12月9日に58歳の誕生日をお迎えになられた雅子さま。この日、公開された写真では、宮城県のこけしや宮崎県の神楽面など、今年の地方ご公務でオンライン訪問された各県の伝統工芸品について天皇陛下とお話しになっていた。同日、ご感想を文書で発表した雅子さまは冒頭にこう綴られたーー。「今月初めには娘の愛子が成年を迎え、多くの方々から温かい祝福を頂きましたことに心から御礼を申し上げます」「愛子が生まれてからの20年間は長かったようにも、あっという間だったようにも感じられますが、様々な思い出が思い起こされて感慨深く思います」その20年を振り返ると、雅子さまは愛子さまが2歳のお誕生日をお迎えになった直後に体調を崩し、長期ご療養に入られている。さらに、愛子さまが小学校への登校不安を覚えると通学の付き添いを続けられるなど、苦しい時期も過ごされた。それだけに、12月5日、美しいドレス姿をお見せの愛子さまに、胸にこみ上げるものがおありだっただろう。最近の雅子さまにはお疲れがあり、愛子さまの成年祝賀行事の一部を休まれたが、9日の誕生日には明るい笑顔を見せられていた。
2021年12月18日《今月初めには娘の愛子が成年を迎え、多くの方々から温かい祝福を頂きましたことに心から御礼を申し上げます》12月9日に58歳の誕生日を迎えられた雅子さま。ご感想のなかでは、ご成年を迎えた愛子さまのご成長についても感慨深げに綴られていた。愛子さまの誕生日の前日となる11月30日、政府は皇位継承問題に関する有識者会議を4カ月ぶりに再開させた。年内にも報告書を取りまとめて政府に提出するというが、軸となるのは女性皇族が結婚後も皇室にとどまれるようにすることと、旧宮家の男系男子を皇室の養子にできるようにすることだという。一方で、女性天皇や女系天皇に関する議論は先送りとなった。近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは「これでは皇位継承者の確保につながらない」と警鐘を鳴らす。「結局、皇位継承者の確保については、悠仁親王のお妃が男子のお子さまを産むことが、唯一の希望という状況は変わりません。悠仁さまの次の代に男子が期待できない場合、旧宮家の男子の皇位継承が取り沙汰されることになります。しかし戦後の象徴天皇制は、皇室と国民の相互の信頼と結びつきによって成り立ってきました。愛子さまよりずっと血縁の遠い旧宮家の男子にそれが期待できるでしょうか。象徴天皇制の根幹が揺らぐ事態です」さらに、愛子さまの人生設計がたてづらくなるという点にも、小田部さんは懸念を表明する。「眞子さんの結婚は国民の賛否を呼びました。愛子さまにも少なからず影響があるでしょう。しかも皇室に残られるとなると、結婚のハードルはさらに高くなります。そのうえ天皇になる可能性が閉ざされているのに、一市民になることも難しいとなれば、眞子さんが感じていた以上の“不自由感”や、将来への閉塞感を抱き続けることになりかねません」実は、雅子さまは誕生日の直前、体調不良に見舞われていた。「12月1日の愛子さまご成年の祝賀行事を、雅子さまは欠席されています。また、誕生日写真の撮影も、2回にわたって延期されていたのです」(皇室担当記者)そんな体調不良のなか、長文のご感想をしたためられた雅子さまだが《働く女性の自殺が約3割増加し、小中高生の自殺も過去最多となり、昨年の自殺者数は11年ぶりに増加に転じたとも報じられています》と、自殺者数の増加について詳しく述べられている。そして、コロナ禍で《人と人とが触れ合うことが難しく、孤独を感じやすい今だからこその問題》とし、次のように切実なメッセージを記されている。《人が自らの命を絶つといった悲しく痛ましい出来事ができる限り起こらないよう、周りの人に相談したり、身近な支援窓口に足を運ぶことが容易にできるよう、これまで以上に皆でお互いを気遣い、支え合っていける社会となっていくことを願っています》この言葉について宮内庁関係者は、雅子さまのご胸中をおもんぱかる。「愛子さまも、学校に行けない時期が何度かあり、つらい思いをされてきました。眞子さんは皇族としての不自由さを感じていたといいますが、愛子さまもご自身のお立場に戸惑い、悩まれてきました。立派に成長されたといっても、皇位継承問題などで今後も困難が待ち受けていることに変わりはありません。雅子さまも、このままでは“愛子さまの未来が閉ざされてしまう”という思いも抱かれていることでしょう。愛子さまが“天皇の娘”であることに苦しまず、自信を持って生きられるように――。雅子さまは母親として、皇后として、愛子さまの心を守るという決意を込められたのかもしれません」華やかな祝賀行事の陰で雅子さまが母として抱えられる苦悩に、国民も目をそらしてはならないだろう。
2021年12月14日寒い季節に恋しくなるのが、温泉宿。来年1月下旬に再開される予定のGo To トラベルを使って、雅子さまも休まれた格式高い宿で優雅な時間を過ごしてみては?題して、「雅子さまが癒された憧れの温泉宿9軒」。至極のおもてなしがそこにありますーー。■佐賀県・嬉野温泉「和多屋別荘」心ゆくまで四季を愛で移りゆく季節を感じられる日本庭園や、伝統的な数寄屋造りの和室、黒川紀章氏設計のタワー棟など、嬉野川が中央を流れる2万坪の広大な敷地にアートな空間が広がる。雅子さまは最上階のロイヤルスイートにお泊りになった。(’20年1月に改装済み)昭和天皇がお泊りになった格天井総檜造りの特別貴賓室「洗心」は、雅子さまもご覧になられたそう。日本料理の食事処「利休」では、うれしの茶と日本酒の口福のペアリングが楽しめる。住所:佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙738電話:0954-42-0210料金:1泊2食付き1人2万900円〜。■石川県・和倉温泉「加賀屋」地下の花崗岩に含まれる水晶をくぐり抜けた透明なナトリウム・カルシウム塩化物泉が、開湯以来1200年湧き続ける和倉温泉で、創業100年余となる老舗旅館。工芸品やお土産店が並ぶ「錦大路」やスパなど館内施設も充実している。最上階の迎賓室「天游」は伝統工芸や美術の粋を集めた調度も魅力。また、お食事では冬のカニや寒ブリなど、海鮮が豊富なのも能登の魅力のひとつ。住所:石川県七尾市和倉町ヨ部80電話:0767-62-1111料金:1泊2食付き1人5万5,000円〜。■鳥取県・三朝温泉「依山楼岩崎」日本一のラジウム温泉として知られる三朝温泉の老舗旅館。両陛下は愛子さまがお生まれになった翌年のご宿泊だったが、創業から101年の間には昭和天皇・香淳皇后、上皇ご夫妻、そして佳子さまも宿泊されている。総面積134.33平方メートルの露天風呂付き貴賓室「桜川」は1人1泊7万7,000円〜。境港からの新鮮な魚、ズワイガニや鳥取黒毛和牛などの特産品も。住所:鳥取県東伯郡三朝町三朝365-1電話:0858-43-0111料金:1泊2食付き1人1万8,700円〜。■山口県・はぎ温泉「萩城三の丸 北門屋敷」世界遺産の萩の城下町にある旅館。ご宿泊当日はひどい雨の日で、貴賓室の庭園ではカエルが鳴いており、雅子さまは「(自分たちが)会話を始めると鳴きやみ、会話が止まるとまた一斉に鳴きだす」と驚かれていたという。両陛下宿泊時のお品書きには、テナガエビ、オコゼ、アマダイなど、海の幸に恵まれている山口県の食材がふんだんに盛り込まれ、窯元で焼いた専用の器も用意された。住所:山口県萩市堀内210電話:0838-22-7521料金:1泊2食付き1人2万2,000円〜。■長野県・斑尾高原温泉「斑尾高原ホテル」夏は避暑地、冬はスキー場としてにぎわう斑尾高原で天然温泉を楽しめるホテル。’01年、両陛下が訪問された際には作家の田中康夫氏が知事としてホテルで面会した。両陛下はゲレンデの見える部屋で過ごされた。敷地内に湧く温泉は刺激が少ない高アルカリ性。肌がすべすべする感触で女性におすすめ。お食事では、地元・信州の新鮮な食材とともに、近くの新潟県の郷土料理や魚介類も取り入れている。住所:長野県飯山市斑尾高原11492-321電話:0269-64-3311料金:1泊2食付き1人1万1,300円〜。■岐阜県・長良川温泉「岐阜グランドホテル」「にっぽんの温泉100選」に選ばれた長良川温泉を味わえるワンランク上のリゾートホテル。川側の部屋からはハイキングも楽しめる金華山や鵜飼で知られる清流・長良川といった大自然を、街側の部屋からは岐阜市街を一望できる。木のぬくもりが感じられる、ロイヤルスイートの応接室。美濃・飛騨の風味豊かな「ヘルシー美濃薬膳」は体にも優しい。住所:岐阜県岐阜市長良648電話:058-233-1111料金:1泊2食付き1人1万6,940円〜。■秋田県・大湯温泉「ホテル鹿角」開湯800年の歴史を誇る大湯温泉を堪能できるホテル。十和田八幡平国立公園や奥入瀬渓流、世界遺産の白神山地の中心に位置し、観光にも便利。比内地鶏のきりたんぽ鍋など、秋田の郷土料理も自慢のひとつ。約130平方メートルの贅沢な空間でくつろげるロイヤルスイートは夫婦・カップル限定プランも。