昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎のためこの世を去った志村けんさん(享年70)。その銅像が故郷の東京都東村山市に設置されることが3月9日に発表された。各メディアによると銅像は「アイーン」のポーズをしており、7月上旬にはお披露目される予定だという。志村さんが亡くなって早1年。ネットでは《いろんな世代から愛され、みんなに笑いを届けてくれた志村さんが大好きです。銅像出来たら見に行きたいと思います》《まさか銅像になるとまでは本人も思わなかっただろう。それほどに偉大な存在となったということ》と改めて、生前の功績が讃えられている。そして、このニュースの2日後に迎えたのが3月11日。東日本大震災の発生した「3.11」から10年目という節目の年を迎えた。志村さんのブログをひもとくと、11年3月13日の記事に震災当日のことがつづられている。志村さんは「高速道路走ってて地震あいまして」「こんな怖い思いは人生で初めて本当に怖かったよ」といい、さらにこう続けている。「それよりテレビで映像見て私なんかより想像絶する言葉がありません津波の怖さ」「何も出来ない涙が出ます」同年3月27日のブログには、福島県いわき市にロケで行った思い出が記されている。「海岸の店でおばちゃん達にしらす丼食べさせてもらい楽しく会話したのを覚えてます」と回想したものの、「その店は流されて無いそうです辛いです」と無念さを滲ませている。「志村さんはその年の4月、募金活動を行いました。1日で213万円もの大金を集め、被災地に寄付。『自分には何もできない』と思っていた志村さんは、募金してくれた人たちにしきりに感謝していました」(スポーツ紙記者)■「少しでも震災を忘れてくれたらいいな」震災後、ブログで何度も「合言葉はだいじょぶだぁ」「明日はだいじょぶだぁ」とのメッセージを送っていた志村さん。13年4月に放送された番組「志村けんと行く!勝手にドッキリ感動旅!」(テレビ東京系)で三陸鉄道の旅に出ている。そして当時、三陸鉄道・吉浜駅の非常勤駅長に任命され話題となった。「なぜ“非常勤”なのかというと、『そのほうがタイミング次第でいつでも現地に行けるから』と志村さんが考えたためだそうです。また志村さんは等身大パネルや、志村さんへの意見箱『志村箱』を吉浜駅に設置することを提案。そんな『少しでも被災地に寄り添いたい』という気持ちを街の人たちは嬉しく思い、『元気付けられた』と語る人もいました」(全国紙記者)また志村さんが愛されたのは、誰にでも気さくで優しかったからだという。「『バカ殿』で震災を特集した際、現地の曲芸師に『じっくり芸を見せてくださいね』と紳士的に挨拶。その姿に感激する声が上がっていました。さらに志村さんは、被災地の子供たちをたびたび楽しませては笑顔に。子供が大好きな志村さんは『少しでも震災を忘れてくれたらいいな』と話していました」(前出・スポーツ紙記者)この次の10年、そしてその先もーー。志村さんは、被災地のことを天国から見守っていることだろう。
2021年03月12日「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。死から1年近くたったいまも、コントの役に扮装していない、トーク番組などでの志村さんの映像を目にすると、悲しみがぶり返してくるのだという。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」げそ太郎さんは車中での待機中に、リムジンの運転席でコントのネタを書くようにした。志村さんの番組のスタッフにお願いして、志村さんも出席する“ネタ会議”に提出させてもらった。「いちばん最初に僕がネタを出したときは志村さんが目を通したのか通してないのかわからないぐらいの速さで不採用になりました」しかし、めげずに何度もネタを出した。「ある日、僕が書いた家族コントを『これいいな』と採用してくれて……。そこから何回かネタが採用され始めたころ、『こいつ頑張ってるんでバカ殿様の家来役で使いませんか?』とディレクターさんが志村さんに提案したんです。『そうだな』って志村さんも賛同してくれました」その夜、麻布十番のイタリアンのお店に呼んでくれた志村さん。2人きりの食事だった。「『頑張ればできるだろう。もしかしたら(放送)作家の誘いがあるかもしれないが、芸人をやりたいんだったら、芸人をちゃんとやっていけよ』と言っていただきました」昨年3月下旬、志村さんが新型コロナに感染し重篤な状態になっているというニュースが流れてすぐに、げそ太郎さんは当時の付き人に連絡をした。「正直ギリギリのところです」そんな返事だったが、げそ太郎さんが住む鹿児島県は当時1人も感染者が出ておらず、どこか楽観しているところもあったという。だが、5日ほどたって志村さんの専属メークから電話があった。「志村さんが亡くなった……」げそ太郎さんは激しく動揺し、すぐにテレビをつけると「志村さん死去」というテロップが目に飛び込んできた。「全く整理がつかないまま僕とメークさんは声を上げて泣きました」志村さんが亡くなった夜、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(60)からビデオ電話がかかってきた。「上島さんが泣きながら『あのハゲ死んじゃったな』って言ったんですよ。それが僕の胸にすごく刺さってボロボロ泣いちゃいました」げそ太郎さんには、多くの番組で共演し、20年以上酒を酌み交わしてきた上島さんの悲しみが、その一言に集約されているように思えたという。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」’01年に付き人を卒業。’11年、鹿児島のテレビ局からの誘いを受けて、げそ太郎さんは活動の拠点を故郷・鹿児島に移した。’15年には鹿児島の仕事に専念するために『バカ殿様』と『志村魂』を卒業。会う頻度は減ったが、客として舞台を見に行ったときにはあいさつに行ったり、東京に行くときは会いに行ったりと、志村さんとの交流は続いていた。これからも続くと思っていたそんな日々は、新型コロナウイルスによって突然断たれてしまった。■「師匠がくれた仕事」背中を押した上島竜兵2月26日、げそ太郎さんは志村さんとの思い出をつづった『我が師・志村けん僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を出版する。亡くなった直後、メディアからの取材依頼が多数きた。しかし気持ちの整理がつかなかったげそ太郎さんはそれを断っていた。「そのことをダチョウ倶楽部の上島竜兵さんに伝えたら、『バカ野郎!それは師匠がお前にくれた仕事だから受けないとダメだろ』って怒られたんです」舞台や番組と、何度もチャンスをくれた志村さん。鹿児島に拠点を移してからも、志村けんの弟子という肩書に何度も助けられた。亡くなってなお仕事をくれる師匠に応えようと、げそ太郎さんは取材や書籍のオファーを受けるようになった。志村さんが亡くなってからしばらくして、げそ太郎さんは自室の一角に志村さんの祭壇を作った。志村さんが生前好んで飲んでいた焼酎を供えて、傍らには水着の女性のポスターを貼った。「志村さんの写真の周りをとにかく寂しくさせたくなかったんです。せっかくなら水着の女性のほうが喜ぶと思って」げそ太郎さんは祭壇に毎朝あいさつし、夜寝る前には志村さんの写真を眺めながら晩酌するのが日課になっている。「志村さんに『お疲れさまでした』と言って飲んでいます。でも僕はお酒が弱いので焼酎1にお湯9で割って飲むのです。そんなのを志村さんに見られたら『酒がもったいない!』って間違いなく怒られますよね(笑)」希代のコメディアンをそばで見てきた者の1人として、げそ太郎さんはその軌跡をこれからも語り継いでいく。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日今も、喪失感は消えない。まもなく、志村けんさんの一周忌を迎える。7年にわたって国民的なコメディアンを誰よりも近くで見守っていた、元付き人で弟子が語るその優しき素顔ーー。「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」■「おふくろの前でいいところ見せようと」毎年、お盆と正月に必ず実家の母・和子さんのもとに帰っていた志村さん。もちろん、げそ太郎さんの運転だ。和子さんはいつも大好物だった厚揚げを作って、息子の帰りを待っていた。「家にあげていただくこともあるんですが、志村さんだけ出かけてしまったことも。2人になると、お母さんが『けんさん、どうなの?』と聞いてこられて。答えづらいですよね(笑)」国民的スターだった志村さんも母の前では一人の息子に戻った。志村さんが’06年から毎年主宰し、ライフワークになっていた舞台『志村魂』に、和子さんは欠かさず訪れていた。「毎回、志村さんは三味線を弾くんですけど、お母さんが見に来ていた日はかなりの確率で失敗していましたね。『おふくろの前でいいところを見せようと思って緊張する』って笑っていました」開演前、まだ客が入る前のグッズ売場で、母の車いすを押しながら「どれが欲しい?」と聞いている母子の姿がげそ太郎さんのまぶたに焼き付いているという。〈私の一番のファンの母親が亡くなりました〉志村さんのそんな言葉に見送られ、’15年11月に和子さんは96歳で旅立った。きっと天国では、厚揚げを用意して、息子のことを迎えたに違いない。■リハーサルでドリフの一員に’01年に付き人を卒業したが、弟子であることは変わらない。