元ホストでニートだった夫。妊娠がわかったとたんに初めて真面目に就活して正社員に。妊娠を誰より喜び、娘の誕生を待ち望んでいました。いよいよ破水すると、夫は大慌て。病院へ着いてからは痛みが増し、終始泣き叫んでいた私。そんな私のドタバタな出産エピソードです。ホストだった同級生と再会同級生でもある夫とは、彼がホスト時代に再会し、その数年後付き合い始めました。そして付き合って2年目となる年に妊娠が判明。当時仕事にもついていなかった彼ですが、生まれてくる自分の子どものために、初めてまじめに就活し、正社員となりました。 毎日のようにおなかに話しかけてくれて、夢に女の子が出てきたからと、性別がわかる前から名前を決めていたくらいの親バカでした。高校時代から問題を起こしてばかりで、母泣かせのやんちゃだった人です。 家族が職につけと説得しても私が説得しても職につかなかったのですが、父親になるとわかった途端、迷わず職につくことを決めました。その姿を見て、私は彼を信じてこの子を出産しよう、と決意しました。 ドタバタと焦り始めた夫に義母は…そんな私たちはお金がなかったので、妊娠後期は夫の実家に引っ越してお世話になりました。出産予定日は、夫の誕生日。夫と絆の深い子であることは間違いありませんでした。焼肉やスクワット、階段の昇り降りなど、あらゆる陣痛ジンクスを試しましたが、夫の誕生日には生まれてきませんでした。 毎日今か今かと待っている夫。ある日の夜中、私は何か異変を感じてトイレへ……。おしっことは違う意図しない水が流れてくる感じがします。色は薄いピンク色でした。「破水だ」と私はすぐそう思いました。初産婦だけれどいろいろな本も読んでいたので、間違いないと思ったのです。 病院からはつらくても自分で電話するように言われていました。トイレの中で落ち着いて電話しなきゃと思っていると、私の様子を気にした夫が、「どうした? 生まれるか?」と焦って聞いてきました。「うん、破水したみたい」というと大きな声で「かーちゃん! 破水した! 生まれる! 俺……」と、ドタバタしはじめました。義母は大爆笑。「あんたが焦ってどうするの」と。 夫は私のバッグを持ってウロウロ……。「俺、車まわしてくるから」と夫が焦っているおかげで、私は落ち着けました。「待って、まず病院に電話するから。落ち着いて」。病院へ電話すると入院になるから荷物を持ってくるように指示され、夫が病院へ連れていってくれました。 「もう無理ー!」痛みのあまり泣き叫んだ私夫はすぐ生まれると思ったのか、緊張しながらもワクワクしている様子。病院で助産師さんに、「子宮口は全然開いてないから。旦那さん、今日は帰って。朝もまだ生まれないだろうから、仕事に行って大丈夫! 午後から休んでも遅くないから!」。夫は目が点になりながら「え? 仕事? 仕事に行って大丈夫なんですか?」と、またあたふた。 夫は自宅へ帰り、その後、助産師さんの言うとおり仕事に行きました。しかし仕事に集中できるわけもなく、上司には「奥さんのそばにいてやれ」と言われたそうで、早退してすぐ病院へ駆けつけてくれました。 陣痛はなかなかこず、その日の夕方やっと弱い陣痛が始まったくらいでした。弱いとはいえ、経験したことのない痛みに、痛いと泣き叫び、義母と実母と夫に支えてもらいながら子宮口が開くのを待っていました。1時間が何十時間にも思える苦しい時間でした。 その日は満月で、たくさんのお産があったのか、ナースコールを押してもしばらく反応なし、ナースステーションももぬけのから。夫は何度も助産師さんを呼びに行ってくれましたが、いなくてイライラ。 小さな個人病院、お産が重なれば仕方ないこととはいえ、なかなか誰も来てくれないことに私もイライラと痛みで暴言を吐いていました。「もう無理ー! おなか切って! 無理ー」。バレーボールをずっとやっていた私は声が大きく、未だに家族には「誰よりもでかい声で泣き叫んでいた」と笑われるくらいです。 やっと来てくれた助産師さんは、「子宮口が全然だねー。まだまだかかるわー」と言ってまたいなくなりました。「もうやだー、痛いー!」。その繰り返しで、私は夕方から朝まで泣き叫び続けました。 妊婦さん全員が私を指さして…朝になると助産師さんの数が増えました。先生に診察してもらうために、歩いて行くように言われたときは絶望しました。母の手を借りてやっとの思いで私は待機室へ。 夜通し泣き叫んだ私は、誰が見ても今にでも倒れそうな姿だったのだと思います。数人の妊婦さんがいましたが、助産師さんが「それでは順番に先生の診察をおこないます」と言った瞬間、そこにいた妊婦さん全員が、私を指して「先に診てあげてください。私たちは大丈夫です」と譲ってくれました。 余裕がなかった私はお礼も言えず、頭だけ下げて先生のところに向かいました。そこで先生に「どうする? 陣痛促進剤を打つかい?」と言われて、「もう無理です。それ以外、考えられません」と即答し、陣痛促進剤を打ちました。 朝の9時に陣痛促進剤を打つと、急激に痛みが増して涙と鼻水と汗で私の顔はべちゃべちゃに。夫は必死で私の顔を拭いてくれてました。昼ごはんは天丼で、「こんなの食えるかー!」と激怒してしまった私。もう私を止められる人は誰もいませんでした。 感極まって泣く夫に全員が笑ったのはお産が重なったのもあり、私はLDRには入れずそのままこの部屋でと言われ、いきむためにつかむようなものもない状態でした。 どうしたらいいかわからず、「もう無理、無理ー! 出して!!」と弱音ばかりの私。助産師さんに「赤ちゃんに全部聞こえているんだから、そんなこと言わないの!」と言われ、とてもつらい時間でした。 やっと出産というとき、1回いきんだだけで、出てきてくれた赤ちゃん。私はもう放心状態。夫は感極まって声を出して泣いていました。義母が「まったく、泣き虫なんだから」と夫にハンカチを渡したら、全員が笑いました。なんと夫は漫画のようにメガネの上から涙を拭いていたのです。義母はそれを見て感動しながら「しょーもないねー」と夫のメガネを外し、涙を拭いてあげていました。その姿を見て私もほっこり。 「23時間、あれだけ大声で最後まで泣き叫んで怒っていた妊婦さんは、なかなかいない」と言われたぐらいでした。体力が人並み以上にあったからなし得た出産だったように思いますが、夫の漫画のような笑える行動が、笑顔と感動を与えてくれたことも間違いありません。 彼の夢の通り女の子だったので、そのまま夫が言っていた名前をつけました。その長女も11歳。夫が正社員となったのも11年目ということになります。ちゃらんぽらんだった自分を変えてくれた娘。その娘には感謝しかないと、夫は娘のために歯を食いしばってくれています。 バイトすら続かずニートだった人が、他人に頭を下げたり、どんなことがあっても投げ出さずに家族を守ってくれる夫に変わりました。今では夫には頭が上がりません。娘がいなかったら夫は今ごろどうなっていたか、私も夫も想像がつきません。変わらないといけないと自分を奮い立たせたら、人は変われるのだと私は改めて思いました。 やんちゃで喧嘩っ早い人でしたが、おちゃめで誰より人間味のある人でもあり、結婚して12年たちますが、飽きずに楽しく過ごせています。今では3姉妹の父ちゃん、家族をとても大事にしてくれるやさしい父ちゃんに成長しました。心も体もでっかくね。 監修/助産師 松田玲子著者:おはな3姉妹とオス二匹のワンコの母ちゃん。ほぼワンオペ育休中。破天荒な夫を支える鬼嫁です。
2023年08月04日息子は現在、自宅から車で8分ほどで行ける前夫の家に住んでいます。前からきょうだいがほしいと言っていましたが、前夫と離婚してしまったため、一人っ子。現在の夫と息子は、オンラインでゲームを共有したり、一緒に旅行やカラオケへいったり、仲良しです。しかし、息子は料理の専門学校へ通ってから調子を崩し、休学。その後は今の夫と息子が疎遠になり、私とも会わなくなりました……。息子は1カ月に1回、私のツケで親戚の美容室に行くため、その親戚から上の子の近況を聞いています。そんな中、私は現在の夫との子どもを妊娠。そして息子と携帯ショップへ行ったときに事件は起こりました……。現在の夫との子を妊娠現在の夫との子を妊娠して安定期に入ったため、前の夫と暮らしている息子に伝えようと会う日を決めました。母親である私が直接伝えたかったのです。しかし、先に親戚の美容室の人が息子に伝えてしまいました。 息子は驚いていたようですが、お兄ちゃんになるからと、休学していた料理の専門学校に復学してお母さんを手伝うと、意欲的だったとのことです。 携帯ショップへ行くとある日、息子が携帯の調子が悪いと言うので、携帯ショップへ一緒にいくことになりました。すると、20万円もする携帯がほしいとだだをこね始めました。そんな高い携帯は買ってあげられないこと、ただでさえギガMAXで、通信料合わせ月々携帯代が2万円もかかっていることを伝えました。 また、ゲームばかりやっているからと注意すると「ゲームは中学からの繋がりある大事な仲間とやっている。そんなふうに言うな。どうせ俺なんてもういらないんでしょ」とブチ切れ……。引きとめましたが「俺歩いて帰る」と、無視して帰っていってしまいました。 20歳の誕生日には前の夫に事情を話すと、「俺からフォローする」とのこと。もうすぐ20歳でも、息子としては、今の夫との義きょうだいを受け入れるのは複雑な心境なのかもしれないと、2人で話しました。 現在、息子は料理学校で奮闘中です。就職先がきまったら、私と仲直りしたいと、きっかけ作りを考えていると前の夫から聞きました。11月に20歳の誕生日を迎えるので、そのときには、盛大なお祝いをして、息子が私にとって大事な息子であることを伝えたいと思います。そして、その後生まれた弟と会ってほしいと考えています。 前の夫には、その事を伝えており、今後も上の息子のフォローをしていき仲直りできるよう仲裁役をしてくれるとのこと。現在の夫も理解ある人で、上の子と、下の子、きょうだい顔合わせできることを望んでいます。その日が来るのを私は今、心待ちにしています。著者:幸20歳(前夫との子)、0歳(現在の夫との子)の2児の母。現在育児休暇中(看護師)。今の夫と結婚してなかなか子供に恵まれず、不妊治療するも、流産し、三度目の正直で43歳でやっと授かり出産。
2023年08月01日ショーコさんが運営するYouTubeチャンネル「30代バツイチ独身婚活中の玄野ショーコ」。20代で結婚、離婚を経験したショーコさん。離婚する原因となった経緯とは!?今回はショーコさんが8年間も交際して結婚したにもかかわらず、わずか1年で離婚することになってしまった体験談を紹介します。 交際8年、結婚1年で離婚 ショーコさんは学生時代から8年間付き合っていた彼と27歳で結婚。28歳で離婚しました。 結婚当初、夫は仕事が忙しく、帰宅はいつも22時過ぎ。でも、休日は一緒にごはんを食べるなど、幸せな結婚生活を送っていました。 きかっけは同僚に誘われたネットワークビジネスある日、夫が「ネットワークビジネスを始めたい」と言い出しました。会社の同僚Aさんから誘われたそうです。 Aさんはこのとき、「自分はネットワークビジネスでの収入はないが、アップ(指導者のような人)のBさんは、かなり稼いでいる」と話していたそう。 最初は、ネットワークビジネスについて懐疑的だった夫。しかし、Bさんの話を聞くうちに、魅力を感じてしまったそうです。 妻の大反対を押し切りネットワークビジネスをスタート「今は仕事が忙しいけど、ネットワークビジネスで稼ぐことができればショーコとの時間が増えるし、旅行にも行ける」と言う夫。会社の仕事に嫌気が差していた時期だったので、藁にもすがる思いだったのかもしれません。 ショーコさんは反対したものの、必死に説得され「人に迷惑をかけないこと。私の前でネットワークビジネスの話をしないこと。活動は月に2回にすること」という同意書を書かせて、認めることにしました。 親や友達を勧誘しはじめた夫……高額出費が続いた夫は「人に伝えるなら、自分も使ってみないと良さを伝えられない」と、日用品をはじめ10万円の空気清浄機や、30万円の鍋セットなどの商品をたくさん購入しはじめました。 また、同意書の内容に反して、ショーコさんに製品やネットワークビジネスで成功している人の話ばかりするように。さらに、「人には迷惑をかけない」と約束したのに、家族や友人を勧誘するようになりました。 友人には断られ、義父には「同僚がネットワークビジネスのせいで会社を辞めた。ネットワークビジネスはすぐに辞めろ」と諭されましたが、全く聞く耳を持ちません。月に2回の活動という約束でしたが、次第にネットワークビジネスの活動回数が増え、毎週出かけるようになりました。 近所の教会にも通い始め、勧誘してまわるように。ショーコさんから見ると胡散臭い高額な心理学の教材セットを購入したり、様々なものに投資するようになり、家を空けることも増え、結果的にショーコさんとの時間もなくなっていきました。 結婚して初めての妻の誕生日に事件が…結婚して初めてのショーコさんの誕生日。予約してくれたお店で、2人でゆっくり食事ができて嬉しかったショーコさん。しかし、帰りの電車で事件が。 ショーコさんが何気なく話した話題に、夫が突然キレたのです。本当に何気ない話題だったので、何の話題だったか覚えていないそうです。