2023年9月22日、人気アイドルユニット『ももいろクローバーZ』(以下、『ももクロ』)のマネージャーである古屋智美さんが、亡くなっていたことが分かりました。同グループのウェブサイトによると、古屋さんは同年8月22日に亡くなったといいます。古屋さんは、『ももいろクローバーZ』結成当初からマネージャーを務め、2019年後半からはプロデューサーを兼任。ファンからは『古ちゃん』と呼ばれるなど、『ももクロ』のお姉さん的存在としてファンに親しまれていました。突然の知らせに、ネット上では「古ちゃんがいたから、今の『ももクロ』がある。ずっと支えてくれてありがとう!」「マネージャーだけど、10年来一緒に歩んできた仲間。みんなの古ちゃんだった」「『ももクロ』愛が誰よりも強かった古ちゃん、大好きです」など、ファンからの追悼コメントが相次いでいます。古屋さんのご冥福をお祈りします。[文・構成/grape編集部]
2023年09月22日2023年9月11日、漫画家の寺沢武一さんが亡くなったことが分かりました。68歳でした。寺沢さんは雑誌『週刊少年ジャンプ』で1978年から漫画『コブラ』を連載開始し、同作はアニメ化やゲーム化を果たすなど、大ヒット。優れた身体能力と左腕に仕込んだサイコガンを使い、クールに敵を倒す主人公のコブラは、幅広い世代の人の心をつかみました。寺沢さんの逝去を明かした、株式会社寺沢プロダクションは、このようにコメントをしています。寺沢武一ファンのみなさまへ(訃報)漫画家・寺沢武一は2023年9月8日に永眠しました。3度の脳腫瘍の手術を経ても、コブラその人のような生命力で生き抜いてきた寺沢武一でしたが、今回は本人も不意打ちを食らってしまったのでしょう。心筋梗塞でした。…— ブイチギルド 【寺沢武一作品公式】 (@BuichiGuild) September 11, 2023 苦しい闘病生活と手術を乗り越え、生きるために闘っていたという寺沢さん。そんな彼の姿について、同社は「コブラのような生命力の持ち主だった」とつづっています。寺沢さんの逝去に対し、『コブラ』ファンを中心に、多くの人から「まだ若いのに、ショックです」「素敵な作品を本当にありがとう」といった声が上がりました。今後も寺沢さんの生み出した作品とキャラクターは、たくさんの人を笑顔にしていくのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年09月12日2023年8月25日、お笑いコンビ『おかけんた・ゆうた』の、おかゆうたさんが亡くなったことが分かりました。所属事務所の吉本興業株式会社によると、同月22日に脳内出血のため、大阪府大阪市内で逝去したとのことです。『おかけんた・ゆうた』おかゆうたさん、亡くなる鹿児島県出身のゆうたさんは、1981年に吉本新喜劇の座員だった岡八朗さんのもとに弟子入り。1983年にNSC(吉本総合芸能学院)を1期生として卒業した後に、同じく岡八朗さんのもとに弟子入りしていた、おかけんたさんとコンビを結成しました。以降、さまざまな漫才コンテストで賞を受賞。1987年に放送が開始されたバラエティ番組『4時ですよーだ』(毎日放送)にレギュラー出演したことでも知られ、人気を博していました。2020年頃には、体調を崩してコンビでの活動は休止状態になっていましたが、2023年8月15日に開催された『よしもとお笑いライブ』に出演。コンビ結成40周年のプロローグとして漫才を披露し、これが最後の舞台になったといいます。公演終了後、ゆうたさんは「40年は、ほんまにあっちゅうまでした」「1日でも長くやりたい」などと話していたそうです。相方の、けんたさんは、ゆうたさんの訃報に際し、以下のコメントを寄せています。週3で透析を受けていた、ゆうたくん。私が劇場にいると、「おっ、相方どやねん」「ゆうた、元気してんの?」と皆さんが声をかけてくださいました。私の知る限り、こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません。そんな時、相方からポツンときたメール、「漫才やりたいです。」 涙が止まりませんでした。それが実現した、台風の最中での3年半ぶりの漫才。舞台で私の肩を持って重心をとる相方が、愛おしくて愛おしくてたまりませんでした。漫才が終わって、取材を受けた時のゆうたくんの言葉「1日でも長くやりたいというのがあるからね。」ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。この日だけでかまへんから、一年にいっぺん会って♪えぇ~漫才♪しょーな。今までありがとう。最高の相方、おかゆうたくん。また、ゆうたさんの訃報を受け、ネットからは悲しみの声が相次いでいます。・61歳ってまだ若いのに…。若い頃から軽快な漫才で楽しませてくれました。お悔やみ申し上げます。・『おかけんた・ゆうた』の漫才と人柄が好きだったなぁ。・信じられません。けんたさんのコメントにも涙が出てくる。多くの人から愛されていたという、ゆうたさん。ゆうたさんを偲ぶ温かい想いは、きっと雲の上にいるご本人に届いていることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年08月25日日本時間2023年8月24日、アメリカ出身のプロレスラーである、テリー・ファンクさんが亡くなったことが分かりました。79歳でした。テリーさんの逝去を発表したのはアメリカのプロレス団体『WWE』。息を引き取った日時などは明かされていません。1970~1980年代には日本でも活躍し、『テキサスの荒馬』や『テキサス・ブロンコ』の愛称で親しまれた、テリーさん。日本の人気漫画『キン肉マン』に登場する、テリーマンのモデルとしても有名です。