人手が足りないときは、志村さんのもとに駆け付けることもあった。ザ・ドリフターズが『思い出のメロディー』(NHK)に出演したときには、こんなサプライズが。「生放送だったこともあって、お手伝いに行ったのですが、仲本工事さんが舞台の仕事で遅れるということで、急きょリハーサルで代役を務めることになったんです」「仲本」と書いたボードを首からぶら下げて、憧れのドリフターズの“一員”になった。「僕が仲本さんのボケをやると、ツッコミ役の志村さんが激しく蹴ってきたんです。加藤茶さんが『お前、自分の弟子だからそうやってるけど、本番は仲本だからな』と言うと、志村さんはもう一度、僕のことを蹴ってきて」“自分の弟子だから”という加藤さんの言葉に、それを肯定するようにとんできた志村さんの蹴り。弟子として認められたような気がして、げそ太郎さんはこのうえなく幸せな気持ちになった。一流のコメディアンとして、芸事に厳しかった志村さん。番組や舞台では怒られてばかりだった。「『志村魂』で、列車に飛び込んで自殺しようとする志村さんを、駅員の僕が止めるというコントがありました。僕の演技に対して、志村さんは『お前は俺が飛び込んだら、列車も止まる。いろいろな迷惑がかかる。本当にそんな演技でいいのか?』とおっしゃって」酔っ払い役であれば、この日はなんで飲んだのか、どんな気持ちで酔っぱらったのかなど、キャラクターの背景まで考え抜いて演じていたという志村さん。当然、弟子に要求する水準も高かった。駅員の芝居はそのレベルに達していないと飲みの席でダメ出しされ、「お前が俺の弟子で恥ずかしいわ」とまで言われてしまった。「一方で、本当に優しい方でした。『志村魂』の福岡公演で、鹿児島から僕の両親をはじめ、親戚が見に来たときのことです。例のコントで、列車に飛び込もうとする志村さんを止めるやり取りは通常1回だけなんですが、この日、志村さんは何度も列車に飛び込もうとしたんです。戸惑いながら止め続けているうちに、両親や親戚の前で僕の見せ場を作ろうとしてくれていることに気づいて。楽屋に戻った後、涙が止まりませんでした」舞台の終了後、お礼に行くと、志村さんはニヤリと笑っただけで、何も言わなかったという。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日俳優・吉沢亮のカレンダー『吉沢亮 2021.4→2022.3 カレンダー』(アミューズ 2,600円)が、3月29日に発売されることが決定した。予約は5日に開始され、3月末にはHMV及びHMV&BOOKSの一部店舗にて、カレンダー発売を記念したパネル展示も予定している。昨年は映画『一度死んでみた』、『青くて痛くて脆い』、『さくら』、『AWAKE』など数多くの話題作のほか、『プロデューサーズ』で初のミュージカル出演を果たした吉沢。今年は1年を通し、NHK大河ドラマ『青天を衝け』(14日放送開始)で主人公・渋沢栄一を演じることから「カレンダーでは様々な役を演じる姿を見て楽しんでいただけたら」という吉沢の思いで「12役のONとOFF」がテーマとなった。吉沢自身が演じてみたいという「映画監督」や「教師」、「ボクサー」、「コンビニエンスストアの店員」まで、カレンダーでしか見ることのできない様々な姿を撮り下ろし。また、ONとOFFの姿で差別化し、多くの表情を詰めこんだカレンダーが完成した。
2021年02月01日お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣が31日、音声メディア・Voicyのチャンネル「西野亮廣エンタメ研究所」で、「吉本興業を退社した今の気持ち」「これが真実です。」と題した音声を投稿。吉本興業を退社するに至った経緯などについて語った。前日に、ツイッターを通じて「お騒がせしてすみません。吉本興業を卒業しました。いろんな記事が出ると思いますが、オラオラ喧嘩して辞めるわけではなく、お互いプラスになるような形を探った結果です」と報告していた西野。Voicyでは、「まずお伝えしておきたいのは、ここは嘘偽りなく、僕と吉本興業の間で揉め事は一切ございません」と改めて円満退社を強調した上で、「もちろん事務所とかマネージャーにブチ切れること、僕は時々ありますよ。お客さんから時間とお金を預かっているので、ふざけた仕事をしたら僕は怒ります」と理解を求めた。その一方で、「今回良くなかったなと本当に反省しているのは、このタイミングでマネージャーとのLINEをSNSに出してしまったこと。これまでも出していたんですけども、逆に僕もスタッフにLINEを出されたりもするんですけど(笑)。このタイミングでそういうことをやっちゃうと、そこを切り取られてそれが直接の原因だと思ってしまう人が出るし、炎上させたいニュースメディアからすると、『良い素材を頂戴しました』となるわけだから、道徳的にもタイミング的にも出すべきではなかったなと思っております」と自省も。「これに関しては、『変な感じになっちゃってごめんね』とマネージャーに謝って、別に関係は悪くなっていないので。今度も普通に飲みに行く約束をしております」と補足した。また、「ある時から僕の仕事って、いわゆるタレントさんのお仕事とはちょっと違っていて。例えば海外に学校を作ったり、絵本を作ったり、それこそ今回のような映画を作ったりするのが、メインになってきたんですね。今、キングコング西野はメディアに露出することが活動の軸にない。そもそもそんな才能もありません。多くの仕事を吉本興業ではなくて、自分の会社でハンドリングしていて、予算やスタッフさんを集めるところから制作、運営、マーケティングを自分たちでやってるんですね」と自身の現状を報告。西野が3~4年を要する中長期プロジェクトに対して、吉本興業のマネージャーが短期間で交代することに触れ、「仕事が大きくなればなるほど、自分の活動内容と吉本の仕組みがマッチしなくなっていたんです」「新しく入ってきたマネージャーの責任というよりも、システムエラーだと思うんですね。『もっと熱を持てよ、がんばってくれよ』と思う気持ちはゼロではない。とはいえ、仕方ない部分もある。みたいな感じで、仕事のスパンが長くなってしまったせいで、吉本興業のマネージメントシステムがうまく合わなくなってきていて、それについては何年も前から話し合ってきて調整を繰り返してきたんですね」と協議を重ねていたことにも言及した。そして、「あとは大前提として吉本興業ってお笑い芸人をサポートする会社なので、お笑い芸人以外の活動が増えてきたら、当然ですけど別のサポート体制が必要になってくるんですね。もっともっと良い形はないかなというのを話し合って、西野個人のマネージメントに関しては西野の会社で行うという今回の結論に至りました」と語り、「なので、吉本興業との衝突があったわけではなくて、むしろその逆で。吉本興業にめちゃくちゃ理解してもらった形です」と説明。「映画とか書籍とかその他のコンテンツに関しては一緒にやってお互いにプラスになるのであれば一緒にやるという形になると思います。実力の世界ですから、吉本興業が『お前とは組みたくない』といったら、そのときは僕の会社で受けますが、そうではない限りご一緒できるところではご一緒したいと思っております。あくまで今回の発表は、西野亮廣個人のマネージメントは西野の会社で行いますというだけの話です」と要点を整理し、「キングコングや相方の梶原雄太くんのことはこれまで通り。まさか解散なんてしませんし、梶原くんは引き続き吉本興業所属の芸人です」とコンビ関係は継続していくことも明言した。「『事務所退社』という言葉が強すぎて、あれやこれやと憶測を呼んでしまっていますが、今話したことが本当にすべてです」と呼びかけた西野。「関係が悪くなったりはしていないし、活動を理解してくれた吉本興業には本当に感謝していますし、何か別の形で外側から恩返ししていけたらいいなと思っております」と決意を新たにしている。
2021年01月31日杉野遥亮が「AuDee(オーディー)」で配信中のラジオ番組「杉野遥亮の『今度は長ズボン』」に磯村勇斗がゲスト出演。プライベートでのエピソードをたっぷりと語る。「AuDee」は、TOKYO FMとJFNが運営する音声サービス。ラジオ初挑戦の杉野さんが、ここで番組を期間限定配信している。1月21日(木)の配信回では、共演をきっかけにプライベートでも親交の深い磯村さんをゲストに、お互いの第一印象、仲良くなったきっかけ、普段話していることなどを語っていく。さらに番組では、お互いの好きなところを紙に書き、それぞれが何と書いたのかを当て合うクイズも実施。磯村さんをゲストに迎える際、「収録は数回目で慣れてきたのに、今日は過去イチ緊張してる…!友だちにちゃんと仕事しているのを見られている気分」と心境を語る杉野さん。そして、ゲスト出演した磯村さんは「まるで、朝までお酒を飲んで語り合ったような気分」と感想を明かしている。「杉野遥亮の『今度は長ズボン』」は毎週木曜日20時~AuDeeにて配信中。(cinemacafe.net)
