平昌五輪の注目競技の一つ、フィギュアスケート。今回はその中でもフィギュアの“技”に注目して、観戦のポイントをご紹介します。4回転が1種類あれば、メダル争いに食い込めたソチ五輪から4年。男子シングルはどんな技の競い合いになるのか。そして女子シングルは?五輪出場経験があるプロフィギュアスケーター・本田武史さんに予想していただきました。「2種類以上の4回転ジャンプを3本はフリースケーティング(FS)に入れないと、上位に食い込めません」と、解説者の本田武史さんが予想する男子シングルの戦い。しかも、4回転をただたくさん跳んでもダメ。いかにそのジャンプの質を上げて、高いGOE(出来栄え点)を叩き出すかが、雌雄を決するという。その点で強いのが、羽生結弦選手。「ジャンプはもちろん、スピンやステップにも高いGOEがつくバランスが優れた選手。不安があるとすれば、ケガの影響ぐらい」メダル候補に、彼をはじめ、ネイサン・チェン、宇野昌磨、ハビエル・フェルナンデス、ミハイル・コリヤダ選手たちが並ぶ。「実績のあるフェルナンデス選手と羽生選手は、PCS(演技構成点)でも高い得点を叩き出します。若い選手は対抗するために、4回転の種類や本数を増やしてくると思いますが、そこでGOEのマイナスをつけないことが肝心。チェン選手は4回転の成功率が高く、滑りの姿勢も、体の動かし方もいいですから、一番難しいルッツを確実に跳べば強いと思います」宇野選手はジャンプの着氷時にクセがあることを懸念しつつ、「音楽と一体化したスピンは素晴らしいですし、今季は表現力でも高い評価を受けているので、十分チャンスはあります。独特の表現力を持つコリヤダ選手も、4回転ルッツが決まれば、プログラムの流れが一気に良くなる。ジャンプに高さ、幅、流れがとてもあり、彼の滑りは好きです」力でなく、リズムで跳ぶジャンプが魅力という田中刑事選手は、「長身を活かして踊れる彼の良さを引き出したプログラム。ノーミスで、上位を狙ってほしいですね」一方、女子シングルのメダル争いは、男子以上にミスが許されない、過酷な展開になると予想する。「3回転の連続ジャンプを、GOEのマイナスをつけずに、確実に跳ぶことがメダルの条件です」メダル候補に挙げたのは、エフゲニア・メドベージェワ、アリーナ・ザギトワ、マリア・ソツコワ、カロリーナ・コストナー、ケイトリン・オズモンド各選手。「ザギトワ選手は、すべてのジャンプを後半に入れながら、きちんと回り切ってから降りてくる。さらに、ジャンプに抜群の安定感を持つメドベージェワ選手、長身をコントロールして高さのあるジャンプを飛ぶソツコワ選手というロシア勢が強いと思います」対抗馬は、若手ひしめく中、燦然と輝く31歳、コストナー選手だ。「エッジの深さ、漕がないスケーティングの滑らかさ。年齢を重ねて、さらに磨かれた滑りのうまさは、世界中のスケート関係者が認めるところです」そこに食い込んできそうなのが、宮原知子選手とガブリエル・デールマン選手。「宮原選手の強みは安定感。ノーミスで滑れば、PCSも伸びてきます。デールマン選手は、冒頭に跳ぶ3回転の連続ジャンプが観る者の心を掴む迫力。完璧に演じた時の破壊力はすごいですから」その彼女と肩を並べるジャンプを跳ぶのが、坂本花織選手だ。実績の少ない彼女にもチャンスあり。「滑りの速さと、それをコントロールして跳ぶ高さと幅のあるジャンプは、女子選手には珍しい。彼女の持つ元気の良さも武器になります。練習でも緊張感で張り詰めているのが、五輪という特別な舞台。その中で楽しそうに滑っている選手がいると、周囲の選手がリズムを崩したりすることもありますから、練習の時から持ち味を前面に出してほしいですね」メダル争いに絡まずとも、素晴らしい技を持った選手が世界中から参加する。フィギュアスケートで、マレーシアから初めて五輪に出場するジュリアン イー・ジージェイ選手のバレエジャンプは、得意とする本田さんが太鼓判。本田武史さん日本の4回転ジャンプのパイオニア。長野、ソルトレイクシティ五輪に出場し、後者ではヤグディン、プルシェンコとメダル争いをして、4 位入賞。SP『ドン・キホーテ』は名演。※『anan』2018年2月14日号より。取材、文・齋藤優子写真提供・共同/Getty Images、朝日新聞社/Getty Images、ISU via Getty Images
2018年02月09日岡崎京子による代表作の映画化『リバーズ・エッジ』の完成披露試写会が1月31日(水)、都内にて行われ、出演する二階堂ふみ、吉沢亮らと行定勲監督が舞台挨拶に登壇した。■吉沢亮、映画祭初参加に「何をするんですか?」「第68回ベルリン国際映画祭」のパノラマ部門に正式出品も決まっている本作。5度目のベルリンとなる行定監督だが、「二階堂ふみからのプレッシャーがすごくて…“ベルリン行きたいな、行きたいな”って言われて(笑)。相手が選んでくれて行けるもので、お金を渡せば行けるわけではないので、身内からのプレッシャーでした」と苦笑いを見せた。これには、当の二階堂さんが「純粋な気持ちで発言していました(笑)。本当にありがとうございます。せっかく力強い魂のこもった作品になったと思うので、ぜひ海外の方にも観ていただきたいんです」と心を込めた。同映画祭には吉沢さんもレッドカーペットを歩くとのことだが、実は吉沢さんは「映画祭」と名のつくものに参加すること自体初めてだそう。舞台裏では、行定監督に「“映画祭って何をするんですか?”と聞いた(笑)」と笑顔を見せた吉沢さんは、「僕自身、挑戦的な作品になったので、本当にすごく光栄です」と感謝を伝えた。■映画化発案は監督ではなく二階堂ふみ!『リバーズ・エッジ』は、「ヘルタースケルター」をはじめとする岡崎さんのエッジの効いた作品の中でも、最高傑作の呼び声が高く、青春漫画の金字塔として支持を集める原作の同名映画化。若草ハルナ(二階堂さん)は彼氏の観音崎(上杉柊平)がいじめる山田(吉沢さん)を助けたことをきっかけに、夜の河原で放置された死体を見せられ、秘密を共有される。その日を境に、ふたりのゆがんだ絆が結ばれ、思わぬ現実がふりかかる。93~94年に連載された漫画がときを経て映画化される意図について、行定監督は「僕からの発案よりも、二階堂ふみからの発案だったんです。“やる”とも何とも答えていないけど“興味あるよ”と言ったら“OK、じゃあ話しましょう”とスタートした」と経緯を語り、「『リバーズ・エッジ』のタイトル通り、岸に少年少女たちはたたずんで、ふんばって生きている。生きるテーマが見えてきたので、いまの人たちにささるんじゃないかと取り組みました」と、原作への敬意と普遍のテーマ性を感じたことを語る。■森川葵、演じたキャラクターは自分にピッタリ?強烈なキャラクターが数多く出てくるが、中でも森川葵演じるカンナは山田が好きで、愛が空回りストーカーのようになっていく女性。だが、森川さんは「(自分が)カンナと性格自体、すごい近いんですよ」と衝撃(?)発言をすると、キャスト陣や行定監督は「そんなこと言って大丈夫?」とニヤニヤ&おろおろ。しかし森川さんは、「そんな変な女の子じゃないと思うんで大丈夫だと思う…。人のことを好きになるけど、好きすぎてどんどん離れていっちゃうの、カンナっぽいな、自分。自分カンナだなって思っていました」と改めて「自分はカンナ」発言で場内をざわつかせていた。そのほか、舞台挨拶には上杉柊平、SUMIRE、土居志央梨も出席した。『リバーズ・エッジ』は2月16日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国にて公開。(cinamacafe.net)
2018年01月31日(画像:THE FACT JAPAN) 1月30日、『2018年平昌冬季オリンピック、パラリンピック』の開催地である江原道の観光広報大使を務める俳優で歌手のチャン・グンソク(30)が29日に江原道・春川市で行われた聖火リレーに参加したと韓国メディアTVREPORTが報じた。 この日、江原道春川で『2018年平昌冬季五輪聖火リレー』のイベントが行われ、チャン・グンソクは、聖火リレー最後の走者として登場したという。何よりもチャン・グンソクは、今回の五輪広報大使として活動しているため、より意味を深めたと伝えている。 チャン・グンソクは自身のInstagramに「あいにくこんな寒い日、あんなに長く待ってくれて応援しに来てくれたウナギたち。忘れないよ。ありがとう。ところで、この帽子簡単じゃないね。行くぞ」というコメントと共にグンソクが聖火リレー用のユニフォームを来て微笑でいる写真を投稿。 これに対しグンソクのinstagramには「グンちゃんお疲れ様笑顔ステキでカッコ良かった」「聖火ランナーおつかれさま。ありがとう笑顔が大好き」「グンちゃんおつかれさまにほんからおうえんしてたよ」「おつかれさまでしたLiveで見たかったけど…親分、今日は、ほこらしかったよ」など日本からも応援メッセージが続々届いている。
2018年01月30日アイドルグループ・嵐の松本潤と、女優の有村架純が16日、映画『ナラタージュ』(10月7日公開)の大ヒット御礼舞台挨拶に、行定勲監督とともに登場した。同作は、作家・島本理生による同名の恋愛小説を実写化。高校の時の演劇部顧問教師・葉山(松本)に想いをよせる泉(有村架純)は、卒業以来1年ぶりの再会に想いをつのらせ、葉山の方もまた泉に複雑な感情を抱える。撮影で学んだことについて、松本は「お芝居をさせてもらう時の表現の幅が広がったんじゃないかな」と振り返る。「演技のやり方もだいぶ削ぎ落とした方向」と語り、「全然違う役をできるようになったらいいなという風に思います」と今後の役柄にも思いを馳せた。また有村は「映画の面白さを改めて感じた」という。「お芝居って作品が終わるまであまり楽しいとは思わないんですけど、いろんな葛藤をしながら作品を作る楽しさを、改めて感じました」と魅力を表し、「いろんな出会いや発見をくれた作品でもあったので、撮影から今日まで、とても充実した時間でした」と語った。一方、行定監督が「首がつながった。これ当たんなかったら、路線変えようと思ってたんだよね」と明かすと、松本は「マジっすか!? 大胆発言ですね」と驚いた様子。行定監督は「人間関係の曖昧さが好きなんです、僕は。映画だからできることだと思っていて。わかりやすくしなくてもいいし、暗闇の中で2時間くらい没頭してもらいたいという気持ちがあるんですよね。物語じゃないものをみんなが感じ取ってる」と映画の良さについて持論を展開した。行定監督が「これが当たらなかったら、超ジェットコースタームービーみたいなものを撮ろうかと……」と実は持っていた構想を披露すると、松本は「真逆ですね」と苦笑。監督は「皆さんが観ていただいたってことで、もうちょっとこういうのをやっていける期間が延びた」と感謝した。さらに監督は「映画がキャストによって救われれる瞬間があるものなんですよ」と2人にも感謝。「このキャストに出会うために10数年間、成立しなかったんだろうな、待ってたんだろうなと思います」と語り、2人のおかげで大規模公開できたため「たくさんの人に映画を観て欲しいという思いがあったので、感謝しています」と改めてお礼の言葉を述べた。
2017年10月16日女優の有村架純が、都内で行われた映画『ナラタージュ』(10月7日公開)の「一生に一度の恋をした人限定!スペシャル試写会」に、松本潤、坂口健太郎、行定勲監督とともに登場した。同作は、作家・島本理生による同名の恋愛小説を実写化。高校の時の演劇部顧問教師・葉山(松本)に想いをよせる泉(有村)は、卒業以来1年ぶりの再会に想いをつのらせ、葉山の方もまた泉に複雑な感情を抱える。印象的なシーンを聞かれた松本は「架純ちゃんの表情が崩れる姿ですかね」とピックアップ。「体当たりで演じられてる分、如実に出てるので。観てる皆さんが共感してくれるんじゃないかなと思います」と語る。松本の言葉を受けて、有村は「葉山先生に対して『なんなんだろうこの人は』って思いもあったし、複雑ですね」と撮影中の役の心境を振り返った。有村は同じ質問に対して「泉が葉山先生に対して『聞いてることと違うぞ』と思うところ。そこがわかってから、問い詰めるんじゃなくて、わかった上で寄り添う」と説明。行定監督は有村の回答を聞いて「『なんか違うぞ?』という時の架純ちゃん、すげー怖い」とニヤリと笑顔を見せた。一方行定監督は、作中で泉が見せた土下座シーンを挙げる。「ここはクライマックスの前だから、あんまり盛り上がっちゃいけない感じもするけど、なんか痛いよね」と語ると、松本と坂口も無言で頷く。行定監督はさらに「女性が土下座するんですよ。とんでもないですよね。けど切ないね」としみじみ。「(相手側との関係性が)SなのかMなのかとか、ねじれまくってる。それが愛の表現だと言ってしまえば、すごい究極」と語り、「土下座が見所ですね」とアピールした。
