2020年7月3日、バラエティ番組『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が9月いっぱいで終了することが報じられました。同番組は、2004年に放送開始した、お笑いタレントである志村けんさんの冠番組の1つ。動物の紹介を中心としており、志村さんは『志村園長』として出演していました。しかし、志村さんは2020年3月に新型コロナウイルス感染症による肺炎で逝去。大御所タレントである志村さんの死が報じられた際は、多くの人から『天才!志村どうぶつ園』の存続を心配する声が相次いでいました。『天才!志村どうぶつ園』が放送終了へ志村さんが亡くなった後も放送継続が発表されていた同番組ですが、考えた末、16年の歴史に幕を下ろすことになったようです。サンケイスポーツによると、同番組の制作スタッフはこのようにコメントしています。制作側は「志村さんが動物に全力で愛情を注いできた姿、視聴者の皆さまを笑顔にしたいという思い、その志村さんの教えを胸に、番組を制作してきました」と志村園長亡き後の番組について述懐。「しかしながら、志村さんのアドバイスで設計し、志村さんとの思い出の詰まったスタジオで、志村さんという存在なしにこれからずっと番組を作り続けていくことはつらく難しい」と、9月で“閉園”するに至った理由を明かした。サンケイスポーツーより引用今後は、同番組に出演するアイドルグループ『嵐』の相葉雅紀さんが出演する新番組『I Loveみんなのどうぶつ園』(仮題)が同年10月から放送開始するとのこと。『天才!志村どうぶつ園』の『閉園』に対し、ネットからは「終わってしまうなんてショック」「志村さんの冠番組が…」といった声が上がっています。放送終了はさびしいですが、きっと相葉さんが志村園長の遺志を継いでくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年07月04日ダンス&ボーカルグループ・SUPER★DRAGONの志村玲於が、9月11日から東京・かめありリリオホールで上演される舞台『ぼくらの七日間戦争』に出演することが27日、発表された。1985年に宗田理氏によって書き下ろされた小説『ぼくらの七日間戦争』(角川文庫・角川つばさ文庫)。累計発行部数2,000万部を突破して瞬く間にベストセラーとなり、1988年に実写映画化、2019年冬にアニメ化され、そして今回、初めての舞台化が決定した。大人たちの管理教育に反抗した主人公たちが廃工場に立てこもり、爽快な逆転劇が繰り広げられる。主役は菊地英治役の馬場良馬、ヒロイン・中山ひとみ役はAKB48の濵咲友菜。志村は柿沼直樹役を演じ、その他の“ぼくら”に舞台経験豊富でフレッシュなキャストが出演する。また、直樹の母親役に遠山景織子、“ぼくら”の最大の味方となる老人役に石橋保、“ぼくら”の通う学校の教頭役に酒井敏也といった実力派も脇を固める。今回の発表を受け、志村は「このような名作中の名作に携われることができて、本当に嬉しいです!」と喜びを伝え、「大人達との衝突をリアルな形で表現していきますので、このような状況ですが最大限に楽しんで頂けるよう頑張りますのでよろしくお願いします!」と意気込んでいる。なお、本作は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、国や都のガイドラインに基づき、客席を半数にして上演予定。チケットの一般販売は8月1日から。各種先行発売も予定しており、詳細は公式サイトにて発表される。
2020年06月27日千鳥の大悟(40)が志村けんさん(享年70)の愛車を500万円で購入していたと6月25日、FRIDAY DIGITALが発表した。記事によると志村さんのことを「師匠」と慕っていた大悟は免許がないにもかかわらず、志村さんの愛車であるキャデラック・エスカレードを買い取ったとのこと。いっぽうで「家にはクルマもないし、いつかクルマを買うならというのもあるし」と述べ、“師弟愛”的な美談ではないと強調したという。そんな大悟の行動に、ネットでは《大悟君、なかなか粋な事をするではありませんか。志村さんが、どんなリアクションをするか想像しています》《師匠も絶対喜んでくれてると思う。大悟ってこういうところが大きな魅力の一つだと思う》《志村さんの車も幸せだと思う》と感激する声が上がっている。「志村さんは大悟さんをとても可愛がっていました。クリスマスイブに『ご飯行こう』と誘うだけでなく、『振り向いてお前がいると嬉しいんだ』との言葉をかけたこともあるそうです。志村さんといえばバカ殿の姿が印象的ですが、プライベートでは言葉数が少なかった。そのため、当初は気を使って後輩芸人である大悟さんにも敬語で話していたそうです。吉本の先輩芸人たちと違う志村さんの姿が、大悟さんにとっても新鮮だったようです」(テレビ局関係者)志村さんと楽しい時間を過ごしてきた大悟。そばで「師匠」を見つめることで、芸人として学ぶこともあったようだ。「『ヒゲダンスの曲はジャケット買いしたレコードの曲』といった秘話だけでなく、『アイーンはもともと長さん(いかりや長介さん)への威嚇だから脇見せるくらいの角度でやれ』『本物のスケベは真面目な顔で鼻血を流す』などコントの秘訣も志村さんは大悟さんに伝授しました。もともと大悟さんにとって、コントは苦手分野。ですが、志村さんのお陰で前向きな気持ちになったようです」(前出・テレビ局関係者)今月18日、「櫻井・有吉THE夜会」(TBS系)で志村さんについて「代わりがおるかいな!」と断言していた大悟。愛車を購入したことで、かけがえのない思い出がまたひとつ増えたのかもしれない。
2020年06月26日2020年3月29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなった、お笑いタレントの志村けんさん。その出身地である、東京都東村山市は市の知名度を高めた功績をたたえて、志村さんを名誉市民に選定。同年6月25日に行われた市議会での審議の上、満場一致で可決されました。議会では可決後に顕彰式を行い、志村さんの兄・志村知之さんが代理であいさつを述べています。FNNプライムオンラインが報道したその時の様子をご覧ください。志村さんの往年のギャグ『アイーン』で締めくくられた顕彰式。会場は温かな雰囲気に包まれていました。兄の知之さんは、記者からの「本人が生きていたら名誉市民に選ばれたことをどう思うか」という質問に対し、こんなコメントをしています。「うれしいなぁ」というと。あと、シャイな人間なので照れると思います。FNNプライムオンラインーより引用このニュースに、ネット上でも喜びの声が上がっています。・市民としてはすごい嬉しい!けど、やっぱり切ない。・受賞おめでとうございます。志村さんは日本のスーパーヒーローです!・賞状を持ったお兄さんの照れ笑いが、志村さんに見えて泣けました。多くの人に愛された志村さん。その功績は東村山市民に留まらず、日本中の人の心に残り続けるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年06月25日2020年6月21日に放送されたバラエティ番組『志村友達 大集合スペシャル』(フジテレビ系)。同年3月に亡くなった、お笑いタレントの志村けんさんと深い親交がある著名人がゲスト出演し、これまでに放送された人気番組『ドリフ大爆笑』『志村けんのバカ殿様』などのコントが一挙公開されました。ネット上では「何度見ても面白い」「たくさん笑った」といった反響が寄せられ、多くの人々が志村さんを偲び、また彼が遺したコントを楽しんだようです。研ナオコが着用していた衣装が話題に翌22日、番組に出演したタレントの研ナオコさんが、ブログを更新。研さんは、志村さんが所属していたコントグループ『ザ・ドリフターズ』の加藤茶さんや高木ブーさん、仲本工事さんらとともに撮影した、オープニング時の写真を公開しました。番組のオープニングでは、1977年に放送開始した『ドリフ大爆笑』のパフォーマンスを再現。『ザ・ドリフターズ』のいかりや長介さんの代役をお笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の肥後克広さんが、そして志村さんの代役を研さんが務めました。研さんはブログで「番組を見てくださりありがとうございます」という感謝の言葉とともに、オープニングで自身が着用していた衣装について、次のような想いをつづっています。実際にけんちゃんが愛用していたメガネと衣装をお借りしましたとても特別な思いでけんちゃんの代役を務めさせていただきました。研ナオコオフィシャルブログーより引用研さんのブログに対し、視聴者からは絶賛のコメントが寄せられています。・オープニングの研さんが、とても志村さんに似ていて、冒頭から笑いました。・やや大きいサイズのズボンを着ている研さんを見て、涙が出ました。