昨年デビュー40周年を迎えた杉山清貴&オメガトライブの全国ツアーが絶好調である。この全国ツアーは『杉山清貴&オメガトライブ~FIRST FINALE TOUR 2024~“LIVE EMOTION”』と銘打った“ファイナルツアー”だ。ツアーが始まったと同時に、東京・NHKホール(5月31日)での追加公演を発表したが、瞬く間にチケットが完売した。そして、多くの声に後押しされるように、今回、5月20日(月)NHKホールでの再追加公演が決定した。杉山清貴&オメガトライブは1983年にデビューし、7枚のシングルと5枚のアルバムを発表し「Summer Suspiction」「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語」「ガラスのPARM TREE」などヒット曲を連発。しかし1985年に解散。活動期間はわずか2年8か月だった。杉山はオメガトライブ時代の曲は、オメガトライブの演奏でなければ“きちんと”歌えないという。「オメガの曲は、このサウンドでなければダメなんです。当時ライヴでやっていた演出も再現してみようと思っているので、昔から応援してくれている人たちは懐かしんでもらえると思うし、新しいファン、若い人が来てくれるなら『80年代ってこんなことをやっていたんだ』と、楽しんでもらえると嬉しい。『あなたのお父さんお母さんの青春時代の日本には、こんな素敵な音楽があったんですよ』ということをちゃんと伝えたい」。当時からのファンはもちろん、昨今のシティポップで増えている若い世代のファンにもメッセージを贈った。このラストツアー、今、杉山清貴とオメガトライブのメンバーは、全国の旅を楽しんでいる。5月20日東京・NHKホールでの再追加公演も完売は必至。プレミアムなチケットになるので、早めに確保しておきたい。公演名:杉山清貴&オメガトライブ~FIRST FINALE TOUR 2024~“LIVE EMOTION”再追加公演日程:2024年5月20日(月)開演18:30会場:NHKホール(東京)チケット:11,000円(全席指定・税込)詳しくは公式ホームページまで。 お問い合わせ:キョードー東京0570-550-799(平日11:00-18:00/土日祝 10:00-18:00) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月29日2023年にデビュー40周年を迎えた杉山清貴&オメガトライブのファイナルツアー「〜FIRST FINALE TOUR 2024〜 “LIVE EMOTION”」の開催が決定した。1983年4月にシングル「SUMMER SUSPICION」でメジャーデビューし、1984年1月発売の「君のハートはマリンブルー」、1985年3月発売の「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」など、7枚のシングルと5枚のアルバムをリリースしてその活動を終えた。彼らが生み出した楽曲は時代を超えてもなお輝き、昨今の“シティポップ”再評価&再発見というムーブメントもあって、国内のみならず、海外でも愛聴者が急増。80年代にリアルタイムで聴いていた世代はもちろん、若い世代にもその瑞々しいサウンドと楽曲が浸透している。今回のツアーに参加するメンバーは、杉山清貴(ボーカル)、髙島信二(ギター)、吉田健二(ギター)、大島孝夫(ベース)、廣石惠一(ドラム)、西原俊次(キーボード)、大阪哲也(キーボード)、Juny-a(パーカッション)の8人。パフォーマンスと演奏能力の高さに定評のあるメンバーたちによる“青春の80’sシティポップ”の再現は、あの日の思い出がよみがること間違いなし。“ファイナル”と銘打たれるツアーだけに、ここで会えなかったら一生会えない、一生聴けないかもしれない。2024年3月9日の東京・府中の森芸術劇場どりーむホールを皮切りに、ファイナルの昭和女子大学人見記念講堂まで、全国各地でオメガトライブサウンドを届けてくれる。この機会を逃さないようにチェックしてもらいたい。〜FIRST FINALE TOUR 2024〜 “LIVE EMOTION”2024年3/09東京府中の森芸術劇場 どりーむホール3/16山梨YCC県民文化ホール 大ホール3/17松本まつもと市民芸術館 主ホール3/20栃木宇都宮市文化会館大ホール3/22,23大阪フェスティバルホール3/30名古屋日本特殊陶業市民会館フォレストホール3/31埼玉大宮ソニックシティ 大ホール4/06静岡アクトシティ浜松 大ホール4/07横浜神奈川県民ホール4/13兵庫神戸国際会館こくさいホール4/14愛媛松山市民会館 大ホール4/20金沢本多の森 北電ホール4/21新潟新潟テルサ4/28広島広島上野学園ホール4/29福岡福岡サンパレスホテル&ホール5/03仙台仙台サンプラザホール5/04山形シェルターなんようホール 大ホール5/06岩手北上市文化交流センター さくらホール 大ホール5/11京都ロームシアター京都 メインホール5/12静岡沼津市民文化センター 大ホール5/15札幌Zepp Sapporo5/16函館函館市民会館5/19千葉市原市市民会館5/22,23東京LINE CUBE SHIBUYA5/26東京昭和人見記念講堂料金:11,000円(税込) *メモリアルカード付き*未就学児童入場不可公式ホームページでは10月7日12:00より先行販売スタート! 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年09月30日元女子の井上健斗さんが、元女子の杉山文野さんをゲストに迎えたコラボYouTubeから、文野さんファミリーの妊活・子育てについて紹介します。元女子の文野さんは女性のパートナーと、精子提供をしてもらったゲイの男性と3人で2人の子どもを育てている5人家族(動画の中では子どもは1人ですが、現在は2人目が産まれました)です。トランスジェンダーの健斗さんが思う新しい家族の形とは……!? 動画では、FtM(Female to Male/性自認が男性のトランスジェンダー)の健斗さん(画像右)が、同じくFtMである杉山文野さん(画像左)ファミリーの妊活・子育てについて質問。その様子を対談形式で紹介しています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 戸籍を変えない理由文野:僕は性的指向や性自認にかかわらず、自分らしく生きることができる社会を目指す団体「東京レインボープライド」を運営しています。個人としては、企業や学校、自治体でダイバーシティに関する研修活動やLGBTQの子どもたちのサポート活動などもをしています。今でも、戸籍上は「女性」です。 健斗:戸籍を変えない理由は? 文野:僕は乳房切除はしているけど、子宮卵巣の摘出はしていないので、戸籍の変更をすることができません。個人的には、身体の違和感から手術をするのは良いけど、手術したいと思っていないのに、戸籍変更の為に手術をするのは変だなと思っています。僕自身はこれ以上、身体も心にも、さらに金銭的な負担をかけてまで生殖機能を取り除くことはしなくて良いと思っています。子どもが欲しいと思ったきっかけ 文野:もともと僕自身は子どもを持つ未来を考えていませんでした。でも2012年に、女性から男性に手術をして戸籍変更をした前田さんという方が【性同一性障害でも父になりたい】と訴えた裁判があり、この判決が僕の人生を変えました。 この方は、女性と結婚して第三者から精子提供を受け、パートナーが妊娠・出産をしたけれど、嫡出子として認められなかったんです。僕はその裁判をニュースで見た時に、「FtMが子どもを持つなんて無理でしょ……」と思っていました。 でも、ひょんなことからその裁判の手伝いをすることになり、実際に会ってみると、どこからどう見ても素敵なファミリーで、これを家族と認めない日本の法律というものに疑問を持ちました。 さらにこのとき、血縁関係にこだわらなければ、子どもを持つということが具体的な選択肢の一つとして感じられました。 結果、最高裁で「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という民法が適用されると判断されたのをきっかけに、子どもを持つことを真剣に検討するようになりました。 僕には10年くらい一緒にいる女性のパートナーがいるのですが、当時彼女の年齢が30歳前後だったので、動き始めるなら年齢的に今かなと思ったことも大きいです。 子作りの方法健斗:どうやって子作りをしましたか? 文野:出産に関する選択肢として話し合った結果、彼女は「自分が産めるなら産みたい」、精子提供は「まったく知らない人からは怖い」と言ったことから、知り合いから精子提供をしてもらい、彼女が出産しようということになりました。 様々に話し合いをした結果、ゲイの友人から精子提供をしてもらうことになり、体外受精で彼女が妊娠・出産をして、今は子どもがいます。 精子提供を受けるにあたって 文野:僕は、異性愛者の人から精子提供を受けることには嫉妬があるから、ゲイの人からの提供してほしいと考えました。 誰が良いか考えたときに、ゲイの中で一番仲が良いゴンちゃんが候補にあがりました。ゴンちゃん(松中 権)はプライドハウス東京の代表で、認定NPO法人グッド・エイジング・エールズ代表。僕たちと同じ、LGBTの啓発活動を行う仲間です。 結婚式をするとき「病める時も健やかなる時も……」っていう、誓いの言葉がありますよね。友人関係においても同じことが言えると思うんです。良い時に良好な関係を保つのは簡単だけど、悪い時にどれだけ一緒に超えられるかが大事だと思っています。 ゴンちゃんとは今までの活動を共にしていく中で、良いことばかりではなかった。いろんなトラブルに巻き込まれながらも、前向きに、感情的にならずに乗り越えてきた経験がありました。単にゲイだからお願いしたわけではなく、ゴンちゃんに信頼があったからお願いしたいと思いました。 健斗:それは、パートナーと一緒に「この人にお願いしようか」と相談して、声をかけたんですか? 文野:実は偶然にも、同時進行でゴンちゃんとも子どもの話をしていたんですよね。 2015年に、渋谷区で日本初となる同性パートナーシップ制度がスタートしたとき、条例制定に関するお手伝いを、ゴンちゃん含め数名でしていた時期があって。そのとき、子どもの話も自然に何度か話題にあがっていたんです。 ゴンちゃんも「子どもが欲しいけど、今の日本で子どもを持つのは難しいだろうな」と言っていて。僕は飲みの席の話として、「ゴンちゃんが精子提供をして、彼女が産んで、3人で育てるっていうのもありかも!?」などと、例え話として話していたことがありました。 同じタイミングで彼女とも話し始めて、知っている人で信頼できる人が良いという結果に。改めて、場を設けて話し合ったわけではなく、彼女とゴンちゃんと3人で会う機会を少しずつ増やしていきました。 精子提供者と3人で子育て健斗:一般的に精子提供者はあくまで「提供者」という立ち位置。家族として一緒に関わることは少ないのでは? 最初から3人で育てようと思っていたの? 文野:そうだね。養育費も3人で割っているし。最初から3人で子育てしようと思っていたわけではないけど、ゴンちゃんも子どもが欲しいと思っていたわけだし、「協力してください。でも、僕たちに関わらないでください」は違うなと思いました。 健斗:提供者を含め、話し合い。ゴンさんの子育てしたい気持ちも組み込み、新しい家族を作ったってことですよね。これはすごいことだと思います! 文野:不安なことはたくさんありました。制度的に守られない生活の中で生きていくと、どんな問題が起こりうるか。産まれてくる子どもの親になる3人で専門家のところへ行き、ありとあらゆる問題について可能な限り話し合って対策を立てました。 相談したのは、子どもの人権を専門にしている弁護士さん。その時に「育てる大人の数が少なくて困ることはあるけど、大人の手が多くて困ることはない。子どもにとって血のつながりよりも、自分のことを真剣に考えてくれる大人が増えることは良いことだ」って言われて、ホッとしました。 