幸せな気分が一変、涙を流しながら帰宅。 「私のことどう思っているの?」と尋ねると「好きかわからない」と返答が……。必死に平静さを保って理由を尋ねると、「本が好きだと言っていたから結婚したのに、ショーコさんが本を嫌いだと言ったことが原因だ」と口にします。 数カ月前、夫からネットワークビジネスの本を渡されたとき、読む気になれなかったので「実は、本を読むのは好きじゃないんだよね」とそっけなく答えたことがショックだったそうです。 結婚しようと言われたときに「一緒にいると落ち着くから」と言われていたショーコさんは、本が好きだから結婚したという理由なんて初耳でした。「離婚したいと思っているの?」と聞くと、「それしかないと思っている」言われ、ショーコさんは泣きながら部屋を飛び出しました。 「無意識の中で嫌い」ショックな言葉に涙それから1週間、2人で話し合いました。ショーコさんは上司に離婚話が出ていることを話すと、早く帰らせてくれたそうです。気持ちが固まっている夫と、離婚したくないショーコさんの話し合いは平行線でした。 1週間の間に夫は「一緒に暮らすメリットはお金しかない」、「他に好きな人がいる」、「下に見ている」、「結婚式はやりたくなかった」など、さまざまな不満や本音を口にします。しかしショーコさんはめげずに「悪いところは直すから」と努力を続けました。 それから数カ月後、関係が改善したように感じたショーコさんは、再度「私のことどう思っている?」と尋ねたところ、なんと「無意識の中で嫌いなんだよね」「触られたくないし、触りたくもない」と驚きの返答が! 他にも、会社を辞めてプログラマーになる、その費用は100万円かかると言い出しました。さらに、毎月スマホゲームに10万円課金していたことが発覚。さすがに、金銭感覚についていけないし、自分を好きではない人とこれ以上暮らせないと思い、泣きながら部屋を飛び出し、母親に電話をしました。 理由を知った義母は涙…離婚へショーコさんの両親は、北海道からすぐに来てくれました。義父母と会い、6人で話し合います。ショーコさんのお母さんが泣きながら、義父母にこれまでのことを伝えると、義母も涙を流して「ショーコさん、ごめんね」と謝ってくれました。話し合いの結果、離婚が決定。 数日後、自宅に戻って夫に会うと、なんだか様子が違っていて「なんで俺はあんなことを言っちゃったんだろう」と後悔の言葉を口にしたそう。このとき、義父にきつく言われて、ネットワークビジネスを退会していました。 それから1カ月後にショーコさんは家を出て、離婚届けを提出。8年の交際を経て結婚しましたが、結婚生活は1年で幕を閉じたのでした。 今思うことは……ショーコさんは、この結婚と離婚を振り返って、こう述べています。 「交際や結婚生活を振り返って思うことは、その交際期間や結婚生活は決して無駄では無かったということです。 とても短い結婚生活ではありましたが、一瞬でも幸せな時間を過ごせましたし、共同生活の難しさ、自分の未熟さ、元夫や両家の家族の考えなど、様々な学びや気づきがありました。次の恋愛や私生活にそのことを活かすことができています」 長く交際して結婚しても、何が起こるかはわからないもの。ハマり症の夫の場合、いろんなことにのめり込み、何が一番大切なのかを見失ってしまったのかもしれません。離婚するまでに、旦那さんからひどい言葉を浴びせられたり、お金を使い込まれてしまったり……。たくさんつらいことを経験したショーコさんですが、優しい両親と、まっとうな感覚を持っている義母や義父がいて良かったですね。 この動画には、ショーコさんへの励ましのコメントが多数寄せられていました。 YouTubeチャンネル「30代バツイチ独身婚活中の玄野ショーコ」では、離婚や婚活についての動画がメインで投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 廣瀬尚子
2023年07月27日私は34歳のときに1人目、35歳で2人目を出産しました。結婚は29歳でしましたが、その後数年間、不妊治療をしていたのです。夫婦の願いが叶って、子どものいるにぎやかな家庭になれたのはうれしい限り。今回は、アラフォーの私が年子育児をして感じる大変さ、そしてこの年齢だからこそ感じる育児の楽しさについてお話しします。36歳の年子育児。関節にガタがきている…2人目は35歳での出産でしたが、幸いなことに大きなトラブルはありませんでした。ただ、日々の育児に追われる中で、自分の体の老化を感じずにはいられません。まずは腰痛です。授乳におむつ替え、食器洗いに部屋の掃除と、家事・ 育児は前かがみの姿勢が基本。それらの作業が腰の負担になるのです。 膝や股関節の痛みもあります。子どもと外で遊ぶときは、しゃがむ・ 座る・ 立つの動作を何度も繰り返します。そして帰り道には14kgの息子を抱っこ、10kgの娘をおんぶ。コアラの親子のようになって歩きながら「あぁ重い、それに関節が痛い。私はもう若くないんだなぁ」と泣きたくなることもあります。 自由な生活に諦めがついたのはよかった!その半面、子どもを授かるのが遅かったことで見栄を張らなくなり、我慢強くもなりました。子どもたちとの生活は、服装も出かける場所も「子なし時代」とはまるで違います。自分勝手な子どもたちにイラ立つことも! それでも今の生活を幸せだと思えるのは、妊娠するまでに十分遊び、仕事をし、つらい経験もしたからだと感じています。 結婚後、子どもが欲しいと強く思いながらも、仕事に没頭する数年間でした。そして34歳、35歳と出産を続け、現在36歳。体の節々をかばいながら、育児は大変なのだなと痛感しています。それでも、身軽だった「子なし時代」より、年子に振り回される「カオスな今」が結構好きです。 イラスト/こばぱぱ著者:おかもとえみ
2023年07月22日スカッと系人気YouTubeチャンネル『パニコレ』から、「不妊の原因を人のせいにする夫の末路」を紹介します。パニ子は妊活中の主婦。夫のユウダイも子どもを授かる日を心待ちにしていたものの、一向にその日はやってきません。 最初はやさしく声をかけていたユウダイでしたが、今ではイライラしているようで、パニ子は次第にプレッシャーを感じるようになってしまいました。「お前に問題があるんじゃないの?」今月も子どもを授かることができなかったパニ子夫婦。ユウダイはあからさまに大きなため息をつきます。 思いやりのないユウダイの態度にパニ子は腹を立てますが、ここで争ってもしょうがありません。「また来月頑張ろう!」と明るく声をかけました。 しかしユウダイの口から出たのは、あまりにひどいセリフでした。 「これだけ妊活しても子どもができないなんて絶対におかしい! お前に問題があるんじゃないの? だってお前の親は高齢出産だし、ひとりっ子だろ? 遺伝だろ!」 まったくの言い掛かりに心底呆れたパニ子。なんの根拠もなく子どもができないことを人のせいにし、両親を悪く言ったことは許せません。 妊活続けていいのかな……そうまで言うのならこの際ハッキリさせようと、パニ子はユウダイを不妊検査に誘いました。しかし自分にはなんの疑いもないと拒否! パニ子はひとりで検査を受けることにしました。 検査の結果は「異常ナシ」。これで不妊はパニ子のせいではないことが証明されました。 それを聞いたユウダイは「検査の結果が間違ってるんじゃないか? もう1回行ってよく調べてもらえよ」と結果を疑うばかり。 こんなにギスギスした状態では、妊活を続けて良いものか悩んでしまいます。 それからというもの、ユウダイもあからさまにパニ子を避けるようになり、妊活は一向に進みませんでした。 モラハラ夫の信じられない行動ある日パニ子が家に帰ると、見知らぬ女性がリビングのソファに座っていました。 「はじめまして〜♡ ユウダイさんとお付き合いさせてもらってるユウミです!」「俺さ、やっぱ子ども産める人と再婚するわw」 ユウダイはニヤニヤしながらパニ子を見て、信じられないことを言うのです。「欠陥があるお前は用済み! 俺とは離婚してくれ」 怒りを通り越し、情けなくなってしまったパニ子。荷物をまとめ、家を出ることにしました。 モラハラ夫の離婚後数年後、とあるショッピングモールで再開したパニ子とユウダイ。久しぶりに見たユウダイは、くたびれた服を着て髪はボサボサ、やけに老けて見えました。隣にはユウミが立っています。 ユウダイはパニ子が抱っこしていた子どもを見て、「お前不妊症じゃなかったのか?」と、今だに言うのです。 「検査の結果、問題なかったって言ったよね? 私の子どもよ!」かわいい子どもに恵まれ幸せそうなパニ子を見て、ユウダイとユウミは悔しそうな表情を見せます。 今思えば、モラハラ夫だったユウダイ。ユウミが幸せなワケがありません。職場でも同じような態度をとっていたので、きっと出世もしていないのでしょう。あのとき、離婚を選択した自分は間違っていなかったと確信したパニ子でした。 あまりにひどい暴言の数々には、見ているこちらも言葉を失ってしまいますね。できることなら二人三脚で取り組みたい不妊治療。原因や負担を押し付けることなく、支え合いながら乗り越えていきたいものですね。著者:ライター パニコレ
2023年07月21日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒に買い物をしたりお茶をしたり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれてたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもは1人でもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが一番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2023年07月12日耳の聞こえないパパ・ととちゃんとママ・ゆうこさんが、家族の日常を公開しているYouTubeチャンネル「みゆみゆチャンネル」。今回は、家族の中で1人だけ顔出しをしていない次女からの手紙を公開する様子をご紹介します。 みゆみゆチャンネルとは 耳が聞こえないパパ・ととちゃん、ママ・ゆうこさん、23歳の長女、大学1年生の次女、小学生の三女・かいちゃんの5人家族。 ととちゃんとゆうこさんはステップファミリーで、長女と次女はゆうこさんの連れ子、三女のかいちゃんは2人の実子です。長女はすでに結婚していて、1児のママ。ゆうこさんは、長女7歳、次女3歳の時に離婚。長女14歳、次女10歳の時にととちゃんと再婚しました。2人の出会いは、職場だったそう。もともと、ゆうこさんは手話通訳の仕事もしていましたが、当時はあまり手話が上手ではなく、ととちゃんに仕事と手話の両方を教えてもらうなかで、惹かれていったそうです。そんなお二人が作りあげるYouTubeチャンネルの「みゆみゆチャンネル」には、ととちゃん、ゆうこさん、かいちゃんの3人がメインで登場しており、次女のねねちゃんだけが、顔出しをしていません。 今回紹介する動画では、ねねちゃんからの手紙を紹介します。動画の中でととちゃんが涙! その訳とは……?次女からの手紙 ねねちゃんが高校2年生の時に、両親へ向けて書いた手紙。 「次女から手紙をもらうのは初めてかもしれない」と、手話と口話を交えて話すゆうこさん。 長女はゆうこさんとぶつかることも多かったそう。一方、次女ねねさんは絵に描いたような『良い子』だったと言います。 「自発的に勉強もするし、勉強もできる。逆に遊びに行かないから心配になる」とゆうこさん。 そんなねねさんに動画への出演をお願いしましたが、友達にバレるのが嫌だから出演はできないけど、手紙ならOKと手紙を書いてくれたようです。ととちゃんがねねちゃんの代わりに読みます。 異父姉妹が生まれた時の気持ち 始めに、かいちゃんが生まれた時の気持ちがつづられています。「へぇ〜って思いました」という次女の手紙に、思わず笑ってしまうゆうこさん。 「自分が姉になるという実感はあまりなかった。年も離れているから、妹という感じもそんなにしない。今でも自分が末っ子のような感覚が抜けなくて困っています」と続きます。 ゆうこさんから見るとしっかりしている次女ですが、“もっとしっかりしなきゃ”という想いがあるようです。 YouTubeを始めた理由は、自分のためだと知って 母がYouTubeを始めた時の気持ちは、「元々、癖のある家族だから驚きはなかったです。『ついに来たか』と思いました」と手紙には書いてあったようです。 YouTubeを本格的に始める前には、UberEatsの配達員や布販売をしたことがあるという、ゆうこさん。ゆうこさんが思い立ったらすぐに行動するタイプなのを、家族はみんな理解してるようです。 YouTubeチャンネルを運営しているゆうこさんに対しては「1年間YouTubeを続けるという目標を立て、毎日パソコンやカメラに向かう姿勢を見て、目標を立てそれに向かって頑張るのはすごいと思います」と、尊敬しているようです。 「嫌なのは常にカメラを警戒する必要があること」。思春期の女の子にとっては、家で常にカメラを意識するのは少し大変かもしれませんね。 「ママが動画編集をしている姿をいつも見ています。最近ではやることも増えて大変なはずなのに、いつも笑顔で作業をしているのを見ると本当にすごいなと思っています」という手紙の内容には、ゆうこさんの「嬉しい……」という言葉が漏れます。 「偶然見たママの動画で、YouTube活動を続ける理由の一つに私の大学の学費を稼ぐためだと言っていたのを見て、うるっとしました。本当に困った娘だと自覚していますけれども、それでも私の将来のことを考えてくれて本当に嬉しいです」 次女からの感謝の手紙にゆうこさんは涙ぐみます。 父から娘へ…手紙を読み終わったととちゃんから、ねねちゃんへ向けてメッセージ。話す前に、昔を思い出してうるっときてしまう、ととちゃん。 「勉強もあるから、ゲームをしたり、一緒に遊ぶことが無くなったことは、正直さみしい。だけど、ねねちゃんが勉強をしてくれるのは嬉しいです。行きたい道へ行けるかは運や環境にもよるけど、全部サポートするからいつでも言って」と涙するととちゃん。 動画の最後には、ゆうこさんの想いが。「子どもは、好きなことを好きなだけ自由にやって欲しい。私の姿を見て、それがプラスになれば最高だなって思います」動画からは、ととちゃん、ゆうこさん、ねねちゃんの3人がお互いを想っている様子が伝わってきました。時々、後ろに映る三女・かいちゃんの様子にもほっこりします。普段は恥ずかしくて言えないことも、伝えられる素敵な手紙でした。 著者:ライター 廣瀬尚子
