長男の育児が落ち着いてきたとき、夫婦の間で2人目はどうしようかという話になりました。長男のときは「夫婦2人の子どもが欲しい」と素直に思えたのに、2人目のときはすぐにそうとは思えませんでした。その理由と実際に2人目を産んで感じたことをお伝えします。 「次は女の子!」勝手な言い分に唖然長男が生まれたとき、近所のおばさんがお祝いを持って訪ねてきてくださいました。「元気な赤ちゃんね」と言ったあとで、「次は女の子がいいわね。女の子はいいわよ」と自分の子育ての話を始めたので、私は唖然としてしまいました。なぜなら、私を産んだ母が「男の子を産めなかった」と祖母から責められているのを何度も見てきたからです。母の代わりに男の子を産めたとまでは思っていませんが、男の子だったからそういうことを言われずにすむだろうとは思っていたのです。ですが、勝手な他人の言い分に私は2人目に対するプレッシャーを感じてしまい、素直に産みたい!とは思えなくなってしまいました。 2人目を同じようにかわいがれるのか?初めての育児で、思った通りにならない息子にイライラしてしまうこともありながら、すくすくと成長して笑顔を見せてくれるようになった息子に、私たち夫婦はもうメロメロ。 この子にきょうだいがいたら、一緒に遊べるだろうなぁとは思うものの、「遊び相手」として生まれてくる2人目のことを思うと、なんだかかわいそうになってしまい、2人目を産むということがさらにハードルが高いものとなってしまいました。 そんな葛藤の末に生まれた第2子は…!私がきょうだいと年齢が離れていることもあり、年齢の近いきょうだいがいいと思っていたので、悩みながらも2人目を計画し、すぐに妊娠しました。生まれたのは次男。女の子ではありませんでした。でも……信じられないぐらいにかわいかったです。大きく生まれた長男に比べて小さな次男は、まるでぬいぐるみを抱っこしているような重さで、その次男を抱っこしたり、ほっぺたをツンツンしたりする長男もまたかわいい……! 感覚としては別の生き物のようでした。 「案ずるより産むが易し」という言葉がありますが、産んでからも悩みは尽きません。とはいえ、私たち夫婦のところにやってきた赤ちゃんをかわいいと思えるかどうかというのはいらぬ心配でした。2人の子どもが元気に育ってくれていることを自信に変えて、堂々と男の子のママに勤しんでいきたいと思っています! 監修/助産師 松田玲子作画/やましたともこ著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年03月24日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、50歳から始めたアルバイトの体験を描いたマンガ連載「50歳からのアルバイト大作戦」。運動不足を解消するためにアルバイトを始めることにしたやましたさん。とある企業に応募したところオンライン面接をすることになり、どんな面接官が来るのかワクワクドキドキしていました。やましたさんの前に現れた面接官はびっくりするような態度で接してきて……。★前の話50歳になりアルバイトをしようと思ったやましたさんは、得意の英語を活かせる外国人の生活サポートをする会社に応募しました。そこでオンライン面接をすることになったのですが、約束の時間になっても面接官は現れず……。そのまま面接官を待つこと30分。ようやく画面上に出てきた面接官はやましたさんに対し、遅れたことを謝罪せず、手元の書類をガサガサと触っていました。面接官からのひと言ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。待ちに待った1発目のオンライン面接で、ほかほかだった私の心を秒で凍りつかせた面接官の女性のひと言……。「誰ですか?」きっと……たくさんの人の面接をしていて、時間が30分ズレたんでしょう。きっと……たくさんの人を面接していて、誰が誰だかわからなくなったんでしょう。その事情を加味しても、せめて「お名前よろしいでしょうか?」くらいの丁寧な言い方はできなかったのでしょうか?さらに、彼女には私を待たせた自覚はないかもしれませんが、できれば「すみません」的な申し訳ない気持ちを表すステキな日本語を、文章のどこかにくっつけてはくれませんでしょうか?こっちを見てよ!内心モヤモヤしながらも、私は笑顔で自分の名前を告げました。面接官の女性は机の上にある書類をガサガサと探しながら、こっちも見ずにこう言いました。「ええと……何の職種に応募しましたか?」え? この会社……大丈夫??少し心配になりつつ、最初からこちらを見ることもなく書類ばかりを見てそっけない態度を取ってくる面接官の女性に、私はこう思いました。こっち見てくれ! 面接官!!--------------面接官と無事に顔を合わせることができたものの、面接官は遅れたことを謝るわけでもなく、やましたさんの顔を見ることもしませんでした。そんな面接官の態度にやましたさんの気持ちはモヤモヤとし始めました。しかも書類を触ってばかりでやましたさんのモヤモヤは大きくなるばかり……。せめて「遅れてすみません」などこちらに寄り添うような言葉があればよかったですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2023年03月23日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、50歳から始めたアルバイトの体験を描いたマンガ連載「50歳からのアルバイト大作戦」。運動不足を解消するためにアルバイトを始めることにしたやましたさん。初めに応募した2社からはまったく返事をもらえずにいましたが、次に応募した企業からは返事があり、オンライン面接をすることになりました。やましたさんは意気揚々と画面の前で待っていましたが……!?★前の話アルバイトをしようと思い、自分に合った職場を探したやましたさんは、まず2つの会社に応募しました。しかし1カ月たっても返事はなく、不採用だと悟りました。そこで、次は5〜6社の求人に応募することに。応募した中で2社からは返事があり、その内の1社とオンライン面接をすることになりました。外国人のサポートをする会社とのことで、やましたさんはどんな人と面接をするのか楽しみにしていました。画面はつながったのにウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。50歳からのアルバイト探しにチャレンジしたものの、不採用通知すらもらえず、モヤっとしていた私ですが、第2弾で応募した求人のうち、2社から返事をいただくことに成功しました。そのうちの1社、外国人のサポートをしている会社のオンライン面接の日を迎えました。ドキドキ! ワクワク! でメイクと上半身を面接用に整えて10分前にパソコンの前にスタンバイしました。約束の時間の5分くらい前に、パッと画面がつながり、小柄な30歳くらいの日本人の女性が映ったので、あいさつをしようとすると、画面は一瞬で消えてしまい、また待機画面に戻ってしまいました。通信系のトラブルかなと思い、つながったときのために、満面の笑顔でそのままパソコンの前に立って待ちました(健康のために仕事場のデスクはスタンディングデスクにしています)。面接官を30分待って…そのまま待つこと30分……。待ちくたびれて今にも寝てしまいそうだった私の前に、再び同じ女性が画面に現れました。何かトラブルがあったのだろうと思い、笑顔であいさつをすると、その女性はチラっとこちらを見ると、あいさつを返してくれるわけでもなく、下を向いて机にある書類をガサガサと触りながら、こう言ったのです。「えっと……誰ですか?」は?だっ……誰ですか? ですかぁ〜〜!?その女性の予想外の第一声で、 ほっかほかだった私の笑顔は一気に凍りつきました。ー--------------30分もやましたさんを待たせた挙げ句、あいさつすらしてくれなかった面接官。それだけではなく、「誰ですか?」と聞きながら書類をガサガサと触っていたそうです。面接を楽しみにしていたやましたさんの笑顔は思わず凍りついてしまったのだとか。面接官が大変なこともわかりますが、せめてあいさつくらいは返して欲しいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2023年02月16日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、50歳から始めたアルバイトの体験を描いたマンガ連載「50歳からのアルバイト大作戦」。運動不足を解消するためにアルバイトを始めることにしたやましたさん。自分に合った職場探しのために条件を考え、早速アルバイト探しを始めました。求人サイトで見つけた会社に応募してみるも、なかなか返事が来ず……。★前の話やましたさんは勤務場所や得意な英語を活かせる内容など、自分が働く上での条件を決め、求人サイトでアルバイトを探すことにしました。するとたくさんの求人情報がヒット! その中から2社の求人に応募しました。しかし、待てど暮らせど企業からの連絡はありません。不採用なら不採用だという通知が欲しいと思ったやましたさんは、モヤモヤした気持ちを抱えることになりました。音沙汰なしにモヤモヤウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。ウキウキあげあげで50歳からアルバイトを探し始めた私。早速、希望条件に合った求人に応募してみたものの、知らない間に2週間が過ぎ、何の音沙汰もなかったことに気付きました。生活に追われていたこともあり、果報は寝て待て! とそのまま放置していましたが、その後も何の連絡もなく1カ月がたってしまいました。しっかり不採用ってことなのは理解できたのですが、不採用なら不採用で、不採用ですよ〜と何らかの通知をいただけるシステムだと思っていた私は、何だかモヤっとした気持ちになりました。そして「不採用の人には連絡いかへんでルール」に釈然としないながらも、今度はいろいろなサイトから5〜6社の求人に応募してみました。外国人サポートの会社から返事が!すると今度は2社からすぐに返事をいただきました。あぁよかった。前回の求人サイトでは何か間違えたことをしてしまったのかもしれないな。そう思い、ちゃんと返事をいただけたことに以前より感謝の気持ちが生まれました。