女が出会って、結婚に至るプロセスに少し似ています。Upload By 吉川徹このプロセスは、もちろん全てをたどっていく必要はありませんし、正しい道筋というものもありません。最近では結婚式を挙げない人も増えてきました。どうしても診断書やお薬が必要でなければ、かならずしも確定診断を受ける必要はないのです。ただ、もしできることであれば、発達障害の特性とずっとつきあっていく準備がそれなりに整った段階で、医療機関の受診ができると、きっとよい節目になるでしょう。医療機関を受診する前の大切なプロセス「障害とつきあう準備」は、どうすれば整うのか出典 : では、「発達障害とつきあっていく準備」はどうすればできるのでしょうか。前回の記事でも触れましたが、診断を受ける前の支援が大切になってくると私は考えています。最初に発達障害の特性に気づいた誰かが、診断を受ける前から上手く支援を始めて、医療による支援へと繋げてくれる。そうすると保護者は、子どもの特性に合わせた関わり方をすると、少し物事が楽になる、前に進みやすい、という感覚をもつようになります。このように、保護者が発達障害とつきあう準備ができていたほうが、診断は正確になり、その後も医療のサービスを最大限有効に使えることになります。もしもその準備が整っていない段階で、「あなたの子どもさんは発達障害の疑いがあるので病院に行って下さい」と言われてしまったら、何が起こるでしょうか。おそらく、一部の保護者は「絶対に障害だと言われたくない」と思って病院の門をくぐります。そうすると、「赤ちゃんの頃は?」「普通でした」「保育園では?」「年少さんは問題ありませんでした。年中になってから行くのを嫌がるようになりました」「ああ、それはきっと担任の先生が……」といった、診断に結びつかないやり取りになってしまいがちです。発達障害の診断には、もちろん子ども自身の状態の観察なども参考になりますが、それまでの発達の経過、道筋の情報が極めて重要です。ここが上手く聞き出せないと見落としや誤診に繋がってしまうのです。「『仮に』理解して、『実際に』支援する」。これはある児童精神科医が編集した書籍の副題ですが、とても良い言葉だと思います。支援を始める時に診断は不要です。まず特性に気づいた人がその「仮の理解」に基づいた支援を実際にやってみる。それが上手くいったときには、その子どもが少数派のものの見方、感じ方、考え方の道筋を持っていること、その理解に基づいた支援が上手くいったこと、その特徴がいわゆる発達障害の特性であることを保護者に伝え、専門機関を受診することで、より効率のよい支援ができる可能性があることを伝えます。準備段階の支援がうまくいかなかったときには出典 : もし最初の支援が上手くいかなかった場合はどうすればよいのでしょうか。その時には「仮の理解」に基づいて援助してみたが上手くいかなかったこと、更にほかの「理解」や援助の方法を見つけるために専門家への相談、受診が望まれることを伝えられるとよいでしょう。このときに必要なのは、受診を勧めようとする人が、子どもの特性を理解しようとしてくれて、実際に手を動かしてくれる、信頼できる人だと保護者に思ってもらうことです。診断を受けても、その支援者が引き続き関わってくれると安心できるとき、保護者は「本当は障害なんて言われたくないけど、あの先生が勧めてくれるなら」と思って、診察に臨むことができるのではないでしょうか。いつ受診を勧めるのか、その答えは、勧める人と勧められる人の間に少し信頼関係が出来てきたとき、ということになるのでしょう。
2016年10月07日親子で発達障害と診断された、栗原類さんと母の泉さんUpload By モンズースー栗原類さんの著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を読ませていただきました。幼少期からの出来事をご本人、お母様、主治医の先生と、3人の視点から書かれていてとても面白かったです。ADHD当事者の私は、類さんご本人のエピソードに共感できることも多く、お母様の泉さんのお話は育児の参考になることがたくさんありました。中でも私が一番印象に残ったのはこのお話です。Upload By モンズースーUpload By モンズースー我が家も栗原さんのご家庭と同じく、親子で発達障害です。そのため、子ども達の特性で共感できる部分もありますが、違う部分もたくさんあります。私は就学前、文章や絵で何かを表現することができましたが、長男は現在絵も字も書けません。私も運動神経は良い方ではありませんでしたが、ジャンプは自然とできました、でも長男は教えてもらっても中々できませんでした。自分が苦労なくできたことを、他者ができないと「なんでこんなこともできないの?」という気持ちになってしまいます。これは定型発達の方でも、大人でも同じことが言えるのではないでしょうか。私も長男が成長するにつれ、できることとできないことの差が広がっていくと、よくこの気持ちになっていました。特に気になったのが偏食です。私はアレルギーのため、自分から食べたくない食べ物はありましたが、食べろと言われて食べられない物は基本的にありませんでした。なので、ほとんどの料理が食べられない長男の気持ちが、なかなかわかりません。でも、栗原さんのお母様のエピソードを読んで、少し気持ちが静まりました。私と子ども達は別々の個性を持った人間、あたりまえのことなのですが、私はつい忘れてしまっている気がいました。栗原さんのお母様が「一生忘れることのできない大切な言葉」と書かれていらっしゃいましたが、私も印象に残るお話でした。出典 : 発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著)
2016年10月07日栗原類さん、自身の発達障害について語る初の自叙伝発売!モデル・俳優として、テレビや舞台、ファッションショーなど様々な分野で活躍する栗原類さんが、10月6日に自身の生い立ちから現在までを綴った著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』を発売されました。LITALICO発達ナビでは、書籍の出版を記念して栗原類さんに単独インタビューを実施。ご自身の発達障害(ADD: 注意欠陥障害)を公表し、書籍を出版するに至った背景、自身の特性を理解し俳優として「輝ける場所」をみつけられるまでの日々、お母様である泉さんと歩んできた21年間の日々について、たっぷりと語っていただきました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)栗原 類さん: 1994年生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。8歳のときNYで発達障害と診断される。中学時代にメンズノンノなどのファッション誌でモデルデビュー。17歳の時バラエティ番組で「ネガティブタレント」としてブレイク。19歳でパリコレのモデルデビュー。21歳の現在は、モデル・タレント・役者としてテレビ・ラジオ・舞台・映画などで活躍中。2015年に情報番組でADDと告白し話題となる。実は「カミングアウト」したつもりなんてなかった!?―出版おめでとうございます。出来上がった本を今日手にとってみて、ご感想はいかがですか。栗原類さん(以下、類さん): いやー、本当に思った以上に時間がかかってしまって、担当の方には、正直ご迷惑をかけっぱなしだったと思います…Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―初の長編エッセイですもんね。やはり大変でしたか。類さん: これまでも雑誌の連載などで文章を書いたことはあったのですが、今回のように自分の過去を深く掘り下げて書く本は初めてで。僕はあまり記憶力が良くないので、昔のことはほとんど覚えていなかったんですよ。母親や友人、主治医の高橋猛先生などに自分の過去を聞いて回って、そこから思い出して書くまでにものすごく時間がかかりました。それに、これまでのファッションやアートの分野での執筆ではなくて、発達障害をテーマにしたエッセイですから、どうやって興味を持って読んでもらえるかはかなり悩みました。担当編集の方に、全然進んでいない原稿を見せては、「この状態では出版も出来なくなりますよ」などと言われる始末で…。長い間辛抱強く待ってくださって、本当に感謝しています。―それはそれは…本当にお疲れ様でした。今回の出版は、類さんにとっても新しい挑戦だったと思うのですが、なぜ、ご自身がADD(注意欠陥障害)であることを公表し、書籍まで出版されようと思われたんでしょうか?類さん: そもそも僕は、自分がADDであることを隠していたことはないんですよ。―え、そうだったんですか。類さん: 最近まで、他人から「発達障害なんですか?」なんて聞かれたこともなかったし、聞かれていないなら答える必要もないかと思っていただけで、この仕事をする前から、ブログやツイッターでは自分の発達障害について書いていました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―へえぇ、知らなかった…類さん: だから僕としては、「書いているんだから、みんなもう知っているだろう」ぐらいに思っていたし、テレビ番組で話した時も、「カミングアウトする」というような気持ちでは全くなかったんです。それが、いざテレビに流れるとすごい反響で…―昨年5月、NHKの「あさイチ」ですね。放送後、ネットで話題になっていたのをよく覚えています。類さん: 僕も放送直後に自分の名前でツイッター検索をかけたら、本当にたくさんの方がコメントされていて。自分で言うのもおこがましいんですけど、賞賛のコメントも多く、「公表するのは勇気があることだ」とか「私も勇気をもらった」とか…色んな声をいただけてすごくありがたかったです。―ポジティブな反応も多かったですよね。類さん: KADOKAWAさんから出版のお声がけをいただいたのは、それからしばらく経ってからのことでした。自分と母がこれまでやってきたことや、生まれ育ったアメリカの教育制度など、僕の人生を紐解くことで、もっと多くの人が発達障害に興味を持ってくれるかもしれない。いま発達障害に悩んでいる人たちにとっても何か励みやヒントになるものを提供できるかもしれない。そんな思いで、今回のお話をお受けしました。他人の気持ちが分からなかった少年が、「演じる」楽しさに目覚めるまでUpload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―ここからは本を拝見していくつか印象に残ったところを中心に、お話をお聞きできればと思います。ご自身の特性として、感情表現や人の気持ちを読むことが苦手だと書かれていましたが、俳優やモデルといった、むしろ、感情理解や表現をかなり求められる世界に飛び込んだというのが印象的でした。類さん: やっぱり傾向としては、発達障害のある人って、他人の気持ちを読み解くのが苦手な人が多いようで、僕もそのタイプでした。原因としては色々あると思うんですけど、僕の場合は、そもそも自分自身の内面にも興味がなかったというのが大きかったです。自分に興味がないから、他人にもそこまで興味を持てなかった。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―もともと自分にも他人にもあまり興味がなかった。そこからどうしてお芝居の世界に?類さん: ニューヨークにいた頃、小学1年の担任の先生の勧めで、コメディ映画を観始めたのがきっかけです。―コメディ映画を。類さん: 僕は昔から冗談が通じない子で、周りの冗談を真に受けてすぐにカチンと来てしまうなところがありました。先生は、このままでいると僕が人間関係で躓くことになると予見して、人の感情、特にユーモアを学ぶ必要があると言い、コメディ映画を観ることを勧めてくれたんです。特にハマったのはアニメの「サウスパーク」ですが、他にも色んなアメリカのコメディ映画やドラマを観ていました。僕が気になった部分があると一時停止して、「この人はこんなセリフを言っているけど、内心こういう感情で、本当はこういうことを伝えたいから、こんな表情をしているんだよ」っていう風に、母がひとつひとつ解説してくれたんです。おかげで、少しずつ登場人物の気持ちや意図が予想できるようになっていきました。―お母様が横で解説を入れてくれたんですか!セリフと表情のギャップを学ぶという点では、コメディはピッタリの教材かもしれませんね。類さん: そこからは僕も予想外だったのですが、ユーモアを理解するためにコメディ映画を観ていたのがきっかけで、お芝居自体に興味を持つようになったんです。自分ではない、色々な人になりきることの面白さを感じ、自分も俳優になりたい、と思うようになりました。―なるほど、そこから俳優を目指すように。類さん: モデルの仕事はもっと早くからやっていたのですが、本格的に芝居に取り組んだのは高校の演劇部に入ってからです。そこからバラエティ番組に出て、2012年にNHKのドラマで役をもらったのが、俳優として初のお仕事でしたが、最初は右も左も分からず、自分のセリフを覚えるだけでも精一杯で…Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―自分から興味を持って飛び込んだ世界とはいえ、集中を要したり、シーンに応じた振る舞いを求められたりと、大変な部分も多かったでしょうね…類さん: そうですね。実際、今でも苦労している部分はありますし、これからもたくさんあると思います。でも、先輩の役者さんにアドバイスをいただいたり、舞台を観に行ったりと、学ばせてもらう機会にはとても恵まれていて、いま少しずつ吸収、成長していく時期なのかなって思います。―コメディ映画に学んでいた頃のように、今後は周囲の先輩たちから学んで吸収されているのですね。類さん: すぐにはうまく出来なくても、ひとつひとつ訓練していけば、いつかは壁を突破して成功できる。そうやって、長い目で見る気持ちは忘れないようにしようと思っています。自分のことを「ネガティブ」だなんて思ったことはない?Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―お話を聞いていると、類さんは、身の回りの物事への注意集中が難しいという特性がある一方で、ものすごく楽観的だったり、長期的な視野を持っている印象を受けます。先ほどの話のように、「いつかは成功できる」と思って苦手なことも続けられたり、かと思えばバラエティ番組で人気沸騰だった時期にも、「この人気が続くわけがない」と、パリコレのオーディションに挑戦したり…類さん: バラエティは毎年旬が変わっていくものですし、そもそも自分に向いていないと思っていたので、ずっと続けていくつもりはありませんでした。それよりも、今までやったことがない新しい挑戦をしたいなと思ったんです。―とはいえ、まとまった期間で日本を離れると、連ドラなどの仕事は断らなければいけないし、オーディションに落ちてしまったら仕事が全部なくなってしまうかもしれない。なかなか勇気の要る挑戦だったと思いますけど。類さん: 確かに、僕にとっては大きな挑戦でしたね。でも、パリコレは21~24歳ぐらいの若いモデルが求められていて、僕のこの年齢で飛び込むのがむしろベストなのかなとは思っていました。結果的に、「Yohji Yamamoto」では4期連続、2年間を通して出演させていただきました。