流産後、ありのままの気持ちをオットに話した中村こてつさん。その中で妊娠時に感じていた戸惑いの気持ちの理由に気づきました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。気持ちを吐露して、気づけたことビールを飲み切れず、涙が止まらなくなって、一睡もできずに夜が明けました。まぶたが腫れまくって、ひどい顔です。起床して、昨日眠れなかったとオットに言いました。やっぱり、けっこうショックみたいだ…と言葉にしたら、一度止った涙がまた止らなくなりました。そして、ケンカになる覚悟で自分の今までの感情を伝えました。本当に子どもが欲しい、という気持ちが湧き上がってこないこと。そんな気持ちのまま、覚悟しないまま、顕微授精に臨んだこと。妊娠することができて、嬉しいよりどうしようという気持ちのほうが大きかったこと。だから、お腹の子に優しい言葉をかけてあげなかったこと。今は、申し訳ない気持ちでいっぱいなこと。だからといって、この結果になったことは、自分の責任だと責めてはいない。自然淘汰だということは理解している。でも理解していることと受け入れることは違う…等々。オットは、よく分かったと言いました。移植してから、浮かない様子だったけど、妊娠すると女性はナーバスになるからかな。と思って、そっとしておいたと。そして、じゃあこれからどうしようか? と聞かれました。私はこれからも治療は続ける気だと答えました。子どもが欲しい気持ちが完全ではないことは解決していないけど、今回のことで自分の中に母性はなくないのだと分かった。産み育てていく過程で徐々に変わっていくことがあるのだと実感した、と。オットは、人と自分を比べることはないんだよ、と強調しました。私が、周囲の人に比べて自分の欲しい気持ちが小さいことを悩んでいると解釈しているようでした。そうではなくて、自分の中で子どもを欲しい気持ちが100としたら、私は100まではない。それなのに、高度生殖医療を受けていて、それは生まれてきてくれる生命に対して失礼なことだと思う。どうして自分が100になれないのか分からない…。そこまで話して、忘れていた気持ちを思い出しました。そうか、私は、自分が100%子どもを求めることは、子どもがいなかった今までの自分達を否定するような気になるんだ。今でも十分幸せなのに、子どもがいなくても幸せなのに、それなのに「治療してまで」子どもを求めるそのことに納得がいかないんだ。私たちは幸せなのに。治療して子どもを産むことを優先しなければならない。子どもは必要だから。子どもは幸せになるために必要だから。夫婦はないがしろにしてまで。そんな気持ちを吐露すると、オットは言いました。「ちがうでしょ。」君がいなきゃ、子どもはいない。俺がいなきゃ、子どもはいない。まず、俺達がいて、それから子どもなんだ。俺にとって、一番大切なのは○○(私)なんだよ。まずは俺達なんだよ、夫婦なんだよ。そんな簡単なこと忘れないで。泣きながら、オットが言いました。2人で抱き合って泣きました。子ども主体ではないんだ、夫婦主体なんだ。子どもを求めることは、今幸せじゃないから別の幸せを探すことではない。夫婦でいる幸せ。そこにもう一つ幸せが増えるだけ。オットの言葉を聞きながら、あぁ私は今までこんな簡単な答えを見つけられずにいたんだと思いました。オットに話したことで、答えを見つけられました。その機会を作ってくれたのは、お腹の子ども。もう帰ってしまうけれど、未熟な私に教えてくれた。もしかしたら、そのために来てくれたのかな…しばらくは、ときおり泣いていましたが、少しずつ元気になれていました。優しい言葉をかけてあげられなかったことについて謝り、気づきを与えてくれたことに感謝して、私たちの子どもに想いを伝えました。ありがとう。ありがとう。また会おうね。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年07月25日受精卵移植によって待望の妊娠。しかし間もなくして、初期流産とわかり…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産後に込み上げる、申し訳ないという気持ち心拍確認の日、赤ちゃんは成長を止めていました。心拍は確認できず、初期の流産でした。超音波の画面を見ながら、私も気付きました。ドクターは無言で何度も何度も角度を変えてみています。その度に、浮き彫りになるのは胎嚢のみ。そういうこともあるのかも、と想像してはいたけれど。ぐりぐりと超音波の機械を押し付けられていたら、なんだか悲しくなってきてポロポロと涙がこぼれました。診察室に戻り、ドクターの話を聞くときもボロボロ泣きました。「原因はハッキリ言って分かりません。もともと染色体異常で自ら成長を止めたのかもしれないですね。」8週目までの流産は自然淘汰、どうあがいてもどうしようもないってことは知っています。でも、耳にガーゼをかぶせたみたい。ドクターや看護師さんの話が聞こえるけど、耳の上をなぞっていくだけで頭の中には入ってこない。けっこうショックなんだなぁ、私。妊娠できたことで、うろたえていたくせに。でも、どっちも本当の私なのか…。診察後、高校時代の友人たちと遊ぶ約束をしていたので向かいました。私以外の既婚者はみんな子持ちです。治療を始めたころは、友達の赤ちゃんと会うのに少し憂鬱になったりしたときもありました。でも最近は、友達の赤ちゃんも妊娠も、知らない妊婦さんも、ほとんど気になりません。気にしてもしょうがないことを学習したみたいです。人は人、私は私。大事な仲間なので、今までお互いに、どんなことでも話をしてきました。だから、今回のことも言おうと思っていたけど、なかなかタイミングがつかめずにいました…。と、いきなり、ケーキが登場。3日後が私の誕生日だったのです。サプライズで準備してくれていました。しかも手作り。嬉しかった。瞬間、自分の誕生とお腹の子の死を思い、正反対であるその出来事に込み上げるものがありました。我慢できずに泣きました。友人たちは嬉しくて泣いたと思ったようでした。(もちろんそれもありますが。)ケーキも食べ終わり、のんびりしたところで実は…、と今回の事を伝えました。なんとか、泣かずに喋ることができました。友人たちは、真剣に聞いてくれました。その後の労わりや慰めの言葉は、やはりガーゼの上を通り過ぎるように聞いてしまったけど…申し訳ないけど、しょうがない。素直にそれらの言葉を受け止めるには少し時間がいることなんだと思う。オットには病院を出た後、報告しました。しんみりしたけれど、やはりそういう可能性もあると構えているところもあったので、気丈に受け止めてくれました。しばらく休んで、また頑張ろうな。と。数日後、缶ビールを飲みました。すると、350mlを飲みきれませんでした。移植前は、1日数本を毎日平気で飲んでいたのに。なんだか苦くて、すぐに酔いが回って。体が飲まないことに慣れてきていたんだなぁ、けっこう母親らしくなってたんだなぁ、私。涙が出ました。一度涙が出ると止らなくなりました。まだお腹の中にいる。私の子ども。オットの子ども。子宮にしがみついて、成長してくれようとした私たちの小さな命。