20th Centuryの坂本昌行が、ミュージカル『三銃士』の主演を務めることが26日、明らかになった。○■2004年に製作されたミュージカル『三銃士』主演に坂本昌行同作は19世紀フランスの作家であるアレクサンドル・デュマによる小説のミュージカル作。ブロードウェイやフランス、オランダなど、世界各国でミュージカル化されてきたが、今作は2004年にチェコで製作された後、2009年に韓国で脚本や楽曲を大幅にリニューアルされ、再演が繰り返されている人気作品だ。演出を手掛けるのは、『THE BOY FROM OZ』、日本版『ロックオペラ モーツァルト』、『スパイダーマン:ターン・オフ・ザ・ダーク』で知られるフィリップ・マッキンリー。『三銃士』定番の、憧れの銃士を目指すダルタニャンの成長と恋の物語だけでなく、三銃士のリーダー格であるアトスにも焦点を当て、かつての恋人との間で揺れる愛憎や、ダルタニャンの亡き父を通してアトスとダルタニャンの絆を描き出す。スペクタクルな「冒険活劇」の要素はそのままに、登場人物たちの心理描写に深みを与えた新しいミュージカルに。また本作では、メインテーマ曲としてブライアン・アダムスの「All For Love」が用いられる。本曲は、ブライアン・アダムス、ロッド・スチュワート、スティングの3人が“三銃士”として歌い、世界中で大ヒットした名曲で、時代を超えて息づく、「人間ドラマ」を前面に打ち出したミュージカルとなる。剣の腕前に優れた三銃士のリーダー格、アトスを演じるのは坂本昌行。銃士になることを夢見て田舎町からパリへ出てきた青年ダルタニャンに末澤誠也(Aぇ! group)、ダルタニャンと恋に落ちる純真な娘コンスタンスに屋比久知奈、三銃士の一人で仲間思いのアラミスに上口耕平、同じく三銃士の一人で元海賊であり腕力に自信があるポルトスに原田優一、銃士隊と敵対する枢機卿の親衛隊長ジュサックに上山竜治、枢機卿の腹心として暗躍し悪女と噂されるミレディにシルビア・グラブ、そして国王を追い出しフランスの全権を掌握しようと企てる枢機卿リシュリューに今井清隆と、個性豊かな俳優陣が集結した。東京公演は日生劇場にて9月8日~28日、広島公演は広島文化学園 HBG ホールにて10月4日~6日、大阪公演はSkyシアターMBSにて10月18日~27日。○■演出:フィリップ・マッキンリー コメント今回『三銃士』の演出家としてまた来日することができ、大変光栄です。作品に対する私のクリエイティブなビジョンを、情熱を持って受け入れそして支えてくださる製作陣に恵まれたことは、本当に幸運です。愛、名誉、そして「正義のために」を伝える不変の冒険物語に私は深く共鳴しており、この作品を素晴らしいキャスト、クリエイター、スタッフ達と作れる機会は格別です。私が思い描く『三銃士』をお届けするために、日本はいつもクリエイティブな情熱とコラボレーションに敬意を表してくれ、理想的な環境を与えてくれています。この冒険物語をお楽しみください!○■坂本昌行 コメント日本で何度も上演されている名作『三銃士』に参加出来る事を心から嬉しく思います。また『THE BOY FROM OZ』でお世話になった演出家のフィリップさんを始め、今井さん・シルビアさん・末澤君など共演した事のある方々で、お互いに刺激し合いながら楽しい稽古になると思いますし、新たな『三銃士』を創りあげていきたいと思います。それを大好きな日生劇場で公演出来る事も喜びの一つです。さて、どんな作品に仕上がるのか今から僕自身も非常に楽しみです。○■末澤誠也 コメントAぇ! groupの末澤誠也です。演出のフィリップさんとは『THE BOY FROM OZ』でお世話になり、稽古から熱くご指導してくださったので、今回もご一緒させていただけることを嬉しく光栄に思います。坂本くんともまたご一緒出来て、作品を作り上げられるのが楽しみで仕方ないです!『三銃士』は映画を見たことがあり、ストーリー展開もアクションも見応えがあったので、ミュージカルでどのような演出でストーリーが進んでいくのか今から楽しみでワクワクしています。純粋で正義感が強いダルタニャンが三銃士と出会ってどのように成長していくのか、またコンスタンスとの甘酸っぱい恋愛やアトスとの絆、色んなダルタニャンをみなさんに見て楽しんでいただけるように精進したいと思います。劇場でお待ちしております。【編集部MEMO】ミュージカル『三銃士』ストーリー17世紀、フランスは揺れていた。国王ルイ13世を守る近衛銃士隊と、政治の実権を握るリシュリュー枢機卿直属の親衛隊との間で争いが絶えず、アトス(坂本昌行)は、国王を守る銃士の一人としてその渦中にいた。亡き父と同じ銃士になることを夢見て、田舎町からパリへと出てきたダルタニャン(末澤誠也)は、三銃士を率いるアトスに続き、アラミス(上口耕平)、ポルトス(原田優一)と次々に出会うが、ガキとからかわれたことに腹を立て、それぞれに決闘を申し込む。その騒ぎの中、目の前に美しいコンスタンス(屋比久知奈)が現れ、ダルタニャンは一目で恋に落ちる。いざ決闘の時、リシュリュー卿の親衛隊長ジュサック(上山竜治)が法律違反を名目に、4人を逮捕しにやってくる。三銃士とダルタニャンは親衛隊相手に共に戦い、見事に勝利、コンスタンスの宿屋で祝杯をあげる。仲も深まる中、アトスはダルタニャンの父が自分の師であることに気づくのだった。宴の最中、突然コンスタンスが何者かにさらわれてしまう。さらったのは国王と対立するリシュリュー卿の腹心となり暗躍するミレディ(シルビア・グラブ)。かつて恋人であったアトスは複雑な心境でいた……。一方で、国王が行方不明になったことが発覚。リシュリュー卿(今井清隆)が、国家を揺るがす陰謀を企てていたのだった。果たして、アトスとミレディの行く末は?ダルタニャンと三銃士はコンスタンスと国王を連れ戻すことができるのか――。
2024年04月26日ロックバンド・ゆらゆら帝国の元ベーシスト・亀川千代さんが7日に死去した。54歳。同バンドでともに活動した坂本慎太郎が9日、Xを通じ、亀川さんの家族のコメントを掲載した。坂本は「初めて会った時は19歳だった亀川くん僕とバンドを組んでくれてありがとう最高のベーシストでした安らかに」と悼んだ。併せて家族の書面を掲載。「亀川千代はかねてより病気療養中のところ去る四月七日に五十四歳にて永眠いたしました」と報告。「葬儀は故人の生前の意向により近親者のみにて執り行いました今まで応援してくださった皆様お世話になった関係者の皆様本当にありがとうございました」と感謝をつづった。ゆらゆら帝国は、1989年 リーダーの坂本(Vo&G)と亀川さん(B)を中心に東京で結成。メンバー変更を経て、1997年に柴田一郎(Ds)が加入して3ピースバンドとなり、国内外で精力的に活動。2009年に結成20周年を迎え、東京・日比谷野外音楽堂で『20th Anniversary LIVE 2009 in YAON』を開催。ライブパフォーマンスとしては、同年12月に東京・恵比寿LIQUIDROOMで行った『ゆらゆら帝国LIVE2009.FINAL』を最後に、10年3月末に解散を発表した。
2024年04月09日キジマ タカユキ(KIJIMA TAKAYUKI)が、坂本龍一が愛したワークキャップを再現。2024年3月28日(木)より、キジマ タカユキ 代官山などで発売される。坂本龍一が愛したワークキャップを再現コラボレーションキャップのベースとなるのは、生前、坂本龍一が愛用していたワークキャップ。キジマ タカユキによるエッセンスを加え、日常の寄り添うシンプルなキャップが完成した。ボディには、ナイロンのような風合いとハリ感を持つコットン 100%のキャンバスを使用。柔らかさとしわ感を兼ね備える処理を施し、新品の状態から自然に馴染む見た目に仕上げた。カラーは、ブラックのみ。帽子の裏側には、コラボレーションのために作成されたネームを備えている。【詳細】ワークキャップ for リュウイチサカモト(WORK CAP for Ryuichi Sakamoto)発売日/販売店舗:・2024年3月28日(木) 坂本図書 ※完全予約制、場所は非公開。・2024年3月28日(木)~31(日) キジマ タカユキ 代官山※完売次第終了※4月1日(月)~7日(日)までキジマ タカユキ オフィシャルウェブサイトにて受注販売。価格:19,800円サイズ:1~3
2024年03月22日主人公のコンさんには、困っていることがあります。それは、ずうずうしい&非常識なご近所さんがいること。ご近所さんはことあるごとに、コンさんに自分勝手な頼みごとをしてくるのです。「今日の夕食は肉にして! うちに持って来て!」と図々しくおすそ分けを頼んできたり、コインランドリーで一緒に洗濯してほしいと言ってきたり、会うたびに非常識な発言を繰り返すご近所さん。 「できるだけ関わらないようにするしかないな」と考えていた矢先、非常識なご近所さんがコンさんの自宅にやってきて、「クレジットカードの番号を教えてほしい」と言い出して……!?人のクレカを使おうとしてきて…… 非常識なご近所さんがクレジットカードの番号を聞いてきたのは、アイドルのコンサートチケットを購入するためだそう。 コンさんが断っても「あとでお金払うからいいでしょ! 私のカード止められてるから無理なの!」と引き下がる様子はありません。 ところが、騒ぎを聞きつけてコンさんの夫が顔を出した途端「他の人当たってみるから……」といそいそと帰っていったのです。 それからもご近所さんの図々しいお願いは続きますが、夫の名前をうまく使いつつ、「自分が疲弊してまで付き合う必要のない人は相手にしない、関わらないようにしよう」と自分の生活を大切にするコンさんなのでした。 コンさんが言うように、ご近所づきあいで大切なのは「お互いに」配慮し合うことです。どちらか一方が自分の生活を犠牲にしてまで、相手に合わせる必要はありません。 つかず離れずの適度な距離を保ちながら、円滑なご近所づきあいを続けていきたいものですね。著者:マンガ家・イラストレーター あべかわ