―周りからは当時、「ネガティブすぎるモデル」とか言われていましたけど、ネガティブというよりむしろ戦略的というか、かなりリスクを取って挑戦するタイプじゃないですか…類さん: というかそもそも、僕は自分のことを「ネガティブです」と言ったことは一度も無いんですよ!Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)類さん: 僕は普通に振る舞っていただけなのに、気づいたら周りからそのような煽りが付けられていて…僕はメディアの取材などでは毎回「言っていないです」って説明してたんですけど、必ず毎回カットされるんです。―メディア的にはあまり美味しくはないセリフなんでしょうね…(笑)類さん: まぁでも、周りからの評価も含めて客観的に受け止める性格なので、そういうことが2, 3回続いたあとは諦めて受け容れてましたね(笑)親子というより友人―母、泉さんのことUpload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―焦らず、長期的な視点を持つというのは、「人生はマラソン」だと語られた類さんのお母様、泉さんの影響も大きかったと思うのですが、類さんにとって泉さんはどんな存在ですか?類さん: 僕の一番の理解者ですし、すごく尊敬しています。本にも書きましたし、どんだけお母さん好きなんだって言われるかもしれないけど、やっぱりあの人の影響によって今の自分が成り立っているんだと思います。好きな音楽とか役者とか、映画のセンスも、あの人が見ていたものを一緒に見たりとか、こういうオススメがあるよって連れて行ってもらうなかで確立したものがあって。僕がどうして今この仕事をするようになって、これから何を目指したいのか、僕自身がちゃんと理解して歩んでいけるようになったのは、母の影響がすごく大きいです。―なるほど。類さん: それから、母は自分が出来ることだからといって、子どもの僕に決して同じようには要求しない人でした。母自身もADHD(注意欠陥・多動性障害)だと言われているんですけど、同じ発達障害といっても、お互いに真逆な性質なんです。母はものすごく記憶力が良いのに、僕は極端に忘れっぽい。母は他人に言われた嫌なことも全部覚えてストレスになっちゃうけれど、僕はどれだけ怒られても翌日にケロっと忘れたりすることがしょっちゅうありました。僕は忘れ物や同じミスを繰り返すので、そのつど耳にタコが出来るぐらい母に怒られていましたが、「長い目で見たらあなたの性質の方が気楽だし、メンタルも安定していて良いわよね」なんて言われたりもします。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―ほんとに真逆の凸凹なんですね。人生の先輩として厳しい言葉をかけつつも、長い目で類さんの成長の過程に伴走していこうという泉さんの思いが、本を読んでも伝わってきます。類さん: お互いの長所も弱点も理解しながら、20年以上ずっと二人暮らしてきているので、息子と母親というよりは、むしろ心を開ける友人という感じがしますね。普通の親子なら言わない冗談とか言葉遣いもけっこうあったりします。発達障害に悩める人たちへ―「背負い込まず、一人でも仲間をみつけて」Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)―最後に、自分やお子さんに発達障害があって悩んでいる人たちにメッセージがあれば、お願いします。類さん: 大人の当事者の場合でも、子どもに発達障害がある保護者の場合でもそうですけど、全部自分一人で背負い込んでしまわないことが大切だと思います。これまで親子の関係について多く話してきましたが、信頼できる第三者の相談相手がいると、すごく良いと思います。僕にとっては、主治医の高橋猛先生がそうでした。誰だって、どうしても親には話したくないことだってありますし、親子だけだと視点が偏って閉塞的になることもあります。そんな時、信頼できる第三者の意見を聞くことが出来れば、新しい発想やアプローチも出て来ると思います。大人の場合でも、仕事がうまくいかないからといって、自分のせいだと背負い込みすぎたら絶対身体も心も持たないです。全員に100%発達障害のことを理解してもらうなんて出来ませんが、上司や同僚、相談できる相手が一人いるだけでだいぶ違うと思います。一人でもいいので、信頼できる人を見つけること。それから、自分の特性や周囲の人たちと、長い目で見てじっくり付き合っていくことだと思います。―信頼できる人を見つけて、焦らずじっくりと。人生は「マラソン」、これからもずっと長い道のりが続きますものね。今日はありがとうございました。Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)聞き手・書き手: 鈴木悠平写真撮影: タナカトシノリ出典 : 発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 栗原 類 (著) , KADOKAWA
2016年10月06日発達障害の診療のための医療機関にはどんなものがある?それぞれが担う役割は?出典 : これまでの記事では、発達障害のための医療機関が少ない原因や、医療機関でできる支援についてお話させていただきました。今回は医療機関の種類をご紹介していきます。発達障害の診療に携わる医療機関には様々な種類がありますが、その分け方も色々あるのです。医療機関の種類というと、もちろん小児科や精神科などの診療科による分類が思い浮かぶのですが、今回の記事では別の切り口で分けてみたいと思います。いくつかの医療機関は日本の、時には世界の発達障害研究を担っていく役割を持っています。こうした先進的な医療機関にかかると厳密な手続きを経た診断が受けられたり、他では利用できない治療法が使えたりすることもあります。日本の、世界の発達障害支援の質の向上に貢献できる可能性があるというメリットもあります。一方でこうした機関の医療者は診療以外の業務が多く多忙です。また機関の数も限られるので、通院時間が長くなるなどアクセスも良くないことが多いでしょう。また研究途上の新しい治療には、確かめられていないリスクも伴います。良くも悪くもハイリスク、ハイリターンな選択です。その他に、地域の中核的な発達障害診療を担っている医療機関もあります。小児や障害者の病院、療育センターに附属している診療所などがこうした役割を担っていることが多いでしょう。こうした機関の専門性は高く、既存の診療技術に限って言えば、研究機関と比べても遜色がないことが大半です。また入院治療の機能を持っていることもあります。一方でこうした医療機関は比較的広域(都道府県単位)などから患者がきていることが多く、地元に密着した支援機関や学校の情報などはやや医療者に集まりにくくなります。また地域への医療サービス提供の責任を負っているので、新規患者優先、診断と投薬優先になりがちです。発達障害専門の小児科や児童精神科のクリニックなどを中心とした地域密着の医療機関も増えてきました。こうした医療機関は医師によっては、非常に高い専門性を持っていることもありますし、アクセスも良く比較的患者数も少なく、丁寧な診療が可能であることもあります。また何よりも地元の情報が集まりやすいことがメリットです。ただし地域によっては医療機関の不足のため、こうしたクリニックが中核的医療機関の役割を担わざるを得なくなっていることもあります。また最近では、地域のかかりつけ医、つまり一般の小児科医や内科医の役割にも注目が集まっています。こうした医療機関は、発熱やワクチン接種などの日常の身体的な問題に対応できるのはもちろんですが、典型的な事例の診断や専門的な医療機関での診断後のフォローアップなどが期待されています。平成28年度からは厚生労働省によるかかりつけ医向けの発達障害の診療研修も開始されました。こうした医療機関は極めてアクセスがよく、また発達障害の特性を知ってもらった上で、身体医療が受けられるという大きなメリットがあります。医療以外の支援者に恵まれている場合、医療の役割は限られるので、必要な時にかかりつけ医に相談するというスタイルでも、充分に対応が可能である場合があります。年齢の高い方の場合、成人の精神科医療機関も受診先の候補になります。現状では全ての精神科医療機関が発達障害の診療に対応できるわけではありませんが、着実にそうした機関は増えています。こうした医療機関のメリットはアクセスの良好さと、何よりも併存する他の精神疾患への対応への熟練度と手立ての豊富さです。ただし構造的に成人精神科の診察時間は短いことが多いので、それに合わせた受診の工夫を考えておく必要があります。医療機関に迷ったら、身近な支援者に相談を出典 : こうした分類は医療機関の看板に書いてあるわけではないので、利用者の方からは見分けにくいかもしれません。受診の前に保健センターなどの身近な支援者や、先輩の親御さん、ペアレント・メンターなどに受診先を相談するのはよい方法です。最後に、多くの種類の医療機関があるので、専門機関のいいとこ取りをしたい、かけ持ちをしたいという気持ちはとてもよくわかります。しかし極めて恵まれた一部の地域(ほんとにそんなのところが日本にあるのでしょうか……?)を除けば、現状ではそれはマナー違反であると考えるべきでしょう。必要な人が、少しでも早く、少なくとも正しい診断と診断書、時には薬物療法にたどり付けるような気遣いができる、余裕が持てるとよいですね。
2016年10月05日パパとママのえくぼは、「ニコニコスイッチ」!広汎性発達障害のある5歳の娘。その育児は大変なことばかりですが、我が家には笑顔があふれています。その秘密の1つが「ニコニコスイッチ」です。Upload By SAKURAUpload By SAKURAUpload By SAKURA私たち夫婦には、私は左に、主は右にえくぼがあります。そして娘には…ない。(うまくいけば、両えくぼだったのに~)私たちにあるこのえくぼのことを、娘は「ニコニコスイッチ」と呼びます。Upload By SAKURAえくぼを押せばニコニコになる~という遊びを、私たちと娘はよくやります。ママとパパがニコニコになるこのスイッチ。娘にとって素敵すぎるスイッチです。娘はこの遊びが大好きです。ニコニコになれないときだってある!?このニコニコスイッチで、いつも楽しく遊んでいるのですが…娘は私に叱られた後でも、娘はこのスイッチを押してきます。Upload By SAKURAスイッチ壊れてるわけじゃないから…。怒っているのを察してくれ~!!
2016年10月05日三国志が好きすぎて、武将たちが凸凹仲間に見えてきた!出典 : こんにちは、アスペルガー症候群(ASD)と注意欠陥障害(ADD)でフリーライターの鈴木希望です。普段『発達ナビ』さんでは、自分と同じくASDとADDを持つ息子の親として、また発達障害当事者としてのコラムを寄稿しています。さて、私は友人知人の間で「三国志の人」と呼ばれています。書店に入ればもちろん三国志コーナーに直行。「そうそう(相槌)」を「曹操(三国志の武将)」と誤変換したことに気付かず原稿を送信してクライアントさんに大笑いされてしまうほどです。半ばノイローゼですね(笑)知識で言えば初心者レベル。ですが熱量ばかりはそこそこにありまして、少し前には「初心者の視点で三国志について語る」という趣旨のコラムの執筆を始め、以前にも増して意欲的に三国志について学んでおります。そんなふうに三国志漬けで過ごしておりましたら、「あれ?この人、発達障害っぽいんじゃない?」と感じられる人物が結構いることに気付いたのです。というわけで、今回はいつもと趣向を変え、『あの英雄が自分とそっくり!?発達障害当事者が読む、凹凸だらけの三国志』と題して、その一部をご紹介いたします!※以下、『三国志演義』他、歴史小説としての三国志を主に参照しています。ご承知おきください。素直すぎる最強武将・呂布奉先はADHD!?Upload By 鈴木希望まずは呂布奉先(りょ・ふ・ほうせん、以下呂布)。羅貫中(ら・かんちゅう)の小説『三国志演義』では序盤に登場し、最強の武人と謳われる人物です。1日に千里を駆けるという名馬・赤兎馬に跨る姿は、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と賞賛されました。異民族の血を引く美丈夫だったという説もあり、ドラマなどではイケメン俳優さんが演じる姿も見られます。戦場では敵なしだったというこの呂布ですが、とにかく気が変わりやすい!というか、目先の利益にとらわれがち。1度目は前述の赤兎馬欲しさに、2度目は女性関係のトラブルが原因で、あろうことか義父を2人も殺しちゃっています。出典 : 他にも、世話になっていた領主の留守中に領地をのっとったり、かと思えばその相手に和解を申し出たり…。要は「そのとき、そのときに1番魅力的なものを選ぼう!」と、後先について深く考えずに動いてしまっているんですね。結果、周りからの信用を獲得できず、部下に裏切られて絞首刑という最期を迎えてしまったのですが…。心のままにパッパッと動いてしまう呂布の衝動性に、ADHDっぽさを私は感じています。衝動性だけではありません。前述したとおり、武勇に関しては他を抜きん出ていた存在。120歩離れた場所にある戟(げき。武具の一種)を矢で射るなど、ここぞという瞬間にはずば抜けた集中力を発揮しています。興味のないことにはずぼらにさえなるけれど、好きなことや得意なことにはとことん取り組める部分もまた、ADHDの匂いがしますよね。猪突猛進、でもうっかり!張飛の愛されADHD説。Upload By 鈴木希望お次は張飛益徳(ちょう・ひ・えきとく、以下張飛)、多くの三国志作品で主人公に据えられる劉備玄徳(りゅう・び・げんとく、以下劉備)の部下で、義弟だった武将です。戦では劉備軍の中心となって功を上げ、24回行われた一騎打ちでは無敗という猛将中の猛将。武勇は敵国の将にも知れ渡り、高く評されていました。一方『三国志演義』や中国の民間伝承では、短気で無鉄砲、大酒飲みなそこつ者として描かれています。出典 : 先に言っちゃいます、張飛はADHD!真っ先に思い出したのが次のエピソード。敵軍迎撃のため劉備軍が出陣した際、張飛とわずかな部下が城を守ることになりました。張飛の酒癖を心配した劉備は禁酒を言い渡し、張飛自身も「絶対に守る!」と約束するのです。が!舌の根も乾かぬうちに「景気付けだ!」とばかりにさっそく飲む!酔った勢いで部下と仲違い。恨みを抱いた部下は呂布と内通。そして張飛は呂布に城を奪われてしまうという、取り返しのつかない大失態を犯すのです…。たぶん、「劉兄貴に内緒で飲めばいいや」などと考えていたわけではないのでしょう。「(禁酒を)絶対に守る!」と本気で思っていたのでしょう。でも、飲みたくなったから飲む!そしてうっかりミス!ザッツADHD!戦場での猛々しい姿との対比もあって、張飛のうっかりぶりはなんだか憎めない、可愛らしい一面に見えてきます。ずるいぞ張飛!後年には頭脳戦に持ち込むなどの“やればできる子”っぷりも発揮。適応能力の高さもADHD的ですね。軍神・関羽。お前、アスペだろ!?Upload By 鈴木希望続いて関羽雲長(かん・う・うんちょう、以下関羽)、張飛と同じく劉備の部下にして義弟。張飛にとっては義兄です。忠義に厚い武将として知られており、顎に美しいヒゲをたたえた“美髯公”とも呼ばれていました。元は塩の密売人で、中国式簿記の生みの親とも言われている関羽。文武両道で、特に歴史書『春秋左氏伝』を好み、そのすべてを暗唱できたのだそうです。私は、そんな関羽をASD認定しています。