2021年01月21日2021年1月2日に放送された、バラエティ番組『志村&鶴瓶のあぶない交遊録大最終回スペシャル』(ABEMA)。同番組は、お笑いタレントの笑福亭鶴瓶さんと、2020年3月に逝去した志村けんさんがMCを務め、1998年から正月の恒例特番として人気を博していました。今回の『大最終回スペシャル』では、『志村・鶴瓶VSナインティナインの元祖・英語禁止ボウリング対決!!』と題した企画を放送。お笑いコンビ『ナインティナイン』の岡村隆史さん・矢部浩之さんのチームと、鶴瓶さん・志村さんチームがボウリングで対戦する企画です。対戦中、英単語を発したら罰金、また、ピンク色のピンを倒すと美女からご褒美をもらえるというルールのもと繰り広げられる同企画は、長年多くの視聴者から愛されていました。鶴瓶「なんで先死ぬねんアホ!」同番組前半では、これまでの名場面をVTRで振り返る一幕も。鶴瓶さんは、亡くなった志村さんに対し「なんで先死ぬねんアホ!」と胸中を吐露しています。また、志村さんが亡くなった後、線香をあげに志村さんの兄の家を訪ねた時のことを語りました。(志村さんが亡くなった後)行ってきたんよ、家に。遺影の写真があって「いい写真ですね」ってお兄さんにいうたら「隣に鶴瓶さん写ってます」と。志村&鶴瓶のあぶない交遊録 大最終回スペシャルーより引用遺影の中で素敵な笑顔を浮かべていた志村さん。実は、その写真は鶴瓶さんとツーショットで写ったものだったのでした。そのエピソードを聞いた矢部さんは「名コンビだったんですよ。志村さんは、鶴瓶さんに心を許していたんだと思います」とひと言。岡村さんも「この番組の時には、志村さんはいつも嬉しそうだった」と過去を振り返りました。また、2020年10月に結婚した岡村さんは「志村さんに結婚の報告をしてたら、なんていってはったんやろ」「『なんだチミは?』っていわれるんですかね」と、亡き志村さんへ思いを馳せています。大悟「師匠、ありがとうございます」番組後半では、ボウリング対決を開催し、志村さんの代役として、お笑いコンビ『千鳥』の大悟さんが登場。ゲーム中、ピンクのピン6本を倒す好調ぶりを見せ、岡村さんに「志村さんが乗り移ってる!」と絶賛されていました。志村さんを師匠として尊敬し続ける大悟さんは、ゲーム終了後、志村さんへこのように語りかけています。おいしいとこ全部。いっぱい、いいのいただきました。師匠ありがとうございます。志村&鶴瓶のあぶない交遊録 大最終回スペシャルーより引用番組終了に反対だった鶴瓶「踏ん切りがついた」また、番組冒頭から鶴瓶さんは「これからも『ナインティナイン』の2人とこの番組を続けたい」と同番組の終了を惜しんでいました。しかし、矢部さんや岡村さんからは「志村さんありきの番組だった」とのツッコミが。番組終了に反対だった鶴瓶さんでしたが、ゲーム終了後には「志村さんも喜んでいると思う。踏ん切りがついた、ありがとうございました」と、20年間愛され続けた番組に、感謝と別れを告げました。番組の視聴者からはさまざまな声が上がっています。・志村さんが楽しそうにしている姿をたくさん見て、笑いながら泣いてしまいました。大好きな番組でした!・「志村さんありきの番組」と、矢部さんと岡村さんがいっていて泣きました。最終回をやってくれて、本当にありがとう。・子供の頃、家族と一緒に見ていた番組。この番組を見ると「正月だな」という感じがしていました。終わってしまうのはさびしいな。志村さんも、天国から『志村&鶴瓶のあぶない交遊録大最終回スペシャル』を楽しんでいたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年01月03日紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした京都の染織ブランド・アトリエシムラ(atelier shimura)は、「アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承」を、2021年1月14日(木)から20日(水)まで、帝国ホテルプラザ東京3F 花あさぎにて開催する。「アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承」では、草木で糸を染め、手機で織った色無地反物や帯を展示販売する。中でも、「青藍」の反物は、最も元気の良い頃合いの藍で染めた、濃い色味の中にも爽やかさを感じられる仕上がり。自然の神秘を肌で感じられる、表情豊かな風合いが魅力だ。また、反物や帯に加えて、帯の上辺を飾る帯揚げや、小物を入れて持ち運べる数寄屋袋といった、着物と一緒に使えるアイテムやストールも、ともに販売される。【詳細】アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承開催日時:2021年1月14日(木)~20日(水) 11:00~19:00会場:帝国ホテルプラザ東京3F 花あさぎ住所:東京都千代田区内幸町1-1-1価格:・反物 400,000円+税~・帯 150,000円+税~・帯締め 19,000円+税~・帯揚げ 15,000円+税~・ストール 39,000円+税【問い合わせ先】花あさぎTEL:03-6273-3139
2020年12月21日1998年より約20年にわたりテレビ朝日にて放送されていた正月恒例の名物番組『志村&鶴瓶のあぶない交遊録』が、来年1月2日(21:00~22:30)に大最終回スペシャルとして復活、ABEMAで独占配信されることが決定した。14日に都内で収録が行われ、笑福亭鶴瓶、ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之)が取材に応じた。このスペシャルでは、番組名物の元祖「英語禁止ボウリング」を実施。過去の放送では、志村けんさんと鶴瓶がチームを組み、ナインティナインと対決を繰り広げてきたが、今回は志村さんと親交の深かった千鳥の大悟が鶴瓶のパートナーとして参戦する。また、過去の名場面を振り返るコーナーでは、3人が思い出話を語る。収録後、鶴瓶は「去年(放送が)なかった。志村さんも亡くなられたので、あのまま終わっていくのかなと思ったんですけど、改めてやっていただいてうれしかったです」と心境を告白。「志村さんとよく一緒に飲みに行きましたよ。その思い出も踏まえて寂しいなと思いますね。亡くなったとき、なんで死んだんやねんと、ずっと思っていましたから」と突然の別れに悔しさをにじませつつ、「この番組で『志村けんと一緒にできた』ということだけでも幸せやなと思います」と思い出をかみしめた。矢部も「エンディングを撮っていたら寂しかったです。ふっと志村さんが来そうな雰囲気で。ほんまに終わるんやなと思ったら悲しくなりました」と吐露。「プライベートでも可愛がっていただいたなと思い出しながらVTRを見ていました。やっぱり寂しいですね。今日は寂しさを味わっていいのかなと思って収録に挑みました」と志村さんへの思いを語った。今年10月に結婚した岡村は、「今日の一投目は志村さんに『結婚しました』と報告して投げました。志村さんがどう思われているかわからないですけど。『裏切り者』と言われているかもしれませんが(笑)、志村さんのことを考えつつボウリングさせていただきました」と、志村さんへの結婚報告を込めてボウリング。「こんなに長く志村さんと鶴瓶さんと毎年お仕事させていただけるというのはすごく幸せなことでしたから、最終回とうたうのは寂しくはあったんですけど、自分の中で踏ん切りがつけられた気持ちもあります。この番組ですごく勉強させていただきましたし、お二人とも怒るわけでもなく自由にやらせていただいて本当に楽しいコーナーをやらせていただいたなと思っています」と語った。矢部も岡村も、志村さんと鶴瓶との共演はとても勉強になったという。矢部は「志村さんと鶴瓶さんと絡んでいると、ほかの番組に行っても緊張しない。すごい人と絡んでいると自信になるというのは大きかったです」と打ち明けた。岡村は「一つ一つの志村さんのリアクションをよく見ると、一個一個違う。こうやってリアクションとるんだなと勉強になりました。鶴瓶さんは『腰がちょっと』とか必ず何か振っておく。それがあとで効いてきたりして、なるほどなと。そういうのも大事やなと勉強になりました」と2人から学んだことを語ると、鶴瓶は「腰が痛いのはマジですよ」と笑いながらツッコんだ。さらに岡村は「控え室で志村さんと鶴瓶さんがしゃべっているのも聞いていて楽しかったです。ベテランの方が楽屋でこんな話するねんやというのを見られるだけでも得した気分でした。緊張もしていましたけど、毎年本当に楽屋から楽しみでした」と懐かしそうに振り返った。
2020年12月16日志村けんさん(享年70)が新型コロナウィルスによる肺炎のため、今年3月29日に亡くなってから8カ月が経つ。だが、所属事務所・イザワオフィスのHPのトップページでは、いまも生前と同じ「事務所の顔」として写真やプロフィールなどが掲載され続けている。さらにDVD発売などの情報は、NEWのマークをつけていまも更新が続く。「所属タレントが亡くなった場合、ほとんどの場合はひっそりとHPからなくしていくケースがほとんどです。なかにはファンの気持ちを思い、残すケースもありますが、“事務所の顔”であり続けることはめずらしいでしょうね」(芸能関係者)実は志村さんだけではなく、2004年に急逝した、いかりや長介さん(享年72)もイザワオフィスのHPでは“健在”だ。メンバー2人が他界してもなお、ドリフターズのメンバー全員が同社HPのトップにはずらりと並んでいるのだ。いしだあゆみ(72)、麻生祐未(57)、小泉孝太郎(42)など、一線級で活躍する所属タレントがいるにも関わらず、いまだ志村さんやいかりやさんを“顔”として掲げ、いまもなお新着情報を更新し続けているのはなぜなのかーーイザワオフィスに聞いてみた。「いまも志村の名前を冠にした番組は続いていますし、DVDやグッズの販売も続くので、HPを変える理由がありません。新着情報は今後も更新していく予定です」確かに「志村友達」のように名前を冠した番組は続いている。今後、新たなDVD発売も予定されている。加えて“志村さんのみならず、ザ・ドリフターズはいまも事務所にとって大切なグループ”とイザワオフィスは言う。「ドリフターズは41年前の事務所の設立時からの所属で、看板として貢献してくれた、感謝すべき存在です。そしてグループとして解散したわけでもない。今でもそのコントは映像で流れています。われわれとしては“ドリフターズはまだ活動中”と考えています」「8時だョ!全員集合」の番組終了から35年。いかりやさんと志村さんが天国に旅立った後も、ドリフターズはイザワオフィスの看板タレントなのだ。
