ヒトサラ「Go To Eat」キャンペーンのポイント!ランチは500pt、ディナーは1,000ptもらえる期間中はヒトサラPOINTが通常の3倍!最短翌日でポイントがつかえる大和八木駅【bistro La Fuwaja】奈良県産の食材でつくる【フレンチ×和の融合】を味わう独立時からお店で出そうと決めていた一品。『奈良吉野・上北産の鹿肉ロースト』店名は【フランス・和・ジャポン】を表すシェフの造語。その名の通り、フレンチ×和の融合を目指したシェフこだわりのコース料理を提供しています。日頃の疲れをリフレッシュできるようなアットホームな空間で、カジュアルにフレンチを堪能できますよ。お肉は地元奈良県吉野でとれた鹿・猪肉、野菜は桜井山田の段々畑で採取された野菜を使用。ほかに旬の魚介をシェフ自ら厳選しています。ワインは料理に合ったものを多数取り揃えており、フレンチとのマリアージュを楽しめるのも魅力です。bistro La Fuwaja【エリア】橿原【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】3000円【ディナー平均予算】4000円【アクセス】大和八木駅 徒歩3分畝傍御陵前駅【ビストロイマイ】高級食材をつかった本格フランス料理を気軽に楽しめるビストロ想像を超えるやわらかな食感と、口いっぱいに広がるアワビの甘みを堪能できる『アワビのステーキ』オーソドックスでクラシックなフランス料理を味わえる【ビストロイマイ】。過剰な演出無しの、おいしさだけを追求した料理を提供してくれます。白を基調にした明るい店内は、アットホームな雰囲気。小上がり席もあり、つかい勝手がいいお店です。用意されたコースメニューは全部で6種類。中でも『menu special』は、フォアグラやアワビなどの高級食材を堪能できるおすすめのメニューです。量の少ないハーフコースも用意があり、家族連れにうれしい配慮がされています。ビストロイマイ【エリア】橿原【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】1600円【ディナー平均予算】3800円【アクセス】畝傍御陵前駅 徒歩6分坊城駅【ImagamI】新しいフレンチ×自然派ワイン。ゆっくり味わえる一軒家レストランバラエティ豊かな旬の山海の幸を満喫『旬の彩り前菜いろいろ盛合わせ』能登牛やのどぐろなど、石川で採れる一級の品々を堪能できるレストラン。店内にはゆったりとくつろげるカウンター席と奥まったテーブル席があり、大人の隠れ家のような趣があります。営業時間が昼ノ部と夜ノ部に分かれており、それぞれ違った雰囲気を楽しめます。ランチは気軽にのどぐろなどの丼ものを、ディナーは加賀野菜や海の幸をつかった創作コース料理を堪能できます。金沢市内の料亭でみっちり腕を磨いた料理人がつくる和食は、地元の食通も唸らせる逸品揃い。お酒も地のものをたくさん用意してあります。ImagamI【エリア】橿原【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】3000円【ディナー平均予算】5000円【アクセス】坊城駅高田市駅【ヴェルデ辻甚】極上な大人の時間を満喫できるモダンスタイルレストラン8時間煮込んだコンソメのソースで見事フレンチに仕上げた贅沢な『フカヒレのステーキ』3,500円(税抜)約400年の歴史を持つ元老舗料亭旅館である【辻甚】が品位と格調に満ちた空間として蘇った【ヴェルデ辻甚】。風光明媚な大正ロマン溢れる風雅な外観はそのままに、おいしい料理と心温まるおもてなしが迎えてくれる、非日常空間が広がります。どの料理も季節の魚介や野菜をそれぞれの食材に合わせて料理し、美しい盛り付けや味にもこだわった逸品揃いです。また、幅広い年齢層が楽しめるよう、大人と同じ食材をつかった本格フレンチのお子様向けコースも用意。家族のお祝い事にもおすすめです。ヴェルデ辻甚【エリア】大和高田【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】4000円【ディナー平均予算】9000円【アクセス】高田市駅 徒歩3分新ノ口駅 【レストランピノノワール】洗練されたアーティスティックな空間でフレンチとワインを堪能皮目をパリッと、身はふっくらと焼きあげた旬魚の芳醇な味わいに心ときめく『魚料理』アーティスティックな空間が魅力の、一軒家フレンチ。デザイナーが手掛けるウォルナット製の家具や画家制作の版画作品が目を引く店内は、ゲストの美的感覚をも刺激してくれます。重厚感のある洗練された大人の雰囲気でゆっくりと上質な時間を過ごせます。素材の持ち味を最大限に引き出したフランス料理を提供。そこに合わせたいのは、フランスブルゴーニュ地方のワイン。熟成した飲み頃のワインを常時300本ほど取り揃えたワインセラーがあり、普段なかなか味わえない高級なワインもグラスで用意しています。レストランピノノワール【エリア】橿原【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】5000円【ディナー平均予算】10000円【アクセス】新ノ口駅 徒歩5分ほかにも、「GoToイート」利用可能なお店をお探しなら、こちらをチェック!↓
2020年10月25日新型コロナウイルスにより、10月4日にこの世を去った天才デザイナー・高田賢三さん(享年81)。訃報を受け、出身地である姫路市できょうだい3人が会議を開いていた。次姉・瑞子さん(84)宅に集まり、その後に近くのお好み焼き店で会食へ。7人きょうだいの5人目として花街で生まれ育った賢三さんだが、デザイナーとしての才能の片鱗は少年時代から見え始めていたという。長姉の志津加さん(86)は、賢三さんの若かりしころを語る。「賢三がファッションに興味を持ったのは、母親の影響が大きいんです。母はすごく着物が好きで、自宅には見本の布などがたくさんありました。私たちの服もすべて仕立てたものばかり。それくらい着るものにこだわっていました。私も洋裁学校に進学したのですが、賢三は当時からデザイン画がすごく上手でね。よく私の学校から出された課題を手伝ってくれたりしていました」また、次姉の瑞子さんは賢三さんのフランス行きを後押ししていたのだという。「’65年に渡仏する前、賢三は六本木に住んでいました。するとマンションが改築になって、“立ちのき料”として大金が転がり込んできたんです。そのとき、賢三から『軽井沢に別荘でも買おうかな』と相談を受けて……。だから私は『デザイナーとして成功したいなら、フランスへ行きなさい!』と叱りました。そのほうが、絶対に将来のためになると思ったんです」姉の叱咤もあり、賢三さんは船で渡仏。KENZOブランドを設立し、世界へと羽ばたいていった。しかし’90年には信頼するパートナーと死別し、経営は次第に悪化。’93年には、ブランドを手放すことになった。それでも、実弟・紀年さん(79)は当時をこう振り返る。「私は、あの時期に会社を手放せてよかったと思っているんです。というのも、経営者だったころの兄は、好きな仕事だけに打ち込むわけにはいきませんでした。でも、晩年は一人のデザイナーとして自由に生きていたんです。衣服以外のデザインをしたり、油絵に挑戦して個展を開いたり。思いのままやりたいことをやって過ごせていました。それは、兄がもっとも求めていたことでした」今でも年に1度は食事会などを開き、必ず顔を合わせていたという高田家のきょうだいたち。紀年さんは遺骨が日本に帰ってきた後、こんな“追悼プラン”を思い描いているという。「正直、今後のことはまだ何も決まっていません。ただあくまで私個人の意見ですが、遺骨が戻ってきたらまず一部を姫路にある先祖代々の墓に入れたい。そして残りは、エーゲ海などに散骨してあげたほうがいいのではと思っているんです。今年の夏もバカンスに出かけていた思い出の地ですからね。日本の小さなお墓に入るよりも、のびのびして兄らしいんじゃないでしょうか。向こうの人たちも『KENZO!』と言って慕ってくれますし。いつか、きょうだいみんなで行って見送ってあげたい。そんなことを考えています」KENZOは、亡くなった後も世界を旅し続ける――。「女性自身」2020年10月27日号 掲載