まず、1つ目の会社は、外国から日本に来た留学生や社会人のサポートをしている会社で、自転車で30分程度の場所にありました。社員さんの半分が外国人で、50歳でもOKという、私の希望にめちゃめちゃ合致した理想的な会社でした。とんとん拍子にオンライン面接の日時も決まり、いよいよオンライン面接の当日を迎えました。どんな会社なんだろう!どんな人たちと働くんだろう!面接官はどこの国の人だろう!普段はしないメイクを済ませ、画面に映る上半身だけしっかりと着替えた私は、期待100%のドキドキで面接の時間を迎えました。ー--------------なんと最初に応募した企業からは1カ月たっても連絡がなかったのだそう! やましたさんは不採用なら不採用でも構わないから、不採用であるという通知が欲しいと思ったのだそう。たしかに、何の連絡もなければ自分の応募状況がわからず、なかなか次に進むこともできませんよね。皆さんは応募した企業から返事をもらえなかったことはありますか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2023年02月14日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、50歳から始めたアルバイトの体験を描いたマンガ連載「50歳からのアルバイト大作戦」。運動不足を解消するためにアルバイトを始めることにしたやましたさん。早速条件を決め、求人サイトから働きたいと思った会社に応募してみたものの……。★前の話2022年に50歳になり、運動不足解消のためにアルバイトを始めようと思ったやましたさん。ただの運動では長続きしないので、お金がもらえて簡単には辞められない強制力があるアルバイトは自分にぴったりだと思ったのだとか。そこでやましたさんは働く上での条件を決め、求人サイトでアルバイトを探すことに。いい会社が見つかったので、応募してみることにしました。アルバイトの条件は?ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。50歳からのすてき更年期アルバイトを探すことにした私。やみくもに探してもらちが明かないと思い、まずはどんなバイトをしたいのか、私の希望条件を整理して紙に書いてみました。(超アナログ派)条件その1、体を動かしたい(通勤のみでも可)条件その2、英語がしゃべりたい(グラフィックデザイナー、DTPオペレーターでも可)条件その3、近すぎず、遠すぎずの場所条件その4、50歳でも応募可能(主婦可・ブランク可だとマンモスうれP)以上。たった4つの条件やん!結構すぐに見つかったりして〜♡ と明るい感じで始まった50歳のバイト探し。山のような求人情報!まずはネットの大手求人サイトで条件を元に検索してみました。原則、求人での年齢制限禁止っぽいルールがある雰囲気の今、出てくる出てくる求人の山! 想像を超える大漁ぶりに、速攻で英語が話せるお仕事を見つけ、マッハのスピードで2社の求人に応募してみました。その日の夜は、子どもたちに応募した会社の話をしながら、そこで働く自分を想像してニヤニヤしながら幸せな気分で眠りにつきました。それから1日がたち、2日たち、10日、2週間と時が過ぎていきました。本業の仕事や家事・育児といった毎日の生活に追われ、求人のことを忘れてたけど、ふと、あれ? どの会社からも返信来てなくない? と思いました。マジで全然来てなくなくなくな〜い???ー--------------やましたさんがアルバイトを探す上で希望したことは「体を動かせる」「英語を話したい」「近すぎず遠すぎない場所」「50歳以上でも可」の4つでした。この条件に合うものはたくさんあり、その中でも英語が使えるという2社に応募したのだそう。しかし待てど暮らせど応募に対する返事は来ず……。気付けば2週間もたっていたのだとか。皆さんは応募先の企業から返事が来なかった経験はありますか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★関連記事:試験まで2週間!? まったく勉強をしていないけれど受験料が! #39歳の母が保育士試験に挑戦 3★関連記事:「それでも高すぎる!」実家の家具を処分! その代金の出所は #預金資産ゼロの父が倒れた話 35★関連記事:「セカンドバッグ男じゃん」まだ青かった私が受け入れられなかったことは #熟女系 #若かりしころの恋 3著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2023年01月29日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、50歳から始めたアルバイトの体験を描いたマンガ連載「50歳からのアルバイト大作戦」。2022年に50歳を迎えたやましたさん。医師から「週3日程度、汗ばむ程度の運動を……」と言われるも、なかなか長続きしないやましたさんが気付いた長続きする運動とは……?★関連記事:見苦しくあがき中…老化症状とどう付き合う?#脱力系ゆる更年期日記1検診で医師から週に3日程度、汗ばむくらいの運動をするように指摘されたやましたさん。さまざまな運動にチャレンジするも、どれも長続きせず……。そんなやましたさんが気付いた長続きする運動とは一体。無事に50歳を迎えてウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。2022年、ついに50歳の誕生日を迎えた私。自分では、にわかに信じがたいのですが、おぎゃあと生まれたそのときから、な、な、なんと半世紀もたってしまいました。長いようで短かった50年、いや、短いようで長かった50年?どっちなのか、よくわかりませんが無事に50歳の誕生日を愛する家族と一緒に迎えられたことに、心から感謝しています。そしてこのたび、わたくしやましたともこは50歳を記念して、ずっと引きこもっている家を飛び出し、外に出てアルバイトにチャレンジすることを決意しました。題して「やましたともこの50からのアルバイト大作戦〜!!」いえ〜いパフパプ(昭和)。アルバイトを始める理由は実は、今までも自宅でイラストレーターとしてのお仕事をしながら、週に1〜2日程度、近所の保育園や幼稚園で園児に英語をに教えたり、友だちに教えてもらった日雇いアプリで日雇いバイトなんかををしたりしていたのですが、なんやかんやで、そのバイトたちにも別れを告げ、ここ数年は、自宅でまったりとイラストレーターのお仕事のみをしていました。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、自宅でのイラストレータのお仕事は、まったく体を動かすチャンスがなく、不健康極まりないため、年を取るたびに、体の不調が増え続け、毎年の検診のたびにお医者さんから「週3日程度、汗ばむ程度の運動を……」と言われ続けていました。毎年の検診が終わるたびに、ヨガやジャザサイズ、バドミントンなどなど、いろいろと試してはみたのですが、ほぼリビングのソファから動かないというだらけた生活にどっぷりハマってしまっている私には、どれも長く続けることはできませんでした。そして、50歳になりたてホヤホヤの私はこう思ったのです。やっぱり私はアルバイトなんじゃね?お金大好きでしょ? 運動(=外出)もできるでしょ? 「今日はしんどいしやめとこ〜」と簡単にやめられない強制力も欲しいでしょ?うんうん、そうやん、やっぱり私はアルバイトやん!!というわけで今回から、わたくしやましたともこが50歳にして更年期アルバイトにチャレンジする奮闘記をお送りしたいと思います。50歳になっても無事にすてきバイトに出合うことはできるのか!? ドキドキが止まらない〜♡ー--------------やましたさんはイラストレーターという仕事柄、家にいることが多いのだとか。そこで健康のために運動をするも、なかなか続かなかったのだそう。50歳を迎えたやましたさんは「お金ももらえて外出もできる上に強制力のあるアルバイトなら長続きするのでは?」ということに気付きました。たしかに運動にもなる職種もあるアルバイトなら長続きしそうですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2023年01月27日アメリカ・ロサンゼルス在住のピアニスト小澤ともこ(以下:小澤)が、全米、ヨーロッパから大注目を浴びたファーストアルバム『Gentian』から8年、Infrequent Seamsレーベルよりセカンドアルバム『Cricket Wind』を2023年11月にリリースします。小澤ともこ収録曲『Cricket Wind』ライブレコーディング映像: ■小澤ともこPROFILE6歳よりピアノを始め、10代をイギリスで過ごす。国際基督教大学在学中、即興や作曲に興味をもち、2011年に渡米、ボストンの名門バークリー音楽大学院にてジャズおよび現代音楽の作曲法を学ぶ。2014年より自身のグループの演奏活動を開始し、2015年にリリースした1stアルバムGentianは、ヨーロッパで注目を浴びるほか、アメリカ国内では、National Endowment for the Artsで紹介される。その傍ら、ボストンバレエを含む著名なカンパニーでダンスピアニストとして活躍する。2017年ロンジー音楽院より近代アメリカ音楽学科ピアノ専攻の修士号を取得後、カリフォルニア大学アーバイン校博士号プログラムIntegrated Composition, Improvisation, and Technologyに全額奨学金を得て合格、2022年春卒業。これまでに、ヤマハディスクラビアやモーションセンサーMUGICを使った画期的なピアノソロがRan Blake財団Earobic賞を受賞、NY、LA、東京での演奏活動、ヨーロッパのNew Music for Strings Festivalで自身の弦楽器曲を披露するなど、ジャズ、近代音楽、ダンス、最新テクノロジーを駆使した曲などジャンルを越えた分野で精力的に活動している。オフィシャルサイト: ■セカンドアルバム『Cricket Wind』が誕生した背景当アルバムに収録された音楽は、小澤がカリフォルニア大学アーバイン校で博士号課程における最後の課題として、研究論文とコンサートという形で製作したものです。このコンサートは、2021年5月と7月の2回、xMPLという最新型テクノロジーを使ったパフォーマンスを多く開催する会場からライブ配信しました。