2020年12月05日紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした京都の染織ブランド・アトリエシムラ(atelier shimura)は、4周年を記念して、色無地(いろむじ)着物の展示販売会を2020年10月30日(金)から11月10日(火)まで、アトリエシムラShop & Gallery 京都本店にて開催する。“色無地”着物を展示販売アトリエシムラの制作の中心である“色無地”は、手織りの特徴が余すところなく表れ、植物から抽出した色の美しさが最も生きる着物。草木染めならではの、繊細な色彩を楽しめる。色無地着物の色のバリエーションは、青藍、銀鼠、桜花、春草色などを用意。月の満ち欠けに沿って藍染を施した青藍色の着物は、肌で自然の神秘を感じられる仕上がり。濃い色味の中にも爽やかさや若々しさを感じられる、凛とした色彩が魅力だ。樫や百日紅などの枝葉、団栗のイガや実の皮、枝葉などから生み出される銀鼠、つまりグレーの着物は、年齢や性別を問わずまとうことのできる、落ち着いた雰囲気が特徴。草木染めから生み出されるグレーのバリエーションは数えきれないほど多く、自分だけのお気に入りのグレーを見つけるのも楽しい。桜だけでなく梅や冬青(そよご)などの幹や枝から染められる桜花色の着物は、優しい色味で、ハレの日にぴったり。品格がありながらも柔らかく、温かみのある雰囲気を演出してくれる。染料から選べる色無地着物の受注販売も展示販売会では、色無地着物や帯、帯揚げといったアイテムを販売する他、色無地着物の受注販売も行う。受注販売では、思い入れのある植物や好みの色、自宅に植わっている植物などを相談した上で染料を選択。さらに、実際に糸を染め、経糸の準備をし、機にかけて織っていく工程も作り手からその都度共有し、着物そのものだけでなく着物になるまでの物語も楽しむことができるようになっている。【詳細】アトリエシムラ4周年―「色への祝祭」色無地着物展示販売会―開催日地:2020年10月30日(金)~11月10日(火) 12:00~18:00定休日:水・木曜日会場:アトリエシムラShop & Gallery 京都本店住所:京都府京都市下京区河原町通四条下ル市之町251-2 壽ビルディング2F・着物 400,000円+税~・帯 120,000円+税~・帯締め 19,000円+税~・帯揚げ 15,000円+税~・受注色無地着物 400,000円+税~ ※藍、緑、紫色は450,000円+税~【問い合わせ先】TEL:075-585-5953
2020年11月02日2020年3月、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の感染による肺炎で亡くなった、志村けんさん。突然の訃報に戸惑い、涙した人は多いでしょう。『志村けん銅像プロジェクト』目標金額2400万円を達成志村さんの故郷でゆかりの地である東京都東村山市は、訃報から約半年が経った同年9月29日より、『志村けんさん銅像プロジェクト』を発足。東村山を全国的に広く知らしめてくれた志村さんへの感謝の想いを込めた銅像を作るべく、クラウドファンディングで支援金を募っていました。クラウドファンディングは支援金が目標金額に達していない場合、受け取ることができない仕組み。同年10月30日が期限日でしたが、なんと同月28日時点で、目標金額である2400万円に到達したというのです!産経ニュースによると、実行委員会はクラウドファンディングを行っていたウェブサイト上に、以下のコメントを掲載しました。「皆さんと一緒にゴールを迎えられたことを嬉しく思っています」「必ず、素晴らしい銅像へと繋げて参ります」産経ニュースーより引用ちなみに、目標を上回った分の支援金は、銅像の維持管理費に充てるそうです。『志村けんさん銅像プロジェクト』のウェブサイトによると、志村さんの銅像は2021年夏頃を目処に、西武線東村山駅東口への設置が予定されています。志村さんのファンからは喜びの声が上がっています。・達成おめでとうございます!自分のことのように嬉しい。完成したら必ず志村さんに会いに行きます!・微力ながら参加させていただきました。志村さんは私たち夫婦にも子供たちにも大きな存在でした。完成を楽しみにしております。・「ありがとう」の気持ちを形にすることができるなんて、夢のような企画でした!「東村山に行けば志村さんに会える」と思うと、本当に嬉しいです。東村山市民やファンの感謝の気持ちが込められた志村さんの銅像は、何十年、何百年と歴史を刻んでいくことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月29日新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で、2020年3月に亡くなったタレントの志村けんさん。同年9月26日には、志村さんの冠番組である、16年半続いたバラエティ番組『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が最終回を迎え、後続として『I LOVE みんなのどうぶつ園』(日本テレビ系)がスタートしました。MCは、前番組に飼育係として出演していた、アイドルグループ『嵐』の相葉雅紀さん。同年10月3日の初回放送では、相葉さんが遺された志村さんの愛犬に会いに行き、反響が上がっています。衰弱した愛犬を救ったハウスキーパーの一家『天才!志村どうぶつ園』に出演したことがきっかけとなり、志村さんと暮らすことになった柴犬の『殿くん』と、ゴールデン・レトリバーの『チロくん』。新番組を始めるにあたって、愛犬2匹のことが気になっていた相葉さんは、志村さんの自宅で働いていたハウスキーパーの1人である女性に会いに行きました。部屋の片付けや愛犬たちの世話をして、家族ぐるみで志村さんと交流をしていた女性。彼女によると、殿くんは繊細で警戒心が強く、チロくんは自由奔放で独占欲が強いタイプとのこと。そのため志村さんが入院すると、殿くんは生きる気力を失って衰弱してしまったそうです。志村さんを想い続けた殿くん保健所や医療関係者の指導の元、室内の消毒は済ませていたのですが、女性は念のため志村さんが最後までいた寝室のみ締め切っていました。しかしある日、一瞬のすきを見て殿くんが志村さんの寝室に侵入。除菌洗浄されている布団のにおいをかいで何かを察し、ごはんと水を拒絶するようになってしまいます。女性が獣医に相談すると、「志村さんについて行くつもりなのかもしれませんね…」と覚悟するようにいわれてしまいました。愛犬の心を動かした子供たち散歩にも行かない殿くん。すると、女性の息子さんたちが遊びに誘いにやってくるようになります。イラ立った殿くんにかまれそうになりながらも根気よく遊びに誘い続けると、殿くんは徐々に回復。女性は「自分は家政婦の1人。殿くんを引き取ってもいいものか」と思うようになりますが、そんな悩みは無用でした。志村さんの所属事務所の人々が背中を押してくれたため、一家は殿くんを引き取ることができたのです。相葉さんは殿くんと対面すると、自身の腕前を発揮しトリミングすることに。サッパリとした殿君をなでながら、次のようにいいました。長生きするんだよ。園長が見守ってるから、絶対。I LOVE みんなのどうぶつ園ーより引用殿くんと女性一家のエピソードに、多くの人が胸を打たれました。・殿くん、いい人に引き取られて本当によかった!・志村さんもきっと、天国から心配していただろうな…。・めっちゃ泣いた。いっぱい食べて長生きしてほしい。・子供たちって不思議なパワーをもっていますよね。ありがとう!温かな家庭で暮らしている殿くん。さびしさはなかなか消えないものですが、殿くんも今では志村さんの笑顔を胸に日々を過ごしていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月04日「志村けんさんが亡くなられたのはニュースで知りました」静かな口調でそう話してくれたのは、津軽三味線奏者の上妻宏光さん(47)。上妻さんは、3月末に亡くなった志村けんさん(享年70)の三味線の“師匠”だ。「最後にお会いしたのが去年の夏。7月か8月頃でした。『志村魂』という志村さんの舞台の稽古です。舞台で演奏する際のアドバイスや、曲に関しての話をしました。そのときは、志村さんは前後にお芝居やコントの打ち合わせも入っていて、長くお話をするような状況ではなかったので、舞台の打ち合わせを淡々として。その後も、舞台に関してメールのやりとりをしたりもしましたが、お会いしたのはそのときが最後になりました」志村さんとは16年の仲。上妻さんが志村さんのラジオ番組にゲスト出演し、のちに志村さんから“弟子入り志願”。志村さんが力を入れていた舞台『志村魂』のために三味線を指導、2016年には「キリン 氷結」のCMで共演するなど交流を重ねてきた。