規則性を見出しルールを作るのが得意だとか、1つのものをこよなく愛し、暗唱できるまでになってしまう面は、ASDの特性に当てはまりますよね。出典 : 関羽はやむなく敵将・曹操孟徳(そう・そう・もうとく、以下曹操)に投降、客将になっていた時期があるのです。曹操に気に入られた関羽は厚遇され、さまざまな贈り物を受けるも一切手を付けず。衣服を贈られたときなどは、主君・劉備からもらった衣服を脱がず、上から身に着けたありさま。それを見た曹操は「関羽は真に義の人」と讃え、劉備を大層羨みました。しかしASD当事者である私は、「変化が嫌いで慣れない物に不安を抱いたのでは?」「あ、もしかして感覚過敏?曹操からもらった服は肌触りが不快だった?」などと邪推してしまうのです(笑)。また、戦場で腕に毒矢を受け、取り除くための外科手術に臨んだときには麻酔を拒否、肉を食い酒を飲み碁を打ちながら平然としていたのだとか。これって豪胆というより感覚鈍麻では!?余談ですが、我が家の小学1年生ASD息子が保育園児のころ、5針を縫うほどの切り傷を作って流血しているにも関わらず、まったく気付かず遊び回っていたことがありました。あいつ、関羽かな?超世の傑・曹操に凸凹が!?見える、私には…。Upload By 鈴木希望最後は1番書きたかったような、書きたくなかったような…中原の覇者・曹操孟徳です。劉備のライバル的存在で、『三国志演義』ほか多くの作品では冷徹な悪役とされています。天才的な軍略家で政治家、そして詩人としても名を残している多才ぶり。徳を重んじる儒教の考えが根強かった時代に、「才能さえあれば他は不問」という画期的な求人を出した合理主義のフロンティア。このように書くと「え?どこに凸凹が?」と疑問ですよね。でも、私には強烈な凹凸ぶりが感じられてしまうのです。前項で書いた関羽へのプレゼント攻撃。そもそも関羽は「主君・劉備の生存が確認したらすぐに駆け付ける」という前提で身を寄せていたまで。一生曹操の元で暮らす気なんてありません。でも関羽を自分の部下にしたくてたまらない曹操は、「自分だったら喜ぶんだけどな~」という基準で、美女やら財宝やらを贈り続けていたのですが…関羽、一切手を付けないんですよ。喜んでないんですよ。ねえ曹操、気付こうよ。関羽、何をしてもあなたに振り向くことはないから。相手の顔色が読めてないのかな?「どうにかすればなんとかなる」って思い込んじゃっているのかな?その行動、すっごくASDっぽいよ…?出典 : あと、劉備があなたを欺くための猿芝居を「へ~、畑仕事が好きで雷が大嫌いなんだ~」って信じちゃうのもASDっぽいよ。それでうっかり逃げられちゃうあたり、ADDっぽくもあるかもしれない。ADDっぽいといえばね、敵国の策略として送られてきた軍師を、そうとは知らずにあなたは大はしゃぎで大歓迎、その言葉を素直に信じて大敗を喫してしまったよね…。何やってんだよ、曹操!!!いちいち私みたいなことするなー!!!!!そうなのです、曹操ファンのお叱りが来ることを覚悟で書くと、彼は『三国志』作品の中で私がもっとも近親憎悪を感じる存在。自分と同じくASD・ADDだと見ています。「自分の好きなものは相手も好きになるかも!」と信じて疑わず、それこそ延々三国志の話をしてしまったり、嫌味やからかいに気付かずニコニコ喜んでいたり…そんな過去の失敗エピソードが曹操の姿と重なって、私はいたたまれない気持ちになるのです。「近親憎悪」と書きましたが、親しみも感じており、大好きなんですけどね。稀代の英雄に自分みたいな面が見えると、「あ、やっぱり人間なのね」って思えるじゃないですか(笑)。物語の向こうの誰かが、特性の魅力を教えてくれるかも出典 : いかがでしたか?異論、反論、「まったくわからない」などなど、さまざまなご意見があると思います。もちろん、発達障害の診断名は現在の基準ですから、はるか昔の武将たちが実際に該当するかどうかは分かりませんし、私自身も他人を「○○っぽい」と断定することは本来好みません。ですが、こうして昔の人たちの特性を分析してみると、遠い存在に思えていた英傑たちが身近に感じられたり、自分と似た面を持つ人物を発見し(私にとっての曹操ですね)、一歩引いた位置で特性を捉えられたりし、「あれ?結構面白いかも!」という思えるきっかけになるのかもしれません。三国志に限らず、小説や漫画を読みながら「あれ?もしかしてこの人も?」などと、登場人物の言動を発達障害の特性と照らし合わせてみると、物語の見え方が、そして発達障害に対する印象が変わってくるのではないか、と私は思っています。そんな風にして発達障害を身近なものとして捉え、気軽に話せる場が増えていくことを、当事者のひとりとして願って止みません。三国志を様々な角度で紹介中!『三国志情報バトル』:鈴木希望プロフィール
2016年10月05日目を離せばすぐあちこち走り回る子どもたち。当然外出なんて場所を選べる訳もなく…出典 : 我が家には2人の発達障害児がおり、毎日がご想像の通りのハチャメチャぶりです。衝動性の高い子どもたちと出かけることはもちろん至難の技。私の手を振り払って後方へ走り出す次男、それを追いかけるうちに勝手にエスカレーターに乗ってしまう長男。想像しただけでどっと疲れませんか?(笑)そんな子どもたちを連れてわざわざ出かけようという気も、いつしか起きなくなりました。ましてや「子連れで遊ぼう」というお誘いなんて夢のまた夢。行きたいなあ、と思いながらもずっと断ってばかりいました。そんな我が家でも、思いっきりレジャーを楽しめる「キャンプ」があったのです!どんな様子か気になる?ご紹介しましょう!東京都自閉症協会「おやじの会」主催のキャンプに家族で参加出典 : 私も会員として参加している東京都自閉症協会には「おやじの会」という自閉症児の父親の会があり、いろいろなイベントを企画、運営しています。例えば先日参加したキャンプ「エンジョイアウトドアスポーツ」や、障害児のきょうだいにフォーカスを当てた「きょうだいキャンプ」、そして初夏と新年に開催されるBBQなど、家族で楽しめるイベントが盛りだくさんです。ここなら、衝動性の高いうちの子を連れていっても安心です。先日は、主人も連れて家族全員でキャンプに参加してみました。東京都自閉症協会おやじの会母親が子どもにつきっきりにならなくて済む理由出典 : 「迷惑をかけているのでは」と人の目を気にしたり、「迷子になってしまうのでは」と神経を尖らせたり…そんな思いから解放され、心置きなく楽しめるこのキャンプ。それには大きな理由が2つあります。1つ目は、皆が「お互い様」の気持ちでいられる環境であること当事者とその家族が集まってのキャンプなので、普段の生活で感じる気疲れがありません。もう1つは学生などのボランティアさんがたくさん参加していることボランティアさんが野外活動、子どもたちの見守り、イベントの進行や食事の支度など何から何までおやじたちと一緒に取り組んでくれているのです。ボランティアさんの中には、おやじの会のイベントに何度も足を運んでくれている方もいて、あまり人の顔や名前を覚えない長男も、大好きなボランティアさんの名前を覚えて一緒に遊べるのを楽しみにしていました。普段私が「もう休憩させて…」と言ってしまいそうな激しい遊びでも、若い力と優しさでずっと付き合ってくれる姿には、感謝の気持ちでいっぱいになりました。予想を裏切る働きっぷりに、おやじを見直す3日間出典 : このキャンプで家族として得られる大きな収穫、それは「おやじって、結構頼れるんだな」という瞬間です。普段は園や療育への送り迎え、地獄のようなスーパーでの買い物、体力の限界を感じる外遊び…これらを一手に引き受ける母親からすると、「こんなおやじに、子どもを任せても大丈夫かいな」と失礼ながら思ってしまうのも、やむを得ないかもしれません。でも、彼らは違いました。ベテランになると、持っている情報量も多く、ネットワークも広い。そして障害を見つめる切り口が母親とは違う。普段社会で働いているからこそ、イベントの運営もきめ細かくスムーズです。やっぱりいざという時、パパは我が家を立派に支えてくれる存在なんだな。そんな気持ちが何度もよぎる3日間なのです。母親が1人で抱え込まないよう、父親にも子育てに積極的に参加できるきっかけを出典 : パパには日頃、ついつい「療育手帳と受給者証の違いもわからんのか!」「就労移行支援と移動支援は別モンよ!」なんて、偉そうについ言ってしまう私。でも、おやじにはおやじの活躍の場所がたくさんあって、私たちでいう「ママ友」みたいなおやじのコミュニティーってとっても大切だな、と改めて感じました。普段、療育関係のことは私が全て管理したり実際に出向いたりしているので、主人には仲間を増やす機会がなかなか無いことから、同じ環境にいる父親に会えるというのは、主人にとって貴重な時間。また主人が、こんな風に仲間を作ってくれることにより、障害への理解が高まったり育児へ積極的になったりしてくれたので、今回のキャンプの参加は、結果的に家族みんなにとって良かったのでした。自閉症協会に関わらず、全国各地にいろいろな「当事者の会」や「家族会」などが発足されています。気を遣って生活している日々の息抜きとして、同じ気持ちをわかってくれる人のところへ出向いてみるのも、いいかもしれません。きっと新しい発見や仲間が待っているはずです。
2016年10月04日発達障害のある人のため、医療機関ができること出典 : 年現在、多くの地域で、発達障害の診療に携わっている医療機関は著しく不足しています。医療従事者、それを利用する他領域の支援者、時には本人やご家族も、限られた地域の医療資源をできるだけ効率よく活用することを考える必要があります。発達障害のある本人や家族には様々なサポートが必要です。その中には医療機関が提供できる、提供しているものもたくさんあります。その代表的なものを挙げてみます。Upload By 吉川徹けれどもこの中で、どうしても医療機関でなければ提供できない支援というのは、実はあまり多くありません。そして、医療以外でも提供できる支援は、実は他の領域の支援者の方が、有利であったり、得意であったりすることも多いのです。医療でなければできない発達障害支援は何か出典 : 医療でなければ提供できない支援の一つは「診断」です。一方で、広く診断といったときに、その人に発達障害の特性があるのかどうか、発達障害の特性を考慮に入れた支援が有効であるのかどうかという「見立て」は、必ずしも医療機関のみでなされているわけではありません。むしろ本来はこうした見立ては、保健、教育、福祉などの領域でも必要になってきますし、仮に医学的診断を後に受けるとしても、それより前から見たての作業が始まっていることが望まれます。また、「見立て」に限られた時間しか充てられない医療機関に比べて、生活を共にする時間が長い人は、そもそもとても有利でもあるのです。ここは医師の間でも見解が分かれるところなのですが、自分は発達障害のある人すべてが、医療による診断を受ける必要は必ずしもないと考えています。ただし見立てや診断において、どうしても医療機関が必要になる場面があります。それは、・患者の困りごとが、発達障害以外の他の疾患から起こっている可能性を見極め、排除する必要がある場合・患者の困りごとの背景にある疾患を診断する必要がある場合上記の2点です。特に生物学的な検査が必要である場合、医療抜きにこれを行うことはほぼ不可能です。発達障害によく似た状態を示す疾患はたくさんありますし、また発達障害のある人には、脆弱X症候群やダウン症など様々な障害が背景にあることも少なくないのです。このため、何らかの点で典型的ではない、他の際だった特徴のある人の場合、医療機関を受診しておくメリットは大きくなります。そして診断書の発行も医療機関の重要な役割であり、優先度の高い仕事です。一般に医師は診断書の発行を面倒がる傾向があるのですが、これはどうしても医師免許が必要であり、医師が(好まずとも)独占している業務なので、嫌がらずにやらないといけないと自分に言い聞かせています。そしてもう一つ、どうしても医療でないとできない業務は、処方箋の必要な薬物を使うことです。これは当然ですが、では処方箋のいらないお薬、サプリメントはどうか、ということになります。しかし、これらの中に現時点で効果と安全性が実証されているものは、ほぼありません。医師と相談せずに使うことは更におすすめしにくいので、できればそこも医師と相談できると手堅いでしょう。結局、どうしても医療でないとできない主な支援は、診断、特に診断書の発行と薬物療法ということになります。医療でも出来る支援には、他に幾つもありますが、その優先度は低くなります。医療機関が不足している地域では、医療資源はまず診断と投薬のために活用する、その姿勢が求められています。医師の側もその業務を独占している以上、優先的にそれを提供する義務があると言えるでしょう。医療の強みは、卓越した経験と専門性にある出典 : それでは診断や薬物療法以外には、医療のアドバンテージはないのでしょうか。医師の立場からすると「それはある」と言いたくなるのですが、実際にはどうでしょうか。一つには、医師、特に発達障害を専門とする医師は、他の領域の支援者と比べても桁違いに多くの事例に接しているということがあります。一人の専門の医師が同時に診療している発達障害の患者さんは、数百人から時には千人を越えることがあります。医師人生の中で会ってきた患者は数千人ということも珍しくありません。そして多数例の報告に基づいた研究論文がたくさんあるのも医療領域の大きな特徴です。また多くの医師は、ライフステージをまたいで、患者さんに関わり続けています。幼児期早期に受診した子どもが成人し、時には老年期まで診療することがあります。自分一人でそれを見届けることができなくても、連綿と書き綴られたカルテから、比較的若い医師でも目の前の患者の若い頃の姿を確かめることができるのです。多数の患者に関わる医師は、残念ながら養育者や他の領域の支援者に比べると「その子自身」の専門家になれる機会は限られます。そのかわり「自閉スペクトラム症」の専門家、「注意欠如多動症」の専門家などには、なりやすい立場です。多くの例に長く関わっているからこそ、行いやすい見立てや助言があります。それは例えば、・将来を見越して今優先すべき支援の領域を考えること・本人や家族のリソースの配分を考えること・進路の決定などの場面でのアドバイスです。このように医療による支援のなかには、医療でないとできないこと、医療でもできること、そして医療が得意なことと苦手なことがあります。皆さんにはこうした医療による支援の特性をうまく理解して頂いて、上手につきあっていただきたいと思います。
