歌手の小柳ルミ子が20日に自身のアメブロを更新。タレントの神田うのから貰ったお礼の品を公開した。16日のブログで、小柳は神田の誕生日に贈った花の写真を公開。神田の誕生日を祝福し「何時迄も可愛らしく知的で上品で美しい女性でいて下さいね」と呼びかけていた。この日は「お礼に直筆のお手紙を添えてお菓子を頂きました」と神田から貰った世界的なパティスリー『ピエール・エルメ・パリ』の菓子を写真で公開。「ここの洋菓子は“パティスリー界のピカソ”と称される素晴らしいお菓子」と説明し「有難うございます 頂きます」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「素敵ですね」「ルミちゃんへの愛を感じます」「うのさんの文字も美しいですね」などのコメントが寄せられている。
2024年04月21日歌手の小柳ルミ子が16日に自身のアメブロを更新。タレントの神田うのの誕生日に贈ったものを公開した。この日、小柳は神田の誕生日に花を贈ったことを写真とともに報告。「うのちゃんをイメージして愛らしいアレンジでお願いしました」と明かし「可愛いでしょ」とコメントした。続けて「お誕生日おめでとうございます」と神田の誕生日を祝福し「何時迄も可愛らしく知的で上品で美しい女性でいて下さいね」と呼びかけ、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「イメージにピッタリな可愛いお花ですね」「素敵です」「凄く綺麗」などのコメントが寄せられている。
2024年04月17日フリーアナウンサーの神田愛花が14日、自身のインスタグラムを更新し、1日警察署長を務めることを報告。制服姿を公開した。神田は「東京湾岸警察署の1日署長を務めさせて頂きます」と伝え、「今日この後、湾岸警察署をオープンカーでスタートし、フジテレビの前などを通って、有明スポーツエンターテイメント広場に向かいます」とスケジュールを紹介。「頑張ります」と意気込み、敬礼ポーズの制服ショットを投稿した。この投稿には「よく似合ってる」「とてもきれい!」「頑張って!」「ますます惚れてまう」「かっけ~」と言った声が寄せられている。
2024年04月14日俳優の高橋克典が17日に自身のアメブロを更新。情報バラエティ番組『朝だ!生です旅サラダ』(ABC・テレビ朝日系)で共演した俳優の神田正輝の様子を明かした。この日、高橋は「『旅サラダ』!いかがでしたか?」というタイトルでブログを更新。「神田さん、とてもお元気そうでした!」と番組でMCを務める神田の様子を明かし「スキーやお酒や温泉の話で終始楽しくお話しさせていただきました 73歳になられたそうで」とつづった。続けて「初めての出会いは1995年『ひと夏のラブレター』というドラマ」と述べ「神田さん44歳、僕はデビュー2本目のドラマ29歳」と説明。「ソフトでダンディでエスコート上手で、大人には勝てねーなと思いましたね」と当時を振り返った。この投稿に読者からは「旅サラダ楽しく見ていました」「お元気そうで良かった」「神田さんも克典さんも素敵でした」などのコメントが寄せられている。
2024年02月18日タレントの神田うのが9日に自身のアメブロを更新。流石と褒められた娘の弁当を公開した。この日、神田は「娘のお弁当」と弁当の写真を複数枚公開し「毎日ピカピカにしてきてくれる」と嬉しそうに述べ「かあちゃん頑張るのだー」とコメント。娘から「ママ、ちゃんとお弁当カップまで色合わせしてたんだね」と言われたそうで「お弁当に詰める時にお肉は茶色 お野菜は緑 トマトは赤 卵焼きは黄色となんとなく自分の感性のままにお弁当カップを選んでいたのですが、褒められて嬉しかった」とつづった。続けて「学校のお友達から『凄ーい流石◯◯ちゃんのママだね!』って言われたようで本人も嬉しかったよう」と娘の反応を明かし「そして小6女子に褒められて嬉しい48歳ですwww」とお茶目に述べ、ブログを締めくくった。
2024年02月10日歌手の小柳ルミ子が25日に自身のアメブロを更新。タレントの神田うのに申し訳なく思ったことを明かした。この日、小柳は「大好きなうのちゃん」と切り出し「今回も私のLIVEにいらして下さいました」と神田が自身のライブに来てくれたことを報告。「ご予定があったにも関わらずそちらをキャンセルして私のLIVEを優先して下さいました」と明かし「有難くて嬉しくって申し訳なくてうのちゃん本当に有難う」と感謝をつづり、神田との2ショットを公開した。続けて「シャンパンを沢山飲んだのかな」と述べ「本番中も『イェーイ ヒューッ ルミ子さーん 』とうのちゃんの歓声は一際目立ってました」とライブ中の神田の様子を報告。「会う度に私にシャンソン歌ってと言ってくれます」と明かし「プロデュース能力の高いうのちゃんの意見しっかり受け止めさせて頂きます」とつづった。また、写真を撮る際に神田から「お写真撮るんだから口紅付けましょ」と言われたそうで「これは貴重なお写真よ」と神田に口紅を塗ってもらっている自身の様子を写真で公開。「本当に気遣いの人」と述べ「何時も綺麗なお花を有難うございます」「又お食事行きましょうね」と呼びかけ、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当の姉妹みたい」「貴重なお写真」「相変わらずお綺麗で素敵」などのコメントが寄せられている。
2024年01月26日タレントの神田うのが24日に自身のアメブロを更新。歌手の小柳ルミ子のライブで久々に再会した人物を明かした。この日、神田は「大好きなルミ子さんのNew Year Liveに」と小柳のライブに足を運んだことを報告し、小柳との2ショットを公開。「とってもとっても盛り上がり美しいルミ子さんの歌声と共に大変楽しく素敵なひと時を過ごさせて頂きました」と回想し「骨折されてらっしゃる中での2stageのパフォーマンスを見事にこなされたルミ子さん本当に凄い(大大大尊敬)です」とつづった。続けて「キラキラのお衣装で」「エネルギーに満ち溢れた迫力のあるパフォーマンスだった」といい「哀愁漂うしっとりと歌い上げるパフォーマンスだったりルミ子さんの魅力溢れる素晴らしいLiveでした」と絶賛。「久々に小林幸子さん 長山洋子さん 川中美幸さん とも再会出来て嬉しかった」「一緒に盛り上がって楽しかったです」と述べ、演歌歌手の小林幸子や長山洋子、川中美幸らとの写真を公開した。また、4人での写真撮影の際には長山から「うのちゃんは幸子さんのお隣で」「うのちゃんは真ん中に座って」と声をかけられた事を明かし「わざわざ立ってお席を譲って下さっての撮影になりました」と説明。「お優し過ぎて恐縮&感動でした」と感激した様子で述べ「早速憲ちゃんにこの日の事をご報告して」と歌手の美川憲一に連絡したことを報告した。最後に、美川から「長山洋子さん本当にいい方なのよ~美人だしね~」と言われたことを明かし「いつもとても感じが良く美しいだけでなく湧き出てくる優しさのあるとーっても素敵な女性と改めて感じた次第です」とコメント。「素敵なルミ子さんですから同じく素敵なお仲間がいらっしゃるのですね」と述べ「素晴らしいLiveにご招待下さいましてありがとうございました」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月24日日本の伝統的な染織技術と現代の先端技術を組み合わせ、従来にない素材をテキスタイルに取り入れながら多彩な仕事を展開しているテキスタイルデザイナーの須藤玲子と、須藤が率いるテキスタイルデザイン・スタジオ 「NUNO」の活動を紹介する大規模個展が、2月17日(土)から5月6日(月・祝)まで、茨城県の水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催される。1953年に茨城県に生まれた須藤玲子は、1983年に設立したNUNOとともに、約40年にわたってテキスタイルの分野で第一線を走り続けた作家だ。その創造性と実用性に富んだ作品は海外でも評価が高く、今回の展覧会も2019年に香港のCHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)で企画・開催され、その後ヨーロッパ各地を巡回したもの。国内では香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に次いで、須藤とゆかりのある茨城県へと巡回となった。同展の大きな魅力は、代表作によって須藤の創作の姿勢を伝えるとともに、NUNOのテキスタイルを世に送り出してきた日本各地の工場にも焦点を当て、「布づくり」を支える創造的かつ技術的なプロセスを包括的に紹介することだ。完成品だけではなく、デザインの源泉や開発・制作過程にも注目し、ドローイングや作品サンプル、職人たちとの試行錯誤の記録も含めた豊富な資料も展観するほか、工場での生産の様子に音や映像などの演出を加えた臨場感に満ちたインスタレーションの展示もある。NUNOの全貌に多方面から迫ると同時に、布づくりの舞台裏を紹介する試みともなっている。もうひとつの見どころは、NUNOのオリジナルテキスタイルを用いた《こいのぼり》のインスタレーションが登場すること。同作は、日本の染織技術の素晴らしさを多くの人々に届けるために須藤が考案したもので、色とりどりのこいのぼりが大空間を泳ぐ展示は、ワシントンD.C.やパリなど、世界の人々を楽しませてきた。日本でも、2018年に東京の国立新美術館の展示が話題を呼んだが、今回は、水戸藩に由来する染色技法「水戸黒(みとぐろ)」の再生に取り組む水戸市内の職人とともに、同展ならではの特別なこいのぼりが制作された。現代美術ギャラリー内と広場で繰り広げられる楽しさあふれる《こいのぼり》の展示もまた、幅広い世代の多くの人々を魅了するに違いない。<開催概要>『須藤玲子:NUNOの布づくり』会期:2024年2月17日(土)~5月6日(月・祝)会場:水戸芸術館 現代美術ギャラリー時間:10:00〜18:00(入場は17:30まで)休館日:月曜(祝日の場合翌日休)料金:一般900円公式サイト:
2024年01月23日「神田さんは都内の大学病院に入院しているそうです。『旅サラダ』は欠席中ですが、番組には視聴者から神田さんへの励ましの声が多数届いています」(制作関係者)唯一の出演番組『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)を’23年11月18日から8週連続で欠席している神田正輝(73)。12月2日の放送では、「体のメンテナンスのためしばらくお休み」と説明があった。テレビから姿を消してから2カ月がたとうとするなか、神田の近況が聞こえてきた。「『旅サラダ』の週1回の放送のたびに激ヤセが心配されていましたが、やはり筋肉の衰えで日常生活も難しく、現在は入院中。体力の低下も著しく、感染症の恐れから“面会謝絶”の状態だそうです。精神的にも沈みきっているようで、“老衰状態”だといいます」(テレビ局関係者)ライフサポートクリニックの山下悠毅院長はこう解説する。「70代で老衰と聞くと『まだ若いのに』と感じるかもしれません。一方で、若いころからハードトレーニングを積んでいるアスリートは『中高年で心不全を起こしやすい』との報告は多数あります。つまり、過労や睡眠不足、アルコールなど長年心筋にダメージを及ぶ生活を送った方は、老衰のリスクが高いということです」神田は’70年代後半の多忙だった時期について、こう語っている。 《毎日2時間寝てなかったから。10カ月半で家に2回しか帰れなかった》(「デイリースポーツオンライン」’16年6月1日配信)前出のテレビ局関係者も言う。「神田さんは俳優デビュー以降の7年間は多忙でほとんど休みがなかったそう。少しでも空き時間があれば寝ずに遊びに行き、一晩でウイスキーのボトルを1本空けることも珍しくありませんでした」さらに、神田はスポーツにも親しんできた。「もともとスキーの腕前はプロ級で、世界中のスキー場を回っていました。神田さん自身の名前が冠されたスキー大会もありました。スキー以外にも、ダイビングやテニス、ゴルフなども趣味として楽しんできました」(前出・テレビ局関係者)神田の高い運動能力が、現在の老衰状態を招いたのかーー。愛娘・沙也加さん(享年35)亡き後も気丈に『旅サラダ』への出演を続けてきた神田だったが、いまやその気力さえも失われているという。「悲しみに蓋をして“天国で沙也加が見てくれている”と頑張っていたようですが、それも限界に達してしまったようです。最近の神田さんは“もう仕事はしなくていい”と漏らしているそうです。昨年12月に沙也加さんの三回忌を済ませ、“もう生きる意味がわからない”と消沈しているといいます」(前出・制作関係者)若かりしころの壮健な姿からは想像できない入院生活。爽やかな笑顔をまた見せてほしいーー。
2024年01月17日タレントの神田うのが6日に自身のアメブロを更新。哀しみの渦に飲み込まれた父親的存在だった人物の訃報についてつづった。この日、神田は「篠先生…報道で知ってから哀しみの渦…」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報について言及し「私にとって心のお父さん的存在だった」と説明。「篠先生とは今から30年前まだモデルをしていた18歳の時に出逢いました」と明かし「幻冬社立ち上げの一発目(最初)の写真集を是非UNOで撮りたいとの事で話が進んでおりました」とつづった。一方で「その内容を知った父が『衣装もレオタードも着せないで撮影だなんてダメだ!!』と激怒し撮影は中止になりました」と告白し「これは肉体美を見せる芸術だと(決していやらしい目線の作品ではないと)篠先生始め、出版社側や事務所側もそう父を説得致しました」と説明。しかし「何が芸術だ 何も着せないでトーシューズだけ履かせて撮影するだなんてバレエという芸術を冒涜している!!」と言われたそうで、さらに「芸術を全く分かっておらん篠山紀信をここに連れて来なさい!!」と言われたことを明かした。また「途中で両親の猛反対を受けてしまい、でも話は進んでしまっていたので、その結果、37人のモデルとUNO含め38人のモデルの写真集『少女革命』の巻頭ページをするという事でなんとか着地致しました」と述べ「まだ18歳だった私はもちろん成人前ですから親の管理下にある訳でして、ダメなものはダメと理解致しました」とコメント。「でも話が進んでいただけに篠先生や周りの大人達をガッカリさせてしまった事に対しては申し訳ない気持ちでした」と当時の心境を明かしつつ「篠先生は世には出なくていいから、それでもどうしてもUNOを撮影したいとの事で」「誰もいない篠先生のスタジオで2人だけで私はトーシューズを履いて伸び伸びと踊り(撮影し)ました。2人だけの秘密の撮影です」と振り返った。さらに「タレントになった後も」「ちょくちょく撮影でご一緒する事もありその際にはいつも、変わらずぶっ飛びなUNOを優しく見守ってくれていました」といい「フィルターを通してお互い少年少女のように心を通わす事が出来た方」と篠山さんについて説明。「こんなカメラマンさんは後にも先にも篠先生だけでしょう。と大人になってから気付いた事です」と述べ「若かりし頃何度もお食事にも連れて行って下さった事もとても懐かしい思い出です」とつづった。最後に「神田うのが神田うのになる前から好きでいてくれた方。篠先生、UNOの事を見つけて下さり(関わって下さり)ありがとうございました」と感謝をコメントし「心からのご冥福をお祈り致します」と追悼。「どうかどうか安らかにお眠り下さい。大好きです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月07日俳優の神田正輝(72)が11月18日、『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)を欠席した。番組の冒頭、松下奈緒(38)が「神田さんはどこへ?」と切り出すと、勝俣州和(58)が神田から届いたというメッセージを読み上げた。「おはようございます。私、神田正輝は本日はいません。72歳で初めて体のメンテナンスをすることになりました。きちんとメンテメンスをしてすぐ戻ります。かっちゃん、奈緒ちゃん、よろしくね」‘97年以降、25年にわたって生放送番組である『旅サラダ』のMCを務めてきた神田。ここ半年ほどは、頬がこけほっそりとした姿から“激ヤセ”ではないかと心配する声があがっていた。神田本人は8月、「NEWSポストセブン」の直撃取材に対して「1年半前からファスティング(一定の期間食べ物を断つ行為)をしている」と説明している。‘22年3月に行われた同番組のイベントでは、「僕がいつまで続くか。死ぬまでというわけにはいかないので頑張りますけども、ひとえにみなさんが楽しんでくださるのがうれしい」とコメントしていた神田。26年以上司会を務めてきた番組への責任感は強く、’21年12月に松田聖子(61)との間に生まれた愛娘・沙也加さんを35歳という若さで失った時でさえ、番組を休むことはなかった。「あまりにも悲痛な出来事でしたが、神田さんは訃報から1週間後の『旅サラダ』にもいつも通り出演したのです。番組では、『今日は守られているような雰囲気あるな。ありがとうございます。僕は元気ですよ』と挨拶していたほか、試食コーナーでは『久々にちゃんとしたご飯食べたんだけど。『旅サラダ』に来て良かった。ご飯食べられた』と話していました。その後も番組を休むことなく出演し続けていた神田さん。それだけに今回のお休みはよっぽどではないかと心配する声もあがっています」(テレビ局関係者)ネットでは、神田の欠席への驚きとともに、気遣う声が相次いでいる。《ひとり娘をあの様な形でなくされた心中は堪え難いものだったと思います。気丈に振る舞ってこられた姿は尊敬してました。どうかこれからはご自分のお身体を一番にご自愛くださいと心から思います》《あのような形で一人娘を亡くされた後、お休みされたからといって誰も責められませんよ。一回も休まずに生放送をなさるのは相当なご心労があったはず》《ずっと気丈に振る舞われてました。今は、ご自身の心とお体を大切に、しっかりとメンテナンスをなさってください》
2023年11月20日神田明神の紅葉ライトアップイベント「神田明神紅葉ライトアッププロジェクト2023」が、2023年11月23日(木)から12月8日(金)までの期間で開催される。神田明神の紅葉ライトアップイベント都内屈指のパワースポットであるとともに、隠れた紅葉の名所でもある神田明神。2023年は国内外で活躍する光景デザイナー・松本大輔による光と音の演出で、敷地内を幻想的に彩る。敷地内の大イチョウやケヤキをライトアップ期間中は、紅葉ならではの鮮やかな色彩に染まる御神木の大イチョウやケヤキはもちろん、境内にある桜の木もライトアップ。全体が色鮮やかに染まる象徴的なフォトスポットとして、思い出に残る写真撮影も楽しめる。開催概要「神田明神紅葉ライトアッププロジェクト2023」開催期間:2023年11月23日(木)〜12月8日(金)ライトアップ時間:各日程17:30~20:00会場:神田明神境内(東京都千代田区外神田2-16-2)料金:無料
2023年11月17日今月のアプリ版「ぴあ」の表紙は神田愛花さんが登場。ここでは、表紙を手掛けた及川先生のイラスト制作過程を「making of」として公開いたします。イラスト
2023年11月14日子どもたちのこんな笑顔はなかなか撮れない!ファッションショー本番の一幕。子どもたちも堂々としてる!七五三シーズン本番の秋。スタジオアリスは、全国から集まった25人のキッズモデルとともに七五三の新作衣装とおすすめ衣装をお披露目するファッションショーを開催しました。増嶋ファミリーはオープニングで華やかに登場。新作衣装のデザインテーマである「ライラック」をモチーフにしたあでやかな和装姿でそろえ、大人は優しく淡いピンクカラーの羽織袴と訪問着です。それぞれカラーこそ違えど、同じライラックモチーフで統一感がありとても素敵ですね。家族そろって和装する機会は初めてだそうで、みれいちゃんとりゅうせいくんはパパとママの着物姿を「かわいい」「かっこいい」と絶賛。増嶋さんは「ピンクを着るのは初めて。でも主張の強いピンクではないので着やすく、家族全員でまとまりがあってすごくよかった」「着物は重いイメージがあったけれどすごく軽い」と笑顔です。スタジオで撮影した家族4人の和装写真。めちゃくちゃキマッてます!先だってスタジオアリスで和装ショットの撮影体験をしたといい、潮田さんは「七五三はお子さんがメインで、パパママの衣装は適当になりがちですが、お写真に残したときに着物を着て良かったとすごく感じました」と撮影した写真に大満足だったそう。特に「子どもたちのこんな笑顔はなかなか撮れない」と、ナチュラルな兄妹のショットに感激したといい、「ちゃんと撮影できるのか心配だったけれど、スタッフさんが盛り上げてくれてすごくナチュラルな笑顔を抑えていただいた。スピーディな撮影であっという間でした」と、潮田さん。お子さんたちが撮影中とても楽しそうにはしゃいでいた姿が印象的だったようです。