「僕が志村さんとお付き合いを始めた頃っていうのは、まだ『志村魂』を始められる前でした。『ゆくゆくはテレビじゃなくて舞台で、生の空気感でお客さんと対面しながらやる一座を組むのが夢なんだよ。それは絶対にやりたいんだ。そのどこかの部分でこの三味線が披露できたらいいんで、そのときはぜひ協力してください』という話だったんですね。それが僕と出会ったときの、志村さんの一つの大きい夢でした」志村さんがどうしても上妻さんに弟子入りしたいと希望した理由の一つが、上妻さんのオリジナル曲『紙の舞』だ。この曲を弾けるようになりたい、と切望していたという。「志村さんが『紙の舞』を気に入られたのは、古典の音楽にないような表現やメロディのためではないでしょうか。リズムも一定ではなく変化する曲です。志村さんは“いろんなイメージをかき立てられる、情景を思い浮かべることができる曲”というようなことをおっしゃっていましたね」上妻さんいわく、「『紙の舞』は、情緒的で、儚さ、切なさを感じさせる曲」。儚い、もの悲しいメロディが志村さんの好みに合ったのではないか、と言う。「『風林火山』という曲も志村さんはお好きでした。ダンス系の曲や昔のブルース、ジャズ、フュージョンなど、いろいろな音楽を聞かれていましたけど、三味線の曲でいうともの悲しい感じのものが好みだったのかもしれませんね」『紙の舞』の稽古のときは、こんなやりとりをしたという。「“突然風が吹いて、紙が舞い、自然に廻っていく。紙が廻ってきたなと思うと、風がなくなるとひらひらと落ちてくる。そんなイメージで作った曲です”。このようなことを伝えたら、志村さんはそれをイメージして演奏されるようになりました。“ああ落ちていくんだな”というイメージがあると表現しやすいんですよね。飲んでいる席でも、『曲のあの部分はどういうイメージですか。高揚していく感じ、広がっていく感じですかね』なんておっしゃっていましたね。そういうのをもとに演奏してくれたのかなと思います」志村さんとの思い出が、師匠である上妻さんの“芸”にも影響を与えているようだ。「三味線をすごく愛してくれて、僕の曲を、音をすごく愛してくれた方なので、志村さんの思いというものを背負いながら三味線を演奏していきたいと思いますし、天国で聴いて喜んでもらえるような曲を作って頑張っていきたいと思います」上妻さんはこの3月、自身の原点・津軽五大民謡の演奏を収録したアルバム『TSUGARU』をリリース。また同時に、矢野顕子とのコラボレーションユニット「やのとあがつま」としてもアルバムをリリースするなど、伝統と革新、双方向から精力的に津軽三味線の可能性を追求し続けている。9月5日からはソロデビュー20周年を記念したツアー・上妻宏光「生一丁!」Tour 2020-2021“伝統と革新”がスタート。志村さんも、きっと天国から“師匠”の演奏をご覧になるだろう――。
2020年08月25日「志村さんが僕のことを“先生”とか“師匠”と呼んでくださったりしていたので、一緒に飲みに行ったりすると『あの志村さんが師匠と言うんだから』と周りの人から気を使われ、困りました(笑)。実は志村さんは人から指導を受けるのがあまり好きではなかったらしく、珍しいことだったようです」そう神妙に語るのは、故・志村けんさん(享年70)の津軽三味線の“師匠”上妻宏光さん(47)だ。今年3月に急逝した志村さん。8月22日に放送される『24時間テレビ』(日本テレビ系)でも志村さんを題材にしたドラマが企画されるなど、志村さんの生きざまが改めて人々を引きつけている――。《ライブに参加したり、CMで共演したり、僕の演奏をCDに収録していただいたり色々な事がありました。(中略)上妻師匠にはとても感謝しております。ありがとうございます。今後ともご指導宜しくお願い致します》志村さんが逝去する約1カ月前の2月に、ソロデビュー20周年を迎えた上妻さん。志村さんからはこんなお祝いのメッセージが贈られていた。当時を思い出し、上妻さんはそっと目頭を押さえる。「最後に直接お会いしたのは昨夏、舞台『志村魂』の稽古でした……」2人の付き合いは16年前から。志村さんのラジオ番組に上妻さんが出演したのがきっかけだった。「実は、お会いしたのはそのときが最初じゃないんです。子どものときに、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)の特番にいろいろな特技を持った20人くらいの子どもが出演したことがあって。僕も三味線で出たんですよ。ご縁があったんですね」以前から志村さんは上妻さんのCDを持っていたそうだ。ラジオ番組で共演した際、上妻さんは自ら作曲した『紙の舞』をリクエストされ、披露。放送終了後に、志村さんから「この後、どうですか?」と食事に誘われたという。「そのとき『三味線やりたいんだよね』とお話しされていたんです。僕は弟子をとらないので『よかったらどなたか紹介しますよ』と伝えたのですが、『いやあ、『紙の舞』を演奏したいからなぁ……』と。ただ、お酒の席でしたし、本気ではないだろうなと思っていたんです。しばらくして、今度は志村さんのテレビ番組のゲストに呼んでいただいて、その収録後に『本当に三味線をやりたいので、連絡先を交換しませんか』とおっしゃるので真剣なお話だとわかったんです。それからは週に2~3回、稽古をやっていました。休みは入りますが、だいたい2時間くらいです」志村さんは持ち前の集中力と努力でたちまち演奏できるようになっていったという。「もともとギターを演奏されていらっしゃったので、とても耳がいい方でした。それに加え、練習も重ねていたと思うんです」志村さんのセンスと努力を物語る一つのエピソードがある。稽古を始めてまだ半年くらいしかたっていないころ。テレビ番組の企画で志村さんの三味線に、ビートたけし(73)がタップダンスを合わせることになった。上妻さんがその収録に付き添うと――。「本番前に三味線を練習し始めた志村さんを見たたけしさんが『そんなに弾けるのか』と驚かれて。たけしさんも楽屋でタップの練習をし始めたんです。若手の芸人さんたちがそれを直立不動で見ていましたね。たけしさんは長くタップをやられていると思うのですが、あの短期間の練習で、たけしさんをも本気にさせるというのはすごいことだと思いました」4年前、上妻さんのアルバムの発売を祝して、志村さんがコメントを寄せたこともある。そのなかには、《お稽古の時間より呑んでいる時間の方が長かったかもしれませんが(笑)》というくだりも。「お稽古のあとに連れていっていただいていたんです。だいたい夕方の3時、4時くらいから稽古をはじめて、2時間くらい稽古をしたあと、食事をして飲みに行って、朝5時くらいまで。そこでダチョウ倶楽部の上島竜兵さんや、嵐の相葉雅紀さんのような、志村さんと番組で共演されている方と一緒になったり。1対1で飲むときもありました。基本的に静かな方なので、お酒を飲んではしゃぐようなことはありませんでした。いつも笑顔で飲んでいらっしゃって、誰か後輩が来るとまたいろいろと気を使われて、お酒や食べ物を勧めたり。志村さんは人が楽しんでいるのを見るのが楽しかったんだと思います」 師匠と弟子。2人で飲むときの話題はやはり“芸事”について。「音楽や映画の話が多かったです。何をアイデアの源にするか。モチベーションをどう保つか……」ときには上妻さんが、志村さんに悩みを相談したこともあった。「今の自分の生き方や、音楽のアプローチの仕方について不安になるときがあって。志村さんとお話をさせていただいたときに、『誰もやらない、そういうことを上妻先生はやってきたわけなんで、自信を持ってください!俺が言うんだから、間違いないですよ』と。独自の世界観を第一線で創ってきた方にそういうふうに言っていただいたというのは、生涯の宝ですね。僕にとっても子供のときから見ていた方ですから……」「俺、夜あまり眠れないんだよね」と呟いていたという志村さん。上妻さんは、志村さんの毎晩の習慣にも強い芸人魂を感じたという。「志村さんは、朝まで飲んでどんなに泥酔していても、自宅に帰ると就寝前に必ず1本は映画を鑑賞していたと聞きました。創作のヒントを絶えず探していたのではないかと思います。志村さんには、才能があるうえでの、たゆまぬ努力をまざまざと見せつけられました。これから僕は、志村さんの芸事の“覚悟”を背負いながら、天国で聴いて喜んでいただける曲を作っていきたいと思っています」志村さんが見せた芸道への執念は師匠にも影響を与えていた――。「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月20日重岡大毅(ジャニーズWEST)主演で、今年3月に新型コロナウイルス感染症により亡くなった志村けんさんの素顔を、ドキュメントとドラマ、音楽を通して描く「24時間テレビ」内のスペシャルヒューマンストーリー「誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ-」。この度、さらなる主要キャスト4名が決定した。「コントの神様」と呼ばれた一人の男。老いも若きも男性も女性も、誰もがその名を知るコメディアン:志村けん。彼は、生涯をかけて“芸”の道を歩み、“笑い”を生み出し、世の中に届け続けた。だが彼はそんな周りの人々にさえ、自身の“素”の姿を語ることを避けていた。自分を曝け出すことを良しとはしていなかった。しかし2004年、長く守りつづけた自身のルールを変える出来事が起きる…。生前の志村さんと仕事を共にした人たちやスタッフたちが目撃したその知られざる素顔を、ドキュメント映像とドラマ、志村さんが愛した音楽を通して描く本作。重岡さんが志村さんの姿をずっと近くで見てきたテレビディレクター役を演じるほか、「天才!志村どうぶつ園」で長らく共演してきた「嵐」相葉雅紀も出演。そして、柄本明、川栄李奈、河合郁人(A.B.C-Z)、三浦リョウ太らが重岡さんを支えるテレビディレクターやスタッフなど、様々な役で登場する。今年の「24時間テレビ」は「動く」をテーマに、メインパーソナリティーを井ノ原快彦(V6)、増田貴久(NEWS)、北山宏光(Kis-My-Ft2)、岸優太(King & Prince)、さらに重岡さんがつとめる。「24時間テレビ43」は8月22日(土)18時30分~日本テレビ系にて放送。スペシャルヒューマンストーリー「誰も知らない志村けん -残してくれた最後のメッセージ-」は8月22日(土) 21時頃~放送。(text:cinemacafe.net)
