木曜日連載、アート・ブックショップ「NADiff(ナディッフ)」各店による今読むべき1冊。今週は、『画と機 山本耀司・朝倉優佳』。東京・新宿の支店、ギャラリー5(新宿区西新宿3-20-2東京オペラシティタワー3階)によるご紹介です。■『画と機 山本耀司・朝倉優佳』本書は日本のファッションデザイン界を牽引する山本耀司の魅力と本質に迫る、東京オペラシティアートギャラリーで開催中の展覧会の公式図録である。若手画家の朝倉優佳の作品を交えて、二次元から三次元へ自在に表現が巡らされる展覧会会場は、ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)を知るファッション好きはもちろん、アート好きも引き込まれる刺激的な展示空間となっている。一方、図録は山本・朝倉の絵画作品を中心に構成されているため、ページを走る山本の筆使いに新鮮な驚きを覚える人もいるだろう。こちらでは空間演出から離れて一枚一枚の作品にじっくり向かい合うことができる。作品の他には、両名のインタビュー、展覧会タイトルの「画と機」(「画」は絵画を、「機」は「はずみ」や「機会」「機織(服)」を意味する)の名付け親である編集工学者の松岡正剛、そして『GQ JAPAN』編集長の鈴木正文による解説も収録されている。ページごとに、さまざまな異なる種類・判型の紙が使用されており、製本形式も従来の展覧会図録にはないファイル綴じ。一見、黒くすっきりとしたシンプルなファイルだが、その中には、山本耀司の40年という円熟したキャリアを経てもなお尽きることのない創作へのエネルギーが閉じ込められている。なお、展覧会「画と機 山本耀司・朝倉優佳」は3月12日まで東京オペラシティアートギャラリーで開催されている。【書籍情報】『画と機 山本耀司・朝倉優佳』出版社:東京オペラシティアートギャラリー言語:日本語・英語ファイル綴じ仕様/72ページ/320×250mm発刊:2016年12月価格:2,593円【展覧会情報】「画と機 山本耀司・朝倉優佳」会場:東京オペラシティ アートギャラリー 3Fギャラリー1、2住所:東京都新宿区西新宿3-20-2会期:12月10日~17年3月12日時間:11:00~19:00(金・土曜日は20:00まで、入場は閉場の30分前まで)料金:一般1,200円、高大生800円、中学生以下無料休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、2月12日
2017年01月26日OL兼漫画家として唯一無二の作風で活躍するカレー沢薫さんの連載コラム登場!徹底した猫至上主義の価値観で考える「猫と男」とは?その辺のダメ男に引っかかっている女性陣。出会いがないと嘆いているあなた。猫の前では男なんて無価値かも?■第1回「猫を飼っている男の特徴」このコラムのテーマは「猫と男」だ。おそらくこのコラムを読んでいる3人中5億人が「男いらなくね?」と思っただろう。そもそも唯一神である猫(以下おキャット様)と人間如きを同列に語ろうというのが間違っているので正式なタイトルは「猫>>>>>>>>>>>越えられない壁>>男」であり、略して「猫と男」だ。「と」はどこから来た、という話は置いておいて、ならおキャット様の話だけすればいいと思われるかもしれないが、まずはこのサイトの全貌を見て欲しい。「男、女、結婚、恋愛」以外の話は許さないという雰囲気だ。それでもおキャット様の話をするために、男という蛇足を付けざるを得なかったのだ、どうか許して欲しい(今のはおキャット様への謝罪であり貴様らに謝ったわけではない)。まず第一回目のテーマは「猫を飼っている男の特徴」だ。別に、考え得る限りでもっともつまらないテーマを選んだわけではない、やる気はあるのだ。まず猫を飼っている男の特徴だが、例外なく言えるのは「いい奴」である。これは「猫ちゃん好きに悪い人はいないょ」という虫歯になりそうな思想ではない、おキャット様を飼う、という重責を担う男が悪かったら困るからだ、だから例外なくいい奴でなくてはならない、これは義務だ。しかし、ここで言ういい奴、というのは人間的にという意味ではないし間違っても「女にとっていい男」という意味ではない。女を風呂に沈めた金で、おキャット様にカナガンのキャットフードを献上しているとしたらそれは「いい男」である。よって猫を飼っている男は例外なくイイ奴なので、女性は安心してつきあい、どんどん貢いで、おキャット様が三食シーバプレミオを食えるようにしていただきたい。猫を飼っている男がいい奴だということはわかったが、ではその性格はどういったものだろう。さっそく「猫好き男特徴」とインターネットに聞いてみた。もちろん「○○だから●●」と断言できることなどほぼないため、薄らぼんやりとした情報しか得られなかったが、一番多かったのは「猫好き男は性格も猫系」というものだった。勘違いされては困るが、おキャット様の性格というのはおキャット様にしか許されない、人間がまねをしたら万死に値する。そもそも猫系の性格とはなんだというと「自由でマイペース」ということである。確かにそういう性格の人間は男女問わずにいるが、少なくともペットを飼う以上ペットに対してだけはキッチリした性格でないと困る、日頃からおキャット様に対し細やかなケアを行い万が一体調を崩されていたら速やかに病院へ連れて行かなければならない。逆に言えば、それ以外に対してはマイペースで構わない、手作り弁当を持ってきた女を前にドミノピザに電話をかけるぐらい自由でいい、許す。つまり、猫飼い男と付き合うときは、自分よりおキャット様を優先されても「それが当然」と思えなければいけないのである。プロフィールカレー沢薫OLであり漫画家、コラムニスト。1982年生まれ。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビューを飾る。秀逸な言語感覚で繰り広げられる切れ味鋭い世界観が人気。こよなく猫を愛し、猫が登場する作品も多数。最新著作『ブスの本懐』(太田出版)を2016年11月16日に発売。
2016年12月22日東京オペラシティ アートギャラリーで「画と機 山本耀司・朝倉優佳」が12月10日からスタート。来年3月12日まで開催されている。開幕前日の9日には内覧会が行われ、山本耀司も来場。本展覧会への想いをこう語った。「異常気象、イギリスのEU離脱、アメリカの新しい大統領など、世界がヤバい状況の中でファッションだけをやっていては駄目だ。世界をつなぐにはアートしかない、と思った。世界が、特に日本がヤバい状態を何とか出来るのは指先の力でありセンス、技術、そしてソフトパワーつまりアートしかない。40年以上服を作って、疲れているはずの男が頑張っていることを若い人に見てほしいし、お前たちも立てよと言いたかった」本展では、山本がキャンバスや紙に描いた絵画、ガラスに描いた作品、屏風(びょうぶ)形式の作品、彫刻など未発表の作品と共に、彫刻作品と女子美術大学大学院博士課程在学中の画家で、数シーズン前からヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)のウィメンズとメンズのパリコレクションでコラボレーションを行っている朝倉が単独で制作した作品、2人が共同制作した作品、2人のコラボレーションによる服などが展示されている。会場入り口の幅16メートル縦6メートルの窓ガラスと会場奥の窓ガラスも山本と朝倉が内覧会直前に一気に描き上げたという。配置や構成まですべて山本と朝倉が2人で決め、会場に流れる音楽にも山本の声を加え、非常灯のマークも山本自身を連想させるものにするなど細部にまでこだわった今回。それまでも準備はしていたものの、10月の春夏コレクション終了後、自宅やアトリエなど、様々な場所に置き、朝から制作したという絵画や彫刻、ガラスや屏風に描いた作品など山本の20数点の作品と朝倉が制作した作品の中から選んだ70数点の絵画、そして共同制作した作品が入り交じるような構成で展示している。軍服姿の絵は戦争で亡くなった父を描いたもので、会期中に会場内の様々な場所に移動する予定だという。また、パリコレクションの直前にショー会場で、朝倉がシャツの上にペイントしたものや2016年春夏の赤いドレスなど、パリコレクションで発表したコラボレーション作品は、山本を思わせるボディや流木に着せている。服を中心とした回顧展ではないという意外性も今回の展覧会の狙いを強調しているよう。デッサンや山本本人写真の上に絵を乗せた作品、それらの作品を使ったヨウジヤマモト プリュス ノアール(YOHJI YAMAMOTO +NOIR)の服なども展示している。朝倉とのコラボレーションについて「最初にメンズを手伝ったもらったときからデッサンがすごかった。骸骨が風呂に入っているのを描いた服はすごく売れたし、専門の訓練を受けたメッセージ力の凄さは僕にはない。ただ、これだけは出会い。一緒にやりたいという若い人はたくさんいるが、面接で選んでいるわけではないので」と説明した上で「大変でした。ファッションはチームでする仕事だからデザイナーは好きなことを言えば良い。でも、アートは筆を洗うことまで自分でやらなければいけないし、描きながら、たかがファッションで成功した人間が絵?ふざけんなと言われると思っていたから真剣勝負だった。世界はヤバいという想いを伝えるためにも、これからも絵だけではなく様々なアートや演劇、映像にも関わりたいし、生きている限り変わっていきたい。来年はシークレットライブもやりたい」と明かした山本。これからの活動やコレクション、コラボレーションなども注目を集めそうだ。【展覧会情報】「画と機 山本耀司・朝倉優佳」会場:東京オペラシティ アートギャラリー住所:東京都新宿区西新宿3-20-2会期:12月10日~17年3月12日時間:11:00~19:00(金・土曜日は20:00まで、入場は閉場の30分前まで)料金:一般1,200円、高大生800円、中学生以下無料
2016年12月11日テレンス・マリック監督の最新作『聖杯たちの騎士』が12月23日(金・祝)から公開される前に、主演のクリスチャン・ベイルのインタビューが届いた。様々なジャンルの作品に出演し、観客、評論家から高い評価を集めているベイルは、マリック監督と長年に渡って連絡を取り続けていたようだ。その他の画像ベイルは子どもの頃から俳優として活躍し、近年は徹底的に役に向き合う実力派俳優として『ダークナイト』『アメリカン・ハッスル』などに出演。『ザ・ファイター』ではアカデミー助演男優賞に輝くなど、人気・実力ともに世界のトップクラスにある俳優だ。そんな彼は、マリック監督の『ニュー・ワールド』に出演して以降も、監督と連絡を取り合っていたという。「いつも素晴らしい会話をしているけど、何度か新作の話が持ち上がった。この作品に関して彼は、僕に役の説明をしたいと言ってきたんだ。そしてそれだけだとも言った。“何が起きるか試して見よう”的なアプローチだとね」。通常、ベイルほどのスター俳優になると、完成した脚本か、しっかりと書かれたシノプシスを読んで出演を決めることが多い。しかし、ベイルは「すべての監督とこのような撮影方法が出来るわけではないけど、テリーとだったら間違いないと思った」という。監督が、ベイルに与えたのは“リック”という役だ。ベイルは監督から受け取った断片的なエピソードや情報を基に、想像を膨らませ、監督に伝えては、リックという男が形作られた。「多くのことが実際の映画では出てこない情報だけど、僕はそれらの情報に頼るしかなかった」。リックは脚本家で、大成功を収めているが、妻や実家の両親、兄弟とはトラブルを抱えていて、心の中に大きな“空白”を抱えている。「周りから見れば彼は成功者だけれど、彼は自分自身のことをそうは思っていない。だからこそ彼は旅路に出る。行き先がどこかもわからないけれど、いつか忘れてしまった何かを再び取り戻そうとしているんだ」映画は、リックが様々な女性と出会い、交流を重ねながら自身の進むべき道を見つけようと彷徨う姿が描かれる。ケイト・ブランシェット、ナタリー・ポートマンら演技派女優たちとの演技もまた、“段取り”を繰り返すものではなかった。「この撮影でのスタンスが“準備が整う前に始めよう”だったので、自分がまだ何をするかもわかっていないうちからカメラが回り始めた。人生みたいだよね。次に何が起きるかなんてわからないのだから」。観客もまた、ベイルと同じように次に何が起こるかわからない気持ちを抱えて、リックの“心の旅”を見守ることになるだろう。「とにかく撮影中、素敵な“わからない”という要素がたくさんあった。他の監督では楽しむことはできないだろうけど、テリーとだからこそ、楽しむことができたんだ」『聖杯たちの騎士』12月23日(金・祝)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国ロードショー