そんな増嶋ファミリーに特別インタビューをしてきました!家の中でもスポーツ三昧!運動神経抜群な増嶋兄妹。ナチュラルな笑顔が引き出された1枚。ーーファッションショー出演は緊張しましたか?増嶋さん緊張しました! 思った以上にたくさんの方が来てくださって、ショーを見てくれていたので。潮田さん緊張感ありましたね。子どもたちもステージに出る前は舞台袖で「緊張する~」と言っていたので大丈夫かな? と思ったんですけど……え、バッチリでした? あ~良かった~。ーー家族そろって和装するのは初めてとおっしゃっていましたが、これまでお兄ちゃん5歳、妹さん3歳の七五三ではどうでしたか?潮田さん私は写真だけ和装で撮りましたが、子どもと私だけの写真で、家族4人のスタジオフォトはなかったんです。でもこうやって和装の家族写真を撮ってもらってすごく良かったなあって。実は去年、結婚10周年のときに、写真を絶対撮ろうとパパが提案してくれて家族で写真を撮ったんですよ。増嶋さんスタジオではなく景色のいい屋外のロケ―ションでたくさん撮ってもらいました。潮田さんそれがすごい「撮って良かったな」と感動する写真だったんです。節目節目に子どもの成長も感じられるし、「これからは記念日はモノより写真だよね」という話をしていたので、今回も本当にいい記念になりましたね。ーーお子さんたちもランウェイで堂々としていました。りゅうせいくんはラグビー、みれいちゃんはテニスをやっているそうですが、家でもファミリーで体を鍛えるようなことをしていますか?潮田さんめちゃめちゃ運動してます。我が家では普通の風景なんですけど、室内で体を動かしまくっているので、遊びに来てくれた人にはよく驚かれるんです(笑)。息子が昨日ドッジボールの大会に出たのですが、出場が決まったときから家の中でキャッチの猛練習をしていました。少し前には息子が野球の体験に行ったこともあって柔らかいボールを使ってホームラン対決をしたり。増嶋さんあとは走り高跳びとか……部屋の中にロープを張って、どっちが高く飛べるか兄妹で競争しています。昨日は娘がずっと縄跳びしてましたね。結構、部屋の中でスポーツをがっつりやるのが日常なんですが、柔らかいボールなので窓が割れたり家具が壊れたりはないですよ。ーー戸建てとはいえ、室内でがっつり体を動かしていい環境を整えているというのはすごいですね!潮田さんコロナ禍であまり自由に外に出られなくなって、体を動かす機会も制限されてしまったので、「じゃあ家の中で思いきり遊べるように」とパパが屋上テラスにブランコや鉄棒を設置してくれたんです。それが始まりかもしれません。とにかく家の中で遊べるように工夫したので、今ではいつでもどこでも運動が始まる感じですね。ーーおかげでお子さんたちの体力もついてきていると思いますか?潮田さん思います、本当に思います。子どもはもちろんテレビを見たりゲームをしたりもしますが、ちょっとした隙間時間に「この動きを何回できるか挑戦しよう」と誘ってみたりもしています。先日はタオルをまるめてボールに見立て、リフティング競争をしました。増嶋さん競わせると意外と本気でやる。娘も器用なので、二人で互角に競い合っています。ーー二人とも負けず嫌い?潮田さんそうですね。みれいは私の小さい頃を見ているようで、要領が良くて負けず嫌いです(笑)。りゅうせいはシャイだけど頑張り屋で本番に強いですね。去年、市のちびっこ相撲にりゅうせいがエントリーして、一回戦の試合前まで「やっぱり出たくない」と泣いていたのに、初戦で勝ったら楽しかったらしくて、気づいたら優勝していました。今年も連覇して、我が家の横綱と呼んでいます(笑)。ーーラグビーにドッジボール、野球や相撲と、いろんなスポーツに挑戦しているんですね。潮田さん私たちはそれぞれ、サッカーとバドミントン1本で、それはそれでもちろんいいのですが、他のスポーツをやることによっていろんな筋肉を使えるようになりますし、豊かな発想が生まれると思うんです。プロになってほしいというよりは、スポーツに打ち込むことを通じてそこでいろんなことを学んでほしい気持ちが強いので、本当にいろいろ挑戦させていますね。増嶋さんどのスポーツも、親から「これをやりなさい」と強制されると反発したくなってしまうものなので、なるべく子ども自身のタイミングで興味を持ったことをやらせてあげたいと思っています。素敵な衣装が盛りだくさん!ここからはファッションショーの様子をお届け!2023年度の七五三向け新作衣装のデザインテーマは「ライラック」。「思い出」「友情」の花言葉を持つライラックは、お子さまの成長を祈願するハレの日にぴったり! 和装3着、洋装6着、ご両親用の訪問着・着流し2着の計11着の新作衣装が全国のスタジオアリスに導入されているので、和装も洋装も大人も子どももみんなお揃いでリンクコーデができちゃいます。スタジオアリスのオリジナルブランド「京都豊匠」の着物シリーズ。伝統技法を守り古典柄をあしらいながら、今のお子さんたちに人気の色を用意しています。ニコニコ笑顔でウォーキングするキッズモデルたちに思わずこちらもにっこり。メジャーリーグで話題の「兜」も登場! キリリとかっこいいです!みんな大好きなポケモンコラボの着物! 和柄の中にポケモンたちが隠れていて、赤ちゃん用の着ぐるみ衣装なども用意されているそうですよ。ピカチュウもやってきて会場の熱気はどんどんヒートアップです。©Pokémon. ©NintendoCreatures Inc.GAME FREAK inc.可憐なディズニープリンセスもお目見え! 「塔の上のラプンツェル」と「美女と野獣」のドレスは髪型も完コピで、映画から飛び出してきたかのような美しさ。和装ver.はパスカルがデザインされた紫と黄色の着物と、「美女と野獣」の着物(七五三のお出かけレンタル限定)。みんな上品なプリンセスの風格が漂っていました。ⓒ Disneyディック・ブルーナのイラストがキュートな和装。ブルーナカラーを基調に、ミッフィーのイラストもあしらわれてとっても可愛いです。被布はなんとうさみみフードつき!©Mercis bv(取材・文=マイナビ子育て編集部)
2023年10月12日《神田正輝毎週見る度に老け込んでいってる気がする》《神田正輝今こんな痩せ細ってん》8月19日、旅行情報バラエティ番組『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)が放送されると、MCを務める神田正輝(72)の体調を心配する声がSNS上にあがった。「愛娘の沙也加さん(享年35)が亡くなったショックは計り知れず、1年半前と比べて現在の神田さんは頰がこけ、手足もやせ細っています。『旅サラダ』では元気そうに振る舞っていますが、声は弱々しく、共演者に聞き返される場面も見受けられます」(芸能関係者)神田は自身の体調が心配されていると理解しているようだ。7月下旬に本誌は、大阪で『旅サラダ』に生出演するために、羽田空港の搭乗口に向かう神田を目撃。体調の異変を察知させないためか、気温が35度を超えるなか、黒い帽子に白色のジャケットを着ていた。“激やせ”している神田。少しずつ終活を始めているようだ。「’18年のドラマ『下町ロケット』(TBS系)に出演して以降、神田さんは俳優の仕事をしていません。関係者に“セリフが覚えられない”とぼやいていて、オファーを断っているそうです。また趣味の車も、ほとんど乗っていないといいます」(前出・芸能関係者)俳優引退状態のなか、’22年3月には『旅サラダ』の展示会のオープニングイベントで、注目発言を。「僕は子どものときに旅番組が大好きだった。俳優とかのお仕事始めたら、旅の番組でおしまいがいいなと思っていたんです」『旅サラダ』を最後の仕事だと語る神田。さらなる思い入れがーー。「沙也加さんとの思い出の番組でもあります。神田さんは松田聖子さん(61)と離婚した直後の’97年4月に『旅サラダ』の総合司会に就任しました。沙也加さんと離れ離れになってしまうなか、週に1回『旅サラダ』に生出演することで、“元気に頑張っている姿をテレビの画面越しに見てもらえれば”と考えていたそうです」(映像制作関係者)’23年で30周年を迎えた『旅サラダ』。26年間司会を務める神田の今後はーー。「天国にいる沙也加さんのためにも、12月の三回忌までは司会を何としてでも続けたいと考えているそうです。ただ来年以降は、自らの体調と相談しながら出演を継続すべきか考える予定だそうです」(前出・芸能関係者)前出のイベントで、「僕がいつまで続くか。死ぬまでというわけにはいかないので頑張りますけども、ひとえにみなさんが楽しんでくださるのがうれしい」と語っていた神田。視聴者と愛娘のため年内は“旅”を続ける。
2023年08月25日400以上のカレー提供店が集積する東京・神田において、神田カレー街活性化委員会(所在地:東京都千代田区、委員長:中俣 拓哉)は、カレー店めぐりを楽しむための食べ歩きイベント第10回「神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2023」を2023年8月1日(火)より開催します。これは2023年12月20日(水)までの期間、神田界隈のカレー店で実施し、街の活性化推進を目的としたものです。街の特徴である老舗有名店から話題の新ジャンルまで網羅された多彩なカレーを多くの人に楽しんでもらうことで、街全体の交流を生み、より前向きで明るい雰囲気を作り出すとともに、飲食店に支援となることが狙いです。参加方法は、7月下旬より順次配布を開始する「神田カレー街公式ガイドブック2023」(8万5千部発行、A5縦、無料)および神田カレーグランプリ公式サイトに掲載の参加店でカレーを食べ、別途配布されるスタンプシートまたはスマホ版スタンプラリーでスタンプを集めます。今年参加するカレー提供店は過去最大の142店舗。多種多様なジャンルのカレーを楽しむことができます。また、カレー店のほかに神田神保町の老舗書店書泉2店舗とJR3駅、東京メトロ5駅が街のスタンプポイント。カレー店とスタンプポイントは5つのコースに分かれており、1コース以上制覇して応募すると、コース数に応じたグレードの神田カレーマイスター賞がもれなくもらえます。今年は昨年に続き千代田区観光協会観光大使「リラックマ」、そして今年40周年を迎える「北斗の拳」とのコラボを実施。各参加店でカレーを食べると、先着500名には「北斗の拳コラボカード(全22種類)」をプレゼント。10店分のスタンプを集めるともらえる神田カレーバディ賞の賞品として、リラックマまたは北斗の拳デザインの神田カレーバディカードを用意しました。