2017年に新成人を迎えた女優の山本舞香と桜井日奈子が、東京大神宮にて、晴れ着を披露し、20歳になった心境や今後の目標などを語った。■山本舞香&桜井日奈子、大人への仲間入り!これまで映画やドラマの撮影で、晴れ着は何度か着たことがあったという山本さんと桜井さんだが、山本さんは「きっちりした会で晴れ着を披露するのは初めて」と緊張した面持ちを見せると「結びはシンプルに、帯はきつめに締めてもらいました」と着こなしへのこだわりを語る。一方の桜井さんは「成人のときには、ラッキーカラーであるブルーが基調のものを絶対に着たいと思っていたので嬉しい」と笑顔を見せると「偶然なのですが、この着物は桜の模様が入っているんです。桜井という名前なので縁があります」と思わぬコラボを喜んでいた。20歳になった心境を聞かれた山本さんは「家族や友人、事務所の方々に支えられて無事20歳を迎えることができました。これからは自分自身の行動に自覚を持って、何事にも後悔することなく、全力で向き合っていきたいと思います」と抱負を述べると、桜井さんも「大人の仲間入りをはたしたので、自分の行動に責任を持って、地に足をつけて生活をしていきたいです」と誓いを立てていた。■山本さん&桜井さん、お酒は弱くない!?“大人の女性”の仲間入りをした二人だが、山本さんは「10代と20代では色気が違うと思うので、いろいろな経験を積み重ねて、色気のある女性になりたいです」と語ると、桜井さんは「大人というのは、たくさんの失敗を経験して成長している人というイメージがあります。変な言い方かもしれませんが、私もいっぱい失敗をして、それを糧に、何が起きても慌てない女性になりたいです」と目を輝かせていた。お酒については、どちらも“弱くはない”ということだが、山本さんは「共演者やスタッフの方とお酒の席でご一緒すると、絆が深められますよね」と交流の場が広がったことへの期待を明かすと、桜井さんも「まだあまり機会はないのですが、体質的には大丈夫みたいなので、いろいろな方と交流できたらいいですね」と語っていた。■大人気コミック実写化『ママレード・ボーイ』主演も「楽しみたい」(桜井さん)2018年、桜井さんはシリーズ累計1000万部を突破している吉住渉の大人気コミックを実写映画化した『ママレード・ボーイ』でヒロイン・小石川光希を務める。大規模公開で主演という大役を担うことになるが「身が引き締まる思いです」とやや緊張した表情を見せつつも「初めての経験がたくさんできることをドキドキしながら楽しみたいです」と前向きに語る。現在撮影真っ只中というが「いろいろなことを吸収してとても楽しい現場です」と充実した日々を送っているようだ。山本さんも2018年は、ドラマ、映画、舞台へと作品が目白押しで、撮影の日々だというが「とにかくいただいた仕事に全力で臨み、女優業をしっかりやっていきたいです」とさらなる躍進を誓っていた。(text:cinemacafe.net)
2018年01月07日10月31日、新横浜スケートセンターで行われた風邪薬のCM発表会に、姉の舞と一緒に出席した浅田真央(27)。姉妹の旅行計画はいつも自分が立てていると、冗談交じりに“姉への不満”をぶちまけて、会場をわかせていた。 それから数日後の夜9時ごろ、東京・渋谷のとある映画館から、足早に出てくる真央の姿があった。外は雨模様だったが、傘の用意がなかったのか、そのまま茶色いコートの襟元を寒そうに手で押さえながら歩き出す。信号待ちをしていたところで、本誌は声をかけた。 ーーこんばんは、女性自身です。今日は渋谷でお買い物ですか? 「映画を観てたんです」 ーーさしつかえなければ、何の映画ですか? 「バレエの映画です」 この10月、モデルで元フィギュアスケート選手のフランス人、ロマ・トニオロ(27)とのデートが報じられたばかりだが、周囲に男性の姿はなかった。 ーー今日は、お一人でご覧になったのですか? 「プライベートなので……。すみません」 そう言い残して、渋谷の人波へと消えて行った。彼女が観たフランス映画のタイトルは『ポリーナ、私を踊る』。貧しい家庭に育った天才バレエ少女が、さまざま苦悩を抱えながらも“自分らしさ”を求めて成長していくという物語ーー。実は真央も、3歳のときにバレエを習い始めた“天才少女”だった。 「そもそも彼女のお母さんにはかつて『バレエダンサーになりたい』という夢があって、それを娘に託したのだとか。フィギュアスケートも足首の強化になるからと“バレエのために”始めたそうです」(スケート関係者) しかし、幼い真央はフィギュアの面白さに夢中になった。その姿を見た母は、何も言わず練習に付き添い、娘の才能を伸ばしてあげたいと心血を注いだ。 「朝練は5〜6時に始まり、夜も11時ごろまで。送り迎えなどすべてやって、睡眠時間もあまりなかったと思いますよ。母親だからできたんでしょうね」(真央の親戚) バンクーバー冬季五輪で銀メダルを獲得して最初に誰に見せたいかと問われたとき、真央は迷わず「お母さん」と答えた。だがその母・匡子さんは1年10カ月後の’11年12月、48歳の若さで急逝する。 あれから、もうすぐ6年。今年4月に現役引退を表明するまで、母親に代わって「心の支え」となっていたのは、姉・舞だったのかもしれない。 「東京には2人が暮らすマンションもありますが、お互いが“いい距離感”で共同生活をしているようですね。姉は早くから芸能の仕事をしていましたから、引退を機に『真央もチャレンジしてみたら?』といった話をしたようですが、真央自身はアイスショーや後進育成、解説など、スポーツ関連の仕事を中心にと考えているようです」(芸能関係者) 命日を前に、母の夢だったバレエの映画を観に出かけた。それは母への追慕と同時に、何かの“決断”を前に、自分の原点を確かめる時間だったのではないだろうかーー。
2017年11月09日フィギュアスケーターの浅田真央さん(27)に初ロマンス!元フィギュアスケーターで現在は日本でモデルとして活動中のロマ・トニオロさん(27)とパリ・ルーブル美術館でデートしている様子が報じられ、世間は沸き立ちました。その後双方はデート報道を否定し「親しい友人の一人」とコメント。真央さんの“初ロマンス”とはなりませんでしたが、この報道を見てふと思ったのです。 「やっぱりスゴイ女は、国際恋愛に走った方がいいよな〜」と。 真央さんは、現役を引退した今も「国民的ヒロイン」として人気の存在です。引退後はその活動内容だけでなく、結婚や将来像についても関心が寄せられていました。しかし世間が騒げば騒ぐほど、実は真央さんの恋愛は遠のくことになりかねないと思っていました。そこへきて今回のフランス人・ロマさんとの恋愛報道だったので、これは良い選択だなと思ったのです。 残念ながら今回の報道は双方が否定しているので、熱愛と呼べるものではなかったようです。しかし日本では真央さんだけでなく、仕事や自分の道を進みすぎて“スゴイ女”になった人ほど恋愛が後回しになる現状があります。その原因は男性側が軟弱だからとか、女性側が悪いとか言いたいのではありません。今回は“スゴイ女”になることで起きる恋愛の弊害を考えてたいと思います。 ■恋愛する力は、かけた時間と経験が反映する スゴイ女。それはお金を男性よりすごく稼ぐとか大きな実績をあげるとか、それぞれ定義は異なります。アスリートや芸能人など特殊な職業を除き、一般的には仕事の面で人より突出して秀でた成果をあげる女性が該当するでしょう。ただ彼女たちの恋愛模様を見ていくと、中には仕事の結果とは比例しない不器用な恋愛模様が見えてきます。 たとえば筆者が以前取材をした、ある女性の話をご紹介します。彼女は30代半ばで起業し、現在は数名の社員を雇ってバリバリ仕事をしていました。仕事ぶりは優しさとガッツがあり、周りからの人望も厚かったようですが、恋愛においてはかなり異なる一面を持っていました。 「仕事のしすぎで、恋愛の仕方がわからない」 彼女の人生は仕事に時間も頭も割きすぎてきたため、一般的な恋愛の仕方が思い出せなくなっていたのです。よく年配の人などは「年頃だからいい人を見つけなさい」と言いますが、いい人を見つけるにも経験や能力が必要です。 年齢とともにその力は自然と備わっていくと思いがちです。しかし仕事や勉強などへ極端に力を注いでいた人の中にはその辺がアンバランスに育ち、極端に恋愛下手だったり相手に求める条件が高くなったりする女性がいます。よく「バリキャリ女性ほどダメ男に引っかかる」なんて話を聞きます。単純に恋愛に関心と時間をかけなければ、スゴイ女性でも恋愛上手にはならないのです。 ■「仕事がスゴイ=私生活もスゴイ」は日本的発想? だからといって、なぜそれで国際恋愛が向いているのか。スゴイと周りから称される女性になると、不思議と私生活もスゴいのだろうと期待されるようになります。つまり「仕事ぶりがスゴイ=私生活もスゴイ=恋愛も困ってない」なんて思い込みを周りがしだすのです。 こんなイメージがつきまとうと、多くの男性は「自分なんて」といろんな意味で恋愛対象から身を引いていきます。すると女性自身もいい人がいても、どう接したらいいかわらかなくなっていきます。そんなとき、国際恋愛に目を向けてみると、思わぬ出会いがあると思うのです。 「外国人」とひとくくりにしても様々なタイプがいるので言い切ることは難しいです。しかし過去みてきた例では日本の男性が女性の社会的地位と人格をワンセットで評価しがちなのに対し、諸外国の男性は社会的な地位と女性としてのパーソナルな部分を切り離してみる男性が多いように思います。 具体的な例を出すと、日本では「あの子は稼いでいるから、恋愛相手もうるさいんだよ!」なんて発言をよく耳にします。考え直してみると、この言葉には社会的な実績と人格をワンセットにする意味が含まれています。一概にこの言葉が間違いかは言及できない部分がありますが、この言葉からは初めから日本の男性がスゴい女に予防線を張っているのがよくわかります。 こういった先入観に苦しむくらいなら、最初からその辺を知らないor一緒くたに評価しない外国の方に目を向けてみるのは、非常に有効なのです。 ■とはいえ、国際恋愛は文化の違いにご注意を と国際恋愛を推奨した筆者ですが、とはいえ文化の違いで悩む日本人女性も多いので、注意が必要です。 たとえば、アメリカ人と付き合った女性は交際のスタートをとまどったといいます。その彼との交際では体の関係や言葉での愛情表現はあったものの、「告白」という具体的なアクションがなかったのです。 「こりゃ遊びか?」と彼女も不安になったそうですが、彼に確認すると「キミの言う『付き合う』というのがどういう意味かわからないけど、僕は恋人だと思っている」とのこと。つまりお互いにきちんとした交際関係だと思ってたわけですが、向こうには「付き合う」「セフレ」「本命」のような価値観が日本ほどくっきりないため戸惑ったようです。 またフランス人と付き合っていたある女性は、彼が普通に元カノと会っていることが理解できないと言っていました。会うといっても友人としてらしいのですが、不思議なのは彼が今の彼女に堂々と「元カノとご飯食べてくるよ」と宣言していること。「気になるからやめて欲しい!」と訴えても、彼として「は今の彼女は君、元カノは大切な友人だから」とガンとして譲らないというのです。 これが価値観の違いか、国による文化の違いかはわかりません。しかし確かに日本の一般的な価値観で考えると、これをされたら安心できないですね。 結果が出ている女性ほど知り合いの中から相手を探すのはリスクが伴うため、身動きが取れないことはよくあること。「国民的ヒロイン」なんて日本では呼ばれている真央さんもそういう意味では、海外の方と交際をするという選択はしがらみが少なく非常におすすめといえます。 「35歳までに結婚したい」と過去出演したバラエティ番組では話していた真央さん。あの真央さんももう“アラサー女性”。どんな恋愛模様を人生に刻んでいくのか、とても興味がありますね。
