赤ちゃんを産んだからといって、誰もが最初から完璧なママになれるわけではありません。産後にママと暮らすパパが当然と思っていることは、ママにとって当たり前ではないこともしばしば。産後の生活でパパが何気なく言った言葉に傷ついた私が、世の中のパパに知っておいてほしいと思ったことをご紹介します。ママだって、毎日必死に成長中なんです!朝も夜中も関係なく、泣くことでしか意思表示ができない赤ちゃん。娘は生後6カ月ぐらいから夜泣きが始まり、連日の睡眠不足でフラフラな毎日を送っていました。ある夜、娘の夜泣きにしばらく気づけず眠ってしまっていた私。ハッと目を覚ますと、隣で寝ていたパパが娘をあやしてくれていました。 朝になり、何食わぬ顔でパパが発したひと言に怒りを覚えました。それは、「なんでママなのに赤ちゃんの泣き声が聞こえないの?」という言葉でした。 産後ママの現実をもっと知ってほしい私たちにとって初めての赤ちゃんだった娘。もともと子ども好きだったパパは、娘が生まれたことが、ただただ幸せな様子でした。もちろんそれは私も同じでしたが、出産での体力消耗と連日の睡眠不足で、心身ともに余裕がありませんでした。そんなときに、「なんで聞こえないの?」と問われることが、まるで責められているように感じられ、傷つきました。 どうやらパパは、赤ちゃんを産めば女性は自然と“ママとして完璧な機能が備わる”と考えていた様子。何を根拠にそう思ったのかは不明ですが、産後のママは寝なくても平気で、たとえ寝ていなくても赤ちゃんの泣き声に反応でき、どんなときも赤ちゃんのことがかわいくて仕方ないと思っているものだと信じていたようです。「そんなわけないでしょ……」と、パパが描く理想を前に、茫然としてしまいました。 最初から完璧なわけではない 赤ちゃんを産んだ瞬間から、自動的に完璧なママになれるなんて有り得ない話。毎日赤ちゃんと過ごすなかで失敗を繰り返しながら、ママも成長していきます。パパが描いていた“ママ像”は現実の私とは程遠く、意図せず私を傷つけました。そして、産後の体の状態や、産んだから(パパが思う)ママになれるわけではないということをわかっていればこのような理想と現実のギャップは生じないのに……と思いました。 睡眠時間が不足すると、感情や思考のコントロールも難しくなり、起きられないことも当然あります。時には赤ちゃんと一緒にいることがつらくなることだってあります。私はその後、折に触れてパパに今の気持ちや体の状態について発信するようになりました。パパも徐々にその現実を受け止め、責めるような発言は少なくなっていきました。 産後、パパはそれまで当然と思っていた“ママ像”が、私によってことごとく裏切られていくことで、初めて現実を知った様子でした。パパもママも、少しずつ成長していくもの。衝突を恐れず現実を伝え続けることで、親としてお互いが成長していく道を選ぶことができました。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:金谷ともみ第2子妊娠中、5歳の娘の母。働きながら結婚、出産、産休育休を経て復帰、マイホーム購入などを経験。よりフレキシブルな働き方を求めて、ライターに転向。
2022年12月06日初めての出産は実家に里帰りをさせてもらいました。両親にとっても初孫の誕生となるため、そのお世話ができる、と母はとても喜んでくれました。「母がいてくれる限り、産後は快適に過ごせそうだ」。私はそう思うと同時に少し、心配なことがありました……。母と正反対の父私たち三姉妹を育ててくれたベテラン母。とてもお世話じょうずで私たち姉妹だけでなく、周囲の人にも目を配れる頼もしい存在でした。その一方で、母に世話されっぱなしの父。亭主関白で自己中心的なところがあり、そんな父を私は昔から尊敬できずにいました。 「私が里帰りすることで父が不機嫌になり、母に負担がかからないといいな」と心配していました。しかし残念ながら、その心配事は現実のものとなったのです。 非協力的な父の反抗!?息子はなかなかの神経質であったのか、眠っても私の抱っこから離れると、すぐに起きて泣いてしまいました。そんな状況の中、家族は息子が眠った後は静かにしてくれたり、息子の抱っこを代わってくれながら、私の睡眠時間を作ろうとみんなで協力してくれました。 しかし、父はせっかく眠った息子の顔の近くで話しかけたり、大きな物音を立てたりして息子を起こしてばかり。母が息子を抱っこしてくれているときも、父は母に自分の世話を求める始末。そのため家族から散々注意され、だんだん不機嫌に。「家にいたら怒られてばっかりだ」。そう言って、何を思いついたのか、今度は普段まったくしてこなかった日曜大工を庭で始めました。 外とはいえ、作業音は家の中にもしっかり伝わります。そして作った家具の設置場所は息子と私が使わせてもらっている部屋の真上の部屋。家族が代わる代わる注意するものの「何をしても怒られて自分の居場所がない!!」と怒っていました。 疲れ果ててしまった母…非協力的な父に家族はあきれ返っていましたが、母はそんな父のことも放っておけず「新生児より手がかかる」と言いながらも、黙々と父の世話もしていました。母は里帰りが終わったら、しばらく息子に会えないため、かわいい姿を少しでも長く見ていたいようでした。 しかし、私たちのサポートをしながら、不機嫌な父の世話をする母はとても疲れきった様子。みんなが楽しみにしていた産後の里帰り期間。幸せいっぱいの時間のはずだったのに、私は疲れた母の顔を見て申し訳なく、悲しい気持ちになってしまいました。 父のおかげで、思っていた里帰りとは少し違っていましたが、私はお世話になっている身。父にはあきれるものの、感謝しなくてはいけません。しかし2人目を出産することがあれば、産後の生活は違った方法を選ばなくてはいけないなと思ったのでした。 著者:山下亜衣10歳と7歳のサッカー小僧の母。子どもたちを応援するため、アスリートフードマイスターを取得。転勤族で現在は地方での生活を満喫中。趣味はキャンプ。
2022年12月05日私の初めての妊娠判明とほぼ同時に、夫の仕事の都合で転居が決まりました。季節は冬で転居先は豪雪地帯。夫と私は話し合い、私と子どもは雪が溶けてから移動することにしました。そして夫だけが先に転居し、私と子どもは実家で過ごすことに。いざ一緒に暮らし始めると、夫とうまくいかないことが出てきて……。はじめから家族一緒に生活していればと後悔しています。家族より仕事優先な夫夫は結婚前から早出、残業が当たり前。業務を完遂することが最重要事項という働き方で、それは私が妊娠しても変わりませんでした。転居後も夫の仕事に対するスタンスは変わりません。 子どもが生まれたからには、なるべく家にいて私のサポートや子どもの世話をしてもらいたいという私の思いはなかなか理解してもらえませんでした。結果として家事も育児も私が負うところが多く、夫に対する不満がつのりました。 夜更かして朝、起きられない夫は仕事で遅くなると就寝時間を遅らせて、ゲームをしたりテレビを観たり、晩酌をしたりしていました。そうすると起床時間が遅くなります。必然的に朝の家事と子どもの面倒を私がひとりでみることに。 当時はまだ私は仕事をしておらず、「とりあえず夫を送り出せばいい」とがむしゃらになっていました。しかし夫がきちんと朝起きて、私が家事をしている間に子どもをみていてくれたらいいのにと不満を抱えていました。 休日もないがしろにされて夫は週末の休暇はきちんと取れていました。しかし自分の用事や友人との付き合いといって家をあけることが度々。家にいるときに子どもの面倒を頼むと「今やることがある」、一緒に散歩に行こうと誘えば「俺は行かない」と、私や子どものことは頭にないような対応。 環境が変わり、夫は慣れない仕事にストレスも多かったと思います。けれど私は夫に休みの日くらい子どもと関わったり、私のサポートをしたりしてほしいと考えていたので夫の行動は不愉快なものでした。 2人で話し合うことに同居して2カ月もすると私は夫の態度に耐えられなくなり、2人で話し合う機会を持つことに。私ひとりで子育てと家事のすべてはできないこと、夫が家にいてくれると心強く感じること、子どもと関わる時間を増やして仲良くなってほしいことを夫に伝えました。 夫は新しい職場で立場を確立し、安定した収入を確保することが責務であり、家族のためになると考えていた様子。お互いに家族を大切にしたいという考えは共通していたので、これからも話し合いながら一緒にやっていこうということに落ち着きました。 それ以降は夫も少しずつ態度を変えてくれ、今では私にとって頼もしい夫であり、子どもも大好きなお父さんです。ただ、はじめから一緒に転居、子育ての新生活をしていたらお互いに不満を抱える期間が短くて済んだのではないかと後悔しています。これからはその結果どうなるかまでイメージしてジャッジをしたいと思っています。 監修/助産師 松田玲子著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2022年12月05日頼れる親がそばにいてキャリアを積むことができた義母と、頼れる人もなく夫と二人三脚で育児をしている私の相性はよくありません。赤ちゃんを産む前から相性の悪さを感じていましたが、赤ちゃんが生まれたあとは余計イライラ……。義母に対して不満を抱いた出来事を紹介します。産後すぐに「いつ働くの?」私は学生結婚で、若くて体力があるうちに結婚できたメリットを生かそうと22歳で妊娠、23歳で出産しました。そのため、正規雇用で働いた経験はありません。そのことを義母は良く思っていなかったようで、産後は何かにつけて「いつ働くの?」