ハーバード大学卒、元外務省職員――と、輝かしい経歴をお持ちの新皇后陛下、雅子さま。その背景には、多感な幼少期を世界各地で過ごされたご経験があった――。父・小和田恒さん(86)は外交官。そのため、雅子さまは1才8カ月のときにはモスクワに移住。4才のときにニューヨークへと引っ越された。現地では、すぐにロシア語や英語をマスターされるなど、語学的な才能を発揮された。明るいご性格でお友達にも恵まれ、日本、米国で学ばれた中学高校時代は、ソフトボールに熱中。成績も大変優秀で、ベルモントハイスクール時代のニックネームは“頭脳”を意味する「ブレイン」だった。一方、中学の卒業文集では夏目雅子さん(享年・27)をもじって「芸名・脱目雅子」と自己紹介するお茶目な一面も。好きな曲は「浪曲、民ようならなんでも!自分で三味線を弾きながら歌うのが最高ヨ!」とも書かれていた。ハーバード大学進学後も、寮のパーティでマイケル・ジャクソンの曲に合わせディスコダンスを披露されるなど、学生生活を謳歌された。真面目なストイックさと、お茶目な一面を持たれる雅子さま。皇后となられた今、国際親善の場で、そのお人柄がより輝かれるに違いない――。
2019年05月07日苦悩の日々を乗り越え、新皇后となる日を迎えられる雅子さま。宮内庁関係者は、新時代に臨まれるお気持ちは明るいと断言する。「26年前、外務省職員から皇太子妃へ“転身”された雅子さまは、新たなステージで国際親善に取り組むことに大きな使命感を感じていらっしゃいました。最近の雅子さまからは、ご成婚当時と同じくらいポジティブなお気持ちが感じられます。もともと雅子さまは、一度目標を定めると、実現のために努力を惜しまない方。すでに新時代の皇室に向けて思い描いている目標もいくつかお持ちのようです。それを一言で言い表すなら“愛される皇后”を目指すことだと言えるでしょう」この15年あまりはご療養のために公務を休まざるをえず、雅子さま本来の人間性が発揮される場面はあまりなかった。しかし、皇室担当記者はこう説明する。「実は雅子さまはお話し好きでユーモアもお持ちなのです。海外生活が長く語学も堪能でいらっしゃいますから、ご成婚直後に臨まれた宮中晩餐会では、フランス語、英語、ドイツ語を駆使して招待客に話しかけられて海外マスコミの注目も集めました」皇太子さまも一昨年、マレーシアの首相とセルフィー(自撮り)を撮影されるなど、フランクな一面をお見せになっている。「かねてから皇太子さまは会見で、理想の皇室像を“国民の中に入っていく皇室”と表現されていました。天皇皇后両陛下が平成を通じて示された“国民と共にある皇室”よりもさらに一歩国民に近づき、多くの声を聞きたいという思いが感じられます。国民に親しまれ、愛される天皇皇后像へ――。その目標はご夫妻で話し合われたものでしょう」(皇室担当記者)雅子さまの目標とする“愛される皇后”への思いの根底には、ご自身が苦しまれた経験があると、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは語る。「ご出産と子育てで悩まれ、適応障害で長期療養されてきた経験があるからこそ、災害の被災者や障害のある方など様々な立場の人々の苦難にも深く共感できるはずです。そういった方々にお会いになることで、社会問題に光を当て国民の関心を生むことも、皇后として大切なお務めだと思います」
2019年04月30日平成の即位の礼での装束を身にまとわれた、天皇陛下と美智子さま。そのお写真を、雅子さまはじっと見つめられていた――。5月1日の新天皇即位を間近に控え、皇太子ご夫妻は4月24日、東京・上野の東京国立博物館で開催されていた天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―平成の日本美を伝える―」を鑑賞されていた。「展覧会で、陛下、そして美智子さまの足跡をご覧になり、雅子さまもいよいよ新皇后になられる実感を抱かれたことでしょう。クリーム色のスーツをお召しになった雅子さまは、報道陣の前でも堂々とされていると感じました。皇后になる日が近づくにつれ、雅子さまのご表情は日に日に明るくなっています」(皇室担当記者)ご体調が劇的に上向いた理由として「愛子さまのご成長が大きい」と語るのは宮内庁関係者。「雅子さまの適応障害の根本には“お世継ぎ”の問題がありました。不妊治療と流産を乗り越え、’01年12月に愛子さまが誕生されたことは皇太子ご夫妻にとって至上の喜びでした。しかし’03年6月、当時の宮内庁長官は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。雅子さまにとっては、愛子さまの存在までも否定されたように感じられたことでしょう。半年後に帯状疱疹で入院され長期にわたるご療養に入り、その後、適応障害と診断されたのです」雅子さまはたっぷりと愛情を注ぎ愛子さまを育てられたが、学習院初等科2年生のときにはほとんど登校ができない状態になってしまう。その後も愛子さまの不規則な登校は続いた。実は、愛子さまが小学4年生だった’11年の秋ごろ、雅子さまは親しい知人にこう語っていた。「愛子には愛子の人生があり、皇室に生まれた運命、持って生まれた運命というものがあります。もちろん親としての娘の人生への希望はありますが、私どもの気持ちだけで、あの子の運命を、どうこうするわけにはいかないのです」逡巡する口ぶりから、愛娘の未来を憂う雅子さまの苦悩が伝わってくる。「いずれは“天皇の娘”となられるお立場なのに、皇位継承権を持たない愛子さま。一方で女性宮家創設案も浮上しており、どう育てていくべきか思い悩んでいらしたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)しかし、一昨年に学習院女子高等科に進学されてからの愛子さまは、雅子さまを驚かせるほどの急成長を見せられた。「学校では社交的になられ、昨年の文化祭ではご友人たちとチームを組んでダンスを披露されました。さらにステージの司会もお務めになって会場を盛り上げたのです。東宮御所を訪れた外国の要人との懇談に参加され、英語でお話しされたこともあります。昨年の夏には英イートン校への短期留学も経験されています」(前出・宮内庁関係者)4月14日の「オール学習院の集い」でも、皇太子ご一家の仲睦まじいご様子が目撃されている。「盲導犬協会のブースで、雅子さまは愛子さまを促され、募金やお声がけのアドバイスをされていました。積極的に公の場でのなさりようを“特訓”されているようでした」(学習院関係者)雅子さまと愛子さまのまなざしは、新しい時代を見据えている。「娘に皇室に生きる運命を背負わせてしまったことに、ご体調が悪いころの雅子さまは自責の念を抱かれていたと思います。しかし愛子さまは皇族としての役割を受け止め、お立場を自覚されたのです。雅子さまはその成長に驚き、涙されたことでしょう。皇室に嫁ぎ、愛子さまを産んでよかった……。心からそう思えるようになったことで、雅子さまは笑顔を取り戻されたのです」(皇室ジャーナリスト)
2019年04月30日4月18日、天皇皇后両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。親謁の儀を終えられた両陛下は18日の夜、志摩観光ホテル・ザ・クラシックにご宿泊。両陛下は清子さんや伊勢神宮の関係者をお招きになり、夕食をともにされた。「今年の4月18日は、清子さんの50歳の誕生日でした。そして60年前の4月18日は、ご成婚8日目の両陛下が伊勢神宮に結婚のご報告をされた日。そんな由縁のある日、夕食後も清子さんはホテルに残って、両陛下と一緒に泊まったそうです。親子ご一緒に旅先でお泊りになるのは、御用邸や軽井沢でのご静養に清子さんが合流することを除けば、清子さんが結婚してから初めてのこと。14年前の’05年8月に長野県・山梨県を訪れて以来です。退位を前に久しぶりに娘と一夜をともにされて、両陛下にとっても感慨深かったことでしょう」(宮内庁関係者)また伊勢神宮は41年前の’78年11月、美智子さまと当時9歳の清子さんが2人旅で訪れた思い出の場所でもある。「そのときは老舗の旅館にお泊りになりました。8畳の和室にお布団を2つ並べてお休みになったそうです。東宮御所には和室がなく、普段はベッドで眠っていた清子さんは興味津々だったそうです」(前出・宮内庁関係者)旅館では、伊勢神宮ご参拝のリハーサルも行われた。仲居さんたちを下がらせて、お座敷でお辞儀の作法などを、美智子さまがマンツーマンで細かくお教えになったという。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが当時を懐かしむ。「美智子さまは、清子さんが学習院の初等科に進学してから、皇室に縁のある神社や陵墓などをめぐる“母娘旅”を10年間にわたって続けられました。それは皇族としての教育であると同時に、いつの日か皇族の身分を離れる清子さんとの思い出作りだったのではないでしょうか」清子さんが幼いころから、いずれ皇室を離れることを覚悟されていた美智子さまは、そうして母娘の時間を大切にされ、宮中の外の世界についてお教えになっていた。そして、美智子さまの愛情に包まれて育った清子さんは、’92年、学習院大学を卒業するにあたっての記者会見でこう述べた。《たくさんの公務をお果たしになりながら、いつも温かく見守って育ててくださいました皇后さまが、やはり理想の、理想という言葉は少しきついかもしれませんけれど、そのような女性になれたらと思います》親子水入らずで過ごされた伊勢の夜、美智子さまが清子さんと語り合ったのは「追憶と労い」、そして「令和の願い」……。「陛下が退位されると、皇后としてのお務めを終えられる美智子さまも今までより余裕のある生活をお送りになられるでしょう。これまではお控えになってきた“母娘旅行”も、きっとまた実現するはずです。その日を待ちわびていると、美智子さまもお伝えになったことでしょう」(渡邉さん)また、母娘一緒に――。美智子さまが訴えられた「願い」に、清子さんも笑顔で頷かれたはずだ。