それなのに、自分が妊娠したことでうろたえパニックになっていた私は、ただの一度も、お腹に手をあてることも、話しかけることもしませんでした。全く愛情をもって接してあげることがありませんでした。本当に、ごめんなさい。こんな結果になってから、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。本当に私は、ただの一度も、お腹に向って話しかけなかった。子どもは気付いていたろうか。こんな母親の仕打ちを。一番もらいたかった母親の愛を感じられなかった。かわいそうな、私の子。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年07月11日妊娠が判明したこてつさん。気持ちの整理がつかないまま、妊娠前と妊娠後のまわりの人の変化に驚きます。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。妊娠後、変化があったのは…再判定の前日、実母から電話がきました。「赤ちゃん、どうだった?」と。母には移植前に、何日に結果が分かるということを教えていたら、ちゃんと覚えていたようで、なかなか私から連絡がこないので心配してかけてきたようでした。母にも言う気にはなれず「まだ分からない」と嘘をつきました。次はいつ病院か、と聞くので「明日、明日で分かるよ」と言いました。おどろくことに「一度でできなくても、何度か挑戦している人もいるから落ち込まなくていいんだよ」と優しい言葉をかけられました。病院通いを内緒にしていたころは「できないのはおかしい。病院に行け、検査しろ」「早く産まないと苦労する」などと、身内だけにストレートでデリカシーのない言葉で散々私をモヤッとさせてきた母でした。しかし、毎日注射だ薬だと通院する娘を見て、段々と心配になってきたようです。コロッと豹変した態度に笑ってしまいますが、やはり母親なんだなと少し嬉しくも感じました。そして、再判定の日。hcg値は増えていました。赤ちゃんを包むための袋・胎嚢も確認できました。小さな黒豆のようでした。次の週は心拍を確認することになりました。赤ちゃんは育っていました。この日も診察後、待合室で泣いてしまいました。自分の気持ちをどうすればいいのか分かりませんでした。少しずつ、変わっていってくれるのを待つしかないのかな…。実母と二人の姉にメールで報告しました。直後から何度も電話がかかってくるけれど「おめでとう」と言われたくなくて無視していました。おめでとう、と言われたら、今の私は返す言葉がありません。私が電話に出ないでいると、母からメールがどんどん届きました。階段を上がるな、酒はやめなさい、運転もダメ…次の検診日には迎えにいくから時間をいいなさい、とも。心配してくれるのは嬉しいけど、日常生活は普通でいいので丁寧にお断りします。それに毎日注射なのに運転しないのはムリですから~。診察後の支払いは、胎嚢が見えた時点から診察は保険適用になるとのことで、前より安くなっていました。妊娠したら、母親が優しくなって、病院代が安くなりました。不妊のうちは、母親はうるさいうえに、病院代は高いのです。妊娠したとたんに扱いが違います。やはり子どもは大事か、子どもがいないと社会には入れてもらえないのか。妊娠した身ながら、なにかを否定されているような気がして悔しい気持ちになりました。当時、県の予算が子育て支援に関してかなり増額されたとニュースで聞きました。が、不妊治療に関しては従来どおり、10万円の助成のみでした。少子化を改善したいなら、もう少し考えてほしいなと切実に思っていました。不妊治療は、精神的身体的な辛さと同じくらい、経済的にもとても辛いのです。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年06月27日いよいよ判定日。ドクターから告げられた結果を前に、こてつさんは戸惑いで心がいっぱいになります。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。判定の結果は…「妊娠の反応が出ています。」いつもの抑揚でドクターから結果を告げられました。判定にはオットも付き添ってくれました。血液検査の結果は、陽性でした。初めての顕微授精で妊娠しました。私は驚きませんでした。なぜなら、オットには内緒にしていたけれど、前日に妊娠検査薬でフライングをしていたからです。うっすらと現れた縦線を確認していました。正直に書きます。それを見たとき、私は思いました。「どうしよう…妊娠してしまった…」と。喜びは見当たらず、戸惑いで心がいっぱいになりました。どうしよう、どうしよう…。半ばパニックのように、検査薬を不透明のビニル袋に入れてゴミ箱に捨てました。覚悟もできていないのに妊娠してしまった。そう思いました。ドクターは結果の出た用紙を見せながら話を始めました。妊娠を判定するための基準となるhcg値は現時点で62だそうで、これはまだ安心できる数字ではないとのことでした。来週、再度血液検査をし、200近くに増えていれば大丈夫でしょうと言われました。ドクターから妊娠していますと聞いても、そうですか…と無表情な私。どうしても素直に喜べませんでした。嬉しい気持ちが沸き起こってきませんでした。移植直前に、神様に運命を任せよう、流されるままに現実を受け止めてみよう…そう決めたはずなのに。診察室を出ても、どうしよう…という気持ちが頭を離れず、そんなことしか考えられない喜べない自分が悲しくなって、ボロボロと泣いてしまいました。そんなことを知らないオットは、私が嬉しくて泣いているんだと思ったようでした。膝をポンポンと叩いて、何も言わずに横に座っていました。注射を続けながら次の診察日を待つことになりました。誰にも言えない気持ちを抱えたまま、毎日を過ごしました。オット以外には、陽性だったことは伝えられませんでした。安定期でないから・初期だから、という理由でなく、伝えて「おめでとう」と言われるのが怖かったからです。数日後、その気持ちを打破する方法はないかと、有名な妊婦さん向けの雑誌を買いました。普通は「やっとこれを買える~~!!」と感慨深く買うのだろうな。 たくさんの妊婦さん・赤ちゃんの写真を眺めてこれは幸せだよ~と自分に言い聞かせてみる…頭の切り替えを図ってみる…自分が情けなくなりました。こんなことをいつまで続けるつもりなんだろう。流されるままに現実を受け止めようとか未来を受け入れよう、なんて、格好つけた言い方をして、実は決心がついていないだけでした。決心することはとても難しいことだったから、それから逃げようとしました。そして結局、やってきた現実を受け止めきれないでアップアップしています。周囲に今の状態を話せば、あきれられてしまう。こんな気持ちは頑張っている治療仲間には絶対に話せません。子どもを望んでいたオットにも話せません。変な言い方だけど、私は私の中で落とし前をつけるしかないのだと思いました。正面から自分の気持ちに向き合うことを避け、いたずらに命を扱った落とし前。やって来てくれた命に申し訳ない、と思いました。再判定が翌日となりました。hcg値が増えていたら、ちゃんと着床して育ってくれていることになります。よい結果だったら、結果を心配してくれている周囲に報告しようと決めました。