2023年06月24日幼稚園に通う4歳の女の子と2歳の双子の男女を育てています。双子の妊娠時につらくて涙が出るほどだったのが、つわりです。この期間は、私にとって人生で一番長く感じ、とにかく大変でした……。日を追うごとにひどくなるつわり産院での妊娠判定日の3日ほど前からムカムカと吐き気がしていました。そこから日を追うごとに吐き気が強くなり、その1週間後にはほぼ寝たきり状態に。最初はごはんが食べられないだけでしたが、次第に水分もとれなくなり不安になりました。 上の子の妊娠時もつわりがひどかったのですが、1カ月ほどでつわりが終わったので、今回もとりあえず1カ月を乗り越えようと思っていました。しかし、1カ月たっても終わるどころか強まる吐き気。点滴のため通院をしていたのですが、そのための外出すらしたくないと思うほどでした。 すぐに入院をすすめられ…双子の妊娠のため大学病院へ転院し、1回目の受診日になりました。体重は妊娠前から10kgも減り、ケトン体+4というひどい状態だった私。先生から入院を強くすすめられましたが、上の子のこともあり、入院をせずに自宅で過ごすことに。しかし、自宅ではお世話が十分にできない状態だったので、実家へ帰り両親に頼ることにしました。 そして、つわりが始まってから約2カ月後に治まり、妊娠6カ月ごろには妊娠前と同じように食事がとれるようになりました。 このムカムカは、まさか!?つわりが終わってからは、食べたいだけ食べていました。すると妊娠8カ月ごろから今度はおなかが大きくなったことにより、後期づわりが出てきたのです。 吐くことはなかったですが、少しずつしか食べられず……。「またか」と思いながら、出産までずっとムカムカと闘うことになりました。 ちなみに、つわりがひどい中でもなぜか大食いの動画は見ることができ、「つわりが終わったら、動画に出てきたアレが食べたい」と目標を持つと、気持ちが少しラクになりました。つわりで不安が多かった妊娠期間でしたが、おなかの中ですくすくと成長してくれた子どもたちに感謝です。 監修/助産師 松田玲子著者:やまぐち さき4歳の女の子、1歳男女の双子、夫との5人暮らし。子宮内膜症からの手術、不妊治療を乗り越えて育児中。闘病や不妊治療、双子の出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2023年06月05日産後は生理が再開するまで時間がかかると思っていた私。しかし実際は想像とはまったく違い、想定外のことがたくさん起きました。そんな私が体験した産後の生理についてご紹介します。産後の生理について知らなすぎた私産前に参加した母親学級で、「産後は徐々に元の体に戻っていく」と聞いていました。産後の生理再開について個人差はあるものの、半年くらい生理は再開しないんだろうなと思い込んでいたのです。1カ月健診では産科の先生から「悪露の残りが少しあるけど特に問題ないから、少しずつ日常生活に戻していくように」との指示がありました。日常生活に戻るうえで夫婦生活についても話がありましたが、生理が始まらないということは排卵もされないと思っていた私は、何も考えずに1カ月健診後すぐに夫婦生活を再開。このときは後々、どんなことが起こるか考えてもいませんでした。 え? 悪露? それとも…?産後1カ月半で違和感を覚え、トイレに行くと出血がありました。1カ月健診で「悪露がまだ出るかもしれないが、そのうち治まる」と言われていたので、悪露がまだ出ているんだとばかり思っていました。しかし、2日目にはなんだか出血量も増えて下腹部や腰に痛みもあるような……。もしかして生理かも?と思っていたら、約4日で出血が止まりました。時期にして産後45日ほどのことです。産科の医師に念のために確認すると、「早い人だと産後1カ月ほどで再開する人もいる」とのこと。そう⋯⋯これが私の生理再開の合図だったのです。 生理が再開したということは?生理が再開したということは、周期が不安定だが排卵も再開していることが多いそうです。帝王切開での出産だったために、医師から次の妊娠までは1年くらいは空けるように言われていたこともあり、生理再開の相談をしたときも「くれぐれも妊娠しないように気をつけること」と言われました。 しかし! 産後の排卵周期の不安定さを甘く見ていたからなのか、産後5カ月ごろに2人目の妊娠が判明し、そのときすでに妊娠10週。産科の医師からはすごく怒られた記憶があります。 産後の生理の再開時期には個人差があるとは思っていましたが、まさかこんなに早く再開するなんて思ってもみませんでした。無知が故に妊娠し、第2子を妊娠できたことはとても幸せなことでしたが、産後の排卵や生理について勉強しておくべきだったと反省しました。 ※産後の性生活については、1カ月健診で問題なければ再開しても問題ありません。また、産後の生理再開には個人差があり、月経の前に排卵が起こるため、望まない妊娠を避けるためにも避妊が必要です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ののぱ監修/助産師 松田玲子著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2023年06月05日第二子不妊治療を始めてから約3年の時を経て、2人目を妊娠した私。妊娠が判明したとき、長女は4歳で不妊治療にも付き添ってくれていたため、赤ちゃんがおなかにきてくれたことを一緒に喜んでくれました。ところが、妊娠判明から1カ月経ったころに長女の様子が変わり始め……。やっと赤ちゃんがきてくれた!長女が1歳2カ月のころからスタートした第二子不妊治療。第一子不妊治療のときに、「顕微受精でないと妊娠は難しいでしょう」 と先生に言われていた私。けれど、奇跡的に3回目の人工授精で長女を授かったため、2人目も治療をすれば1年くらいで授かるだろうと安易に考えていました。 ところがなかなか赤ちゃんを授からず、やっときてくれたのが治療を始めて3年が経ったころ。治療のための通院に何度も付き添ってくれた長女に赤ちゃんができたことを伝えると、「赤ちゃんきてくれてよかったね!」と一緒になって喜んでくれました。 なんだか落ち着かない妊娠が判明してから1カ月が経ったある日、昼寝から起きた長女をお風呂に入れようとしたところ泣き叫び始め……。たいていお風呂に入り始めれば泣き止むのに、この日はどんどん激しさを増して浴室で暴れるのを必死で抑えるほどに。 30分以上泣き叫んだあとに少しだけ落ち着いたので話を聞いてみると、「なんだか落ち着かない!」と泣き続けるのです。私が「赤ちゃんができてうれしいけれど、ママをとられちゃうみたいで寂しい?」と聞いてみると「うん」と教えてくれました。ぎゅっとして娘のことを大好きだと伝えると、落ち着きを取り戻しましたが、長女もいろいろと感じていたようです。 夜中に突然泣き叫ぶ娘長女がお風呂で暴れてから数日。落ち着いたと思ったら夜中に突然「ねぇママ、一緒に死のうよ! まだ一緒にいたい! 私が死んだらおなかの赤ちゃんに私の名前をつけて育ててあげて!」と泣き叫んだのです。あまりにも衝撃的な言葉で私もパニックになり、そのときは抱きしめて「ずっと一緒だよ、おなかの赤ちゃんは赤ちゃんだし、あなたはあなただよ」と伝えるのに精一杯でした。 翌日娘と話してみると、赤ちゃんができてから一緒に走り回ったり、自転車に乗ったりということができなくなり、「ママは自分よりも赤ちゃんのほうが大事なんだ」と思って寂しかったようでした。 長女の不安を知ってからは、何度も繰り返し「長女も赤ちゃんもどちらも大切」ということを伝えて、抱きしめるようにしました。現在おなかの赤ちゃんは6カ月。今では娘も赤ちゃんの誕生を心待ちにしてくれています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子 著者:ライター 吉川麻和
2023年06月04日同性カップル(婦x婦)の日常をYouTubeチャンネル『Maho Risa Family』で発信しているMahoさんとRisaさん。職場での出会いを経て、パートナーシップ宣誓(※)をし、家族となりました。そして、2022年11月に2人の長男であるぽこ太郎くんが誕生。そこで今回は、同性カップルならではの、お2人が直面した妊娠・出産後の出来事を紹介します。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 左:Risaさん 右:Mahoさんとぽこ太郎くん(2023年5月現在、生後6カ月) 「付き合ったころから子どもが欲しい」と思っていたというおふたり。さまざまなステップを経て、デンマークの精子バンクで1,000人以上のドナー候補の中からドナーを決定し、5回目のチャレンジでRisaさんが赤ちゃんを授かりました。 そして2022年11月はじめ、ぽこ太郎くんが誕生。「かわいい!」「天使!」と、ぽこ太郎くんに愛を注ぐMahoさんとRisaさん。 妊娠報告動画では、Mahoさんは「同性カップルの子どもという、普通ではない環境に悩む日がくるかもしれない。だからこそ普通の何倍も、私たちは子どもを幸せにする努力をしたい」と決意をお話しされていました。 そしてぽこ太郎くんが保育園に通いはじめた今。産院、行政、保育園などさまざまな場面で同性カップルならではの出来事があったことを振り返ります。今回はそれぞれの場面で起こったことを紹介します。 ※各自治体が同性カップルを婚姻に相当する関係と認めて、証明書を発行する制度のこと産院への不安。「あの方ちょっとワケあり?」と思われる…? 1つ目は産院でのこと。Risaさんは、産婦人科に行く際には「なんて言えばいいんだろう? なんて説明したらいいんだろう?」と緊張していたと言います。 産婦人科を受診するときに最初に記入する問診票。病院によるとは思いますが、Risaさんが通った産院の問診票には、「母」と「父」の詳細な情報を書き込む欄があったそうです。 Risaさんは「父」を空欄にすることで「あの方ちょっとワケあり?」と思われてしまうのではないかという不安があったと言います。「母と父ではなく(本人以外の欄は)”パートナー”だったら書きやすいのに……」と率直な感想を語っていました。 産院の反応は?立ち会い出産は?悩んだ結果「父」は空欄に。医師からは「シングルなんですか?」とふわっと聞かれたそうで、「(子どもの)父親はいないけれど養育するもうひとりの親として同性パートナーがいます」と答えたRisaさん。「そうなんですね、わかりました」とそれ以上は何も聞かれなかったそうです。それよりもRisaさんが不安に思っていることはないかと、Risaさんの気持ちにフォーカスした質問が多かったというのが印象的でした。どんな家族もありのままに受け入れている産院の姿勢が伝わってくる気がします。 ちなみに、「同性パートナーですが、立ち会えますか?」とうかがった際、「はい、立ち会えますよ」とあっさりと医師が承諾してくれたそうですが、これには裏話が……。実はこの産院の立ち会いは、本来は親族のみだったのですが、医師が間違ってOKを出したことからそのまま認められたのだそう。助産師さんが教えてくれて「ラッキーだった」ことがわかりました。「OKしてもらえていなかったら、こんなふうに笑って話せなかったかもしれないね」とおふたりは振り返ります。 そして、LGBTQや事実婚の人たちが必ずしも立ち会い出産ができるわけではないという現実を実感したRisaさんは、「同性婚が法律で認められる世の中になってほしい」と切に訴えていました。 出生届を提出!まさかのシングルマザーに…!?2つ目は市役所でのこと。ぽこ太郎くんが生まれた後、「出生届」を市役所に提出したRisaさん。「出生届」には生まれた子の母と父の欄しかないため、Risaさんはシングルマザーという登録になりました。