2019年04月26日快晴に恵まれた境内には、優しい風が吹き、ときおり小鳥のさえずりが聞こえていた。モーニング姿の天皇陛下が皇室の祖とされる天照大神に譲位を報告されたのに続き、パールカラーのロングドレスに身を包まれた美智子さまも参拝された。4月18日、両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。当日、伊勢神宮周辺の沿道には、ご在位中最後の旅となる天皇陛下と美智子さまをお迎えするために約4万3千人の人々が集まった。伊勢神宮に詳しい文筆家で皇學館大学非常勤講師の千種清美さんが語る。「これまで神宮で何度も両陛下をはじめとする皇族方のご参拝を取材してきましたが、今回は本当にすごい歓迎ぶりで驚きました。全国から集まったみなさんから、平成の御代を惜しむ気持ちや、両陛下への感謝が伝わってくるようでした」神宮の関係者によると、両陛下は外宮参拝のとき、いつもより緊張されているご様子だったという。「伊勢神宮の祭主を務める黒田清子さんとご一緒に昼食をお召し上がりになったそうですが、それでリラックスされたのか、午後の内宮ご参拝のときには両陛下とも表情が和らいでいらっしゃいました」’05年11月、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚した清子さんは、’13年に伊勢神宮の式年遷宮で臨時祭主として儀式に臨んだ。そして’17年6月、正式に伊勢神宮祭主に就任した。「天皇陛下の代理として祭祀をつかさどる祭主は、皇室を離れた内親王として“最も重いお務め”といえます。両陛下は清子さんに祭主をお任せになることで、これからも皇室を支えてほしいという思いがあったのでしょう。それほど両陛下は、清子さんを信頼されているのです」(前出・皇室担当記者)‘93年、美智子さまが、59歳の誕生日に赤坂御所で突然お倒れになった。陛下と清子さんとご歓談中の出来事だった。一時意識を失われた美智子さまは、言葉を発することができなくなってしまった。その背景には、美智子さまに対するあまりに激しいバッシング報道があったと、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは語る。「そのとき清子さまはずっと美智子さまのおそばに寄り添われて、ご快復に力を尽くしました。また、’11年に東日本大震災が起こったときには、黒田さんの運転する車で、誰よりも早く皇居に駆けつけたそうです。結婚後もプライベートな部分で両陛下を支えてきた清子さんは、やはり美智子さまにとって特別な存在なのです」祭主になって以降も頻繁に御所を訪れる清子さんは、美智子さまのご相談相手となっている。「今回の神宮ご参拝で美智子さまのお足元が気になりました。足にご負担がかかるのか、御垣内の白石の上は歩きにくいようで、女官長さんの手を取られて歩かれる場面もありました。退位後に両陛下は御所から高輪皇族邸へ引っ越されます。ご高齢のお二人にとっては準備も大変であまり進んでいないようです。身の回りのことで頼りになるのは清子さんですから、美智子さまはすでに引っ越しについても相談されているそうです」(前出・宮内庁関係者)
2019年04月25日「平成の御代は、現在の天皇皇后陛下による日々の祈りのおかげで、この国を守る“結界”が各所に張られていると私は感じていました。けれど、御代替わりによって一時的にこの結界が揺らぐ可能性があります。新たな御代が安定するまでは、悪しき力が渦巻きやすく、怪しい誘いも発生しやすいので、注意が必要です」新たな御代・令和を目前に、こう警鐘を鳴らすのは、霊視カウンセラーとして活躍中の尚さん。今、日本人にとって大切なのは、一人ひとりが本来の目的に向かってブレずに生きることだと続ける。「今こそ魂が求めるもの、自分にとって真に必要なものは何かを見極める力を持つべきです」しかし、建て前ばかりのご時世、自分が何を欲しているのかさえ見失いがちなのが現実だ。そこで、尚さんが注目するのが、欲望のままにわが道を突き進む天才、安田大サーカス・クロちゃん(42)。言わずもがなのクズっぷりで一挙手一投足が炎上のネタになるクロちゃんだが、「実は彼の持つ“邪な力”こそが新時代を生きるエネルギーになる」と尚さんは霊視する。ということで、さっそくこの話をクロちゃんにぶつけてみた。「霊視カウンセラー?実は僕、叔母が病気などで悩む人を祈祷で治癒させることを生業としていましたから、いつも霊の存在を身近に感じているんです。だからその話、すごくわかりますね」そうサラリと語るクロちゃんのブレないものとは。「僕は何をするにも『トクするかどうか』が判断基準。そう考えれば、どんな困難も乗り越えられると思いますよ。たとえば、いま僕がツイッターで一言つぶやくと100~200の罵詈雑言が跳ね返ってくる。友人たちからは「よく耐えられるね」って同情されるけど、嫌なことを言われたら、正面からではなく、角度を変えて受け止めればいいんです。だって、正面から受け止めると、正面衝突で大事故になるじゃないですか。それは大いなるソン。でも、起こる物事にはすべて裏表があるのだから、自分にとって都合の悪いことを言われたら、トクするほうへ転がせばいい。炎上だって『こんなアドバイスもあるのか。気づけてよかった』と感謝すればいいんです」子どものころから「受け止める角度を変えるのはうまかった」というクロちゃん。「というか、ごまかすことは得意でしたね。母親の『50万円貯まる貯金箱』からこっそり500円玉を抜きとって、1円玉や5円玉に替えておく。バレそうになったら『僕じゃない、妹!』ってなすりつける。心の中で『盗んだんじゃない。取り替えたんだ』って角度を変えると、100の罪悪感が30くらいになるんです。要するに大切なのは、どんなことが起きても、そのベクトルを自分のトクする方向に向けること。これ、僕的には「ベクトルを変える」って言ってるんですけど、これが上手にできるようになれば、迷いもなくなると思いますよ」クロちゃんの話のなかで印象的だった「ベクトルを変える」という言葉。実は、尚さんも同様に“魂のベクトル”の向きを意識しながら霊視カウンセリングを行っているそう。「誰しも生きていると、あれこれ批判されたり忠告されたり、さまざまな方向から雑音が聞こえてきます。でも、自分と合わない意見にまで耳を傾けていると魂レベルで疲弊してしまいます。ですから、魂のベクトルをプラスの方向に向けるために、ときには“スルー”したり、“自己中”になったりするのはとても大切なことです。ただし、相手がいるときは思いやりは大切にしてください」他人からの忠告は、しょせん他人の視点からのもの。腑に落ちれば参考にすればいいし、的外れだと感じたらスルーすればいいという尚さん。「無理に迎合すると、自分の魂のレベルで望んでいる生き方ができなくなってしまいます。そういった意味では、私もクロちゃんと同じように、自分が本当に望んでいるものを見極めつつ生きることを大事にしています」また、クロちゃんが「トクするかどうか」で物事を判断することについてはこう分析する。「興味深いのは『自分にとって都合が悪いことが起きたら、受け止める角度を変える』という話。彼がトクだと言っていることは、金銭的な打算ではなく、精神的な打算を基準として判断しているといえます。このときのトクは、実は魂のレベルでは“徳を積む”ほうのトクを意味してもいるんです。これはご自身でも気づいていないかもしれませんが」終始、クロちゃんへの深い理解を示す尚さん。「人はそれぞれ生まれる前から、現世での役目や目標が決まっています。当然、進む道も人それぞれ違うので、他人に惑わされず、自分を信じることが必要です」
2019年04月21日毎月1回開かれてきた天皇陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの「三者会談」も、4月24日が最後になる。「三者会談」が行われる以前には、皇太子さまと秋篠宮さまの“対立関係”が表面化したことがあった。’04年5月の会見で皇太子さまは、適応障害で療養に入られた雅子さまについて《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》と言及された。この「人格否定発言」は、雅子さまを守るための悲痛な訴えだった。しかし、秋篠宮さまは同じ年の誕生日会見で《記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったか》と、皇太子さまに苦言を呈されたのだった。「その後、秋篠宮さまは皇室が抱える問題について積極的に発言され、存在感を増していきました。一方で、ご公務への出席が途絶えた雅子さまを庇い続ける皇太子さまへの風当たりは強くなっていきました。その状況は長く続き、’09年ごろには、皇太子さまは秋篠宮さまに皇太子の位を譲るべきという“廃太子論”まで言論誌に掲載される事態になったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)その3年後に「三者会談」が始まるのだが、美智子さまのご提案の背景には皇位継承の準備だけではなく、もう一つ大切な理由があったと言うのは前出の宮内庁関係者だ。「’08年2月、当時の羽毛田宮内庁長官が、公式の場である定例記者会見で『愛子さまが両陛下を訪問なさる回数が少ない』などと発言。長官がマスコミの前で皇太子さまへ苦言を呈するという前代未聞の出来事でした。両陛下と皇太子ご一家、秋篠宮家は当時、そういった事態を招くほどコミュニケーションが取れていなかったのです。この状況を憂慮されていた美智子さまはが『三者会談』という場を設けることで、意思の疎通を図ろうとお考えになったのです」御代替わりを前に、秋篠宮家には眞子さまとの婚約が延期となっている“小室圭さん問題”が持ち上がった。バッシングは小室さんだけでなく、秋篠宮家全体にまで及んでいる。「美智子さまもこうした報道はつぶさにチェックされ、遺憾に思われているそうです。このままでは10年前とは逆に、秋篠宮さまが孤立してしまうことも危惧されます。だからこそ発案者の美智子さまは、令和の時代になっても新しい皇室の団結を示すために、新天皇と皇嗣による『頂上会議の継続を!』と望まれているのです。美智子さまが参加されていた昼食会には、新皇后となられる雅子さまが出席されることになると思われます」(皇室担当記者)兄弟が胸襟を開いて協力する姿を見せられれば、美智子さまの「母の不安」も杞憂に終わるはずだ。
