お笑いコンビ・ハライチの澤部佑、TBSの杉山真也アナウンサーがMCを務める同局の新レギュラー番組『いくらかわかる金?~世の中なんでもHOWマッチ~』が、きょう27日に初回放送を迎える。これに先立ち、澤部と杉山アナは報道陣の取材会に参加。レギュラー化への喜びを伝えた。同番組は、世の中の“ちょっと気になるお金事情”を独自調査し、検証するマネーリサーチバラエティー。調査結果はクイズ形式で出題され、解答者が2チームに分かれて対決する。昨年12月に特番として放送され、今回レギュラー化へと漕ぎ着いた。特番放送後にも多くの反響が寄せられたと言い、初回収録も「すごい盛り上がりでした。チーム戦のクイズ番組はほかにもたくさんありますが、ここまで真剣に競っているのはあまり見たことがないです。」と誇った。特番に続いてコンビを組む杉山アナについては「コンビネーションはもう完璧ですね。一瞬『岩井か…?』と思うくらい(笑)」と言い、「杉山さんはただ進行するだけじゃないんです。視聴者の方もぜひ、その杉山さんの“ムーブ”を楽しみにしていただければ(笑)。杉山さんもすごく楽しいと言ってくれていたので、そういう空気が見ている方にも伝わればいいなと思います」と語った。杉山アナも「ちゃんとご一緒したのは特番のときが2度目くらいで、対面するのもきょうの収録がまだ4回目くらいなんです」と言うが、「すごく息が合っていると感じます」と自信に満ちた表情。続けて「VTRも面白かったですし、この空間も楽しかった。あと、澤部さんとご一緒できていることもそうです。すべてがハッピーな番組だなと思います」と笑顔で伝えた。2人でのMCは「褒め合い、励まし合い、支え合うスタイル」だという澤部だが、「たまにスカしたくなるような場面もあって…」とニヤリ。「報道番組などもやられていて、穏やかで優しいイメージなので、いつかどこかでブチギレる杉山さんが見たいですね」と今後に期待(?)も寄せていた。
2024年04月27日お笑いコンビ・ハライチの澤部佑、TBSの杉山真也アナウンサーがMCを務める同局の新レギュラー番組『いくらかわかる金?~世の中なんでもHOWマッチ~』が、きょう27日に初回放送を迎える。これに先立ち、澤部と杉山アナは報道陣の取材会に参加。2度目のタッグですでに“完成”しているというコンビネーションの良さを伝えた。同番組は、世の中の“ちょっと気になるお金事情”を独自調査し、検証するマネーリサーチバラエティー。調査結果はクイズ形式で出題され、解答者が2チームに分かれて対決する。昨年12月に特番として放送され、今回レギュラー化へと漕ぎ着いた。初回のこの日は2時間スペシャル(後7:54、レギュラー放送は毎週土曜後9:00)となる。初回収録後、杉山アナは澤部とのタッグについて「ちゃんとご一緒したのは特番のときが2度目くらいで、対面するのもきょうの収録がまだ4回目くらいなんですが、すごく息が合っていると感じます」と自信をのぞかせつつ、「VTRも面白かったですし、この空間も楽しかった。澤部さんとご一緒できていることもそうです。すべてがハッピーな番組だなと思います」と笑顔を見せた。取材会ではその満足感があふれ出し、「私ね、本当に楽しかったんです。テレビ局入ってよかった!って思いました」と喜びの声をあげる場面も。続けて「局アナとしてこの立場にいさせていただくことはすごく光栄です。澤部さんとのコンビを通して、アナウンサーとしての“しっかり”だとか“丁寧”といった部分だけではないところも出していきたい」と意気込んだ。この言葉に、澤部もうれしそうに「コンビネーションはもう完璧。一瞬『岩井か…?』と思うくらいでした(笑)」と言い、「杉山さんはただ進行するだけじゃなくて、動きがちょっとおもしろかったりだとか、そういうところも見られます。ぜひいろいろな“ムーブ”に注目していただけたら」と呼びかけた。
2024年04月27日「スケールがやばいっすね!」(※画像は東尾理子さんオフィシャルブログより)東尾理子さんは2009年12月に、21歳年上の俳優・石田純一さんと結婚。2012年11月に第一子となる長男、2016年3月に第二子となる長女、2018年4月に第三子となる次女が誕生しています。東尾さんが石田さんに抱いている不満のひとつが、「勝手に焼肉店を船橋にオープンした」こと。事前に細かな相談もなかったようで、東尾さんは「なにかお店をしたいっていうのは言ってて。最初は違う業種の話をしてて、いつの間にか焼肉店に話が落ち着いてたみたいで、場所も自分で決めてきた」と明かしました。番組MCの神田愛花さんが「出店資金は石田さん個人の?」と尋ねると、「全然違いますよ、家売っちゃって、ぐらいの感じですよ」と東尾さんは答え、出演者一同「勝手にやることの限界値いってますよね」「やっぱりヤバいっすねえスケールがね。それに耐えてる理子さんがすごいけどね」と、スケールの大きさに驚いていました。日常生活でも「保冷バッグに保冷剤ではなく直接氷を入れて生肉を持ち歩こうとする」「いただきものの中身を出したのに紙袋だけそのまま置いてある」など、東尾さんが不可解だと感じることはたくさんあるそうですが、それでも「今、夫への不満がたまりまくってるっぽい」かといえば、そういうわけでもないそう。もう通常運転で、すっかり慣れてしまったといいます。そんな石田さんの尊敬しているところは、「決めたことをしっかり貫く」ところ。石田さんはランニングを毎日続けており、「雨でも雪でも毎日、冬で雪が積もっていても、仕事で地方に行ってジムがなくても、走る。意志の強いところは尊敬している」と明かしました。また、「女性だけでなく、モノとかまでやさしい。自分にない部分があるのはいいなと思う」とも明かし、番組MCであるハライチの2人も「若手芸人にもめちゃめちゃやさしい」と賛同していました。
2024年04月24日昨年デビュー40周年を迎えた杉山清貴&オメガトライブの全国ツアーが絶好調である。この全国ツアーは『杉山清貴&オメガトライブ~FIRST FINALE TOUR 2024~“LIVE EMOTION”』と銘打った“ファイナルツアー”だ。ツアーが始まったと同時に、東京・NHKホール(5月31日)での追加公演を発表したが、瞬く間にチケットが完売した。そして、多くの声に後押しされるように、今回、5月20日(月)NHKホールでの再追加公演が決定した。杉山清貴&オメガトライブは1983年にデビューし、7枚のシングルと5枚のアルバムを発表し「Summer Suspiction」「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語」「ガラスのPARM TREE」などヒット曲を連発。しかし1985年に解散。活動期間はわずか2年8か月だった。杉山はオメガトライブ時代の曲は、オメガトライブの演奏でなければ“きちんと”歌えないという。「オメガの曲は、このサウンドでなければダメなんです。当時ライヴでやっていた演出も再現してみようと思っているので、昔から応援してくれている人たちは懐かしんでもらえると思うし、新しいファン、若い人が来てくれるなら『80年代ってこんなことをやっていたんだ』と、楽しんでもらえると嬉しい。『あなたのお父さんお母さんの青春時代の日本には、こんな素敵な音楽があったんですよ』ということをちゃんと伝えたい」。当時からのファンはもちろん、昨今のシティポップで増えている若い世代のファンにもメッセージを贈った。このラストツアー、今、杉山清貴とオメガトライブのメンバーは、全国の旅を楽しんでいる。5月20日東京・NHKホールでの再追加公演も完売は必至。プレミアムなチケットになるので、早めに確保しておきたい。公演名:杉山清貴&オメガトライブ~FIRST FINALE TOUR 2024~“LIVE EMOTION”再追加公演日程:2024年5月20日(月)開演18:30会場:NHKホール(東京)チケット:11,000円(全席指定・税込)詳しくは公式ホームページまで。 お問い合わせ:キョードー東京0570-550-799(平日11:00-18:00/土日祝 10:00-18:00) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月29日3月8日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に、石田純一(70)が妻の東尾理子(48)と揃って出演。先月2日の放送回では夫婦喧嘩エピソードがVTRで紹介され、石田が妻に放った“暴言”が明かされると批判が殺到する事態に。今回は自ら番組に登場し現在の窮状を語ったが、さほど同情は集まっていないようで……。番組では「不倫は文化」発言の真相や’16年7月の都知事選出馬、コロナ禍の緊急事態宣言下での“外出騒動”を「石田三大騒動」として取り上げた。「突然の出馬表明からわずか3日で撤回した石田さんですが、理子さんは夫から全く知らされていなかったのです。また、特定の候補者が有利になるような人物のテレビ出演は放送法によって禁じられており、当時、理子さんが出演した番組がお蔵入りになるなど仕事にも影響が及んだそうです。石田さんはテレビやCMの差し替えで発生した損害賠償について、理子さんの出演分については『チェックしていなかった』と告白。損害額は数千万にも及び、石田さんは愛車のフェラーリを手放したといいます。コロナ禍での度重なる外出でも世間から批判が相次ぎ、仕事が激減。3億円とも言われた豪邸を手放しました」(テレビ誌ライター)世間を騒がせた数々の“不適切行動”を、番組内で自ら振り返った石田。終盤では’23年5月に千葉県船橋市にオープンさせた焼肉店で、懸命に働く様子に密着したVTRが紹介された。石田は自ら厨房に立ち、提供する肉の部位を店員に指示。「お肉だけは絶対に妥協しない」とこだわりを見せていた。さらに自ら客を迎え入れ、メニューの説明や写真撮影のサービス、ドリンクの提供、客席で肉を焼くといった接客も。それだけでなく皿洗いや掃除機掛け、トイレ掃除といった裏方業務を行う姿も映し出されていた。ほぼ毎日、開店から閉店まで店内を駆けまわっているという。■「座して死ぬよりも打って出よう」「命だって差し出せる」そんな石田はコロナ禍で仕事が激減したことを振り返りつつ、新境地で奮闘する理由をこう語っていた。「個人では新型コロナになってから3、4年しますけど、めちゃめちゃ苦しかったですけど、『座して死ぬよりも打って出よう』っていうのはありまして。人から色々言われようと、やれ『家売った』『車売った』とか。そんなもん良いじゃないですか。自分の物を売るんだから。今までで人生で残ったお金をつぎ込んで、生きていくのに必要なお金というものは稼がなくちゃいけないなってのがありました」テロップには「大切な家族を路頭に迷わせるわけにはいかない」と表示され、石田は家族の存在について「彼らのためだったら自分が早死にしようが、それこそ命だって差し出せるくらい大事なものです」とコメント。「無理してでもこれをなんとか維持して、子供たちがある程度物心がつくまで、苦労させないで伸び伸びしてもらいたかった」と、家族を守り通す決意を熱弁した。そして焼肉店が閉店すると、「終電なんで」と駅に向かって帰路についたのだった。本誌も昨年7月中旬、閉店後に近所の飲食店でひとり飲みしたあとに、電車に間に合うために“終電ダッシュ”する石田の姿を目撃している。経済的な窮状を訴えつつも家族のために身を粉にして働く石田に、ネットやSNSでは《応援したくなる》《石田さんがスゴいと思うのが、人生諦めないということ》とエールが。だがいっぽうで、仕事を失ったことは“自らが招いた結果では”と厳しい声も上がっている。《この人メンタル強過ぎよな》《石田純一さん自業自得ですね》《ダメな事して、俺頑張ってますって言われても・・・・》《自業自得のような気もするが???? それに自身の焼肉店でしょう?? オーナーなんだから、皿洗い・床掃除も当然だと思うが????》
2024年03月13日「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」一昨年の12月、本誌の直撃にこう訴えていたのはタレントの石田純一(69)。これまでも数々の発言で議論を巻き起こしてきたが、コロナ禍の”問題行動”の痛手は大きかった。’20年4月、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言のもと、県外からの来訪自粛が要請されていた沖縄県でゴルフ中に体調を崩し、コロナ感染が明らかになった石田。一時は生死の境を彷徨うほどの容態となった。「このことで、周囲への影響の大きさを痛感したかと思いきや、その後もノーマスクで出歩く姿や、飲み歩く様子がキャッチされ続けました。その余波もあってか、仕事が激減。本人もCMがなくなって6千万円ほど収入が減ったと話しており、石田さんも焦っているのか、‘20年の夏には葉山にあった別荘を売却しています」(前出・芸能関係者)さらに、家庭不和の気配も。「妻の東尾理子さん(48)が、よく身に着けていた結婚指輪を’21年の秋ごろからつけなくなったんです。また、石田さんも、食事会で『離婚するかもしれない』とこぼしていたといいます」(芸能関係者)本誌は石田の本心を探ろうと、本人を直撃。すると、石田は冒頭のように断言したのだった。あれから2年、石田はどのようにすごしているのかーー。「家庭崩壊宣言の直後、石田さんは’21年のクリスマスイブには3億円の豪邸を売却しました。売却理由の一つとして、長女が4月から有名私立小に進学するために、その近所への引っ越しを検討していたそうです。とはいえ、建ててからまだ8年でローンも1億円以上のこっていたそうなので、早急な感じは否めません」(前出・芸能関係者)■極寒の中ママチャリ送迎、焼肉店で接客…そして年が明けた’22年1月には、当時、石田の唯一のレギュラー番組であったラジオ『斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!』(文化放送)が同年3月をもって終了することが明らかに。その翌月、石田はFRIDAYのインタビューで、収入減少によって《理子はあまり口をきいてくれなくなった。『子供のお迎えに行ってくれますか』とか最低限》と語っていた。レギュラー番組が消滅し、家庭崩壊の危機に陥った石田。しかし本誌は今年、再起にむけて悪戦苦闘する石田の姿をたびたびキャッチしてきた。1月下旬には、石田が極寒の中ママチャリで娘を送迎する姿を目撃。石田にしては珍しく、ショート丈の靴下をはいていた。近所の住人によると、近頃は毎朝、石田が長女を乗せて自転車で走る姿が目撃されているという。5月には焼き肉店『炭火焼肉ジュンチャン』を開業。オープンまでに、総額5千万円を費やしたといい、『アサヒ芸能』7月6日号ではその意気込みを《自分のお金が残り少なくなってきちゃって。あるうちに最後の勝負です》と語っていた。「石田さんは何としてでも、焼き肉店を成功させようと頑張っているそうです。お店に立つ日にはテーブルを回って接客。石田さん目当てのお客さんもそうじゃない方も、喜ばれていますよ。毎日23時くらいの終電に乗って、家につくのは深夜1時だそう。ハードな日々ですが、お子さんもまだ小さいので”稼がないと”という思いもあるのでしょう」(前出・芸能関係者)本誌はそんな石田が7月中旬、閉店後に近所の飲食店でひとり飲みする姿を目撃した。当時居合わせた客は「店内で飲んでいた女性から『わ~、かっこいい』と言われ、石田さんは笑顔で会釈していました」と語っており、人気は健在のよう。石田は23時過ぎにお店を出ると駅へ猛ダッシュ!その肩では“純一巻き”したセーターが羽ばたいていた。芸能活動も徐々に増えてきている。今年7月には、息子・いしだ壱成と親子初共演した映画『散歩屋けんちゃん』が公開。また10月からは、『ゴルフ大好き 対決! 我ら野球人』(BSフジ)のMCを務めており、久々のレギュラー番組となった。とはいえまだまだ完全復活とはいかないよう……。来年は、芸能界でも再活躍の年となるか!