2016年11月30日松山ケンイチが驚異の体重増量と役作りで、病いと闘いながらわずか29年の生涯を駆け抜けた伝説の棋士を熱演する『聖の青春』。その松山さん演じる村山聖と「東の羽生、西の村山」と並び称され、現在もなお棋界の頂点で活躍する羽生善治を演じるのは、精神面・肉体面の両方からアプローチし、激似ぶりが話題となっている東出昌大。それぞれ渾身の役作りが話題になっているこの2人。お互いが最大のライバルでありながら、村山さんにとっての羽生さんは「ヒロイン」ともいえる存在であったという。将棋界の最高峰「名人」を目指し、人生をかけ、短い命を燃やした村山聖九段。彼の最大のライバルにして、憧れの存在でもあったのが、100年に1人と称される天才棋士、羽生善治だ。村山さんにとって、同世代ながらトップ棋士として活躍する羽生さんは凄まじいライバル心を燃やす相手である一方、「羽生さんと同じ空気を吸いたい」と、当時拠点を置いていた大阪から上京するほどの憧れの存在だった。対する羽生さんにとっても、村山さんは強烈な存在だったよう。先日行われた映画公開記念イベントでは、羽生さん本人が、かつて負けた一戦を回顧しながら「彼の手の動きが印象的で、いまでも覚えている」と語っており、短い期間ながらも、濃い時間を過ごした2人の確かな関係性をうかがい知ることができる。本作においても、松山さん演じる村山聖と、東出さん演じる羽生善治の関係性は物語の核となる重要な部分。これまで、『ひゃくはち』で万年補欠の野球部員、『宇宙兄弟』で宇宙飛行士を目指す兄弟という“名ライバル”を描いてきた森義隆監督は、撮影にあたり、2人の距離感を大事にするため、松山さん、東出さんに演技以外での会話を禁止するなど、徹底した関係作りを行ったという。そして、棋譜すべてを覚え、約3時間にもおよぶ長回しを行った伝説の対局シーンを、「2人が勇気を持って『やる』と言ってくれた」と嬉々として語りながら、「想像のはるか上をいくものが出来上がった」と自信のほどを語っている。松山さん、東出さんの2人もまた、撮影中、互いの演技に触発されていた様子だ。先日行われた村山さんの地元・広島での舞台挨拶で、「羽生役が東出くんで本当によかった」と話した松山さん。「羽生さんというオーラを身に纏ってくれたから、村山さんが羽生さんに抱いていた尊敬の念を自然と持つことが出来た」と語り、自ら「本作のヒロイン」と言ってはばからない東出さん演じる“羽生善治”への気持ちが、“村山聖”という役と見事にシンクロしたことを明かしている。一方、東出さんも、「松山さんの演技に負けないよう、真剣で切り合うつもりで挑んだ」と、松山さんの演技に大いに刺激を受けた様子。盤上で棋力を存分に引き出しあっていた村山さんと羽生さん同様、互いの力を限界まで引き出しあった松山さん、東出さんの両名の熱演は必見だ。また、本作では対局を離れた2人の会話シーンも見どころとなる。“激戦”の後、2人っきりの食堂で、将棋に対する想いや、対局における“潜る”という感覚、そして対局の先にあるまだ見ぬ世界への憧れを語り合う2人の姿にもグッとくるものがあるはず。最大のライバルであり、“将棋”という道を究める同志でもあった村山さんと羽生さん。松山さんと東出さんが渾身の役作りで演じた、この2人のアツい関係にぜひ注目していて。『聖の青春』は11月19日(土)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:聖の青春 2016年11月19日より全国にて公開(C) 2016「聖の青春」製作委員会
2016年11月18日●村山聖が憧れた羽生善治と向き合う感覚29歳の若さでなくなった天才棋士・村山聖。少年時代から、難病と戦いながら将棋にすべてを賭けてきた彼の人生を描いたノンフィクション小説『聖の青春』が、発表から16年を経て映画化されることとなった。2008年に映画化の企画が生まれてからさらに、公開まで8年の月日をかけ、監督の中でも熟成された作品に挑むのは、松山ケンイチと東出昌大だ。"怪童"村山聖を松山、将棋界でも100年に1度の天才と呼ばれ現在も活躍する棋士・羽生善治を東出が演じた。先に行われた東京国際映画祭では、東出から「ヒロイン・羽生善治役」とジョークも飛んだが、ライバルであった2人の対局シーンには映画というフィクションを超えた迫力、そして将棋盤をはさんで育まれた絆が宿っていた。○戦っているのが見えた――おふたりは初共演とのことですが、お互いの印象はいかがでしたか?松山:東出くんが出ている作品も観ていましたし、(早乙女)太一くんと共演した時に東出くんの話を聞いたりしていたので、「どんな人なのかな」と楽しみにしていました。かといって、色々とプライベートな話をするような状況でもなかったような気がします。現場に入ったらもう東出くんじゃなかったですね。自分の中ですごく戦っているのが見えました。最初は本当に対局シーンだったんだよね、大阪で。東出:はい、そうでしたね。松山:一発で、「羽生さんだな」と思いました。村山さんが、尊敬や憧れを感じていただろう"羽生さん"が目の前に現れたんですよね。東出さんがすごくリサーチをかけて役を作ってきたのも見えましたし、何より羽生さんと将棋に対する愛情をすごく感じて、それがひとつのオーラになっていました。だから、羽生さんを演じる東出くんを素直に尊敬できたし、憧れることができて、「これからすごく面白いことになるな」と思いえました。自分自身も、もっともっと村山さんに向き合って演じていけば、それこそ作中で対峙した時のように、深い海に2人で潜っていけるな、という実感がありました。東出:僕は、クランクインする前から、プロデューサーさんや監督さんから「松山さんがすごく過酷な増量をしている」とか、「将棋連盟に通っている」とか、色々とお話を聞いていたんです。クランクインして2週間ほど経ってから現場に入ったんですが、それまでに「村山聖の組として現場を作っておくから、お前はそこにライバルとして入ってこい」と監督から言われていて。実際に現場に入ったらもう、ライバルとしての村山聖がいました。松山さんの気迫あふれる村山聖を前にして、やっぱり僕も嬉しかったです。元々松山さんの作品も見ていますし、尊敬する先輩としての印象は大きかったんですけど、現場に入ってからは村山さんとして向き合う感覚でした。鬼気迫るものがありましたね。●向かい合うシーンは、ある種の殺し合い○「この人大丈夫か」という感覚――対局シーンにしても、食堂でお酒を飲むシーンにしても、お二人が向かい合ってるシーンが多くて印象的だったのですが、どういう気持ちで対峙していたのでしょうか。松山:ずっと、東出くんが前にいるというよりも、羽生さんが前にいるという感じだったんですよね。東出くんがそこまで役を昇華させて自分のものにしているから、すんなり入ることができて、こちらとしてはありがたかったです。そこに支えられている部分もありました。東出:僕は松山さんから、鬼気迫るものを感じていました。先日、行われた羽生さんと(原作の)大崎善生さんのトークショーで、羽生さんは生前の村山さんに対して「この人大丈夫か」と思っていたと話されていたんです。それは村山さんの病のこともあるし、将棋の指し手に鬼気迫るものがあったからだそうで。まさしく、僕が松山さんに抱いていた気持ちそのまんまだなと思いました。羽生さんが病のことを気にされていたように、僕も増量による松山さんの体の負担のことも考えましたし。松山さんが村山聖として、対局中に肩をいからせて入ってくる姿は、威圧感がありながら繊細さもはらんでいて、ある種の”殺し合い”という感じはありました。――作中の対決だけでなく、演技の上でも対決、みたいな感覚は少しあったんでしょうか?東出:「現場であまり松山さんと話さないように」というお話は、監督からありました。もちろん、みんなで軽く待ち時間に「この掛け軸、いいね」みたいな話などはしたんですが。僕等に限らず、みなさんが役を引っ張って、ずっとギアを上げている状態だったと思います。全員で同じ方向を向いていたのがこの現場のすごさですし、俳優部だけでなく、全体的にずっと緊張感のある現場だったと思います。松山:スタッフの方々の、環境づくりみたいなところは凄まじかったですよね。東出:本当に。松山:やっぱりみんな、将棋が好きなんじゃないかなと思いました。中にはもちろん、将棋を知らない人もいたと思うんですけど、愛がありましたよね。○森監督にききたいこと――棋士の役作りということで、将棋連盟にも通われていたという話ですが、どのような雰囲気を意識されましたか?松山:撮影に入る前の準備段階で、実際に対局室にお邪魔した時に、普段自分が吸っている空気とは明らかに次元の違う空気感があったんです。それをどう演技で表現していくかはすごく大事なことだと思っていましたし、ある意味一番時間かかかっている部分かもしれません。やっぱり、棋士役の人たちはみんな、プロ棋士としての佇まいを身につけるのに苦労したんじゃないでしょうか。きっと裏では各々が一つのコマを持って、ずっと将棋をさしていたんだと思うんです。――ぜひ今回メガホンをとった森監督に言いたいこと、聞きたいことがあれば教えていただきたいです。松山:監督は8年間企画を進めようとしていて、僕は途中の段階から入ってきているんです。「ぜひ村山さんを演じたい」とアプローチをして、選んでいただきました。すごく嬉しかったし、選んでいただいたからこそ、限界以上のものを出さなきゃいけない、という覚悟もありました。だから、単純に、なぜ僕を選んでくれたのか聞いてみたいですね。東出:監督は村山聖のことが大好きですし、映画が大好きだと思うんですけど、この映画を撮っていて「楽しかったですか?」と聞きたいですね(笑)。撮影している時に、気迫がすごくて。この映画にかける思いを聞いてこなかったように思うんですよね。楽しかったとしたら、どのシーンを撮っていたときが楽しかったのか教えていただきたいです。※監督からの回答は次のページに掲載●俳優2人からの質問に、監督の回答は?2008年に 『ひゃくはち』で映画監督デビューし、2012年には『宇宙兄弟』が大ヒット。テレビ、映画、舞台と幅広く活躍しながら、この『聖の青春』を映画化するために8年もの間動き続けてきた森義隆監督は、俳優2人から預かってきた質問に快く答えてくれた。○監督の回答・松山ケンイチさんからの質問:なぜこの映画で僕を選んでくれたんですか?森:8年前から君の名前は挙がっていました(笑)。その上、こっちが「撮れるぞ」というタイミングで自ら手を挙げてくれたことに、運命を感じたんです。企画から8年もかかっていると、もう「この作品が動く時って運命しかないな」と思うんですよね。やっぱり実在した人物の物語を撮る時に、作り物じゃないものにしていこうと思うと、ある大きな流れの中でしか撮れないんじゃないかと思い始めて。30歳の松山くんが、29歳で死んだ男の話に手を挙げてくれたことにも、必然を感じました。・東出昌大さんからの質問:この映画を撮っていて楽しかったですか?森:めちゃめちゃ楽しかったし、鬼気迫ってないですよ!(笑) 僕が20年やっている中で、一番楽しかったし、一番笑顔が多かった現場です。もちろん集中はしていましたが、撮影できるまでに8年もかかってるし、気負わないことは逆にテーマにしていました。しびれたのは最終対局ですね。2人の対局シーンを3時間長回しなんて、試したこともなかったし、俳優を信じるしかなかった。クライマックスシーンだから失敗できなかったし、僕の経験値でも2人の経験値でも、やれるかやれないかわからなかったけど、2人とも「やりたい」と言ってくれたので、一緒に飛び込めました。想像を超えた感覚があって、楽しかったです。■聖の青春(11月19日公開)"西の怪童"と呼ばれる新世代のプロ棋士・村山聖(松山ケンイチ)。現在七段の聖は幼少時より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患いながら、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指して快進撃を続けてきた。そんな聖の前に立ちはだかったのは、将棋界に旋風を巻き起こしていた同世代の天才棋士・羽生善治(東出昌大)。どうしても羽生の側で将棋を指したいと思った聖は上京を。そんな折、聖の身体に癌が見つかった。「このまま将棋を指し続けると死ぬ」と医者は忠告。しかし聖は聞き入れず、将棋を指し続けると決意。もう少しで名人への夢に手が届くところまで来ながら、彼の命の期限は刻一刻と迫っていた…。