2020年10月14日2020年10月4日、ファッションデザイナーの高田賢三さんが亡くなりました。高田さんは、ファッションブランド『KENZO』を設立し、日本のみならずフランスで芸術文化勲章を受章するなど世界で活躍していました。『KENZO』の高田賢三さん、新型コロナで死去「また偉大な人が」「さびしい」冨永愛「胸がえぐられる思い」モデルの冨永愛さんは、高田さんの訃報を知り自身のInstagramにコメントを掲載。2006年に開催されたパリコレで、当時生後6か月だった息子とともにランウェイを歩いた写真を公開しました。 この投稿をInstagramで見る 冨永愛(@ai_tominaga_official)がシェアした投稿 - 2020年10月月4日午後4時38分PDT高田賢三さんの訃報を知り悲しみに暮れています今年は訃報が多く胸がえぐられる思いです…この写真は生後6か月の息子と歩いた @kenzo 2006S/Sのパリコレですが高田賢三さんの時代ではありませんしかし彼が引き継いだブランドの魂は確実にそこにあると信じていますそしてこれからも…Rest In Peace KenzoLove youai_tominaga_officialーより引用「悲しみに暮れている」と胸中を吐露した冨永さん。高田さんのブランドの魂は、ファッション界で生き続けているといいます。投稿には、高田さんへのお悔やみのコメントが寄せられていました。・素敵な衣装ですね。今もブランドは受け継がれていると思います。・この写真、とてもよく覚えています。賢三さんの洋服、とても好きでした。・悲しいニュースが続いてつらいですよね。コロナがなければ…と思うばかり。同年7月21日には、ファッションデザイナーの山本寛斎さんが亡くなりました。偉大なデザイナーの訃報に悲しみは募るばかりです。高田さんが遺したブランドの魂は、この先も多くの人の心を明るくしてくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月05日2020年10月4日、世界的なファッションデザイナーとして知られる、高田賢三さんがフランス・パリ郊外の病院で死去しました。81歳でした。サンケイスポーツによると、高田さんは新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)に感染し、入院をしていたそうです。高田さんは9月初旬に南フランスへのバカンスからパリに戻った後の同10日ごろ、体調不良を訴えて入院。翌日にPCR検査でコロナ感染が判明した。関係者に電話で「体調が良くなってきた」と話すなどしていたが、容体は一進一退を繰り返し、日本時間の10月4日夜に亡くなったという。サンケイスポーツーより引用高田さんが設立したファッションブランド『KENZO』は、パリのコレクションで高く評価され、フランスの芸術文化勲章を受章したほか、日本でも紫綬褒章を受章。日本のファッション界を長らくリードする存在であった高田さんの訃報に、友人のファッションデザイナー、コシノジュンコさんは「亡くなるなんてあり得ない。しかもコロナウイルスが原因なんて」と喪失感を隠せない様子だったといいます。ネット上ではこのニュースにお悔みのコメントが相次ぎました。・つい先日、公園で『KENZO』のTシャツを着た子供を見て「素晴らしいデザイナーだな」と改めて思ったところでした。残念です。・山本寛斎さんに続き、賢三さん。青春時代の憧れのデザイナーたちでした。偉大な人たちの旅立ちは、とてもさびしいです。・『KENZO』の服とかばんを学生時代に使っていました。ご冥福をお祈りします。ファッション界に、数々の新しいインスピレーションをもたらした高田さん。その功績は、今後もさまざまな形で受け継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2020年10月05日映画『罪の声』(10月30日公開)の完成報告会が東京・国際フォーラム ホールCで行われ、小栗旬、星野源、土井裕泰監督、塩田武士(原作者)が登場した。同作は塩田武士の同名小説の実写化作。新聞記者の阿久津英士(小栗)は、昭和最大の未解決事件を追う特別企画班に選ばれ、残された証拠を元に取材を重ねる。一方、京都でテーラーを営む曽根俊也(星野)は、父の遺品の中にカセットテープを見つける。何となく気に掛かり再生すると聞こえてきたのは、幼いころの自分の声。それは30年以上前に複数の企業を脅迫して、日本中を震撼させた昭和最大の未解決事件で犯行グループが使用した脅迫テープと全く同じ声だった。印象的だったシーンについて聞かれると、小栗は「高田聖子さんが演じている被害者の友達が、俊也に話すシーンがあるんですけど、そこがこの作品の中で自分が最初に『うわあ、すごいなこのシーン』と思って、とても気に入ってるシーンです」とピックアップする。また星野は「橋本じゅんさんのシーンは、現場でもテンションがすごかったですよね。『もうちょっとおさえてください』というくらいにやってて。あれでもじゅんさんはおさえてやってたんですよ」と思い出し笑い。『罪の声』出演で「『MIU404』という作品の1年半くらい前にじゅんさんとご一緒していた」と明かした星野は、「じゅんさんのシーンはとってもキーマンなんです。あの人がいなかったらも、しかしたらこの映画は途中で終わってるんじゃないかというくらいのキーマンなんですけど、めちゃくちゃおっちょこちょいで迂闊なので、そこをぜひ楽しみに見ていただけると、違った面白さが出てくるんじゃないかなと思います」と語った。小栗はそんな星野の回答を聞いて、「僕らがあげた2人(高田&橋本)は、劇団☆新感線ですね」と共通点に気づく。星野も「そうですね。やっぱり劇団☆新感線はすごいですね」と同意していた。
2020年09月29日ものまねタレントの岡田聖子(おかだ・せいこ)さんが、2020年9月17日にブログを更新。公園で出会った母親たちの行動に、苦言を呈しています。岡田聖子の「ママ友にはなれんわ」発言に共感の声子供と一緒に公園に出かけた岡田聖子さんは、食べ散らかされた菓子のゴミを発見。風でどんどん散乱していく様子を見て、もやもやしてしまったようです。最近行く公園お菓子のゴミがすごい、、、。子供たちが食べてる最中なら拾って帰るのだろうと思っていた日もあるが。今日はそこで食べていただろう子供達はいなくて荷物とお菓子のゴミが置き去り。岡田聖子オフィシャルブログーより引用そんな中、岡田聖子さんはさらに残念な光景を目の当たりに…。その時の気持ちを爆発させています。元々散乱していた上に風で広範囲に散乱していくゴミ達。そこには、自分の子供達のゴミじゃないから知りません顔のママが4、5人。ゴミと認識はあるようで避けながら自分の子供を遊ばせている。、、、、この人達とママ友にはなれんわー。岡田聖子オフィシャルブログーより引用岡田聖子さんは「自分の子供がしたことじゃないから関係ない」という考えを持つ母親たちに対して、不満を募らせた様子。「きれいなのは見かけだけかいな!」と心の中でツッコミを入れています。その後、岡田聖子さんは自分の子供に目を配りつつ、散乱したゴミを回収。そんな岡田聖子さんにファンは「素晴らしいです」「見習いたい」と称賛や共感のコメントを送っています。・岡田さんのいう通り、そんなママたちとは関わり合いたくないかも。・同じ母親として見習いたいです。応援します!・私も見て見ぬ振りをするかもって反省しました。これからは人として素敵な姿を目指します!そもそも、ゴミを出した人が持ち帰るのが当然のマナー。それは子供であろうと大人であろうと関係ありません。他人が出したゴミをひろわないことを責められませんが、岡田聖子さんのように「それでも…」と考える姿勢は、とても学ぶところがあるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年09月24日「魔法の天使 クリィミーマミ」のキャラクターデザインを手掛ける人気イラストレーター高田明美の展覧会「高田明美展」が、2020年9月23日(水)から28日(月)まで、銀座三越にて開催される。高田明美は、2018年にデビュー40周年を迎えた人気イラストレーター。スタジオぴえろが手掛けたアニメ作品「魔法の天使 クリィミーマミ」を代表作に持ち、「きまぐれオレンジ☆ロード」、「うる星やつら」のキャラクターデザインを手掛けたことでも知られている。銀座三越で開催される「高田明美展」では、「魔法の天使 クリィミーマミ」を中心とした作品の版画、書き下ろしの原画を展示販売。期間中、原画または版画を購入した先着100名には、直筆サイン入り色紙もプレゼントされる。9月26日(土)には、高田明美本人が来場するため、本人から直筆サインを受け取ることが可能だ。グッズ販売にも注目。「魔法の天使 クリィミーマミ」の限定クリアファイルをはじめ「きまぐれオレンジ☆ロード」や「うる星やつら」の缶バッチ、ポストカードなどが展開される。【詳細】「高田明美展」開催期間:2020年9月23日(水)~28日(月)※最終日18:00閉場場所:銀座三越 9階 銀座テラス/テラスコート(東京都中央区銀座4-6-16)※入場無料展示販売作品例:・「これまでも これからも いつだってクリィミーマミ!」版画/受注品/額サイズ:約76×65㎝ 308,000円・「Celestial Voice」版画/額サイズ:約65×57㎝ 220,000円・「What’s a Magic?」版画/額サイズ:約56×44㎝ 30,800円・クリアファイル 440円※価格はすべて税込。※数に限りがある商品もある。※イベントの内容は変更、中止になる可能性がある。■高田明美サイン会日時:9月26日(土)15:00~17:00期間中、原画または版画購入者の中から、先着100名に直筆サイン入り色紙をプレゼント。サイン会当日は本人から直接受け取ることができる。※来店スケジュールは、都合により変更または中止になる場合がある。