2023年12月15日2023年にデビュー40周年を迎えた杉山清貴&オメガトライブのファイナルツアー「〜FIRST FINALE TOUR 2024〜 “LIVE EMOTION”」の開催が決定した。1983年4月にシングル「SUMMER SUSPICION」でメジャーデビューし、1984年1月発売の「君のハートはマリンブルー」、1985年3月発売の「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」など、7枚のシングルと5枚のアルバムをリリースしてその活動を終えた。彼らが生み出した楽曲は時代を超えてもなお輝き、昨今の“シティポップ”再評価&再発見というムーブメントもあって、国内のみならず、海外でも愛聴者が急増。80年代にリアルタイムで聴いていた世代はもちろん、若い世代にもその瑞々しいサウンドと楽曲が浸透している。今回のツアーに参加するメンバーは、杉山清貴(ボーカル)、髙島信二(ギター)、吉田健二(ギター)、大島孝夫(ベース)、廣石惠一(ドラム)、西原俊次(キーボード)、大阪哲也(キーボード)、Juny-a(パーカッション)の8人。パフォーマンスと演奏能力の高さに定評のあるメンバーたちによる“青春の80’sシティポップ”の再現は、あの日の思い出がよみがること間違いなし。“ファイナル”と銘打たれるツアーだけに、ここで会えなかったら一生会えない、一生聴けないかもしれない。2024年3月9日の東京・府中の森芸術劇場どりーむホールを皮切りに、ファイナルの昭和女子大学人見記念講堂まで、全国各地でオメガトライブサウンドを届けてくれる。この機会を逃さないようにチェックしてもらいたい。〜FIRST FINALE TOUR 2024〜 “LIVE EMOTION”2024年3/09東京府中の森芸術劇場 どりーむホール3/16山梨YCC県民文化ホール 大ホール3/17松本まつもと市民芸術館 主ホール3/20栃木宇都宮市文化会館大ホール3/22,23大阪フェスティバルホール3/30名古屋日本特殊陶業市民会館フォレストホール3/31埼玉大宮ソニックシティ 大ホール4/06静岡アクトシティ浜松 大ホール4/07横浜神奈川県民ホール4/13兵庫神戸国際会館こくさいホール4/14愛媛松山市民会館 大ホール4/20金沢本多の森 北電ホール4/21新潟新潟テルサ4/28広島広島上野学園ホール4/29福岡福岡サンパレスホテル&ホール5/03仙台仙台サンプラザホール5/04山形シェルターなんようホール 大ホール5/06岩手北上市文化交流センター さくらホール 大ホール5/11京都ロームシアター京都 メインホール5/12静岡沼津市民文化センター 大ホール5/15札幌Zepp Sapporo5/16函館函館市民会館5/19千葉市原市市民会館5/22,23東京LINE CUBE SHIBUYA5/26東京昭和人見記念講堂料金:11,000円(税込) *メモリアルカード付き*未就学児童入場不可公式ホームページでは10月7日12:00より先行販売スタート! 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年09月30日「石田純一さん(69)の姉で音楽家の桃子さん(享年72)の司法解剖が先日終わりました。“孤独死“だったこともあり、思った以上に時間がかかってしまったのです。葬儀の話し合いなどはまだ進んでいないといいます。石田さんは船橋に焼肉屋をオープンしたばかりで、桃子さんが亡くなるまでは毎日のように通って接客をしていました。しかしお姉さんが亡くなってからは休む日も出てきているといいます。ひどく傷心しているようですね……」(石田の知人)9月13日の『デイリー新潮』で桃子さんが逝去しており、石田が第一発見者だったと報じられた。あれから1週間が経ったが、石田は今なお悲しみの日々を過ごしているという。「お姉さんはピアニストですが、石田さんが生活を援助することもあったといいます。そういったこともあって毎月、連絡を取り合っていたそうです。最後に連絡を取ってからすこし期間が空いてしまったときに、実姉の友人から『お姉さんと連絡がつかない』と知らされたといいます。何度電話しても繋がらず、9月1日に東京都・練馬区にあるお姉さんの部屋へ向かったところ亡くなっていたのです」(前出・石田の知人)記事では現場の状況から熱中症による孤独死だったと推測され、石田が提供したクーラーの設置が完了していなかったと報じられていたがーー。「石田さんは今も『僕がエアコンを設置して使い方を教えるところまでやってあげていたら……』と後悔にさいなまれています。そして、石田さんの両親はすでに他界しているため『もう誰もいなくなってしまった……』とかなり落ち込んでいるそうです」(前出・石田の知人)妻・東尾理子(47)ら家族の支えを受け、心の傷が少しでも癒えることを願うばかりだ。
2023年09月22日高校球児たちを応援する観客であふれかえる阪神甲子園球場。8月中旬、石田純一(69)と妻・東尾理子(47)もその中におり、長男・理汰郎くん(10)も一緒だった。夫妻の知人は言う。「実は、有名私立大学の附属小学校に通う理汰郎くんの先輩たちを一家で応援しに来ていたのです。理汰郎くんは地元の少年野球チームに所属しており、内野手として活躍。昨春に行われた渋谷区内の少年野球大会の公式戦ではチームが優勝を果たしました」理汰郎くんは東尾家のDNAを強く受け継いでいるというのだ。「理子さんはプロゴルファーですし、祖父・東尾修さんはプロ通算251勝をあげた名投手です。幼稚園からキャッチボールをして指導していた修さんは近しい人に『プロになれる!』と真顔で話しています」(前出・夫妻の知人)理子は理汰郎くんへの期待をインタビューでこう語っている。《このまま野球を続けていけば“東尾修の孫”と呼ばれるときが来るでしょうね。経験上それは良いことも悪いこともありますけど、特別な環境にいるということを自分なりに理解してくれると思っています》(’22年9月19日「Number Web」)もちろん石田も長男をサポート。「現在は千葉・船橋に開業した焼き肉店へ連日のように通勤していますが、週末は理汰郎くんの練習や試合で車が必要なことが多く、できる限り運転手として送り迎えをしています」(前出・夫妻の知人)だが、石田の知人はこう語る。「石田さんは義父・東尾修さんに遠慮して、理汰郎くんの野球教育には積極的に口を出さないようにしているのですが、もともとエースで4番の“二刀流”高校球児だったんです。できればもっと野球を教えて大谷選手のように世界へ羽ばたいてほしいと願っています」石田は都立青山高校時代に在籍した野球部の思い出をインタビューでこう語っている。《馬のように走って足腰を鍛えたり、ノックを受けたり》《飛び抜けた投手ではなく、打撃のほうが自信がありました》(「withnews」’15年7月7日)石田によれば、当時は足も速く、盗塁は一度も刺されたことがなかったという。高3の夏、甲子園を目指した東京大会は3回戦で涙をのんだそうだ。そんな石田が期待を寄せる理汰郎くんは、早くも海外へーー。15日、理子は自らのSNSで、長男の“一人旅”を明かしている。《長男10歳の夏、アメリカ一人旅野球キャンプへ飛び立ちました》空港での親子2ショットをアップし、ホームステイ先へのお土産を一緒に準備していた。前出・石田の知人は言う。「もし理汰郎くんが本気で大谷翔平のようになりたいと言えば、石田さんは全力で応援します。『俺も負けられない』と焼き肉店と芸能活動の“二刀流”に励んでいます」長男の野球への情熱が、いまの石田のエネルギー源のようだ。
2023年08月23日「私、石田純一は数年前にコロナに罹患し、社会の皆様に大変な不安とご心配とご迷惑をおかけしましたことを深く深くお詫び申し上げます」6月1日にアップされたYouTube動画で、こう語ったのは石田純一(69)だ。さかのぼること’20年4月、新型コロナウイルスが世界的に流行し始め、日本でも初めて緊急事態宣言が発令されていた最中、石田は訪れていた沖縄県のゴルフ場で新型コロナに感染。一時は生死をさまようほどの重症に。さらに、石田が沖縄を訪問したのが外出の自粛が要請されていた緊急事態宣言中だったことから、自分本位な行動は物議を醸した。にもかかわらず、石田の“自粛やぶり”は止まらず、以後“飲み歩き姿”が何度も報じられることに。本誌も退院から数週間後の5月下旬と8月中旬に会食する石田の姿を目撃している。どちらも石田はアルコールが入ってへべれけ状態。さらにノーマスクで家路に向かっていた。「石田さんは度重なる身勝手な行動によって『石田純一のサンデーゴルフ』(テレビ東京系)などのレギュラー番組を失いました。仕事のオファーだけでなく、収入も激減。さらに推定3億円とも言われる都内の豪邸を売却し、別荘も売りに出しました。経済的な事情もあり、東尾理子さん(47)との夫婦関係にも隙間風が。知人と食事した際、『離婚するかもしれない……』とこぼし、かなり思い悩んでいる様子だったといいます」(芸能関係者)’21年12月上旬、本誌が直撃した際、「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!」と激昂していた石田。そんな石田は今年5月16日、千葉県船橋駅近くに焼き肉店「炭火焼肉ジュンチャン」をオープン。そして6月1日、3ヵ月ぶりにYouTubeを更新し、謝罪動画をアップした。動画内で石田はスーツ姿で一礼し、冒頭のように謝罪。続けて「いろいろな仕事の関係者に説明と謝罪を致すために、会合を持って食事に出たりしたことを深く深く反省致しております。申し訳ありませんでした」と言い、頭を下げると動画は終了。再生時間はわずか48秒だ。この50秒にも満たない謝罪動画への世間の反応は薄いようで、再生回数は5日14時30分現在で701回。またグッドボタンも30回に留まっている。石田は「深く深く反省しております」というが、突然の謝罪にネットでは厳しい声がこう上がっている。《これは謝ったところで本人ほんとに悪いと思ってる?メディア復帰狙ってのパフォーマンスじゃね?》《焼肉屋さんをオープンされるようですし少しでも注目されれば…の思いなんですかね》《今更。。。なんなんだろうこの人》《本当に仕事がなくなり収入が無くなったから仕方なく謝罪をしたのでは?》石田のお詫びの気持ちが届いているひとは少ないようだ。
2023年06月05日GW真っただ中の5月初旬、千葉県船橋市内に石田純一(69)の姿があった。あるマンションに車で乗り付けると、関係者らしき男性に手伝ってもらいながら荷物を持って1階の店内へ入っていく。表の看板は以前の店名を隠してあり、新店舗の準備中のようだ。しばらく滞在後、出かけていった。「石田さんは’17年11月に沖縄で冷麺店を開きましたが、昨夏に大雨による浸水被害にあうなどして休業中です。メディア出演の激減もあり、高級焼き肉店開業を思い立ったといいます」(石田の知人)4月27日に出演した『ぽかぽか』(フジテレビ系)でも「来月、焼き肉店をオープンする」と“におわせ”ていた石田だが、なぜ船橋を選んだのだろう。「船橋の物件は関係者に紹介されたようです。石田さんは有名な焼き肉店の経営者と親しいので、良質な牛肉を安価で仕入れるルートを手助けしてもらっているのかもしれません」(前出の知人)地元の住民はこう語る。「もともと、ここはお好み焼き店でした。コロナの影響もあり、昨年10月に閉店してしまいました。最初から鉄板があるので、焼き肉店でも有効活用できるし、設備投資が節約できそうですね。店名は『炭火焼肉ジュンチャン』だそうです。オープンは5月中旬だと聞いています」焼き肉店といえば、石田にはある因縁がーー。’21年1月、コロナ禍の緊急事態宣言下、石田は都内の高級焼き肉店で大人数で会食をしていたことで、世間から顰蹙を買った。そんな苦い過去がよみがえる焼き肉店をあえて選んだ石田。そこに某芸能人の影響を指摘する声も。「渋谷で焼き肉店をオープンさせ、いまのところ順調な宮迫博之さんに刺激を受けたのではないでしょうか。お互い不祥事でテレビの露出が減ったことも共通していますし。“宮迫さんが成功したなら、自分もできる”と思ったのかもしれません」(芸能関係者)とはいえ、焼き肉店の経営はそう簡単ではないようだ。水野総合FP事務所の水野崇代表は言う。「飲食店の廃業率は開業1年で3割、2年で5割、5年で6割といわれ、それも個人オーナーの廃業率が最も高い。また、廃業率が低いのがすし店とフランス料理店。対極に廃業率が高いのが焼き肉店やラーメン店で“始めやすいけど続きにくい”業態といえるでしょう。焼き肉店であれば仕入れが相当うまいとか、オーナーの知名度だけでは難しい。成功するのは、ほんの一握りです」再び店に戻ってきた石田は、スマホで開業の関係者らしき人物と電話をし始めた。「大変」と繰り返しながらも、「野菜が大事なんですよ~」オープンが楽しみで仕方ないといった満面の笑みを浮かべていた。来年70歳を迎える石田。“因縁の焼き肉店”でリベンジなるかーー。