研さん、ありがとうございます。・志村さんの衣装が似合っていました。きっと志村さんも番組を見て、笑っていたと思います。志村さんをリスペクトする想いで、代役に挑んだ研さんの姿は、多くの人の胸を打ちました。志村さんも、きっと見守っていてくれたことでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年06月25日2020年3月、新型コロナウイルス感染症による肺炎でタレントの志村けんさんが亡くなりました。志村さんと以前から親交が深く、一緒に食事をする機会も多かったお笑いコンビ『千鳥』の大悟さん。同年6月18日にゲストで出演したバラエティ番組『櫻井・有吉THE夜会』(TBS系)で志村さんへの想いを叫んだシーンに反響が上がりました。大悟「志村さんの代わりがおるかいな」アイドルグループ『KAT-TUN』の上田竜也さんと、月1回のペースで食事に行くという大悟さん。頻度が高いことを受け、番組MCの有吉弘行さんから、「志村さんの代わりってこと?」と聞かれると大悟さんは叫ぶようにこう答えました。代わらんよ。大きい声で言うてやるよ、代わりがおるかいな!櫻井・有吉THE夜会ーより引用大悟さんにとって志村さんは唯一無二の存在なのでしょう。「志村さんの代わりはいない」と断言しました。また、有吉さんが志村さんの好んでいたファッションをいじると、大悟さんは天を見上げながら志村さんに話しかけるように叫びました。志村さん、志村さん!観てます?まだこいついじってますよ!早めにいじってますよ!櫻井・有吉THE夜会ーより引用その後も生前の志村さんのファッションを話題に出す有吉さんに、大悟さんは「志村さーん!こいつ早いわいじるの。まだみんな悲しんでますから」と天を見ながら、志村さんに話しかけるようにコメント。大悟さんの愛の叫びにネット上では「感動した」などの声が寄せられていました。・笑いにしてくれて、きっと志村さんも喜んでいるはず。・きっぱりと大悟さんが「代わりなんかいない」っていってくれて安心した。・大悟さんの言葉に感動した。志村さんに報告するのが素敵。・このやり取りを見て気持ちの整理がついた。きっと、志村さんの話題で番組が盛り上がったことは志村さんにとっても嬉しいことでしょう。大悟さんの愛の叫びは、天国にいる志村さんにも届いたはずです。[文・構成/grape編集部]
2020年06月20日お笑いコンビ『ダウンタウン』の松本人志さんがテレビ番組内で発したひと言に「感動した」「泣きそうになった」など、称賛の声が集まっています。松本さんの、とっさの『ひと言』に感動!その番組は、2020年6月13日に放送された大喜利バラエティ番組『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)。2009年から不定期で放送されている『IPPONグランプリ』は、大喜利の得意なお笑いタレント10人にさまざまなお題を出題し、誰が一番面白いかを決める番組です。「最後にひと言お願いします」に対し、松本さんは…同番組で、支配人的存在『チェアマン』を務める松本さん。番組終了間際、進行役の榎並大二郎アナウンサーが「松本さん、最後にひと言お願いします」と締めの言葉を求めると、松本さんは…。だっふんだ!同年3月29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎のため亡くなったお笑いタレント志村けんさんの往年のギャグで締めくくったのです。番組終了後、松本さんは自身のTwitterアカウントでこのように述べています。何も考えてなくて気がついたら【だっふんだ】って叫んでた。志村さんボク【だっふんだ】って叫びましたよ。@matsu_bouzuーより引用IPPONグランプリのエンディング。何も考えてなくて気がついたら【だっふんだ】って叫んでた。志村さんボク【だっふんだ】って叫びましたよ。— 松本人志 (@matsu_bouzu) June 14, 220 この投稿には、たくさんの声が寄せられました。・松本さんの「だっふんだ」にとても胸が熱くなりました。・志村さんもビックリして笑ってたと思いますよ。・なんか、ぐっときた。最高の締めでした!ほかにも、多くの人が「感動した、ありがとう」とコメントしています。亡くなってもなお、多くの人の心の中で志村さんは生き続けているのですね。[文・構成/grape編集部]
2020年06月16日「志村ふくみ展 いのちを織る」が、兵庫・姫路市立美術館にて、2020年7月4日(土)から8月30日(日)まで開催される。人間国宝・志村ふくみの約60年にわたる創作の歩み志村ふくみは、絹に草木染めを施した"紬糸”から織りあげた“紬織(つむぎおり)”で知られる、人間国宝の染織家だ。野山の草木から採取した染料で染めた糸と独自の図案で織りあげられた作品の数々には、鮮やかさや繊細さ、独特の気品が漂い、多くの人びとを魅了してきた。草木染めと独自の感性で織り上げた紬織約100点を展示「志村ふくみ展 いのちを織る」は、志村ふくみの約60年にわたる創作の歩みと、その芸術の核心に迫る展覧会。滋賀県立近代美術館が所蔵するコレクションを中心に、主要な紬織着物100点を、織物の生地見本を貼った裂帖や染糸などとともに紹介する。『源氏物語』シリーズを展示見どころは、紫式部の『源氏物語』をテーマに制作した紬織着物のシリーズだ。従来、染織品で文学作品をテーマとする場合、その場面に現れる人物や植物を染や織、刺繍などで描写してきた。しかし志村は、文中での草木や衣装などの色の記述に着目し、色のグラデーションや幾何学的な文様により場面を表現した。本展では、《松風》や《夕顔》など、日本の文化に対する深い考察に基づく着物のシリーズを、前期・後期あわせて14点展示する。草創期から円熟期までをたどるほかにも、やさしい赤色を織りあげた《茜》、志村ならではの世界が自在に発展されていく時期に作られた《梔子熨斗目》や《聖堂》など、草創期から円熟期までいたる各時期の紬織作品を展示。加えて、志村自らが裂を手に取り、配置や配色を考えながら制作した六曲の金屏風《小桉・雪輪屏風》も紹介する。展覧会概要展覧会「志村ふくみ展 いのちを織る」会期:2020年7月4日(土)~2020年8月30日(日) ※展示替えあり[前期 7月4日(土)~8月2日(日) / 後期 8月4日(火)~8月30日(日)]会場:姫路市立美術館 企画展示室住所:兵庫県姫路市本町68-25休館日:月曜日(8月10日は開館)、8月11日(火)開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)※会期中の金・土曜日、および8月9日(日)は20:00まで(入館は19:30まで)観覧料:一般 1,000円(800円)、大学・高校生 600円(400円)、中・小学生 200円(100円)※( )内は20名以上の団体料金※展覧会会期は変更ないし中止となる場合あり(詳細は姫路市立美術館ホームページを確認)【問い合わせ先】姫路市立美術館TEL:079-222-2288
2020年05月28日「ジュリーはもともとコントなんかやってなかったわけです。でも『全員集合』で、志村さんと面白いことをやろうということで、意気投合したんでしょう。そこは当人同士の阿吽の呼吸ということでしょうね。志村さんが考えたことを2人で打ち合わせして、生(放送)の感覚で面白いことをしたということです。それぞれ歌とお笑いで天下を取ったスーパースター同士が、認め合っていた。そんな関係だったと思いますよ」ジュリーこと歌手の沢田研二(71)の元マネージャーだった森本精人氏は、こう語った。志村けんさん(享年70)の“幻の遺作”となった松竹映画『キネマの神様』。その主演に沢田が務めることを発表された。3月に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村さんにとっても、かつて同じ事務所の先輩後輩であり、同時期に“スーパースター”として過ごしたジュリーは最高の人選だろう。「志村さんはザ・ドリフターズとしてお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)で活躍。かたやジュリーは『勝手にしやがれ』や『TOKIO』などの大ヒットによる国民的歌手として君臨。その2人による『全員集合』での野球コントや鏡を使ったコントは、番組の名物の一つでした」(テレビ誌記者)そんな2人は『全員集合』終了後も強い絆で結ばれていた。’01年にはラジオ番組『ジュリけん』、’03年には舞台『さぁ、殺せ!』で共演していたのだ。志村さんの仕事関係者が当時の2人の交流を述懐する。「志村さんが’06年から舞台『志村魂』を始めたのは、沢田さんとの共演舞台『さぁ、殺せ』がきっかけだったんです。沢田さんはとにかく一生懸命やる人で、あれだけの人気歌手なのにコントも器用だった。