住所:秋田県鹿角市十和田大湯字中谷地5-1電話:0186-30-4111料金:1泊2食付き1人1万6,500円〜。■愛媛県・道後温泉「ふなや」日本三古湯のひとつ、道後温泉で江戸時代から続く創業390年以上の旅館。両陛下は’99年のしまなみ海道全線開通の際にご宿泊。皇室の方々のみならず、正岡子規、夏目漱石、種田山頭火など多くの文人たちにも愛されてきた。京都数寄屋大工の匠が手がけたリビングのロイヤルスイートは1泊7万7,000円〜。住所:愛媛県松山市道後湯之町1-33電話:089-947-0278料金:1泊2食付き1人2万3,100円〜。■福島県・奥飯坂穴原温泉「吉川屋」両陛下は’95年、’98年にご宿泊。「’95年はさわやかな新妻という印象でしたが、2度目のときは皇太子妃殿下らしいオーラを強く感じました」とおかみさんは語る。東日本大震災後、上皇ご夫妻が風評被害に苦しむ地元の農家たちと吉川屋で交流されたことも話題となった。貴賓室、露天風呂から眺める片倉山と摺上川の大渓谷は美しい。冬季は雪景色が広がる。会席では、黒毛和牛をはじめ、福島県と東北各地の四季折々の特産品を使った日本料理が並ぶ。住所:福島県福島市飯坂町湯野字新湯6電話:024-542-2226料金:1泊2食付き1人2万円〜。※お出かけの際は、最新の新型コロナウイルス感染状況をご確認ください。また、現地では自治体などの指示に従い感染防止対策を行うようお願いいたします。各宿の料金は、2人利用時の金額です。
2021年12月11日12月9日、58歳の誕生日を迎えられた雅子さま。93年、外務省を退職され天皇陛下と結婚された雅子さまには、国際親善を期待する声も多かった。その期待を一身に背負われて臨まれたのが、94年・95年と2回に分けて行われた中東7カ国へのご訪問だった。結婚後初めての海外ご公務での、色鮮やかなドレス姿を振り返るーー。【94年サウジアラビア・ヤマーマ宮殿】裾にフリルを重ねた、エレガントなサファイアブルーのドレス。肩を膨らませたスリーブが特徴的。中東の風習に考慮し、首回りを詰め、袖も長くされ、肌の露出を抑えられている。【94年カタール・ハマド宮殿】ルビーレッドのシルクのドレス。胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が華やか。バッグと靴は金と銀で統一、ゴージャスさを演出されていた。【94年カタール・ラヤーン宮殿】雅子さまの誕生石でもある、ターコイズの色合いのドレス。胸元と袖口に、天から差し込む光のようなビジューが入れられている。【95年クウェート・バヤーン宮殿】和服の裏地に使われる、紅絹(もみ)色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージしたコーディネートに。【95年アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館】女性らしいベビーピンクのドレスでアラブ首長国連邦皇太子とご歓談。裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが美しい。アシンメトリーは雅子さまのドレスの定番デザイン。【95年ヨルダン・ナドワ宮殿】イスラム圏の女性の衣装・アバヤを感じさせるような、上質なシルクの布を右肩から裾にかけて用いられている。左上半身には花をあしらったレース素材でとてもエレガントな一面をお見せに。皇后となられてからも、天皇陛下の即位を祝う「饗宴の儀」では186カ国の賓客をもてなされた雅子さま。令和初の海外ご訪問は、イギリスで予定されているが、新型コロナウイルスの影響で延期となっている。再び、“皇室外交”の場での華やかなお姿を拝見したい。
2021年12月09日10月3日、引っ越されたばかりの御所の大広間の一角に式典用のお席を作り、リモートで「全国豊かな海づくり大会」に参加された天皇皇后両陛下。雅子さまのブルーのスーツは陛下のネクタイとおそろいの海の色。港町、宮城県石巻市で開催の式典を意識されてと思われたが、テーブルの上に飾られた宮城のゆるキャラ「むすび丸」の色にも合わせる心配りもお見せだった。式典後、両陛下は石巻市の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」をオンラインで視察され、被災者とご懇談。雅子さまは東日本大震災ののち、自ら営む水産加工会社に保育園を併設した同世代の女性に「いい取り組みをなさっていますね」と優しく話しかけられた。本来なら、震災から10年を迎えた被災地にお出かけになりたかったと思われるが、両陛下は画面越しであっても心を込めて被災者の話をお聴きになっていた。
2021年10月18日天皇ご一家の夏の恒例行事だったのが、那須高原や伊豆・須崎でのご静養。そこで注目を集める雅子さまのファッションには、実は年々変化が。ファッションライターの味澤彩子さんにお話を伺いました――。■夏のご静養スタイルを振り返り【’93年】那須塩原駅ご成婚されて間もなくの那須ご静養でのお姿。シーンを選ばないシックなジャケットスタイルに、大きめ襟のブラウスでフレッシュなアクセントをつけて。【’97年】伊豆急下田駅近年は寒色系のスタイルが多いが、’97年は珍しいピンクのジャケットスタイルも。定番の白ボトムスも、華やかな印象の強い光沢感のあるタイトスカートで。【’03年】那須町共同利用模範牧場スマートなシャツスタイルでありながら、リラックス感のあるオーバーサイズを選び、バレエシューズを合わせることで動きやすさと品格のあるスタイルを両立。【’12年】伊豆急下田駅毎年、ご静養時に白ボトムスを素敵に着こなされている雅子さま。白パンツはトレンドに応じて変化が見られ、’12年はセンタープレスのややフレアなシルエットを。【’19年】那須塩原駅最近多く見られる水色×白のスタイル。爽やかで夏らしい配色には、モノトーンのバイカラーのバッグと靴でメリハリを。お召し物がシンプルなぶん、ジュエリーは華やかに。■長くご愛用の名品ブランドバッグ【’02年】Salvatore Ferragamo’90年代から愛用されているバイカラーのバッグは、バイカラーのパンプスと合わせることが多い。【’10年】FENDI繊細な刺しゅうがエレガントなバケット。ハンサムなジャケットに合わせ、甘辛ミックススタイルに。【’13年】DIOR艶やかなパテント素材が目を引くバッグは、皇族とゆかりの深いディオールのマリスパール。■ファッションライター・味澤彩子さんがポイント解説新婚当初、’90年代の雅子さまは、ご静養に向かう道中ながら表情にもどこか緊張が感じられ、リラックスというよりは、特別感のある華やかなファッションが印象的でした。しかし、愛子さまのご誕生と共に、エレガントなだけでなく動きやすさも両立したスタイルに。愛子さまが成長されるにしたがって、リラックス感のあるナチュラルな素材、ハンサムで凜としたジャケットスタイルが多く見られるようになりました。洗練されたシンプルなコーディネートを、さらっと着こなすお姿には皇后としての風格が感じられます。ご公務とは違い、素顔の雅子さまらしさが垣間見えるご静養時のファッション。コロナ禍の今は困難ですが、また駅頭で交流される日が待たれます。
2021年08月12日7月4日、元東宮大夫で宮内庁御用掛も務めた野村一成氏がなくなった。81歳だった。外務省出身で、雅子さまの父・小和田恒氏の部下だったこともある野村氏は、’06年4月に東宮大夫に就任。’11年7月まで6年にわたり、皇太子ご一家の側近トップの職を務めた。この時期は雅子さまが適応障害で療養されており、公務に出席できない日々が続いていた。’06年8月には雅子さまのご静養のためのオランダ訪問を実現させるなど、雅子さまにとって野村氏はもっとも苦しい時期を支えた“恩人”といってもいい存在だ。実は、野村氏が東宮侍従を務めていた時期に、五輪への“皇室利用”が問題になったことがあった。東京が’16年の夏季五輪に立候補した際には、当時の石原慎太郎都知事が、皇太子だった天皇陛下を「招致の『旗頭』に」と協力を要請したのだ。石原氏は天皇陛下と雅子さまに五輪招致組織の名誉総裁を要請する考えもあったという。しかし宮内庁の野村一成東宮大夫(当時)は「招致活動の段階から関わることは難しい」「招致活動には政治的な要素が強いこともあるし、すでに決まった式典に出席されるのとは違う話だ」と、この要請を拒否した。すると石原氏は猛反発し「宮内庁ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるんじゃない」と激しく批判するという騒動になった。最側近である東宮大夫として矢面に立ち、天皇陛下と雅子さまを守った野村氏。両陛下は侍従を通じて弔意を伝えたという。
