しんしんと雪が降り続く、福井県の冬。女ガキ大将だった白鹿むくは、祖母、母、自分、妹の女4人の家で、祖父の介護を常とする「ヤングケアラー」として青春を過ごしてきた。そんな生活が、何年も、何年も続き、自分のやりたいことも、自分の性格さえも見失っていたある日、電車で出会ったのは、やたら背の高く陰気でオタク喋りな男。彼との出会いが、むくの運命を「二度」変える――10年越しに出会う、幼なじみとのピュア&ヘビー・ラブストーリーを全12回でお届け!ぜひ書籍とあわせてお楽しみください。◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら<<前回のお話はこちら祖父の介護に疲れるむくを癒してくれるのは物語の世界。理想の世界があるから現実を乗り切ることができるのでした。続きは、書籍ならすぐお楽しみいただけます!(漫画:『この雪原で君が笑っていられるように』ちづはるか(小学館)より一部抜粋/マイナビウーマン編集部)(C)ちづはるか/小学館◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら『この雪原で君が笑っていられるように』ちづはるか(小学館)10年後×幼なじみヘビーラブストーリー!しんしんと雪が降り続く、福井県の冬。女ガキ大将だった白鹿むくは、祖母、母、自分、妹の女4人の家で、祖父の介護を常とする「ヤングケアラー」として青春を過ごしてきた。そんな生活が、何年も、何年も続き、自分のやりたいことも、自分の性格さえも見失っていたある日、電車で出会ったのは、やたら背の高く陰気でオタク喋りな男。彼との出会いが、むくの運命を「二度」変える――10年越しに出会う、幼なじみとのピュア&ヘビー・ラブストーリー!小学館:
2023年11月30日頭痛と異常なイビキで病院に行った父。良性の腫瘍があることがわかり手術することになったのですが…まさかその後、突然家族を忘れてしまうことになるなんて。愛する人が変わってしまっても、愛し続けられますか?とはいえ腫瘍は良性。手術すればよくなるはずだったのですが…父は家族を忘れてしまったなんとか一命をとりとめた父。しかし…そして父は奇妙な言動を繰り返すようになりました。一生愛すと誓いあったはずの人に忘れられてしまった母。そして、父を介護する日々が始まります。母は娘たちの助けはほとんど借りず、ひとりで20年もの介護生活を送ったのでした。もう自分を愛してくれない夫との壮絶な日々を乗り越えた母の原動力とは?こちらは吉田いらこさんの体験をもとに2023年7月9日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に対する読者からのコメントをご紹介します。家族の気持ちに想いを寄せる読者の言葉元気だったのに突然家族を忘れてしまった父。多くの読者が人生のはかなさをかみしめていました。・他人事ではなく明日は我が身と考えさせられました。・健康で元気な状態でいることはすごいことなんだと改めて思います。・ある程度年取ると人間いつどうなるかわかりませんね。生きてることが不思議なんですよね壮絶な介護の現場。自身の経験を思い出した読者が目立ちました。その中でやはり国や公的機関のサポート、そして情報発信が大事だという声があがっていました。・ 私も、義両親が認知症になり大変でした。一番上の孫は、じいちゃんっ子だったんで、泣き出しました。徘徊するじいちゃんを原付で追いかけてくれたりと、いろいろ世話を手伝ってくれました。今でも思い出します。家族の結束と協力が必要だと思いました。家族が、全部負担するのは大変なので上手に施設の利用をおすすめします。・このコミックを読んで、いろいろ思い出しました。でもきっときっとご本人が一番辛いのだと思います。・ 認知症のリアルが描かれていて、勉強になります。私も20年以上前に、認知症の父の介護を経験しました。 当時は情報が乏しかったし、病気に関する周囲の理解も進んでいませんでした。 病気の本人はもちろん辛いと思いますが、家族の心のキズも計り知れません。 病気に対する理解を広めるために、ぜひ情報発信を続けて頂きたいです。・ 亡き祖母も認知症でした。読んでいて切ないですが、自分や身近な人が認知症になるかもしれない今、このマンガをスタートに理解を深めていくことの大切さにも気づかされました。