2017年09月27日一生に一度のすべてを捧げた恋を描いた映画『ナラタージュ』の完成披露試写会舞台挨拶が8月23日(水)、都内にて行われ、出演する松本潤、有村架純、行定勲監督が登壇した。大人の男を演じた松本さんは、行定監督に「今日、明らかに(劇中と)違うよね。声かけづらかったもん。嵐の松潤がいるよ」と言われると、「まあ、嵐ですけど(笑)」と余裕の笑み。さらに、行定監督が「葉山先生は親近感がある」と続ければ、松本さんは「僕、親近感がないみたい、やめてくださいよ(笑)」と、タジタジになっていた。『ナラタージュ』は、『陽だまりの彼女』以来4年ぶりとなる松本さんの主演映画。2006年版「この恋愛小説がすごい」第1位となった島本理生による同名小説の映画化で、たとえ許されなくてもすべてを捧げた衝撃の純愛を描く。大学2年生の泉(有村さん)のもとへ、高校の演劇部の顧問教師・葉山(松本さん)から、後輩の卒業公演に参加してくれないかと誘いの電話がくる。葉山に特別な想いを抱いていた泉は、再会により気持ちが募っていってしまうが…。行定作品に初出演となった松本さんは、参戦について「うれしかったです。プライベートで一度お会いしたことがあって、『いつか面白い作品があったとき、やれたらいいね』と言っていたので、思い出して本当に声かけてくださったんだなって」と感激の表情。同じく行定組に初参加となった有村さんも「ご一緒できるんだと、すごく感激しました。とても難しい役でもあったので、インするまでは緊張していました。現場では気は抜けなかったですけど、肩の力は抜けたと思います」とふり返った。この日は、8月30日に34歳の誕生日を迎える松本さんのために、サプライズでバースデーケーキが登場する一幕も。『ナラタージュ』にもじって「ナラタージュン」と描かれたケーキに、思わず笑みをこぼした松本さんは「まさか、タイトルと僕の名前でギャグができるなんて…祝っていただけてうれしいです!ありがとうございます!」と、赤いバラが施されたケーキの前で感激の様子。ちなみに、34歳の目標は「ぜひ映画がたくさんの方に観ていただけたらと、説に願います」と願をかけていた。『ナラタージュ』は10月7日(土)より全国にて公開。(cinamacafe.net)
2017年08月23日「“不器用さ”というところでは、たぶん負けません」と笑って話す東出昌大。見上げるほどの長身と端正な顔。抜群のルックスを誇る東出さんなのに、愚直なまでにひたむきでちょっと垢抜けない男を演じると、恐ろしくはまる。「不器用」という自覚ゆえ、役に懸命に寄り添おうとする本人の想いが、お芝居を通して透けて見えるのかもしれない。新作映画『関ヶ原』では、小早川秀秋役に挑んだ。「関ヶ原の戦いを決した裏切り者」として語られることの多い秀秋だが、本作ではそんな通説を覆し、「義」を重んじて苦悩する、一人の不遇な青年武将として描かれる。もともと司馬遼太郎作品のファンで、同氏による原作小説も読んでいたという東出さん。「原田(眞人)監督から、『今回の小早川像は、(通説から)変えようと思ってる』というメッセージをいただいたんです。読んでみたら、本当にいままでにない小早川像だったので、すごい挑戦だなと思いました」と台本を受け取ったときの感想をふり返る。秀秋は、一時豊臣秀吉の養子になるも、秀吉に実子が生まれたため、小早川家に養子に出される。さらに朝鮮出兵の際に秀吉の不興を買って冷遇を受け、後に徳川家康に懐柔されて石田三成を憎むように。関ヶ原の合戦には、三成率いる西軍として参戦するのだが…。「今回の台本では、秀秋は自身の境遇を呪ってたんじゃないかなと思いました」と話す東出さん。「兄と慕った豊臣秀次も、いわれのない謀反の罪で斬首されている。『明日は我が身』と自分のことでいっぱいいっぱいだった当時10代の秀秋が、『秀吉だって、家康だって、どうせ自分のことばかり。大人なんてみんなそんなもんだ!』って思い込んでいたとき、自分を初めて武将として見てくれたのが三成だった。『あなたを武将として見込むから、打って出てくれ』と言ってくれた三成の“義”に答えられなかったことに、関ヶ原後の秀秋は気づくんです」。原田監督の現場はとにかく緊張感があって厳しいことで有名だ。本読みの段階から東出さんが監督に言われ続けたのは、「セリフっぽいしゃべり方をするな」ということ。時代劇という形式以上に、感情の動きが優先された。俳優になる前の東出さんは、感情をあまり表に出さないタイプだったという。「以前は感動する映画なんかを見ても泣くまいとしていたんですけど、役者になってから、感動したときは涙が自然と出てきたり、逆に意識して泣くことを試してみるようになりました。この仕事に就かなかったら絶対やってこなかったことだと思います」。俳優デビューから5年。まだ5年?と思うほど、さまざまな作品で求められてきたのは、仕事に向き合う東出さんの、そんな真摯な態度と決して無関係ではないはずだ。5年間駆け抜けてきて、いま、俳優の仕事は楽しいですか?と質問をぶつけてみた。「おおお!ド直球ですね」と笑ったあと、「うーん…半々です」と繕わない心境を教えてくれるのが「不器用」を自称する東出さんらしい。ここで「楽しい」と言わせないのは、新しい役に挑む度に直面するプレッシャーだ。「でも、“喉元過ぎれば熱さ忘れる”というか(笑)。怖いもので、その苦しさって、過ぎると忘れてしまうんです。“やるしかない!なるようになるっしょ!“という柔軟さが、以前よりは出てきたかなと思います」。『関ヶ原』に対する考察からも、役に対して事前にかなり研究していることが伝わってくる。プレッシャーを感じるがゆえに、準備をおろそかにしないのだろう。「以前は“頭でっかちになりすぎたな”とか、“そんなに思い詰めなくてもいいのに”って自分でも感じていたんですけど、近頃はちょっと肩の力が抜けてきた部分はあります。それでもまだ、敬愛する監督たちに『今後、役者としてどうしていったらいいと思いますか?』と聞くと、『もっと楽にやっていいよ』って言っていただくことが。まだ頭でっかちな部分もあるし、それだけで満足して、もっと本質を探りにいかなければいけないのに、できていない自分もいる。まだまだ逃げの姿勢があるのかなって、ふと思ったりします」。(text:Rie Nitta/photo:You Ishii)
2017年08月14日安曇野ちひろ美術館の開館20周年を記念して3月1日から5月9日まで「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」が開催される。宮崎駿らとスタジオジブリを設立し、常にアニメーションづくりの第一線で活躍してきた高畑がいわさきちひろの絵本と出会ったのは約50年も昔。当時、高畑の長女が保育園から持ち帰った絵本が『あめのひのおるすばん』であったそう。詩のような短い言葉と水彩のにじみを生かした絵に心を奪われ、その後、ちひろが新たな絵本表現に意欲的に取り組み始めた時、高畑はリアルタイムでその作品に出会い、ちひろの絵本から創作のインスピレーションを得てきた。同展では『あめのひのおるすばん』をはじめ、『おにたのぼうし』や『戦火のなかの子どもたち』などの作品が出展され、高畑が選んだちひろの絵を高精細に拡大して再現し、絵の中へ入り込むような感覚で筆致や絵の具の重なりを楽しめる。なかでも、『戦火のなかの子どもたち』はアニメーション作品『火垂るの墓』を監督するにあたり、高畑が若い制作スタッフに見せ、想像力を高めてもらい迫真の表現を追求した作品である。今までにない、高畑の視点からちひろの絵の魅力が新発見できる同展で、新しい世界を体感してみてはいかがだろうか。【展覧会情報】「高畑勲がつくるちひろ展 ようこそ!ちひろの絵のなかへ」会場:安曇野ちひろ美術館 展示室1・2住所:長野県北安曇郡松川村西原3358-24会期:3月1日~5月9日時間:9:00~17:00(4月29日~5月7日は18:00まで)休館日:3月22日、4月12日、26日料金:大人800円、高校生以下無料※作品画像の転載及び、コピー禁止
2017年02月17日今年3月、TBSにて放送予定の佐藤浩市主演大型スペシャルドラマ「LEADERSII」。この度、数々の映画やドラマで活躍中の東出昌大が本作に出演することが明らかになった。1934年(昭和9年)、10年前の関東大震災によって物資輸送網が断絶された苦い経験から、日本の自動車需要は急速に加熱していた。欧州勢に加えて、アメリカのフォード、ゼネラルモーターズ(GM)の本格参入によって日本の市場はまさに外国車販売の戦国時代へ突入していた。愛知にあるGM車販売店「日の出モータース」の支配人・山崎亘(内野聖陽)は、アメリカ流の販売方針を押し付けられることに抵抗し、事あるごとに改善を訴えてきた。だが、大阪に拠点を置く「日本ゼネラルモータース」は、一販売店の意見に耳を傾けることはなかった。大阪からの帰りに山崎は、鈴鹿峠の山道で立ち往生しているシボレーを、背広のまま修理する男・愛知佐一郎(佐藤浩市)に出会う。これがアイチ自動車売店第1号となり、佐一郎を支え続けることになる山崎亘と佐一郎の運命の出会いであった…。本ドラマは、2014年3月に2夜連続で放送したドラマ「LEADERS」の続編。「LEADERS」では第2次世界大戦前後、日本の未来のために仲間を信じ、モノづくりに人生を賭けた人間たちの生き様を、史実に基づきドラマ化したが、今回の「LEADERSII」では、ストーリーの主軸を国産自動車開発の世界から販売の世界へと展開。国産自動車の開発に邁進する主人公・愛知佐一郎と、佐一郎を販売面で支え続けた男たちの物語となる予定だ。キャストには、主演の佐藤さんが愛知佐一郎を演じるほか、吉田栄作、萩原聖人、高橋和也、緋田康人、えなりかずき、前田敦子。今作からの新キャストとして、日の出モータース支配人・山崎亘役に内野聖陽、後に協愛会の会長となる大島プレス工業の大島磯吉役で山崎努が登場する。そんな中、新たに『デスノート Light up the NEW world』『聖の青春』などに出演する東出さんの参加が決定。東出さんが演じるのは、GM車販売店「日の出モータース」の支配人である山崎亘の人柄や考え方に惹かれ、山崎とともに苦楽を共にする「日の出モータース」の若き営業マン・日下部誠役。GMから鞍替えして、愛知佐一郎が開発した国産車の販売を取り扱うこととなった「日の出モータース」に、ただ一人残ることになる、という役どころだ。日本の自動車産業黎明期における「製造」と「販売」の物語となる本作におけるキーマンのひとりとなっている。東出さんは「内野さん演じる山崎亘が文系とすれば、私が演じる日下部誠は理系、言わば“デコボココンビ”です」と役どころについて話し、「そんな上司と部下の関係や、このドラマが持つ熱量が伝わるように演じていければ、と思っています」と意気込みを語っている。また東出さんは、先日行われた中国・上海の「上海影視楽園」において、ドラマとしては異例の規模で敢行された海外ロケにも参加し、佐藤さん内野さんと共に撮影に挑んだ。ロケ日数は、実景撮影も含め計5日間に及び、昭和初期の名古屋市内の街並を完全再現。現地エキストラは最大300人にも及び、街全体が舞台という壮大なスケール感も本作の見どころのひとつとなりそうだ。大型スペシャルドラマ「LEADERSII」は3月、TBSにて放送予定。(cinemacafe.net)
2017年02月05日映画監督に、出演役者の印象を伺っていく「監督は語る」シリーズ。今回とりあげるのは、東出昌大(28)だ。2012年に『桐島、部活やめるってよ』で、第36回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、鮮烈な俳優デビューを飾る。その後もTV・映画問わず話題作に出演し続け、『クローズEXPLODE』(14)では初主演に。2016年は『ヒーローマニア-生活』『クリーピー 偽りの隣人』『デスノート Light up the NEW world』が公開された。最新作『聖の青春』(11月19日公開)では、実在の棋士・羽生善治役に挑戦する。○東出昌大の印象東出くんは、大物ですね。思考プロセスが大胆なところが、すごく魅力的だと思います。羽生さんと東出くんと僕の3人で食事をしたんですが、東出くんは「僕は羽生さんを観察したいので、基本的には監督がしゃべってください」と言うんです。だから、東出くんは本当にしゃべらなくて、羽生さんの箸の置き方とか、所作とかをすごく勉強していたらしくて。その後もう1度、羽生さんに取材に行ったら、その時もずっとメモを取っていました。時々感じ入って「は~!」ってすごいため息をついていたりとか。羽生さんは紳士でしたが、びっくりしていたんじゃないかな(笑)。天才 VS 天才の図でしたね。本当に役に入り込んでるので「羽生さんと会える」じゃなくて、「今から自分が羽生になる」「俺が羽生だ」くらいの気迫とピュアさを感じました。その思考プロセスがすごいから、彼しかできないような役がすごく合う。普通の役柄でキャスティングされると、もしかしたらはみ出ちゃうこともあるかもしれません。彼はスケールが大きい人なので、スケールの大きい役を与えていかないと。普通の人は普通の役で修行を積むけど、彼は逆だと思いますね。すごいことですよ。○撮影現場での様子いろんなところで、東出くんが「監督から現場で松山くんと話すなと言われた」と言ってるんですが、「話すな」とは言ってないんですよ!(笑) 「羽生さんは、輪の外にいるんだけど、なぜか中心にいるような人」とイメージを伝えたんです。それを解釈してくれたのかもしれません。東出くんは、そういう風に額面通りに物が伝わらない面白さがあります(笑)。でも、大きなところでちゃんととらえてくれているんです。確かに、トップの棋士達はみんな勝負師で、自立している存在、孤高の存在だと思います。みんなが自分の勝敗を背負っていて、白と黒だけで決まっていく空気感って、僕らはなかなか知らない世界。俳優もそれぞれが自立して勝負する現場にしたかったので、言わずとも、全員そういう風な関係になっていったのだと思います。特に松山くんと東出くんの2人は、誰にも届かないような孤高のものを心に持っている2人という位置付けだったので、むやみに接する必要はありませんでした。○映画『聖の青春』でのおすすめシーン東北の雪の中の対局の佇まいは素晴らしかったですね。クランクインした時は大阪近辺で撮影していたんですけど、まだまだ「頑張って羽生になっている」状態で、ハードルが高かったんですね。もちろん演技としては出来ているんだけど、頑張りが少し出ちゃっていたから、東出君も「僕、ダメでしたよね」と反省していたんです。でも東出君の中にある、いい意味で自分本位なところを出せば、役に没入できるんじゃないかと感じたので、それを伝えたらぐっと良くなりました。東北で将棋盤を挟んだ時に、急に村山と羽生になったんですよ。頑張らずに、羽生になっていた。そこからは東出くんを撮っていて、すごく気持ちよかったです。(C)2016「聖の青春」製作委員会