2023年05月10日なにかとお騒がせな石田純一(69)。最近も“落ちぶれ”ぶりをネタにして話題を集めていたが、実情は少し違うようで――。全国で緊急事態宣言が発令されていた2020年4月に、沖縄県を訪れ新型コロナに感染し、大顰蹙を買った石田。コロナ禍初期の“自粛破り”の代償は大きく、テレビのレギュラー番組を失うなど、仕事面に大打撃を与えた。しかし、石田に反省する様子はなく、退院直後から飲み歩く姿が各所で報じられることに。本誌も2020年5月下旬と同年8月の2度にわたって、深夜まで飲み会に興じ、へべれけになりながらノーマスクで帰宅する石田の姿を目撃している。イメージ悪化によりオファーも激減した石田だが、起死回生の一手として、2021年1月には公式YouTubeチャンネル「じゅんちゃんねる」を開設。最初こそ再生回数が10万回を超える動画もあったものの、登録者数が伸び悩み、2021年8月24日を最後に更新が途絶えている。その影響は家庭にも。2020年6月に葉山の別荘、2021年12月に推定3億円の都内にある豪邸を売却していたことを本誌はキャッチ。2021年12月、豪邸売却について直撃した際、石田が「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」と激昂するなど、かなり追い込まれた様子であることが伺えた。さらに昨年3月にはパーソナリティを務めていたラジオ番組も終了してしまい、すべてのレギュラー番組が消滅。テレビ出演の機会が激減するなか、2月8日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)に出演したのだが……。石田は、お笑いコンビ ザ・マミィの酒井貴士(31)への「予告ドッキリ」の1企画である「かつての人気芸能人の自宅がめちゃくちゃ小ぶり」に仕掛け人として登場。細長く非常い狭いニセの自宅を酒井に案内するというもので、テレビとソファの距離が数十センチ、一つのベッドに子供3人と寝ているなど、決して裕福には見えないニセの暮らしぶり。しかし、酒井はこれをドッキリと見抜くことはできず、ネタバラシをされると「石田純一さん、ちゃんと生活できてるんですね。良かった~」と安堵。スタジオゲストのNMB48渋谷凪咲(26)も「石田さんのだけ悲しい気持ちに……」とコメントするなど、石田の“落ちぶれドッキリ”に苦笑していた。芸能人も困惑した石田の落ちぶれネタだが、実は私生活に“意外な収入源”があるという。「メディアからのオファーは激減した石田さんですが、パチンコ店などのアミューズメント施設を運営する会社のイメージキャラクターを務めています。この収入が年間5千万円ほどあるそうです」(石田の知人)本誌2月7日号でも、スポンサーに誘われて石田が1泊3日の弾丸旅程でハワイへゴルフ旅行に行ったことを報じている。今年7月には息子・いしだ壱成(48)との初の共演映画『散歩屋ケンちゃん』も控えている石田。浮上の時は意外に近いのかも?
2023年02月10日「石田純一さん、ちゃんと生活できてるんですね。良かった~」こう語ったのは、お笑いコンビ ザ・マミィの酒井貴士(31)。2月8日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)内では、毎年恒例「予告ドッキリ」の一つとして、「かつての人気芸能人の自宅がめちゃくちゃ小ぶり」という企画を実施。酒井がニセ番組のロケで、仕掛け人である石田純一(69)の細長くとても狭いニセの自宅を訪れるというもので、ソファとテレビの距離が数十センチ、子供3人と1つのベッドで寝ているなど、5人家族にはあまりにも小さい家で生活している様子だった。このロケがドッキリであったことを知らされると、酒井は冒頭のようにコメント。スタジオでVTRを見ていたゲストのNMB48の渋谷凪咲(26)は、「全体的にめっちゃ面白かったんですけど、石田さんのだけ悲しい気持ちに……」とコメント。野性爆弾のくっきー!(46)も「怖い番組ですわ」と神妙な様子だった。芸能人でさえも現実かドッキリか判断がつかなかった石田の生活ぶりだが、それもそのはず。ここ数年、石田は自身の行動によって数々の窮地に陥っていた。発端となったのは、新型コロナウイルスが世界的に流行し始め、日本でも初めて緊急事態宣言が発令されていた2020年4月。当時、訪れていた沖縄県のゴルフ場で石田は新型コロナに感染、一時は生死の境を彷徨うほどの容態に。その後、無事に回復したものの、緊急事態宣言中に沖縄県まで出向き、感染した石田には批判が殺到。その余波で、地上波のレギュラー番組も失うなど大きな痛手を負うことに。奔放な言動で知られる石田だが、さすがにこれで懲りるかと思いきや……。飲み歩く姿がたびたび報じられ、本誌も退院から数週間後の2020年5月下旬と8月中旬に会食する石田の姿を目撃。どちらもへべれけになるまで飲酒し、さらには“ノーマスク”で帰路についていた。批判を浴びながらも、自分を貫き続ける石田。8月の会食を目撃した数日後、石田に家庭への影響を尋ねたが「離婚はない」「妻は怒ってないと思う」と省みる様子はなかった。しかし“無反省”の代償は大きかった。収入が激減しただけでなく、2020年6月には葉山の別荘を、2021年12月には推定3億円と言われる都内の豪邸を売却したことを本誌は報じている。石田とともにこれまで数々のピンチをともに乗り越えてきた妻の東尾理子(47)だけに、一連の行動にも寛容でいるのだろうか。しかし、決してその心中は穏やかではなかったようだ。「石田さんがコロナに感染した際に理子さんが付きっきりで看病したのに、石田さんはその後飲み歩きばかり。また、イメージ悪化で石田さんが仕事を失っただけでなく、理子さんもゴルフ業界の仕事をすべて降板したそうです。当然、夫婦仲も次第に悪化していき、石田さんは飲み会で“離婚するかもしれない”と不安を漏らすようになったといいます」(理子の知人)石田も焦りを感じているようで、2021年12月に本誌の直撃に対して「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」と激昂。また昨年2月にもFRIDAYのインタビューで《6,000万円の収入が吹き飛び、理子はあまり口をきいてくれなくなった。『子供のお迎えに行ってくれますか』とか最低限》と語っていた。次第に夫婦のパワーバランスも逆転していくことになり――。「豪邸を古くから付き合いのある実業家に売却した際、なんと理子さんに相談せず言い値で売ってしまったそうです。相場の半分ほどの値段だったようで、理子さんも大激怒。しばらく石田さんとは口もきかなくなったそうです。また石田さんにはオファーがほとんどこなくなったことで、石田家の家計は理子さんの収入が支えていると聞いています」(前出・知人)立場が逆転した結果なのか、本誌も今年1月下旬にママチャリに愛娘を乗せて送迎する石田の姿を目撃したばかりだ。“自業自得”の行動によって、公私ともに信頼を失うこととなった石田。果たして、一発逆転の秘策は――。
2023年02月09日吐く息が真っ白になった1月下旬の朝、都内でも有数の高級住宅街を真剣な面持ちで疾走していたのは石田純一(69)だった。かつてフェラーリ好きとしても有名だった石田だが、この日彼が乗っていたのは自転車。いわゆる“ママチャリ”で、後部についたチャイルドシートには小学1年生の愛娘が座っていた。“私生活ではまったく靴下を履かない”といわれている石田だが、寒さには勝てないのかショート丈のソックスを履いていた。一昨年12月に、3億円ともいわれた豪邸を売却し、石田一家がこの住宅街に転居してから、1年ほどになる。石田の知人はこう語る。「理子さんとの長女が昨年4月に入学した名門小学校の入学条件は、“徒歩30分以内に在住”で、それを満たすための引っ越しでした」近所の住人によれば、最近は毎朝、石田が長女を乗せて自転車で走る姿が目撃されているという。元祖トレンディ俳優として一世を風靡した石田だが、最近は公私ともに厳しい状況にある。「’20年4月、沖縄県知事が来県自粛要請を出すなか、石田は当地でゴルフを楽しみ、コロナに感染。猛バッシングを受け、イメージが大幅に下落したのです。回復後も深夜にノーマスクでバーに通うなど気ままな行動を続け、東尾理子さん(47)との夫婦関係も悪化しました」(芸能関係者)前出の石田の知人によれば、「石田さんは一時、“離婚するかもしれない”と苦悩を漏らしていましたが、子供たちが名門私立校に入学したこともあり、離婚危機はなんとか回避したようです。また石田さんの収入の激減も夫婦の力関係に悪影響を及ぼしています。絶頂期は年収3億円ともいわれていましたが、出演していたラジオ番組も昨年3月に終了してしまい、現在はレギュラー番組を持っていません。いまの主な収入は、パチンコ店などのアミューズメント施設を運営する会社のイメージキャラクターとしてのもので、年間5千万円ほどのようです。その分、妻の理子さんが稼ぐしかないのです」1月26日には昼のバラエティ番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)に夫婦でオンライン出演している。「実は5年ほど前にイベントで理子さんが、石田さんのママチャリデビューを明かし、『70歳になっても送り迎えをする日がくるかもしれませんね』と、笑っていましたが、それも現実になりつつあります。’21年には石田さんが超高級電気自動車でお子さんの送迎をしている姿も週刊誌で報じられていますが、いまはもっぱら自転車を使っているのも理子さんの意向です。“収入が減って、電気代や物価も高騰しているのに、車での送迎なんて贅沢”ということなのでしょう」(前出・石田の知人)前述の『ぽかぽか』では、よい父親の心得について、こう語っていた石田パパ。「汚れ仕事は全部父親がやるということですね、トイレの掃除とか。どちらかというと皆嫌だったりするので、ゴミ出しとかちょっとしたお皿だとか。外壁だとか汚ないところがあれば、だいたいやります」極寒の中の自転車送迎にも、家庭に居場所を作るための悲痛な覚悟が秘められているのか。
2023年02月09日俳優・いしだ壱成(48)の所属事務所が1月30日にインスタグラムを更新し、同14日に69歳を迎えた父・石田純一の誕生日を、いしだがサプライズでお祝いしたことを報告した。誕生日パーティーは東京・赤坂のラウンジで、仕事関係者数十人を集めて開催されたという。本誌は当日の様子をいしだに聞いた。「綺麗どころの若い女性も呼んでいたので、父は相変わらずでした。僕なんかと話すよりず~っと女の子としゃべっていましたね。『壱成、この子可愛いんだよ!』と興奮する父に、僕が“そうだよね、可愛いよね”と淡々と返して。親子の会話なんてそんなものです(笑)」パーティーでは、マイクを手にしたいしだが父にバースデーソングをプレゼントしたところ、思わぬ親子デュエットが実現したという。「周囲から“親子で一曲カラオケ歌ってくださいよ”と囃し立てられまして、僕がとっさにプリンセスプリンセスの『M』を入れて、父と二人で歌いました」実は’94年に自身の作詞作曲で歌手デビューを果たし、現在はDJとしても活動するいしだ。歌い終えた後に純一から「いやぁ壱成は歌が上手いんだなぁ~」と言われことには、何をいまさらと困惑したという。それでも、「父が楽しんでくれたならそれで良かったかなと思います。父の仕事もだいぶ安定してきたようで、元気そうでしたので」と微笑む。すでにクランクアップした映画『散歩屋ケンちゃん』(7月公開予定)では親子初共演も果たし、一時は距離のあった父との関係も良好だという。「父の根幹である俳優としての部分を垣間見れたというか、ああやっぱり役者さんなんだなと思って。例えば、撮影現場のモニターで演技を確認した父が“この置物が気になるからどかしてください”とか細かいことも監督さんに言うんです。自分の出演場面だけでなく、“壱成の演技、こうした方がわかりやすいと思うよ”というアドバイスも出してくれて。共演を機に親子の仲はすごく良くなりましたね」“トレンディ俳優の元祖”と呼ばれた父に対して、『未成年』『聖者の行進』(ともにTBS系)など人間社会の闇を描いた脚本家・野島伸司の作品に欠かせない俳優だったいしだ。演技力に関しては「僕のほうが上手いと思ってます(笑)」と自信をのぞかせる。先日出演したバラエティ番組『ゴタクを並べてワッハッハ』(日本テレビ系)では、過去の交際人数を1000人と発言したことも話題になった。「リップサービスではないですよ。この年になって父に似てきたかもしれませんね。いくつになっても活力や興味を失わない、父のそういう面は見習っていきたいですね」