2016年10月03日発達障害のある人が利用できる医療機関の不足は、なぜ起こっているのか出典 : 発達ナビで、新たに医療についての連載をさせていただくことになりました。児童精神科医の吉川徹です。現在は愛知県の障害児者専門病院に勤務しています。皆さんもおそらくはよくご存知のように、発達障害がある子どもや大人が利用できる医療機関は、ほとんどの地域でひどく不足しています。これは一体なぜなのでしょうか。一つにはいわゆる「発達障害」に属する障害、中でも自閉スペクトラム症と注意欠如多動症という障害のある人の数がとても多いことがあります。今までに子どもの心の医療に対象になってきた疾患、あるいは大人の精神医療の対象になってきた疾患と比べても、それを上回る数になっています。国際的に認められたかなり手堅い方法で調べたとき、地域の子どもの中で自閉スペクトラム症と診断できる子どもは一般的に1〜2%程度いると言われています。ところが最近厚生労働省の研究班が報告した数字では、地域によっては小学1年生の子どものうち、5%以上が自閉スペクトラム症の診断を受けているとされていました。また注意欠如多動症(ADHD)も元々とても数の多い障害で、3〜5%以上の子どもがその診断を受ける可能性があるとされています。これは、例えば知的障害を持つ人の数や統合失調症を患う人の数などと比べても、数倍にも及ぶ大きな数字なのです。発達障害の医療にまつわる困難の大半は、この患者数の極端な多さに起因しています。例えて言えば、もともと満員だった電車に今までの3倍の乗客が押し寄せていて、しかもレールが一本しかないので、増発もままならない、そんな状況が日本中で起こっているのです。診療ニーズの拡大に追いつけない原因には、医療機関としての構造的な問題がある出典 : こうした障害は比較的短い期間で広く認知されるようになり、診療のニーズが急速に拡大しました。これに応えるために、厚生労働省でも子どもの心の診療ができる医師の養成のための検討会を開催したり、モデル事業や研修を実施したりしています。平成28年度からは、地域のかかりつけ医を対象とした研修も全国規模で始まろうとしています。専門の医師が集まる学会などでも養成のための取り組みが続けられています。しかし現時点でもニーズの急増に対応できる新たな医師の養成や医療機関の整備は、充分に追いついているとは言えない状況です。まず医療による支援そのものが、他の領域に比べて極めて高コストな構造になっており、専門家の養成や維持には社会に大きな負担がかかることから、供給できる医療の内容や医師の数そのものに厳密な制限がかかっています。そして専門医は促成栽培が難しく、一人一人を手取り足取り教えていく必要があります。そのためそもそも教える立場の医師の数が増えないと、養成できる若手の数も制限されてしまうのです。また、子どもの心の診療自体、構造的に赤字体質であり、なかなか若い医師にとって魅力のある領域になりにくいなど、様々な背景があるのです。本来あるべき支援と、医療信仰とのあいだに存在するギャップ出典 : 残念ながら現在の医療の水準では、種々の発達障害の根本的な治療法は見つかっていません。逆に言えば、根治するために必ず医療を受診しなければならない、という状況ではないのです。これほどの数の多い、発達障害がある子ども達、大人達の支援は、本来は普段の生活の場所、そこから近いところで提供されなければなりません。医療のような日常の暮らしと切り離された場所での対応には、はじめから限界があります。一方で、本人やご家族、他の領域の支援者からはときに医療に対して、万能的、魔術的な期待が寄せられます。また逆に医療領域の支援者には、他の領域の支援者に対する根強い不信があることがあり、良心的な医療者ほどその不信を隠さず、必ず医療機関にかかっておくべきだと主張することもあります。この背景には、そもそも現在の発達障害の概念の多くは医療から出発しており、黎明期である1960年代〜70年代には医療以外の支援が極めて乏しかったこと、現在でも他の領域の支援で支えきれなかったこじれたケースが医療機関を受診する場合が多いことなど、様々な理由があるのですが、現在の視点から見るとそれは不幸なことであると思います。診断の前から支援を行う姿勢が必要。では、本当に「医療は役立たず」なのか?出典 : 例えばいわゆる「学習障害」の場合などでは、地域の一般的な子どもの学力のデータも、多数派の子どもに勉強を教えるノウハウすらも一般的な医療機関にはありません。しかし、最近の診断基準(DSM-5)では、学習障害(限局性学習症)の診断は、何らかの学習の困難に対して、それを対象とした「介入が提供されているにもかかわらず」6ヶ月以上困難が持続している場合に行われるとされています。文部科学省の通知でも診断の前から支援を行うという姿勢がはっきり打ち出されているにも関わらず、なぜか医療機関の受診が支援の前提のように語られることがあるのです。「クリニックからクラスへ」というスローガンにはかなりの説得力がありますね。さて、それでは「医療は役立たずなのか」と問われると、医師の立場としてはやはり「そうではない」と答えたくなります。この連載では医療そのものについての情報よりも、発達障害のあるご本人、ご家族がどのように医療とつきあっていけば、医療のサービスを最大限有効に活用できるのか、そうした観点から考えていきたいと思います。
2016年09月29日発達障害の息子は喋り方が独特で、友達とのコミュニケーションが苦手だった出典 : 子どもが目の前でいじめられていたら、親はどう関わるべきなのでしょうか?すぐに仲裁に入る方も多いかもしれませんが、私はそうではありませんでした。6歳の息子は発達障害があり、人との関わり方や喋り方が独特です。幼稚園児なのに、やたら難しい言葉を使い、相手のことはお構いなしに喋り続けます。「しかしながら、僕はこう思う。なぜならば…」「加えて、この点については…」こんな風に、違和感のある接続詞を頻繁に織り交ぜながら話す息子は、相手の気持ちを想像することが苦手なのです。人との関わり方もとても独特で、他人とルールを共有する遊び方が苦手です。あくまでも自分本位に遊ぶことを好むため、公園などで他のお子さんと上手く関係を築くことが、なかなかできません。息子の喋り方をからかう子どもたち。でも、子ども同士のトラブルに私は介入せず…出典 : 子ども同士はこういった、人と違う話し方などの「違和感」にとても敏感です。遊びに連れていくたびに、なんだか変な顔をして息子を見ている子どもがよくいました。そして、公園によくたむろしている小学生たちが、そんな息子に「変な子だ」と言って、目をつけるようになったのです。彼らは、わざと息子に話しかけ、変わった話し方をする様子をみんなで真似し、てクスクスと笑うようになりました。また、木の棒などでしつこく突っつくようにもなりました。触覚過敏のある息子は、そのたびに大声をあげ、パニックになります。それがますます面白かったのか、さらに追いかけまわして突っつくのです。ここまで様子を見ていたら、すぐに止めに入るお母さん方もいるかもしれませんね。私が子育てをしながらいつも心に留めていたのは、「子どもの世界には口出しをしない」ことでした。発達障害があろうとなかろうとそれは同じ。子どもには子どもの人間関係がある、そこにいちいち親が口出しをしては、その子は自立することができない…そう思っていました。息子が小学生たちに目をつけられていることは、すぐに気付きました。しかし、積極的には介入せず、なるべく早めにその場を離れるようにしていました。その日見た小学生は、息子を蹴飛ばし…その様子を見てカッときてしまった私出典 : けれども、ある日、私の冷静さが崩れ落ちるような出来事が起きたのです。「口は出すまい」とじっと黙って見ていた私の前で、小学生の男の子が「おまえ、キモイ!向こういけ!変な喋り方するなっ!」と言って、後ろから息子のことを蹴っ飛ばしたのです。それまでずっと我慢していた私でしたが、頭にカーッと血が上るのを感じました。その時の私は感情のコントロールが完全にできなくなっていました。「あなたね、○○くんをいじめてるの、私が気付いてないとでも思った!?」「あなた小学生でしょ、なぜこんな小さな子にそんなひどいことするの!?」「大人は全部わかってるのよ。全部見てるのよ。あなたが意地悪しているのも、全部見てたんだからね!」気付いたら、私の頬には涙が次々につたってきて、小学生の前でブルブルと震えながら、大泣きしてしまいました。小学生を怒鳴りつける私を見て、息子が言った驚きの一言出典 : 感情的になる私を見ながら、息子をいじめた小学生たちは全員呆然としていました。すると、横で私を見ていた息子が言ったのです。「…お母さん、ダメだよ、この子たちのことをいじめたら。僕、お母さん嫌い」あろうことか、息子は自分がいじめられていることに、気が付いていなかったのです。そして、私がその子たちをいじめていると思っているではありませんか。私はそのまま大泣きしながら、息子を家に連れて帰りました。いじめられてもどう対処していいのかわからなかった息子。私がやるべきだったのは…出典 : 帰宅後、自分が落ち着いてから、「バカとかキモイとか言われたら、怒っていいんだよ」「叩かれたり、ツンツンされたり、蹴っ飛ばされたりしたら、やめてって言っていいんだよ」と改めて息子に話しました。すると息子は、「ええ~、そうなんだぁ?」とすっとんきょうな声を出しました。私がすべきだった介入は、小学生の男の子たちを怒鳴り散らすことではなく、「これをされたら嫌だと言っても良いよ」と息子に教えることだったと、そのとき気付いたのでした。そのときのことは、今でも思い出すとちょっと泣けてきます。子どもの人間関係にどこまで介入して良いものか、私は今も自問自答しています。
2016年09月29日「エンタメ療育ダンス」って一体なに?Upload By 発達ナビ編集部ステージの上で踊るダンサーの姿を見て、あんな風に自由に、自分の感情を身体で表現できたならと、憧れたことはありませんか?しかし、いざ実際にダンスをやってみると、思ったよりもはるかに難しい… 手足を同時に様々な方向へ動かすことは、「協調運動」と言われる運動の中でもなかなか高度な動きです。この協調運動は、特に発達障害のあるお子さんの中には苦手とする子も多く、学校の体育の授業や学芸会などで「みんなと同じようにできない…」と、運動面だけでなく、参加そのものへの自信を失ってしまう子も少なくありません。そうした発達の凸凹が気になる子どもたちにもダンスを踊る喜びを届けるために、放課後等デイサービス「プレミア・ケア・ジュニア」(運営: 株式会社トリプル・エース)は「エンタメ療育ダンス」という取り組みを行なっています。先日、9月4日には、トップ振付師の南流石(みなみさすが)さんをゲストに招いての「エンタメ療育ダンス」の発表会が開催されました。今回は、その発表会に参加し、南流石さんにこの企画に込める想いを伺ってきました。「踊りは、アーティストや芸能人のためのものだろうか?」ー振付師、南流石氏の想いUpload By 発達ナビ編集部南流石(みなみさすが)氏振付演出家様々なエンターテイメントシーンにダンス作品を提供する振付界の第一人者。サザンオールスターズ、THE BOOM、PUFFY、大塚愛、乃木坂46、おしりかじり虫(NHK)、くまモン(熊本県)などアーティストの振付演出家として活動する傍ら、医療従事者と共に、乳幼児から高齢者に向けたダンスプログラムを国内外で実践。認知症介護予防推進運動プログラム「ココロからダンス」や、 肢体不自由児を対象としたダンスプログラム「東大寺福祉療育病院・天坊体操」、国連UNHCR協会との取り組みで中東ヨルダン難民キャンプにてワークショップなどを手がける。流石組―南さんが今回の療育ダンスを手がけようと思われたきっかけは何だったのでしょうか。私はこれまで、アーティストの世界や芸能界で、長年ずーっとダンスをやってきたんですね。ダンスが大好きな人とかダンスを生業としている人たちと一緒に踊ったり振り付けを手がけたりと、とにかくプロとしてダンスを追求してきたわけです。でも、ある日ふと思ったんです。「ここ(芸能界)にいる人たちは自由に踊れるけれど、世の中には踊りたくても踊れない人たちがたくさんいるんじゃないか」って。身体の自由が効かなかったり、行きたいんだけど心が元気じゃなくて動けなかったり、そもそもダンスを楽しめるような環境にいなかったり…そういう、色んな境遇の人たちを思い浮かべたとき、私がやってきた踊りっていうのは、アーティストや芸能人のためだけのもので良いんだろうか?って疑問が浮かんできて。それからです。「踊りたくても踊れなかった人たち」のためのダンスをやっていくことが、私の使命なんじゃないかと思うようになりました。だから今回の療育ダンスに限らずね、 老人ホームのお年寄りや、病院にいる肢体不自由の子どもたち、難民キャンプで過ごすシリア難民たち…私の踊りは、そういった人たちみんなのためのもの。求められたならどこにでも行こう、「心が踊る」っていうことを伝えに行こうと思って、こうした活動をやり始めたんです。―なるほど。踊りたくても踊れない全ての人たちのために…。療育ダンスを手がけられる前に、もともと様々な活動をされていたのですね。そうですね。だから今回プレミア・ケアさんからお話をいただいた時も、先生方の「ダンスで子どもたちの成長を応援したい」という強い思いを感じて、是非一緒にやりたいって思ったんです。―実際に、発達が気になるお子さんたちにダンスを教えてみて、どうでしたか?ちょっと語弊があるかもしれないんですけど、やってる私自身の姿勢は「何も変わらないな」って思いましたね。どんな特徴のある、どんな子どもが相手だって、どこに行ってもやり方は変わらない。Upload By 発達ナビ編集部―何も変わらない…?結局、人間と人間が向き合うだけの話でしょ。だからシンプルに、私が誠実に彼らと向き合って伝えるだけというか「あなたの味方だよ、あなたと一緒に心がつながりたいんだよ」っていう気持ちを持って接すること。発達障害があろうと、外国で言葉が通じなかろうと、どこでも一緒なんですよ。ヨルダンの難民キャンプに行ったときと今回と、私自身はまったく同じ姿勢で彼らと向き合いました。―あなたと繋がりたい。その思いをまっすぐ伝える…そう、その気持ちはどこに行っても変わらない。もちろん、その上で「どうやったら伝わるか」ということは、相手の個性や年代を踏まえて工夫はするんですけどね。Upload By 発達ナビ編集部今回はエンタメ療育ということで、スキルを磨く踊りというよりも、まずは「踊れた!」という達成感を全員に感じてもらえることを大事にしました。見よう見まねですぐに身体を動かせない子もいるでしょう?だから振り付けを教えるときも、「キュッキュッ」とか「よっしゃ」とか振り付けに言葉を添えたり、繰り返しの多いものにして、身体だけじゃなく五感全体を使って覚えていけるように工夫しました。―確かに、シンプルな繰り返しの中で楽しめるような振り付けでしたね。それに、両手両足を動かすのが難しい人は、上半身を動かすだけでもちゃんとダンスになって楽しめるようになっていて、工夫されているんだなぁって感じました。私自身も不器用でダンスが苦手なので…(苦笑)それは良かった(笑)今回はお子さんだけでなく大人にも一緒に楽しんでほしかったので。―今後もエンタメ療育という切り口での活動は続けられるのですか。そうですね、私に出来ることであればぜひ、と思っています。特にやりたいのは、「親子」のためのダンスです。親子で一緒にやることが大事なんです。子どもをダンス教室に送って親はいなくなるのではなく、お父さんもお母さんもお時間のある方は一緒に踊ってみてほしい。一緒に踊ってみれば、子どもが実際どういうところに苦しんでいるかも分かるし、出来たときの喜びも分かち合えるし、子育ての大きな気付きになると思うんですよね。―それはとても大切なことですね。手足の協調運動が難しかったり、運動機能の発達がゆっくりだったりするお子さんもおられますが、周りから「不器用」だとか「どうして出来ないんだ」と言われて自己肯定感が下がってしまうことも少なくないので…そうなんですよ。学校でもいろんな先生と話す機会があったんですけれど、「この子はこうなんです」って一言で決めつけちゃうことが多いんですよね。でも、人間のことを一言で断定しちゃいけないし、できるはずないと思うんですよ。仮になにかひとつ出来ないことがあっても、その子にはいいところもいっぱいあるし、それを見つけて伸ばしていくのも大人の役割でしょ。だから私は、少なくともダンスにおいては、誰が相手であっても、一人ひとりに丁寧に向き合ってその子のいいところを引き出してあげたいんです。「ダンスを始めて、身体を動かすことが好きになった!」参加したご家族の声Upload By 発達ナビ編集部普段から「プレミア・ケア・ジュニア」の教室に通ってダンスを練習している子どもたち。発表会に参加した子どもたちの元気いっぱいなダンス発表を見て、ご家族からこのような声が集まりました。"うちの子は、ダンスを始めて体を動かすことが好きになったんです。私も見ていて、身体の使い方が上手になってきたと感じますし、本人も楽しく、また一生懸命踊っているのが伝わってきて嬉しいです。"“もともと手足の動かし方にぎこちなさがあって、思ったように身体を動かすということが難しいのかなと感じていたところ、ここの教室に出会いました。頭と身体を連動させる動かす力を、少しずつダンスを通して学んでくれたらいいなと思っています。"Upload By 発達ナビ編集部発表会の最後には、南さんが手がけた振り付けで、会場のみんなが一緒に踊りました。曲目はTHE BOOMの「風になりたい」。子どもたちも、保護者の方も、インストラクターの先生方も、会場全体が一体となって本当に楽しそうに踊っていました。南さんの言葉通り、年齢や障害の有無も関係なく「踊る喜び」は全ての人に開かれているのだと感じる、そんな発表会でした。南流石さん、プレミア・ケア・ジュニアさんの今後の取り組みにも、目が離せませんね。児童発達支援・放課後等デイサービス「プレミア・ケア・ジュニア」