2017年10月22日「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」「任侠ヘルパー」「ガリレオ」の古家和尚が完全オリジナル脚本で描く、井上真央主演ドラマ「明日の約束」が10月17日(火)本日21時よりスタート。20分拡大で放送される第1話では、「井上真央VS仲間由紀恵」の対決がいきなり幕を開けるようだ。ドラマは、井上さんが高校のスクールカウンセラー・藍沢日向を演じ、親子をはじめとする人間関係に葛藤しながら、生徒の不可解な死の謎を追うヒューマンミステリー。今夜放送の注目の第1話冒頭は、物語の舞台である神奈川県の穏やかな海からスタート。学校内の日向は「最後に味方になってあげられる大人」として、生徒に温かいまなざしを向ける人物。しかし、そんな穏やかな日常は突然急変。不登校の男子生徒・吉岡圭吾(遠藤健慎)のことを気にかけ、担任教師の霧島直樹(及川光博)と家庭訪問をすると、そこに待ち受けていたのは、息子に過干渉で過保護な“毒親”真紀子(仲間さん)。真紀子は息子への日向の接触を妨げ、さらには家庭訪問や聞き取り自体を「息子にとってのストレス」として強くけん制。突き刺すようなまなざしで、不登校自体を学校のせいだと主張する真紀子に対し、日向は疑念と反発を抱いていく…。初共演となる“井上さんVS仲間さん”の対決は初回から幕を開け、今後緊迫感を増しながら、物語の大きな軸として繰り広げられていくという。加えて、本作を語るうえで欠かせない登場人物たちの“異様な人間関係”も初回から見逃せない!特に、“毒親”真紀子と圭吾の親子。圭吾を「圭ちゃん」と呼び、溺愛する真紀子は、息子の外部との接触を制限するために、ささいな行動の変化を日々見逃さない。その徹底された束縛は、見るものに恐怖感すら抱かせる…。先日の制作発表では、共演者から現場で「かわこわ」(=可愛いけど、怖い)とささやかれていると明かしていたが、そんな仲間さんの怪演に注目だ。また、負けずとも劣らずに異様な気配を漂わせるのが、日向とその母・尚子(手塚理美)との関係。「好きになれない」と日向が明言する尚子との関係は、自らがカウンセラーを志したきっかけにもなったほど重いもの。第1話では、日向の口から「中学生のとき、ブラジャーを買ってくれなかった」という衝撃の発言が。親子関係が幼少期からいびつだったことが如実に表わされている。また、尚子から日々の言動を改善するための「明日の約束」という交換日記を強制的につけさせられていた日向。物語を通して“毒親”真紀子と対峙する中で、自らの母親の姿を重ね合わせ、関係に悩み、向き合っていくことに。こちらの親子関係も見逃せない。なお「GYAO!」では、毎週の放送後に登場人物の秘密や過去など、地上波放送では描かれなかった秘密を映した新たなドラマが無料配信。青柳翔、佐久間由衣、遠藤健慎、井頭愛海らが出演する。「明日の約束」は10月17日(火)より毎週火曜日21時~カンテレ・フジテレビ系全国ネットにて放送(初回20分拡大)。(cinemacafe.net)
2017年10月17日(写真:アフロ) 「5歳からスケートを始めてきました。なにか、スケートとともに歩いて行くのかなと感じています」 9月25日に27歳の誕生日を迎えた浅田真央は、都内のイベントで今年の抱負を語っていた。4月に現役を引退してから半年、これまで浅田は“自分探しの旅”を続けていたという。 「今年1月には、ロサンゼルスを訪れています。幼いころ通っていたフィギュア教室時代の親友に会うためだったと聞いています。また引退会見の前には、スリランカへのひとり旅も決行。さらにゴールデンウィーク前には、同じく現役を引退した村上佳菜子さん(22)と1週間の沖縄旅行にも出かけていたそうです。そうした旅を通じて、彼女は『第2の人生をどう生きていきたいのか』と自問自答してきたといいます」(フィギュア関係者) フィギュア漬けだった“青春時代”を取り戻すかのように、世界各地を放浪してきたという浅田。だが彼女がたどり着いた“結論”は、やはりフィギュアだった。 「周囲の人からはスポーツキャスターや舞台女優としての転身も薦められていたそうです。でも先日、彼女が『私、やっぱりフィギュアスケートが好き。離れることなんてできない』と漏らしていたんです」(前出・フィギュア関係者) 現時点では今後について明言していない浅田。だが実はすでに、ある計画を明かしていた。 「浅田さんは、指導者としての道を模索し始めています。『ノービスクラスの選手を育ててみたい!』とも言っていたそうです。小学生の彼女たちを1から教えることで、世界に羽ばたかせてあげたいと考えているようですね。最終結論は平昌五輪後になるかと思いますが、現職のコーチのもとで指導法を学ぶことになるでしょう。すでに、お世話になったコーチなどに相談しているとも聞いていますよ」(別のフィギュア関係者)
2017年10月13日フジテレビ系連続ドラマ「明日の約束」制作発表会見が11日(水)に都内で行われ、主演の井上真央、共演の及川光博、工藤阿須加、白洲迅、新川優愛、佐久間由衣、青柳翔、羽場裕一、手塚理美、仲間由紀恵が登壇した。本ドラマは、誰よりも人の心に寄り添うスクールカウンセラーが、突如発生したこの世でいちばん謎が残る死の原因を究明するヒューマンミステリー。スクールカウンセラー・藍沢日向を演じる井上さんは、「イケてるメンズが多い現場」と笑いながら、「可愛い後輩、頼りになる先輩方と楽しく安心感がある中、撮影は順調に進んでいます。放送前は何ともいえない緊張感がありますが、よい作品になっていると思います」と自信をもって本作をアピールした。また、「スタッフやキャストの心の声を聞いて、現場でもカウンセラーでいたい」と話すと、河西秀幸プロデューサーに対しても「台本が遅いぞ」とか「今日のお弁当いまいちだったぞ」などというクレームを自ら伝え、「戦いたい」と宣言。そんな井上さんに、及川さんは「真央ちゃんは結構男らしいところがあって、空気がダラッとしたときに『ヨォッ!』と声をかけて士気を上げてくるんだよね」と感心の声を寄せた。一方、亡くなった男子生徒の“毒親”・吉岡真紀子役の仲間さんは、「現場で困ったことが起きています」と切り出すと、「今回、怖いお母さん役ということで、何もしゃべっていないのにみんなにすごく恐れられている感じがして…。誰もニコリともしてくれないし、皆さんがちょっと離れ気味で現場にいらっしゃるので、これは今後やっていけるかな…」と困惑気味に吐露。しかし、そんな仲間さんについて、井上たちは「可愛いけど怖い、“カワコワ”って呼んでいます」と明かすと、「殺伐としてはいないです。仲間さんはいい香りもしますし、みんなテンションが上がっています」とフォローし、仲間さんを安心させていた。「明日の約束」は10月17日よりフジテレビ系にて毎週火曜夜9時~9時54分放送(初回20分拡大)(text:cinemacafe.net)
2017年10月11日(写真:アフロ) シニアデビュー戦となる「USインターナショナルクラシック」に出場し、断トツの成績で優勝した本田真凛(16)。一躍“ポスト浅田真央”として注目を集め、平昌五輪出場を期待する声も高まっている。 真凛といえば本田きょうだいの次女としても有名。長男の太一(19)、ドラマ『家政婦のミタ』(日本テレビ系)でブレークした三女の望結(14)、さらに四女の紗来(10)もフィギュア選手というフィギュア一家に育った。 「望結ちゃんは女優だけあって、その表現力が真凛ちゃん以上。紗来ちゃんはジャンプ力に恵まれていて、真凛ちゃんが『紗来がシニアに上がってきたら引退する』と言うほどの才能の持ち主です」(前出・スケート関係者) そんなきょうだい4人の総監督が、父親の竜一さんだ。 「お父さんは会場でもかなり目立つ存在で、メディアとの付き合いも上手。『今度、真凛が表彰されるから取材に来てよ』とさりげなく子どもの活躍をアピールするなど、マネージャー的な役割も果たしています」(前出・スケート関係者) そして竜一さんが、子供たちに施してきた“英才教育”は驚くべきものだった。彼の著書『本田家流子育てのヒント』(プレジデント社)には、こんな記述がある。 《どうすればもっと、子どもたちのもっている“可能性”を伸ばしてあげることができるか、そのために何ができるかと常に考えてきました。(中略)良いと思ったことはどんどん取り入れ、結果が出ることは続けてきました》 実際、真凛は2歳から始めたフィギュアに専念するようになるまで、数々の習い事に挑戦してきた。 「お父さんはいつも子供たちの習い事に奔走していましたね。車には仮眠用の布団までのせて、朝6 時から日付のかわるころまで送迎していました」(本田家の知人) だが、大変なのはそれだけではない。トップクラスのフィギュア選手を育成するためには、少なく見積もっても年間300万円の費用が必要だと言われている。それが4人も……。なぜ、それほどの費用をかけることができたのか? 「実は、真凛ちゃんは超がつくお嬢様。おじいさんが会社を4つも経営しているんです。4社合わせた年商は20億円を超えるといいます。竜一さんが子どもたちの教育に専念できているのは、おじいさんの計らいです。以前おじいさんが『孫たちには年間1人1千万円もかかるんや』と漏らしていました」(祖父の知人男性) この祖父こそが、英才教育を金銭面で支えていたのだ。そして祖母もまた、真凛たちをサポートしてきたという。本誌は京都市内にある祖父母の自宅を訪れた。チャイムを鳴らすと、祖母が取材に応じてくれた。 ――真凛ちゃんのシニア大会優勝おめでとうございます。 「真凛の父親から『優勝できたよ、ありがとう』と報告があって、喜んでいたところです」 ――平昌五輪への出場も期待されていますが。 「出られたら嬉しいですけど、あの子が元気に滑ってる姿を見てるだけで幸せです」 表彰台で見せる最高の笑顔が、ここまで支えてくれた祖父母への“恩返し”になることだろう――。
2017年10月02日山本あきこ初の秋冬本「暖かいのにおしゃれになれる」人気スタイリスト山本あきこの新書「毎朝、服に迷わない 秋/冬 暖かいのにおしゃれになれる (ダイヤモンド社)」が、2017年9月14日に発売された。秋冬にありがちな、「どうしても着ぶくれしてしまう」、「寒すぎて、おしゃれよりも防寒を重視してしまう」、「色が暗くなってしまいがち」などの悩みを、山本あきこが解決。「着ぶくれしないために、白をちりばめる」など、秋冬のコーディネートに役立つテクニックが満載だ。現在、Amazon.co.jpにおいて、予約を受け付け中。Kindle版は1,458円、単行本(ソフトカバー)は1,620円。山本あきこのプロフィール人気スタイリストの山本あきこは、1978年5月28日生まれ、東京都出身。人気女性誌などのスタイリングを担当する他、「センスは持って生まれたものではなく鍛えられる」をモットーに、ファッションセミナーや、スタイリング講座などを実施。これまでにスタイリングをした人数は1,500名を超える。山本のテクニックが詰め込まれた著書には、「いつもの服をそのまま着ているだけなのになぜだかおしゃれに見える」、「毎朝、服に迷わない」などがあり、幅広い年代の女性たちから支持されている。(画像は山本あきこ オフィシャルブログより)【参考】※山本あきこ オフィシャルブログ※Amazon.co.jp