2023年02月02日「石田さんは1月中旬にプライベートでハワイに行ったんです」(石田の知人)石田純一は1月14日が69歳の誕生日だった。彼の誕生祝いを兼ねたハワイ家族旅行かと思いきや、妻・東尾理子(47)は日本にいた。誕生日当日の彼女のブログでは、先日参加したというチャリティゴルフイベントの様子が公開されているが、石田の誕生日であることにはまったく触れていない。「石田さんは3年前の春、外出自粛要請中に沖縄へゴルフに行ったことで激しいバッシングを受けました。あきれた理子さんはそれ以降、わざと石田さんの誕生日には何もしてあげないことにしたそうです」(前出・石田の知人)仕事でも家族旅行でもなくハワイへーー。そのハワイには昨年10月8日に急逝した石田の元妻・松原千明さん(享年64)のお墓がある。石田は訃報直後、都内で会見を開き、悲痛な面持ちで、「自分が先に逝くと思っていました。責任の大部分は僕にある」と神妙に語っていた。石田と松原さんは’88年に結婚。’90年に長女のすみれ(32)が誕生。しかし、石田の不倫が発覚したことから’99年に離婚している。母の死に大きな衝撃を受けたすみれは、昨年のクリスマスにハワイへお墓参りに行ったという。「すみれさんは昨春出産した男の子を松原さんに一度も会わせられなかったことを、とても悔やんでいました。『孫の顔を見せに行く』と夫と長男を連れハワイを訪れたんです」(すみれの知人)だが、石田のハワイ行きには別の目的があった。「ハワイへは石田さんがずっとお世話になっている大切なスポンサーさんに誘われて、ゴルフへ行ったと聞いています。1泊3日という超弾丸旅行だったそうです。石田さんとしては、せっかくハワイへ行くのでついでに千明さんのお墓参りも……と考えたそうですが、あまりに短期間の滞在だったためかなわなかったみたいですね」(前出・石田の知人)このところ、メディア露出がほとんどなくなった石田だが、今年は期するところがあるようだ。「レギュラー番組は次々に終わり、沖縄の冷麺店も閉店してしまいましたが、今年は単発のテレビ番組に積極的に出演予定だそうです。また2月からは新しい映画の撮影に参加します。理子さんとの3人のお子さんもまだ小さいですし、『今年こそは心機一転で頑張ります』と意気込んでいると聞いています」(前出・石田の知人)“ついで墓参”は実現しなかった石田。自らの旅費でハワイの墓前に手を合わせる日はくるのかーー。
2023年01月26日2022年も、芸能ニュースに登場することの多かった石田純一(68)。10月には元妻の松原千明さん(享年64)が米ハワイの自宅で急逝していたことが判明。会見では「人生を一緒にやった(歩んだ)時期もあって、本当に寂しいですね……」と涙をこらえながら語った。その松原さんと離婚後、‘09年に再々婚した東尾理子(47)との“愛の巣”だった自宅を売却していたことを本誌は1月に報じている。「‘12年に長男・理汰郎くんが誕生した翌年に完成した“推定3億円“ともいわれる都内の一等地にそびえ立つ豪邸です。リビングには高級家具が並び、ベランダには200万円の特注檜風呂があったほど。年齢的にも“終の棲家”だと思われていたのですが……」(スポーツ紙記者)本誌は自宅を売却する直前に石田本人を取材したが、「家庭もすべて崩壊していますから!」と激高していた。‘20年4月の緊急事態宣言中に沖縄でコロナに感染し、その後も“ノーマスク”会食が世間から批判を浴びた石田。それ以降仕事が激減し、自ら「6千万円ほどの収入がなくなりました」と語っていた。「表向きの理由としては、2人の長女が今年春に有名私立小学校に進学したため、その学校の居住条件にあわせたというもの。ただ、実際には経済的な側面も大きかったのです」こう語るのは、石田の知人だ。「石田さんの自宅を購入したのは、都内で有名焼き肉店を経営する実業家のAさんです。石田さんとは40年来の付き合いでかなり信頼している間柄ということもあり、石田さんが独断で売却を決めてしまったそうなんです。ただ、あの豪邸の相場は3億円とも言われていたにもかかわらず、人のいい石田さんはAさんの“言い値”で決めてしまったそうで……。金額は相場の半分ほどだったとか。当然、妻の理子さんは夫に呆れて、その後はしばらく口もきいてもらえなかったそうです。そういったこともあり、石田さんも取材に対して“家庭も崩壊している!”などと言ったのではないでしょうか」現在は高級住宅地にある一軒家を借り、家族と平穏に暮らす石田。2023年も“活躍”が見られるだろうか。
2022年12月17日元女子の井上健斗さんが、元女子の杉山文野さんをゲストに迎えたコラボYouTubeから、文野さんファミリーの妊活・子育てについて紹介します。元女子の文野さんは女性のパートナーと、精子提供をしてもらったゲイの男性と3人で2人の子どもを育てている5人家族(動画の中では子どもは1人ですが、現在は2人目が産まれました)です。トランスジェンダーの健斗さんが思う新しい家族の形とは……!? 動画では、FtM(Female to Male/性自認が男性のトランスジェンダー)の健斗さん(画像右)が、同じくFtMである杉山文野さん(画像左)ファミリーの妊活・子育てについて質問。その様子を対談形式で紹介しています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 戸籍を変えない理由文野:僕は性的指向や性自認にかかわらず、自分らしく生きることができる社会を目指す団体「東京レインボープライド」を運営しています。個人としては、企業や学校、自治体でダイバーシティに関する研修活動やLGBTQの子どもたちのサポート活動などもをしています。今でも、戸籍上は「女性」です。 健斗:戸籍を変えない理由は? 文野:僕は乳房切除はしているけど、子宮卵巣の摘出はしていないので、戸籍の変更をすることができません。個人的には、身体の違和感から手術をするのは良いけど、手術したいと思っていないのに、戸籍変更の為に手術をするのは変だなと思っています。僕自身はこれ以上、身体も心にも、さらに金銭的な負担をかけてまで生殖機能を取り除くことはしなくて良いと思っています。子どもが欲しいと思ったきっかけ 文野:もともと僕自身は子どもを持つ未来を考えていませんでした。でも2012年に、女性から男性に手術をして戸籍変更をした前田さんという方が【性同一性障害でも父になりたい】と訴えた裁判があり、この判決が僕の人生を変えました。 この方は、女性と結婚して第三者から精子提供を受け、パートナーが妊娠・出産をしたけれど、嫡出子として認められなかったんです。僕はその裁判をニュースで見た時に、「FtMが子どもを持つなんて無理でしょ……」と思っていました。 でも、ひょんなことからその裁判の手伝いをすることになり、実際に会ってみると、どこからどう見ても素敵なファミリーで、これを家族と認めない日本の法律というものに疑問を持ちました。 さらにこのとき、血縁関係にこだわらなければ、子どもを持つということが具体的な選択肢の一つとして感じられました。 結果、最高裁で「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という民法が適用されると判断されたのをきっかけに、子どもを持つことを真剣に検討するようになりました。 僕には10年くらい一緒にいる女性のパートナーがいるのですが、当時彼女の年齢が30歳前後だったので、動き始めるなら年齢的に今かなと思ったことも大きいです。 子作りの方法健斗:どうやって子作りをしましたか? 文野:出産に関する選択肢として話し合った結果、彼女は「自分が産めるなら産みたい」、精子提供は「まったく知らない人からは怖い」と言ったことから、知り合いから精子提供をしてもらい、彼女が出産しようということになりました。 様々に話し合いをした結果、ゲイの友人から精子提供をしてもらうことになり、体外受精で彼女が妊娠・出産をして、今は子どもがいます。 精子提供を受けるにあたって 文野:僕は、異性愛者の人から精子提供を受けることには嫉妬があるから、ゲイの人からの提供してほしいと考えました。 誰が良いか考えたときに、ゲイの中で一番仲が良いゴンちゃんが候補にあがりました。ゴンちゃん(松中 権)はプライドハウス東京の代表で、認定NPO法人グッド・エイジング・エールズ代表。僕たちと同じ、LGBTの啓発活動を行う仲間です。 結婚式をするとき「病める時も健やかなる時も……」っていう、誓いの言葉がありますよね。友人関係においても同じことが言えると思うんです。良い時に良好な関係を保つのは簡単だけど、悪い時にどれだけ一緒に超えられるかが大事だと思っています。 ゴンちゃんとは今までの活動を共にしていく中で、良いことばかりではなかった。いろんなトラブルに巻き込まれながらも、前向きに、感情的にならずに乗り越えてきた経験がありました。単にゲイだからお願いしたわけではなく、ゴンちゃんに信頼があったからお願いしたいと思いました。 健斗:それは、パートナーと一緒に「この人にお願いしようか」と相談して、声をかけたんですか? 文野:実は偶然にも、同時進行でゴンちゃんとも子どもの話をしていたんですよね。 2015年に、渋谷区で日本初となる同性パートナーシップ制度がスタートしたとき、条例制定に関するお手伝いを、ゴンちゃん含め数名でしていた時期があって。そのとき、子どもの話も自然に何度か話題にあがっていたんです。 ゴンちゃんも「子どもが欲しいけど、今の日本で子どもを持つのは難しいだろうな」と言っていて。僕は飲みの席の話として、「ゴンちゃんが精子提供をして、彼女が産んで、3人で育てるっていうのもありかも!?」などと、例え話として話していたことがありました。 同じタイミングで彼女とも話し始めて、知っている人で信頼できる人が良いという結果に。改めて、場を設けて話し合ったわけではなく、彼女とゴンちゃんと3人で会う機会を少しずつ増やしていきました。 精子提供者と3人で子育て健斗:一般的に精子提供者はあくまで「提供者」という立ち位置。家族として一緒に関わることは少ないのでは? 最初から3人で育てようと思っていたの? 文野:そうだね。養育費も3人で割っているし。最初から3人で子育てしようと思っていたわけではないけど、ゴンちゃんも子どもが欲しいと思っていたわけだし、「協力してください。でも、僕たちに関わらないでください」は違うなと思いました。 健斗:提供者を含め、話し合い。ゴンさんの子育てしたい気持ちも組み込み、新しい家族を作ったってことですよね。これはすごいことだと思います! 文野:不安なことはたくさんありました。制度的に守られない生活の中で生きていくと、どんな問題が起こりうるか。産まれてくる子どもの親になる3人で専門家のところへ行き、ありとあらゆる問題について可能な限り話し合って対策を立てました。 相談したのは、子どもの人権を専門にしている弁護士さん。その時に「育てる大人の数が少なくて困ることはあるけど、大人の手が多くて困ることはない。子どもにとって血のつながりよりも、自分のことを真剣に考えてくれる大人が増えることは良いことだ」って言われて、ホッとしました。 今は一緒に住んでいるわけではありませんが、僕と彼女と子どもたちが一緒に住む家に定期的にゴンちゃんが来るなどして3人で子育てしていますし、保育園の送迎も3人で分担しています。 新しい家族のカタチ健斗:こういう家族の形って今までロールモデルとしてなかったんですけど、可視化することって大事だと思うんですよ。文野さんも最初に2012年の裁判で前田さんのお子さんを見た時に「自分もできるかも」って思ったわけじゃないですか? ロールモデルを知ることで、可能性や選択肢を増やすことができるから、僕は新しい家族のカタチのストーリーを知って欲しいなって思います。 今までは、自分の身体のことや性別について人前で話していたけど、お子さんについて人前で話すことに不安はなかったですか?文野:不安はゼロではなかったです。子どものことを出すかどうかは、僕たちも悩みました。でも、たくさんの可能性や思いを話し合って決めて産まれてきたこの子を「隠される存在」にしたくありませんでした。だから、事実として隠すことはしませんでした。 子どもがいじめられたら?文野:メディアで家族の形・子どもを授かったことを公表した際、「子どもがいじめられたらどうするんだ?」ってよく言われるんですけど。実際、最初に僕たち家族のことを記事にしてもらった時、賛否両論あると覚悟はしていましたが、温かい言葉が大多数でした。 「1つの命が生まれることに対して“否”があるわけがない」という皆さんのコメントがとても嬉しかったです。健斗さん、文野さん、ありがとうございました! 以前も、FtMパパについては紹介したことがありますが、精子提供者と3人で子育てをするというのは、まさに新しい家族のカタチですね。 元女子・健斗さんのYouTubeチャンネルでは、さまざまなLGBTに関する動画が投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。 外部リンク:ジーピットチャンネル(外部サイト)著者:ライター 廣瀬尚子二児の母。女性誌の編集を経て、フリーランスに。広告やアパレルブランドの撮影、雑誌やWEBマガジンの執筆などを手がける。