2020年08月15日2020年3月、タレントの志村けんさんが新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなりました。生前、志村さんと週に2回、お酒を飲みに行くなどプライベートでも親交の深かったお笑いコンビ『千鳥』の大悟さん。バラエティ番組『笑神様は突然に…』(日本テレビ系)を始めとする、多くの番組で共演していました。千鳥・大悟「『また行きたい』っていってくれてたんですけど」同年7月23日に放送された同番組では、これまでの放送を振り返り、スタジオで内村光良さん、宮川大輔さん、千鳥の4人がトークをしました。お笑いコンビ『ガンバレルーヤ』と、『ハライチ』の澤部佑さんを含めた6人で、石垣島を訪れたロケを振り返った大悟さん。志村さんが、パンフレットを丸めてツッコミをするシーンに対して「実は枚数決まってるらしいですよ。音が出るのと痛くない枚数が」と裏話を紹介し、ロケ終了後のエピソードも語りました。あの日返ってきて東京で(深夜)3時ぐらいまで一緒に飲んでた。ロケもね、本当に楽しかったみたいで、「また行きたい」っていってくれてたんですけどね。笑神様は突然に・・・ーより引用大悟さんの表情からはさびしさを感じられ、最愛の師匠を亡くした悲しさはまだ癒えることがないようです。【ネットの声】・志村さんとのロケを見ている時の大悟さんの表情に泣けてきた。・志村さんが亡くなったということをまだ実感できない…。・後日談のエピソードに愛を感じた。本当に素敵な師弟関係だったんだろうな。また2人がそろってロケに出演する姿を見ることは叶いませんが、大悟さんが今後も番組を盛り上げてくれることを、志村さんも期待しているでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2020年07月25日2020年7月3日、バラエティ番組『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が9月いっぱいで終了することが報じられました。同番組は、2004年に放送開始した、お笑いタレントである志村けんさんの冠番組の1つ。動物の紹介を中心としており、志村さんは『志村園長』として出演していました。しかし、志村さんは2020年3月に新型コロナウイルス感染症による肺炎で逝去。大御所タレントである志村さんの死が報じられた際は、多くの人から『天才!志村どうぶつ園』の存続を心配する声が相次いでいました。『天才!志村どうぶつ園』が放送終了へ志村さんが亡くなった後も放送継続が発表されていた同番組ですが、考えた末、16年の歴史に幕を下ろすことになったようです。サンケイスポーツによると、同番組の制作スタッフはこのようにコメントしています。制作側は「志村さんが動物に全力で愛情を注いできた姿、視聴者の皆さまを笑顔にしたいという思い、その志村さんの教えを胸に、番組を制作してきました」と志村園長亡き後の番組について述懐。「しかしながら、志村さんのアドバイスで設計し、志村さんとの思い出の詰まったスタジオで、志村さんという存在なしにこれからずっと番組を作り続けていくことはつらく難しい」と、9月で“閉園”するに至った理由を明かした。サンケイスポーツーより引用今後は、同番組に出演するアイドルグループ『嵐』の相葉雅紀さんが出演する新番組『I Loveみんなのどうぶつ園』(仮題)が同年10月から放送開始するとのこと。『天才!志村どうぶつ園』の『閉園』に対し、ネットからは「終わってしまうなんてショック」「志村さんの冠番組が…」といった声が上がっています。放送終了はさびしいですが、きっと相葉さんが志村園長の遺志を継いでくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年07月04日ダンス&ボーカルグループ・SUPER★DRAGONの志村玲於が、9月11日から東京・かめありリリオホールで上演される舞台『ぼくらの七日間戦争』に出演することが27日、発表された。1985年に宗田理氏によって書き下ろされた小説『ぼくらの七日間戦争』(角川文庫・角川つばさ文庫)。累計発行部数2,000万部を突破して瞬く間にベストセラーとなり、1988年に実写映画化、2019年冬にアニメ化され、そして今回、初めての舞台化が決定した。大人たちの管理教育に反抗した主人公たちが廃工場に立てこもり、爽快な逆転劇が繰り広げられる。主役は菊地英治役の馬場良馬、ヒロイン・中山ひとみ役はAKB48の濵咲友菜。志村は柿沼直樹役を演じ、その他の“ぼくら”に舞台経験豊富でフレッシュなキャストが出演する。また、直樹の母親役に遠山景織子、“ぼくら”の最大の味方となる老人役に石橋保、“ぼくら”の通う学校の教頭役に酒井敏也といった実力派も脇を固める。今回の発表を受け、志村は「このような名作中の名作に携われることができて、本当に嬉しいです!」と喜びを伝え、「大人達との衝突をリアルな形で表現していきますので、このような状況ですが最大限に楽しんで頂けるよう頑張りますのでよろしくお願いします!」と意気込んでいる。なお、本作は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、国や都のガイドラインに基づき、客席を半数にして上演予定。チケットの一般販売は8月1日から。各種先行発売も予定しており、詳細は公式サイトにて発表される。
2020年06月27日千鳥の大悟(40)が志村けんさん(享年70)の愛車を500万円で購入していたと6月25日、FRIDAY DIGITALが発表した。記事によると志村さんのことを「師匠」と慕っていた大悟は免許がないにもかかわらず、志村さんの愛車であるキャデラック・エスカレードを買い取ったとのこと。いっぽうで「家にはクルマもないし、いつかクルマを買うならというのもあるし」と述べ、“師弟愛”的な美談ではないと強調したという。そんな大悟の行動に、ネットでは《大悟君、なかなか粋な事をするではありませんか。志村さんが、どんなリアクションをするか想像しています》《師匠も絶対喜んでくれてると思う。大悟ってこういうところが大きな魅力の一つだと思う》《志村さんの車も幸せだと思う》と感激する声が上がっている。「志村さんは大悟さんをとても可愛がっていました。クリスマスイブに『ご飯行こう』と誘うだけでなく、『振り向いてお前がいると嬉しいんだ』との言葉をかけたこともあるそうです。志村さんといえばバカ殿の姿が印象的ですが、プライベートでは言葉数が少なかった。そのため、当初は気を使って後輩芸人である大悟さんにも敬語で話していたそうです。吉本の先輩芸人たちと違う志村さんの姿が、大悟さんにとっても新鮮だったようです」(テレビ局関係者)志村さんと楽しい時間を過ごしてきた大悟。そばで「師匠」を見つめることで、芸人として学ぶこともあったようだ。「『ヒゲダンスの曲はジャケット買いしたレコードの曲』といった秘話だけでなく、『アイーンはもともと長さん(いかりや長介さん)への威嚇だから脇見せるくらいの角度でやれ』『本物のスケベは真面目な顔で鼻血を流す』などコントの秘訣も志村さんは大悟さんに伝授しました。もともと大悟さんにとって、コントは苦手分野。ですが、志村さんのお陰で前向きな気持ちになったようです」(前出・テレビ局関係者)今月18日、「櫻井・有吉THE夜会」(TBS系)で志村さんについて「代わりがおるかいな!」と断言していた大悟。愛車を購入したことで、かけがえのない思い出がまたひとつ増えたのかもしれない。