そんな沢田さんが、舞台での志村さんのことも褒めてくれたんです。2人ともお酒好きだから、舞台終わりにはよくバーで朝方まで飲んでいました。酔っ払ってくると志村さんも当時の人間関係の愚痴を言ったりもしていたんですが(笑)、そんな話も沢田さんは嫌がらず『うん、うん』と、一晩中聞いてくれていましたね」当時のインタビュー(『Hanako』’03年7月23日号)でも2人は息のあったところを見せていた。志村さん「アルコールで全身消毒していますからね、僕らは。元気ですよ」沢田研二「生(の舞台)はいいですよ。失敗したら、明日頑張ろうって飲むでしょ。よかったらよかったで飲むから」スーパースター同士がかつて育んだ縁は、時を経てまた繋がることになった。沢田が代役となる『キネマの神様』は、前出の元マネージャー・森本氏の娘婿がプロデューサーを務めているのだ。「今回の映画出演の件で(ジュリーと)連絡は取っているわけではありませんけど、彼の一ファンとしていい作品になってもらいたいし、頑張ってほしいという気持ちです。昔、ジュリーに『(フランスの名優の)ジャン・ギャバンみたいな渋い俳優になってよ』と言ったら、『映画をやるなら、かっこ悪い不器用な老人をやるよ』なんて答えてくれました。そういう役のほうが楽しく演技ができるという意味だったと思います。『キネマの神様』では、まさに不器用な老人の役ですが、志村さんとのご縁のことも考えると、ジュリーにとってもいいお話だったと思いますね」(前出・森本氏)天国の志村さんも公開を楽しみにしていることだろう。
2020年05月25日東京都東村山市は2020年5月20日にTwitterを更新。同市出身で、同年3月29日に新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなった、お笑いタレントの志村けんさんに全国から寄せられた追悼メッセージを兄・志村知之さんに手渡したことを報告しました。【新着】志村けんさんへのお気持ちをご遺族に届けました:4月6日(月曜)から5月16日(土曜)までお受けいたしました志村けんさんへのお気持ちにつきまして、5月20日(水曜)に渡部尚市長より、ご遺族にお届けさせていただきました。 — 東京都東村山市 (@saitai_hm_tokyo) 2020年5月20日 市では、同年4月6日~5月16日の期間にウェブサイト上で追悼メッセージを募集したところ、合計で2万2336件も届いたといいます。この間、22,336件という大変多くのお気持ちを頂戴いたしました。東村山の地名を全国区に押し上げていただいた志村けんさんへ敬意を表するとともに、改めて心よりご冥福をお祈り申し上げます。市には、名誉市民や銅像の設置など多くのご意見を頂戴しておりますが、これらのご意見につきましては、ご遺族や所属事務所様とご相談の上、検討を進め、実施が決まりました折には、改めてお知らせいたします。東村山市ーより引用また、一部で報道されている『志村けん記念館構想』『銅像設置』などについて市は「現段階でこのようなことが決まった事実はございません」と否定しました。長年、日本中に笑顔をもたらしてくれた志村さんの功績を、多くの人が忘れないでしょう。天国にも、メッセージを送った人々の声が届くといいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月21日沢田研二(71)が志村けんさん(享年70)の代わりに映画「キネマの神様」で主演を務めると発表された。ネットでは「最高の代役」と喜ぶ声が上がっている。山田洋次監督(88)が「家族」をテーマに制作する同作だが、志村さんが亡くなったことや緊急事態宣言の影響で撮影が中断している。各メディアによると、そんななかで制作陣は「作品を完成させることが志村さんへの供養になる」と考え沢田にオファー。沢田はこうコメントしているという。「志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」もともと同じ事務所の先輩後輩という間柄だった沢田と志村さん。テレビやラジオ、そして舞台で何度も共演してきた。「ブレイクの時期が重なる2人は当時、風貌も似ていると話題でした。それを活かし、沢田さんが志村さんの鏡に写された姿を演じるというコントもありました。沢田さんはアイドルにもかかわらず、志村さんの無茶振りにきちんと対応。そのことが、沢田さん人気をさらに押し上げたのです。何より志村さんも晩年に『すごかった』と沢田さんのコントスキルを讃えていました。2人は01年から1年半ほどラジオ番組『ジュリけん』(文化放送)でレギュラーを共にしていましたが、そこでも仲睦まじい様子でした」(芸能関係者)そのため今回の代役にもネットでは《志村さんからジュリーへ! このバトンの引き継ぎはグッとくるものがあるな!》《二人のこれまでの縁、信頼があってこその配役で、志村さんもきっと安心しているんじゃないかなぁ》《志村からジュリーへ!こんな最高な代役ないだろ。。。ジュリーは男だなあ》と喜ぶ声が上がっている。沢田にとって14年ぶりの映画出演となる今作。さらに特別なものとなりそうだ。
2020年05月17日2020年5月16日、山田洋次監督の映画『キネマの神様』のTwitterアカウントが代役のお知らせを投稿し、反響が上がっています。志村けんの代役を発表『キネマの神様』は、志村けんさんが主人公・ゴウの役、菅田将暉さんが若き日のゴウの役を演じる予定だったW主演映画。若き日のゴウの撮影は終了しており、4月上旬から現代のゴウの部分を撮影するはずでした。しかし、志村さんが出演辞退後に新型コロナウイルス感染症による肺炎で逝去。またキャストやスタッフの感染防止の観点から、撮影を見合わせる事態になっていたのです。そんな映画のゴウの役を、歌手の沢田研二さんが務めることが発表されました!新しい出演者と公開に関して、「キネマの神様」よりお知らせです。公式サイトをご確認ください。公式サイトURL pic.twitter.com/74cqTpAiSq — 映画『キネマの神様』公式 (@kinema_kamisama) May 15, 2020 同日は、志村さんの四十九日。志村さんへの追悼の想いを込めて、この日に発表となったのでしょう。沢田さんと志村さんは、かつて同じ事務所の先輩後輩の関係。産経新聞によると、沢田さんは次のようにコメントを寄せているとのことです。沢田さんは「志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」とコメントを寄せた。産経新聞ーより引用また、『キネマの神様』の原作者である作家の原田マハさんもTwitterでこのように投稿し、新たなキャスティングを称賛しています。撮影中止を余儀なくされた山田洋次監督が電話で言っていた。「コロナの後、人々はどんな映画を観たいだろうか。そんなことばかり考えて過ごしています」熟考と、直観と。最高のキャスティングに心からのエールを。 #キネマの神様 #志村けん代役 #沢田研二 pic.twitter.com/tGZT1IGiaI — 原田マハ (@haradamaha) May 15, 2020 沢田研二のキャスティングに対する人々の反応ネット上では、志村さんに代わり沢田さんがゴウ役を務めることに「この上ないほどの適役」「コントでも共演した仲だから納得」「なんか泣ける配役。感動した」などの声が上がっています。また、「下の名前が『けん』と『けんじ』で似ているし、若い頃のお2人の雰囲気も似ていた」という声も。実際に見比べてみると、確かに似た雰囲気が感じられます。『グループサウンズ、ザ・タイガース』のボーカル、沢田研二『ザ・ドリフターズ』の志村けん代役が決まった映画の撮影を、志村さんは温かく見守ってくれることでしょう。なお、映画の公開は当初2020年12月を予定していたものの、来年となる見通しだとのこと。完成した映画を劇場で観られる日が待ち遠しいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月16日新型コロナウイルスによる肺炎のため3月29日に亡くなった志村けんさんが、菅田将暉とW主演を務める予定だった山田洋次監督の最新作『キネマの神様』。この度、かつては同じ事務所の先輩・後輩でもあった沢田研二が、その遺志を継いで代役を務めることになった。今年1月に映画化を発表、3月1日にクランクインし撮影を進めていた本作。物語は過去パートと現在パートにわかれており、3月末に過去パートは撮影終了し、4月から現在パートの撮影に入ろうとしていた矢先に志村さんの突然の訃報が届いた。また、程なくして日本政府による緊急事態宣言により、撮影は長期中断となっていた。山田監督たちは本作の撮影を無事に終わらせ、作品を完成させることが、志村さんへの一番の供養になると信じ、コロナ禍の終息がいまだ見えない中、撮影が再開できる日を想像して、志村さんが演じる予定だった主人公ゴウのキャスティングを開始。