2024年03月13日主人公のコンさんには、困っていることがあります。それは、ずうずうしい&非常識なご近所さんがいること。ご近所さんはことあるごとに、コンさんに自分勝手な頼みごとをしてくるのです。「今日の夕食は肉にして! うちに持って来て!」と図々しくおすそ分けを頼んできたり、コインランドリーで一緒に洗濯してほしいと言ってきたり、会うたびに非常識な発言を繰り返すご近所さん。 ご近所さんの迷惑極まりない言動……、実は町内では被害者が続出していて……?!自宅に入りたがるご近所さんには要注意! 非常識なご近所さんに振り回されているのは、コンさんだけではないようです。 「トイレットペーパーを盗まれた」「洗濯用洗剤を持ち帰られた」など、被害報告が続々。ご近所さんの行動は徐々にエスカレートしている様子。 その話を聞いて「できるだけ関わらないようにするしかないな」と考えるコンさんでしたが、そんな矢先、非常識なご近所さんがコンさんの自宅を訪れたのです。 「ちょっとだけ話があるの!」と強引なご近所さんにしぶしぶ耳を貸すコンさんですが、次の瞬間あまりの衝撃に思考が停止してしまいます。 というのも、ご近所さんが言い出したのは「クレジットカードの番号教えてほしいのよ。」という無茶苦茶なお願いだったのです。 どんな理由があるにせよ、他人のクレジットカードの番号を聞くのはNG! コンさんに対してだけでなく、他の住人にもご近所さんは非常識な行動をとっているようです……。 これ以上の被害者を出さないためにも、コンさんには強い気持ちで対応してもらいたいものですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター あべかわ
2024年03月06日演歌歌手の藤あや子が5日に自身のアメブロを更新。演歌歌手の坂本冬美へサプライズで用意した品を公開した。この日、藤は「楽屋見舞いに来てくれました!!」というタイトルでブログを更新。「冬美さんのデビュー記念日だったのでサプライズでケーキを用意」と坂本との2ショットとともに報告し「とっても喜んでくれました」と坂本の反応を明かした。続けて「初日祝いに部屋着など頂いたのに可愛いネコちゃんグッズを買ってきてくれました」と坂本から頂いた品を公開。「共演者の皆さん スタッフさんにも差し入れを」と明かし「たくさんありがとう」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月06日主人公のコンさんには、困っていることがあります。それは、ずうずうしい&非常識なご近所さんがいること。ご近所さんはことあるごとに、コンさんに自分勝手な頼みごとをしてくるのです。ある朝、ゴミ出しをしていたコンさん。すると、待っていたかのようなタイミングで、例のご近所さんに話しかけられて……?!図々しすぎるご近所さんのお願いに絶句…! 夕飯の一件から数日後、コインランドリーにて……。 ゴミ捨て場で会ったご近所さんに「今日の夕食って何なの?」と話しかけられたコンさん。嫌な予感がしながらも「まだ決めてないんだよね……」と答えると、「じゃあ肉にして! 私肉食べたいからさ。んでうちに持って来てよ!」と言い出したのです。 さらに「お皿を洗うの面倒だから、使い捨てのやつにしてね!」と図々しさを通り越した非常好きすぎる発言まで……!ご近所さんの非常識な言動はこれだけではありません。別の日にはコインランドリーにいるコンさんを追いかけてきて、「ウチの洗濯もの一緒に入れてよ!」とご近所さん。もちろん割り勘するという発想はないようです。 「一緒に洗うなら半額出してもらうよ」と言うコンさんに「ケチだね~!」と言い放つのでした。 ご近所付き合いはお互いが気持ちよく生活できるように配慮し合いたいもの。大人として最低限のマナーを守れないご近所さんには、呆れてしまいますね……。 いくら非常識でも、顔を合わせる機会が多いのがご近所のつらいところ。皆さんは、ご近所さんに非常識なお願いをされたら、どのように対応しますか? >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター あべかわ
2024年03月05日演歌歌手の藤あや子が28日に自身のアメブロを更新。演歌歌手の坂本冬美から頂いた祝いの品を公開した。この日、藤は「嬉しい差し入れ」というタイトルでブログを更新。「冬美さんから早めの初日祝い」と坂本から頂いた祝いの品を公開し「KID BLUEのあったかそうなホームウェア」と紹介した。続けて「市川由紀乃ちゃんからはチョコレートを」と演歌歌手の市川由紀乃から頂いた差し入れも公開し「温かいお心遣いに感謝申し上げます」とコメント。最後に「明日から大阪へ移動します」と明かし「この頂きもの持っていきまーす」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「嬉しい差し入れ」「力がはいりますね」「お気をつけて」などのコメントが寄せられている。
2024年02月29日演歌歌手の藤あや子が18日に自身のアメブロを更新。演歌歌手の坂本冬美から貰った手作りの差し入れを公開した。この日、藤は「お好み焼き やきそば チャプチェ」と夕食のメニューを紹介し「お友だちの冬美さんから手作りのお好み焼きの差し入れ」と坂本から差し入れされたことを写真とともに報告。「豚肉 イカ 海老など具沢山」と説明し「フワッフワで激ウマ」と大満足の様子でコメントした。続けて、焼きそばについて「ヘアーメイクじゅんちゃんから」と明かし「野菜が豊富で美味しい」と絶賛。「お稽古中だからと作ってくれました」と説明し「ありがとう」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「格別」「美味しそう」「良かったですね」などのコメントが寄せられている。
2024年02月19日皆さんは、ご近所さんとの付き合いに悩みはありますか?今回は「勝手に水を使用するご近所さん」にまつわる物語とその対処法を紹介します。※この物語はフィクションです。(CoordiSnap編集部)イラスト:モナ・リザの戯言人の物を勝手に使うご近所さん主人公の近所には、ケチで有名なご近所さんが住んでいます。人の物を勝手に使うことが多く、住民たちも悩まされていました。ある日、主人公が帰宅すると駐車場から水の音が聞こえます。「何の音?」と不審に思い、駐車場に向かう主人公。出典:モナ・リザの戯言なんと駐車場で、ご近所さんが主人公宅の水道を使って洗車していたのです。目を疑う光景に「何してるんですか!」と怒り、水道を止めます。ご近所さんは「いいじゃない」と言い、怒る主人公を無視して逃げてしまいます。うんざりした主人公は、駐車場に鍵つきのゲートを設置することに。安心したのもつかの間、その日の晩に「車を駐車場にとめたい」と突撃してきたご近所さん。事情も話さずにお願いするご近所さんを、なんとか帰らせる主人公なのでした。読者が回答した対処法主人公と同じく、ゲートを設置して入れないようにするのがいいですね。三角コーンや植木鉢を置く方法など、自分にできる方法で駐車場と水道を守るようにします。(50代/女性)水道を勝手に使われないよう、蛇口にロックをかけられるようにします。ロックがかかっていれば、さすがにご近所さんも諦めてくれるでしょう。(20代/女性)※こちらの記事はみなさんから寄せられたアンケートをもとに作成しています。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。
2024年02月15日バラエティ番組『進ぬ!電波少年』に出演していたお笑いタレントの坂本ちゃんが10日に自身のアメブロを更新。悪い数値ばかりだった血液検査の結果についてつづった。この日、坂本ちゃんは「10年近くずっと肥満状態からついに私!普通体重になりました!」と報告し「昨年の10/1の90.2キロから今朝は72.8キロ。4ヶ月で17.4キロ減です!」と写真とともに説明。「これからも体重の増減はあるかと思いますが今まで通りウォーキング(気持ち前向きになる!)に食事!楽しみながら痩せて行こうと思います!」と意気込みをつづった。続けて「昨年6月前立腺肥大症の手術で入院した際毎回『血圧高いですね、退院したらちゃんと調べてもらったら?』と看護師さんに」言われたといい「岡元あつこちゃんから突然血圧計をいただき」「次に事務所のマネージャーさんから『坂本さん血圧高いとか言ってましたが病院行かれてます?』のLINEが」と説明。「立て続けに3回血圧関係が続いた!これは流石に病院行けってことかしら?と思い近所の病院へ」と病院を受診したことを明かした。また「血液検査したらほっんとまじビビるくらいな悪い数値のオンパレード」だったといい「怖かった!」とコメント。医師からは「肥満は諸悪の根源!とにかく痩せましょう!」と言われたそうで「そこから食事の見直し&ウォーキングがスタート!なのでした!」と減量を始めた経緯を説明した。最後に「病院行くきっかけ作ってくれた看護師さん!岡元あつこちゃん!マネージャーさん!に多謝!」と感謝のコメント。「痩せた後の血液検査は『基本大丈夫です』の数値」と明かし「自分への戒めとして90キロの頃のアクリルスタンド」と体重が90kgあった頃の自身のアクリルスタンドの写真とともにブログを締めくくった。