2016年09月28日娘はとにかく「あいさつ」が大好き!Upload By SAKURAUpload By SAKURA広汎性発達障害の娘は、3歳になるまでほとんどしゃべりませんでした。でも4歳ころになって少しずつしゃべりだすようになると、「あいさつ」が大好きになりました。あいさつするよう教えてきたわけではなかったのですが、ほめられるのが嬉しかったのか、どこでも誰にでもあいさつする子になりました。あいさつが大好きすぎて、スーパーで「あいさつ回り」をする娘。でも母の心境は複雑で…Upload By SAKURAそんな娘は、私と買い物に行くと必ず、「みんなにあいさつしてきていい?」と聞いてきます。あいさつするのはいいこと…私は娘に「ダメ」なんて言えませんでした。すると娘は嬉しそうにスーパーを周り、一人ひとりにあいさつしていきます。もちろんみんながあいさつを返してくれるわけはなく…無視されたり、笑われたり…そんな状況を私は、何とも言えない気持ちで見守ります。Upload By SAKURAそれでもスーパーでのあいさつ周りを終えた娘は、とても満足そう。これはどこまで許していいのか…やめさせるべきなのだろうか…娘の満足そうな顔を見ると、無理に止めるのもかわいそうに思うようになりました。あいさつを返してもらえないと怒りだす…どうすればいい!?Upload By SAKURAUpload By SAKURA最初はあいさつがきちんとできる娘が誇らしかった私ですが…娘はあいさつをしても返事をしない人に対して、それが通りすがりの知らない人でも、あいさつをしつこく繰り返したり怒ったりするようになりました。「もういいよ!ストップ!」と娘のあいさつを止めようとするのですが、広汎性発達障害の娘は、相手の顔色を読むとか、状況を読むとか、そういったことが苦手なので、私がどうして止めようとするのか、意味が分からないようでした。娘に「相手の気持ちを察する」ことを覚えてもらおうUpload By SAKURA悩んだ私は、娘の言語訓練をしてくれている先生に相談することにしました。先生には、「あいさつをやめさせることはないけど、あいさつを返さない人への対応は教えてあげてください」とアドバイスしてもらいました。何度もしつこくあいさつをしたら、相手も不快に思うかもしれません。そのことを娘にも分かってもらうために、「今は、あいさつしたくないのかもしれないよ?」「忙しいのかもよ?」などと声をかけて、娘に相手の気分や気持ちを推測させることにしました。忘れたくない!あいさつできるのは、「いいこと」。Upload By SAKURA私は、きちんとあいさつができる娘を誇りに思っていますし、止めさせたいとは思っていません。ただ、適切な状況でそれができるようになってほしいと思っています。気を付けないといけないのは、あいさつできるのはいいことということ。娘が、「あいさつするのはいけないこと?」と誤解しないように接していきたいと思います。
2016年09月28日障害がある人の税控除とは?出典 : 障害がある人にはさまざまな税金の優遇措置がとられています。その目的として、国民一人ひとりの税負担をできるだけ平等にしていくことが挙げられます。納税者の年齢や収入、家族構成などによって負担する税金の金額は異なりますが、日本では国民一人ひとりが税金を支払うことを義務づけられています。しかし納税者の置かれている状況によりそれぞれ税負担の感じ方は異なります。そこで税金を負担できる能力の差をふまえた上で、税負担が平等になるように様々な制度が作られているのです。障害がある人の税の優遇措置として代表的な例は障害者控除です。障害者控除とは納税者本人とその家族のうち誰かに障害がある場合、税控除を受けることができる制度です。障害とは身体障害、知的障害、精神障害などすべての障害を対象としており、障害にあたるかどうかの基準は法律によって定められています。障害者控除には主に所得税や住民税、そして相続税の税控除があり、控除される金額は障害の重さや家庭環境の状況によって変わります。また障害がある人に対する税の優遇は障害者控除だけではなく、贈与税の優遇など様々な特例が定められています。所得税・住民税の障害者控除出典 : 所得税・住民税における障害者控除は、所得のうち課税対象となる額を一定額差し引くものです。そのため納税者本人やその家族が障害者である場合、障害者控除を受けることで住民税や所得税の負担金額が少なくなります。障害者控除は所得税法上で定められている障害認定の基準を満たしている必要があります。その一例として以下のものが挙げられます。・精神保健福祉センターなどの公的機関から知的障害があると判断された人・精神障害者保健福祉手帳や身体障害者保健福祉手帳の交付を受けている人・障害者控除対象者認定書が発行されている人障害があると認定された人の中でも、1、2級の精神障害者福祉保健手帳を持っているなど、特に重度の障害があると判断された場合は、特別障害者とみなされて控除される金額ががさらに多くなり、税負担が軽くなります。 障害者控除l 国税庁障害者控除は納税者、控除対象配偶者、もしくは扶養親族が障害がある場合に適応されると国税庁によって定められています。では控除対象配偶者、そして扶養親族とはどのような人のことを指しているのでしょうか。まず、控除対象配偶者とは税を納めている人と、民法上の規定によって婚姻関係にある人をさします。次に扶養親族は、納税者に対して6親等内の血族、3親等内の配偶者側の親族、または里子や市町村長から生活の面倒をまかされた高齢者が対象となります。納税者に対して1親等とは、父母もしくは自身の子どもがあてはまり、2親等は兄弟、おじいちゃんおばあちゃん、孫があてはまります。控除対象配偶者と扶養親族の共通する条件としては、・納税者と生計を一にしていること・1年間の合計所得金額が38万円以下であること・青色申告者の事業専従者としてその年を通じて一度も給与の支払いを受けていない、または白色申告者の事業専従者でないこと以上の3点です。詳しい条件などは国税庁のホームページをご覧ください。 配偶者控除l 国税庁障害者控除とは?16歳未満の扶養親族も対象ですl 税理士法人のインテグリティ障害者控除において控除される金額は障害の程度によって異なり、障害者と特別障害者の2パターンに分けられます。控除される金額は障害者一人につき所得税27万円、住民税26万円であり、特別障害者として申請する場合は所得税40万円、住民税30万円です。また控除対象配偶者、もしくは扶養親族が特別障害者である上に、その人が納税者、納税者の配偶者、もしくは納税者と生計を一にしているその他の親族のいずれかと一緒に住んでいる場合は所得税75万円、住民税53万円の控除があります。Upload By 発達障害のキホン所得税や住民税の障害者控除についてl 福島の進路相続税の障害者控除出典 : 障害者控除には相続税が控除される制度もあります。それは相続人が85歳未満の障害者のときは、相続税の額から一定の金額を差し引くというものです。相続税には主に相続や遺贈が関わってきます。法定相続人と呼ばれる法律上で決められた相続人に遺産が引き継がれることを相続と言います。一方、遺贈とは遺言により遺産が引き継がれることを言います。平成28年現在、相続税における障害者控除の額は次のようになっています。まず、相続人となる障害者が自身の年齢を85歳から引き、その年数1年につき10万円を足していきます。最終的にでた金額を障害者控除額として、相続税額から差し引きます。相続人が特別障害者のときは10万円ではなく20万円として計算します。■一般障害者....控除額=10万円×(85歳-相続した時の年齢)■特別障害者....控除額=20万円×(85歳-控除した時の年齢)しかし相続した時の年齢が、35歳5ヶ月のように端数が出てしまう場合は5ヶ月などの端数を切り捨てて計算します。障害者控除が受けられるのは以下の3つの条件全てに当てはまる人です。1. 相続や遺贈で財産を取得した時に日本国内に住所がある人2. 相続や遺贈で財産を取得した時に障害者である人3 .相続や遺贈で財産を取得した人が法定相続人であること 障害者の税額控除l 国税庁障害認定基準出典 : 障害者控除の対象となるのは、次の8つの条件のいずれかに当てはまる人です。1. 精神上の障害により、事理を弁識する能力を常に欠く状態にある人2.知的障害:児童相談所、知的障害者更生相談所、精神保健福祉センター、精神保健指定医の判定により、知的障害者と判定された人。このうち重度の知的障害者と判定された人は、特別障害者になります。3.精神障害:精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の規定により精神障害者保健福祉手帳(2級、3級)の交付を受けている人。このうち障害等級が1級と記載されている人は、特別障害者になります。4.身体障害:身体障害者福祉法の規定により交付を受けた身体障害者手帳(3級~6級)に、身体上の障害がある人として記載されている人。このうち障害等級が1級または2級と記載されている人は、特別障害者になります。5.満65歳以上の人:精神又は身体に障害のある年齢が満65歳以上の人で、その障害の程度が1、2又は4に掲げる人に準ずるものとして市町村長等や福祉事務所長の認定を受けている人。このうち特別障害者に準ずるものとして市町村長等や福祉事務所長の認定を受けている人は特別障害者になります。6.戦傷病者特別援護法の規定により戦傷病者手帳の交付を受けている人。このうち障害の程度が恩給法に定める特別項症から第3項症までの人は特別障害者となります。7.原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の規定により厚生労働大臣の認定を受けている人8.この年の12月31日の現況で引き続き6ヶ月以上にわたって身体の障害により寝たきりの状態で、複雑な介護を必要とする人 障害者控除l 国税庁障害者控除を申請するうえでの注意点出典 : 障害者手帳の交付を受けている本人が何かしらで収入を得ている場合、通常は確定申告をする必要があります。しかし前年度の所得の総額が125万円までであれば課税対象とはならないので確定申告の必要はありません。もし不安であれば最寄の市町村役場や税務署に問い合わせてみましょう。障害者の非課税についてl東京都新宿区身体障害者手帳の交付を受けていない場合は、身体障害者福祉法上の障害があっても障害者控除を受けることができません。しかし身体障害者手帳の交付を申請中である場合でも、障害者控除を受けることができます。そのときに必要となるものが、身体障害者手帳を交付されるための医師の診断書です。また精神障害者保健福祉手帳は申請中であっても障害者控除を受けることができないため、交付されてから申請する必要があります。周囲の協力がなければ日々の生活を送ることができない「要介護認定」を受けていても障害があるとは判断されないということに注意が必要です。なぜなら要介護認定の基準は介護保険法の規定であり、障害者控除には適応されないからです。しかし、こういったケースにおいても障害者として認定を受けることができる場合があります。それは、年齢が満65歳以上の人で、障害の程度が障害者に準ずるものとして市町村長等や福祉事務所長から認められたときです。障害があると認められた時に発行される書類は「障害者控除対象者認定書」と呼ばれます。認定書の発行申請には、たとえば東京都八王子市の場合であれば、•申請書•対象者本人の介護保険被保険者証•医師の意見書•対象者本人の印鑑といったものが必要です。自治体によって必要なものが異なる場合があるので、市役所にお問い合わせすることをおすすめします。要介護等認定高齢者の方に対する税法上の障害者控除についてl 東京都八王子市税についての相談窓口l 国税庁申込方法出典 : 障害者控除を受けるためには会社員であれば会社で行われる年末調整の際に、そして自営業者であれば確定申告で可能となります。年末調整では会社の指示に従い提出書類に必要事項を記入し提出手続きをします。自営業者である場合は年末調整がないため、毎年決められた期間に最寄りの税務署で確定申告を行います。しかし、会社に勤めている人でも年末調整で障害者控除を申請せずに、個人で確定申告を行い、そこで控除を申請することも可能です。申し込みの際に必要書類とされるものはありません。しかし会社によりコピーの添付を求められることもあるため、障害者手帳、障害者控除認定書などの障害控除を受ける権利があることを証明できるものを、いつでも提示できるよう必ず準備しておきましょう。確定申告手続き方法l 国税庁相続税においての障害者控除では相続の開始があったことを知った翌日から10ヶ月以内に、相続税の申告書を税務署に提出し、書類を提出した日と同じ日に相続税を納める必要があります。 相続税の障害者控除l 国税庁その他の障害者本人が受けられる税制上の特例出典 : 障害がある人への税負担の配慮は所得税や住民税、障害者控除だけではありません。他にも障害がある人本人が受けることができる特別な制度が存在します。身体障害、戦傷病、精神障害、そして知的障害がある人のなかで一定の条件を満たしている場合、申請により自動車税・自動車取得税の減免を受けることができます。自動車税・自動車取得税の減免制度l 東京都主税局障害がある人が生活をしていくために財産権の移動があったときは、特別障害者の方については6,000万円まで、障害者の方については3,000万円まで贈与税がかかりません。この非課税の適用を受けるためには、財産権を移転する際に障害者非課税信託申告書を、信託会社を通じて最寄りの税務署に提出しなければなりません。心身障害者扶養共済制度に基づいて支給される給付金については、所得税はかかりません。心身障害者扶養共済制度とは障害がある人の生活の面倒をみている人が、任意で加入する制度です。これは毎月一定額を扶養している人が支払うことにより、万が一のことがあったときに障害がある人に一定の給付金をおくることができる制度です。しかし、制度の利用をやめたときに支払われる脱退一時金には所得税が発生します。身体障害者手帳などの療育手帳の交付を受けている人が銀行などの350万円までの預貯金、貸付信託、公社債、公社債投資信託などで受け取る利子などについては、一定の手続を要件に非課税の適用を受けることができます。これをマル優、特別マル優と呼び、この制度を利用したい場合は、預け入れ等の際に金融機関の窓口などに確認書類として手帳を提示して確認を受ける必要があります。障害者と税l 国税庁障害者に関する税制上の特別措置一覧 平成17年度版l障害者白書まとめ出典 : 所得控除の一つである障害者控除は、様々な人を対象としているため申請条件・方法が複雑に見えてしまうことがあります。また障害と一概に言っても、目に見える障害ではない場合があったり、お金の問題ということもあったり、周囲にはなかなか相談できず障害者控除に対してさまざまな不安を抱えている人も多いです。しかし障害があることを証明するものを既に取得している場合は、申請は年末調整か確定申告の提出書類に必要事項を記入するだけの、比較的かんたんな手続きで控除が受けられます。そのため少しでも気になることがあるときは、国税庁や市区町村の相談窓口に相談することをおすすめします。