今は一緒に住んでいるわけではありませんが、僕と彼女と子どもたちが一緒に住む家に定期的にゴンちゃんが来るなどして3人で子育てしていますし、保育園の送迎も3人で分担しています。 新しい家族のカタチ健斗:こういう家族の形って今までロールモデルとしてなかったんですけど、可視化することって大事だと思うんですよ。文野さんも最初に2012年の裁判で前田さんのお子さんを見た時に「自分もできるかも」って思ったわけじゃないですか? ロールモデルを知ることで、可能性や選択肢を増やすことができるから、僕は新しい家族のカタチのストーリーを知って欲しいなって思います。 今までは、自分の身体のことや性別について人前で話していたけど、お子さんについて人前で話すことに不安はなかったですか?文野:不安はゼロではなかったです。子どものことを出すかどうかは、僕たちも悩みました。でも、たくさんの可能性や思いを話し合って決めて産まれてきたこの子を「隠される存在」にしたくありませんでした。だから、事実として隠すことはしませんでした。 子どもがいじめられたら?文野:メディアで家族の形・子どもを授かったことを公表した際、「子どもがいじめられたらどうするんだ?」ってよく言われるんですけど。実際、最初に僕たち家族のことを記事にしてもらった時、賛否両論あると覚悟はしていましたが、温かい言葉が大多数でした。 「1つの命が生まれることに対して“否”があるわけがない」という皆さんのコメントがとても嬉しかったです。健斗さん、文野さん、ありがとうございました! 以前も、FtMパパについては紹介したことがありますが、精子提供者と3人で子育てをするというのは、まさに新しい家族のカタチですね。 元女子・健斗さんのYouTubeチャンネルでは、さまざまなLGBTに関する動画が投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。 外部リンク:ジーピットチャンネル(外部サイト)著者:ライター 廣瀬尚子二児の母。女性誌の編集を経て、フリーランスに。広告やアパレルブランドの撮影、雑誌やWEBマガジンの執筆などを手がける。
2022年07月31日シティポップシーンを代表するボーカリスト・杉山清貴が5月22日、約3年振りとなる日比谷野外音楽堂でのライブを開催した。同会場はこれまで杉山が数多くライブを行ってきた場所であり、杉山本人にとってもファンにとっても思い出深い言わば“聖地”のような存在だ。ライブは1986年リリースの「Shadow」からスタート。爽やかな歌声の中に色気も感じられるソロデビュー初期の人気曲で会場は一気に盛り上がる。「ようこそいらっしゃいました。この今の時間は、みなさん自由な時間です。僕たちも暴れます!」と語ると「そして...夏の夜に」「あの夏の君と」など、タイトルに“夏”を掲げた楽曲を立て続けに披露。初夏の風に乗って響く歌は会場に心地よい空気をもたらした。ライブ中盤で杉山は、種子島の観光大使に任命されたことを発表すると、種子島を舞台にした「波は最高だし」で会場は一気に南国ムードに。「17年通い続けてやっと。嬉しいです。この年になって初めての観光大使、頑張ります。皆さんも種子島に行きましょう」と語りかけた。夜が近づき日が陰り始めると、野音だからこそ感じられるマジックアワーに差し掛かる。ここで披露したのは「月に口づけ」。杉山の美しい歌声をより際立たせるスローバラードだ。光と風といった自然の演出も相まって、会場はしっとりとしたムードに包まれた。「ここからはバラードはありません。盛り上がっていきましょう」という杉山の掛け声の通り、「水の中のAnswer」「渚のすべて」「Double rainbow」とヒット曲が続き、ラストに向けてステージ・客席共にボルテージがあがっていく。「3年振りに野音に戻って参りました。こんなに集まってくれてありがとうございます。あっという間に終わってしまうけど、ここに全てを詰め込みました。」とファンへの感謝を語り、言わずと知れたソロデビュー曲「さよならのオーシャン」を熱唱し本編を締めくくった。鳴りやまないアンコールの手拍子に迎えられステージに再登場した杉山は「野外はやばいね。いつも以上にはしゃいでしまう。それが楽しいんです」と野音のステージに立てた喜びを語る。「(コロナ禍で)みんな不自由な思いをしながら頑張ってきた。世界ではいろんなことが起こっているけど、音楽の世界では、のめりこんで楽しい時間を過ごしてほしい」と「The dream」を披露。夢や平和を思う強いメッセージのこもった楽曲に盛大な拍手が送られた。この歌声が野音の風に乗って世界中に届くことを願ってやまない。ラストは「Livin’in a Paradise」で大いに盛り上がり、約3年振りの野音でのライブは幕を閉じた。今回のライブでは新旧織り交ぜた選曲、さらに表題曲のみならずカップリング曲やアルバム収録曲など、バリエーション豊富な楽曲で構成された。『杉山清貴の35年はどこを切り取っても名曲揃いである』ことを“聖地・野音”で強く印象付けるライブとなったのではないか。35周年を経てまだまだ歩みを止めない、杉山清貴の今後の活動にも注目してほしい。<公演情報>『SUGIYAMA,KIYOTAKA The open air live “High & High”2022』2022年5月22日(日) 日比谷野外音楽堂【セットリスト】M01. ShadowM02. 僕の腕の中でM03. 奪われた倦怠M04. Omotesando’83M05. そして…夏の雨にM06. あの夏の君とM07. Summer againM08. Noah~虹の大陸M09. 無言の DialogueM10. 青空が目にしみるM11. 波はサイコーだしM12. 波M13. Heart of the seaM14. 月に口づけM15. Okinawa in MayM16. Glory loveM17. Shade~夏の翳り~M18. 水の中の AnswerM19. 渚のすべてM20. Double RainbowM21. さよならのオーシャン■ENCOREEn1. The dreamEn2. Livin’ in a Paradise<リリース情報>『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021-Solo Debut 35th Anniversary-』発売中●Blu-ray【1BD+2CD】11,000円(税込)BD:本編+特典映像(バックステージ、リハーサルの様子を収めた特別映像)CD:Special CD(ライヴ音源)封入特典:フォトカードセット(8枚組)※DVDと共通※初回製造分限定:三方背外箱ケース / 別冊スペシャル・フォトブック(16P)『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021-Solo Debut 35th Anniversary-』Blu-rayジャケット●DVD【2DVD】7,700円(税込)DVD:Blu-ray と同内容封入特典:フォトカードセット(8枚組)※Blu-rayと共通『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021-Solo Debut 35th Anniversary-』DVDジャケット関連リンク杉山清貴 official HP杉山清貴 Blog杉山清貴 Instagramキングレコード 杉山清貴アーティストページ
2022年05月23日11月14日にスタートした、杉山清貴のソロデビュー35周年を記念したバンドツアー「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」。ツアーファイナルとなる12月25日(土)LINE CUBE SHIBUYAでの公演のライブ配信が決定した!杉山清貴&オメガトライブの活動を経て、1986年5月にシングル「さよならのオーシャン」でソロアーティストとして始動。80年代、90年代、2000年代、2010年代とコンスタントに作品をリリースし続け、2018年から“杉山清貴&オメガトライブ”としての活動も展開しつつ、2020年には80年代のシティポップの雰囲気も感じさせるオリジナルアルバム『Rainbow Planet』もリリースした。今回のツアーは、周年ライブであり、ソロとしては久しぶりのバンドツアーということもあって、まさにファン待望のツアーとなった。ライブはソロデビュー曲「さよならのオーシャン」で始まり、アルバム『beyond…』『realtime to paradise』『kona weather』『here & there』と、ソロでの歴史を辿るかのように初期のアルバムの中から楽曲を披露していく。今回のステージでフィーチャーされているのは80年代と90年代の作品。そして、後半はソロ30周年を迎えた2016年以降の作品も多く披露した。80年代、90年代、そしてここ数年の中でのターニングポイントとなった楽曲たちが繋がって、杉山清貴のストーリーを描き出したライブは配信でも見応え十分。チケットの発売期間は2021年12月20日〜2022年1月20日まで。年末年始に杉山清貴の歌声にぜひ酔いしれてほしい。杉山清貴「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」11月23日(火・祝)群馬・昌賢学園まえばしホール 小ホール※公演終了いたしました。11月27日(土)埼玉・飯能市市民会館 大ホール※公演終了いたしました。12月4日(土)宮城・仙台PIT※公演終了いたしました。12月5日(日)新潟・新潟LOTS※公演終了いたしました。12月11日(土)広島・BLUE LIVE HIROSHIMA※公演終了いたしました。12月12日(日)福岡・電気ビルみらいホール※公演終了いたしました。12月16日(木)愛知・Zepp Nagoya※公演終了いたしました。12月24日(金)大阪・森ノ宮ピロティホール12月25日(土)東京・LINE CUBE SHIBUYA☆ライブ配信あり!(問)キョードー東京0570-550-799★配信チケット情報★・視聴券料金(税込):4,500円・販売期間:2021年12月20日(月)〜2022年1月20日(木)※当日の生配信とアーカイブで一部曲が異なります。・詳細はこちらから→ 公式サイト 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年12月20日11月14日、杉山清貴のソロデビュー35周年を記念したバンドツアー「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」が横浜・KT Zepp Yokohamaからスタートした。Photo by ITSUKA (AMP UP)杉山清貴&オメガトライブの活動を経て、1986年5月にシングル「さよならのオーシャン」でソロアーティストとして始動。80年代、90年代、2000年代、2010年代とコンスタントに作品をリリースし続け、2018年から“杉山清貴&オメガトライブ”としての活動も展開しつつ、2020年には80年代のシティポップの雰囲気も感じさせるオリジナルアルバム『Rainbow Planet』もリリースした。今回のツアーは、周年ライブであり、ソロとしては久しぶりのバンドツアーということもあって、まさにファン待望のツアーとなった。注目したいのは、入江誠(ギター)、山本連(ベース)、宮崎裕介(キーボード)、アンドウヒデキ(シンセサイザー)、SION(ドラム)という今回のバンドメンバー。ライブのMCで「私も含めた平均年齢が35歳でした」と杉山が言っていたが、杉山がソロデビューした1986年に生まれていたのは宮崎だけという若いミュージシャンたちが集結。その理由を「今年は私のソロ35周年。せっかくですから、最近やってなかった80年代の曲をメインにしてもいいかなと思いまして。そうなると演奏陣も勢いのある感じで選んでみました」と語った。Photo by ITSUKA (AMP UP)ライブはソロデビュー曲「さよならのオーシャン」で始まり、アルバム『beyond…』『realtime to paradise』『kona weather』『here & there』と、MCでの宣言通り、ソロでの歴史を辿るかのように初期のアルバムの中から楽曲を披露していく。