2022年07月31日シティポップシーンを代表するボーカリスト・杉山清貴が5月22日、約3年振りとなる日比谷野外音楽堂でのライブを開催した。同会場はこれまで杉山が数多くライブを行ってきた場所であり、杉山本人にとってもファンにとっても思い出深い言わば“聖地”のような存在だ。ライブは1986年リリースの「Shadow」からスタート。爽やかな歌声の中に色気も感じられるソロデビュー初期の人気曲で会場は一気に盛り上がる。「ようこそいらっしゃいました。この今の時間は、みなさん自由な時間です。僕たちも暴れます!」と語ると「そして...夏の夜に」「あの夏の君と」など、タイトルに“夏”を掲げた楽曲を立て続けに披露。初夏の風に乗って響く歌は会場に心地よい空気をもたらした。ライブ中盤で杉山は、種子島の観光大使に任命されたことを発表すると、種子島を舞台にした「波は最高だし」で会場は一気に南国ムードに。「17年通い続けてやっと。嬉しいです。この年になって初めての観光大使、頑張ります。皆さんも種子島に行きましょう」と語りかけた。夜が近づき日が陰り始めると、野音だからこそ感じられるマジックアワーに差し掛かる。ここで披露したのは「月に口づけ」。杉山の美しい歌声をより際立たせるスローバラードだ。光と風といった自然の演出も相まって、会場はしっとりとしたムードに包まれた。「ここからはバラードはありません。盛り上がっていきましょう」という杉山の掛け声の通り、「水の中のAnswer」「渚のすべて」「Double rainbow」とヒット曲が続き、ラストに向けてステージ・客席共にボルテージがあがっていく。「3年振りに野音に戻って参りました。こんなに集まってくれてありがとうございます。あっという間に終わってしまうけど、ここに全てを詰め込みました。」とファンへの感謝を語り、言わずと知れたソロデビュー曲「さよならのオーシャン」を熱唱し本編を締めくくった。鳴りやまないアンコールの手拍子に迎えられステージに再登場した杉山は「野外はやばいね。いつも以上にはしゃいでしまう。それが楽しいんです」と野音のステージに立てた喜びを語る。「(コロナ禍で)みんな不自由な思いをしながら頑張ってきた。世界ではいろんなことが起こっているけど、音楽の世界では、のめりこんで楽しい時間を過ごしてほしい」と「The dream」を披露。夢や平和を思う強いメッセージのこもった楽曲に盛大な拍手が送られた。この歌声が野音の風に乗って世界中に届くことを願ってやまない。ラストは「Livin’in a Paradise」で大いに盛り上がり、約3年振りの野音でのライブは幕を閉じた。今回のライブでは新旧織り交ぜた選曲、さらに表題曲のみならずカップリング曲やアルバム収録曲など、バリエーション豊富な楽曲で構成された。『杉山清貴の35年はどこを切り取っても名曲揃いである』ことを“聖地・野音”で強く印象付けるライブとなったのではないか。35周年を経てまだまだ歩みを止めない、杉山清貴の今後の活動にも注目してほしい。<公演情報>『SUGIYAMA,KIYOTAKA The open air live “High & High”2022』2022年5月22日(日) 日比谷野外音楽堂【セットリスト】M01. ShadowM02. 僕の腕の中でM03. 奪われた倦怠M04. Omotesando’83M05. そして…夏の雨にM06. あの夏の君とM07. Summer againM08. Noah~虹の大陸M09. 無言の DialogueM10. 青空が目にしみるM11. 波はサイコーだしM12. 波M13. Heart of the seaM14. 月に口づけM15. Okinawa in MayM16. Glory loveM17. Shade~夏の翳り~M18. 水の中の AnswerM19. 渚のすべてM20. Double RainbowM21. さよならのオーシャン■ENCOREEn1. The dreamEn2. Livin’ in a Paradise<リリース情報>『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021-Solo Debut 35th Anniversary-』発売中●Blu-ray【1BD+2CD】11,000円(税込)BD:本編+特典映像(バックステージ、リハーサルの様子を収めた特別映像)CD:Special CD(ライヴ音源)封入特典:フォトカードセット(8枚組)※DVDと共通※初回製造分限定:三方背外箱ケース / 別冊スペシャル・フォトブック(16P)『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021-Solo Debut 35th Anniversary-』Blu-rayジャケット●DVD【2DVD】7,700円(税込)DVD:Blu-ray と同内容封入特典:フォトカードセット(8枚組)※Blu-rayと共通『Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021-Solo Debut 35th Anniversary-』DVDジャケット関連リンク杉山清貴 official HP杉山清貴 Blog杉山清貴 Instagramキングレコード 杉山清貴アーティストページ
2022年05月23日スポーツニッポン紙面の月替わり連載企画「我が道」に3月は柏原純一(かしわばら・じゅんいち)氏が登場します。3月 柏原純一(元プロ野球選手・指導者、解説者)「我が道」とは・・・、スポニチ紙上でスポーツ界、芸能界のビッグネームの半生を1ヵ月連載。懐かしい写真や現役当時に語られることのなかった逸話も・・・。柏原氏は1952年(昭和27年)6月15日生まれ、熊本県八代市出身の69歳。八代東高では3年春に甲子園出場。70年ドラフト8位で南海に入団。78年に日本ハムに移籍。88年に阪神で現役引退。通算は1642試合出場、打率 .268、232本塁打、818打点。阪神、中日、日本ハムで打撃コーチを務め、新庄剛志、大谷翔平らを指導。スポーツニッポン(一部売り150円)お買い上げご希望の場合は以下の方法でお願いいたします。①郵便振替、切手をスポーツニッポン新聞社 東京本社販売局まで送付。②お近くの毎日新聞販売店にお問い合わせ。☆購読料は月極め購読が1ヵ月で3,353円とお得です。特集号・バックナンバー購入 - スポーツニッポン新聞社 : 【スポニチ・『我が道』に関するお問い合わせ】株式会社スポーツニッポン新聞社東京本社販売局TEL:03-3212-1181 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年02月28日本誌は12月上旬、石田純一(67)と東尾理子(46)夫妻の“離婚危機”と“豪邸売却を検討”と報じた。これまで2度の離婚を経験している石田だが、12月中旬には、長男のいしだ壱成(47)が3度目の離婚を公表したインタビューの中で、「まあ、向こうも3回目になりそうだという話を聞いて」と明かしている。夫婦仲を心配する声は、年の瀬になってもしぼむことはない。「12月6日に『バイキングMORE』(フジテレビ系)で、司会の坂上忍さん(54)に“20歳当時、石田さんとの結婚を想像できたか?”と水を向けられると、理子さんは食い気味に『絶対ないない!すいません、掘り出さないでください、はい』と話し、石田さんとの話題を露骨に避けたんです。理子さんは結婚してから、ハリー・ウィンストンの婚約指輪とデビアスの結婚指輪をよく左手の薬指に重ね付けしていて、テレビだけではなくイベントなどでも拝見する機会がとても多かったのです。しかし、最近の理子さんのブログやインスタグラムを見ても、9月下旬を境にして、左手薬指につけている投稿がありません。理子さんと石田さんは、これまで“おしどり夫婦”として知られてきましたから、やはりこうした様子の変化に、“何かあったんじゃないか”と心配する声は少なくないのです」(スポーツ紙記者)石田は本誌12月7日発売号で、“離婚危機”を尋ねた記者の問いかけに「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」と言い放ち、夫婦関係についてさらに注目を集めることとなった。一方の東尾といえば、依然として沈黙を守ったまま。しかし、知人の一人はこう明かす。「2021年に入ってから、理子さんは長年信頼を寄せている占い師に“夫婦仲が悪化する”と言われて、ずいぶんショックを受けていました。同じころ、石田さんは『離婚するかもしれない』と明かしていて、悩んでいたそうなのです。関係にすきま風が吹き始めたのは、2020年4月に石田さんが、来県自粛要請が出ているのに沖縄でゴルフに興じて新型コロナに感染したときからでしょう。しかも、回復後の5月に酩酊して深夜に帰宅しているところや、8月にも“ノーマスク”で飲み歩いていた現場も立て続けに報じられてしまいました。こうした石田さんの反省なき姿に、さすがに理子さんや義理の父である東尾修さんも怒りを通り越して呆れてしまっています。仕事のオファーも激減し、収入も数千万円単位で減ってしまったそうですから、無理もありません」3人の子供を伴って、仲良くメディアにも登場していた石田と東尾。そんな家族ショットは、もう二度と見られないのか――。
2021年12月26日11月14日にスタートした、杉山清貴のソロデビュー35周年を記念したバンドツアー「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」。ツアーファイナルとなる12月25日(土)LINE CUBE SHIBUYAでの公演のライブ配信が決定した!杉山清貴&オメガトライブの活動を経て、1986年5月にシングル「さよならのオーシャン」でソロアーティストとして始動。80年代、90年代、2000年代、2010年代とコンスタントに作品をリリースし続け、2018年から“杉山清貴&オメガトライブ”としての活動も展開しつつ、2020年には80年代のシティポップの雰囲気も感じさせるオリジナルアルバム『Rainbow Planet』もリリースした。今回のツアーは、周年ライブであり、ソロとしては久しぶりのバンドツアーということもあって、まさにファン待望のツアーとなった。ライブはソロデビュー曲「さよならのオーシャン」で始まり、アルバム『beyond…』『realtime to paradise』『kona weather』『here & there』と、ソロでの歴史を辿るかのように初期のアルバムの中から楽曲を披露していく。今回のステージでフィーチャーされているのは80年代と90年代の作品。そして、後半はソロ30周年を迎えた2016年以降の作品も多く披露した。80年代、90年代、そしてここ数年の中でのターニングポイントとなった楽曲たちが繋がって、杉山清貴のストーリーを描き出したライブは配信でも見応え十分。チケットの発売期間は2021年12月20日〜2022年1月20日まで。年末年始に杉山清貴の歌声にぜひ酔いしれてほしい。杉山清貴「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」11月23日(火・祝)群馬・昌賢学園まえばしホール 小ホール※公演終了いたしました。11月27日(土)埼玉・飯能市市民会館 大ホール※公演終了いたしました。12月4日(土)宮城・仙台PIT※公演終了いたしました。12月5日(日)新潟・新潟LOTS※公演終了いたしました。12月11日(土)広島・BLUE LIVE HIROSHIMA※公演終了いたしました。