そして、沢田研二がゴウ役に決定した。かつては同じ事務所の先輩・後輩関係で仲が良く、「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」などの番組、共同のラジオ番組「ジュリけん」やコントなどで志村さんと多く共演していた沢田さんが、志村さんの遺志を継ぎ、14年ぶりに映画出演。山田監督作品への参加は、1982年の『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』以来38年ぶりとなる。沢田さんからは「志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」と決意のコメントが到着。志村さんが所属していたイザワオフィス代表取締役社長・井澤健氏は「志村けんも大変喜んでいると思います。作品の完成を心待ちにしております」とコメントを寄せた。房俊介プロデューサーは、「兼ねてから志村さんと縁が深い沢田研二さんは、誰よりも志村さんの想いを抱きしめ、取り組んでいただけると思います。かつて『男はつらいよ』でご一緒した山田監督は『志村さんとは違うゴウちゃん。沢田研二さんならば、別なゴウちゃんの魅力を引き出してくれると確信しています』と仰っております」と監督の言葉を伝えている。なお、引き続き撮影再開については調整中で、公開に関しては当初予定の2020年12月を見送り、2021年で調整をしている。また、山田組では、志村さんへの思いを胸に前を向いていく思いを込めたメッセージビジュアルを作成。本日5月16日の読売新聞朝刊全国版にも掲載される。『キネマの神様』は2021年公開予定。(text:cinemacafe.net)■関連作品:キネマの神様 2020年12月、全国にて公開予定©︎2020「キネマの神様」製作委員会
2020年05月16日新型コロナウイルスによる肺炎で3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)が、5月1日からNHK連続テレビ小説『エール』に登場している。主演・窪田正孝(31)演じる主人公のモデルになった古関裕而さんは、志村さんの母校・旧都立久留米高等学校の校歌を作曲しているという意外な縁もあった。志村さんにとって今回の朝ドラは20年ぶりの役者業。その背景には、尊敬する高倉健さん(享年83)への強い思いがあったという。「コントを心から愛していた志村さんは、役者業にはつい昨年まで積極的ではありませんでした。しかし、70歳を前に、亡き高倉健さんの言葉が脳裏によみがえったそうです。『あなたの演技には哀愁がある。役者としてぜひ、また共演したいね』と――」(映画関係者)2人の出会いは、’99年の映画『鉄道員』。降旗康男監督が志村さんを強く推薦し、高倉さんも志村さんとの初共演を心待ちにしていたという。「高倉さんは、志村さんの『寿司屋のおじいさんのコント』が昔から好きで、撮影の合間には、盟友の小林稔侍さんの前で、そのモノマネをしていたほど。一方、映画好きの志村さんにとって、高倉さんは雲の上の大スターで憧れの人。初対面の際は『生涯でいちばん緊張した』と苦笑いしていました」(前出・映画関係者)当時、志村さんは映画誌のインタビューで“憧れの高倉さん”とのエピソードを語っている。《北海道ロケの時に、初めてお会いしたんです。その時は、言葉で言い表せないぐらいに大きく感じました。その撮影に行く前の日に健さんから僕の携帯電話の留守電にメッセージが入っていたんです。内容は『弟子志望の高倉健です。こちらは寒いですから、風邪をひかないように、よろしくお願いします』というもので、それを聞いた時はビビりましたよ。いきなり『弟子志望』なんて、ギャグを飛ばしてきましたから…。そのメッセージは、しばらく消さずにいろんな人に聞かせて自慢していたんです(笑)》(『キネマ旬報』’99年6月15日号)炭鉱作業員役を演じた志村さん。真冬の夜9時から始まった撮影は氷点下20度の過酷な現場だった。「リハーサルでアドリブを連発する高倉さんに、志村さんも当意即妙で返す。現場は大変な熱気に包まれました。共演ロケは2日だけでしたが、高倉さんは役者としての志村さんを絶賛していました」(前出・映画関係者)実際、高倉さんは『キネマ旬報』のインタビューで、志村さんのことをこう評していた。「本当に凄いと思うんですよ。何かあの方のコントとかを観ていると、ヨーロッパの人みたいですね。日本の人とは違いますよ。ああいう人が日本映画に加わってほしい」(『キネマ旬報』’99年6月15日号)前出の映画関係者は続ける。「共演以来、高倉さんはプライベートで志村さんを飲みに誘うこともありました。毎年末には、お気に入りの甘酒やブランデーを志村さんに贈っていたんです。そこには直筆の手紙が添えられて、『また志村さんの演技が見たい』『いつかまた共演したい』と書かれていたそうです。志村さんは、そんな高倉さんの数々の手紙を大事に保管していたといいます」だが、高倉さんが切望していた共演の夢がかなうことはなかった。’14年11月、83歳で亡くなった高倉さん。突然の訃報に志村さんはブログで《悲しい寂しい辛いどんな言葉でも物足りない》と悲痛な胸中を吐露していた。志村さんは、高倉さんの死後も“直筆メッセージ”がずっと心に引っ掛かっていたようだ。「’20年に古希を迎えるタイミングで、役者のオファーを受けたことを“宿命”と感じたそうです。この年齢になれば今後、元気で仕事ができる時間は限られてくる。ならば、恩義ある高倉さんの思いに応えようと決心したのでしょう」(前出・番組関係者)志村さんは生前、『エール』での登場シーンに関して、NHKにこんなことを語っていた。《僕の出ているシーンは、困ったことにあまり笑いがないんですよ。いつもの志村けんらしくない、こんなこともやりますよってところを見てもらえれば、うれしいね》高倉健さんの“遺命”に応えた志村さんは今も魂の演技で、日本中に“エール”を送っている――。「女性自身」2020年5月26日号 掲載
2020年05月12日志村けんさん(享年70)が5月1日に放送された連続テレビ小説「エール」(NHK総合)に登場した。在りし日の演技に、視聴者は見入ったようだ。志村さんが演じたのは、童謡「赤とんぼ」の作曲者である山田耕筰をモデルにした小山田耕三。窪田正孝(31)演じる主人公・古山裕一の才能を認めながらも、その活躍を恐れているという役どころだ。各メディアによると志村さんは今回の役柄について「俺、譜面も読めないのに、役柄はみんなが憧れる作曲家で、ちょっと意地悪っぽいところもある」「いつもの志村けんらしくない、こんなこともやりますよってところを見てもらえれば、うれしいね」とコメントしていたという。作中で髭を生やし、威厳のある演技を披露した志村さん。ネットでは、その演技を讃える声が上がっている。《一癖ある演技がステキ、カッコいい 最後まで演じられるのを観たかった》《少しだけのシーンで威厳のある演技に見入ってしまった》《一瞬誰かわからなかった。声のトーンや演技で別人になれるんだね、すごいよ変なおじさんだし志村どうぶつ園園長もやってるのに。ほんと、惜しい方を失くしてしまったんだなぁ》志村さんはこれまで、テレビドラマに出演したことがなかった。そのため「エール」は初ドラマにして、最後のドラマ出演となった。「志村さんはドラマのオファーを全て断ってきたそうです。ですが今回はヒロインの二階堂ふみさん(25)にも惹かれ、出演を決断したと聞きました。生前の志村さんは気合い十分で、常に台本を持ち歩いているほどでした」(芸能関係者)今後も「エール」では、収録の済んだ志村さんの出演シーンを放送するという。その貴重な演技を堪能できそうだ。
2020年05月01日4月23日放送の『ダウンタウンDX』(読売テレビ・日本テレビ系)で、3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)の追悼スペシャルと題した過去の名場面特集が組まれた。そこでの志村さんとダウンタウンのやり取りに、多くの反響が寄せられている。番組ではドリフターズ時代のエピソードトークなどでスタジオを沸かせたかと思えば、思いっきり頭をひっぱたいて突っ込む浜田雅功(56)に対しても笑顔で対応。松本人志(56)のイジリにも、楽しそうに耳を傾けていた。放送後、ネット上では“ダウンタウンDX”がリアルタイムトレンドにランクイン。志村さんとダウンタウンやり取りに、胸を熱くする人たちのコメントが相次いだ。《今日のダウンタウンDX 、笑って泣いて笑って泣いて笑った》《ダウンタウンDXで志村さんとダウンタウンの絡みを改めて見たけどいいね。互いにリスペクトし合ってる》《ダウンタウンDX 志村けんスペシャル おもしろかったなー。たくさん笑った。浜ちゃんのどぎついツッコミと松ちゃんのイジリに嬉しそうだったなー、、ほんとに仲良かったんだろうなあ、ハゲとかお前とか言いながら三人とも楽しそうだった》自身を生粋のコント師と称し、かねてよりフリートークが苦手であることを公言していた志村さん。しかし『ダウンタウンDX』には2000年の初登場以来、30回にわたり出演していた。そこには、ダウンタウンに対する絶大な信頼があったようだ。志村さんは2016年1月の『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に出演した際、こうコメントしていた。「俺の頭こうやって殴るの今、浜ちゃんだけだもんな」大御所になったことで、誰からも一目置かれる存在となった。だがそこにあえて踏み込んでくるダウンタウンだからこそ、志村さんは番組への出演を続けていたのかもしれない。そして彼らもまた、そんな志村さんに敬意を持っていた。訃報が伝えられた際、松本はツイッターで「素晴らしいおじさん。ありがとうございました」と哀悼の意を投稿。130万件以上の「いいね」と3万件以上のコメントが寄せられていた。