と聞いてきました。 私もその言葉に焦りを感じ、産後1カ月半で高校教師の仕事に就いたのですが、結局体を壊す羽目に。もっと私の体のことも考えてくれたら……と今でも恨めしく思ってしまいます。 催促の嵐! 「写真と動画ちょうだい」 多忙な仕事に就いた私は、子どもとの触れ合いと仕事との両立に四苦八苦する日々を過ごしていました。そんな私のもとに義母からよく連絡がきていたのですが、その内容のほとんどは「孫の写真と動画を送って」というもの。私は限られた時間のなかで、携帯のレンズ越しではなく、直接子どもと触れ合いたいのに……とイライラ。 私の気持ちを伝えても、「遠方にいて会えないから」と催促する義母。イライラが募って、結局着信拒否するまでに至りました。 子どもの写真を勝手にSNSにアップ義母からの電話を着信拒否したあと、過労で倒れて寝込んだ私。調子がいいときはネットサーフィンをして気を紛らわせていたのですが、あるとき義母のSNSを発見しました。 すると、許可もしていないのに私の息子の写真がアップされているではありませんか! これには怒り心頭で、すぐにすべての投稿を消すよう夫から義母に伝えてもらいました。あまりのメディアリテラシーのなさにガッカリすると同時に、今思い出してもイライラしてしまうほどの出来事でした。 遠方に住んでいても、とやかくうるさかった義母ですが、夫を介して連絡を取り合うようになって、ようやく少し落ち着きました。義母との距離を程よくとるということは、とても大切なことだと感じました。 イラスト/(c)chicchimama著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2022年12月04日長男を出産すると「毎日手伝いに来る」と言ってくれた義母。それを夫がやんわり断るとまさかの事態に。退院したその日に、赤ちゃんではなく大人たちに振り回されるとは思っていませんでした。一番大変なのは私なのに……と悲しくなった体験談です。 退院するとすぐにやってきた義母長男を出産して退院すると、近くに住む義母がやってきました。「疲れたでしょ。少し休んでいいよ」と言ってくれたので、長男と寝室へ。 出産は問題なかったものの、骨盤はグラグラ、足はフラフラ。久しぶりに外へ出たせいか、とにかく疲れてしまっていたため、せっかくきてもらったのに申し訳ない気持ちもありましたが、夫もいるので大丈夫だろうと思いました。ちょうど長男も寝ていたので、すぐにウトウトしてしまいました。 だんだん大きくなる2人の話し声夢見心地のなか、夫と義母の話し声が遠くで聞こえていました。何を話しているのかはわからないくらいで、まるで子守歌のよう。少しずつ眠りが深くなるのを感じていると、だんだん2人の声が大きくなっていくのです。 それも楽しそうというより、言い争っている様子で、何だか嫌な予感がしてきました。義母と夫の関係は悪くはないのですが、たまに大喧嘩をしてしまうことも。「あんたは私を何だと思っているの!」という声でハッと目が覚めました。 喧嘩の原因は私?2人の声が聞こえる場所までこっそり移動すると、こんな会話が。「産後は大変なんだから、私が毎日来て手伝うって言ってるのに、何が気に食わないの?」「そういうことじゃなくてね。それは俺がやるから、大丈夫って言いたいの。お願いしたいことがあったらそのときに言うよ」 「あなたは仕事があるでしょ。女にしかわからないこともあるのよ。どうして〇〇ちゃん(私の名前)と私を引き離すようなことをするの? 私の何が悪いの?」「そんなこと言ってないよ。今のところは大丈夫だからって言いたいだけなんだよ」。毎日くると言った義母に対して夫が断り、怒らせてしまったようです。その声を聞いて私の背筋がサーッと凍りました。 仕方なく仲裁に私と義母はほどよい距離を取りながら、良い関係でいますが、たしかに毎日義母がくることに抵抗がありました。お願いするにも気をつかうし、家事が苦手な私を見せたくないという気持ちもありました。しばらく話を聞いていると、私のためと言いながら2人とも私をないがしろにしているような気分になり、とても悲しくなりました。無視して寝ようかとも思いましたが、それもできずに「どうしたの?」ととぼけて2人のところに。 私の顔を見ると2人はハッとした様子で「ごめんね。うるさかったよね」と。「〇〇ちゃんと赤ちゃんのために……と思ったら熱くなっちゃって」と義母も夫も反省した様子でした。それから3人でこれからのことを話し合い、義母には毎日夕食を持ってきてもらうことに。そして、夫の帰りが遅いので、私が入浴する間は長男のお世話もしてもらいました。 今となっては笑い話ですが、私よりも夫や義母のほうが「赤ちゃんが生まれたんだから、いろいろと頑張らなくちゃ!」と思ったようです。うれしい半面、あのときのハラハラ感を思い出すと複雑な気持ちです。1カ月ほど経つと義母に手伝ってもらうことに慣れ、義母とさらに仲良くなれ、家に来てもらうことを断らなくてよかったなと思っています。 作画/やましたともこ著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。
2022年11月29日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断を迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病について、病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽい物は食べられず、甘い物なら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やおしりに神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・おしりの痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:桜井りこ2児の姉妹ママ。不妊治療から流産を経験し妊娠。美容系会社勤務、現在は育児休暇中。整理収納・株、投資信託が趣味。美容・コスメ系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月28日初めての出産をした当時の私は、おっぱいケアや母乳育児についてほとんど無知の状態でした。授乳とは、赤ちゃんがおっぱいを好きなだけ吸うものと勝手に考えていたのですが、いざ授乳をしてみるとうまくいかない。そこで初めて、赤ちゃんはおっぱいを吸うのがヘタな子もいるし、搾っても母乳がピューピュー出るわけではないと知ったのです。これから始まる授乳生活に対して呆然としてしまった私を助けてくれたのは、助産院のおっぱいマッサージでした。滞在型産後ケアの助産院を利用当時私が住んでいた自治体では、産後ケア事業として滞在型のプログラムを実施していました。私はそのプログラムを出産1週間後から5泊利用。民家を改築した一戸建の助産院にお世話になりました。滞在中は個室があてがわれ、ただただのんびりと赤ちゃんと過ごすだけ。何かあったときや食事のときに助産師さんが様子をうかがってくれるので、不安になることもありませんでした。幸い滞在した助産院は家の近くだったので、朝晩に夫が来てくれて、そのタイミングで食事をとることもありました。 初めてのおっぱいマッサージ滞在中、1日1回は助産師さんと私と赤ちゃんの都合の良いタイミングを見計らっておっぱいマッサージの時間がありました。私の片方の乳首がやや陥没気味で、おっぱいが張ってしまうと赤ちゃんがうまくくわえることができずに困ることが多々ありました。 しかし、おっぱいマッサージを受けると適度に張りが緩み、授乳がスムーズになるのです。他にも赤ちゃんの吸い方にムラがあるとできるおっぱいのしこりのようなものも流してもらったり、しこりができないようにするためには授乳のたびに抱き方を変えたほうがいいとアドバイスをもらったりしました。 終了後も「おっぱい」の相談ができる滞在6日目。私と赤ちゃんはずいぶんとスムーズに授乳ができるようになっていました。私は「これならやっていけるかもしれない」と少し自信を持って助産院をあとに。その後も私は1〜2週間に1回はその助産院に行き、おっぱいマッサージを受け、相談をしたりアドバイスを受けたりしました。 私は初めての子育てで、授乳やおっぱいのことは実母にも話づらいと感じていました。助産院でおっぱいマッサージを受けていたことで、抵抗なく相談できる場があってよかったと感じています。 はじめは授乳がうまくいかなくて大変だったという話は、あとからいくつも聞きました。私は意図していなかったとはいえ、自治体の産後ケア事業プログラムを利用しておっぱいマッサージを受けられたことは幸いだったと思っています。大変なことも多い子育て。利用できるものはどんどん使うべきだと思いました。監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2022年11月27日現在私は2歳の娘を育てています。私の義母は自宅でピアノの先生をしています。そのため、孫にピアノを教える気満々。それはいいのですが、いざ娘が生まれるとそのやる気がどんどん押しつけのように変わっていってしまいました。生後4カ月にクラシックは必須?わが家と義実家は車で5分の距離にあります。義実家に行くのは月に1、2度ほどです。娘が生後4カ月のとき、義実家に私と娘だけで遊びに行くと、唐突に義母に言われました。「クラシックはずっと流してる?」と。 