2019年04月19日「4月30日まで、天皇皇后両陛下は多忙な日々を送られます。今月18日には三重県の伊勢神宮を参拝し、退位を報告される『神宮親謁の儀』。23日にも昭和天皇陵を参拝されます。26日に憲政記念館で開かれる『みどりの式典』を終えると、30日の『退位礼正殿の儀』を待たれるのみとなります」(皇室担当記者)お代替わり、そして「令和」の新時代が刻一刻と近づいている。5月1日には皇太子さまが新天皇に即位されるが、宮内庁関係者はこう明かす。「上皇・上皇后となられる両陛下は、ご家族の誕生日や結婚記念日以外では、皇太子さまや秋篠宮さまとお会いになることはほとんどなくなると思います。新天皇となられる皇太子さまはご即位後、自らの責任で判断を下さなければなりません。陛下にご意見をうかがえば、上皇と新天皇の“二重権威”が問題となる可能性があるからです。毎月1回開かれてきた陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの『三者会談』も、4月24日が最後になります」この「三者会談」は、陛下が心臓のバイパス手術を受けられた’12年春から始まった。「この月1回の“頂上会議”は、美智子さまのご提案で始まったものなのです。陛下が象徴天皇としての体験や考えを、皇位の継承に連なる2人のお子さまにお伝えになり、率直な意見が交わされてきました。会談後は昼食会が開かれ、そこには美智子さまも参加されるのが恒例となったのです。何度もお会いになって議論を重ね、天皇陛下の思いが皇太子さまと秋篠宮さまにも共有されました。陛下が’16年8月8日にご退位のお気持ちを表明すると決断された陰にも、この重要な会談があったといえます」(皇室ジャーナリスト)ただ、発案者の美智子さまは、平成とともに「家族会談」にも終止符が打たれることに少なからず不安を抱かれていたという。「美智子さまは、皇太子さまと秋篠宮さまの間で、意思の疎通が図れなくなっていくことを心配されていました。現在の皇室は、天皇陛下のご長男である皇太子さまが、皇位継承順位第1位という構図です。しかし令和の皇室は、兄の皇太子さまが新天皇に、弟の秋篠宮さまが皇嗣となられます。親子ではなく兄弟が支え合っていくという、これまでとは異なる関係になるのです」さらに、皇嗣家には皇位継承順位2位の悠仁さまもいらっしゃる。「“将来の天皇”である悠仁さまが成長されるにつれ、その父である秋篠宮さまの存在感が大きくなっていくことも予想されます。真面目で慎重な皇太子さまと、活発で率直な秋篠宮さま――。ご兄弟の正反対な性格を誰よりもご存じの“母”美智子さまだからこそ今後の“兄弟確執”を不安に思われていたのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
2019年04月18日新元号「令和」も決定し、天皇陛下が退位される4月30日まで2週間あまりとなった。退位後の約1年半は品川区の高輪皇族邸に仮住まいされることになっている。高輪皇族邸は’73年に高松宮邸として建てられた。鉄筋コンクリート造りの地下1階、地上1階建て。高松宮妃喜久子さまが’04年に亡くなられるまで住まわれていたが、その後は空き家になっていた。「仮住まいの期間に、現在は皇太子ご夫妻がお住まいになっている赤坂御用地の東宮御所が改修されます。両陛下は’20年末までにその東宮御所に引っ越しされる予定です。改修後の東宮御所は、退位した天皇の住居として『仙洞御所』と改称されます」(宮内庁関係者)高輪皇族邸では改修工事が進むが、両陛下は「リフォームは最小限に」と希望されていた。「両陛下はできるだけ現状のままお住まいになりたいとおっしゃったそうです。国民の負担を極力少なくしたいというお考えなのでしょう。計画されていた運動場や陛下の魚類研究施設も、両陛下のご意向で取りやめになりました」(皇室ジャーナリスト・山下晋司さん)両陛下は引っ越されてから、運動のために皇居の多目的ホールに通われる予定だという。高輪皇族邸は高いビルに囲まれた土地なので、目隠しのための植林が進められている。ほかに邸内の空調設備の取り換えや屋根の防水などが主な改修工事だ。当初約8億4千万円だった予算は、5億円台半ばまで縮小された。「ご退位までお忙しい日々が続きますが、両陛下はお時間を見つけられては私物を確認されているそうです」(宮内庁関係者)皇居からのお引っ越しは大規模なものになるようだ。両陛下の前回のお引っ越しは’93年12月。赤坂御所(現在の東宮御所)から吹上御苑に新築された御所に移り住まれたが、その際に運び出された荷物は2トントラック延べ約100台分。引っ越し全体の予算は約4千万円だった。「陛下のご研究関係の資料や両陛下の蔵書、ご家族の思い出の品など、かなりの量になるはずです。最終的なお住まいとなる現在の東宮御所に倉庫が新設されます。そちらに直接運び込むもの、仮住まいの高輪皇族邸に運び込むもの、この仕分けなどもされているでしょう」(山下さん)
2019年04月13日4月10日にご成婚60周年を迎えられた天皇皇后両陛下。「夜には、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻と、食卓を囲まれましたが、昭和・平成の思い出話をされるとともに、きたる令和の御代についても語り合われたのではないでしょうか」(皇室担当記者)平成が幕を閉じようとするなか、刻々と迫ってきている新天皇のご即位。5月1日の「剣璽等承継の儀」の後に行われる「即位後朝見の儀」で、雅子さまは新天皇とごいっしょに“新皇后”としてお出ましになるのだ。皇太子さまと雅子さまが静かに温め続けられている“令和スタイル”。その一端が、新元号が発表された日に明らかにされた。「4月1日に産経新聞が、従来は皇居・宮殿で行っていたご公務の一部を、新天皇と新皇后は、お住まい(現在の東宮御所、5月1日以降は赤坂御所と改称)で実施する方向であることを報じています」(皇室担当記者)皇居・宮殿が公的施設であるのに対し、天皇皇后両陛下の私邸といえるのが御所。両陛下が高輪皇族邸に移られた後に、御所は改装され、皇太子ご夫妻が入られるのは’20年春を予定されているという。皇太子ご夫妻は、それまで赤坂御所(現在の東宮御所)に住まわれることになるが、いわば“自宅”で多くのご公務に励まれるというのだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは言う。「天皇皇后両陛下は、’93年に竣工した現在の御所に引っ越されるまでの5年間は、公務のためにお住まいの赤坂御所から頻繁に皇居に通われていました。様々な受章者や功労者などの拝謁や国公賓関係の行事は宮殿で行われますし、執務も宮殿でされることが多かったからです」両陛下のご公務といえば、地方への行幸啓や、式典などへのご出席という印象が強いが、日本の大使夫妻、外国の駐日大使夫妻たちと会われることも、重要なお役目の1つだ。ちなみに’18年10月、美智子さまのお誕生日に際して、宮内庁は次のように発表している。《(この1年間で)今年お招きを受けた大使夫妻は62か国、2組織、110人に及びます。 日本から赴任する37か国と2組織の大使夫妻にも出発前にお会いになり、同様に帰国した30か国、1組織の大使夫妻をお茶にお招きになって任地の様子をお聴きになりました》平成初期の両陛下は、ときには1日に何度も、赤坂御所と皇居・宮殿を往復されたので、そのご負担は想像を絶するものだったという。「皇太子ご夫妻は現在も東宮御所の公室棟で、外国大使と面会されたり、外国の賓客と食事会を催されたりしていますが、即位後もそのスタイルを続けられることになるそうです。御代替わり以降は、面会されるお客さまも格段に増えます。そのたびに皇居・宮殿に移動されるのは合理的ではありませんし、雅子さまにとってもご負担が大きすぎるというご判断なのでしょう」(宮内庁関係者)数年前から“働き方改革”の必要性が叫ばれるようになっており、この4月1日から関連法案が順次施行されている。前例主義の宮中にいながら、皇太子ご夫妻があえて決断された「公務は自宅で!」という構想は、まさに革命的ともいえるだろう。「赤坂御所と皇居の間は自動車で移動されますが、その都度、警視庁の車両が先導し、短時間とはいえ道路は規制されます。宮殿は各部屋とも天井が高いため、行事などで使用する時はかなり前から冷暖房を稼働させます。天皇皇后両陛下は、東日本大震災後の節電を機に、御所でも可能な公務はできるだけ御所でされるようになりました。そういった前例もありますし、新天皇皇后が赤坂御所で公務をされることは合理的だとは言えます」(前出・山下さん)宮中晩さん会や大人数の拝謁など、宮殿でしかできない行事もあるが、警備費や光熱費などの費用面、部屋の広さなどの物理面、行事の格式などのバランスに留意し、決めていくことになるという。この“職住一体スタイル”には、長期療養中の雅子さまにとって、当面は慣れた場所でご公務ができるというメリットもある。「いずれ赤坂御所から、改装された御所に引っ越しをされるまでに、皇后というお立場に少しでも慣れていただければと思います」(精神科医の香山リカさん)令和の幕開けまであと3週間。雅子さまには、ゆっくりであっても着実に“皇后の道”を歩んでいただきたい。