2020年04月25日「突然の志村さんの逝去後、放送された特別番組は軒並み高視聴率でした。1日の『志村けんさん追悼特別番組』(フジテレビ系)は21.9%、『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)は27.3%、『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系)は20.1%。各局とも故人の国民的人気に改めて畏敬の念を抱いています」(制作関係者)“バカ殿”は志村けんさん(享年70)にとって自身のお笑い哲学の象徴だった。ザ・ドリフターズで学んだ「動き7割、言葉3割」というコント哲学。その代表的なキャラクターが“バカ殿”だったのだ。《バカ殿も変なおじさんも純粋なんだよね。純粋すぎて周囲からは変に見えるだけ。そういう意味では俺も変わらないなぁ。頭の中、お笑いだけだから》(『週刊ポスト』’16年8月5日号)バカ殿に、自分自身を重ねていた志村さん。コント一筋、笑いに懸ける自身の生き方を象徴するキャラクターがバカ殿だった。生涯、独身だった志村さん。心の底では、家庭を持ち、子供を育てることを常に夢みていた。「志村さんは生前、『自分に子供が生まれたら、一緒にバカ殿ごっこをするのが夢』と、話していたんですよ。子供のような年代の後輩芸人たちをかわがっていたのも、そんな志村さんの思いの表れだったのかもしれません」(演芸関係者)「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日志村けんさん(享年70)の通夜、告別式は4月11、12日の両日で、近親者によって営まれた。「お別れの会」は、「新型コロナウイルスに関連する一連の状況が収束したのち」に開くという。国民的コメディアンの突然の死は、お笑い界の大きな痛手だ。2日、ナインティナインの岡村隆史(49)が、パーソナリティを務めるラジオ『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、志村さんへの感謝を述べた。「僕がバラエティ番組でやる動きや表情は、ほぼほぼ志村さんのコピー。パクリに近いと思います」「岡村隆史という人間の7割が志村さんで構成されている」志村さんと岡村は公私にわたって親しかった。「実は、あの志村さんにも低迷期がありました。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)終了後の’90年代後半は、ゴールデンタイムのレギュラー番組がなくなり、『志村けん死亡説』が流れたこともあったほど。その低迷期を脱する契機となったのが、岡村さんがバラエティ番組で連発した志村さんの『アイーン』だったんです」(演芸関係者)自身の冠番組で「お笑いの教科書」だった志村さんをまねて、「アイーン」を繰り返した岡村の活躍で、本家・志村さんの人気は再燃。再びお笑いの第一線に復帰した。「岡村さんにも芸能活動を休止した時期があります。10年前、体調不良で、半年間の活動休止でした。本人自ら『地獄を見た』という入院療養中、心配した志村さんから彼に電話が入ったそうです。志村さんは彼の心の叫びを、ずっと聞いてくれたそうです。それが心の支えになったと岡村本人が言っていました」(岡村の知人)“相思相愛”だった2人。何度も食事をともにし、笑いについて語り合ってきた岡村は、ことあるごとに、バカ殿の後継者として立候補していたようだ。「6年前、芸人6人で慰安旅行に行く番組の企画でのこと。温泉に入り、酒が入った席で、岡村が志村さんに『どうすんですか?死んだら。バカ殿とかやっぱり誰かが残していかないといけないじゃないですか』『バカ殿、終わらすんですか?』と、矢継ぎ早に詰め寄っていました。ふだんから、岡村は志村さんと会うと必ず、このことを聞いていたみたいです」(テレビ局関係者)同年11月の『ウチくる!?』(フジテレビ系)でも、VTR出演した岡村は、ゲストの志村さんに、「“バカ殿”は誰が継ぐのか。変なおじさんは誰が継ぐのかということを遺書に残しておいていただきたい」と、懇願している。しかし、志村さんは岡村の度重なる懇願にもかかわらず、首を縦に振ることはなかったという。インタビューでこう語っている。「(岡村には)『そうはいかねえよ』と返している。俺のマネをしてもしょうがない。超えなきゃ意味ないから。岡村には、『おまえはコントをやらないからキャラができないんだ』って言ったけど、コントって結局、それが大変だから、若いやつはやらないんだよね」(『報知新聞』’14年6月17日付より)岡村のさらなる飛躍を期待して、志村さんは愛のむちを振るったのだ。そんな志村さんが晩年、気に入っていたのが千鳥の大悟(40)だった。’16年の『志村けんのバカ殿様最新作笑いの金メダルSP』で初共演し、翌年3月の『志村けんのだいじょうぶだぁドリフみんな大集合SP』(ともにフジテレビ系)に出演した大悟。「千鳥のトークコーナーを見て、志村さんは、昔の芸人のような荒っぽい雰囲気に加え、自分を作っていない大悟を気に入り、収録後、飲みに誘ったんです。そこで意気投合して、それからは週3回、一緒に飲む仲になっていました。以来、もう“愛弟子”ともいえる関係になりましたね。ある日、志村さんは笑いながら『俺が死んだら、おまえがバカ殿をやったらいい』と言っていたほどなんです」(テレビ局関係者)志村さんは大悟に、自分と同じにおいを嗅ぎ取っていたのだろう。「大悟さんは『バカ殿は志村さんのものですから』と断っていましたが、亡くなって『志村さんが天国で笑ってくれるなら……』という気持ちも出てきているようです。フジテレビも志村さんが遺した国民的キャラクター『バカ殿』をこのまま終わらせたくないようです。二代目を継ぐ可能性があるのは、志村さんが心からかわいがっていた岡村さんか大悟さんの2人しかいないと断言できます」(前出・テレビ局関係者)バカ殿が愛すべき後輩に受け継がれることを、天国の志村さんもきっと、喜んでいるはずだ――。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日2020年3月29日、新型コロナウイルス感染症による肺炎でタレントの志村けんさんが亡くなりました。バラエティー界をけん引する志村さんの訃報は、芸能界のみならず視聴者にも大きな衝撃を与え、ショックの声がたくさん上がっていました。同年4月18日、志村さんが所属していた事務所、イザワオフィスは1987~1996年の9年にわたって放送されたバラエティー番組『志村けんのだいじょぶだぁ』(フジテレビ系)を再編集し、YouTubeで公開することを発表。動画全10本のうち、9本は広告をつける形で公開し、広告から得られる収益は必要最低限の経費を除いて全額、日本赤十字社に寄付するといいます。処分を待つのみだった作品イザワオフィスは、『志村けんのだいじょぶだぁ』は、諸事情によって今後テレビでの放送は限りなくゼロに近い状況で、作品が目にされないことに葛藤があったと明かしています。1987年より9年間に渡りにテレビで放送された「志村けんのだいじょぶだぁ」は、諸事情により、テレビなどで目にしていただく機会がなく、今後についても、残念ながら限りなくゼロに近い状況です。弊社スタッフ一同、これら、志村けんの全盛期とも言える時期の作品が、このまま人々の目に触れられず、再び世に出ないまま葬り去られてしまうことに対して、大きな葛藤がありました。IZAWA OFFICE -イザワオフィス-ーより引用テレビでは見ることのできなくなってしまった人気バラエティー番組の公開に、ネット上では歓喜の声が寄せられていました。・嬉しい!ありがとうございます。家で退屈でしたが、動画を見て元気を出します。・笑いで人を救えることは素敵なことですね。懐かしさを感じながら見たいと思います!