2017年09月27日4月に引退を表明した元フィギュアスケート選手の浅田真央さん(26)がこのほど、インスタグラムを開設した。17日の初投稿で、「公式Instagram始めました」と花の写真をアップ。同日更新した2回目の投稿では、「日本橋高島屋 真央展始まりました9月25日までやってます」と現在開催中の浅田真央展で撮影した写真を掲載し、姉・舞と共にポーズを決めた2ショットもアップした。公式サイトでも20日、「公式Instagram始めました!アカウントは、@maoasada2509です」と正式に発表された。インスタ開設に、ファンから「インスタ開設ありがとうございます~~! 真央ちゃんの近況を見られるのがとっても楽しみです」「本当に嬉しい~~これからも、ずーっと応援し続けます」「真央ちゃん!待ってました笑笑」「ギャー嬉しすぎる~」「やったあー!」「真央ちゃん更新楽しみにしてますっ」などと歓喜の声が上がっている。
2017年09月20日10歳にして日本クラシック音楽コンクール全国大会グランプリを獲得し、その後世界各国の音楽コンクールで1位に輝いてきた藤田真央さん。昨年、特別特待生として東京音楽大学に入学した藤田さんにお話を伺いました。みんなの反応が知りたいから緊張するよりも早く弾きたい。インタビューの直前に行われたコンサートでは超絶技巧の曲を笑顔で弾き、ユーモラスなMCでも会場を魅了した藤田さん。彼は、舞台で緊張したことがないという。「3歳でピアノを始めてから、舞台に立つのが楽しくて仕方がありませんでした。ガチガチに緊張している他の子供たちを見て、何でだろう?私なら人前で弾くために練習していたのだから早く弾きたくてしょうがないし、お客さんの反応が見たいのに…って」適度な緊張を楽しむ度胸は、幼少期から変わらない。自分の演奏に納得するのはどんな時かという質問には「納得はしません。演奏に満足してしまったら、ピアノを続ける意味がないから」と笑う。とても丁寧で、おっとりとした口調で話すが、ストイックな答えだ。「ピアニストを仕事として意識したのは、最近のこと。難しい曲のリクエストが増えて、より高い水準の練習が必要になりました。そのぶん、例えばベートーヴェンとショパンなど、全く異なるタイプの曲を同じプログラムに入れて弾き分け、それを感じ取ってくれたお客さんから的確なコメントをいただいた時なんかは、意図するものが伝わって嬉しいし、ピアノがより面白く感じます。とはいえ自分の終わった演奏は全く振り返らないし、昔からミスはすぐに忘れるタイプ。褒められたことはよく覚えているんですけどねぇ」練習で重視しているのは、美しい音色と響き。一音に命を懸ける覚悟で演奏する。「2時間ものリサイタルに備えてジムで筋トレをしているピアニストもいますが、私の場合は筋トレをする時間も、ピアノを弾いていたい。これまでピアノしかやってこなかったので、リサイタルが終わった後でも、翌日でも、他にやることがないので結局ピアノを弾いているか、もしくは、自分の人生設計を立てています。モーツァルトもシューベルトも短命だったので、一応私も、30代で終える用~80代で終える用まで、色々なバージョンを作っているんですよ(笑)」ふじた・まお1998年生まれ。東京音楽大学ピアノ演奏家コース・エクセレンスに在学中のピアニスト。2009年、日本クラシック音楽コンクール全国大会を皮切りに、世界各国の音楽コンクールで1位に輝く。また、国内外の音楽祭から招待を受けることが多く、精力的にリサイタルを行っている。※『anan』2017年9月6日号より。写真・内山めぐみ取材、文・若山あや撮影協力・eplus LIVING ROOM&DINING(by anan編集部)
2017年09月02日ぴあ株式会社より、『moment on ice vol.2』が発売となりました。アスリートが輝く“瞬間"をキャッチするグラフ・マガジン『moment on ice』の第2弾は、浅田真央さんのプロスケーターとしての1st Stepを記録。「THE ICE 2017」全編撮りおろしのほか、浅田真央さんの13年の軌跡を振り返ります。■本書の見どころ浅田真央・浅田舞姉妹を中心に、世界と日本のトップスケーターが集結するアイス・ショー「THE ICE」。2017年の今年は、7月29日~31日に大阪、8月4日~6日に名古屋で開催され、浅田真央、浅田舞、髙橋大輔、織田信成、鈴木明子、小塚崇彦、村上佳菜子、宮原知子、無良崇人、宇野昌磨、ジェフリー・バトル、長洲未来、チン・パン&ジャン・トン、ケイトリン・ウィーヴァー&アンドリュー・ポジェ、アデリナ・ソトニコワらが出演。「真央メドレー」と題された特別なプログラムや、それぞれの演技シーンを美麗な写真で紹介します。また、浅田真央さんの13年の選手時代、その13年の軌跡を写真で振り返る特集も。今年4月に引退を発表してから約4カ月……これまでと、いま現在の浅田真央さんを特集した、手元に残したい1冊となっています。撮影:スエイシナオヨシ、ほか『「moment on ice vol.2」フィギュアスケートぴあ 特別編集』書籍情報出典:「moment on ice vol.2」フィギュアスケートぴあ 特別編集著者:ぴあ株式会社発行:ぴあ株式会社単行本:65ページ発売日:2017/8/23価格:908円[公式サイト](お問い合わせ先)ぴあ株式会社
2017年08月24日山本美月が主演を務めるAmazonオリジナルの連続ドラマ「東京アリス」。このほど、山本さんをはじめとする仲良し女子4人組と、彼女たちを取り巻く男性たちの恋が始まる予告映像が公開された。「クローバー」「月と指先の間」で知られる人気漫画家・稚野鳥子による大ヒット少女コミックを実写化した本作。人生の岐路に立つ同級生4人組のリアルな姿と恋愛模様を描き、シリーズ累計210万部突破(電子書籍含む)大人気ラブコミックの待望の連続ドラマ化とあって、大きな注目を集めている。このたび解禁された90秒の予告映像は、お買い物大好きなOL有栖川ふう(山本美月)、駆け出し漫画家の羽田みずほ(トリンドル玲奈)、生粋のお嬢様・円城寺さゆり(朝比奈彩)、クールな女医の桜川理央(高橋メアリージュン)の仲良し同級生の4人が、代官山でシェアハウスを始めるところから始まる。代官山、恵比寿、表参道などを舞台に、憧れの東京ガールズライフをはじめた4人。そして、恋に仕事に奔走する彼女たちがそれぞれ出会う男性たちが登場する。ミステリアスな男・翡山(大東駿介)に強引に誘われるさゆり、冷徹で容赦ない仕事から“アイスマン”と呼ばれている奥薗(大谷亮平)とふうは、上司と部下の関係からまさかの恋仲に発展!「お前の気持ちはどうなんだよ?」と奥園に問いかけられた、ふうが出す答えとは…?しかし、同僚の環(佐津川愛美)と奥園の親しげな様子も目撃してしまい、やきもきする場面も。さらに、白石隼也、小関裕太、杉野遥亮、柳俊太郎と、いま注目の若手俳優たちも続々登場。ときに傷つきながら、それぞれの人生と恋模様が交差し、ドラマチックに物語が展開。映像全編を通してchayによるエンディングテーマ「恋のはじまりは突然に」も、爽やかに彼女たちの恋を見守っている。また、同時に解禁となった60秒の予告映像では、仲良し4人組の紹介を中心に、同じくchayさんによるオープニングテーマ「恋はアバンチュール」にのせて彼女たちが仕事に頑張る姿が。合わせてチェックしてみて。Amazonオリジナル「東京アリス」は8月25日(金)よりAmazonプライム・ビデオにて独占配信開始(全12話)。(text:cinemacafe.net)
2017年08月22日BSジャパンにて放送中の時代小説の巨匠・山本周五郎の「武家モノ」に焦点をあてた1話完結物語「山本周五郎時代劇 武士の魂」。この度、9月12日(火)放送の本作の最終話の主演に、若手俳優・水田航生が抜擢された。若い武士のプライド、友情、そして移り行く時代の流れへの葛藤を色濃く演じていく。山本周五郎没後50年の今年、改めて「日本人とは何か?」を問い詰めた珠玉の名作を放送する本番組。武士として生きる以上、藩命に従い、ときには犬死にをも覚悟しなければならず、「武士の矜持を守ること」とは「死と隣り合わせで生きること」。そうした厳しさを正面から描いた山本周五郎の原作の中でも人気の高い「失蝶記」が、全12話の最後の話を締めくくる。そんな第12話で主演を務めるのが、2005年、約5,000人の応募者の中から「第1回アミューズ王子様オーディション」のグランプリを受賞しミュージカル「テニスの王子様」(2009、2010年)に出演した水田さん。また舞台だけでなく、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』や「クズの本懐」「ファイブ」など映画やドラマにも出演している。本作では、青年藩士・谷川主計役を演じる。水田さんは「初の時代劇主演ドラマ、ということもあり自分では覚悟を持ってこの役を演じました。その覚悟は武士として生きた谷川の覚悟にも反映させていきたいと強く感じて臨みました。キャストスタッフさん全員の熱い想いで武士の終焉の時代を創れたと思います」とコメント。また今回の出演で、幕末の細やかな時代背景など改めて勉強する機会にもなったと言う水田さん。「人間が何かを失ってでも必死に存在価値を見出し、それぞれの信念の為に生きようとする武士の魂は純粋にいまを生きる僕たちの心を打つと思います。いまを生きる人たちの心に必ず響くと確信しています。自分の中で何かが変わる、開けるキッカケになると思います」と語っている。また今回水田さんは、出演が決まると1か月におよぶ殺陣稽古に取り組み、立ち回りだけでなく、武士の矜持をも自身にたたきこむ勢いで撮影に挑んだそう。ファンにとっても見慣れない、彼の髷(まげ)姿や二本差し侍の格好を披露した今回。容姿だけでなく、心身ともに成長していく彼の姿にも注目してみて。山本周五郎時代劇 武士の魂「失蝶記」は9月12日(火)20時~BSジャパンにて放送。(cinemacafe.net)
2017年08月14日「選手生活の晩年に見せた辛そうな表情を覚えていますから……。心の底から楽しそうに演技する真央ちゃんの姿を見て、涙が出てしまいました。本当に美しい、心に響く滑りでした」(会場にいた女性客) 競技者として引退した浅田真央(26)。7月29日に始まったプロスケーター初仕事『THE ICE 2017』で、見事な演技を見せた。 「出演料は競技者時代の2倍になっているそうです。1日あたりメインで200万円、ゲストでも150万円ほどになったと聞いています」(スポーツジャーナリスト) ちなみに先輩・荒川静香(35)が、引退翌年に出演したアイスショーは61回。仮に同程度、浅田が出演すれば、それだけで1億円ほど稼げることになる。リンク外での収入もある。 「CM出演料に関しては、4~5千万円まで上がっています。引退時点で彼女がCMやイメージキャラクター契約を結んでいた企業は9社。引退後もスポンサー離れは起きていません」(スケート関係者) 引退後の荒川選手のようにテレビ番組などに、積極的に出演すればさらなる収入増も。 「テレビの出演料も、倍の300万円になったそうです。今までは出演料やスポンサー料から、一定の割合をスケート連盟に収めていましたが、今後はそれもなくなります。さらにコーチ費用やリンク使用料も、選手時代ほどはかからなくなる。現役時代から2億円以上の年収があったと言われる浅田さんですが、プロになれば倍の4億円は見込めると思います」(前出・ジャーナリスト) 荒川は、引退後に推定2億5千万円の豪邸を無借金で建てた。だが荒川と浅田には大きな違いがあるという。 「24歳で金メダルを取ってから、国民的なスターになった荒川さんと違い、真央ちゃんは10代のころから常に世間の注目を浴びてきました。いわゆる『青春』というものがないに等しかったし、十分働いたという感覚はある。普通の女の子として、勉強、恋愛だってしてみたいと考えても不思議ではないでしょう。いずれ日本を離れ、海外の大学に入るという選択肢もあるかもしれませんね」(別のスケート関係者) 国民の期待を背負ってきた浅田。これから自分のための人生を楽しんでほしい。