2021年07月15日東京オリンピックの開催まで1カ月を切った6月28日、上野で開催された日本芸術院賞の授賞式に出席された雅子さま。地紋のある素材でジャケットの裾をアシンメトリーにした新しいスーツは、前を着物の合わせのようにした和を感じるデザインだった。授賞式はコロナ禍の影響で昨年は中止されたため2年ぶりの開催となり、歌舞伎役者の松本幸四郎さんや日本画家の千住博さんら芸術の分野で業績のあった受賞者11人が出席。式後に行われた恩賜賞受賞者4人との懇談では、天皇陛下と雅子さまは作品についての説明を熱心にお聞きになっていた。お帰りの際、日本芸術院会館前に集まった人々からの歓声は自粛されたが、雅子さまは優しい笑顔をお見せになり、不安な日々を過ごす国民を励ますように手を振られていた。
2021年07月12日ご公務にはフォーマルな装いで臨まれる皇族方が、なかなかお見せにならない私服姿。今回は雅子さまと紀子さまの、若かりしころのファッションをプレイバック――。ジョルジュ・レッシュのスーツで海外にお出かけになる、ご婚約以前の雅子さま。ポケットチーフとストライプのインナーは紺と白で色を統一されている、上品なスタイルだ。一方、ご婚約時代の紀子さまは、白、赤、紺のトリコロールの色使いや金ボタンを使った深いVネックのカーディガンで当時のお嬢様スタイルを取り入れている。皇室の装いにも詳しいファッション評論家の石原裕子さんは、「空港での雅子さまはいかにも外務省で働く女性という感じで、多くの女性の憧れとなったお姿です。独身時代からとても品のある装いをされています。紀子さまのコーディネートは、偶然にも全てトリコロールカラーのお洋服になっています。学生時代の流行も偲ばれます」雅子さまと紀子さまのファッションは、プリンセスたちのお手本になっていることだろう――。
2021年06月17日6月9日は、天皇陛下と雅子さまのご成婚記念日。28年前、93年の6月9日に行われた祝賀パレードでは、雅子さまの美しいドレス姿と笑顔に、日本中が大いに沸き立った。パレードでは、沿道に手を振られながら時折言葉を交わされていた両陛下。はにかみながら会話をされるお二人の姿にも、国民は大きく心を動かされた。18年にご成婚25周年を迎えられた際には、夫婦円満のために心がけてこられたこととして天皇陛下はこう述べられていた。「相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること、そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、『笑い』を生活の中で忘れないように、ということだと思います」その姿勢は、新婚時代から変わらない。今こそ両陛下がご結婚された93年の、初々しいお姿を振り返りたい。【93年6月9日祝賀パレード】出発直前まで降り続いていた雨がぴたりとやみ、日差しが差し込むなか両陛下は沿道に集まった19万人の歓声にお応えに。途中、雅子さまが目をうるませられ、白い手袋で目頭をそっとおさえられる場面も……。【93年6月15日饗宴の儀】3日間にわたり、計6回行われたご成婚を祝う宮中饗宴の儀。1日目の夜は芦田淳デザインのロイヤルブルーのイブニングドレスをお召しに。【93年7月8日東京サミット宮中晩さん会】ご成婚の翌月、お二人で初の皇室外交の場へ。晩さん会で雅子さまは、クリントン米大統領とエリツィン・ロシア大統領の間の席で、少しも気後れすることなくご歓談になっていた。【93年11月1日】愛知県の特別老人ホームをご訪問。雅子さまは、寝たきりのお年寄りの手にご自分の手を重ね、「お大事になさってくださいね」と優しく声をかけられていた。【93年12月20日鴨場でご接待】埼玉県越谷市の宮内庁埼玉鴨場に各国の駐日大使夫妻らを招き、伝統の鴨猟を紹介する皇室の伝統行事にご参加。じつは、天皇陛下が雅子さまにプロポーズされたのは千葉県の宮内庁鴨場。同じシチュエーションでのご公務で、プロポーズ時のことも思い出されたかもしれない。【93年12月23日一般参賀】上皇陛下の誕生日に、初めて一般参賀に参加された雅子さま。お召し物に選ばれたのは、イエローのロングドレスだった。新たな皇太子妃を一目見ようと多くの人々が集まり、天皇誕生日の一般参賀の参賀者数は、平成最多を更新した。仲睦まじいお二人のご様子は、理想のご夫婦として今もなお国民の手本となっている――。
2021年06月09日「天皇陛下と雅子さまは、6月9日に28回目の結婚記念日を迎えられます。コロナ禍以前は、皇室ご一家が集まってお祝いの食事会が開かれていましたが、今年は昨年と同じく愛子さまと家族3人で過ごされることでしょう」(宮内庁関係者)6月1日には上皇ご夫妻をはじめとする65歳以上の皇族方が新型コロナウイルスのワクチンを接種された。皇族方も国民と同じ基準で進めており、両陛下はまだ接種されていない。「5月30日に島根県で開催された全国植樹祭も、両陛下はリモートで出席されています。ご公務での外出も最小限にとどめ、コロナ禍にあえぐ国民生活を何よりも心配されています」(皇室担当記者)そんな中、菅政権のもとで皇室の未来を左右する議論が進められている。安定的な皇位継承策についての有識者会議が3月から開催されているのだが、その第3回会合で耳を疑うような発言が飛び出した。歴史学者の今谷明氏が、男系男子での皇位継承維持のために、次のような提言を行ったのだ。「悠仁様の後どうなるか。側室制を前提として、なおかつ非常に継承が難しかったことをどうやって維持していくか。ここに書いたように、近代医学の粋を尽くして男子出生を目指すというような医学的なことは当然おやりになったほうがいいと私には個人的に思う。しかし、これはあまり公には出せないことだが、個人的には側室制の代償として近代医学の技術を入れた皇位継承があるべきだというふうに考える」男子出生のために用いる「近代医学の粋」とは、いったい何なのか。本誌は発言の真意を聞こうと試みたが、今谷氏からは「取材はお受けできない」との返答だった。本誌が20年にわたって不妊治療に携わる生殖医療の専門医に話を聞くと「技術的には、着床前診断で受精卵の染色体を調べ、男子の受精卵を子宮に移植すればほぼ100%男子を産むことができる」という。だが、技術的に可能だからやっていいというわけではない。この医師は「男女の選別は倫理的に大きな問題があり、日本産科婦人科学会は性別の検査を目的とした着床前診断は行わないとの見解を出している」とも語る。■「人権侵害といってもいい」性別による“命の選別”につながりかねない「近代医学の粋を尽くして男子出生を」の提言――。“男子を産まねばならない”というプレッシャーは、まさに皇太子妃時代の雅子さまを苦しめた最たるものだった。ご成婚後、両陛下は会見で何度も“お子さまの予定”について質問を受けた。外務省での経験を生かした国際親善を目指していた雅子さまだったが、周囲から求められたのは“お世継ぎ”を産むことだったのだ。雅子さまは、陛下とともに不妊治療に取り組まれた。流産を乗り越え、37歳でご懐妊。待望の第1子となる愛子さまがお生まれになった。しかし、愛子さまのご誕生後も男子出生を求める声はやまなかった。そして’03年12月、雅子さまは体調を崩して入院。長期ご療養となり、適応障害と診断された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは「雅子さまが適応障害になられた大きな原因は、“お世継ぎ”についてのこと」と語る。「夫婦が子供を持つことについて部外者が勝手に話したり介入したりするのは、一般の家庭ではありえないことで、人権侵害といってもいいでしょう。男子ばかりを求める意見に対して愛子さまは、ご自身が男の子に生まれていればと悩まれるかもしれません。両陛下は愛子さまがそういった自責の念を抱かないように『生まれてきてありがとう』という気持ちをしっかりお伝えになって育ててこられたのです」ご自身が“なんとしても男子出生を”という声に苦しめられたからこそ、悠仁さまと結婚する“未来の皇太子妃”に同じ苦しみを味わわせるわけにはいかない――。雅子さまは、そうお考えになっていることだろう。皇族に迎える女性を一人の人間として尊重するという、当たり前の考え方が抜け落ちているのではないか――。皇位継承問題を話し合うならば、まず雅子さまが苦しまれた過去をしっかり見つめ直すべきだろう。
2021年06月08日5月25日、皇居の紅葉山御養蚕所で蚕に餌を与えるご給桑を行われた雅子さま。ご養蚕は今年で2年目。この日、皇居に向かわれるときの雅子さまは、半蔵門にいた人々の歓声に応え晴れやかな笑顔をされていた。しかし、ご給桑の作業中には幾分緊張されたご様子と感じられた。やはり、明治時代から歴代の皇后が担われてきた行事なだけに、お気遣いもあったのだろう。「桑の葉を全部食べちゃうんですか?」と、5~6センチに育った蚕に枝つきの桑の葉をお与えになる雅子さま。例年なら4種類の蚕をお育てになるが、コロナ禍ということもあり、昨年に続き、今年も日本古来種の小石丸1種類のみを飼育し、規模を縮小して行っている。