2016年11月20日2016年5月に生涯を終えた電子音楽家・冨田勲さんの追悼コンサートの初演が11日、東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われ、遺作となった「ドクター・コッペリウス」が上演された。公演は、冨田さんが晩年にソリストとしてボーカロイド・初音ミクを迎えて制作した「イーハトーヴ交響曲」の再演、プロデューサーなどで知られるエイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」のダブミックスのパフォーマンスからなる第1部と、「ドクター・コッペリウス」を上演する第2部で構成。「ドクター・コッペリウス」は、冨田さんが完成を夢見て、亡くなる数時間前まで制作に向かっていた作品だ。「イーハトーヴ交響曲」では、オーケストラの厳かなハーモニーに乗って、ミクが可憐な歌声を披露。ステージ中央に設置された装置に映写されたミクは、舞台上を行ったり来たりしているかのように、あどけない仕草を見せながら動き回り、コーラス隊と共に合唱してみせた。エイドリアンのパフォーマンスへ転換する間の小休憩時には、「これからの演奏は通常のクラシック音楽とは異なり、大音量で強いビートが響く。ぜひ席を立って音に身を委ねてほしい」といった放送が。思わぬアナウンスに客席からも笑みがこぼれたが、再び幕が上がると、すぐにエイドリアンによる太いシンセサイザーの音色と弦楽器隊のハーモニー、その両者を支える激しくも複雑なブレイクビートがホールを揺らした。ガラリと変わった雰囲気から、前列に躍り出る観客も続出した。そして、「ドクター・コッペリウス」。小気味良いシンセの断片的な音のかけらがこだまし、第2部が始まった。この楽曲の主人公は、宇宙を夢見る科学者・コッペリウスと不思議な力を持つ少女・ミク。コッペリウスは重なる重圧に苦しみながらも、ミクと出会って宇宙へ飛び立ち、彼女とバレエを踊りだす。そんなSF的な世界観が、コッペリウス役の実際のダンサー・風間無限と舞台上に立体像で投影されたバーチャルシンガー・"初音ミク"のダンスで表現された。「イーハトーヴ交響曲」の荘厳さも感じさせるアンサンブルから一転、オーケストラは鮮やかな音色を奏でてみせる。そして、それに飛び乗った軽やかな電子音が、サラウンドで縦横無尽に飛び回る。ステージでは、コッペリウスが重力に抗いもがくようなパフォーマンスをみせ、ミクの動きと合わさる。実在しているのにどこか不可思議で複雑な演技を披露するコッペリウス、画面の中にいるのに生き生きと歌い踊るミク、ストーリーも相まって、その対比が近未来的な映像として浮かび上がっていく。カーテンコールでは、風間をはじめ、コンサートの演奏面と演出面を力強く支えた電子音楽家・ことぶき光も立ち上がり、深々とあいさつ。最後に、客席の中央に座っていた長男・冨田勝さんら親族がかつての冨田さんの写真を抱えながら起立すると、「ブラボー!」という声援があがり、スタンディングオベーションで歓喜を伝える観客も現れた。終演後、ホールを後にするオーディエンスを見返すと、集まった層は実に多様。老若男女を問わず、クラシックに精通する観客も、ボーカロイドに慣れ親しんでいる観客も、電子音楽を敬愛する観客も、文化の壁を超え"冨田勲"という音楽家が遺したものを共有している喜びに包まれているようだった。「ドクター・コッペリウス」は2017年4月、東京・すみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を携えての再演が決定。詳細は、後日発表される。(C)Crypton Future Media,INC.www.piapro.net/photo by 高田真希子
2016年11月12日今年5月に逝去した作曲家/シンセサイザーアーティストの冨田勲の遺作『ドクター・コッペリウス』がプロジェクトチームにより制作され、11月11日(金)・12日(土)の追悼特別公演で初披露される。10月26日に開かれた制作発表記者会見でその全貌が明らかになった。【チケット情報はこちら】『ドクター・コッペリウス』は、亡くなる1時間前まで打ち合わせをし、冨田が上演を最期まで夢見て創作し続けていた作品。“日本の宇宙開発・ロケット開発の父”と呼ばれ、バレエダンサーでもあった糸川英夫博士の「ホログラフィと一緒に踊りたい」という夢を形にするとともに、『イーハトーヴ交響曲』(2012年)のときに生のオーケストラ演奏で歌い踊ったボーカロイド・初音ミクにバレエ作品『コッペリア』を踊らせたいという冨田の思いが詰まった壮大な交響曲。オーケストラとシンセサイザー、バレエとホログラフィを融合させた“スペースバレエシンフォニー”となる。今回は、3Dで浮かび上がるバレエの衣装に身を包んだ初音ミクが、バレエダンサー風間無限とともに“パ・ド・ドゥ”を踊り、歌う。演出/エレクトロニクスのことぶき光は「映像は当日をお楽しみ」と明言を避け、振付の辻本知彦は「一番最後の曲はとてもいい振付になったと自負してます」と満足の表情でアピールした。1970~1980年代に冨田が制作した音源が入ったオープンリールテープもこのたび発見され、「再サンプリングしてかなりの場所で使います」とことぶき光。楽章の構成は7楽章。ストーリー原案とほとんどのサウンドファイルが遺されていたが、第1楽章と第2楽章はテーマや歌詞が遺されているのみ。プロジェクトチームから冨田氏へ思いを捧げる第0楽章『飛翔する生命体』を冒頭に据え、1と2は欠番となる。指揮の渡邊一正は「リハーサルはこれから。わくわくしています」と笑顔で語った。既存の楽曲を素材として用い、新しい世界観を作り上げるのが冨田の手法。本作には、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』やレオ・ドリーブ『コッペリア』、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、最後の劇場用映画音楽となった映画『おかえり、はやぶさ』メインテーマが素材として用いられ、新しい世界を作り上げている。当日は、『ドクター・コッペリウス』のほかに、『イーハトーヴ交響曲』、冨田の代表作である『惑星 Planets』(1977年)のリミックスも披露される。冨田勲 追悼特別公演『ドクター・コッペリウス』は11月11日(金)・12日(土)に東京・Bunkamuraオーチャードホールにて開催。チケット発売中。取材・文:門 宏
2016年10月31日10年ぶりの復活を果たすシリーズ最新作『デスノート Light up the NEW world』の初日舞台あいさつが10月29日、東京・新宿ピカデリーで行われ、東出昌大、池松壮亮、菅田将暉、佐藤信介監督が出席した。舞台あいさつ その他の写真キラこと夜神月と天才探偵Lの死闘から10年後、デスノート対策本部の捜査官(東出)、Lの遺伝子を継ぐ竜崎(池松)、キラの信奉者であるサイバーテロリスト(菅田)の天才3人が、地上に舞い降りた6冊のデスノート争奪戦に身を投じる。2006年に公開された実写版『デスノート』は前後編合わせて興収80億円を突破する大ヒットシリーズだけに、本作で主演を務めた東出は「プレッシャーもありました。超えることが難しい、偉大な前作の誇りと覚悟を受け継いで、スクリーンに存在しなければいけないと思った」と本音を告白。それだけに念願の公開初日を迎え「肩の荷が降りました」と安どの表情を浮かべていた。一方、佐藤監督も「伝説の10年後を描くプレッシャーがあった」といい、「素晴らしいキャストに恵まれ、一緒に船に乗り、最後までたどり着いてくれた。今を生きる『デスノート』が作れた」と誇らしげ。主演の東出については「まさかの役柄を豪放磊落(ごうほうらいらく)に演じてくれた。最初は静かになり過ぎるかなと思ったが、こんなに骨太な人だとは」と存在感を絶賛していた。3人の主要キャラクターがしのぎを削る内容にちなみ、「これは『誰にも負けない』と言えることは?」の質問に、東出は「代謝は負けないです。汗をすごくかくので」と珍自慢。池松と菅田がそれぞれ「起きてから、立ち上がるまでのスピード」、「3人のなかで一番白が似合う」と語ると、東出は菅田のコメントを受けて、「先日、雑誌のグラビアで真っ白な衣装を着たんですが、ビックリするくらい似合わなかった」と明かしていた。『デスノート Light up the NEW world』公開中取材・文・写真:内田 涼
2016年10月29日俳優の東出昌大(28)らが29日、東京・新宿ピカデリーで映画『デスノート Light up the NEW world』の初日舞台あいさつを行った。上映後に登壇した東出は、「面白かったですか?」と問いかけ、劇場内に響きわたる拍手に満足げ。前夜に日本テレビ系で放送された特別編「逆襲の天才」を自宅で観たことを報告し、「プレッシャーはあったんだと家で痛感しました」と告白。「みなさんが喜んでくださって笑顔でこっちを向いてくださって、本当にやっと肩の荷が下りた気がします」と安堵の表情を見せた。この日は、東出のほか、池松壮亮(26)、菅田将暉(23)、本作でメガホンをとった佐藤信介監督(46)が出席。トークセッション後にマイクを託された東出は、「前作を超えるのは難しいというか」と切り出し、「ただ、あの偉大な先輩方、偉大な金子(修介)監督の誇りや覚悟を僕らは受け継いで」と前作のキャスト、監督に敬意を表した。続けて、「さらに力を増してスクリーンの中に存在しないとと思ってみんな頑張って撮りました」と過去の実績がプレッシャーと共に励みになったとも。「『やるしかない』という中で闘った」とクランクイン前の心境を明かし、満員の客席を見つめながら「本当にこれだけのお客さまが来てくださってうれしく思います」と感謝の思いを伝えた。これまで『デスノート』『デスノート the Last name』(06年)、スピンオフ作『L change the WorLd』(08年)の3作が制作された『デスノート』実写映画シリーズ。最新作にして最後の舞台となるのは、夜神月(藤原竜也)とL(松山ケンイチ)の死から10年後の世界。6冊のノートの存在が判明し、ノート対策本部捜査官・三島創(東出昌大)、Lの遺伝子を継ぐ世界的名探偵・竜崎(池松壮亮)、キラ信奉者でサイバーテロリスト・紫苑優輝(菅田将暉)の3人がメインキャラクターとして登場、三つどもえの頭脳戦を繰り広げる。
2016年10月29日●観客の喜びが佐藤プロデューサーへの恩返し藤原竜也のキラ・夜神月、そして松山ケンイチのL。名前を書いた人間を殺すことができるという死神のノート"デスノート"を巡って2人は頭脳戦を繰り広げ、命と引き換えに互いの正義を守り抜いた。今でこそ当たり前となっている2部作連続公開の先駆けともいえる実写映画。『デスノート』(06年6月)は28.5億円、『デスノート the Last name』(06年11月)は52億円の興行収入を記録し、漫画原作映画の成功例としてもその後の邦画界に影響を与えたと言われている。それから10年後、「新世界の神」は息を吹き返す。続編となる『デスノート Light up the NEW world』が公開されると発表されたのは、昨年9月のこと(当時の仮題は『デスノート2016』)。ドラマ版の最終回終了後に告知され、わが耳を疑った。舞台は月とLの死から10年後の世界。6冊のノートの存在が判明し、3人の天才が三つ巴の戦いを繰り広げる。その中心に立つのが、デスノート対策本部捜査官・三島創を演じる東出昌大(28)だ。Lの遺伝子を継ぐ世界的名探偵・竜崎(池松壮亮)、キラ信奉者でサイバーテロリスト・紫苑優輝(菅田将暉)。 役者としても手強い2人を脇に従え、"デスノートオタク"は人気シリーズを背負うプレッシャーを吹き飛ばすように熱のこもった演技を披露する。演じるのは天才。しかし、彼は自身を「凡才」と言い切る。俳優デビュー作『桐島、部活やめるってよ』(12年 以下『桐島』)で学んだ「逃げない心」が、インタビューの言葉からも伝わってくる。――映画化されると聞いて、本当に驚きました。同じです(笑)。えっ? 何やるの!? と。僕も多くの方と同じように前作のファン。そして、リアルタイムで観ていた世代。まさか、Lと月のどちらかをやるなんてないよな……。ファンの方が「え? マジで?」の後と同じようなことを、僕も考えました。その後、大場つぐみさんがアイディアを考えてくださって新しいストーリーになっているというのを聞いて、それならぜひと。台本が楽しみになりました。ただ、前作までがかなりの完成度で、マンガも完結している上に支持している方も多い。10年後……まさかニア、メロの10年後ではないよな……。そんなことも頭をよぎりました(笑)。――実際に上がってきた脚本を読んで、その心配の種は無くなりましたか(笑)?台本をいただてからは楽しみでしょうがなかったです。