2017年08月03日「初めて音を合わせた時にビビビッと電流が走るような快感、直感があった」。そう語るのは、超絶かつ繊細なテクニックで国内外にファンを持つピアニスト、中村天平だ。解体業などを経験しピアニストへという異色の経歴をもち、Tシャツ姿でのプレイや、“平成の寅さんツアー”と称し全国行脚を行なうクラシック界の異端児の心を掴んだのは、フュージョン界の鬼才ドラマー、山本真央樹。このふたりが、白熱した音の会話を繰り広げる新ユニットが、天平&真央樹である。天平&真央樹 チケット情報「元々Neo Resistance Quartettoという弦楽器も入ったバンドを一緒にやっていて。そこでは、クラシックとロックとモダンとを混ぜた、聴きやすい音楽がコンセプトで。作曲時にドラムのフレーズも打ち込みで作って、“こういうイメージで”と伝えていたんです。今回はあえてドラムのフレーズを作っていないんです。真央樹くんの想像力を信頼しているし、面白いものが出てくるんじゃないかなっていう。ピアノもドラムもここでしかできないことで、ひとつの究極を目指していくのが天平&真央樹でのコンセプト」(天平)「天平さんのプレイは、ピアノのソロなのに打楽器的なんです。最初に合わせた楽曲“火の鳥”も、ドラムの音が聞こえてくるからその場でパッとできたんです。僕はドラムというひとつの楽器担当という意識はあまりなく、今作も、ピアノから聞こえてくる音を自分で譜面に昇華していって。ここはこうしたらもっとカッコよくなるんじゃないかってアイディアを出し合いながら、トータルな意味で音楽を完成させるスタンスでした」(真央樹)1stアルバム『kaleidoscope』は、“万華鏡”の意味通りに変幻自在な音の世界が広がる。代表曲「火の鳥」などはプログレッシヴな曲だが、複雑さに重きを置いた曲ではない。どの曲もドラマに満ち、プリミティヴな感動を呼び起こす。「曲を作るときには、心の動きが大事。変かもしれないですけど、僕は、傷ついてなんぼだと思っているんです。傷つくのを恐れて、危険な道を避ける人たちが大多数だと思うんですけど。僕はあえて、挑戦する道を選ぶというか。心の振れ幅も大きなものを得られるし、それが曲の原動力になっていますね」(天平)12月には初のライブツアーを東京・大阪・名古屋で開催する。会場はクラブクアトロ。ふたりの熱と汗を間近で感じられるライブを楽しみにしたい。「アルバム『kaleidoscope』の10曲だけでなくて、新曲も引っさげていきたいので。集中力、爆発力、熱量がトップに上ったツアーになると思います」(天平)取材・文:吉羽さおり
2017年08月01日これまで幾度も再演を重ねてきた『ふるあめりかに袖はぬらさじ』。有吉佐和子が杉村春子のために書き下ろし、数々の名優たちが演じてきたこの名作に、大地真央が初めて挑戦する。それも、宝塚歌劇団気鋭の演出家・原田諒演出のもと、音楽劇として立ち上げるという。幕末の三味線芸者・お園が見せる悲喜劇が、大地の魅力を存分に活かして蘇る。舞台『ふるあめりかに袖はぬらさじ』チケット情報『ふるあめりかに袖はぬらさじ』が描くのは、幕末の横浜での遊郭の話である。攘夷運動が高まる中、思い合う相手がいながらアメリカ人に見初められてしまった花魁・亀遊が、自ら命を断ってしまうことから物語は始まる。亀遊を思い、この悲劇を客に語って聞かせるようになるお園。だがやがて、“異人を拒んで死んだ攘夷女郎”という虚像ばかりが膨らんでいくことに……。そこから見えてくる人間のおかしさと悲しさに演じる難しさもある。大地は言う。「今までいろんなヒロインと言われる人物と出会ってきましたけど、お園さんはちょっと違うといいますか…。世話好きでお調子者でかわいらしくて、それでいて、時代に翻弄されながらもたくましく生きる強さも感じる。本当に人間味あふれる人なんです。ですから、演じるのはひと筋縄ではいかないんですけど。それだけに挑戦しがいがあるなと思います」。演出を手がける原田については、宝塚での作品を観て、「才能あふれる演出家」と前々から感じていたそうだ。「昔から変わらない宝塚の良さを残しつつ斬新な挑戦をしていらっしゃって。とにかく台本が面白いなと思っていたんです」。となれば、この名作が音楽劇になることにも期待が膨らむ。「歌や踊りが加わることで華やかさとテンポが出て、新たな『ふるあめりかに袖はぬらさじ』になるのではないでしょうか。しかも盛りだくさんではありながら、締まるところは締まってほろりとくる。そんなドラマチックなものを目指したいですね」。さらに大地には、三味線の弾き語りという初挑戦も待っている。「まだまだ、日々修行中なんですけど(笑)、“三味線の音色とか好きだな”と思えてきているので、あとは努力のみです!粋を感じてもらえるところまでいけたらいいんですけど」と意気込む。明治座という時代劇の似合う劇場で観ることで、よりその世界観を味わうこともできるだろう。「かわら版から人の噂が広まっていく当時と現代のネット社会は近しいものがあるし、意外に自分たちと共通する点があると感じます。それも含めて、明治座ならではの空間で、新しい “ふるあめりかに袖はぬらさじ ”を楽しんでいただきたいですね」と大地。華やかさの中で、いつの時代も変わらないものが突きつけられることにもなるだろう。公演は7月7日(金)から8月6日(日)まで東京・明治座にて。取材・文:大内弓子
2017年06月13日フジテレビ系で毎週水曜日に放送されている「おじゃMAP!!」の5月17日(水)今夜放送回に俳優の山本耕史が登場。3月以来のゲストとなる山本さんは親友の香取慎吾、「アンタッチャブル」山崎弘也、そしてもう1人のゲスト・叶美香と共に新潟ロケに繰り出す。今回のロケは絶景を見ながら新潟の旬を食べ絶品グルメを味わう「レストランバスツアー」。新潟駅を出発した一行はレストランバスのなかで地元産のワイン「シャルドネ」を楽しみ日本海の絶景を味わえる青山海岸で休憩。最初の目的地のワイナリーでは醸造の現場を見学、新潟ならではのワインを飲み比べる。バスではおいしいワイナリーの赤ワインと新潟産の牛すね肉を使った料理や、新潟産の自然栽培コシヒカリと、そのコシヒカリを食べて育てられた鶏卵を使用したリゾットなどが登場。その後もカブの収穫を体験するなど、最後まで思わぬ出会いやハプニングの連続に溢れた旅を満喫する。今回ゲストとして出演した山本さんは、現在公演されている舞台“劇団☆新感線「髑髏城の七人」Season花”に出演中。同作は「劇団☆新感線」の代表作のひとつ。1990年に古田新太主演で初演されると市川染五郎、小栗旬など様々なキャストで再演が繰り返されてきた。今回は“花・鳥・風・月”の4シーズンに分かれてのロングラン公演となり、小栗旬がかつて織田信長の影武者だった捨之介を演じるほか、山本さんがかつて森蘭丸だった蘭兵衛を演じ、成河、りょう、青木崇高、近藤芳正、古田新太らも出演。豊洲に新しく誕生した客席が回転する新趣向の劇場「IHIステージアラウンド東京」で上演されており、そのステージを生かした演出も見どころ。“Season花”は6月12日(月)までの公演となり、その後は“Season鳥”が阿部サダヲ、森山未來、早乙女太一、松雪泰子らのキャストで6月27日(火)から上演開始となる。ドラマ、映画、そして舞台と幅広い活躍をみせる山本さんと親友の香取さんらが新潟の“旬”を味わい楽しむ「おじゃMAP!!」は5月17日(水)19時~フジテレビ系にて放送。(笠緒)
2017年05月17日(写真:アフロ) 4月13日、浅田真央が会見を開き、現役引退を発表した。 06年のトリノ五輪は年齢制限の壁が立ちふさがり、当時15歳の浅田は出場できなかった。満を持して金メダルを狙った10年のバンクーバー五輪では、キム・ヨナに惜敗し銀メダルに。そして14年のソチ五輪では、SPでまさかの16位。フリーで完璧な演技を披露したものの、メダルには届かなかった。 そんな浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だった。浅田の叔父はこう語る。 「匡子は12歳で父を亡くし、20歳で母を亡くしています。それからは姉と2人で生活し、ずいぶん苦労もしたそうです。だからこそ、自分の娘たちには好きなことをやらせてあげたいと思っていました」 母を勇気づけるため、浅田もまた“ある決断”をしていたという。 「実はバンクーバー五輪の直後、真央さんは実家の隣地を買い取っていたんです」 そう明かすのは、近所の主婦だ。10年4月、浅田が代表を務める有限会社名義で隣地を購入している。約400平米の土地に建つ木造2階建ての中古物件。そこには、母の夢が込められていた。 「浅田家の隣が売りに出され、それを知った匡子さんが気に入ったそうです。匡子さんは『リフォームして真央のメダルやトロフィーを飾りたい』と嬉しそうに話していました。真央ちゃんはお母さんの生きがいになればと思い、購入したのでしょう。匡子さんは桜の木を剪定させるなど、庭の手入れに励んでいました。夏の暑い日でも汗だくになりながら、雑草取りをしていてね。大変そうでしたが、嬉しそうだったのを覚えています」(前出・主婦) その後も“真央ルーム”完成に向けて頑張っていた匡子さんだが、病状は悪化。そしてついに11年12月9日、匡子さんは48歳の若さで天国へと旅立ってしまった。 母の命が長くないことを覚悟した浅田は、母を看取る前から独り立ちへと向けて動き出していた。マンションで一人暮らしを始め、多忙なスケジュールを縫って自動車の運転免許も取得している。 「それまで送り迎えはお母さんの役割でした。でも真央ちゃんは自ら車を運転して移動するように。『私はもう大丈夫だから!』とお母さんに伝えたかったのでしょう。実は今も真央ちゃんの車とお父さんの車のナンバープレートには、同じ数字が並んでいるんです。お父さんに聞いたところ、『女房の誕生日なんです』と教えてくれました。お母さんへの思いは、今でも家族の心に残っているみたいですね」(別の近所の主婦)
2017年04月18日引退会見から一夜明けた4月13日、浅田真央(26)の姿は名古屋市内にあった。“真央ちゃんショック”が冷めやらぬなか、彼女はひそかに実家へと戻っていたのだ。マスク姿で実家から出てくると、駐車していた車へと乗り込もうとする。そこで記者は声をかけた。 ――浅田さん、今日はお父さんへの引退報告に来られたのでしょうか? 「いや、ワンちゃんもいますから(笑)」 明るい声でそう答える。 ――お母さんの墓前には、どんなご報告を? 「特に何も。でも、報告しなくても(母は)わかってくれているので……」 しみじみと、しかし確信をもったようすで頷いた。 ――本当にたくさんの感動をありがとうございました。 「はい、ありがとうございました!」 車に乗ると笑顔で記者に一礼し、自ら運転して実家を後にした。その表情には、ひとつの区切りをつけた晴れやかさがあった――。 アスリートの枠を超え、国民的ヒロインとして日本中を湧かせてきた浅田。その道のりは苦難の連続でもあった。競技生活21年。ついに届かなかった五輪の金メダル。高い壁にぶち当たるたび、いつも浅田を支えてきたのは亡き母・匡子さん(享年48)だ。 「匡子さんは練習場で『死ぬ気でやりなさい!』と激を飛ばすこともありました。でもそれは娘の夢をかなえという母心。真央さんもそれをわかっていました」(フィギュア関係者) そんな匡子さんだが、バンクーバー五輪で涙を流す娘には「銀メダルってすごいことだよ」と言葉をかけたという。厳しかった母が心からの笑顔で労ってくれる。その優しさに触れた浅田は涙を拭い、再び前を向くことができた。しかし母の身体には病魔が潜んでいた。 「バンクーバー五輪後、匡子さんは肝臓の病気が悪化したため治療に専念することを決めました。真央さんと姉の舞さん(28)は『自分の肝臓を母に移植してほしい』と直訴したといいます。しかし匡子さんは頑として受け入れなかった。そして真央さんに『あなたにはフィギュアを一生懸命頑張ってほしい』と伝えたそうです」(前出・フィギュア関係者) そして11年12月9日、匡子さんは48歳の若さで天国へと旅立ってしまった。 冒頭の話を聞いた翌日、浅田は再び実家から出てきた。祖母を乗せ車に乗り込んだ彼女は、真っ赤なバラの花束を抱えている。向かったのは、匡子さんが眠る墓地だった。 花束を母の墓前にそっと供え、引退報告をした浅田。一般的な和花ではなくあえてバラを選んだのは、匡子さんが好きだったからだろう。墓前の周りを囲むように供えられた赤い花束。それは母とのこれまでを讃えるメダルのように、鮮やかに輝いていた――。