さらにコースを制覇したマイスター賞の賞品として、特製のリラックマデザインの神田カレーマイスターカードがプレゼントされます。また期間中、神田カレーグランプリ×北斗の拳コラボオリジナルグッズが書泉2店舗で販売されます。コアなカレーファンのみならず、様々な方に楽しんでもらえるような企画が満載です。ぜひ、ご注目ください。■開催概要開催概要■神田カレー街食べ歩きスタンプラリー<参加カレー提供店> (呼称50音順)神田カレー街食べ歩きスタンプラリー<参加カレー提供店> (呼称50音順)■「神田カレー街公式ガイドブック2023」配布場所 (予定)「神田カレー街公式ガイドブック2023」配布場所 (予定)リラックマ■リラックマとはリラックマはOLのカオルさんの家にいきなり住みついた着ぐるみのクマ。毎日だらだらゴロゴロしています。背中にチャックがありますが、中身は秘密です。いたずら好きなやんちゃなクマの子・コリラックマと、働き者でキレイ好きなキイロイトリと暮らしています。はちみつの森に住むチャイロイコグマは、コリラックマのお友達です。詳しくは 北斗の拳■北斗の拳とは「週刊少年ジャンプ」に1983年~1988年まで、原作・武論尊、漫画・原哲夫により連載された作品。核戦争により文明社会が失われ、暴力が支配する世界となった世紀末を舞台に、北斗神拳の伝承者・ケンシロウが愛と哀しみを背負い救世主として成長していく姿が描かれている。TVアニメや劇場版、脇役たちをフィーチャーした外伝が作られるなど人気は高く、社会現象にまでなった。2023年の今年、連載開始から40周年を迎える。それを記念して、神田カレーグランプリと初のコラボレーションとなった。詳しくは 昨年のスタンプラリーを制覇した神田カレーマイスターが集まり交流を深めた、第1回神田カレーマイスター会議の様子。(2023年3月18日開催)第1回神田カレーマイスター会議の様子秋に開催した第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子。(2022年11月5日・6日)第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年07月20日《テレビで神田正輝久しぶりに見たけど、めっちゃ痩せてて老いてて、なんか泣きそうになった》《旅サラダ見てるけど、神田正輝さんの痩せ方が気になるね。顔もやつれてるけど、体も薄くなってる・・・。心配だなぁ》《旅サラダの神田さんが見るたび痩せこけてく心配》神田正輝(72)の体調を不安視する声が相次いでいる。生放送の旅行情報番組『旅サラダ』(テレビ朝日系)で司会を務める神田だが、ここのところ白髪が急激に増えたり、頬がこけるなど全体的にやつれ気味なのだ。7月8日の放送でもその様子は変わらず、冒頭のように、またも視聴者からは神田の体調を気遣う声が。また激痩せぶりの背景として、《沙也加さんがお亡くなりになって辛い日々を過ごしていらっしゃるんでしょうね》《沙也加ちゃん亡くなってから神田正輝痩せすぎじゃない?》と、’21年に愛娘・沙也加さんが亡くなったことの影響を指摘する声も以前から少なくない。そのような指摘が上がるのも当然だろう。神田は沙也加さんに全身全霊で愛情を注いできた。’85年4月に婚約を発表した神田と松田聖子(61)。スター同士の結婚とあり、翌年10月に沙也加さんが誕生すると病院で出産会見を開催したほどの注目ぶり。会見で、神田が愛おしそうに沙也加さんの頭をなでたり、頬をちょんちょんつついたりする姿からは、わが子の誕生の喜びを噛みしめていることが伝わってきた。‘87年の年始には沙也加さんを聖子の母に預け、ハワイへ夫婦で旅行に行った神田と聖子。記者から「沙也加ちゃんのことが気になりますね、お2人とも」と聞かれると、「帰っちゃうよ、そういうと」と家にいる沙也加が気になる様子。また、聖子が母になったことについて記者から「正輝さんの聖子さんじゃなくて、赤ちゃんの聖子さんになりますね」とコメントされると、神田は「沙也加の正輝です」と笑顔を見せていた。聖子もまた、「もう抱っこしちゃったらさやちゃん、さやちゃん~~って大変なんですよぉ」と神田の沙也加さんの溺愛ぶりを嬉しそうに語っていた。その後も懸命に子育てをしてきた二人。‘90年10月に行われた沙也加さんが通う幼稚園の運動会にも、二人は大きなお弁当を手に一般の父兄と同じように参加。父親だけで行われる綱引きに参加した神田へ向け、聖子と沙也加さんが「パパー!」と声援を送る一幕も。’16年に中山秀征(55)と本誌で対談した際、神田は「なかなか一緒にいられないから、できるだけね」と沙也加さんが小さい頃は、仕事が忙しいながらもできるだけ一緒にいる時間をつくろうとしていたことを明かしている。「沙也加がうちで誕生日パーティをやっているときに、撮影を中抜けさせていただいて時代劇の格好のまま、プレゼントを渡しに行ったこともあったな」と仕事の合間を縫って会いに行くこともあったようだ。聖子と神田は’97年に離婚するが、その後も沙也加さんへの愛情が変わることはなかった。沙也加さんは’01年から「SAYAKA」名義で芸能活動を開始したが、歌手、女優としての成長も神田は見守りつづけていたのだ。’16年に飲み会の席でとある記者が神田に「沙也加さんは一流のミュージカルスターですよ!」と話しかけた際には、神田は「そうだよな。ありがとう!」と記者の手を握って男泣きしたという。沙也加さんにとっても、神田はたった一人の父親だった。‘17年4月に沙也加さんが俳優の村田充と結婚を発表した時には、沙也加さんはInstagramに神田と村田との3ショット写真を掲載。神田はハワイで行われた挙式にも参列し、沙也加さんとバージンロードを歩いたことが報じられた。’19年12月に沙也加さんが離婚を発表したときも、神田は沙也加さんの心中を気遣う様子。本誌が取材を申しこむと「ごめんね。でもみんなと相談してこの件に関しては何も言わない。そう僕らは決めたんで。申し訳ない。何もお話しすることはできないんですよ」と沈黙を守っていたのだ。35年にわたって大切にしてきたわが子を失った心痛は、他人が推し量れるものではないだろう。多くの人が、ひたむきに務めを果たす神田の姿を見守っている。
2023年07月09日おひとり様でも緊張しない、居心地のいいカウンター席その季節の、一番おいしい“旬”の美味を全国から仕入れゲストの状況に応じて出される「おまかせ」の妙を堪能おひとり様でも緊張しない、居心地のいいカウンター席熟練の技を目の前で堪能できる特等席。永田氏との会話も楽しい限り暖簾をくぐり、店内に一歩入ると迎えてくれるのがL字型のカウンター。ケースの中にズラリと並ぶネタの種類に思わず心が躍ります。落ち着いた雰囲気は、オープン30年にしてすでに老舗の風格。それなのに、なぜか緊張を強いられない心地よさは、目の前で熟練の技を見せる大将の永田氏の人柄ゆえかもしれません。他のゲストと顔を合わせることのないプライベート空間で、コースを満喫グループでゆったりと会話や食事を楽しみたいなら、8名まで対応OKの完全個室の座敷がオススメ。足元は掘りごたつ式なので、心から寛いだひとときが過ごせるはず。気のおけない仲間との集まりに、大切な会食や接待に、シーンに合わせた使い分けが可能です。(※8名以上を希望の場合は要相談)その季節の、一番おいしい“旬”の美味を全国から仕入れカツオ節と酒、醤油に12時間漬け込んだ『赤身漬け』素材の魅力がストレートに伝わる江戸前寿司。だから、魚介類は昔馴染みの業者や石川県、九州などの漁港からその時期一番のものを直送、野菜は豊洲市場より新鮮なものを厳選。場所によって旬が変わる各産地その時々の極上のネタを仕入れて、「季節感を大切」にした握りを提供しています。それでは、ぜひとも食べてほしい寿司ネタ3つをご紹介します。四季ごとに楽しみ方が変わる、看板メニューの『穴子』そのひと手間で、季節に応じた味わいを引き出します創業以来の看板メニュー『穴子』。長年愛されている理由のひとつは、季節に合わせて味つけを変えるというこだわりにあり。たとえば夏なら、柔らかく煮た後、仕上げに輪島の天然塩をふりかけて。また、冬には甘みのある特製タレをつけていただきます。季節により仕入れ先を変更。その“旬”の最高を味わう『ウニ』佐賀県産に北海道産。いま一番おいしいウニに出合えます全国に産地があるウニは、シーズンごとの旬を切り取って仕入れています。5~9月までは、濃厚さと、程よい苦みと旨みが特徴の佐賀県産「赤ウニ」を、それ以外は、甘みの中にもあっさりとした味わいを醸す北海道産「ウニ」を使用しています。鹿島灘で水揚げされた、ふっくら柔らかな『鹿島灘ハマグリ』大玉の鹿島灘ハマグリ。こだわり食材の逸品をぜひ国産ハマグリのブランドのひとつ「鹿島灘ハマグリ」を、豊洲に店舗を構える昔馴染みの業者や産地直送で仕入れ。ふっくらと柔らかい食感と、たっぷりの旨みは春から初夏にかけての味覚の代表格です。ゲストの状況に応じて出される「おまかせ」の妙を堪能握りたてを頬張るカウンターの悦楽。江戸前の技を存分に名店【宇廼丸本店】の味と技を受け継ぐ永田氏。ゲストに寄り添う真摯な姿勢と誠実な仕事ぶりは、常連客を惹きつけてやみません。全国各地から仕入れた、その時に一番おいしい旬のネタを「おまかせ」でいただくのが醍醐味。豊富な日本酒を傾けながら、極上の江戸前握りをじっくりと味わいたいものです。料理人プロフィール:永田浩二(ナガタコウジ)氏1955年、山梨県出身。上京後【宇廼丸本店】に就職して本格的な修業をスタートさせるが、一時期、料理の世界から離れることに。しかし、料理人の楽しさが忘れられず、5年後に再び【宇廼丸本店】の門をたたく。独立を夢みて研鑽を積み重ねるなか師匠に認められ、暖簾分けに至る。1992年に【神田宇廼丸】をオープン。神田宇廼丸【エリア】人形町/小伝馬町【ジャンル】鮨・寿司【ランチ平均予算】2500円【ディナー平均予算】10000円【アクセス】神田駅 徒歩7分