何よりもうれしかったのは、『桐島、部活やめるってよ』(12年)でもお世話になった佐藤貴博プロデューサーが10年前から手がけているシリーズに加わらせていただけること。外さないものは作らない方だとわかっているので、その指揮の下でやれる喜びもありました。佐藤プロデューサーは、ものすごい熱い方なんです。『デスノート』に対しての思いが、人一倍強く、生粋の『デスノート』ファンでもある。ファン10人分ぐらいの熱量でやっている方なので、大船に乗ったような気持ちというと失礼かもしれませんが、一緒に情熱を注ぎたいと思いました。僕が出させていただいた舞台『夜想曲集』で、終演後に楽屋あいさつに来てくださって。「よかったよ」と褒めていただいた後に、「ちょっとデカイ作品がある。お前でいくから」と言われたんです。その時は何のことか分からなかったんですが、それが去年の夏前ごろ。秋口にお話をいただいて、その時の言葉がピンと来ました。楽屋に来てくださったときの目つきが本当に真剣な目つきで、大きな期待と同時に、「覚悟しろよ」と言われている気がしました。『デスノート』は、佐藤さんにとっての宝。真正面から向き合わなきゃいけないと思いました。――東出さん、池松壮亮さん、菅田将暉さんの共通点が、日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞したこと。東出さんは壇上のスピーチで、「『桐島』のスタッフと俳優として再会したい」とおっしゃっていました。こうしてご一緒できるのはもちろんうれしいことですが、出演が決まったときは、プレッシャーとも違って……もっともっと考えないといけないことが先々に山積みになっています。映画が完成して、たくさんの方に観ていただいて「よかったよ」と言われた時に、ようやく"恩返し"になるのかなと思います。出演が決まった段階では、まだ恩返しではない。400メートル走であれば、「再会」はほんの2~3メートル程度と思っています。●「夜神総一郎に引き抜かれた」を捨てない――公開間近の今、400メートル走も佳境だと思います。現時点ではどのような思いですか。そうですね……。あっ! 映画、いかがでしたか?――10年後の続編と聞いて勝手に心配していたのですが(笑)、デスノートをうまく活用した物語に仕上がっていると感じました。良い意味で裏切られてしまった。あとは東出さんの演技が凄まじかった(笑)。ありがとうございます。今おっしゃったことをそのままを記事にしていただけると、最大のウリ文句になると思います(笑)。――でも、ネタばれになるから多くを語れないんですよね。そうなんですよ。僕らは劇場さえ来てくださったら、逆転に次ぐ逆転を楽しんでいただける絶対的な自信を持っているんです。ただ、いかんせんネタバレが多い(笑)。もし、一緒にご覧になっている方がいたら、答え合わせを絶対にするじゃないですか? これは『デスノート』シリーズが受け継いでいる魅力そのもの。そのポイントは外していません。――終わって、誰かと一旦整理してみたくなるあの感じですね。そういえば、東出さんが演じた三島。彼の正義感の背景などは、描かれていませんでしたね。準備稿の段階ではありました。「上司を殴って窓際部署の対策本部に配属された」という設定でしたが、「実は夜神総一郎に引き抜かれた」という裏の設定も。夜神総一郎はいずれまたデスノートを巡る事件が起こると予感していて、有能な三島を引き入れたんです。これらは台本から削られましたが、僕にとっては捨ててはいけないこと。佐藤(信介)監督からも、「頭のなかに残しといて」と言われていました。――佐藤プロデューサーは、「内面を表現してもらうように、試行錯誤してもらった」と。具体的にどのような試行錯誤だったのですか。デスノートには、単純に人を殺せるということだけではなくて、独特の魔力があります。あの世界に身を投じて、デスノートの怖さをさらに知っていくことが大切でした。手に入れると人格が変わってしまう。それが『デスノート』。三島、竜崎、紫苑はそれぞれの正義感があったはずなのに、その正義感が歪んでしまう。月だってあんなに爽やかな青年だったのに、一歩道を踏み外すとそれがどんどん加速していく。そういう心情を、台本を読み込みながらどんどん掘り下げて、感情を追うだけではなくて、そこにはデスノートの何が作用したのかも考えるようにしました。――デスノートのルールはとても複雑です。三島の部屋に積まれたノートには実際にそれらが書き込まれているそうですね。細かいルールも頭に入れていたんですか?僕も原作ファンなので、原作ファンの裏切られたくない気持ちがすごく分かります。だから、仮に「ルールを無視」と言われたら、「それはファンとしてできません」と断っていたと思います。そういう共通認識をこの作品に関わる人はみんな持っていて。台本が改訂していく中でも、どのルールが作用しているのか、確認し合いながら進めました。――デスノート対策チームの現場では、撮影後に酒盛りが行われていたそうですね。どなたのアイデア?たぶん、池松くんだったと思います。毎晩(笑)。ロケ地の神戸に入って、監督、プロデューサーさん、美術部さん、俳優部で焼肉食べに行った後は、連日デスノート対策チームで酒盛りです(笑)。深夜2~3時までかかることのほうが少なくて、22時ぐらいには終わって。家族と談笑するように、自然とみんな部屋に集まって語り合い、そうやって役の皮を一旦剥がして寝ていました。――その目的は? 相手を知るため?それもありましたね。子どもの会話みたいなんですが、「デスノートを手に入れたらどうする?」とか。ある時に、「電車の中で嘔吐した人がいたら?」という話になって。そこはそれぞれの人間性が出るというか、みんなディベートのように自分の考えを真剣に話していました。翌日、池松くんが「昨日のように、人の核となるような話をしたかった。お互い話せないこともなくなるから」と言っていたのが印象的で。確かにそうだなと。それからは、お互い遠慮することもなく、思っていることを確認し合えました。あの時間があるのとないのでは、演じる上でも大きく違っていたと思います。●『桐島』ラストの葛藤「泣けるのか?」「泣けない!」――以前からお酒がお好きとおっしゃっていましたね。東出さんにとって「お酒」はどのような役割がありますか。緊張感がある中で、副交感神経を和らげる効果があります(笑)。リラックスできるので、人と話す時は本当に便利ですね。お酒を理由に暴れたりするのはちょっと違うと思うんですけど、「お酒を飲んでるから何でも話していいよね?」みたいな方向に持って行けるのがありがたい(笑)。そういう力を借りて、みんな腹割って話すのが好きですね。――だいたい共演される方と飲みに行かれるんですか?作品によって異なります。今回は「デスノートを敵」として集まった対策本部の面々だったので。でも、役者でもいろいろなタイプがあると思いますが、仮に思いっきり敵対して憎しみ合う役だったら、一緒に飲みたいとは思わない。そういう気持ちで、現場で顔を合わせないようにすることもあります。――俳優デビューとなった『桐島』の時と比較して、現場の人や作品との向き合い方は変わりましたか?ちょっとずつ、逃げなくなってきたのかなと思います。ちょっとずつですが。まだ、自分は弱くて、もっともっと深く突き詰めなければいけない。言い訳せず肩の力を抜いて楽になれば、より良くできるのかなと思う時もあるんですが。いかんせん、それに気づかなかったり、挑戦する勇気が出なかったり……その時は、意外と精一杯だったり。終わってみて、もっとこうすればよかったと思うことばかりです。――数年前を振り返ると、自分は逃げていたと。それは思います。『桐島』のとき、ラストで泣きの芝居があったんですが、あの時、余計なことばかり考えていて。「泣けるのか?」「泣けない!」とか。役の感情になればいいんだからと言われても、「そんなこと言われても!」と受け入れられなかった(笑)。でも、そこで逃げないで向き合っていれば、もっと素直に演じられたはず……。役者として駆け出しだったのもありますが、ほかの役者さんだったら僕よりも間違いなくうまくやっていた。今振り返ってみても、本当にご迷惑をかけたなと思います。――逃げない心。鍛えるにはやはり場数ですか?そうですね。天才と言われる人たちは、そこに「素直さ」があるんだと思います。お芝居というものを瞬間的に信じる力が強かったり。僕は凡才だし、不器用だし、ガチガチに理詰めで考えたりするので、もっと素直になりたいなと思うこともあります。でも、恐怖もあったりして……。――最近では『聖の青春』(11月19日公開)で演じた、羽生善治さんが話題になっています。「役者・東出昌大」としての周囲の目が最近変わりつつあるような気がするのですが、ご自身としては?うーん……変化はあるのかもしれません。ただ、人は頑張っている姿を見たいのではなくて、良いものを見たい。だから、僕は一生懸命頑張っていても、「頑張っているつもり」になったら絶対にダメなんです。だから、もっと楽にやってみよう。そう思ったのが半年ほど前のこと。でもそれはもともとあった感情でした。『桐島』のころにはあった感情だったのに、いつの間にか損なわれていた。今、『桐島』を観ると、「これはできないかも」と思ったりして。ただ、「楽にやる」というのが間違った方向に行き過ぎると、「お前、楽するなよ」という"小さな東出"が騒ぎ出す。周囲の方からも、そう思われているかもしれない。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ。成長しているとは絶対に思う。思わないとやっていけないんです(笑)。役者として、これからもまだまだ考えることが山積みです。■プロフィール東出昌大1988年2月1日生まれ。埼玉県出身。身長189センチ。A型。高校時代にメンズノンノ専属モデルオーディションでグランプリを獲得し、モデルとしてパリコレのステージも経験。2012年、映画『桐島、部活やめるってよ』で俳優デビューを果たし、第36回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』『ごちそうさん』で多くの人に知られる存在となり、『クローズ EXPLODE』(14年)、『寄生獣』(14年・15年)、『アオハライド』(14年)、『GONINサーガ』(15年)、『ヒーローマニア』(16年)『クリーピー偽りの隣人』など映画に多数出演。現在の公開待機作は、本作のほか『聖の青春』(16年11月19日公開)、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(16年12月17日公開)。(C)大場つぐみ・小畑健/集英社(C)2016「DEATH NOTE」FILM PARTNERS
2016年10月28日電子音楽家・ことぶき光らが26日、11月11日と12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる故・冨田勲さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」の制作発表会見に登壇し、意気込みを語った。ことぶきのほか出席者は、国際交流基金理事長・安藤裕康氏、公演の音楽監督を務める指揮者・渡邊一正、ダンサーで振り付けを担当する辻本知彦、そして勲さんの長男・冨田勝氏、音楽ライター・前島秀国ら。コンサートでは、ソリストとしてボーカロイド・初音ミクが迎えられた「イーハトーヴ交響曲」の再演、勲さんが最期まで公開を夢見ていた「ドクター・コッペリウス」の初上演などが行われる。「ドクター・コッペリウス」は、2012年に「イーハトーヴ交響曲」が完成した直後から、勲さんが「必ずやり遂げなければならない」とまで語っていた大作。勲さんは上演を待たずして、その生涯を終えたものの、公演では舞台上に投影されるミクと風間無限とのバレエと共に披露される。勝氏は、これを「父が何十年も温めてきた企画」と説明。勲さんの生きざまを「最後まで『どうやったらお客さんに感動を伝えられるか』と考えた"前のめりの人生"」と形容しながら、「楽曲に込められた父の思いを一人でも多くの方に聴いていただきたい」と呼びかけた。続いて前島が、「ドクター・コッペリウス」を制作するにあたり勲さんには、ミクにバレエを踊らせたいという思いと、日本の宇宙開発に尽力した故・糸川英夫さんをイメージさせる作品として成立させたいという構想があったと解説。糸川さんが大空に向かって飛び立つ意志を持っていたように、「冨田先生が伝えたかったのは『重力のしがらみを乗り越えようとする人間の情熱』ではないか」との見解を述べた。コンサート全体をサポートすることぶきは、演出面のシステムの素材を組み立てていると発表。制作は、冨田家も借りて行っていると明かした。また、その場で眠っていた勲さんの機材を鳴らしたところ、勝氏が「ノコギリ波(シンセサイザーの基本波形の一つ)だ」とその音を言い当てたことを振り返り、「幼い頃から聴いていたからかな。ビックリして一気に仕事がはかどりました」とほほ笑んだ。会場では、バレエ衣装に着飾ったミクのイメージもお披露目。さらに、かつて勲さんがオープンリールに残していた音源も公開され、ことぶきは「ミクが歌い踊ります。そしてモーグ・シンセサイザーの音や、オープンリールの音源をサンプリングして、フレーズごとに振り分けたものを何らかの方法で走らせます」とアピールした。