2016年11月18日若干29歳にして亡くなった伝説の棋士・村山聖の生涯を描く『聖の青春』。この度、主演の松山ケンイチと森義隆監督が、村山さんのゆかりの地である広島・大阪を訪問。それぞれの地で試写会が行われ、2人が登壇した。100年に1人と言われる天才・羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称された棋士・村山聖。本作は、病と闘いながら将棋に全人生を懸け、全力で駆け抜けた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く、奇跡の実話を元にした感動のエンターテイメント。主人公・村山聖役には松山さん、聖の最大のライバル・羽生善治に東出昌大を始め、聖の弟弟子・江川貢役に 染谷将太、聖を支えた師匠・森信雄役にリリー・フランキー、母・村山トミコ役に竹下景子ら豪華キャスト陣が脇を固めている。今回、最初に訪れたのは村山さんの実家がある広島。森監督は村山さんの実家を訪問し、村山さんの両親に映画の完成を報告。映画化を志した8年前から、毎年訪れていたという森監督は、お墓参りもして村山さんに映画の完成報告も行った。8年の月日をかけようやく良い報告できたということで、森監督も安堵の様子だった。そして、広島バルト11で行われた舞台挨拶では、松山さんと森監督が登壇。まず、原作との出会いをふり返った2人。監督は「原作との出会いが8年前で、29歳という村山さんが亡くなった年齢だったんです。村山さんの生き様に、自分自身の人生を問いかけられているようでした。彼の人生をなぞるのではなく、彼の魂の形をお客さんに届けられたらなと思っておりました」と語り、同じく松山さんも29歳のときに原作を読んだそうで、「家の本棚を整理していると偶然見つけたんです。同い年というところに惹かれ手に取りました。ここまで命を燃やすということを体言している人はいないなと心を打たれ、役者として命を燃やしてこの役に臨みたいと思ったんです」とコメント。そんな役者魂に火をつけられた松山さんは、リサーチしていく中で森監督が映画化に動いているという話を聞き、自らアプローチをしたそう。「私が松山さんを選んだのではなく、作品が松山さんの名乗り出を待っていた」と森監督が語り、松山さんは「29歳のときに原作を読んでいなければ、ここまで強い気持ちは持てなかったと思います。そういうめぐり合わせに深い縁を感じます」と運命的な役との出会いであったと明かしていた。翌日訪れたのは、村山さんが将棋人生の大半を過ごした大阪。なんばパークスシネマで行われた舞台挨拶に2人が登場すると、会場からは割れんばかりの拍手が起こった。まず、話題となっている松山さんの役作りについて話が進むと、ポスター画像に写っている自身を指しながら「サモ・ハン・キンポーではないです」とジョークをとばす松山さん。体重増加という外面的なアプローチに関し、撮影中に履いていた大きいサイズの下着をいまでも使用していることを明かし、「(あまりの大きさに)ズボンを履くときに下着もずり上げて履くのですが、食い込んでしまうんです」と会場を笑わせる場面も。最後には、観客に向けて「限られた命を燃やした村山さん。その姿にどの年代の方も何かを感じるはずです」(森監督)、「この村山聖役は、自分にとってとても貴重な経験になりました。命を燃やすということは決してよいことばかりではないですが、その美しさを見てほしい」(松山さん)とメッセージを送った。『聖の青春』は11月19日(土)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国にて公開。(cinemacafe.net)
2016年11月09日デザイナー・山本耀司の魅力と本質に迫る展覧会「画と機 山本耀司・朝倉優佳」が、12月10日から17年3月12日まで東京・新宿の東京オペラシティ アートギャラリーにて開催される。近頃、絵画とのコラボレーション作品を積極的に展開している山本耀司。今回開催される展覧会のタイトル「画と機」は、そんな山本の希望により、編集工学者の松岡正剛が考えた。「画」は絵画を、「機」は「はずみ」や「機会」、「機織(服)」を意味しており、この二文字は関係性を表し、絵画とファッション、二次元と三次元、男と女など、反発しながらも惹かれ合い、互いに逃れられないような、創造の根源に触れる危険な関係を暴き出す。同展では、40年以上のキャリアを経て今なお斬新なクリエーションを展開する山本の魅力と本質に迫る。会場には、同展のために山本が制作した絵画や彫刻などを展示。通常とは異なる異形ボディのマネキンが、思い思いの着方で服をまとって並ぶ空間は、ファッション展のイメージを持って来た人の期待をものの見事に裏切る。また、16SSメンズ&ウィメンズコレクションから数シーズンに渡り、ヨウジヤマモトとのコラボレーションピースを発表してきた若手画家の朝倉優佳の作品も展示。「画と機」の衝突、融合、失望、対立、刹那、交替、憧憬、永遠の現場を体感できる機会となっている。【展覧会情報】「画と機 山本耀司・朝倉優佳」会場:東京オペラシティ アートギャラリー住所:東京都新宿区西新宿3-20-2会期:12月10日~17年3月12日時間:11:00~19:00(金・土曜日は20:00まで、入場は閉場の30分前まで)料金:一般1,200円、高大生800円、中学生以下無料
2016年10月30日声優の沢城みゆきが、この秋、完全新作で蘇る『デスノート Light up the NEW world』に新たに登場する真っ白な姿の死神・アーマの声を務めることが決定した。犯罪のない社会を目指し、デスノートで世界を変えようとしたキラこと夜神月。暴走する彼を阻止しようとした世界的名探偵・L。天才VS天才の対決から10年経ったある日、世界中のネット回線がジャックされ、キラによるメッセージが発信された「デスノートを手に入れろ―」。死神により地上にもたらされた6冊のデスノート。同時多発的に発生する大量の殺人事件。そんななか、三島(東出昌大)が率いるデスノート対策本部に、Lの後継者・竜崎(池松壮亮)が加わり、無差別殺人事件の現場で1冊のデスノートを手に入れる。一方、その現場には、キラの信奉者・紫苑(菅田将暉)の姿が。いま、それぞれの譲れない“正義”を懸けた、3人の壮絶な頭脳戦が始まる──!死神・リュークの声を、歌舞伎役者の中村獅童が続投する本作。今回、本作に新たに登場する死神の“1人”となるのが、死神・アーマだ。原作の“シドウ”をベースにデザインされ、漫画原作の小畑健監修のもと、制作が行われた。VFXアドバイザーを務めた土井淳氏は、前作映画から10年を経ていることもあり、リアリティを追求し存在感のある死神を目指したという。「色気と美しさのある死神」という佐藤信介監督からの要望もあり、その要素をどうデザインに落とし込むか、描いては壊しが繰り返された。そうしてでき上がったアーマは、死神の“友達”を持たず、むしろ人間にシンパシーを感じているようなキャラクターで、マスカットが好物。「まあね」が口癖で、仕草や話しぶりもエレガントな、“女性”の死神だ。そんな愛嬌がある死神・アーマに息を吹き込むのは、 「べるぜバブ」(ベル坊)、「HUNTER×HUNTER」(クラピカ)、「テガミバチ」(ラグ・シーイング)、「GO!プリンセスプリキュア」(紅城トワ:キュアスカーレット)ほか、ナレーション、洋画&海外ドラマ吹き替え、舞台でも活躍中の沢城さん。「週刊少年ジャンプ」作品でお馴染みの沢城さんは、「佐藤監督からお声がけいただきまして、なんとも豪華な俳優陣の中に、恐縮ながら参加させていただくことになりました」と真摯にコメント。「死神ってこういうもの、という何か共通項があるのかなと思っていたら、私たち人間同様、本当に三“神”三様だったのが印象的です」とふり返っている。果たして、沢城さんが声を務めるアーマは、誰にデスノートをもたらすのか!?先日解禁となった本予告には、“金色”の新たな死神も映りこんでおり、リュークに関しては獅童さんのフェイシャルキャプチャーが行われ、よりリアリティを追求したという本作の死神たち。フルCGによって誕生する、“演技派”な死神たちの活躍もまた見逃せない。『デスノート Light up the NEW world』は10月29日(土)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年09月12日ワイスリー(Y-3)がクリエイティブディレクターの山本耀司と、ワイスリーのシニアデザインディレクターのローレンス・ミッドウッドにそれぞれフォーカスしたふたつのムービーを公開した。山本耀司に焦点を当てたモノクロのフィルム「山本耀司 マスターオブシャドウ(Master of shadow)」は、ワイスリー16-17AWパリメンズコレクションウィークの期間中の山本耀司を捉えたもの。モデルキャスティング会場の様子から、山本耀司の車中での会話、チームとの綿密なミーティングの様子までが収められた。一方、ローレンス・ミッドウッドにフォーカスした「In conversation with Lawrence Midwood(ローレンス・ミッドウッドとの対話)」は、ワイスリーパリメンズファッションウィークのバックステージを独自の視点で捉えたムービー。ブランドを内部から映し出し、コレクションが生み出されている過程を知ることもできる。ムービーの中でローレンス・ミッドウッドは、“黒”という色の本質や、未来へのデザイン、山本耀司との親交などについて触れている。動画引用元: (Y-3オフィシャルYouTube:)動画引用元: (Y-3オフィシャルYouTube:)
2016年09月03日100年に1人といわれる天才・羽生善治と互角に渡り合いながら、29歳で急逝したプロ棋士・村山聖の、全力で駆け抜けた生涯を描く『聖の青春』。このほど、本作の主題歌に泰基博が書き下ろした「終わりのない空」が決定、併せて、その楽曲がドラマティックに彩る予告編映像と新ビジュアルが解禁となった。本作は、幼少時より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患いながら、羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称された村山聖の全力で駆け抜けた生涯を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動作。主人公・村山聖には、役づくりのため体重を大幅に増量させた松山ケンイチ。また、ライバル・羽生善治には早くも「激似」と話題の東出昌大。聖の弟弟子・江川貢役に染谷将太、聖を支えた師匠・森信雄役にリリー・フランキー、母・村山トミコ役に竹下景子、さらに安田顕や柄本時生、鶴見辰吾、北見敏之、筒井道隆ら、豪華キャスト陣が脇を固め、伝説の将棋指しの短い人生を、周りの人々から愛された記憶と共に愛情豊かにスクリーンに昇華する。そして今回、本作の主題歌を担当することになったのが、今秋デビュー10周年を迎え、幅広い世代のファンを惹きつける秦さん。名人になることだけを夢見て、命を削りながら将棋に全てを懸けた村山聖の一生に感銘を受けたという秦さんは、本作のために主題歌を書き下ろし、力強くも儚い、ドラマティックな名曲が完成した。その主題歌「終わりのない空」に乗せて映し出される予告編では、「さっき、村山くん亡くなりました…」と電話口で語る彼の師匠・森(リリーさん)の言葉から始まる。そして、“西の怪童”と呼ばれた天才棋士・村山聖(松山さん)が、最大のライバル・羽生善治(東出さん)と死闘を繰り広げる一方、医師から進行性の膀胱がんを宣告される場面も。「負けたくない」という心の叫びのごとく、短くも全力で駆け抜けた聖の生き様が、泰さんが歌い上げる楽曲とマッチ。羽生との勝負を超えた心のつながりも胸を打つ、「どう生きるか、どう死ぬか」を問いかける映像に仕上がっている。■泰基博コメント主題歌のお話をいただき、村山聖さんという稀代の棋士のストーリーということで気合いが入りました。曲作りは5月ごろから。完成直前の映像を拝見し、将棋を通した魂のぶつかり合い、聖の、病気という困難に直面しながらも、名人という夢に突き進んでゆくその姿に感動をおぼえました。エンドロールに流れることをイメージしながらまず曲を、そしてアレンジを考えていきました。ちょうどツアーで全国を回っている時期だったので、その移動中に原作を読み進めながら歌詞の構想を練っていきました。サビには聖のその瞬間、瞬間にいのちを燃やし、全身全霊ぶつかっていくさま、そして、彼が手記に遺した「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。」という言葉から汲み取った想いを込めています。映画とともにこの「終わりのない空」を受け取っていただけたら嬉しいです。■監督・森義隆コメントまた一人、村山聖の生き方に魅せられ、その才能を『聖の青春』に注ぎ込んでくれた仲間が増えました。秦さんは今回、その美しくやさしい歌声で、誰もが限りある人生を生きていることの刹那、そしてその現実の前でのわれわれの無力さ、そして、それでも生きることのなかにある希望を歌いあげてくれました。このエンディングテーマを通して、村山聖の短い人生の物語は、映画を観てくれたみなさん自身の人生の物語と重なり合っていくんだなぁ、と。感慨です。■原作者・大崎善生コメント考えてみればはじまりは森信雄と私。いつも二人きりで白黒の画像の中にいた。二人で村山君の物語をいったいどのくらい語り合ったろうか。いつの間にかそれが画像になり、カラーになり多くの人たちが私たちの世界に色と光をもたらしてくれた。そしてついにはこんなに美しい音楽までが抽出された。まるで何かを絞り出したような清らかなメロディーが、この世界に生まれ落ちた。『聖の青春』は11月19日(土)より丸の内ピカデリー・新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年09月02日シンガーソングライター・秦基博が、29歳で亡くなった棋士・村山聖さんの生涯を俳優・松山ケンイチの主演で描く映画『聖(さとし)の青春』(11月19日公開)の主題歌として、書き下ろしの新曲「終わりのない空」を提供することが2日、明らかになった。合わせて、同曲を使用した新たな予告映像が公開された。原作は、大崎善生氏による同名の処女小説。「東の羽生、西の村山」として羽生善治と並び称されながら、名人への夢半ばで倒れた"怪童"の一生を描く。精神面、肉体面の両方から聖にアプローチしている松山のほか、東出昌大が羽生役として登場。聖の師匠・森信雄役のリリー・フランキー、母・村山トミ子役の竹下景子、弟弟子・江川役の染谷将太らが脇を固める。秦は、命を削りながら将棋に全てを懸けた村山さんの一生に感銘を受け、主題歌を書き下ろし。完成直前の映像を見た際も、「将棋を通した魂のぶつかり合い、聖の、病気という困難に直面しながらも、名人という夢に突き進んでゆくその姿に感動を覚えました」と語っている。曲作りは、全国ツアー中の5月頃に開始。エンドロールに流れることをイメージし、「曲を、そしてアレンジを」といった順に着手した。歌詞の構想を練ったのは、「移動中に原作を読み進めながら」。サビでは「聖のその瞬間、瞬間にいのちを燃やし、全身全霊ぶつかっていくさま、そして、彼が手記に遺した『人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ』という言葉からくみ取った思いを込めています」と明かした。メガホンを取る森義隆監督は、「秦さんは今回、その美しくやさしい歌声で、誰もが限りある人生を生きていることの刹那、そしてその現実の前でのわれわれの無力さ、そして、それでも生きることのなかにある希望を歌いあげてくれました」と絶賛。原作の大崎氏も「まるで何かを絞り出したような清らかなメロディーが、この世界に生まれ落ちた」と口をそろえる。公開された映像は、冒頭から森の「さっき村山くん、亡くなりました」との淡々とした知らせが映し出される。最大のライバル・羽生と死闘を繰り広げる一方、医師からがんを宣告される聖。余命三カ月という過酷な状況の中、周囲にかみつきながらも彼は必死に盤面に向かう。短くも全力で駆け抜けたその生きざまが、秦による主題歌と合わさり、「どう死ぬか、どう生きるか」を真摯に訴えかける仕上がりになっている。(C)2016 「聖の青春」製作委員会