2019年04月11日世の中、たとえ好意を抱く女性がいても、両思いの確証がなければ動き出せない男性は意外と多いもの。そんな奥手男子たちが、「この子とは両思いだ!」と感じる瞬間を紹介します。頻繁に目が合う目は口ほどにものをいう、という言葉がありますが、気になる男性がいると、ついつい彼の姿を目で追いかけてしまいますよね。実は、それは男性も同じです。頻繁に目が合うということは、それだけお互いがお互いを意識している証拠と言えるでしょう。目が合ったときに照れてしまうこともありますが、その時は照れ隠しに険しい顔をするのではなく、できれば笑顔を作れるとより効果的です。あなたが自分と目が合って微笑んでくれることで、男性は「もしかして…」と感じるでしょう。毎日メールや電話をしている好きな相手とメールが続くとうれしいですよね。メールのラリーが続き、「おはよう」「おやすみ」などの挨拶が習慣化してくると、男性は相手の女性を特別に感じるようになります。大切なのは、やり取りの中でさりげなく好意を伝えること。確信的な言葉がなくても、あなたからメールや電話を楽しみにしている素振りが伝われば、彼の「もしかして…」は日に日に確信に変わっていくでしょう。毎回次のデートの約束ができる相手との仲が深まってくると、ふたりで出かけるチャンスもあるでしょう。しかし、数回デートをしただけでは両思いだと確信できない男性もいます。そんな時は、毎回次のデートの約束を取り付けるようにしましょう。「次は〇〇に行きたい」「次は〇〇を食べたい」とあなたから提案するのもOKです。彼はあなたが自分とのデートを楽しんでくれていて、もっと自分と一緒にいたいと考えてくれている、と感じることができるでしょう。第三者からの情報があった場合ほぼ両思いなのに、なかなか彼に気持ちが伝わらない…そんな時は、第三者に協力を依頼しましょう。心理学では、本人の口から伝えるよりも第三者を通して伝えた場合のほうが、印象に残りやすく信憑性も増しやすいとされています。第三者を通して「あの子、お前のことが好きだってよ」と情報が回ってきた場合、男性は好意を寄せる女性と両思いであることを確信するでしょう。
2019年04月07日「私が『陛下と私は、ほぼ同い年ですなあ』とお話しすると、陛下のお顔がほころんで『やあ、そうですねえ』とお答えになりました」そう語るのは、京都仏教会代表理事で、相国寺や金閣寺の住職も務める有馬頼底さん(86)。天皇皇后両陛下は3月25日から京都・奈良を訪問された。その初日、両陛下が近畿地方の首長やゆかりの人々などを京都御所にお招きになり、茶会が開かれた。そこに有馬さんも出席したのだ。お二人の出会いは80年以上も前に遡る。幼稚園に入って2年目の有馬さんが、翌年から入園される陛下(当時は皇太子殿下)の遊び相手8人のうちの1人に選ばれた。月に1~2回、朝から教師に引率されて東宮御所へと向かったという。「御所の庭でもらったビスケットを食べながら待っていると、小柄な陛下が三輪車に乗ってお見えになるのです。陛下と一緒に泥だらけになってブランコや砂場で遊んだものでした。取っ組み合って相撲を取ったのもよく覚えています。帰り道、友人に『お前、東宮さまを殴っただろう』と言われて、『相撲で投げ飛ばしただけだ』と口論になりました。すると先生が『お相撲の勝負だから仕方がないだろう』と仲裁に入ってくれました。今ではいい思い出です」茶会では、有馬さんが金閣寺の住職を兼任していることを伝えると、陛下は「焼ける前の金閣寺を拝見しております」とおっしゃったという。「私は『退位なされたら、ぜひ、修復した金閣にもおいでください』とお誘いしました。さらに『ご退位後は自由になられるのですから、ご先祖様のいらっしゃる京都に1年の半分くらいでも、お住みになってはいかがですか』とご提案させていただくと、陛下はやっぱり『そうですねえ』と笑顔でうなずかれていました」有馬さんは昨年の9月、日仏友好160周年の記念行事に出席するためフランスを公式訪問された皇太子さまにも同行した。「相国寺にある承天閣美術館所蔵の寺宝を出展した関係で、案内役の一人を務めました。エッフェル塔の点灯式では、皇太子殿下がボタンを押すことになっていました。しかし、トラブルで1時間以上も待たされることになったのです。関係者はヤキモキしていたのですが、殿下は焦ることなく、むしろ周囲に笑顔で話しかけ、場をなごませていらっしゃいました。しかもそのあとのスピーチでは流暢なフランス語も披露されました。フランスでの立ち居振舞いを拝見して、御代替わりとなっても、この方が即位なされば皇室は安泰だと思いました」
2019年04月02日4月末のご退位まで重要な儀式が続き、両陛下は忙しい日々を過ごされている。そんな中、両陛下を喜ばせる出来事があった。「3月17日に、天皇陛下の即位30年と美智子さまとのご成婚60年を祝う非公開の昼食会が東宮御所で行われました。その最後に、両陛下を労う“サプライズ”のプレゼントが用意されていたのです」(宮内庁関係者)皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻が主催し、皇族方や元皇族、旧宮家の49人が出席したこの内宴では、雅子さまがメニューの考案をされたという。「皇太子殿下のお祝いの言葉で始まり、食事の後にはシャンソン歌手による歌の披露もあり、3時間ほど続きました。両陛下はもちろん、眞子さま、佳子さまも明るい笑顔でした。そして内宴の終わりには、愛子さまと悠仁さまが両陛下に歩み寄られて、悠仁さまが陛下に、愛子さまが美智子さまに花束を手渡されたのです。花束を受け取る両陛下は幸せそうな笑みを浮かべていらっしゃいました」(前出・宮内庁関係者)“将来の天皇”という期待を背負われている悠仁さまと、新天皇になられる皇太子さまの一人娘である愛子さま。「両陛下に花束を渡されたお二人が次世代の皇室で大きな役割を担われます。とりわけ愛子さまは、女性宮家の創設が決まれば、大きく立場が変わられるでしょう」(皇室ジャーナリスト)菅義偉官房長官は18日の参議院予算委員会で、女性宮家の創設を含めた安定的な皇位継承について「(新天皇が)即位された後、そんなに時間を待たないで(検討を行う)と考えている」と述べた。そして安倍首相は20日の国会で、これまで自身が持論としていた“旧宮家の皇籍復帰”について「私自身がGHQの決定を覆すことはまったく考えていない」と、否定的な考えを示したのだ。「旧宮家の皇籍離脱は70年以上前。民間人として暮らしてきた“男系男子”に皇室に入ってもらうのは、現実的ではないと結論づけたのではないでしょうか。旧宮家の復帰がないとなれば、女性宮家の創設がさらに現実味を帯びてくるのは間違いありません。そうなれば愛子さまは、結婚されたとしても皇室に残られることになります」(前出・皇室ジャーナリスト)3月28日に共同通信が報じた注目すべきスクープがある。政府が’97年から、女性皇族への皇位継承について極秘の検討会を開いていたというのだ。さらに’04年春の文書には、女性・女系天皇を認める皇室典範の早期改正方針が記されていたという。「愛子さまが天皇になられる可能性が、一度はかぎりなく実現に近づいていたのです。しかし’06年9月、悠仁さまが誕生され、その直後に第一次安倍内閣が発足。女性・女系天皇の検討はたち消えになりました。ただ、’17年5月の共同通信による世論調査でも女性天皇賛成は86%、女系天皇容認は62%となっています。今後、議論が再燃することも考えられます」(政治部記者)歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは皇位継承問題への危惧を口にする。「今後、悠仁さまが結婚され、さらに男性のお子さまが生まれるという保証はありません。政府がこのまま“男系男子”にこだわるならば皇室の存続が危ぶまれます。このまま問題の解決を先送りすれば、安倍政権は近い将来、皇位継承の危機を招いた責任を負うことになる可能性があるのです」4月から高校3年生になられる愛子さまは、将来はさらなる重責を担われることになるかもしれない。最近では皇太子ご夫妻と一緒に、東宮御所を訪れた外国の要人に積極的に話しかけられて、通訳を介さずに英語で懇談されることもあった。「愛子さまが“新天皇の一人娘”として、積極的にその役目を果たそうとお考えになっているのです。御代替わりを目前にして受け取られた花束に、美智子さまは愛子さまの“自覚”を感じられ、感涙にむせぶほど心を打たれたことでしょう」(前出・皇室担当記者)皇室の次世代を担う平成生まれのプリンセス。その成長を美智子さまはこれからも見守られていくことだろう――。
2019年04月02日「両思いなのかもしれない」と感じることがあったら、男性のテンションはかなり上がるはず。そして、それがキッカケとなって、「告白をしてみよう」という決意ができる可能性だってあります。そこで今回は、男性が「もしかして両思い?」と感じる瞬間を紹介します。■ いつまでも「話」が終わらない会話をしているといつまでも話が終わらず、あっという間に時間が経ってしまうような女性からは、なんとなく好意も感じるもの。電話やLINEでも、長話を中断させたり終わらせたりするような素振りが全く見られず、むしろずっと話し続けようとされたら、さらにそういった思いは強くなるはずです。付き合う間際や付き合いたての頃には、長々と話し込んでしまうようなこともよくあるので、それと同じような興奮や高揚を得られるのでしょう。ダラダラと無理に長話をするのはよくないですが、「もっと話したい」とか「話していると楽しい」といった気持ちは伝えた方がいいですよ。■ 周囲から「お似合い」だと言われる楽しそうに会話をしていたり、ふたりで一緒にいることが多い男女は、周囲の見る目もだんだん変わってくるもの。そんなときに、「ふたりってなんかお似合いだよね」とか「もしかして付き合ってるの?」なんて言われたら、男性はちょっとうれしいはずです。しかも、そう言われたときに、女性もまんざらではないような顔や態度を見せた場合には、「もしかして両思いかも?」とドキドキもするでしょう。