2024年02月11日演歌歌手の藤あや子が4日に自身のアメブロを更新。演歌歌手の坂本冬美からの差し入れを公開した。この日、藤は「昨日の晩ごはん」というタイトルでブログを更新し「恵方巻き」と夕食のメニューを紹介。「冬美さんが差し入れしてくれた恵方巻き」と坂本から差し入れされた品であることを明かし、鬼のお面を付けて恵方巻きを食べるような素振りをする自身の写真を公開した。続けて「中村美津子さんから以前頂いたものだぁ」と述べ「マル坊が横取りしようとするからカットして食べちゃった」と報告。「めちゃくちゃ美味しい」と絶賛し「最高でした ごちそうさまでした」と大満足の様子でつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月05日皆さんは、不審な連絡に困惑した経験はありますか?今回は「ご近所さんからの連絡」にまつわる物語とその感想を紹介します。娘が里帰り出産をしていて…ある日、ご近所さんから「内祝いをもらっていない」と言われた主人公。娘が里帰り出産をするために家に来ていましたが、娘はまだ妊娠中でした。しかしご近所さんは「先日、孫を連れていた旦那さんにお祝いを渡した」と言います。「年子なんて素晴らしいわねってみんなで話してたの」とご近所さんは言うのですが…。娘は初産で…出典:Youtube「Lineドラマ」「娘は初産ですけど…?」と勘違いを指摘して、困惑する主人公。「だってお祝い渡したもの!」と言うご近所さんですが、生まれてもない子どもにお祝いなど貰うわけもなく…。謎が深まる主人公なのでした。読者の感想初産にもかかわらず周りには2人目だと思われているなんて、気味が悪いし謎ですね…。ご近所さんが、別人と勘違いしているのかもしれないと思いました。(50代/女性)「孫を連れていた旦那さんにお祝いを渡した」と言っていたご近所さんですが、主人公の夫がなにかを隠しているのでしょうか…。主人公と同じく、謎が深まるばかりです。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2024年01月24日女優の柏木由紀子が12日に自身のアメブロを更新。1985年8月12日に起きた飛行機墜落事故で亡くなった夫で歌手・坂本九さんの曲も歌ってくれた人物の訃報を受けて心境をつづった。この日、柏木は「八代亜紀さんの訃報はいまだに信じられません」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報を受け心境を吐露。「テレビを通じてずっと拝見してきた時間の方が多いのですが」と述べ「みなさんおっしゃるようにお会いするといつもとても暖かなお人柄を感じるすてきな女性でした」とつづった。続けて「ご挨拶や、一言二言言葉を交わしただけですがお優しい方という印象が強く残っています」と八代さんの人柄についてコメントし「2018年に番組でご一緒させていただいた」と説明。「この時は坂本九の歌も歌ってくださりました」と明かし「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当に驚きました」「とてもとてもショックです」「ご冥福を、お祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年01月14日今年3月28日にこの世を去った坂本龍一さん(享年71歳)。YMOの音楽活動のほか、俳優として出演した映画『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞作曲賞を受賞するなど世界で活躍した。坂本さんとは’80年代に発表したアルバムでコラボレーションするなど、音楽を通して親交があり、近年は非戦、非原発をともに願った仲でもある加藤登紀子(79)が、坂本さんへの想いを語った。■「彼の思いを胸に、歌い続けたい。」心に響く伝説になったーー。亡くなってもう9ヶ月も経ったけれど、龍一さんの存在は私たちの心の中に響き続けている。ジョンが亡くなった時、「イマジン」が世界中の人を一つに結ぶ力を持ったように、坂本龍一の音楽が今、私たちを世界の人と繫いでくれている!それは不思議な安堵感であり、未来を見つめる光のように私たちを勇気づける!1970年代、大胆なテクノミュージックで世界の若者に新風を巻き起こし、最後には、ピアノのソロ演奏で、今、ここにいる瞬間のすべてが音楽だと、静かに語りかけて逝った。音楽だけではなくて、彼は言葉と行動でも「坂本龍一的世界」を表現した。非戦へのメッセージ、反原発の行動、そして神宮の森を守って下さい、という祈りは、実存の底から溢れる彼の音楽と共に、美しき生きる意味を伝えてくれている。彼と一緒に音楽を生み出せた幸せな一人として、彼の思いを胸に、歌い続けたい。加藤登紀子
2023年12月28日世界的な音楽家である坂本龍一さん(3月28日逝去、享年71歳)は、環境活動や脱原発運動などを積極的に行ってきた。亡くなる直前にも、自然豊かな東京・神宮外苑の樹木の伐採などが予定されている再開発に対して本誌(『女性自身』2023年4月18日号)掲載の記事でこう語っている。「3月22日には神宮第二球場の工事が始まってしまいました。この問題に気づき声を上げるのが遅かったのかもしれません。まだ立ち止まることはできるはずです。そうでなければ、美しい自然と景観を守ることができなかったことを子どもたちに詫びなければなりません」「誤りに気づいたら考えを改める。ネイティブアメリカンに『7世代先を考えよ』という教えがあります。私たちは彼らのように賢明ではありませんが、せめて次の世代に美しいバトンを渡したい。まだできることはあるはずです」こうした多くの人の声が届いたのだろうか。神宮外苑の樹木伐採は2024年以降に延期されることが決まったが、今後も事業者の樹木保全に関する対応に注視していく必要がある。坂本さんはこうした社会活動への取り組みを通じて、世の中に疑問を投げかけ続ける存在だった。『女性自身』2017年12月5日号のインタビューでも、東日本大震災やがん闘病によって起きた心境の変化について以下のように語っている。「僕は、以前から環境問題に強い関心があったから、ほかの人より自然のことがわかっているという自負が多少あったんです。でも、3.11の巨大な地震と津波が起こったことで、自然の力がこれほど大きいことを知らなかった、と強いショックを受けました。人間の文明は自然の力の前に、こんなもろく崩れ去るんだと」東日本大震災から3年後の2014年に中咽頭がんを患った。「人間の体という“自然”の中に起こった“がん”という一種の災害のようなものでしょう。それでまたショックを受けたんです」健康に自信があった分だけ、ショックは大きかったという。「僕は、40代ごろから食や健康には十分、気を使ってきたつもりだったんです。整体や足湯なども、みんなが言いだすはるか前からやっていたので、『そんなことは、もう昔からやっている』という自負もあった。それでも、がんになってしまうんだ、と。だからちょっとした自信や知識なんてなんの役にも立たない。病気になるときにはなるんだ、自然のことも体のことも、自分はわかっていなかったんだ、と気づいてね。自然に対する畏敬の念、かなわないという気持ちは強くなりました」自身の信念や知識、自負が揺らぎ、改めて人間が持つ本来の性質“本性(ほんせい)”を見つめなおすことになったという。そして、日本のナショナリズムについても、人間の本性により注意しなければならないと懸念した。「このままいくと、憲法改正です。その後は徴兵制になって、戦争に突っ込んでいって——。あなたたちのお子さんが兵隊に取られて死ぬんですよ、と。それがわからない人は、そんなに多くないはずなのに、あまりにも巨大な歯車が回っていて、ひとりでは止められないとなると、その問題から目を背けてしまう。こういう弱さも、ある意味、人間の本性なんじゃないかと思うんです。でも、本性だからどうしようもないとあきらめてしまったら、政治の暴走を認めてしまうことになるんですよね」「僕だって、自分が生まれ育った国を愛していますよ。ある意味、いま日本をズタズタにしている人たちよりも、僕ははるかに“愛国主義者”だと思う。でも、“ナショナリスト”ではありません。日本は素晴らしいけど、他国はダメなんて思わない。お互いの違いをリスペクトしあって、生きていきたいです」地球が環境破壊や戦争によって、取返しのつかないダメージを受けないうちに人間の本性を変えなければ、と続ける。「人間は、誰もが自分がもうかれば他人がどうなってもいいとか、トクをすればいいとかそんな欲望をもっていますよ。それも人間の本性のひとつ。これを変えるには、あと1万年くらいかかるかな……。