2016年09月02日100年に1人と言われる天才・羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称されながらも、29歳の若さでこの世を去った伝説の棋士・村山聖の生涯を描く映画『聖の青春』。この度本作が、11月19日(土)の公開に先駆け、10月25日(火)より開催の「第29回東京国際映画祭」クロージング作品に決定した。1994年、大阪。路上に倒れていたひとりの青年が、通りかかった男の手を借りて関西将棋会館の対局室に向かっていく――。彼の名は村山聖(松山ケンイチ)。現在七段、“西の怪童”と呼ばれる新世代のプロ棋士だ。聖は幼少時より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っており、無理のきかない自らの重い身体と闘いながら、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指して快進撃を続けてきた。そんな聖の前に立ちはだかったのは、将棋界に旋風を巻き起こしていた同世代の天才棋士・羽生善治(東出昌大)。すでに新名人となっていた羽生との初めての対局で、聖は必死に食らいついたものの、結局負かされてしまう。「先生。僕、東京行きます」どうしても羽生の側で将棋を指したいと思った聖は上京を希望し、相談を持ちかける。先生とは「冴えんなあ」が口癖の師匠・森信雄(リリー・フランキー)だ。聖は15歳の頃から森に弟子入りし、自分の存在を柔らかく受け入れてくれる師匠を親同然に慕っていた。体調に問題を抱える聖の上京を家族や仲間は反対したが、将棋に人生の全てを懸けてきた聖を心底理解している森は、彼の背中を押した。東京――。髪や爪は伸び放題、本やCDやゴミ袋で足の踏み場もなく散らかったアパートの部屋。酒を飲むと先輩連中にも食ってかかる聖に皆は呆れるが、同時にその強烈な個性と純粋さに魅了され、いつしか聖の周りには彼の情熱を支えてくれる仲間たちが集まっていた。その頃、羽生善治が前人未到のタイトル七冠を達成する。聖はさらに強く羽生を意識し、ライバルでありながら憧れの想いも抱く。そして一層将棋に没頭し、並み居る上位の先輩棋士たちを下して、いよいよ羽生を射程圏内に収めるようになる。そんな折、聖の身体に癌が見つかった。「このまま将棋を指し続けると死ぬ」と医者は忠告。しかし聖は聞き入れず、将棋を指し続けると決意。もう少しで名人への夢に手が届くところまで来ながら、彼の命の期限は刻一刻と迫っていた…。病と闘いながら将棋に全人生を懸け、全力で駆け抜けた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動のノンフィクションエンタテインメント『聖の青春』。主人公・村山聖を演じるのは、『の・ようなもの のようなもの』の俳優・松山ケンイチ。聖の最大のライバル・羽生善治に、『デスノート Light up the NEW world』の公開が待たれる東出昌大。そのほか、染谷将太、リリー・フランキー、竹下景子、安田顕、柄本時生、鶴見辰吾、北見敏之、筒井道隆ら豪華キャスト陣が集結する。この度、10月25日(火)より六本木ヒルズほか都内で開催される「第29回東京国際映画祭」のクロージング作品として、本作の上映が決定。世界が注目する本映画祭のトリを飾ることになる。『聖の青春』は11月19日(土)より丸の内ピカデリー・新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年08月24日俳優・松山ケンイチが、29歳で夭折した天才棋士・村山聖に扮して主演を務める映画『聖(さとし)の青春』(11月19日公開)の初映像となる特報が15日、公開された。原作は大崎善生氏による同名の処女小説。羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称されながら、名人への夢半ばで倒れた"怪童"の一生を描く。精神面、肉体面の両方から聖にアプローチしている松山のほか、東出昌大が羽生役として登場。聖の師匠・森信雄役のリリー・フランキー、母・村山トミ子役の竹下景子、弟弟子・江川役の染谷将太らが脇を固める。特報に収められているのは、聖八段が羽生四冠に対局を挑む劇中の名シーン。当時の戦績が、5勝6敗とほぼ互角の実力者であった2人の熾烈な対局を、1997年の竜王戦1組1回戦での実際の棋譜を元に忠実に再現している。この場面は、プロ棋士・金井恒太六段が現場に指導役として張り付き、細かな所作に至るまでリアリティのある画作りを行ったという。さらに、対局中に聖が思わず倒れてしまうシーンや病床の場面も映し出されている。(C)2016 「聖の青春」製作委員会
2016年07月15日羽生善治と互角に渡り合った薄命の棋士・村山聖(さとし)の生涯を、実話をもとに描く松山ケンイチ主演映画『聖の青春』の特報映像とポスタービジュアルが公開になった。公開された特報映像映画は大崎善生のノンフィクション小説が原作。「東の羽生、西の村山」と並び称されながらも29歳にして亡くなった実在の棋士・村山聖が、全力で駆け抜けた生涯を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描かれる。松山のほか、東出昌大が羽生役を演じ、『宇宙兄弟』『ひゃくはち』の森義隆が監督を務め、『クローズEXPLODE』『陽だまりの彼女』の向井康介が脚本を手がける。特報映像は、将棋を指す駒音から始まり、本作の最大の見どころである村山聖八段(松山ケンイチ)が羽生善治四冠(東出昌大)に対局を挑むシーンがわずかだが垣間見られる。当時の戦績は5勝6敗とほぼ互角の実力であったふたりの対局は、実際の棋譜(1997年竜王戦1組1回戦)をもとに、プロ棋士・金井恒太六段の指導のもと、細かな所作に至るまで忠実に再現したという。特報映像にはそのほか、聖の師匠・森信雄役のリリー・フランキー。母・村山トミ子役の竹下景子。弟弟子・江川役の染谷将太。安田顕、柄本時生、北見敏之らも登場する。「負けるのは死ぬほど悔しい……生きる時間を削ってでも勝ちたい」「勝つことが、生きること。」と、病と闘い、将棋と戦う村山聖の生き様は、観る者に感動以上のメッセージを届けることになりそうだ。『聖の青春』11月19日(土)丸の内ピカデリー・新宿ピカデリー他全国公開
2016年07月15日若干29歳にして亡くなった伝説の棋士・村山聖。彼が病と闘いながら全力で駆け抜けた、生涯を描く奇跡の実話を映画にした『聖の青春』に、この度、東出昌大が出演することが決定。またリリー・フランキーや染谷将太らも参加していることが明らかとなった。1994年、将棋のプロ棋士・村山聖七段は、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指し、 15歳の頃から 10年間弟子入りし同居していた森師匠の元を離れ、上京しようとしていた。聖は幼少期より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っており、家族や仲間は反対する。しかし、幼いころから何をおいても将棋にかけてきた聖を見ている森師匠は、背中を押す。東京――。髪や爪は伸び放題、足の踏み場もなく散らかった家、酒を飲むと先輩連中にも食ってかかる聖に皆は呆れるが、みな彼の将棋にかける思いを理解し、陰ながら支えた。その頃、同世代の棋士・羽生善治が前人未到のタイトル七冠を達成する。聖は強烈に羽生を意識し、ライバルでありながら憧れの想いも抱く。そして聖は、将棋の最高峰であるタイトル「名人」になるため、一層将棋に没頭し、並居る上位の先輩棋士たちを下して、快進撃を続ける。そんな中、聖の身体に癌が見つかる。だが、「このまま将棋を指し続けると死ぬ、手術し、療養すべし」という医者の忠告を聞き入れず、聖は将棋を指し続けると決意する。彼の命の期限は刻一刻と迫ってきていた…。100年にひとりと言われる天才・羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称されながら、 29歳にして亡くなった実在の棋士・村山聖。本作は、そんな彼が病と闘いながら将棋に全人生を賭け、全力で駆け抜けた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動のノンフィクションエンタテインメント。主人公演じる松山さんに次いで、この度、新たにキャストが発表。松山さん演じる聖の最大のライバルであり、松山さん自身が本作の“ヒロイン”であると語る羽生善治を演じるのは、妻で女優の杏との間に双子をもうけ、公私共に絶好調の東出さん。実在し、かついまもなお棋界の頂点で活躍する人物という難しい役どころを、精神・肉体面の両方からアプローチ。劇中の“羽生メガネ”は、羽生氏本人が史上初となった七大タイトル戦七冠独占達成時に実際にかけていたものを譲り受けたという代物。徹底した羽生研究を行い、羽生氏本人と瓜二つの姿で撮影現場を驚きの声に沸かせた。なんといっても劇中での松山さんと東出さんが、実際の棋譜を覚えての2時間半に及ぶ長回し撮影に挑んだ緊迫感&臨場感溢れる対局シーンは最大の見どころとなっている。今回の決定に東出さんは「とにかく素晴らしい原作と脚本で、現場に入る前からこの作品に携われることに大きな幸福感と闘志を抱いていました」と喜び。また「クランクイン初日、色々な想いの中、街中で立ち尽くすシーンで、監督が演出に来て『芝居をするな』と仰言ったのが強く記憶に残っています」と撮影をふり返った。さらに元々尊敬する大先輩だったと松山さんについて語る東出さんは「松山さんとのお芝居の中で過ごせた時間が自分の宝になりました」と述べた。そして羽生氏は本作について「村山さんの生き様を描いた聖の青春が映画化されると聞いて、彼の存在の大きさを感じました」と話し、「自分も出てくるので気恥ずかしいところもありますが東出さんに演じて頂いたのはとても名誉な事だと思っています。将棋を知らない人達にも楽しんで感じて観てほしいと思います」とメッセージを寄せた。また、今回東出さん以外にも、10代の聖を大阪に引取り共同生活をしながら彼を支えた師匠・森信雄役にリリーさん、母・村山トミ子役に竹下景子、弟弟子・江川役に染谷さん。そのほか、安田顕、柄本時生、北見敏之、筒井道隆ら豪華キャスト陣が脇を固める。『聖の青春』は2016年秋、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)