その後も役所で手続きをするたびに、シングルマザーという扱いで、シングルマザー向けのサポートを案内されたり、「1人で子育ては大変だけれど両親のサポートはあるのか」などと聞かれたりしたそうです。 そこでRisaさんは思い切って同性パートナーがいることを説明しました。すると、市役所側は同性パートナーのことに難なく理解を示してくれたのだとか。市役所で主催している子育て学級にもふたりで参加したそうです。 保育園で聞かれた質問が的を得ていて、逆にビックリ!?最後は保育園。保育園が決まり、園長先生との面談にRisaさんが行ったときのことです。保育園は付き合いも長くなるし深くなるため、「自分たち家族のことを深く理解しておいてもらった方がお互いにとって良いだろう」と考えていました。 事前に渡された家庭状況を記入する書類には、やはり「父親」「母親」の情報を書く欄があったそうです。しかし、法的な書類ではないということもあり、「父親」の欄を「母親」に書き換えて、Mahoさんの情報を記入したのだそう。 その面談では、園長先生から思いもよらぬ、でも納得のできる質問をされたとRisaさん。園長先生は、ぽこ太郎くんを精子バンクを利用して出産したことや、RisaさんMahoさんが2人で養育をすることを把握したうえで、次の3つことを聞いてきたそうです。 1)父親とはどういう関係性ですか?まずは「どういう関係として父親が存在しているのか、父親に親権はありますか?」という質問です。 これは、親権を持っている父親だと園に迎えに来られたときに、子どもを渡さなくてはいけないため、保育園側としては把握しておく必要があるそうです。Risaさんは父親に親権がないことを伝えました。 2)他のママたちになにかを聞かれたときは?2つ目は「周りの子どもたちやママから聞かれたらどう答えればいいですか?」という質問です。 Risaさんは「私たちはオープンだし、周りのママ(パパ)に隠そうとは思っていないので聞かれたらそのままお伝えしてください」とお話しされたそうです。おふたりのオープンな様子や事実を知ってほしい、こういう家族がいることを世の中に広めたい、そんな気持ちも悟って、園長先生は聞かれたのかもしれませんね。3)2人のママをどう呼んだらいいか 最後は「2人のママのことは、どんなふうに呼べばいいですか?」という質問。園長先生から「Risaママ、Mahoママですか?」と聞かれて、Risaさんは「じゃあそれで!」と即答したのだとか。というのも、自分たちのことをどう呼ぶか、たとえば「ママ」と「マミー」にするか、「ママ」と「お母さん」がいいかと、ずっと悩んでいたのだそう。「園長先生のおかげで自分たちの母としての呼び名が決まった!」とMahoさんも笑顔を見せます。 保育園からはこの3点を聞かれたのみ。同性カップルの子どもを受け入れたことがあるのかなと思うような的確な質問だと関心するMahoさんに、「すごく自然に聞かれたよ」と答えるRisaさん。受け入れに対してネガティブな雰囲気が一切なかったのだそう。「この園だったら大丈夫だと安心した」とMahoさんは胸をなでおろしました。 園長先生が、実際に保育が始まってからでてきそうな小さな疑問までもすでにイメージしてくれていたことで、3人のことをごく自然に受け入れてくれたことを感じられたのでしょうね。 そしてRisaさんも、ぽこ太郎くんに物心がつき、おしゃべりをするようになったら、周りの子どもたちに「なんでママがふたりいるの?」と聞かれる日がくるだろうと言いました。でも「この保育園なら、心配事も少ないし、相談もしやすい。近くにあってよかった」とおふたり。3人にピッタリの保育園に出会えてよかったですね! LGBTQを差別する人たちは「知らないだけ」 今回の産院・行政・保育園の対応については「伝える前の緊張」はあったものの、「想像していたほどネガティブなことは一切なかった」とおふたり。日ごろからLGBTQについて「知らないだけで、きちんと会話をすればほとんどの人が味方になってくれる」と考えているそうですが、実際に今回もそう感じたのですね。 おふたりの周りにたくさんの理解者がいるのは、こうした「わかって欲しい」「察して欲しい」ではなく「会話をすること」「知ってもらうこと」を大切にされているおふたりの姿勢も、関係しているのだと思います。 視聴者からは、 「そういえば、わが家の幼稚園や小学校では父の日、母の日とかの絵や工作、作文とかあった気がする。そのときがきたら、これからどうやって対応していくかだけど、ふたりならうまくやっていける」 「おふたりはラッキーだと言ってましたが、おふたりが真剣だから周りも協力したくなるんじゃないかなーって思います!」 「元保育士です。ふたりパパやふたりママ、パパママ、ひとりママやひとりパパなどこれからどんどん多様性に富んだ家族が増えると思います。これからの保育園、保育士の対応など考えていかないといけないんだろうなーと思いました!」 といった意見が寄せられています。 根拠のない誤解や偏見というのは、世の中のあらゆる場所にあるもの。MahoさんとRisaさんの動画を観て、「知らないこと」を「知ろうとする」心がけも大切であることを感じました。そして多様な家族と、多様な性・生の在り方が認められる世の中になってほしいと強く思いました。「諦めなくていい」。おふたりの動画には、LGBTQ当事者の方も、そうでない方も、日々の生活に希望を感じるようなメッセージが込められています。 Risaさんのお仕事復帰とぽこ太郎くんの保育園入園という、新しい生活をスタートさせたMaho Risa Family。ベビーカレンダーはこれからも3人を応援しています!YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、お2人の日常生活の様子、妊娠中の様子、出産、子育てについてなど、さまざまな動画が投稿されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:ライター 逆井マリ
2023年05月30日長女の妊娠が判明したのは、私が今の会社に就職して1カ月のころでした。「迷惑すぎる……」と言われてもおかしくない状況で、私をサポートしてくれた、わが社の社長の神対応についてお話しします。妊娠~産後までサポートしてくれた会社当時私は、アルバイトとして働いていたIT系のベンチャー企業で正社員として働くことが決まっていました。正社員になって1カ月ほど経ったころ、謎の胃痛が続いており、「仕事が忙しいせいかな?」と考えていました。 しかし、生理が来ていなかったこともあり妊娠検査薬を使ってみたところ、妊娠が判明。妊娠したことはうれしかったものの、「正社員になって1カ月で妊娠なんて、会社にとっては迷惑な話だよな……」と申し訳ない気持ちでいっぱいに。 当時は社長を含め、5人で会社を回していました。みんな自分の仕事を抱えており、妊娠したことを言うのが遅くなったら、さらに迷惑がかかる……と思い、すぐに社長に報告。社長は予想外の展開に困惑しながらも、妊娠はおめでたいことだからと、祝福してくれました。 出産までの期間、妊婦となった私のために通勤ラッシュを避けた時間帯に出社することを許可してくれたり、空気清浄機や足元用の暖房を設置してくれたり、いろいろと配慮していただき、ありがたかったです。 その後わが家は、出産と重なるタイミングで夫が失業したため、私がすぐに働かなければならない状況に。そのときも社長からの提案で、テレワークの環境を整備し、好きな時間に働けるようにしてくれたり、出社しなければならないときは、子連れ出勤を許可してくれたりなど、とても柔軟な対応をしてもらいました。 女性社員はこれまでも何人か在籍していたものの、妊娠した社員は私が初めて。社長は当時のことを「今回の件で女性を雇うことの大変さを知った。だけど、今後うちの会社を、女性にとっても働きやすい環境にするためのいい経験になったよ」と言っています。 つわりに耐えての勤務や、夫の失業、産後すぐの復帰はとても大変でしたが、社長や同僚がサポートしてくれたおかげで、子育てと仕事を両立することができました。今では長女は3歳となり、次女も生まれました。 就職してすぐに妊娠という状況の中、働きやすい環境を作ってくださった社長や同僚には感謝してもしきれません。その後も、失業して2年働かなかった夫に仕事を紹介してくれるなど、わが家は社長に助けられっぱなしです。私は現在も同じ会社に在籍しており、育児をしながらテレワークで働いていますが、今後も会社に貢献し、恩返ししていきたいと考えています。 著者:南星 花
2023年05月27日シングルマザーのハナさんが運営するYouTubeチャンネル「なないろfamily」。ハナさんは1LDKの家で、娘のメイちゃん(6歳)と独身アラフォーのお姉さんと、3人で暮らしています。普段は、3人で仲良く暮らす様子を配信している「なないろfamily」。今回はハナさんがシングルマザーになるまでの経緯についてご紹介します。 娘が2歳のときに離婚 ハナさんが離婚したのは、メイちゃんが2歳のとき。メイちゃんに、パパの記憶はないそうです。離婚後に、元旦那さんはうつ病で他界しました。 お金はすべて元夫が管理、厳しい倹約生活結婚前の元旦那さんは、穏やかで誠実。「真面目」という言葉がぴったりの人だったそう。金銭面も倹約家で、コツコツと貯金するタイプだったそうです。 対して、ハナさんはどちらかというとズボラで面倒くさがり。金銭面でも計画性のないタイプでした。 2人の夢は「マイホームを建てること」。結婚前から話し合いをして、ハナさんが浪費しないように通帳を元旦那さんに預けていました。結婚後、お金はすべて元旦那さんが管理し、厳しい倹約生活をしていたそうです。 妻が妊娠中、転職を繰り返す元夫結婚してから、約1年でメイちゃんを妊娠。幸せいっぱいと思った矢先、つわりで水すら飲めずに体重が減ってしまい、入院することになりました。ほぼ寝たきりの状態が続いたハナさんは、当時勤めていた会社を退社。 そんな中、元旦那さんが急に転職を繰り返すようになってしまったのです。ハナさんに、事前に相談はありませんでした。何度、相談して欲しいとお願いしても、同じことを繰り返す元旦那さん。 経済的にも不安を抱える中で、無事に出産。産後も体調が優れなかったハナさんは、しばらく育児に専念することになりました。 そんな中、また元旦那さんが突然会社を辞めてしまいます。 出産後、勝手に起業!?ある日、元旦那さんは「起業して店を始める。もう場所は借りている」と言い出しました。びっくりして固まるハナさん。当時のハナさんは、妊娠中からの体調不良に加えて、娘さんが早産&未熟児だったため、毎日NICUに通っていました。 娘さんが退院してからも、夜泣きや慣れない育児でノイローゼ気味に……。自分が1日を無事に過ごすのがやっとの状態で、夫のことは何も考えられない状況だったそう。 元夫がうつ病に……お店を始めた当初は、ハナさんもビラを配るなどできる範囲で手伝いました。その後、お店が繁盛しはじめ、ハナさんの体力も少しずつ回復。順調だと思った矢先、元旦那さんがうつ病を発症したのです。 元旦那さんは、自営業の重圧や先の見えない不安にかられて「なんで会社を辞めてしまったのだろう」と頭を抱え、悩むようになりました。情緒不安定になり、夜は眠れず、食欲は減り「何もかも怖い。消えてしまいたい」と、泣きながらつぶやくようになりました。 ハナさんは、嫌がる元旦那さんを無理やり病院へ連れて行くと、症状が重く、そのまま緊急入院となりました。 高額セミナーに生活費をつぎ込んでいたことが発覚元旦那さんの入院中に、ワンオペ育児、片道1時間かけてのお見舞い、お店を畳む準備をするハナさん。当時2歳になったメイちゃんと税理士事務所へ手続きに行くなど、毎日大変でした。 しんどい日々を送る中で、元旦那さんのパソコンのメールや書類、すべての通帳をチェックしていると、とんでもないものを発見! 元旦那さんは、ハナさんに内緒で高額な起業セミナーに通っていたことが発覚したのです! 総額で、車を1台買えるくらいの金額をつぎ込んでいました。 ジュース1本を自動販売機で買うことすらためらうような夫が、こんな高額セミナーに!? 衝撃事実を知り、冷や汗をかきながら、急いで解約。元旦那さんにお金の管理を完全に任せていたことを反省しつつ、趣味やささやかな娯楽まで我慢して、マイホームやメイちゃんのために貯めていたお金をこんなことに使ったの? と、怒りがわいてきました。 この一件で、元旦那さんに対する気持ちが、急激に冷めてしまったハナさん。しばらくして、元旦那さんは退院しましたが、退院後も体調が優れなかったため、お互い自分の実家で暮らすことに。 怒涛の店じまいもひと段落したため、ハナさんは就職活動を始めました。 義両親からの衝撃的な言葉 それから、程なくして元旦那さんの実家へ行き、離婚の話をしました。義父母は「息子を捨てるのか」と言わんばかりにハナさんを叱責したそう。ハナさんは「もう夫を信頼することはできない」と正直に話しました。 メイちゃんもまだ小さく手がかかる時期で、元旦那さんの面倒を見ながら、ハナさんがひとりで家計を支えていける状態ではありませんでした。 「養育費は元気になって働けるようになってから、少しずつ支払ってくれたら良い」と、伝えると、義父母はとんでもないことを言い出します。 「養育費なんて払う必要はない。