「80年代はイケイケで、何も怖いものはないという感じでした。いろんなタイアップをいただいて、そのたびに自分のスキルも上がっていったので突っ走っていた感じでしたね。3枚目のアルバムでちょっと違う方向性に行ったり、ちょこちょこ自分の歩く道を変えながらやってきましたので、そんな流れを今日のステージでも感じていただければと思っています」と、曲間のMCでは当時の頃を振り返り、90年代にロサンゼルスでレコーディングしていた時のことなど、たくさんのエピソードも聞かせてくれた。今回のステージでフィーチャーされていたのは80年代と90年代の作品。そして、後半はソロ30周年を迎えた2016年以降の作品も多く披露した。「90年代に試行錯誤しながら音楽に向き合い、2000年代に入るとKTバンドでしっかりとレコーディングを始めました。でも、KTバンドとの作品はちょっと毛色が違うので、それはまた別の機会に。2016年に『OCEAN』というアルバムが出来上がった時、“俺はこんなアルバムを作りたくてずっと悩んできたんだな”って思いました。それからは、自分の作品うんぬんというより、いい曲を歌いたい、かっこいい曲を歌いたい、今までなかったことをやりたいと思って1枚1枚作ってきました。アレンジャー、作曲家など、新しい人と出会って、新しい刺激を受けて、眠っていたものがムクムクと目覚める感じをここ数年受けております」と、最近の楽曲には新たな挑戦が詰まっていて、「楽しくてしょうがない」という気持ちになっているようだ。ツアーが始まったばかりなので、詳しい楽曲(セットリスト)は伏せておくが、80年代、90年代、そしてここ数年の中でのターニングポイントとなった楽曲たちが繋がって、杉山清貴のストーリーを描き出したライブとなっている。「本当に久しぶりにあの時代(80年代、90年代)の曲を本気で歌いました。去年からコロナでグシャグシャになってますが、少しずつエンタメの世界も理解してもらえるようになってきていて、できる限りのことをして皆さんをお迎えしています。これから年内ずっと旅をして回っていきますので、またどこかでお会いできたら嬉しいです。ありがとう!」と、アンコール時のMCでは達成感に満ちた表情でファンに呼びかけた。Photo by ITSUKA (AMP UP)「自分の過去の作品が、命を吹き返す感じがしていて興奮しています」と杉山自身が話していた通り、フレッシュなバンドメンバーの演奏で瑞々しく再生される名曲たちを、ぜひライブ会場で味わってもらいたい。杉山清貴「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」11月23日(火・祝)群馬・昌賢学園まえばしホール 小ホール11月27日(土)埼玉・飯能市市民会館 大ホール12月4日(土)宮城・仙台PIT12月5日(日)新潟・新潟LOTS12月11日(土)広島・BLUE LIVE HIROSHIMA12月12日(日)福岡・電気ビルみらいホール12月16日(木)愛知・Zepp Nagoya12月24日(金)大阪・森ノ宮ピロティホール12月25日(土)東京・LINE CUBE SHIBUYA(問)キョードー東京0570-550-799公式サイト Text by Takanobu Tanaka /Photo by ITSUKA (AMP UP)Photo by ITSUKA (AMP UP)Photo by ITSUKA (AMP UP)Photo by ITSUKA (AMP UP) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年11月16日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんは、2011年に入籍。つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産しています。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は不妊治療をおこなっていたときに実践していたという、さまざまな取り組みについてインタビューさせていただきました。 選手時代から続けてきた”呼吸法”を治療中も実践!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーつらい不妊治療を乗り越えるために、どのようなことを実践されていましたか? 杉山さん:人間ってゴールが見えていれば頑張りやすいですし、モチベーションも保てるんですけど……。治療がうまくいくかもわからない中で、いつ終わりが来るのかもわからないという、ゴールが見えない苦しさを味わっていると、なかなか気持ちが安らぐことがないんですよね。不妊治療では赤ちゃんができるっていうのが、ゴールになってしまうので……。なので今振り返ってみても、すごく苦しい期間を送っていました。私が少しでも気を紛らわすためにやっていたことは、生理が来てしまったら一度気持ちをリセットして、自分の好きなワインでお疲れ様会をして、仕切り直していましたね。ほかには、ベリーダンスをすることで女性らしい体をイメージしたり、血流をよくするために骨盤のまわりや体を柔らかくしなやかにすることを心掛けたりしていました。ほかには選手時代から続けている呼吸法があるんですけど、それを続けていましたね。 ーどのような呼吸法でしょうか? 杉山さん:実際に起きていることをイメージしながら、深く呼吸するんです。私は公園で、生まれてきたばかりの小さな子どもと一緒に遊んでいる絵や、その前には自分が妊婦になっている絵をイメージしていました。そういうことを日々の中で実践していくと、実際に”こうなるんだな”っていうイメージができたりするんですよ。ただ、実際に現実とのギャップにハッとさせられると、ショックを受けたりもするんですけど、なるべく良い方向に考えられるようにしていました。それでもうまくいかないときもあるので、そういうときはお酒の力を借りて気持ちを紛らわせていました(笑)。生活にメリハリをつけて、常に自分の気持ちを疲れさせないようにはしていましたね。 ー そのイメージトレーニングは、どんなことにも応用できそうですね! 杉山さん:そうですね。不妊治療だけではなく、プライベートや仕事でもうまくいかないと思っていると、どんどん深みにはまってしまうことってあると思うんです。それと逆に、ネガティブになるとどんどん引っ張られちゃうんですよ。ただでさえ、不妊治療は疲れてしまうので、自分の心のケアをしっかりとして、心許せる友達や旦那さんとその気持ちをシェアすることも大事だと思います。聞いてもらうだけで癒されるってことはあると思うので。解決してくれなくていいから、「うん、うん」って言って聞いてて、みたいな(笑)。 ーわかります(笑)。聞いてもらうだけで、気持ちの落ち着き度が全然違いますよね。 杉山さん:はい。そう簡単に解決できないからこそ、誰かに聞いてもらうだけでだいぶ違うと思います。 不妊治療の保険適用化は賛成! 夫婦でしっかり話し合って欲しい画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー 不妊治療が保険適用になるという話もありますが、それについてはどういう意見をお持ちでしょうか? 杉山さん:体外受精、人工授精などは特にお金がかかるので、実際に取り組むにも勇気がいるんです。私たちは一度、40歳までという年齢で一区切りをつけようと決めていました。年齢を重ねる度に妊娠しづらくなっていくほか、体力面でも負担がかかるというのがあったので。また、もし不妊治療をするのであれば、年齢や金銭的な面など、”どこまで挑戦するのか”というゴールを設定することがポイントになって来るかと思います。そのため、あらかじめご夫婦でそのあたりを話し合っておくと良いかもしれません。今回の国の支援は素晴らしいですし、そういう方向にうまく行って欲しいなと思っています。 ー そうですよね。「保険があるから、もう一度チャレンジしてみよう」と思えるのは、うれしいことですよね。 杉山さん:「あのとき、ああしていれば良かったな」という後悔って一番イヤだと思うんですよ。なので、お金のかかる不妊治療を国が支援してくれるというのは、すごく心強いですよね。現実と向き合いながら、選択肢として自分がどんな人生を歩んでいきたいかを選べることは、とても大切だと思います。 ー それでは最後になりますが、現在不妊治療をしている方にメッセージをお願いします。 杉山さん:私も不妊治療を経験しているので、どれだけ大変かということは、精神的、肉体的にもわかっているんです。だからこそ、自分の気持ちをなるべく元気にさせてあげられるような時間を増やすことが、1つの大事な鍵だと思っています。無理をし過ぎず、いいイメージを膨らませながら、なるべく楽しみながらお子さんを待っていて欲しいなと思っています。 終始丁寧にインタビューに答えてくださった杉山愛さん。ご協力どうもありがとうございました! ご自身の不妊治療に取り組んでいたころを振り返り、「なかなか気持ちが安らぐことがなかった」と語っていたものの、少しでも気持ちを前向きになれるようにと体質改善を試みたり、プロ選手時代からの呼吸法を取り入れたりと、常に前向きに努力されていたお話を聞き、愛さんのバイタリティの強さを感じました。7月に出産予定とのことですが、お身体ご自愛下さいませ。私たちも赤ちゃんの誕生を今から楽しみにしています! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月29日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は、第一子のお子さんを授かるまでの不妊治療のお話について、取材させていただきました! つらかった不妊治療…。母のひと言で気持ちが吹っ切れた!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー第一子のお子さんは、体外受精で授かったと伺いました。どのような経緯で不妊治療を始めることになったのでしょうか? 杉山さん:結婚をしたのが36歳だったので、婦人科系の機能がちゃんと動いているかどうかを調べたほうが良いと思い、婦人科にチェックをしに行ったんです。その当時は「何の問題もない」と言われ、その言葉通り、その後すぐに妊娠することができたんですよね。ただ、その後、赤ちゃんの心拍を確認する前に流産してしまって……。そのときはすごく落ち込みました。でも、赤ちゃんが1度来てくれたのだから大丈夫だろうと思っていたんですが、その後なかなか授かることができなかったんです。 ーそこから不妊治療をされたんですね。 杉山さん:はい。結果として人工授精を4回チャレンジしました。すべてに失敗し、そのたびにショックを受け、気持ちがすごく疲れてしまったんです。できると思っていたのにできずに、こんなにも妊娠することが難しいんだと実感した瞬間でした。さらに高齢でしたし、それまでも選手として身体も酷使していたので、そういうことが不妊に繋がっているのかなと思い、一度気持ちが相当落ちてしまった時期があったんです。 ーどうしてもネガティブになってしまいますよね。 杉山さん:そうなんですよね。なので、一度不妊治療を1年くらいお休みして、体質改善することに切り替えました。趣味を取り入れる形で、自分が「心地良いな」「楽しいな」と思えることをやっていこうと思い、ベリーダンスに挑戦したり、冷え性を直すために、針治療やびわの葉を温める温灸をしたりしました。さらに、夏野菜は体を冷やす作用があると言われているので、夏野菜を控えるようにしたり。苦痛にならない程度に、体が喜ぶようなことを実践していきましたね。でも、その反面、次のステップとなる体外受精をして、“できなかったら、もうダメかもしれない”という恐怖があり、その一歩をなかなか踏み出せずにいたんです。主人も、弱気になっていた私をずっと見てきたので、「もう1回やってみようよ」とは言わなかったんですよ。