何の話かわからず「えー流してないですよ」と言うと、義母は「困ったわね……○○(夫)に言っておかなくちゃ……」とつぶやき、「そんなんじゃダメなの。耳が育たない」ときつい口調で言われました。 お願いがどんどん押しつけに義母は「いい耳は1歳までにつくられる」と自分で調べ、焦っていたようです。とはいっても義母が娘と会えるのは月に1、2度。となれば、嫁の私にそれを代わってもらおうとお願いされることが増えました。ピアノのおもちゃを買ってきて「これ娘ちゃんと弾いてね」とか、太鼓のおもちゃを持ってきて「これはリズム遊びにいいの」とか。まだここまでは「ちょっとモヤっとする」くらいでした。 しかし次第にヒートアップし、「ド、レ、ミと言いながらピアノを弾きなさい」「起きている間はあげたCDを聞かせなさい」など義母から電話で指示されるようになったのです。 義母に全部任せる形で決着夫に相談してもよかったのですが、義母とはもともと仲が悪いわけではなかったので、直接物申すことにしました。娘と私だけで義実家へ伺ったとき、いただいた楽器を持っていき「お義母さん、ピアノとか太鼓なんですけど、私は音楽全然できないのでこういうのお義母さんにお任せしてもいいですか?」 「CDは家で流すんで」と持ち上げと譲歩をして、最後に「それにただでさえ毎日大変なのに、慣れない音楽のこともあって、私疲れちゃいました」と正直に話しました。すると、「やだ、ごめんね。そうよね、じゃあ任せて!」と義母もすんなり提案に応じてくれました。 我慢したまま過ごすこともできたかもしれません。けれど、そのまま行けば義母のことを嫌いになってしまいそうで、正直に話しました。結果、義母も私も納得する形で決着してよかったです。ちなみに娘は今2歳。義実家に行くときはいつもピアノのレッスンを受けて、毎回義母に「天才だ」と褒められています。 作画/はたこ著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2022年11月23日子どもが生まれてうれしい反面、夫との関係は今まで通りではなくなった……という方もいるのではないでしょうか。私の家庭でも、恋人のような関係から一転、産後はギスギスした関係が2年半以上続きました。そんな状態を脱出するきっかけや、気を付けたことを紹介します。今まで当たり前だったハグができないきっかけは、出産後すぐの長期出張から帰ってきた夫に「お帰りのハグができない」ことでした。原因はなんともいえない嫌悪感。出産前には一度も感じたことのない嫌な気持ちでした。 その後、育児に追われて家事もままならない生活が続くうち、夫にイライラをぶつけてしまい、手伝ったりやさしく話しかけたりしてくれていた夫も、しだいに部屋に閉じこもりがちに……。仕事も忙しくなり、性生活のない状態になってしまいました。 笑顔から始めて楽しい時間の共有をそのまま2年半が経過し、危機感を感じた私は、仕事から帰ってきた夫に笑顔で「おかえり」と言うことから始めました。 子どもの生活リズムが整ってきていたので、夫婦で一緒にテレビを見る時間やその日の話をする時間も確保。この時間は必ず夫の隣に座り、カップをおそろいにしたり、夫の話をよく聞いたりと、2人の時間を演出することも。一緒にソファーに座って、テレビを見たり、たわいのない話をしたり。とにかく楽しい時間を夫婦で共有できるようにしました。 目は合わせないけれど肌が触れるマッサージは相談に最適そして、夫に相談したりモヤモヤする気持ちを話したりするときは、肩をマッサージしてもらいながら話をしました。「したいけれど少し怖い」という気持ちもここで伝えました。目を合わせずに肌が触れている状況は、冷静に話せるうえに、交代でマッサージするとお互いに労わる気持ちも生まれるのでおすすめです。 数カ月後、寝室に誘われましたが、産後に時間が空いて少し怖かったので痛くないか試しながら4回目に成功。我慢強く気づかってくれた夫に感謝しています。 私の場合は気持ちのすれ違いが大きかったので、楽しいことの共有とリラックスして話せる雰囲気づくりが一番大切だと感じました。また、「肌の触れ合いはハードルが高い」と感じているときは手や肩のマッサージが効果的でした。 監修/助産師REIKO著者:中浦明子一児(女の子)の母。結婚を機に書店員を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は子どもと散歩、子どもと行けるカフェの開拓。
2022年11月23日私は第2子を出産した際、持病で服薬していたため、子どもに母乳をあげられませんでした。病院の方針など身近なところで完全母乳を推奨する声を耳にするたび、母乳を飲めない子どもがふびんで仕方ありませんでした。1人目の子育て中にパニック障害を発症私は1人目の子どもが2歳のときに、仕事などのストレスからパニック障害を発症しました。服薬治療をおこなっていたのですが、2人目を考えたときに薬を中止することができず、減薬という方法で妊娠に臨みました。 そして、パニック障害の治療を続けながら不妊治療も並行しておこない、第2子を妊娠することができました。 薬の効果が切れる時間を狙って母乳をあげる産後の母乳については、心療内科の先生と産婦人科の先生の双方に相談をしました。赤ちゃんへの薬の影響を考え、薬の効果が切れる時間帯にだけ母乳をあげるという方針に決めました。 その薬の効果が切れる時間帯は、1日のうちでたった一度のみ。あとの時間はすべて育児用ミルクを与え、母乳は搾って捨てていました。1日に一度きりでしたが、母乳を飲んでいる赤ちゃんの姿が愛おしく、母乳をあげている時間は至福の時でした。 体調が悪化して母乳は完全中止に…産婦人科を退院後、パニック障害の症状が悪化してしまい、薬の量と回数を増やすことになりました。その結果、母乳をあげられる時間帯はなくなり、赤ちゃんが生後1カ月のうちに母乳をやめることになったのです。 当時は母乳をあげられない自分が悔しく、また赤ちゃんに申し訳ない気持ちから、毎日のように泣いていました。母乳をあげられない自分を“ダメな母親”だと責め、産後うつにまで陥りました。一方で、育児用ミルクでの子育ては何の問題もなく、むしろ飲んだ量がわかったり、腹持ちがよかったりといったメリットも多かったです。 育児用ミルクで育てたことに後悔はありませんが、第2子が小学生になった今でも、もっと母乳をあげたかったなぁと、ふと思うことがあります。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2022年11月22日夫の転勤で子どもたちを連れて家族で海外に引っ越すことになったわが家。一度海外に出発すると帰省することも難しくなるので、両家の両親と私たち家族は長いお別れになってしまいます。そこで海外に出発する際に、空港まで見送りに来てくれないか両家の両親に頼んだのですが……。孫と長く会えなくなると悲しむ両親夫の仕事の都合で海外に引っ越すことが決まり、さっそく両家の両親に伝えた私たち。どちらの実家も、私たちの自宅からは車で数時間以上離れています。 私の両親は「家族で決めた引っ越しは仕方のないことだけれど、これまで以上に孫たちと会えなくなってしまうのはさみしい」と、距離がさらに離れてしまうことによるさみしさを感じているようでした。それは私の両親だけではなく、義両親も同じような反応だったのです。次に孫に会わせられるのもいつになるかわからないので、引っ越しの際は空港まで見送りしてもらうことに。 見送りに来ない義父引っ越し当日の見送りを両家の両親にお願いすると、「当たり前! 絶対に行くからね」とふたつ返事で了承してくれたのです。しかし引っ越しの数日前になり、義両親から連絡が……。それは、仕事の休みが取れなかったから義父は見送りに行けないというものでした。 数カ月前から日程を決めて調整するように頼んでいたのに! 子どもたちもおじいちゃんおばあちゃんが勢ぞろいで見送ってくれることを楽しみにしていました。残念な気持ちとともに、私たちのために仕事の休みすら調整してくれないのかと怒りを覚えた私。 孫と会いたくない? 義父の本心長らく会えなくなる私たち家族との別れに、見送りに来てくれないことで「会いたくないの?」という悲しみと怒りを感じた義父の対応。私以上に夫と子どもたちはさみしく感じているようでした。そんななか、迎えた引っ越し当日。やはり義父は不在で、両親と義母が見送ってくれました。 しかし、義母から聞いたひと言が私たちの気持ちを納得させてくれました。「お父さんは大好きな息子家族との別れがつらすぎて、見送りの場所に来たくなかったみたい。許してあげてね」。義父なりの考えがあり、見送りをしないことに決めたのだと理解できました。 本当は、義父からの言葉で聞かせてほしかったし、せめて、夫にだけでも別れに際して声をかけてくれれば……と思う気持ちもあります。けれど、見送りに来ないのは義父なりに私たち家族を大切に思っているからこその行動だったと、理解することができました。親子のコミュニケーションの難しさを痛感する出来事でしたが、これからは距離が離れていても私たち家族や孫たちの成長が身近に感じられるように、写真やビデオ通話を使い近況報告をこまめにしていきたいと思っています。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。