そしてそれを機に、変われたらと思いました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年06月13日移植終了から3日目。お腹の中に子ども(受精卵)がいる実感のないまま、こてつさんは静かに闘志を燃やします。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。移植から3日目一日が過ぎるのをとても長く感じます。体調等に変化はなし。夫婦生活、下腹部に力を入れるような激しいスポーツなどを避ける以外は普通でいいとのことで、特に何に気をつけるでもなく、いつも通りに過ごしました。もちろん禁酒もちゃんと守っていました(当たり前)。毎日の晩酌が最高の楽しみであった私だったので、アルコールを我慢できるのか、これが最大の心配事でしたが、案外苦ではなく、ルイボスティーをガンガン飲んでしのぐことができました。 お腹の中に子ども(受精卵)がいるということが…信じられませんでした。信じられないので、ドキドキもしないし不安もほとんどありませんでした。つい、愛犬と本気で遊んでしまいそうになり「あ、そうだった…」と思い出す始末。それくらい体には何の変化もありませんでした。注射は近所の産婦人科で打っていました。産婦人科が休診日には、入院病棟の看護師さんに打ってもらいました。入院病棟のある2階に上がるとすぐにベビールームがあり、ホヤホヤと湯気の出そうな赤ちゃんたちが並んでスヤスヤと眠っています。大人はみ~んな、目じりを下げてガラス越しにその列を見つめています。一点の濁りもない幸せな空間。みんなを優しい気持ちにさせる赤ちゃんパワー。いつか自分の赤ちゃんもここに並べてやる~と、静かな誓いを立てながら、その横を通り過ぎます。ベビールームの前で闘志を燃やしているのは、おそらく私だけだったでしょう(笑)。空いている病室を使って注射を打ってもらいました。ここの産婦人科の看護師さんたちは筋肉注射は絶対痛い、と思い込んでいる? ようで(いや、本当に痛いのですが(笑))、私が表情を変えないので「強いですね~」と驚かれました。排卵誘発のときの注射に比べたらかわいいもんです、と答えるとナルホドと納得されていました。病室のベッドでお尻を丸出しにしながら横たわり、いつか自分もここに入院してやる~と、再び静かな誓いを立てます。入院するために闘志を燃やしているのは、おそらく私だけだったでしょう(笑)。予定していた注射が終わりました。両肩、両尻にローテーションで打っていましたが、やはり10日連続だと、段々と皮膚が痛くなりました。打ち身のような青アザができ、動かしたり物が当たると痛みました。そして、判定日がやってきました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年05月23日不妊治療を2005~2008年に受けた中村こてつさんが当時を振り返って綴る治療の体験談です。ついに移植当日。実際の移植の様子や、移植後の生活上の注意事項など、治療はまだまだ続きます。ついに卵を移植「それでは卵を戻していきますよ。」ドクターが言いました。細いチューブを子宮内に差し込み、卵を送り込みます。ものの十数秒だったでしょうか、すぐに終わりました。長い期間かけて作られた卵の移植はあっけないものでした。その後、超音波で移植した卵を確認…のはずが、チューブの中に卵が残っていたらしく、再度注入となりました。(だ、大丈夫…?!)と不安になりましたが、ドクターもスタッフも焦っていなかったので、まぁ大丈夫なんだろうと納得。15分くらいで待合室で待つオットのところへ戻りました。クリニックへ向かう途中、今までのいろんなことを考えてしまい押し黙る私の手をギュッと握ってくれたオット。そんなオットの顔を見て泣きそうになったけれど、こらえます。しばらくすると処置室へ呼ばれ、移植後もずっと続く黄体ホルモンの注射をぷすりと打ちます。黄体ホルモンの投与は、移植前5日間のうち3日間は膣座薬を使用しましたが、どうやら私に合わなかったようです。1日4個の膣座薬を続けるうちに…お股が痒い!!入れた後ドロリと出てくる白い液体にかぶれてしまうようでした。それをドクターに伝えると、10日後の判定日までは毎日注射に通うことになりました。地元の産婦人科クリニックにて打ってもらいます。移植~判定日までの生活この日からお酒も禁止となりました。(名残惜しく、移植直前までガッツリ飲みました(笑))コーヒーも1日1~2杯までと言われました。夫婦生活は子宮が収縮してしまうのでよくないとのことで判定日まではNGだそうです。激しい運動も禁止です。愛犬の散歩は、時折激しくなることがあるので(おもに猫(笑))オットに任せます。重いものは持たないほうがいいので、ゴミ捨てもよろしく。あ、ご飯の準備もついでに…、洗濯物も重いかな…(笑)。こうやって父になる練習をしていかなきゃね。と言うと、「それじゃ父というより、主夫だよね」と言われる。はい、調子に乗りました(笑)。何はともあれ2人でがんばっていこう。オットと決意を新たにしました。今、私はお母さんです。任務期間は10日間となるか、それ以上となるか。判定日を待ちます。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年05月09日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。お休み期間を経て、いよいよい移植へという時に「本当に私は子どもが欲しいの?」そんな心の葛藤が再燃します。本当に私は子どもが欲しいのか?新しい年を迎えました。予定では、1月半ばにリセットし、2月初旬に移植となります。「グレードの良い初期胚盤胞が3個あるので、そのうちの1個を移植することになります。」とドクター。写真を渡されました。凍結した受精卵の写真です。同じく顕微授精をした友人が、受精卵の卵の写真が可愛い! と言っていたので私も楽しみにしていました。が、いざ渡されてみると、その感情は湧かず…。だって、見た目干し梅みたいなのです(笑)(色は違いますが)。移植したら、だんだんと愛おしくなるのでしょうか。しかし、自分も昔はこんな姿だったんだなぁと思うと不思議でなりません。この干し梅が人間の形になっていくんだもんなぁ~。『イノチ』って本当に神秘的。単純に感動し、その日の受診は終了しました。…それから数日後、激しく気持ちが落ち込んでいる自分がいました。受精卵の写真を見たときに、嬉しい! かわいい! という気持ちは全くありませんでした。それに対して「やっぱり私は心底子どもが欲しいわけではないのでは…」という疑問が渦巻いて、そんな気持ちのまま移植を受けるなんて、やはりよくないのではないか…そう思うようになりました。でもこれは私1人の問題ではないし、そうそうゆっくりもしていられない…。ましてや1回で妊娠できると決まっているわけではないのだし…。でも無責任ではないだろうか、子どもに対して。将来、私は本当は欲しくなかったのよ。なんて子育てに対して言い分けを作らないだろうか…。そう考える一方で、何を甘えたことを言っているの? 本当は欲しいくせに。できなかったときのショックを小さくしようと、自分の気持ちをセーブしてるだけでしょう? 