2021年06月04日淡いみどりの装いで4月23日、天皇陛下と令和初開催の「みどりの式典」に出席された雅子さま。このご公務は上皇ご夫妻から引き継がれたもの。昨年は新型コロナウイルスの影響で中止になったが、今年は出席者を極力少なくして開催されることになり、両陛下は初めての参加となった。雅子さまが選ばれたのは、2年前の6月、令和初の地方ご公務となった愛知県での全国植樹祭でもお召しになったスーツ。緑化推進の場に合わせられた色がよくお似合いだった。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月08日雅子さま皇后3年目へ――豪華な装いを総ざらい!「和ごころ光るドレスコレクション」と題して、ロイヤルファッションの中でも特に注目される華やかなドレスの“和の心”が麗しい装いのポイントを解説。解説してくれたのは、皇室をはじめ、セレブの装いにも幅広い知識を持つ石原裕子さん。■ティアラを際立たせる「ローブ・デコルテ」ローブ・デコルテは豪華なティアラやネックレスを際立たせるためのドレス。胸元や腕など肌の露出も多くシンプルに作られている。【’93年】ご成婚布地は金糸、銀糸を織り込んだ明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)。ノースリーブと、ダイヤモンド形にカットされた胸元に新妻の若々しさが感じられる。【’19年】即位後朝見の儀半袖にハート型のVネックと皇后らしい落ち着きのあるドレスに、第一ティアラとネックレスを。■細部に気品が宿る「ローブ・モンタント」フォーマルな海外王室の式典では、ハイネックに長袖、ロングスカートで肌の露出を抑えたスタイルに。細かくあしらわれた刺繍やビーズで気品をプラス。【’13年】オランダ王国即位式シルクジャガードの光沢が印象的な布地。とても軽い素材で、歩くとスカートの揺れが優雅。共布のトーク帽で統一感を。【’15年】トンガ国王戴冠式ペイズリーをイメージさせるレースのドレス。花びらのようなデザインの襟、胸元の金糸、銀糸を使った刺繍でゴージャスに。■宝石のような「海外ご訪問ドレス」【’94年】カタール・ハマド宮殿ルビーのような色合いのシルクに、胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が豪華。【’94年】カタール・ラヤーン宮殿雅子さまの誕生石、ターコイズの色合い。胸元と袖口に天から差し込む光のような飾りを。【’94年】サウジアラビア・ヤマーマ宮殿肩を膨らませた袖、裾にフリルを重ねたスカート、エレガントなブルーサファイアの装い。【’95年】アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが、ベビーピンクと相まって、女性らしさを演出。【’95年】クウェート・バヤーン宮殿和服の裏地に使われる紅絹色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージ。【’95年】ヨルダン・ナドワ宮殿金糸で花模様を刺繍した厚みのあるレース素材の左上半身。右肩から裾にかけてはサリーのようにサテンのシルクを重ねて。■賓客をもてなす「晩餐会ドレス」【’93年】東京サミット各国首脳ご成婚の翌月、初の皇室外交の場でお召しになったアップルグリーンのシルクドレス。レースの花が飾られた繊細な作りで新妻らしく。【’14年】オランダ国王アール・デコ調のティアラ、ネックレスに優しい印象のドレスを。【’15年】フィリピン大統領レースの持つ繊細さを上手に演出。華美になりすぎない装い。【’19年】アメリカ大統領ニューヨークの州花・バラをあしらったジャケットで、令和初の国賓・トランプ大統領をおもてなし。■雅子さま流、着こなしポイント5ご成婚以来、雅子さまはカラフルな色のお召し物でよくお出ましになっていました。それが強く感じられたのが、ご成婚の翌年から天皇陛下(当時は皇太子)と2度訪問された中東諸国でのドレス姿。このときの色鮮やかなドレスを、ご訪問先で見事に着こなしていらした雅子さまはとても素敵でした。それからお年を重ねられ、平成から令和への御代替わりとなる前、そして皇后となられてからの雅子さまは、優しい淡い色合いのドレスが多くなりました。特に賓客のおもてなしなどでは、決して華美な装いはされません。けれどもその装いは一見すると無地に見える布地にも金糸、銀糸が織り込まれていたり、繊細な刺繍で装飾されていたりと、ミセスらしい落ち着きに優雅な風格をたたえているのです。雅子さまのドレスには、よく見られる5つのポイントがあります。1つ目は、ハイネックやタキシードを思わせるウイングカラー。2つ目は、ふっくらとした肩から袖口に向かって細くなるレッグ・オブ・マトン・スリーブ。3つ目は、アシンメトリーに左腰に寄せたドレープ。4つ目は、左腰にボウで結んだリボンや飾り。5つ目は、滝のように流れ落ちるカスケードライン。この5つの特徴がよく表れているのが、ご成婚後の饗宴の儀でお召しになっていた淡いオレンジのドレスでした。さらに、ドレスのスカートを着物のように重ねるデザインや地紋のある絹地からは、和のテイストが感じられます。これは、日本のさまざまな伝統美を上手に取り入れていらした美智子さまの装いから引き継がれたものです。その和のこころを、雅子さまは独自のデザインで継承されています。これからは華美になさらなくても格調の高い、皇后らしい装いが増えてくると思います。コロナ禍で賓客の接遇や外国へのご訪問がなく、新しいドレスを拝見できないのが残念ですが、今後が楽しみです。(石原さん)(写真:本社写真部/雑誌協会代表取材/宮内庁提供/時事通信/朝日新聞社)「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日「雅子さまが3回連続してお出ましを直前に取りやめられたのです。こんなことは、2年前に皇后になられてから初めてなので、とても心配です……」そう語るのは皇室担当記者。最初の異変は、4月3日だった。「『神武天皇祭の儀』ご出席のため、天皇陛下とご一緒に皇居へ行かれる予定でした。しかし当日、雅子さまは突然欠席されることになったのです。さらに6日には天皇陛下や愛子さまとご一緒に皇居の『旧吹上仙洞御所』を訪問される予定でした。近々、ご一家は皇居にお引っ越しすることになっているので、改修工事が終わった“新居”の視察をする予定だったのですが、これも直前に、翌日への延期が決まりました」だが、翌7日も視察は行われなかった。この日も直前に取りやめとなり、“3連続キャンセル”になってしまったのだ。「雅子さまは、体調を崩されていたそうです」そう語るのは宮内庁関係者。「3月下旬には、コロナ禍で延期されていた『講書始の儀』や『歌会始の儀』が催され、そのお疲れが残っているのかもしれません。ただ、それに加えて“小室さん文書”の影響も否定できません。今回の文書は8日に発表されましたが、数日前には秋篠宮ご夫妻に渡されていたようです。そして秋篠宮家は侍従職を通じて、両陛下にも文書の内容を報告されていたのでしょう。その内容に、雅子さまは少なからず衝撃を受けられたはずです。天皇陛下は2月の誕生日会見で『多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております』とおっしゃっていました。しかし、小室さんの文書は自己弁護に終始しており、陛下の願いを完全に無視したものといっても過言ではなかったからです」雅子さまを支える医師団も、昨年12月に《依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです》と報告している。今後、眞子さまと小室さんの結婚が実現に向けて動きだすことで、皇室全体に対しても、国民の反発が強まる可能性も高い。雅子さまにとって、さらなる心労にならなければいいが……。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月13日晴れやかな笑顔で手を振り周辺の桜が美しい半蔵門を通られた雅子さま。3月26日、淡い水色のロングドレスをお召しになって皇居で催された歌会始の儀に臨まれた。雅子さまは《感染の収まりゆくをひた願ひ出(い)で立つ園に梅の実あをし》と、新型コロナウイルス感染症の収束を心から願うお気持ちを御歌で表され、国民にお心を寄せられた。この歌会始の儀は講書始の儀に続いて1月中旬に行われる宮中の新年の儀式。だが、今年はコロナ禍のため約2カ月も延期され、出席者も大幅に抑えて全員マスクをつけての開催となった。さらに、歌を詠み上げる講師や講頌などはフェースシールドをつけ、机にアクリル板を立てるなど、完全な感染防止対策が施されていた。「女性自身」2021年4月13日号 掲載