2020年09月19日●特撮のプロの方が時代劇に挑戦している映画&舞台を完全連動させたプロジェクト「東映ムビ×ステ」。昨年公開、舞台版も上演された第1弾『GOZEN』シリーズに続く第2弾として、映画『死神遣いの事件帖 -傀儡夜曲-』(6月12日公開)、舞台『死神遣いの事件帖 -鎮魂侠曲-』(7〜8月上演)が決定した。映画では江戸市中で探偵業を営む久坂幻士郎(鈴木拡樹)が主人公に。豊臣家に仕えた高名な傀儡子の息子で、死神・十蘭(安井謙太郎)と契約関係にある『死神遣い』でもある幻士郎は、吉原の大遊廓で発生した“遊女連続殺人事件”に関わっていく。今回は主演の鈴木にインタビューし、作品の印象や撮影中の様子などについて話を聞いた。○■この先につながるように――今回「東映ムビ×ステ」の第2弾ということで、まず企画を聞いたときはどのような印象でしたか?矢崎(広)くんのように知っているメンバーも出ていたので、「ムビ×ステ」の存在は知っていました。だからこそ、第1弾に負けないように、そしてこの先につながるようにしなければと思いました。第2弾というのは、第1弾の成功あってこそなので、引き継ぐつもりで参加しようと決心しました。また、同じグループ会社の部署違いでやっているというのが、面白い企画だなと思いました。顔合わせの日にも、普段はお仕事上でそんなに絡むことがないとおっしゃっていたので、新しい感覚だなと。――作品にもどこか東映さんの特撮の雰囲気も漂っていますよね。それが「ムビ×ステ」としての売りの一つなのかなとも思います。特撮のプロの方が時代劇に挑戦しているというのが、面白い。僕も以前ゲストで『仮面ライダーディケイド』に出させていただいたんですが、現場の空気が特別なんですよ。爆破シーンがあったりもするし、特撮の現場でしか味わえないような非日常的な感覚があり、ワクワクします。――時代劇という意味でも非日常的な感覚はありましたか?そうですね。ただ、単純に時代劇と特撮を足したというだけのものじゃない、複雑さのある作品です。撮影中も思っていましたが、完成作を見ても新しい世界観で、他の作品にはない、色々なジャンルの混ざり方をしていると思いました。歴史物としても、旗本や水野組が出たりと、しっかり徳川三代目の時代を描いていて、史実に沿った上でのif的なストーリーになっているのかなと思います。――鈴木さんもこれまで色々な時代を描く作品に出られていて、鈴木さんの出演作をつなげると日本の歴史ができるのではないかと…。そこも目指してみると面白いかもしれないですね(笑)。――ご自身で好きなのはどの時代なんですか?1番好きなのは戦国時代です。この仕事を始めてからより深く勉強するようになったので、今になってやっぱり歴史が楽しいなと思います。学生時代は「へ~」くらいにしか聞いてなかったです(笑)。いろんな説があるというのが歴史の楽しさで、調べれば調べるほど面白い。同じ時代背景で同じ役でも、作品によって描き方が変わってきて、全く違う人生を送っていたりするのも、演じる側の魅力です。――今回は江戸時代となりますが、今までと違いなどはありましたか?今回も刀を使ったアクションもありますが、1番違いを感じたのは京都の撮影所。町並みが目の前に存在したので、自分もタイムスリップしたような気持ちになれました。撮影中も、旅行している皆さんが見てらっしゃるんですよね。見学の方が喋っちゃってNGになったり(笑)。そういう要素も込みでいい経験でした。●安井謙太郎は「安心」、崎山つばさは「いつも新鮮」――共演者の方の印象も伺えれば。死神・十蘭役の安井さんとは初共演で相棒役となりました。安井くんはとてもしゃべりやすいタイプで、顔を合わせた瞬間から安心しました。撮影に入るまでに結構フランクな話もできていたので、一緒にいる相棒として、何の不安もありませんでした。お芝居の面でも、十蘭が人形になっているシーンがあったんですが、ずっと現場にいて声を出してくれていました。画面上には安井くん本人が映っていない瞬間もあるんですけど、僕は常に一緒にいたという感覚です。あとは、“十蘭人形”が現場で人気過ぎて、「僕のこともちゃんと見てよ」と嫉妬していました(笑)。――安井さんがメンバーとなっている7ORDERは現在舞台でも活躍されていますが、そういう話題も出たりしましたか?撮影中も安井くんが他のメンバーのお話をしていて、お芝居の方面でも力を入れるグループになるのかなと思いました。今後いろんな作品で皆さんを観れるのではないかと思って、僕も楽しみです。――侠客のリーダー・庄司新之助役の崎山つばささんとはもう何回も共演されていると思いますが、新たな発見などはありましたか?共演回数は多いんですが、いつも新鮮なんですよ。ここ最近は1年に1度共演するという感覚で、毎回1年間の成長をすごく感じます。しっかりしているから、年齢的に近いように思ってしまう瞬間もあるけど、まだまだ若いから伸びしろがあるんだなと実感します。――8月には東京ドーム(「刀剣乱舞-ONLINE-」五周年記念 「刀剣乱舞 大演練」)でも一緒のステージに立つことになりますね。せっかく一緒にできる機会ですから、たくさん同じシーンで絡めたら嬉しいなと思ってます。○■ホッカイロを配りがち?――ヒロイン・お藤を演じた乃木坂46の鈴木絢音さんは今回が映画初出演でしたが、どのような印象でしたか?常に自然体ですね。普段から自然体なんですけど、その状態のまま、お芝居に入った瞬間にテンションが一つ二つ上がるところが見えて。現場でも、監督とよく話されていたのを見かけましたし、完成作を見ても、クセになるキャラクターだなと思いました。――高田聖子さんも初共演でしょうか? 舞台『髑髏城の七人 Season月』では別々のチームで出演されていて。観劇に行った時に挨拶はしていたんですけど、お芝居を一緒にやるのは初でしたね。長い期間『月髑髏』の稽古をやっていたので、同じ舞台に出ている感覚ではあったんですが、念願の共演で(笑)。今回は冒頭から絡ませていただいたので、楽しかったです。――改めて撮影中を思い返して、何か現場で流行っていたことや印象深かったことはありますか?結構寒い時期に撮影していたので、どこにホッカイロを貼ればあったかいか、みんな研究してました。京都の撮影所の方々にとっては毎年のことなので、「お腹の下あたりに貼るといいよ」と教えていただいたり、とても詳しかったです。最初にお腹にホッカイロを貼っておくことによって、トイレに行く回数が減るらしくて。そんなコツがあるんですね。――鈴木さんもホッカイロを配っていたというエピソードを聞いたのですが、『映画 刀剣乱舞』の舞台挨拶取材でもホッカイロを配っていたことが話題になっていた覚えがあります。ホッカイロ、配りがちですね(笑)。寒さに怯えてるんです(笑)。――それでは、最後に公開を楽しみに待ってる方へのメッセージをいただければ。楽しみにいていただいた方にとっては、公開が少し延期となってしまいましたが、しっかりと「ムビ×ステ」の第2弾を撮ってきましたので、ぜひ見ていただきたいです。この映画でしか見られない世界が広がっています。アクションも時代劇も存分に楽しんでください。■鈴木拡樹1985年6月4日生まれ、大阪府出身。2007年、テレビドラマ『風魔の小次郎』で俳優デビューし、2008年、『最遊記歌劇伝 -Go to the West-』で初主演を果たす。以来舞台『弱虫ペダル』(12~)シリーズ、舞台『刀剣乱舞』(16~)シリーズなどで活躍し、2.5次元界を牽引。近年は舞台『髑髏城の七人 Season月 下弦の月』(17~18)、『No.9 ー不滅の旋律ー』(18~19)、『どろろ』(19年)、ドラマ『虫籠の錠前』『カフカの東京絶望日記』(19年)、『映画 刀剣乱舞』(19年)、映画『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』(20年)などに出演する。
2020年06月11日モデルでタレントの高田秋が18日、都内で行われたファースト写真集『SHU』(発売中 2,600円税抜 集英社刊)の発売記者会見に出席した。高校時代からモデルとして活躍し、現在はBS-TBS『町中華で飲ろうぜ』や競馬番組などに出演するなど、タレントとしても活躍している高田秋が、初の写真集を発売。オーストラリアと地元・北海道の江別で撮影され、親しみやすい笑顔はもちろん、プライベートな部分を切り取った作品で、水着姿や初めて挑んだ下着姿を披露するなど、高田の魅力が凝縮された1冊となっている。高田は、初めての写真集を手にしながら「やっと出せたという感じです。今28歳で来年の誕生日を迎えれば30歳になりますが、その前に出せて本当にうれしいですね」と満面の笑顔を見せ、「本当に競馬をしたりお酒を飲んでばかりのイメージなので、この1冊の中には身体を絞って頑張った部分がかなりありますので、普段の私とは違った一面を見てもらえると思います」と自信も見せた。お気に入りはスーツ姿でお尻を丸出しのカットだといい、「お尻は1番鍛えました。私はビールっ腹で下っ腹がすごく出るので、お尻のトレーニングですごい力をつけました。100点をつけたいと思います」と自己採点も高評価。そんな同写真集を大好きな日本酒で例えると「特別大吟醸じゃないですか。特別ですし大吟醸のようにフルーティーで爽やかで甘みのある作品になっていると思います」とアピールした。現在は仕事の9割近くが競馬とお酒の番組という高田。「今後はモデルもやらせてもらいたいですね」とモデルとしてのプライドを覗かせつつ、「一応ベースはモデルのお仕事なんですけど、ここ1年ぐらい1週間のスケジュールが飲みロケ、飲みロケ、競馬で飲みロケみたいになっていて、それは本当に幸せだなと思います。飲んでお金をもらえるなんて最高です」と不満はない様子。写真集のオーストラリアロケでは昼間からお酒を飲んでいたそうで、「飲んだ方が良い顔ができるんですよ。撮影前は死にの物狂いで1週間禁酒していましたが、我慢できなくて行きの飛行機でビールを飲みまくりました(笑)」とロケを振り返っていた。