2023年06月21日《神田正輝が、激痩せと老け込んでいて心配になる》《え、やばい、神田正輝激ヤセ》《神田正輝、おじいさんみたいになってる…。すっごい激痩せしてて心配》毎週土曜の朝に放送される旅行情報バラエティ『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)。総合司会を務める俳優・神田正輝(72)のそこで見せた“異変”がネットで波紋を呼んでいる。神田は’76年のデビューから’21年の石原プロ解散まで同プロダクションに所属し、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)などの人気ドラマで大活躍。また芸能界屈指のスポーツマンとして知られており、スキー、テニス、ゴルフなど幅広い趣味を持つ。そんな神田だが、『旅サラダ』の4月29日と5月6日の放送回では“異変”をみせていた。頬が痩せこけ、全体的に身体もほっそりしたような印象だったのだ。’21年12月18日に松田聖子(61)との間に生まれた愛娘の神田沙也加さんが35歳という若さでこの世を去るという、あまりにも悲痛な出来事が。そのため《そりゃ沙也加ちゃんがあんな形で亡くなったんだもん。娘を亡くしたお父さんの悲しみの深さは計り知れない…》《沙也加さんの心痛とか色々あったからかな 心配》と気遣う声もネットで上がっている。指摘される激痩せぶりの理由は明らかにされていないが、神田は沙也加さんが亡くなってから1年半もの間、気丈に振る舞ってきた。沙也加さんの訃報から1週間後となる12月25日、神田はいつも通り『旅サラダ』に出演し、「いつも僕はみんなを守る立場。今日は守られているような雰囲気あるな。ありがとうございます。僕は元気ですよ」とコメント。また試食コーナーでは「久々にちゃんとしたご飯食べたんだけど。『旅サラダ』に来て良かった。ご飯食べられた」と話していた。「神田さんは、沙也加さんの死後も『旅サラダ』を一度も休んでいません。番組は生放送だけに撮り直しもできませんから、沙也加さんが亡くなって初めての12月25日放送回に欠席するという選択肢もあったそうですが、神田さんは出席を決意。『あまり心配をかけたくない』という、スタッフや共演者に対する神田さんなりの気遣いだったのでしょうね。また沙也加さんが亡くなってから3ヵ月後、大阪で『旅サラダ』の番組イベントが行われましたが、こちらにも神田さんは出席。俳優業も当初から“休まない”という方針でした」(テレビ局関係者)神田は芸能活動と並行して、沙也加さんのお墓のことも“どの方法が一番いいのか”を親身になって考えていたという。「神田さんのお母さんのお墓は東京・新宿にありますが、こちらに沙也加さんを埋葬すると、聖子さんがお参りのときに遠慮してしまうのでは、と神田さんは考えたそうです。いっぽう聖子さんも現在の夫・Aさん一族のお墓では神田さんが訪ねづらいのでは、と思案していたといいます。結果的に聖子さんが生まれた久留米にほど近い福岡県柳川市に、聖子さんのご実家の菩提寺があるため、そこにお墓を建立する計画を立てていたと聞いています。そうして、神田さんにとっても聖子さんにとっても気兼ねなく“家族”で沙也加さんを弔えるようにしたといいます」(芸能関係者)なにはともあれ、激痩せが体調不良でないことを祈るばかりだ。
2023年05月12日“関西料理界のドン”といわれた料理人の神田川俊郎さん(享年81)が、‘21年4月25日に新型コロナで逝去してから2年の月日が過ぎた。「神田川さんはテレビ番組『料理の鉄人』(フジテレビ系)などに出演し、人気を博していました。3人の子供に恵まれた神田川さんですが、二度目の結婚の際の長男と次女が店を継いで経営しているといいます」(芸能関係者)そんななか昨年の4月、大阪の北新地にある『日本料理神田川本店』の土地と建物の相続が逝去1年後もおこなわれていないと『女性セブン』で報じられた。不動産評価額は4億円はくだらないという。この時、店を経営する神田川さんの長男は、相続しない理由を、神田川さんが個人事業主として店を経営していたため、急逝した際に銀行口座が凍結され『とにかくまずは店を立て直すことが先決だということで、相続の話し合いが後回しになっていた部分はありました』と同誌で明かしていた。その後、相続問題はどうなったのだろうか。本誌が登記を確認すると、2年経った今でも相続されていなかった。現在の状況について店を経営する長男に聞いた。「すでに遺産分割協議も済んでいまして、弁護士さんにも相談したうえで相続税の申告はもう済ませているんです。物件の名義も司法書士さんにお願いして、手続きしています。2、3年後に不動産登記の法律ができるみたいなので、念の為に変えとこうかとなっていたのですが、登記するのもそれなりに費用がかかりますし……。名義が変わっていないことで、また色々言われると思っていましたが、三回忌には間に合わなかったということですね。お店の経営もまだ税務的に会社にするほどの売上でもなく、個人のままですけど、ゆくゆくは法人にして姉と経営していく予定です。お店的にはコロナも落ち着いて外国人の方や贔屓にしていただいていたお客さんが徐々に戻ってきてくれています。父の三回忌は家族だけでお寺で行うつもりです」『日本料理神田川本店』の現状を飲食コンサルタントはこう明かす。「売却するとしたら買い手に建て替えが必要となることがネックです。このエリアはコロナ終息して、観光客も増えてきましたし、今のまま、売却せずに事業を続けていくのが今は最良かもしれません」神田川さんも、天国から子供たちと店を見守っていることだろう。
2023年04月21日4月上旬の平日の夜、都内のスーパーで買い物をしていたのは、フリーアナウンサーの神田愛花(42)。土地柄、周囲には高級スーパーも多いなか、神田が買い物をしていたのは庶民的な店。野菜や牛乳、ビールなど、一品一品しっかり見て選んでいる様子に堅実な金銭感覚が伺える。今年1月から始まったお昼のバラエティ番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)でMCを務め、平日に毎日生放送を抱える多忙さだが、家事にも手を抜いていないようだ。神田は、’18年にバナナマンの日村勇紀(50)と結婚。「食リポ系の仕事も多い日村さんのために、神田さんは自宅では野菜中心のヘルシーな食事をつくることが多いようです。日村さんは、神田さんの見ていないところでは好きな食べ物を食べているようですが(笑)」(芸能関係者)結婚を機に日村は新築マンションを購入し、1億5千万円ほどの億ションで暮らし始めたと過去に報じられているが、現在もこの億ションで生活をしているという。日村の活躍はいうまでもなく、神田自身もバラエティ番組に出演した際の珍発言などの面白さで、いまや売れっ子。夫婦2人の収入を合わせると相当な額だが、3月に放送された『ぽかぽか』で神田は、「私の収入は夫は知らないです。でも夫の収入は私は全部知ってるんですけど」と話している。夫に自身の収入を明かしていないことについて、「自分(神田)の収入とかが1円でも入ってるって思うと、(日村の)怠け癖がついちゃうといけないから」と力説した神田は、「あなたががんばんないと、うちはカツカツなんだぞって。そう思わせるために別々にしてるんですけど」と続けている。4月7日に結婚記念日を迎え、結婚生活は5年に。本誌が目撃時は、ビール数本など重い商品も入ったビニール袋を両手に提げて、スーパーを出て行った神田。このたくましさが、夫婦生活を支えているようだ。
2023年04月12日誉田哲也の人気警察小説“姫川玲子シリーズ”を原作に、刑事役初挑戦となった竹内結子主演で2010年に映像化された「ストロベリーナイト」。この度、CSファミリー劇場にて一挙放送されることになった。今回放送されるのは、パイロット版となるスペシャルドラマと、新キャストを加えた連続ドラマ、ヒットを受け制作された劇場版をファミリー劇場にて初放送。さらに、CS初放送となる姫川班の後日談を描いたオムニバスドラマ「ストロベリーナイト アフター・ザ・インビジブルレイン」もあわせて一挙放送。そのほかにも、警察を舞台にしたドラマ「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班」(小栗旬、西島秀俊)、「DIVER-特殊潜入班-」(福士蒼汰、野村周平、「Aぇ! group/関西ジャニーズJr.」正門良規)、「らせんの迷宮~DNA科学捜査~」(田中圭、安田顕)を放送する。「ストロベリーナイトSP」(2010年) ファミ劇初放送放送日:2月18日(土)9:50~警視庁捜査一課殺人犯捜査十係で唯一の女性班長・姫川玲子(竹内結子)。彼女は男中心かつ厳格な縦社会の組織にあって、持ち前の成り上がり精神と難事件解決の功績でノンキャリアながら異例のスピード出世を果たしていた。そんなある日、公園の内溜近くの植え込みでブルーシートに包まれた遺体が見つかる。姫川は早速現場へと駆けつけるが…。TVドラマ「ストロベリーナイト」(2012年・全11話)ファミ劇初放送放送日:2月18日(土)11:55~[一挙放送]警視庁捜査一課殺人犯捜査十係の班長・姫川玲子。男社会に抗い、ノンキャリアながら異例のスピード出世を果たした彼女だが、天性の鋭い勘を持つゆえに時として犯人の意識とシンクロしてしまう危うい一面もあった。彼女は菊田和男(西島秀俊)をはじめとする姫川班のメンバーと共に、今日も様々な事件に立ち向かっていく…。映画『ストロベリーナイト』(2013年)ファミ劇初放送放送日:2月18日(土)21:35~/2月23日(木・祝)25:30~誉田哲也原作、竹内結子主演のミステリードラマの劇場版。叩き上げの女性警部補・姫川玲子率いる姫川班の管轄で連続殺人事件が発生する。やがて姫川のもとに不審なタレコミ情報が入り、単独で捜査を進めるが…。「ストロベリーナイト アフター・ザ・インビジブルレイン」(2013年)CS初放送放送日:2月18日(土)23:55~ドラマ特別編。姫川班のメンバーらの姿を5編のオムニバス形式で描く。ド派手な格好の関西人バイヤーに変装した姫川玲子(竹内結子)はブローカー仲間を渡り歩き、悪質な詐欺集団の情報を集めていたが…(「アンダーカヴァー」)。先輩刑事・木暮利充(國村隼)の墓参りに訪れた菊田和男(西島秀俊)。彼はそこで6年前に彼が事情聴取をした多田美代子(大野いと)の姿を見かける(「東京」)。関連作品「DIVER-特殊潜入班-」(2020年・全5話)放送日:2月11日(土・祝)19:25~[一挙放送]「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班」(2017年・全10話)放送日:2月4日(土)11:30~[一挙放送]「らせんの迷宮~DNA科学捜査~」(2021年・全7話)放送日:2月25日(土)16:55~[一挙放送]竹内結子出演作品『チーム・バチスタの栄光』(2008年)放送日:2月23日(木・祝)21:00~『ジェネラル・ルージュの凱旋』(2009年)放送日:2月24日(金)19:00~西島秀俊出演作品TVドラマ「チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋」(2010年・全12話)放送日:2月12日(日)11:00~[一挙放送]「チーム・バチスタSP 2011~さらばジェネラル! 天才救命医は愛する人を救えるか~」(2011年)放送日:2月12日(日)21:30~ファミ劇初「チーム・バチスタ4 螺鈿迷宮」(2014年・全11話)放送日:2月26日(日)10:50~[一挙放送]ファミ劇初『チーム・バチスタFINALケルベロスの肖像』(2014年)放送日:2月26日(日)20:35~(text:cinemacafe.net)■関連作品:ストロベリーナイト 2013年1月26日より全国東宝系にて公開© 2013フジテレビジョンS・D・P東宝共同テレビジョンFNS27社光文社