・国全体でもっとサポートすべきかと。障がい者の家族の実情を少しだけ知ることができたので、自分ができることをしたい。寄付や傾聴くらいしかできないかも知れないが。母親はもっぱらひとりで介護をし、娘たちは独立した後戻ることも少なくなって、のちに主人公は母親に介護のほとんどを任せたことを後悔します。しかし読者からは後悔などしなくて良いと主人公を慮る声があがっていました。・老人福祉介護施設で働いています。 仕事でなら何回も聞かれても、笑顔で答えますが、自宅で自分の親に何回も同じことを聞かれたら、それはもう殴りたくなる気持ちになるのは当たり前です。このお話の中でまだ高校生の主人公には大変辛い経験だったと思います。・無事に育って自立するのが恩返しですよ。気に病むことはない。・お母さんお疲れ様でした。娘さん視点のようですが、お母さんからみれば大変な家庭環境で無事に立派な大人になってくれてそれだけでも助かったというような心境だと思います。お母さんが介護に明け暮れてる中自分は学校生活を続けて家を出て家庭を築いてお母さんに負担を強いたという気持ちもあるかもしれないけどそれは反面お母さんの望みでもあったはずですよ。子どもの幸せは親の一番の願いです。・作者の方の勇気に感謝します、ありがとうございました。高校生の頃の話が自分をみているようで泣きそうになりました。家族のことを周りに言いづらいし、相手の負担になるから結局言えない。でも誰かにわかってもらいたい気持ちもある。自分だけで抱えるのは重過ぎる。・私の父は転倒して頭を強打、その後しゃべることができなくなり、だんだん歩くこともできなくなり寝たきりになりました。元気な時は大きな声で私の名前を呼んでいたので、もう一度名前を呼んでほしいと言う気持ちがあふれました。父と重なり涙がが出ました。 寝たきり、誤嚥、胃瘻、延命、私も経験しましたが決断するまで調べたり悩んだり本当に辛かったです。お母さんは強くて優しくて、長年の介護、本当にお疲れ様でした。 素晴らしい作品をありがとうございました。愛する家族が突然別人のようになってしまい、自分のことを忘れてしまったら…? それでも、相手を愛し続けることはできるのでしょうか…?▼漫画「若年性認知症の父親と私」
2023年08月22日寄せられたママたちの体験談やご自身の体験談をマンガ化しているまめねこさん。今回はヤングケアラー体験者の方のお話です。最近話題の「ヤングケアラー」。子どもが親の介護をすることが話題になりがちですが、体験者さんは小さなころから弟の面倒をみることをお母さんから言い付けられてきました……。 普通のことだと思っていたけれど… 母子家庭だった体験者さんは、弟の面倒を自分が見ることは普通だと思っていました。むしろ、お母さんの役に立つのが嬉しくて張り切っていたと言います。 しかし、小学校高学年になると、次第に自分だけにある制限に苦痛を感じ始めましたー。 忘れられないのは、楽しみにしていた小学6年生のときの修学旅行を、お母さんが行かせてくれなかったこと。理由は弟の面倒をみるためでした……。 修学旅行に行けるよう、担任の先生がお母さんに電話でかけあってくれたものの、お母さんが受け入れることはありませんでした。 「ごめんね…。力になれなくて本当にごめんね……。」 泣きながら謝る先生。 その姿を見て、お母さんの対応が普通ではないことに子どもながらに感じ、体験者さんの心に深く刻まれたのでしょう。大人になった今でも思い出すと苦しくなってしまうそうです……。 ◇◇◇ 子どもが家事や家族のお世話をすることは、当たり前と感じる方もいるかもしれません。しかし、子どもが本来過ごせるはずの勉強する時間、友だちと過ごす時間と引き換えにおこない、学校生活に影響がでる場合は、すこし注意が必要だと厚生労働省は呼びかけています。子どもが子どもでいられる社会になるよう、気が付いたら手を差し伸べられるよう、大人の一人ひとりが意識することが大切なのかもしれません。 著者:マンガ家・イラストレーター まめねこ