そんなとき、私の母が主人と不妊治療について話すことがあったみたいで、主人から私の状態をすべて聞いたうえで、母は「最後までやってみればいいじゃない? 」と軽く言ったそうなんです。ただ、主人は「自分の口からは愛にそれは伝えられないから、もしそう思うんだったら、直接愛に電話して伝えてあげて」と言ったみたいで。その後、母から電話がかかってきて、「愛ちゃんらしくないじゃない。最後までやってみて、ダメでもいいじゃない。何がダメなの? 」と言ってくれて。私自身その言葉を聞いて、何を躊躇しているんだろうと心の底から思えて、気持ちが吹っ切れたんです。 ーお母さんの言葉が背中を押してくれたんですね。 杉山さん:そうなんです。そこから、ダメでもいいじゃんと思えるようになって。できなかったらできなかったで2人の人生を選べばいい訳だし、全部やってみて悔いが残らないほうが得策だなと思ったんです。そこからはすぐに行動に移せるようになって、1回目の体外受精を行い、そこで妊娠することができました。“今まで何を悩んでいたんだろう”って、後になった今なら言えるんですけど。当時は、女性として授かれなかったらどうしようというマイナスなイメージが先行していて……。それぞれの人生だから、授かれなかったら、それはそれでいいやって思えれば良かったんですけど、当時はそうに思うことができなくて……。でも、考えてみればチャンレジしないで、後になってやっておけばよかったと後悔するほうが、よっぽど後悔として残るなぁと思ったので、あのとき意を決して試すことができて、すごく良かったと思っています。 最初から最後まで寄り添ってくれたパパには感謝しかない画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーお話を聞いていると、パパは杉山さんのことを考えて発言などをしてくれる方なのかなと思ったのですが、不妊治療中はどのように支えてくれましたか? 杉山さん:不妊治療って女性のほうが、どうしても負担が多くなってしまうように思うんですよね。それは、女性のほうが検査数も多いし、やらなきゃいけないことも多い。そして、最終的に出産するのも女性ということを考えると、かかる負担がかなり大きいと思ってしまいます。そういうのを理解していてくれていたのか、主人は常に寄り添ってくれていましたね。送迎をしてくれたり、一緒に喜びや悲しみを分かち合ってくれたり……。このときは、主人の存在は何にも変えられないものだと感じました。ただ、だからこそ、主人は人工授精に失敗し続け、最後の挑戦となる体外受精を、母のように簡単に「やってみたら」と言えなかったんだと思っています。 ー協力的なパパで杉山さんへの愛情をすごく感じます。パパも子どもが欲しいと思っていたのでしょうか? 杉山さん:子どもに関しては、私のほうが欲しかったんです。主人はどちらでもいいというスタンスでした。いつも「2人でいるのも楽しいし、子どもが欲しいから家族を築くために結婚したわけではない」ということを言っていましたが、「もし子どもができたら、楽しいことが増えるね」というスタンスでしたね。 ー誰よりも理解してくれて、心身ともに支えてくれたのですね。行動力がとても素敵です。 杉山さん:はい。最初から最後まで本当に支えてくれていたので……。今でも主人には、とても感謝しています。 ーそれでは、不妊治療を経験したからこそ、伝えたいメッセージは何かありますか? 杉山さん:36歳で結婚し、これまで選手として17年間酷使してきた体と向き合ったときや、年齢を重ねるにつれて妊娠することが簡単ではないという現実を突き付けられたとき、ものすごく苦しかったんです。これって、学校では習わなかったですよね? なので、妊娠は年齢が上がれば上がるほど、難しくなるという現実を知っておくというのは、性教育の上でも大事なことだなと感じました。自分の人生を選択するとき、キャリアも大事、プライベートも大事というなかで、知っていての選択だったらいいと思うんですが、私みたいに知らずにここまで来た人間からすると、知識として知っているか、知らないかはかなり大きいと思うんですよ。なので、こういう現実があるというのを伝えていくことは、大事なことだと思っています。 今回は、苦しかった不妊治療の経験をお話ししてくれました。「女性として授かれなかったらどうしよう……」と目に見えないプレッシャーを感じ、負のループに陥っていた愛さんを救ってくれたのは、お母さんの言葉だったそうですが、そのエピソードを聞いて、改めて母の存在って偉大だなぁと考えさせられました。さて、次回は不妊治療中に愛さんが取り組んでいたという、選手時代から継続しておこなっているある方法についてお送りさせていただきます。次回が配信最終回です。ぜひ最後までお付き合いください! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月28日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。 そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚! 現在は妊娠中ということで、今回は第二子の妊娠についてやコロナ禍の妊娠・出産をどういう風に捉えているのか、いろいろとお話を伺ってみました! 第二子の妊娠発覚! 一番に来た感情は”驚き”だった…!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー今年の2月15日にオフィシャルブログで第二子の妊娠報告をされていますが、初めて妊娠が分かったときは、どんなお気持ちでしたか? 杉山さん:妊娠が発覚したのが昨年の11月くらいだったのですが、本当にビックリしました。年齢も年齢なので、もう子どもは欲しくてもできないと思っていました。なので、特に妊活もしておらず、妊娠が分かったときは、ただただびっくりしましたね。とにかく驚きが一番に来ました。ただ、時間の経過とともにじわじわと喜びがこみ上げてきましたが、高齢出産になるので、何が起こるかわからないため、慎重な気持ちで毎日を過ごしていました。コロナ禍での妊娠でしたが、そこまで戸惑いなかったです。今は無事に7カ月が経ち、力強い胎動を感じられる喜びを感じています。 ー旦那さまの反応はいかがでしたか? 杉山さん:主人もものすごく驚いていました。私自身も、最初に生理が来なかったときは、閉経したのかなと思ったくらいだったんです。でも、様子を見ているうちに、だんだん胸のあたりが気持ち悪くなって、なんとなく1人目のつわりの感覚を思い出したんです。それで妊娠検査薬を試したら陽性で……。ただ、1人目のときは本当に苦労して授かったので、今回の自然妊娠が信じられず、違う種類の検査薬でもう一度試したんですが、そこでも陽性だったので、2人で「あぁ、良かったねぇ」という風に安堵し、妊娠を喜びました。 ー息子さんには報告をされたのでしょうか? 杉山さん:何が起こるかわからなかったので、安定期に入るまでは話さずにいました。まだ5歳なので、いろんな人におしゃべりしてしまうんですよね(笑)。ただ、私たちは正直第二子に関しては諦めていたのですが、息子は一人っ子というのが物足りなかったらしく、家族の中でも一番に第2子を望んでいたんです。何かあるたびに「いつ妹とか弟ができるの? 」とよく聞かれていたので、言ってしまったらうれしさの余りたくさんの人に言ってしまうことが想像できたんですよね(笑)。なので、大々的に公表する2、3日前に伝えました。 ー報告後、息子さんの反応はいかがでしたか? 杉山さん:すごく喜んでいて、テンション上りまくっていました(笑)。私自身も6歳下に妹がいるので、当時の喜びを覚えていますし、小さなママ気取りでいろいろお世話していた記憶があるんですね。息子も弟か妹ができるというのを知ってから、お兄ちゃんという意識が高まって、「お世話したい」という気持ちが出てきたようで、しっかりしてきたなという印象がありました。 コロナ禍の今…不安になりがちだけど、考えすぎないことも大切画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーコロナ禍で妊娠に気付いたことに対して、戸惑いなどはなかったですか? 杉山さん:戸惑いはなかったです。こんなときに来てくれた子だからこそ、力強い子なんだろうなと思っていました。ただ、普段の妊娠でも薬を飲めなかったりと体調管理には気を使うのですが、コロナ禍なのでより気をつけないといけないなと意識が高まりましたね。 ーコロナ禍での妊娠、出産となりますが、どんなことに気を付けていますか? 杉山さん:自分の中で行動は気を付けていたので、そこまで心配はしていないんですよね。とはいえ、変異種や変異株が流行ってくると妊婦も重症化しやすいと聞いたので、ちょっと怖いですが。でも、無駄に心配してもいいことはないので、開き直って、基本的なことだけを気にかけるようにしています。 ー今の時期に妊活や妊婦生活を戸惑う人も多いと思うのですが、杉山さんはどう思いますか? 杉山さん:コロナ禍の妊婦健診や不妊治療って、どうしても1人になってしまっているので、不安も増えると思うんです。でも、STAY HOMEが当たり前になってきた今、家族で一緒の時間を感じられる貴重な期間だと思うんですよね。これまであわただしく時間に追われていた生活を一度リセットして、考え直すいいきっかけにもなりますし、そこで家族の絵がイメージとして湧いてくるのであれば、そこまで怖れることもなく、妊活に取り組むのは、すごくいいことだと思いますね。 ー考えすぎないことも大事ですよね。 杉山さん:そう思います。心配ばかりしていると、気持ちがマイナスの方向に働いてしまうことがあるんですよね。ちゃんと普段から気を付けていれば、結果もちゃんと伴ってついてくると思っています。 子育てして思うのは、「想像を絶する楽しさがある」ということ画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー子育てに対する考えのすり合わせなどは、どのようにされていたのですか? 杉山さん:実は妊娠中に、仕事と並行して大学院に行っていたんです。なので、てんやわんやで目の回る大変さで、当時のことをあまり覚えていないんです(笑)。ただ、落ち着いてからは、主人と話し合いながらルールをしっかり決めて、向き合うようになりました。主人とは育った環境も違いますし、子どもに対しての接し方、考え方も違うのでぶつかることもありますが、その都度早めに話して解決することを大事にしています。 ー ”一緒に育てている”という感覚が強いご夫婦なんですね。 杉山さん:そうですね。すごく強いです。主人は私が子どもに対してしていることを絶対に否定しないし、私も否定しないというのをルールにしているんです。そこで違和感を覚えたとしたら、子どもが寝たあとにちゃんと話し合い、すり合わせをするようにしています。そこでどちらかが否定し、責めるのを見せることで、子どもが、パパのほうに、ママのほうに味方に付くというのはダメだと思うんですよね。 ー お子さんが生まれて良かったと思う瞬間は、どんなときでしょうか? 杉山さん:子どもがいるのといないのとでは、生活自体が異なる物だと思いますが、息子の存在すべてが私に喜びを与えてくれているのだといつも思います。子どもの成長を見たり、共に成長していきたいと思ったり、彼の中で自分を垣間見たとき、すべてが感謝の瞬間です。 ー すごく素敵ですね。望んで家族ができたからこそ、今思うことはどんなことでしょうか。 杉山さん:想像を絶する楽しさです(笑)。息子に人生を広げてもらっている実感があるんですよ。生まれる前は夫婦2人で、独身のときは1人でという選択肢ももちろんある世の中なので、それぞれの人生で自分らしく輝けるということが一番幸せなことだと思うんです。ただ、私自身の選択としては、パートナーを得て、そこで子どもを授かることで広がりができたので、子どもには本当に感謝しています。 インタビュー配信1回目となる今回は、青天の霹靂だった第二子の妊娠や、コロナ禍の妊娠・出産についてなど、いろいろ話していただきました! 今回の取材で印象に残ったのは、「子育ては想像を絶する楽しさ」と話していたことでした。