ひとり親になれば手当も出るだろう。子どもは女の子なんだから大学に行く必要もない。そんなにお金もいらないはずだ」 信じがたい考えと言葉に衝撃を受けたハナさん。その後もいろいろ言われたものの、なんとか離婚が成立しました。 元夫が他界したと知り……ハナさんは、就職先とメイちゃんの保育園が決まり、実家で暮らしながら忙しい日々を過ごしていました。メイちゃんのことで元旦那さんに連絡をしましたが、連絡は繋がらず音信不通。 離婚してから半年以上たったころ、共通の知人から元旦那さんが1カ月前に亡くなったことを知ったハナさん。義父母からは、何の連絡もなかったそうです。 元夫の他界を知り、自分を責めて泣き明かしたハナさん。お姉さんに電話すると、すぐに駆けつけて抱きしめてくれました。 このころから、実家で両親と折り合いが悪くなったハナさんは、お姉さんに相談すると「うちにおいで。一緒にメイちゃんを育てよう」と言ってくれてたそう。そして、3人での生活が始りました。 今思うことハナさんは、今だに「あのときこうすればよかった」という後悔があるそう。 「ただ、当時は自分なりに精いっぱい過ごしていました。自分の行動や選択が正しかったとは思いません。でも、どんなに悔やんでも過去は変えることができません。目の前のことに向き合って、少しずつ進んで行くしかないのかなと思います」と、語っています。 離婚、元夫の他界、義父母の理解しがたい対応……これまでたくさんつらいことがあったハナさんですが、素敵なお姉さんがいてくれてよかったですね。子育てを一緒にしてくれる人がいるだけで、すごくありがたいと思います。 この動画には、励ましのコメントや、同じような境遇の方から「勇気づけられました」とのコメントが多数寄せられていました。 ハナさん・お姉さん・メイちゃんの3人が出演するYouTubeチャンネル「なないろfamily」では、和やかな日常の動画がメインで投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。 【離婚した理由】私がシングルマザーになるまでの壮絶な過去前編|なないろfamily 著者:ライター 廣瀬尚子
2023年05月26日次男の妊娠が判明したとき、当時1歳10カ月だった長男は非常に活発で落ち着きがなく、言葉の発達も遅かったため、私は非常に手を焼いていました。このままでは、次男が生まれてきたらキャパオーバーになってしまう……。そんな不安を抱えていた私は、里帰りする実家近くの保育園に長男を預けることにしました。その結果……。妊娠した私の不安次男の妊娠が判明したとき、喜びの次に私の頭に浮かんできたのは長男のことでした。当時1歳10カ月で、非常に活発で落ち着きがなかった長男。外でも中でも常に走り回っており、捕まえようとする私の手を振りほどいて、どこまでも全力でダッシュするような子どもでした。また、言葉の発達が遅く、当時は単語を発することはありませんでした。 もちろん望んでいた第2子の妊娠でしたが、このように意思疎通が難しい長男と、生まれてくる赤ちゃんの子育てをうまく両立できるのだろうかと、私は不安を感じていたのです。 里帰り先の保育園の一時保育へ私は当時地元から遠く離れた県に住んでいました。そして、長男の出産のとき同様、里帰り出産をすることに。私の両親は働いているため、次男の妊娠が判明した数週間後、実家から歩いてすぐの保育園に長男の一時保育を申し込みました。 その保育園は私たちが里帰りしている間、平日はほぼ毎日長男を預かってくれるとのことで、ほっとひと安心。長男は預け始めて数日間は泣いていたもののすぐに慣れ、保育園生活を楽しんでいました。 長男に起きた変化保育園に通い始めて1カ月が経ったころ、私は長男のある変化に驚かされました。それは少しずつ単語が出始め、なんと2語文まで話すようになっていたことです。言葉の爆発とはこのことか、と私は思いました。私と両親は長男とようやくまともにコミュニケーションがとれるようになり、とても喜びました。 うれしい成長は他にもあります。あれだけ落ち着きがなく常に走り回っていた長男が、人と手をつないで歩けるようになったのです! ほかの親子が当たり前のようにしているこの行動を、私は長男が2歳半のときに初めて実現することができました。これは保育園の集団生活の賜物だと、私は感じていました。 ママ友の反応私たちが約3カ月の里帰りを終えるころには、長男はたどたどしくではあるけれど、3語文を話せるようになっていました。そして里帰りから帰ると、長男のことをよく知っているママ友たちに「◯◯(長男)ちゃんがしゃべってる!」「座ってる!」「手をつないで歩いてる!」とびっくりされました。 私はママ友たちのその言葉を聞いて、「長男を一時保育に通わせていなかったら、今ごろ次男を抱っこしたまま、走り回る長男を追いかけ回して大変だったかもしれない……」と思わずにはいられませんでした。 私は長男を一時保育に預けて、集団生活の力を改めて感じました。集団生活には良い点もあれば悪い点もあるのかもしれません。しかし、私は長男を成長させてくれた先生方やお友だちにとても感謝しています。長男の言葉や社会性の発達に悩んでいた私ですが、今は集団生活を経験させて本当によかったと思っています。今後も集団の中で、たくさんのことを吸収していくことを願っています。 監修/助産師 松田玲子著者:今岡めい6歳と4歳の超わんぱく兄弟を育てるママであり、フリーライター。「子育てで一番大切なのは母親が笑顔でいること」「幼児期最大の英才教育は遊びである」をモットーに掲げ、日々テキトー育児を繰り広げている。
2023年05月25日わが家はいわゆる授かり婚夫婦です。当時彼氏だった夫との間でとある事件が起き、関係に距離をおいていたときに、まさかの妊娠判明。そこから結婚までの出来事をお話しします。結婚したいと思っていた彼が浮気未遂!?当時、彼とは付き合って6年、私は30歳を過ぎていました。そろそろ結婚したいし、子どもも欲しいと考えていましたが、彼は自由でいたい願望が強く、私が結婚の意思を伝えても、濁されるばかりの状態。私は、「彼との結婚は望めないかも。だけど好きだから離れるのはつらい……」と悩み始めていました。 ある日、彼と私のお互いの友だちを誘って食事をする機会があったのですが、数日後、私の友だちから「○○君(私の彼)のことで話があるんだけど……」と言われたのです。話を聞いてみると、なんと彼はあの食事会の後、友だちのLINEに個人的に連絡をし、口説いていたとのこと……。 LINEの会話を見せてもらうと、「○○ちゃん(私の友だち)と付き合いたい。○○ちゃんの彼氏に嫉妬する」といった内容がズラリ。私は頭を鈍器で殴られたような衝撃で、すぐに彼に「どういうこと!?」と問い詰めました。理由を聞くと「関係がマンネリ化して、刺激が欲しかった」だそう。彼はもともと女好きなタイプで、私は常に浮気の不安を抱えていましたが、まさか友だちに手を出すとは思わず、とてもショックを受けました。その後、彼とはしばらく距離を置くことになり、「もう別れるかも」と考えていました。 距離を置いた直後に妊娠が判明…距離を置いて1カ月ほど経ったころ、なんと妊娠が判明。すぐに彼に会って伝えると、「本当に反省している。もう二度とあんなことはしない。子どもができてすごくうれしい。結婚しよう」と言われました。 正直、友だちを口説く男性は信用できませんが、子どもができたことは私も本当にうれしく、彼との結婚を決意。口説かれた友人は「あんな男やめたほうがいい」と、怒っていましたが、「子どもを授かったことは祝福する。でも、あいつがまた不貞を働いたら殴りに行ってやる!」と言ってくれて、今でも良き相談相手です。 あれから5年、2人目にも恵まれ、夫は今では子煩悩なパパに。子どもを授かれたことには感謝していますが、独身時代とはいえ、1度は浮気をしようとした夫です。今後、何が起きてもいいように、私ひとりで子どもたちを育てていくことを常に考えながら生活しています。 イラスト/ななぎ著者:南星 花3歳と0歳の姉妹と、発達障害の夫、13歳の猫と暮らす。妊娠中に夫の失業、切迫早産、胎児発育不全など、さまざまなトラブルを体験。IT業界で働くワーキングマザー。
2023年05月24日私には現在3人の子どもがいるのですが、2番目の子は3,950gのビッグベビーでした。3,950gの赤ちゃんだったと言うと、壮絶な出産を思い浮かべて「大変だったね」と声をかけてくれる方が多いのですが、実は3人の中で一番ラクな出産だったのです。今回は、ビッグベビーの出産秘話についてお話しします。3,950gのビッグベビー誕生今から約5年前、27歳のときに出産予定日から4日遅れて3,950gのビッグベビーを出産しました。実際に陣痛が来たのが、出産当日の午前0時ごろ。ほんのちょっと陣痛が来ているなという感じだったのですが、すでに10分間隔。しかし陣痛が弱かったので結局朝イチに病院へ行き、そのまま入院しました。 昼以降も弱い陣痛が続いていたのですが、19時ごろに急激な痛みが襲ってきて、一瞬でピークに達し、分娩の準備が始まったのです。それから1時間もしないうちに、つるんと出産しました。 ビッグベビーのお産が一番ラクだった!?実際の分娩時間は16時間ですが、陣痛のピークから出産までは1時間ほどでした。実は、妊婦健診ではビッグベビーと言われておらず、赤ちゃんの大きさは3,200gくらいとのことでした。 しかし出産前に助産師さんがおなかを触った際にパンパン具合を感じたらしく、「相当大きいかもね」と言われ、初めてビッグベビーかもしれないと知ることに。大変なお産になる覚悟をしたのですが、結果的には1人目や3人目のお産よりもスムーズでした。 一番上の子のときは子宮口が全開大にならないうえ、酸欠で酸素マスクを付けてのお産でしたし、3番目は子宮口が6cm開いてからの進みが遅く、全開大になるまで5時間くらいかかり体力は限界に……。ですから2番目はビッグベビーではあったけれど、3人の中では最もラクな出産だったのです。 ビッグベビーだったが会陰切開なしで出産3,950gの赤ちゃんを自然分娩したので会陰は自然に裂けてしまっていると思っていたのですが、ほぼ裂けずに出産できました。腟の内側が2か所裂けていたのですが、縫う場所ではなかったとのことでした。 自分でもびっくりしたので担当医に尋ねたところ、分娩時に会陰部分が柔らかく伸びるタイミングがあるそうです。うまいこと会陰が一番伸び切ったタイミングに合わせていきんだので、大きく裂けずに出産できたということでした。 「ビッグベビーだとお産大変だよね? すごいね!」と周りから褒められるのですが、尊い命が誕生するということは、どのような出産であっても命がけだと思います。私の場合は出産予定日が遅れたり、出産直前でおなかの赤ちゃんが大きいかもと言われて不安を感じたりもしましたが、比較的スムーズな出産となり本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小西なつみ6歳と5歳の男の子と2歳の女の子を育てる3児の母。フリーライターとして活動しており、子育て関連や福祉関連を中心に執筆を手掛けている。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年05月14日初めての出産で、産院選びはとにかく家から近ければいいだろうと適当に思っていた私。個室か大部屋かを選ぶ際にも、特に見学もせず料金が安いほうを選んだ私でしたが、産後とても後悔することになったのです……。どこの産院がいいのだろう?第1子となる子どもの妊娠が判明し、ついに私にも子どもができたのか〜!と、ドキドキしたりうれしかったりの毎日を送っていた私。妊娠が判明したのは、私がいつもお世話になっている婦人科で、ここには産科がなかったため自分で産院を探さなければなりませんでした。 しかし初めての出産で、産院選びにおいて何を重視したらよいのかわからず……。家から通える産院は3軒ほどあったのですが、その当時仕事が激務だった夫には相談せず、「いざというとき自分だけで移動できるよう、家から近い産院がきっといいに違いない!」と、安易に決めたのでした。 個室か大部屋。迷わず選択!家から一番近い総合病院の産科を選び、そこでは産後に個室か大部屋かを選べたのですが、料金表を見てビックリ! 個室の1日分料金がとにかく高かったのです。もともとケチな性格な私は迷わず大部屋をチョイスし、そして数カ月後、無事に出産。 初めて会うわが子に感動しつつも体はあちこち痛み、早くひとりでゆっくり休みたいと思っていたとき、助産師さんから「この病院では、産後は基本的に母子同室です」と言われました。事前に母子同室の説明を受けておらず、産後、授乳時以外は赤ちゃんを預かってもらえるものだと思っていた私はかなりショックを受けたのでした……。 わが子だけ泣いている!?そして4人の大部屋に移動し、赤ちゃんのお世話が始まりました。しかし初めての育児で右も左もわからず……。ここで私を一番苦しめたのは、他の親子に迷惑をかけないように、赤ちゃんが泣いたらとにかく泣き止ませなければ!という思いでした。今考えると私の気のせいだったと思いますが、他の赤ちゃんはそんなに泣いていないのに、息子はよく泣いていて「迷惑をかけてごめんなさい……」と自分を追い込んでいました。 