2020年03月19日時代を代表するトップスターのヒット曲を次々と手がけ、旋風を巻き起こした希代の作詞家・松本隆(70)。松田聖子(57)も近藤真彦(55)も薬師丸ひろ子(55)も、彼らがデビューするや否や、その姿を見つけ、「詞を書きたい」と願った。そして「縁はないかな」と思っていても、その後、不思議とオファーが舞い込むのだという。今年、作詞家生活50周年を迎える松本がインタビューに応じてくれた。「聖子ちゃんはCMでデビュー曲を聴いて、声だけで『いいなぁ』と感じた。薬師丸ひろ子さんは映画『野生の証明』で、父親役の高倉健さんに『お父さ〜ん』って駆け寄るシーンを見てね。マッチはドラマ『3年B組金八先生』だったな」(松本・以下同)松本は松田聖子をトップアイドルに押し上げた立役者としても知られる。当時、CBS・ソニーレコードのディレクターだった若松宗雄氏から、アルバム収録曲へのオファーが舞い込んだときのことを「テストされたのかな?」と振り返る。最初に手がけた『白い貝のブローチ』が評価されて、6曲目のシングル『白いパラソル』から本格的に松田聖子を担当することに。自身の人脈でもある、松任谷由実(66)、細野晴臣(72)、大瀧詠一(享年65)ら一流アーティストを作曲家陣として迎えた功績も大きい。「聖子ちゃんとはピークのころはほぼ毎日会っていた。いろいろ話をしているからもう改めて取材する必要がなかった。できあがった詞を彼女が見て、『どうして私の思っていることがわかるの?』っていつも驚かれていたんです」“前髪を1ミリ切りすぎたら、恋人に会うのが怖い”“恋人が時計をちらりと見ると、泣きそうな気分になる”といった少女の繊細な気持ちを描いた歌が多く、この歌詞を男性がつづっていることに驚いたファンも多かった。「『こんな感じかな?』って、適当でした(笑)。会っているときに腕時計を露骨に見ると相手が傷つくかも、と思ったのは僕の経験。『おじさんが書いていてすみません』という気持ちでした」聖子の楽曲作りでタッグを組んだ松任谷由実とは、薬師丸ひろ子の傑作『Woman“Wの悲劇”より』も生み出した。「きれいな不倫の歌を書きたいなと思ったんだけど、『死んでしまった人を歌っているのでは?』と質問されることが多かった。表現って極めれば極めるほど霊界に近づいてしまうんだよね。薬師丸さんの作品では、学業で休んでいた後の復帰作となった『探偵物語』も僕はかなりいいと思う」そうして、もうひとり忘れてならないのは「この人は僕の母親にいちばん近い」と松本がいう斉藤由貴(53)。「僕を甘くみていて、強くてへこたれない人」と評する。「僕、へこたれない人が好きで。斉藤さんもそうだよね。才能があるからクドカン(宮藤官九郎・49)や是枝(裕和・57)監督などからも評価されている。そういう人は何があっても、いなくならない」そういえば、幾多のスキャンダルに負けず、芸能界に君臨し続ける松田聖子もそんな存在だ。そして、「僕の歌で大ヒットした人は、一生歌えるの」とさらりとつぶやく松本ーー。確かに、聖子、薬師丸、斉藤はそれぞれ進学、結婚、子育てといった転機を乗り越え、今も歌い続けている。「今の時代、一度休んでも、また歌いたくなったら出てくればいい。そうするとみんな受け入れるから。僕の歌は貯金のようなもので、彼女たちは預けていた財産をいつでも引き出すことができる。そんな感覚でもいいと思う」廃れることのない松本ソングの数々は、さらに50年後、100年たったときにはどうなっているだろうか。「それは時代が決めること。でも、きっと古くはならないと思う。僕はそれを見届けることができないけれど、希望的観測としては、古典になっていくんじゃないかな」「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月18日モデルでタレントの高田秋(28)が、3月18日に1st写真集(集英社)を発売することが29日、明らかになった。立ち飲みが趣味で「きき酒師」の資格を持ち、『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』(日本テレビ系)の「朝までハシゴの旅」をきっかけにブレイク。『BSイレブン競馬中継』(BS11)の土曜アシスタントを2017年から務め、『みんなのKEIBA』、『馬好王国~UmazuKingdom~』(共にフジテレビ系)にも準レギュラー出演し、2018年には10万馬券を的中させたことでも話題になった。今回の写真集では、いつもの親しみやすい存在感や飾らない笑顔はそのまま、プライベートな部分までを大胆に披露。水着姿をはじめ、初となる下着姿など、セクシーなシチュエーションにも果敢に挑んだ。高田は、「はじめての写真集という事で私自身とてもワクワクしています!」と発売前の心境を伝え、「元々お尻が大きかったり、身体の悩みがありましたが、それを魅力的になるようにお尻のトレーニングを中心にジムで何ヶ月も鍛えたり、お酒の飲み過ぎで出てしまった下腹部を腹筋で鍛えたりなど…笑 最善を尽くして挑みました!」と明るくコメント。「ブリスベンはオシャレでいてどこか懐かしくも思える場所で、本当に素敵な場所で撮影させて頂きました! 地元北海道の母校で撮った写真もあります」と内容を明かし、「これ以上ないくらい、私も自分で見てドキドキしてしまったくらいセクシーショットも満載なので、普段の飲んだくれてる私とは違った一面を楽しんで頂けたらと思います!」とアピールしている。(C)週刊プレイボーイ/集英社(C)熊谷貫
2020年01月29日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー前から知る人物に話を聞いた。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー後は瞬く間に大ブレークした松田聖子。一過性で終わらせてなるものかと、松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは2つのコンセプトを掲げる。そして、デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用していった。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」(若松さん)そんな松田聖子の代表曲のなかから、“大ヒット曲”の秘話を若松さんに教えてもらった。■『裸足の季節』(’80年4月)資生堂の「エクボ洗顔フォーム」とタイアップしたデビュー曲。作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎のコンビが担当。「担当者に一度、聖子は『エクボが出ない』と外されかけたが、博報堂のプロデューサーの『ダメになるのはもったいないコだから』というプッシュがあり、CMソングに起用。女性向けの雑誌をヒントに、当時のタイトルはほぼ私が考えていました」(若松さん・以下同)■『青い珊瑚礁』(’80年7月)2枚目のシングル。オリコン最高2位。『ザ・ベストテン』で1位を獲得し、スタジオから久留米に電話して「お母さ〜ん」と大泣きした場面は有名。「『青い珊瑚礁』は、当時大人気のブルック・シールズの映画から。このころから聖子の売り出しに気乗りしていなかった社内(CBS・ソニー)のムードも一変、『若松さん、売れるコなんだってもっとちゃんと言っといて』なんて言われるくらいでした」■『チェリーブラッサム(’81年1月)4枚目のシングル。「年明けに出すにふさわしい楽曲と思ったが、レコーディング直前に『なんとなく、あまり好きじゃない』と聖子。財津和夫さんの作曲で曲調が変わり、違和感があったようで、その場は一度解散し、再度集合。気合を入れ直してのレコーディングは無事終了し、苦労しましたが、楽曲は大ヒット。大村雅朗くんのアレンジが、さらに曲のよさを際立たせてくれました」■『白いパラソル』(’81年7月)6曲目で作詞を松本隆に依頼。「アルバムに提供してもらった『白い貝のブローチ』が秀逸だったから。5作目までの三浦徳子さんも素晴らしく、『なんで私ではだめなの?』と責められたが、決断。仕上げはエンジニアと一緒に悪戦苦闘しながら完成させました。聖子からは『(当時の所属事務所・サンミュージック/故人)相沢社長からこれは地味だから早く次の曲を作ってもらえと言われました』と(笑)。もちろん大ヒットしました」■『赤いスイートピー』(’82年1月)作詞・松本隆、作曲は呉田軽穂(松任谷由実)の黄金コンビによる代表曲。「ユーミンはすでに大スターでしたが、失礼ながら直してもらいました。彼女は謙虚で、私の『尾瀬に春が来たような感じにしたいので、あまり弾まないように。だが、最後は上がる感じに』などの抽象的な要望に『わかりました』と。私は音楽家ではないので、『なんか違う』と言うと『じゃ、こんな感じ?』とまた直してくれて。でも後日、ユーミンは『私、リテーク依頼は初めてよ』とほほ笑んでくれました」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“大ブレーク期”を知る人物に話を聞いた。「当時の私のチーフマネージャーが、かつて聖子さんを担当した人で、いつも『聖子は事務所のイチオシではなかったけど、才能がすごかった』と言っていました」聖子の3期後輩である桑田靖子さん(52)は、出身も同じ福岡県。芸能事務所も、憧れの先輩と同じサンミュージックに入所した。「私がデビューしたころ、聖子さんは圧倒的なトップアイドル。でもデビュー当時は、聖子さんもカセットデッキを抱えて全国のレコード店周りをして苦労したと聞いています」(桑田さん・以下同)桑田さんは地元の音楽祭で優勝し、13歳で上京。