2022年11月22日わが家には2歳9カ月と1歳6カ月という、1歳3カ月差の兄妹がいます。下の娘は早産で生まれたため、出生後そのまま1カ月ほど入院し退院。そのあとの家族4人での生活はまさに「大きい赤ちゃんと小さい赤ちゃん、赤ちゃんが2人がいる」という状態でした。そんな2人を育てる私が、日々の育児を乗り切るため実践していることを紹介します。1人に付きっきりにならない子ども2人と私の3人で過ごしていると、どうしても上の息子が「ママ! かまって!」となってしまうことが多いです。そのようなときでもなるべく3人で楽しめるよう、息子が遊んでいたおもちゃを「妹にも貸してあげられる?」と聞いてみたり、絵本を見るなど兄妹で一緒にできることに誘導してみたりします。 また、どちらか一方がひとりで遊んでいても、目・耳・気持ちのすべてがひとりに向かないように心掛けています。1人と手遊び歌をして手を使いながら目を合わせていても、もう1人が何をしているのか把握できるよう気を向けたり、おもちゃを使って遊んでいてもタイミングをみて声かけをしたり、などです。家の中で遊んでいても、まだ小さい2人から完全に意識を逸らさないよう気を付けています。 頼れるサポートは徹底的に使う子ども2人と生活していると、なかなか家事や自分の時間が取れません。そのため、使えるサポートは徹底的に使うことにしています。行政がおこなっている一時預かりは1時間500円で利用できるので、子どもが保育園に入るまでは定期的にお願いしていました。 また、娘が1歳になるまでは行政の補助が出る産後ドゥーラを頼み、週に1回、家に来てもらい娘のお世話をお願いしていました。私が仕事復帰してからは、会社の福利厚生で内閣府のベビーシッター券が使えるので、それを使用し週に1度、シッターを頼んでいます。その間に、親は掃除や料理といった家事がおこなえるので大変助かります。 そうやってサポートをお願いすることで気持ちにゆとりができるので、「他の人に子どもをみてもらっている」ということに罪悪感は一切持たず、どんどん頼るようにしています。 とにかく夫を巻き込む!毎日の育児を乗り切る最大のコツ、それは夫を最大限巻き込むことでした。特に私が仕事に復帰してからは、目まぐるしく日々が過ぎていく中で、2人の体調のこと、保育園の過ごし方、できるようになったことや成長した点などをどんどん共有し、育児を【手伝う】ではなく、【一緒におこなう】という意識を持ってもらうようにしています。例えば朝は食事の準備や、保育園の準備といった家事は基本的に私がおこない、2人の食事補助は夫の担当。保育園の連絡帳には食事内容の記入をするので、そのまま夫に記入をお願いしています。最初は2人同時の食事補助はうまくいかないこともありましたが、成長とともに今では夫も一緒に朝食を楽しむまでになりました。 年の近い2人を育てることは大変だと感じることも多くありますが、楽しく育児ができるよう子どもたちへの対応を工夫したり、周りに頼って生活しています。特に夫は子どものことをしっかりと理解し対応してくれるので、毎日慌ただしいながらも充実した日々です。今後も周りへの感謝を忘れず、子どもの成長を楽しみながら日々を過ごしていきたいです。 著者:林 ゆり2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月20日産後、初めての授乳。同じ日に生まれた赤ちゃんと、そのお母さんが集まって、産院で講習会が開かれました。やっとわが子に会えたという喜びもつかの間、なぜかわが子だけが母乳を吸ってくれない……。泣き止まない息子と、戸惑い焦る私。助産師さんに助けを求めると、言われたのは「扁平乳頭かもしれませんね」というひと言でした。産後の講習会に参加!初産ということもあり、18時間を経てやっとのことで生まれたわが子。産後、別々の部屋に分かれ、検査などを終えてから母子同室になる前に講習会が開かれることになっていました。 その講習会では、おむつの替え方・育児用ミルクの作り方・沐浴の仕方・授乳の仕方などを助産師さんから教わります。すべて初めてのことだったため、私はわくわくドキドキしながら息子と参加しました。 子育ての挫折はすぐやってきた…順調に進んでいた講習会でしたが、最後の最後に落とし穴が。それは授乳練習の時間でした。私は助産師さんから赤ちゃんの抱え方、頭の向きなどの説明を受け、緊張しながらも言われた通り進めていました。ですが一向に息子は乳首をくわえてくれません。 口を開けてはくれるのですが、どうやら吸うことができない様子でした。悪戦苦闘しながらどれくらい経ったでしょうか、周りはもう慣れた様子で授乳をし、終わった親子は次々に退席していきます。一方、息子はずっと泣き続け、私も焦りや不甲斐なさで泣きたくなりました。 「扁平乳頭」という現実講習会の時間はオーバーしていましたが、ひとりだけ居残り、助産師さんに助けを求めました。すると助産師さんいわく、「恐らく扁平乳頭なのではないか。乳頭の突出が少ないため、赤ちゃんがうまく吸えないのでは」とのことでした。 自覚も、聞いたこともない言葉でしたが、うまく吸えない息子を見ていたので私は納得せざるを得ませんでした。それから助産師さんに乳頭保護器というシリコン製の乳頭カバーのような物を借りて授乳することになりました。 それぞれの方法でいいんだ!乳頭保護器を使うことによって、私はようやく息子の授乳に成功しました。乳頭保護器は赤ちゃんの口に入る物なので、毎回消毒をしないといけない大変さはありつつも、息子に辛うじて授乳できるようになったことは、この上ない幸せでした。 腕の中でおなかいっぱいになり、すやすやと眠る息子を見て、私は心からホッとしました。そして、私たちの方法でゆっくりやっていこうと思った瞬間でした。 今回、私の場合はたくさんのお母さんたちの中で自分だけが授乳できなかったということが本当にショックでした。ですが、すくすく育っていく息子を見て思うのは、母も子どもそれぞれで、子育ての方法も無数にあるということです。この経験をバネにして、これらからは周りを気にすることなく、私たち親子にあった方法で子育てを続けていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:野中 透2020年生まれの息子と夫との、3人暮らし。息子が生まれたことをきっかけに都内から地方に移住。
2022年11月20日現在、夫の実家近くに住みながら、3人の子どもを育てています。夫には妹がおり、妹家族も近くに家を構えて住んでいて、同じくらいの子どもが3人います。いとこたちに会うと子どもたちは楽しそうに遊んでいますが、ふとしたときに義母の対応の違いが感じられて切なくなります。旅行に誘われない妹家族の家は別に構えているものの、パパの仕事が忙しく帰りが遅いため、食事やお風呂などはすべて実家で済ませています。 そのため、ずっと一緒に住んでいるような感覚なのでしょう。連休には度々義母と妹家族で旅行に出かけており、わが家はまったく知らされません。もしかしたら妹家族が旅費を出していたりするのかもしれませんし、うちに気を遣ってくれているのかもしれませんが、なんだかちょっぴり寂しい気持ちになります。 誕生日を忘れられる妹家族は義母とほぼ一緒に過ごしているため、子どもたちの誕生日も毎回一緒にお祝いしている模様。しかしわが子たちは3人目が生まれたころから誕生日については触れられなくなり、「おめでとう」とも言われなくなりました。 数年前に義父が亡くなり、孫が多くなり、義母も大変なんだろうとは思います。でも、「おめでとう」も言われなくなるのはやっぱり寂しいものがあり、その傍らで妹家族が一緒にお祝いしているのを知ると、なんだか差を感じてしまいます。 「うちの子たちは……」と言われる義母にとっては何気ないひと言なんだと思いますが、妹の子どものことを「うちの子たちは……」といつも言います。実の娘の子どもですし、ほぼ一緒に暮らしているようなものなので、そう言うのも不思議ではありません。 でも、「うちの子たちは」と聞くたびに、私や私の子どもたちはよそ者扱いされているような感覚になります。義実家近くに住んでもう8年になりますが、なかなか関係的な距離は縮まらず、私の足も遠のく一方です。 近いのになかなか足が向かない義実家ですが、行けば子どもたちはいとこたちと楽しそうに遊んでいますし、義母も子どもたちにやさしく接してくれるので特に問題はありません。義母の何気ないひと言や行動にちょっぴり切なくなることもありますが、適度な距離感で良い関係を保つほうがいいのかなと思うようにしています。 イラスト/ののぱ著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月20日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気づいたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月20日息子が生まれる前、赤ちゃんのお世話をするための用品や洋服などを買い、これで準備はばっちり! と思っていました。しかし実際、生まれてから想像以上にバタバタと過ぎていく毎日のなか、産前にあることをしておけばよかった! と痛感したエピソードをお話しします。子育て広場で他のママを見てふと気づく息子は赤ちゃんのころ、あまり寝ない子でした。加えて初めての育児ということもあり、とにかく赤ちゃんのお世話でいっぱいいっぱいだった私。そんな夏のある日、市が主催する「赤ちゃんのための子育て広場」というイベントがあると知り、さっそく行ってみることに。 そこには同い年ぐらいの赤ちゃんとママがたくさんいて、久しぶりに夫以外の大人と話せて楽しかったのですが、ここで1人のママを見てあることに気づきました。それは、手足のムダ毛が薄いことです。 いつの間にこんなにムダ毛が……夏場で手足を露出していたこともありますが、久しぶりに他人の女性と接してみて、初めて自分の手足にムダ毛が生え放題なことに気づいた私。