2021年04月03日東日本大震災の発生から10年となる3月11日、天皇陛下は東京・国立劇場で開かれた犠牲者の追悼式に雅子さまとともにご出席。陛下は被災地、被災者へ寄せる思いを述べられた。「復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています」10年という長い歳月が経った今でも、復興は道半ばであり、さまざまな課題を挙げられて“震災は現在も続いている”と強調されたのだ。震災を風化させまいという強いお気持ちが伝わってくる。異例の長さともいえる6分間にわたるお言葉は、雅子さまとご一緒に、10年間の被災地訪問を振り返りながら、追悼式の直前まで推敲を重ねなられたという。その表れとして、お言葉のなかでは、「皇后と共に」と2度も言及されている。「私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています」「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」陛下はこれからも雅子さまと“二人三脚”で、被災地に心を寄せていく意志を示されたのだ。これまで両陛下は皇太子ご夫妻時代に、被災した岩手、宮城、福島の3県を3回ずつ訪問されている。追悼式を前にした3月4日には岩手県、3月17日には宮城県の被災者たちとオンラインで懇談された。今後、福島県へのオンライン訪問も検討されているという。陛下は今年2月のお誕生日会見で、こう述べられた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」10年を節目、区切りと考えるのではなく、さらなる復興のスタートとしてとらえるためにも、陛下と雅子さまが被災地を再訪される日が待たれる――。
2021年03月19日東日本大震災から10年を迎えた3月11日、天皇陛下と雅子さまは追悼式に臨まれる。雅子さまは毎年のお誕生日のご感想で、陛下とご一緒に「被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います」などと今なお被災地を気遣われ、復興を願う思いをつづられてきた。また、皇太子妃時代には被害の大きかった東北3県の被災地を3回ずつご訪問。そのご交流のなかでのお気持ちを、折に触れ和歌に詠まれている。《春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く》’96年春、福島県土湯温泉町を訪ね、仁田沼周辺を散策された両陛下。震災の年に、その美しい自然に思いをはせ詠まれた御歌。《悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり》岩手県釜石市をお訪ねの際、釜石湾が静かに凪ぐ様子をご覧になり、地域の人々の悲しみが癒されていくよう願われた。《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》事故を起こした福島第一原発に近い広野町の福島県立ふたば未来学園高等学校の授業をご覧になり、生徒たちの真摯ですがすがしいまなざしの印象を詠まれた。《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》津波被害の大きかった宮城県名取市閖上地区などをご視察。新しい災害公営住宅に入居した被災者の喜びの声に安堵され、さらなる復興を願われて詠まれた御歌。今年3月に入って以降、両陛下は被災地により深く心をお寄せになっている。1日には赤坂御所で復興庁の事務次官らから復興状況に関する進講を受けられ、4日には赤坂御所と岩手県の釜石市、陸前高田市とをリモートで結び被災者らの代表6人とお話を。雅子さまは、一人ひとりのお話をじっくりと聞かれ、声をおかけになるなどの交流をされていた。コロナ禍の今はリモートでのご交流しかかなわないが、近い将来、陛下とともに被災地をご訪問され、慈しみの心を皇后の御歌として詠まれることだろう。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月17日東日本大震災から10年となる3月11日、天皇陛下と雅子さまは政府主催の追悼式に出席される。コロナ禍で被災地へ足を運ぶことは難しい状況だが、両陛下は3月4日にも岩手県の陸前高田市と釜石市をオンライン訪問されるなど、被災地した人々の力になりたいという強い思いをお持ちだ。これまで、雅子さまは被災地の未来を担う次世代の子供たちのことを気にかけてこられた。’15年10月には、この年の4月に開校した福島県立ふたば未来学園高校をご視察。生徒たちが「2030年に直面する地域課題解決に向けた取り組み」をテーマに話し合う様子を見学された。雅子さまはこの年の誕生日に、次のような感想を綴られている。《震災前よりも一層輝く福島県にしたい、将来ふるさとに戻って地域のために貢献したい、という前向きな気持ちにあふれた高校生の言葉に接し、嬉しく、また心強く思いました》「雅子さまは本当に明るいご表情で生徒たちとお話しされました。生徒たちの話には真剣に耳を傾けられ、活動目的、学校生活などについて聞かれていました。陛下と雅子さまが参加された“特別授業”は生徒たちにも大きな経験となったのではないでしょうか」(皇室担当記者)雅子さまはこのときのことを翌’16年の歌会始の儀で《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》と詠まれている。当時高校1年生で、現在はふたば未来学園高校の同窓会会長を務めている新妻留菜さん(21)に改めて話を聞いた。「天皇陛下からは『震災のとき、どういう状況でしたか?おうちの人たちは大丈夫でしたか』とお声がけがありました。生徒会の書記の仕事にやりがいを感じていますとお話しすると、陛下は『頑張ってください』と、励ましてくださいました」新妻さんは、雅子さまが生徒たちに向けて語られた言葉が印象に残っているという。「あの日雅子さまがお話しになった『震災に遭ったこの地域の復興のために頑張ってください』という言葉が、いまの自分の生き方にも影響していると思います。地域復興のために頑張りたいという意志が強くなったように感じます。雅子さまにお会いした翌年のお歌は嬉しかったです。自分たちの高校というだけでなく、被災地の福島のことを詠んでくださった。そして今も被災地の福島、宮城、岩手の3県のことを気にかけてくださっている……。天皇陛下と雅子さまが、10年という月日がたっても震災を忘れずにいてくださっていることは、本当にありがたいです」その新妻さんは、元々は女優になりたいという夢を持っていたが、震災後に避難所などで看護師や医師の方たちに助けてもらったことで、将来は看護師になりたいと思ったという。そして、現在は、地元の看護学校で学んでいる。その励みとなっているのが“復興のために頑張ってください”という雅子さまの言葉なのだ。「震災のときは、全国各地から来てくださった人たちに助けてもらいました。もし今後、どこか違う地域で大災害が起こったときには、今度は看護師として私が助けに行けるようになりたいと思っています」天皇陛下は先月の誕生日会見で、次のように語られていた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」3月11日には政府主催の追悼式が開催され、両陛下が出席される予定となっている。両陛下はこれからも、被災地の人々にエールを送り続けられることだろう――。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月11日天皇誕生日に胸元の刺繍が美しいロイヤルブルーのロングドレスをお召しになり、皇居へと向かわれた雅子さま。天皇陛下が61歳を迎えられた今回も、昨年と同じようにコロナ禍のため天皇誕生日の一般参賀は中止に。さらには駐日大使らと懇談する茶会の儀なども取りやめ、祝賀行事も出席者を縮小して催された。雅子さまは、お気に入りのドレス姿で皇居・宮殿で祝賀行事にご出席。皇后としてのお務めを果たされた。陛下は、お誕生日にあたり雅子さまについて「雅子は私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手となってくれております。私も、今後ともできる限り雅子の力になり、支えていきたいと思っています」と愛情深くお話に。夜には、両陛下と愛子さまは家族水入らずでお祝い御膳を囲まれた。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月07日歌舞伎俳優の市川猿之助主演のPARCO劇場オープニング・シリーズ 『藪原検校』が10日に初日を迎える。同作は話題作を送り出してきたPARCO劇場(西武劇場)の「西武劇場オープニング記念・井上ひさしシリーズ」として1973年に初演を迎え、今回新生PARCO劇場のオープニング・シリーズの一作として上演される。とある按摩・盲太夫が語る、稀代の悪党の一代記で、江戸時代の中頃、松島・塩釜の漁港に生まれた一人の盲目の男児・杉の市(猿之助)が、父ゆずりの曲がった性根と母ゆずりの醜さで殺しと欲にまみれた栄華への道を上り始める。これまで木村光一、蜷川幸雄、栗山民也といった演劇界の巨匠たちが演出してきた本作を、気鋭の若手演出家・杉原邦生が手掛け、劇中歌もすべて刷新し、猿之助をはじめとする豪華キャスト陣と共に、新生PARCO劇場で新たに蘇らせる。