2017年04月18日「匡子さんは独学でトレーニング理論を学んでいました。ノートは100冊を超えていたそうです。またマッサージも勉強し、練習後は真央さんの身体のケアもするようになっていました」(フィギュア関係者) 4月12日の会見当日、浅田真央(26)は開始2時間前に都内のホテルへと到着していた。海外メディアを含む430人の報道陣がつめかけるという、今世紀最大級の記者会見。約50分の質疑応答を終えると、彼女は込み上げる涙をこらえながら壇上から去っていった。 そんな彼女の胸に去来したのは、亡き母・匡子さん(享年48)との日々だろう。名古屋市にある実家の近所の住人はこう振り返る。 「真央ちゃんがここまでの存在になれたのは、やっぱりお母さんが一生懸命だったからだと思います。お母さんは毎日、真央ちゃんを車に乗せてリンクや学校へ送迎していました。朝早くから夜遅くまでね。大変だったと思います」 そんな母の姿は、引退決断の陰にもあったようだ。昨年11月、浅田はグランプリシリーズのフランス大会で自己最低となる9位と惨敗。その夜、浅田は母の夢を見たという。 「夢に現れた匡子さんは優しく微笑み、『真央、もういいよ。長い間、お疲れさま』と囁いたそうです。その夢を母の“遺言”と受け取ったのでしょう。真央さんが引退を考え始めたのはこのころからだと思います」(別のフィギュア関係者) 氷上では厳しかった母。だが浅田がいちばん辛いときに優しい言葉をかけるのも、いつも匡子さんだった。それでも「平昌五輪に出場すると宣言して復帰した以上、やめるわけにはいかない」と競技を続けた浅田は、左膝の怪我の影響で力を発揮できず全日本選手権でも12位に。そして2カ月間に及ぶ逡巡の末、ついに現役引退を決意したという。 「引退会見で『言ったことを必ずやり遂げるというポリシーは、誰に教えてもらったの?』と聞かれた真央さんは『やはり母かなと思います』と答えていました。また彼女は旅行に行ったとも明かしていましたが、実は1月にロサンゼルスを訪れたそうです。ここはロスは匡子さんと10年前に長期滞在した地。ジャンプ練習のためお母さんと暮らした日々を、振り返ったのではないでしょうか」(前出・別のフィギュア関係者)
2017年04月18日日本を代表するトップフィギュアスケート選手だった浅田真央さんが、2017年4月10日に自身のブログで引退を表明しました。2015年に活動休止から復帰したことで今後の活躍が期待されていたため、引退報道にショックを受けた人は少なくないようです。日本で非常に人気の高い競技であるフィギュアスケート。浅田さん以外にもたくさんのスター選手がいましたよね。彼らが私たちに与えてくれた興奮と感動は、今後も記憶に残り続けることでしょう。しかし、それでも「もう一度活躍してる姿を見たい」と思う選手もいますよね。そこで今回は、パピマミ読者の皆さんに「また演技が見たいフィギュアスケート選手」についてアンケートを取ってみました!●また演技が見たいフィギュアスケート選手は?・1位:浅田真央……48%(48人)・2位:高橋大輔……17%(17人)・3位:荒川静香……12%(12人)・4位:伊藤みどり……7%(7人)・5位:小塚崇彦……4%(4人)・6位:浅田舞……3%(3人)・同率7位:町田樹……2%(2人)・同率7位:鈴木明子……2%(2人)・同率7位:安藤美姫……2%(2人)・同率7位:織田信成……2%(2人)※11位以下は省略※有効回答者数:101人/集計期間:2017年4月11日〜2017年4月12日(パピマミ調べ)●1位:浅田真央『普段はエンタメ系のニュースは軽く流して見る程度だけど、真央ちゃんの引退報道にはビックリした!小さいころから知っているだけに寂しいですね。引退してから言うのはズルいかもだけど、また真央ちゃんの演技をオリンピックで見たかった』(34歳女性/営業)『真央ちゃんのおかげでフィギュアスケートに興味を持ったし、オリンピックでも興奮できた。私にとってフィギュアスケート=浅田真央 だから、またいつか戻ってきてほしい』(27歳女性/販売)やはりダントツで1位を獲得したのは『浅田真央』さんで48%(48人)となりました。今や日本では誰も知らない人がいないほど有名な浅田真央さんですが、一番最初に世間で注目されたのは小学6年生でトリプルアクセルを成功させたころではないでしょうか。その後期待の新星として2006年のトリノオリンピックへの出場が期待されていましたが、年齢制限に87日足りないことで出場資格を得られませんでした。しかし、浅田さんはその後も活躍を続け、数々の大会で優勝。満を持して出場したバンクーバーオリンピックでは銀メダルを獲得しています。そんな日本のフィギュアスケート界を牽引してきた浅田さんが引退してしまうのは、やはり寂しいですよね。ファンのわがままとしては、オリンピックで金メダルを取る姿を見てみたかったという思いも少しあります。とはいえ、浅田さんは引退して別の道へ進む決断を下したのですから、彼女の気持ちを尊重して今後も応援していきたいですね。●2位:高橋大輔『今は世間は羽生くん一色だけど、私はずっと高橋大輔のファンでした。技術もさることながら、容姿も抜群で興味のなかったフィギュアスケートに一気にのめり込みました。とくにトリノの世界選手権で金メダルを取った ときは人生で一番興奮したと思います(笑)。また彼の演技が見たいです』(37歳女性/専業主婦)『私は実はあまりフィギュアスケートは興味ないのですが、高橋大輔さんが出ているときだけは必ず見ていました。また現役で活躍している姿を見たいなぁ』(41歳女性/販売)2位は『高橋大輔』さんで17%(17人)となりました。高橋さんは現役時代、その端正なルックスと世界レベルの技術力で絶大な人気を誇っていた選手として記憶に新しいですね。2010年のバンクーバーオリンピックではアジア人史上初となる冬季オリンピックでの銅メダル獲得し、同年に開催された世界選手権では男子シングルでアジア人史上初の優勝を飾りました。浅田さん同様、高橋さんも日本に数えきれないほどの感動と興奮を与えてくれましたよね。そんな高橋さんは引退してからも、アイスショー等で活躍されています。今後も彼の動向に注目していきたいですね。●3位:荒川静香『やっぱりトリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香が一番印象に残ってる。本当にすごい演技だった。また全盛期のころの演技をみたい』(31歳女性/事務)『あのイナバウアーをもう一回見たい (笑)。最後に見たのは10年くらい前だからもう一回みたら相当感動すると思う』(36歳女性/主婦)第3位になったのは、『荒川静香』さんで12%(12人)となりました。荒川さんは体の上半身を反らせる“イナバウアー”で有名だった選手ですね。アマチュア競技を引退してから10年以上経ちますが、未だに鮮明に覚えているという人も少なくないのではないでしょうか?荒川さんを語る上で欠かせないのは、やはりトリノオリンピックでの金メダル獲得ですね。五輪フィギュアでアジア人初の金メダルでしたから、当時は日本中が興奮していました。またあの興奮を、と思うのはファンなら当然の感情だと思います。荒川さんは今は日本スケート連盟の副会長を務めるなど、現役選手のサポートに回っているようですが、その中から第2の荒川静香が出てくるのを楽しみにしたいですね。----------いかがでしたか?いずれも私たち日本人に大きな夢を見させてくれた偉大な選手ばかりですね。浅田さんの引退は残念ですが、これからも浅田さんのようなスター選手はきっと出てくると思います。今後も日本のフィギュアスケート界を応援していきたいですね。【参考リンク】・【アンケート結果(1位〜11位)】また演技が見たいフィギュアスケート選手は?()●文/パピマミ編集部●モデル/前田彩(桃花ちゃん)
2017年04月13日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○引退決断までの日々、日本のフィギュアスケート界への思い――最終的に2月に引退を決断して、4月に発表。この2カ月くらいはどういう思いだったのでしょうか。いろいろと自分の気持ちの準備だったりもあり、今日に至りました。――引退を決意するまでに「平昌五輪という目標を掲げたのにここでやめていいのか悩んだ」とおっしゃっていましたが、全日本選手権が終わってからの3カ月間、どなたが一番決断を後押ししてくれたのか。家族だったり、お友達だったり、知っている方に相談はしました。みなさんそれぞれいろいろなアドバイスはくれたんですけど、最終的に決めたのは自分自身。その中でも旅行に行ったり、いろいろ今まで行けなかったところに行ったりして、考えながら日々を過ごしてきて、決断をしました。――21年間という競技人生の中で、一番大切にしてきた言葉はありますか?この決断をしてから、本当にたくさんの方が温かい言葉を送ってくださったので、私自身本当に晴れやかな気持ちで今この場にいます。なので、やはり「感謝」という気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたいなと思います。――こうやってスケートが日本でブームになって、世界でも強い国になったことに、自分はどう貢献できた、力になったと思っていますか?私が小さい頃は伊藤みどり選手をはじめ、本当にたくさんのトップのすばらしいスケーターがいました。そのスケーターの方々を見て、私もこうなりたいと思って、ずっとそれを目指してやってきました。ジュニアやシニアに上がってからは、スケーターがみんなそれぞれ強くて、魅力のある選手ばかりで、それぞれがいい刺激をし合いながら、切磋琢磨して頑張ってきました。そして、それを応援してくださるメディアの方やファンの方がいたから、ここまでフィギュアスケートもたくさん注目されるスポーツになったんじゃないかなと思っています。なので、これからのスケーターの子たちには、みんなでそれぞれ高めあって、刺激し合いながら、頑張っていってほしいなと思っています。○世界を感動させたソチ五輪のフリー「やるしかない」――ソチ五輪のショートプログラムから数時間の間に、どのようなきっかけで立ち直って、あの世界中が感動したフリーの演技につなげることができたのか、きっかけを改めて聞かせてください。ショートが終わってからは「あぁ、日本に帰れない」と思って、すごくつらい思いもしたんですけど、フリーの当日の朝もまだ気持ちが切り替わっていなくて、「このままで大丈夫なのかな」という形で公式練習を終えました。でも、試合が近づくにつれて、メークをして、アップをして、リンクのドアを出た瞬間にすごい会場で、「これはやるしかないな」という思いが出てきて、ようやくそのときに「やるしかない」と思いました。――競技が終わった瞬間はどうでしたか?最後のポーズは上を向いていたんですけど、「あぁ、終わった」って思いましたね。それと同時に「あぁ、良かった」という思いがこみ上げてきて、ちょっと涙してしまったんですけど、バンクーバーのときも悔し涙を流していたので、泣いてちゃダメだなと思って、頑張って笑顔にしました(笑)○新たな世界へ進む今の心境、競技人生で大事にしてきた信念――これから違う世界に進むことで、今考えていることは?また新たな一歩だと思ってます。