確かに、息子が生まれてから自分のことを後回しにしていた私は、ムダ毛処理を全然していませんでした。 それ以来たまに処理をしていたものの、やはり育児が忙しかったのでだんだんと後回しになっていました。そして息子が3歳を過ぎ、おしゃべりもじょうずになってきたある日、息子の口からショッキングなひと言が……! 「ママってどうして脚がぞりぞりなの?」親子3人でゴロゴロしていたとき、息子が私の脚を触りながら「パパ、ママってどうして足がぞりぞりなの?」と言ったのです。息子にそう聞かれた夫は「うーん、なんでだろうねえ?」と言葉を濁しましたが、その場はものすごく気まずい空気に……。 そして私は、さすがにこのままでは恥ずかしいと思い、手脚だけでも脱毛をしに脱毛専門のクリニックに行こうと決意。しかし実際、子連れで脱毛クリニックに行くのは手間がかかるし、別料金を払うこともあったりとても大変で、結局、何度か行っただけでやめてしまいました。 今では息子も5歳になり、ある程度手がかからなくなったので自宅でムダ毛処理をしています。子どもを産むまでは、こんなにも育児が忙しく自分の体のケアに時間がとれないなんて知らなかった私。もしここまで自分のことが後回しになるとわかっていたら、子どもが生まれる前に脱毛を済ませておいたのになぁ……とちょっと後悔しています。 監修/助産師 松田玲子著者:竹の内 由紀5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2022年11月16日吐き戻しが多い赤ちゃんが心配だったママ。赤ちゃん特有の吐き癖だと思っていたら、おすわりをする時期になっても吐き戻しが続き……。娘が生まれて半年ころまでのことです。娘は授乳後げっぷをさせても、しばらくすると吐き戻してしまう子でした。助産師さんからは吐きやすい子と言われ、私も吐きやすい子だと思い込んでいたのですが……。おすわりができるようになったら良くなると助産師さんから教えてもらっていたのに、おすわりができるようになっても変わらず吐き戻す娘。心配で健診で相談したところ、意外なことを言われびっくりした話をお伝えします。 「気づかなくてごめんね⋯」 吐き子と呼ばれる娘帝王切開で出産し、娘はひと晩助産師さんのお世話に。翌朝、無事に母児同室になったものの、心電図までつけられることに。助産師さんから育児用ミルクを飲ませるとすぐに吐き戻すので、小児科の医師に診てもらうことになったとお知らせが。 診察後、医師から「生まれたばかりの子は胃が小さいうえに胃の入り口がうまく閉まらず吐きやすいんです。様子をみていきましょう」と言われました。助産師さんからは「この子は吐き子ちゃんだね」と言われ、私も娘は吐き戻しやすい子なんだと思い込んでしまいました。 なぜ? おすわりができても吐き戻す娘その後も娘はよく吐き戻していましたが、1カ月健診で助産師さんに「多少吐き戻すのは赤ちゃんはよくあること、体重も増えているし大丈夫。おすわりができるようになればいずれ吐かなくなるよ」と言われ、ひと安心。 それからは多少吐き戻してもおすわりができるようになればおさまると思い、あまり気にせずに過ごしました。しかし、生後半年ほどでおすわりができるようになっても吐き戻しは続き、さすがに心配に。病気ではないかと考えるようになりました。 小児医の言葉にびっくりちょうどそのころ健診があったので、小児医に吐き戻しについて相談することに。そうすると「お母さん、それはお乳の飲ませすぎですよ。ほら、こんなにお肉もついて大きくなっているでしょ?」と返事が。なんと赤ちゃん特有の吐き癖だと思い込んでいたのが、お乳の飲ませ過ぎで吐き戻していたのです。 混合授乳から母乳のみに変更していたこともあり、いつから飲ませ過ぎていたのか全然気づかず……。そして授乳時間を早めに切り上げるようにしたら吐き戻す回数が減り、成長につれて自然に吐き戻さなくなっていきました。 おすわりができるようになってからの吐き戻しはまさかお乳のあげすぎが原因になっていたなんて。吐く原因はさまざまなので、吐き癖と思いこまず早めに医師や保健師さんに相談していればよかったです。思い込みで娘を長く苦しませることになっていたと思うと、娘にごめんね……という気持ちに今でもなります。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子作画/はたこ著者:佐藤りさ4歳の女の子の母。病院看護師として働きながら隙間時間に自身の体験をもとにライターとしても活動中。主に育児、健康について執筆している。
2022年11月15日現在1歳11カ月の娘をアメリカで育てています。娘を出産したとき、トルコ人の義母がはるばるトルコからアメリカまで産後の手伝いにきてくれたのですが、義母の娘へのある信じられない行動により激怒した私。文化の違いによる育児トラブル体験談をお話しします。びっくり! 義母が娘の頭に○○を…娘の出産時、手伝いにきてくれたトルコ人の義母。娘が生後2週間ごろのある日、義母がリビングで寝ている娘の頭が寒くてかわいそうと言って、スカーフを娘の頭にかけているところを目撃しました。娘のことをかわいく思っての行動ということはわかるのですが、スカーフが顔にかかったり首に巻き付いたりといった事故が起こらないとも限りません。危険なのでそれはやめてくださいとお願いし、義母もにこにこして聞いていたので理解してもらえたと私は思っていました。 嫁姑バトル勃発!?しかし、その後も娘の頭にスカーフをかけ続ける義母。義母のかけたスカーフをそっと私がとるという静かな攻防を繰り返していたある日、事件が起こりました。リビングで寝ていた娘の泣き声が聞こえ、起きたかと思って様子を見に行くと、スカーフが娘の顔にかかり娘がもごもご言っています。私は悲鳴をあげながらダッシュで駆けつけて、娘の顔の上のスカーフを取り払いました。激怒した私は何が起こったかを義母に説明し、どうしてお願いしたのにスカーフをかけるのをやめてくれなかったのか、危険だと思わないのかと、すごい剣幕で義母に問いただしました。 話し合うことの大切さじっくりと話を聞いてみると、義母はやはり娘の頭が寒くてかわいそうだと思ったということと、トルコには外出時に赤ちゃんの顔にスカーフをかけるような風習があるため、特に危険だと思ってはいなかったということがわかりました。日本ではありえない行動でも、別の文化では当たり前ということがあるんだなと身をもって体験することに。ただし、私はやはり危険だと思うのでどうかやめてくださいと改めてきちんとお願いすると、今度は義母も理解してくれたようで、以後娘の頭にスカーフをかけることはなくなりました。 寒そうという理由で、新生児の娘の頭にスカーフをかけていたトルコ人の義母。初めて見たときはあり得ないと驚きましたが、文化の違いから出た行動でした。私は危険だと思うのでやめてほしいときちんとお願いすると理解してくれたので、文化が違っても結局大事なのはしっかりと話し合いお互いを理解しようとする気持ちだと思いました。 著者:玉木理恵1歳の女の子の母。アメリカ在住。翻訳家・ライターとして活動中。
2022年11月14日義実家で授乳するときに、義父からの視線が気になっていました。 授乳中に増していくストレス⋯⋯。しかし良好な関係を壊したくない思いで、言いたいことをためこんでしまった結果、我慢しきれずについきつく言ってしまいました。そんな嫁(私)と義父の授乳問題についてお伝えします。気になる視線長女が生後3カ月のころ、夫の実家に1カ月ほどお世話になったことがあります。義父は仕事をリタイアしており、1日中家にいました。義父は私の娘を抱っこしたり、あやしてくれたり、かわいがってくれて本当に助かりましたし、とてもうれしかったです。しかし、1つ気になることが。私が授乳するために娘を連れて部屋を移り授乳をしていると、その部屋に入ってくるのです。「これって当たり前のことなの?」と疑問に思いながらも、義父とはいえ夫以外の男性の視線がなんだか気になりました。 やわらかく気持ちを伝えたたところ…授乳中は義父に部屋へ入ってきてほしくないことを夫から伝えてほしいとお願いをしました。義父との良好な関係を壊したくなかったので角が立たないよう、夫から「授乳中は部屋に入らないほうがいいんじゃないかな? 女性は普通嫌がると思うよ」と、やわらかく言ってもらったのです。しかし義父の返答は「胸を見ているんじゃない。乳を飲んでいる孫を見ているだけだから」と言って状況は変わらず。なんだか「私が自意識過剰なのかな?」 とも思いましたが、不快な気持ちとストレスは増える一方でした。 はっきり言わせていただきます!ある日、いつものように私は義父を意識しつつ授乳の部屋に移動しました。するとまた、義父が授乳部屋に入ってきたのです。私はもう我慢の限界で、「お義父さん、授乳中は絶対に部屋に入ってこないでください。胸を見ているとか見ていないとか関係ないんです。不快です。お願いしますね!」と、きつく言いました。義父は「わかった」と言い、それから授乳中は部屋に入ってこなくなりました。この一件があったあとも、義父は相変わらず孫をかわいがってくれるし、私と義父の関係も変わらず良好なので、もっと早期にはっきり伝えておけばよかったです。 不快な気持ちを義父に伝えることは難しかったですが、はっきり言わないと義父は気持ちを理解できないと思ったのです。しかし我慢しすぎて余裕がなくなる前に言えたら、もっとやさしく伝えられたのかなと反省もした出来事でした。 著者:藤原 にじ二児の姉妹の母。兵庫県出身、オーストラリア在住。自身の経験と感性をもとに執筆活動中。趣味はイラスト、漫画を描くこと。旅行も大好き!妄想の中でも旅行に行く。