怖いだけでしょう? と怒る自分もいました。そうなのかなそうなのかな自分の気持ちが分かりませんでした。みんながいう「理屈じゃない子どもが欲しい気持ち」が私には湧き上がってこない。いや、気持ちはあるけど見ようとしていないのか。もうすぐリセット。そうしたら2月には移植。それまでに自分の気持ちを固めなければいけない…。落ち込んで、憤って、悩んで、焦っていました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年03月07日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談です。卵の移植まで待つ間、図書館で中村さんが手にした1冊は『産まない女」として生きるあなたへ』。産まない女として生きるか採卵後の生理予定日に、しっかり生理がきました。人生の中でイレギュラーな採卵を終えた後だったので、予定通りきたことにホッとしました。年明けの移植についてスケジュールを決める以外は、しばらく治療もお休みです。クリスマスもお正月も、おっと! 結婚記念日も(笑)、気楽な気持ちでのんびり過ごせそうでウキウキしました。読書は好きで、図書館にはよく通っていましたが、不妊治療を始めてからは、それに関する本も読み漁っていました。治療の休憩期間に借りた一冊。『産まない女」として生きるあなたへ』。理由はいろいろあれど、最終的に「産まない」ことを選択した女性が、どのようにして自分の人生を生きていくか。不妊治療後、自分自身もその人生を歩む著者が、多くの女性へのインタビューとともに、それらの人生を輝いて生きるためのプロセスが書いてありました。顕微授精で凍結胚移植を待つ身の私でしたが、なんとなくタイトルに惹かれて手に取りました。私はこの体験記を、当時の日記を読み返しながら書いています。その時に感じたり思ったりしたことを忠実に文字にしています。日記にはこう書いていました。『自分がそうなったときの覚悟?いや、まだそんなことは考えられない。でも、もしかしたらそうなるかもしれないという漠然とした不安はある。今読むのと、自分が決心したときに読むのとでは雲泥の差の感じ方があるかな。とりあえず今の私は、私にできることをやるだけだ。やるだけやったら、どっちに転んでも、自分の答えが見つかるだろう。本の中の女性たちは「あの時こうしていれば…」と悔やんでいる人も少なくない。どれだけ悔やんでも過去はかえられない。自分が後悔しないように。思いっきり、やろう。出来るときに出来る事を。』子どもを産み育てることへの願望が薄いことを悩みながらも始めた不妊治療でしたが、治療が進み、すぐにできるものではないのだという事実を知るごとに、「産めないかもしれない」と考えたときに得体のしれない恐怖も感じていました。この本を読んだ私は、いろんな不安をぶるぶるっとふるい落とし、「今、やるしかないのだ」と改めて気合いを入れたようでした。図書館で借りるときは、本のタイトルとともに貸出日・返却日・利用者番号などを書いた小さなレシートのような紙を渡されます。返却を遅滞しないようにという目的でしょう。この本を読んでいる途中、ひらりとその紙が落ちてきました。私のものではありません。貸出日は去年の同じ頃。借りた本の名前がつらつらと並んでいます。文字数に制限があるらしく、タイトルは途中で切れていましたが、「産まない女」として生・・・あきらめないであなたの・・・大人の刺繍バッグをつく・・・おそらく女性でしょう。私と一緒で不妊の人。『あきらめないであなたの…』の後に続くのはきっと『赤ちゃん』。彼女もまた、産みたい気持ちと産めないかもしれない不安の間で揺れていたのかもしれません。その答えをいろんな情報に求めている。ちくちくとバッグを縫いながら…勝手にそんな想像をしていました。自分の人生なのだから自分で決めていい。決めていいはずなのに、どうして思い描いたとおりに進むことが難しいのでしょう。子どもを持つ持たないに関しては、特に。それとも人生は誰かに与えられるものなのでしょうか。神様の領域なのでしょうか。あの女性が今、どの人生であっても幸せであってほしい、そう思いました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月21日結婚して、子どもを望み、子作り(妊活)すれば子どもはできる。多くの女性が、それも若ければ若いほどそう思っているのではないでしょうか? 私もそうでした。でも、現実はそうでないこともあるのです。20代で始まった私の不妊治療をお伝えしようと思います。文・mimi【20代からはじまった不妊治療】vol. 4(最終回)タイミングと体外受精、努力は報われない前回までのお話はこちらをどうぞ。クリニックでタイミング法をしてもらうも、一度も妊娠することがなかったので20代最後の29歳から再びKクリニックで体外受精にトライすることにしました。このころは生理がくるたびに、ヒステリックをおこし心身共に疲弊しきっていました。仕事はやめずに働きながら治療をすることにしました。不妊治療はなんとなくスケジュールが予想できるものの、病院が指定する日時は絶対です(●月●日朝●時と指定されます)。その度に、遅刻・早退をしなければなりません。毎回仕事が休みの日であればよいのですが、そううまいこといきません。自分が不妊治療をしていることをカミングアウトしたくありませんでしたが、上司に報告し、通院の際に遅刻早退しながら治療を続けました。私の仕事は担当制の事務職で早退や遅刻しなければならない日の前後に早出・残業することで周りのメンバーへの負担は最小限に抑えることができました。また周りからの、なんであの人はいつも特別に遅刻早退しているのだろう?という疑問も公表することでモヤモヤは少なかったと思います。3回目の移植で、妊娠結果8回採卵をし、ありがたいことに3回目の移植で子どもを授かることができました(受精卵を体にもどす移植は無痛です)。治療費は100万円を軽く超え、金銭的にも辛いので移植は一年に3回までと決めていた中での妊娠でした。不妊治療は妊娠というゴールに向かって進もうとしても何度も「ふりだしにもどる」でスタート地点に突き返される感覚でした。妊娠がわかった後、嬉しい気持ちとともにいつふりだしに戻されるかわからない恐怖が無事に出産できるまで常にありました。20代で不妊ということは、おそらく稀なほうではないかと思います。でも思えば結婚前、万が一子どもができてもいいよね!ということで避妊していませんでした。しかし妊娠することはありませんでした。もしかしたら私は結婚前から「不妊」だったのかもしれません。誰もがみな母親から生まれてきているので、女性は小さい頃から当たり前のように「大きくなったら私も子どもを産むんだ!」と思っている方が多いと思います。あの頃はいとも簡単に妊娠できる、なんなら赤ちゃんはコウノトリが運んでくると思っていたのではないでしょうか? だから自分が「不妊症」ということがわかったら、幼い頃から信じてきたことが覆されるからショックが大きいのだと思います。妊娠って奇跡の結晶です。「妊娠できなくてかわいそう」と思っているのは自分だけ生理が来ている=妊娠できるというわけではありません。