2016年06月17日今回のテーマは「飲み会に誘われた際のうまい断り方について」である。正直飲み会の断り方に上手いも下手もない、あるのは心が強いか、弱いか、それだけだ。○誘いを断る時、我々は宇宙の塵にすぎない何故我々は、行きたくもない飲み会の誘いを断れないのか。女子力アピールだけ達者なバランス感覚のない女が取り分けたドレッシングしか入ってないサラダをすすった上、二次会のカラオケまで断れず、全くマイクが回ってこないのに割カン料だけ払い、冷えて粘土のようになったポテトをひたすら口に運ぶマシーンになってしまうのか。それはもう、己の心が弱いからとしか言いようがない。まず「上手く断りたい」などという人間は驕りすぎている。海とか地球とかをテーマにした壮大系のドキュメンタリーを72時間ぐらい見て、「自分は宇宙の塵にすぎない」というところから勉強し直した方がいい。つまり、「自分がこの誘いを断ることにより相手が気分を害すかも」と思う時点で思い上がっているのだ。まず冷静さを保ったまま半裸になり、両手を両乳首に当て、足はがに股、焦点の合わない瞳で相手を見つめ、自分が誘われた理由を考えてみるといい。そうすれば誘ってきた相手は、あなたの返事を待たずにどこかへ行くだろう。それでもなお誘ってきた相手が去らないようであれば、本当にあなたに来てほしいのだろう。それならば参加してもいいし、参加できないようなら相手が気分を害さないよう、両乳首に当てた手を徐々にスライドさせ、胸の前でバッテンを作り、参加不可の意を伝えるぐらいの配慮は必要だろう。だが、上記の半裸メソッドを実行するまでもなく、こういった誘いのうち、九割は断ったところで何も起こらない。つまり多くの場合、相手はあなたが参加しようがしまいが、どうでも良いと思っているのだ。大方、声をかけた理由は「部署の人間を全員誘ってるから」くらいのものなのである。それをイチイチ「上手く断らないと」などと思うのは思考力の無駄であり、逆に相手に失礼でもある。だからと言って、「〇〇へ行かなければいけないから」など、具体的な行けない理由を言うのはさらに下の下だ、相手にとって、興味のない人間の夜の予定を聞かされるなど、もはやハラスメントと言ってもいい。よって、簡潔に「用がある」と言うのがベストなのである。そう言う事で相手がどう思うかなどを考えるのは弱さであり、自意識過剰でもあるのだ。○気乗りしない誘いを断るために要される「勇気」だが「断ることで輪からはずされてしまうかも」と考える、さらに弱者思考の人もいるだろう。しかし、「参加でも不参加でもどうでもいい奴」というのは、参加したとしても、やはり「いてもいなくてもどうでも良い動き」しかしないものなのだ。おそらく、我先にと女子力アピールを試みる女が持ちあげたサラダボウルの裏を見つめているのが関の山だ。やれたとして、机が狭くなってきた際、店員に皿を下げさせるため、ちょっとだけ残っているカッチカチの冷めた鳥軟骨を処理する係ぐらいのものである。つまり、「輪から外されたくなくて参加した飲み会なのに、参加したところで輪に入れていない」ことがほとんどなのだ。参加したところで何の評価も得られないし、むしろ「こいつ全然動かないな」と評価を下げられる場合の方が多い。ならば逆に、参加しない方が良かったとも言えるのだ。しかし、飲み会を断る時に必要な心の強さというのは、行きたくない会の誘いにはっきりNOと言える強さだけではない。真に必要なのは、その後やってくる孤独に耐える強さだ。「断ったら輪から外されるかも」というのはある意味正解で、断り続けていたら誘いというのはこなくなるものである。そこで「行きたくなかったけど、いざ誘われなくなると寂しい」などと思うような惰弱な精神の持ち主は、もう大人しく飲み会に参加して、粘土と化したポテトを氷の溶けきったジンジャーエールで流し込んでおけばいい。私なども、OLの端くれとして、入社当初はランチに誘われることもあった。しかし相手が私を誘う理由は「職場の女性は全員誘ってるから」以外には何もなく、私も「行かなきゃ悪いかも」以外に行く理由はなかった。そんな動機であるため、ランチの間私は何もしゃべらず、話しかけられもせず、ただ他のOLが談笑するのに合わせ愛想笑いをしながら、399円のカルボナーラを胃に流し込むだけであった。当然そのパスタは腐葉土の味であったし、合わせて飲むコーヒーからはドブの臭いがした。そして、ある時開眼した。「なぜ貴重な昼休みに、腐葉土とドブを食わなければいけないのか」と。そう気づいた私は、前述の通り「用があるから」と言って、同僚からの誘いを全部断ることにした。その結果、見事に誘われなくなった。正直言うと、誘われなくなった時は一抹の寂しさを感じ、「私の選択は間違っていたのかもしれない」と思った。しかし、私の昼休みはそれから一変し、片手でクリーム玄米ブランを食いながら、もう一方の手で乙女ソシャゲをし、その合間にTwitterでエゴサをするという、パーフェクトすぎる時間を過ごしている。そして自信を持って「孤独になったのではない、自由になったのだ」と言えるようになった。しかし、社内で孤立しているのも確かであり、故に困ることもある。それが嫌だと思うならやはり多少我慢をして腐葉土を食っていた方がいいだろう。自由には責任が伴うというが、時として孤独もついてくるのだ。とはいえ、私もまだまだ修行中の身であり、ランチぐらいなら断って自由を謳歌できるが、出席しなければまずそうな飲み会などは、ヘコヘコと参加している次第である。もっと鍛錬を重ね、最終的には正月に必ず行われる夫の実家での親戚の集まりを「用がある」と言ってバッくれるところまで到達したいと思っている。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~3巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年4月12日(火)掲載予定です。
2016年04月05日女子高生を中心に大ブームの“斎藤さんゲーム”。某携帯会社のCMでご存じの方も多いはず。その“斎藤さん”とは、トレンディエンジェルの斎藤司さん。いま最も熱い彼に、相方のたかしさんについて聞きました。やはり、“薄毛”で意気投合したのでしょうか?***斎藤:それが違うんです。僕は正直、誰と組んでも売れると思っていたんで、相方は誰でもよかったんです。当時、たかしと仲が良くて、ふたりでよく遊んでたんで、その流れでです。まあ、たかし、ラッキーでしたよね。――ベストな相方だと思います。斎藤:でもじつは、本当に運を持ってるのはあいつの方。基本的に、たかしってポンコツなんです。僕も僕で、負けじとポンコツな部分があるんですけれど、収録で、あいつのポンコツな部分が奇跡的にハマりだすことがあって、僕がそれに助けられることもあったり。それに、その場の瞬発力で勝負している僕とは違って、意外に笑いを方程式で考えられる人なんで、そこの部分の信頼もありますし。賞レースでも、僕はうまくいかないとイラついたりするんですが、たかしは全然気にせずニコニコしていて、おかげですぐに切り替えて次に臨めましたから。――確かに、ここぞという場面では意外と斎藤さんの方が緊張してますよね。たかしさんのあの動じない無邪気さはすごいです。斎藤:そうなんです。ゆとり教育が生んだモンスターと言われていますから。ここフザケちゃダメってところではフザケたり。そういう意味でも怪童です。年齢的には僕が上なんで、時どきキツいダメ出しをすることもあるんですが、一切気にしないですしね。それに、たかしとは面白いと思うものが一緒なんです。意地悪な視点が似ているんで、ふたりでいると悪口ばっかりしゃべってますけど(笑)。――女性の話をすることは?斎藤:僕は彼女事情も話しますが、たかしは一切話さない。あと、お風呂に行っても絶対に局部を見せないんですよね。けっして見たいわけじゃないんですけど、隠してる感じがなんか腹立つというか。普段は動じないくせに、なぜそこだけ気にしてるんだ、と。でもまあ心の奥で尊敬はしていますけどね。――ちなみに斎藤さん、恋人の存在を公表されていますよね。斎藤:それはねぇ…正直、ミスです。イベントに取材に来られる記者の方って、ほんと興味なさそうな表情をしているんです。そういう顔を見ると、つい喜ばせたくなっちゃって、盛り上がりそうな話題を提供しちゃうんです。彼女の話もそれでうっかりしゃべってしまって。芸能人との恋に憧れてたんですけれど、自らそのチャンスをふいにしてしまいました(笑)。◇今年、トレンディエンジェル初となる単独ライブ全国ツアーが開催。「TRENDY ANGELWORLD TOUR“JAPeeeeeN!!”」と銘打たれたツアーは、4/29の福岡を皮切りに、岡山、仙台、名古屋、静岡、札幌、東京、大阪の全国8か所。詳細はブログにて。また不定期に、新宿ルミネ、よしもと幕張イオンモール劇場などのライブにも出演中。◇さいとう・つかさ1979年2月15日生まれ、神奈川県出身。'05年にNSCで同期だったたかしとコンビを結成。ボケ担当。'13年にオンバト+第3代チャンピオン、'14年にTHEMANZAIで準優勝、昨年のM‐1グランプリで優勝。ソロで歌マネ番組などにも多数出演し注目を集める。※『anan』2016年4月6日号より。写真・内田紘倫インタビュー、文・望月リサ
2016年03月30日今回のテーマは「ネット上のフレンド」についてである。私のTwitterアカウントをフォローしている人などには「こいつ24時間Twitterやってるな」と思われているかもしれないが、実際は48時間ほどやっている。時間軸が歪むほどTwitterをやる理由は話せば長くなるのだが、簡潔に言うと「イカれた理由を紹介するぜ!売名行為!…以上だ!」である。つまり、Twitterを通じて私の事を知ってもらいたいという気持ちが、理由の5億%を占めているのだ。そして、知ってもらった暁には私の単行本を全部買って、全部燃やして、また全部買ってほしいと思ってやっている。それ以外の理由は特にない。他に理由を探すとすれば、承認欲求を満たすためだろう。前に「漫画を描くのは金と承認欲求のため」と書いたが、Twitterも同じである。むしろ私がそれ以外の理由で動くと激しい下痢嘔吐をしたり、全国的に空からバールのようなものが降ってきたりするので、皆さまのためにも、それ以外の理由では1ミリたりとも行動しないようにしている。○カレー沢薫とインターネットの邂逅このように、現在ネットをコミュニケーションツールとしては使っていないので、実を言うと「ネットフレンド」というのはほぼいない。単行本などの情報は一方的に発信しているし、やりとりするのはリアルの知り合いか仕事の関係者のみである。もちろん、1日48時間Twitterをやっているので、熱心に応援してくれている読者の方などは自ずと覚える。だが、かといって密にやりとりしたり、いつもポケットに直入れしているぼたもちをこっそりあげたり……、などということもほぼない。そもそも「mixi疲れ」とか「Facebook疲れ」とかしてしまうのは、そこで人付き合いをしてしまったせいである。現実世界でも人を一番疲れさせるのは、人付き合いのはずだ。それをネット上でもやってしまったら、「そりゃ疲れるぜ」としか言いようがない。私も今でこそそう思っているが、漫画家としてデビューする以前は、もっぱらネットに出会いを求め、積極的に疲弊していたクチだ。私がネット環境を手に入れたのは、高校生の頃だった。僻地のオタクの惨状は最近書いたばかりだが、当然同志に恵まれているとは言いがたい状況だった。だから、その手の話がわかる数少ない友人にFAXを送りつけてまで自作のイラストや漫画を見せるという、相手が出るところに出れば逮捕されてもおかしくないようなことをしてまで承認欲求を満たしていたのだ(今思い起こせば友人は全く私を承認していなかった)。そのため、ネットで二次創作を載せている個人HPを見つけた時、こんな画期的な方法があったのかと衝撃を受けた。そして、パソコンに触るのすらほぼ初めてだったにも関わらず、「俺の描いた最強の“斜め45度を向いたイケメンのバストアップイラスト”を世界に発信してえ」という一念のみで、クソダサHPをこの世に産み落としたのだ。それだけではなく、他の二次創作サイトの掲示板に「ああああなたの描かれる●●(キャラ名)が超絶好みでドプフォ…!(鼻血)」などと書きこんだり、チャットに参加したりと、積極的に交友関係を広げようとした。もともと同じ作品が好きで、二次創作を趣味としている者同士、さらにネット上のみでのやりとりなので、割とすぐ仲良くなれたし、そういう人たちとの交流はとても楽しかった。それがなぜ疲れに繋がるかと言うと、まず作品に対する飽きがある。これはオタクの宿命であり、ずっと同じテンションで同じ作品を愛し続けられる人間は稀だ。「作品のことは好きだが、そのイラストや漫画を描こうというところまでの情熱がなくなる」日がほぼ確実にやってくる。そうなった時、今まで嬉しかったはずの、ネッ友(ネット上のオタク友達)たちによる「拙者!続きを全裸待機!」が一転して重荷になってくるのである。その結果、実際は暇すぎてあなたのキスや夜の足音の代わりに自分の指毛を数えているような状況でも、サイトのトップページに「多忙ゆえ更新を停止します」と掲げて行方をくらませなければならないこととなる。○オタ友をめぐる「責任」と「人間関係」さらに、ネット上のオタ友との関係も、お互いが「そなたのイラストは大変麗しゅうございますで候!ブヒブヒブヒー!」と褒め合っているうちぐらいは良いのだが、仲良くなりすぎて「二人はプリキュアだよね」というような段階にまで行くと危険信号だ。つまり同人用語で言うところの「相方」と呼び合うようになると、二人で悪と戦う代わりに「合同で同人誌を作ろう」とか「何かネット上で企画をしよう」という話になったりする。もちろんやりとげる奴らも多いが、途中で片割れが「あっこれ、めんどくせえ」と気が変わるパターンも少なくはない。私も去年同人誌を出してみてわかったが、好きな時に好きなキャラの絵を描いてネットにアップしている時は楽しかったのに、それが締め切りのある原稿作りになると、途端にクソ面倒くさくなるのだ。一人でも面倒なのに、相方がいるとなると「責任」という重荷が加わり、さらに関係者が複数人になるとその面倒くささは急増し、「やはり俺に仲間など必要なかったのだ…」と中二っぽいことをつぶやいてどこかに消えたくなるのだ。そこで再び「多忙につき」「体調不良により」「家庭の事情で」などと言って、企画自体をなかったことにしようとするパターンも散見される。だが、締め切りのある原稿を描くのは面倒くさくても、前述の通り好きな時に好きなものを描くのは面倒ではないため、「多忙」「体調不良」「家庭の事情」と言っておきながら、ネットにイラストなどをアップしてしまったりする。そんなことをすると、「お前忙しいんじゃなかったのかよ」と、約束を反故にされた相方は怒りの力によってキュア阿修羅へと変身し、相手が複数であれば「キレすぎて逆にスマイルなキュア某」たちに撲殺される。もちろん責任感のない奴が1番悪いのだが、こういうことが起こるのはネット上で密な人間関係を作ってしまったからだ。そういう相手がいなければ、好きな時に描いて、飽きたらやめれば済んだのだ。ネットのみならず、趣味というのは「責任」「強制」「人間関係」が入ると途端に嫌になってしまうものなので、いかにそれを排するかが重要なのかもしれない。そんなこともあり、私は、Twitterで特定の仲の良い人などを作らず、リプライも気が向いた時にしか返さず、できないことは言わないようにしていたのだが、先日ついうっかり「2月か3月にLINEスタンプを作る」と言ってしまった。正直に言うと全く作っていないのだが、もちろんそれは多忙かつ、体調不良、家庭の事情のためなので、件のツイートを読んでしまったみんなは今持っている武器を置いて、スマイルで待っていてほしい。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~3巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年4月5日(火)掲載予定です。