使用技に共通点があるほか、テリーさんが引退した際は、これまでの活躍をねぎらう扉絵が掲載されました。テリーさんはヒザの不調で惜しまれながら引退するも、俳優やレフェリーとして幅広く活動。何度も来日し、日本のプロレス界を盛り上げてくれました。日本で活躍した外国人プロレスラーの中でも特に人気が高く、プロレスファン以外からも名前を知られている、テリーさん。訃報に対し、ネット上では多くの人から「素晴らしい試合をありがとう!」「『キン肉マン』で育ったので、テリーさんもテリーマンも大好きでした」といった声が上がっています。テリーさんの活躍は、国を超えて多くの人に笑顔を与えてくれました。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年08月24日2023年8月17日、ロードレースの埜口遥希(のぐち・はるき)選手が亡くなったことが分かりました。22歳でした。インドネシアの西ヌサトゥンガラ州にあるレース場『プルタミナ・マンダリカ・インターナショナル・ストリート・サーキット』で行われた、アジアロードレース選手権第4戦ASB1000クラスに出場していた、埜口選手。しかし、同月10日に開催された決勝レース2にて、4ラップ目のターン10で多重クラッシュが発生。埜口選手は急遽搬送されました。事故後、有限会社ハルク・プロと昭和電機グループは、一時は容体が安定するも、予断の許さない状況が続いていることを発表。そのおよそ1週間後である同月16日、埜口選手は息を引き取ったといいます。訃報 埜口遥希選手の逝去 pic.twitter.com/PGQ9OFWjW8 — SDG Motor Sports Official (@SdgMSOfficial) August 17, 2023 2017年に『アジア・タレント・カップ』で2位を獲得し、2021年には『全日本ロードレース選手権ST600』ではチャンピオンの座をつかむなど、今後を期待されていた埜口選手。事故直後、有限会社ハルク・プロと昭和電機グループは「非常に強いライダーなので、この戦いも乗り切ってくれることを信じている」とコメントしていました。きっとその想いは、埜口選手の試合を観てきたファンも同じだったはず。訃報を受け、ネットからは「将来有望だったのに、信じられない」「あまりにも若すぎる」といった惜しむ声が相次いでいます。ASB1000 埜口遥希選手、初日を終えてのコメントです pic.twitter.com/Mko4FH11MO — SDG Motor Sports Official (@SdgMSOfficial) August 11, 2023 埜口選手の遺族は、「遥希は5歳からオートバイに乗り始め、家族に多くの感動と喜びを与えてきました。これまで支えてくれた仲間や応援してくださった方に感謝申し上げます」とコメント。きっと、全世界のファンや遺族の想いは、雲の上にいる埜口さんに届いていることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年08月17日2023年8月16日、漫画家の佐野菜見さんが、ガンのため同月5日に亡くなったことが分かりました。36歳でした。佐野さんは、2010年に漫画『ノンシュガーコーヒー』でデビュー。以降、アニメ化となった『坂本ですが?』や『ミギとダリ』などの作品で人気を博しています。2023年7月には『ミギとダリ』のアニメ化も発表されていました。株式会社KADOKAWAが発行している漫画誌『ハルタ』のSNSアカウントでは、佐野さんのご家族と編集部からの言葉が公開されています。【読者の皆様へ】漫画家の佐野菜見さんが8月5日に逝去されました。『坂本ですが?』『ミギとダリ』など素晴らしい漫画を描いてくれたことに感謝すると共に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。読者の皆様へ、佐野さんのご家族と編集部からの言葉をお伝えします。ご一読いただければ幸いです。 pic.twitter.com/5qqXUfqKp5 — ハルタ (@hartamanga) August 16, 2023 編集部からの文書によると、佐野さんは『ミギとダリ』の連載を終えてから、アニメの監修をこなしながら、新作の打ち合わせをしていたとのこと。佐野さんのことを「とにかく漫画に真っ直ぐ」で「面白い漫画を描くため、漫画家として成長するための努力をできる人」だとつづっています。佐野さんの作品『坂本ですが?』『ミギとダリ』は多くの人を笑顔にしてきました。この先も多くの人に笑っていただけると幸いです。10月からは『ミギとダリ』のアニメの放送も始まります。佐野さんはアニメの出来の良さにとても喜んでいました。こちらも楽しんで頂けると嬉しいです。@hartamangaーより引用また、ご家族からのメッセージには、佐野さんの遺書に書かれていた言葉も添えられていました。ファンの皆様へ娘の菜見は進行の早い癌により闘病1か月と言う早さで8月5日に旅立ちました。ご愛読いただきましてありがとうございました。「この人生は楽しい人生だったわさ私はこれから多分もっと自由な世界にいってきます…アバヨ」(遺書より抜粋)@hartamangaーより引用佐野さんの作品に親しんできたファンからは、訃報に際し、さまざまなメッセージが寄せられています。・佐野さんの漫画が最高に大好きです。ご冥福をお祈りします。・『坂本ですが?』に、たくさん笑わせていただきました。ありがとうございます。・佐野さんの漫画を友人に「読んでくれ!」と勧めてまわった覚えがあります。・面白くて素敵な漫画をありがとうございました。多くの人を楽しませてきた佐野さんの作品は、これからもたくさんの人を笑顔にし、愛され続けることでしょう。