2022年11月12日私は2人の娘を育てている専業主婦です。長女は小学校2年生、次女は幼稚園の年少です。私は昨年の4月、次女が幼稚園にあがったタイミングでうつ病を発症。現在は心療内科に通っています。育児をすることが困難でしたが、ある日、私の異変に気づいた幼稚園の先生が、声をかけてくれたのです。私の目には、思わず涙があふれました……。まさか私がうつ病に次女が幼稚園に通い始め、育児がラクになったはずのタイミングでうつ病を発症しました。原因は定かではありませんが、もともと生真面目で完璧主義な私。家事も育児もうまく手が抜けない性格で、うつ病になりやすい気質だったと思います。調子が悪いときは何もできなくなり、ベッドから出ることも困難でした。 そんななか、幼稚園の送迎とごはん作りだけは何とかやっていましたが、幼稚園から14時に帰ってくる次女の遊び相手になる余裕はなく、長女が帰宅する16時までひたすらYouTubeを見せ、その間、私はベッドに横たわっていました。 「お母さん、大丈夫? 疲れている?」ある日、いつものように調子が悪いなか、娘を送迎したときのことです。よほど疲れた生気のない顔をしていたのか、娘の担任の先生が「お母さん、大丈夫? 疲れている?」と声をかけてくれました。そのやさしい言葉に思わず涙があふれました。 すると心配した担任の先生は職員室に連れて行ってくれました。そして、「つらいんだったら園の預かり保育を使ってね」と言ってくれたのです。預かり保育は仕事をするママだけではなく、病気で保育が困難なママ、リフレッシュしたいママも使ってもいいんだよ、と説明してくれました。 預けたら……娘はまだ入園したてで園生活にも慣れていないこともあり、私は預かり保育を利用することに抵抗を感じていましたが、ある日、意を決して利用することに。預かり保育中、次女はいつもとは違う様子に少し戸惑いもあったようです。しかし、お迎え時に先生からは「大丈夫です。楽しく遊んでいるときもありましたから。それよりお母さんが元気で笑顔になることが大事ですよ」とありがたいお言葉をいただきました。 普段は、次女の様子を気にしながらベッドに横になっていたのですが、幼稚園でしっかり見てもらえていると思うと、安心してゆっくりと休むことができました。また、困ったら頼れるところがあるというのは精神的な支えになりました。 最初はしぶしぶ預かり保育に行っていた次女も、今では喜んで行くように。家で構ってあげられない状態より、幼稚園で他のお友だちや先生と遊んでいるほうが次女にとっても良いと感じています。私の体調が悪く保育枠に余裕があるときにはこれからもお願いして、娘たちのためにも、私自身の体調を整えることも大事にしたいと思います。安心して任せられる環境を用意してくれている幼稚園には、本当に感謝しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:小川恵子8歳と5歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年11月09日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2022年11月07日わが家には4人の子どもがいますが、たまたま子どもたちの生まれた年に身内に不幸があり、葬儀や法事が重なりました。そのことをまさか私のせいにされるだなんて……。何気ない義母の言葉に私たち夫婦がショックを受け、義母との関わり方を考え直した体験をお話しします。なぜか生まれた年に重なる葬儀長男が生まれてから半年後に義母側の祖母が亡くなり、長女が生まれる1週間前に義父側の祖母が亡くなりました。もともと祖母たちは持病があって入院していたので、葬儀や法事にはできるだけ出席し、滞りなく済んだと思っていました。 やがて、上の子たちが大きくなってきたので家を買うことになり、それと同時に義父母と同居することに。ところが同居して間もなく、義父にガンが見つかりました。その後3人目を妊娠。妊娠したことを義父母に報告すると、まさかの言葉が返ってきたのです。 耳を疑う義母からの言葉…妊娠の報告をしたあと、義母から「本当に産むの? 上の子たちが生まれた年に祖母たちが亡くなったのよ。次は誰が? ちゃんと考えて!」と言われたのです。 義母が義父にガンが見つかったことを心配しているのはわかっていましたが、まさかこれまでの不幸を私の出産のせいだと思っていたことに大ショック! これには夫も、「うちの子のせいにしているなんて!」と怒りを隠せませんでした。 その後次女が生まれ、義父は闘病で入退院を繰り返しましたが、なんとか日常生活を送れるようになっていました。 義両親と別居してから数年後義父母と同居して3年、生活リズムや考え方の違いがあり、これ以上は無理と夫が別居を申し出、義父母は実家に帰っていきました。それから数年後に私は4人目を妊娠、出産しましたが、義父母とは絶縁状態。ましてや夫も、以前ひどい発言をした義母に対し「あんな考え方をする人たちに報告しなくていい」と言って義妹にだけ報告し、義母たちには直接連絡しませんでした。 しかし、その2カ月後に義父が他界。また義母に何か言われかねないと思いながらも、葬儀に参列することにしました。絶縁状態だったこともあり気まずい雰囲気の中、義母と久しぶりの再会。夫も私もどう接していいかわかりませんでしたが、4人目の次男を抱っこした義母は、「来てくれたよ!」と眠っている義父に話しかけていました。事情を知っていた親戚も「赤ちゃんがいてくれてよかった」と言ってくれました。 本当にたまたま重なった不幸ではありますが、当時子どもが生まれたのはわが家だけではなく、義妹も同じ時期に出産していたのです。それなのにまさかの考え方をしていた義母に驚きを隠せませんでした。初孫をかわいがってくれた時期があった反面、義母の本当の気持ちがわかり、同居、別居を経て、それ以来距離をとって付き合うようにしています。 著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月06日夫のことは大好きで、妊娠前は毎日のように夫婦生活があったのに出産後はまったくなくなりました。あんなに大好きだった夫のことは「好き」に変わり、1番はもちろん子どもに。24時間育児をして、家事などをこなしていると夜にはヘトヘトです。子どもを寝かせたら、眠れるときに眠りたい、自分の好きな時間を過ごしたいなどという気持ちが芽生えたのです。しかし、夫としたくない最大の理由は、実は夫の「やり方」にありました。私が求めるスキンシップは…子どもが生まれてからの私は、夫婦生活よりも、ハグや手をつなぐなどのスキンシップの方がいいなと思っています。手をつなぐことはなかなかできていないですが、ハグは1日に1~2回は私からしています。また、少し抵抗を感じますが夫からはたまにボディタッチをしてくることがあり、私はこのスキンシップで十分だと感じているのです。 夫婦生活を拒絶する本当の理由実は、夫婦生活をしたくないのは、夫には言えない別の理由があります。それは、夫はセックスの時間が長く、当たり前のように1時間以上で、早く眠りにつきたい私には正直苦痛ということ。妊娠前はなんとも思わなかったのですが、出産後は少しでも寝たいという気持ちが強く、抵抗を感じてしまいます。夫は自分よりも相手を喜ばせたいタイプなので、早く終わらせることができないところが私は嫌なのです。 正直、出産後は短時間でささっと終わらせてくれるならと思ったこともあったのですが、やっぱり1時間超え……。しかも、痛くて痛くて終わったあとも排尿するたびに痛みを感じたことも。たまたまかもしれませんが、そのときは正直もうしたくないと思ってしまいました。 離婚されたくないから応えるべき夫がひとりで処理しているのを知っていて、それはかわいそうだなと思っています。しかし、それ以上に、1時間という夫婦生活をするくらいなら正直寝たいし、自分の時間をゆっくり過ごしたいと思ってしまうのです。 そのため、セックスレスは離婚の原因になることもあるだろうし、たまには応えなきゃとは思っていながらも、なかなか「いいよ」と言えない自分がいました。 夫と夫婦生活について話し合いしかし、これでは何も解決しないと思い、夫と話し合いをすることに。夫は夫婦生活を求めていることを訴えてきました。一方、私は夫に「育児して、家事して、仕事して、夫婦生活に1時間以上は正直つらいの。私を喜ばせようという気持ちはうれしいけど体力が持たないんだ」と伝えたのです。 夫は、「そんなに疲れているとは思わなかった、ごめん」と言ってくれて、これからはまったくしないのではなく、「たまにはしようね」と話して終わりました。話し合いをして、正直な気持ちを伝えたことで申し訳ないと思ったのと同時に、まだ私を求めてくれることに喜びを感じました。これからは夫婦生活というスキンシップも大切にしたいと思い直しました。 今まで、いろいろな理由をつけて約2年ほど拒否し続けてきた夫婦生活なので、再開はいろいろな意味でドキドキします。しかし子どものために夫婦がいつまでも仲良くいられるように、定期的な夫婦生活はすごく大切なことだと思い直しました。これからは毎回ではなくても、誘われたら応えていきたいです。 監修/助産師REIKO著者:のろ ゆうこ2歳女児をワンオペで育てる母。現在、シナリオライターとして活動中! 主に育児・家庭に関する記事を執筆している。