当アルバムは、そのライブレコーディングを収録した作品です。研究のテーマは「Conversational Composition」(会話・対話型作曲法)。言語学である会話のさまざまな形やルールを、音楽の作曲法を用いて検証するという研究です。曲の中で起きるさまざまな出来事や順序は、会話参加者(演奏者)の意思とそれぞれの出方次第で決まる構造です。つまり、曲自体が演奏者どうしの「会話」によって成り立っていることを意味します。お互いが耳をすましあい、反応しあい、一緒に共同作業をしたり、ぶつかりあったり、独断で行動をしたり、立ち止まったり、あらゆる場面を表現しています。これは、小澤自身の経験が元になっています。日本でクラシック音楽を学び、10代をイギリス、20代はアメリカ・ボストンでジャズや近代音楽の作曲法を学んだように、さまざまな文化や音楽のジャンルに触れる中で培った経験から、「人と人とのつながりは、対話があって初めて成立するものだ」と強く思ったことがきっかけとなっています。それゆえ、演奏者の文化、人種、音楽のバックグラウンドは多様に構成されています。『Group Talk』演奏風景(写真手前:小澤)■商品情報小澤ともこ セカンドアルバム 『Cricket Wind』発売予定日:2023年11月11日(土)収録曲 :全6曲Cricket WindPhasingStreams of TalkGroup Talk No. 1Group Talk No. 2Group Talk No. 3購入方法: ※発売時にリンクが掲載されます。<コンセプト>Music is like conversation. 音楽は、対話です。このアルバムにおいて、すべて演奏者は、自分の意志をもって、それぞれがそれぞれの方法で、自身の思いを表現し、積極的にお互いに耳をかたむけます。私たち一人一人は、表現すべく、聞き入れてもらうべく、「声」をもっています。私たちが対話をしたとき、すべての物事はより大きな喜び、可能性、成長へと導かれます。そんな思いを持って創られたのがこのアルバムに収録された曲目です。<収録曲の特徴>現代音楽、ジャズ、即興、インタラクティブ・プログラミング(双方向・対話式プログラミング)が統合された、ジャンルを越えた対話型作曲・音楽です。『Cricket Wind』『Phasing』『Streams of Talk』の3曲は、ソロでありながら対話型プログラミングを使っているため、もう一人の自分との対話、想像上の複数の声との対話、自分と風、虫、鳥、木など自然界との対話を表現しています。『Cricket Wind』は、世界的バイオリニスト・作曲家・インタラクティブ音楽の先駆者である木村まりが開発したモーションセンサーMUGICを用いており、『Streams of Talk』と『Phasing』は、ヤマハ「ディスクラビア」のMIDI機能を使ってプログラムされています。このソロプロジェクトは、2021/2022年Ran Blake財団Earobic賞第1位を受賞しました。『Group Talk』No.1~3の3曲は、クラシックのバイオリニストBlake Harrison-Lane、近代クラシックがメインのBella Pepke、ジャズ・ヒップホップ・即興音楽全般が専門のJoVia Armstrong、そしてクラシックとジャズ両方の影響を受けてきた小澤のカルテットです。『Cricket Wind』演奏風景■今後の小澤の活動予定Infrequent Seamsレーベルの配信ミュージックフェスティバルInfrequent Seams Streamfestより、アルバムリリースコンサートのほか、レーベル創設者でベーシストのJames Ilgenfritzとの共演コンサートも予定されています。今後は、モーションセンサーMUGICおよびヤマハディスクラビアを用いたソロプロジェクトをより発展させ、ソロを越えたソロピアノアルバムの制作をしてまいります。また、NY、ボストン、東京で活動を続けていた自身のジャズグループのライブ活動をロサンゼルスで再開する予定です。■レーベルについてInfrequent Seamsは、エリオット・シャープ、ミヤ・マサオカ、ゼィーナ・パーキンズ、マイラ・メルフォードなど、アメリカのコンテンポラリー音楽の最前線をゆく多数のアーティスト所属するベーシスト・作曲家James Ilgenfritz(ジェームス・イルゲンフリッツ)が立ち上げたレーベルです。2011年創設からこれまでに60以上のアルバムをリリースしてきたほか、定期的にInfrequent Seams Streamfestとして配信ミュージックフェスティバルを開催し続けています。レーベルURL : レーベル配信ミュージックフェス: ■小澤ともこINFORMATIONオフィシャルサイト : プロフィール : ファーストアルバムGentian: YouTube : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年01月16日娘が小さいころ、義母はよく洋服を買って送ってくれていました。私は受け取るとまず娘に着せて写真を撮り、「いつもありがとうございます」とお礼のメールをしていました。でも肝心の「もう結構です」のひと言が言えず、いつもモヤモヤ。今では笑い話なのですが、新米ママでもあった当時は本当にストレスを感じていたのです……。 とにかく量が多い!義母が「服を送る」という場合、靴下4足、タイツ2足、セーター3着、スカート4着、コート1着という「福袋?」とツッコミたくなるほどの量で送ってきます。しかもサイズはいつも大きめ。「ジャストサイズになってきたかな?」というころには季節が変わり、まったく袖を通す機会がないこともよくありました。 「かわいい服を見るとつい買っちゃうのよ」という義母の気持ちはわかるのですが、季節とサイズの合ったワンピースを1枚だけ送ってくれるほうがよっぽどありがたいのに……といつも思っていました。 フリル尽くしの服が多くて…普段はシックな色合いを好み、センスのよい義母なのですが、孫の服となると話が違うようでした。色味も柄も私ならば決して選ばないようなインパクトの強いものばかり。特にフリルにこだわりがあるのか、ありとあらゆるものがフリル付きでした。 スカートはもちろん、靴下の履き口、Tシャツの裾や襟ぐりにいたるまでフリル尽くし。当時の娘はこんがりと日焼けしていて髪も短く、お世辞にもフリルが似合う見た目ではなかったのですが、きっと義母には違うように映っていたのでしょう。 英字プリントが気になってしまう当時は夫の海外転勤で英語圏で生活していたので、英字プリントの服に困った経験も。あるとき「Love me! Touch me! Feel me!!(愛して 触れて 感じて)」と印字されたTシャツが届きました。日本にいたらそこまで気にならなかったかもしれませんが、英語圏で暮らす娘に着せるのはためらってしまいました。 デザインとしてかわいいと思って義母が選んでいるのは理解できるのですが、せめて意味のチェックくらいしてほしかったな、なんて思ってしまいます。 今思えば義母が送ってくる服を、「娘に着せなければいけない」と私自身が思い込んでいたことがモヤモヤの原因だった気がします。気にせず私が着せたい服を娘に着せていればよかったのに、そうしない自分へのいら立ちから義母の行動をストレスに感じていたのです。娘が成長し自分で服を選ぶようになった今は、「そんなこともあったね」と笑い話になっています。 作画/やましたともこ著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2022年11月26日現在2人の子どもを育てているママです。義父はいつもジェントルな良識派。私たち家族にも干渉しすぎることなく、あたたかく見守ってくれる理想的なお舅さんです。でもそんな義父でも時折自分を抑えられなくなるのか、孫への想いが暴走することがあるのです。 写真館の予約は任せなさい義父にとって初孫となる娘のお宮参りを計画していたときのことです。神社でご祈祷後、両家で会食を予定していました。私は娘との初めての本格的な外出になることから、持ち物だけでなくおむつ替えの場所や授乳のタイミングに関して、事前に綿密な計画を練っていました。 ところがお宮参りの数日前になって突然義父が、「写真館の予約をしたから」と言い出したのです。お宮参り当日にスタジオで家族全員の記念撮影をしたいと主張する義父。記念にと思う義父の気持ちもわかりますが、私は娘への負担を考えてなるべく外出時間は短くしたいと考えていたので、「急に何を言い出すの!?」と内心不服でした。 ドリルと本を少し送りましたよ娘が文字を理解し始めた4歳のころ、義父から荷物が届きました。中身はドリルと絵本です。まだ娘はようやくひらがなを読めるようになった段階なのに、その先のカタカナ、文章の読み書きまでのドリルがそろっていました。事前に「ドリルと本を少し送りましたよ」と連絡はもらっていましたが「どこが少しなの!?」と突っ込みたくなるほどの量。 ありがたくは思うものの、結局のところ娘にドリルをやらせるのは私……。毎日の子育てで余裕がなかった私は、なんだか余計な仕事を押し付けられたような気がしてしまい、どっと疲れてしまいました。 通信教育を申し込んだからさらに娘が大きくなり、小学校入学が目前に迫ったころ。義父が独断で娘のために通信教育教材を申し込んだのです。さすがにこれには私も黙っていられず、夫経由で即解約を申し入れました。 義父の「孫のために何かしたい」という想いは十二分に理解しつつも、教育に関しては親である私たち夫婦が主導権を持つことを明確に示したかったからです。義父の想いを無下にした形になり心苦しくもありましたが、親として譲れない一線だったので後悔はしていません。 義父母がわが子へ干渉することを煩わしく感じてしまうこともありますが、私にとって大切なわが子は義父母にとっても大切な孫。関心を持って関わってくれることに感謝を忘れたくないと思っています。親としての譲れない一線は明確にしつつも、これからも義父母には一緒に子どもたちの成長を見守ってほしいです。 作画/やましたともこ著者:岩田美玲2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月24日2歳の娘さんが突然始めた、ママさんのおまたのにおいを嗅ぐ行動。