「(故・相澤秀禎)社長宅で下宿を始めたときは、残念ながら聖子さんとは入れ違いでした」というが、同じ事務所ということで楽屋が一緒のときも多かった。「武道館での公開収録のときだったかな。聖子さんが『靖子、おいで〜』って、私を隣に座らせて『チークはもう少しハッキリとね』とか『靖子は私と同じ一重だから、ラインの描き方はこうしたら?』とメークを施してくださった。正直、『濃いかも?』と思いましたが、テレビ画面だと映えるんです。さすが魅せ方がお上手だなって」当時“ぶりっこ”と揶揄された聖子だったが、「男前でサバサバした性格なのに、テレビに出た途端に輝いてかわいくなる」というのが桑田さんの印象。いつの時代も聖子は「セルフプロデュース力にたけている」と評されるが、こんな逸話も教えてくれた。「『聖子は本当に着たい衣装を着ているから、内側から輝いている』と教えてくれたのも(前出の)マネージャーさんでした。聖子さんは自ら衣装さんにアイデア出しもしていた。しかも、どのタイミングで髪を切ると新鮮で話題になるかも考えていたそうなんです」スタッフも「じゃあ聖子、次はどんなアイデアがあるの?」と、その意見を採用していたのだそう。「40年間、ファンの期待を裏切らないってすごいですよね」桑田さんは15歳で歌手デビューし、20歳までサンミュージックに在籍し、円満退所。その後は渡米して音楽修行をするなど人生経験を重ね、’90年に復帰。地元の福岡でレポーターの仕事に就き、歌を離れた時期もあったが、10年前にシンガーとして再始動した。昨年11月には同期の’83年組と「お神セブン」として集合し、ライブを敢行。ソロライブも定期的に開催している。「昨年かな?聖子さんの歌ばかり歌いたいと思った時期があります。けれど『瞳はダイヤモンド』を歌おうとしたら、難しい!聖子さんが歌うとサラッと聖子節になるんですよね」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“デビュー直前”を知る人物に話を聞いた。「『絶対、スターになる!』と決意して上京してきた法子(松田聖子の本名)ちゃんと比べて、私は根性不足だったかも」甘くハスキーな声で語りだしたのは、松田聖子の2カ月前にデビューした中山圭以子さん(55)。父は俳優、母方の祖父も映画監督という芸能一家に生まれ、当時の所属事務所は聖子と同じサンミュージック。2人はデビューに向けてレッスンをし、中山さんは3歳下だったが、お姉さん的存在だった。「法子ちゃんが下宿していた社長(故・相澤秀禎さん)の家も、私の自宅も同じ成城で、帰り道は毎日一緒でした。彼女はレッスン後、事務所から地元の友達に1~2時間、電話をかけていましたが、久留米弁なので何を話しているかはわかりませんでした。電車のなかでは、ファンだった郷ひろみさんの話をよくしていましたね」(中山さん・以下同)このときデビューが決まっていたのは、圧倒的な歌唱力の持ち主である中山さんのほう。相澤社長が直々にスカウトに出向いたほどの期待を背負っていた。「法子ちゃんは『圭以子さんのデビュー曲を聴いて、涙が出ちゃった。いい歌だね』って。彼女のデビューは未定で、私がデビューの準備でレッスンに行かなくなってから、よく泣いていたみたいですね」しかし、中山さんのデビュー直前、タイアップ予定だったシャンプーに、日本では無認可の成分が入っていることが判明。デビューはしたものの、当時、ヒット曲には必須だったタイアップCMは中止に。事務所は急きょ、松田聖子のデビューを決めた。「運命的ですよね。彼女からデビュー曲『裸足の季節』のカセットテープと、タイアップCMの『エクボ洗顔フォーム』を手渡されました。私は彼女に対してライバル意識はなかったので、『法子ちゃんもがんばって』って言えましたね」中山さんは1年半後に事務所を退所。もう一度イチから歌い方を学ぶため、音大へ進学した。「一度再会したとき、大スターになっていた法子ちゃんが『大学に通っているのね、うらやましい』と言ってくれました」その後、中山さんは30代で結婚。’08年に長男を授かるが、’11年に悪性リンパ腫を発症してしまう。さらに’13年に再発するも、奇跡的に寛解。今は子育て真っ最中だが、ライブでも歌い続ける。「聖子さんは私の知っている法子ちゃんとは違う人ではと思うくらいに、遠い存在になりました。私たちの世代にとっては、夜空に輝く一番星です。私もせめてその星を眺めながら、命の大切さを自らの経験をもとに伝え、時代を超えて歌い継がれていく歌を届けていきたいです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“オーディション時代”を知る人物に話を聞いた。「デモテープでワンフレーズ聴いただけで、半端じゃなくいい声だと思い、これは大スターになるぞと確信しました」松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは、初めて彼女の声を聴いた瞬間をこう語る。その後、父親の猛反対に遭いながらも芸能界を夢見続けた聖子が上京するまで、若松さんは1年半にわたり、説得を続けたという。「聖子からは毎週のように『私は歌手になりたい』と切々とつづられた手紙が届きました。最後には『お父さんが許してくれなければ家を出ます』と言い切った。それでようやく親父さんも『若松さんに預ける』と決断してくれたんです。そのあとは所属事務所探しに奔走。サンミュージックの相沢秀禎社長(当時/故人)には『うちはイチオシの中山圭子がいるから』と渋られたが、なんとか食い下がって承諾してもらったんです」(若松さん・以下同)そして若松さんの確信どおり、デビュー後は瞬く間に大ブレーク。一過性で終わらせてなるものかと若松さんは思案したという。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」若松さんはその後、CBS・ソニーを退社して独立。再びタッグを組んだ時期もあったが、結局、また袂を分かつことになった。「聖子と離れた理由には、一時期、(神田)沙也加を担当したこともあります。彼女を『歌手デビューさせよう』と私が提案したあたりから距離ができたかな。方針の行き違いがあり、聖子も譲れなかったのでしょう。でも、それが大スターというもの。松田聖子という存在は、常に嵐のなかで生きているような特別なものですから」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー当時を知る人物に話を聞いた。「松田聖子の成功の秘密は、実は久留米人の気質にあるんです」そう語るのは、松田聖子の出身地、福岡県久留米市の人なら誰もが知るタウン誌(「月刊くるめ」改め)『gekkle』プロデューサー・天野周一さん(67)。35年続く同誌主催の「いちご姫コンテスト」で注目を集めた女子高生・蒲池法子(松田聖子の本名)は、その勢いのままミス・セブンティーンコンテストに出場し、一躍スターダムに。デビュー直後には同誌の編集部を訪問もしている。このとき、まだ初々しい聖子から、「地元にはもう戻らない」という強い決意を感じたという。さらに、聖子ファミリーとも親交の深い天野さんは、40年間スターであり続ける聖子の負けん気と根性についてこう明かす。「成功者に対し、地元を挙げて応援するのが普通ですが、久留米には“あっしゃ文化”と言われる独特の風土があります」(天野さん・以下同)これは、他人と協調しない独立独歩の久留米商人の気質を継承する文化で、成功者に対して「何を格好つけているんだ」と足を引っ張る傾向にあるのだという。「成功したければ“自分で自分をプロデュース”するしかすべがないのです。浮き沈みの激しい芸能界であれだけの大スターになり、40年間君臨できたのは、けたはずれの反骨精神があってこそ。地元で生まれ育った私から見ると、松田聖子は紛れもなく、久留米商人そのものなんです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月25日「聖子さんは、娘の沙也加さんから離婚のことについて『何も聞いていなかった』と周囲に漏らしているそうです」(音楽関係者)12月4日に俳優の村田充(42)と離婚していたことを発表した神田沙也加(33)。2人はブログで、主な離婚理由について子どもを巡る価値観の相違が原因と発表。しかし5日、一部週刊誌によって沙也加が離婚直後からジャニーズJr.の秋山大河(27)と交際していると報道されていた。こうした沙也加の行動に対して、一部からは数々の男性と浮き名を流した母・松田聖子(57)と“同じ道を辿りつつあるのでは?”という声も。母娘関係改善カウンセラーの横山真香さんは、そんな沙也加の行動をこう分析する。「沙也加さんは聖子さんの男性遍歴で嫌な思いをしていたから、『自分だけはそうなるまい』と思っていたことでしょう。しかし、嫌なことをイメージしすぎることで、同じような状況に陥ってしまうという傾向があるといわれています」そんな沙也加に対して聖子は何を思うのか。「口では言いませんが、心の中では『だからママが言ったでしょ』という思いがあるのではないでしょうか。聖子さんは“2人が合わない”と感じていて、こうなることも予測していたのかもしれません。いっぽうで母として心配する気持ちもあるはずです」(横山さん)実際に聖子には、沙也加への“親心”もあるという。「聖子さんは心のどこかで、子育てより仕事や恋愛に夢中になってしまった過去を、後悔している面もあると思います。