2016年03月29日今回のテーマは「親の期待のかわし方」である。誠に残念かつ遺憾、慙愧の念に堪えないのだが、当方、親にこれといって期待をされた記憶がない。この連載では、今まさにゴミ箱に頭を突っ込んでいる最中の人に対し「成功の秘訣は?」と聞くようなテーマがたまに寄せられるのである。○かんぴょうと酢飯からフレンチは生まれるか子どもに大した期待をかけない親のことは後ほど触れるとして、その対極にある「子どもへ過度な期待を寄せる親」というのも、何を考えているのかわからない。もちろん、自分たちが博士や大臣、松坂牛であるというのなら、子どもに同じような将来を望むのもまあわかる。だが、父がかんぴょうで母が酢飯なら、子はかんぴょう巻になることは大体予想できることであり、「シェフの気まぐれフォアグラテリーヌ~季節の野菜を添えて~」になれ、というのは酷なことである。原材料が自分たちであるということを忘れているんじゃないかと思う。もちろん、材料はともかく調理(教育)次第でどうとでもなるという意見もあるだろう。確かに、平凡な両親から偉人が生まれる例もあるが、残念ながらかんぴょうをフォアグラにするより、フォアグラを残飯にする方が簡単なのである。むしろ過度な期待と教育でかんぴょう巻にすらなれなれず、もはや「料理」というより「一般には理解されない系アート」みたいになってしまうこともままある。しかし親バカと言う言葉があるように、可愛さ故に、自分の子どもが実際より優れて見えてしまうのは、ある程度仕方のない事なのかもしれない。その点、私の両親が私に望んだことは一貫して「安定した職につき、豊かでなくていいから食べるに困らない生活をしてほしい」という、実に最低限かつ堅実なものであった。この決して高くないハードルを「売れない漫画家になる」という形で華麗にくぐって見せたものだから、もはやうちの親は私に何も期待していないだろう。おそらく、元々低かったハードルの高さが「逮捕はされるな」もしくは「実刑だけは食らうな」くらいにまで下がっていると思う。親の期待通りに育つことも親孝行かもしれないが、親に期待させすぎないことも立派な孝行であると思う。とはいえ、突然親の期待を裏切ってはいけない。どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子がいきなりパンツ泥棒で捕まってニュースに登場するのは、これ以上ない親不孝だ。徐々に、親自身もいつ諦めたかわからないぐらい、自然に諦めさせなければいけない。つまり、何かやってしまった時、親に「まさかうちの子に限って!」などと言わせるようでは親不孝なのだ。無表情で「やはり…」と言わせるのが真の親孝行である。○親孝行はコツコツと、が鉄則正直に言うと、私は中学生の段階では勉強ができた。この「中学生まで」できた、モテた、という実績がいかにその後の人生の足を引っ張る要素であるかはまたの機会に言いたいと思う。とにかく、中学生時点ではまだ親に期待されてもいいぐらいだった。しかし、もうその時点で、親は私に期待というより不安を抱いていたのだ。何故なら、中学に入ってすぐ、担任が抜き打ち家庭訪問に来るという珍事が起こったからだ。それも、「いつも一人でいる」という理由で。一切仕込みナシの訪問だったためもちろん私も家におり、担任が親に「私には友達がいない」と話すのを、隣室からライブで聞いていたのだ。その時、手近なところに金属バッドがなくて本当に良かったと思う。本件、私も痛かったが、親にとっても激痛だっただろう。例え成績が学年1位でも、「こいつはヤバい」と思わせるのに十分な惨事であった。親にとって、自分の子が「勉強ができない」あるいは「運動ができない」と言われるよりも、「友達が作れない」と言われたほうがダメージは大きいのだ。本当に親を期待させたくなかったら、いかに人間的にヤバいか、社会性がないかをアピールすることが肝要なのである。その点、私は齢7歳で、親に「お前は被害妄想が強い」と断じられたエリートである。もちろん7歳であるが故に意味はわからなかったが「おっ! 今何かすごいこと言われた!」という記憶だけはある。他にも、友達がいないことはもちろん、片づけができない、もらった小遣いをすぐ使うなどまともな大人になれない要素満載であり、実際まともにならなかった。成人するころには、「頼むから他人に迷惑をかけないでくれ」くらいにまで親の期待値は下がっていたと思われる。時は流れて現在。私は前科もなく、屋根のあるところに住み、リボ払いやキャッシングはまだしていない(数十年の住宅ローンはある)状態である。つまり今、親は「思ってたよりは良く育った」と思っているはずなのだ。幼少のころからコツコツ親をがっかりさせたおかげで、今では立派な孝行娘というわけである。しかし、世の中には、意識しなくても成績優秀、運動神経抜群、人望も厚く異性にもモテてしまい、親にどうしても期待させてしまうという人もいるだろう。そういう方は、一点だけで良いので、親に不安を抱かせる要素をチラ見せしておけば良いと思う。男性ならお母さんより年上の熟女が登場するDVDを大量に隠し持つとか、女性なら男児用白ブリーフ(未使用)をコレクションしてみるとか、「法には触れてないが、そのうち何かしでかしそう」な雰囲気を出すのだ。つまり、親を安心させきってはいけないということである。いつか悪い意味で新聞に載ってしまう日に備え、平素は孝行者でも「いつ爆発するかわからないニトロを積んでいる」ということだけは、ちょくちょくアピールしておくべきなのだ。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年3月29日(火)掲載予定です。
2016年03月22日今回のテーマは「地方でオタクをやることのメリット・デメリット」である。カレー沢は地方のオタクである。ソシャゲに課金し、ピクシブを一日中巡回して暮らした、と、まさかの二回連続メロス引用による開幕である。しかしこれは私の表現力が低いのではなく、太宰がすごすぎるのだ。○地方はオタクにとって「マッドマックス」私は地方の生まれであり、生まれてこの方地元を出たことがない。おそらくこれからも、離婚や家の全焼、あるいはそれに類するようなよほどのことがない限りは出ないだろう。私の地元は住むには良い所だが、オタクとして活動するにはデメリットしかないようなところである。特にネットが普及する以前はひどく、当時坊主頭に麦わら帽子をかぶった中学生だった私はセーラー服の袖口を鼻水でカピカピにしながら、「コミケってどんなところだっぺなー」と、るろうに剣心あたりのキャラを模写しながら夢想したものである。同年代の女子が渋谷や原宿に憧れていたころ、私は一人ビッグサイトを思い描いていたのだ。人生というものは、割と早い段階から勝負がついているという好例である。都会住みでも、中学生から同人活動をしている人間は少ないだろうと思われるかもしれないが、おらが村に関して言えば本屋すらなかった。同人活動をする以前に、漫画等、萌えの燃料の補給場所すらなく、オタクにしてみればマッドマックス級に荒廃した世界観だったのだ。辛うじて、菓子や文房具を併売しているような個人書店で「週刊少年ジャンプ」ぐらいは読めたが、そこには10年前に刊行されていた漫画の単行本がさも最新のタイトルであるかのように並べてあり、それすらも何故か5巻だけ置いてあるという地獄の様相であった。よって最新の単行本を手にいれようとしたら、田舎の小中学生の大半が着用を義務付けられているヘルメットという名の兜に、蛍光色のチョッキという鎧をまとった上、ジープ(自転車)に跨り、「ヒャッハー!」と狸や鹿、果ては老人などが跋扈する荒野を30分ほど走って、緑の都(隣町のやや大きめの本屋)を目指さなければいけないのである。そして「チャリで来た」と宣言しながら店内に入り目当ての漫画を探すも、田舎の本屋には変わりないので、目当ての物はないことの方が多い。その場合は当然また30分かけて撤収だ。そしてその漫画を手に入れるには、静まりかえった店内で欲しい漫画の名を店員に告げて、待つこと数週間。荒野を1時間かけてもう一往復し、目的のブツを強奪しに行かなければならないのだ。○「キンプリはいい」かどうか確かめられない理由このように、ただ漫画を買うのにもエクストリームな行いが必要だった時代に比べると、通販で大体の物が手に入るようになった今、オタクにとっての地方格差はずいぶん解消されたと言える。しかし、イベント事、またはその場でしか手に入らないグッズなどの入手に関しては未だに歴然とした差がある。中学生の頃憧れたコミケは未だに憧れのままであり、21世紀になった今でもビッグサイトの方がこちらに来たということは一度もない。それに、やれ好きな漫画が舞台化するだの、声優がコンサートを開くだの言われても、我が村の公民館でやることはまずなく、大体都心での開催である。また、アニメ映画などもちょっとコアなものになるとこちらでは上映されない。今話題のアニメ映画『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(キンプリ)も当然こちらでは未上映だ。しかも「キンプリってどんなの?」と鑑賞済みの他人に聞くと決まって「見ればわかるから、見ろ」と新興宗教に目覚めたブルース・リーみたいな顔で言われるのだ。だがこちとら見たくても見られない。世の中にはスターウォーズとワンピースしか上映せず、ミニシアターでやってるようなマニアックな映画を見て周りに差をつけたいサブカル野郎が憤死するしかない不毛の地があるのだ。悔しいので「キンプリってキングプリムゾンの略か」と100億人ぐらいが考えつきそうなことを言ったら、「キンプリを馬鹿にするな、不思議なプリズムで消すぞ」と怒られた。本当に地方のオタクに良いことはない。そして、オタクはどこ住みでも怖い。○1キロ先のにぎりめしと、ガンジス川のまんじゅうそれでも無理やり、地方でオタクをやることの利点を挙げるとすれば「諦めがつきやすい」という点だと思う。いくら都心住みでも、行きたいイベントに全て行き、買いたいものを根こそぎ買えるわけではないだろう。やはり時間的、経済的理由で断念せざる得ない場合もあると思う。その場合、行ける距離であればあるほど諦めがつかないものである。例えば、1キロ先の路上に握り飯が落ちていると聞けば、ほとんどの人が拾いに行って食うと思う。しかしインドのガンジス川にまんじゅうが浮いていると聞いたら、ちょっとは考えるが「さすがに無理だ」と思うだろう。地方のオタクにとって、都会のイベント事は「ガンジス川のまんじゅう」のようなものであり、最初から食うことを諦める姿勢をとる。たまに一念発起して拾いに行くぐらいのものだ。逆に、都会のオタクにとって、あらゆる都会のイベント事は「拾える距離にある握り飯」といえるだろうが、落ちている量があまりにも多すぎて、全部拾いには行けず、どの握り飯を諦めるかを考えなければいけない。だったら、最初から絶対拾いにいけない場所にあった方が良かったと思うだろう。かといって、「地方のオタクは誘惑が少なく経済的」かと言うとそうでもない。たまに「ガンジス川のまんじゅう」を拾いに行くためにおびただしい額の金を使うからだ。私にとって未だコミケはグランドラインぐらい遠い存在だが、同人デビューは去年果たした。巷では「同人は儲かる」などと言われているらしいが、活動にあたって必要な支出に「同人誌の印刷費」だけでなく、「飛行機代」、「宿泊代」が加算される時点で「お察しください」と言うしかない状態である。結局、都会だろうが地方だろうが「オタクは金がかかる」という点だけは共通している。やはりニコ動で無料アニメを見て、完全無課金プレイヤーなのにソシャゲのメンテ遅延に激怒し、邪智暴虐の運営を除こうとしているぐらいがちょうどいいのかもしれない。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年3月22日(火)掲載予定です。