でも、不安とか何もなくて、ただただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、これからも新たな経験をして、元気に前を見て進んでいきたいなと思っています。――(ロシアの)プルシェンコ選手も先日引退を発表しましたが、長く同じ競技の世界で戦ってきた仲間として思うことはありますか。私よりも長い選手生活で、本当にたくさんの記録を残してきて、本当にたくさんの人を魅了してきた選手だと思います。心から「お疲れさまでした」と言いたいです。――浅田さんの前を向く姿というのは本当に印象的だったのですが、大事にしてきた信念はどういうことですか?ちっちゃい頃から変わらないんですけど、一日一日もそうですけど、何かこれをしたいという目標を持ってやってきました。なので、目標を達成するという強い気持ちを持ってずっとやってきたつもりです。――選手生活を終えて、一番やりたいことは?1月、2月、3月と時間があったので、旅行に行ったり、おいしいものを食べたりすることができました。○キム・ヨナ選手への思い、引退決めた全日本選手権での心境――(韓国の)キム・ヨナ選手と競い合ってきました。彼女への思いは、あらためていかがでしょうか。私たちは15、16歳頃から一緒にジュニアの試合やシニアの試合に出てきました。本当にお互いにいい刺激を与えながら、もらいながら、ずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなとは思っています。――最後の全日本選手権はどんな気持ちで臨み、何が「もういいかな」と思ったのでしょうか。試合に向かう気持ちというのは、一つ一つの試合変わらないんですけど、常にノーミスをする、完璧な演技をする、自信を持って滑るというのを考えていました。演技が終わった時に、やはり完璧ではなかったですし、自分の現役生活最高の演技ではなかったので、少し悔しい気持ちもあったんじゃないかなと思います。その後、キスアンドクライに座って、得点と順位が出た時に「あっ、もういいのかもしれない」という風に思いました。――「もういいのかもしれない」というのはどういうことですか?全日本選手権は12歳から出場しているんですけど、一番残念な結果で終わってしまって、その結果も一つ大きな決断に至るにあたって大きな出来事だったんじゃないかなとは思っています。○平昌五輪について、オリンピックという舞台について――もしも一度だけ過去に戻れるとしたら、いつの自分にどんな言葉をかけてあげたいですか?26年間ですもんね。あぁ難しい(笑)。でも戻ることはないと思うので、パッと答えは出てこないですね。――今、平昌五輪についてどういう風に思われますか?あと1年で平昌五輪ということで、たぶん選手の方々はみんなそれぞれいろんな思いを持って日々生活していると思います。なので私は、エールを送りたいです。――真央さんにとってオリンピックの舞台は、どういう場所だったでしょうか。うーん、やはり4年に一度ですし、選手である以上はそれを目指して私も小さい頃からやってきたので、そこに出られた、そしてメダルを取れたということは本当に良かったなと思いますし、オリンピックは本当に素晴らしい舞台だなと思います。○もし生まれ変わるとしたら「スケートの道は行かないと思う」――もし生まれ変わるとしたら、もう一度フィギュアスケーターになりたいですか? それとも別のものになりたいですか?今こうして26歳までスケートをやって、すべてやり切って、もう何も悔いがないので、もしもう一度人生があるなら、スケートの道は行かないと思います(笑)――例えば何になりたいですか?本当にいろいろありますね。なんだろう。食べることが大好きなのでケーキ屋さんとか、カフェとか、レストランだったり、そういうのをやっていたのかなとも思ったりもします。○浅田真央のポリシー「自分が言ったことはやり遂げる」――「自分が言ったことは必ずやり遂げる」というポリシーは、どなたから授かった教えなのでしょうか。やはり母かなと思います。あとは、こういう性格なので、すごく頑固っていうんですかね。普段はそんなことないんですけど、自分が決めたことに関しては一応、頑固なつもりです(笑)――そのポリシーを貫いた最初の体験はいつだったか覚えてらっしゃいますか?しっかり覚えているのは、小さい頃に毎年、野辺山合宿という新人発掘合宿が長野県であるんですけど、そこで絶対トリプルアクセルを跳ぶと決めて合宿に行って、初めて降りた(成功した)というのが一番記憶にあります。――そこが現在の浅田真央という素晴らしいアスリートの原点と考えてよろしいでしょうか。自分で言うのもあれですけど(笑)、その時に目標を達成するとこんなにうれしいんだなって、また頑張りたいなと思えた時でした。○結婚の予定は「ない」、プロスケーターとしての思い――ご結婚のご予定はありますか?ないです(笑)。でも、お相手がいれば、その方と一緒に帰れたんですけどね(笑)――例えば(福原)愛ちゃんみたいに台湾の方と結婚なさるのは可能でしょうか? あと、ずっと寒いリンクにいらっしゃったので、暖かい所、例えば台湾でのんびりしたりとかすることはあるのでしょうか。(台湾から来た記者からの質問)私、愛ちゃんとお友達なので、もし台湾の方でいい方がいれば、ご紹介してもらいたいなと思います(笑)。本当に一つ行ってみたいところが台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます。――今後、プロスケーターとして活躍されているご予定かと思いますが、どういうスケートを見せていきたいと思いますか?一番近くにあるのは「ザ・アイス」なので、まだプログラムも作ってないんですけど、エキシビションナンバーを作ります。そのエキシビションナンバーで、今までのスケート人生のすべてを注ぎ込めるように、そういうプログラムを作っていきたいと思います。○涙をこらえながらの最後のあいさつ皆さん今日は本当にどうもありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、温かい言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。えー、(涙がこみ上げる)えー、スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて笑顔で…(涙を見せまいと後ろを向き、振り返る)前に進んでいきたいと思っています。(再び後ろを向き、振り返る)皆さん応援どうもありがとうございました。
2017年04月13日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○今後はまず、今年7月の「ザ・アイス」のアイスショーでいい演技を――今後どんな仕事をしていくのか注目されると思うんですが、自分の中でどんなプランがありますか?まず、もうすぐ夏にあるのが「ザ・アイス」のアイスショーなので、そこで選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑れるので、いい演技を目指して頑張りたいなと思っています。――フィギュアスケートにどういう形で携わっていきますか?やはり私は5歳からスケートを始めて、今までスケートにお世話になりました。なので、これからどんな形であってもフィギュアスケートに恩返しができるような活動はしていきたいなと思っています。――具体的なプランはこれからという感じですか?そうですね、はい。――日本フィギュア界についてうかがいます。浅田さんに憧れてスケートを始めた選手たちが今、トップスケーターになってきました。そういう環境も含め、日本フィギュアスケート界の今後についてエールをお願いします。引退された大先輩の方をはじめ、私も引退をすることになったんですけど、今まで本当にスケート界を引っ張ってこられたかなという風に思っています。これからは、今若い選手がどんどん出てきていますので、若い選手が若いパワーでフィギュアスケート界を引っ張っていってほしいなと思います。○フィギュアスケートは「私の人生」――浅田真央さんにとってフィギュアスケートは、あらためて振り返ってどんな存在ですか?存在…うーん。どんな存在ですかね。難しいですけど(笑)、一言で言うと、やはり人生かなと思います。――今、自分を褒めたい部分はどういうところですか?私、けっこう飽きてしまうことが多いんです。ハマってしまったらそれにハマってしまうんですけど、それがすぐに飽きちゃう性格で、でもスケートは5歳から26歳まで続けてこられたので、『長い間すごいね、続けてきたね』って言いたいです。――そういった意味では、どういうスケート人生でしたか?やはり私のすべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。――ファンの皆さんにも一言お願いします。本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくださって、本当に長い間、良い時も悪い時もあきらめずに応援してくれていたので、私もすごくそれが励みになりましたし、すごくパワーになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。○引退を迎えた今は「晴れやかな気持ち」、白スーツに込めた思い――アスリートなら誰もが迎える引退の日。自分がイメージしていた形と、実際この日を迎えられて、いかがでしょうか。本当に発表するまで、あまり自分の中ですごい実感というのはなかったんですけれど、またこうしてあらためてここに座って、今までのことを振り返りながら話していると、少しずつ、引退するんだなという気持ちがわいてきますね。――気持ち的には、寂しいのか、少しほっとしているのか、すがすがしいのか、いかがでしょう。本当に気持ちはすごく晴れやかな気持ちです。――これからスケート靴をあまり履かない生活、リンクから離れて少し暖かい生活が待っています。そうですね。私は1月から4月まではスケート靴を持たず、滑らずにずっといました。でも7月にショーがあるので、もう滑り始めます。――現役生活でやり残したこと、悔やむことはありますか?決断するにあたって、本当にたくさん悩みました。そういったやり残したことは何だろうと思うことがなかったので、それだけ本当にすべてやり尽くしたんじゃないかなと思います。――今日は白いブラウスに白いジャケットというお召し物ですが、その真っ白なお洋服に込められた思いはあるんですか?黒のスーツか白、どちらにしようかいろいろ悩んだんですけど、自分の気持ちとしては本当に晴れやかな気持ちなので、この服を今、着ています。○こだわり続けた"ノーミス"、代名詞の"トリプルアクセル"への思い――これまでの真央さんの競技人生の中で、何度も出てきた言葉というのが「ノーミス」だったと思うんですが、そこまで完璧、パーフェクトにこだわり続けたのはどういう思いがあったんですか?やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習してきているからこそ、誰もがミスしたくないと思う。でも、自分は試合にそんなに強いタイプではなかったので、あえて自分で言っていたんじゃないかなと思っています。――真央さんと言えばトリプルアクセルだと思うんですが、真央さんにとってトリプルアクセルはどんなものですか?私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、本当に跳べた時はすごくうれしかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけど、その半面やっぱり悩まされることも多かったです。