「付き合ってないですよ」と否定したりはせずに、思いきって喜んでみたり、ちょっと恥ずかしそうにしたりすると、さらに男性の心を揺さぶることができますよ。■ 「2人きり」を拒否しない「2人きり」でのお誘いをしても、全く嫌がったりせずに即座に応じてくれると、「脈アリかも?」と男性は感じるはず。それはもはやデートのような状況でもあるので、余計に「両思い」を意識したりもするでしょう。また、逆に女性の方から「2人きり」になろうとしてくる場合は、さらに「俺のことが好きなのかな?」という思いが強くなるもの。「一緒に帰りましょう」とか「ランチに行きましょう」などと、ちょっとずつでもいいので、こまめに2人きりになるようにすると、間違いなく距離も急速に縮まりますよ。■ 自然と「手」をつなぐことができた男女の間で、友達と恋人との大きな分岐点ともいえるのが、「手をつなぐ」ことです。女友達と手をつないだりはなかなかしないので、つなぐことができたら友達以上の関係になったと感じる瞬間でもあるのでしょう。例えば、寒い日に外を歩いているときに手を握ってみたり、人ごみを歩いているときにはぐれないように手を握ってみたり、酔った勢いで手をつないでみたり…。そういったことをした際に、嫌がられずに握り返されたりしたら、「俺たち両思いだ」と確信を持てるはずですよ。■ おわりに好きな女性が自分のことをどう思っているのかは、男性もかなり気になるものです。もしも「両思い」だと感じたら、自信もつくでしょうし、積極的にアプローチをしたりもできるようになるはずですよ。(山田周平/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2019年03月13日2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、明確な言及を避けられた。2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。一般の方ならば、適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は“お預け”となってしまいました」(皇室担当記者)さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。安倍首相は5月26~28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)新皇后となられるまであと2カ月。雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
2019年03月01日《両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしてまいりたいと思います》2月21日、皇太子さまが23日の誕生日を前に記者会見を開かれ、ご即位への決意を語られた。東宮侍従や式部副長を務め、皇太子さまを古くから知る竹元正美さん(73)も感慨深げだ。「59歳でのご即位で、すでに多くの経験を積み重ねてこられたにもかかわらず、何度も“自己研鑽”というお言葉をお使いになりました。皇太子殿下の謙虚で慎み深いお人柄がにじみ出た会見だったと思います」会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。しかし皇太子さまは《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、明確な言及を避けられた。皇室担当記者は言う。「皇太子さまは雅子さまに『外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではないですか』とプロポーズされたといいます。ところが、皇室に入られた雅子さまを待っていたのは『早くお世継ぎを』という声。’01年に待望の第一子となる愛子さまがお生まれになっても『次は男子を』というさらなる重圧が雅子さまを苦しめ、海外訪問は制限され続けました。雅子さまが外交官としてのキャリアを活かす場面はほとんどなかったのです」そして雅子さまは’03年12月に帯状疱疹で緊急入院。翌年、適応障害と診断される。「皇太子さまはそのころから、雅子さまのキャリアを活かせる『時代に即した新しい公務』の必要性を訴えてこられましたが、いまだに形にはなっていません。それゆえお代替わりを約2カ月後に控えての今回の会見では、新皇后のご公務について、皇太子さまからの踏み込んだご発言が期待されていたのですが……」(前出・皇室担当記者)昨年12月9日、55歳のお誕生日に発表されたご感想で雅子さまは《内戦や紛争の影響が、特に子供を始めとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております》と綴られている。ユニセフ事務局長や国連難民高等弁務官の名前も挙げながら、世界の子供たちの貧困や難民の状況について具体的に述べられていたのだ。「いっぽうで会見での皇太子さまのおっしゃりようを聞くと、このところご回復傾向にあった雅子さまですが、現在はまだご公務やご活動について具体的な目標を明らかにできる段階ではないように感じられます」(皇室ジャーナリスト)2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う宮中茶会が開かれたが、雅子さまは欠席された。心配される雅子さまのご体調。26年前のプロポーズにこめられた“約束”の実現も難しい状況なのだろうか――。
2019年03月01日2月24日、歌手の三浦大知(31)が「天皇陛下御在位三十年記念式典」で、天皇陛下がご作詞、皇后陛下がご作曲された『歌声の響き』を歌唱し、話題となっている。午後2時より東京・国立劇場で行わた式典で、沖縄出身である三浦は『歌声の響き』を記念演奏として披露。同曲は沖縄周辺の島々に伝わる八・八・八・六の音数律をもつ定型詩である琉歌で、天皇陛下が1975年に初めて沖縄を訪れ、名護市のハンセン病療養所を訪問したことがきっかけで詠んだ歌だという。同式典は、NHK総合、テレビ朝日、またインターネットで生中継が行われ、三浦の歌唱が終わるとネットでは大反響。TwitterやYahoo!のトレンドランキングに「三浦大知」「大地くん」がランクインした。ネットは「歌声も演奏も素晴らしかったです。もぅ…言葉にならない」「正座して聴きました。感動!鳥肌立ちました!式典の雰囲気を崩さずに、尚且つ三浦大知のスタイルも崩さずに、本当に人間性が滲み出ててた。日本の宝です」「素晴らしい歌唱感動を有り難うございました同じ時代に生まれて良かったぁ」と三浦の歌声に称賛の声が殺到している。
2019年02月24日数台の報道カメラが待ち構えるなか、2月15日の10時45分ごろ秋篠宮さまを乗せたお車が皇居へと入っていった。その5分後、皇太子さまも皇居へ――。「月1回の定例となっている、天皇陛下との“三者会談”が開かれたのです。会談後は美智子さまも同席されて昼食を召し上がられたようです」(皇室担当記者)皇太子さまは13時20分ごろ皇居をご退出。しかし秋篠宮さまはなかなか姿を現されない。やっと秋篠宮さまのお車が皇居を出ていったのは14時50分。実に90分もの間、両陛下との会談が続いていたことになる。前出の皇室担当記者は深刻な表情を見せる。「今回は1月22日に小室圭さんが借金トラブルの“釈明文書”を公表してから、はじめての会談と思われます。小室さんをめぐる問題を話し合われたとみて間違いないでしょう。両陛下は眞子さまのご様子を非常に心配されているはずです。秋篠宮さまは、お代替わりの直前までこのトラブルを収束できなかったことを釈明されたことでしょう」しかし、眞子さまの結婚の意思は変わっていないとみられている。「ご両親でも無理やり破談にすることはできません。結局、ご結婚延期状態のまま眞子さまの心変わりを辛抱強く待つしかないのです。そのような実情をお聞きになり、両陛下も憂慮を深められたことでしょう」(前出・皇室担当記者)
2019年02月20日三浦大知(31)が2月24日に東京・千代田区の国立劇場で開かれる「天皇陛下在位30年記念式典」にて、記念演奏すると発表された。三浦の国民的行事への参加に、ネットでは大きな反響を呼んでいる。各メディアによると今回三浦は、「歌声の響」を披露。天皇陛下が沖縄訪問時の思いを込めて作詞され、皇后陛下が作曲された楽曲だという。Twitterではファンからの驚きとともに、喜びの声が上がっている。《沖縄県出身の、MJに憧れて歌いはじめ、踊りはじめた小さな少年は、青年になってとうとう天皇陛下、皇后陛下の作られた楽曲を御本人達の前で歌い、舞い踊る事になりましたとさ。いや、すげえや》《天皇皇后両陛下はきっと、三浦大知くんの歌声が国民の心を少しでも和やかにしてくれるだろう、って。そんな風にお考えになっているんじゃないかと想像して今夜は眠りたいです》《驚きすぎて気持ちが成層圏を突破している》三浦は97年にパフォーマンスグループ・Folderのメンバーとしてデビュー。9歳にしてメインボーカルを務めていた。「当時から、その歌声はMISIAさん(40)といった数々の大物ミュージシャンから認められていました。ソロに転向してからも着実にステップアップし、17年には紅白歌合戦に初出場。昨年も出場し、30人のダンサーを引き連れたパフォーマンスで多くの視聴者を魅了しました。昨年12月にリリースした楽曲『Blizzard』のMVが、YouTubeで1,000万回再生を突破したばかり。そのタイミングでの今回の発表に、ファンは喜びもひとしおのようです」(音楽関係者)そのキャリアは20年以上。三浦はついに、国民的歌手としての階段を登りつめたようだ。