2023年02月09日元バドミントン日本代表の潮田玲子さんは、2012年に元プロサッカー選手の増嶋竜也氏と結婚。ふたりのお子さんに恵まれ、幸せな日々の中、結婚10周年を記念した写真を撮影したようです!芸術的な家族写真 この投稿をInstagramで見る 潮田玲子(@reikoshiota_official)がシェアした投稿 潮田さんは、「結婚10周年の記念にやりたかった事の一つ」として家族写真を撮ったことを報告。とってもステキなウエディングドレスに身を包んだ写真を公開しました。増嶋さんはシックなタキシードで、お子さんふたりもドレスアップ。「どの写真も本当に自然に素敵に撮ってもらえて感激であります」、「一生の記念になりましたー」と宝物の写真となったようです。この投稿に、フジテレビアナウンサー・永島優美さんが「美しいです。素敵ファミリー、10周年おめでとうございます」、タレント・武井壮さんは「いい写真だねえー!素敵な家族や!」と芸能界の仲間から多くのコメントが。フォロワーからも「素敵な写真ですね。みんなかっこよくて可愛くて」「美男美女夫婦に最高のお子さん達って素敵すぎる」「幸せ家族!」「映画のワンシーンみたいで素敵です」「玲子さん美しすぎます」などの声が寄せられています。幸せオーラあふれる家族写真で、見ているこちらも自然と笑顔に。次はどんな写真を公開してくれるのか、今から楽しみです!あわせて読みたい🌈「見えそうで見えない」吉岡里帆さんの大胆露出&水濡れ体育座りショットに「美人にもほどが」と大反響
2023年01月30日【前編】寂聴さん元秘書が語る出家前の“はあちゃん”の素顔と孤独より続く故・瀬戸内寂聴さんを、秘書として公私ともに支え続けてきた長尾玲子さん。寂聴さんのいとこの母とともに、中学時代から寂聴作品の資料集めなどをしてきた。自殺を心配されるほど悩んだ出家前、50代で発症したくも膜下出血、「青空説法」誕生秘話、お茶目さと対極にある孤独の影……。初めて語る、寂聴さんの知られざる素顔。京都市・嵯峨野に寂庵ができて、寂聴さんは東京と京都を行ったり来たりの生活へ。そして出家からおよそ1年が過ぎた’75年の年明け早々、寂庵から1本の電話が入る。「はあちゃんがくも膜下出血で入院したとの報を受けて、急ぎ、母と私が京都に駆けつけました」病院のベッドの上で、寂聴さんはまひした左手をさすりながら、怪しいろれつのまましゃべり始めた。「あたし、書けなくなるかもしれない」しかし、幸い発作は一度で済み、少しずつ日常を取り戻していった。「周囲には気づかれませんでしたが、ラ行の発音は年末まで戻りませんでしたね。売れっ子だっただけに、当時、病気は公表されませんでした」その2年後、大学3年生になっていた長尾さんに、当の寂聴さんから電話があった。「書庫の整理に、寂庵に来てちょうだい」こうして長尾さんは大学の休みなどを利用して寂庵に泊まり込みで通うようになり、卒業後に正式に秘書となった。「昼間は執筆作業を手伝い、疲れ切って夜中に寝てたら、いきなり起こされて『寝ちゃった?』とくる。だって自分が『あたしは徹夜で書くから先に寝てなさい』って言うから寝てたのに(笑)」それから、2人だけの深夜の宴会となった。話題は世間話に噂話。「お酒はなんでも余っているものでよくて、アテは寂庵の裏の3坪の畑からねぎなどを摘んできて、瀬戸内自ら料理もして。切り昆布と梅干し、かつお節をくしゃくしゃと混ぜただけの簡単なものでも、これが意外においしいんです」このころ、長尾さん自身の私生活でも変化があった。25歳で結婚し、翌年には長男も生まれた。「出産や子育てで忙しい間は、母が私の代わりに手伝いに行ったりもしていました」大病をしたあと、再び以前と同じように精力的に仕事をこなしていた寂聴さんだったが、長尾さんは、明らかな変化を感じ取っていた。「瀬戸内にとって、あのくも膜下出血という、書くことを奪われるかもしれないほどの体験をしたことは、自分の人生を深く振り返るきっかけになったと思うんです。全作品を読み返した私ですが、瀬戸内は、病気をする前、作品中に自然描写のほとんどない作家でした。それが、あの大病を境に、ものの見方も、文章も明らかに変わりました。早くも療養中のエッセイから水彩画のような自然の色や描写が出てくるんです」。■出会いから60年超ーーもっとも近くにいた“相棒”が心に刻み続けた奔放作家“心の声”「これは誰にも話したことがなかったんですが、先日、瀬戸内の出家について考えていて、思い出した会話があったんです」くも膜下出血での退院後、2人で寂庵を散歩していたときのことだという。寂聴さんが庭の緑を見ながら、ぽつりとつぶやいた。「私、傲慢だったわね」「どうして?」珍しく弱気な言葉を発する寂聴さんに、血縁の気安さもあって率直に尋ねた長尾さんだった。すると、こんな答えが返ってきた。「去年は咲いていた名も知らない花をすっかり忘れちゃっても、また1年たって同じ花が咲いている。それを当たり前だと思っていた私は、すごく傲慢だった」そもそも出家後、寂聴さんは、来し方を顧みるような言葉を幾度も発するようになっていた。「傲慢だったというのは男女関係のこともあったのでは。不倫関係に悩む女優さんなどにも、世間的にまっとうな回答をして、がっかりされることもたびたびでした。『あたしは、自立しているので不倫相手の家族には迷惑をかけてないと思っていたけど、違うのよ。存在そのものが迷惑なんだと気づいた』と」傲慢という言葉を思い出して、寂聴さんの心のうちに思いを馳せた長尾さん。そこで見えてきたのは、やはり寂聴さんの、書くことについての強い決意だった。病気の前の出家も、作家としての行く末を考えてのことではないかと、長尾さんは言う。作家として、書くことに馴れてしまった自分を許せなかった。「『ウケるように、売れるように書くテクニックはいくらでもあるが、それは使いたくない』と言っていました。そんな書き方も傲慢ということだと思うんです。当時はそこに、ハードワークや更年期もあり、さらに当時、4歳で徳島に置いてきた娘さんが結婚したのですが、何もできなかった。そうして作家としての新たな地平を開くことが、自分のすべてだと思うようになったのでしょう」出家や大病を経験し、まさしく生まれ変わった寂聴さんに、さらなる変化が起きていく。お経を唱えながら、お金や食べ物を受けて回る托鉢を体験したあとには、こんなことを語った。「『あたしは、あっち側の人間になっていたのでは』と言うんです。徳島の少女時代には、瀬戸内の実家の仏壇店は商店街にありましたから、巡礼の人たちに対して、店先に施しの接待袋を置いていました。でも、大店ほど接待をしないものだったと。成功した作家として過ごすうちに、駆け出しのころに食うや食わずの生活をしていた自分を忘れ、いつかあっち側、贅沢をしている大店側に安住してしまったのではないかと」やがて、作家業とともに、社会に対して奉仕する無償の活動が増えていく。寂庵や、岩手県の天台寺住職に就任したのを機に同寺で始まる、本誌連載でもおなじみだった「青空説法」を始めた。軽妙ながら奥深い語り口で、人生指南の達人としても多くのファンが生まれた。’91年、湾岸戦争後には医薬品などを持って、バグダッドに飛んだ。「生業の書くことはきちんと報酬を得る、講演は主催者の提示した報酬をいただく。しかし、僧侶としての活動と、自発的に行う社会活動は無償だと、自分の中で決めているようでした」青空説法などにも秘書として付き添い、マスコミ対応なども一人でしていた長尾さん。「日本中を飛び回って、1年間に説法と講演を108回も行った年がありました。瀬戸内が言うんです。自分のために出家したけど、出家してわかったのは、そうじゃないんだと。世のために働かなきゃいけないんだと。『こんなことなら、出家するんじゃなかった』とこぼしながらも、本当に身を削るように一生懸命にやっていましたね」■忘れられることを恐れた寂聴さんのことを、これからも書いていく寂聴さんと強い信頼関係を築きながら、長尾さんが’10年に秘書を辞めたのにはこんな理由があった。「直接のきっかけは、私が体調を崩したからです。瀬戸内の仕事をして3回、倒れていますが、特に最後は毛細血管が破裂して目と鼻と耳から血が噴き出したほど。このころは19kg痩せました。辞めたあとは私もシングルマザーになったりして、なかなか直接は会えませんでした」今も思い出すのは、長尾さんだけに見せていた、人間らしい姿だ。「瀬戸内は、いつも自分が世の中から忘れられることをいちばん恐れていました。『5年もしたら作家は忘れられる』が口癖だったほど。作家としてもですが、やはり一人の人間として、みんなに忘れられたくなかったのでは」晩年には、こんな言葉も漏らしていたという。「あたしの作品で残るのは、西行について書いた『白道』などの評伝と『源氏物語』、あとは『夏の終り』くらいだろうね」長尾さんは秘書を辞めたあと、昨年まで日本文藝家協会で著作権管理部長を務めた。「著作権の仕事で瀬戸内に連絡すると、以前の調子で『来ない?』って言われるんですが、私も忙しくて。やがてコロナ禍となり、久しぶりに電話で話したときには、『だあれも来ないの』なんて言いますから、やっぱり寂しいんだと思いましたね」昨年11月9日に訃報を聞き、その4日後に、身内だけの家族葬が執り行われ、長尾さん母子も最後のお別れができたという。「娘さんやお孫さん、母と私など30人弱の集まりでした。その直後からですね、母がはあちゃんのことを語りだしたのは。今、母がよく言っているのは、深夜早朝の長電話の相手がいなくなって寂しいということです」長尾さん自身、寂聴さんに教わったことを大切にしながら、書くことは続けていきたいと語る。「『夏の終り』『源氏物語』はもちろん、『いずこより』など私も大好きな瀬戸内の小説のこと、まだまだ語っていない2人のエピソードも、みなさんに知ってほしい。それが、はあちゃんを忘れないことにつながればうれしいですね」