2020年06月26日2020年3月29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなった、お笑いタレントの志村けんさん。その出身地である、東京都東村山市は市の知名度を高めた功績をたたえて、志村さんを名誉市民に選定。同年6月25日に行われた市議会での審議の上、満場一致で可決されました。議会では可決後に顕彰式を行い、志村さんの兄・志村知之さんが代理であいさつを述べています。FNNプライムオンラインが報道したその時の様子をご覧ください。志村さんの往年のギャグ『アイーン』で締めくくられた顕彰式。会場は温かな雰囲気に包まれていました。兄の知之さんは、記者からの「本人が生きていたら名誉市民に選ばれたことをどう思うか」という質問に対し、こんなコメントをしています。「うれしいなぁ」というと。あと、シャイな人間なので照れると思います。FNNプライムオンラインーより引用このニュースに、ネット上でも喜びの声が上がっています。・市民としてはすごい嬉しい!けど、やっぱり切ない。・受賞おめでとうございます。志村さんは日本のスーパーヒーローです!・賞状を持ったお兄さんの照れ笑いが、志村さんに見えて泣けました。多くの人に愛された志村さん。その功績は東村山市民に留まらず、日本中の人の心に残り続けるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年06月25日2020年6月21日に放送されたバラエティ番組『志村友達 大集合スペシャル』(フジテレビ系)。同年3月に亡くなった、お笑いタレントの志村けんさんと深い親交がある著名人がゲスト出演し、これまでに放送された人気番組『ドリフ大爆笑』『志村けんのバカ殿様』などのコントが一挙公開されました。ネット上では「何度見ても面白い」「たくさん笑った」といった反響が寄せられ、多くの人々が志村さんを偲び、また彼が遺したコントを楽しんだようです。研ナオコが着用していた衣装が話題に翌22日、番組に出演したタレントの研ナオコさんが、ブログを更新。研さんは、志村さんが所属していたコントグループ『ザ・ドリフターズ』の加藤茶さんや高木ブーさん、仲本工事さんらとともに撮影した、オープニング時の写真を公開しました。番組のオープニングでは、1977年に放送開始した『ドリフ大爆笑』のパフォーマンスを再現。『ザ・ドリフターズ』のいかりや長介さんの代役をお笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の肥後克広さんが、そして志村さんの代役を研さんが務めました。研さんはブログで「番組を見てくださりありがとうございます」という感謝の言葉とともに、オープニングで自身が着用していた衣装について、次のような想いをつづっています。実際にけんちゃんが愛用していたメガネと衣装をお借りしましたとても特別な思いでけんちゃんの代役を務めさせていただきました。研ナオコオフィシャルブログーより引用研さんのブログに対し、視聴者からは絶賛のコメントが寄せられています。・オープニングの研さんが、とても志村さんに似ていて、冒頭から笑いました。・やや大きいサイズのズボンを着ている研さんを見て、涙が出ました。研さん、ありがとうございます。・志村さんの衣装が似合っていました。きっと志村さんも番組を見て、笑っていたと思います。志村さんをリスペクトする想いで、代役に挑んだ研さんの姿は、多くの人の胸を打ちました。志村さんも、きっと見守っていてくれたことでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年06月25日2020年3月、新型コロナウイルス感染症による肺炎でタレントの志村けんさんが亡くなりました。志村さんと以前から親交が深く、一緒に食事をする機会も多かったお笑いコンビ『千鳥』の大悟さん。同年6月18日にゲストで出演したバラエティ番組『櫻井・有吉THE夜会』(TBS系)で志村さんへの想いを叫んだシーンに反響が上がりました。大悟「志村さんの代わりがおるかいな」アイドルグループ『KAT-TUN』の上田竜也さんと、月1回のペースで食事に行くという大悟さん。頻度が高いことを受け、番組MCの有吉弘行さんから、「志村さんの代わりってこと?」と聞かれると大悟さんは叫ぶようにこう答えました。代わらんよ。大きい声で言うてやるよ、代わりがおるかいな!櫻井・有吉THE夜会ーより引用大悟さんにとって志村さんは唯一無二の存在なのでしょう。「志村さんの代わりはいない」と断言しました。また、有吉さんが志村さんの好んでいたファッションをいじると、大悟さんは天を見上げながら志村さんに話しかけるように叫びました。志村さん、志村さん!観てます?まだこいついじってますよ!早めにいじってますよ!櫻井・有吉THE夜会ーより引用その後も生前の志村さんのファッションを話題に出す有吉さんに、大悟さんは「志村さーん!こいつ早いわいじるの。まだみんな悲しんでますから」と天を見ながら、志村さんに話しかけるようにコメント。大悟さんの愛の叫びにネット上では「感動した」などの声が寄せられていました。・笑いにしてくれて、きっと志村さんも喜んでいるはず。・きっぱりと大悟さんが「代わりなんかいない」っていってくれて安心した。・大悟さんの言葉に感動した。志村さんに報告するのが素敵。・このやり取りを見て気持ちの整理がついた。きっと、志村さんの話題で番組が盛り上がったことは志村さんにとっても嬉しいことでしょう。大悟さんの愛の叫びは、天国にいる志村さんにも届いたはずです。[文・構成/grape編集部]
2020年06月20日お笑いコンビ『ダウンタウン』の松本人志さんがテレビ番組内で発したひと言に「感動した」「泣きそうになった」など、称賛の声が集まっています。松本さんの、とっさの『ひと言』に感動!その番組は、2020年6月13日に放送された大喜利バラエティ番組『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)。2009年から不定期で放送されている『IPPONグランプリ』は、大喜利の得意なお笑いタレント10人にさまざまなお題を出題し、誰が一番面白いかを決める番組です。「最後にひと言お願いします」に対し、松本さんは…同番組で、支配人的存在『チェアマン』を務める松本さん。番組終了間際、進行役の榎並大二郎アナウンサーが「松本さん、最後にひと言お願いします」と締めの言葉を求めると、松本さんは…。だっふんだ!同年3月29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎のため亡くなったお笑いタレント志村けんさんの往年のギャグで締めくくったのです。番組終了後、松本さんは自身のTwitterアカウントでこのように述べています。何も考えてなくて気がついたら【だっふんだ】って叫んでた。志村さんボク【だっふんだ】って叫びましたよ。@matsu_bouzuーより引用IPPONグランプリのエンディング。何も考えてなくて気がついたら【だっふんだ】って叫んでた。志村さんボク【だっふんだ】って叫びましたよ。— 松本人志 (@matsu_bouzu) June 14, 220 この投稿には、たくさんの声が寄せられました。・松本さんの「だっふんだ」にとても胸が熱くなりました。・志村さんもビックリして笑ってたと思いますよ。・なんか、ぐっときた。最高の締めでした!ほかにも、多くの人が「感動した、ありがとう」とコメントしています。亡くなってもなお、多くの人の心の中で志村さんは生き続けているのですね。[文・構成/grape編集部]
2020年06月16日「志村ふくみ展 いのちを織る」が、兵庫・姫路市立美術館にて、2020年7月4日(土)から8月30日(日)まで開催される。人間国宝・志村ふくみの約60年にわたる創作の歩み志村ふくみは、絹に草木染めを施した"紬糸”から織りあげた“紬織(つむぎおり)”で知られる、人間国宝の染織家だ。野山の草木から採取した染料で染めた糸と独自の図案で織りあげられた作品の数々には、鮮やかさや繊細さ、独特の気品が漂い、多くの人びとを魅了してきた。草木染めと独自の感性で織り上げた紬織約100点を展示「志村ふくみ展 いのちを織る」は、志村ふくみの約60年にわたる創作の歩みと、その芸術の核心に迫る展覧会。滋賀県立近代美術館が所蔵するコレクションを中心に、主要な紬織着物100点を、織物の生地見本を貼った裂帖や染糸などとともに紹介する。『源氏物語』シリーズを展示見どころは、紫式部の『源氏物語』をテーマに制作した紬織着物のシリーズだ。従来、染織品で文学作品をテーマとする場合、その場面に現れる人物や植物を染や織、刺繍などで描写してきた。しかし志村は、文中での草木や衣装などの色の記述に着目し、色のグラデーションや幾何学的な文様により場面を表現した。本展では、《松風》や《夕顔》など、日本の文化に対する深い考察に基づく着物のシリーズを、前期・後期あわせて14点展示する。草創期から円熟期までをたどるほかにも、やさしい赤色を織りあげた《茜》、志村ならではの世界が自在に発展されていく時期に作られた《梔子熨斗目》や《聖堂》など、草創期から円熟期までいたる各時期の紬織作品を展示。加えて、志村自らが裂を手に取り、配置や配色を考えながら制作した六曲の金屏風《小桉・雪輪屏風》も紹介する。展覧会概要展覧会「志村ふくみ展 いのちを織る」会期:2020年7月4日(土)~2020年8月30日(日) ※展示替えあり[前期 7月4日(土)~8月2日(日) / 後期 8月4日(火)~8月30日(日)]会場:姫路市立美術館 企画展示室住所:兵庫県姫路市本町68-25休館日:月曜日(8月10日は開館)、8月11日(火)開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)※会期中の金・土曜日、および8月9日(日)は20:00まで(入館は19:30まで)観覧料:一般 1,000円(800円)、大学・高校生 600円(400円)、中・小学生 200円(100円)※( )内は20名以上の団体料金※展覧会会期は変更ないし中止となる場合あり(詳細は姫路市立美術館ホームページを確認)【問い合わせ先】姫路市立美術館TEL:079-222-2288