最初は放っておいたそうですが、なかなかやめてくれないその行動をどうにかしようと働きかけてみたそうです。現在2歳の娘を育てています。娘は2歳になったころから、時々私の股のにおいを嗅ぐような仕草をするようになりました。今のうちだけだろうと思っていたのに、何カ月経っても思い出したように股のにおいを嗅ぐので、このままではまずいと思いやめるように働きかけることにしました。 なぜか股のにおいを嗅ぐ娘娘が2歳になったころ、何がきっかけというわけでもないですが、娘がふざけて私の股に顔を近づけてきました。私が軽い気持ちで「きゃーやめてー」と言うと、娘はおもしろがって何度も私の股に顔を近づけてきます。 これをきっかけに、娘はふと思い出すと座っている私の脚の間に顔を入れ、「くんくん」と嗅ぐようになりました。そのうち飽きるだろうと思っていましたが、半年経っても娘はにおいを嗅ぎにくるので、次第に私も「まずいかもしれない」と思い始めました。 これ、外でやったらどうしよう…なかなか飽きない娘の恥ずかしい遊びに、ふと「これを外でやられたらまずいな」と思い始めました。「私以外の誰かに同じようにしていたらもっとまずい」とも考えるように。しかし最初に私がふざけて対応してしまったこともあり、娘は一連の流れを遊びだと思っているようでした。 そのため、反応を変えて「もうやめて」「ダメ!」と強めに言ったり、無視したりしてみました。そうしても、もう次のときには忘れてまた繰り返し、言い方を変えた効果はありませんでした。 真剣に言い聞かせてみた結果娘が2歳10カ月のとき、3歳児にする性教育の記事を参考にして、真剣に話してみようと思い立ちました。そこで娘がまた同じように股に顔を近づけたとき、真剣な顔で話をしてみました。「ここはね、大事な場所だから触ってほしくないんだ」「お母さんも、娘ちゃんもそれぞれ触られたくないところは嫌だって言っていいんだよ」。 1回言っただけでは娘もわからなかったようですが、何度か同じ話をしてみるとようやく「わかった!」と言い、そこからにおいを嗅ごうとはするものの、「嫌だ?」と聞き、私が「嫌だな」と言うとやめるようになりました。 私が最初におもしろい反応をしたこともあって、股のにおいを嗅ぐのが娘にとっては単なる遊びとして定着してしまいました。2歳ではまだまだ良いこと悪いことの境界線があいまいです。そのためやってほしくないことはきちんと真剣に伝えることが大事なのだなと思いました。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年11月22日現在2人目妊娠中、3歳の長女を育てています。先日義母がスマホを持つようになり、友人にすすめられるがままにSNSなどを始めました。最初はよかったものの、義母のSNS熱がだんだんと高くなり、長女の個人情報が危険に晒される事態にまでなってしまいました。 交友関係の広い義母がスマホを持った!義母は社交的で交友関係の広い人です。その義母がガラケーからスマホにかえました。スマホにかえたときには、「これで少し連絡が取りやすくなるな」くらいにしか思っていませんでしたが、これが思わぬトラブルのきっかけに……。 問題になったのは義母のメディアリテラシーの低さ。それまで義母とインターネット上の個人情報の扱いについて話したことがなかったのでわからなかったのですが、そもそも義母はインターネットがどういうものかよくわかっていなかったようでした。 事件1:孫をSNSで公開スマホにかえた義母は、友人からすすめられてTwitterを始めました。最初は家の近くに住む友人とだけ交流し、そのなかで写真を公開したりコメントしたりしていたそうです。しかし、次第に昔の友人とSNS上でつながったりするなかで、SNS上での活動の幅が広がり……最終的には、孫である長女の写真を名前つきで全世界に公開していました。 それを知った私と夫で、すぐに投稿を削除させてことなきを得ました。義母はSNS上で公開することを、「市の広報誌に孫が載る」くらいのことだと思っていたそうです。その事件から、SNSで孫の写真はNGというルールができました。 事件2:勝手に孫の動画を送るピアノ講師の義母は孫が歌ったり、楽器を触っていたりするところをよく撮影していました。それを友人に送っては、「スゴイ才能なの」と自慢していたようです。しかしそれだけで物足りなくなった義母は、友人のツテを使って、幼児の音楽指導で有名な先生に孫の動画を送信。 後日友人経由で「素晴らしい」と言われたらしく、喜んで私たち夫婦に報告してきました。しかし自身の孫とは言え、親の許可なく他人に動画を送ったことに私たち夫婦はモヤモヤ。そのため今後はやめてもらうように約束しました。 私自身はSNSをほとんど使わないので、スマホにした時点では義母のこうした行動が予測できませんでした。ひとまず義母とは話し合いをおこない、事態は収拾しましたが、今後また同じような事件が起こるかもしれないので、義実家に行ったときには毎回、義母のSNSの動向を確認するようにしています。 作画/やましたともこ 著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年11月22日2人目は何歳差で産むのが良いのか? ママ友ともよくそんな話題になっていたころ、「3歳差は入園・入学が重なるから大変だよ」と複数人から聞き、深い考えもなく、ならば2歳差でと妊娠・出産してみたところ……。マタニティ期間の苦悩私には11月末生まれの長女と、1月生まれの次女がいます。長女は2歳1カ月でお姉ちゃんになりました。マタニティ期間に大変だったことは、長女を抱っこできなくなることでした。当時1歳半の長女はまだあまり歩けず、抱っこをせがまれることがよくありました。 けれど私は貧血で通常の暮らしもつらいときがあり、抱っこしてあげたり、してあげられなかったり……。おなかが大きくなってからは切迫早産の不安があり、まだ小さい長女が満足するまで抱っこしてあげることができませんでした。 0歳と2歳の育児はドタバタ次女誕生後、ちょうどトイレトレーニングをしていた長女。トイレの間隔が短かったので、次女のおむつ替えや授乳などをしているときでも、「トイレ!」となることが多く、あっちこっちにお世話をしにいかなければならず、体力的に大変でした。 また、長女は3歳まで夜泣きがあり、授乳で泣く次女に母乳をあげながら泣くので、1年間は夜にあまり眠れませんでした。 2歳差と3歳差の大変の違い私の周りで言われていた「3歳差は大変」は、行事が重なることや金銭面で一度にお金が出るという部分が大変という意味でした。 2歳差は行事や支出はタイミングがずれますが、まだ自分のことを自分ですることができない、うまく気持ちを伝えられない時期の2歳の長女と、何にも自分でできない0歳の次女との生活は忍耐と体力がかなり必要でした。愛情を持って接していましたが、私自身も毎日がいっぱいいっぱいになり、イライラしがちでした。 眠れない日々が続いたときは、2歳差で出産したことを後悔するときもありました。けれどもそれは2歳差だからではなく、子どもの性格にもよるものも大きく、同じように出産した友人とはまったく悩みが違い、何歳差だから良いとかラクというのはないんだと気がつきました。金銭的なことは予想できますが、育てる際の大変さは何歳差であろうとしてみなければわからないと思いました。 原案/横山まい作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2022年11月21日妊娠初期に強い腹痛があったママ。妊婦ということで痛み止めの薬を服用するなどの処置は難しいと言われ、ひたすら耐えるしかありませんでした。そんなときに上司からかけられた温かい言葉で励まされたそうです。妊娠判明と同時に起こった不調の1つに、強い腹痛がありました。医師からは「卵巣が腫れていますが、経過観察で問題ありません。妊娠初期ということもあって痛み止めの薬も処方できません。大変ですが、耐えてください」とのコメント。つわりと相まってつらかった妊娠初期の体験談です。 妊娠判明、そしてつわり私が妊娠に気がついたきっかけは、強い倦怠感でした。少し動くだけで立っていられないほど疲れてしまい、これはおかしいぞと思ったことを覚えています。月経も少し遅れていたので妊娠検査薬を使うと、しっかり反応が。入籍から半年、そろそろ子どもが欲しいねと夫と話していたころだったのでとてもうれしかったです。 妊娠判明からほぼ同時期につわりの諸症状が起こり始めましたが、つらいものの耐えられないほどではありませんでした。 「妊娠は病気じゃない」の意味つわりも吐き気やめまいなどでつらかったものの、デスクワークの仕事ができないというほどではありませんでした。しかし、腹痛はまっすぐに歩けなくなるほどの痛み。椅子に座っていることもできず、仕事を早退したり、休んでしまう日が続きました。もちろん家事などまったくできません。 体調の悪さからメンタルも弱っていき、次第に自分がダメな人間だと感じるようになっていきました。しかしそのとき、職場の上司からかけてもらったひと言に救われました。 「妊娠は病気ではないというのは、医師や他人が治すことができない、あなたが安静にするしかないということ。仕事も家事もしなくていい。つらいときは休みなさい。申し訳ないと思わなくていい」 上司からかけてもらった言葉と理解ある同僚に助けられ、早退と欠勤を繰り返しながらもどうにか妊娠初期を乗り越えました。妊娠13週を過ぎたころ、つわりも腹痛も次第に治まっていきました。 それからも妊娠期間中、しばしばマイナートラブルに見舞われることがありました。そのたびに「妊娠は病気じゃないから、私が私とおなかの赤ちゃんを第一に考えた行動をしよう」と心がけ、無理のない妊娠生活を送りました。腹痛はつらかったですが、何かと無理しがちの私にとっては必要な経験だったと思えました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/かねこゆかり作画/やましたともこ監修/助産師 松田玲子