2016年10月27日●冨田さんとは一歩超えたところでコミュニケーションさせてもらえた2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuiraオーチャードホールで開催される。前回、前々回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶきの言葉を紹介したい。コンサートは、冨田さんが遺した音を再現することだけでなく、舞台上に投影されるミクと、実際のダンサー・風間無限の共演も見どころとなる。また、タックヘッドなどのダブアーティストを輩出してきたイギリスのレーベル・On-Uサウンドの設立者で、ナイン・インチ・ネイルズやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといったインダストリアルアーティストのプロデューサーとしても知られるエイドリアン・シャーウッドが冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」をリミックスすることも大きな注目点だ。「イーハトーヴ交響曲」の再演、ミクたちのダンスも見られる冨田さんの遺作「ドクター・コッペリウス」の上演、エイドリアンによる「惑星」の再解釈…公演ではこの3点から、冨田さんの遺志を引き継いだ音を響かせつつ、オーディエンスに新たな未来を提示する。ことぶきは、その演奏面だけでなく映像の演出面やリミックスの素材制作の面でもコンサートの裏側をサポートしている。一見、ハードワークにさえ思えるそんな活動を通じて、彼がオーディエンスに届けたい思いとは。晩年の冨田さんとの仕事で抱いた感触なども思い返しながら、ことぶきはそれを言葉にしてくれた。○何でここまで繋がるのか――お話を伺っていると、幼少時から当時のP-MODELでの活動、そして現在の冨田さんのお仕事は繋がっている部分が多々ありますね。ね、それ自体がすごいよね。飲み屋で冨田先生に何でモーグを買ったのか聞いたら、ウェンディの話が出てきて。しかも70年の万博の時に大阪に行って、現地のレコード屋さんで見つけたのかな。性転換直前…ウォルターの頃のジャケを見て買って。「これは!」と思ってモーグも買った訳ですよね。そんな流れとか、あとはオケとコンピュータの同期の話とか、冨田先生がやっていたサウンドクラウドとかにも繋がってるというのもある。「何でここまで繋がるのか」っていう話はご本人ともしてましたね。――「イーハトーヴ交響曲」の始動が12年ですよね。NHKの特別ドキュメンタリー『音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~』(13年放送)でもサウンド設定に苦労されている姿が捉えられていました。実際にはいつくらいから打ち合わせが始まったのでしょう。初めて声がかかったのは、その年の6月頃じゃないですかね。(交響曲の)構想自体は多分ずっと前からあって、音も作っていって、実際にライブで披露するというのは一番後なので。話をいただいてからは、実のところ3カ月くらいでやりました。○"共有感"を喜んでもらえていたのでは――そんなに短期間だと相当疲れたんじゃないですか。いや、それはないです。よく「俺は何時間しか寝てねぇ」とか自慢するヤツいるじゃないですか。でも例えば、何もやることがないまま3日寝られないっていうのは病気ですよね。そこでもう1つ考えられるのは、アイデアが降りてきてしょうがなくて、冴えて寝られないというパターン。そう思うと、「俺は何時間寝てねぇ」って人は「俺はこれくらい才能があるんだ!」と言って回っているのと同じですよね。そうじゃなきゃ、本当に倒れるように寝ちゃうはず。本当に寝られない時というのは良い意味で寝られないので、そこに疲れるとかしんどいというのは一切ないですね。――インスピレーションも次々湧くような楽しみながらのお仕事だったんですね。冨田先生から夜中とか朝5時とかに電話がきて、思いついたことをめちゃくちゃ言ってて。最初は「あれ、まだ起きてたの」とか言ってくれるんだけど、どんどんそれがなくなってくる。そうなると、誤解かもしれないけども、僕も「冨田先生も喜んでくれてるのかな?」と思ってね。寝てなきゃいけない時間に作業してるということ自体がうれしそうな感じ、世間一般とは違う時間感覚で物を作れてるということがうれしい感じ。昼間でも夜でも関係なく、そういう時間軸じゃないところで物を作ってるんだという。おこがましいけど、そんな"共有感"を喜んでくれてたんじゃないかと思ってます。――他に共作する中での印象に残ったエピソードはありますか。一つ一つ印象は強いです。音の仕組みとかを瞬間的に理解できるというのも他の人ではあり得ないし。そこにメーカーのスポンサーが入った場合、彼らも自分の開発物を売らなきゃいけないから、機能として何ができるかっていうスペックをアピールしますよね。でも、その情報は現場ではほぼ使い物にならない。冨田先生は、メーカーが言うのとは別のところで現場的に何が使えるかを瞬時に察する感覚というのを理解されていた。おこがましいですが、そのステップを一歩超えたところで、飲みに連れて行っていただいてお話してくれたのが本当にうれしかったですね。●ミクとオケのスペースバレエシンフォニーを体感してほしい○アイデアは先人に生んでもらった――今回の公演では音の面だけでなく映像にも関わってらっしゃると伺いました。そちらはどういう段階までディレクションなさっているのでしょう。僕は絵とかCGとかわからないので…振り付けとかにも口出ししていると思われたりもしますが、ダンスも全然(笑)。なので、雰囲気だけ伝えて、基本はお任せですね。ただ、作業スピードを上げるために、撮り方のシステム自体は組んでて。ゲームでやるようなモーションキャプチャーのシステムとは違うやり方で撮ってるというのは、一つあるんです。仕事のスピードって、作品に影響するじゃないですか。すごいスピードで進行している感じを作り上げるために、その仕組みを提供しています。――そのアイデアは一から作ってらっしゃるんですか?いや僕のステージじゃないのもありますから、そこは(着想を)誰かに生んでもらったっていう。先人のおかげですよ。やっぱり先人への畏敬が全部のベースにあって。ちなみに基礎技術開発みたいなのは、また別途あります。なぜそれが別途かと言えば時間がかかるからですね。基礎技術って、使えるようになるまでに何年もかかったりするもんだから。それをゼロから作る必要はなくて、基礎技術開発の選択の組み合わせでイノベーションが起きる…そこを狙ってます。かと言って、開発をしてないわけでもなくて、何年後かのために常にやってもいます。――エイドリアンのパフォーマンスにも企画当初から関わってらっしゃるんですよね。初期段階から、「やってもらうならエイドリアンしかいない」というのがありました。冨田先生の世界観にある意味でのハサミを入れられる人は多分、エイドリアンかリー・ペリーかどっちかじゃないですかね(笑)。打ち合わせは、メールベースで「こういう風にアプローチしよう」といったやり取りして、サウンドファイルも送っているんですが「聴いてないけど、良いんじゃない」って(笑)。――それは信頼されているということですよね(笑)。何かすごい余裕とスケール感を感じちゃいますね。ほっといても大丈夫だと思われてるのかな。○初音ミクはクリエイトの母、冨田さんが父――ことぶきさんは、二足歩行シンセのように枠組みにとらわれず色んなデバイスを作ってらっしゃいますよね。ご自身から見た初音ミクはどのようなものでしょう。クリエイトの母ですかね。要するに、それがルーターみたいなハブみたいな機能を果たしていると思うんです。それをベースに何かを作れるっていう意味ではものすごい存在ですよね。初音ミクという母がいて、冨田先生という父がいて、僕らはステージに向かって作っていけています。――最後に今回は冨田さんの追悼公演という側面が一つあると思うのですが、冨田さんの遺志をオーディエンスに届けるという部分もあるかと思います。そこで、ことぶきさんとしてオーディエンスに伝えたいことを教えてください。スペースバレエシンフォニー。これ、3月終わりか4月頭に冨田先生に言った時は、全然真に受けられなくて、シャレみたいに受け止められちゃったところもあるかもしれないけど(笑)。コンピュータとオーケストラのスペースバレエシンフォニーを感じていただきたいです。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月26日●解凍P-MODELと平沢進ソロでの"ライブの方法"で課題をクリア2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで開催される。前回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶき光の言葉を紹介したい。冨田さんとの共演での課題となるのは、躍動的な生楽器たるオーケストレーションと統制された電子音たるミクの音をいかにして適切なタイミングで重ね合わせるか、そして両者を違和感なくオーディエンスに聴かせるかといった問題だ。ことぶきと冨田さんの仕事は、2012年の「イーハトーヴ交響曲」の初演以来であるが、これらの課題をクリアするカギは20年以上も前、90年代初頭の解凍P-MODELでのパフォーマンスや平沢進のソロライブにあったという。解凍P-MODELとは、"凍結"と呼ばれる一旦の活動休止期間をおいて、91年から93年に"解凍"と称して再始動していた時期の同バンドを指す。ことぶきは解凍以前よりP-MODELに参加していたが、その時のレコーディングの成果は残念ながらライブ映像音源としてしか残されていない。一方で解凍P-MODELは、凍結以前よりも積極的にシーケンサーやサンプラーといったデジタル機材の使用を前面に押し出し、洪水のような電子音とバンドアンサンブルとが共存した、クラブシーンなどとも異なるテクノサウンドを展開。そのステージでことぶきは、当時のドラマー・藤井ヤスチカが刻むバスドラムから、全体のシーケンサーを回す"ヒューマン・クロック"と呼ばれるシステムを披露。自身を取り囲むようにシンセを縦(!)に並べた奇抜なパフォーマンスもみせ、そのアクロバティックなスタイルから"キーボード妖怪"とも評された。"ヒューマン・クロック"のシステムは、冨田さんと共に作り上げてきたステージの核の一つ。第2回は、その点に着目しながら、解凍P-MODEL時代の逸話や平沢との楽曲制作の裏側までを振り返ってもらったエピソードを中心にお伝えしたい。○解凍P-MODELの映像を見た冨田さんが「できるじゃん」って――冨田さんのお仕事の話も少しずつ出始めたところで、今回のコンサートでのことぶきさんの役割をあらためて教えていただけますか。プレイヤーとしてのエレクトロニクス奏者というのが1つあります。それらを含んだ同期とかシステムの枠組みを作る役割、それと舞台の演出という役割、その3つですね。――冨田さんから声がかかったのはいつ頃ですか?「イーハトーヴ交響曲」の仕込みの段階。シンク(同期)システムとか"ヒューマン・クロック"で周りを走らせる仕組みをどうやって作るかと試行錯誤していた時ですね。――"ヒューマン・クロック"というと解凍P-MODELで使われていた手法ですよね。よくご存じで! まさにそうなんですけど、でもそれって今になって分かる話で。90年代当時のオーディエンスは誰も気付いてなかった。ただ、それは知らなくて良いことで。例えば劇団四季やディズニーランドが「私たちはこういうシステムでやってます」と説明するわけないじゃないですか。むしろバレない方が良い。でもなぜこのように、舞台裏の話を聞いていただいているかというと営業、要は金の話です。そして、なぜこれが必要かというと、次を作れないから。今思えば、こういうのって2、30年前にはある意味、必要なかったのかもね。それか、僕らがバカすぎて気付いてなかったか(笑)。――冨田さんは、その解凍P-MODELでのことぶきさんのプレイをご存じだったんですか。仕込みの初期段階で「例えばこういうことです」と『BITMAP 1979-1992』(92年)*なんかの映像を見てもらいました。と言うのも、「テンポを30%以上の揺らぎで制御するなんて無理だよね?」って話を振られてね。冨田先生も色んなシステムを作っていて、すごく現場をご存じ…むしろオーソリティー(権威)なくらいですが、「いや僕ら30%以上どころか完全に(演奏を)止めてからBPM180まで、0から加速していくみたいなのをやってましたので、OKです」って返すと「えー!?」と驚かれたんですよね。それで実際に映像を見てもらったら「できるんじゃん」って。*『BITMAP 1979-1992』:解凍P-MODELのツアーを収めたライブVHS。2014年にはDVDとして再発された。○冨田さんとの2つの課題――当時の「NO ROOM」の演奏なんてまさにそれでしたね。一度止めて、一気に加速するという。まさにそう! ああいうのはクラシック界、ハイ・アート*の世界だと、多分雑に見えると思うんだ。でもぶっちゃけ、ハイ・アートの方が中身だけ見れば雑なんだよね。彼らのテンポの揺れってハンパない。そのズレを人数で上塗りして作り上げている、つまり目くらまし戦法のものすごいやり方です。もっと言えばオーケストラって装置は、人数を重ねるために倍音を削ってるわけじゃないですか。弦1本弾けば世界観ができる楽器の豊かな倍音をわざわざ削って、音の豊かさも消したがゆえに人数を重ねることによって、別の音色を作り上げることが可能になった。なので揺らぎはあったほうが、あの世界を出すためには有効で。それを冨田先生はシンセでやっちゃったわけだ。シンセのダメなところとして単音の中に入ってる情報量があまりにも少ないということがよく言われますよね。