2016年09月27日トリプル発達障害の沖田×華さんが描く、発達障害と共に生きる日々出典 : 皆さんは「障害者」という3文字からどんなイメージを浮かべますか?かわいそうな人?大変だけど頑張っている人?今回ご紹介する方は、みなさんが抱いているであろう、様々な障害のイメージを覆すかもしれません。アスペルガー症候群(ASD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)の「トリプル発達障害」を公言する漫画家の沖田×華(おきたばっか)さん。彼女が描いた漫画『毎日やらかしています。』『ますます毎日やらかしています。』に登場するのは作者の沖田さんの他、発達障害を持つご友人や、その傾向が感じられる皆さんで、彼らの“やらかしエピソード”がいくつも綴られています。元々は、ギャグマンガ雑誌に連載されていたということもあり、その内容は面白おかしく、悲壮感がありません。ASDでADD、計算障害を持つ、やはり「トリプル発達障害」の私が読んでみて、「あるある~!」と共感できたかというと、意外とそうでもなかったのですが(笑)、「そういうふうに考えちゃうのは理解できる」という内容ばかり。特に自動車学校でのADHDらしいエピソードには、大笑いしながらも「ああ、発達障害の人って、こういう考え方からこういう言動になっちゃうんだね」と、1つのパターンを感じられました。発達障害を持つ漫画家、沖田×華(ばっか)さん(1)看護師修業、コミュニケーションや数字で苦労してでも、最初から「障害」を面白おかしく受け止めていた訳ではなかった出典 : さてそのようにして、失敗を笑いに変える作風の沖田さんですが、昔から自らの特性をポジティブに捉えていたのでしょうか?「看護師やっていたときは発達特性が全て欠点になっていた」「何もかもダメで、自分のことを否定し、悔やんでばかりいた」『ますます毎日やらかしています。』に収録されている対談の中で、沖田さんはそのように過去を振り返り、自殺をしようとしたことも明らかにしています。沖田さんは他の作品やテレビ出演した際にも、特性やご自身の過去について語っています。それを見聞きしていると「それだけ失敗してダメな人扱いされたら、そこまで思いつめても仕方ないよな…」と、他人ながらにして思ってしまうほどです。しかし、そういった体験を「面白い」と言ってくれる人と出会い、漫画家になったことで、「あのときは辛かったけど良かったな」と、自分の障害を肯定的に捉えられるようになったのだと語っています。誰しもが障害を笑いに変え、漫画家になれるわけではありませんし、すぐに特性を長所として活かす方法が見つかるとは限りません。でも、沖田さんが命を断ちたいとまで追い詰められた苦しい日々が、他の誰かにとっては面白い漫画のネタになりそう、と感じられるものであったように、自分では嫌でたまらない側面が、実はその人らしい魅力として他の誰かの目には映っているのかもしれません。今でこそ、障害特性について肯定的な内容のコラムを書いている私ですが、これまで失敗やトラブルが少なかった訳ではありません。むしろ落ち込み、自責することもしょっちゅうでした。だからこそ、発達障害の診断が下りたとき「工夫でカバーできる面もあるし、それでも失敗したら他のやり方を考えたらいいや」とポジティブに捉えるというか、ある意味開き直ることができ、今に至るのです。そういった自分自身の経緯もあって、「さんざん悩んだんだし、もう笑い飛ばしちゃっていいんだよね!」と、沖田さんの漫画を読んで励まされたような気持ちになったのでした。「障害」?「障がい」?沖田さんの障害の捉え方とは出典 : もうひとつ漫画の中で、とても印象的なやり取りがありました。こちらは『毎日やらかしています。』のあとがき漫画での、アシスタントさん(障害のある息子さんがいる)と沖田さんの会話です。「障害のことを“障がい”という表記にしたところで差別がなくなるわけではない。その前に、健常と障害は区別であって、差別で使っている人は恐らく少ない。わざわざ字を変えようと思うこと自体が差別的」というような内容でした。実際私も「“障害”という文字のイメージが悪いから、表記もしくは呼び方そのものを変えましょう」という風潮には首を傾げていました。確かにイメージは大切です。でも、文字表記や呼称といった表面的なものを変えたところで、中身が変わるわけではありませんし、差別する人がいたとして、「“障害”という文字だから」という理由ではないでしょうから、あまり意味がないように思えてしまうのです。「大変なのは社会と自分の間にあるズレであって、そのズレが“障害”。それをいかに埋めていくかが大事なのであって、ひらがなにするだの呼び方を変えるだの、はっきり言ってどうでもいいよね(笑)」と、障害当事者の友人たちとよく話しています。私に至っては、どうでもいいどころか「差別されがちな人」として一線を引かれたような気すらしてしまうのです。これは、自分を含めた周囲の障害当事者のほとんどが、“障害”という表記及び呼称に差別的な何かを感じていないからこその感想なのかもしれませんが…。なんてことを思いながら漫画を読み進めていたら、「どうせ変えるんなら“発達障害”の呼び名を“逸脱戦隊”にしちゃうとか!!」と沖田さん。笑いに落とし込もうという姿勢が徹底しています。逸脱戦隊、いいなあ。なんかかっこいいし、楽しい!障害のあるなしに関わらず、みんなが生きやすい方法はきっとある出典 : 『毎日やらかしています。』『ますます毎日やらかしています。』の世界に、「遠い世界にいる、差別されやすい可哀そうな人」はいませんでした。誤解されたり不便さを感じたりもしつつ“自分なりの普通”を生きている方ばかり。沖田さんの意図はわかりませんが、“やらかし”をコメディータッチで描くことで、特性がチャーミングに、そして発達障害当事者の方々が身近な存在に感じられてくるのです。まるで「発達障害者って特別じゃないんだよ!」と微笑みかけられているように。「うちの旦那、こういうところある!」「私は定型発達だけれど何となくわかる…」そんな風に、自分やご家族と照らし合わせて読むのも楽しいかもしれません。また、発達障害専門家のコラムや対談、沖田さんなりのトラブル対処法も載っているので、自分なりの工夫を見つけるヒントにもできますよ。そうそう、ちょくちょく下ネタが出てくるので、苦手な方はご注意ください!毎日やらかしてます。アスペルガーで、漫画家で沖田×華著
2016年09月26日こんな時どう話せばいいのだろう…Upload By モンズースーUpload By モンズースー皆さんは周囲の人たちに、子どもの障害のことや支援のことを、どれくらいオープンにしていますか?私はめったに合わない地域の人や、わざわざ話す機会もない人には、基本的に話していませんが、聞かれたら素直に「発達の遅れがあって支援の幼稚園へ通っている」と答えています。でも、隠すことではないと思いつつも、変に気を遣われることもあるので、言いにくいのが正直な所です。また考えすぎかもしれませんが、誰にでもオープンにしたら「この子はハンデがあるの!特別に扱って!!」なんて思われるかもしれません。発達のことを話すときいつも、誰にどう伝えたらいいのだろう…と考えてしまいます。相手の気持ちをコントロールすることはできません。でも、「発達の遅れがある」「特性がある」ことを、ほんの少しでも知ってもらうことで、「支援はこの子に必要なことなんだ」と思って、否定しないでもらえたら嬉しいな…そう思っています。
2016年09月23日発達障害児の子育てに、親の相談の場は不可欠。しかし、子どもにとってはどうだろうか出典 : 発達障害児を育てていると、診断されてから何度も何度も、様々な相談に赴くことになります。私の場合、1番最初の相談は市の発達相談でした。その次は病院の発達外来、そして言語療法や音楽療法などでは、その後に先生方との面談もあります。他にも、幼稚園や小学校の先生との面談…。実は1ヶ月に数回は、「子どもの状態」について相談しています。この相談は、親にとってとても大切なことです。どうしていいのか分からなくなったとき、何度となくこの相談に私は救われました。「ちょっとこんなことで困っていて…」と、相談できる場が沢山あるありがたさ。発達障害児を育てている親が、追い詰められないためにも、このような相談の場は絶対に必要だと私は思います。一方で、子どもが少しずつ大きくなり、理解力がついてくると共に、考えなければならないことがあります。それは、この相談の場には子どもも常に一緒にいて、内容を聞いているということ。そして、それはその子にとって、必ずしも嬉しい内容ではないということを。発達検査の報告で息子の様子が急変。「もうやめて…」出典 : ある日のことです。発達外来で担当医と話をした後に、息子が私の手を掴んで言ったのです。息子「おかあさん、僕、ドキドキする」私「え?なんで?」息子「僕のテストの結果をお母さんが誰かと話すたびにドキドキする。もうやめて。」これを聞いて、私は心の底から「やってしまった!」と反省しました。私は相談することに追われ、側でいつも息子が聞いているという事実をすっかり忘れていたのでした。その頃はちょうど、小学校就学に向けて発達検査を受けたあと。発達外来や言語療法、そして就学相談など、あらゆる場所で私は、検査結果についての相談に追われていたのです。子どもの将来への不安で頭が一杯だった私、息子の気持ちに気付けなかった出典 : そもそも発達検査には、その子の苦手な部分を知り、支援することで日常生活を円滑に送れるようにする、という目的があります。ですから、検査結果の話をするときは、大抵「この子はこういうことが苦手なんですね」というように、その子の苦手について話すことが多くなります。大きくなって理解力のついてきた息子は、これを聞いてどう思ったでしょうか。いつもお母さんは、僕の苦手なことを話している、いつもいつもお母さんは僕のことで困っている…そう思ったに違いありません。ただでさえ、発達検査は子どもにとっては大変なストレスです。頑張って検査を受けたのに、その後にいつも目の前で「自分の苦手な部分」について話をされる息子は、一体どんな気持ちだったのでしょうか。このときは本当に、自分の無神経さに落ち込みました。とはいえ、子育ての不安をそのままにもできない。ではどうしたらいいのだろう?出典 : 実はこれはとても難しい問題で、発達相談にせよ就学相談にせよ、「相談」と言われる場所には、本人同伴が基本です。それは、本人の態度なども、その場で行動観察として見られているからです。また、そこで本人を慮って、良い話だけで終わらせるというのも、なかなか難しいのが現実です。相談に来るということは、親も少なからず、追い詰められている状態だからです。とはいえ、このままでは息子の不安は増すばかりです。出典 : 最近、私が工夫しているのは、相談ごとをあらかじめ書面にまとめておくことです。発達検査の結果を関係機関に伝えるときには、解説や支援方法などを自宅でレポートにし、封筒に入れて渡すことにしました。医師や相談員の方には、後で目を通してもらうようにして、子どもに聞こえる場所では、得意な部分や成長した部分についての話題を中心に話しています。子どもの成長と共にこうして、いろいろと配慮しなければならないことも増えていくのかもしれません。
2016年09月22日「おしまいです」「大丈夫です」1度決めたら絶対やらない息子出典 : 発達障害の子どもたちは、日頃から苦手なことでパニックになったり、自信を失ったりする機会が多いと思います。ではどうすれば、失敗や苦手なことから逃げずに、工夫することができるのでしょうか?発達障害の息子は、自分が苦手だと感じていることは私が「やろう」と誘っても「おしまいです」「(やらなくて)大丈夫です」と言って、自分の中で完結してしまい、取り組まないことがよくありました。保育園の授業参観で見た光景です。工作の時間に、絵に色を塗ったりのりで紙を貼ったり、というシーンでも、何もしないまま「おしまいです」と宣言して固まっていました。「少しだけでも、一緒にやってみよう」と私が声をかけても、かたくなに拒否。後日、介助の先生と2人だけで取り組んだそうで、その際の様子を先生に伺いました。のりのベタベタが苦手だったのか、「もうおしまいです」と息子は立ち上がろうとしてしまいます。先生が席に戻るように促した後、先生の指先にのりをつけ、その指を息子が持って動かす、という共同作業で、やっと取り組めたそうです。また、三輪車も苦手意識があるせいか、「大丈夫です」といって断り、なかなか乗ろうとしませんでした。このように、息子は1度自分の中で苦手意識が芽生えると、それ以降チャレンジすることができなかったのです。できないことに息子自身も困っていた。苦手で終わらせないための工夫とは?出典 : どうにかして、息子の苦手意識を払拭したい!と躍起になって、あれこれ試していた私ですが、どうも上手くいきませんでした。その時ふと思い出したのが、保育園の先生の介助方法とそのあとの息子の反応でした。・息子は先生の手を借りて、のりを塗って作品を完成させていた・先生と一緒に作品の完成を喜んだ!これで気付いたことは、息子は決して「やりたくない」訳ではないのです。「できなくて困っていた」のでした。いきなり自分の手でのりを塗るというのは、息子にとってはハードルが高かったのかもしれません。そこで、息子の苦手と向き合うため、私が考えたことは●はじめから100%を求めない●Step by stepでできたところを褒める●苦手があっても大丈夫!と安心させるという3つでした。出典 : その後、息子が自宅で工作するときは「○君はのりのベタベタがちょっと嫌いだけど、少しづつ触ってみようね」と、嫌がらない範囲でのりに触れる機会を設け、少ししかできなくても、チャレンジしたことを褒めるようにしてみました。三輪車に乗れたときも、この3つを心がけていました。息子の「楽しむ」ということを優先し、そのそのときにできていることを、褒めるようにしました。すると、三輪車にまたがれるようになってから、徐々にペダルも漕げるように。いきなり乗るように促していたら「乗り物は嫌い!」となっていたかもしれません。乗れるまでは遠回りでしたが、結果は良かったと思っています。