・当時の放送は見れなかったので楽しみにしています。本来ならば放送されずに処分を待つのみの作品だったという、『志村けんのだいじょぶだぁ』。最前線で働く医療従事者を支援する形となって、再び多くの人を笑わせてくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月18日お笑いコンビ・千鳥の大悟(40)が4月16日、自身のTwitterを更新。親交が深かった志村けんさん(享年70)が、3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなって以降、初めての投稿となった。大悟は「島んちわ!写真かと思ったら動画やった」というコメントとともに、1分32秒の動画を公開。「写真撮っちゃろか?」と相方・ノブ(40)のコーディネートを写真で撮るようにみせかけ、実は動画だったというシュールなやり取りが収められている。志村さんのいちばんの飲み仲間として知られ、一時期は「週5で飲みに行く」と公言していたほど可愛がられていた大悟。3月31日にノブが「志村けん師匠のご冥福をお祈りします」とTwitterで追悼したが、大悟は3月19日のツイートから沈黙を続けていたことから、ファンの間で《大悟が心配》《大丈夫ですか?》と心配するコメントが殺到していた。志村さんに言及することがなかったが、大悟の28日ぶりの更新に《面白いより大悟元気そうでよかったが勝つ》《笑えてるね。安心した》《笑い声聴けてよかったよー》と安堵する声が多く寄せられている。
2020年04月16日4月16日発表の「オリコン週間DVDランキング」で、3月29日に亡くなった志村けんさんの『志村けんのだいじょうぶだぁ BOXII ウンジャラゲ編』、『志村けんのだいじょうぶだぁ BOXⅠ だっふんだ編』が、ジャンル別「バラエティ・お笑い」でそれぞれ3位と4位にランクインした。また、志村さんが所属していたザ・ドリフターズの『ザ・ドリフターズ結成50周年記念 ドリフ大爆笑 DVD-BOX』をはじめとする作品も5作品同時ランクイン。ジャンル別「バラエティ・お笑い」で、志村さん関連の7作品が同時TOP10入りを記録した。また、DVD総合でも7作品はTOP100入りした。4月1日に生放送された『志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)を皮切りに、各局が志村けんさんの追悼番組を続々と放送。20日付の同ランキングで前週圏外から一気に急浮上した。『~BOXⅠ だっふんだ編』『~BOXIIウンジャラゲ編』は、1987年から1993年まで放送されたお笑い番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』から、「変なおじさん」や「ひとみばあさん」などの名物コントをはじめ、石野陽子、松本典子、桑野信義などおなじみレギュラー陣とのショートコントも収録。どちらも2枚組、本編収録時間が約4時間におよぶベストコント集となっている。
2020年04月16日「収録前の相葉さんは、いまにも泣きだしそうなほど憔悴していて、共演者すら声を掛けられなかったそうです。心の底から志村さんを慕っていただけに、相葉さんの心痛は計り知れないものがあります」(日本テレビ関係者)日本中に衝撃を与えた志村けんさん(享年70)の訃報。志村さんとともに『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)で司会を務める嵐の相葉雅紀(37)も悲しみに打ちひしがれていた。4月4日に、同番組は志村さんを追悼する特別編を放送。番組史上最高となる27.3%の視聴率を記録した。番組冒頭、相葉は悔しさをにじませながらこう語った。《志村さんが亡くなったことは信じられませんし、受け止めることができません。嫌です、悲しすぎます。志村さんの優しい笑顔が頭から離れません》2人の出会いは番組がスタートした’04年にさかのぼる。嵐としてデビュー後、同番組が初の単独でのバラエティ番組レギュラーとなった相葉。しかし、相葉は早々に“事件”を起こしていた。「番組が始まってすぐ、志村さんの計らいで出演者やスタッフとの食事会が開かれました。緊張していたこともあって、お酒が回った相葉さんが志村さんの膝を枕にして寝てしまったんです。しかし、志村さんは『男に膝を貸すのは初めてだよ』と笑って許したそうです。スタッフが起こそうとすると、『嵐もやって疲れてるんだからいいよ』と優しく気遣っていたといいます」(前出・日本テレビ関係者)思わぬハプニングもあり、2人の距離はどんどん縮まっていった。「志村さんは人として裏表のない相葉さんをとてもかわいがり、収録が終わると毎回のように食事に誘っていました。相葉さんも志村さんの舞台があると、自分でチケットを購入して必ず観劇していたそうです。また志村さんは『将来的には相葉がMCをできるようにしてあげたい』とスタッフに語っていたそうです。当初はパネラーだった相葉さんが途中で司会に昇格したのも、志村さんの後押しがあったからだと聞いています」(前出・日本テレビ関係者)公私にわたって志村さんとの絆を強めていくいっぽうで、相葉はスランプを抱えていた。「番組スタート時の嵐は、今のような国民的アイドルではありませんでした。ほかのメンバーは個々で舞台やドラマに出演していましたが、それに比べて当時の相葉さんは仕事量が少なかった。相葉さん自身もそのことに悩んでいたそうです」(テレビの制作関係者)そんな相葉の葛藤を察していたのが志村さんだった。「あるとき、相葉さんが志村さんに『嵐としての立ち位置がわからない……』とこぼしたことがありました。すると、志村さんは『いつどんな風が吹くかわからないから、その準備だけしておけば大丈夫だから』と優しくアドバイスを送ったそうです。それ以来、相葉さんの仕事への向き合い方が変わったといいます。積極的に過酷な猛獣とのロケなどに挑戦し、めきめきと実力を伸ばしていきました。生涯にわたって独身を貫いた志村さんですが、相葉さんのことはまるで息子のように温かく見守っていたようです」(前出・日本テレビ関係者)4日の特別編で、相葉は涙ながらにこう語っていた。《グループの中で僕だけお芝居の仕事をもらえなかったときに、志村さんが僕に「焦るんじゃないよ。相葉くんには『志村どうぶつ園』があるでしょ。ドラマは3カ月で終わるけど、『志村どうぶつ園』はずっと続くからね。俺がずっと続かせるからね」って。すごく救われたことがありました》その後、次々と冠番組や主演ドラマの仕事を獲得していく相葉だが、そこには“志村流仕事術”があったようだ。「ドリフターズ時代は先輩のいかりや長介さんをいじることの多かった志村さんですが、『志村どうぶつ園』では相葉さんにあえて振り回されることで、視聴者を笑わせていました。志村さんの姿に感銘を受けた相葉さんも別のバラエティ番組などで積極的に後輩からいじられるようにしていったそうです。そうした相葉さんの垣根のなさは共演者やスタッフからも『本当に仕事がやりやすい』と評判だといいます」(前出・テレビの制作関係者)「女性自身」2020年4月28日号 掲載
2020年04月14日ビートたけし(73)が4月11日放送の「新・情報7daysニュースキャスター」(TBS系)に出演。新型コロナウイルスによる肺炎で先月29日に死去した志村けんさん(享年70)について、初めて心境を語った。たけしは志村さんの芸風を「お笑いについてはコント芸人そのもの。俺はいろいろなものに手を出すけど、この人はコント一筋。なかなかね、できないですよ」と表現。そのうえで訃報について「ちょっと鬱になっちゃって、ノイローゼになっちゃって。俺はいったい、どうやって人生歩むんだっていうくらい考えたね……。どうしようって思った」と、あまりの悲しみに深く落ち込んだことを告白した。「たけしさんは、テレビであまり本音を打ち明けないタイプ。あれほど感情を赤裸々に告白したのは、初めてではないでしょうか。それは志村さんについて、自分の中で悔いが残っていたからなのかもしれません……」(民放スタッフ)もともとたけしは「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)、志村さんは「8時だョ!全員集合」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)で土曜午後8時からの“視聴率戦争”を繰り広げた。しかしそんな2人がタッグを結成し、99年4月に冠バラエティ番組「神出鬼没!タケシムケン」の放送をスタート。だが期待されたものの、わずか1年で番組が終了してしまった。「後に、たけしさんは自著で『この番組は自分たちがやりたかったことと、スタッフがやろうとしたことの意思疎通がうまくとれなかった』と振り返っていました。だからこそ、『志村さんともう一度いっしょに番組をしたい』と考えていたそうです。志村さんが逝ってしまったことで、その願いは叶わなくなりました。それだけに、無念の思いが強いのでしょう」(前出・民放スタッフ)