佐野さんのご冥福を心よりお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年08月16日吉本興業株式会社は、『和子ばあちゃん』の愛称で親しまれた、お笑いタレントの桑原和男さんが、老衰のため2023年8月10日に神戸市内の病院で逝去したことを発表しました。満87歳でした。桑原さんは、福岡県小倉市(現北九州市)出身で、1955年に高校卒業後、教師を志し福岡の教育大学を受験。同年、漫才コンビの夢路いとし、喜味こいしさんに弟子入りし、新芸座に入りました。漫才師を経て、吉本新喜劇の前身である『吉本ヴァラエティ』に入団した後、座長として新喜劇の復活を支えるなど、数々の功績を残しています。2000年7月に急性心筋梗塞の手術で入院し、静養を経て同年12月に舞台復帰。2020年10月のイベント『よしもと大笑い祭り寄席』が最後の舞台となりました。小柄で優しい顔立ちであることから、母親役や高齢女性の役といった、いわゆる女形の『桑原和子』を務め人気を博した、桑原さん。通夜は2023年8月11日、葬儀告別式は同月12日に近親者で執り行うとのことです。桑原さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年08月11日2023年7月28日、『お姫様のようなアイドル』がコンセプトのアイドルグループ『PrinceCHU!』がSNSを更新。同グループでメンバーとして活動してきた、姫莉なのさんが急逝したことを明かしました。17歳でした。公開された文章によると、姫莉さんが亡くなったのは同月18日。アナフィラキシーショックが原因だったといいます。【姫莉なの 訃報のおしらせ】ご一読ください。 pic.twitter.com/dmHsugjLNF — PrinceCHU! (@PrinceCHU_staff) July 28, 2023 なんらかのアレルギー反応によって、複数の臓器にアレルギー症状が表れる、アナフィラキシーショック。急激な血圧低下によって、意識レベルの低下や呼吸困難などの症状が起こる、ショック状態を指します。食物アレルギーや薬物アレルギーのほか、ハチに複数回刺されることで引き起こす可能性もあり、発症した場合は速やかな受診が必須。命を落としてしまう人も少なくない、恐ろしい過敏反応です。17歳という若さでの、あまりにも突然な別れに、同グループの運営側とメンバーは強い悲しみと戸惑いを覚えている模様。ファンから悲しむ声が寄せられるほか、ネットでは「アナフィラキシーショックの恐ろしさを再認識した」という声も上がっています。姫莉さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年07月29日2023年7月16日、歌手としても活動していた俳優のジェーン・バーキンさんが亡くなりました。76歳でした。産経ニュースによると、フランス・パリの自宅で亡くなっていたのが見つかったといいます。バーキンさんは1964年に俳優としてデビューし、1969年に発表した楽曲『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』をはじめ、歌手としても活動の幅を拡げました。また、バーキンさんは、高級ファッションブランドの『エルメス』が制作しているバッグ『バーキン』の着想元としても知られています。2011年には、同年に発生した東日本大震災へのチャリティー活動のために来日し、コンサートや街頭での募金活動などを実施。一連の活動が評価され、2013年にはパリの日本大使公邸で、表彰式が行われました。ジェーン・バーキンさんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年07月17日2023年7月12日、タレントのryuchell(りゅうちぇる)さんが、夕方に東京都渋谷区の事務所内で、亡くなっているのが見つかりました。27歳でした。産経ニュースによると、同日現在、警視庁が詳しい状況を調べているとのこと。ryuchellさんは、テレビのバラエティ番組出演をきっかけに、原宿系ファッションと個性的なキャラクターでブレイクしました。あまりにも早すぎる逝去に、悲しみの声が相次いでいます。ryuchellさんのご冥福をお祈りいたします。また、ニュースを読んでつらい気持ちになった人は、厚生労働省が行っている電話相談を頼ってください。厚生労働省[文・構成/grape編集部]
2023年07月12日2023年7月6日、振付師の夏まゆみさんが亡くなっていたことが分かりました。61歳でした。サンケイスポーツによると、夏さんは同年6月21日に、がんのため亡くなっていたとのことです。夏さんは1962年3月23日生まれで、イギリスやアメリカなどでダンスを学び、ダンスグループ『FUN-KEY HEARTS』のメンバーとして活躍しました。振付師としては、お笑いタレントで構成されたユニット『吉本印天然素材』や、1998年に行われた長野オリンピック閉会式の公式テーマソング、そしてアイドルユニットの『モーニング娘。』や『AKB48』などの指導を手がけました。訃報に接し、ネット上では「驚きすぎて、呆然としてしまった…」「素晴らしい振付師で尊敬していました」などの声が寄せられています。夏まゆみさんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年07月06日2023年6月20日、パズルゲーム『ぷよぷよ』のプレイヤーとして有名な、あかじこうさんが亡くなったことが分かりました。28歳でした。セガゲームス公式プロ・一般選手混合競技会『ぷよぷよカップ SEASON2 11月大会』でベスト8に輝いたほか、女性大会『ぷよぷよレディースカップ』では第1回、第2回ともに優勝の座をつかんだ、あかじこうさん。