2022年11月20日息子も1歳になり、ひとり歩きも少し安定してきたころ、家の前で息子を遊ばせていたときに起こった事故でした。ほんの少し目を離した瞬間に息子が側溝に落ちてケガをしてしまい、私は息子の手当てをしながら自分の対応に後悔したのを思い出します。それ以来、たぶん大丈夫!と思わず、よりいっそう注意するようになりました。ほんの一瞬のことで思わぬケガにつながってしまうんだと実感した、私の体験談をお伝えしたいと思います。 きっと大丈夫だろうという気持ちよちよち歩きの息子と一緒に、家の前のお花にお水をあげていました。私の家の周りには25cmくらいの深さがある側溝があり、カバーされていません。息子は側溝から離れた場所で、しゃがんで石を拾って遊んでいました。集中して遊んでいるように見えたので、ホースを片付けるために壁で遮られた庭へ一瞬だけ入りました。 ほんの5秒くらい目を離しただけでしたが、急いで出てきて息子に目をやるとまさに側溝へ向かって歩き、落ちる瞬間でした。「危ない!」と叫び駆け寄りましたが届かず、息子は側溝に転落してしまったのです。 側溝に落ちてしまった息子側溝にうつぶせになる形で倒れ、息子は大泣き。慌てて抱き上げると、息子の口元が血で真っ赤になっていました。出血が多く、ぱっと見てどこをケガしているのかわからない程でした。 急いで家の中に入り流水で洗って改めて見てみると、上唇が5mmほど切れて、上唇の裏の筋が切れて出血している状態でした。タオルを押し当てて止血しながら、泣き叫ぶ息子を抱きしめて「手当してるから大丈夫だよ」と言うしかなく、ごめんねという気持ちでいっぱいになりました。 ほんのちょっと目を離しただけなのに傷が小さく、出血もすぐに止まったため、家で様子を見ることにしました。唇のケガ以外には打撲などはなく、少しほっとしました。ただ唇の腫れが引いて傷がふさがるまでの4~5日くらいの間、いつもはしっかり食べる大好きなごはんもひと口ずつ食べては痛そうに顔をしかめて少ししか食べられず、見ているのがつらかったです。 ケガから半年以上経ち、話せるようになった息子は、その溝を見て「ここドーンって落ちた、痛い痛いよ」と言います。小さかったのに鮮明に記憶に残っているようで、本当に怖い思いをさせてしまったんだと胸が痛いです。ほんのちょっとだからと自分の用事を優先せずに、どうしたら息子にとって安全でベストかを考えて行動すべきでした。 ちょっとだからと済ませてしまいたい用事があったとき、私はそれを優先させてしまったために息子にケガをさせてしまいました。大事には至らなかったけれど、息子は怖い経験としていまだにしっかりと覚えています。1歳という活動範囲が増えていくけれどまだまだ理解が不十分な時期。自分で思っている以上に注意して見守らないといけないんだなと実感した私の体験談でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/山下 ひいこ作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2022年11月20日3歳を過ぎたころ、急に娘の身に起こった「熱性けいれん」。私は娘の症状を初めて目の当たりにし、顔が青ざめ言葉が出ませんでした。娘が熱性けいれんを発症し感じたことやすべきこと、やってはいけなかったこと……実際に身をもって経験したことをお伝えしたいと思います。 いつもの風邪の症状と思っていると突然に出かけた日の夕方に、鼻水と咳が出始めた3歳の娘。週末ということもあり、病院は休診。熱もなく軽い風邪症状だろうと思い、翌日に病院へ行く予定でした。 夜になると37.4度の微熱も出ましたが機嫌は悪くなく、子どもは夜に熱を出しやすいと把握していたので、気にせずそのまま就寝しました。ところが……。 1時間ほど経ったあと、私はふと目覚め、娘の様子を見て驚愕しました。娘は手足をビクビクとけいれんさせ、唇は紫色になり泡を吹いて失神していたのです。 指示を仰ぐため小児科救急へ電話娘の身に何が起きているの? 目の前にある光景は現実? 起きてすぐの私には娘の状態がまったく理解できず、頭が真っ白になってしまいました。そして我に返り、失神している娘の意識をまずはしっかりさせなくてはと思い、私は震える手で娘の体を軽く揺すったり声を掛けたりしました。 私の声に目を覚ました夫は娘を見て驚き、焦っていたと思います。夫が目を覚ましたことで少し冷静さを取り戻した私は、携帯を手に取り小児科救急相談窓口に電話を掛けました。 救急病院へ。何が必要なのかわからない小児科救急相談窓口で娘に起きている症状を看護師さんに伝えると、むやみに動かしてはいけないと指示され、そのまま救急に繋いでくれました。救急車が到着するのを待って、けいれん時の症状と時間を伝え、病院へ向かうことになりました。付き添いが必要なので、私は慌てて保険証や医療証、財布を準備し救急車を待ちました。 そこで、焦っていると忘れがちな持ち物があるとわかったのでご紹介したいと思います。 必要なものは貴重品以外にもあった!救急隊の方が寝室から娘を運び、私は娘の付き添いのため慌てて準備した貴重品等を持って救急車に乗り込もうとしました。そこで救急隊の人に呼び止められ「持ち物は貴重品以外にも必要な物がありますよ。言いますので準備してください」と言われたのです。 子どもの靴に靴下、院内での診察待ちや会計時、帰宅時に羽織る私と娘の防寒具などでした。軽装で過ごしていた自宅から救急車で病院に、しかも娘は抱えられて車に乗り込んだので靴や靴下を履いていないということにも頭が回っていなかったと気がつきました。 お医者様いわく、発症時は子どもを横に向け呼吸しやすくし、けいれんの時間を計り、どのような状態だったのかメモしておくことが大切なのだそうです。いざけいれんしているわが子を目の前にするとパニックになってしまいますが、しっかりしなくては……と感じた体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/佐藤ひより作画/やましたともこ監修/助産師 松田玲子
2022年11月18日2人のお子さんを持つママが、ママ友との関係で悲しい思いをした体験談です。これまで仲の良かったママ友に2人目の妊娠報告をしたあと、なぜか疎遠になってしまったそうです。1人目が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。私と年齢が近く、1人目の子ども同士も同い年でよく遊んでいたママ友がいたのですが……。妊娠前からの友だちで付き合いも長かったはずなのに、2人目の妊娠を報告してからというもの、なんとなく連絡が途絶え疎遠になってしまいました。今回はそのママ友との関係についての体験談をお話しします。 気軽に何でも話せるママ友お互いに妊娠する前から友だちだった彼女と私は、他の友だちには言いづらいことも話せるような仲の良い関係でした。毎日のように連絡を取ったり、電話で何時間も話すこともしょっちゅう。 しかも1人目の妊娠時期もほぼ同時期だったため、子どもたちが動き出すようになるといろいろなところに一緒に遊びに行っていました。そのため2人目をいつにする? 最近、夫婦関係どう? なんて話もよくしていたのですが……。 2人目の妊娠を報告私の1人目の子どもが1歳3カ月になったころ、2人目の妊娠が判明。しばらくしてからそのママ友に会う機会があったので、まだ早い段階でしたが報告をしました。ママ友はすごく喜んでくれて、同い年の2人目の子ができたらいいなあ、次は性別どっちかなあというような話もして会話が盛り上がった……と私は思っていました。 お互いに2人目ができたらにぎやかになるし、楽しいことばっかりだなあと私自身は妄想が膨らむばかりだったのです。 なんだかそっけない…?妊娠報告をしてからも今までと変わりなく連絡を取っていたものの……しばらくすると返信が何日も空いたり、忙しいからあんまり連絡が取れないというようなことを言われるようになりました。それでもごくたまに会うことはあったのですが、妊娠や出産、赤ちゃんの話題はそれとなく話をそらされている気がして、気まずい……。 そのまま私も連絡をすることがなくなり、一応2人目の出産報告をして返信がきましたが、それから一度も連絡をしていません。 2人目が生まれてもうすぐ1年になりますが、そのママ友とは連絡しないままです。私も2人目の妊娠がうれしくて、当時はもしかしたら相手の気持ちに気づいていなかったり、無意識に傷つけてしまったのかもしれません。時々寂しい気持ちにはなりますが、今は少し距離があったほうがお互いのためかもしれない……と思うようにしています。 監修/助産師 松田玲子作画/やましたともこ著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。
2022年11月18日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」。神夫(かみおっと)を配偶者に持つやましたさん。妻を思うあまり、時々風変わりなことをしてくるようで……。★前の話:「結婚はギブ&ギブ」神夫(かみおっと)からのありがたい愛に妻は… #脱力系ゆる更年期日記 51神夫(かみおっと)言動は昔から不思議なことも多く…ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。私は、わが家の神夫が、少しでも気分良く神夫(かみおっと)を続けていけるように、彼の家事・育児にはあまり口を出しません。実は彼、昔から人と少し違う、不思議な言動をすることがよくあるのです。その自分とはまったく違う、理解できない不思議な言動も、好奇心を持って受け止めるよう心がけています。食事後、歯に何かが挟まっている私を見て…先日、外出中にこんなことがありました。ごはんを食べたあと、歯に何か挟まって気持ち悪がっている私を見て、夫は、自分の体の周りで何かを探し始めました。そして、「あったあった!」と彼のズボンから、おもむろに糸くずをちぎって、私に渡してくれたのです。「コレ使ってみ! 意外にいけんで」と言いながら……。は?人生で初めて聞く「糸くずフロス」に軽く衝撃を受けつつも、私は、その糸くずを笑顔で受け取り、歯に挟まった繊維状の何かを速やかに取り除き、ミッションが完了したことを夫に告げました。娘たちにじゃれつかれながらも、夫はこちらを向き、悩みが解決した私を満足そうな笑顔で見ていました(バカ夫婦がしていることです。決してまねしないでください)。※歯茎を傷つける可能性があり、衛生面も心配なため、専用のフロスを使いましょう。これからも末長く神夫を続けてもらうために、私は今日も、明日も、あさっても、この風変わりな夫の言動を、笑顔で堂々と応援したいと思います。