また、私のベッドは4人部屋のドア側だったため、窓の外の天気などもわからず、ずーっと部屋に息子とこもりきり。こんなことなら、あのとき個室を選べばよかった……と心の底から思いました。 退院して、候補だった他の産院の1つで出産した友人の話を聞くと、そこはすべて個室でママが休みたいときなどは赤ちゃんを預かってくれるシステムもあったとのこと。後悔先に立たずですが、産院選びをはじめ個室か大部屋かなど、もっと自分に合ったものを調べておけばよかったなと思います。 著者:竹の内 由紀5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2023年05月13日私は36歳のときに3人目を妊娠。妊娠がわかる前は月に1回程度のペースで夜の営みがありました。上の兄たち2人のときは、妊娠中も産後も夫の性欲はあり、セックスレスになることは今回が初めての経験です。私は育児に疲れており、性欲は未だにないのですが、私が思う夫のセックスレスの理由を考えてみました……。3人目妊娠初期の出来事…妊娠検査薬で妊娠がわかった妊娠初期のころに夜の営みをしました。しかし、その2、3日後に微量の出血と陰部や腟のヒリヒリ感があり、産婦人科を受診。出血の原因は着床出血で、腟のヒリヒリ感はカンジタ腟炎だと医師から言われ、軟膏をもらいました。 私はカンジタ腟炎になったのは初めてで、夫に治るまでは無理だからと伝え、この日からセックスレスがスタートしたように思います。 3人目が女の子とわかると夫に変化が私のカンジダ腟炎は2週間後の妊婦健診で治ったのがわかりましたが、つわりが始まったり切迫流産になったりして私のほうがそれどころではなく、セックスレスのまま妊娠中期に入りました。 そして、夫がおなかの子の性別を気にし出して、担当医から「女の子かも」と言われたことを告げると、太っている父親と思われたくないという一心でダイエットに没頭し始めてしまったのです。 おなかを触ってもらえず不安になる私夫はダイエットに集中して、夜は疲れて爆睡……。胎動があり、兄たちは触ったり声をかけてくれたりするのに、夫は関心がないのかと思うくらいおなかに触れてくれませんでした。 兄たちのときは胎動を感じながら夫婦、親子のスキンシップをとれたのに、今回はまったく近寄ってこない夫。不安に感じ、いつもならしない私がおなかを触ってもらうために夫の布団に潜り込んだくらいです。 私が思う夫のセックスレスの理由私は、きっと3人目が生まれたら夜の営みを求めてくるだろうなと思っていました。ですが、産後5カ月を過ぎてもその素振りはありません。 私自身の性欲はないので、夫に何でしないのかと聞こうとは思わないですが、生まれたのが女の子だったことが、夫に何かしらの気持ちの変化をもたらしたのかもしれません。兄たちのときにはセックスレスにならなかったので、何となく、3人目が女の子だったことが影響しているような気がしたのです。 現在は娘の2時間ごとの夜泣きが始まり、夫婦して体力を削られていますが、もし今後そういう雰囲気になったときには、疲れているからと断わらないようにしたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2023年05月10日自閉症の長男が10歳になった年に、小さな妹が誕生しました。年が近い上の妹と双子のように育ってきた長男にとって、小さな妹は初めて「自分が守ってあげたい」と思う存在でした。今回は、下の子の誕生によって長男に初めての感情が生まれたこと、その感情が大きな成長につながり、兄妹の絆が深まったエピソードを紹介します。年の近い妹に依存していた自閉症の長男わが家の長男に障害があることを知ったのは、長女が生まれてすぐの2歳のころ。年齢相応のことが難しく、幼いころから兄妹は双子のように育ってきました。しかし、成長とともに長女が長男を追い越すことが増え、気が付けば兄妹の関係はすっかり逆転! 「しっかり者の妹に甘える兄」。それが当たり前になり、ますます自立から遠のいていく長男の将来を親として不安に感じていました。そんななか、わが家に新しい家族が誕生したのです。 「お兄ちゃんが守ってあげるよ」家族全員立ち会いのもと生まれたのは、とても元気な女の子。8歳の長女は、待望の妹だったため大喜びでした。しかし、10歳の長男は、どうしていいのかわからず戸惑っている様子。 うれしいけれどうまく言葉にできない長男に、「あなたの妹よ」と声をかけると、少し考えて生まれたての妹にこう話しかけました。「はじめまして、赤ちゃん。これからお兄ちゃんが守ってあげるよ」。長男が初めて自分から誰かを守りたいと思った瞬間だと感じました。 次女の誕生で深まった兄妹の絆次女が生まれてから、長男は立派なお兄ちゃんになろうと一生懸命でした。そんな兄の姿を見た長女は、自然と長男を兄として頼ることが増えてきたのです。もちろんうまくいかないこともたくさんありましたが、小さな妹にとって、自慢のお兄ちゃんになりたかったのだと思います。「これは俺にまかせて!」。そう言って、何度失敗してもめげずに、2人の妹を引っ張っていこうとする姿を見せてくれるようになりました。 長男の障害のことがあり、長い間、3人目の子ども産む勇気が持てませんでした。しかし、小さな妹の誕生が兄妹みんなにいい変化をもたらしてくれたことで、改めて「勇気を出して産んでよかった!」と思えました。これからも兄妹3人がなかよく育ってくれることを願っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師 松田玲子著者:夏目茉子発達障害のある長男、長女、年の離れた次女の三児の母。保育園・アパレルなど幅広い業種を経験し、結婚・出産。子育て中に2級FP技能士を取得し、コンサル会社に勤務。現在は不定期でアシスタント業務をしながら記事を執筆中。
2023年05月09日私は第1子を里帰り出産することにしました。初めての出産で不安なことと、母の希望もあって決めた里帰り出産。出産予定日の前後3カ月間を実家で過ごしたのですが、快適である反面ストレスが溜まることもあったのです……。快適な実家生活だったけど…産院を転院する関係で、私は出産予定日の2カ月前から実家へ帰ることにしました。実家で長く生活するのは、高校を卒業して以来約10年ぶりのこと。夫を家にひとり残すのはちょっぴり心配でしたが、久しぶりの実家生活をとても楽しみにしていました。 実家からは産院へも近く、何かあったらすぐに駆けつけてくれる親戚も近くにいました。また、何よりもごはんを作らなくていい実家生活は、妊娠後期で体が重かった私にとってとても快適なものでした。 「水道光熱費が増えた」と言われた無事に長男を出産した私は、退院して実家へと戻りました。慣れない育児、眠気と闘いながら頭ボサボサのまま長男のお世話をしていた私にとって、ごはんを作ってくれる母や長男の面倒を見てくれる父の存在は、ありがたいものでした。しかしあるとき、母に「水道代が高い! 先月からすごく増えた!」と言われたのです。 確かに、里帰り中の私はずっと実家にいました。父と母の2人のときよりも、水道の使用量は増えると思います。トイレも膀胱が圧迫されるせいか1日10回以上は行っていたし、「水道代が上がるのは仕方ないんじゃないか」と思います。しかし母は納得がいかなかったようで、「節約するように」と念を押されてしまいました。 電話しただけで激怒された検針票を見て、私が里帰りをしてからの水道光熱費が跳ね上がっていることを知った母は、いろいろなことに対して過敏に反応するようになりました。私のスマホが不調だったので実家の電話を使っていたら「いつまで電話してるの! 電気代がかかる!」と激怒されたこともあります。 産後1カ月は湯船につかれないため、毎日シャワーを15分程度使っていたら「シャワー使いすぎじゃない?」と言われたこともあります。私はそんな母の小言に産後の疲れも加わり、とてもストレスを感じるようになってしまいました。おそらく母も同じようにストレスを感じていたと思います。 里帰り前から決めていた謝礼を渡すと…そして長男の生後1カ健診が終わった日、実家を後にして自宅に帰ることになりました。その日に私が里帰りしたことで増えてしまった水道光熱費と食費として、10万円を渡しました。この10万は最初から渡そうと思っていたお金でしたが、里帰り中の母の小言を聞いて「絶対渡さなきゃ!」と思った10万でもあります。このお金を渡したことで母も納得してくれたように思えます。 今回の里帰り出産で、親子間であってもお金の取り決めはきちんとして、あらかじめ伝えておかなければ、ということを学びました。そうすることで、私だけでなく、母のストレスも減らすことができたのではないかと感じています。 監修/助産師 松田玲子著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。チョコレートとパンが大好き。復職に向けて資格取得を目指している。
2023年05月09日27歳で長女を出産し、2人目が欲しいと思いながらも草食系の夫にちゃんと伝える勇気がなく、ずるずる32歳になった私。そんなとき、不妊治療をしていた上司から言われた「本当に2人目が欲しいなら迷っていないで早いほうがいいんじゃない?」のひと言に刺激を受け、2人目計画を始動したお話です。夫は草食系夫はいわゆる草食系で、もともと営みがなくてもいいタイプの人。結婚前から健全なデートがほとんどで、「ピュアな人なんだな」と私は感じていました。そのため、結婚してから長女を妊娠するのにも、排卵日などを考慮しながらで1年ほどかかりました。 私も夫も「子どもは2人欲しい」と思ってはいましたが、2人目が欲しい=営みが必要、というのが私たちにとっては大きなハードルでした。 2人目計画を言い出せないそれでも2人目は欲しく、漠然と「2人目欲しいね」と私が言い「そうやね」と夫も言いますが、それ以上は続かないのです。長女の妊娠が判明してから営みをしていないので、もうそういう雰囲気にもなれません。 私たちが2人目を作るとなると、基礎体温を測り排卵日を考え、「今日、排卵日だよ」と伝えなければなりません。それらを考えただけでおっくうになり、夫に2人目計画を言い出せずにいました。 このままではマズイそんなこんなで5年が過ぎ、私は32歳になりました。そんなとき、職場の3つ上の上司が不妊治療を始めたそうで、こんなことを言われました。「加齢と共に卵子も老化するから妊娠しにくくなるんだって。だから本当に2人目が欲しいなら、迷っていないで早いほうがいいんじゃない?」と。 卵子の老化、聞いたことはありましたが改めて言われると年齢的にも焦りを感じ、「夫に2人目計画を伝えよう!」と決心しました。 2人目計画始動その夜、この気持ちが収まらないうちにと思い、上司に言われたことを夫に伝えました。「今、重い腰を上げないとあとから2人目が欲しいと思ってもできないかもしれない。まだ可能性があるうちに頑張ってみようよ」と。 2人目が欲しいという思いは夫も同じなので、納得してくれました。それから私たちは2人目に向けて始動したのです。 2人目計画を始動してから1年半ほどの34歳で妊娠し、35歳で次女を出産しました。夫に2人目計画を伝えるのはとても勇気がいりましたが、無事に次女を妊娠~出産し、今、家族4人で本当に幸せです。あの上司の言葉がなければまだ重い腰が上がってなかったかもしれないので、心から感謝しています。 監修/助産師 松田玲子著者:石井ゆうき9歳と1歳の姉妹を持つママ。秘書として時短勤務。1人目出産直後に夫が転職に失敗したことを機に、お金にまつわることに興味を持ち、FP2級の資格を取得。家計管理・資産運用に生かしている。
2023年05月08日高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。妊娠・出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し、数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠! 「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 時を前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万全!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院・手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、コロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとかきてもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛が来るのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか!と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠・出産にはお母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。