最近つくづく、人間ってダメだなぁって思うんです。地球のことを考えれば、人間は消えたほうがいいのかもしれない。せめて地球の人口が500万人くらいに減ったら、環境に負荷がかからなくていいんでしょうけど。でも、自分だって、がんになってもまだ死にたくなくて人工的なものの力を借りて、一生懸命治療しているくらいだからね(笑)」本誌2017年2月7日号に掲載された吉永小百合との対談でも、地球の未来、子どもたちの将来への責任を感じられる言葉があった。90年代初期に“温暖化”という言葉を聞き、「地球はこのままいくとまずいのかもしれない」と考えるようになったのが、環境活動などにつながるきっかけだったといい、「その原動力になったのは子どもたちの将来です。次の世代が、いまよりもっと過酷な状況で生きなければならないとしたら、それは僕らのせいだ。親として、大人として倫理的に許されることではないという気がして『自分にできることはやろう』と思ったのが動機です」また、脱原発への強い思いも語っている。「戦後生まれとはいえ、広島、長崎で被爆している日本人ですから。『核』に対する忌避感は子どものころから強くありました。だから、チェルノブイリの原発事故(86年4月)のときも、とても不安だったし、兵器はもちろん発電にも『核』は使うべきではない。吉永さんがおっしゃるように『核と人類は共存できない』と、僕も考えています」そして、“いますぐ私たちにできること”も残してくれていた。「脱原発=原発をなくしていく手だてとしては、核発電をしている会社とは契約しない。いまは電力を選べるようになったし、インターネットなどで調べれば、核発電か、そうでないか簡単にわかりますから」「電力だけでなく、僕らが少し知恵を働かせるだけで、いろいろなことが変わるんです。たとえば、環境にいい取り組みをしている企業の商品を買うことは、その企業を応援することになります。また、商品を選ぶ場合も、自分が住んでいるところに、より近いところで作られたものを買うようにする。それだけでも、輸送によるCO2(二酸化炭素)の排出を減らすことができます。『ものを買う』ということは、日々選挙の投票をしているのと同じなんです」「とくに女性の消費者はすごいパワーを持っていますから。このことを自覚してものを買っていただく。そうすれば、日本のみならず世界は確実に変わると思います」大々的な活動や運動だけでなく、暮らしの中でできることがある。坂本さんが訴え続けた思いをしっかり受け止めていきたい。
2023年12月21日皆さんは、ご近所さんの行動に困った経験はありますか?今回はトラブルを起こしたご近所さんにまつわる物語とその感想を紹介します。※この物語はフィクションです。(CoordiSnap編集部)イラスト:モナ・リザの戯言ご近所さんの迷惑行動ご近所さんの迷惑行動に悩んでいた主人公。ある日、主人公が家でくつろいでいると外から大声が聞こえてきました。庭に出てみると、主人公の家にある池で勝手に子どもたちが遊んでいたのです。どうやらご近所さんに遊んでいいと言われたようで、主人公も頭を抱えてしまいました。ご近所さんの迷惑行為に困っていることを他のご近所さんに話すと、みんな口を揃えて自分も被害にあったと話します。なにか対策をしないとと思いながらも、主人公が家に帰ると…。帰宅すると…出典:モナ・リザの戯言主人公が帰宅すると、駐車場から水の音が聞こえてきました。駐車場には主人公に笑顔を振りまくご近所さんが…。なんと、ご近所さんは主人公の家の駐車場で洗車をしていたのです。「何してるんですか…」とご近所さんの目を疑う行動に主人公は唖然として…。主人公が注意をすると、ご近所さんは車も濡れたままそそくさと逃げ去ってしまうのでした。読者の感想人の家の駐車場を勝手に使っていることに驚愕しました。水道まで使われていたとなると、さすがに注意だけでは済まされないですよね。(30代/女性)敷地内で勝手に遊ばれるなんて、誰でも迷惑ですよね。水道も勝手に使われて、ご近所さんのすることにとても腹が立ちました。(20代/女性)
2023年12月18日皆さんは、ご近所さんとの関係に悩まされたことはありますか?今回は服を作ってほしいと頼まれた女性のエピソードと、感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!服を作るようせがまれて…裁縫が得意で、作った服を販売したり娘の服を作ったりしている主人公。しかし近所の女性に無償で服を作るようせがまれて困っていました。ある日女性から「結婚式用のドレス作って!」と頼まれ、今回はお金を支払ってくれるというのですが…。予算を聞いて驚愕!出典:エトラちゃんは見た!「ちなみに予算はおいくらで…?」と主人公が尋ねると、女性はあっさり「2000円」だと答えたのです。2000円では生地代にしかならず、衝撃を受ける主人公。しかし女性からは「生地代があれば充分でしょ?」と言われてしまいます。後日、そのことを裁縫教室の先生に相談した主人公。そこで、女性への反撃計画を提案され、主人公は実行に移すことを決意するのでした。読者の感想洋服を作るのはいろいろと手間がかかりますよね。生地代だけで作ってもらおうとするのは少し厚かましいなと感じました。(30代/女性)ご近所さんとなると、きっぱり断りにくいでしょう。女性の身勝手な要求に、うまく切り返すことができるといいですね。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2023年12月05日巨人の坂本勇人が1日、都内で行われた「2023 スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 年間大賞」表彰式に登壇した。レギュラーシーズンを通じて最も劇的なサヨナラ本塁打、またはサヨナラ安打などを放った選手(セ・パ各1名)に贈られる同賞。昨年に引き続き、月間「スカパー! サヨナラ賞」全12プレーの中から、ファン投票により選出され、受賞両選手にはそれぞれ、オリジナルトロフィーと賞金200万円が贈呈される。今年は、6月16日に東京ドームにて行われた対楽天戦で劇的な逆転サヨナラ3点本塁打を放った巨人の坂本勇人と、7月24日にZOZOマリンスタジアムで行われた対ソフトバンク戦で起死回生の代打逆転サヨナラ2点本塁打を放ったロッテの角中勝也が受賞した。表彰式後は、坂本、角中、ゲストとして駆けつけた松田宣浩氏の3人によるトークも。今シーズン限りで現役を引退した松田氏は「10月1日に東京ドームで引退セレモニーをさせていただいてから2カ月。今はもう新しいステップに向けて進んでいます」と充実した表情を見せつつ、自身の引退試合についても「ここにいる坂本勇人選手と日本代表以来の三遊間を組めて、本当に忘れられない試合になりました」としみじみと振り返った。一方の坂本も「代表で一緒にプレイさせていただいたんですけど、いつか同じチームで1年間戦いたいなというふうに唯一思った人」と明かし、「同じユニホームを着てプレイできたことは、僕の野球人生の中でも財産になりました」と感慨深げに回想。一緒のチームで戦ってみたいと思った理由を聞かれると、「試合中も練習中も一番声を出して、盛り上げてくれる。味方の選手がエラーしたり打てなかったりして、ベンチに戻ってきた時の声の掛け方だったり、こういう人と1年間プレイしたら、常にポジティブな気持ちでプレイできるんだろうなと(思った)」と説明していた。
2023年12月02日巨人の坂本勇人、ロッテの角中勝也が、「2023 スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 年間大賞」を受賞し、1日に都内で行われた表彰式に登壇した。レギュラーシーズンを通じて最も劇的なサヨナラ本塁打、またはサヨナラ安打などを放った選手(セ・パ各1名)に贈られる同賞。昨年に引き続き、月間「スカパー! サヨナラ賞」全12プレーの中から、ファン投票により選出され、受賞両選手にはそれぞれ、オリジナルトロフィーと賞金200万円が贈呈される。今年は、6月16日に東京ドームにて行われた対楽天戦で劇的な逆転サヨナラ3点本塁打を放った巨人の坂本勇人と、7月24日にZOZOマリンスタジアムで行われた対ソフトバンク戦で起死回生の代打逆転サヨナラ2点本塁打を放ったロッテの角中勝也が受賞した。表彰式で、坂本は「スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 年間大賞に選んでいただき、本当にありがとうございます」と挨拶。「今年はチームが4位という中で、まさかこの賞に選んでいただけると思っていなかったので、大変光栄です」と感謝を伝え、「来シーズンはチームが優勝し、そしてまたこの賞を頂けるように精一杯頑張りたいと思いますので、来シーズンもあたたかいご声援をよろしくお願いします。本日はありがとうございました」と来シーズンへの意気込みを語った。なお、今回の表彰式では、鈴木健アナウンサーと袴田彩会アナウンサーがMCを務め、過去に同賞を2回受賞している松田宣浩氏、スカパー! CMに出演中のやす子もゲストとして登場した。