沙也加さんの離婚についても、『私の育て方が悪かったのかもしれない……』と感じているのではないでしょうか」(聖子の知人)しかし、今回の離婚で2人の溝はより深まることになりそうだ。「比較されることを嫌がる沙也加さんは、今まで声優や舞台といった聖子さんとは違う分野で努力してきました。しかし、今回の離婚で『やっぱり聖子の子どもだね……』という言い方をする人もいるようです。自由に恋愛をしているつもりなのに、母の名前を出されることでさらに反発し、母娘関係の修復はより難しくなることでしょう」(音楽関係者)沈黙を守り続ける聖子。母娘の距離はこのまま広がってしまうのか――。「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月13日劇団☆新感線の高田聖子が、“劇団とは違う新しい試みに挑戦する”をテーマに、活動を続ける演劇ユニット「月影番外地」。その6度目の上演が決定、共演者の竹井亮介とともに話を聞いた。【チケット情報はこちら】竹井が月影に参加するのは、その4『つんざき行路、されるがまま』以来2度目。高田は、「俳優さんって、正直面倒くさい人が多いんです(笑)。でも竹井さんにはそれがない。これはとても重要なこと!」と、竹井に独自の観点から信頼を置く。一方の竹井は、それまで“新感線=怖い人”というイメージを抱いていたようで…。「でも実際はものすごく物腰が柔らかい方だったので、それにギャップ萌えというか(笑)。すごく驚いたのと同時に、すごく面白いと思いました」と明かす。小劇場を舞台に、バカバカしくも濃密な人間ドラマを生み出してきた月影。これまで脚本を手がけてきたのは、千葉雅子が3作(前ユニット「月影十番勝負」含む)、福原充則が3作。そして今回、「どんなに好きな作家さんでも、逢瀬は3度までかしら (笑)」という高田のこだわりから、新たに「はえぎわ」のノゾエ征爾に白羽の矢が立った。「ノゾエさんの作品って、肌ざわりが独特で、吸引力がすごいんです。脚本だけ読むのと、舞台を観た感じがまた違うというか。だから今回木野(花)さんが演出することで、今までのノゾエさん作品とはまた違うものになるんじゃないかという期待をしています」ノゾエの脚本を初めて木野が演出する。それこそ月影ならではの取り合わせ。竹井は「木野さんってすごくダイナミックな演出をされるイメージがあるんですけど、逆に緻密な匂いがするのがノゾエさん作品。それを木野さんがどう立体化されるのか、すごく楽しみです」と期待を寄せる。さらに高田は「福原さんには木野さんと近いものを感じていましたが、ノゾエさんはまた違うタイプ。きっと今回は木野さんにとっても新しい挑戦になると思います」と続ける。詳しい内容についてはまだノゾエのみぞ知るところだが、「とりあえず車が出てきます!」と高田。竹井の役どころに関しては、「いろいろ活躍する人ですけど、なぜそうなんだろうということがポイントで…」と言葉を濁す。すると「それは初めて聞いたので、また楽しみが増えました!」と竹井。共演者には入江雅人、大鶴佐助、川上友里、池谷のぶえが名を連ねる。この組み合わせも月影ならではなだけに、何とも幕開けが待ち遠しい。公演は12月3日(火)から12日(木)まで、東京 ザ・スズナリにて。チケット一般発売は10月5日(土)10時より。取材・文:野上瑠美子
2019年09月20日「参議院議員で入閣できる人数は数人程度です。橋本聖子さんと三原じゅん子さんは2人とも参院議員で、しかも女性。選ばれるのは、どちらか1人だけと予測されていました」と語るのは、ジャーナリストの安積明子さん。9月11日に第4次安倍再改造内閣が発足。五輪兼女性活躍担当相として、橋本聖子議員(54)が初入閣を果たした。9月6日には“三原じゅん子議員の初入閣に向け調整中”といった報道もあったのだが、大臣争奪戦の勝者は橋本議員だったのだ。「2人は五輪相を巡ってのライバルという報道もありました。当選5回の橋本議員と当選2回の三原議員はキャリアに大きな差がありますが、2人とも64年生まれの“同級生”です。橋本議員は冬季と夏季で計7回も五輪に出場しているレジェンドアスリート。結婚相手の連れ子も含めて、6人の母でもあります。いっぽうの三原議員は、安倍首相のお気に入りと目されていました。今年6月の参院本会議で安倍首相の問責決議案を提出した野党に対し『愚か者の所業』『恥を知りなさい』と演説して話題を集めたのです」(全国紙・政治部記者)三原議員はドラマ『3年B組金八先生』では不良少女役を演じたこともあり、いまも元スケバンのイメージが残っている。しかし“女番長=スケ番”ぶりでは橋本議員も負けていないという。「“敵を作らない人柄”とも評されていますが、根は体育会。本人もお父さんから、厳しい教育を受けたと語っており、また自分の子供たちへもスパルタ教育で臨んだそうです」(前出・政治部記者)インタビューでは次のように語っている。《子どものお尻や頭、ほっぺたも叩きますし、泣き止むまで怒り続けたり、直立不動にさせて怒ったり。善悪を教えるには、「ヤキを入れるしかない」》(『読売ウイークリー』’07年4月15日)また橋本議員を知るスポーツ関係者は言う。「ソチ五輪閉会式終了後の打ち上げパーティで高橋大輔選手とダンスをし、キスまでしたとして、猛批判を受けました。まずアルコールの持ち込みが禁止されている選手村で酒席を設けたのは、日本選手団団長として問題でした。また自身も取り組んでいたスケート競技の選手たちを招集したことも、個人的に権力をふるったと指摘されても仕方がないことでした」自民党スケ番対決を制した橋本議員の今後について、政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。「橋本さんは東京五輪の組織委員会会長・森喜朗元首相の秘蔵っ子です。5期目で無事に入閣も果たし、順調にいけば6期目ごろには、参議院を代表する要職・参議院議長を務めるのではないでしょうか。ゆくゆくはスポーツ界で絶大な影響力をふるう森元首相と同じような立場になると思われます」女番長から女帝へ……、橋本議員の出世スピードは加速し続けている。
2019年09月20日自民党・橋本聖子議員(54)が9月11日から始動した第4次安倍再改造内閣で、東京オリンピック・パラリンピックの担当相として初入閣を果たした。女性活躍担当相も兼務する橋本大臣は12日、その引き継ぎ式で「オリンピック・パラリンピックは、女性が活躍して発信できる場としてしっかり光を当てていきたい」と誓った。橋本大臣はスピードスケートや自転車競技で、96年のアトランタ五輪など7つの五輪に出場。92年のアルベールビル五輪では銅メダルを獲得し、日本人女子選手で初めて冬季五輪の表彰台に立った。95年に参議院議員として初当選した橋本大臣は06年に日本スケート連盟会長に、13年には日本自転車競技連盟会長にも就任。12日に開かれた五輪相の引き継ぎ式で前任の鈴木俊一議員(66)は、橋本大臣について「真打ちが登場した」と表現している。64年に開催された東京五輪の開幕5日前に生まれ、その聖火に感動した父に「聖子」と名付けられた橋本大臣。自身の子供たちにも五輪やその開催地にちなんで「せいか」「亘利翔(ギリシャ)」「朱李埜(トリノ)」と命名している。五輪大臣への登用は喜びもひとしおだろう。そのいっぽうで橋本大臣は14年8月、高橋大輔選手(33)にキスを強制したと週刊文春によって報じられた。当時の橋本大臣は日本スケート連盟会長やJOC常務理事にして選手強化本部長でもあり、「パワハラやセクハラに当たるのではないか」と大きな波紋を呼んだ。のちに橋本大臣は「キスを強制した事実はない」と弁明しながらも、「気を付けなければならないと反省しています」とコメントしていた。また橋本大臣は今年2月、競泳・池江璃花子選手(19)の白血病公表について言及。自身の腎臓病を患った過去に触れ「私は五輪の神様が池江璃花子の体を使って、オリンピック、パラリンピックというものをもっと大きな視点で考えなさい、と言ってきたのかなというふうに思いました」とコメント。さらに「(五輪の神様が)池江選手が素晴らしい発信をしてくれたことによって、ガバナンスやコンプライアンスで悩んでいる場合じゃない、もっと前向きにしっかりやりなさい、ということの発信を池江選手を使って、私たちに叱咤激励をしてくれているとさえ思いました」と発言していた。そのためネットでは《国会議員という特権階級を利用して、選手にセクハラ、パワハラを行う人間が大臣とはね》《池江選手へのコメントも酷かったし、この人が大臣になって喜ぶ選手なんているのか?》といった声が。また大臣としての資質を疑う声も上がっている。《過去の実績と政治家としての資質は全く別物。どんなに凄い選手であったとしても、名コーチになる事が出来ない人がいるのと同じで、この人が居なければ今の状況は無かったとしても、それが政治家としての資質とは違う》《30歳から25年も参議院しているのに 目立った実績がないので、少し不安です》20年に開催される東京五輪の大会経費は、招致段階では約7300億円だった。また12年7月、当時の東京都副知事・猪瀬直樹氏(72)はTwitterで《2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです》とコメントしていたが、昨年10月の産経新聞によると経費の総額は3兆円を超える可能性があるという。さらに招致の際、東京招致委員会がIOCの委員であったラミン・ディアク氏の息子に約2億3000万円相当のシンガポールドルを送金したとされる疑惑が浮上している。そのことでフランス司法当局は今年1月、当時の五輪招致委員会・理事長だった竹田恒和氏(71)への捜査を開始したと発表。竹田氏は3月にJOC会長を“任期満了”で退任すると発表し、「不正なことはしていない」と話していた。またJOCはこれまで原則的に公開してきた理事会を、これからは“非公開”にすると決定したばかりだ。理事会後に内容を説明するといい、11日の朝日新聞によると山下泰裕会長(62)は「開かれたものを閉じたわけだから、透明性はできるだけ確保しないといけない」とコメントしたという。しかしネットでは《非公開にしちゃったら透明性も何もないだろ?》《理事会は意思決定の場であり、その過程を非公開にする事は、意思決定に対し誰も責任をとらない事に繋がります》と非難する声が後を絶たない。不透明さの渦巻く東京五輪。11日に首相官邸で「世界に発信していけるような五輪にし、素晴らしいレガシーを残せるような取り組みをしっかりとやっていきたい」と話した橋本大臣だが、はたして成功へと導くことができるだろうか。