12月12日(日)福岡・電気ビルみらいホール※公演終了いたしました。12月16日(木)愛知・Zepp Nagoya※公演終了いたしました。12月24日(金)大阪・森ノ宮ピロティホール12月25日(土)東京・LINE CUBE SHIBUYA☆ライブ配信あり!(問)キョードー東京0570-550-799★配信チケット情報★・視聴券料金(税込):4,500円・販売期間:2021年12月20日(月)〜2022年1月20日(木)※当日の生配信とアーカイブで一部曲が異なります。・詳細はこちらから→ 公式サイト 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年12月20日「息子のいしだ壱成さん(47)が3度目の離婚を発表したばかりですが、純一さんも今“リーチ”がかかっている状況です。純一さんの収入減によって、13年に購入した推定3億円といわれる豪邸を売りに出す話も出ています」(芸能関係者)”3度目の離婚危機”を迎えているのは、石田純一(67)。過去に2度離婚を経験するも、09年に東尾理子(46)と結婚してからは3児を授かり、芸能界屈指の“幸せファミリー”として名を馳せた。しかし今、そんな石田と東尾の間にかつてないすきま風が吹いているという。「つい先日知人と食事した際、石田さんは『離婚するかもしれない……』とこぼしていたそうです。かなり思い悩んでいる様子だったといいます」(前出・芸能関係者)真相を確かめるべく12月上旬に本誌が石田を直撃すると、「あなたたちに話すことは一生ありません!もう来ないでいただけますか!」と激高した上で、こう言い放ったのだ。「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」石田から飛び出した“家庭崩壊宣言”。この件について理子は沈黙を貫いているが、12年にわたる結婚生活の中で本誌は石田の“呆れた行動”の数々を目撃してきた。女性問題やそれにともなう多額の借金など数々のトラブルを起こしてきた石田だが、理子との結婚後はそうした報道もめっきり減るように。しかし結婚から7年後の’16年7月、舛添要一都知事辞職による都知事選に突如、出馬を表明。これが思わぬ波紋を呼ぶことに。「『野党統一候補としてなら出馬したい』と表明した石田さんですが、民進党の都連会長が擁立を拒否。しかも、出馬表明によって当時出演していた番組やCMは軒並み降板を余儀なくされ、数千万円もの違約金を払うことになりました」(全国紙政治部記者)当時、「出馬しないことを願っている」と語っていた理子に対して、石田は本誌の取材でこう語っていた。「理子は、僕が出馬してボロボロに傷ついて立ち直れなくなるんじゃないかと心配しますよね。あとは『稼ぎはどうするの?』とも言われています。それはよくわかっています。でも“命を懸ける”と言うと理子には申し訳ないですけど、逃げてばかりじゃいられないんです。そこは一生懸命説得すれば理解してくれると信じています」(16年7月26日号)出馬は叶わなかったものの、その後は“家族第一”の日々を送る石田。しかし、昨年のコロナ禍が、再び一家に暗雲をもたらす。昨年4月の最初の緊急事態宣言中に訪れていた沖縄のゴルフ場で新型コロナに感染し、世間から猛批判を浴びることに。コロナ感染で一時は生死の境も彷徨った石田だが、その後無事に回復。一連の騒動で懲りたかと思いきや、“反省なき行動”に歯止めはかからなかった。本誌は退院したわずか数週間後の5月下旬、知人と高級ステーキ店で快気祝いを楽しむ石田の姿を目撃。しかも会食後にマスクもせずに千鳥足で帰路についていた。さらに8月中旬にはふたたび、都内の高級イタリアンで知人女性らと会食。このときも、石田はマスクをせずに店から自宅へと帰っていったのだ。どんなに批判を浴びても自由を謳歌する石田。この時、真意を尋ねるべく本誌が石田を直撃すると、「離婚はない」とした上で、「理子は怒ってないと思う」と断言していた。12年前、石田はかつて本誌にこう3度目の結婚にかける決意を語っている。「もう、命ある限り、家庭、家族というものに全力でいきます。僕らは、見られる立場だから、つまずいたりするほうが皆は楽しだろうけど、今度はつまずかないよ」(09年12月29日号)果たして、この“誓い”を守り抜くことができるのか――。
2021年12月19日11月14日、杉山清貴のソロデビュー35周年を記念したバンドツアー「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」が横浜・KT Zepp Yokohamaからスタートした。Photo by ITSUKA (AMP UP)杉山清貴&オメガトライブの活動を経て、1986年5月にシングル「さよならのオーシャン」でソロアーティストとして始動。80年代、90年代、2000年代、2010年代とコンスタントに作品をリリースし続け、2018年から“杉山清貴&オメガトライブ”としての活動も展開しつつ、2020年には80年代のシティポップの雰囲気も感じさせるオリジナルアルバム『Rainbow Planet』もリリースした。今回のツアーは、周年ライブであり、ソロとしては久しぶりのバンドツアーということもあって、まさにファン待望のツアーとなった。注目したいのは、入江誠(ギター)、山本連(ベース)、宮崎裕介(キーボード)、アンドウヒデキ(シンセサイザー)、SION(ドラム)という今回のバンドメンバー。ライブのMCで「私も含めた平均年齢が35歳でした」と杉山が言っていたが、杉山がソロデビューした1986年に生まれていたのは宮崎だけという若いミュージシャンたちが集結。その理由を「今年は私のソロ35周年。せっかくですから、最近やってなかった80年代の曲をメインにしてもいいかなと思いまして。そうなると演奏陣も勢いのある感じで選んでみました」と語った。Photo by ITSUKA (AMP UP)ライブはソロデビュー曲「さよならのオーシャン」で始まり、アルバム『beyond…』『realtime to paradise』『kona weather』『here & there』と、MCでの宣言通り、ソロでの歴史を辿るかのように初期のアルバムの中から楽曲を披露していく。「80年代はイケイケで、何も怖いものはないという感じでした。いろんなタイアップをいただいて、そのたびに自分のスキルも上がっていったので突っ走っていた感じでしたね。3枚目のアルバムでちょっと違う方向性に行ったり、ちょこちょこ自分の歩く道を変えながらやってきましたので、そんな流れを今日のステージでも感じていただければと思っています」と、曲間のMCでは当時の頃を振り返り、90年代にロサンゼルスでレコーディングしていた時のことなど、たくさんのエピソードも聞かせてくれた。今回のステージでフィーチャーされていたのは80年代と90年代の作品。そして、後半はソロ30周年を迎えた2016年以降の作品も多く披露した。「90年代に試行錯誤しながら音楽に向き合い、2000年代に入るとKTバンドでしっかりとレコーディングを始めました。でも、KTバンドとの作品はちょっと毛色が違うので、それはまた別の機会に。2016年に『OCEAN』というアルバムが出来上がった時、“俺はこんなアルバムを作りたくてずっと悩んできたんだな”って思いました。それからは、自分の作品うんぬんというより、いい曲を歌いたい、かっこいい曲を歌いたい、今までなかったことをやりたいと思って1枚1枚作ってきました。アレンジャー、作曲家など、新しい人と出会って、新しい刺激を受けて、眠っていたものがムクムクと目覚める感じをここ数年受けております」と、最近の楽曲には新たな挑戦が詰まっていて、「楽しくてしょうがない」という気持ちになっているようだ。ツアーが始まったばかりなので、詳しい楽曲(セットリスト)は伏せておくが、80年代、90年代、そしてここ数年の中でのターニングポイントとなった楽曲たちが繋がって、杉山清貴のストーリーを描き出したライブとなっている。「本当に久しぶりにあの時代(80年代、90年代)の曲を本気で歌いました。去年からコロナでグシャグシャになってますが、少しずつエンタメの世界も理解してもらえるようになってきていて、できる限りのことをして皆さんをお迎えしています。これから年内ずっと旅をして回っていきますので、またどこかでお会いできたら嬉しいです。ありがとう!」と、アンコール時のMCでは達成感に満ちた表情でファンに呼びかけた。Photo by ITSUKA (AMP UP)「自分の過去の作品が、命を吹き返す感じがしていて興奮しています」と杉山自身が話していた通り、フレッシュなバンドメンバーの演奏で瑞々しく再生される名曲たちを、ぜひライブ会場で味わってもらいたい。杉山清貴「Sugiyama Kiyotaka Band Tour 2021 〜Solo Debut 35th Anniversary〜」11月23日(火・祝)群馬・昌賢学園まえばしホール 小ホール11月27日(土)埼玉・飯能市市民会館 大ホール12月4日(土)宮城・仙台PIT12月5日(日)新潟・新潟LOTS12月11日(土)広島・BLUE LIVE HIROSHIMA12月12日(日)福岡・電気ビルみらいホール12月16日(木)愛知・Zepp Nagoya12月24日(金)大阪・森ノ宮ピロティホール12月25日(土)東京・LINE CUBE SHIBUYA(問)キョードー東京0570-550-799公式サイト Text by Takanobu Tanaka /Photo by ITSUKA (AMP UP)Photo by ITSUKA (AMP UP)Photo by ITSUKA (AMP UP)Photo by ITSUKA (AMP UP) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年11月16日8月30日、「NEWSポストセブン」によって“懲りない飲み歩き”が報じられたのは石田純一(67)だ。記事によると石田がキャッチされたのは、東京に緊急事態宣言が出されていた7月下旬。午後8時過ぎに都内の会員制バーに入り、出てきたのは深夜0時過ぎだったというのだ。宣言下では20時以降の不要不急の外出は、自粛を求められている。石田が利用した店は会員制バーで貸し切りだったというが、酒類・カラオケ設備を提供する飲食店は休業要請が出されている。同サイトによると、ノーマスクで店を出た石田はとろんとした視線で足元もふらついていたといい、自粛や感染防止対策に配慮する気配はなかったようだ。「昨年4月に仕事で訪れた沖縄で体調不良を訴え、帰京後に新型コロナ感染が明らかになりました。無事に退院しましたが、一時はICUに入る寸前でした。当時も県外移動自粛が呼びかけられていた緊急事態宣言下。そのような経験をしてもなお、石田さんは夜の街へ繰り出すことを止めないのです」(石田の知人)本誌も昨年8月中旬、ノーマスクで飲み会に参加する石田を目撃。そのことを尋ねた記者の直撃に石田は、「出さないでもらえませんか。訴えますよ、本当に」と語気を強めていた。いっぽう、「今非常に、シビアな状況にいるのは確かなんですよ。それであとひとつ出たらダメっていうスポンサーさまもいらっしゃって」と“あと1回明るみになったらアウト”といった窮状も訴えていた。■仕事激減、家族との思い出が詰まった別荘も売却一向に飲み歩き癖が直らない石田だが、陰では経済面に支障が生じていた。「コロナ禍でイベントや講演会も無くなってしまい、ラジオのレギュラー番組も打ち切られてしまいました。今年1月にYouTubeチャンネルも開設しましたが、最近の再生回数は1本あたり1,000回を超えるか超えないかといったところです」(テレビ局関係者)また本誌は昨年6月に、石田が神奈川県葉山町にある別荘を売却していたことも報じている。「’08年に建てられた物件で、売却当時の平均売却価格は8千万円ほどだったといいます。石田さんは翌年に東尾理子さん(45)と再婚しました。海も近いこの場所は、お二人の間にもうけた子供たちとも過ごした思い出の場所だったそうです」(芸能関係者)■ブログ再開も絶えない妻の心労石田の奔放な行動に振り回されているのは、やはり妻の東尾だろう。最近でも7月27日に出演した『バイキングMORE』(フジテレビ系)で、夫への不満を垣間見せる一幕があった。篠原涼子(48)と離婚した市村正親(72)が積極的に子育てをしていることに触れ、「すばらしい御父様だな、うちのとは違って……」と漏らしていた。「理子さんは離婚も考えたそうですが、亡き義母を思うと踏み切れなかったようです。石田さんのお母様は彼が過去に女性問題で世間を騒がせた際も、取材に来た記者に丁寧に接するなど庇い続けたといいます。そのことを知っている理子さんは、義母を見習って『家族、妻として夫を支える』と決心したといいます。とはいえ現在、長男・理汰郎くんは8歳、長女・青葉ちゃんは5歳。次女・つむぎちゃんも3歳と幼く、まだまだ手がかかる年齢です。家族みんなで過ごす時もあるようですが、家事や育児はほとんど理子さんがされているようです。そこに加えて夫の素行が取り沙汰されるとなれば、精神的負担は計り知れないでしょう……」(前出・石田の知人)昨年12月、約8カ月ぶりにブログを更新した東尾。そこには《10年以上大切にしてきたブログ、長い間止めたままでした、、、再開するのに、いつどんな内容でどんな風にどんな面下げて、、、って考えてたら(中略)》と再開を躊躇っていたことを明かす。また《たくさんの方々にご迷惑をおかけし、たくさんの方々に支えられた今年》とも振り返り、感謝の気持ちが綴られていた。そんな東尾は28日に《家で過ごす週末の現実》と題して、子供たちがリビングで遊んだ後の写真を投稿していたばかり。度重なる石田の飲み歩きによって、東尾のブログは再び止まってしまうのだろうかーー。