現在では自転車も乗れるようになり、公園での乗り物ライフを楽しんでいます。小学校にあがり、持ち物を準備するのが苦手だった息子。2人で考えた解決策は…Upload By たっくんママ小学1年生の時には、学校の持ち物を前日用意するのに、何を用意したほうがよいか分からずに困っていたことがありました。息子も「自分は持ち物を覚えたり、考えたりするのが苦手だ」と自覚があり、私は息子と一緒にどうしたらよいか考えました。2人で考えた結果、●チェックリストを作って、リストを見ながら用意するとうことで話がまとまり、その後はリストを作って用意しています。今でも、祖父宅への帰省や何か準備の時には「そうだお母さん、一緒に(チェックリスト)書いて!」と声かけをしてくれます。自分の苦手に向き合う息子の姿に、成長を感じました。とはいえ、チェックリストを作っても、気が散って他の事をしてしまい、なかなか準備が進まないことも。苦手に対する課題はまだまだあります。言葉遊びでの何気ない会話、母の私も思わず吹き出した一言出典 : 先日息子と話していた時のことです。最近、なぞなぞがブームの息子。なぞなぞの話題から派生して、言葉遊びを始めました。○○を別の言葉でいうと…?というお題です。私がふざけて、「お母さんを別の言葉でいうと?」と聞くと、予想外の言葉が。息子「がんばれ」私「がんばれ!?どんなところが頑張れなの?」息子「僕と一緒で片付けとか、頑張らないといけないから」そうなのです、息子も私も片付けは苦手。どうやら息子にとって私は、威厳のある母ではないようです(笑)でも息子は知らぬ間に、自分の苦手な部分を前向きに、受け止め始めているようでした。苦手はあっても大丈夫。親子で励まし合えば失敗も怖くない!出典 : 息子には、「お母さんにも苦手なことはあるけど、頑張ってるんだよ~」と伝えていて、息子はそんな私を「お母さん、頑張ってるよね~」と応援してくれています。「苦手なことはあっても大丈夫、ただそれとどう向き合っていくか」という姿勢は、折に触れて伝えています。壁にぶつかることもしょっちゅうで、まだまだ試行錯誤ではありますが、息子にはどうすれば暮らしやすくなるのか?生きていく知恵を少しづつ獲得して欲しいと思っています。ちなみに後日、息子にもう1度「お母さんを別の言葉で言うと?」と聞くと、「がんばりとがんばれかな」という答えが返ってきました。なかなかユニークな息子の感性。これからも息子と苦手に向き合いつつ、工夫していきたいです。
2016年09月21日ひどかった息子のパニック。回数が減って成長したと安心していたけれど出典 : 発達障害がある息子は、3歳で診断がおりる以前から、頻繁にパニックを起こしていました。新しい環境が怖い、見通しの立たないことをやるのが苦手、何かの音がうるさい、などなど、特定の不快な条件に耐えられなくなると、「ぎゃーーーーっ」と叫んでは、地面をゴロゴロと転がっていました。しかし息子自身の成長と共に、6歳の現在はパニックに陥ることが、ほとんどなくなりました。そしていつしか、私は「息子はもうパニックからは解放されたのだ」と勘違いしていました。しかし、それは違ったのです。お祭りで突然始まった、息子の不可解な行動出典 : ある日、家族で夏祭りに出かけたときのことです。夏祭り会場に着いてすぐに、息子が私たちを困らせることばかり言い出しました。息子「僕、たこ焼きはあっちの店じゃなくてこっちの店じゃないとダメなんだ。でも並ぶのは嫌なんだ。お父さん、並ばないで買ってきて!」父「何を言ってるんだ、並ばないとダメだろう」息子「お父さん、並ばないで買って!」このように、普段の様子からは考えられないような、支離滅裂なやり取りが続くのです。おまけに、私の手を引っ張ったりつねったりして、ひどく困らせようとします。「やめて」と言えば言うほど、彼の行動は加熱していくのです。「言うこと聞かないなら帰りなさいっ!!」息子がどうしてそんな困った言動を繰り返すかも知らず、私はひどい言葉を息子に投げかけました。その言葉に対して、息子は「帰るならお母さんが帰れっっ!!」と言うではありませんか。そのときの息子の顔を見ると、体調でも悪いのか真っ青でした。帰宅したあと、私を驚かせた息子の一言出典 : 息子の言動に私はぐったりしてしまい、お祭りもほとんど参加できずに、帰宅しました。帰宅後、家族全員無言でした。そのあとしばらくして、息子の様子が落ち着いてきたので、「今日はどうかしたの?」と聞いてみたところ、息子はこう言ったのです。「太鼓の音がうるさかったんだ。頭が割れそうで辛くて辛くて…」私はそのときハッとしたのです。息子のパニックは成長と共に落ち着いてきたと思っていたけれど違った!パニックは「形を変えた」だけだったのだと。それも知らずに、大勢の前で叱り飛ばしてしまった自分が、とても情けなかったです。パニックで気付いた、息子の成長出典 : 息子は成長と共に、自己コントロールや感情のコントロールができるようになってきて、人の前で大声で泣き叫んだり、地面を転げまわったりしなくなりました。その分、どうしようもなく不快な状況に対しては「人を困らせる態度」を取っていたのでした。「悪い態度」は、成長した彼のパニックの表現だったのです。困りごとの現れ方も、成長と共に変わる出典 : 発達障害児はゆっくりではありますが、成長していきます。それは、心も同じです。その中で、自らの困り感の表現方法も変わっていくのだと思います。そのときそのときの表現方法を見逃さないためにも、パニックや癇癪について一定のイメージに、囚われてしまわないようにしたいものです。
2016年09月15日発達障害の娘が、初めて「ことば」のお勉強にチャレンジ!Upload By SAKURA現在5歳の広汎性発達障害の娘。2歳7か月のとき初めて、言葉やコミュニケーションについて専門の先生から助言や指導をしてもらう「言語訓練」を受けることになりました。当時の娘は私の言葉もまだ通じず、話すこともできませんでした。そんな娘に「訓練」をするなんて…本当に大丈夫!?全く知識のない私にとって、それはまさに未知の世界。不安な気持ちで臨みました。名前を聞かれても答えられず、言葉のレベルは「1歳半」と言われ…Upload By SAKURA初日は、娘の言葉の発達レベルが、一般的な発達をしている子どものどの年齢に相当するのかを表す「言語年齢」を検査しました。名前を聞かれても答えられない娘を見て、私はあきらめモード…。他にも指示通りに動けなかったり、単語を言えなかったりで、私はヒヤヒヤしっぱなしでした。検査の結果、2歳7カ月の娘の言葉のレベルは『1歳半』でした。Upload By SAKURA実年齢より、1歳も発達が遅れていることがわかった娘。言語訓練の先生が「一緒に頑張りましょう!」と言ってくれたので私も強い決意をし、訓練が始まりました。絵カードを使って、「違う」という言葉の意味を教えるUpload By SAKURAUpload By SAKURAUpload By SAKURA言葉の理解出来ない娘への最初の訓練は、絵カードを使ったものでした。いろんな絵が描かれたカードが並んでいて、先生はそのカードを入れる穴が開いた箱を持っています。そして「ウサギはどれかな?」と娘に聞き、娘は選んだカードをその箱に入れます。正解したときは、箱にカードを入れることが出来るのです。しかし、違うカードを選んでしまったとき、先生は「違います」と言いながらカードを入れる穴に手で蓋をします。これを繰り返すことで、「違います」という言葉の意味を理解させていく方法でした。Upload By SAKURAUpload By SAKURA「違います」という言葉の意味がまだ分からなかった娘は、ものすごく動揺していました。なぜカードを入れさせてもらえないかを理解出来ず、怒ったり、時には先生の手を押しのけようとしたり…イライラして大声で泣き出すこともたくさんありました。泣きじゃくる娘を「かわいそう」と思っていた私。でも先生からの言葉にびっくり!Upload By SAKURAUpload By SAKURA大声で泣き叫ぶ娘の姿を見て私は、「あ~…入れたいんだよね…可哀想に…」と思いながら見守っていました。すると言語訓練の先生はニコニコしながらこう言ったのです。「いいんですよーこれでいいんですよ!今、一生懸命頑張って考えてますからねー!イライラしながら…なんで入れられないんだって戦ってますから!」これに私は驚きました。私は娘の涙を見て、「入れさせてあげたい…可哀想」とばかり考えていましたが、娘が泣いているのは「戦ってる、学んでるから」という先生の考え方に、まさに目からウロコだったのです。方法さえ分かれば、娘が前に進む手助けができる!という希望が見えたUpload By SAKURAUpload By SAKURAこのやり取りを数分続けただけで、娘はすぐに「違う」を理解しました。「違う」と言われたら、他のカードを選んでくるようになったのです。私が何度教えても出来なかったことを、数分で理解させた言語の先生!方法さえわかれば、この子も前に進める!と希望が見えました。この日から、私は言語訓練の先生に方法を聞いて家での療育もスタートさせました。現在5歳になった娘は言語訓練に通いながら、私との療育にも日々取り組んでいます。今も課題に向かって、一つずつ楽しみながらクリアしていく毎日です。Upload By SAKURA
2016年09月14日「発達障害を治したい!」という親の気持ち出典 : 私には、自閉症の子どもがいます。自分の子どもに発達障害の疑いを感じた当時、私は診断を受ける前にインターネットで様々な情報を収集しました。同じような障害のある子どもについての個人のブログや、療育団体のサイトをのぞいてみると、時々「〇〇療育で、自閉症が治った」という文句を見かけました。もしかすると、障害のある子どもを持つ親にとって、「子どもの障害を治したい!」と最初に思うことは、ごく自然なことなのかもしれません。しかし私は、この「治った」という言葉に違和感を抱いていました。「完璧な回復」は確かに難しいかもしれない。でも…出典 : 『わが子よ、声を聞かせて―自閉症と闘った母と子』という本をご存知でしょうか。著者の子どもが自閉症と診断された後、回復に向けての自身の奮闘を綴った物語です。しかしこの本の巻末のあとがきでは、「(自閉症が)完全に回復したとは残念ながら信じられない」と監修の医師が書いています。この点については、私もこの医師と同意見です。なぜなら発達障害というのは脳の機能障害であり、病気ではないからです。それでも当時、私がこの本に出会ったときは「自閉症の子どもでも、こんなに出来ることが増えるなんて!」と、物凄く感動したのです。自分の子どもにも、少しずつ「できること」が増えるかもしれないという希望を持つことができました。治そうとするのではなく、「できることを増やす」出典 : 発達障害を「治す」のは確かに難しいことかもしれません。でも、「今までできなかったことを、出来るようにする」ことは、発達障害の子どもでも可能なことだと思います。たとえば、適切な療育やそれに伴う子ども自身の成長によって、「自分で着替えられるようになった」「自分でトイレに入ることができた」「自分でお風呂に入り、体を洗うことができた」「友達と一緒に遊ぶことができるようになった」など、社会に適応するために必要なことを少しずつ身につけていくことはできると思います。障害がある私の娘は、最初は身の周りのことが何ひとつ自分ですることができず、服を着させたり、トイレに行かせたり、すべて私が助けていました。そのうち、娘は実際に私がやっていることをまねすることがとても上手なことが分かりました。そこで私は、娘の特性を生かして、言葉で指示するのではなく一緒にやっているところを見せながら、身の回りのことを教えるようにしました。すると娘はだんだん自分でできることが増えていきました。障害を無理やり「治そう」とするのではなく、子どもの障害やそれに伴う特性をきちんと理解して、子どもができることを増やす手助けをするのが、親としては大切なことなのではないかと思います。子どもの成長にちゃんと目を向けて出典 : 私たち親は、最初は「この子をなんとかしたい」と思うあまり、発達障害を「治す」ことを考えると思います。しかし、困っていることを「減らす」ことはできても、自閉症を含めた発達障害を「完治させる」ことは難しいと私は考えています。自閉症や発達障害を治そうとするのではなく、子どもの社会適応力を療育によって伸ばしたり、子どもの成長を見守ることが大切なのではないでしょうか。私も、娘の障害を知った当初は「みんなが言うように娘の障害が”個性”になるなんてありえるのだろうか?」と半信半疑でした。でも、実際に娘の成長を目の当たりにしている今は、診断名そのものが個性なのではなく、自分のペースで成長していく様子が娘本人の個性なのだと感じていますし、娘の将来の可能性を信じています。
2016年09月14日ディスレクシアの症状・特徴とは?出典 : ディスレクシアは「字を読むことに困難がある障害」を指す通称で、読字障害、読み書き障害、難読症、識字障害などとも呼ばれます。知的な遅れはなく、会話は問題なく理解することができるのに、知的水準や教育段階に見合わない読みの困難があるのが特徴です。ディスレクシアとは、通常、会話(話し言葉の理解や表現)は普通にでき、知的にも標準域にありながら、文字情報の処理(読み書き)がうまくいかない状態を指します。ディスレクシアである人は、文字を読む為に必要な脳の情報処理に問題があると考えられています。主な文字認識の問題は、大きく以下の2つです。1.「文字の読み方の認識が難しい」音韻処理の不全音韻機能とは最小の音単位を認識・処理する能力を指しますが、ディスレクシアの人の脳の特性として、音韻の処理に関わる大脳基底核と左前上側頭回という領域の機能異常があるという説が主流となっています。そのため音を聞き分けたり、文字と音を結びつけて「読む」ことが難しいと言われています。・文字を音に変換して読むのが苦手・単語のまとまりを理解するのが難しい・耳から聞いて記憶するのが苦手2.「文字の形の認識が難しい」視覚情報処理の不全ディスレクシアの人の中には、視覚認識や眼球運動に偏りがあり、普通の文字の見え方とは違った見え方をしている人もいると言われています。・文字がにじんだり、ぼやけた状態で見える・らせん状に文字がゆがんだり、3Dのように浮き出て見える・鏡に映したように文字が左右反転して見える・文字を点で描いているような点描画に見える以上の状態から文字が読み取りづらく、語句や行を抜かしたり、逆さ読みをしたり、音読が苦手な傾向にあります。また、読みだけでなく、読めないことで書くことにも困難があらわれる場合もあります。ディスレクシアの人は文字が全く読めないわけではなく、文字を理解するのに非常に時間がかかるのがその特徴です。一方、音声にすると理解することが多く、会話能力は問題ないことがほとんどです。ディスレクシアはいつ分かる?診断の年齢は?出典 : ディスレクシアは先天的な脳機能障害ですが、知的な遅れがなく、見た目にも分かりづらいことから症状に気づくまでに時間がかかることがあります。一般的には文字を習い始める頃に気づくことが多いとされ、小学生以降の診断がほとんどです。就学前の乳幼児期には文字に興味を示さなかったり、言葉の発達が遅れるなどの症状が現れますが、専門機関に行っても経過観察になることがあります。日本でのディスレクシアの認知度はまだまだ低く、最近になって少しずつ知られるようになりました。そのため、障害に気づかずに成長し、大人になってからディスレクシアの診断を受ける人もいます。