猿之助、三宅健、松雪泰子、川平慈英、高橋洋、佐藤誓、宮地雅子、松永玲子、みのすけらが出演している。今回は初日に先駆けてゲネプロを行い、その際の舞台写真と、出演者代表からのコメントが到着した。○市川猿之助 コメント新しいPARCO劇場での藪原検校ということですが、この情勢の中なんとか初日を迎えられるようなので、あとはひたすら、無事に千秋楽を迎えられることをいまはただただ祈るばかりです。東京はもちろん、地方にも行きますので、最後はみんなで手を取り合って笑って、いい公演ができたねといえる芝居になることを祈っております。念には念を入れて、準備万端で、その場その場で燃えていきたいです。健ちゃん(三宅健)には遊んでもらって、みなさんにも楽しくしていただいて、稽古も楽しく一か月乗り切れました(笑)。井上(ひさし)さんは稀代の悪人を描いてはいますが、必ずしも生まれたときからの悪ではないんです。悪人でも赤ちゃんの時の笑顔はあっただろうし、家庭環境もあっただろうし、悪人の様々な面を描いています。今回のラストは杉原くんなりの解釈で、杉の市の悲しさがでていると思います。スタッフさんも、照明さんもスーパー歌舞伎のときと一緒で、ツーカーの仲なので杉原くんがやりたいことの飲み込みが早く、みんなが同じ方向を向いていて、とてもやりやすかったです。いろんなジャンルの俳優が、異種格闘技のような、舞台の上での演技のいい意味での戦い、それが良いほうに化学反応を起こして、従来の藪原検校をご覧になった方々には驚きだろうし、初めて観るかたにも驚きだろうと思います。この時代にしかできない、杉原邦生が、やりたいことを我々を使ってやった芝居ですので、若さと若いアイデアにあふれた古典作品と言っていいこの『藪原検校』を隅から隅まで味わい尽くしていただきたいです。○三宅健 コメント猿之助さんとの共演は本当に楽しいです。今は猫を被っていますが、チャーミングな方で毎日毎日笑顔が絶えない現場です。健ちゃん、猿ちゃんと呼び合い、健猿の仲です(笑)。僕が小学4年生なら、猿之助さんは小学2年生です。歌舞伎の技術、技がふんだんにこの舞台に活かされていて、そういった意味でも、これまで上演されてきた『藪原検校』とは違うと思いますし、渋谷の街と猿之助さんの技と、いろんなものが融合して、まったく新しいものが渋谷で生まれるんだなと感じています。猿之助さんのファンの方々も楽しくて楽しくて仕方がないのではないかと、そして観に来てくださった皆さんが猿之助さんの虜になって帰っていくんだろうなと思います。手放しでぜひ観に来てくださいといえる状況ではないですが、僕たちは粛々と芝居をやっていくしかありません。キャスト、スタッフはじめ、観に来てくださる方々も感染対策をしっかりしていらっしゃると思いますので、千秋楽の日まで無事に終えられるように努めたいと思います。○松雪泰子 コメント三宅さんもおっしゃったように、皆さん同じ気持ちだと思いますが、最後まで無事に千穐楽まで完走できることを祈っております。今回のカンパニーならではの『藪原検校』になっていると思います。今回は杉の市の愛人ということで、精いっぱい杉の市に絡みついていきたいと思っております。稽古場で生まれ積み上げてきたものを信じて演じていきたいです。約20年ぶりに三宅さんとも共演させていただいて、映像と舞台の現場では環境も全然違いますから、稽古場では三宅さんの新たな魅力をたくさん拝見しながら、お稽古をしておりました。三宅さんの魅力はぜひ作品を観ていただければ感じていただけると思います。○川平慈英 コメント演出の杉原さんが大変エキセントリックで、猿之助さんバージョンの今作はポップな『藪原検校』です。僕は語り部なので一回舞台に上がったら一秒たりともはけない。役者になってはじめてくらいのセリフ量の多さで、今さらながら何で引き受けたんだろうと……(笑)。すごくチャレンジングなお仕事をいただいて感謝しています。僕は歌舞伎のカルチャーと舞台の上で組ませてもらうのは初めてなので、お稽古場では本当に目からうろこなことばかりでした。すごくセンセーショナルで稽古が楽しかったです。これをこうやってやるんだ!と発見が多く、すごく勉強になり、いろんなアイデアをいただけました。このご時勢、エンターテイメントを観に来るのは本当に難しいと思います。コロナ渦で、なかなか人に優しくなれない、寛容になれない毎日だと思いますが、観に来てくださったお客様には楽しんで、笑顔になって、寛容になれるような作品になっていると思います。この素敵なメンバーで完走できたら、こんな幸せなことはないです。○杉原邦生(演出) コメント約1年前のラインナップ発表会見で舞台に立った時には、考えもしなかった社会状況になっているなと、いま改めて感じています。今回は素晴らしいキャスト、スタッフの皆さんが、僕のアイデアの種を稽古場でふくらませ、育ててくれて、現代の人に伝わる『藪原検校』になっていると思います。稽古中も稽古が終わってからも、猿之助さんにLINEでここはこうしようかとか、こうしたらいいんじゃないかとアイデアをいただいて、僕のほうで噛み砕いて演出に反映させた場面もありますし、猿之助さんが歌舞伎の演出を丸ごと持ち込んでいるような演技をなさっているところもあります。歌舞伎俳優の猿之助さんが主演で、周りにいろんな出自の俳優さんがいて、作品の芯に井上ひさしさんの本がある世界観で、いいバランスですべてが融合しているなと感じながら稽古をしていました。そして、劇場に来て、実際に舞台美術が立って、いい意味で我ながらこれは「やっちまったな」という気がしています。井上ひさしさんは地方と都市をテーマにずっと作品を描いてきた方で、今作も杉の市が東北から江戸に出てきて成りあがっていく話です。都市の象徴である渋谷の街の一角で上演したらおもしろいのではないかというアイデアから、このような現代的なセットになっていて、でも衣裳は江戸中期のもので、普通では融合しない二つが皆さんの力で融合しています。今までにない『藪原検校』だし、井上ひさしさんの作品がこんなふうになるとはだれも想像しなかった世界観になっているので、いろんな批判も出てくるのではとドキドキしていますが、ぜひ楽しんでいただきたいです。
2021年02月10日コロナ禍でご公務も激減、なかなかお出ましの機会が訪れない昨今。本当はもっと雅子さまのお姿を拝見したかった……!ということで、近年の冬のファッションを総ざらい。色使いなど、気品ある装いのエッセンスをまねしてみては――?【Day1】リモートでも現地ご訪問と同じコーデを!先月末、昨年7月に発生した熊本県の豪雨被害の被災地をリモートでお見舞い。両陛下はともにタートルネックセーターにジャケットの装いで、被災者に親しみやすい雰囲気作りを。【Day2】環境会議は緑のスーツで昨年12月、環境問題に取り組むGEA国際会議の開会式に出席された際は、深いグリーンのスーツを選ばれた。襟と袖口にベルベットをあしらった、素材感の違いもポイント。【Day3】地方ご訪問は優しい白コート冬の地方ご公務には、雪のような白いロングコートで。Aラインのゆったりとしたシルエットに、お帽子のベージュのリボンと靴先の色合いをそろえ、優しげなスタイルに。【Day4】冬の定番色はボルドー寒くなると雅子さまがよくお召しになっているのがボルドーカラーのスーツ。同じ色でも帽子やバッグなどの小物でバリエーションを。【Day5】サステナブルファッションを実践!スカラップカラーが特徴的なロイヤルブルーのスーツは25年以上大切にされているもの。インナーを替えられ、上手に印象をチェンジ。【Day6】遊び心あるジャケットでご静養へ襟、ポケットのフラップ、カフスに入ったステッチでカジュアルさを演出。お持ちのバッグはFURLAの80周年記念限定モデル。【Day7】おうち時間はリラクシー素材を上質なとろみ素材のブラウスはおうち時間を心地よく過ごされるのにぴったり。パールのネックレス、イヤリングで女性らしさもUP。寒~い季節は、こっくり深いカラーを取り入れれば貴女もロイヤル気分♪「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月07日コロナ禍によりご公務や行事が続々と中止になってしまった’20年。雅子さまの着物姿を拝見できたのは昨年の1月が最後。今年こそは感染拡大が収束し、和装での晴れやかな笑顔をたくさん拝見したい……そんな願いを込めて、雅子さまが着物をお召しになる機会を振り返ります。【大相撲ご観覧】’20年1月、例年、大相撲初場所の初日や中日に天皇陛下が行幸される天覧相撲。令和になって初の国技館には愛子さまと色合いをそろえられて、扇柄に菊、もみじなどを散らした淡いクリーム色の和服で。【海外要人とのご接見】’19年8月、海外からの賓客を招かれての国際親善では和服でのおもてなしで歓迎のお気持ちを。皇居宮殿にアフリカの要人を招かれての茶会では、淡いブルーに花籠紋様の和服をお召しになられた。【園遊会】’18年11月、春秋と年2回行われる園遊会は和装と洋装に分けられることが多い。