2023年12月01日企画展「坂本龍一展(仮)」が、東京都現代美術館にて、2024年12月21日(土)から2025年3月30日(日)まで開催される。坂本龍一、創作の軌跡をたどる坂本龍一は、多彩な表現活動を通して、常に時代の先端を切り拓いてきた音楽家・アーティストだ。1952年に生まれ、78年に『千のナイフ』でソロデビューした坂本は、同年に「イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)」に参加。83年の散開後も、映画『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』の音楽を手がけるなど、多方面で活躍している。さらに2000 年代以降は、 さまざまなアーティストとともに空間内で音を立体的に設置する試みを積極的に展開するも、2023年にこの世を去った。企画展「坂本龍一展(仮)」は、坂本による大型インスタレーションを包括的に紹介する、日本初となる最大規模の個展。生前の坂本が本展のために構想した新作に加えて、これまでの代表作を美術館屋内外の空間に展開し、その創作活動の軌跡をたどってゆく。展覧会概要企画展「坂本龍一展(仮)」会期:2024年12月21日(土)〜2025年3月30日(日)会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F・B2F住所:東京都江東区三好4-1-1※詳細については追って告知【問い合わせ先】TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
2023年11月30日坂本龍一の最初で最後の長編コンサート映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』が第36回東京国際映画祭で10月24日に上映され、上映前に坂本龍一と親交のあった役所広司が登壇したトークショーが行われた。また2024年春に日本公開されることも決定した。2023年3月に逝去した音楽家、坂本龍一。闘病生活を続けていた彼が最後の力を振り絞り演奏したソロ・コンサート。2022年9月、東京のNHK 509スタジオで行われた撮影に、2000年に坂本さんのためにカスタムメイドされ、長年コンサートで愛用したヤマハのグランドピアノだけで臨んだ。「Merry Christmas Mr. Lawrence」、2023年に発表された最後のアルバム「12」からの曲、初めてピアノ・ソロで演奏された「Tong Poo」まで、自身が選曲した20曲から構成。ボーダーを越え活動を続けた坂本さんの軌跡を辿る曲目、鍵盤を奏でる指と音楽家の息遣い、その人生が刻みこまれた手。坂本さんが全面的に信頼を寄せた監督と撮影クルーたちが入念に撮影プランを練り上げ、親密かつ厳密な、世界でひとつしかない宝物のような映画空間を生み出した。坂本さん自身がアプルーブし、入念なポストプロダクションを経て完成した、最初で最後の長編コンサート映画である。東京国際映画祭での上映に登壇した役所さんは「坂本さんに最初にお会いした時から、人間としてとても魅了され、尊敬し、勝手に恩師だと思っています」と坂本さんとの交流について語り、「以前に坂本さんがお元気だった頃に対談させてもらって、その時にスタジオで演奏される姿を目の前で観たことがあります。その時は筋力に溢れていらして、その演奏もとても素晴らしかったけど、今日これから観ていただく作品の坂本さんは、その時のような筋力はないんですね。でも筋力はないけれど、一音一音に気を込めて弾いてらっしゃる姿が、そして色々なものを削ぎ落として演奏されている姿がとても美しく、人間はここまで美しくなれるのかと感動しました」と本作の魅力を語った。『Ryuichi Sakamoto | Opus』は2024年春、109シネマズプレミアム新宿ほか全国にて公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:Ryuichi Sakamoto | Opus 2024年春、109シネマズプレミアム新宿ほか全国にて公開ⓒ KAB America Inc. / KAB Inc.
2023年10月25日2023年3月28日に逝去した音楽家・坂本龍一と深い関わりがあった東京・初台のNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]にて、2023年12月16日(土) より『坂本龍一トリビュート展(仮称)』が開催される。坂本龍一は、90年代初頭の黎明期よりインターネットに関心を持ち、インターネット・ライブを実施するなど、作品へのメディア・テクノロジーの導入を積極的に行なってきた。以降、1996年のメディア・アーティスト、岩井俊雄とのコラボレーションをはじめ、2000年代以降は、カールステン・ニコライ、高谷史郎、真鍋大度、毛利悠子といったアーティストとのインスタレーション制作など、現代美術、メディア・アートの分野でも多くの作品の制作。ICCとの関わりは同館開館以前のプレ活動期間(1991年〜)に遡り、展覧会の企画に連動したコンサートの開催(『ローリー・アンダーソン展』 2005年)や、ICC開館10周年および20周年記念企画展も坂本と高谷史郎によるものだ。2017年に開催されたICC開館20周年記念企画展「坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME」は台湾に巡回し、作品《IS YOUR TIME》は北京での坂本の個展にも出品されたほか、現在は中国・成都で大規模個展『SOUND AND TIME(一音一時)』が行われている。メディア・アートという分野においてもはかりしれない功績を残した坂本龍一への追悼を込めて行われる今回の展覧会では、親交のあった ライゾマティクスの真鍋大度を共同キュレーターに迎え、過去の演奏データをもとにした作品や、国内外のアーティストによるかかわりのある作品、これまでのICCでの展示などの記録によって構成。未来に向けた坂本龍一像を提示することを試みる。<開催情報>『坂本龍一トリビュート展(仮称)』会期:2023年12月16日(土)~2024年3月10日(日)会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]ギャラリーA
2023年10月23日2024年3月28日(木)から坂本龍一が生涯最後に手掛けたシアターピース「TIME」が上演されることが決定した。「TIME」は、2021年に坂本龍一がアソシエイト・アーティストに選出された世界最大級の舞台芸術の祭典「オランダ・フェスティバル」(オランダ・アムステルダム)にて、世界で初めて上演された作品。サウンド・インスタレーション・パフォーマンス・ヴィジュアルアートが劇場空間で融合する唯一無二の鑑賞体験は、満場のスタンディングオベーションをうけるほどの高い評価を獲得。今回遂に日本で初めての上演を迎えることになった。1999年に日本武道館・大阪城ホールで上演され、約4万枚が即完売した公演「LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999」に続く本作。坂本龍一が全曲を書き下ろし、コンセプトを考案、生前最後に手掛けたこのシアターピースでは、そのヴィジュアルデザインとコンセプトを、坂本と数多くのプロジェクトで創作をともにした高谷史郎(ダムタイプ)が手掛ける。出演には、田中泯、宮田まゆみ、石原淋が名を連ねる。田中は、ダンサー、そして俳優としても国際的に活躍している実力者。宮田は、伝統楽器「笙」を国際的に広めた第一人者で、ジョン・ケージ、武満徹など、世界的アーティストの新作初演も手掛けている。石原は、今回の日本初公演で新たにキャスティングされた、国内外で多彩な活躍を続けるダンサー。オランダでの世界初演から、更なる進化を遂げた本作に期待が膨れ上がる。公演は、東京・新国立劇場(中劇場)で2024年3月28日(木)〜4月14日(日)、京都・ロームシアター京都(メインホール)で2024年4月27日(土)〜4月28日(日)に上演される。<公演情報>RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI『TIME』音楽+コンセプト:坂本龍一ヴィジュアルデザイン+コンセプト:高谷史郎出演:田中泯(ダンサー)宮田まゆみ(笙奏者)石原淋(ダンサー)【東京公演】2024年3月28日(木)〜4月14日(日)会場:新国立劇場(中劇場)【京都公演】2024年4月27日(土)〜4月28日(日)会場:ロームシアター京都(メインホール)チケット情報公式サイト