この言葉から、子育てを全力で楽しんでいることがすごく伝わってきて、とっても素敵だなと感じました! さて、配信2回目となる次回は、杉山さんが「すごくつらかった」と語っていた不妊治療のお話がメインになります。次の配信もぜひご覧くださいね! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月27日TBS開局70周年記念 舞台『刀剣乱舞』天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣- Supported by くら寿司の公開ゲネプロが、9日に東京・IHIステージアラウンド東京で行われた。同作は『刀ステ』と呼ばれるシリーズの最新公演。名立たる刀剣が戦士へと姿を変えた“刀剣男士”を率い、歴史を守るために戦う刀剣育成シミュレーションゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」を原案に舞台化し、圧倒的な人気を博している。2021年は360°の回転ステージであるIHIステージアラウンド東京で、舞台『刀剣乱舞』大坂冬の陣/大坂夏の陣と2作続けての公演を行う予定だ。10日より開幕する「大坂冬の陣」には、本田礼生(一期一振役)、前嶋曜(鯰尾藤四郎役)、北川尚弥(骨喰藤四郎役)、佐々木喜英(宗三左文字役)、松田凌(加州清光役)、北乃颯希(太閤左文字役)、鈴木裕樹(真田信繁役)、姜暢雄(大野治長役)、小松準弥(豊臣秀頼役)、日南田顕久(弥助役)、安田桃太郎(阿形役)、杉山圭一(吽形役)、松村雄基(徳川家康役)、そして荒牧慶彦(山姥切国広役)が出演。豊臣と徳川最後の戦いとなる「大坂冬の陣」を舞台に、様々な思惑と信念がぶつかり合う壮大な人間ドラマが繰り広げられる。初のIHIステージアラウンド東京となった今回の公演では、客席が回転する同ステージの特性を生かした場面転換はもちろん、スクリーンも大胆に活用。刀剣男士たちがステージとともに駆け続ける殺陣や、セットを利用した殺陣など見せ方も多岐にわたり、これまで同会場で行われた公演を見てきた観客も唸るような内容となっている。公演はIHIステージアラウンド東京にて、1月10日〜3月28日。○本田礼生 コメントついに開幕しました。多くの方に応援していただいているこの作品に出演出来る事を、改めて幸せに思います。演劇をやる事が難しい世の中ですが、この作品が少しでも光になるように、精一杯頑張りたいと思います。劇場にお越しいただいたお客様にも、残念ながらそれが叶わない方にも、全てのファンの皆様に届くように、一期一振として生きていきたいと思います。○前嶋曜 コメント歴史ある作品に携われた事、本当に嬉しく思います。今作、刀ステ史上最大のスケールでお送りします。稽古場では、一人一人が支え合いながら情熱をもってこの作品と戦ってきました。なかなか身動きが取りづらい状況ではありまずが、皆様に何かの力になる事を願い、キャストの皆さん、スタッフの方々と共に、これまで創り上げてきたものを全力で届けていきます。○北川尚弥 コメントまずはこうして舞台に立つことができるということに感謝しています。そしてIHIステージアラウンド東京という劇場で公演をすることにより、舞台『刀剣乱舞』の世界観をより壮大に皆さんにお届けできると思っております。100公演とロングラン公演となりますが、1公演1公演大切に物語を創り上げていきます。皆さんに楽しんでいただけますよう、全力で演じさせて頂きますので、最後までご声援の程、よろしくお願いします!○佐々木喜英 コメント約4年ぶりに舞台『刀剣乱舞』の世界に帰って来る事が出来てとても嬉しく思っています。虚伝を乗り越え、成長した宗三左文字の姿にも是非ご注目いただけると幸いです。昨今の状況の中で舞台に立てる場をいただける事に感謝し、1公演1公演、皆様にお会い出来る喜びを噛み締めながら、無事に千秋楽まで駆け抜けられるよう、気を引き締めて参りたいと思います。是非ご期待ください。○松田凌 コメント2021年、新年を迎えての初めての観劇に相応しいスケールの大きい作品となりました。こんな時代ではありますが、こんな時代だからこそ届けたいものがあります。明けない夜はない、止まない雨もない。我々が紡ぐ蒼き空をどうか観にいらして下さい。誠心誠意、精魂込めて演じさせて頂きます。劇場にて心よりお待ちしております。○北乃颯希 コメントまずはこの状況下で公演ができる事を嬉しく思います。そして刀ステファンの皆様、改めまして太閣左文学を演じさせて頂きます北乃颯希です。僕は今回この刀ステに初参加なのですが、稽古が進むにつれてカンパニーのみんなの熱さが自分に伝わってきました。僕も負けられないぞという負けん気精神で、稽古に全身全霊をかけてきました。IHIステージアラウンド東京に立てる喜びを胸に、日々精進していきますので、是非大坂冬の陣公演を楽しみにしてください!!○荒牧慶彦 コメント大坂冬の陣、夏の陣はこれまでの刀ステ史上最大規模の殺陣、ステージング、物語となります。次の夏の陣に繋げるためにも冬の陣公演をしっかりと戦い抜きたいと思っています。まだまだ気をつけなければならないことは多いですが、しっかりと気を引き締めて公演に臨みます。皆さんも楽しみに。そして、体調には気をつけて元気にお会いしましょう。参る!!○あらすじ歴史の改変を目論む「歴史修正主義者」によって過去への攻撃が始まった。時の政府は「 審神者(さにわ)」なるものたちに歴史の守護を命じる。その審神者の物の心を 励起する力によって生み出された「 刀剣男士とうけんだんし」たちは、さだめられた歴史を守る戦いへと身を投じるのだった。慶長十九年、大坂。方広寺鐘銘事件を発端に、豊臣と徳川の衝突は避けられないものとなっていた。戦国時代最後の戦いとなる大坂の陣が目前に迫る時代に、本丸より出陣した六振り。徳川陣営の偵察を進める一期一振、鯰尾藤四郎、骨喰藤四郎。時間遡行軍による干渉は確認できなかったが、徳川本陣を偵察した鯰尾が、家康の傍で怪しげな従者を見かけたと報告する。さらなる調査のため、再び徳川本陣の偵察へと向かう鯰尾と骨喰。一期は異変を知らせるため、隊長である山姥切国広たちのもとへと向かった。その頃、山姥切、加州清光、宗三左文字は、潜入調査のために真田丸に入り込んでいた。大坂冬の陣の要となる出城であったが、未だ改変の兆しは表れていなかった。山姥切たちはその真田丸で、かつて小田原の地で戦った男と再会する。今は豊臣秀頼に仕えているという男の存在に、山姥切は不穏な気配を察するのだった。真田丸で合流した一期は成りゆきから、時間遡行軍に命を狙われる秀頼を護衛することとなる。果たして、大坂の地で何が起きているのか?そして謎の刀剣男士・太閤左文字との出会いが、一期たちにもたらすものとは…。(C) 舞台『刀剣乱舞』製作委員会 (C)2015 EXNOA LLC/Nitroplus
2021年01月10日舞台「演劇の街をつくった男」が、6月19日(金)から21日(日)まで東京・小劇場B1で上演される。【チケット情報はこちら】「演劇の街をつくった男」は、東京・下北沢にある8つの劇場を運営する本多一夫の足跡をたどった書籍「『演劇の街』をつくった男 本多一夫と下北沢」を原作とした作品。とくお組の徳尾浩司が脚本・演出を手がけ、現代の下北沢で演劇を始めた若者が、タイムスリップして「演劇の街」の始まりに出逢うというオリジナルストーリーとなる。なお本公演は、ライブ動画配信サービス・PIA LIVE STREAMにて有料ライブ配信される。配信チケットは発売中。■本多劇場グループ PRESENTS ACALINO TOKYO「演劇の街をつくった男」日程:6月19日(金)~21日(日)会場:東京都 小劇場B1脚本・演出:徳尾浩司出演: 石川啓介/大部恵理子/笠井里美/杉山圭一/とみやまあゆみ/中薗菜々子/野川雄大/林雄大 /本多一夫(特別出演)
2020年06月15日一般社団法人スタイリストマスター認定協会が新メニューをスタート2020年5月24日、パーソナルスタイリストの杉山律子はオフィシャルブログを通じて、新メニューをスタートさせることを発表。一般社団法人スタイリストマスター認定協会の設立当初から杉山をサポートし続けている今村ゆきが、コンサルデビューすることを明かした。今村ゆきが実施するプランは『オンライン ワードローブコンサル』。今村は、持っている服を活かしてオシャレ度を高める方法を提案する。杉山律子のファッション理論を体感したい人や、オシャレに見えるコーディネートのコツが知りたい人などにオススメだ。料金はモニター価格が20,000円(税抜き)、通常価格は30,000円(税抜き)。コンサル後、1週間のアフターフォローが付いてる。詳細は一般社団法人スタイリストマスター認定協会のホームページを確認。1年間で150人のスタイリング相談にのる杉山律子杉山律子は1968年生まれ。福岡県出身。文化服装学院スタイリスト科在学中からスタイリストアシスタントとして経験を積み、3年後にスタイリストとした独立。結婚、出産を機に休業した後、2016年から一般個人向けのスタイリングサービスをスタートさせる。NHK「あさイチ」、日本テレビ「ヒルナンデス」など、多くのメディアに出演。1年間で延べ150人のスタイリング相談にのっている。『オンライン ワードローブコンサル』の講師を務める今村ゆきは杉山律子に師事してスタイリストマスターとして活躍。外見のコンプレックスをオシャレで解決することを目指す。(画像は一般社団法人スタイリストマスター認定協会より)【参考】※一般社団法人スタイリストマスター認定協会※杉山律子オフィシャルブログ
2020年05月28日ヒロ杉山の個展「 "ONE HUNDRED AND EIGHT"」が、東京・六本木「A/D GALLERY」で4月13日から5月6日まで開催。A/D GALLERYで2年ぶりとなる本展では、2017年から2018年にかけて、自由からの探求の誠実さを求めて描かれた水彩画“ONE HUNDRED AND EIGHT”シリーズを展示する。水彩画にはコントロール不能な面白さがあり、抽象的な側面を持つ画材として、いつもより内面に気持ちを向けて描いたという108点の作品のうち、30点ほどが展示される。【イベント情報】ヒロ杉山個展 "ONE HUNDRED AND EIGHT"会期:4月13日~5月6日会場:roppongi hills A/D GALLERY住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ ウェストウォーク3階
2018年04月13日9月3日(日)今夜放送の「情熱大陸」に2013年に発刊した「伝え方が9割」が115万部の大ベストセラーとなったコピーライターの佐々木圭一が登場。番組は3年前に独立し活躍の場を広げている佐々木さんの仕事とプライベートに密着する。1972年神奈川県生まれ、現在44歳の佐々木さんは、父の仕事の影響もあり子ども時代から転校を繰り返し、転校先の土地の方言が喋れなかったことなどから人とのコミュニケーションが苦手になったという。学生時代の唯一の友だちは「初代ファミコン」で人と話すよりも機械を触る方が楽という理由から、上智大学理工学部機械工学科に進学。大学では機械工学を専攻しロボットの研究に打ち込み同大学院を修了後、そんな自分を変えたいと一念発起して広告代理店・博報堂に入社。コピーライターとなるものの中々芽が出ずコピーを書いてもボツばかり。ボツにされ続けた事から当時は紙がムダという意味で「もっともエコでないコピーライター」というあだ名を付けられたほど。しかし、そんな膨大な時間と試行錯誤のなかである時ふと「伝え方の法則性」に行き着いたそう。そして2013年、著書「伝え方が9割」を発刊。“上手なデートの誘い方”や“相手の胸に刺さるコトバの作り方”といった日々の生活で役立つ「伝え方のコツ」を満載し、家庭や職場ですぐに使える実用性が大きな反響を呼んだ同書は大ベストセラーになった。2014年に独立、自身が代表を務める「ウゴカス」の代表となり広告制作の枠を超えTV出演や講演など活躍の場を広げた佐々木さんは、プライベートではトライアスロンが趣味で、5歳と2歳の娘が言うことを聞いてくれないと悩む姿も見せる。番組ではコピーライターの仕事の裏側に密着。“苦手な上司との付き合い方”や“子どもに嫌いな食べ物を食べてもらう方法”など、日々を効率よく進めるため“ライフハック”のヒントを紡ぎ出していく佐々木さんの姿を追うなかで、佐々木さんが本当に伝えたい“コミュニケーションのレシピ”ともいえる“伝え方が9割”の“残りの1割”に隠されたものに迫っていく。「情熱大陸」は9月3日(日)23時~TBS系にて放送。(笠緒)