皇后陛下はじめ、女性皇族方の和の装いも注目される。この日、雅子さまはもみじの葉のグラデーションが映える秋らしい和服で秋の園遊会にお出ましになられた。【文化功労者らとの茶会】’19年11月、毎年、文化勲章受章者と文化功労者を宮殿の「連翠」に招き催される茶会。平成の皇后、美智子さまも和服姿でのご列席が多かった。この年、雅子さまは淡いブルーにしっかりと描かれた菱の文様の和服で皇居・宮殿でのお茶会に。今年も拝見したい雅子さまの着物姿。雅子さまの晴れ着が日本を明るくする!「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月13日沢村一樹がスゴ腕外科医を演じる本格医療ドラマ「DOCTORS~最強の名医~」の最新作となる「DOCTORS~最強の名医~ 2021新春スペシャル」が1月10日(日)に放送される。普段は患者に笑顔で優しく接するスゴ腕の外科医だが、自分が信じる医療のためなら目的・手段を選ばない非情な一面も持ち合わせている医師・相良浩介を沢村さんが演じる本作。相良と高嶋政伸演じる“腕は確かなのだけど人間性にやや問題アリ”な外科医でいまや病院長となった卓ちゃんこと森山卓が対立しながらも、患者を救う医療のために尽力していくという構図のなかで、魅力的なキャラクターたちが織りなす本格的な医療ドラマが展開してきた。今回も沢村さんと高嶋さんはじめ比嘉愛未、黒川智花、宮地雅子ら堂上総合病院看護師チームに、正名僕蔵、敦士らチーム森山の外科医たち。松坂慶子、小野武彦、伊藤蘭、野際陽子らお馴染みのメンバーが集結。堂上総合病院の創立100周年を翌年に控え、院長の森山卓は広告会社と記念式典についての協議を進めていた。国会議員に都知事、果ては人気芸人まで呼んで盛大に催そうとする森山に事務長の桃井正一(小野さん)は渋い顔。案の定、東京よつば銀行の融資課課長・花村玲子(石田ひかり)からも式典のための融資を断られてしまう。実は森山は2年前、周囲の反対を押し切って温泉を掘ろうとして失敗。多額の損失を出して病院は2期連続の赤字経営となっていた。病院の“体質改善”=経営改革に取り組む森山だが、的外れな方向に進んでいく森山の“体質改善”に、相良浩介(沢村一樹)や皆川和枝(伊藤蘭)は面倒が起こりそうな予感を抱く。そんな矢先、堂上総合病院に玲子が救急搬送されてくる。階段から転落、右足の腓骨を骨折した玲子はひとまず入院するが、「背中が痛い」という訴えに違和感を覚えた相良が検査をした結果、膵頭部に腫瘍が見つかる。玲子を助け恩を売って記念式典のための融資を優遇してもらおうと考える森山だったが、事の重大さに動揺した玲子は「セカンドオピニオン」を求め、転院を希望する…。さらに東京よつば銀行でも、急に休暇の延長を申し入れた玲子の様子に支店長の三田沢和久(吉田鋼太郎)が疑問を抱き、玲子の存在を疎ましく思う融資課係長の平賀洋二(橋本じゅん)が森山から玲子の本当の病名を聞き出してしまう。平賀に病状を聞いた三田沢から治療に専念するよう命じられ絶望する玲子に、相良が手を差し伸べるのだが、玲子を堂上総合病院で引き受けることに森山が突然、猛反対して…というのが今回の物語。「DOCTORS~最強の名医~ 2021新春スペシャル」は1月10日(日)21時~テレビ朝日系で放送。(笠緒)
2021年01月10日「雅子さまは、もともといろいろな人としゃべるような社交的な雰囲気の子供ではなかったから、子供のころはずっと2人でしゃべっていることが多かったんです。雅子さまと私の2人が学校の先生に犬をもらったのですが、その犬たちを毎日のように一緒に散歩させてどちらかの家に行って遊んでいました」雅子さまとの学生時代の思い出を懐かしそうに話すのは、ご学友の清家ルリ子さん(旧姓:村岡)。雅子さまとは、小学3年から高校1年まで田園調布雙葉学園で同級生だった。「家も近所で、学校の行き帰りもずっと一緒でした」という幼なじみだ。今月、12月9日に皇后になられて2回目のお誕生日を迎えられた雅子さま。本誌はその翌日、清家さんに雅子さまとの思い出を伺った。「小学生のころ、雅子さまと私は生物部だったんです。2人とも飼育係も担当しており、学校の動物をかわいがっていました。うさぎやハムスター、ヘビ、ハツカネズミ、モルモットも。雅子さまは当時、ご自宅でも犬のほかにカメレオンやハムスターも飼っていらっしゃいました」雅子さまは小学校の卒業文集に将来の夢を「獣医」と記されているほどの動物好きだ。「ヘビを触るのも平気でしたよ。学校で誰かが持ってきたヘビをグラウンドまで私と2人で素手で持っていって散歩させたこともありました。ヘビってヌルヌルしそうですけど、実はサラサラで冷たくてとてもきれいな感じなんですよ。でも私たちが持っていると、みんなキャーキャー言いながら逃げていく。それも面白くて、2人でよくお昼休みや放課後にグラウンドの草むらに放してあげたりしたんです。雅子さまが、そうやって楽しいことをやられているときにケラケラ笑っていらっしゃった表情を思い出します」その後、雅子さまのご留学などで頻繁に会えなくなってからも交流は途絶えず、22歳ごろには、清家さんの結婚式で雅子さまが介添え役をされ、さらにスピーチまでされたという。「実はスピーチは雅子さまを含めてお友達2人にお願いをしていたんですが、雅子さまのスピーチが長すぎて、2人目の友達のスピーチはなくなってしまいました(笑)」雅子さまは29歳で皇室へ嫁がれた。ご婚約を発表されたころ、清家さんはご自宅にお祝いに伺っている。「ご婚約が決まる前から、海外でも写真を撮られたりして大変そうでした。ですから私たち友人はそういう話題には触れないようにしていました。けれど、ご婚約の発表があるとマスコミの方から伺って、私の母にも“ここで会いに行かなかったらもう会えなくなるかもしれないから”と言われ、ある人からは“規制が張られて遠くから見ることしかできなくなる”とも言われたので、じゃあその前にお祝いのお花を持って会いに行こうと思ったんです。当時、雅子さまもよく買われていたお花屋さんで“雅子さまのお祝いに持って行きたい”と言って、バラの花束を作ってもらいました。オレンジ色というか黄色というか、活気があるような色にしてもらって。雅子さまは、ピンクのようなかわいらしいイメージよりは、活力のあるイメージでしたから、そんな色の花を選びました」そのときは、清家さんの母親も一緒だったこともあり、雅子さまとあまりしっかりと話はできなかったそうだ。「“おめでとうございます”と、あとは“大変だね、これから”と私は言いました。当時、ご自宅のまわりに記者の方たちがすごかったですから。警察官もいました。“そうなの、外に出られなくて”と雅子さまはおっしゃっていて。それでも、嬉しそうにされていたのを覚えています。外交官のキャリアを手放してまで、嫁がれる決心をされたのですから。外交官として実現したかったことが、皇室でも別のかたちでできるという思いもあったかと思います。一方で、自由に行動することはできなくなるでしょうから、そういう意味では大変なのだろうなとは思いました。でもまさかここまでとは……。当時はご本人も思っていらっしゃらなかったかもしれませんね」皇室に入られて以降、実際にお会いできたのは同窓会などの機会で数度。ご体調などが心配で手紙を差し上げたこともあるという。「そのときは、宮内庁の方から“受け取りました、ありがとうございました、とのことでした”といったお返事をいただきましたね」同窓会で直接お会いしても“皇室のことは気軽にお話になれないだろう”と話の内容は世間話ばかりになってしまうというが、幼いころからの2人の共通の話題、“動物”のことをお話になったときのことを教えてくれた。「私は、そのときも文鳥を飼ったり、カエルを飼ったりしていたんですよ。そういう動物の話を私からしたり、雅子さまが飼っていらっしゃる犬の話を伺ったりしましたね。あとは、皇居の敷地にアライグマが出たことがあったらしいんですが、保護をしたときのお話を雅子さまがされていたんです。私が“えっ、触ったんですか?”と尋ねたら、ほかの方から“まさか触れるわけがないでしょう”と(笑)。確かにそうだなぁと思ったのですが、小さいころから動物がお好きだった雅子さまですから、触りたかったんじゃないかしら、と思ってしまったんですよね(笑)」
2020年12月25日ご養蚕でお作りになった絹糸を前に、天皇陛下と写真に写られた雅子さま。12月9日の、57歳をお迎えになったお誕生日の写真で、雅子さまは今年の流行スタイルであるバルーンスリーブのタイブラウスに黒のワイドパンツという装いだった。実はこのシルエットは12月1日のお誕生日に公開された、ベージュのボウタイブラウスにワイドパンツ姿の愛子さまとほとんど同じ。なんとお二人で、若い女性の間で流行している、リンクコーデをなさっていたのだ。1週間違いでお見せになった雅子さまと愛子さまのタイブラウスコーデに、母娘の連携のよさが感じられた。「女性自身」2020年12月29日号 掲載