あかじこうさんの夫はTwitterアカウントを代理で更新し、あかじこうさんが同月19日に他界したことを報告しました。投稿によると、あかじこうさんは約2年半前にがんと診断され、闘病生活を送りながら大会に参加をしていたといいます。あかじこうと関わってくださった皆様へ pic.twitter.com/XxR861vLFG — あかじこう (@akajikou) June 20, 2023 【ライブ配信中⚡】「第2回 ぷよぷよレディースカップ 決勝トーナメント」優勝はあかじこう選手です!連覇おめでとうございます【視聴URL】 #ぷよぷよ #esports #Live #みてるよぷよぷよ pic.twitter.com/Dy6hzUihZ6 — SEGA-esports「ぷよぷよeスポーツ」公式 (@EsportsSega) December 18, 2022 つらい闘病生活を送りながらも、持ち前の明るい性格で多くの人を笑顔にしていたという、あかじこうさん。『ぷよぷよ』を心から愛しており、大会への参加だけでなく、SNSで同作のファンアートを公開するなど、熱心にファン活動を行っていました。28歳という、あまりにも早すぎる旅立ちに、ネットからは大会の視聴者やゲームのファン、同作の出演声優から「素晴らしい試合をありがとう」という感謝の声が寄せられています。ゲームを用いた新たな競技として世界中で注目を集める『eスポーツ』。あかじこうさんの活躍は、その発展に大きく貢献したことでしょう。あかじこうさんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年06月22日2023年6月16日、プロ野球『広島東洋カープ(以下、カープ)』に所属し、エースとして五度のリーグ優勝に貢献した、北別府学さんが亡くなりました。65歳でした。鹿児島県出身の北別府さんは、1976年、宮崎県立都城農業高校からドラフト1位でカープに入団。ボールのコントロールに優れ、『精密機械』の異名を取りました。1982年と1986年には最多勝投手に輝き、年間を通して優秀な成績を収めた投手に贈られる『沢村栄治賞』も受賞するなど、球界を代表する投手として知られました。産経ニュースによると、北別府さんは2022年1月に『成人T細胞白血病』という病気を患い、血幹細胞移植を受けて同年7月に退院していたものの、2022年6月に敗血症を発症していたといいます。訃報に接し、ネットでは「『無傷の10連勝』という新聞の見出しを今でも覚えている」「プロ野球史上、もっともコントロールがよかったピッチャーだと思う」など、北別府さんの現役時代のプレーに思いを馳せるコメントなどが、続々と投稿されています。北別府さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年06月16日2023年6月15日、映画監督の中島貞夫さんが亡くなったことが分かりました。88歳でした。サンケイスポーツによると、中島さんは同月11日、肺炎のため亡くなったとのこと。葬儀はすでに、家族葬で営まれたといいます。中島さんは東映株式会社への入社後、1964年に映画『くノ一忍法』で監督としてデビュー。『893愚連隊』や『まむしの兄弟』シリーズ、『木枯し紋次郎』シリーズ、『日本の首領』シリーズ、『極道の妻たち』シリーズなど、数多くの映画を生み出したほか、脚本家としても活躍をしてきました。ヤクザ映画の大物監督として、多くの人の心をつかんできた、中島さん。訃報に対し、ネットでは中島さんの作品に触れてきた人から「中島監督の作品は、自分にとって青春の映画でした」「素晴らしい作品をありがとう」といった声が上がっています。中島さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年06月15日2023年6月13日、ロックバンド『BAAD』の新井康徳さんが亡くなったことが分かりました。55歳でした。この日、『BAAD』はウェブサイトを更新し、新井さんの逝去を報告。発表によると、新井さんは同年5月22日に息を引き取ったといいます。『BAAD』は、1993年から放送されたテレビアニメ『SLAM DUNK(以下、スラムダンク)』のオープニングソングだった、『君が好きだと叫びたい』が大ヒット。2022年12月に新作映画『THE FIRST SLAM DUNK』が公開されたことと、2023年にデビュー30周年を迎えることを受け、同バンドは『再会』と称した活動再開を発表していました。以前から病気で療養をしていたという、新井さん。同バンドの所属事務所は、ウェブサイトでこのようにコメントを掲載しています。約30年ぶりにBAADメンバーが“再会”し、5月18日にイベント出演が決定した際、本人も参加したいと強く希望し、治療に専念して参りました。弊社としましてもその想いに応えるべく、“再会”を信じて参りましたが、突然の訃報にメンバー・スタッフ一同、未だ現実を受け止めきれない状況にございます。葬儀・告別式につきましては、ご親族及び近親者のみにて執り行われました。事後のお知らせとなり誠に恐縮ではございますが、ご遺族 及び BAADメンバーへの個別のお問い合せや取材はご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。皆様には生前のご厚誼に深く感謝いたしますとともに、ここに謹んでお報せ申し上げます。BAAD Official websiteーより引用前述したように、同バンドは2023年に『再会』を発表したばかり。しかし、大切なメンバーの1人が旅立ってしまいました。