2022年12月30日35歳という若さで亡くなってから1年。偉大なる両親を持ちながらも自らの力で女優の道を切り開いた神田沙也加さん。ゆかりのあった芸能人たちが彼女へ寄せた追悼メッセージとともに、その輝かしい功績を振り返りますーー。■宮本亞門(64)〈まだ無名な彼女は「私は有名人の娘だから受かったのですか?」と大きな目で食いつくように聞いてきた。「嫌、絶対違う!オーディションで多くの人を見て、君が1番素晴らしかったからだ!」。すると少し安心した顔をして「私、本物になりたいんです」。そして彼女は異様な努力を重ね素晴らしい演技を次々と見せてくれた。〉’04年、17歳で宮本亞門演出のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』の主演に抜擢された。当時の芸名は「SAYAKA」だった。■堂本光一(43)〈自分がもう一度出たいと思う作品は観に行くと実現しない気がするとそれを叶える為に観に来ないけどいつも「頑張って」と声をかけてくれておりました〉’12年、堂本光一主演のロングランミュージカル『Endless SHOCK』でヒロインを演じた。制作発表での満面の笑みが印象的だった。■村田充(45)〈彼女の歌声は、まるで天使のようでした〉’18年、当時の夫で舞台俳優の村田充と仲よく手をつないでデートする姿を本誌が目撃。結婚から約1年たってもラブラブな様子だったが、翌年、出産計画の相違を理由に離婚した。■松たか子(45)〈ものがたりにふれれば、アナはいつでもわたしたちにはなしかけてくれ、ほほえみかけてくれます。ありがとう、アナ〉松たか子と日本版吹き替えで姉妹役を演じたディズニー映画『アナと雪の女王』が記録的大ヒット。’19年には続編も公開された。■朝夏まなと(38)〈笑顔で走ってくる姿が目に焼き付いて離れない愛しくて力いっぱいハグしたよ私にとって妹みたいだけどお姉ちゃんのような存在いっぱい助けてもらったり教えてもらったり…尊敬と愛を込めて〉’18年、名作『マイ・フェア・レディ』の主役を射止めた。元宝塚トップスター・朝夏まなととのWキャストだった。■別所哲也(57)〈同じ時代に同じ作品で自らの力で輝いてた。コロナがなければもっと語り合い支え合えたはず。神田沙也加は、素晴らしい舞台役者です!〉『マイ・フェア・レディ』では憧れだった花売り娘・イライザ役を熱演。神田さんが亡くなったのは’21 年の札幌公演中のことだった。■松田聖子(60)〈沙也加は小さいころから歌うのが大好きでした。おもちゃのマイクを持って、私の「ロックンルージュ」をよく歌っていました。それが昨日のことのように思われます。今も彼女の歌声は私の心中に響いています。〉’11年、『NHK紅白歌合戦』で母・松田聖子とデュエットで坂本九の『上を向いて歩こう』を披露し、話題に。「母との初デュエットが紅白なんてぜいたくで光栄」と喜んでいた。
2022年12月17日「けいおん!」シリーズの山田尚子監督と脚本・吉田玲子がタッグを組んだ完全オリジナルアニメーション映画『きみの色』の製作が決定。スーパーティザーPVが公開された。長崎市内のミッション・スクールに通う高校生の少女・トツ子は、人の感情が「色」として見える。友達や家族の「色」を暗くしないため、気を遣い、空気を読み、その場を取り繕うようなウソをついてしまう。そんなトツ子は、街の片隅にある古書店で出会ったとても美しい色を放つ美少女と、音楽好きの少年とバンドを組むことになる――。京都アニメーション作品『映画けいおん!』『映画 聲の形』を手掛ける山田尚子監督は、些細な日常を瑞々しく鮮やかに描く稀有な映像センスと、小さな心の揺れ動きさえ表現していく繊細な演出で、全世界から最も脚光を浴びるアニメーション監督の一人。待望の最新作となる『きみの色』のテーマは、山田監督が最も得意とする思春期の青春。少女たちそれぞれが向き合う自立、葛藤、恋の模様が、まるで絵画のような美しい映像で描かれる。脚本は、スタジオジブリや京都アニメーションの作品を手掛け、山田監督とは「けいおん!」シリーズ以降、幾度となくタッグを組んできた吉田玲子。音楽は『映画 聲の形』「チェンソーマン」のサウンドトラックを担当する作曲家・牛尾憲輔。企画・プロデュースは『君の名は。』『すずめの戸締まり』など新海誠作品を手掛けた「STORY inc.」が担当する。また、山田監督と共に伝統美と最先端の演出を組み合わせた「平家物語」を生み出し、日本を代表するアニメーションスタジオとなった「サイエンスSARU」が制作・プロデュースを担う。スタッフコメント▼監督・山田尚子人の外側と内側、そこから生みだされるそれぞれのかたちを描いてみたいというところから「きみの色」は始まりました。人はきっと、その時向いている方向に進んでいくわけで、それが前であっても後ろであってもどちらでも成り立っていくと思うのですが、できれば前に進んでいきたい。音楽を通じてお互いに共鳴していく主人公たちの、やわらかく力強い足取りを描いていきたいと思っています。吉田さんの書かれる彼らの物語はとてもやさしく、そしてとてもチャーミングです。悩んだり、何かを変えようとするときに起こる摩擦は、これからを切り開いていくためのとても大切な成長痛であって、その痛みがそれぞれの人が放つ色になっていくのかなと思うのです。たくさんの色が出会って、混ざり合った先にはどんな色の世界が待っているのでしょう。絵具を混ぜるパレットのような、または光を集めて分散させるプリズムのような、そんな物語を描いていきたいと思っております。よろしくおねがいいたします。▼脚本・吉田玲子『きみの色』は、山田監督の「こういうことやりたいなぁ、こういう子たちを描きたいなぁ」というメモをいただいて、そこから脚本を作り始めました。《色が見える女の子》というのは山田監督のアイディアで、すごく映像的で面白いなと感じました。山田監督の作品は、登場人物たちがおずおずと手と伸ばし扉を開いていくような感じがあって、今回もその感覚を大切にしました。そこにある世界と、自分。そこにある現実と、自分。触れると痛いような傷ついてしまうようなものの中で、楽しさや愛しさや生命力を見出していくことを意識しながら書きました。繊細な心模様と、そこに寄り添うような監督の演出を今回もとても楽しみにしています。『きみの色』はある意味、原点に戻ったようでもあり、今までの集大成的な面もありながら、さらに新しく踏み出していけるような作品になるのではないかと思っています。光の当たり方によって、濃く見えたり、淡く見えたりはしますが、誰もが自分の『色』を持っていると思います。観てくださった方が、それぞれの『色』を愛おしく思えるような映画になっていると、うれしいです。『きみの色』は2023年秋、全国東宝系にて公開予定。(cinemacafe.net)
2022年12月03日昨年、女性アスリートの体に寄り添う団体を設立した元バドミントン日本代表選手の潮田玲子さん。啓蒙活動を行う中で見えてきた課題、また女性が活躍できる社会のために目指したいことを語ってもらった。「女性が輝く社会のためには周りの理解が必要。」元バドミントン日本代表として五輪に出場するなど、人気、実力ともにトップアスリートとして一時代を牽引してきた潮田玲子さん。現在は、仕事に子育てにと充実した日々を送りながら、一般社団法人Woman’s waysを設立して話題に。女性アスリートが安心して競技に取り組めるよう、月経などの女性ならではの悩みに向き合い、セミナーなどを通じてサポートする活動をしている。「立ち上げたきっかけは、現役時代の生理問題やコンディションに関する取材を受けたことでした。当時は、生理の影響でストレスを抱えていても我慢が当たり前。今でこそ、吸水ショーツや月経カップなどアイテムの選択肢は増えましたが、現役を引退して10年経った今も、女性の心身のバイオリズムに対しての理解は低いまま。今後、女性アスリートが生理問題に振り回されず、ストレスなく活躍していくためには、自身の体への知識を深めることが必要だと実感しました。でも、その知識を学ぶ場所も機会もない。だったら、自分でやろうと思って。元テニスプレーヤーの杉山愛さんたちと4人で団体を立ち上げたんです」生理痛で練習やトレーニングを休むなんてありえないという、厳しい女性アスリートの世界。「アスリートの多くは、自分が休んだらそのポジションを奪われるかもしれないという恐怖心もあるし、痛みも我慢しがち。でも、女性にはホルモンのリズムがあって、個人の意志に関係なく、体調やメンタルが左右されるもの。こういった知識をセミナーでお伝えすると、“やる気が出ないのは、自分が弱いからだと落ち込んでいたけど、責める必要はなかったんですね”と、安堵する選手も。“もっと早く知りたかった”という嬉しいお声もたくさんいただいています。それ以上に多いのが、“監督やコーチにも理解してほしい”という切実な悩みでした」今も昔も、指導者は男性というケースが多いそう。「PMSが辛くて頑張れない時、監督からは“やる気がないなら帰れ”と怒られてしまう。でも、生理のバイオリズムについて知識があれば、選手にかける言葉も変わってくると思うんです。夫もアスリートですが、夫婦間でも生理のことはタブーというか、私も自分の不調をなかなか言えなくて。でも一度、夫にセミナーを聞いてもらったら、“これこそ男性も絶対に知っておくべきことだよ”と言ってくれたんです。男性も女性と同様、これまで学ぶ環境がなかっただけ。実際、セミナーを受けてくれた男性指導者は、選手にかける言葉が変わったことで、信頼関係も生まれてきたそう。将来的には、女性を指導する人は、セミナーで知識を学ぶことが必須になるライセンス制度を設けたいです」選手に限らず、不調に悩むのは働く女性も同じこと。「女性が社会で輝くためには、周りの理解が必要。生理休暇制度があっても、実際は活用されていないのも問題。プライバシーに配慮しながら、休みやすい風潮に変わるのが理想だと思います」潮田さんが出合った“感動”フェムケアアイテムSIMPLISSE「シンプリス センシュアル フェミニン デオウォッシュ」「柔らかな泡が好きで、フェミニンエリア用ソープは、シンプリスを使っています。効果が目に見えるモノではないけれど、ケアすると、不思議と心身が整う感覚に」。160ml¥3,630(シンプリス TEL:0120・370・063)ソフィ「ソフトカップ」「経血を気にせず過ごせる月経カップは、画期的なアイテム。これは薬局やネットで気軽に購入できるので初めての人に」。ポーチ付き¥5,478*編集部調べ(ユニ・チャームお客様相談センター TEL:0120・423・001)しおた・れいこ1983年生まれ、福岡県出身。一般社団法人Woman’s ways代表。元バドミントン日本代表。コメンテーターやMCなど多彩な方面で活躍中。ニット¥28,600(デザイナーズ リミックス TEL:03・5216・6518)パンツ¥58,300(DOROTHEE SCHUMACHER/ドロシー シューマッハ TEL:03・3265・0251)その他はスタイリスト私物※『anan』2022年11月23日号より。写真・須藤敬一(潮田さん)中島慶子(商品)スタイリスト・今井聖子(Canna)ヘア&メイク・かんだゆうこ取材、文・岡井美絹子(by anan編集部)