子どもが欲しいけどなかなかできない。でも生理が来ているから大丈夫なんて思ったら、一度病院にいって検査をしてほしいです。問題がなければそれでよし、万が一問題があってもきっと解決策があります。また、不妊治療はひとりで抱え込まないが鉄則です。私は殻に閉じこもりがちで自分自身のことを「不妊治療をしている私ってとってもかわいそう」と思っていました。しかし治療を終え「かわいそう」と思っていたのは自分だけだと思いました。本当にあなたのことを想ってくれる人であれば全力で応援してくれるはずです。実際に心無い言動で傷ついたこともありました。だけど、そういう人はもう金輪際関わらなければよいんです。人間関係の断捨離をしました。まだ30数年しか生きていませんが、20代で不妊治療を経験し、自分の努力だけではどうにもならないことがあるのを痛感しました。#体にいいコト 記事を、もっとみる。#恋愛 記事、#占い 記事、#セックス 記事も読んでみる。※ 【恐怖! 年々目立つ…】毛穴、たるみ、くすみ。肌トラブル対策を教えて!(C)poplasen/Gettyimages(C)Marjan_Apostolovic/Gettyimages(C)paylessimages/Gettyimages(C)shapecharge/Gettyimages
2018年02月06日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。いよいよお腹から卵子を取り出す採卵の様子についてです。身体的にも痛いその治療は、実に懐にも大変痛かった…という後の費用のお話も…。卵はいくつ採れたかな?下半身を丸出しにして、大股を開いています。これから、卵巣内で育てた約30個の卵を採卵します。何度も卵巣に針を刺す…その想像だけでかなりドキドキしています。まず3回ほど子宮内を消毒しました。その後、膣内に局所麻酔を施します。この工程も地味に痛いけれど、まだ我慢できる痛みです。いよいよ針の挿入です。…くぅ、なんのこれしき…。歯を食いしばります。超音波によって、画面に卵巣の様子が映されています。もう一つの画面には、採った卵を入れる培養液の入ったシャーレが映っています。針が卵胞をググッと押してプシュッと入ります。プシュッと卵胞に針が刺さる瞬間はお腹の中でも感じました。針先から卵胞内の液ごと卵子が吸い込まれ、卵胞はしゅるるると小さくしぼみました。吸い込んだ卵子はシャーレに移されます。モヤモヤとした液体の中に包まれた白い丸い小さな点。「あれが私の子ども…」単純に思いました。こんな時期から顔を合わせることができるなんて、すごいなぁって。君が卵の頃から知ってるんだよ、なんて子どもに話すときがくるのかな。何個か吸った後、角度を変えるため、ドクターが針を動かしました。「ヴ~~~×△×、い、痛い~!」でも痛いって言ってもヤメてもらえるわけもなく(笑)、我慢です。手術室内に流れるBGM(平井堅さんでした)に耳を傾けたりして、痛みを無視…できるわけもなく、ただただ歯を食いしばり堪えました。20分くらい経ったでしょうか、採卵が終了しました。消毒して、2分ほど横になります。看護師さんに「休んでいきますか?」と聞かれましたが、そんなに痛みを感じなかったので大丈夫です。とすぐに着替えて、待合室で待つオットの元へ戻りました。しかし、ドクターの説明を待つ間、段々とお腹に痛みを感じ始めました。診察室に呼ばれ、ドクターから説明を受けます。「卵は20個採れました。OHSSを防ぐために、未熟な卵もあえて採りました。ですので、20個全てが受精卵になることはないでしょう。また、ご主人の精子の値が30%台とよくありませんでした。数次第では顕微授精(ICSI)にするかもしれません。」顕微授精とは、顕微鏡で見ながら卵子のなかに精子を針で直接注入し授精させる方法です。まだ不妊治療について知識が全くない頃、よくイメージしていた『卵子に針がプスッと刺さる…』あの映像。体外受精は、卵子に精子を振りかけて自然に受精するのを待ちますが、顕微授精は人工的に授精を行うため、受精が成功する確率は高いとのこと…。というような内容でした…が、そんな話も遠くに聞こえるほど、お腹が痛い…。前屈みになって、苦悶の表情を浮かべる私に気付いたドクターから指示が出て、また安静室に戻り、1時間ほど休むことになりました。オットも傍らに付き添ってくれました。痛いのと、終わってホッとしたのと、オットがいてくれる安心感で、涙が二つ、ポロリポロリと落ちました。休んだおかげで、お腹の痛みはだいぶましになりました。この日のお会計、約199,000円。私の通っていたクリニックでは、採卵数により金額が加算されるシステムで、たくさん卵が採れた私は基本料金より5万円ほど金額が高くなっていました。数字を見て、また涙が出そうになりました(笑)。帰宅し、クリニックから電話がありました。結局、全て顕微授精になったとのこと。顕微授精の基本料金が約5万円が上乗せになりました。く、苦しい。お腹も痛いけど、財布も痛い…。でも、凍結卵があれば、次回からの移植は、排卵誘発も採卵もしなくていいのです。その分の体と金額の負担はないので、ヨシとしよう。と自分を納得させました。受精したかどうかの結果は翌日分かります。培養士さんから電話がかかってくることになっています。たくさん受精してくれますように…。今のところ、野球チームもサッカーチームも作れるね、とオットと笑いました。翌日、受精確認の電話がきました。採卵した20個のうち、成熟卵が17個。そのうち受精したのが13個とのことでした。これから5日間かけて胚盤胞まで培養するそうです。胚盤胞まで培養すると良質な胚を選定でき、初期胚よりも着床率は高くなるとのこと。受精した卵は、分裂を繰り返し胚盤胞の状態になって子宮内に着床します。その状態まで体外で培養することで、卵が自力で成長する期間が短くてすむメリットもあるようです。胚盤胞になる確率は全体の5~6割程度とのこと。ということは6~7個移植できるのね…。じゃあ…バレーチームかぁ(笑)実感の湧かない私たちは、のほほんとこんな皮算用をしてこの時期を過ごしていました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月24日結婚して、子どもを望み、子作り(妊活)すれば子どもはできる。多くの女性が、それも若ければ若いほどそう思っているのではないでしょうか? 私もそうでした。でも、現実はそうでないこともあるのです。20代で始まった私の不妊治療をお伝えしようと思います。文・mimi【20代からはじまった不妊治療】vol. 2認めたくなかった「不妊」前回の記事はこちらをどうぞ。不妊専門の病院で20代で「不妊」のレッテルを貼られた私。医師によっていろいろと考え方はあるようですが、生理周期が35日ということは、排卵日がだいたい生理21日前後と推定され卵子の質がよくないとのことでした。またホルモン値については、全てにおいてあまりよくなかったのですが、体の中にあとどのくらい卵子が残っているかを示すAMHというホルモンの値がなんと40代半ばの数値でした。女性は生まれながらに卵子の数が決まっていて、加齢とともに減少していくのですが、私の卵子は20代後半にして卵子の数は残りわずかなものでした。