映画『THE FIRST SLAM DUNK』が大ヒットし、『スラムダンク』が再ブームを巻き起こしたことから、幅広い世代が代表曲の『君が好きだと叫びたい』を耳にしていたようです。新井さんの逝去は多くの人に衝撃を与え、ネットでは「結成30周年の節目に別れの日が来るなんて」「素晴らしい演奏をありがとう」といった声が上がっています。今後も新井さんの演奏は、楽曲を通してたくさんの人に感動を与えてくれるでしょう。新井さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年06月13日切れ味鋭いトークなどで人気を集めた、元タレントの上岡龍太郎さんが、2023年5月19日に亡くなっていたことが分かりました。81歳でした。産経ニュースによると、肺がんと間質性肺炎のため、大阪府内の病院で息を引き取ったとのことです。京都府京都市左京区に生まれた上岡さんは、1959年に横山ノックさん、横山フックさんと共に『漫画トリオ』を結成し、お笑いタレントとしてデビュー。『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)の初代司会者を務めるなど、関西地域を中心に活躍し、2000年に芸能界を引退しました。ネットでは、「えぇー!ショック!!」「天才的な話術が大好きでした」など、別れを惜しむ声や、感謝を伝えるコメントなどが投稿されています。上岡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年06月02日2023年5月30日、日本の競走馬として活躍したナイスネイチャが亡くなったことを、認定NPO法人引退馬協会がウェブサイトを通じて発表しました。35歳でした。ナイスネイチャは、1990年に中央競馬でデビュー。日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で実施する重賞競走『有馬記念』(GI)では、1991~1993年の3年連続で3着という記録を残しています。1996年の引退までに41戦7勝し、存命だった重賞勝ち馬では最高齢。また、ナイスネイチャは、競走馬を擬人化したゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターのモチーフとしても知られていました。突然の訃報に、ネット上では「感動をありがとう」「どうか安らかに」「本当にお疲れ様」といった声が上がっています。ご冥福をお祈りします。[文・構成/grape編集部]
2023年05月30日日本時間2023年5月25日、アメリカのミュージシャンである、ティナ・ターナーさんが亡くなったことが分かりました。83歳でした。持ち前の高い歌唱力で数々の歌を世に届け、『ロックンロールの女王』と呼ばれていたターナーさん。中でも、1984年にリリースされた楽曲『愛の魔力(What’s Love Got to Do with It)』は日本でもヒットを記録しました。サンケイスポーツによると、死因は明かされていませんが、ターナーさんは長期にわたって肝臓などの病気を患っていたのだとか。アメリカのカリフォルニア州にあるハリウッド・ウォーク・オブ・フェームでは、ターナーさんの逝去を受け、多くの人が花を手向けています。『ロックンロールの女王』の旅立ちは、日本でも多くの人に衝撃を与えた模様。ネットでは「素晴らしいミュージシャンだった」「また1人偉大なミュージシャンが旅立ってしまった…」といった声が上がっています。ターナーさんの歌声は、今後も楽曲を通して多くの人に笑顔や感動を与えてくれるのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年05月25日2023年5月24日、プロサーファーの小川直久さんが、がんにより亡くなったことが分かりました。51歳でした。所属事務所である株式会社 LDH JAPANのウェブサイトによると、小川さんは2020年より大腸がんを患っていたとのことです。弊社所属のプロサーファー小川直久が、5月23日(火)に癌により永眠いたしました。数々のタイトルを獲得し、日本のサーフィン界に多大なる影響を与え続けた彼の功績に敬意を表すと共に、皆様におかれましては生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせいたします。2020年に大腸癌が発覚した際には、本人の強い気持ちで治療を乗り越えて見事に寛解し、再びサーフィン界のためにと想いを募らせ、次回のパリオリンピックでも最年長選手として出場をと意気込んでおりました。弊社としても、その想いを叶えるべくサポートを続けておりましたので、LDH一同大きな悲しみの中に故人を追悼しております。LDHオフィシャルサイトーより引用小川さんは、1995年度の『JPSAグランドチャンピオン』の実績を持つ、日本を代表するトップライダー。小波から大波まで幅広く乗りこなし、7年連続を含む合計8回の『サーファーオブザイヤー』を受賞しました。選手としてだけでなく解説者としても活躍し、日本プロサーフィン連盟副理事長も務めていた小川さん。『日本サーフィン界のカリスマ』とも呼ばれ、多くのファンに支持されてきました。小川さんの訃報に、多くの人から悲しみの声が上がっています。・私がサーフィンを始めた頃、雑誌やDVDでよくお見掛けしました。とても人柄のよさそうな方でした。心よりお悔やみ申し上げます。・こんなに若くして亡くなるのは残念でなりません。・言葉が出ない。若すぎるって。ショックだ。小川さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年05月24日2023年5月17日、バレーボールの男子日本代表選手として、二度のオリンピック出場経験を持つ横田忠義さんが、同月9日に亡くなっていたことを、日本バレーボール協会が発表しました。