2017年09月03日情報番組からバラエティー番組、そして教養番組と幅広いジャンルで活躍中のハリー杉山が、2夜連続で放送される「山崎豊子ドラマスペシャル女の勲章」でドラマデビューを果たすことが決定。さらに続けて、4月放送スタートの月9ドラマ「貴族探偵」の第1話にゲスト出演することも分かった。「ノンストップ!」をはじめ、司会やラジオのナビゲーター、モデルとしても活動していたハリーさん。彼と言えば、イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、先祖にプランタジネット朝の第5代イングランド王エドワード1世を持ち、イギリス貴族の血を引く人物。英語、フランス語、中国語、日本語の4か国語を話すことができ、11歳から18歳までイギリスに在住し、学生時代からイギリス王室のウィリアム王子をはじめ貴族と交流を持つという華麗な経歴の持ち主だ。そんな彼がドラマデビューを果たすのが、山崎豊子原作のドラマ「女の勲章」。本作は、大阪・船場の裕福な羅紗問屋の娘として生まれた大庭式子が、太平洋戦争で家族も住む家も失うも、洋裁学校の設立、チェーンスクールへの発展、デザイナーデビュー、東京進出さらに世界へとファッション業界を舞台に羽ばたいていく姿を描く物語。主人公・大庭式子役を松嶋菜々子が演じるほか、ミムラ、相武紗季、木南晴夏、玉木宏、浅野ゆう子、長塚京三ら豪華キャストたちが集結している。今回ハリーさんが演じるのは、パリ在住の世界を代表するデザイナーと契約を結ぶために、日本からやってきた式子の滞在中の世話をする繊維会社の特派員・園田。世界的デザイナーとの契約締結に、日本人で初めて成功できるかどうかの重要な局面で、“通訳”として式子を支える大事な役どころだ。今回がドラマ初出演ということで、ハリーさんは「青天の霹靂です。自分の耳を完全に疑いました」とオファー時の心境を語る。また、撮影前の準備には、「原作を読み、仲の良い役者の方々からアドバイスをいただき、忘れかけていたフランス語もフランス人の知人のクロワッサンを食べる仕草から勉強し、現場に挑みました」と万全の体制で挑んでいたようだ。さらに、松嶋さんとの共演については、「撮影直前は生まれたての子鹿のように心身共に震えていたのですが、撮影が始まり、松嶋さんとコミュニケーションを取る度に自然と心が落ち着きました。美しいのはもちろん、優しさと心の温かさ、心の余裕がオーラにも出る方で、初めてお芝居のお仕事をされたときのお話をしてくださったり、長台詞の基本的な伝え方を教えてくれたりしました」とアドバイスをもらったと明かし、「これはNGを出せるはずがない!と思いきや出してしまったときの松嶋さんの『大丈夫!ゆっくり…』とのお言葉には救われ、なんとか乗り切りました。陽だまりのように優しい方でした」と撮影でのエピソードも。そして「女の勲章」の翌日には、「貴族探偵」がスタート。「嵐」の相葉雅紀が主演するこのドラマは、年齢、家族、学歴、住所、さらに本名までも不明な探偵を趣味としている貴族が主人公。しかし、趣味という探偵においても、一切の推理を「雑事」と言い放ち、召使いに任せながら優雅に謎を解くという、探偵という存在の既成概念を打ち砕く前代未聞のミステリー。ハリーさんが演じるのは、第1話で起こる事件関係者の一人である会社員・笹部恭介。日本有数の財閥グループの社長令嬢である玉村依子(木南晴夏)の友人で彼女が所有する、とある山荘で開かれたパーティーに招かれた笹部。パーティーを楽しむ参加者をあざ笑うかのように、凄惨な殺人事件が起き…というストーリー。月9出演に関してハリーさんは、「ずっとお芝居と無縁だった男が…『女の勲章』…からの月9…しかも30周年を記念する作品の第1話なんて…数秒絶句した後…身を引き締めて本屋に走り原作を買いました」とコメントしている。「山崎豊子ドラマスペシャル女の勲章」第一夜は4月15日(土)21時~、第二夜は16日(日)21時~フジテレビにて放送。「貴族探偵」は4月17日より毎週月曜日21時~フジテレビにて放送。※初回30分拡大(cinemacafe.net)
2017年04月06日2015年7月に元気な男の子を出産し、ママとなった杉山愛さん。テニスプレーヤーとしてトップまで登りつめ、パートナーにも子どもにも恵まれ、順風満帆な人生をお過ごしのように見える杉山さんにも、どうやって生きていけばいいのかわからなくなった時期があるそうです。そんなとき、道を開いてくれたのが近著『 杉山愛の“ウィッシュリスト100” 願いを叶える、笑顔になる方法 』(講談社)でも紹介されている「ウィッシュリスト」の存在。結婚・出産もそのリストによって叶えたといっても過言ではないそう。そして、ママになって自分の時間が少なくなったいまこそ、ひとりの女性として人生を楽しむために、ウィッシュリストが有効だといいます。でも、ただ単に願いを羅列するだけではダメなよう…。そこで、今回は杉山愛さんに、ウッシュリストで願いを叶えるコツをお伺いしました。■テニスプレーヤー以外の自分って?杉山愛さんといえば、日本を代表するテニスプレーヤーであり、日本人で初めて、WTA世界ランキングのシングルス8位、ダブルス1位にまで登りつめた、誰もが知る女性トップアスリート。それだけに、引退直後の燃え尽き感は半端ではなく、テニスプレーヤーとしてのライフがなくなったことで、心にぽっかりと穴が空いてしまったそう。そのとき、自分自身に問いかけるような気持ちで始めたのが、「ウィッシュリスト」でした。「もともと日記を書くのが好きで、選手時代は10年以上続けていました。書くことで体調や気持ちの変化がわかり、試合に向けての調整にとても役立っていました。引退後の、第二の人生をどうしていいか分からなくなったとき、いったい自分が何をしたいのかと、自分と向き合うために書き始めたのがウィッシュリストです」■ウィッシュリストは本当の自分に気づく手段ウィッシュリストとは、その名の通り「お願いごと一覧表」。かなえたい夢、行きたい場所、欲しいものなどを書き出したリストです。杉山さんはウィッシュリストを書き始めたことで、自分が本当にやりたいことや理想のライフスタイルが明確になったそう。「今ではウィッシュリストに100項目以上の叶えたい願いを書いていますが、はじめは25個しか思いつきませんでした。でも、それが『自分はこれだけしかやりたいことが明確になっていない』という気づきになりました。また書いている最中、『こんなの叶うわけない』と、自分で自分の可能性をブロックしてしまっていることにも気づかされました。ウィッシュリストの作成には正解がありませんし、誰に添削されるわけでもありません。自分が本当に叶えたい夢、やりたいことを書いて、本当の自分を見つける。そこから、ウィッシュリストに書いた項目を叶えるために動いていけば、自分らしく、楽しく夢が実現していくと思います」見ていてワクワクする、楽しいウィッシュリストにすること、それが効果的なリストづくりのコツだと杉山さん。タブレット端末やスマートフォンで作成しておくと、いつでも書きかえたりチェックしたり出来て便利です。■杉山さん流、より願いが叶いやすくなる秘策ウィッシュリストの作成と同時に、杉山さんが実践しているのが「呼吸法」です。「書いただけで願いが叶うわけではなく、叶ったシーンを強くイメージすることが大切です。このとき、深い呼吸でリラックスしながらイメージをすると、よりヴィジョンが見えやすくなります」【杉山さん流「呼吸法」】1. 姿勢を整えて目を閉じます2. 丹田を意識して鼻から息を吸い、いったん息を止めて全身に行き渡らせます(下腹に手をあてると丹田を意識しやすくなります)3. 鼻から息を吐き出します(足の裏から疲労物質やネガティブな思いも一緒に吐き出すイメージで)これを数回繰り返しながら、なりたいイメージが実現しているところを想像します。呼吸法やウイッシュリストのおかげで、杉山さんは結婚と出産を叶えました。書き出すことで、願いを叶えるチャンスが巡ってきたとき、気づきやすくなるそうです。ママになった今は、ウィッシュリストの項目に子どものことが多くなったとのこと。■ウィッシュリストを家族みんなで楽しむ「夫婦それぞれのウィッシュリストを作ると、なおいいですよ。これからのライフや子育てについて、お互いの気持ちを確かめるキッカケにもなります。あくまでも楽しく、やりたいことを書き出す。それが願いを叶えるコツです。よく、子どもにどんなスポーツをさせればいいですか?と聞かれますが、それも答えは同じで、お子さんが楽しいと思うものが結局いちばん続きますし、伸びると思います」杉山さんも小さい頃から数多くのスポーツに触れ、そのなかからテニスを選んでいます。練習が楽しくて、辛いと思ったことはなかったそうです。また、杉山さんのお母様のある教育が、杉山さんのウィッシュリスト達成力に大きく影響しているといいます。■願いを信じて叶えられるのは母の絶対評価のおかげ「母は、私を人と比べて評価することを絶対にしませんでした。妹ともそうです。個を大切にしてくれ、決断が必要なときも、母の考えを押し付けるのではなく、私がどうしたいかを必ず聞いてくれました。それが選手として的確に判断する力にもなり、ウィッシュリストの可能性を素直に信じ、叶える力になっているのだと思います」杉山さんも同じように、誰かと比べるのではなく、「個」を尊重した子育てをしようと考えているそう。DNAは嘘をつかないようで、お子さんは生後4ケ月でテニスボールを持ち、10ケ月で自主的にラケットを握るまでに。1歳になった今は、元プロゴルファーのご主人による指導のもと、ゴルフのアドレス(打つ前の姿勢)ができるまでに成長しました。…は、早すぎます(笑)。最後に、杉山さんから日本で頑張るママさんへメッセージ「日本では、ママは子ども優先で自分のやりたいことは二の次にするのが美徳だという風潮があります。それはそれで大切なことですが、ママが幸せであることも、子どもの幸せには欠かせないと思うんですね。まずはママがウィッシュリストで自分らしさや楽しみを見つけ、そこにお子さんやご家族を巻き込んでしまえばいいと思います。ママの幸せ、パパの幸せ、子どもの幸せを家族みんなで一緒になって叶える感じで、ウィッシュリストを試してみてください」インタビューにはご主人も同席してくださっていたので「そばで見ていて、奥さまが願いを叶えてきた秘訣って何だと思いますか?」と質問を投げかけると、「愛は、とにかく周りを巻き込む力がスゴイ! それも自然に手を貸してあげたくなるような雰囲気があるんですよね…」と即答。たしかに取材が進むにつれ、杉山さんが放つプラスのエネルギーに、スタッフみんながいつのまにか感化されているから不思議です。きっとそれは杉山さんが“ワクワクすること”や“楽しむこと”を大切にしているから。ママになっても罪悪感をもつことなく、自分自身が楽しむことを大切にする、それがすなわち自分らしさを見つけるということだと、著書『杉山愛の“ウィッシュリスト100” 願いを叶える、笑顔になる方法』(講談社)は教えてくれます。・ 『杉山愛の“ウィッシュリスト100” 願いを叶える、笑顔になる方法』(講談社)