どうしてこうなったのか、原因は不明です。それなのに自分が「不妊」であることを信じられない、認めたくない、という気持ちでいっぱいでした。でも、やっぱり子どもは欲しい。そしてこのモヤモヤした状態から早く抜け出したいと思っていました。夫婦の決断は「体外受精」不妊治療は次のような方法があります。STEP1タイミング法排卵誘発剤を服用しエコーでタイミングを指導してもらう。費用は1回あたり数千円。レディースクリニック・婦人科等で診察可能。STEP2人工授精採精し、排卵しそうなタイミングで体に精子を戻す。費用は1回あたり3万円前後。STEP3体外受精採精&採卵し、受精卵になったものを体に戻す。費用は1回あたり数十万円。このようにステップアップしていきます。徐々に進めてもいいし、STEP1からSTEP3にいってもよいし、いきなりSTEP3にしてもいいのです。私はすでにタイミング法を試しており、人工授精も厳しいと言われていたので体外受精をすることになりました。「とりあえず」と簡単にできる治療ではありません。膨大なお金がかかります。でも子どもを授かるためなら……という思いでチャレンジすることにしました。一刻も早く妊娠することだけが目標でした。私が行った体外受精のざっくりとした流れは、排卵誘発剤で排卵を誘発し、排卵する前に採卵し、精子と受精させて培養し、その受精卵を再び体に戻す(移植する)というものでした。不安もありましたが、体外受精をすれば妊娠に近づけると心の中では大いに期待をしていました。妊娠してもしなくても膨大な費用がかかるので、ある意味ギャンブルです。体に異変! 救急車で搬送しかし、初めての体外受精で使用した排卵誘発剤は今まで服用していたものと異なり、副作用で倒れてしまったのです。朝食後薬を飲んで会社へ行き、業務をこなしていたのですが、夕方ごろ急激にだるくなったのです。軽い貧血かな?と思ったのですが、ちょっと様子がおかしく医務室で休むことにしました。一時間ほど眠り、目が覚めたら心臓が異常にバクバクします。初めての経験でした。もう少し休んだら治るかな?と思い横になってもバクバクは治らず、救急車で運ばれました。脈拍は130を超え、救急車の中では何度もアラート音がなりました。病院に到着し検査をした結果心臓には異常なく、血液検査で肝臓の数値が異常に高く、排卵誘発剤を服用したことが原因とわかりました。点滴をして、体調が少し落ち着いたところで、迎えに来てくれた主人と家へ帰りました。初めてトライ。結果は……Kクリニックに連絡をするとすぐに薬の服用中止が指示されました。このタイミングは諦めて次月に別の排卵誘発剤で体外受精をするという選択肢もありましたが、生理は来ているから排卵はするだろうと夫婦で判断し、そのまま体外受精を進めることにしました。とにかく早く妊娠したかったのです。そして、いよいよ初めての採卵の日。緊張しながらも、妊娠に一歩近づけるという期待を胸に夫婦で病院に行きました。採卵は膣の中に器具をいれ、卵胞に針をさして卵胞液を吸うという方法です。Kクリニックでは採卵は無麻酔で行われます。10数台ある採卵のための待合ベッドは全てカーテンで閉められ、呼ばれるとひとりずつ歩いて手術室へ向かいます。手術室の中は薄暗く、その真ん中に内診台のような手術台がありました。手術台に乗ったら足を広げ、動かないようにベルトで巻かれて、消毒、採卵、消毒という流れです。カチャンカチャンという金属機器の音が怖く、採卵の痛みは我慢できるとはいえ体の中を針で刺されているので気持ちが悪い痛みです。採卵数にもよりますがだいたい5分程度。意識があり、嫌な痛みがあるので長く感じます。初めての採卵後、痛くて辛かったけどまた妊娠に一歩近づけた! 次は移植だ! とベッドで休みながら期待していたら看護師さんがやって来て紙を渡されました。「今回の採卵数は0です。」救急車で運ばれて、痛い思いをしたのに採卵数ゼロって……。次に進めるという期待から我慢できていた痛みが我慢できなくなりました。そして、早朝から一緒に来てくれた主人に申し訳ない、どんな顔をあわせれば良いのか、私たちには子どもができるのか……。不安になってきてベッドの上で泣いてしまいました。意を決して体外受精をすることに決めたものの、その前段階の採卵さえできず、初めての体外受精ではいきなり奈落の底に突き落とされたのでした。#体にいいコト 記事を、もっとみる。#恋愛 記事、#占い 記事、#セックス 記事も読んでみる。※ 【恐怖! 年々目立つ…】毛穴、たるみ、くすみ。肌トラブル対策を教えて!(C)bee32/Gettyimages(C)HPCPHOTO/Gettyimages(C)Hin255/Gettyimages
2018年01月23日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。お腹の中で卵子を育てるために定期的に注射を続けるこてつさん。はたしてその結果とは…。お腹の卵は何パック?卵を育てるため、激痛の注射を打ちました。妊婦さんに囲まれながら、地元の産婦人科に通い、毎日打ち続けました。たくさんの卵が順調に育っているのか、お腹が張ってくるのを感じます。7日目、クリニックで超音波検査をしました。卵胞(卵子の入っている袋)の数は左右合わせて約30個ありました。そりゃ、お腹も張るわ。大きい卵胞で18mm程度になっていました。OHSS(卵巣過剰刺激症候群)の可能性も?採血の結果、2日後に採卵が決定しました。その後、看護師・培養士より説明を受けました。オットの精子は、人工授精のときと同じく自宅で採取します。てっきり病院で活きのいい精子を採るもんだと思っていたので拍子抜けしました。男性は、こんなときぐらいしか治療に関わっていると実感できる時はないのに、なんだか悔しくなりました。いやいや、採卵の日は、会社を休んで付き添ってくれるというオットです。ありがとうと言わねば(笑)。培養士によると、今回の私の場合、OHSSになる確立は高いとのこと。〔OHSS(卵巣過剰刺激症候群):卵巣が腫れたり、同時に排卵することで腹水がたまったり、重症になると胸水も溜まる。血液濃度が濃くなって、血栓(脳梗塞などの心配)ができやすい。※医者より説明された内容で筆者が記憶しているものです。〕30個近くの卵は採卵で全て採るわけではなく、未熟なものはそのまま残します。その残した卵が後々、排卵したりして腹水が溜まることがあるそうです。治療仲間で20個採卵した人はOHSSになった話も聞いていたので、ドキドキしてきました。そして採卵は、卵の数が多ければ多いほど時間もかかるし、角度を変えるため何度も針を刺し直すそうです。膣壁には局所麻酔をするけれど、卵巣には麻酔ができない…ということで痛いらしい。うーん、うーん。怖いよう。怖さから、オットへの恨み節が再燃しました。(笑)その日の夜、地元の産婦人科にて排卵させるための注射を打ちました。いよいよ採卵当日採卵日当日になりました。朝6時半に起床。採精のため、オットを一人寝室に残し、シャワーを浴びました。無事にオットの精子、確保。痛み止めの坐薬を入れて、クリニックへ向かいました。クリニックに到着後、ほどなくして看護師さんに呼ばれました。