2023年09月11日ミュージカル『キャメロット』の制作発表会見が29日に都内で行われ、主演を務める坂本昌行、桐山照史(ジャニーズWEST)、唯月ふうか、入野自由、今井清隆、演出の宮田慶子氏、松竹・山根成之取締役副社長 演劇本部長が登壇した。同作はアーサー王伝説を描いたT.H.ホワイト氏の『永遠の王』を原作とし、『マイ・フェア・レディ』の名コンビであるアメリカの脚本家アラン・ジェイ・ラーナー氏と作曲家フレデリック・ロウ氏によって書かれた名作ミュージカル。日本初上演となる今回、主演のアーサー王を演じるのは今年2度目の読売演劇大賞優秀男優賞(第24回・第30回)を受賞し、確かな演技力と歌唱力で活躍する坂本昌行。円卓の騎士ランスロットには、テレビドラマやバラエティ番組をはじめ、舞台の経験も著しい桐山照史(ジャニーズWEST)、アーサー王の妻グィネヴィアには、舞台を中心に話題作への出演が続き、女優として活躍の場を広げる唯月ふうか、アーサー王の隠し子で謀反を起こすモルドレッドには、声優はもとより、ミュージカル界でも存在感を示す入野自由、そして、キャメロットに流れ着いた辺境の騎士ペリノアには、劇団四季退団後もミュージカル俳優としてその風格ある演技と歌声で魅了し続ける今井清隆と多彩な実力派キャストが揃った。○■坂本昌行、唯月ふうかの独特な表現に「天に召されているんじゃ…」今作でアーサー王を演じる坂本は「いろいろと舞台・ミュージカルをやらせていただきましたが、王というのは初めて。実際のコスチュームを着てると、なかなか動けない状態で王って大変なんだなと」と苦労を明かす。日本初上演となる同作への出演についても「今回、この作品をやらせていただこうと思ったのは、(台本を)ぱっと開いたときに演出・宮田慶子と書かれてあって、それでもう決めました」と宮田氏との再タッグが決め手となったことを明かした。宮田氏も「前回はほとんどセリフがなく、ずっとただひたすら周りを見守っているお芝居でお願いしていたので、今回はもうジタバタしていただいて、悩み狂う姿をたっぷり見せていただこうと思います」と期待を寄せていた。また、入野と今井が坂本の印象について「王の風格やカリスマ性がある方」(入野)、「感じのいいやつ」(今井)とそれぞれ答える中、唯月は「周りから光が発光している、キラキラしている方」と独特な表現。これを聞いた坂本は「死んでるんじゃ……天に召されているんじゃないですよね?」と返し、笑いを誘っていた。最後に坂本は「1960年代で初演を迎えて作品で今回が日本初演。初演を任されたということは、自分たちに大きなものを課されたと思っております。このアーサー王伝説を大成功させて、我々も大きな伝説を作っていきたいと思います」と力強く意気込んだ。
2023年08月29日今年3月28日に71歳で亡くなった、坂本龍一の意思を継いだ「一般社団法人坂本図書」が立ちあがったことがわかった。「坂本図書」は、「いつか古書店の店主になるのが夢だった」と語るほど愛書家として知られる坂本さんが2017年から準備を進めていた、自身の本を多くの人と共有するための図書構想。今回の「一般社団法人坂本図書」の設立に伴い、坂本さん所蔵の本を実際に手に取り、読むことができる空間「坂本図書」が東京都内に9月末にオープンする。大きくはない空間のため、完全予約制で場所は非公開で運営。予約できた人だけがその場所にたどり着くことができる、特別な場所になりそうだ。予約の詳細などは、「坂本図書」のSNSやオフィシャルサイト、登録制のニュースレターから知ることができる。また、この設立にあわせて書籍「坂本図書」の刊行も9月24日に決定。本書は、2018年から2022年まで雑誌『婦人画報』で連載していた「坂本図書」全36回分の他、坂本さんが絶大な信頼を寄せた編集者・鈴木正文氏との対談(2023年3月8日実施)、「2023年の坂本図書」が新たに収録される。発売元となるバリューブックスの「坂本図書」ページで予約すると、本書内でも語られている夏目漱石の短編「夢十夜」の冊子(初版500部限定)と、坂本さんの残した言葉を記した坂本図書オリジナルしおりが付いてくる。書籍「坂本図書」は本日8月28日よりバリューブックスおよび、全国の書店で予約開始(なお、上記の予約購入特典の配布は予告なく終了する場合があり)。(シネマカフェ編集部)
2023年08月28日2023年8月16日、漫画家の佐野菜見さんが、ガンのため同月5日に亡くなったことが分かりました。36歳でした。佐野さんは、2010年に漫画『ノンシュガーコーヒー』でデビュー。以降、アニメ化となった『坂本ですが?』や『ミギとダリ』などの作品で人気を博しています。2023年7月には『ミギとダリ』のアニメ化も発表されていました。株式会社KADOKAWAが発行している漫画誌『ハルタ』のSNSアカウントでは、佐野さんのご家族と編集部からの言葉が公開されています。【読者の皆様へ】漫画家の佐野菜見さんが8月5日に逝去されました。『坂本ですが?』『ミギとダリ』など素晴らしい漫画を描いてくれたことに感謝すると共に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。読者の皆様へ、佐野さんのご家族と編集部からの言葉をお伝えします。ご一読いただければ幸いです。 pic.twitter.com/5qqXUfqKp5 — ハルタ (@hartamanga) August 16, 2023 編集部からの文書によると、佐野さんは『ミギとダリ』の連載を終えてから、アニメの監修をこなしながら、新作の打ち合わせをしていたとのこと。佐野さんのことを「とにかく漫画に真っ直ぐ」で「面白い漫画を描くため、漫画家として成長するための努力をできる人」だとつづっています。佐野さんの作品『坂本ですが?』『ミギとダリ』は多くの人を笑顔にしてきました。この先も多くの人に笑っていただけると幸いです。10月からは『ミギとダリ』のアニメの放送も始まります。佐野さんはアニメの出来の良さにとても喜んでいました。こちらも楽しんで頂けると嬉しいです。@hartamangaーより引用また、ご家族からのメッセージには、佐野さんの遺書に書かれていた言葉も添えられていました。ファンの皆様へ娘の菜見は進行の早い癌により闘病1か月と言う早さで8月5日に旅立ちました。ご愛読いただきましてありがとうございました。「この人生は楽しい人生だったわさ私はこれから多分もっと自由な世界にいってきます…アバヨ」(遺書より抜粋)@hartamangaーより引用佐野さんの作品に親しんできたファンからは、訃報に際し、さまざまなメッセージが寄せられています。・佐野さんの漫画が最高に大好きです。ご冥福をお祈りします。・『坂本ですが?』に、たくさん笑わせていただきました。ありがとうございます。・佐野さんの漫画を友人に「読んでくれ!」と勧めてまわった覚えがあります。・面白くて素敵な漫画をありがとうございました。多くの人を楽しませてきた佐野さんの作品は、これからもたくさんの人を笑顔にし、愛され続けることでしょう。佐野さんのご冥福を心よりお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年08月16日坂本龍一の作品を、クラシック界で活躍する若き俊英たちが演奏するコンサートが8月29日(火)に東京オペラシティ コンサートホールにて開催される。ピアニストの中野翔太とヴァイオリニストの成田達輝。ふたりが坂本と初めて会ったのは、2022年9月のことだった。中野翔太(Pf)、成田達輝(Vn)成田「坂本さんが東京芸術大学の学生時代に書いたヴァイオリン・ソナタと弦楽四重奏曲を録音するとのことで、ヴィオラ奏者の安達真理さんから声がかかりました。僕の場合、坂本さんといえば、YMOのファンだった母がピアノで弾く『Energy Flow』を小さい頃からいつも聴いていた思い出があって。僕はバッハの音楽にはじめて触れたのとほぼ同時期に、坂本さんの音楽を聴いていたのだと思うと、まるで自分にとっての“音楽の父”のように感じる存在でした」中野「僕にとっても坂本さんは特別な存在です。僕は15歳からアメリカに留学したのですが、なぜ日本人である自分が西洋の音楽をやっているのか、意味を見出せなくなって、壁にぶち当たっていた時期がありました。そんなとき、ふと坂本さんの音楽が耳に入ってきて、“あ、こういうことなんだ”と思ったんです。言葉にするのが難しいですが、今までの自分の悩みが小さなものに感じられました。それから坂本さんの音楽にどんどん惹き込まれていきました」今回のコンサートでは、そのヴァイオリン・ソナタを聴くことができる。1970年に作曲され、ほとんど人前で演奏されることのなかった作品だ(1984年の演奏が録音として残っている)。中野「おそらく皆さんがイメージするような坂本さんの作風ではなく、現代音楽的な響きのなかに、ラヴェルやドビュッシーをはじめさまざまな音楽の要素が詰め込まれている感じ。若き日の坂本さんの“やってやる!”という音楽に対する情熱があふれ出ているような作品です」成田「無駄のない、高度な作曲テクニックで書き上げられた形式的な第1楽章、能のすり足を思わせるような第2楽章、そして血潮がほとばしるような鮮烈さをきわめた第3楽章。ギラギラしたものを感じます」LEO(箏) (C)NIPPON COLUMBIAさらに特別ゲストとして、同じく坂本をリスペクトする箏アーティスト、LEOを迎え、「戦場のメリークリスマス」「M.A.Y in the backyard」をトリオで披露。「ラストエンペラー」「The Sheltering Sky」といったおなじみのメロディから、ウクライナのヴァイオリニストとコラボした「Peace for Illia」など最新の楽曲まで、“作曲家・坂本龍一”の本質を伝えるコンサートとなるに違いない。アフタヌーン・コンサート・シリーズ 2023-2024若き俊英たちによる戦場のメリークリスマス8月29日(火) 13時30分東京オペラシティ コンサートホール■チケット情報出演中野翔太(Pf)、成田達輝(Vn)、LEO(箏)曲目坂本龍一:戦場のメリークリスマスラストエンペラーPeace for IlliaソナタA Flower is not a Flower文:原典子