75歳でした。横田さんは、1968年にメキシコオリンピック、1972年にはミュンヘンオリンピックで、バレーボール日本男子代表のメダル獲得に貢献。その後、1994年に、バレーボール女子日本代表チームの監督としてアジア大会、世界選手権を指揮しました。バレーボール日本男子をけん引した横田さんの訃報に、当時を知る人たちを中心に、別れを惜しむ声が寄せられています。・またも昭和の巨星が…。残念です。・偉大な人が1人、またも旅立ってしまいましたか。・ミュンヘンオリンピックでの金メダルは本当にすごかった!横田さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年05月17日2023年5月10日、俳優の高見のっぽさんが亡くなったことが分かりました。88歳でした。NHK関係で、さまざまな教育番組に出演してきた高見さん。1967~1990年に放送されていた教育番組『できるかな』(NHK)では、ひと言も喋らない『ノッポさん』というキャラクターで人気を博しました。サンケイスポーツによると、高見さんが息を引き取ったのは、2022年9月10日。心不全のため、東京都内の病院で亡くなったといいます。「周囲を騒がせたくないので、半年以上伏せてほしい」という本人の希望もあり、高見さんの誕生日である、2023年の5月10日に公表されたそうです。緑色の帽子がトレードマークの、ノッポさん。これだけ愛されるキャラクターになったのは、高見さんのジェスチャーだけで感情を表現する、役者としての才能あってこそといえるでしょう。高見さんの逝去が明かされると、ネットでは多くの人から「たくさんの笑顔をありがとうございます」「伏せていた理由も、ノッポさんらしくて涙が出た」といった声が上がりました。高見さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年05月10日2023年4月21日、お笑いコンビ『インデペンデンスデイ』の久保田剛史さんが同月18日に亡くなったことを、所属事務所の株式会社浅井企画が発表しました。36歳でした。同社によると、体調不良の悪化が原因だといいます。弊社所属タレント インデペンデンスデイ 久保田剛史が、4月18日(火)に体調不良の悪化により急逝いたしました。生前のご厚誼に深謝し、謹んでご報告申し上げます。ファンの皆様、仕事を共にしてくださった皆様、関係者の皆様に、このようなご報告を差し上げることは大変残念でなりません。突然の訃報に接し、所属タレント、スタッフ一同深い悲しみに暮れております。株式会社浅井企画ーより引用久保田さんは2006年、相方の内藤正浩さんとコンビを結成。名城大学落語研究会で2人は、内藤さんが先輩、久保田さんが後輩という関係性でした。2人は、2015年に行われた若手芸人発掘ライブ『新人内さまライブチャンピオン大会2015』で優勝。若手の有望コンビとして知られていました。久保田さんの訃報を受けて、内藤さんは同月21日にTwitterを更新し、胸中を明かしています。日頃からインデペンデンスデイを応援してくださっている皆様へ pic.twitter.com/970veMsIMF — インデペンデンスデイ 内藤 (@inde_naito) April 21, 2023 相方である内藤さんは、心の整理がつかないほど、久保田さんの逝去を悲しんでいる様子。ファンからも、「いつも楽しみに、ネタを見ていたので悲しい」「もう久保田さんが見られないなんて」といった声が上がっています。久保田さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年04月21日2023年4月20日、韓国で活動する男性アイドルグループ『ASTRO』のメンバーである、ムンビンさんが亡くなったことが分かりました。25歳でした。ムンビンさんが息を引き取ったのは、同月19日。サンケイスポーツによると、ソウル市内の自宅で倒れているムンビンさんを、マネージャーが発見したとのことです。所属事務所は、韓国語版と日本語版のウェブサイトでムンビンさんの逝去を明かし、ファンに向けてメッセージをつづりました。悲痛で胸が痛むニュースをお伝えすることとなり、まずお詫び申し上げます。4月19日、ASTROのメンバーであるムンビンが私たちのそばを離れ、空の星になりました。ご遺族の悲しみとは比べものになりませんが、長い時間共にしてきたASTROのメンバーたちとfantagioの所属アーティスト、社員一同とても大きな悲しみと衝撃の中、故人を心から哀悼しています。ムンビンを応援してくださり、惜しみない愛を送ってくださったファンの皆様に、突然のニュースをお伝えすることになり、さらに胸を痛めております。誰よりもいつもファンを愛し、想っていた故人の気持ちをよく知っているので、より悲しいばかりです。突然の悲報で大きな悲しみに陥った遺族の方々が、故人を敬虔に追悼できますよう、推測での報道や悪意のある報道はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。遺族の意思に沿い、葬儀は家族や親族、社員が参列し、最大限静かに執り行う予定です。もう一度、故人の最期の道に謹んで哀悼の意を表します。ASTRO JAPAN OFFICIAL FAN CLUBーより引用2016年にデビューして以来、『ASTRO』でメインダンサー兼ボーカルとして、活躍してきたムンビンさん。2023年5月には、東京都と大阪府での『ASTRO』来日公演も控えていました。あまりにも突然で、早すぎる別れに、日本でも多くのファンから悲しむ声や惜しむ声が相次いでいます。ムンビンさんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年04月20日2023年4月7日、声優の櫛田泰道(くしだ・やすみち)さんが同月1日に亡くなっていたことが、所属事務所の発表により分かりました。46歳でした。弊社所属声優 櫛田泰道 令和5年4月1日 46歳にて永眠いたしました葬儀に関しましてはご遺族の意向により近親者のみで執り行いましたここに生前のご厚誼に深謝するとともに謹んでご報告申し上げますマウスプロモーションーより引用櫛田さんは、2004年に声優プロダクション『マウスプロモーション』に所属し、以降、アニメ版のハルク役や、アニメ『BLEACH』や『銀魂』などに出演。また、日本でも大ヒットした海外ドラマ『プリズン・ブレイク』のマンチェ・サンチェス役の日本語吹き替え版を務めるなど、さまざまな作品で活躍しました。46歳というあまりにも若すぎる別れに、「これからという時なのに」「まだまだ『ハルクスマッシュ!』と叫んでほしかった」と、惜しむ声が寄せられています。櫛田さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年04月09日2023年4月6日、『ムツゴロウさん』の愛称で知られる動物研究科で小説家の畑正憲さんが亡くなったことが分かりました。87歳でした。産経新聞によると、畑さんが亡くなったのは同月5日。心筋梗塞により、病院で息を引き取ったといいます。動物に関して豊富な知識を持ち、バラエティ番組などでも活躍していた、畑さん。また、小説家としての顔も持ち、1977年には、さまざまな文化分野において活躍した人を表彰する『菊池寛賞』を授賞しています。今なお多くの人の印象に残る畑さんの訃報に、悲しみの声が数多く寄せられました。・もう87歳になられていたのですね…。年齢を考えれば当然だけれども、つらい。・アラフィフ世代の人は、一度は『ムツゴロウ王国』を訪れたいと思っていたはず。・小さい頃から大好きな人で本も買っていました。さびしすぎる。畑さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年04月06日2023年4月2日、音楽家の坂本龍一さんが、同年3月28日に逝去したことが分かりました。71歳でした。所属する事務所によると、葬儀は坂本さんの強い意向で近親者のみで執り行われたといいます。わたくしども所属の音楽家/アーティスト 坂本龍一が去る2023年3月28日71歳にて永眠いたしました。謹んでご報告申し上げます。2020年6月に見つかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした。これまで坂本の活動を応援してくださったファンのみなさま、関係者のみなさま、そして病気治癒を目指し最善を尽くしてくださった日米の医療従事者のみなさまに、あらためて深く御礼申し上げます。坂本自身の強い遺志により、葬儀は近親者のみで済ませておりますことをご報告いたします。また、弔問、ご香典、ご供花につきましても謹んで辞退申し上げます。最後に、坂本が好んだ一節をご紹介します。Ars longa, vita brevis.芸術は長く、人生は短し報道関係のみなさま、取材等はお控えくださいますよう心よりお願い申し上げます。2023年4月2日株式会社キャブエイベックス・エンタテインメント株式会社commmonsavex portalーより引用また、坂本さんのInstagramも更新され、グレーの背景に生年月日と没年月日の文字が記され、朽ち果てたピアノの画像が浮かび上がる、音のない動画が投稿されていました。 この投稿をInstagramで見る Ryuichi Sakamoto(@skmtgram)がシェアした投稿 音楽グループ『イエロー・マジック・オーケストラ(通称:YMO)』のメンバーとして活動し、電子音楽のジャンルに影響をもたらしたといわれる、坂本さん。さまざまな映画音楽も手掛け、『世界のサカモト』として海外からも高く評価をされてきました。自身も出演した、1983年に公開された映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲は、イギリスのアカデミー賞の作曲賞を受賞。さらに、1987年公開の映画『ラストエンペラー』でも音楽を手掛け、日本人として初めてアメリカのアカデミー賞の作曲賞を受賞しました。また、音楽の分野だけでなく、環境や平和問題について活動団体を立ち上げるなど、社会活動家としても知られています。ネット上では、世界中の人々から逝去を悼むコメントが寄せられています。・コンサートが素晴らしく、観られてよかったです。音楽はもちろん思想も尊敬できる人。ただただ、悲しいです。・がんとの長い戦い、つらかったでしょう。本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでください。・初めてピアノで弾けるようになった曲が『戦場のメリークリスマス』でした。もういないなんてさびしいです。・坂本龍一さんは、ひたむきに反戦を訴える音楽家でした。その平和への想いは、世界のどこかで今もつながっています。「芸術は長く、人生は短し」という言葉を好んだという、坂本さん。その素晴らしい音楽と坂本さんの想いは、永遠に人々の心の中に生き続けていくことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年04月03日2023年4月2日、競輪選手の野原雅也さんが亡くなったことが分かりました。29歳でした。この日、逝去をウェブサイトで明かしたのは、野原さんが所属していた日本競輪選手会福井支部。