2023年05月05日次男を妊娠したばかりのころのことです。私は次男の妊娠がわかってすぐ、義母に妊娠の報告をしました。以前から2人目が欲しいということを義母にも話していたので、義母は喜んでくれて、義父や義妹にも伝えてくれました。するとその後、ご近所の男性に「2人目できたんだってね~。おめでとう」と声をかけられたのです。さらに夫は会社の同僚から祝福されたと言います。安定期まで家族以外の人に報告するつもりはなかったので戸惑う私。夫が同僚に、誰から聞いたのかと問いただすと……?義母に妊娠を報告私が次男を妊娠したのは、長男が2歳のとき。もともと子どもは2人欲しいと思っており、義母にもそのことを伝えていたため、妊娠がわかってすぐ報告しました。義母も喜んでくれて、すぐに義父や義妹にも伝えてくれた様子。 すると、義母に妊娠を報告した5日後、私が長男と2人で近所を散歩していると、近隣に住んでいる高齢の男性に「2人目できたんだってね〜。おめでとう〜」と声をかけられました。私は「なんで知っているの!?」と驚きましたが、その男性は義父と知り合いであるため、すぐに義父が言ったのだとわかりました。 まさか会社でも…!?私はどちらかというと慎重な性格で、安定期に入るまでは家族以外の人に妊娠の報告をするつもりはありませんでした。そのため、義父が勝手に近所の人に妊娠したことを伝えたことに、私はすごく腹立たしい気持ちになりました。 さらに、義母に妊娠報告をした1週間後のこと、夫が職場の同僚に「2人目できたんだって? おめでとう〜」と言われたそう。誰から聞いたか問いただすと、やはり犯人は義父でした。義父と夫は同じ会社に勤めており、社内の人にも妊娠したことを言い歩いているようでした。 義母に相談したところ近所だけでなく会社でも言い歩いていることを知り、私は義母に「まだ安定期じゃないし、何があるかわからないので、近所の人や会社の人には言わないでほしかったんです……」と相談しました。すると義母は「お父さん、そんなにいろんな人に言ってるの? 知らなくてごめん! 怒っとくからね!」と言ってくれました。 後日、義母に用事があったため義実家へ行くと義父もおり、「〇〇(私の名前)ちゃん、ごめんね。また孫ができるのがうれしくて、ついつい言っちゃって……」と反省している様子。義父も悪気があって言ったわけじゃないことがわかったので、「できれば安定期になってから報告したいので、これ以上は言わないでもらえると助かります」と伝えると、義父も納得してくれた様子でした。 夫の会社や近所の人に、勝手に妊娠報告をされた事実は正直腹が立ちます。しかし孫の誕生を楽しみにしている義父の気持ちは理解できます。前もって、「家族以外の人には安定期に入るまで言わないでください」と伝えておけば義父も言わなかったと思います。「言わないだろう」ではなく、きちんと自分の意思を伝えておくことが重要だと感じた出来事でした。 著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2023年05月04日元女子の井上健人さんが元女子のMAKIさんをゲストに迎えたコラボYouTubeから、MAKIさんファミリーの妊活や子育てを紹介します。元女子のMAKIさんは女性と結婚し、1児のパパとなりました。「血の繋がっていない子の親になれるのか」元女子パパが抱く葛藤とは?ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 元女子の健斗さんは女性のパートナーと、彼女の連れ子を育てている1児のパパ。 動画では、FtM(Female to Male/性自認が男性のトランスジェンダー)の健斗さん(画像左)が、同じくFtMで、最近子どもが生まれた元女子パパのMAKIさん(画像右)に、妊活や出産について質問。その様子を対談形式でご紹介します。 元女子パパ・子どもを授かりました! 健斗:MAKIがゲストで来てくれました。簡単な自己紹介をお願いします。 MAKI:MAKIです。1989年生まれ。24歳で性別適合手術・戸籍を男性に変更。家族の反対がありましたが、27歳で女性のパートナーと結婚、32歳でパパとなりました。健斗さんと出会ったのが22〜23歳くらいなので、10年くらい経ちましたね。 健斗:早いよね〜今回は、おめでたいことがあったので紹介させてください。 健斗:MAKIが、子どもを授かりました。コロナ禍での出産は、リモートでの立ち会い? どうだった? MAKI:奥さんのスマホとLINEビデオを繋いで、リモート出産でした。無痛分娩で、最後は吸引。33〜34時間かかりました。吸引時に、カメラがOFFにされてしまったので、生まれた瞬間は見られなかったです。 健斗:長かったね! 奥さんお疲れ様でした。今回の妊娠は、シリンジ法だよね?※「シリンジ法」とは:採取した精液を、シリンジ(針のない注射)を使って自分で腟に注入する方法 MAKI:はい。精子は第三者に提供してもらいました。 血の繋がっている子どもの親になれるのか…不安に 健斗:男性になるための治療を始めたばかりの時なんて、まさか自分が結婚して子どもが生まれるなんてイメージがつかなかったでしょ? MAKI:はい。子どもが生まれる前は「血の繋がっていない子の親になれるのかな……」と不安でした。 でも、今回の出産が難産で、子どもが一度NICUに入ったんです。ドクターに「子どもの状況があまり良くない」と言われた瞬間に、自分の血の気が引いていくのがわかったんです。そんな自分に気づいた瞬間に、「あっ、俺もうパパだ」と実感できました。 健斗:本能で心配したってことだよね。もう愛が溢れているね! 義父母説得に4年…妊活に対する周囲の反応は厳しかったけれど動画はここまでですが、MAKIさんに妊活に対する周囲の反応を教えてもらいました。 MAKI:最初は『そこまでして子を持つ必要はない』・『生まれてくる子がかわいそう』という理由で、妻のご両親の理解を得られませんでした。そもそも『子どもを作らないこと』が結婚の条件でした(笑)。もちろん夫婦2人での生活も幸せですが、子どもがいる家庭を築くことを夢に思い描いていました。でも、ご両親の気持ちもわかる部分もある。だからこそ、ご両親に理解してもらうのに4年間という時間をかけて、じっくり話し合いを進めていきました。そして妊活を開始しました。妊娠がわかった時は喜びしかなかったです。ですが、自分とだけ血縁関係がないので、正直不安はゼロではありませんでした。でも今ではもう血縁関係なんて気にならないくらい親子・家族として幸せに生活しています!僕たちのような形で家庭を築くことに賛否両論あるとは思います。でも、僕たち夫婦は誰よりもわが子を愛しています! いま悩んでいるトランスジェンダーの方たちに『トランスジェンダーだから結婚や子どもを持つことを諦めなければいけない』と思って欲しくない……僕たちの人生を伝えることで、皆さんの選択肢が増えるきっかけになってくれれば良いなと思います。 健斗さん、MAKIさんありがとうございました! MAKIさんの子どもへの愛情がとても伝わってきましたね。FtMパパといっても、健斗さんのようにパートナーの連れ子のパパになったケースや、MAKIさんのように精子提供等で妊活して授かるケースなど、いろいろな形があります。情報を必要としている人に、少しでも届きますように。 元女子・健斗さんが運営する「ジーピットチャンネル」では、さまざまなLGBTに関する動画が投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。 著者:ライター 廣瀬尚子
2023年04月25日娘がまだおなかの中にいたときは、快適に過ごしているだろうか、窮屈じゃないだろうかと気がかりだったことを覚えています。そこで、おしゃべりがじょうずになった娘に「おなかの中にいたときはどうだった?」と聞いてみることに。その答えがとっても不思議だったんです。お風呂に入りたかった?保育園に通い、おしゃべりがじょうずになったころ、「ママのおなかの中はどうだった?」と娘に聞いてみました。すると、ニコニコしながら絵を描き始めた娘。 底が丸い池のような絵の上に、顔のついた人のような絵を描いて、娘は「熱ーいお風呂があった。入りたくて、ここからジャボーンって飛び込んだ。やけどしちゃった」と言っていました。 娘いわく、そのお風呂のお湯はとにかくたくさんあったそうです。たしかに私は、妊娠糖尿病で軽度の「羊水過多」だったんです。 ピンク色だった?娘が楽しそうに絵を描きながら、おしゃべりを続けるので、そのまま聞いていることにしました。そのときにピンクのクレヨンを選んで絵を描いていたので、「ピンクだったの?」と聞くと、「そう!」とのこと。おなかの中はピンクだったようです。 続けて「温かいからずっとプカプカしていたの」と言っている娘の姿を見て安心しました。どうやら私のおなかの中は快適だったようです。その姿を見た私は幸せな気持ちでいっぱいになり、娘を抱きしめました。 弟ができることを知っていた?さらに娘は「もう1人、お風呂に入りたいって待っている子がいるんだよ」と言いながら、せっかく描いた絵の上に黒いボールペンで「はなまる」を上書きしました。これは保育園の先生のまねっこです。「話がそれて、空想の話になっちゃったかしら?」と思いながら、当時は娘が描いた絵を記念として写真におさめました。 この少しあとに私は2人目を妊娠。「もしかして、あのとき娘が言っていた“もう1人”ってこの子のことなのかも」と、さらに不思議な気持ちになったのでした。 個人的に、女の子のほうが言葉が早い子が多く、胎内記憶についても話を聞きやすいと感じています。胎内記憶について聞いてみたい!という方は、何度もしつこくは聞かずに、リラックスしているときに聞いてみると思い出しやすいそうですよ。 イラスト/imasaku著者:斉藤あや大人しく内気な娘と楽天的で活発な息子、男女二児の母。ママ・パパに役立つ情報をお届けすべく、これまでの育児経験を生かして、育児の工夫やお役立ちグッズなどの情報を発信中。
2023年04月06日私には、現在13歳の娘と3歳の息子がいます。年の差、10歳。10年間ママである私をずっと独り占めしてきた娘の赤ちゃん返り。弟の誕生で娘にどのような変化があったのか。妊娠中から、産後の様子までを詳しくお話しします。娘に妊娠を伝えたときの反応は?わが家はステップファミリーで、娘が8歳のときに今の夫と再婚しました。そして、娘が9歳のときに息子を妊娠。娘に妊娠を伝えると「私、サンタさんに弟が欲しいってお願いしてたの……本当にきてくれたんだ!」と大喜び。 ですが、それと同時に「やっぱりお姉ちゃんになりたくない。ママを取られたくない」と急に泣き出すようになったりと、少し情緒不安定になってしまい、「赤ちゃんが生まれても◯◯のこと大好きなのは変わりないよ」と、抱きしめながら娘に伝えていました。 いざ息子が誕生! 娘の様子は…そして息子が誕生し、娘も積極的に抱っこしたりと息子をとてもかわいがっていました。それでも、約10年間ママを独り占めしていた娘にとって、突然のライバルの誕生にとても複雑な気持ちだったと思います。「◯◯(息子)が泣いても抱っこしないで」と言ったり、ごはんを食べさせてほしいと甘えたりすることもありました。 その都度、娘の気持ちを受け止め、息子が泣いていても娘を優先して対応するようにし、1日に何度も娘を抱っこして「ママは○○(娘)のことが大好き」「ママは○○(娘)のこと愛してるよ」「○○(娘)は、今まで通りママにたくさん甘えていいんだよ。お姉ちゃんだからって無理しなくていいの。○○(娘)は○○なんだから」と伝えました。 月に一度は3人で「映画デー」小学4年生の子どもと赤ちゃんでは、もちろん赤ちゃんのほうが手がかかるので、娘がママやパパを独り占めできる時間を積極的に作るようにしました。夫が休みの日には私と娘で買い物に行ったり、カフェに行ったりしてじっくり娘と関わるようにしたのです。 その他にも、月に一度「映画デー」という日を設定し、夜に息子を寝かせたあとに私と夫、娘の3人でレンタルしてきたDVDを観て、映画館ごっこをする日を作りました。日によってはお菓子やジュースを買い、飲んだり食べたりしながら3人だけの時間を楽しみます。この「映画デー」は、頻度は2~3カ月に一度と頻度は少なくなりましたが、息子が生まれてから3年半経った今でも続いています。 娘の赤ちゃん返りは、安定したりまた不安定になったりしながら1年近くは続きました。正直、いつ終わるかわからない娘の赤ちゃん返りと息子の育児でヘトヘトになりましたが、大変な時期にこそ娘とじっくり向き合う時間を作ることで、今も良い関係を続けていけているのかな、と思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな13歳女の子と3歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2023年04月05日YouTube「【12人産んだ】助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師のHISAKOさんのチャンネルです。