2019年01月17日「天皇陛下と美智子さまは、1月下旬に神奈川県の葉山御用邸で静養される予定です。ご滞在中の両陛下は、御用邸裏の『小磯の鼻』と呼ばれる海岸を散策され、地元の人々とお話しされることもあります。ご退位まで4カ月をきったいま、両陛下のお姿を拝見できる貴重な機会になりそうです」そう語る皇室担当記者。退位後の両陛下はご公務をなさる予定はなく、お出ましの機会が激減すると見られている。「両陛下はご静養の初日に横須賀市の観音崎公園を訪れます。戦没船員の慰霊碑に花を手向けられたのち、葉山御用邸へ向かわれるそうです。両陛下として最後のご滞在となりますので、ご家族との思い出にあふれる場所で、お二人の60年間の歩みをゆっくりと振り返られるのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)しかし両陛下、とりわけ美智子さまのご心境は穏やかではないのでは……と心配を口にするのは宮内庁関係者。「眞子さまと小室圭さんの“ご結婚延期問題”が解決しないままお代替わりを迎えることは、ほぼ確実な状況になっているからです」昨年11月に秋篠宮さまは誕生日会見で、現状では『婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません』と明言された。「小室さんに対しての“最終通告”ともいえる、厳しいご発言です。それでも眞子さまのお気持ちは固く、小室さんとの結婚の意志は変わっていないようなのです。年が明けてからも、眞子さまは、小室さんに関しては秋篠宮ご夫妻と“対話拒否”状態にあるようです。美智子さまはこの問題についての発言を慎んでこられました。言葉にはなさいませんが、誰よりも初孫である眞子さまの未来を案じていらっしゃることでしょう」(前出・宮内庁関係者)
2019年01月17日一緒にいるだけなのに、不思議とリラックスできたり自然と笑っていたり、そんな異性との経験はありませんか。そんな彼男性が感じる両思いの瞬間を紹介します。偶然じゃないかもアイコンタクトの不思議目は口ほどにものをいいます。つまり、アイコンタクトが頻繁にあれば、彼も貴女の仕草や視線を気にしている証拠です。彼自身も貴女のことが気になっていて、自然に目が合ってしまいます。もしも、1日に何度もアイコンタクトがあって、貴女が笑みを浮かべていたら、彼は両思いだと感じます。彼が微笑みを浮かべていたら、貴女もしっかりと応えましょう。そうすれば、彼も両思いを確信できて、次の一歩を踏み出せます。女性からのボディータッチにドキドキ本命にしたい女性に対して、男性はとても慎重です。つまり、すぐに貴女の身体に触れたりできません。できたとしても、どこか躊躇いがちにそっと触れるのが精一杯です。しかし、好意を感じる相手からのボディータッチは、照れ臭くて心臓もドキドキしています。これって偶然なのかなと男性は貴女のボディータッチに意図的なものがあるのか気になります。そんな彼に、もう一度、笑顔でボディータッチしてみましょう。彼は偶然ではなく、貴女の行動に好意を感じ取ってくれます。しかも、彼が照れながらも身体を仰け反ったり拒んだりしなければ、彼の気持ちも貴女と同じです。一般的な男性は、女性からのボディータッチをとても照れ臭く感じます。それだけに、気のない女性からのボディータッチには、一瞬でも強張りを感じます。場合によっては、表情が硬くなってしまうでしょう。つまり、貴女がボディータッチしたときに、彼の表情が穏やかだったり照れ臭そうであれば、彼は貴女の存在を好意的に受け止め、しかも両思いかもしれないと感じとるのです。彼の飲み物を貴女が自然な流れで飲んだとしたら飲み物は、実にパーソナルスペースを実感する場所です。しかも、自然の流れの中で彼の飲み物を貴女が飲んだとすれば、彼は驚きと同時に貴女にパーソナルスペースを侵入されたと思うでしょう。貴女に好意を感じていれば、貴女の気持ちを知ることができ、両思いになれると確信できます。多くの男性は、プライベートな領域に好意のない異性を招き入れたりしません。逆をいえば、プライベートな領域にスッと入ってきた行動に、貴女の気持ちを感じとるのです。飲み物だけではありません。例えば、彼のメガネや帽子などでも貴女の気持ちを伝えることができます。貴女が自然な流れの中で彼の持ち物を身につければ、彼が貴女の気持ちを感じとり、両思いになれると瞬間的に思うでしょう。
2019年01月15日今、彼がいてラブラブなあなたも、片思いしているあなたも、男性が一瞬で冷めてしまう言動を知っていますか?あなたの言動で知らないうちに彼の気持ちが冷めてしまわないように、どんな言動で男性が冷めてしまうのか、理解しておきましょう。言葉遣いが汚い大好きな彼とのお喋り、当然女性らしい言葉をつかいますよね。でも言葉遣いに気をつけているのは彼といるときだけで、普段はちょっと言葉遣いが荒いかも…という人は注意が必要です。どんなに隠しても普段使っている言葉は何気ないときにふと出てしまうものです。あなたのそんな言葉を聞いた彼は一瞬で冷めてしまうかもしれません。普段、彼と女性らしい言葉で話しているのであれば、そのギャップでますます引かれてしまうので気をつけましょう。店員に上から目線彼と食事に行ったり、ショッピングなど行くこともありますよね。その時にあなたは上から目線で店員に接していませんか?そんな時、店員に対してあまりにも上から目線でえらそうに振る舞っていると、彼の気持ちが冷めてしまうことになりかねません。男性はいつか自分に対してもそんなふうな態度をとられるかもしれないと思ってしまいます。店員もそうですが、普段からまわりの人に感謝の気持ちを持つくらいの態度で接するようにしましょう。飲むと人が変わる人間なのでお酒をのんでいつもよりもはしゃいだり、ちょっと愚痴をこぼすことはあるかもしれません。しかし、飲みすぎて人が変わったようになり誰にでも馴れ馴れしくなったり、泣いたり、怒り出したり、周りに迷惑をかけてしまうような人は要注意です。好きな女性であっても、お酒を飲んでそんな風に豹変してしまう姿を見せられては男性も気持ちが冷めてしまいます。酒癖が悪いという自覚がある人はお酒はセーブしながら飲むようにしましょう。はじめから無理をしない好きな男性の前で可愛くいたいと思うものですが、はじめから無理をしすぎては、どこかでボロが出て男性が一瞬で冷めてしまう可能性も高くなってしまいます。なるべく本当の自分を見せながらも、大人の女性として恥ずかしくないように振る舞う、それくらいが丁度いいのではないでしょうか。
2019年01月11日第76回ゴールデン・グローブ賞主演女優賞(オリヴィア・コールマン)に続いて、英国アカデミー賞では最多12ノミネートを果たした『女王陛下のお気に入り』。この度、本作に登場する3人の女たち、オリヴィア、レイチェル・ワイズ、エマ・ストーンとヨルゴス・ランティモス監督が語る特別映像が到着した。『ロブスター』『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』など、クセがスゴすぎる作風で知られるランティモス監督の最新作として映画賞レースを席巻中、アカデミー賞主要部門のノミネートも確実な本作。今回の特別映像では、宮廷を舞台にした女たちの愛と権力を巡る複雑でハチャメチャな関係性が、ランティモス監督と彼が信頼を寄せる実力派三女優のインタビューと共に紹介されていく。監督が「3人の女性全員を主人公にするアイデアに興味をそそられた」「3人とも複雑なキャラクターに仕上げた」と見どころを説明すると、アン女王役のオリヴィアも「どうなるか最後までわからない」と明かし、「3人の関係の描き方がとても斬新よ。すばらしいストーリーだわ」と大絶賛を贈る。「特定の悪役も、被害者もいない。悪役と被害者がコロコロ変わっていく」と監督も言うように、エマ演じる没落貴族の娘アビゲイルも単なる“被害者”ではない。「誰もが欠点だらけで滑稽だけど、一筋縄ではいかない。全員が自分なりの理由で動いている」とエマ。「パワーバランスと支配権を巡る争い」と語るレイチェルも、そんなアビゲイルは「レディ・サラにとってはただの泥棒猫よ」とピシャリ!彼女たちの辛辣な発言とともに、美しい宮廷でのドロ沼な“攻防”も映し出され、見逃せない映像となっている。『女王陛下のお気に入り』は2月15日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:女王陛下のお気に入り 2019年2月15日より全国にて公開(C)2018 Twentieth Century Fox
2019年01月10日「あ・り・が・と・う」広場に集まった数万人もの人々から大歓声を受けて、皇居・長和殿のベランダに立たれた美智子さま。その唇が何度か、感謝の言葉を紡ぎだすように動いた――。1月2日、快晴の空の下で平成最後の新年一般参賀が行われた。もともと両陛下のお出ましは5回の予定だったが、例年をはるかに上回るペースで人々が詰めかけたため、宮内庁は急きょ6回に変更した。「宮内庁の担当者は、報道陣に対しても『7回目はありません』とアナウンスしていました。しかし、両陛下のお出ましに間に合わなかった人々が大勢いたのです。それをお聞きになった両陛下の強い希望で、7回目のお出ましが決まりました。天皇皇后両陛下は、常に国民に寄り添うことを心がけてこられました。自分たちを求めてくれる声に、できる限り応えたい――。そうお考えになったのでしょう」(宮内庁関係者)昨年12月23日、天皇陛下の誕生日の前に行われた記者会見では、陛下の美智子さまへの深い愛情が伝わってくる場面があった。宮内庁担当記者はこう語る。「会見は20分ほどでした。皇太子殿下、そして天皇陛下としてご自身が歩んでこられた道のりを思い出されたのか、美智子さまへの感謝のお気持ちを述べられるあたりから、涙声を抑えきれなくなられたのです」陛下が涙ぐまれたのは、この言葉を述べられたときだという。《自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民への双方の献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います》文化学園大学客員教授で皇室ジャーナリストの渡辺みどりさんは言う。「会見の内容は事前にご存じだったにせよ、陛下の真情あふれるご様子に、美智子さまも胸を熱くされたことでしょう。84年の銀婚式会見で、陛下は美智子さまに“努力賞”を、美智子さまは陛下に“感謝状”を差し上げたいとおっしゃいましたが、そのやり取りを思い出しました。先日の会見の際、陛下のお隣に美智子さまがいらしたら、どんな感謝のお言葉を返されたでしょうか」実はいま、美智子さまに“最後のお言葉”を語る場へ臨んでいただく計画が進行中なのだという。前出の宮内庁関係者が言う。「宮内庁記者クラブは、今年4月10日のご成婚60周年もしくは4月末の退位直前に、天皇皇后両陛下の記者会見を要請しています。宮内庁サイドは天皇陛下のご体調を考慮して、昨年12月23日の誕生日会見が最後であると明言しています。しかし、天皇陛下の誕生日会見が感動的だったこともあり、記者クラブの熱意はさらに高まっているのです。天皇陛下と美智子さまは、常に“国民の思いに応えたい”というお気持ちでいらっしゃいます。美智子さまも公の場で陛下への感謝を示したいとお考えになっていることでしょう。実現の可能性は決して小さくありません。国民にとっても大きなサプライズになりますね」これまでも数々の名言を残されてきた美智子さま。ご成婚60年をお迎えになる4月、どのようなお言葉を語られるのだろうか――。