2022年11月05日娘は2歳半で双子のお姉ちゃんになりました。3歳になるころは、誰からもしっかり者と言われる頼れる存在に。でもそれは、少しずつ娘の心をむしばんでいたのです。娘が「お姉ちゃんをやめたい!」と言ったあの涙を私は今も忘れません。きょうだい育児は大変だけど、上の子のケアも重要だと痛感したお話です。幼稚園の個人面談で衝撃を受ける妊娠25週を迎えたころ切迫早産で入院。まだ幼い娘と離れることが不安でしたが、「お姉ちゃんになるから大丈夫!」と、娘の言葉に励まされました。そうして娘が2歳半の頃、双子が生まれました。双子が生まれる前から我慢してきた娘は、3歳になるころには大体のことを自分でできるようになりました。 しかし幼稚園の個人面談で、「しっかり者だね」と声かけをしたときに「パパもママもとられたから自分でするんだよ」と笑っていたと先生から聞いて、衝撃を受けたことを覚えています。 誉め言葉のつもりが…個人面談で娘が言っていたことを聞いてからは、もっと娘とコミュニケーションをとろうと心がけました。娘は双子の妊娠がわかったときから「お姉ちゃん」になることに喜びを感じ、娘も自分のことを「お姉ちゃん」と呼んでいたので、私たち夫婦も娘のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。それが娘にとってうれしいことと思い込んで……。 ある日「さすがお姉ちゃん、おりこうさん」と言うと「お姉ちゃんやめたい! おりこうさんもやめたい!」とわんわん泣き出したのです。 娘の笑顔を取り戻すためにしたこと手がかからないと思い込んでいたけど、それは娘が我慢してきただけなんだと気付きました。「もうお姉ちゃんって呼ばれるのいやだ……。」私は知らないうちに娘にプレッシャーをかけていたのです。 それから以前のように娘を「お姉ちゃん」ではなく名前で呼ぶようにして、「娘ちゃんタイム」というパパやママを独り占めできる時間を設けるようにすると、とてもうれしそうにしてくれました。「おりこうさん」の代わりには「ありがとう、大好き」を言うことは、今でも続けています。 私は自分で思っている以上に娘に期待していました。もう3歳、まだ3歳。あのときの娘と同じ年齢になった双子をみて、あぁまだまだ甘えたかったよねと痛感しています。「大人の言う『いい子』は、大人にとって都合の『いい子』」。前にそんな言葉を目にしたことを思い出し、お姉ちゃんである前に大切な娘であることを忘れずに接していこうと思いました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:梟 うた5歳の娘と双子の3歳息子のママ。双子の出産を機に、東京から地元九州に移住。保育園勤務をしながら子育て、ファッション、旅行、インテリア、お得情報などを執筆中。最近の趣味は、絵本探し。
2022年11月03日私は長女が1歳半のころから週に1回、公園遊びや室内遊びをおこなう子育てサークルに入っています。長女は入園と同時に卒業しましたが、現在は2歳の次女と一緒に通っています。入ったきっかけは、子どもと定期的に通う場所が近所に欲しいと思ったからです。今回は子育てサークルに入ってよかったと思うところを3点ご紹介したいと思います。※コロナ禍前の体験談です さまざまな遊びを体験をさせてあげられる私が所属しているサークルでは、ママたちが班に分かれ、その日の内容を企画します。例えばお気に入りの絵本を持ち寄って読み聞かせをしたり、公園でシャボン玉をしたり、流しそうめんをしたり、ハロウィンパーティーをしたりと、季節の行事や遊びを取り入れながらさまざまな時間を過ごします。私ひとりでは、こんなにいろいろなことを子どもに体験させてあげられません。入園前に、団体行動を体験させてあげられることはとても良いと思いました。 住んでいる地域の情報を教えてもらえる子育てサークルのメンバーは同じ地域に住む親子ばかりです。産前は仕事と家の往復で、私は地域に知り合いもいなければ地域の子育て情報も知りませんでした。 しかしサークルで子どもを公園で遊ばせている間やお弁当を食べている間に、近所のお得なお店の情報、お祭りやイベントのこと、習い事のこと、幼稚園のことなどを情報交換できます。特に上にもお子さんがいるママたちは私の知らない情報をたくさん知っているので、たくさんのことを教えてもらえてとても助かっています。 ママ友と悩みを共有できる週に1回、サークルで一緒に活動しているうちに、お互いの家を行き来できるようなママ友ができました。私は専業主婦なので、1日中、まだおしゃべりがじょうずではない子どもと2人きりで過ごすことをつらく感じるときも……。そんなときはママ友に声をかけ、一緒に家や公園で遊びました。同じ母親同士なので、夫には理解してもらえないような育児の悩みも共感してもらえます。なかには「ママ友なんていらない」という人もいますが、私はママ友の存在に助けられました。 入った当初は、育児サークルに馴染めるか不安もありました。でも、通っているうちに私も子どもも友だちと呼べる存在がだんだん増えていき、どんどん楽しくなっていきました。子どもと2人でずっと家にいると煮詰まるタイプなので、遊びに行ける居場所が近所に見つかり助かっています。4年半ほど通っていますが、幸運なことに今までママ同士のトラブルもなく、サークルに入って本当によかったと思っています。著者:小川恵子姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年10月25日私は先月、第3子を出産して3人の子育てに日々奮闘しています。妊娠中から気がかりだったのが、毎日の夕食の準備です。今回の出産では、私は里帰り出産をしない選択をしたので、産後に待っているワンオペ育児タイム。それに備えて、妊娠中に少し頑張ってみました。0歳児を抱えたワンオペ育児タイム私は現在、中学2年生の娘、年少児と生後1カ月の息子を育てています。次男の出産にあたり、上の子たちの学校や保育園があるので、里帰り出産はしませんでした。夫は家事・育児に協力的ですが、夜勤もあるシフト制の勤務のため、昼間から寝かしつけの時間までいないことも多々あります。 そんなワンオペ育児で大変なのが、夕食の支度です。長女はダイエット中なので「炭水化物を控えめにするから副菜多めにお願い」と言っているし、長男は保育園から帰ってきたときには眠くてぐずっているので、とにかくラクに早く食事の準備をすることが重要になってきます。 分娩予定日前にストック作り次男は計画分娩で分娩日が決まっていたので、分娩予定の3日前から私は食事のストック作りを始めました。カレー、シチュー、ミートソース、コロッケ、ハンバーグなど、メインになり、冷凍できる物をたくさん作りました。魚や肉は下味をつけてカットしておき、あとは焼くだけ・揚げるだけの状態に。 他にも、にんじんしりしりやほうれん草を茹でた物、切干だいこんやきんぴらごぼうなどの副菜も作り、冷凍できる野菜はカットして冷凍しておきました。レトルト食品もたくさん買い込み、とにかく出産後2週間ほどは夕食の支度がラクにできるように備えました。 次男を出産。産後の生活は…次男を出産して、現在は生後1カ月ですが、自分で作った冷凍ストックにとても助けられました。次男は夜もよく寝てくれるほうですが、それでも夜中の授乳もあり寝不足なのと、体が完全に回復していないためか、体力・気力があまりないのが現状です。 そんなとき、夕食が焼くだけ、解凍するだけで準備が終わると考えただけで、気持ちにゆとりができます。また、家にいるときの自分の昼食としてもレトルト食品や冷凍ストックが活躍してくれています。 臨月の大きいおなかで、キッチンに立ってたくさんの冷凍ストックを作るのは大変でしたが、冷凍ストックにかなり助けられているので、妊娠中に頑張っておいてよかったと思っています。過去の自分に「大変だったけど、ありがとう!」と伝えたいくらいです。 著者:吉川 みきな14歳女の子と4歳男の子、0歳の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年10月24日初めてのコロナ禍での出産。出産予定のクリニックには売店やコンビニがなく、飲み物の自動販売機がひとつだけ。面会も制限されていたので、買い物を頼むこともできず……。想定外の入院生活で、準備不足だったことを後悔したお話です。コロナ禍での初めての妊娠・出産2022年に第3子となる次男を出産しました。第1子は14年前、第2子は4年前の出産だったので、新型コロナウイルスが流行し出してからは初めての妊娠・出産です。私が出産したのはクリニックで、院内に売店やコンビニがなく、飲み物の自動販売機がひとつあるだけでした。 産後の入院中、面会ができるのは同居の夫か実母のみと決まっていました。私の母は別居なので面会の対象外、夫も仕事があるので入院中の面会は難しいとのことで、下着やパジャマ、タオル類は多めに持って行きました。 母乳をあげているせいか、すさまじい空腹感入院バッグにはペットボトル数本と、小腹が空いたときにつまめるように小分けになったバームクーヘンを入れて持って行きました。そして、無事に次男を出産し、そこから5泊の入院生活がスタート。翌日から母子同室になり、母乳推奨のクリニックだったので育児用ミルクはあまり足さず、母乳が出るように頻回授乳で頑張りました。 母乳は大した量が出てないはずなのに、すぐに襲ってくる空腹感。持って行ったバームクーヘンは2日で食べきってしまい、面会や差し入れもなかったので、空腹感に耐えながら残りの日数を過ごしました。 もっとお菓子を持ってくればよかった夜中の授乳がスムーズに終わって次男も寝てくれて、眠れるチャンスだというのにおなかが空いて眠れない……なんて日もありました。こんなことなら、お菓子をもっとたくさん持ってくればよかった……と後悔。 