2019年09月13日個性豊かな飲食店が幻の伝統江戸野菜「内藤とうがらし」を味わう街バルイベント「バル辛フェスタ2019」は、10月5日(土)~10月9日(水)の5日間、高田馬場で開催します。伝統ある江戸野菜の1つ「内藤とうがらし」は、江戸時代に江戸(現在の東京)周辺で栽培されていた大人気のとうがらしで江戸野菜(江戸東京野菜)の1つに挙げられています。明治以降は、東京の都市化など時代と伴い栽培されなくなりましたが、2010年から復活プロジェクトを始まり再び注目を集めています。地元飲食店がオリジナルメニューを提供バル辛フェスタ2019では、新宿区高田馬場エリアで和食や洋食、エスニックなどの飲食店約25店が参加します。加店舗ごとに内藤とうがらしの特別メニューを開発・提供されます。イベントのチケットは、1シート4枚綴りで、前売り3000円(当日3500円)販売されており、1シートで、1フード1ドリンクが楽しめます。辛いのにうまいと味わえるメニューが多数、また辛いのが苦手な方もおいしく頂けるメニューも提供されるので是非、食べてみてください。(画像はプレスリリースより)【参考】※株式会社手塚プロダクションのプレスリリース
2019年08月27日松田聖子が、本日7月5日から7日までの3日間、東京・日本武道館にてワンマンライブ「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」を開催する。歌手としては、1980年にデビューして以来、40以上の音楽賞を受賞、シングルチャート24曲連続1位という記録を持つ松田聖子。 海外でも早くから活動し、全米ビルボードのダンスチャートの上位にランクインしたことも。 アジアの国々でも名を知られており、2005年には、台湾で発売された北京語のアルバム『愛的禮物』で台湾のアルバムチャート初登場1位を獲得。 2007年には、中国で開催された『アジア芸術祭』に参加するなど、国内外問わず活躍中だ。 日本では、2007年発売のアルバム『Baby’s breath』、2008年発売のアルバム『my pure melody』から、作詞作曲、プロデュースを手がけ、歌手としてだけでなく作家、プロデューサーとしての才能も発揮している。日本では“聖子ちゃんカット”が大流行するなど、一大ムーブメントも巻き起こした松田聖子が、本日5日から3日間行う「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」は、シングル曲だけで構成されるスペシャルコンサートツアー。今年6月8日の埼玉・さいたまスーパーアリーナを皮切りに全国12公演の開催を予定しており、本日5日は追加公演となる。松田聖子にとってもファンにとっても、忘れられない3日間になることだろう。来年ついにデビュー40周年を迎える松田聖子。今後も彼女の歌声と活躍から目が離せない。■公演情報「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」会場:日本武道館7月5日(金)開場 17:30 / 開演 18:30※追加公演7月6日(土)開場 16:00 / 開演 17:007月7日(日)開場 14:00 / 開演 15:00
2019年07月05日元格闘家でタレントの高田延彦(57)が6月30日、日本体育大学・横浜健志台キャンパスで体操教室「ダイヤモンドキッズカレッジ(以下・DKC)」を開催した。妻・向井亜紀(55)も総合司会として登場し、夫婦揃って250名の子供たちと体を動かし交流した。DKCは高田道場オリジナルの体操教室。アマチュアレスリングの要素を取り入れながら指導を行うというもので06年9月の開校以来、全国各地をめぐり大きな反響を得ている。さらに今回は100回目という記念すべき節目。その参加人数は述べ2万5,000人に上るという。それを記念し当日は、レスリングの本場・日本体育大学レスリング部も登場した。会見で向井はDKCを始めたキッカケについて「自分の子供たちが3歳のころ、おっかなびっくり体を動かしている感じがあった。安全にぶつかる、仲良くぶつかる、ルールのなかでぶつかる、ということを学ぶともっと遊びが増えるのになぁと思って」と明かした。さらに高田は外遊びをする場所が減ってきたことについて触れ「外に出なくても遊べるから、仲間、空間、時間という3つの“間”が削られてきた。それを取り戻せるようなイベントにしたかった」とコメント。またDKCへの思いのあまり「いつも話し出すと止まらないんです!」と笑った2人は「子供たちが一生懸命身体を動かして楽しそうにする姿を見て、家族で相談して『こういう時間を増やそう』となるような啓発にもつながれば」とも語った。教室が始まると向井は「運動が好きな人、嫌いな人ー?」「レスリング知ってる人ー?」と呼びかけ、子供たちと積極的にコミュニケーション。また高田はDKCの「子どもの心と身体を磨く場所」というテーマに則り「挨拶は元気よくやること。運動が下手っぴでもいいから自分の全力で!」と呼びかけた。子供たちと体操をしたあと、2人は駆けっこや雑巾掛け、ジャンプを応用したトレーニングを指導した。子供たちは日体大の面々をお手本にしたり、ともに協力し指導を楽しんでいた。また休憩中には班で行動し、協調性を学ぶシーンも。会場は始終、子供たちの元気の良い「はい!」という掛け声や「やったー!」と喜ぶ声に溢れていた。
2019年06月30日カフェオレ専門店「Cafe au lait Tokyo」が、東京・高田馬場にオープン。日本で唯一の“カフェオレ専門店”「Cafe au lait Tokyo」は、ミルクや砂糖の量などを自分好みにカスタマイズしたカフェオレが飲めるカフェオレ専門店。ミルクたっぷりのカフェオレに合うよう、特別にブレンドして焙煎した焼きたて挽きたてのコーヒー豆と濃厚なミルクをあわせた「カフェオレ好きの為のカフェオレ」が楽しめる。メニューは3種のカフェオレのみドリンクメニューは、アイス、ホット、フラッペの3種類のカフェオレのみ。コーヒーにミルクを合わせたシンプルなレシピなだけに、それぞれの素材の組み合わせにこだわって考案された一杯を提供する。アイスとホットのカフェオレは、牛乳・低脂肪乳・豆乳から選べるミルクの種類、ミルクの割合、砂糖の量と種類、トッピングの変更といったカスタマイズが可能となっている。ハンドドリップコーヒーに濃厚ミルクを合わせたホットカフェオレ例えば「ホットカフェオレ」は、一杯ずつ丁寧にハンドドリップする挽きたてのコーヒーと、ミルクパンで温める濃厚なミルクを合わせて。カフェオレ好きにはもちろん、苦味の強いコーヒーが苦手な人にもオススメだ。アイスカフェオレ&フラッペには“カフェオレ氷”を使用「アイスカフェオレ」にはカフェオレを凍らせた氷を使用しており、時間の経過と共に氷が溶け始めると、より濃厚で深みのある味わいに変化していくという。また「カフェオレフラッペ」はそれぞれカフェオレとコーヒーを凍らせた2種の氷をベースにした専門店ならではアイスドリンクで、ホイップクリームとの組み合わせてスイーツ感覚で楽しめる一杯となっている。店舗情報カフェオレ専門店「Cafe au lait Tokyo」オープン日:2019年6月1日(土)住所:東京都新宿区高田馬場4-2-28 THE FACTORY BY DREAMS INC. B1営業時間:8:00〜20:00(LO. 19:30)メニュー/価格:・ホットカフェオレ 480円・アイスカフェオレ 520円・カフェオレフラッペ 580円※+50円で生クリーム・ホイップ、+100円でタピオカのトッピングが可能。※甘味に蜂蜜もしくは練乳を選択する場合は+30円。