2016年03月15日東映アニメーションは『聖闘士星矢』の誕生30週年を記念して車田プロダクションと共催し、「聖闘士星矢 30周年展 Complete Works of Saint Seiya」を6月18日~29日の12日間、東京・秋葉原にて開催する。本企画展は、『聖闘士星矢』史上初となる、原画・アニメーション・フィギュアなど作品に関連するあらゆるアイテムを集め、展示している。初披露を含む等身大「黄金聖闘士」全12体の展示をはじめ、『聖闘士星矢』の世界に入り込んで体感できる立体的な原画展示エリアや。設定資料集などのアニメーション展示エリアなど、ファンが一緒に楽しめる内容を予定しているとのこと。前売り券の一般販売日は3月5日より開始。また、数量限定のフィギュア付き先着限定チケットも販売され、史上初の仕様となる、アニメオリジナルの初期青銅聖衣(ブロンズクロス)を装着した主人公・ペガサス星矢が、原作の青銅聖衣カラーで再現された「ペガサス星矢(初期青銅聖衣) -ORIGINAL COLOR EDITION-」が入手できるプレミアムチケットとなっている。もちろん、オブジェ形態への換装も可能となっている。○「聖闘士星矢 30周年展 Complete Works of Saint Seiya」 開催概要開催期間:2016年6月18日~29日営業時間:平日12:00~21:00/土日10:00~19:00会場:秋葉原 UDX 2F AKIBA_SQUARE内容:原画、アニメ、フィギュアの展示及び体験コーナーなどの実施主催:聖闘士星矢 30周年展実行委員会協力:車田プロダクション、集英社、秋田書店、バンダイ企画監修:車田プロダクション企画制作:東映アニメーション●チケット当日券:大人・大学生1,500円/中・高校生1,000円/小学生以下無料前売り券:大人・大学生1,300円/中・高校生800円/小学生以下無料販売日時:3月5日前売り券一般販売開始(C)車田正美 (C)車田正美・東映アニメーション (C)車田正美/集英社・東映アニメーション
2016年03月05日俳優の松山ケンイチが、29歳で夭折した実在の天才棋士・村山聖の生涯を描く映画『聖(さとし)の青春』(今秋公開)で主演を務めることが3日、発表された。原作は大崎善生氏による同名の処女小説。羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称されながら、名人への夢半ばで倒れた"怪童"の一生を描いたことで、読者から「人生の一冊」「涙なしに読むことができない」などと高い評価を受けてきた作品だ。幼少期より腎臓の難病・腎ネフローゼを患い、入退院を繰り返した聖。入院中のある日、聖は父が何気なく勧めた将棋に心を奪われ、その日から将棋の最高峰・名人位を獲る夢を抱き、将棋の道に突き進む。本作では、自らの命を削りながら将棋を指し、死の床まで将棋のことを口にしていた聖が駆け抜けた壮絶な一生を描く。メガホンを取るのは、森義隆監督。人生を将棋に捧げた天才棋士役を演じるプレッシャーに対し、自ら東京将棋会館に通いつめ、これまでにない役作りで精神面、肉体面の両方から聖にアプローチした松山。「全身全霊をかけても足りない役だと思いました。そういう仕事は大好きです」と感慨深げで、原作を読んだ上で、聖を「命を燃やしている方」と感じたという。また、「病を背負われているので内面が一番難しいです」と役作りにも苦労があっただけに、「ヒロインが羽生善治さんという硬派な作品です。将棋が好きな方はもちろん、人生をつまらなく感じている方も、何かに夢中になっている方でも、こんな人間がいたんだと魅かれる作品」「"村山聖"は必ず見る人の心に何かを残します」とアピールにも熱がこもる。一方の森監督も「村山聖の生き様は『人生とは、何なのか』という普遍的な問いをわたしたちに突きつけてきます」とその重みを説明。2月中旬のクランクアップを前に、「30才の松山ケンイチが、映画の中で、29年という村山聖の短い人生を全力で生き抜いた先に、その答えの一端があるのだと信じて、日々、撮影に挑んでいます」と松山の"仕上がり"を報告した。「角川映画になるというのは宿命的なものを感じる」というのは、原作の大崎氏。滝田和人プロデューサーからオファーを受けた森監督は、ドキュメンタリー作品の経験もあったことから誰よりも実写化の難しさを感じ、何度も打ち合わせを重ねた。脚本が決定稿に至るまでには20稿、5年の歳月。提案の段階から数えると約10年が経過していることに触れ、大崎氏は「粘り強く交渉を重ねて、現実まで持っていってくださった制作スタッフの執念には頭が下がる」と称賛しつつ、演じる松山にも脱帽せずにはいられない。役のために聖を真似て右手の爪を伸ばし、体重も増やした松山。大崎氏は、その姿を目の当たりにした時の心境を「村山聖さんに似ているのに驚いた」と伝え、「意志の強そうな瞳。内面からにじみ出てくるような自然なユーモラス。そして人へ対する好奇心、優しさ。17年ぶりに村山くんがいた」と内からにじみ出る類似点を興奮気味に列挙。「村山聖が17年ぶりにこの世に戻ってくる。松山ケンイチに姿を借りて。限定的なカーニバルのようなものだ」と呼びかけている。(C)2016 「聖の青春」製作委員会
2016年02月03日病と闘いながら将棋に全人生を賭け、29歳にして亡くなった実在の天才棋士・村山聖のノンフィクション小説「聖の青春」の映画化が決定。この度、ふっくらとした顔つき、体つきで話題となっていた俳優・松山ケンイチが体を張って村山氏を演じていることが分かった。1994年、将棋のプロ棋士・村山聖(さとし)六段は、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指し、15歳の頃から10年間弟子入りし同居していた森師匠の元を離れ、上京しようとしていた。聖の上京を広島の両親は強く反対する。その理由は、聖が幼少期より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っていたからである。彼は、常に死と隣り合わせで生きていたのだった。東京――。聖が七段に昇段したころ、同じ年齢の羽生善治が前人未到のタイトル五冠を達成し、「名人」のタイトルを獲得する。聖は強烈に羽生を意識、彼に対し、ライバルのような、憧れのような想いを抱いていた。羽生に刺激を受けた聖は更に将棋に没頭し、並居る上段の先輩棋士たちを下して、快進撃を続ける。そんな中、聖の身体に癌が見つかる。だが、「このまま将棋を指し続けると死ぬ、手術し、療養すべし」という医者の忠告を聞き入れず、聖は将棋を指し続けると決意する。彼の命の期限は刻一刻と迫ってきていた…。100年に1人と言われる天才・羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称されながら、名人への夢半ばで倒れた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、そして羽生氏らいまも将棋界で活躍する仲間たちとの友情を通して描く、号泣必至、感動のノンフィクションを基に描いた本作。人間の知の限界に挑戦し続けた天才将棋指しの人生を、師匠、ライバルほか周囲から愛された記憶と共に描くのは、『ひゃくはち』で監督デビューを果たし、2012年に手掛けた『宇宙兄弟』が大ヒット、第16回プチョン国際ファンタスティック映画祭でグランプリ、観客賞をダブル受賞した森義隆監督。主人公・村山聖を演じるのは、現在公開中の『の・ようなもの のようなもの』や『珍遊記』など多くの主演作を持つ俳優・松山ケンイチだ。今回の役柄について「全身全霊をかけても足りない役」と話す松山さんは、自ら東京将棋会館に通いつめ、これまでにない驚異的な役作りで精神面、肉体面の両方から村山聖を熱演している。ビジュアルでも分かるように増量し容姿も変えて演じた松山さんだが、一番難しかったところは内面だという。自らの命を削りながら将棋を指し、死の床まで将棋のことを口にしていたという村山氏を自分自身で理解し撮影に挑んだようだ。松山さんはファンに向けて「ヒロインが羽生善治さんという硬派な作品です。将棋が好きな方はもちろん、人生をつまらなく感じている方も、何かに夢中になっている方でも、こんな人間がいたんだと魅かれる作品です。“村山聖”は必ず見る人の心に何かを残します。宜しくお願い致します」とコメントを寄せた。<以下、スタッフコメント>■森義隆監督村山聖の生き様は「人生とは、何なのか」という普遍的な問いをわたしたちに突きつけてきます。30才の松山ケンイチが、映画のなかで、29年という村山聖の短い人生を全力で生き抜いた先に、その答えの一端があるのだと信じて、日々、撮影に挑んでいます。■原作者:大崎善生私のデビュー作である「聖の青春」が角川映画になるというのは宿命的なものを感じる。はじめて映画化の話を聞いてからもう10年近くになる。その間も粘り強く交渉を重ねて、現実まで持っていって下さった制作スタッフの執念には頭が下がる。最終的には最高の形となった。この作品を愛し、信じそして丁寧にまとめあげてくれた。はじめて松山ケンイチさんとお会いしたとき(※撮影が始まったころ)、村山聖さんに似ているのに驚いた。体重を増やして役に備えたという。右手の爪は村山を真似て長く伸びていた。森さんがいたら「村山君、こんなに長い間どこにいっとったんや」と手をさすったかもしれない。私も酔っぱらっていれば昔のように頬っぺたを軽くつまんでいただろう。意志の強そうな瞳。内面からにじみ出てくるような自然なユーモラス。そして人へ対する好奇心、優しさ。17年ぶりに村山くんがいた。本作は、天才羽生善治に挑む、西の怪童と恐れられた村山聖の真摯な闘いの物語である。森信雄という類まれな師匠との愛情の物語でもある。幼い日から病気と闘い、そのハンディをものともせず乗り越えていった努力の物語であり挫折の物語でもある。将棋を目指すものたちのストイックな青春がそこにはある。29歳で村山がこの世を去って17年。その歳月をものともせず村山はまだ多くの人に愛され慕われ続けている。その過酷な宿命の故か、彼の持つ特有の純粋さの故か。その村山聖が17年ぶりにこの世に戻ってくる。松山ケンイチに姿を借りて。限定的なカーニバルのようなものだ。もちろん私もはやく村山くんに会いたい。一人でも多くの人にこのお祭りに参加してもらいたい。■プロデューサー:滝田和人以前2本の映画でご一緒した際の印象と、『男たちの大和』の演技が非常に素晴らしく、その頃から松山ケンイチさんに注目していました。そして数年後、事業化が決まりかけた頃、松山さんご本人が原作を読み、村山聖役を熱望しているという情報を耳にしました。「逃してなるものか!」と、本人に監督と一緒にお会いし話してみて、松山さんならば重責を受け止め、必ずや私たちと同じ方向を見つめながら「村山聖」という人間に挑戦することができる、と強く感じました。役作りについて、松山さんとは、広島のご両親への訪問と聖さんのお墓参り、そして師匠森信雄さんの元も訪れ、大阪福島の前田アパート、関西将棋会館、更科食堂と聖縁の大阪の地を巡りながら、聖とのエピソードをじっくりうかがいました。元々、将棋はお好きでたしなまれていたようで、将棋指導の先生からの指導含め、将棋会館の一般道場にふらりと現れては手合いをつけてもらい普通に指されていたりなど、めきめき上達されました。また、聖が罹ってしまったネフローゼという難病を理解するため、実際の患者さんへも取材をして、撮影に臨まれました。実在の人物でも、もう亡くなられているので、当然会うすべはなく、聖を支えた方々の人柄に触れることと、聖が実際身を置いた空間に浸ることで、役作りのヒントしようとされていたのだと感じます。聖の強烈な個性は、内面のみならず、迫力と愛嬌が奇妙に入り混じる見た目も大きいですから、当時の写真、対局のビデオも参考に肉体改造も大変だったと思います。「でも、食べて飲むしかないんですよね」「おいしいものもおいしく感じなくなるんです」と言う松山さんは本当に苦しそうでした。これまでにないほどの役へののめり込み方や周囲が危惧したほどの増量計画。クランクイン前、村山聖を感じるために、松山ケンイチはあえて苦しみや悩みを求め、もがいているように見えました。もう会うことの叶わない生きた村山聖がスクリーンに出現することを、私は確信しています。どうぞご期待ください。『聖の青春』は2016年秋、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年02月03日今回のテーマは「暴力からの卒業」である。まるでヤンキーの更生話のようだが、「カレー沢暴力」を名乗ってすでに2カ月、そろそろ面白くもなんともなくなってきているから戻しては、という提案であろう。正直言って、全然卒業したくない。暴力に留年しまくりたいと思っている。○実は多い「二つ名」の作家たち「カレー沢暴力」、やはり惚れ惚れするほどカッコいいペンネームだ。さすが他人が考えたものをパクってきただけのことはある。「カレー沢」というペンネームの唯一の利点は、エゴサーチがしやすいというところだ。確かな情報筋によると、ペンネームにカレー沢という苗字を持つ作家は日本に私一人らしい。自分の名前に「カレー」を入れると言うセンスの奴が2人も3人もいたら、いよいよ日本終わった感が漂うので、ひとまず安堵である。下の名が「薫」でも「暴力」でも、カレー沢である以上、エゴサのしやすさは変わらない。ならばカッコいい方を選ぶのが道理と言える。しかし、前も言ったが、ただでさえ無きに等しい知名度を、「薫」と「暴力」で分散させてしまうリスクを考えると、今のうちに「薫」に戻した方が利口ではあるだろう。だが、ペンネームを複数もっている作家というのは、実はそんなに珍しくない。成年向けやボーイズラブ漫画を描く時は別名義にする、という作家も多くいるのだ。よって、私も上記のような仕事が来た際には「暴力」と名乗れば解決である。しかし、ここで新たな問題が浮上する、私に仕事をよこす成年向けやBL誌がこの世に存在しないのだ。仮にいたとしても、私に仕事をふってくるようなところであれば、すぐにこの世から消滅するであろう。