★1話から読む:見苦しくあがき中…老化症状とどう付き合う?#脱力系ゆる更年期日記1★前の話:「結婚はギブ&ギブ」神夫(かみおっと)からのありがたい愛に妻は… #脱力系ゆる更年期日記 51★脱力系ゆる更年期日記連載一覧★人気マンガ作品が無料で読める!40代、50代向けのマンガ作品を毎日大量配信中♪ 無料でザクザク読めちゃいます!著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年11月17日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」。神夫(かみおっと)を配偶者に持つやましたさん。夫いわく、「結婚はギブアンドギブ」だとのことで……。★関連記事:「鬼嫁でごめん」神夫(かみおっと)からの誕生日プレゼントに、つい… #脱力系ゆる更年期日記 50神夫(かみおっと)の信念は…ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。「結婚はギブ&ギブだ!」これは鬼嫁で有名な川崎カイヤさんの元夫である、俳優の川崎麻世さんのセリフ(らしい)です。前回のお話でも描いた通り、わが家の夫は神夫(かみおっと)です。家事・育児に積極的に取り組み、私にやさしく接してくれます。これはすべて、川崎麻世さんがテレビで語っていた「結婚はギブ&ギブだ」という言葉に、夫が強く感銘を受けて、胸に刻み込んでくれているからなのではないかと思います。そう、彼にとって結婚は「ギブ&テイク」ではなく、「ギブ&ギブ」なんです。もしも、夫が「俺はコレをやってあげたから、お前はアレをやって」と私に対して思っていたら、私たちの結婚は長続きしていなかったかもしれません。神夫を持つ妻が気を付けていることそして、夫から「テイク&テイク」を受けている、何もしてない感じの私が、本当に何もしていないかというと、実は、そうでもありません。こんなに家事・育児が苦手な私でも、夫に「ギブ&ギブ」を続けてもらうために、心がけていることがあります。それは、夫の行動にはなるべく口を出さないことです。家事で言えば、夫が予備洗いなしに食洗機に食器をブチ込んでいても文句は言いません。私のお気に入りのグラスを夫が割ってしまっても文句は言いません。もちろん、彼が作ってくれた料理が口に合わなくても、絶対に文句は言いません。小さい風呂がまの掃除に洗剤を大量にプッシュしていても文句は言わないし、私の洗濯物だけ袖が内側にクルンと裏返っていても、文句は言いません。昨日も、今日も、明日も、明後日も……ずっと彼の「ギブ&ギブ」に感謝しつつ、ありがた〜く「テイク&テイク」させていただいております! ありがたや〜、ありがたや〜。著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年11月04日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」。神夫(かみおっと)を配偶者に持つやましたさん。なんでも自主的にこなしてくれて、女子力(?)もめちゃくちゃ高いのですが……。★関連記事:「生まれて半世紀!」テンションMAXで誕生日パーティーが始まるも… #脱力系ゆる更年期日記 49私の夫は世間一般に言う、神夫(かみおっと)ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。わが家の夫は、世間一般に言う「神夫(かみおっと)」です。2人の子どもの遊び相手はもちろんのこと、毎日の晩ごはんの片付けや風呂掃除、洗濯、休日の掃除や食事の準備&後片付け、さらには、金魚の世話や植物の水やりなどなど、なんでも自主的に(←ここ大事)こなすスーパーな配偶者です。私と違ってきれい好きで、繊細で、いちご味のお菓子や、ピンクの服が好きということもあり、娘たちからは「女子力高い認定」もされています。そんな夫が先日、私の50歳の誕生日にプレゼントをくれました。ちなみに、夫は「神夫」なので、もちろん誕生日や母の日、クリスマスなどなど、記念日に必ずちゃんと包装されたプレゼントをくれます。私や娘のみならず、私の母にまで、記念日には欠かさず何かを用意してくれます。私のために早めに誕生日プレゼントをくれたのに…今年の誕生日プレゼントは、シルバーのショルダーバッグで、以前、家族でショッピングモールに行ったときに、私が目を付けていたものをこっそり買ってくれていました。厳密に言うと、私が目を付けていた物は少し作りが雑だったそうで、同じお店の違うデザインの物でした。今年は、私の誕生日の少し前に、人生初の「ファンミーティング」で神戸にお出かけをする予定があったので、「そのときに使ったらえ〜やん」と言って、少し早めにプレゼントをくれました。ちなみに、ファンミーティングとは、韓国の有名人がファンサービスとして開くイベントで、トークやゲーム、ちょっとしたライブなどをおこなう小規模なイベントのことだそうです。当日、初ファンミーティングにもワクワク、プレゼントのショルダーバッグにもワクワク、ダブルのワクワクで出かける用意をしてクローゼットの鏡をのぞき込むと……。「ん? なんかギラギラし過ぎ??」そのシルバーのショルダーバッグは、キラッキラに輝いているので、なかなかに頑張った感が……。思わずそっとバッグを外して、元にあった場所に戻し、その日は、100均で200円で買った別のバッグでお出かけをしました。せっかくのプレゼントなのに悪いことをしたなと思い、後日、神夫と近所のスーパーに行くときにプレゼントのバッグを使ってみることに。でも、なんだかチェーンが鎖骨にグイグイと当たって痛い上に、ジッパーが硬くて、中の物を取り出すとき、指がまぁまぁ傷付くことが判明。「もともと私が目を付けていたほうのバッグやったら、もうちょっと使いやすかったかも……」と悪魔のような感情が芽生えてしまった自分の鬼嫁っぷりに、ガクブル恐怖体験でした(笑)。鬼嫁の陰に神夫あり!著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年10月20日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」。50歳の誕生日を迎えたやましたさん。体と心の衰えを感じて少し歳をとることに抵抗が出てきていたのですが、ハッピーな出来事があり……。★関連記事:「これが私?」美容院迷子のまま、久しぶりに髪を切るとまさかの… #脱力系ゆる更年期日記 48生まれて半世紀、50歳になりました!ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。私、やましたともこ、先日ついに50歳になりました。おぎゃ〜と生まれて半世紀、長いようで短かった50年。今まであまり年を取るのに抵抗がなかった私ですが、最近の想像をはるかに超える、心と体の老化からか、少し年を取ることに抵抗が出てきました。そんなおセンチな私に先日、やっぱり誕生日最高!と思う、とてもハッピーなサプライズがありました。なんと、ママ友がマンションのキッズルームで、私の生誕半世紀祝いを企画してくれたのです。そのママ友たちとは、たまにそのキッズルームを借りて、子どもたちを遊ばせたりしていたこともあり……。当日はいつものように、特別感のないパジャマに毛が生えたようなリラックスが過ぎる服装&ノーメイク、サンダルという姿で、ダラダラとパーティーがおこなわれるキッズルームに向かいました。いつもの軽〜い感じでその部屋のドアを開けると、なんとピシッと背筋を伸ばしたホテルマンのような、カッコイイ姿勢でママ友の子どもたちが、私たち親子を出迎えてくれていたのです。おもてなしに驚いていると、さらに……!その丁寧なおもてなしに驚きながら、パーティー部屋に入ってみると、そこには想像をはるかに超える光景がありました。キラキラのバルーンでデコられた壁に、お祝いのメッセージボードやデコ写真、わが家の娘が大好きな「蒲焼さん太郎」と「うまい棒」で作られたガーランドなどが、所狭しと飾ってありました。テーブルに目をやると、私たち家族の写真で作られたオリジナル紙コップタワーがあり、豪華にセッティングされたお寿司やオードブルには、これまた私たち家族のオリジナルのフラッグピックが……。カンパーイ!と娘の顔で作られた紙コップで缶酎ハイをひと口飲み、コースターに紙コップを置こうとすると、コースターには、USJの被り物をかぶった私と夫のバカップルな写真がキラキラと輝いていました。ひぇ〜! どんだけ〜!! いつの間に〜!!!あまりの豪華さに、恐縮しまくりでしたが、誰がなんと言おうと、最高の50歳の誕生日パーティーでした。手の込んだ数々の仕掛けにテンションアゲアゲで、わ〜い!!と始まったこのパーティー、平均年齢46.6歳ということもあり、1時間後には全員、床に横になって残りの時間を静粛に過ごしました(笑)。ママ友たち、ありがとう。これからもよろしく〜♡著者/イラストレーター/ やましたともこ(50歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年10月06日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」の第47話。ずっとお願いしていた美容師さんがいなくなってから、美容院迷子になっていたやましたさん。意を決して、近所の美容院に髪を切りに行くと……。★関連記事:「かっこよ過ぎる」外国のおばあちゃんを見習おうと決意するも、現実は #脱力系ゆる更年期日記 47めっちゃ久しぶりに髪を切ることに!ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。髪を切りました。実は、私は髪を切るのが、めちゃめちゃ久しぶりでした。40代になってから、ずっと良い感じにカットしてくれていたスタイリストの方が、数年前に遠くのお店に移ってしまったことで美容院迷子を続けていたのです。そして、以前1度だけ行ったことのある近所の美容室に行きました。すると、今月いっぱいで辞めま〜す!というピッチピチの色黒のスキンフェードの20代の男の子が私を担当してくれることになりました。その男の子は、私がググりまくって必死で用意したスマホの画像を2〜3秒チラリと見て、早速、チョキチョキと髪を切り進めてくれました。仕上がりを鏡で見てみたら、まさかの…15分後、でき上がった髪形を見て驚愕(きょうがく)しました。