ただ、それだったらオケの楽器の方が一つ一つで見ればもっと少ない。なぜ皆が「オケ楽器の音は豊かな音響を作れる」という勘違いをしてるかと言えば、(音を)重ねてるからです。それを冨田先生は理解しちゃった。何の性格も持たないものにリメイクしちゃった楽器の音を、あえて人数重ねて別の音響感を作るやり方。それをシンセでやったのが冨田先生なんですよ。*ハイ・アート:ポップ・ミュージックなどの大衆芸術(ロー・アート)に対して、理解するのに一定の教養を必要とする芸術のこと。クラシック音楽や古典的な演劇、絵画など。*倍音:基本となる音の周波数に対して2倍以上の周波数を持つ音。音には正倍数の倍音が含まれている。ギターやベースのハーモニクス奏法などでも身近に知られる。――"ヒューマン・クロック"の仕組みは今回のコンサートでも生かされてるんですね。そうです。やってることは何年も変わってないですね(笑)。――冨田さんには、平沢さんのソロライブ映像も見せられたと伺いました。それは「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」*ですか?何で知ってるんですか(笑)。その通りです。冨田先生との仕事にはテーマとなる課題が2つありました。1つは"ヒューマン・クロック"での同期をどうするか、もう1つはオケとコンピュータをどうやって共存させるか。前者は『BITMAP 1979-1992』を、後者を平沢さんソロのものを、それぞれ参考にしながらやってみました。*「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」:90年に行われた平沢のソロライブ。電子音を基調としながら、看護師の仮装をした生楽器の演奏チームがバックにつき、ことぶきもキーボーディストとして参加していた。公演タイトルは、70年代から活動しているシンセ・ポップバンド、オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじり。●物を作るために「条件下で何ができるか」を楽しむ○"ピコる精神"としての『スウィッチト・オン・バッハ』――先に『スウィッチト・オン・バッハ』の話が出ましたが90年代当時、平沢さんからの勧めがあって聴かれたという経緯もあるんですよね。そうそう。どうやってP-MODELを解凍させるかって話を2人で散々してた時、"ピコる精神"の音楽を作ろうって平沢さんがおっしゃって。「それは何だ?」と話してたら、リファレンス(参考音源)のような扱いで「『スウィッチト・オン・バッハ』を聴け」って言われたんですよ。当時からCD含めて音楽は買わなくなってたんですけどね。――それは学生の頃からですか?中2までは、底が抜けるくらい散々買いました。でも自分で作るようになってからは他人の音楽は全く聴かなくなった。伊福部昭さんの作曲本に「作曲を志す人間は音楽を聴いちゃダメだ」って書いてあったんです。「中途半端に毒された音を聴いちゃうと作曲ができなくなるから聴くな」と。○"元をとる"ために生まれた「2D OR NOT 2D」――なるほど。それでも『スウィッチト・オン・バッハ』は買われたんですよね。そう、金を払ってわざわざ買った。でも良くなかったです。平沢さんには「何てものを聴かせるんだ」って言ったんですけども。「まぁ自分の意思で買ったんだし」って返されちゃった(笑)。それで、これは(アルバム代金分の)元をとんなきゃいけないって、また曲を作りました。でも、何がしかのことがあって、その元を取るために次何やるかを決めるというのは、今でも全てにおいてそうです。言い方を変えれば「条件下で何ができるか」という作り方です。――それで完成した曲は『P-MODEL』(92年)に入っている楽曲ですか?「2D OR NOT 2D」ですね。あれは、僕が全部オケを作って…歌メロも作ってたんだけども、平沢さんがボーカルブースに入って、全然違う風に歌っちゃってね(笑)。スタジオに入る前の音を作ってる段階では、平沢さんはいなかったですね。僕と当時のエンジニアとマネージャーの3人でトラックを作って、その後、多分僕がジェットコースターに乗りに富士急ハイランドに行ってる間に平沢さんが全然違う歌にしちゃってましたね。まぁそういうのもアリかな(笑)。○具体的な個人に向けないと作り始められない――その偶然を楽しむ感覚は、冨田さんとの仕事にも感じられます。「条件下で何ができるか」ね。ちなみにこれから演出面で、キューブ型のパイプを12本はわせて上に吊るす装置のテストするんだけども、それが内径3600ミリなんです。なぜ3600かって言うと、4000ミリにすると上の蛍光灯にぶつかって割れちゃうから。そんな風に、全部条件下で決めてますね。例えば、曲をためてやりくりしてる人がいますけど、僕は全然そういうのを信用してなくて。少なくとも僕自身は、具体的に誰かに向かって作るというのが無ければ、事を始められない。一応、聞かれたら「皆さんに喜んでもらうために」とか言ってますけど、実際それを成し得るには、当然ながら物ができなきゃいけない訳です。その上で、まず誰のために作るか。それは、端的に言えばディレクターに向けてです。担当ディレクターが一番喜ぶ物を作って、その先に皆の喜ぶ顔があるわけで。――そこをクリアしないことは先にアプローチできないということですね。そうそう。冨田先生みたいな崇高なキャリアがある方であれば、作ったら世界の人を喜ばせることができるでしょう。創作と聴き手がイコールで直結してる。でも僕クラスの人間がそれを言うのはおこがましくて。その前に世界にリーチできる物を作らねばならない。そのためには、具体的な誰か個人に向けて作らないと、というのがあります。ここまで話を聞いてみると、幼少時から現在の活動まで、ことぶきが体験してきたことは、全て一つの線で結ぶことができるのではないかという思いが湧き出てくる。それに、「具体的な個人に向けて作らないと事を始められない」との言葉は、冨田さんとの仕事での姿勢を示唆しているようにも感じられる。それは、冨田さんの作った曲を舞台上で再現することにあった。その再現性自体もまた一つの作品と言えるのではないか。次回紹介する、冨田さんと過ごしてきた時間の中でのエピソードは、そんなことぶきが冨田さんという個人に向けて作ってきたとも言えるだろう音の背景をのぞかせるものだ。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月24日●すごい音を体験しちゃった2016年5月、電子音楽の巨匠・冨田勲さんが、84歳でその生涯の幕を閉じた。冨田さんは生前、1950年代に活動を開始。NHKなどのテレビ番組の音楽を作曲しながら、60年代末にアナログ・シンセサイザーのモーグに出会い衝撃を受ける。74年には、モーグを使って、ドビュッシーの楽曲を再解釈したアルバム『月の光』を発表。クラシカルでありながら時代の先端を鳴らしたサウンドは世間の注目をさらい、国内電子音楽の歴史を大きく塗り替えた。その後も、それまでの音楽を現代的に解釈し直した作品を発表しながら、常に先鋭となるべき音を求め続け、晩年はボーカロイド・初音ミクをソリストに迎えた「イーハトーヴ交響曲」を制作。12年の初演では、日本フィルハーモニー交響楽団とミクの歌声が融合するパフォーマンスを披露して話題を集めた。しかし、オーケストラとボーカロイドの音を有機的にミックスしながら、ライブとして臨機応変に対応するのは容易なことではない。それを可能にした主要メンバーの1人が、現在はプノンペン・モデル、かつては平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELの一員として活動していたことでも知られる電子音楽家・ことぶき光だ。解凍P-MODELのステージで"ヒューマン・クロック"と呼ばれるバンドサウンドと電子音を同期させるシステムも披露してきた彼は、その経験から冨田さんのミクを用いたステージも強力に支えてきた。ことぶきは、11月11、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる冨田さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」も全面的にバックアップ。コンサートは、「イーハトーヴ交響曲」の再演に加え、冨田さんが最期まで公開を夢見て制作していた「ドクター・コッペリウス」の初上演、エイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表作「惑星 The Planet」のリミックスパフォーマンスで構成される。この冨田さんの遺志を受け継いだ公演を前に、ことぶきはどのような思いを持っているのか。それを聞いてみたところ、コンサートの舞台裏だけでなく、"冨田サウンド"との出会い、音楽制作への向き合い方、P-MODEL時代の秘話、冨田さんと共演してきた上での思い出、そしてプライベートでの音楽体験にいたるまで、さまざまなエピソードを饒舌に語ってくれた。これを3回にわたってお伝えする。第1回は、幼少時に大阪万博で受けた大きな衝撃から、シンセサイザーを手にするまで、アーティストデビュー以前の彼の物語を紹介したい。○万博で全部経験しちゃった――ことぶきさんが最初に冨田さんの音楽を聴かれたのはいつ頃でしたか。テレビを介して気が付いてたら聴いてましたね。それこそ大河ドラマとかの劇伴は、20世紀音楽の開花と言えるようなインパクトで。僕のような世代は、日常的にすごいものを聴いてた訳ですよ。60年代、70年代にね。――大阪万博の頃(70年3月~9月に開催)くらいですかね。まさにそう。僕は全部を万博で体験しちゃったんです。幼稚園の卒園式を抜け出して行ったんですけども。――卒園式を!?小学校に上がるタイミングでちょうど大阪万博があったんです。そこで、お祭り広場に行く途中、松平頼暁*さんの作った曲が流れてたのを聴いちゃった。ただ、僕は1週間くらい通ったんですけど、松平さんの音楽はその途中ですぐ中止になって。コンパニオン全員が体調不良になるという当時の事件があったんですね。松平さんは独特な楽理で音を構築していて、それが影響しちゃったんだ。その話を07年か08年に松平さん本人から聞いて、「わー」って思っちゃって。そのようなことが幾つかあって、冨田先生とお話しできた時も、僕が万博で体験しちゃったものの裏側を40、50年後に作家本人から聞けたっていう…これはもう信じがたいことで。万博の後に、半分くらいの作家は皆、死んじゃうわけですから。すごい音を70年に全部、体験しちゃった。*松平頼暁:現代音楽作曲家。50年代後期からさまざまなオーケストラ、ピアノの楽曲を制作している。○小学校以降は"余生"――5、6歳でそこまで大きなショックがあったんですね。僕、小学校以降は全部"余生"だと思ってて。それまでの体験を何十年もたった後に分析してるくらいです。それは大きなポイントで、今、学生に音楽を教えてもいるんですけど、何も作ったことのない人間に音楽を教えても、ほぼ意味がない。例えば、音楽大学の作曲科の生徒に教えるとします。あの世界は積み上げられたメソッドが分厚くあって、対位法とか和声法とかを一からやりながら、楽器の奏法も修得しなきゃいけない。これじゃ10年とかすぐたっちゃう。*対位法・和声法:対位法は一つ一つのパートの独自性を保ちつつ、複数のメロディを重ね合わせる手法。和声法は主となるメロディに対して、どのようなハーモニーを接続するかに重きを置いて音を作っていく手法。――理論的な部分からガチガチで攻めるわけですね。と言うより、何を何カ月でマスターして次に行くって手順が決まってるんです。彼らって、それを修得しなかったら作品は作れないと思ってるんですよ。――え、そうなんですか? フィーリングではダメ?彼らは練習課題として色んなものを作りながら、最終的に自分自身の作品を作るための訓練を10年以上かけてやってる。それに、音大は義務教育の中で教わった内容だけでなく、特殊訓練を受けなきゃ受験もできない。訓練を何年も受け続けてる子どもたち、そして何でも知ってる子どもたち、その学生が何も作れないっていう事実ね。その一方で、特訓もせず、ほとんど何も学んでないままに、自分の持ったポップミュージックのセンスを信じて何かを作ってる"バカ"たちもいる訳です。でも、両者を並べた時にどっちに可能性があるかは明らかですよね。"バカ"の方は自分で音楽を作って、後から分析して次のステップに行くんです。ただ、それができるようになるためには早い段階、吸収力がピークに達している段階で、何らかの音楽的な洗礼を受ける必要が恐らくあって。僕はそれが6歳頃だった。まぁ僕が何か作ったわけじゃなくて、ただ聴いたってだけですけど(笑)。それでも、後はもういいやって感じでしたね。それくらい本当にデカい出来事でした。――とすると、6歳という絶妙なタイミングで冨田さんの音楽にも衝撃を受けられたのでしょうか。ただ、その時には"冨田サウンド"とは気付いてなかったですね。(カールハインツ・)シュトックハウゼンにしても冨田先生にしても、テレビで流れていたので、それが普通だと思ってました。誰の作ったものかって意識し出したのは後からですね。●僕らがやっていけるのは「冨田先生がいたから」○冨田さんの名前は「街の事情で知った」――それはいつ頃でした?その後、図らずも住んでた街の事情でピアノ教室に通わざるを得なくなって。ピアノを習ってる女子は4人いたんだけど、男がいなかったんです。