2016年08月04日手塚治虫タッチのパロディー漫画『神罰』で知られ、著名作家の絵柄をまねたシモネタギャグを得意とする漫画家の田中圭一氏。デビュー当時からサラリーマンを兼業する"二足のわらじ漫画家"としても有名で、現在はBookLiveに勤務する一方で、京都精華大学の講師も務める。そのほか、「田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-」(ぐるなび)、「うつヌケ~うつトンネルを抜けた人たち~」(文芸カドカワ/note)、「ハピラジ!」(ニコニコ生放送)など、インターネットを中心に幅広く活動している田中氏。今回、紙からインターネットへ移行した経緯や、インターネットの魅力、漫画家としての今後の展開などをインタビューした。――田中先生はインターネットを積極的に活用されていて、2013年に漫画発表の場を紙媒体からインターネットに移されたとのことですが、どういった経緯だったのでしょうか。ちょうどその少し前から僕の紙の本が売れなくなってきていて、世間でも、雑誌も売れない単行本も売れないという傾向が顕著になってきてますよね。だから、これから先、漫画家で食べていくのに希望的な状況じゃないなと思ったんです。そんな時に、電車で周りを見渡すとみんなスマホをいじっていたんですね。新聞や漫画雑誌を読んでる人はずいぶん減ったけどスマホは見ている。だったらスマホの中で自分の存在感を大きくすることが生き残りの1つの手だなと感じたんです。当初は、特にマネタイズは考えていなかったんですが、Twitterで面白いネタをつぶやいたり面白い画像を載せるとフォロワーが増えるし、これから先スマホやインターネットでみんなもっと情報を得るようになっていくだろうから、その中で生き残るための第1歩と考えたんです。――編集者で漫画原作者の竹熊健太郎さんにも後押しされたとか。竹熊さんが2010年くらいから、これからは「街のパン屋さんのような漫画家を目指せ」とおっしゃっていて。彼が紙の本からの仕事がなくなってスランプになっていた時期に、周りから勧められて『たけくまメモ』というブログを立ち上げたんですよ。そうしたら一気に固定ファンが数万人できて。これからの漫画家は、大手のメジャー雑誌に載ってミリオンセラーを出して豪邸を建ててというのが年々難しくなってくるから、数万人でもいいから固定ファンを捕まえてその人たちが欲しいもの、望むものを提供することでマネタイズをしていくのが良いと。それはすごく正しいなぁと思っていて。それを見ていたから、最初は自分も興味本位でおもしろ画像などを上げている内に、リツイートが増えて、フォロワーが増えて、「あー、これはメディアなんだ」とわかったです。――実際にSNSを始められて実感したんですね。当時、前の会社で「コミPo!」という漫画制作ソフトを発表する際に、プロモーションムービーを作って発売前に一部の関係者用にWEBにアップしたんですよ。その時にアルファブロガーの小飼弾さんにも見てもらったんだけど、「発表会が来週ありますよ」という告知をした時に、「ようやく発表ですね」と一部の関係者しか公開していなかったムービーのURLをうっかりTwitterに載せてしまって…。そしたら一気にダーッとリツイートされてサーバーもパンクして、その時にツイートをエゴサーチするとドンドン話題が増えていくのがリアルタイムで見れて、「バズられるってこういうことなんだ」とわかったんです。それまでもバズるとかバイラルっていう言葉は知っていたんだけど、1秒に何十人もリツイートされるという経験を初めてしたんですよ。――個人がすごい影響力を持つ、と。「コミPo!」でコンテストをした時、中に1人すごく面白い漫画を作ってくる人がいて、それがダ・ヴィンチ・恐山さんでした。彼は芸能人でもない普通の人なんだけど、彼のツイートはものすごく面白くて、それがドンドンとバズられて多くのフォロワーが付いたんです。その時、「Twitterって、有名人でなくてもバズられればフォロワーが集められるんだ」とあらためて思ったんですよ。僕も初めは、なにげなくおもしろ画像を投稿していたら、ついっぷるの人気画像ランキングに入って、僕のフォロワーじゃない人の目にも触れてドンドンとリツイートされて、フォロワーも増えたので、「これは面白いな」と思いました。ツイートや画像を何時ごろに上げればバズられやすいかとか、どんなネタが受けるのかとか、Twitterを使って、個人でのマーケティングリサーチをできることに気付いたんですね。――ご自身でマーケティングリサーチまでされているなんて驚きです。私はこれまで雑誌のアンケート結果ってあまり教えてもらえなかったんですよ。ギャグ漫画でページが少ないとアンケート上位に行くことは難しくて、編集さんも気を遣ってくれて「一部では好評みたいですよ」くらいしか教えてくれなかった。ただ、個人的には、今回こういうネタだからこういう反響があった、というデータが欲しかったんですね。この時間にこのタイミングでこのネタを上げたらリツイートされた、勝因は何だろう、自信満々のネタが全然ウケなかった、敗因は何だろう、みたいな。こんなことを繰り返し、ずーっと自分のデータとして蓄積していったんです。そこから、もちろんマネタイズは無視して、「ウケたいという気持ちだけで、いかに多くの人を笑わせられるか?」ということをやり始めたんです。――ファンの方と直接的な交流が生まれたんですね。そんなことをしているうちに、僕のネタ画像を見た編集者からWEBでの連載依頼が来て、そこに載った作品をTwitterやFacebookで情報発信してバズられて…という良いスパイラルになった。紙の雑誌に固執していたら、世の中に作品を発表できなかったかもしれない。これによって、「田中圭一をフォローしておくと面白いものが色々とくるぞ」というフォロワーとの信頼関係ができたっていうのは、これから電子化が進むという時期に、うまくSNSの波に乗れたなと思いますね。――そうしてインターネットの影響力を実感される中で、電子書籍の可能性と課題についてもお聞かせください。日本の家電メーカーにぜひ言いたいのは、日本って世界的に珍しく国民がすごく本を読む国だということ。日本人は知識欲が旺盛で、本を読むことが好きですよね。にもかかわらず、なんで電子書籍デバイスを日本人に合う形で作らないのかと思うんですよ。スマホはアメリカ製か韓国製で、手帳サイズで、さすがに漫画を読むにはきついですよね。タブレットは、サイズはちょうどいいですけど重い。だったら、もっと薄くて軽くてペラペラで、筒から巻物のように液晶画面がひゅっと出せて、雑誌の見開きサイズで読めるような端末ができるといいですよね。日本のメーカーが本気出せば簡単にできそうなもんじゃないですか。それによって電子書籍の市場ってもっと広がりそうなのに、やらないでしょ、どこも。電子書籍の漫画が読みづらいという人もいますが、新しいデバイスなら解決できる。ガラパゴスでもいい。日本市場って本に関しては大きいはずなので。――デバイスの進化には期待ですね。コンテンツ側で電子書籍に期待することはありますか。たくさん言いたいことはありますね。昔、ケータイコミックなどで音が出るものがありましたが、あまり流行らなかった。デジタルならではの面白い仕組みはあったんですが、それを最大限に使う作品・キラーコンテンツがなかった。やはりこういったものを普及させるのはキラーコンテンツありきですよ。例えば、デジタルデータなんだから、1ページ目からラストまで1本道である必要はないですよね。ゲームが得意としているストーリーの分岐とか、最初に自分の名前を登録すると、漫画の主人公の名前が自分の名前になるとか。分岐に関しても、アドベンチャーのように選ばせるのもあれば、ランダムに変わるというのもあるとか。そういった仕様も技術的には難しくない。問題は、そういう面白い仕組みを活かしたキラーコンテンツがあるかどうか。器を作ったら、器に見合う料理を考えなきゃいけなくて、漫画家さんなりクリエイターさんが、新しい仕組みに見合う作品を作って、1作品でもヒットが出れば、「この手法があるなら俺ならこう活用するぜ」という人が続々と出てくる。それが電子デバイスで本を読む新しい形にならないかなと思っています。――田中先生もそういう作品を作ってみたいですか。作りたいですね。たとえば、(主人公が複数存在し物語が並行して進む)ザッピングの作品ができないか、とか。とある夫婦が登場する作品で、奥さん目線では幸せなストーリーなんだけど、旦那さん目線では悲劇だとか。他には、最初のページで「あなたはどの漫画家が好きですか」というアンケートがついていて、手塚治虫とか松本零士とか選択肢を選んでもらって、ストーリーは同じでも、選んだ作家の絵柄に変わるとか。手塚治虫の絵で読んだ後に松本零士の絵に切り替えると微妙に違っていて、「こう違うんだ」というようなところを楽しむとか。デジタルの時代の表現方法の1つだと思います。――いろんな可能性がまだまだあるんですね。あるんですよ。誰かがキラーコンテンツを出して、そればブレイクした時こそ、新時代が来ると思います。僕も実験的に、なにかやってみたいと思うんですよね。ホラー漫画は僕の絵じゃ合わないかもしれないけど、じつはやりたいんですよ。例えば作品の中に、"読んだら死んじゃう漫画"というものが登場して、登場人物がその漫画を読んで次々に死んでいくというストーリー。これは、当然フィクションなので、実際にこのデジタル漫画を読んだ読者が死ぬわけじゃない。でも、ストーリーを読み進めていくと、最後に「この漫画は絶対に読み返してはいけない」と書いてあるページが開かれて、作品は終わる。それを、たまたま2回目に読んだ読者がいたとしたら、冒頭に「なぜ読み返すなと言ったのに読んだのか!」と書いてあって、つまり1回目に読んだときと中身が変わってしまっている。この恐怖ってハンパないと思います。これで読者が作品の中にイッキに引き込まれていくとか。――田中先生は現在、電子書籍の「BookLive!」にお勤めですが、最近話題の漫画家さんへのインタビューコーナー「わが生涯に一片のコマあり」についても教えてください。どういった経緯で始まった企画なんですか。BookLiveの社員の方から、以前に私が実施した藤田和日郎先生のインタビューがすごく好評だったので、ああいうものを定期的にできないかという依頼があったんです。コーナー化するにあたっては、ネットで読ませるための文字数の上限やテーマ設定など、いろいろと改良が必要な点がありました。そうした時にある方から、「"作者の渾身の1コマ"に絞ってはどうですか」というアイデアが出た。それならワンテーマだし文章も短くて済むし、焦点もはっきりする。他でもやっていないと。そして別の方が「わが生涯に一片のコマあり」というぴったりのタイトルを考えてくれた。そうしてこのインタビュー企画が始まりました。第1回ゲストの新條まゆ先生が、こちらが望んでいたとおりのお話をしてくれましてね。新條先生の連載が打ち切りになりそうだった時期に、「渾身の1コマ」を描くことで盛り返して人気が回復して行った、というような。そこで弾みがついてコーナーが続いています。――このコーナーはTwitterなどでもすごく評判なのですが、インタビュー時にこういうことを聞こうというのは何かあるのでしょうか。そうですね。僕も漫画家なので、この作品のここはすごく苦労して描いててるなっていうのがわかるんです。例えば東村アキコさんの場合は、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ/秋田書店)や岡田あーみんさんの漫画が大好きで、それが引き出しになっていて今の作品を描いているとおっしゃっていて。自分もギャグ漫画家として、小さい頃好きだった漫画はあれとこれとこれで、それが組み合わさって今の漫画になっているというのがあるので、すごくわかるというか、お互い「そうだよね」というのがあるのは作家同士ならではだと思いますね。――なるほど。漫画家同士だからこそわかる世界観が、あのインタビューを生んでいるんですね。そうした幅広い活動をされている田中先生ですが、今年から京都精華大学で「ギャグマンガコース」の講師もされています。そのお話もぜひ聞かせてください。本当は竹熊健太郎さんの助手で入る予定だったんだけど、急きょ竹熊さんが休学されるということになって、あとは任せたと(笑)。経験もないし、忙しくて準備もできてないしで、バタバタとしたスタートでした。始めてみて思ったのは、生徒に教えるためにはロジックを自分で整理して伝えなきゃいけないということ。今まで直感で、つまり右脳でやっていたものをロジカルに整理することで自分にも気づきがあったんです。例えば、読者に「こっちだよ」とわざと思考をミスリードさせておいて、実はこっちだったみたいな意外性というかギャップが笑いを生むんだ…とかね。――教えることを通じて、田中先生ご自身も表現の理論を改めて整理できたんですね。どうしてこれは面白いんだろう、と常に分析しながら見るという視点も持つようになって、他の仕事にも良い効果が生まれましたね。