イメージ画像のかわいい髪形のモデルさんを想像しながら、ワクワクと鏡をのぞき込んだ私の目に飛び込んで来たのは、60歳くらいのおばあちゃんでした。え? これ(私の髪)がこれ(イメージ画像)??あまりの違いに衝撃を覚えたのですが、モデルも違うし、美容院で切ってもらった髪形が気に入らないことはよくあったので、家に帰って試行錯誤してみればいいか、と深く考えず家路に着きました。ところが、今回は、何をどう工夫しても鏡の中には相も変わらず、ず〜っと60歳の私がいるのです。今思えば15年ほど前から、いろいろ老化を感じるたびに自虐ネタにして楽しんできたのですが、もうすぐ50歳になる私。これほどに、髪形の仕上がりで老化がリアルになると、まったくもって笑えず途方にくれてしまいました。もうどうしていいのかわからなくなった私は、何とか笑える程度にカットしてくれるスゴ技の美容師さんと出会えるといいな〜と夜空に祈りました。著者/イラストレーター/ やましたともこ(49歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年09月22日娘が水ぼうそうで、保育園を1週間休まなければならなかったときのこと。正規職員で休みづらい立場にあった私は、さまざまなつてを頼り、娘を預けて仕事へ。熱があってつらそうなのにママがそばにいてあげられなくて「ごめんね」と、頑張った娘に「ありがとう」と感じた体験談です。突然の発熱と発疹娘が1歳のある日、発熱で保育園から職場に連絡がきました。その日はすぐに帰宅し早く休ませたのですが、夜のうちに手足やおなか、背中に発疹が出てきてしまったのです。 次の日、仕事を休んで病院へ。水ぼうそうという診断でしたが、困ったことにすべての発疹が乾燥して感染の危険がなくなるまでは、保育園に登園できないとのこと。目安は1週間……。翌日からの仕事のことを思うと、途方に暮れてしまいました。 仕事が休めない! 義母を頼る毎日突然の早退と休暇で勤務体制に穴を空けてしまったので、さすがに翌日も休むわけにはいきませんでした。さらに、それ以降の日も正規職員の私が出勤しないと仕事が回らない状況でした。夫も激務の職場のため、簡単には休めず……。 そこで、近距離に住む義母に来てもらい、娘を看てもらうことに。義母はとてもよく看病してくれて助かるのですが、まだ熱があって具合の悪そうな娘を置いて仕事に行くのは「ごめんね」と後ろ髪を引かれる思いでした。 最終手段は近所の人!!2日連続で看病に来てくれた義母でしたが、3日目は都合が悪く来れませんでした。しかし、私もその日こそ職場で大事な案件があり、午前中は休むことが難しかったのです。他の親族は頼れず、病児保育も登録しておらず……。 窮地に追い込まれましたが、ふと、日ごろから付き合いのある近所の人に頼れるかなと思いました。娘のことをかわいがってくれ、お宅にも遊びに行っていた関係だったので、無理を承知でお願いしてみたのです。すると、ありがたいことに快諾してくれ、ほっとひと安心でした。 ずっと一緒にいてあげられなくてごめんね娘は、近所の人に預ける日には、発疹が乾燥してきてあとわずかで完治の状態でした。朝、機嫌よく預けられたものの、仕事中「寂しがっていないかな」と心配でなりませんでした。 幸い、午前中で仕事を切り上げることができ、お昼には迎えに。娘は近所の人によくしてもらって元気に過ごせたようでしたが、「なかなか一緒にいてあげられなくてごめんね」と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 周りの手助けに恵まれ、娘を預かってもらって仕事を無事こなせたことは本当にありがたかったのですが、やっぱり具合の悪いときに、親がそばにいてあげられない時間が続いたことが心苦しかったです。それと同時に、日中ママがいないなかで義母や近所の人と落ち着いて過ごして、よく頑張ってくれたなと娘にも感謝でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO作画/やましたともこ 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月09日現在、6歳と3歳のやんちゃな男の子2人を育てています。今年、長男は小学校、次男は幼稚園と、入学と入園が重なります。卒園や入学・入園準備に追われる私に、夫は他人事のような対応……。ついに私の不満が爆発してしまった体験談をご紹介します。育児と家事に大忙し4月の子どもたちの新生活に向け、本格的に忙しくなってきました。入学・入園説明会への出席、卒園式後におこなわれる謝恩会の打ち合わせやリハーサルで、頻繁に下の子を連れて出かけることも多かったです。 特に下の子はじっとしていられない性格なので、打ち合わせではその都度実家の母に来てもらい、見てもらっていました。さらに季節柄、子どもたちが体調を崩す日も多く、3日連続で病院通いということも……。 夫に相談しているのに!スマホに登録しているカレンダーの予定表は、びっしりと埋まっています。小学校の入学説明会や卒園式のリハーサルなど、次男を預けたい日は夫に会社を休めないか相談していましたが、夫は「無理」のひと言で相談にも乗ってくれません。 夫は激務だったので、「そのような態度も仕方ない」と流してきていました。そして私は専業主婦だったので、「家のことはすべて自分でしなければいけない」とも思っていました。 しかしある日、入学式と入園式の予定を夫に話したとき、「はぁ」とだけ言い、持っていたスマホをいじりだしたのです。スマホで予定を確認しているのかと思って見ると、まったく関係ないサイトの画面が……。 その瞬間、私の中で何かが折れてしまい、大号泣してしまったのです。 不満爆発自分ではそこまで限界が来ていたとは思っていなかったので、私自身も驚いてしまいました。そこからは、夫に今までの不満を訴えました。そして、仕事が忙しいのはわかるので、せめて話を真剣に聞いてほしいこと、そのような返事の仕方はしないでほしいことも伝えました。 夫はそこまで限界だとは思っていなかったようで、慌てて謝罪してくれました。また、次の週末は私のひとりの時間も作ってくれ、だいぶリフレッシュすることができました。 今思えば、不満を溜め込んで大爆発するのではなく、夫に自分の気持ちをもっとこまめに伝えるべきでした。「専業主婦だから、家事や育児は全部自分がやらなければ」とは思わずに、夫にも当事者意識をもっと持ってもらわなければと感じた出来事でした。 監修/助産師 REIKO 原案/竹内優実作画/やましたともこ
2022年09月07日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」の第45話。周りにどう思われようと、基本は着たい服を着る派のやましたさん。そんなやましたさんが、「絶対に手を出さない…」と思っているアイテムがあるそうで……。★関連記事:「派手な色で攻める!」体形をカバーしながらおしゃれするには… #脱力系ゆる更年期日記 45ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。基本、着たい服を着たい派の私ですが、そんな私でも、もう絶対に手を出さない代物が1つだけあります。それは、つま先が丸い系のブーツです。あれはどんなにハートが強い時期であろうと、手を出さないようにしています。数年前、若いころに高いお金を出して購入したブーツが、靴箱の隅で眠っているのを発見し、玄関でひっそりと試着したときのことです。懐かしいな〜。昔の私はお金持ちだったな〜。あのころは楽しかったな〜。などと、昔のことを懐かしみながらそのブーツを履きました。そして玄関先にある全身鏡をのぞき込むと、鏡には疲れ切った中年の私が……。加齢とともに目立ち始めたほうれい線、しまりのない口元にたるみきった輪郭、たるんだ肉が乗った膝……。学生が履くかのような、つま先が丸い系のブーツはおばさんには似合いませんでした(涙)。この日を境に、私は、そういう系の靴とは永遠におさらばしたのです。さようなら、つま先の丸い靴たち〜。著者/イラストレーター/ やましたともこ(49歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年08月25日私には発達障害を持つ長男をはじめ、3人の子どもがいます。以前はフルタイム勤務の会社員をしていましたが、長男の小学校入学と3人目の出産が重なったことを機に退職。3人目が1歳になるころ、在宅フリーランスに転身しました。発達障害の長男を持つ私が在宅勤務になってよかったことと、大変だったことをお話しします。 長男が小学生になると毎日が事件の連続!私が在宅フリーランスに転身したきっかけは、発達障害を持つ長男の小学校生活が気がかりだったからです。 長男が小学校に入学すると、毎日のように事件が勃発。持ち物を帰り道に捨ててきて探しに行ったり、宿題を始めるとかんしゃくを起こしたりと大変でした。先生からの電話や呼び出しもしばしば……。入学したころは専業主婦だったのですぐに対応できましたが、毎日ヘトヘトでした。 3人目の子どもが1歳になったら仕事をしたいと思っていたものの、外勤は無理だと思い、在宅の仕事を開始したのです。在宅の仕事だからこそ、突然の呼び出しや長男の持ち物探しにすぐ対応することができました。また、仕事をお休みするときは、フリーランスなので誰にも気をつかわなくて済み精神的にもラクでした。 有給がないため睡眠時間を削ることも…一方で、在宅勤務をして大変だったこともあります。長男を療育に連れて行ったり持ち物を壊されて買いに行ったりと、仕事の時間が削られる日が続くときがあります。 一般企業に勤めていたときは有給休暇を使うことができ、代わりに仕事を頼める仲間がいました。それがフリーランスだとひとりで仕事をこなすしかなく、終わらないときは夜中に起きて仕事をするしかありませんでした。 仕事のスケジュールを長男に合わせて対応在宅勤務をして大変だったことが、もう1つあります。普段は学校に行っている間に仕事を済ませるのですが、長期休みは長男を学童保育に預けています。発達障害を持つ長男はスケジュールの変更が苦手なので、長期休みの入りたてには学童に行きたくないとかんしゃくを起こします。 学童保育のスケジュールに慣れるまでは時々お休みすることもあり、そのたびに仕事を中断せざるをえませんでした。