――真央さんは5歳の時にスケートを始められましたが、今タイムスリップして5歳の時の自分に会うことができたら、どんな言葉をかけますか?うーん、難しいな(笑)。そうですね。「がんばって」って。やっぱり私はこれだけフィギュアスケートをやっていて、たくさんの方に応援してもらえて本当に幸せだなと思いました。なので、大変なこともあったんですけど、自分に対してエールを送ると思います。――以前、浅田選手が子供さんたちと接している様子がすごく印象に残っているんですが、浅田選手の経験から、日本、世界の子供たちに何かアドバイスというか、声をかけられることがあるとしたら、どんなことでしょうか。私は小さい頃から本当にスケートが大好きで、ただただスケートが大好きでやってきました。なので、今から始める子だったり、今頑張っている子には、「スケートを大好きな気持ちを忘れないでね」って言いたいかなと思います。私も子供が大好きなので、以前にもスケート教室とかやっていたんですけど、また機会があればぜひやりたいなと思っています。――あえてトリプルアクセルに声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか。難しい(笑)。トリプルアクセルに声をかけたい、声をかける…どうしよう。うーん、「何でもっと簡単に跳ばせてくれないの?」って感じです(笑)○フィギュア人生の支えとなった「目標」と「応援」――ここまで(フィギュアスケートを)続けてこられた支えとなったものは?一つは自分の目標ですね。それだけではないですけど、たくさんの方に支えられて、そして、たくさんの方の応援があったからだと思っています。――今年の世界選手権の平昌五輪の出場枠が3から2になることが決まりましたが、それをどう受け止めていたのか、それが引退の決断に影響したのか。さっき自分で言っていた、「平昌五輪に出るという目標をやめてしまう自分を、許せるのかな、許せないのかな?」と思いながらずっと過ごしてきて、でも最終的に、最後に話し合いをして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したというわけではなくて、自分自身が最後は決めることですし、そんな感じで決めました。2枠になってしまったことに関しては残念なことではあると思うんですけど、その2枠をたくさんの選手の子たちが争うわけなので、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかなと思っています。
2017年04月12日フィギュアスケート女子のバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開いた。前編・中編・後編の3回に分けて、会見での発言を紹介する。○冒頭のあいさつで引退をあらためて報告本日はお忙しい中、このような場に集まりいただき、ありがとうございます。またあらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました。長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました。そのたくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。今日は感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思いこのような場を設けさせていただきました。○「あぁ、選手生活終わるんだな」という気持ちに――まずはお疲れ様でした。ありがとうございます。――2日前にブログで引退を表明されて、あらためて今どんな心境ですか?まず、この場に入ってきたときに、これだけにたくさんの方がいらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりしたんですけど、今はちょっと落ち着いています。――いろんな人から引退を発表してからに言葉を掛けられたと思うが、印象に残った言葉は?そうですね。本当にたくさんの方が連絡をくださったんですけど、皆さん本当に「お疲れさま」っていう言葉をかけてくださったので、私自身も「あぁ、選手生活終わるんだな」という気持ちになりました。――親しい人への報告はどのような形でされましたか?少し前ですけど、家族だったり、友達に報告しました。――印象に残る言葉はありましたか?みんな「お疲れさま。よく頑張ったね」って言ってくれました。○昨年12月の全日本選手権で引退決意、平昌五輪という目標との葛藤も――引退はどのくらいの時期から考えたのでしょうか。私は復帰してからいい形でスタートできたんですけど、そこから練習するにつれて、試合に出るにつれて、今のスケート界の時代はすごいので、私自身も「ついていけるのかな」という思いが強くなったり、あとは気持ちだったり体の部分で、復帰前よりつらいことが多くなりました。何とか1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からは「なんとかなんとか頑張ろう」という思いだけでやってきました。でも、(昨年12月の)最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなという風に思いました。――全日本選手権から今まで3カ月くらいありましたが、その間はどんな思いでしたか?やはり、自分が復帰してからずっと掲げてきた平昌五輪に出るという目標があったので、私自身、自分が言ってしまったこと、目標をやり遂げなきゃいけないと思っていたので、自分の言ってしまったこととの葛藤はありました。――具体的には、いつ頃決心したのでしょうか。全日本選手権が終わって、すべて結果が出た時に「あぁ、もう終わったんだな」という風には思いました。でも、日がたつにつれて、やっぱり自分が言ってしまったことは今まで最後までやり通してきたので、「やらなきゃいけないんじゃないかな」という思いの方が強くて、ここまで延びてしまいました。○晴れやかな表情で「全部出し切ったので何も悔いはない」――平昌五輪への思いもあったと思いますが、それを上回るくらいの達成感があったということでしょうか。そうですね。私はソチ五輪が終わってから、最高の形で終えることができたんですけど、自分の体もまだまだできますし、自分の気持ちもまだまだやれるという思いがあったので復帰しました。でも、自分が実際挑戦してみて、もう気持ちも体も、自分の気力も、全部出し切ったので、今は挑戦して何も悔いはないです。――最後の大会となった全日本選手権でトリプルアクセルに挑みました。その挑んだ気持ちも含めて振り返っていかがですか。最後になるのかなという気持ちは、ソチ五輪の後の世界選手権の時ほどではなかったんですけど、最後トリプルアクセルを挑戦して終えられたことは自分らしかったかなとは思います。○現役生活を振り返って――現役生活を振り返って、初めてスケート靴を履いた日のことを覚えていますか?私は5歳だったので覚えてないんですけど(笑)、でもヘルメットをかぶってスキーウエアを着て、肘当て、膝当てをしていたのは写真に残っているので覚えています。――スケートをやってきて一番楽しかったことは?小さいころに、フィギュアスケートはいくつも技があると思うんですけど、その技ができるようになった時は本当に楽しい気持ちで、じゃあ次に2回転を跳びたい、次3回転を跳びたいという思いがすごい楽しかったですね。――逆につらかったことは?つらかったことはそんなになくて、この道を選んできたのも自分ですし、自分がやりたいと思って望んでやってきた道なので、つらいと思ったことはありません。○2度のオリンピックは「いい思い出」、3度の世界選手権優勝も振り返る――2回のオリンピックを振り返って、まずは銀メダルを手にしたバンクーバー五輪(2010年)の思い出を振り返っていかがですか?バンクーバーは19歳だったんですけど、10代で若くて、本当に気が強くて、その強い気持ちだけで乗り越えてきたなという感じがします。――そして、4年後のソチ五輪では素晴らしいフリーの演技で感動を与えてくれました。ソチ五輪は、やはりショートが残念な結果だったので、本当に気持ち的にはつらい試合ではあったんですけど、フリーでああいう形で最高の演技で終えることができて、あの気持ちの状態から、バンクーバーからソチ、4年間の思いをすべてその4分間に注ぎ込めたと思っています。――2度のオリンピックの経験はどんな経験になりましたか?私の今後の人生においても、すごくいい経験だったり、いい思い出だったのかなと思います。――3回の世界選手権優勝は日本人最多です。印象に残っていることはありますか?2回世界選手権で金メダルを取ったときは、すべてオリンピックの後の世界選手権だったので、オリンピックの悔しさを世界選手権で晴らせた大会だったかと思うんですけど、最後の世界選手権は自分の気持ちの中では「最後」と思って臨んだ試合だったので、今までのスケート人生をすべてそのプログラムにぶつけた試合だったので、最後の世界選手権は一番思い出の強い試合でした。○最も印象に残っている演技は「ソチ五輪のフリー」――現役生活を振り返って、もっとも印象に残っている演技を選ぶとすると?難しいですね。やっぱり一つというのは難しくて、うーん。でもやっぱり、ソチのフリーかなと思います。――あの時間にこめた思いは大きかったですか?そうですね。気持ちがすごい、今までの試合以上に落ち込んでいたり、つらかったりした部分もあったんですけど、それでもあれだけの挽回の演技ができたことに関して、それがソチ五輪だったということが、一番よかったのかなと思います。――長く指導を受けた2人のコーチについてうかがいたいと思います。まずは山田(満知子)コーチにご報告されたと思いますが、どんな思いがありますか?満知子先生は小さい頃に指導を受けていたんですけど、本当にスケートの楽しさだったり、挑戦する楽しさを教えてくれました。でもその一方で、スケートだけではなく、いろんなことを教えてくれた先生です。――そして、佐藤(信夫)コーチへの思いはいかがでしょうか。佐藤コーチは大人になってから指導を受けたんですけど、やはり自分の意志もすごく強いので、先生といろいろ話し合いをしたりする機会も多かったんですけど、自分の意見もしっかり聞いてくださって、それを静かに見守ってくれていた先生でした。――特に休養から戻ってきたからの2シーズン間は、佐藤コーチとのやりとりもいろいろあったと思います。振り返ってみて、復帰してからこの2年間の意味をどう捉えていますか?ソチ五輪のシーズンで世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、本当に今もまだできたんじゃないかなと思っていたと思います。でも、自分が望んで復帰して、チャレンジして出した結果なので、本当に今は何もやり残したことはないので、そういった意味でもう一度チャレンジすることができて良かったなと思っています。