2023年06月05日2022年もまもなく上半期が終わりを迎えますが、そんなときにオススメの映画といえば、厳しいなかでも新たな道へと進み出そうとする主人公を描いた作品。そこで、今回ご紹介するのは、フランスから届いた珠玉の1本です。『母へ捧げる僕たちのアリア』【映画、ときどき私】 vol. 496南仏の海沿いの町にある古ぼけた公営団地で、3人の兄と暮らす14歳のヌール。長年、昏睡状態に陥っている母を兄弟だけで自宅介護する生活は苦しく、まだ中学生ながら夏休みは兄の仕事の手伝いと家事に追われる毎日を過ごすことに。そんなヌールの欠かせない日課は、毎夕に母の部屋の前までスピーカーを引っ張っていき、母が大好きなオペラを聴かせてあげることだった。ある日、教育奉仕作業の一環で校内清掃中だったヌールは、歌の夏期レッスンをしていた声楽講師のサラに呼び止められる。そして、歌うことに魅せられていくのだが……。2021年のカンヌ国際映画祭で<ある視点部門>に正式出品されたのをはじめ、国際的な評価を得ている本作。そこで、今後のフランス映画界を背負っていく新たな才能としても注目を集めているこちらの方に、お話をうかがってきました。ヨアン・マンカ監督俳優と舞台演出家としてキャリアをスタートさせたのち、映画界でも才能を発揮しているマンカ監督。今回は、自伝的な要素も含まれているという物語の背景や人間にとって芸術が必要な理由などについて、語っていただきました。―主人公のヌールにはご自身が芸術と出会ったときの体験を重ねているそうですが、それによってどのように変化があったのかについて教えてください。監督僕自身も、ヌールと同じように14歳前後のときにフランス語の先生と出会ったことがきっかけで、演劇に興味を持つようになりました。当時は、学校の授業で習うくらいの一般的な知識しかなく、演劇のことはまったく知りませんでしたが、その先生のおかげで自分のなかにそういった興味があることを発見したのです。それはまさに、劇中で声楽の先生がヌールの才能を見い出したのと同じような感じでした。そこから演劇に夢中になったわけですが、世界の見方だけでなく、家族や自分の人生に対する見方までも変わっていったのです。そんなふうに、僕でも新しい道へと進むことができたので、いまの若い人たちにもそれが不可能ではないこと、そして道は必ず開かれることをこの映画を通して伝えたいと思いました。文化や芸術のない社会は、この世の終わり―日本は、芸術に対する支援が足りてないと言われているところがありますが、監督はなぜ人に芸術が必要なのだと思いますか?監督僕は「芸術がない社会は、社会ではない」と思っています。なぜなら、世の中に芸術がなければ、人間は希望もユーモアも喜びも感じられないロボットのような生き物になってしまうからです。実際、これまでの独裁者たちは文化や芸術を禁止することによって、世の中をとてもつまらないものにし、人々が夢を持たないようにしたこともありましたよね。そういったこともあり、僕は文化や芸術のない社会は、“この世の終わり”だと思っています。―本作の4兄弟は貧困を抱えるだけでなく、若くして母親の介護問題にも直面しています。彼らをヤングケアラーとして描こうと思ったきっかけについても、お聞かせください。監督彼らの貧しさを描くうえで、まだ子どもなのに大人と同じような責任感を負わされて生きなければいけないというのを見せたかったので、そのような設定にしました。そういう意味では重要なポイントですが、この映画におけるテーマにしようと考えたわけではありません。フランスでは、まだ社会問題として取り上げられるほど話題になっているわけではないというのが現状です。若いうちにオペラに触れる機会を多く持ったほうがいい―劇中では、幅広いジャンルの曲を効果的に使っていますが、選曲や曲の組み合わせでこだわったのはどのあたりでしょうか。監督初めに考えていたのは、ヒップホップとオペラというふたつの世界を対峙させたいということでした。ただ、そこまで難しく考えていたわけではなく、選んでいくうえで意識していたのは、自分がこのシーンでどの曲を聴きたいかという感覚だったと思います。―今回オペラを使ったのは、監督自身が名曲「人知れぬ涙」に魅了されたことがきっかけだったそうですが、いまだにオペラは敷居が高いと感じている人が多いと思います。ただ、この作品では誰もが楽しんでいいものであると示しているので、監督が思うオペラの楽しみ方があれば教えてください。監督まずは、若いときになるべく多くの時間をかけて聴くことが大事ではないかなと。