2023年07月20日「坂本龍一さんの訃報は、ネットのニュースで知りました。ご体調がすぐれないのは聞いていましたが、こんな突然に別れが来るとは思っていませんでした。最初は気持ちが追いつかずに、頭が真っ白になるというのは、こういうことかと」語り始めたのは、昨年、メジャーデビュー20周年を迎えた歌手の元ちとせさん(44)。今年3月28日に71歳で逝去した坂本さんとは18年ほど前に出会い、以来、親しみを込めて愛称の“教授”と呼んでいたという。「残されていた新作の映画音楽などを聴くたびに、教授にとって、最後まで音楽がご自分のパートナーだったんだなということを改めて感じています。今もまだそばにいてくれるようで、いなくなった気がしないんです。そう思わせることもまた、坂本さんらしいやさしさなんだと」今年もまもなく終戦の8月を迎えるが、毎年、この時期に、元さんが大切に歌い続けてきた歌がある。タイトルを、『死んだ女の子』という。45年8月6日の原爆投下直後の広島を訪れていたトルコの社会派詩人ナジム・ヒクメットの詩に作曲家の外山雄三が作曲した作品。広島の原爆により、7歳で死んでしまった女の子の声を代弁したものだ。〈あたしは死んだのあのヒロシマで〉と訴える歌詞は、炎に焼かれて死んだ子は、二度と甘いあめ玉もしゃぶれないといった切ない内容に続いていく。元さんは、05年以来、毎年夏にこの曲を期間限定で配信を行い、その収益をチャリティとして寄付してきた。広島、長崎のあの悲劇を二度と繰り返さないという平和へのメッセージが込められた曲をプロデュース、アレンジしたのが坂本龍一さんだった。「この歌を私が再び歌いたいと思うようになったとき、プロデュースなどを“世界のサカモト”にお願いしたいと思ってお声かけしたんです。坂本さんは、すぐに快諾してくださいました」この「再び歌いたい」との発言でもわかるが、実は元さんは、この曲と10代のころに出合っていた。しかし「詞の内容を理解できなかった」と録音をためらい、いわば封印した過去があった。■広島平和記念資料館で衝撃を受けて『死んだ女の子』に向き合った79年1月5日、鹿児島県大島郡瀬戸内町で生まれた元さん。19歳の秋に上京し、数寄屋橋のCDショップでアルバイトをしながら、デビューに備えた。「ちょっとデモ盤を録るから」所属した音楽事務所の当時の社長でプロデューサーも務めていた森川欣信氏(70)からある1曲を渡されたのは、このころのことだ。「それが、『死んだ女の子』でした。単純に、なんで、こんな怖いタイトルの曲をと思いました。歌詞も原爆で幼い女の子の髪の毛が焼けたりするという内容で、正直、私の中ではどういう感情で歌に向き合っていいのかわからなくて。その録音のあとは私自身、歌いたい気持ちも起きないままでした」時間は、少しさかのぼる。デビューしてすぐのことだった。「夏に音楽イベントがあって、広島に行ったとき、初めて広島平和記念資料館を訪れました。正直に言うと、最初はどんなところかわかっていなくて、遠足のような気分で出かけてしまったのですが、一歩、資料館に足を踏み入れたときの温度感や、展示されていた被害の現実は衝撃的でした。原子爆弾の熱線で石段に焼きついて残っていた女の子の影も実際に見ました。当時、私は24歳で自分はもう大人だと思っていましたが、こんな大切な歴史の真実も知らないで大人だと思っていた自分を恥ずかしいと感じたんです」資料館を出て、原爆ドームを見上げながら、同行していた森川氏に言った。「『死んだ女の子』って、こういうことだったんですね」続いて、こう口にしていた。「もう一度、歌ってみたいです」こんな心境の変化があった。「イベントなどでシマ唄を歌いはじめたとき、誰かが拍手をしてくれて、そのときの喜びがそれまで私を歌わせてくれていました。でも、今度は、私の歌を聴いた人が、何かを感じてくれたり、考えたりするきっかけになるような歌手になりたい。そう思ったんです」そこから、『死んだ女の子』のレコーディングの準備が始まる。「この曲をどんなふうに伝えたらいいか、すごく悩みました。そのうち、世界中の人や偉い指導者たちがこれを聴いて、平和について考えてほしいなと思うようになって。そんな葛藤のなかで、“世界のサカモト”にお願いしてみたいと思ったんです」こうして、前出のとおり、ニューヨーク在住の坂本さんとコンタクトを取って快諾をもらった元さんは、日本を旅立つのだった。■坂本さん自ら英語で『死んだ女の子』の歌詞の意味と、広島の歴史について解説した坂本さんは素顔は、とてもおちゃめな方でした」元さんはそう語ったが、その数日後、スタジオの指揮台に立つと一転、音楽家として繊細かつ妥協のない姿があったという。「20人ほどの国籍も肌の色もさまざまな演奏家を前に、坂本さん自ら英語で『死んだ女の子』の歌詞の意味と、原爆が落とされた広島の歴史について解説をしてくれました。それから、『この音楽を、あなたたちがアメリカで演奏するということに大きな意味があるんだ』と、力を込めておっしゃいました。演奏前にしっかり意思統一をして録音を一発で終わらせようとしたのは、弦楽器の奏者にすごくハードな演奏が必要だったので、何回もやらせたくないという坂本さんの心遣いもあって。そういうやさしさは、本当にかっこよかったですね」やがてスタジオの演奏家らの気持ちも高まっていき、そこに元ちとせさんの、平和な世界を心から願うという渾身の歌声が重ねられていく。「二度と同じ過ちを繰り返してほしくないという思いで、みんなが一つになりました」こうして、元さんの新たな代表曲の一つとなった『死んだ女の子』は、’05年8月5日より配信が始まる。翌日の広島への原爆投下から60年という節目の8月6日、元さんは報道番組『筑紫哲也のNEWS23』(TBS系)において、原爆ドームの前で、坂本さんのピアノの生演奏により『死んだ女の子』を披露。裸足で歌い上げるパフォーマンスは大きな感動を巻き起こした。このあと、09年に長男が生まれた元さんは、生まれ故郷の奄美大島に帰る。その後も、子育てをしながらの歌手業が続く。’11年3月の東日本大震災と福島第一原発の事故を経て、翌年夏の「NO NUKES 2012」には、女性のソロアーティストとしてはただ一人参加して、『死んだ女の子』を歌った。「これも、坂本さんからお声をかけていただきました。『死んだ女の子』をレコーディングしたときも思いましたが、あからさまに戦争反対とかではなく音楽でしか生まれないもの、熱いものを、お互いに同じ温度感で作品に詰め込むことができた。つくづく坂本さんの音楽というのは、人そのものなんですね。彼のやさしさ、愛情、思いやりが、その根底にある」そのやさしさに直接ふれた出来事があったと、元さんは語る。あの、原爆ドーム前での共演が『NEWS23』で放送された8月の夜のことだった。「私も慣れていない生放送で緊張していたんだと思います。歌の前のインタビューのときにガチガチに固まっていたら、横に並んでいた坂本さんが、いきなりギュッと手を握ったんです。びっくりしたんですが、その瞬間、もういいやと、履いていたヒールを脱いで裸足になりました。坂本さんのあのギュッで、吹っ切れたんですね。そういうやさしさも、きっと感性の鋭さからくるもので、周囲の人の感情にも気づいてしまうんでしょうね。本当に貴重な経験でした」アルバム『平和元年』は、元さんが、戦後70年を迎えた’15年夏に発表した。『死んだ男の残したものは』『さとうきび畑』など平和への祈りが込められた12曲で構成され、『死んだ女の子』もこのアルバムで聴くことができる。坂本さんはじめ、幾多の出会いを経て、「唄者」としての自分に新たな使命と覚悟ができた。「坂本さんの人としてのやさしさと反戦のメッセージを、私も一緒の曲作りを通じていっぱいいただきましたから、今度は私が引き継いで、世界中の人たち、そして子供たち世代に、歌を通じて、手渡していきたいと思うんです」昨年のデビュー20周年のアルバム『虹の麓』や記念ライブなどを機に、再び旺盛な音楽活動が始まっている。「原点に戻ってシマ唄ともう一度向き合いたいし、『平和元年』の第2弾もいずれ作りたい。そんな話も、スタッフと始めたところです」【後編】私は唄い続ける坂本龍一さんの魂を…元ちとせが反戦歌『死んだ女の子』に込めた祈りと覚悟へ続く