上の子たちのときはコロナ禍での出産ではなかったので、面会や差し入れを自由にしてもらえ、総合病院だったので院内にコンビニがあり、おなかが空いても自分で食料調達できたのです。今回は面会制限があったので、着替えは多めにと準備しましたが、差し入れもしてもらえないということをすっかり頭から抜けていました。 下着やパジャマ、スリッパやティッシュなどの必要最低限の入院準備は整っていたものの、母乳をあげているとこんなにおなかが空く、という点は盲点でした。もし次回も同じようにコロナ禍での出産をし、面会制限があるような状況だったら、お菓子や軽食も忘れずに準備しようと心に誓いました。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな14歳女の子と4歳男の子、0歳の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年10月21日私には3人の子どもがいて、第3子は初めて母乳と育児用ミルクの混合育児をしています。直接母乳をするたびにやってくる、虚無感や焦燥感とおなかの痛み。「みんな我慢しながら母乳あげているんだから、自分も我慢しなきゃ……」。そう思っていました。どうしても授乳の時間がつらい…私には、13歳、4歳、生後1カ月の子どもがいます。上の子たちのときからそうだったのですが、私は子どもに母乳をあげるたびに気持ちがずーんと沈んだり、悲しくなったり、切なくなったり、焦燥感や虚無感があったり、おなかが痛くなったりして、泣きながら授乳していたこともしょっちゅうでした。 ホルモンの関係でみんなそうなるものだと思っていたので、授乳の時間がくるのは憂うつでしたが、我慢して母乳を与えていました。ですが、先日母乳外来に行った際に、私のように母乳をあげるときに症状が出るものを「ディーマー(不快性射乳反射)」と言うことを知ったのです。 NICUの看護師さんでも知らないディーマーとは?ディーマーとは、授乳が引き金になって起こる生理的な反射現象で、不快感や絶望感、切なさを感じたり気持ちが悪くなったりすることだそうです。私は今回3人目の育児中ですが、ディーマーという言葉は初めて知りましたし、3人目の子が入院していたNICUの看護師さんにも「初めて聞きました」と言われました。 一般的には90秒から数分で症状が落ち着くことが多く、子どもが生後3カ月になるころには症状が消失する方もいれば、授乳期間中ずっと続く方もいるそうです。 我慢しなくていいんだ!母乳外来の助産師さんには「ディーマーがあったら授乳がつらいでしょう。上の子たちのときは、頑張ったんだね。無理しなくていいんだよ」と言われました。直接母乳を与えるたびに起きる不快な症状は、みんなが経験するものだと思っていたのですが、そうでないとわかり、「無理して我慢しなくていいんだ」と思えるように。 そこから直接母乳をあげることはやめました。私の場合、搾乳だと症状は出現しないので、今は搾乳器で搾った母乳と育児用ミルクを交互にあげています。手間はかかりますが、授乳の時間が苦痛ではなくなり、穏やかな気持ちで授乳することができています。 今まで、授乳のたびに起きる苦痛な症状を我慢しながら直接母乳をあげていました。しかし、今回ディーマーという言葉を初めて知り、直接母乳をあげることはやめ、搾乳と育児用ミルクの混合育児をしています。直接母乳をあげていたときには、授乳時間が近づくたびに憂うつで仕方なかったのですが、今は穏やかな気持ちで授乳時間を迎えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:吉川 みきな14歳女の子と4歳男の子、0歳の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年10月19日初めての出産を控え、いつ生まれるんだろうとドキドキの毎日。しかし、正期産の時期を前に頻繁に起こるおなかの張りにより、医師に自宅安静を言い渡されました。そして妊娠36週に生まれてしまい、早産だった息子に対し、人一倍気を遣って過ごしていたころのお話です。2,200gで生まれた息子おなかの中ですくすくと育っていく息子。愛しくて仕方がなく、エコー写真を見ては「早く会いたいなあ」と思っていました。しかし妊娠後期から頻繁におなかが張るようになり、妊娠35週には出血もあったため、医師から自宅安静の指示が。 結局妊娠36週に早産児として生まれた息子は、体重2,200g程度の低出生体重児でした。息子が生まれた直後から助産師さんや担当の医師が、慌ただしくしていたのを覚えています。 罪悪感からひとりで無理をしていた毎日周りの子と比べるのはよくないと思いつつも、小さい息子を抱っこしては、正期産の時期に産めなかった自分を責め、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 退院後、ネットで早産児は病気にかかりやすかったり、発達が遅れたりするかもしれないリスクがあるという情報を目にした私は、「この子を大きくできるのは私だけだ、病気にかからないようにしなければ」という気持ちに。 常に健康状態を気にしたり、授乳回数を増やしたりと自分だけで毎日頑張っていました。しかし産後のボロボロな体と、夜間授乳などでの寝不足も重なって、そのころの私は心身ともに疲れ果てていました。 元気に成長していく息子に私は……夫や友だちから少し頑張りすぎだと言われても聞く耳を持たなかった私。一方で息子は生後3カ月のころには首もすわり、体もぽっちゃりと赤ちゃんらしくなってきて、あやしたりするとよく笑うようになりました。そして生後6カ月にもなると寝返りや、ひとりで座ることもできるように。 そんな成長する息子の姿を見て、私は早産児だろうとこの子はこの子なりにちゃんと成長しているじゃないか、とだんだん思うようになったのです。それからは、周りの助けも借りて、ひとりで無理をするのをやめるようになりました。 現在では、息子も背は少し小さいものの、元気な幼稚園児になりました。今だからこそ言えることですが、早産児だからと母親が責任を感じ頑張りすぎるのではなく、もっと子どもの成長を信じて育児をすればよかったと思います。これからもこの子なりの成長を見守って、一緒に成長していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:竹の内 由紀5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2022年10月19日私は退院後に必要な物が足りなくて、急きょ哺乳びんや体温計などを買い足すことになりました。退院前の入院中にネットショッピングなどで揃えていれば、もう少しスムーズに育児ができたのにと後悔しています。そこで、退院前に揃えておけばよかったと思う物を3つご紹介します。産院で使った物と同じ哺乳びん3本退院して初めて赤ちゃんに育児用ミルクを飲ませようとしたら、まったく飲まずに焦りました。用意していた哺乳びんの乳首が、産院で使っていた乳首より固いことが原因で、育児用ミルクを飲めないようです。急きょ、産院で使っていたのと同じ哺乳びんと乳首のセットを夫に買ってきてもらうことに。用意していた哺乳びんとはメーカーが違うため、乳首だけ付け替えることはできませんでした。 無事に飲んでくれたのはよかったものの、哺乳びん1本で夜間授乳を乗り切るのは大変でした。替えの哺乳びんがないので、次の授乳に備えて洗って消毒しておかなければなりません。3時間おきの授乳で、夜中に哺乳びんを消毒しないためには、哺乳びんが3本必要でした。結局3本の哺乳びんを購入し、夜間は消毒しなくて済むようにしました。 哺乳びんを消毒するグッズ出産前は、完全母乳になったら哺乳びん消毒は必要ないと思っており、消毒するにしても煮沸消毒で十分だと考えていたため、哺乳びんの消毒グッズを準備していませんでした。少しずつ母乳が出るようになりましたが量が足りなかったので、混合育児で頻繁に育児用ミルクをあげることに。そのため、毎回お湯で煮沸消毒することになってしまいました。 夜中の授乳後の煮沸消毒は、本当につらかったです。電子レンジタイプや薬剤タイプの消毒液を用意しておけばよかったと、激しく後悔しました。結局、退院1カ月後に電子レンジタイプの消毒を購入し、消毒するのが本当にラクになりました。 赤ちゃんが使える体温計わが家には以前から、大人用の耳で測るタイプの体温計がありました。体温計ならどれも同じだろうと思って、赤ちゃん用のものは用意していませんでした。いざ赤ちゃんの体温を測ろうとしたら、耳の穴が小さ過ぎて体温計が入らないという事態。 産院では毎日体温測定していたので、測らないのも不安。そこで、薬局で値段が高めのベビー用の耳式体温計を買い足すことに。わが家にある大人用の耳式体温計は、赤ちゃんには使用できないということに事前に気付いていれば、値段やタイプをじっくり選んで用意できたのにと思いました。 私の場合は、出産後の入院中に、産院ではどんな育児グッズを使用しているかがわかりました。産院で使っていて、自宅にまだない物を揃えておけば、もっとスムーズに育児がスタートできたと思います。退院後の生活を少しでもラクにするために、退院前にネットショッピングなどで揃えておけばよかったと感じています。 監修/助産師REIKOイラスト/キヨ著者:津崎 あぐり2歳女児を子育て中。大学卒業後、建築模型製作やガラス雑貨の販売を経験。趣味はステンドグラス製作。インテリアや育児などのライフスタイルについて執筆している。
2022年10月17日