2020年05月28日「ジュリーはもともとコントなんかやってなかったわけです。でも『全員集合』で、志村さんと面白いことをやろうということで、意気投合したんでしょう。そこは当人同士の阿吽の呼吸ということでしょうね。志村さんが考えたことを2人で打ち合わせして、生(放送)の感覚で面白いことをしたということです。それぞれ歌とお笑いで天下を取ったスーパースター同士が、認め合っていた。そんな関係だったと思いますよ」ジュリーこと歌手の沢田研二(71)の元マネージャーだった森本精人氏は、こう語った。志村けんさん(享年70)の“幻の遺作”となった松竹映画『キネマの神様』。その主演に沢田が務めることを発表された。3月に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村さんにとっても、かつて同じ事務所の先輩後輩であり、同時期に“スーパースター”として過ごしたジュリーは最高の人選だろう。「志村さんはザ・ドリフターズとしてお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)で活躍。かたやジュリーは『勝手にしやがれ』や『TOKIO』などの大ヒットによる国民的歌手として君臨。その2人による『全員集合』での野球コントや鏡を使ったコントは、番組の名物の一つでした」(テレビ誌記者)そんな2人は『全員集合』終了後も強い絆で結ばれていた。’01年にはラジオ番組『ジュリけん』、’03年には舞台『さぁ、殺せ!』で共演していたのだ。志村さんの仕事関係者が当時の2人の交流を述懐する。「志村さんが’06年から舞台『志村魂』を始めたのは、沢田さんとの共演舞台『さぁ、殺せ』がきっかけだったんです。沢田さんはとにかく一生懸命やる人で、あれだけの人気歌手なのにコントも器用だった。そんな沢田さんが、舞台での志村さんのことも褒めてくれたんです。2人ともお酒好きだから、舞台終わりにはよくバーで朝方まで飲んでいました。酔っ払ってくると志村さんも当時の人間関係の愚痴を言ったりもしていたんですが(笑)、そんな話も沢田さんは嫌がらず『うん、うん』と、一晩中聞いてくれていましたね」当時のインタビュー(『Hanako』’03年7月23日号)でも2人は息のあったところを見せていた。志村さん「アルコールで全身消毒していますからね、僕らは。元気ですよ」沢田研二「生(の舞台)はいいですよ。失敗したら、明日頑張ろうって飲むでしょ。よかったらよかったで飲むから」スーパースター同士がかつて育んだ縁は、時を経てまた繋がることになった。沢田が代役となる『キネマの神様』は、前出の元マネージャー・森本氏の娘婿がプロデューサーを務めているのだ。「今回の映画出演の件で(ジュリーと)連絡は取っているわけではありませんけど、彼の一ファンとしていい作品になってもらいたいし、頑張ってほしいという気持ちです。昔、ジュリーに『(フランスの名優の)ジャン・ギャバンみたいな渋い俳優になってよ』と言ったら、『映画をやるなら、かっこ悪い不器用な老人をやるよ』なんて答えてくれました。そういう役のほうが楽しく演技ができるという意味だったと思います。『キネマの神様』では、まさに不器用な老人の役ですが、志村さんとのご縁のことも考えると、ジュリーにとってもいいお話だったと思いますね」(前出・森本氏)天国の志村さんも公開を楽しみにしていることだろう。
2020年05月25日東京都東村山市は2020年5月20日にTwitterを更新。同市出身で、同年3月29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなった、お笑いタレントの志村けんさんに全国から寄せられた追悼メッセージを兄・志村知之さんに手渡したことを報告しました。【新着】志村けんさんへのお気持ちをご遺族に届けました:4月6日(月曜)から5月16日(土曜)までお受けいたしました志村けんさんへのお気持ちにつきまして、5月20日(水曜)に渡部尚市長より、ご遺族にお届けさせていただきました。 — 東京都東村山市 (@saitai_hm_tokyo) 2020年5月20日 市では、同年4月6日~5月16日の期間にウェブサイト上で追悼メッセージを募集したところ、合計で2万2336件も届いたといいます。この間、22,336件という大変多くのお気持ちを頂戴いたしました。東村山の地名を全国区に押し上げていただいた志村けんさんへ敬意を表するとともに、改めて心よりご冥福をお祈り申し上げます。市には、名誉市民や銅像の設置など多くのご意見を頂戴しておりますが、これらのご意見につきましては、ご遺族や所属事務所様とご相談の上、検討を進め、実施が決まりました折には、改めてお知らせいたします。東村山市ーより引用また、一部で報道されている『志村けん記念館構想』『銅像設置』などについて市は「現段階でこのようなことが決まった事実はございません」と否定しました。長年、日本中に笑顔をもたらしてくれた志村さんの功績を、多くの人が忘れないでしょう。天国にも、メッセージを送った人々の声が届くといいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月21日沢田研二(71)が志村けんさん(享年70)の代わりに映画「キネマの神様」で主演を務めると発表された。ネットでは「最高の代役」と喜ぶ声が上がっている。山田洋次監督(88)が「家族」をテーマに制作する同作だが、志村さんが亡くなったことや緊急事態宣言の影響で撮影が中断している。各メディアによると、そんななかで制作陣は「作品を完成させることが志村さんへの供養になる」と考え沢田にオファー。沢田はこうコメントしているという。「志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」もともと同じ事務所の先輩後輩という間柄だった沢田と志村さん。テレビやラジオ、そして舞台で何度も共演してきた。「ブレイクの時期が重なる2人は当時、風貌も似ていると話題でした。それを活かし、沢田さんが志村さんの鏡に写された姿を演じるというコントもありました。沢田さんはアイドルにもかかわらず、志村さんの無茶振りにきちんと対応。そのことが、沢田さん人気をさらに押し上げたのです。何より志村さんも晩年に『すごかった』と沢田さんのコントスキルを讃えていました。2人は01年から1年半ほどラジオ番組『ジュリけん』(文化放送)でレギュラーを共にしていましたが、そこでも仲睦まじい様子でした」(芸能関係者)そのため今回の代役にもネットでは《志村さんからジュリーへ! このバトンの引き継ぎはグッとくるものがあるな!》《二人のこれまでの縁、信頼があってこその配役で、志村さんもきっと安心しているんじゃないかなぁ》《志村からジュリーへ!こんな最高な代役ないだろ。。。ジュリーは男だなあ》と喜ぶ声が上がっている。沢田にとって14年ぶりの映画出演となる今作。さらに特別なものとなりそうだ。
2020年05月17日2020年5月16日、山田洋次監督の映画『キネマの神様』のTwitterアカウントが代役のお知らせを投稿し、反響が上がっています。志村けんの代役を発表『キネマの神様』は、志村けんさんが主人公・ゴウの役、菅田将暉さんが若き日のゴウの役を演じる予定だったW主演映画。若き日のゴウの撮影は終了しており、4月上旬から現代のゴウの部分を撮影するはずでした。しかし、志村さんが出演辞退後に新型コロナウイルス感染症による肺炎で逝去。またキャストやスタッフの感染防止の観点から、撮影を見合わせる事態になっていたのです。そんな映画のゴウの役を、歌手の沢田研二さんが務めることが発表されました!新しい出演者と公開に関して、「キネマの神様」よりお知らせです。公式サイトをご確認ください。公式サイトURL pic.twitter.com/74cqTpAiSq — 映画『キネマの神様』公式 (@kinema_kamisama) May 15, 2020 同日は、志村さんの四十九日。志村さんへの追悼の想いを込めて、この日に発表となったのでしょう。沢田さんと志村さんは、かつて同じ事務所の先輩後輩の関係。産経新聞によると、沢田さんは次のようにコメントを寄せているとのことです。沢田さんは「志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」とコメントを寄せた。産経新聞ーより引用また、『キネマの神様』の原作者である作家の原田マハさんもTwitterでこのように投稿し、新たなキャスティングを称賛しています。撮影中止を余儀なくされた山田洋次監督が電話で言っていた。「コロナの後、人々はどんな映画を観たいだろうか。そんなことばかり考えて過ごしています」熟考と、直観と。最高のキャスティングに心からのエールを。 #キネマの神様 #志村けん代役 #沢田研二 pic.twitter.com/tGZT1IGiaI — 原田マハ (@haradamaha) May 15, 2020 沢田研二のキャスティングに対する人々の反応ネット上では、志村さんに代わり沢田さんがゴウ役を務めることに「この上ないほどの適役」「コントでも共演した仲だから納得」「なんか泣ける配役。感動した」などの声が上がっています。また、「下の名前が『けん』と『けんじ』で似ているし、若い頃のお2人の雰囲気も似ていた」という声も。実際に見比べてみると、確かに似た雰囲気が感じられます。『グループサウンズ、ザ・タイガース』のボーカル、沢田研二『ザ・ドリフターズ』の志村けん代役が決まった映画の撮影を、志村さんは温かく見守ってくれることでしょう。なお、映画の公開は当初2020年12月を予定していたものの、来年となる見通しだとのこと。完成した映画を劇場で観られる日が待ち遠しいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月16日