2022年11月20日江戸総鎮守 神田明神では、秋のライトアップイベント「神田明神 秋のライトアッププロジェクト ~明神銀杏(いちょう)~」を、2022年11月25日(金)から12月10日(土)までの期間で開催する。神田明神で秋のライトアップイベント「明神銀杏」都内屈指のパワースポットであるとともに、隠れた桜や紅葉の名所でもある神田明神。春の桜のライトアップに続いて開催される今回のイベントでは、様々な日本の名所を照らしてきたクリエイティブカンパニー「ネイキッド(NAKED Inc.)」が、再び演出を担当。1,300年前より月日を紡いできた神田明神に今年もやってきた秋を、光と音でより一層印象的に演出。御神木の大銀杏と欅が、さらなる生命感をまとって来場者を迎えてくれる。開催概要「神田明神 秋のライトアッププロジェクト ~明神銀杏(いちょう)~」開催期間:2022年11月25日(金)〜12月10日(土)実施時間:各日17:30~20:00会場:神田明神境内(東京都千代田区外神田2-16-2)料金:無料
2022年11月20日元バドミントン選手の潮田玲子さん(39)はかねてよりお付き合いしていた元サッカー選手の増嶋竜也さん(37)と2012年に結婚。現在は子育てしながら芸能活動を続けていて、コメンテーターやキャスター等と活躍する幅を広げているようです。先日、制服姿でスポーツ番組の収録をしたことを自身のインスタグラムに公開し反響を呼んでいるようです。早速チェックしてみましょう! 女子アスリートたちの制服姿が可愛いと反響 この投稿をInstagramで見る 潮田玲子(@reikoshiota_official)がシェアした投稿 「えっと…なんかすいません笑笑20年ぶりの制服…いろいろ思うことあるかと思いますが薄目で…いやいや、優しい目で見ていただけたらと思います(笑)」と爆笑の絵文字を添えて制服姿を公開した玲子さん。玲子さんを筆頭に豪華女子アスリートの方々の制服姿がとても可愛いですね。2枚目に写真をスライドすると、吉田沙保里さんとのツーショット写真が!見るたび美しさが増している沙保里さんの制服姿もとても可愛くて見入ってしまった方も多かったのでは。コメント欄には「JKにまだ戻れるわ」「びっくりするほど違和感なし!かわいー!」「これぞ最強女子ですね♡」と多くの反響が寄せられておりました。元気いっぱいな笑顔がとても魅力的な玲子さん。活躍の幅を広げているようで次はどんなお仕事に挑戦するのか目が離せませんね!あわせて読みたい🌈内田理央さんの大胆ドレス姿に「背中めっちゃセクシー」「美人すぎて言葉失う」と反響
2022年11月01日生涯を通じて、言葉の美しさを追求し、それを確実に伝えるために、独自のメソッドを確立した演出家・浅利慶太のすぐそばで、その教えを体現してきた女優、野村玲子。その野村が、伝説的なジャン・ラシーヌの朗誦劇『アンドロマック』で、4回目のタイトルロールに挑む。さらに、浅利演出事務所として2回目となる今回の公演では、初めて演出も手がけることになった。野村に、今だからこそ、朗誦劇を上演することで伝えたいこと、作品への強い思いなどを語ってもらった。言葉を通した交流の大切さを伝えたい『アンドロマック』これまでの公演より、アンドロマックを演じる野村玲子撮影:山之上雅信――野村さんがタイトルロールのアンドロマックを演じるのは4回目ですが、今回は初めて演出も手がけています。野村演出を務めるというより、私たちが付けてもらった(浅利慶太氏の)演出を、できる限りきちんとした形で残したいという思いだけでやっています。今は私がまとめていますが、ほかの俳優やスタッフさんも含め、稽古場で浅利演出を一緒に受けてきた人たちに、いろいろなパートから支えてもらい、チームで作っていくような感覚が強いですね。――この作品は、ドラマチックなシーンも実際に舞台上で演じられるのではなく、台詞で語られていく朗誦劇です。どんなところが魅力ですか?野村『アンドロマック』は、1966年に、演出家(浅利慶太氏)が古典に初めてチャレンジした作品で、そのときに、この長台詞をどうやって退屈させずにお客様にお届けするか、いろいろ分析して、今の朗誦術が確立されたと聞いています。劇団四季に入団すると、「折れ法」「呼吸法」「母音法」の三法を教わりますが、そのメソッドが確立したのがこの作品です。長台詞とは、ひとつの感情、ひとつの心理で全部を喋るのではなく、たくさんの想念、千々に乱れる物思いがギュッと濃縮したものなので、それぞれの意識の切れ目(折れ)がどこにあるのか、そこで切れる意図は何なのか、何を伝えようとしているのか、細かく分析して、腑に落とす作業「折れ法」が必要なのです。それをきちんとまとめて、意識の中に収めて喋りきるためには「呼吸法」が必要になりますし、お客様に言葉をしっかりお伝えするためには「母音法」が欠かせません。でも、“折れ”を身体に落として、明快に全音発声するというのは、それはそれは高い山を登るようなもので、今もみんなで山頂を目指して進んでいるという感じです。『アンドロマック』これまでの公演より撮影:石阪大輔――今回は、前回ピリュスを演じた近藤真行さんがオレスト役で、新しくピリュスに阪本篤さんが初参加しています。稽古の様子はいかがですか?野村阪本さんも、非常に紳士的に誠実に、初めてのメソッドに向かってくださっているので、ありがたいですね。彼も自分たちの劇団を立ち上げて、ある理念でお芝居をされているので、こちらも刺激を受けて、とても面白い稽古をさせていただいています。――浅利演出事務所の公演として初めて上演した前回は、浅利さんの最後のプロデュースで、結果的に追悼公演という形になってしまいましたが、今回、『アンドロマック』を再び上演する意義は?野村コロナ禍で人と会えない、交流がしづらい。会話をすることもままならない、そんな状況下だからこそ、言葉を通して何かを伝えることの大切さを感じていただきたいと思って、それにはこの劇が一番ふさわしいと思いました。この作品を通じて、言葉の美しさ、交流の面白さをお客様にメッセージとしてお伝えできるのではないかと思っています。俳優としても、“言葉の芸術”を一貫して突き詰めてきた演出家の思いに、みんなで気を引き締めて向き合いたいという気持ちがありました。現代にもつながる片思いの連鎖の物語――演出の立場で今回改めて戯曲を読んだとき、新たな発見がありましたか?野村普段は俳優として、自分の役の台詞だけに向き合えばいいのですが、今回は、台本の最初から最後まで、あらゆるキャラクターの台詞に対して、意識の“折れ”を作っていって、客観的に全体を見ることが必要でした。私だけでなく、エルミオーヌ役の坂本里咲と、もうひとりのメンバーにも、私の“折れ”を伝えて、自分のやりたいこと、演出家から求められていたことをすべてその人たちにも理解してもらい、私が演者となっているときは、それが意図として通っているかどうか、客観的に見てもらいました。俯瞰で見ることで、それぞれのキャラクターがどういう行動線で繋がって、この作品が立ち上がっていくのか、これまでより、よくわかったような気がしています。それに、俳優たちにうまく伝わらなかったり、もうひとつ上に行ってほしいと思うときも、何に引っかかっているのか、自分の経験から思い当たることがあるので、「私はこうだったけれど、どんな感じ?」と話しかけて、答えを引き出せることもありますね。『アンドロマック』これまでの公演より。野村さんは今回主演だけでなく演出も手がける撮影:山之上雅信――アンドロマックは、数々のタイトルロールを演じてきた野村さんからしても、かなり手ごわい役ですか?野村私が初めてこの役を演じたときは、1966年の初演が、平幹二朗さん(ピリュス)、市原悦子さん(アンドロマック)、渡辺美佐子さん(エルミオーヌ)、日下武史さん(オレスト)という、錚々たる方たちがそろった、伝説の美しい舞台だったと聞いていたので、相当プレッシャーでした。でも、演出家が自分たちを抜擢してくださったのだから、それに応えて最大限に役を生きるしかないと思ってやってきました。今も気負わずにやっています。ただ、アンドロマックは数ページにもわたる長台詞の中で、トロイが滅びていく情景を、言葉だけでお客様にお伝えしなくてはいけないシーンがあって、そこは一番演出家にしごかれました。ピリュスやオレスト、エルミオーヌは、恋の対象が目の前にいますが、私だけが、愛する夫エクトールも我が子も舞台上には登場しない。そのいない人物を、私の言葉と演技でイメージしていただかなくてはいけないので、とても難しいですが、やり甲斐はあります。舞台では大掛かりな場面転換はなく、情景も役者が言葉で伝える――それでもヒロインの思いに共感するのは難しそうですね。野村初めて演じた頃は、アンドロマックが、亡き夫が残した国を息子に継がせたいと願う、その思いを理解して演じるのはとても難しかったのですが、今は、私にとって、大いなるものの遺伝子を残すということは、演出家が残してくれたメソッドや、自分が演劇人生の中で学んできたものを、次の世代にどうやって繋いでいくかということなので、それに近いのではと思うようになりました。その実感が芽生えたことで、以前よりも自分の中でフィットするというか、表現がしやすくなった気がしています。――最後に作品の見どころを。野村古典劇、ギリシャ悲劇と聞くと、難しいのではないかと思われるかもしれませんが、舞台はトロイ戦争後のギリシャでも、現代にもある片思いの連鎖の物語で、恋をした人間のときめきあり、嫉妬あり、一国の王が恋に翻弄される姿など、微笑ましいとさえ感じるほどです。登場人物たちが思いを吐露していく中で、共感していただける部分がきっとあると思いますし、それぞれの恋の炎の揺らめきをご覧いただきたいですね。それからやはり、朗誦劇の言葉の美しさを味わっていただきたいと思います。取材・文:原田順子浅利事務所『アンドロマック』チケット情報はこちら
2022年10月20日