とはいえ、普通に生活していてオペラに興味を持つきっかけに恵まれることはなかなか少ないかもしれません。それでも、なるべくそういった音楽を聴く機会を見つけることがまずは必要だと思っています。―監督は音楽に救われた経験もありますか?監督僕は、音楽よりも演劇や映画に救われたほうが大きいかもしれないですね。影響を受けた作品を挙げるなら、セルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』、マーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローズ』などです。映画を通して、社会の不平等をなくしたい―ヌールが歌うシーンをはじめ、俳優たちは素晴らしかったですが、演出するうえで意識されていたこととは?監督僕は細かいところまでとてもこだわるほうなので、リハーサルは何度も行いました。とはいえ、ある程度詳細を説明したら、あとは俳優の自由にさせることが多かったかなと。ただ、歌に関するシーンは、とても難しい場面でもあったので、あらかじめ脚本で細かく決めており、その通りに演じてもらいました。そもそも、キャスティングの時点で、大半のことは決まっていると思っています。―兄弟以外には講師役のサラも非常に大きな役割をはたしていますが、このキャラクターにはどんな思いを込めましたか?監督今回、僕はサラという女性を神秘的に描きたかったので、あえて彼女がどこから来たのか最後までわからない人物という設定にしました。また、重要だったのは、彼女がとても強い女性であるというのを示すこと。男性たちに何をされても、決してされるがままではなく、きちんと抵抗する姿も描きました。―今後、芸術を通して監督が伝えたいことをお聞かせください。監督自分の映画を通して成し遂げたいことは、まず社会の不平等をなくすこと。いろいろな人の道を開いて夢や希望を与えることと、住みやすくていい社会にすることです。そして、人間の弱い部分というのは誰にでもあることも伝えていけたらと考えています。芸術に国境はないことを感じてほしい―また、いよいよ公開を迎える日本に対してはどのような印象をお持ちですか?監督今回の公開に合わせて行けなかったことが残念でたまりませんが、日本にはずっと行きたいと思っているので、近いうちにぜひ遊びに行きたいですね。僕は日本の文化が大好きなのですが、特に日本映画だと黒澤明監督。あとは、家族の描き方が非常に上手い是枝裕和監督も好きな監督です。日本映画というのは全体的にとても繊細で、キメの細かい仕事をされているので、学ぶことが多いと感じています。―それでは最後に、ananweb読者にメッセージをお願いします。監督僕はみなさんに何か言えるほど日本社会について詳しいわけではありませんが、映画を観ていただければ、きっとそこにある普遍的なものを感じ取っていただけると思っています。それは、「芸術に国境はない」ということ、それから「家族の愛は大きくて美しい」ということです。どこにでも“希望の光”は必ずある厳しい現実と向き合いながらも、新しい出会いと自らの才能を信じて未来へと飛び出そうと成長を遂げる少年の姿を映し出した本作。芸術が人にもたらす力を感じるとともに、音楽の美しさと家族への愛が持つ強さに、誰もが心を揺さぶられる必見作です。取材、文・志村昌美心を掴まれる予告編はこちら!作品情報『母へ捧げる僕たちのアリア』6月24日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開配給:ハーク️©Philippe Quaisse Unifrance.️© 2021 – Single Man Productions – Ad Vitam – JM Films