どうやら出版社には、皆既月食の如く数年に1度、編集や編集長の判断力が最も鈍る瞬間があるらしく、そういう時に私にお呼びがかかるのだ。とはいえ、どれだけ編集部全体が集団インフルエンザ状態でも、絵の上手さが特に重視されるだろう成年向けやBL方面からのオファーが来るとは思えない。ハレーすい星ぐらいの周期でならそういう瞬間がやってくるかもしれないが、だとしたら次は2061年ということになり、当方約80歳である。多分寝たきりか恍惚の人状態だろうが、耳元で「カレー沢先生!リブレ出版から依頼です」とでかい声で言ってもらえれば、おもむろにパラマウントベッドから立ち上がり、虚空を見つめていた目に光が宿るであろうから、逆に今から2061年に依頼をしてくれる成年向け、BL出版社を募集したいと思う。○「左のワキ出身のワキ毛」の矜恃しかし、私はよく「私はオタクだがBL好きのいわゆる腐女子ではない」という主張をしている。これは例えるなら、ワキ毛が「私は左のワキ生まれのワキ毛で、断じて右のワキから生えたのではない」と言っているような至極どうでもいい内容だが、「腐女子ではない」と明言している以上、BLの仕事がくるはずないだろうと思われるかもしれない。だが、デビュー前から乙女ゲーの二次創作をし、これだけ乙女ゲーが好きだと言っていても、今まで乙女ゲームの仕事が来たことは1回もない。だったら逆に、思ってもみない依頼が舞い込んできても良いはずだ。それにオタク女界も、BLが好きな女と嫌いな女しかいないわけではない。BLは好きではないが嫌悪感もない者、嫌いじゃないが自分の好きなキャラのBLは受け付けない者など、端から見れば全部ワキ毛であるが、かなり細分化される。メタルやデスメタル、ゴシックメタルを「全部同じ鼻毛じゃないか」と言ったら怒り出す人がいるように、ワキ毛にはワキ毛なりの棲み分けがあるものなのだ。私などは積極的にBLを見ることはないが、何か落ち込むことがあった時などに「ここは一発エグイBLでも読んでみるっぺか!」と景気づけBLを飲る(やる)ワキ毛である。話を戻すと、作家がどれだけ「この雑誌でこういう漫画が描きたい」と思っていても、なかなか実現するものではない。それができるならとっくにジャンプで描いている。結局、需要がないから話が来ないだけなのであるが、これではいつまでたっても「カレー沢暴力」が正式に名乗れない。2061年には名乗れるとしても、すでに鬼籍に入っている恐れもある。暴力を名乗れずに死ぬなんて、地縛霊になること必至だ。そこで、別名義を名乗る定義を持って広くしようと思う。今までいろんな雑誌で漫画を描かせてもらったが、ほぼすべて青年誌だ。なので、もういっそのこと、青年誌以外の依頼があったら「暴力」でいくことにする。というわけで少女漫画誌からなどの依頼を待ちたいと思うが、前に「少女漫画誌で描きたい」とつぶやいた後に連絡をくれたのは漫画ゴラクだったので、はっきり言って望み薄である。それに、よく考えてみたら、本名と違う名前を名乗れるのはペンネームやハンドルネームだけではない。例えば、大好きだと言い続けている乙女ゲーがまさにそれだ。灯台下暗しとはこのこと、青い鳥は割と近くにいたのである。よって、これから乙女ゲーをプレイする時は、ヒロインの名前を一律「カレー沢暴力」とする。2次元のイケメンに「好きだカレー沢…」「愛してる、暴力…」と囁かれながら、青年誌以外のオファーを待ちたいと思うので、何卒お願い申し上げる。―カレー沢暴力拝―<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年1月5日(火)掲載予定です。
2015年12月29日ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)のデザイナーである山本耀司とニューエラ(NEW ERA)のコラボレーションブランド、山本耀司 for New Eraが16年1月にCotton Tee(7,000円)をNEW ERA STORE限定で発売する。これまでヨウジヤマモトと様々なコラボレーションを行ってきたニューエラ。今回はヨウジヤマモトブランドとしてではなく、山本耀司個人とコラボレーションを行った。Tシャツには、山本耀司が自身の思うニューエラのブランドイメージを墨と筆で具現化したアートワークと「Ten miles more to go y.y.」という直筆メッセージがプリントされている。カラーはブラックとホワイトの2色展開。
2015年12月25日ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)のデザイナーである山本耀司とニューエラ(NEW ERA)のコラボレーションブランド、山本耀司 for New Era(R)が16年1月にCotton Tee(7,000円)をNEW ERA(R) STORE限定で発売する。これまでヨウジヤマモトと様々なコラボレーションを行ってきたニューエラ。今回はヨウジヤマモトブランドとしてではなく、山本耀司個人とコラボレーションを行った。Tシャツには、山本耀司が自身の思うニューエラのブランドイメージを墨と筆で具現化したアートワークと「Ten miles more to go y.y.」という直筆メッセージがプリントされている。カラーはブラックとホワイトの2色展開。
2015年12月25日バンダイが展開するフィギュアシリーズ「聖闘士聖衣神話EX」より、2016年4月発売「聖闘士聖衣神話EX カプリコーンシュラ」の予約受付が、全国の家電量販店、ホビーショップ、オンラインショップなどでスタートしている。価格は11,880円(税込)。「聖闘士聖衣神話EX」は、車田正美原作の大ヒットアニメ『聖闘士星矢』シリーズのアクションフィギュアとして人気を博した「聖闘士聖衣神話」に新たな解釈や最新技術を投入し、聖衣(クロス)と素体の一体感を飛躍的に向上させたシリーズで、同作フィギュアの決定版として注目を集めている。今回立体化となる「カプリコーンシュラ」は、『聖闘士星矢』30周年を記念して制作された完全新作アニメ『聖闘士星矢 黄金魂-soul of gold-』に登場したキャラクターで、その身には神によってさらなる力を与えられた山羊座の神聖衣(ゴッドクロス)をまとう。「聖闘士聖衣神話EX カプリコーンシュラ」は、「神聖衣」ならではの大型翼パーツが背中にデザインされ、「聖闘士聖衣神話EX」らしい金色の輝きを放つモデルに。豊富な表情と手首パーツが付属しており、シュラの代名詞でもある必殺技「エクスカリバー」のポーズも再現可能。加えて、マスクの装着・非装着も再現しており、さまざまな表情を楽しむことができる。セット内容は本体に加え、聖衣一式、交換用表情パーツ(4種)、マスク装着用前髪、交換用手首(左右各5種)、聖衣分解装着図、オブジェ・フレーム。商品価格は11,880円(税込)で、2016年4月発売となる。(C)車田正美/「聖闘士星矢 黄金魂」製作委員会各ショップでプレミアムポイントがもらえる!?【PR】
2015年12月08日今回読者から寄せられたテーマは、「なぜ女は金と時間をかけてまで美人になりたいのか…ブサイクはいやなのか… 哲学的な内容ですが、カレー沢先生に尋ねてみたいです」である。○美しくなりたい=男にモテたいではない深いテーマだ。私も今でこそ体全体で「諦め」という文字を表現してしまっているが、20代の頃は美しくなりたかった。今でも美しくなる努力はしたくないが、神に「美しくしてやろう」と言われれば「まあお前がそう言うなら」と甘んじて受け入れ、美しくなるつもりである。だが、美しくなりたい=男にモテたい、という結論は短絡的だ。男だって、ギターを始めた、などの行為を全部「女とやりたいからだろう」で片づけられたら、手にしたギターを弾くより先に、そいつをぶん殴ることに使うはずである。とはいえ、この手の決めつけには、女のほうがより激しく怒る傾向がある。もしダイエット をしている女に「モテようとして」などと言ったら、「このガール様が男にちやほやされるために痩せようとしていると思っているのかァーーーッ!!」と、ジョジョの岸部露伴並みにキレること請け合いである。そう、美しくなろうとするガール様の志は「男にモテたい」などという些末なものではなく、もっと高く広いものなのだ。つまり、「美しくなれば全部うまくいく」と思って美しくなろうとしているのである。当然、その中には「男にモテる」も含まれている。こう言うと、「美人だからと言って全てが上手くいくわけではない。むしろ美人ゆえの苦労もある」と言われるかもしれないが、こちとら美人になったことがないからわからないのである。石油王に「いや、石油があるのも大変だよ」と言われてもこちらは「石油がある苦労」というが全く想像できないのと同じだ。それに、努力し美を手に入れ、「美しくはなったけど、何も変わらなかった」とわかるならまだいいが、大体の女が途中で挫折し、「美しくなれさえすれば人生変わったのに」と一生言い続けながら死ななければいけないのである。しかし、当然ながらすべての女が美を求めているわけではない。シケモクのごとく燻っている現状を打破する神の一手として美を選んだにすぎず、キャリアアップのために勉強をはじめたり、インドに行ってみたり、とりあえずインテリアを北欧風にしてみたりと、方向性は様々だ。○「ありのまま」が引き寄せる不幸それでは一体何が欲しいのだと問われると、それは「自信」な気がする。もっと端的に言えば「自分を好きになりたい」のだと思う。一生自分として生きていかなければならないのに、自分が嫌いというのは不幸とも言える。とはいえ、超高校級のブスあるいはバカ、ブスバカ界ぶっちぎりのドラフト一位で、全監督が獲得のために生放送の中でも殴り合いを始めるような逸材としてこの世に生を受けたとしても、不幸になるとは限らない。毎朝鏡にうつった自分に「やあ、今日も神がかってブスだね…」と言い、呼吸を止めてうっとり3分ぐらい自分と見つめ合い、最後にキッスしてから出勤するというならブスでも人生明るいと思う。一方、美人でも自分の顔が嫌いで鏡もまともに見られないというなら不幸だろう。つまり、美しくなる=自分を好きになれる=自信がつく=人生が良くなる、という方程式から、女は美を求めるのではと推察される (先述の通り求めるものは必ずしも美ではなく、インド放浪やキャリアアップなどでもいい)。この反動がいわゆる「ありのままの自分を愛せ」という風潮につながるのだと思うが、「美人になれば幸せになれる」という考えが浅はかなら、「ブスでも馬鹿でも自分が自分を好きならオールオーケーハッピー」という考えも疑ってかかるべきだろう。「美人ゆえの不幸」が存在するというなら、「自分が好き故の不幸」もあるはずだ。まず、自分が好きな人間は他人が自分に寄せる好意も疑わないであろうから、だまされやすいとも言える、その点、自分に自信がない人間は慎重である。うまい話は全部罠だと思っているし、話しかけてくる男は全部、キャッチか宗教だと思っている。もしイケメンに名前を尋ねられることでもあれば、まず「私にお金はありません」と中学生英語の直訳みたいな返答をしてしまうのである。また、突発的な不幸に対し、常人なら「なぜ自分がこんな目に…」と自らの不運を嘆いてしまいがちだが、自己評価の低い人間だと「まあ俺ごときの人生!こういうことも起こりますわいな!」と、突然の不幸を「必然」として処理できてしまう。そういう人生が楽しいかと言われれば「否」かもしれないが、そう生きることが一番楽と感じる人間もいるのだ。「美人になって幸せになった」「インドに行って人生変わった」という人がいるのも確かだろうが、「すべてを諦めることにより、人生楽になりました」という人がいるのも事実であり「〇〇して人生良くなった」の〇〇は自分で見つけ出すしかないのである。しかしこの「完全に諦める」という行為こそが一番難しい。私も見た目的には完全に「終わっている人」だが、実はまだ人生逆転できる一打を求めており、今はどの壺を買うのがベストか、模索しているところである。<作者プロフィール>カレー沢暴力漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は12月15日(火)昼掲載予定です。
2015年12月08日東京都・秋葉原の秋葉原UDXは、「聖闘士星矢」のすべてが揃う企画展「聖闘士星矢 30周年展 Complete Works of Saint Seiya」を開催する。開催は2016年6月予定。同展は、原画・アニメーション・フィギュアなど、同作品に関連するあらゆるアイテムを集めた企画展。同作品の誕生30周年を記念して、東映アニメーションと車田プロダクションとの共催によって開催することが決定した。「聖闘士星矢」は、1985年12月に週刊少年ジャンプ誌上で車田正美による原作漫画の連載が開始された作品で、1986年よりスタートしたTVアニメーションシリーズを始め、キャラクターフィギュアなど次々に記録的ヒットを飛ばし、一大ブームを巻き起こした。同作品は、聖衣(クロス)と呼ばれる鎧をまとう少年たちの戦いと友情が描かれており、少年漫画に星座やギリシャ神話などの要素を詰め込んだ斬新な世界観が人気となった。現在でも、日本のみならず、アジア・ヨーロッパ等でも多くのファンに愛され続けているという。同展では、初公開となる展示や、ファンが一緒に楽しめる内容が予定されており、詳細は決定次第同展公式Webサイトにて随時告知されるということだ。
2015年12月07日