2019年01月10日1958年11月、美智子さまが皇太子妃に選ばれたことが報じられ、日本中に巻き起こった“ミッチー・ブーム”。そのさなかに創刊された『女性自身』だが、本誌は天皇陛下の独身時代についても、貴重な証言をスクープしていた。天皇陛下の独身時代のエピソードとしてひときわ有名なのが、学習院高等科のご学友2人との“銀ブラ事件”だ。「銀座の夜に消えた皇太子と4時間」(68年2月26日号)では、銀ブラに同行した千家崇彦氏(故人)と橋本明氏(故人)が登場している。高等科卒業を目前にした1952年2月、天皇陛下はこうおっしゃったという。「大学に入るといろいろむずかしいと思う。ボクは立太子式後はますます公的行事に時間をとられて身動きできなくなる。いまがいちばんのチャンスだと思うんだよ」数カ月後に正式に皇太子と認められる立太子式を控える陛下には、並々ならぬ決意があったのだ。学習院の寮を抜け出した3人は目白駅から満員の山手線に乗車。新橋駅で降りて銀座の喫茶店に向かう道のり、陛下はこのようなご様子だったという。《殿下の足どりはゆっくり落ちついていたが、軽やかだった。殿下は手放しの喜びようだった》喫茶店では《殿下は運ばれてきたコーヒーを実にうまそうに飲んだ》という。新橋駅に戻る前に刑事に見つかってしまった3人。その後、橋本氏と千家氏は侍従たちから激しい叱責を受けたそうだ。(『女性自身』皇室SPECIAL増刊 )【創刊60周年記念「女性自身」皇室SPECIAL増刊】ご婚約から60年 美智子さまその輝きは時代を超えて――2018年12月25日(火)発売特別定価 500円(税込)
2018年12月31日天皇皇后両陛下(昭和の皇太子殿下と正田美智子さん)が結婚されたのは、’59年4月10日。“民間からの初のお輿入れ”は、大きな注目を集め、日本中に「ミッチー・ブーム」が巻き起こる。’58年創刊『女性自身』でも、多くの読者の要望に応える形で皇室記事が増えていった。あれから60年。両陛下と共に歩んだ本誌が伝えてきた“変わりゆく皇室”とは何だったのか。そして未来は--。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さん(62)と本誌皇室担当、近重幸哉記者(57)が語り合った。近重「’89年1月7日、昭和天皇が崩御されたとき、山下さんは宮内庁の報道担当。昭和から平成へのお代替わりは、どのようなものだったのでしょうか」山下「1年間は昭和天皇の喪中ですから、おめでたいという雰囲気はありません。1月7日の『皇位継承の儀式』も喪装で執り行われました。’19年5月1日は、男性は燕尾服の正装ですかね。とくに忙しかったのは、新天皇が内外に即位を宣明される『即位礼正殿の儀』などが行われた’90年11月。ほかに『祝賀御列の儀』(オープンカーでのパレード)、『饗宴の儀』(「即位礼正殿の儀」に参列した各国の賓客などを招いた祝宴)が4日間で7回、一般参賀、園遊会、そして、同じ月に『大嘗祭』『大饗の儀』まで。宮内庁で勤務した23年間の中でもっとも忙しい期間でした」「大嘗祭」とは、天皇が即位の礼後に初めて行う、一世一度の新嘗祭(収穫祭)のこと。11月、秋篠宮さまがお誕生日に際しての記者会見で、大嘗祭について《宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか》と発言された。近重「戦後の憲法下でのお代替わりですから『政教分離原則』については、再び注目されるでしょう」山下「はい。国事行為か皇室行事かなどの線引きが難しいですね」近重「秋篠宮さまのご意見は、大嘗祭は宗教色の強い行事なので、両陛下、皇太子ご一家の私的な予算である『内廷会計』から支出するべきだというものでした」山下「新天皇が即位当日に行う『剣璽等承継の儀』という国事行為がありますが、実はこれは平成へのお代替わりのときに“新たに作った”名称です。本来は『剣璽渡御の儀』(剣と璽が新帝の下に自らお渡りになるという意味)です。宗教色を排除するために本来の儀式の名称を変えたらしいのですが、国事行為ではなく皇室行事にしておけば、変更しなくてもよかったのに、残念です」近重「あまり“建て前”にこだわるのはどうかということですね」山下「たとえば元号。元号は政令ですから閣議で決めます。国民に知らされるまでの流れを見ると、天皇が初めて新元号を目にするのは閣議で決定した元号の政令書に署名されるときです。天皇と元号の関係から考えれば、これはあまりにも失礼なことです」近重「皇室の伝統行事は、陛下の“お気持ち”を忖度しながら進めるべき--秋篠宮さまは、そこを含ませて発言されていたと思います。皇族減少問題をずっと先送りにしている政府ですから、不信感をお持ちなのでしょうか」山下「それはわかりませんが、皇位継承や女性宮家の議論が表立って始まったのは’05年、小泉内閣のときです。それから14年経過しますが、何も変わっていません。今のままですと将来、皇室は悠仁親王殿下のご家族だけになります」近重「ただ残念なことに、眞子さまと小室圭さんの“結婚延期”の影響か、世論調査では女性宮家設立の『賛成票』は減り始めています。やはり、伊勢神宮の祭主となった黒田清子さんのように、一度皇籍を離れた方たちにも協力してもらうことも考えなければ」山下「女性皇族が結婚後も皇室にとどまるとなった場合、結婚は今のように私的ではなく、国が関与する公的な扱いになるでしょう。高円宮家の三女で10月に結婚された守谷絢子さんは、皇族として務めていた名誉総裁職を結婚後も続けるというご意向です。皇室で生まれ育った方は一般国民になっても特別な目で見られますので、そのまま続けられても違和感はないでしょう。『皇室の公務』と位置付けたほうがいいと思いますが」近重「そうして『皇族の存在意義』は少しずつ変化していくわけですが、最も重要なのは、次の御代に新天皇と新皇后がどのようなスタイルを築かれるのかということ」山下「皇室には千年以上続く儀式や伝統もあります。それらを大切にしつつも、時代に合わせた活動もしていただきたいですね」近重「特例法につながった陛下のお言葉、秋篠宮さまのご発言など、今後は“皇室からの発信”が重要な転機になっていくと思います。これまで美智子さまが話されたお言葉も、非常に影響力がありましたが、雅子さまの『世界に対する発信力』にも期待したい。国際親善の舞台では独特の“存在感”をお持ちの方ですから」山下「宮内庁がホームページで情報を発信するようになって約20年です。将来、天皇皇后両陛下や皇族殿下方が自らSNSなどを使って、お言葉や情報を発信されるようになるかもしれませんね」
2018年12月31日天皇皇后両陛下(昭和の皇太子殿下と正田美智子さん)が結婚されたのは、’59年4月10日。“民間からの初のお輿入れ”は、大きな注目を集め、日本中に「ミッチー・ブーム」が巻き起こる。’58年創刊『女性自身』でも、多くの読者の要望に応える形で皇室記事が増えていった。あれから60年。両陛下と共に歩んだ本誌が伝えてきた“変わりゆく皇室”とは何だったのか。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さん(62)と本誌皇室担当、近重幸哉記者(57)が語り合った。近重「新憲法下でのご成婚となった両陛下ですが、今回のお代替わりの経緯も含め、これまで数々の皇室の“変革”がありました。元宮内庁職員として、印象的だったものをお聞かせください」山下「両陛下は一般社会と同様に“家族ご一緒の生活”をされてきました。それが、国民が皇室に親近感を持つようになった、ひとつの要因になったのでしょうね」近重「確かに、美智子さまのファッションだけでなく、お子様方の育児方法や食卓メニューまでこと細かに報道されました。皇太子ご一家は、戦後の経済成長期にあって“憧れの家族像”でしたから」山下「東宮御所に『ご自分で料理をするための台所』を作られるなど、一般家庭も目指せるような、“幸せムード”がありましたね」近重「雲の上の存在から『開かれた皇室』に大きく舵を切られた」山下「ただ、それらは『昭和天皇のご理解があればこそ』だということを忘れてはいけません。昭和天皇は今上陛下が3歳のときから離れて暮らされたため、寂しい思いをされました。家族は一緒に暮らすべきという考えをお持ちでも、時代が許してくれなかったのです。晩年、昭和天皇は『(自分はできなかったけれど)東宮ちゃんができているからいい』とおっしゃっていました」近重「’89年1月7日、昭和天皇が崩御されたとき、山下さんは宮内庁の報道担当。昭和から平成へのお代替わりは、どのようなものだったのでしょうか」山下「1年間は昭和天皇の喪中ですから、おめでたいという雰囲気はありません。