安静室と呼ばれる部屋で血圧を測定後、下半身裸になり、上から手術着を着用しました。歩いて隣の手術室へ移動します。足を台に乗せ、大股開きになります。普段の診察はカーテンがあるのに今日はありません。ドクターの顔が股越しに見えます。そして私のお股にはスポットライトが。…なかなか、いや、かなり恥ずかしかったです。いよいよ採卵が始まります。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月10日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届けします。卵を大きく育てるための注射を定期的に打たなければいけないこてつさん。どうやら、その注射はとっても痛いらしいのです。妊娠するための試練!? 恐怖の注射卵巣嚢腫も問題ないとされ、その日から点鼻スプレーを始めることになりました。卵の発育を均一にするのと、自然に排卵しないように抑制するために使用するそうです。朝・昼・夜の3回。だいたい8時間おきに鼻にスプレーの先を差し込んでプシュッと投薬します。プールで鼻に水が入ったときのつーんという感じと、苦い味がして、美味しくはなかったです(笑)。これもピル同様、携帯にアラームをかけて投薬忘れを防止しました。ピルを予定日数飲み終わると3~4日で生理がきます。その後、7~10日間、卵を大きく育てるための注射が始まります。この注射については前々から恐怖を感じていました。なぜなら、経験者の友人みんなに「痛いよ~」と脅されていたからです(笑)。誰一人「痛くないよ」とは言ってくれません。みんな「痛いけど頑張ってね」と応援してくれるので、ビクビクしていました。 生理が来ました。生理5日目から注射が始まりました。採血後、処置室に入ると、初めての看護師さんでさらに不安になります。(これまでの経験で、痛みは看護師さんでも違うのではと疑っていました(笑)。)どこにしますか~と聞かれて、迷ったあげく右尻をチョイスしました。頭の中で「超痛いよ~ぉぉぉ!」という誰かの言葉がリフレインします。「刺しますね♪」と看護師さん。いちいち言わないでいいよぉ~(涙)。ブスッ。「(注射液を)入れますね♪」と看護師さん。だから、いちいち言わないでいいよぅ~(涙)。液が入ってくると、じわじわと痛みが大きくなってきて、ぬうぉぉ!痛い!!本当に一瞬、クラッと気が遠くなりました。でも、これで質のいい卵がたくさんできるのだから…我慢我慢。この注射があと7~10回あるのね…ふごーーっ(痛みでおかしくなりました(笑))。クリニックへは高速を使って1時間半かかります。毎日通うのは困難な場合、地元の産婦人科でも注射できると言われました。地元の産婦人科なら車で10分弱です。絶対楽に決まっています。でも、産婦人科。…妊婦さんいっぱい。落ち込まない自信があるだろうか、私…。知らない病院・先生よりいつものクリニックのほうが絶対リラックスできるだろうなぁ。体の楽をとるか、心の楽をとるか…。が、ドクターに「注射だけのために遠くからくるなんてもったいないよ」とバッサリ切られ、翌日からの注射は地元の産婦人科で受けることになりました。そうだよね、自分の体が疲れちゃ何にもならないものね。妊婦さんの妊娠菌を吸い尽くすくらいの勢い(笑)で行こう。翌日からは、左右の腕・お尻、と場所を変えながら打ちました。注射後はよく揉まないと、後にがちがちに硬くなってしいます。なので待合室には腕を揉みまくる女性たちがよく見られました。そしてどんなに揉んでも打ち身のような痛みは残ります。そこにまた翌日注射針を刺すのは辛すぎる…ということで私はそうしていました。クリニックの帰りに、腹巻を購入しました。薄手なので普段の服の下にも着られます。カイロを入れるポッケ付きです。「移植したら、着よう。」辛い治療を頑張ったら、その見返りは当然あるような気がして、いつのまにか体外受精を楽しみにしている自分がいました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2017年12月20日CURUCURUが運営するWebメディア「妊活ボイス」はこのほど、「妊活・不妊治療」に関する調査結果を明らかにした。同調査は10月11日~30日、10年以内に妊活経験のある20~49歳までの女性300名を対象にインターネットで実施したもの。妊活全般にかかった費用を尋ねたところ、全体の平均は約35万円だった。ただし、人工授精・体外受精・顕微授精のいずれかを経験した人に限定すると、平均費用は約134万円まで上昇した。また、不妊治療の中でも高額となる高度不妊治療(体外受精・顕微授精)の経験者だけに絞ると、その治療費の平均は193万円となった。中には「300万円以上」という回答も16.1%あった。妊活費用の捻出方法について聞くと、56.0%は「夫婦の収入・貯金」と回答した。「夫のみの収入・貯金」(23.7%)、「自分のみの収入・貯金」(20.0%)も多い。一方、「親などからの援助」は5.3%にとどまった。高度不妊治療に進むにあたり金銭面はネックとなったか尋ねたところ、高度不妊治療経験者の62.0%が「ネックになった」と回答した。「ネックとなった」と回答した人に、料金が安かった場合、高度不妊治療に変化があったか尋ねると、53.3%が「もっと早く治療に進んだ」、35.6%が「治療の回数が増えた」と回答した。自由回答には「少子化と言われている日本だからこそ、妊活にかかる費用の助成などをもっと大々的にやってもらいたい」(30代前半)など国の助成金制度の拡充を求める声のほか、「保険適応にしてもらいたい」(20代後半)といった保険内診療を求める声も多かった。病院の利用タイミングについて聞くと、48.7%が「すぐに通えば良かった(18.7%)」「もう少し早く通えば良かった」(30.0%)と受診のタイミングが遅かったと感じていることがわかった。病院・クリニック選びで重視したことを聞くと、「アクセス」(53.4%)、「口コミ」(51.4%)、「先生・スタッフの雰囲気」(40.9%)が上位を占めた。病院・クリニックを変えた人にその理由を尋ねると、「良い結果が出なかった」(36.5%)、「治療内容を変えるため」(34.9%)、「先生と合わなかった」(30.2%)が多くなっている。病院・クリニック受診者の転院回数を見ると、全体では約30%であるのに対し、高度不妊治療の経験者では、64.5%と3人に2人が転院を経験している。また、約4人に1人は3軒以上のクリニックに通院していることもわかった。