そこで、ピアノの先生が「男子を生徒としてどうしても入れたい」って言うので、僕が行くことになった。生徒が何人以上、男女比何割っていうのがフランチャイズ経営で決められていたらしいんですよ。それをクリアしないと教室がなくなってしまうという。――ノルマですね(笑)。そういう事情で入れられちゃって。そこで先生から冨田勲の名前を聞いた。それも今思えば偶然で、ある種の"おかげ"ですね。その時が小学2、3年かな。○シンセサイザーとの出会い――それが初めてじっくりと楽器に取り組んだ時になるんですよね。最初からシンセサイザーを使ってらっしゃるイメージだったので意外です。シンセサイザーを、その時はまだ知らなかったですね。8歳だから、72年か…その時期だと、『スウィッチト・オン・バッハ』(68年)*はリリースされてると思うんだけども、その当時はシンセサイザーを知らなくて、『NHKニュースおはよう日本』がきっかけでした。「世の中のあらゆるサウンドを再現できるマシンが登場した!」って触れ込みでシンセがテレビに出ちゃった訳ですよ。その頃の僕は、地元ではあり得ないくらいのお年玉をもらう子どもだったんで、「これは大変だ」って、お金をかき集めて買いに行きましたね。*『スウィッチト・オン・バッハ』:後に性転換を経験するウェンディ・カルロス(発表当時はウォルター・カルロス名義)がモーグ・シンセサイザーを駆使してバッハの演奏を再現したアルバムで、日本国内の電子音楽アーティストにも多大な影響を与えた。モーグを全面的に使用した作品では初のミリオンセラーを記録したアルバムでもある。――小学生で?それは多分、中学2年ですね。と言うのも、72年の段階だと、そもそも冨田先生が買ったような1,000万円レベルのシンセしかなかったので。○大前提にあるのは先人への畏敬――当時の冨田さんと言えば、モーグですものね。そうそう(笑)。でもモーグ*は、テレビで映されてなかったです。紹介されるようになったのは、冨田先生が『月の光』(74年)とかをリリースして売れた後、「この音を作った楽器は何なんだ!?」っていう声が出始めて。それから30年たった今、11月のコンサートでいなくなった冨田先生を、復活させるんです。これは、ある種のリミックスですね。冨田勲という存在自体をリミックスしてる。まぁ、そんな冨田先生のモーグの登場を受けて日本のメーカーがコンシューマーレベルの…10、20万円の機材を出し始める。まだ手を出せる範囲での減算方式のシンセの原型が現れたのは70年代後半くらいですね。*モーグ:ロバート・モーグ博士が開発した革命的なアナログ・シンセサイザー。ザ・ビートルズやクラフトワークをはじめとして、さまざまなジャンルのアーティストの作品に使用され、現在でも国内外問わず非常に高い人気を集めている名機。流通しているものは非常に高価。――MS-20とか?おっしゃる通り。僕は後に、エレキギターのアウトプットを3本に分岐して、それぞれをMS-20*に繋げて演奏するようになるんですが、そんなマシンを持って、ある国に行った時は「日本から来たMS-20を同時に操る人間」といった一定の評価を受けています。「なぜか?」と考えると、冨田先生がいたからです。それも完全に"おかげ"で。そんなところから僕は、先人への畏敬というのが、まず前提としてあって。冨田先生がやってくれたから、僕らが外国でそのようにやっていける、大きな事実がある訳です。話を戻すと、NHKの朝の番組では、(実際にはその前からあるけれど)シンセっていうのが「世の中に登場した」って言い方で紹介されていたと記憶しています。「世の中のあらゆるサウンドを再現できる。例えば猫の声」とかね。で、自分で買って、実際に操作してみると、確かに猫の声は出ました。でも、猫の声しか出なかった。そこで「ああ、これがシンセか」と。それで1回は離れちゃいました。*MS-20:VCO、VCF、VCA、EGを2系統搭載していた、コルグのアナログのモノフォニック・シンセサイザー。P-MODELでも田中靖美が使用したように、1978年発売当時からプロアマ問わず多くのアーティストから関心が寄せられた。現在は、コルグから当時のアナログ回路を完全再現した小型版も発売されている。アーティストとしてのデビュー前、6歳の頃の大阪万博での衝撃から音楽に惹かれてきたことぶき光。中学2年生でシンセを初めて購入するまでの期間にも、冨田さんの影はそこかしこに見られた。そんなことぶきは、その後何十年もたってから冨田さんとの共演を果たす。用いられていた同期の仕組みは90年代初頭にP-MODELの一員として、披露していたもの。次回は、そんなP-MODEL時代の平沢とのエピソードなどの舞台裏から冨田さんとの仕事にいたるまでの間を振り返ってもらっている。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月21日『世界の中心で、愛をさけぶ』『ピンクとグレー』の行定勲監督が初のロマンポルノに挑む『ジムノペディに乱れる』が、板尾創路主演で11月26日(土)より公開されることが決定。この度、本作のポスタービジュアルと予告編が到着した。自宅のピアノから流れてくるエリック・サティの「ジムノペディ」の音色。目を覚ました映画監督の古谷慎二(板尾創路)はピアノが置かれた部屋へ足を踏み入れるが、そこにはピアノを弾いていた妻の姿はない――。古谷は久々に新作映画の撮影に入っていた。国際映画祭で高い評価を得た名声は過去のものとなり、いまでは低予算映画の仕事にありつくのがやっとだった。かつては「精神が研ぎ澄まされていれば、金がなくても映画だ」と、どんな条件でもやる気を失わなかったが、いまでは「こんな現場は映画じゃない」と愚痴っている。撮影直前になって、主演女優の安里(岡村いずみ)がラブシーンで愚図りはじめ撮影が進まない。古谷は強引に説得するが、安里と言い争いとなり、険悪な雰囲気のまま撮影は中断してしまう。その日、古谷は昔から関係がつづく衣装部スタッフと一夜を共にする。そして翌朝、彼女から安里が降板したことを知らされる…。映画は製作中止となり、時間を持て余した古谷は、街で会った映画専門学校の教え子・結花(芦那すみれ)の部屋に転がり込む。思わせぶりな態度で挑発してくる結花と体を重ねる古谷。雨の音に紛れてどこからかジムノペディが聞こえてくる…。本作は、今年生誕150年を迎えたエリック・サティの名曲「ジムノペディ」の調べにのせ、ラブストーリーの名手・行定監督が、切なく不器用な大人の愛を官能的に描いている。今年で製作開始から45周年を迎える“日活ロマンポルノ”のリブートプロジェクトの一環で製作された本作。今回メガホンを取った行定監督のほか、塩田明彦監督、白石和彌監督、園子温監督、中田秀夫監督ら第一線で活躍する監督陣が完全オリジナルの新作を28年ぶりに撮りおろすことでも話題。さらに、先日行われた「第21回釜山国際映画祭」でのワールドプレミア上映には、韓国を代表する鬼才映画監督キム・ギドクや、映画プロデューサーのアン・ドンギュなど韓国映画関係者が来場し本作を絶賛した。主演を務めるのは、芸人や俳優など様々な顔を持つ板尾さん。映画監督としても2本の作品を残し注目される彼が、今回は全てを失い自暴自棄になっている映画監督の男・古谷演じる。古谷を惑わすヒロイン・結花には、これまではBOMI名義でミュージシャンとして活動しており、本作が本格的な映画デビュー作となる芦那すみれ。もうひとりのヒロイン・安里には、大河ドラマ「真田丸」の出演など、注目の若手女優・岡村いずみ。2人とも本作で初めて濡れ場に挑戦し、美しく官能的なラブシーンを披露している。そして、本作の見どころの一つとなっているのが、古谷が<1週間>、ヒロイン2人を始め、田山由起、田嶋真弓、木嶋のりこ、西野翔らが演じる様々な年齢層の女性たちと官能的に乱れる姿。さらに、ロマンポルノを代表する女優・風祭ゆきもカメオ出演している。このほど初解禁された予告編には、古谷が女たちの肌のぬくもりに助けられながら、失った何かを探し求める姿が描かれており、古谷をとりまく女たちとの官能的なシーンを想起させる映像がちりばめられている。本作は、中央線沿線が舞台になっており、ロマンポルノにも深い関わりがある映画監督の実話エピソードにもインスパイアされているそう。終盤に放たれる「感じるんだ」というセリフには、不感症で不寛容な時代へ一石投じるものになっている。なお、豪華監督陣による完全オリジナルの新作ロマンポルノを、「新作製作 powered by BSスカパー!」として製作開始。新作公開に併せ「BSスカパー!」にて、各作品の劇場公開同日の深夜0時より【R15+版】で放映される。『ジムノペディに乱れる』は11月26日(土)より新宿武蔵野館ほか全国にて順次公開。(cinemacafe.net)
2016年10月18日ライブ配信サービス「LINE LIVE」にて、9月12日(月)今夜、「岩井俊二監督、行定勲監督をゲストに重大発表!?」のタイトルで特別番組が生配信されることが決定した。10月25日(火)より10日間にわたって開催される「第29回東京国際映画祭」のLINE LIVE初回配信となる本番組。『世界の中心で愛をさけぶ』『ピンクとグレー』などを手掛ける行定勲監督と、『花とアリス』や今年3月公開された『リップヴァンウィンクルの花嫁』の岩井俊二監督をゲストに迎える今回は、「第29回東京国際映画祭」に関する重大発表を行うという。気になる重大発表の中には、過去に季葉、岡本あずさ、山崎紘菜などフレッシュな顔ぶれが抜擢され映画祭を盛り上げた「東京国際映画祭ナビゲーター」が発表されるほか、行定監督も参加するアジアの気鋭監督3名が、ひとつのテーマのもとにオムニバス映画を隔年で共同製作するプロジェクト「アジア三面鏡」の新たな情報や、東京国際映画祭の大きな2本映画特集のひとつ「JAPAN NOW」部門にて、岩井監督の作品を改めてふり返る企画「岩井俊二監督特集」の新たな情報が発表されるようだ。「東京国際映画祭SP企画 岩井監督&行定監督登場で重大発表!?」は9月12日(月)20時~LINELIVEにて配信。(cinemacafe.net)
2016年09月12日アニメーション監督の高畑勲氏が9月1日(木)、都内で行われたスタジオジブリ最新作『レッドタートル ある島の物語』の完成披露試写会に、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督、プロデューサーの鈴木敏夫氏とともに出席した。ジブリにとって初の海外共同製作作品である本作で、アーティスティック・プロデューサーを務めた高畑氏。およそ10年前にジブリ側から長編製作のオファーを受けたヴィット監督が、「尊敬する高畑勲監督から長編映画の制作全般について助言を受けること」を条件に快諾したことがきっかけだ。実際に制作中には、高畑監督が参加し、シナリオ、絵コンテ作りから効果音や音楽に至るまで何度も打ち合わせを重ねて、8年もの歳月をかけて完成させた。挨拶に立った高畑氏は、「こんな立派な役職…。それほどの役割は果たしていませんし」とアーティスティック・プロデューサーという肩書に少々居心地が悪い様子。それでも「初めての経験で、面白さもあった。あくまでマイケル監督の考えを尊重すべきだと思ったし、(結果的に)優れた作品ができて安心している」と本作に太鼓判を押した。そんな高畑氏の言葉に、ヴィット監督は「私自身も、この映画を誇りに思っている」と感無量の面持ち。「現場は主にフランスやベルギーのスタッフでしたが、思いは常に高畑さんや鈴木さんにあった。初めての長編で多くのことを学びましたし、ジブリの皆さんがインスピレーションの源だった」と感謝を伝えた。企画の発端となった鈴木氏は、「あれから10年。こんな大ごとになるなんて」と時の流れをしみじみふり返っていた。『レッドタートル ある島の物語』は、9月17日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年09月01日七月隆文の人気小説を福士蒼汰と小松菜奈の共演で実写映画化する『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』に東出昌大が出演することが発表になった。福士演じる主人公と同じ大学に通う親友の上山正一役を演じる東出は「上山はなかなか演じたことのないおちゃらけた役だったので自分自身も新鮮でした」とコメントを寄せた。その他の写真本作は、2014年8月に文庫書き下ろしで刊行されて以来、WEBサイト“読書メーター”の恋愛小説のおすすめランキングで、1位(8月4日付け)に輝いている100万部突破の人気小説が原作。『僕等がいた前後篇』『ホットロード』『アオハライド』の三木孝浩監督と脚本の吉田智子がタッグを組み、切ない運命を背負った20歳のカップルのかけがえのない一瞬一瞬をみずみずしく描き出す。『アオハライド』に出演した東出は、「三木監督はもちろん、プロデューサーやスタッフの皆さんとまた一緒に仕事が出来ることが本当に嬉しかったです」といい、「福士くんとは親友の役なので、撮影初日からタメ口で話そうと決めたり、ご飯に行ったり、撮影現場も和気あいあいとした雰囲気でとても楽しく撮影できました」と明かした。物語は、美大生の南山高寿(福士蒼汰)が、電車の中で福寿愛美(小松菜奈)に一目惚れするところからはじまる。ふたりは意気投合し付き合いだすが、高寿はある日、愛美から想像もできなかった大きな秘密を明かされる。正一(東出)は高寿にアドバイスをし、恋に臆病な彼の背中を押す親友として登場する。『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』12月全国東宝系にて公開