2023年07月09日【前編】元ちとせ反戦歌『死んだ女の子』原爆ドーム前での共演でふれた坂本龍一さんのやさしさから続くウクライナでの戦争など世界で軍事的緊張が高まるなか、広島の原爆で亡くなった女の子の歌『死んだ女の子』を歌い続ける元ちとせさん(44)。この歌は先日亡くなった坂本龍一さん(享年71)がプロデュースし、自ら指揮をして録音。そこで知った坂本さんの平和への思い。間近で感じた、戦争という過ちを繰り返さないとの巨匠の強い思いとそこに隠された深い愛情を忘れないーー。今年もまもなく終戦の8月を迎えるが、毎年、この時期に、元さんが大切に歌い続けてきた歌がある。タイトルを、『死んだ女の子』という。45年8月6日の原爆投下直後の広島を訪れていたトルコの社会派詩人ナジム・ヒクメットの詩に作曲家の外山雄三が作曲した作品。広島の原爆により、7歳で死んでしまった女の子の声を代弁したものだ。〈あたしは死んだのあのヒロシマで〉と訴える歌詞は、炎に焼かれて死んだ子は、二度と甘いあめ玉もしゃぶれないといった切ない内容に続いていく。元さんは、05年以来、毎年夏にこの曲を期間限定で配信を行い、その収益をチャリティとして寄付してきた。広島、長崎のあの悲劇を二度と繰り返さないという平和へのメッセージが込められた曲をプロデュース、アレンジしたのが坂本龍一さんだった。「お会いする前から、とにかく、まわりのスタッフたちがガチガチに緊張しているのが伝わって、坂本龍一さんってそんなに怖い人なのかなと。私自身は、いつもどおり、先入観を持たずにお会いしたいと考えていました。初対面はニューヨークの、坂本さんが“社食”と呼んでいるイタリアンカフェでしたが、そのときに聞いたのは、それこそ『みんな気をつかって、僕にオファーをしてくる人はそんなにいないんだ』と。だから、私たちの依頼を本当に喜んでくれていた。素顔は、とてもおちゃめな方でした」と、語る元ちとせさん。その数日後、スタジオの指揮台に立つと一転、音楽家として繊細かつ妥協のない姿があった。「20人ほどの国籍も肌の色もさまざまな演奏家を前に、坂本さん自ら英語で『死んだ女の子』の歌詞の意味と、原爆が落とされた広島の歴史について解説をしてくれました。それから、『この音楽を、あなたたちがアメリカで演奏するということに大きな意味があるんだ』と、力を込めておっしゃいました。演奏前にしっかり意思統一をして録音を一発で終わらせようとしたのは、弦楽器の奏者にすごくハードな演奏が必要だったので、何回もやらせたくないという坂本さんの心遣いもあって。そういうやさしさは、本当にかっこよかったですね」やがてスタジオの演奏家らの気持ちも高まっていき、そこに元ちとせさんの、平和な世界を心から願うという渾身の歌声が重ねられていく。「二度と同じ過ちを繰り返してほしくないという思いで、みんなが一つになりました」■広島平和記念資料館で衝撃を受けて『死んだ女の子』に向き合った79年1月5日、鹿児島県大島郡瀬戸内町で生まれた元さん。19歳の秋に上京し、数寄屋橋のCDショップでアルバイトをしながら、デビューに備えた。「ちょっとデモ盤を録るから」所属した音楽事務所の当時の社長でプロデューサーも務めていた森川欣信氏(70)からある1曲を渡されたのは、このころのことだ。「それが、『死んだ女の子』でした。単純に、なんで、こんな怖いタイトルの曲をと思いました。歌詞も原爆で幼い女の子の髪の毛が焼けたりするという内容で、正直、私の中ではどういう感情で歌に向き合っていいのかわからなくて。その録音のあとは私自身、歌いたい気持ちも起きないままでした」インディーズを経て『ワダツミの木』でメジャーデビューを果たしたのは’02年2月。同曲はオリコン1位となり、80万枚を超えるセールスを達成する。ルーツにシマ唄を持つ、独特の歌唱法で、天にも届くような歌声は「神様の声」とも絶賛された。23歳だった。続く2曲目『君ヲ想フ』もヒットし、ファーストアルバム『ハイヌミカゼ』も1位となり、第44回レコード大賞ベストアルバム賞に輝いた。初の全国ツアーも大成功。快進撃が続いていた’04年1月、ホームページで結婚と妊娠が発表された。そして人気急上昇のさなかに、拠点を沖縄に移した。「スタッフの理解もあって、沖縄と東京を行き来しながらの生活が始まりました」翌05年、長女が誕生。そして、戦後60年の節目でもあったこの年の夏、元さんは、『死んだ女の子』の音源を発表した。「母親になったことも大きかったです。でも、私自身、あの歌を忘れていたわけではありません。いつも頭のどこかにあった。再び歌う気持ちになったのは、広島を訪れたのがきっかけでした」デビューしてすぐのことだった。「夏に音楽イベントがあって、広島に行ったとき、初めて広島平和記念資料館を訪れました。正直に言うと、最初はどんなところかわかっていなくて、遠足のような気分で出かけてしまったのですが、一歩、資料館に足を踏み入れたときの温度感や、展示されていた被害の現実は衝撃的でした。原子爆弾の熱線で石段に焼きついて残っていた女の子の影も実際に見ました。当時、私は24歳で自分はもう大人だと思っていましたが、こんな大切な歴史の真実も知らないで大人だと思っていた自分を恥ずかしいと感じたんです」資料館を出て、原爆ドームを見上げながら、同行していた森川氏に言った。「『死んだ女の子』って、こういうことだったんですね」続いて、こう口にしていた。「もう一度、歌ってみたいです」こんな心境の変化があった。坂本さんの助力を得て、元さんの新たな代表曲の一つとなった『死んだ女の子』は、’05年8月5日より配信が始まる。翌日の広島への原爆投下から60年という節目の8月6日、元さんは報道番組『筑紫哲也のNEWS23』(TBS系)において、原爆ドームの前で、坂本さんのピアノの生演奏により『死んだ女の子』を披露。裸足で歌い上げるパフォーマンスは大きな感動を巻き起こした。「平和であることが当たり前じゃないということを、忘れてはいけないと思うんです。もちろん母親として、自分の子供が戦争に巻き込まれてほしくないという気持ちも大きいです。この歌をきっかけに、その思いが多くの人々に届くといいな、と思いました」このあと、09年に長男が生まれた元さんは、生まれ故郷の奄美大島に帰る。「島に戻ったのは子育てのためというわけではなく、どこかで漠然と“いつかは島に戻るんだろうな”という気持ちがあって、それがそのタイミングになっただけ。とはいえ、本当に、まわりに助けられています。島のお母さんたちも多くが働いていますが、私の場合は、ライブなどで島を離れなきゃならないことが多いのも理解してもらっていて。一度もPTAの役に立ったこともないですが、『いいよ、いいよ』と。子供は、小さなころは勝手にどこかの家に泊めてもらっていて、今日はウチの子はどこなんだろうと(笑)。また、悪いことをしたら、誰かが叱ってくれるという島ぐるみの子育ても、私の幼いころと変わっていませんでした」その後も、子育てをしながらの歌手業が続く。’11年3月の東日本大震災と福島第一原発の事故を経て、翌年夏の「NO NUKES 2012」には、女性のソロアーティストとしてはただ一人参加して、『死んだ女の子』を歌った。「これも、坂本さんからお声をかけていただきました。『死んだ女の子』をレコーディングしたときも思いましたが、あからさまに戦争反対とかではなく音楽でしか生まれないもの、熱いものを、お互いに同じ温度感で作品に詰め込むことができた。つくづく坂本さんの音楽というのは、人そのものなんですね。彼のやさしさ、愛情、思いやりが、その根底にある」■「戦争はいやだ」という作文を書いた娘。自分の歌の意味が通じた喜びを感じてアルバム『平和元年』は、元さんが、戦後70年を迎えた’15年夏に発表した。『死んだ男の残したものは』『さとうきび畑』など平和への祈りが込められた12曲で構成され、『死んだ女の子』もこのアルバムで聴くことができる。「全曲カバーのこのアルバムを作ろうと思ったのは、坂本さんとの共演もきっかけの一つですし、さらには、吉永小百合さん(78)との出会いも大きいです」アルバムの題字を書いたのは、その吉永さん。「広島の平和コンサートに坂本さんとともに呼んでもらったときに、吉永さんとお話ししました。あの方は、戦後と同い年なんですね。『戦争から何年たったかを忘れてほしくないから、年齢を公表しています』と。吉永さんが平和に対する思いを、朗読会などを通じて届け続けていることに心打たれました」そしてもう一つ、元さんの気持ちを後押ししたものがあった。「前年に当時小学3年生の娘が書いた作文のタイトルが『戦争はいやだ』。私は、あんまり教育熱心でもなく、立派なお母さんを目指したこともありません。母と娘というより、同じ一人の人間として互いに歩いているという気持ちできたので。ただ、『死んだ女の子』もそうですが、子供に私の歌について話すときに、戦争で奪われなくてよかった命が奪われることもあるんだよ、ということは常々話していました。幼い娘が聞いて、そこで生まれたハテナが彼女の引出しに残っていて、やがて成長して戦争報道のニュースなどを見たときに、『あっ、ママの言ってたことはこれだったんだ』とつながっていたと知りました。ああ、歌い続けてきてよかったと思えたんです」ウクライナとロシアの戦争も出口が見えないなか、平和への願いを歌い続けている元さんが今、思うこととは。「奄美や沖縄の基地のことも含めて、何も知らないですむことじゃないですからね。いろんな考えがあるのは当然ですが、自分の意志を持つことは大事と思っています。私自身、奄美の歴史をほとんど知らずに育って、ようやく20代になって03年の復帰50年を機に学びました。本土と行き来するのにパスポートが必要だったりする苦労を乗り越えてできた、島の人の絆の強さを知りました。もっと早いうちに理解していたら私の中で何かが変わっていたかもしれない。だから、今の若い人たちにも、そうした歴史などを知っていてほしいと思うんです」昨年のデビュー20周年のアルバム『虹の麓』や記念ライブなどを機に、再び旺盛な音楽活動が始まっている。「原点に戻ってシマ唄ともう一度向き合いたいし、『平和元年』の第2弾もいずれ作りたい。そんな話も、スタッフと始めたところです。『死んだ女の子』は、坂本さんの参加により、国際的にも注目される力のある作品となりました。音楽というものは世界中の人の音が集まって重なり合っても争い事にはなりませんから、そうやってできた歌をこれからも届けていきたいと思うんです」
2023年07月09日