2017年12月06日不妊治療を体外受精にステップアップする中村こてつさん。2ヶ月間、治療をお休みし充電期間を経て、いよいよ体外受精編の開始です。2005-8年の体験記になります。体外受精はじめましたタイミング療法→人工授精→体外受精と、不妊治療のお手本のように順調にステップアップしてしまいました。しかし、ここまで来たら後には引けません。2ヶ月間、治療をお休みして、心も身体もパワーはみなぎっています。9月末、生理開始。さあ、いよいよ体外受精、始動です!体外受精とは、卵巣から取り出した卵子を体外で受精(シャーレに入った卵子に精子をふりかける)させ、その受精卵を培養した後に子宮に戻す治療方法です。まず、採卵のための準備として、生理3日目から、低用量ピルを服用することになりました。避妊に使われるイメージの強いピルですが、不妊治療では卵巣の地ならし用な役割で、あとあと卵の質を均一にするために使用するそうです。飲み始めると高温期に入り、しばらくすると出血もなくなりました。ピル服用中は、飲酒も運動も性交も問題ないとのこと。(飲酒してよいかはいつも必ず聞いていた私です(笑))ただ飲み忘れは要注意です。生理が始まってしまいます。晩ご飯~就寝の間に1錠ずつ。14日間飲み続けます。飲み忘れてしまった場合は翌朝に飲んで、その日の夜にまた1錠。薬の飲み忘れをよくやってしまう私なので、携帯にアラームをセットして臨みました。薬の副作用は個人差があると思いますが、私の場合、飲み始めて1週間ほどは眠気との闘いでした。とにかく眠くて眠くて、無職でしたので一日中ゴロゴロしていました。あ、ゴロゴロしているのはいつものことでした(笑)。ピル服用12日目にクリニックで卵巣の状態をチェックしました。左の卵巣、何も無くキレイ。右の卵巣、ん?と私でも分かるくらいの丸い卵胞のようなものが一つ…。「卵巣嚢腫があるね~」と小さくつぶやくドクター。その前日に図書館で借りた不妊体験本で「卵巣嚢腫で手術~ほにゃらら」という文言を見たばかり。の、のうしゅ!? 今、嚢腫って言った? 先生。聞きなおしたいけれど怖くて聞けません。それがあるとまずいんですか? とだけやっと聞くと「まぁ多分、水が入ってるんじゃないかな」との的を得ていない返事。ドクター曰く、卵巣にできる腫瘍の9割以上が良性腫瘍であり、良性腫瘍の中で一番多いのが、卵巣嚢腫だそう。分泌物などがたまってできる袋状のものとのこと。一番最初の診察での超音波画像にも写っているから、普段から常にあるものではないかと言われました。念のため、ピルを1週間延長して経過を見ることになりました。1週間ずれるってことは、採卵日は11月初め。体外受精が始まるまでは、日にちが遅く進めばいいなんて思っていたけれど、いざ始まってしまうと、順調に進まないことにモヤモヤします。ピル服用19日目、再びクリニックへ。前回、経過を見ることになった卵巣嚢腫は今回も見えました。大きさは変わらず。やはり水の入った袋、水ぶくれみたいな感じでしょうねとドクター。これがあっても特に体外受精に問題はないとのことでした。ホッとしました。これからもずっと卵巣内にあるんですか? と聞くと「採卵のときに針刺しちゃうから、一時的に小さくなるかもしれないけれど(多分ずっとある)」とのこと。その言葉に改めて、「そうだった、卵巣に針刺すんだよな~」とドキリとしました。痛そうなのでなるべく考えないようにしていたのですが…。ギョッとしたり、モヤモヤしたり、ホッしたかと思えばドキリとしたり、体外受精に向け、心が忙しいです。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年12月06日岡山大学は6月22日、体外で生体組織成長を促進するゲル材料の開発に成功したと発表した。同成果は岡山大学大学院医歯薬学総合研究科(歯)生体材料学分野の松本卓也教授、武田宏明助教らの研究グループによるもので、同日付の英科学誌「Scientific Reports」に掲載された。移植細胞などを用いて体内で生体組織を再生し、失われた機能を回復するためには、細胞移植後、長期にわたる組織再生時間が必要となる。三次元の移植可能な生体組織を体外で作る試みもあるが、こちらも組織成長に時間を要するという課題がある。同研究では、生体組織が成長する環境を、生体親和性が高い生体材料(バイオマテリアル)を用いて体外で実現することに着手。唾液腺組織や肺、腎臓などの組織形成時に重要な働きを示すフィブロネクチンというタンパク質に着目し、細胞接着性ペプチド(RGD)を固定化した糖系ハイドロゲルシートの開発に成功した。同シート上でマウスから取り出した唾液腺組織を培養したところ、普通の状態よりも約6倍成長が促進することを確認した。同研究グループは「RGDペプチドは細胞接着性を高め、細胞の生存性を高めることが知られており、細胞培養器材や移植材料として研究利用されています。本材料は、体外での移植可能な生体組織作製の実現を加速する基盤材料になると大いに期待されます。」とコメントしている。
2015年06月23日放射線医学総合研究所(放医研)は4月8日、マウスの凍結受精卵を米SpaceXのドラゴン補給船に載せて、4月13日に宇宙ステーション(ISS)に向けて打ち上げると発表した。同実験は、宇宙放射線被ばくによる発がんと次世代への影響を調査する目的で行われるもので、ISSの日本実験棟「きぼう」でマウスの凍結受精卵を約6カ月間保管する。地上に戻した後、融解した受精卵を仮親に移植して個体を発生させ、寿命や発がん、遺伝子変異を調査する。打ち上げられる受精卵は、遺伝的に放射線感受性の高いマウス、がんになりやすいマウス、遺伝子突然変異解析用マウス、遺伝子の変異を持たない普通のマウスなどさまざまな系統のマウスのものを用いる。放射線感受性の高いマウスやDNA修復欠損マウスの受精卵を発生させた宇宙マウスでは、地上マウスに比べて個体発生率の低下、寿命短縮、発がん率の増加及び宇宙放射線特有の遺伝子変異などが観察される可能性があるという。放医研は、長期宇宙滞在による宇宙放射線の哺乳動物への影響に関する知見を活用し、将来の有人宇宙探査における放射線防護のための基礎データを提供し、リスク評価や防護基準の策定に貢献していくとしている。
2015年04月08日テルモは2月6日、心停止時の緊急心肺蘇生などに使われるPCPS(経皮的心肺補助)システムの体外循環装置用遠心ポンプ駆動装置「キャピオックス遠心ポンプコントローラー SP-200(通称:NEO)」を国内の医療機関向けに販売を開始したと発表した。同製品は、1994年から販売していた従来機に比べ、大画面タッチパネルを搭載し視認性と操作性を向上させた他、重量を14kgから8kgに軽量化している。さらに、流量センサはトランジットタイム方式を採用しており、従来の専用コネクタを不要にした。なお、希望小売価格はシステムで1240万円(税抜き)から。
2015年02月10日武蔵野銀行は16日、地域社会への貢献を目的として、創業60周年を機に19日から2013年1月中旬にかけて全店(93か店)のロビーにAED(自動体外式除細動器)を設置すると発表した。来店した顧客に万が一の事態(心肺停止など)が発生した場合に、迅速かつ効果的な救命措置を行うため、全営業店のロビーにAED(自動体外式除細動器)を設置する。緊急事態が発生した場合に適切な対応ができるよう、設置時に営業店の全行員(臨時従業員を含む)を対象に講習を実施するほか、消防局による普通救命講習の開催を予定しているという。同行では、これまでも認知症サポーターの全店配置やコミュニケーションボードの活用などを実施していたが、今後とも地域の顧客に安心して利用してもらえるようサービスの拡充に努めていくとしている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月20日