また、ADHDや自閉症スぺクトラム障害などと合併している場合もあり、それらの診断や治療の過程でわかることもあります。専門機関でディスレクシアの診断を受ける目安は?出典 : ディスレクシアの症状のあらわれ方は一人ひとり違います。そのため困りごとの解決法も一人ひとり異なり、ただ単純に勉強量を増やすだけでは読めるようにはなりません。ところが、本人は頑張っていても読めないのに、怠けていると思われることも多く、先生や親から叱られることもあります。そこからうつ病や不登校などの二次障害を引き起こすことがあるため、早めにディスレクシアと気づいて適切なサポートにつなげることが大切です。今現在、ディスレクシアを医学的に根本治療する方法は確立されていません。診断は必ず受けなくてはいけないものではありません。ですが、検査によって何に困難を感じているかがわかることがあり、それが支援や解決のきっかけになることも多くあります。ディスレクシアと思われる症状が見られたら、まずは専門機関で相談だけでも受けることをおすすめします。ディスレクシアの診断基準出典 : 日本では標準化された診断基準が存在せず、医学的な診断ではディスレクシアという名称は使用されません。同じような症状として医療機関では世界保健機関(WHO)の『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版)における特異的読字障害(Specific Reading Disorder)やアメリカ精神医学会の『DSM-5』(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第5版)における限局性学習障害(Specific Learning Disorder)として診断されます。近年使用されることが多い最新の診断基準『DSM-5』では、ディスレクシアもディスグラフィア(書字障害)やディスカリキュリア(算数障害)などとともに「限局性学習症・限局性学習障害」という名称で診断されます。この診断基準に多くあてはまり、特に「読字の正確さ」「読字の速度または流暢性」「読解力」に困難がある場合は、ディスレクシアとして考えることができます。以下が『DSM-5』の診断基準です。A.学習や学業的技能の使用に困難があり、その困難を対象とした介入が提供されているにもかかわらず、以下の症状の少なくとも1つが存在し、少なくとも6ヶ月間持続していることで明らかになる:(1)不的確または速度が遅く、努力を要する読字(例:単語を間違ってまたゆっくりとためらいがちに音読する、しばしば言葉を当てずっぽうに言う、言葉を発音することの困難さをもつ)(2)読んでいるものの意味を理解することの困難さ(例:文章を正確に読む場合があるが、読んでいるもののつながり、関係、意味するもの、またはより深い意味を理解していないかもしれない)(3)綴字の困難さ(例:母音や子因を付け加えたり、入れ忘れたり、置き換えたりするかもしれない)(4)書字表出の困難さ(例:文章の中で複数の文法または句読点の間違いをする、段落のまとめ方が下手、思考の書字表出に明確さがない)(5)数字の概念、数値、または計算を習得することの困難さ(例:数字、その大小、および関係の理解に乏しい、1桁の足し算を行うのに同級生がやるように数字的事実を思い浮かべるのではなく指を折って数える、算術計算の途中で迷ってしまい方法を変更するかもしれない)(6) 数学的推論の困難さ(例:定量的問題を解くために、数学的概念、数学的事実、または数学的方法を適用することが非常に困難である)B.欠陥のある学業的技能は、その人の暦年齢に期待されるよりも、著明にかつ定量的に低く、学業または職業遂行能力、または日常生活活動に意味のある障害を引き起こしており、個別施行の標準化された到達尺度および総合的な臨床消化で確認されている。17歳以上の人においては、確認された学習困難の経歴は標準化された評価の代わりにしてよいかもしれない。C.学習困難は学齢期に始まるが、欠陥のある学業的技能に対する要求が、その人の限られた能力を超えるまでは完全には明らかにはならないかもしれない(例:時間制限のある試験、厳しい締め切り期間内に長く複雑な報告書を読んだり書いたりすること、過度に思い学業的負荷)。D.学習困難は知的能力障害群、非矯正視力または聴力、他の精神または精神疾患、心理社会的逆境、学業的指導に用いる言語の習熟度不足、または不適切な教育的指導によってはうまく説明されない。(日本精神神経学会/監修『DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル』医学書院/刊p65より引用)ディスレクシアの診断に関する相談先出典 : ディスレクシアかな?と疑問を持った場合、いきなり専門の医療機関に行くのは難しいので、まずは身近な専門機関の相談窓口で相談するようにしましょう。児童相談所や発達支援センターなどで知能検査や発達検査を受けられることもあります。発達障害の疑いがある場合には専門医を紹介してくれます。子どもか大人かによって、行くべき専門機関が違うので、以下を参考にしてみてください。【子どもの場合】・保健センター・子育て支援センター・児童発達支援事業所・発達障害者支援センターなど【大人の場合】・発達障害者支援センター・障害者就業・生活支援センター・相談支援事業所など知能検査や発達検査は児童相談所などで無料で受けられる場合もありますし、障害について相談することも可能です。その他、発達障害者支援センターで障害についての相談ができます。自宅の近くに相談機関が無い場合には、電話で相談に乗ってもらえることもあります。以下は小児神経学会が発表している、発達障害診療医師の名簿です。この他にも、児童精神科医師や診断のできる小児科医師もいます。日本小児神経学会 「発達障害診療医師名簿」ディスレクシアの診断の流れ、必要な持ち物は?出典 : ディスレクシアの場合、ディスレクシアがあるかどうかを調べて診断するだけでなく、どのような特性や困りごとがあり、どのような支援を必要としているかアセスメントを行うことが重要だと言われています。医療機関によっても異なりますが、まずは問診で現在の症状や困りごと、赤ちゃんの時から今までの生育・養育歴、既往症や家族歴などを調べていきます。脳波検査、頭部のCT、MRIなどでてんかんや脳の器質的な病気といった異常がないかを検査します。そして知能検査や認知能力検査などの心理検査を行います。知能検査では「WISC-Ⅳ」が代表的です。「WISC-Ⅳ」では本人のもつIQ水準をチェックし、言語理解、知覚推理などを検査します。(3歳10ヶ月〜7歳1ヶ月の幼児の場合は「WPPSI」、5歳から16歳11ヶ月の子どもは「WISC」、16歳以上の成人の場合は「WAIS」という知的検査を受けることによって検査結果がでます。)認知能力検査には日常生活や学校で習得できた知識や情報を認知的に処理する能力を調べ、神経心理学的な立場から認知的な処理能力と習得度を評価できる「KABC-Ⅱ」や「DN-CAS」などもあります。また、読むときの流暢性など読みに関する検査や、サッケード反応など視覚機能に関する検査が実施されることもあります。これら様々な情報を元に、総合的に学習障害やディスレクシアがあるかを判断するのです。また、こうした過程でADHDや高機能広汎性発達障害などが合併していないかも確認します。診断に必要な持ち物は診断する専門機関によって多少異なりますが、学習にどのような困りごとがあるかわかるように、学校や家庭で使ったプリントやノート、宿題帳、作文などを持っていくとよいでしょう。WISCやK-ABCなどの知能検査では基本的に持参するべき持ち物はありません。病院などの場合は保険証を持っていく必要があります。また、生育歴(子どもの発育記録)を聞かれることもあるため、気になった点などをメモしていくとよいでしょう。心配な方は事前に電話して必要な持ち物を聞くこともおすすめです。検査が困りごとを解決するきっかけになります出典 : 読み書きが困難であることは共通していますが、ディスレクシアの症状は様々で、一人ひとりに合う支援方法も異なります。自分の子どもは怠けている、自分の子育て方法が間違っていると思わず、ディスレクシアの特徴が現れていないか観察してみてください。少しでも兆候があるようであれば、専門機関で相談したり、検査を受けることをおすすめします。早めに気づいてあげることが、今後の学習支援や子どもの心のケアの面でも大切です。参考:ディスレクシア・ツールキット参考:一般社団法人日本ディスレクシア協会HP
2016年09月12日はじめまして。NPO法人「Collable(コラブル)」の山田小百合です。私たちは障害があってもなくても、遊んだり学んだりできる環境づくりに挑戦しているNPO法人です。多様な人たちが集う場において、関係性をケアするという視点で、活動を行っています。誰しも一度は悩む「人と関わる」ということは、一体どういうことなのか出典 : 最近は「コミュ障」という言葉を耳にする機会が増えました。この言葉を、なにかコミュニケーションに齟齬があった時に、とっさに使っている人が多くなったなと感じています。自分の気持ちを言葉で伝えることが難しい。相手の気持ちを読むことが苦手。一緒に遊びたいのに相手を困らせてしまう。そうしたことで悩んだ経験がある人は、決して珍しくないと思います。ですが、そもそも「人と関わる」とか「繋がる」ということは、どういうことなのでしょうか。コミュニケーションは、当たり前ですが2人以上で成立するものです。それにもかかわらず、やりとりに齟齬が起こると、「あいつはコミュ障だ」「あの子意味わかんないよね」と、片方が弱者にされがちです。誰しも、伝えたいことをスムーズに伝えられるときもあれば、あまり上手く伝えられないときもあります。自分なりにうまく振る舞える場面もあれば、苦手な場面だってあると思います。今日は、そうしたご自身の経験を少し頭に思い浮かべながら読んでいただけると嬉しいです。ある親御さんが教えてくれた一言「支援級には息子の望む遊びの機会が少ない」Upload By 山田小百合私たちは「遊ぶように人と関わる場」を用意し、人間関係を育む機会としてのワークショップ活動を行っていますが、遊びながら考えたり、つくったりする活動を通して、子どもたちが人と自然に関わりいきいきと変わっていく姿を多く見てきました。活動の内容は、造形活動、ダンスや演劇などの身体表現、音楽、iPadなどを使うデジタルな制作活動など、様々。そこには、知的能力や発達に関する障害の診断がある子も、そうした診断のない子もやってきます。ひとつ、ワークショップで出会ったある男の子のお話をご紹介します。当時、特別支援学級に所属していた小学校2年生の男の子。ここではAくんとしましょう。Aくんは怪獣が好きで、ごっこあそびも大好き。好きなことを通してお友達と一緒に遊びたい、そんな関心が高まっている時期でした。しかし、親御さんに見せてもらった保育園の頃のビデオには、行事で並んだり一緒に行動したりする場面で、集団の中に入っていけずに、ポツリと座り込んでいる姿が。集団行動はとても苦手なようで、当時のAくんは、人の会話に文脈を無視して割り込んでしまうこともあり、小学生になってからは、学校で嫌がらせを受けたこともあったそうです。そんなAくんでしたが、ワークショップに来てくれたときには全く違う姿を見せてくれました。初めて出会う子ばかりなのに、ワークショップが始まる前から同世代の男の子たちと仲良くおしゃべりをしているのです。Upload By 山田小百合その日の活動は、2人1組で架空の植物を作るというもの。3時間ほどの長丁場でしたが、2人は笑顔で、かつ真剣に制作をしていました。途中、自閉傾向のある本人の特性か、A君が自分のこだわりを譲れずに、ペアの男の子がため息をつく場面もありましたが、ほとんど大きな介入は不要でした。私はファシリテーターとしてAくんのこだわりを活かせるような声かけをしただけで、後は子どもたちが自分で解決していったのです。ワークショップの最後には、作品紹介のためのシートを書きました。Aくんは字を書くのが苦手な様子で、自然と「これ書いてもらえる?」とペアの男の子に自分から声をかけていました。2人は、できる部分は一緒に考えつつ、難しいところは役割分担をするということを、大人が教えるでもなく自ら行っていたのです。発表の際には2人で爆笑しながら作品を紹介、ワークショップ全体の雰囲気を温めて帰ってくれました。まさに、彼らのおかげでワークショップが成功したと言える出来事でした。Aくんの親御さんは、「本当は、本人の気持ちとしてはいろんなお友達と関わりたいのに、支援級にいることで、その機会が格段に減ってしまった」というジレンマを教えてくださいました。後日、「ワークショップの中で、他人への関心が生まれた」「ワークショップでの経験を生かして、今では学校でお友達と遊んだり関わったりする様子がみられ、楽しく学校に通っている」と、嬉しい感想を送ってくださいました。中学生のころに感じた同級生と自分の温度差、そして違和感出典 : 私たちは、日々このようなワークショップを行っていますが「障害があってもなくても、遊んだり学んだりできる環境づくり」への挑戦が始まったのは、私自身の家庭環境からの気づきからでした。私は年子の兄と3つ下の弟がいますが、どちらも知的障害と自閉症を併せ持っています。大学進学を機に私は親元を離れましたが、それまではずっと家族と暮らしていました。違和感に気づいたのは、中学生の頃、兄と同じ特別支援学校にいた子が、交流及び共同学習の一環で私のクラスにやってきた時です。それは、まさにクラスの同級生との温度差を感じた瞬間でした。特別支援学校の生徒を「お客様」として招き、誰も別に面白くもないゲームをやり、一緒に給食を食べて終わるという一連の時間に、「一体何の意味があるのかな」と疑問に思ったのです。中には心ない悪口を言い放つ同級生もいて、ショックを受けました。しかし、その同級生の姿になぜショックを受けてしまう自分がいたのかといえば、私の家庭の特殊性があったからだ、と気づいたのです。そして同時に、同級生に「差別はいけない」と正義感を振りかざすことも違うと感じました。交流及び共同学習の目的は、障害のある本人が、社会性を育む重要な機会です。人と関わるためのスキルを学ぶ機会は増えてきましたが、実社会で生かせる場面がどれほどあるのかといえば、社会の準備はまだ整っていない状況ではないでしょうか。あの頃の違和感が、今、子ども達との「ワークショップ」に繋がっている出典 : 誰しも小さい頃、お友達を作る時は何気ない遊びからスタートしていました。あの経験は、大人になった今でも生かせるはず。「関係性を作る学習」を遊びの延長のように用意することはできるのではないか、と思っていたところ私はワークショップに出会いました。もちろん、全てのワークショップの場が万能なわけでもありません。当日の活動内容や、参加者同士の相性、お子さんのその日の調子などによって、その会の進み方も様々です。それでも、一人ひとりの可能性をただ信じて場を用意する。それも人との関わりを育む1つの選択肢なのだろうと思っています。「本当は関わりたいけど関われない」そんな子どもたちが、楽しくつくる活動を通して、人との関係性を育んでいく。スキルを教えることも大切だけど、経験こそ力を伸ばしてくれる。そうした小さな嬉しい経験を多くの人に届けるべく、私たちはこれからも活動を続けていきます。毎月ワークショップを行っています。よかったらぜひ遊びにきてくださいね。Upload By 山田小百合
2016年09月12日