2016年08月04日嵐・松本潤が、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)や『ピンクとグレー』(16年)の行定勲監督の最新作『ナラタージュ』(2017年秋公開)で主演を務めることが12日、明らかになった。松本と映画初共演となる女優・有村架純が、ヒロインを務める。原作は、島本理生氏が20歳の若さで、狂おしいほど純粋に禁断の恋に落ちる2人の関係について執筆した同名の恋愛小説。映画や演劇において人物の語りや回想によって過去を再現する手法・"ナラタージュ"をタイトルに冠している通り、ヒロインの回想によって構築された同作は、スキャンダラスな内容ながらその文芸的評価も高く、第18回山本周五郎賞候補となり、宝島社が選ぶ2006年版「この恋愛小説がすごい!」で首位を獲得した。そんな原作発売から11年。原作に出会ってから長年にわたり映画化を熱望し、企画と構想を温めてきた、行定監督がメガホンを取って映画化が実現する。高校教師と生徒として出会った2人が、時がたち再会した後、決して許されない、しかし、一生に1度しか巡り会えない究極の恋に落ちる。その2人の思いが放つ光と、思いあうほどに濃くなる純愛の陰影を描き出す。松本が演じるのは、許されない恋に悩みながらも思いにあらがえない高校教師・葉山貴司。一方、有村は葉山に身も心もさらけ出しながら全てをささげても良いと思える恋に落ちる20歳の女子大生・工藤泉役を務める。なお2人が行定監督とタッグを組むのは、今回が初となる。「行定監督がこの映画で描きたいとおっしゃったテーマに強く共鳴」したという松本。「恋愛というのは、感じ方や受け取り方が人それぞれ違うモノ」とした上で、「でも人の心が人の心を動かす瞬間は誰もが共感してもらえるモノだと信じています」と力強く口にし「有村さんと一緒に、清らかであるのと同じ程、苦しい心模様を表現していきたい」と意気込みを述べる。有村は「新しい環境での撮影に『刺激的な夏になる』と感じております」とフレッシュな表情を見せ、本作を「普遍的な愛を描いていきます」と説明。「大人とか子供とか関係なく1人の女性として1人の男性に愛を注いでいくのですがそのとても繊細な恋愛模様を大切に大切に演じていきたい」と補足しつつ、演技のポイントを明かしている。また、行定監督は「恋することがこんなにつらいのならしなければよかったと思えるような、恋愛映画の金字塔を目指してスタッフ・キャスト一丸となって挑みたい」とアピール。島本氏は、原作について「思春期の恋愛の全てを書いた」と述懐し、「青春は決して明るいものではなく、むしろ孤独な季節だからこそ、主人公たちは恋をせずにはいられなかったのだと思います。刊行から十数年たった今、行定監督の手によって、最高のメンバーで映画化するとの知らせを受けて、大変興奮しています」と歓喜の声をあげた。
2016年07月14日アーティストの平山昌尚による個展「ゲーム|Game」が、7月16日から8月14日まで東京・目白にあるタリオンギャラリー(TALION GALLERY)にて開催される。平山昌尚は、黒ペンと紙などありふれた道具を用いて、寓意とセンチメント、記号的なおかしみと仕掛けに満ちたドローイング作品を継続的に制作しているアーティスト。国内外で展覧会を開催しており、アートブックも多数出版している。同展ではトランプ、なぞなぞ、すごろく、迷路など、ゲームとして一般的に親しまれているものや、カラスのゴミ漁り、エイプリルフールに付く嘘など、日常のささいな場面や出来事からインスピレーションを得て制作された作品の数々を展示。ユーモアと無意味さ、ルールや拡張性をテーマに、アクリル絵具も用いて描かれた新作のドローイングと立体作品が登場する予定だ。【イベント情報】「ゲーム|Game」会場:タリオンギャラリー住所:東京都豊島区目白2-2-1地下1階会期:7月16日~8月14日時間:11:00~19:00定休日:月・火曜日、祝日
2016年06月26日女優の杏(30)が、俳優の東出昌大(28)との間に第1、2子となる双子の女児を出産したことが16日、わかった。東出の所属事務所を通じて発表した。2人は連名でコメントを発表。「先日、無事に双子の女児が誕生いたしました」と報告し、「予定より少し早い出産でしたが、今は母子共に健康です」と伝えた。そして、「今後は親として恥ずかしい行いをせずに、立派な子に育て上げたいと考えておりますが、気づかぬ点や至らぬ点も多くあると思います」とし、「今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」とつづった。杏と東出は、2013年9月から2014年3月にかけて放送されたNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』で夫婦役を演じ、交際に発展。2015年1月1日に結婚した。
2016年05月16日人気漫画家・福満しげゆきの代表作を実写映画化した『ヒーローマニア-生活-』の初日舞台あいさつが5月7日に、都内で行われ、東出昌大、窪田正孝、小松菜奈、船越英一郎、片岡鶴太郎、豊島圭介監督、山崎静代(南海キャンディーズ)が登壇した。初日舞台あいさつ/その他の写真うだつの上がらないフリーター(東出)が、驚きの身体能力を誇るニート(窪田)、情報収集力が抜群の女子高生(小松)、夜な夜なカナヅチで悪を退治するサラリーマン(片岡)という個性豊かな面々と意気投合し、街にあふれる小さな悪を成敗する自警団を結成。やがて、街の“ヒーロー”になるが事態は思わぬ方向に…。本作でコメディ演技に初挑戦した東出は、「現場は和気あいあいとした雰囲気。ずっと楽しかったので、振り切る演技ができた」と手応えたっぷり。豊島監督とは2度目のタッグで「僕らは監督が大好きなので、モニター越しにニヤニヤした表情を見ると、喜んでもらえたと思えて、こっちまでうれしくなる」と強い信頼感を示した。同じく従来のイメージを役柄に取り組んだ小松は「皆さんマイペース。自由な雰囲気で、変に緊張せず伸び伸びできた」と満足げ。「笑えて泣けて、スカッとするエンターテインメント作品になった」とアピールした。また、窪田はベテラン俳優の船越から「ゴキブリを見て逃げ出した」と暴露され、当時の恐怖を思い出したのか、「皆さんは普通に弁当を食べていて・・・。黒い何かがゴソゴソしているのに、よく食べれるなあと・・・」と苦笑いをしていた。『ヒーローマニア-生活-』公開中取材・文・写真:内田 涼
2016年05月07日福満しげゆきの人気マンガを、東出昌大、窪田正孝、小松菜奈、片岡鶴太郎らで実写映画化する『ヒーローマニア-生活-』の特別映像が公開になった。ヘタレな主人公・中津に焦点を当てた内容で、オファーを受けた東出は撮影前に、ヘタレに見えるように走り方などを研究したという。『ヒーローマニア』/特別映像映画は、うだつの上がらない中津が、謎の身体能力を誇る土志田(窪田)、情報収集力が抜群の高校生カオリ(小松)、昼はサラリーマンで、夜は“若者殴り魔”として活動している日下(片岡)に出会い、町を守る自警団を結成する。街にはびこる小さな悪を見つけ、懲らしめていく彼らの活動はやがて実を結び、自警団は、警備サービス会社“ともしび総合警備保障”という大きな組織になるが、新しいメンバーの中に、その力を私欲の為に使う者が現れ、秩序は徐々に崩れていく。特別映像は、会社をリストラされコンビニでバイトをはじめた中津が、バットを振りかざして悪を退治する姿や、自警団として土志田、カオリ、日下と悪に立ち向かうシーンが登場する。他の3人と違って、目立った能力のないチームリーダーの中津役について東出は、「こういう役に挑戦できるんだって思えて純粋にうれしかった」とコメントをしており、メガホンを執った豊島圭介監督は「誰も知らない東出くんのキャラをどうしても撮りたかった」とこだわりを明かしている。『ヒーローマニア-生活-』5月7日(土)全国ロードショー
2016年04月22日人気漫画家・福満しげゆきの代表作を実写映画化した『ヒーローマニア-生活-』の完成ヒーロー(披露)上映会が4月20日に、東京・新宿バルト9で行われ、東出昌大、窪田正孝、小松菜奈、船越英一郎、片岡鶴太郎、豊島圭介監督が登壇。配給を手がける東映の“ヒーロー”である仮面ライダーのサプライズ登場もあり、東出は「スゴっ!」と興奮しきりだった。完成ヒーロー上映会その他の写真うだつの上がらないフリーター(東出)が、驚きの身体能力を誇るニート(窪田)、情報収集力が抜群の女子高生(小松)、夜な夜なカナヅチで悪を退治するサラリーマン(片岡)という個性豊かな面々と意気投合し、街にあふれる小さな悪を成敗する自警団を結成。やがて、街の“ヒーロー”になるが…。本作で初のコメディ演技に挑んだ東出は、「緊張感はありつつ、誰一人怒ったり、怒鳴ったりしていない現場。楽しい雰囲気が、作品にも出ていると思う」と振り返り、「窪田くんはアイスの差し入れに『ウェ~イ』と喜んでいたし、菜奈ちゃんはダジャレを言わせたら天才的」と共演者の意外な素顔を披露。窪田は「登場人物はみんなマニアックで変態ですが(笑)、遊び心もありエンターテインメントがたっぷりな作品」と見どころをアピールした。原作との出会いから約5年の構想期間を経て、映画化にこじつけた豊島監督は、「当初はこんな素晴らしいキャストで映画化できるなんて思ってもいなかった。あえてバランスは考えず、好きなものを詰め込んだ作品なので、いろんな角度で楽しんでもらえれば。キャストの皆さんのイメージとは違う面を描くことを念頭に置いた」と話した。『ヒーローマニア-生活-』5月7日(土)全国ロードショー取材・文・写真:内田 涼
2016年04月20日日本国内のみならず、世界から注目を集める「デスノート」シリーズの正当な続編とされる最新作『デスノート 2016』。この度、主演を務める東出昌大が写る場面写真が解禁された。キラこと夜神月(ライト)とLの死から10年。再び死神が地上にデスノートをばらまき世界中が大混乱に陥っていた。夜神総一郎が立ち上げた「デスノート対策本部」は存続していた。すでに亡くなった夜神総一郎の跡を継ぐべく、キラ事件に精通した三島を筆頭に、唯一10年前のキラ事件を経験した松田ほか5人の対策特別チームの捜査官たちを中心に警視庁内に本部を構えていたのだ。ロシア、ウォール街そして渋谷でのデスノートによる大量殺人が行われる中、世界的私立探偵にして、“Lの正統な後継者”竜崎が加わり事件解明に当たり、地上には「6冊のデスノート」が存在する事が判明。その矢先にキラウィルスと呼ばれるコンピューターウィルスが世界中に拡散された。そのメッセージとは「他の所有者に次ぐ。速やかに私に差し出せ」とデスノートの提出を呼びかけだった――。原作は、「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて読み切りから始まった伝説的コミック「デスノート」で、日本国内累計発行部数3,000万部を誇る大ヒットカリスマコミック。『DEATH NOTE』『DEATH NOTE the Last name』と実写化がされ、メガヒットを記録。また、海外からの注目も高く、スピンオフ作『L change the World』を合わせると35の国際映画祭に招かれ、60以上の国と地域で公開され、3作の日本国内興行収入は100億円を超え、名実共にいまもなお人気を博している。そして伝説となった本映画シリーズ誕生から10年目となる年に、正統な続編として完全新作映画となったのが本作だ。今回の舞台となるのは、デスノートを駆使して世の中に野放しになっていた凶悪犯を次々と死に追いやったキラこと夜神月(藤原竜也)と、命をかけてキラを食い止めたL(松山ケンイチ)との天才同士の対決から10年を経た世界。デスノートを追う男・三島創役の東出さんをはじめ、デスノートを封じる男・竜崎役の池松壮亮、デスノートを制する男に菅田将暉、世界中に散らばった“デスノート”6冊のうち、1冊を手にする青井さくら役に川栄李奈が出演。さらに前作でも出演している“ミサミサ”こと弥海砂役に戸田恵梨香が続投している。そして今回解禁されたのは、スーツ姿の主人公・三島が写し出されている2枚。視線の先には一体何があるのだろうか…と、物語の想像膨らませる場面写真となっている。三島は、月の父・夜神総一郎により警視庁内に立ち上げられたデスノート対策本部特別チームの捜査官の一人で、10年前に起きたキラ事件と総一郎の資料から夜神月について徹底的に調べあげ、“研究ノート”を作成。対策本部一、“デスノートヲタク”と呼ばれるほど「事件とルール」に精通しているという人物。また、「デスノートに名前を書かれた人間は死ぬ。その人物の顔が頭に入っていないと効果は得られない」というデスノートのルールに対する最大の防御策として、デスノート対策本部のメンバーは、三島をはじめなんと全員が“偽名”。お互いの本名も知らされてないという。さらに本名や過去の経歴を知られないように、家族のいない人間が選抜されているということが今回判明した。新たなキャストが続々と発表される中、「ベルリン国際映画祭」のEuropean Film Marketでも世界中が注目していることを実証してきた本作。今後の続報にも期待ができそうだ。『デスノート 2016』は10月29日(土)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国にて公開。(cinemacafe.net)
2016年03月24日