先ほどのインタビューコーナーも、この作品はどうして泣けるんだろう、とか分析しながら作品を読んでいますし、今ぐるなびで連載している『ペンと箸』も、事実をそのままの順番で漫画にするのではなく、話の順番を入れ替えることでより感動が伝わるな、とか。いろいろと並行してやっている仕事がそれぞれ役に立っているんです。――これまで若い漫画家志望の方に教える機会はあったのでしょうか。今まで何人か、漫画家志望の若いアシスタントが来たことはあったけど、あまりギャグ漫画家になりたいという人はいなかったから、教えられることがあまりなかったですね。でも今は、大学でギャグ漫画家になりたいという人に教える訳だからやりがいもあります。京都精華大には「ストーリーマンガコース」と「ギャグマンガコース」があって、ストーリーマンガコースに落ちたからギャグマンガコースに来た人もいるんだけど、そうした中にもすごくギャグセンスのある学生もいる。プロになろうと思ってなくてもポテンシャルがあったり、センスを秘めている人はいっぱいいて、そういう人には「君はギャグに向いているから磨いていこうよ」という話もできますよね。――違う道を目指そうとしていた人が、ギャグ漫画家になって良い作品を生み出して、読者を楽しませていくというのは素晴らしいですね。本人もたぶん、ストーリーマンガコースに行ってたら生徒数も多くて競争率が高かったりで挫折してしまったかもしれないけど、ギャグマンガコースは人数も少ないから、その中で「イケてるぞ」となれば、自信もつくんじゃないでしょうか。竹熊健太郎さんが「電脳マヴォ」っていう無料の漫画サイトをやってるんですが、ギャグマンガコースで才能を持った人はそこでも紹介していきたいと言っていて、生徒さんが納得してくれればそこに作品をアップして世の中の多くの人に見てもらう機会を持つというのも、ありかなと思っています。そこで編集者の目に止まって商業誌デビューを果たす、という道もあるかもしれないですし。――インターネットならではの作品の見せ方ですよね。「note」っていうSNSで人気の『岡崎に捧ぐ』という漫画がものすごく読まれていて、作者の山本さほさんは、現在いろんなところから引っ張りになっているんですよ。内容は「ちびまる子ちゃん」的な作品なんですが、「ちびまる子ちゃん」よりももう20才くらい下の世代にすごくささっていて。ちびまる子って10年ごとに、つまり年代ごとに作ればいいんじゃないかと思ったりね(笑)。とにかくその漫画、面白いんですよ。ネットで人気を博して商業誌に行くっていうのもあるんですよね。こういう言い方はよくないんだけど、漫画家志望って編集さんとそりが合わなくて、デビューはしたものの連載を取れないまま何年かの時間をすり減らしてしまうこともある。でもネットに上げると、支持してくれる人が何人いるかが数字でわかるので、結果が悪ければすべて自分の責任です。冷酷ではあるものの非常に平等な発表の仕方ですよね。そういう方法でのデビューもあると思ってまして、竹熊さんの「電脳マヴォ」などからデビューするというのもあると思うんですね。――このようにファンの方と直接つながれる時代に、出版社の役割とは何だとお考えでしょうか。やっぱり大手の出版社の編集さんって、すごく特殊なノウハウを貯めている方がいて、新人が持ち込みしてきてから一人前にして世に送り出すまでのトレーナーとして一流な人もたくさんいるんですよ。それを分っていない人は編集者を軽視する発言をしがちですよね。WEBとかブログで人気になった漫画家さんが10年、20年と食べていけるかというのは、トレーナーの力量も大きいと思います。あとはアシスタントに入ってそこの先生に学ぶとかね。そういう道のメリットもたくさんあると思いますよ。ネットはそういう工程をすっとばせるから便利だと言われがちですけど、最初はビギナーズラックでヒットを打てても、2打席目から打てない人もいて、とにかく編集者や師匠から教えや、漫画家としての基礎体力作りを軽視してはいけないと思いますね。――ある作家エージェントの方がおっしゃっていたんですが、「0を1まで売るのはエージェントの役割だけど、1を100にするのはやはり出版社さんが強い」と。どちらが良いではなくて、それぞれ役割があるということでしょうか。大手の出版社さんって編集者が優秀だからミリオンセラーが出ると思われていますが、それに加えて営業の方のスキルも高いからだと思いますよ。僕も営業やっていたからわかるんですが、良いものを良いと伝えて書店さんを説得するのは営業さんの力なんですよね。だから1万部を100万部にするのは、販促やキャンペーンも含めた営業力だと思うんですよ。ネットで作品を出した人がそこまで行けるかというと、営業さんが後押ししてくれないとなかなか難しいですよね。ネットでヒットした『きょうの猫村さん』(ほしよりこ/マガジンハウス)とか、『となりの801ちゃん』(小鳥アジコ/宙出版)とかは、紙の本になって初めて大きくマネタイズができたわけじゃないですか。ネットだとただの人気者で終わってたかもしれない。だから、出版社が今も作家さんにお金をもたらす重要な役割を担っているのは確かですよね。今後は電子書籍ストアとか先ほどの「note」とかで作家が直接売るというの時代が来るかもしれませんが、それはそれで作家自身の営業力が必要だと思いますよ。ネット上には様々なコンテンツがものすごくたくさんあるので。――田中先生が先日から参加されている「ハピラジ!」についても教えてください。ニコ生(ニコニコ生放送)で「ハピラジ!」というWEBラジオを始めることになりまして。この番組というかシリーズは、声優さんを中心にやってきて、漫画家は僕が初かもしれません。番組としては、企画の担当者が面白いコーナーとかを考えてくれていて、ニコ生を使うので、音だけじゃなくて時々絵を描いたり大喜利のようなこともやっていきます。僕が描いた絵に声優さんが声を当てたり、4コマ漫画の3コマまでを僕が描いて4コマ目を募集とか。ラジオなんだけど、ところどころ絵も入っている感じで今の時代ならではの番組ですね。――田中先生はTwitterやFacebookも活用されていますが、ニコ生をやろうと思ったのはなぜですか。もともとニコ生は個人でもやりたかったんですが忙しくて手をつけられていなかったところに、ハピラジ!のお話をいただいてぜひやらせてくださいと。一人で全部やるのは大変ですからね。FacebookとTwitterとニコ生は個人で出来るプロモーションとして、3つでセットと考えています。Twitterは瞬発力、バイラル力はあるけど、すぐタイムラインが流れてしまう。Facebookはもう少し滞留しますし、もう少しお友達限定というクローズドな部分がある。音声は生放送でリアルタイム性がある。この3つを組み合わせるのが1番効果的だと思っていたんです。だから、ニコ生を始めたのはちょうどいいタイミングでした。今後、以前に勤めていたソフト会社で企画していた『ライブアニメ』という、音声に反応してアニメのキャラが操作できるソフトを使った放送などもやってみたいなと思っています。アニメキャラによる生放送です。――次々と新しい取り組みをされている田中先生ですが、最後に、漫画家・田中圭一としての今後の展開について教えてください。僕が今52歳だから、健康にペンが握れるのはあと20年なんですよね。土日しか描いてないから、計算するとあと単行本15冊しか死ぬまでに出せないな、と最近考えています。つまり、残された時間と描ける作品数は限られています。なので、山のようにある「やりたい企画や作品」の中から「何を諦めて、何をやるか」を考えなきゃいけない歳なんですよね、52歳って。これまで温めて実現できていない企画の中で早めに着手しないとダメなものを、優先的にやっていきたいと思っています。ここ2、3年はそこに力を注ぎたいなと。さっき言ったインタラクティブな漫画もその1つなのでぜひ実現したいですね。
2014年12月26日「自分の考えていることが思ったとおりに相手に伝わらない」。この悩みに頭を抱えている人は数多く存在します。あなただけではないのです! では、この問題をどうしたら解消できるのでしょうか。45万部を超えた大ベストセラー『伝え方が9割』の著者、佐々木圭一さんに話を伺いました。■2013年は日本人にとって“伝え方元年”「2020年大会のオリンピック東京招致決定は、日本人が国際舞台において伝え方で勝利した、歴史的な瞬間でした。滝川クリステルさんの『お・も・て・な・し』という言葉も印象的でしたが、安部首相のプレゼンにも、私自身は心を惹かれました。なぜかと言うと、人が票を入れたくなるような技術が盛り込まれていたからです。安部首相のプレゼンでのコトバを要約すると、以下になります。『東京を選ぶということは、スポーツで世界をより良くしようとする国を選ぶことです』IOCの実現したいことは、スポーツを通して世の中を良くすることです。つまり、相手の好きなこと=IOCが実現したいことを、そのまま表現していたのです。これまで“伝え下手”だと言われてきた日本人がプレゼンで勝利したことで、国全体が明るい雰囲気になったと思います」DJポリスの活躍やドラマから名セリフが生まれるなど、2013年はまさに「伝え方」が鍵を握る1年でしたね。「DJポリスは人が動きたくなる『チームワーク化』という技術を使って、やんちゃな若者達の心を動かしたのです。お願いをする時に相手対自分と対立するのではなく、『一緒にやりましょう』と同じ方向を向くと、思わず聞いてしまうという本能を人は持っているんです。ドラマの名セリフにも、伝える技巧がきちんと組み込まれています。例えば『半沢直樹』では、正反対のコトバを使うとセリフが強くなる『ギャップ法』が用いられていました。流行語大賞に選ばれた『倍返しだ!』というコトバの前に、『やられたら、やり返す』というギャップを前に持ってくることで、あのセリフが強烈に浸透したのです。2013年ほど名言が生まれた年は珍しいですよね。人々がいかに伝え方が重要か、という事実に気づいた1年でもありました。日本人は“学ぶモード”に入ると一気にレベルを上げられる特長を持っているので、なるべく早い時点で伝える技術を身につけることをオススメします」■伝え方は「センス」ではなく「技術」ですが、自分の気持ちや意思を思いどおりに伝えることに、苦手意識を持つ人も多いかと。「それは、伝え方にはセンスが必須という先入観があるからです。伝え方に必要なことは、センスではなく技術。料理を例に挙げてみましょう。キャベツの千切り初心者の小学生が知識もないままにトライしても、上手く切ることができませんが、母親に教えてもらうだけで格段にレベルが上がります。この例でもわかるとおり、技術もないままに上手く伝えようとするのは、初めて千切りをする小学生と同じ状況なのです。技術は、先に技術を身につけた人から教えてもらえば、誰にでも習得できる、ということです」技術はプロから学ぶのが近道! ということで、次回からは伝え方の第一人者・佐々木さんに、読者からの質問に答えていただきます。 ・「伝え方」のお悩みにアドバイスしてほしい方募集! ・『伝え方が9割』の佐々木圭一氏に聞く、心に響く伝え方
2014年01月30日元プロテニスプレーヤーの杉山愛が、化粧品ブランド「クリニーク」がスポンサーを務める「第6回湘南国際マラソン」で、初のフルマラソンにチャレンジ。こちらにあたって、トップアスリートならではのトレーニング法をシンプルに編集した、エクササイズ動画『RUNNNING Exercise with AI』がYouTubeで配信中だ。数々のタイトルに輝くトップアスリートであり、グランドスラムのシングルス連続出場62回の世界記録を樹立した、ボディメンテナンスのエキスパートである杉山愛。『RUNNING Exercise with AI』では、ウォーミングアップから、コアを鍛えるトレーニング、クールダウンまで、ランナーに必要なエクササイズのポイントを紹介。いよいよマラソンシーズンの到来。楽しく美しく走るために、疲れを残さない効率的な走りをチェックしてみては。関連リンク: クリニーク公式サイト YouTubeクリニーク公式チャンネル 第6回湘南国際マラソンホームページ
2011年09月28日