2019年06月08日ニッポン放送で放送されているラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(毎週月曜~金曜 11:30~)のレギュラー陣が27日、東京・日比谷公園で行われた同局のリスナー感謝イベント「ラジオパークin日比谷 2019」で、トークショーを行った。27日~28日に開催されている同イベント。今回のトークショーには、放送作家の高田文夫をはじめ、松本明子、お笑いコンビ・ナイツ、松村邦洋、磯山さやかが出席した。ステージに登壇した高田は「どうも、"トリプルスリー"の浦田です」と一言。土屋から「違うでしょ。"トリプルエー"でしょ!」とツッコまれると、「どうも、石野卓球です」とまたも話題の人物の名を借りてあいさつした。その後、「令和に持っていけない愚痴納め」と題したトークセッションでは、塙宣之が「愚痴と言いますか、悩みでもあるんですけど」と切り出し、昨年放送されたテレビ朝日系ドラマ『警視庁・捜査一課長 season3』に刑事役として出演した際、自分の演技について"エゴサーチ"したことを明かした。すると、「表情筋が殉職している」といった批判的な書き込みが多く、「悩んでいた」と告白。そんな塙だったが、高田から演技を「流れるような棒読み」と評されたことが救いになったという。これ以降ネットでは、少し良い演技をすると「今日は短い棒だった」などと好意的に書かれるようになったらしい。さらに、プロデューサーからも「このままうまくならないでください」と指示されたことを明かし、「下手なつもりでやってないんですけどね」と苦笑いすると、高田からは「棒だから良いんだよ。こんな棒読みいるのかと思ったもん!」と言われていた。トークショー終了後は、芝生の上に集まったリスナーたちと記念撮影をすることに。高田は「皆さん、気分は赤江珠緒でお願いします」と最後まで時事ネタを飛ばし、会場を沸かせていた。
2019年04月28日日本テレビ系『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』の人気コーナー「朝までハシゴの旅」で話題のモデル高田秋が、15日発売『週刊プレイボーイ』のセンターグラビアに登場。ファンから反響の声が寄せられている。高田は、3年ぶりとグラビア撮影に沖縄で挑戦。所属事務所のスタッフはツイッターを通じて、「一部オフショットを公開」「皆さん是非店頭でお買い求め下さい」とアピールしている。また、高田も自身のツイッターで「週プレチェックしてくれたかな」と反応が気になる様子。ファンからは「最高にセクシー過ぎ」「スタイル良すぎてビックリ」「世界一の笑顔に癒されました」といった絶賛の声が続々と寄せられている。1991年9月23日生まれ、北海道江別市出身。趣味は立ち飲み屋巡りで、昨年、日本品質鑑定士の資格を取得。「朝までハシゴの旅」出演を機に注目を集めている。
2019年04月16日ニッポン放送で放送されているラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(毎週月曜~金曜 11:30~)の30周年イベント「リスナー大感謝祭~そんなこんなで まる30年~」が16日、東京・よみうりホールで開催された。同番組は1989年4月に放送が開始し、30周年を迎えることに。パーソナリティの高田文夫、各曜日レギュラーの松本明子、東貴博、山根千佳、春風亭昇太、乾貴美子、清水ミチコ、ナイツ、松村邦洋、磯山さやかなどが登場した。「30周年おめでとうございます」と祝福された高田は、「ひとえに私のおかげです。1つの番組で2人の心臓が止まっているという」と笑顔を見せた。2009年に松村が東京マラソン中に心肺停止状態になり、2012年には高田が不整脈による心肺停止で倒れ、2週間、意識不明になった。そして高田は「1年、2年で終わるものだと思った」と番組初期を振り返り、「次は50周年をやりましょう」と意欲を見せると、会場からは大きな拍手が起きていた。第一部は「演芸ショウ」と題して、ナイツ、松村らがそれぞれネタを披露。第二部では「歌謡ショウ」と題して松本や東らによる歌が披露された。そして最後に行われたトークショーでは、レギュラー陣が集結し、忘れられない思い出を語った。磯山は加入してわずか2カ月後に高田が倒れたことを挙げると、清水も高田が倒れた直後、番組スタッフがビートたけしに電話をし、弔辞を頼んだエピソードを明かしていた。
2019年03月16日放送作家の高田文夫が、4日に放送されたニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(毎週月曜~金曜 11:30~)に出演し、お笑いコンビ・オードリーの武道館ライブを絶賛した。オードリーは2日、東京・日本武道館で『オードリーのオールナイトニッポン 10周年ツアー in 日本武道館』を開催。武道館には1万2千人、そして全国41カ所で行われたライブビューイングには1万人が集まった。高田は番組冒頭、「トゥース! 俺はリトルトゥース(リスナーの呼称)で有名だよ。舐めてもらっては困るよ」とあいさつ。そして「1万2千人すごいだろ、武道館。全部グッズ売れちゃったんだよ」と盛況ぶりを振り返り、さらに高田自身も番組グッズを自宅から着ていったことを明かした。高田はオードリーのフリートークと漫才について「完璧に良くできているよ」と絶賛し、「最高だったね。あいつら本当にすごいな。10年間ファンでいて良かった。リトルトゥースの中では最年長じゃないですか」と語っていた。
2019年03月05日「日本映画ではなかなかないキャスティングで、合作ならではの味わいがあります。聖子さんと同じ作品で芝居ができるなんて、そんな未来は描いてなかった(笑)」こう語るのは、3月9日公開の映画『家族のレシピ』で主演を務める斎藤工(37)。監督にアジアの巨匠エリック・クーを迎えた日仏シンガポール合作で松田聖子(56)と共演した。「エリックは尊敬するアジアのクリエーターです。2年ほど前、彼が日本人を探しているという情報を得て、スカイプオーディションを受けたのがこの映画との出合い。聖子さんもエリックとの仕事を望んでいらっしゃったそうです。日本で見られるエリックの作品はまだ限られているのに、彼にアンテナが向いていた聖子さんは先を見る目がある方だと、改めて思いました。ベルリンなどの国際映画祭にご一緒したときも英語を滑らかに話されていたし、すべてにおいてプロフェッショナルな方だと思いました」(斎藤・以下同)斎藤が演じるのは日本人の父とシンガポール人の母の間に生まれた主人公・真人。ラーメン店を営む父のもとで働いていたが、父の死をきっかけに両親の足跡をたどってシンガポールへ。そこでガイド役を担うのが松田扮する美樹だ。「聖子さんは偉大すぎますから、最初は戸惑いました。でも、自分のなかの松田聖子像を持ちながら演じるのは失礼にあたる、と。そう自分に言い聞かせて。本読みで聖子さんの第一声を聞いたとたん、ハッと心を奪われたというか、『この人なら、真人の心のよりどころになってくれる!』という安堵感がありました。撮影中も全方位に輝いていてまぶしかったです(笑)」食がつなぐ人の絆を描いた本作。ラーメン、バクテー、チキンライス……。日本とシンガポールのソウルフードが次々に登場する。「食事のシーンはほぼ素のリアクションです。どれもおいしかったし、現場に来るケータリングも麺が7種類くらいあって。『うまいね』とスタッフとわいわい言いながら食べる時間が楽しかったです」斎藤自身の家族のレシピは?「餃子です。餃子のときだけは家族4人全員で作りました。みんな大食漢なので1人100個くらい作るんです(笑)。僕は欲張っていっぱいあんを詰めるので皮がずれてしまって。一人ずつの癖が出るんです。4人それぞれ違う形を見ながら、うちの家族の縮図だな、と。そんな食卓の景色を思い出します」
2019年03月04日ケンゾー(KENZO)は、創立者・高田賢三に捧げる、現デザイナーのキャロル・リム & ウンベルト・レオンによるコレクション「メメント(Memento)」第4弾をフランス・パリで2019年2月27日(水)に発表した。高田賢三の「トマト」柄が蘇る高田賢三のアーカイブから異なる要素を選び出し、過去3回のコレクションを発表してきたケンゾー。今季は、過去のケンゾーコレクションの中でもとびきりビビッドなピースをピックアップ。高田賢三が大好きな「食べ物」に焦点を当て1992年春夏に登場した「トマト」柄をセレクトして現代に蘇らせた。丸いトマトの膨らんだシルエットや水滴のついたみずみずしさ。フレッシュなトマトそのもののリアリスティックなモチーフをテキスタイルに落とし込み、メンズのシャツ・ショーツ、ウィメンズのスモッグドレス・メッシュシャツに取り入れた。完熟トマトを想起させる真っ赤なトマトと、フレッシュな印象のイエローのトマトは、サラダのように丁寧に“盛り付けられ”、テキスタイルから顔を出している。アイコニックな「タイガー」はリアルにまた、ケンゾーを象徴するタイガーは今季も起用。トマト柄にあわせてリアリティを追い求め、1991年に初登場したリアルなタイガーをセレクト。ブルーと黄褐色の2色で表現され、Tシャツ、セーター、シャツなど様々なピースに姿を現した。KENZOロゴアクセサリーの登場KENZOロゴは、バリエーション豊富なアクセサリー群に起用。ウエストバッグ、バックパック、トートバッグ、ノットバッグなどフォルム違いで様々なバッグに取り入れられ、スリッポンスニーカーにもロゴを配置してアイコニックに仕上げた。前代未聞「観客席が動く」体験型ショーこのメメント第4弾コレクションは、前代未聞な「体験型」ショーでお披露目。観客席のシートが右に左に、前に後ろに、さらに斜めにも動き周り、アミューズメントパークのアトラクションさながらの空間で披露された。新メメントコレクションを纏ったのは、モデルではなくダンサー。動き回る観客先の動きに合わせるように、迫ってきたり回転したり。情熱あふれる眼差しで、新作ウェアとともにほとばしるエネルギーを観客先に送っていた。
2019年03月03日