1月7日の『皇位継承の儀式』も喪装で執り行われました。’19年5月1日は、男性は燕尾服の正装ですかね。とくに忙しかったのは、新天皇が内外に即位を宣明される『即位礼正殿の儀』などが行われた’90年11月。ほかに『祝賀御列の儀』(オープンカーでのパレード)、『饗宴の儀』(「即位礼正殿の儀」に参列した各国の賓客などを招いた祝宴)が4日間で7回、一般参賀、園遊会、そして、同じ月に『大嘗祭』『大饗の儀』まで。宮内庁で勤務した23年間の中でもっとも忙しい期間でした」「大嘗祭」とは、天皇が即位の礼後に初めて行う、一世一度の新嘗祭(収穫祭)のこと。11月、秋篠宮さまがお誕生日に際しての記者会見で、大嘗祭について《宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか》と発言された。近重「戦後の憲法下でのお代替わりですから『政教分離原則』については、再び注目されるでしょう」山下「はい。国事行為か皇室行事かなどの線引きが難しいですね」近重「秋篠宮さまのご意見は、大嘗祭は宗教色の強い行事なので、両陛下、皇太子ご一家の私的な予算である『内廷会計』から支出するべきだというものでした」山下「新天皇が即位当日に行う『剣璽等承継の儀』という国事行為がありますが、実はこれは平成へのお代替わりのときに“新たに作った”名称です。本来は『剣璽渡御の儀』(剣と璽が新帝の下に自らお渡りになるという意味)です。宗教色を排除するために本来の儀式の名称を変えたらしいのですが、国事行為ではなく皇室行事にしておけば、変更しなくてもよかったのに、残念です」近重「あまり“建て前”にこだわるのはどうかということですね」
2018年12月30日12月9日に55歳の誕生日を迎えられた雅子さま。皇后となられる日を5カ月後に控え、文書の中で決意を述べられた。お代替わりが近づくにつれて“新皇后”への期待が高まるなか、雅子さまを勇気づけているのが愛子さまのご成長だ。学習院女子高等科への入学直後には学校をお休みになることも多かった愛子さまだが、最近は活発なご様子が伝わってくる。11月の文化祭ではダンスも披露。ベラ・ソーンの『Call it whatever』とアヴリル・ラヴィーンの『What the hell』の2曲を踊られたという。「ダンス公演は観客が殺到して会場がパニックになるほどでした。そういった人気もさることながら、愛子さまの“人間性”も尊敬を集めています。中等科の卒業文集では『世界の平和を願って』という感動的な作文を書かれています。愛子さまは、戦地への“慰霊の旅”を続けられた天皇陛下や美智子さまのお考えも、しっかり学ばれているのだと思います」(学習院関係者)愛子さまは12月1日に17歳の誕生日を迎えられた。するとTwitter上でも《聡明な愛子さまに継がれてほしい》《早く愛子さまが天皇になれるようにしてほしい》といったツイートが。愛子さまに“待望論”が浮上しているのだ。このまま“男系男子”が維持されれば、秋篠宮さま、そして悠仁さまが将来の天皇になられる。それでも高まる“愛子さまを天皇に”の声。ただ、雅子さまは文書の中でこう述べられた。《私自身の経験からも、この年齢での経験というものは、その後の人生にとっても貴重な財産になるのではないかと思います》高校時代の雅子さまは、アイスホッケーの大ファンでご友人と観戦に通われていた。高校2年生でアメリカ・ボストン郊外の高校に転校されるとソフトボール部で大活躍。現地の新聞の一面に名前が載ったこともあった。「お言葉には、皇族として著しく成長されている愛子さまにも、ご自身と同じように“普通の高校生としての経験”をしてほしいという切実な思いが感じられます。眞子さまの件もあり、女性皇族の結婚のハードルはただでさえ上がっています。雅子さま自身も“お妃候補”として世間に取り沙汰されて悩まれた経験をお持ちです。愛子さまには1人の女性として、落ち着いて愛を育んでほしいと心の奥で望んでいらっしゃるでしょう」(宮内庁関係者)雅子さまは、母の戸惑いを隠されて、皇后へのご準備を続けられる。
2018年12月14日《両陛下のお導きを仰ぎつつ、少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております》12月9日に55歳の誕生日を迎えられた雅子さま。皇后となられる日を5カ月後に控え、文書の中で決意を述べられた。雅子さまは’03年の12月4日、40歳の誕生日会見直前に体調を崩され入院。長年にわたり療養を続けられてきた。しかし今年は5月に全国赤十字大会に臨席され、11月には園遊会の全行程にご出席。いずれも適応障害の発症以来初めてで、15年ぶりのことだった。今年度の文化功労者に選ばれた作曲家の都倉俊一さん(70)は、園遊会の直前に皇居で開かれた茶会での様子を語ってくれた。「雅子さまは非常に明るいご表情で、私の楽曲についても『昔から楽しませていただいています』とのお言葉をいただきました。3年後に大きなミュージカル公演を予定しているのですが、雅子さまはそのこともご存じで『楽しみにしています』と応援してくださいました。皇太子さまや雅子さまとお話しして、次の御代は大丈夫との確信を持つことができました」皇太子さまのご学友であり、新天皇像を解き明かす『新天皇と日本人』(海竜社)を11月に出版した小山泰生さん(59)もこう語る。「雅子さまは、美智子さまに相談されながら、あれこれと準備をされているのでしょう。新天皇となられる皇太子さまにとって、雅子さまは非常に心強い存在だと思います。療養を続けられた15年間も、決して休んでいたわけではないのです。たとえば宮中祭祀についても、お代替わりしてからでは遅いと、丁寧に学んでいらっしゃいます」新皇后となられる日が近づくにつれてご体調も上向き、地道な努力が実り始めているようだ。また、宮内庁で東宮侍従や式部副長を務めた竹元正美さん(73)は、雅子さまの“皇室外交”に期待を寄せる。「皇后陛下が海外に訪問されると、現地のマスコミにも大きく取り上げられます。国際親善の場で担われる役割はとても大きいのです。雅子さまは療養期間中にも国連関係者と面会されたり、ご進講をお受けになったりと、皇后となられてからの国際親善を見据えた準備をしていらっしゃいました」お代替わりへ向けて、雅子さまが続けてこられた地道な努力が実り始めている。
2018年12月14日こんにちは。「男の気持ちは男に聞くのが一番早い!」恋愛プランナーのTETUYAです。好きな人と両思いになれなくて悩んでいる人は多いと思います。ここで言う「両思い」とはお互いが同じくらいの熱量で好きでいるということ。そして、両思いになれていないシチュエーションも、女性側の一方的な片思いだったり、彼に彼女がいる場合だったりと、さまざまだと思います。今回は、そんなパターン別に、両思いになるための解決法を僕なりにアドバイスしたいと思います。■ 1、自分が一方的に想いを寄せている場合…まずは、あなたが好きな人を思っているだけの一方的なパターン。そう、遠目で見ているだけのやつですね。あなたの好きな気持ちが全く相手に伝わっていない状態です。こんな状況で悩んでいる人には、僕は次のようにアドバイスします。「このまま、思い続けているだけでは永遠に何も変わらない。今その気持ちを伝えても、あとで伝えても、結果は同じ。それなら、ダメもとで気持ちを伝えてみて、今の状況からまずは開放されて楽になるほうが良くない?もしかしたら成功するかもしれないし、仮に失敗しても次の新しい恋にいけるきっかけと思って!」もし「好き」と直接言う勇気がないなら、「◯◯くんの優しいところ好き」「そういう気遣いできるところ、好き」と、間接的に好意をじゃんじゃん伝えていきましょう。あなたが好意を伝えない限り、彼との距離は永遠に縮まりませんから。■ 2、都合のいい女になっている場合…次は、カラダの関係があるのに彼女じゃないパターン。「好きだよ」「可愛いね」という言葉はあるけど、「つきあおう」だったり、「彼女になって欲しい」という称号が得られていない。おそらく、このタイプの片思いに多い子は、自分から積極的に出られない子じゃないでしょうか?「私、彼女だよね。」その一言がなかなか言えなくてダラダラ。そんなモヤモヤっとした片思い。この男の術中にハマっている人にアドバイスするなら、おそらくこの彼は、この先もずっとあなたの彼氏なることはないでしょう。だから即刻、「このままの関係だったら、もう会うのは止めよう」と言うべき。多分その場しのぎで食い下がってくるとは思いますが、そこで心が揺らいじゃ絶対ダメ。きっとまた同じことの繰り返しになりますよ。この恋は成就しない恋なので、なるべく早めに切り上げるべきです。■ 3、想いを寄せる相手に彼女がいる場合…最後に、片思いの相手に彼女がいる場合。このシュチュエーションはよく目にします。魅力的な男を普通はほっとかないですから。ここで彼女がいるからあきらめる?僕はそう思いません。彼が彼女よりもあなたのことを好きになれば、絶対奪えるチャンスはある。彼女がいるという理由だけであきらめるなら、そのくらいの想いしかなかったということ。僕の持論は、彼女がいたとしても彼が100%満足していることは絶対にありえない。だから、彼女に対する不満をあなたが埋めることさえできれば、形勢逆転できることだってあるんです。まずは、彼の今カノの愚痴をそれとなく聞くことからはじめてみましょう。例えば、彼女が彼の仕事に理解がないタイプだったり、束縛が激しいタイプだったりしたら、あなたはその逆であること何気なくアピールしていけばいいのです。■ おわりに両思いになれずに悩んでいる人にアドバイスするなら、結果を恐れない勇気と積極性をまずは持つこと。仮にふられたとしても、いつの日か、私をふった彼を後悔させるくらいのいい女になるぞ!という強い女になってほしいです。(TETUYA/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2018年11月10日