しかし在宅勤務だからこそ、仕事のスケジュールを長男に合わせることができたと思っています。 以前は在宅の仕事にゆとりのあるイメージを抱いていましたが、実際は思った以上に大変なことも多いのだなと感じました。私には発達障害の長男がいるため、時間調整のしやすい在宅の仕事をこれからも続けていくでしょう。スケジュール変更の多い発達障害の長男がいるからこそ、在宅勤務という働き方がぴったりだと思っています。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2022年08月06日私は4歳、2歳の息子、生後6カ月の娘のパパです。2人の息子とはよく一緒に公園へ行きます。長男は現在補助輪を外して自転車の練習中。その一方、ひとりでボール遊びをしている次男。気づけば長男の相手ばかりしてしまっていました。そんな次男に「いつも遊びに付き合ってあげられなくてごめんね……」と感じた体験談をご紹介します。公園に行くのが日課私と2人の息子は公園に行くことが日課の1つとなっており、仕事が終わって帰ると「パパ、公園に行くよ!」と元気よく迎えてくれます。仕事が遅くなってしまったとき、雨が降ったとき以外は毎日公園に行っています。 いろいろな遊具がある中で、公園では2人一緒に遊びながら、サッカーボールを蹴ったり、ブランコに乗ったり、滑り台で遊んだりしていました。 長男が自転車の練習を始め、ひとりで遊ぶ次男いつも公園では一緒に遊んでいた2人の息子ですが、長男が4歳になったときに補助輪を外して自転車に乗る練習を始めました。もちろん最初はうまく乗れず、私は長男につきっきり。 練習している間、私は次男がひとりで遊ぶ様子を遠目で見ることしかできませんでした。しかし、特に不満そうな表情もなく、ボールを蹴ったり追いかけたりして遊んでいたので、私も安心して自転車の練習に付き合っていました。 「もう帰る!」と泣く次男公園に行っても、私は自転車の練習に付き合うことが多くなりました。練習は最初の10分だけと決めて、その後は息子たちと3人で遊んでいました。しかし、いつものように自転車の練習をしていると、急に「もう帰る!」と泣き出す次男。理由を尋ねると、「自転車イヤ。にいにばっかり!」と……。 私はひとりで不満なく遊んでいた様子に安心していましたが、このとき初めて次男はひとりで寂しい思いをしていたことに気づきました。いつも遊びに付き合ってあげられなくてごめんね……と思いました。 次男にとっては、公園ではいつも長男とパパと3人で遊んでいたにもかかわらず、ひとりの時間が増えてしまっていました。「不満はないのかな?」と思っていましたが、やはり寂しく感じていたのだと申し訳なく思いました。これからは、自転車の練習中も次男に声をかけながら見守り、練習後は次男がしたい遊びで思いっきり遊んで寂しい思いをさせないようにしていきたいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 作画/やましたともこ著者:西川しょた普段は看護師として勤務する5歳と3歳の息子、1歳の娘の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2022年08月04日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」の第44話。45歳くらいの誕生日に、夫からキャラクターのバッグをもらったやましたさん。実はやましたさんの強いリクエストだったようで……。★関連記事:「今日もすごい服やな」40代半ばからファッション迷子が加速して… #脱力系ゆる更年期日記 43ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。45歳くらいの誕生日に、夫からキャラクターのショルダーバッグをプレゼントしてもらいました。45歳くらいの誕生日にキャラクターバッグって……夫、かなりのイカれ具合だな!とほぼ全員が思うと思いますが、私の熱いリクエストです。上記の2行で皆さんお気付きだと思うのですが、私はかなり独特なファッションなのです。なので、着たい服を着る「ハート強め期」には、大好きな赤をふんだんに取り入れ、赤いベレー帽や赤いワンピース、赤のスニーカーを恥ずかしげもなく着いたり履いたりします。そして、夫からもらったキャラクターのショルダーバッグを49歳にもなって平気で愛用しています。ただ、人目が気になる「冷静期」には、よっこいせとキャラを裏側にして使っています(笑)。これぞ2ウェイ! ありがたい〜。著者/イラストレーター/ やましたともこ(49歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年07月21日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」の第43話。40代半ばからファッション迷子が加速したというやましたさん。さらに、着る服がメンタルにも左右されるようで……。★関連記事:「年を気にせず着られると思ったら」10代で思い描いていた姿の現実は #脱力系ゆる更年期日記 42ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。私は40代半ばで、ファッション迷子が加速してきました。マジでかわいいと思って着ていた服がまったく似合わないし、昨日まで何も気にせず堂々と着ていた服たちが、今日は何だかすごく恥ずかしい。そんな経験を幾度となく繰り返してきました。あるときは「私は私なんだ!」と着たい服を堂々と着る「メンタル強め期」が訪れ、しばらくすると、鏡に映る自分を見て痛々しさを自覚する「冷静期」が訪れ、それを3往復くらい続けた気がします。そもそも私は、はやりの服をトータルでコーディネートするシャレオツな人生を送るタイプの人間ではなかったので、まだマシかもしれませんが……。今日も鏡に映るド派手なヘビメタのバンドTシャツに違和感を覚え、そっと脱いだあとに、無難な無地のTシャツを手にする私でありました。あ、今私、冷静期〜。※注意:2コマ目の若いママ友は私の画力がなく意地悪な若いお母さんに見えちゃいそうですが、真面目で良い人です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/イラストレーター/ やましたともこ(49歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年07月07日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」の第42話。10代のころ、エスニックファッションを決め込んでいたおばさんを見たやましたさん。自分も年を取ったらその路線で行こうと思っていたようですが……。★関連記事:「何か違くない?」ファッション迷子の入り口は30代から始まっていて… #脱力系ゆる更年期日記 41ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。ピッチピチの10代だったころ、近所にいつもエスニックファッションを決め込んでいるすてきなおばさんがいました。そして、そのおばさんを見て私はこう思っていました。「私も年取ったら、エスニックファッションをすればいい!」移り変わりが激しいはやりの服と違って、エスニックファッションだったらはやり廃りもなく、年齢を気にすることなくおばあちゃんになってもファッションを楽しめるのではないか……そう思っていました。そして30年近くがたち、40代でファッション迷子真っただ中だった私は、若かりしころに自分が言ったことを思い出し、そっちの方向にかじを切ってみました。頭の中では、あの近所のすてきなおばさんを想像しつつ、エスニックなファッションに身を包んだ自分を鏡で見て、こう思いました。え!? むちゃくちゃ似合ってないですやん!そう、びっくりするぐらいに似合っていなかったのです。そのあまりの似合っていなさに、若かりしころの私の計画は一時断念せざるを得なくなりました。今でも当時のエスニックファッションたちは、わが家のクローゼットの隅でいつか来るかもしれない出番をひっそりと待ってくれています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/イラストレーター/ やましたともこ(49歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年06月23日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」の第41話。服が好きで、若いころから買い物をしまくっていたやましたさん。ファッションが好きゆえに、ファッション迷子を実感する時期も早かったようで……。★関連記事:「自分が怖い…」まさかのクソダサな姿で都会に出てきてしまったアラフィフの本心 #脱力系ゆる更年期日記 40ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。30代のころ、何とな〜く手持ちの服が似合わないような気持ちになる現象が始まりました。20代のときに着ていた若々しいタイプの服は、どうも若作りをしているみたいで、鏡の前で服装チェックをしてみると「何か違くない?」と思ってしまうのです。私は服が好きだったので、独身のころは毎週末のように、彼氏(現在の夫)と梅田に自転車で繰り出し、給料のほとんどを家賃と服に使っていました。おかげでクローゼットはパンパンだったのですが、それにも関わらず、ど〜も毎日着る服がないのです。アレも違う、コレも違う……。昨日まで普通に着ていた服が何だか似合わない!もうすぐ50歳になる私としてはピチピッチ?の30代で、「ファッション迷子」だったなんて片腹痛いわい!と思ってしまいますが、もし70歳の先輩から見たら、今の私は「50歳なんてまだまだ若い。何言うとんねん!」なのかもしれません。最近まで「ファッション迷子」という言葉すら知らなかった私ですが、今思えば、あのときが私の「ファッション迷子デビュー」だったのではないかと思います。著者/イラストレーター/ やましたともこ(49歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年06月09日