2022年06月23日寄せられたママたちの体験談やご自身の体験談をマンガ化しているまめねこさん。今回はヤングケアラー体験者の方のお話です。最近話題の「ヤングケアラー」。子どもが親の介護をすることが話題になりがちですが、体験者さんは小さなころから弟の面倒をみることをお母さんから言い付けられてきました……。 普通のことだと思っていたけれど… 母子家庭だった体験者さんは、弟の面倒を自分が見ることは普通だと思っていました。むしろ、お母さんの役に立つのが嬉しくて張り切っていたと言います。 しかし、小学校高学年になると、次第に自分だけにある制限に苦痛を感じ始めましたー。 忘れられないのは、楽しみにしていた小学6年生のときの修学旅行を、お母さんが行かせてくれなかったこと。理由は弟の面倒をみるためでした……。 修学旅行に行けるよう、担任の先生がお母さんに電話でかけあってくれたものの、お母さんが受け入れることはありませんでした。 「ごめんね…。力になれなくて本当にごめんね……。」 泣きながら謝る先生。 その姿を見て、お母さんの対応が普通ではないことに子どもながらに感じ、体験者さんの心に深く刻まれたのでしょう。大人になった今でも思い出すと苦しくなってしまうそうです……。 ◇◇◇ 子どもが家事や家族のお世話をすることは、当たり前と感じる方もいるかもしれません。しかし、子どもが本来過ごせるはずの勉強する時間、友だちと過ごす時間と引き換えにおこない、学校生活に影響がでる場合は、すこし注意が必要だと厚生労働省は呼びかけています。子どもが子どもでいられる社会になるよう、気が付いたら手を差し伸べられるよう、大人の一人ひとりが意識することが大切なのかもしれません。 著者:マンガ家・イラストレーター まめねこ
2022年06月03日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「ヤングケアラー」です。一人で抱え込ませず相談できる体制を整えることが優先。「ヤングケアラー」とは、家族の介護や世話、家事や労働を日常的に担っている18歳未満の子どものことです。今年3月、国の初の実態調査により、中学生のおよそ17人に1人がヤングケアラーであることが明らかになりました。公立中学校1000校と全日制高校350校を対象に行われた調査によると、「世話をしている家族がいる」と答えた中学生は5.7%、高校生は4.1%。食事作りや洗濯などの家事、祖父母の介護や見守り、幼いきょうだいの保育園への送迎など、世話の内容は多岐にわたっています。世話に費やす時間は中学生で1日平均4時間、高校生は3.8時間。7時間以上と答えた生徒も1割いました。下校後の時間がとられ、当然、勉強や睡眠、友達と遊ぶ時間などが削られてしまいます。最も深刻なのは、この状況を人に相談した経験のない子が中高ともに6割以上もいたことです。学校に行きたくても行けないと答えた生徒もおり、国は対応を急いでいます。ヤングケアラーのなかでも、「きょうだい児(病気や障がい者の兄弟姉妹がいる子ども)」はその存在がまだあまり知られていません。病気や障がいのある本人やその親に対してのサポートはありますが、きょうだい児もまた様々な視線にさらされています。まだ子どもなのに親に甘えられず、きょうだいの世話を担い、遊ぶ間がありません。自分の人生をきょうだいに捧げてしまうケースも少なくないのです。ヤングケアラー、きょうだい児に共通しているのは、その状態が「あたりまえ」と本人も周囲も思い込んでいること。あるきょうだい児の人は後年、「自分は、自分の自由にしていいのだということを教えてほしかった」と話していました。「24時間子供SOSダイヤル」や「子どもの人権110番」などの相談窓口を利用していれば、もう少し楽になれたのかもしれません。国は社会保障費を減らすために、施設ではなく家庭内で介護することを提唱しています。父母が働いていれば、ヤングケアラーは今後も増えるでしょう。ヤングケアラーが孤立し、人生の選択肢を狭められている現状に対して、適切なサポートが求められています。堀潤ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。Z世代と語る、報道・情報番組『堀潤モーニングFLAG』(TOKYO MX平日7:00~)が放送中。※『anan』2021年7月7日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2021年07月02日ヤングケアラー、それは無償で家族の世話や介護をする18歳未満の子供たちのことをいう。「父は通信社のカメラマンで国内外での仕事も忙しく、家庭での子供の世話は、ほとんど母が一人で担っていました」こう語るのは持田恭子さん(54)。持田さんもまた、親とダウン症の兄の世話を体験した“元ヤングケアラー”だ。