2020年12月19日《今年は、特に命の大切さ、尊さについて改めて深く思いを寄せる年になりました》12月9日、57歳になられた雅子さまが、お誕生日に際してのご感想を文書で公表された。「ご感想は4千字を超える文量で、コロナ禍の国民を心配するお気持ちが伝わってきました」(皇室担当記者)ご感想のなかで雅子さまは《新型コロナウイルス感染症により、世界中で、そして日本国内でも多くの方が亡くなっていることに対し、この場をお借りしてお悔やみ申し上げます》と犠牲者を追悼された。また、《医療に従事される皆さんが、大勢の患者さんの命を救うために、そして、感染の拡大を防ぐために、日夜献身的に力を尽くしてこられていることに、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います》と、医療従事者への感謝を述べられている。コロナ禍の影響についてはほかにも、苦境にある経営者や失業者、偏見に苦しむ感染者の家族や医療従事者の家族、虐待の増加が懸念される子どもたちなど、さまざまな立場の人々に寄り添ったお言葉を綴られていた。さらにはコロナ禍だけでなく、自然災害や東京五輪の延期、上皇ご夫妻や愛子さまのご近況にいたるまで、多岐にわたる話題に言及されている。「文面が宮内記者会に渡されたのは誕生日前日の夕方でしたが、雅子さまはなんと、8日の午前に報じられた小惑星探査機『はやぶさ2』のカプセル回収成功というニュースにまで言及されていました。雅子さまは、ギリギリまで推敲に推敲を重ねられていたのです」(前出・皇室担当記者)来年の新年一般参賀は中止が決まっているが、天皇陛下によるビデオメッセージが配信されることが決定。雅子さまの出演も検討されているという。11月には天皇陛下とご一緒に、病院や高齢者施設へのオンライン訪問をされた雅子さま。《オンラインという方法により、このように国民の皆様との触れ合いの機会を持てることは有り難く、今後ともそのような機会を大切にしていくことができればと感じております》と、リモート活用に積極的な姿勢も示されている。新年、画面越しであっても両陛下とお会いできることを願いたい――。
2020年12月14日12月9日、57歳の誕生日をお迎えになられた雅子さま。変化の激しい時代に適応しながら常に国民に寄り添うことを考え実践されている、令和ならではのルールとはーー。【1】子どものケア&動物愛護に積極的皇太子妃時代から児童養護施設を訪問されたり、子どもたちに対して優しいまなざしをお持ちの雅子さま。また、保護動物を引き取られて飼われるなど、生き物を大切にされている。【2】パンツスーツで颯爽とご自分らしく近年、お召しになるスーツは優しい色合いが多くなられた。特にパンツスーツでのお出かけは雅子さまの定番スタイル。ジャケットの襟や袖には、少し個性あるデザインを加味して、雅子さまらしさを演出されている。【3】レセプションではよりお近くに地方ご訪問などの際に行われるレセプションでは、参加者が来るのをお待ちになる形ではなく、大勢の人たちの中に自ら入っていき移動されながら参加者とお話し交流する形式に。【4】涙を隠されない昨年、ご即位のパレードで沿道からの歓声に感激の涙を見せられた雅子さま。感動されたときに思わず目を潤ませるご様子もお人柄を感じさせる魅力のひとつ。【5】笑顔も思い切りお見せにたとえご公務中でも、楽しいときにははっきりと笑った表情をお見せになる。心からの明るい笑顔で会話されるご様子が印象的。【6】しゃがまれて奉迎者とお話しをお出かけ先に集まっている人たちと積極的に歓談されてのご交流。最前列に座っている子ども連れのお母さんたちともしゃがんで会話を。【7】オンラインご公務にも挑戦コロナ禍の中、外出されてのご公務が行えない状況が続いているが、天皇皇后として初めて“オンライン行幸啓”を取り入れられた。令和流、皇后のセブンルール。雅子さまは国民により近い皇室像を模索されている。「女性自身」2020年12月22日号 掲載
2020年12月13日演出・杉原邦生、主演・市川猿之助の舞台 『藪原検校(やぶはらけんぎょう)』が2021年2月10日(水)~3月7日(日)、PARCO劇場で上演される。それに先駆けて、出演者のビジュアルが公開された。1973年のオープン以来、渋谷PARCO建替えまでの43年間プロデュース公演の先駆けとして、様々な名作や話題作を送り出してきたPARCO劇場(オープン当時の名称は西武劇場)。本作『藪原検校』は、PARCO劇場のオープン当初の名称・西武劇場での「オープニング記念・井上ひさしシリーズ」として1973年に初演された、当劇場とも大変ゆかりの深い傑作舞台である。ストーリーは生まれつき盲目で性根の曲がった男が殺しに殺しを重ね、藪原検校にまで上りつめる悪党一代記だ。初演の演出は木村光一、その後、蜷川幸雄、栗山民也といった演劇界の巨匠たちが演出してきた。そして今回手がけるのは、スーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』や、木ノ下歌舞伎『勧進帳』などの演出を務めてきた気鋭の若手演出家・杉原邦生。劇中歌もすべて刷新して、稀代の悪党・杉の市を演じる市川猿之助をはじめ、三宅健、松雪泰子、川平慈英ほか、異彩を放つ豪華キャスト陣と共に『藪原検校』が新たによみがえる。リリースされたビジュアルは各人各様に放つオーラが、本作の圧倒的な雰囲気を醸し出す出来栄えだ。また12月12日(土)から、いよいよ東京公演のチケットが発売となる。■公演情報PARCO劇場オープニング・シリーズ 『藪原検校(やぶはらけんぎょう)』作:井上ひさし演出:杉原邦生音楽・演奏:益田トッシュ出演:市川猿之助、三宅健、松雪泰子、髙橋洋、佐藤誓宮地雅子、松永玲子、立花香織、みのすけ / 川平慈英東京公演:PARCO劇場(渋谷PARCO 8F)2021年2月10日(水)~3月7日(日)チケット料金:13,000円(全席指定・税込)U-25チケット=6,000円(観劇時25歳以下対象、要身分証明証、当日指定席券引換 / チケットぴあにて前売販売のみの取扱い)※未就学児入場不可チケット発売日:2020年12月12日(土)<チケット取扱>ローソンチケット: (Lコード:34699)チケットぴあ: (Pコード:503-763)イープラス: ※各プレイガイドでのチケット取扱いは先行販売、一般発売ともWebのみとなります。<地方公演>名古屋:日本特殊陶業市民会館・ビレッジホール2021年3月9日(火)・10日(水)石川:こまつ芸術劇場・うらら2021年3月13日(土)・14日(日)京都:京都芸術劇場春秋座2021年3月18日(木)~3月21日(日)
2020年12月10日雅子さまは12月9日、57歳の誕生日を迎えられた。誕生日に際してのご感想にでは、新型コロナウイルスによる影響を案じられるなか、こう綴られている。《家庭内での暴力や子供への虐待が増加している可能性があるということも耳にしており、案じています。大きな禍に見舞われている社会の中で起こりやすい問題とはいえ、今後、皆が心穏やかに日々を過ごせるようになることを願ってやみません》児童虐待は、雅子さまがこれまでも強い関心を示されてきた問題だ。’18年に発表されたお誕生日に際してのお言葉には、このような一節が綴られていた。《最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます》さらに昨年、56歳のお誕生日に際してのお言葉でも《プラスチックゴミなど多くの環境問題や、日本国内の貧困や子供の虐待などの問題、また、世界で紛争や内戦が続いていることなどにも心が痛みます》と言及されている。3年連続で、児童虐待への憂慮を示された雅子さま。「子供の虐待を防ぎたい」というお気持ちを、繰り返し訴えられているのだ。これまでも雅子さまは、困難な状況にある多くの子供たちを励まされてきた。愛子さまを出産された翌年は、世田谷区内の社会福祉法人「福音寮」をご訪問。療養に入る前の’03年には、東京都社会福祉事業団「石神井学園」を訪れ、保護者がいない子や虐待を受けた経験のある子供たちと交流を深められた。新型コロナウイルスの影響下では、子供たちの支援にいっそう強い関心を寄せられている。今年10月1日、小中学校の校長会会長や東京都教育委員会教育長ら4人を赤坂御所に招き、天皇陛下と雅子さまはコロナ禍の教育現場について説明を受けられた。雅子さまは「家庭での虐待は大丈夫ですか」などと熱心に質問され、懇談の時間は予定より60分ほど延長になったほどだった。コロナ禍の長期化でより柔軟な対応が必要となっているなか、雅子さまも動き出されているという。「天皇陛下と雅子さまは11月18日、日本赤十字社医療センターなど全国4つの病院を赤坂御所からオンライン上で視察されました。両陛下の“オンライン視察”は初めての試みでした。“苦しい状況の子供たちを励ましたい”というお気持ちを強く持たれている雅子さまは、子供たちを励まされるため、今後は児童養護施設などにリモートを活用して視察をされることもお考えではないでしょうか」(宮内庁関係者)
2020年12月09日