2020年04月13日新型コロナウイルスによる肺炎で3月29日に亡くなった志村けんさんの所属事務所が13日、公式サイトを更新。志村さんの通夜および葬儀が、4月11日、12日に近親者のみで執り行われたことを報告した。サイトでは、「志村けん 通夜及び葬儀についてのご報告」と題し、「令和2年3月29日に逝去いたしました志村けんにつきまして、通夜及び葬儀が、令和2年4月11日、4月12日に、近親者のみにて執り行われましたので、ご報告申し上げます」と報告。また、「既報の通り、ファンならびに関係者の皆様におかれましては、新型コロナウイルスに関連する一連の状況が収束したのち、『お別れ会』にて、故人を偲んでいただきたく存じます」とし、「『お別れの会』の開催時期や、詳細な内容については、決定次第、弊社よりご報告をさせていただきます」と伝えた。
2020年04月13日2020年3月29日に新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなったタレントの志村けんさん。一緒に組んでコントもやったことのあるという、タレントのビートたけしさんは自身がMCを務める情報番組『新・情報7DAYSニュースキャスター』(TBS系)で約4分間にわたって、志村さんへの想いを語りました。ビートたけし「何もこの芸人がこんなとこで…」同年4月11日の放送で、たけしさんはコロナウイルスで亡くなった同世代の仕事仲間である、志村さんとの思い出や人柄を話しました。まあお笑いについては、要するにコント芸人そのもので。俺はいろんなものに出たんですけれども、この人(志村さん)はコントひと筋の人で。なかなかね、できないですよ。こういう人は。時代の、テレビの時代がいろいろ変化してもこの人はやっぱりお笑いのコントというものを突き詰めて。その代わりこの人はけんちゃんは、俺にこぼすけど「俺しゃべり下手なんだよ」って。「しゃべれねぇんだ、フリートーク下手でな」って正直にいうけどね。だから、何もこれで逝かなくてもいいじゃんっていうところあるよね。もうちょっと、いずれ人間は死ぬけど何もこの芸人がこんなとこでって思うけど、本当に逆に考えれば、けんちゃんはいいところで収まったなって感じが。俺はもっと苦労するのかなって思う。いいところでいなくなったよっていう。逆にいえば幸せじゃんって。売れたままいなくなっていくんだから。そんなこといったらファンに怒られちゃうけどよ。俺とさんまは「孤独死だよ」ってよくいってるけど…。新・情報7daysニュースキャスターーより引用志村さんのことを東京のコントを守り続けた素晴らしい人とも称賛した、たけしさん。また、『ザ・ドリフターズ』と『オレたちひょうきん族』として、同時期のお笑いブームを作った志村さんを、苦労人でありながらもコント一筋の人だったと振り返りました。そんな志村さんを亡くし、たけしさんは心が暗くなってしまったといいます。ちょっとだから鬱になっちゃって。ノイローゼになっちゃって。もうなんか、だからなんにも考えなくなったね。俺は一体どういうこれから人生を歩むんだってぐらいまで考えたよ、やっぱり。どうしようって思ったね。でもちょっと冷静になってくれば、やりたいと思ったことを一生懸命やるべきだと。それでしょうがないんじゃないっていう。余計なことを考えることはよそうっていう答えにはなったけどね。新・情報7daysニュースキャスターーより引用たけしさんは、大切な仲間を亡くして何も考えたくなくなり、ノイローゼになってしまったことを告白。志村さんの死をきっかけに、これからの自分の人生をもう一度考え直したそうです。【ネットの声】・たけしさんの言葉が心にしみる。また涙が出てきました。・ジーンときた。ショックは大きかっただろうな…。・ひょうきん族と、ドリフ。いい戦友だったんだろうね。同時代のお笑いブームをけん引した、たけしさんだからこその言葉は多くの人の心に響きました。[文・構成/grape編集部]
2020年04月12日これまでの活躍を振り返るインタビューに応えてくれた研ナオコさん(66)。訃報など誰も予想しない時期の取材だったが、志村けんさん(享年70)について語る研さんは終始笑顔だったーー。「志村さんとは付き合いが長いですよ。彼がドリフターズのメンバーになる前からですからね」本誌記者にそう振り返るのは研ナオコさん。3月29日、新型コロナウイルス感染による肺炎により、志村けんさんが70歳でこの世を去った。《けんちゃんと、もう会えなくなっちゃう悲し過ぎてあり過ぎる思いが整理できません一緒に仕事が出来て幸せでしたありがとう…》『8時だョ!全員集合』(TBS系)や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)など、コント番組で志村さんと多数共演していた研さんは、訃報の翌日、ツイッターで悲しみをそうつづった。本誌が研さんにインタビューを行ったのは、志村さんの訃報以前。今年50周年に突入した芸能生活を振り返ってもらったが、志村さんについて話す研さんの表情はとりわけやわらかかった。2人の出会いは、’69年に放送が開始された『8時だョ!全員集合』の楽屋でのこと。「『全員集合』の本番前、私はドリフのメンバーがいる楽屋に、よく遊びに行っていました。そのとき、志村さんはまだいかりや長介さんの付き人をやっていたころだったかな。楽屋にいた志村さんとしゃべっていたら、とにかく笑いが止まらなくて。だから私は『なんだ、メンバーより面白いじゃん!ねぇ長さん、この子ドリフのメンバーに入れたらどう?』って、いかりやさんに言ったことがあるんです(笑)」研さんの提案が実現したかのように、’74年、志村さんはザ・ドリフターズに加入。以降、コント番組やCMなどでも、志村さんと研さんのコンビは、お茶の間に笑顔を届けた。「志村さんとのコントは、毎回、セリフがきっちりと決まっていなくて、スタッフさんも私たちが何をするかわかっていなかったんです。だから、撮りこぼしがないように、つねに現場にあるすべてのカメラを回しているんですよ。私たちもお互いが何を言うか、わからないので2人で笑っちゃうんです。だって、くだらないアドリブばっかりだったんだもん(笑)」志村さんとバラエティ番組を席巻していた当時を懐かしむ研さん。今年は芸能生活50周年を記念し、梅沢富美男(69)とのエンターテインメントショー「梅沢富美男劇団」の公演も予定している。また、研さんは「研ナオコ Naoko Ken」チャンネルにて、YouTubeでの活動にも挑戦中!“戦友”志村さんへの思いを胸に、研さんの芸能活動の勢いは止まらない。(取材:インタビューマン山下)「女性自身」2020年4月21日号 掲載
2020年04月09日「粋な差し入れですね」「センス抜群」新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなった志村けんさんを追悼する特別番組の舞台裏が明かされ、そんな声が上がっています。研ナオコの差し入れは、やっぱり…2020年4月1日に放送された、特別番組『志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)。番組には、『ザ・ドリフターズ』の加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさんをはじめ、親交の深かった研ナオコさんらが出演し、志村さんを偲びました。話題となっているのは、同番組の収録に参加した出演者からの差し入れの内容。研さんの夫である野口典夫さんが、自身のブログで差し入れを公開しています。バラエティ番組『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)のファンならば、研さんと生たまごの組み合わせにピンときたはず。『志村けんのバカ殿様』にナオコ姫として出演していた研さんが、ねっとりとした口調で「生たまご~」というシーンは、番組内での鉄板ネタの1つでした。きっと出演者は研さんの差し入れを見て、笑みをこぼしたことでしょう。【ネットの声】・これは、志村さんに向けての差し入れですよね?・赤まむしドリンクも欲しくなりますね!・あえてこれを差し入れに選ぶところが、さすがです。差し入れに生たまごを選ぶ研さんのセンスはもちろん、こうして思い出話だけでも多くの人に笑いを届ける志村さんもまた、「さすが」のひと言。志村さんも空の上で、研さんの差し入れに笑っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月07日新型コロナウイルスによる肺炎で、志村けんさん(享年70)が亡くなったのは3月29日深夜のこと。感染症予防の措置で、遺体は病院から斎場へ直行。