登録者数は35万人で、ママ達の間でも話題になっています。今回は、お産についてHISAKOさんが話してくれている動画をご紹介! 叫ぶお産と静かなお産……一体どちらが良いお産なの!?初産と経産婦さんでお産って違う?今回はご自身も12人の出産を経験し、さらに助産師としても数々のお産に立ち会ったHISAKOさんがお産について教えてくれています。 HISAKOさん曰く、初産の方と経産婦さんでは出産にかかるまでの時間がかなり違うそう。傾向として初産の方はじわじわと時間をかけながら子宮口が広がっていき、子宮口が6〜7cmに広がるまでに15時間程かかるのが一般的だそう。 それに比べ、経産婦さんは初産の方に比べると子宮口が6〜7cmに広がるまでの時間が早いのが特徴です。 初産の方はお産の際に叫ぶ方が多め。それってなぜなの? ちょうど子宮口が7〜8cmほどに広がっている頃は、陣痛の時間は長いけど、まだ辛さがMAXまではいかない状態。 この時間帯が長い初産の妊婦さんは、「もう無理〜!」など大声で叫んでお産に励んでいる方が多いのだとか! 経産婦さんは静かなお産が多め。自分で痛みのコントロールをするママも逆に、子宮口が6cm〜7cmまで広がるのが早い経産婦さんは、痛いけどまだ我慢できる…という時間が短く、いきなり痛さがMAXの状態になる人が多いよう。すぐにお産につながるため、割と静かに冷静なお産をされる方が多いようです。低い声を出しながら体を動かして痛みのコントロールをするなど、今までの出産経験を元に自分なりのリラックス方法を持っているというママもたくさん! お産の時に叫んでいるママが多いのには、しっかりと根拠や陣痛のメカニズムが関係しているんですね!初産の方と経産婦さんでのお産に違いがあることもHISAKOさんの話を伺い納得です。 陣痛の際に面白いことを叫ばれているママも多いようですよ♪ HISAKOさんが実際に出産に立ち会った方々のおもしろエピソードは、動画でチェックしてみてくださいね。 「叫ぶお産」は決してダメなんかじゃない 声を出したり騒ぎ立てるお産が間違っていてダメ!なんてことは決してないんです。 「お産でこんなに叫んでしまったからダメ人間だ…」、「私が弱いから声を出してしまうのね…」などと、お産の際に叫び声をあげてしまうことや、パニックになって騒ぐお産をマイナスに捉えなくても大丈夫!とHISAKOさんは話してくれています。 これは、HISAKOさん自身も多くの出産を経験したり、助産師として多くの出産に立ち会って実体験で感じたことなんだとか。 静かに産むことが良いお産だと思っているママもたくさんいますが、お産の時に叫んでも全然大丈夫!ママの叫び方や声、表情のちょっとした変化は助産師にとってもお産の兆候を知る大切なバロメーターになっているんですよ。 また、叫んでいるからといって、冷静なお産ができていないかというとそんなことは決してないそう。叫ぶことがリラックスに繋がるという方も結構多く、出産の時の話をじっくり聞いてみたら、叫びながらも頭は冷静!リラックスしてお産に挑めているじゃない!というパターンはよくあるそうです。ママはみんなしっかりと出産に向き合って挑めているんですね。 ちなみに、HISAKOさんは4人目のお子さんの出産の際には「歌うお産」を行ったそうです。そのエピソードも動画内でお話されています♪ 命懸けのお産。ママが一番リラックスできる方法でお産は赤ちゃんにとってもママにとっても命懸けです。 叫んでもいいし、動きながらのお産をしても大丈夫!叫びすぎてしまったからといって助産師の皆さんは迷惑に思うことはないそう。 本能のままに、リラックスできて冷静なお産であれば、叫び倒すお産も静かなお産もどちらも良いお産ということなんですね。 動画では、HISAKOさんの助産師になりたての頃に立ち会ったお産のエピソードや、HISAKOさん自身の出産の話もされています。 これから出産を控えていてお産が不安…という方はぜひご覧になってみてくださいね。 画像提供・協力/助産師HISAKO
2023年02月07日現在6歳の長男が2歳半のころに2人目の妊娠が判明しました。2人目はもう少しあとでも良いと思っていた私は心の準備ができていませんでした。妊娠中は自分が思うように動けず、長男にキツく当たってしまうことが増えてしまいました。長男は怒られてもケロッとしているため、長男の気持ちをあまり考えていなかった私。しかし、出産を終えて退院したとき、ようやく長男の気持ちに気がつきました……。思うように育児ができず苛立つ毎日妊娠4カ月ごろからつわりが始まりました。1日中体調が悪く、寝込んでしまう日が多くありました。長男はまだ未就園児で毎日家にいたため、2人きりで過ごすときはテレビを見せ続けてしまうことも。 長男に「遊んで」と言われても相手をしてあげられない私。これではいけないとわかっているのにどうすることもできない状況に、イライラしてしまいました。そしてその苛立ちが長男に向かってしまうことも……。妊娠前には感じることのなかったイライラや気分の落ち込みに自分自身でも戸惑ってしまいました。 妊娠と長男のイヤイヤ期が重なって……当時長男はイヤイヤ期真っ最中。抱っこをせがまれることが多かったのですが、「おなかに赤ちゃんがいるからできないよ!」と強く言ってしまうことがありました。また、おなかめがけて飛びついてくる長男を叱ることもありました。私は申し訳ない気持ちがありながらも、自分に余裕がなかったのでやさしく伝えることができなかったのです。 長男は泣いたりいじけたりすることなく、怒られてもケロっとしていたので、私は長男の気持ちを考えずに強く言ってしまうことが増えていきました。 2人目を出産。退院後、長男の元へ向かうと出産による入院中の7日間、長男は夫や私の両親と過ごすことに。長男はママに会いたいと泣くことはほとんどなかったようで、面会で私に会いにきた帰り際もニコニコしていました。出産を終えた私は退院してすぐに実家で待っていた長男の元へ向かいました。そして、遊んでいた長男に「ただいま、よく頑張ったね」と伝えました。 すると、長男は急に泣き出してしまったのです。それを見て私も思わず長男を抱きしめて泣いてしまいました。そしてこのとき初めて私は、長男にたくさんの我慢やつらい思いをさせてしまっていたことに気づいたのでした。 妊娠中や入院の間、長男が不満を言ったり泣いたりすることがほとんどなかったので、私は勝手に長男はつらくないんだと思い込んでしまっていたのです。でも退院後の長男の涙を見て、ずっとつらい思いを我慢していたことに気づき、深く反省しました。おしゃべりができても自分の思いを言葉にするのは子どもにとって難しいことだと思います。しっかりと親が汲み取って理解してあげなくてはいけないなと思いました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:水沢 雫6歳男の子と3歳女の子の2児の母で、夜勤ありの夫と4人暮らし。アパレル販売員の経験があり、ファッションやショッピングが趣味。
2023年01月20日私が元夫と離婚したのはDVが原因です。妊娠中にも繰り返される暴力、ひどいときは首を絞められて気を失ったこともありました。離婚を選択する度胸も生活力もなく、精神的にも元夫に依存していた状態だったので、「私は一生、この人と暴力と一緒に生きていくんだ」と思っていました。ですが、娘が生まれて心境が一変! ここでは、妊娠から離婚を決意するまでの私の体験をお話しします。DV彼氏との間に子どもを授かり、結婚当時19歳だった私は、同棲中の彼氏(元夫)との間に子どもを授かりました。子どもを授かる前から殴る蹴るなどの暴力や、包丁を持ち出しての脅し、携帯電話や眼鏡を壊されるということがあったので結婚に不安はありました。 しかし、陽性の妊娠検査薬を見てうれし泣きしている彼氏を見て、子どもを授かった喜びのほうが勝ってしまったのです。そして、その姿を見て「子どももできたし、結婚もするし、暴力も終わるだろう」そんな期待を持っていました。 結婚しても出産してもなくならない暴力ですが、やはり元夫は簡単には変わりませんでした。妊娠初期のころはまったくなくなっていた暴力も、徐々に手を上げられるようになったのです。でも「子どもにとって父親がいないのはかわいそう。子どもが生まれたら暴力も終わるだろう」⋯⋯そう考えて離婚は選択肢にも上がっていませんでした。 毎日元夫の顔色をうかがい、私はこの人がいなくなったらだめになる、元夫も私がいなくなったらだめになる、そう思い込んでいました。そして子どもが生まれましたが、やっぱり暴力はなくならなかったのです。 こんな父親、子どもにとって必要?私はだんだんと、「子どもが大きくなって、パパがママを殴っている姿を見るのは悪影響じゃないか」「子どもにまで手を上げるようになったらどうしよう」と考えるようになりました。そのうち、「暴力を振るう父親はいらないんじゃないか」という結論に至ったのです。 そのとき、子どもは生後2カ月。離婚するなら子どもの記憶に残る前がいいと思いました。離婚までの計画を練り、元夫をなんとか言葉巧みに説得し、2週間後には離婚届を出しました。 離婚後の心境とその後の生活離婚してすぐは「やっと解放された!」という気持ちより、この先、子どもをひとりでちゃんと育て上げられるのか、子どもが片親ということで寂しさを感じるかもしれない……という不安のほうが大きかったです。 ですが、元夫の顔色をうかがう必要がなくなり、私自身よく笑うようになりました。子どもも元気にすくすく育ち、現在は中学生です。私を気づかっての言葉かもしれませんが、「ママがいっつもいてくれるから別に寂しくない」と言ってくれたりもします。 子どもが生まれたことでやっと目が覚め、DV夫と離婚することができました。今は毎日娘と笑顔で過ごすことができていますが、離婚前や離婚したばかりのころはこんなに明るい未来は想像できませんでした。こうして、娘との穏やかな毎日を過ごすことができ、あのときの私の選択は間違っていなかったと胸を張って言うことができます。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな12歳女の子と2歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2023年01月20日私たち夫婦はお互いに離婚歴があり、お互いに息子がいますが同居はしていません。そんな事情もあり、子どもはつくらず2人の生活を楽しんでいこうということで再婚しました。しかし、入籍して半年くらい経ってから、夫からのあるひと言で妊活を決めたのです。夫との出会いから結婚まで私は2回の結婚経験があり、どちらも失敗に終わりました。しかし、現在の夫と職場で知り合い、この人となら今度こそ幸せになれるかなと思い、同棲を始めたのです。 毎日が楽しく、作ったごはんも喜んで食べてくれて30代後半で普通のカップルがするような素敵なデートもいっぱい体験させてくれました。そして結婚を機にマイホームを購入し、新婚生活を数カ月送っていたときに、夫に言われたのです。 うれしい言葉に悩んだ末、決断何気なくテレビを観ているときに、夫から「おまえとの子どもが欲しいな」と言われたのです。私は「本気で言ってるの?」と聞いたら、夫は「おまえとの子どもがいたら、今とは違う幸せがあるのかなーって思ったんだ」と言われ、うれしくて涙が出たのを今でも覚えています。 言われたことはとてもうれしかったのですが、やはり悩みました。38歳での出産で私は「大丈夫かな? 育てられるかな?」と不安しかなかったのです。私たち夫婦には両親がいないので頼れるところがないということが、私にとっては大きな悩みでした。しかし、やっぱり夫の子どもを産みたいと思い妊活を始めたのです。 妊活を開始後、半年で妊娠妊活を始めて半年、妊娠検査薬を試してみると見事に陽性でした。すぐに夫に妊娠検査薬の写真を添付してLINEで報告すると、「やったね! おめでとう!」という返事がきて本当にうれしかったです。 妊娠が確定し、35歳以上の出産はリスクが高いのも不安の要素で、元々体格がよかったので太り過ぎにもかなり注意していました。 無事に出産して3年出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、結局、妊娠41週2日に緊急帝王切開で娘を出産しました。娘は3歳になりイヤイヤ期真っ最中ですが、とても元気いっぱいです。 娘の笑顔を見ると、本当にあのとき不安を乗り越えて妊活してよかったと心から思います。これから先、親子でたくさんお出かけするのが今の私の楽しみです。 20年ぶりの出産で体力的にも精神的にも不安いっぱいの妊活でしたが、夫のうれしいひと言で前向きになり、頑張って子育てしていこうと思いました。私たちは親もなく、頼れる場所がないことがどれほど大変かを知っているので、妊活にはかなりの勇気が必要でした。何度も何度も夫と話し合った結果、私たちの子どもを身ごもることができ、幸せを実感しています。 監修/助産師 松田玲子著者:のろ ゆうこ結婚3回目にして幸せを手に入れた北海道出身ライター。23年前に息子を出産し、20年ぶりの出産を経て現在は3歳の女の子をワンオペで育てています。美味しいものを食べ歩くことが大好きなアラフォーです。
2023年01月08日