「小学生のころから父がアルコール依存症になり、母や私に暴力をふるうようになっていました。父自身、兄のター君をかわいがりながら、一方でター君の通院のせいで出世につながる転勤をできないなど、ストレスを抱えていたのだと思います」父親の変貌ぶりに、今度は母親までうつ病を患い、毎日「死にたい」と口にするように。「当時、父や母自身が、社会から取り残された、いわば被害者でした。でも10代の私には、そこまで理解できなかった」25歳の時、転機が訪れる。イギリスの金融情報サービス企業への就職だった。しかし母は、渡英しようとする持田さんに詰め寄り、言った。「もし私たちを捨ててイギリスに行くなら親子の縁を切る。ママはター君と死にます。あなたは殺人者の汚名を一生背負って生きていくのよ。よーく考えて、どちらかを選びなさい」「私は自分の道を自分で選びたい。ママが死ぬなら、それはママの選択。でも、ター君を巻き込まないでほしい」 持田さんは、悩んだ末にイギリス行きを決心し、母に告げた。「自分の気持ちを大切にして、本当にやりたいことがあるのならば家族から離れてもいい、自分らしく生きよう、そう思ったんです。イギリスでは、初めてストレスのない生活を体験しました。とはいえ、兄や家族を置いてきた自分は薄情な人間なんだと罪悪感を持ったまま過ごしていました」海外生活が落ち着いていくなかで、こんな発見もあった。顧客に誘われ、初めてモータースポーツのF1を見に行ったときのこと。「有名ドライバーの息子さんがダウン症で、病気の啓発やチャリティが行われていて。日本では陰に隠れて生活する印象でしたから、なんて進んでいるのかと衝撃を受けると同時に、社会全体で支えていく問題だと知るんです」2年半後、ヘッドハンティングされて帰国し、外資系企業に転職した。絶縁状態だった母親もこれを喜び、実家との交流が再開する。「帰国後、たまたまパソコン雑誌に掲載されていたダウン症の親御さんグループのホームページを見つけました。自分と同じ“ダウン症の兄がいる妹”に会ってみたいと思って連絡を取ろうとしましたが、なかなかきょうだいにつながれず、周囲から『自分でホームページを作ったら』と言われて、独学でサイトを立ち上げました」96年10月、「ダウン症児・者の兄弟姉妹ネットワーク」がスタート。やがて日本各地の80人ものきょうだいたちとメーリングリストで意見を交わすようになり、持田さんは痛感する。「こんなにいたんだ。家族の世話や将来のことで悩んでいたのは、私だけじゃなかったんだ」仕事を終え帰宅すると、夜中までメール交換する日々を送っていた01年、父親の大腸がんが発覚。「それまで父がやっていた兄の世話を、私が引き受けるようになりました。兄は、父のことを『殿』と呼んで慕っていました。その父から、夢だった息子とのキャッチボールができなくなった無念さや、会社の同僚たちが子供自慢をするときには『仕事があるから』とうそをついて席を外していたことなど初めて本音を聞かされるんです。親である父が、私たちきょうだいと同じ思いをしていたと知って驚きました。もっと早い時期に語り合えていたらと悔やみました」2年間の闘病生活の末、父親が亡くなる直前のこと。ショートステイへ向かう兄が、病床の父に言った。「39年間、ぼくを育ててくれてありがとうございました。ぼくは、だいじょうぶです」そう言いながら、親指を立てるしぐさをすると、昏睡状態だったはずの父親が一瞬、目を開けた。「驚いたのは、父も兄に向かって親指を立ててほほ笑んだんです。その数時間後、父は64歳の若さで息を引き取りました」パニックに陥るからと反対する母親を押し切り、持田さんは兄に父の死を報告した。兄は電話口で、逆に持田さんに尋ねた。「母は泣いてますか?妹さんは泣いてますか?」「泣いてないよ」「じゃ、ぼくも泣きません」必死で悲しみをこらえているのが電話越しにも伝わった。持田さんは瞳を潤ませながら、当時をこうふり返る。「私はこのとき、自分のことより母と妹を心配してくれた兄の優しさに、初めて気づきました。そうか、守られていたのは、実は私だったんだと……」持田さんは現在、ケアラー支援を行う「ケアラーアクションネットワーク協会(CAN)」代表理事。家族に守られながら、ヤングケアラーの孤独に寄り添っている。「女性自身」2021年4月6日号 掲載
2021年03月29日