そのまま荼毘に付され、遺族は臨終の顔を見ることさえかなわなかった。そして、けんさんは31日に遺骨となって東京・東村山の実家へ悲しみの帰宅を果たした。これまで何人もの女性と浮き名を流した志村さんだが、晩年を知る芸能関係者は「志村さんの周りには常にたくさんの女性がいました。しかし、そのなかでも最後に心を許していた女性がいたのです」と語る。その女性が、グラビアやラウンドガールとしても活躍するモデル・奥村美香さん(32)だという。そこで本誌は彼女を直撃した。だが、彼女は首を横に振るばかり。本誌の取材に対しては消極的だったが、志村さんについての質問を記者が重ねていくうちに思い出が次々とよみがえってきたようだ。初めて会ったのは、2年半前。食事会で意気投合したこともあり、すぐに2人の関係は深いものとなっていった――。亡くなる4日前の25日に放送された『あいつ今何してる?過去爆笑&涙3時間SP』(テレビ朝日系)で、志村さんは“結婚まで考えた女性”がいたことを明かしている。彼の古くからの知人も「真剣に結婚まで考えた女性は、過去に5人はいたと思います」と語るほど、志村さんは常に結婚願望を持っていたようだ。実際、周囲にはいつも多くの女性がいた。だが、その裏側で孤独も抱えていたという。奥村さんが語る。「ふだんから、けんさんのお酒の量はすごかったです。見かねて『ほどほどにしたほうがいいですよ』と言ったことがあります。でも周りの人が、お酒を勧めるんですよね。けんさんは断らない人なので、飲んじゃうんです。最初はノンアルコールビールから始まるのですが、次は食事に合わせて焼酎かワインか日本酒。落ち着いたら、ハイボール。お酒はきっと、寂しさを紛らせるために飲んでいたと思います。というのも、よく深夜に《全然、眠れないんだ》とLINEがきていました。《今日も眠れなかった》《一睡もできなかった》《お酒を飲まないと眠れない》と……。誕生日会は毎年、盛大にやっていました。でも、けんさんは孤独だったのだと思います。飼っている犬のことをよく話していて、写真も見せてくれました。『犬といっしょに寝ているんだ……』とも言っていました」奥村さんには、大御所芸人が人知れず抱えていた“本音”も漏らしていたという。「あれだけの方なのに、『いくつになっても何年やっても、舞台は慣れるものじゃないよ。舞台中は眠れないんだ』と言っていて、びっくりしたことがあります。それに『お笑いのネタが思いつかない』『ネタがかぶってしまう』と言って、悩んでもいたこともありました。『志村魂』といえば、『天才!志村どうぶつ園』で共演している相葉雅紀さんのことも言っていました。『相葉くんは毎回、自腹でチケットを取って見に来てくれるんだよ』と言っていましたね。あとは、いかりや長介さんの名前を出すこともあって『これからは、役者に力を入れていきたい。役者が夢』とも言っていました。最近も『映画で初めて主演するんだよ』と、すごくうれしそうに話していたんです。だから撮影の日も、とても楽しみにしていたんだと思います。その矢先に亡くなってしまうなんて、あまりにも残酷です……」志村さんは、松竹映画100周年記念作品『キネマの神様』(12月公開予定)での初主演が決まっていた。4月から撮影に合流する予定だったが、コロナウイルス感染が判明したことでやむなく出演を辞退している。また現在、放送中のNHK朝の連続テレビ小説『エール』にも日本を代表する作曲家・小山田耕三役で出演。昨年末から、収録にも参加していた。長く芸能生活を送ってきた志村さんだが、意外なことに『エール』が初めてのドラマ出演。志村さんはいつも台本を持ち歩くほど、燃えていたという。70歳を機に、新たな挑戦に乗り出していた志村さん。だがそんななか、新型コロナウイルスの魔の手が行く手を阻んだ……。「私にとって、けんさんはとても大切な人でした。たしかに、ときにはケンカすることもありました。でも寂しそうにしていたら放っておけなかったし、すっかり情が移っていました。今でも、亡くなったことが信じられません。実感がわかないんです。だって、今年も『志村魂』を母と見に行こうと約束していたのに……。けんさんが亡くなったニュースは、今でも見られません。その事実から逃げたい。もっとしてあげたかったこともあったし、話を聞きたかった。辛すぎて毎日、涙が止まりません。けんさんは時々、月についてのLINEを送ってくれました。それも深夜の2時や3時に突然、《今日は満月が綺麗です》と。そのメッセージが、今も心に残っています――」日本中の人々から愛されながらも、人知れず愛を求め続けていた志村さん。彼はいま、天国から大好きだった月を眺めているのだろうか。「女性自身」2020年4月21日号 掲載
2020年04月07日志村けんさん(享年70)がレギュラーを務めていた『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が4月4日に放送された。そのなかで司会を務める嵐・相葉雅紀(37)が明かしたエピソードに反響が集まっている。新型コロナウイルスによる肺炎で死去した志村さん。その訃報は「志村どうぶつ園」の番組関係者に大きな衝撃を与えた。レギュラーパネラーであるハリセンボンの近藤春菜(37)は3月30日の『スッキリ』(日本テレビ系)で「そばでお笑いを一緒にできたことは私の人生にとって、なんて幸せなことか、宝物かって思います」と感謝。またゲスト出演したことのある石田ゆり子(50)は、志村さんと1ヵ月前に同番組の収録で会ったとInstagramで明かし《もっともっとたくさんいろんなことをお話ししたかったです》とつづった。そして志村さん不在でスタートした4日の放送。番組の冒頭で相葉は「志村さんが亡くなられたことは信じられませんし、受け止めきることができません。悲しすぎます」と述べ、「志村さんが安心してお休みしていただけるように、今日はみんなを笑顔にできるように頑張りたいと思います」と語った。共演者が志村さんとの日々を回想するなか、相葉はあるエピソードを明かした。嵐の中で相葉だけ芝居の仕事をあまりもらえない時期に、志村さんからこんな言葉をかけてもらったという。「焦るんじゃないよ。相葉君には『志村どうぶつ園』があるでしょ。ドラマは3カ月で終わるけど『志村どうぶつ園』はずっと続くからね。俺が続かせるからね」そして相葉は、志村さんの言葉に「すごく救われた」と涙ながらに告白。山瀬まみ(50)を筆頭に共演者も涙を拭っていた。Twitterでは相葉のエピソードに《あー、ほんと泣ける。志村けん心がでっかいなぁ》《心の有る温かい言葉》《どんどん志村けんさんのことを好きになっていくし、どんどん悲しい気持ちが膨らんできてしまう》と感動の声が。さらに番組へのエールが上がっている。《あんなに和気藹々とメンバーが家族みたいな番組はそうないと思う。素敵な番組!》《志村さんの遺志を継いで、今後も頑張ってほしいと思います》《これからも変わらず志村どうぶつ園のファンです》
2020年04月05日2020年4月4日、お笑いタレントの志村けんさん訃報後、初となるバラエティ番組『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が放送されました。同年3月29日に亡くなった志村さんを追悼する形で特別編として放送された、この日の『天才!志村どうぶつ園』。番組冒頭で、出演者の1人であるアイドルグループ『嵐』の相葉雅紀さんが、「志村さんの死を受け止めきることができません。いやです。悲しすぎます」と涙ながらに語り、視聴者の涙を誘いました。さらに相葉さんは志村さんとの思い出も明かしています。(志村さんは)すごく僕の気持ちとかも察してくれて、いろいろ声かけてくれたりとかもしたんですよ。グループの中で僕だけあんまりお芝居の仕事をもらえなかった時に、志村さんが僕に「焦るんじゃないよ。相葉君には志村どうぶつ園があるでしょ。ドラマは3か月で終わるけど、志村どうぶつ園はずっと続くからね。俺が続かせるからね」って。すごく救われたことがありました。天才!志村どうぶつ園ーより引用志村さんの言葉通り、『天才!志村どうぶつ園』は放送を開始した2004年から約16年も続く長寿番組へと成長。相葉さんが明かしたエピソードを受け、放送終了後、視聴者からは改めて志村さんの死をしのぶコメントが続々と寄せられていました。・ずっと、涙がとまらなかった。志村園長大好き、そしてお疲れ様でした。・みんなに慕われて、人生最後にみんなに泣かれる。最高の生き方!志村さんを見習います。・そんな心強い言葉をいわれたら泣く。・開始1秒で泣いた。なお、『天才!志村どうぶつ園』は今後も志村さんの名前を残したまま放送が継続され、相葉さんはMCを務めるといいます。お笑いタレントとしての才能はもちろん、カメラが回っていない場所での人柄も素晴らしかったという志村さん。相葉さんの話からも、そんな志村さんの人柄が感じられます。[文・構成/grape編集部]
2020年04月05日