2021年08月31日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんは、2011年に入籍。つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産しています。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は不妊治療をおこなっていたときに実践していたという、さまざまな取り組みについてインタビューさせていただきました。 選手時代から続けてきた”呼吸法”を治療中も実践!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーつらい不妊治療を乗り越えるために、どのようなことを実践されていましたか? 杉山さん:人間ってゴールが見えていれば頑張りやすいですし、モチベーションも保てるんですけど……。治療がうまくいくかもわからない中で、いつ終わりが来るのかもわからないという、ゴールが見えない苦しさを味わっていると、なかなか気持ちが安らぐことがないんですよね。不妊治療では赤ちゃんができるっていうのが、ゴールになってしまうので……。なので今振り返ってみても、すごく苦しい期間を送っていました。私が少しでも気を紛らわすためにやっていたことは、生理が来てしまったら一度気持ちをリセットして、自分の好きなワインでお疲れ様会をして、仕切り直していましたね。ほかには、ベリーダンスをすることで女性らしい体をイメージしたり、血流をよくするために骨盤のまわりや体を柔らかくしなやかにすることを心掛けたりしていました。ほかには選手時代から続けている呼吸法があるんですけど、それを続けていましたね。 ーどのような呼吸法でしょうか? 杉山さん:実際に起きていることをイメージしながら、深く呼吸するんです。私は公園で、生まれてきたばかりの小さな子どもと一緒に遊んでいる絵や、その前には自分が妊婦になっている絵をイメージしていました。そういうことを日々の中で実践していくと、実際に”こうなるんだな”っていうイメージができたりするんですよ。ただ、実際に現実とのギャップにハッとさせられると、ショックを受けたりもするんですけど、なるべく良い方向に考えられるようにしていました。それでもうまくいかないときもあるので、そういうときはお酒の力を借りて気持ちを紛らわせていました(笑)。生活にメリハリをつけて、常に自分の気持ちを疲れさせないようにはしていましたね。 ー そのイメージトレーニングは、どんなことにも応用できそうですね! 杉山さん:そうですね。不妊治療だけではなく、プライベートや仕事でもうまくいかないと思っていると、どんどん深みにはまってしまうことってあると思うんです。それと逆に、ネガティブになるとどんどん引っ張られちゃうんですよ。ただでさえ、不妊治療は疲れてしまうので、自分の心のケアをしっかりとして、心許せる友達や旦那さんとその気持ちをシェアすることも大事だと思います。聞いてもらうだけで癒されるってことはあると思うので。解決してくれなくていいから、「うん、うん」って言って聞いてて、みたいな(笑)。 ーわかります(笑)。聞いてもらうだけで、気持ちの落ち着き度が全然違いますよね。 杉山さん:はい。そう簡単に解決できないからこそ、誰かに聞いてもらうだけでだいぶ違うと思います。 不妊治療の保険適用化は賛成! 夫婦でしっかり話し合って欲しい画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー 不妊治療が保険適用になるという話もありますが、それについてはどういう意見をお持ちでしょうか? 杉山さん:体外受精、人工授精などは特にお金がかかるので、実際に取り組むにも勇気がいるんです。私たちは一度、40歳までという年齢で一区切りをつけようと決めていました。年齢を重ねる度に妊娠しづらくなっていくほか、体力面でも負担がかかるというのがあったので。また、もし不妊治療をするのであれば、年齢や金銭的な面など、”どこまで挑戦するのか”というゴールを設定することがポイントになって来るかと思います。そのため、あらかじめご夫婦でそのあたりを話し合っておくと良いかもしれません。今回の国の支援は素晴らしいですし、そういう方向にうまく行って欲しいなと思っています。 ー そうですよね。「保険があるから、もう一度チャレンジしてみよう」と思えるのは、うれしいことですよね。 杉山さん:「あのとき、ああしていれば良かったな」という後悔って一番イヤだと思うんですよ。なので、お金のかかる不妊治療を国が支援してくれるというのは、すごく心強いですよね。現実と向き合いながら、選択肢として自分がどんな人生を歩んでいきたいかを選べることは、とても大切だと思います。 ー それでは最後になりますが、現在不妊治療をしている方にメッセージをお願いします。 杉山さん:私も不妊治療を経験しているので、どれだけ大変かということは、精神的、肉体的にもわかっているんです。だからこそ、自分の気持ちをなるべく元気にさせてあげられるような時間を増やすことが、1つの大事な鍵だと思っています。無理をし過ぎず、いいイメージを膨らませながら、なるべく楽しみながらお子さんを待っていて欲しいなと思っています。 終始丁寧にインタビューに答えてくださった杉山愛さん。ご協力どうもありがとうございました! ご自身の不妊治療に取り組んでいたころを振り返り、「なかなか気持ちが安らぐことがなかった」と語っていたものの、少しでも気持ちを前向きになれるようにと体質改善を試みたり、プロ選手時代からの呼吸法を取り入れたりと、常に前向きに努力されていたお話を聞き、愛さんのバイタリティの強さを感じました。7月に出産予定とのことですが、お身体ご自愛下さいませ。私たちも赤ちゃんの誕生を今から楽しみにしています! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月29日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は、第一子のお子さんを授かるまでの不妊治療のお話について、取材させていただきました! つらかった不妊治療…。母のひと言で気持ちが吹っ切れた!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー第一子のお子さんは、体外受精で授かったと伺いました。どのような経緯で不妊治療を始めることになったのでしょうか? 杉山さん:結婚をしたのが36歳だったので、婦人科系の機能がちゃんと動いているかどうかを調べたほうが良いと思い、婦人科にチェックをしに行ったんです。その当時は「何の問題もない」と言われ、その言葉通り、その後すぐに妊娠することができたんですよね。ただ、その後、赤ちゃんの心拍を確認する前に流産してしまって……。そのときはすごく落ち込みました。でも、赤ちゃんが1度来てくれたのだから大丈夫だろうと思っていたんですが、その後なかなか授かることができなかったんです。 ーそこから不妊治療をされたんですね。 杉山さん:はい。結果として人工授精を4回チャレンジしました。すべてに失敗し、そのたびにショックを受け、気持ちがすごく疲れてしまったんです。できると思っていたのにできずに、こんなにも妊娠することが難しいんだと実感した瞬間でした。さらに高齢でしたし、それまでも選手として身体も酷使していたので、そういうことが不妊に繋がっているのかなと思い、一度気持ちが相当落ちてしまった時期があったんです。 ーどうしてもネガティブになってしまいますよね。 杉山さん:そうなんですよね。なので、一度不妊治療を1年くらいお休みして、体質改善することに切り替えました。趣味を取り入れる形で、自分が「心地良いな」「楽しいな」と思えることをやっていこうと思い、ベリーダンスに挑戦したり、冷え性を直すために、針治療やびわの葉を温める温灸をしたりしました。さらに、夏野菜は体を冷やす作用があると言われているので、夏野菜を控えるようにしたり。苦痛にならない程度に、体が喜ぶようなことを実践していきましたね。でも、その反面、次のステップとなる体外受精をして、“できなかったら、もうダメかもしれない”という恐怖があり、その一歩をなかなか踏み出せずにいたんです。主人も、弱気になっていた私をずっと見てきたので、「もう1回やってみようよ」とは言わなかったんですよ。そんなとき、私の母が主人と不妊治療について話すことがあったみたいで、主人から私の状態をすべて聞いたうえで、母は「最後までやってみればいいじゃない? 」と軽く言ったそうなんです。ただ、主人は「自分の口からは愛にそれは伝えられないから、もしそう思うんだったら、直接愛に電話して伝えてあげて」と言ったみたいで。その後、母から電話がかかってきて、「愛ちゃんらしくないじゃない。最後までやってみて、ダメでもいいじゃない。何がダメなの? 」と言ってくれて。私自身その言葉を聞いて、何を躊躇しているんだろうと心の底から思えて、気持ちが吹っ切れたんです。 ーお母さんの言葉が背中を押してくれたんですね。 杉山さん:そうなんです。そこから、ダメでもいいじゃんと思えるようになって。できなかったらできなかったで2人の人生を選べばいい訳だし、全部やってみて悔いが残らないほうが得策だなと思ったんです。そこからはすぐに行動に移せるようになって、1回目の体外受精を行い、そこで妊娠することができました。“今まで何を悩んでいたんだろう”って、後になった今なら言えるんですけど。当時は、女性として授かれなかったらどうしようというマイナスなイメージが先行していて……。それぞれの人生だから、授かれなかったら、それはそれでいいやって思えれば良かったんですけど、当時はそうに思うことができなくて……。でも、考えてみればチャンレジしないで、後になってやっておけばよかったと後悔するほうが、よっぽど後悔として残るなぁと思ったので、あのとき意を決して試すことができて、すごく良かったと思っています。 最初から最後まで寄り添ってくれたパパには感謝しかない画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーお話を聞いていると、パパは杉山さんのことを考えて発言などをしてくれる方なのかなと思ったのですが、不妊治療中はどのように支えてくれましたか? 杉山さん:不妊治療って女性のほうが、どうしても負担が多くなってしまうように思うんですよね。それは、女性のほうが検査数も多いし、やらなきゃいけないことも多い。そして、最終的に出産するのも女性ということを考えると、かかる負担がかなり大きいと思ってしまいます。そういうのを理解していてくれていたのか、主人は常に寄り添ってくれていましたね。送迎をしてくれたり、一緒に喜びや悲しみを分かち合ってくれたり……。このときは、主人の存在は何にも変えられないものだと感じました。ただ、だからこそ、主人は人工授精に失敗し続け、最後の挑戦となる体外受精を、母のように簡単に「やってみたら」と言えなかったんだと思っています。 ー協力的なパパで杉山さんへの愛情をすごく感じます。パパも子どもが欲しいと思っていたのでしょうか? 杉山さん:子どもに関しては、私のほうが欲しかったんです。主人はどちらでもいいというスタンスでした。いつも「2人でいるのも楽しいし、子どもが欲しいから家族を築くために結婚したわけではない」ということを言っていましたが、「もし子どもができたら、楽しいことが増えるね」というスタンスでしたね。 