2017年04月12日フィギュアスケート女子の浅田真央(26)が12日、都内ホテルで会見を開き、あらためて現役引退を報告。質疑応答では、これまで多くのファンを魅了してきた代名詞であるトリプルアクセルについて語る場面があった。10日に自身のブログで引退を発表した浅田は、会見で「私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました」とあらためて報告。「最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなと思いました」「自分の体も気力も出し切ったので、悔いはありません。やり尽くしたなと」と晴れやかな表情で語り、最後にはこみ上げてくる涙をこらえながら、「これから新たな目標を見つけて、笑顔で…前に進んでいきたい」と語った。そして、質疑応答の中で「真央さんと言えばトリプルアクセル。真央さんにとってトリプルアクセルはどんなものですか?」と聞かれると、「私は、伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、本当に跳べた時はすごくうれしかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけど、その半面、やっぱり悩まされることも多かったです」と答えた。また、「あえてトリプルアクセルに声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?」と尋ねられると、「難しい」と笑い、「トリプルアクセルに声をかけたい。声をかける…どうしよう」と悩んだ浅田。「うーん」と絞り出すように、「『何でもっと簡単に跳ばせてくれないの?』って感じです」と笑いながら答えた。
2017年04月12日フィギュアスケート女子の浅田真央(26)が12日、都内ホテルで現役引退会見を開き、約430人の報道陣が集結。最後のあいさつで涙をこらえながら決意を語る浅田に、温かい拍手が沸き起こった。10日に自身のブログで引退を発表した浅田の生の声を聞こうと、ムービー約50台、スチール約100人、計430人の報道陣が集結。その多さに、浅田も「これだけにたくさんの方がいらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりした」と驚き、「今はちょっと落ち着いています」と話した。会見では、「あらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました」と報告。「最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなと思いました」「自分の体も気力も出し切ったので、悔いはありません。やり尽くしたなと」と晴れやかな表情で語った。終始笑顔の会見だったが、立ち上がって最後のあいさつをした際、「みなさん今日は本当にありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、温かいお言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました」と感謝の思いを伝えた後、「スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で」と話したところでストップ。こみ上げてくる涙を報道陣に見せまいと後ろを向き、それから振り返って「前に進んでいきたいと思っています」と続けた。そして再び、後ろを向いて涙をこらえてから、「皆さん、応援どうもありがとうございました」と締めくくった浅田。2度背中を向けて照れ笑いを浮かべる浅田に、会場からは温かい笑いが起こり、最後には、これまでの活躍への称賛と今後の人生を応援する気持ちのこもった拍手が送られた。
2017年04月12日現役引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央が12日、都内ホテルで会見を開き、あらためて引退を報告した。2010年のバンクーバー五輪で銀メダルに輝き、世界選手権を3度制した浅田。10日に自身のブログで引退を発表したが、会見で「あらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断を致しました」と報告した。そして、「長い選手生活だったんですが、たくさん山がありました。そのたくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています」と感謝。「今日は感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思いこのような場を設けさせていただきました」と説明した。引退を決意した経緯を聞かれると、「復帰してからいい形でスタートできたんですけど、そこから練習するにつれて、試合に出るにつれて、今のスケート界はすごいので、私自身もついていけるのかなという思いが強くなったり、気持ちや体の部分で復帰前よりつらいことが多くなりました」と復帰後の心境を説明。「なんとか1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からはなんとか頑張ろうという思いだけでやっていきました。でも、最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかなと思いました」と明かした。その全日本選手権から発表までに日にちがあったことについては、「平昌オリンピックに出るという目標があったので、自分で言ってしまったこと、目標をやり遂げないとと思っていたので、自分の言ってしまったこととの葛藤はすごいありました」と告白。それでも、「自分の体も気力も出し切ったので、悔いはありません。やり尽くしたなと」と晴れやかな表情を見せた。また、フィギュアスケートはどんな存在ですかという質問に、少し考えてから「ひとことでいうと、人生かなと思います」と表現。「すぐに飽きちゃう性格で、でもスケートは5歳から26歳まで続けられたので、『長い間すごいね。続けてきたね』と言いたいです」と続け、「私のすべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です」と語った。
2017年04月12日フィギュアスケート女子の浅田真央(26)が10日、自身のブログで現役引退を表明。方々から浅田の引退を惜しむ声があがっている。 ’15年10月のジャパンオープンで、’14年のソチ五輪から1年半ぶりに復帰。復帰当時は「現役復帰したのは、平昌五輪に出場するため。自分でやると決めたんだから絶対最後までやり切る!」と語っていた浅田だが、昨年末の全日本選手権は12位と惨敗。以降、ひざの治療に専念するため再び休養に入っていた。 そんな浅田の波乱万丈な“フィギュア人生”を引退する今日まで支え続けたのが、親友である高橋大輔(31)だった。 「浅田さんの復帰を後押ししたのも高橋さんだったと聞いています。『復帰戦でみっともない演技は見せられない』とプレッシャーを感じていた彼女に、高橋さんが激励メールを送ったんです。高橋さんは『一度現場を離れてしまうと、気持ちを戻すのは本当に難しいもの。でも、真央ならすぐにトップレベルに返り咲くはず』と口にしていました」(スポーツ紙記者) 復帰後、浅田が体調不良で思うように滑れない時も――。 「『きつかったらやめてもいいよ』と言う人もいましたが、高橋さんは『真央は一度決めたら絶対に曲げないから』と彼女を信じて応援し続けました。 昨年末の全日本選手権でも、中継番組のナビゲーターとして会場入りしていた高橋さんは彼女を兄のように見守っていましたよ。早朝練習の時から額に脂汗を浮かべて滑り続ける浅田さんの痛々しい姿に、高橋さんは解説者としての仕事を忘れて本音で声をかけていたといいます。彼女が本番に挑む際には『無理しちゃだめだよ!』と涙ぐみながら訴えていました」(フィギュア関係者) 高橋の“涙のエール”に、浅田はいままでどれほど支えられたことだろう。 今回の引退表明を受け、高橋は事務所を通してこんなコメントを寄せている。 《浅田真央選手の引退表明は彼女がいろいろと考えた末の結果だと思います。競技会からは離れることになりましたが、僕は『浅田真央』のスケートが大好きですし、また一緒に氷上でスケートをできることを楽しみにしています。ここからが新しいスタート。今まで以上に大変なこともあるかもしれませんが、今後の活躍を陰ながら見守っていきたいと思います。今はまだ先の事は考えられないと思いますが、まずはゆっくり休んでもらいたいなと思います。長い間、現役生活、本当にお疲れさまでした。そして、沢山の感動をありがとう》
2017年04月11日お笑い芸人の鉄拳がこのほど、引退を発表したフィギュアスケート女子の浅田真央選手から着想を得て描いたパラパラ漫画『SLIDE』(2015)の映像をYouTubeにて公開した。この作品は、ソチ冬季五輪での浅田真央選手の演技から着想を得て、女性フィギュアスケート選手の物語をジェットコースターで表現したもの。約3カ月の製作期間をかけて計2,900枚を使用し完成した。国際短編映画祭『ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2015』で話題賞にも輝いた同作が、浅田選手の引退発表を受けて公開となった。鉄拳は「ソチオリンピックの真央ちゃんの滑り、演技に魅せられて、2015年にフィギュアスケートを題材に自主製作しました。少女のフィギュアスケートとの出会い、目覚め、苦悩、そして覚醒を描きました」と作品について説明。さらに、「今まで感動をありがとうございます! これからは自由に生きて、人生を楽しんで幸せになってください」と浅田選手へメッセージを送った。
2017年04月11日フィギュアブームを巻き起こし、数々の感動を与えてくれたフィギュアスケート選手の浅田真央(26)が、昨夜、突然の引退を発表。浅田さんの選手引退を受けて、各局で特別番組の放送が決定した。5歳でフィギュアスケートに出会い、「天才少女」と呼ばれた浅田さん。その華麗なスケーティングとトレードマークのトリプルアクセルで、彼女は日本のみならず世界を魅了してきた。そんな彼女が昨夜22時51分、「ご報告いたし ます」のタイトルで始まる自身のブログの中で、「突然ですが、私、浅田真央は、フィギ ュアスケート選手として終える決断を致しました」と引退を発表したのだ。そして今回、この引退発表を受けて緊急特番が決定。テレビ朝日では、4月11日(火)今夜、「ありがとう!真央ちゃん」と題し、浅田さんのスケーター人生を“独占映像”でふり返る特番が放送。テレビ朝日のカメラが初めて訪ねた14歳の浅田さんから、そこから撮り溜めた貴重な映像の数々を、スケーターとしての成長物語と共にふり返る。銀メダルで涙を流したバンクーバーオリンピック、劇的な演技で感動を呼んだソチオリンピックなど、数多くのドラマを描いた銀盤の歴史…まさに“完全保存版”の笑顔と涙と戦いの4,000日の密着記録を放送。MCは富川悠太と竹内由恵が務め、ゲストには松岡修造、八木沼純子、織田信成、鈴木明子、小塚崇彦が出演する。さらにその翌日の12日(水)には、フジテレビにて「引退 特別番組浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~」が放送。引退発表直前、長く浅田さんの取材を続けてきた渡辺克樹ディレクターに語った“独占インタビュー”と“密着取材”、さらには秘蔵映像と決断の裏側とこれまでの軌跡を描いていく。浅田さんは、「小さな頃から地元の名古屋で取材していただき、ずっとお世話になってきた渡辺さんには、今回の件についてきちんとお話ししたいと考えました。この取材を通じて私の気持ちが応援してくださった皆様に伝わればうれしいです」とコメントを寄せている。ゲストには姉・浅田舞が登場し、姉妹揃って久しぶりのツーショットインタビューや、最愛の母が撮影した、姉妹にもまだ見せていなかった幼少期からの成長を記録したビデオ映像が放送。引退を決めた瞬間や、あの戦いの裏側にあった新事実も明かされるという。緊急スペシャル生放送「ありがとう!真央ちゃん」は4月11日(火)19時~テレビ朝日にて放送。「引退 特別番組浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~」は4月12日(水)19時~フジテレビにて放送。※同日同時間放送の「おじゃMAP!! SP」は19日(水)19時~に放送変更(cinemacafe.net)
2017年04月11日