同団体によると、野原さんは同年3月30日に息を引き取ったとのことです。父親に元競輪選手の野原哲也さんを持ち、2014年に競輪選手としてデビューして以来、多くの優勝をつかみ、G1に出場してきた野原選手。2023年3月9日の競技中に、落車失格をしたのが最後のレースとなりました。野原さんの早すぎる旅立ちに対し、ネットからは競輪ファンから「あまりにも早すぎる。悲しい」「いい選手だから期待をしていたのに」といった惜しむ声が上がっています。日本競輪選手会福井支部は、同年4月2日~3日に、福井県福井市にある福井競輪場の正門側に、野原さんの献花台を設置。きっと、生前の野原さんの活躍に元気をもらった人たちが、感謝の気持ちとともに花を手向けにくることでしょう。野原さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年04月02日2023年3月30日、特撮に欠かせない『光線』を作り出す光学作画の第一人者として多くの作品で活躍した、光学合成技師の飯塚定雄さんが、同月24日に亡くなっていたことが分かりました。88歳でした。飯塚さんは誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなったとのことです。『ウルトラマン』シリーズを中心に手掛ける、円谷プロダクションは、飯塚さんの訃報を受けこのようにコメントを発表しています。ウルトラマンのスペシウム光線をはじめ、数々の「光」で円谷プロ作品を彩っていただきました。飯塚定雄さんのご生前のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。@tsuburayaprodーより引用飯塚さんは、1966年から放送された特撮テレビドラマ『ウルトラマン』(TBS系)で『スペシウム光線』を描くなど、多数の仕事をこなし光学作画の第一人者となりました。また、2015年には長年にわたって光学合成に従事した功績から『平成27年度 文化庁映画賞 映画功労部門』を受賞。2022年には映画『シン・ウルトラマン』で光学作画を担当しています。飯塚さんの訃報に対し、ネットからは悼む声が上がりました。・私の「特撮作品が好き」というのは、「光学作画が好き」と同義です。子供の頃から大変な影響を受けました。ありがとうございました。・『ウルトラマン』シリーズにはなくてはならない人だった。ご冥福をお祈りいたします。・誰もが観たことのある光線を作り出した偉大な人だ。残念でなりません。素晴らしい作品をありがとう。飯塚さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年03月30日2023年3月29日、俳優の奈良岡朋子さんが同月23日に肺炎のため亡くなっていたことが分かりました。93歳でした。劇団民藝代表の俳優・奈良岡朋子(ならおか・ともこ、本名同じ)が、去る3月23日(木)22時50分、肺炎のため東京都内の病院で逝去いたしました。93歳でした。生前のご厚誼を深謝し、謹んでお知らせ致します。劇団民藝ーより引用なお、奈良岡さんが代表を務める『劇団民藝』は、同年4月5日までの期間限定で、約10分間のドキュメンタリー『ある女優・奈良岡朋子』を同劇団のYouTubeチャンネルにて公開していることを伝えています。ナレーターとしても活躍した奈良岡朋子さん日本の三大劇団に数えられる『劇団民藝』。その代表でもある奈良岡さんは、数々のドラマや映画、舞台で活躍してきました。2005年に出演した舞台『ドライビング・ミス・デイジー』『火山灰地』は、ともに『朝日舞台芸術賞』と『毎日芸術賞』を授賞。また、テレビドラマ『おしん』(NHK)や大河ドラマ『いのち』(NHK)ではナレーションも務め、好評を博しました。奈良岡さんの訃報に、別れを惜しむ声が続々と寄せられています。・とても素敵な方でした。ご冥福をお祈りいたします。・テレビドラマ『太陽にほえろ』での演技が印象的でした。・また1人、名俳優さんが旅立ってしまった…。奈良岡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年03月29日2023年3月26日、グラビアアイドルとして活動していた片瀬美月さんが亡くなったことが分かりました。26歳でした。この日、片瀬さんの逝去を明かしたのは、所属事務所であるエンターマックスプロモーション。所属事務所によると、片瀬さんが亡くなったのは同月21日とのこと。あまりにも突然の別れに、スタッフも現実を受け止めることすらできない状態といいます。 pic.twitter.com/zbVZ4Fz3R5 — エンターマックスプロモーション【公式】 (@entermax_Info) March 26, 2023 亡くなった当日には、野球の世界大会『ワールド・ベースボール・クラシック(通称:WBC)』の準決勝の中継を見て、楽しそうにツイートをしていた片瀬さん。ネットからは、「これからの活躍を期待していたのに」「急すぎて、理解が追いつきません」といった悲しむ声が相次いでいます。天王寺といえば!!あべのたこやきやまちゃん中高時代から慣れ親しんだ塩マヨネーズとしょうゆマヨネーズおいしすぎた~ pic.twitter.com/T3oENaIuEP — 片瀬 美月ミスiD2022F︎︎︎︎︎ (@miduking___) March 19, 2023 片瀬さんは、これまで雑誌やテレビ番組でグラビアアイドルとして活躍。26歳での別れは、あまりにも若すぎるといえるでしょう。所属事務所は、日を改めて、ファンと片瀬さんの別れの機会を設ける予定とのことです。片瀬さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年03月26日