ー誰よりも理解してくれて、心身ともに支えてくれたのですね。行動力がとても素敵です。 杉山さん:はい。最初から最後まで本当に支えてくれていたので……。今でも主人には、とても感謝しています。 ーそれでは、不妊治療を経験したからこそ、伝えたいメッセージは何かありますか? 杉山さん:36歳で結婚し、これまで選手として17年間酷使してきた体と向き合ったときや、年齢を重ねるにつれて妊娠することが簡単ではないという現実を突き付けられたとき、ものすごく苦しかったんです。これって、学校では習わなかったですよね? なので、妊娠は年齢が上がれば上がるほど、難しくなるという現実を知っておくというのは、性教育の上でも大事なことだなと感じました。自分の人生を選択するとき、キャリアも大事、プライベートも大事というなかで、知っていての選択だったらいいと思うんですが、私みたいに知らずにここまで来た人間からすると、知識として知っているか、知らないかはかなり大きいと思うんですよ。なので、こういう現実があるというのを伝えていくことは、大事なことだと思っています。 今回は、苦しかった不妊治療の経験をお話ししてくれました。「女性として授かれなかったらどうしよう……」と目に見えないプレッシャーを感じ、負のループに陥っていた愛さんを救ってくれたのは、お母さんの言葉だったそうですが、そのエピソードを聞いて、改めて母の存在って偉大だなぁと考えさせられました。さて、次回は不妊治療中に愛さんが取り組んでいたという、選手時代から継続しておこなっているある方法についてお送りさせていただきます。次回が配信最終回です。ぜひ最後までお付き合いください! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月28日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。 そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚! 現在は妊娠中ということで、今回は第二子の妊娠についてやコロナ禍の妊娠・出産をどういう風に捉えているのか、いろいろとお話を伺ってみました! 第二子の妊娠発覚! 一番に来た感情は”驚き”だった…!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー今年の2月15日にオフィシャルブログで第二子の妊娠報告をされていますが、初めて妊娠が分かったときは、どんなお気持ちでしたか? 杉山さん:妊娠が発覚したのが昨年の11月くらいだったのですが、本当にビックリしました。年齢も年齢なので、もう子どもは欲しくてもできないと思っていました。なので、特に妊活もしておらず、妊娠が分かったときは、ただただびっくりしましたね。とにかく驚きが一番に来ました。ただ、時間の経過とともにじわじわと喜びがこみ上げてきましたが、高齢出産になるので、何が起こるかわからないため、慎重な気持ちで毎日を過ごしていました。コロナ禍での妊娠でしたが、そこまで戸惑いなかったです。今は無事に7カ月が経ち、力強い胎動を感じられる喜びを感じています。 ー旦那さまの反応はいかがでしたか? 杉山さん:主人もものすごく驚いていました。私自身も、最初に生理が来なかったときは、閉経したのかなと思ったくらいだったんです。でも、様子を見ているうちに、だんだん胸のあたりが気持ち悪くなって、なんとなく1人目のつわりの感覚を思い出したんです。それで妊娠検査薬を試したら陽性で……。ただ、1人目のときは本当に苦労して授かったので、今回の自然妊娠が信じられず、違う種類の検査薬でもう一度試したんですが、そこでも陽性だったので、2人で「あぁ、良かったねぇ」という風に安堵し、妊娠を喜びました。 ー息子さんには報告をされたのでしょうか? 杉山さん:何が起こるかわからなかったので、安定期に入るまでは話さずにいました。まだ5歳なので、いろんな人におしゃべりしてしまうんですよね(笑)。ただ、私たちは正直第二子に関しては諦めていたのですが、息子は一人っ子というのが物足りなかったらしく、家族の中でも一番に第2子を望んでいたんです。何かあるたびに「いつ妹とか弟ができるの? 」とよく聞かれていたので、言ってしまったらうれしさの余りたくさんの人に言ってしまうことが想像できたんですよね(笑)。なので、大々的に公表する2、3日前に伝えました。 ー報告後、息子さんの反応はいかがでしたか? 杉山さん:すごく喜んでいて、テンション上りまくっていました(笑)。私自身も6歳下に妹がいるので、当時の喜びを覚えていますし、小さなママ気取りでいろいろお世話していた記憶があるんですね。息子も弟か妹ができるというのを知ってから、お兄ちゃんという意識が高まって、「お世話したい」という気持ちが出てきたようで、しっかりしてきたなという印象がありました。 コロナ禍の今…不安になりがちだけど、考えすぎないことも大切画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーコロナ禍で妊娠に気付いたことに対して、戸惑いなどはなかったですか? 杉山さん:戸惑いはなかったです。こんなときに来てくれた子だからこそ、力強い子なんだろうなと思っていました。ただ、普段の妊娠でも薬を飲めなかったりと体調管理には気を使うのですが、コロナ禍なのでより気をつけないといけないなと意識が高まりましたね。 ーコロナ禍での妊娠、出産となりますが、どんなことに気を付けていますか? 杉山さん:自分の中で行動は気を付けていたので、そこまで心配はしていないんですよね。とはいえ、変異種や変異株が流行ってくると妊婦も重症化しやすいと聞いたので、ちょっと怖いですが。でも、無駄に心配してもいいことはないので、開き直って、基本的なことだけを気にかけるようにしています。 ー今の時期に妊活や妊婦生活を戸惑う人も多いと思うのですが、杉山さんはどう思いますか? 杉山さん:コロナ禍の妊婦健診や不妊治療って、どうしても1人になってしまっているので、不安も増えると思うんです。でも、STAY HOMEが当たり前になってきた今、家族で一緒の時間を感じられる貴重な期間だと思うんですよね。これまであわただしく時間に追われていた生活を一度リセットして、考え直すいいきっかけにもなりますし、そこで家族の絵がイメージとして湧いてくるのであれば、そこまで怖れることもなく、妊活に取り組むのは、すごくいいことだと思いますね。 ー考えすぎないことも大事ですよね。 杉山さん:そう思います。心配ばかりしていると、気持ちがマイナスの方向に働いてしまうことがあるんですよね。ちゃんと普段から気を付けていれば、結果もちゃんと伴ってついてくると思っています。 子育てして思うのは、「想像を絶する楽しさがある」ということ画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー子育てに対する考えのすり合わせなどは、どのようにされていたのですか? 杉山さん:実は妊娠中に、仕事と並行して大学院に行っていたんです。なので、てんやわんやで目の回る大変さで、当時のことをあまり覚えていないんです(笑)。ただ、落ち着いてからは、主人と話し合いながらルールをしっかり決めて、向き合うようになりました。主人とは育った環境も違いますし、子どもに対しての接し方、考え方も違うのでぶつかることもありますが、その都度早めに話して解決することを大事にしています。 ー ”一緒に育てている”という感覚が強いご夫婦なんですね。 杉山さん:そうですね。すごく強いです。主人は私が子どもに対してしていることを絶対に否定しないし、私も否定しないというのをルールにしているんです。そこで違和感を覚えたとしたら、子どもが寝たあとにちゃんと話し合い、すり合わせをするようにしています。そこでどちらかが否定し、責めるのを見せることで、子どもが、パパのほうに、ママのほうに味方に付くというのはダメだと思うんですよね。 ー お子さんが生まれて良かったと思う瞬間は、どんなときでしょうか? 杉山さん:子どもがいるのといないのとでは、生活自体が異なる物だと思いますが、息子の存在すべてが私に喜びを与えてくれているのだといつも思います。子どもの成長を見たり、共に成長していきたいと思ったり、彼の中で自分を垣間見たとき、すべてが感謝の瞬間です。 ー すごく素敵ですね。望んで家族ができたからこそ、今思うことはどんなことでしょうか。 杉山さん:想像を絶する楽しさです(笑)。息子に人生を広げてもらっている実感があるんですよ。生まれる前は夫婦2人で、独身のときは1人でという選択肢ももちろんある世の中なので、それぞれの人生で自分らしく輝けるということが一番幸せなことだと思うんです。ただ、私自身の選択としては、パートナーを得て、そこで子どもを授かることで広がりができたので、子どもには本当に感謝しています。 インタビュー配信1回目となる今回は、青天の霹靂だった第二子の妊娠や、コロナ禍の妊娠・出産についてなど、いろいろ話していただきました! 今回の取材で印象に残ったのは、「子育ては想像を絶する楽しさ」と話していたことでした。この言葉から、子育てを全力で楽しんでいることがすごく伝わってきて、とっても素敵だなと感じました! さて、配信2回目となる次回は、杉山さんが「すごくつらかった」と語っていた不妊治療のお話がメインになります。次の配信もぜひご覧くださいね! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月27日1月21日発売の「週刊新潮」で「焼き肉店での10人会食」が報じられた石田純一(67)。同日にYouTubeチャンネル「じゅんちゃんねる」で弁明したものの、厳しい指摘が相次いでいる。配信で「10人会食」当日を回想した石田。プロデューサーらと3名で食事をしたところ、その飲食店で偶然居合わせた知人2組と一時的に合流。そうして「10人会食」になったと説明した。また石田は「不愉快な思いをさせてしまって、申し訳ありませんでした」と謝罪している。昨年4月、新型コロナウイルスの感染が発覚した石田。退院後の5月、本誌の取材に対し「一時は死をも覚悟するほどだった」と回想した。しかし本誌は同月末、彼が会食後に夜な夜な千鳥足で歩いているところを目撃。さらに8月には「週刊女性PRIME」によって美女を“お持ち帰りした”とも報じられている。そして今回の「10人会食」。YouTubeのコメント欄を見ると、厳しい声がつづられている。《日本の為に必死に頑張ってくれている医療従事者の皆様の事を考えてください》《貴方が罹患した時にお世話になった看護師の事考えて下さい》また配信は2回にわたって行われており、再生回数は合わせて23,150。そのうち低評価は4,015だ(1月22日 15:35分現在)。動画のタイトルは「週刊新潮の記事について包み隠さずお話します」。臆さず話したものの、信用を取り戻すには時間がかかりそうだ。
2021年01月22日コロナ禍で下げた人気はたやすく戻らないのだろうかーー。1月14日、67回目の誕生日を迎えた石田純一(67)が、YouTubeチャンネル「じゅんちゃんねる」を開設した。しかしチャンネル登録者数は、5日後の19日14時時点で333人。「ここ数年の間で芸能人も続々とYouTubeに参戦してきていますが、チャンネル登録者数300人というのは、かなり厳しい状況。一般人レベルですね。そもそもYouTubeで収益を得るためには、チャンネル登録者数1,000人以上が最低条件となります。もっとも1,000人をちょっと超えたぐらいでは“お小遣い程度”にもなりません」(広告代理店関係者)石田といえば、昨年に大炎上した芸能人の1人。緊急事態宣言下の昨年4月に沖縄でゴルフや会食などを楽しんでいたことが週刊誌で報じられ、自身もコロナウイルスに感染。一時は死を覚悟するほどの重症だったというが、退院後は“快気祝い”でマスクをせず千鳥足になるまで飲み歩く姿も本誌は目撃した。YouTubeに投稿された動画では「沖縄で女性を持ち帰ったというのは本当か?」「マスクをせずはしご酒した理由は?」「現在の夫婦仲は?」など、スタッフからのストレートな質問にも神妙な顔で丁寧に答えている石田。動画のタイトルも『お騒がせ男・石田純一、すべてをお話します』となっており、強い意気込みも感じるが、それだけにここまでの低調は本人も予想外だっただろう。“元祖トレンディ俳優”はYouTube世代のファンの心をつかむことができるのか?今後に注目したい。
2021年01月19日