秋篠宮さまが会見で「認める」と発言されたことで、眞子さまと小室圭さんの結婚は確定的となった。眞子さまは11月に発表された「お気持ち」のなかで《結婚に向けて,私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております》と綴られていた。すでに、小室さんとの新婚生活を思い描いていらっしゃるかもしれない。とくに気になるのはお二人の新居だろう。「眞子さまは皇籍離脱に伴い、約1億4千万円の一時金を受け取られる見込みです。セキュリティーのしっかりした高級マンションを選ばれるでしょう」(宮内庁関係者)上皇ご夫妻の長女・清子さんと黒田慶樹さん夫妻は結婚直後、約1億円で都内の新築マンションを購入している。清子さんが3分の2をキャッシュで支払い、慶樹さんがローンを組んで残りの3分の1を負担している。支払いには一時金が充てられたとみられる。だが、秋篠宮ご夫妻は眞子さまの「億ション」購入には反対される可能性が高いという。「秋篠宮さまは皇室の方々の中でもとくに『自ら律すべき』とのお考えを徹底されている方。一時金も、原資は税金です。その使いみちについて、眞子さまに厳しく指導されるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)実は、秋篠宮さまと紀子さまの新婚生活は、赤坂御用地にあった築60年ほどの木造家屋でスタートしているのだ。秋篠宮さまは結婚25周年に際してのご感想のなかで、その経緯を以下のように綴られている。《当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、仮住まいのために立て直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました》昭和6年に建てられた家屋をリフォームしたかつての秋篠宮邸を紀子さまも気に入っていたそうで、《子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした》と振り返られている。「新婚時代は紀子さまも節約に努められていました。秋篠宮邸を訪れていた方の話では、メモは使用済みの紙の裏側を用いていて、人がいない部屋や廊下の電灯は必ず消されていたといいます。さらには、週末は紀子さまが電話番をされることで職員の人件費を削減していたこともあったそうです。眞子さまも子供ながらに、ご両親の涙ぐましい努力は覚えていらっしゃることでしょう」(前出・宮内庁関係者)“清貧の思想”を貫かれている秋篠宮ご夫妻だが、小室さんも負けてはいない。3年前の婚約内定会見直前には、『月たった2万円のふたりごはん』という”激安レシピ本”を購入する姿が目撃されていた。さらに留学先のニューヨークでも「料理は基本自炊」「自作の野菜カレーを冷凍保存し試験期間中に食べ続ける」「洗濯物はたまってからコインランドリーへ」といった節約法を実践しているという。婚約内定会見で「小室さんと共に、温かく、居心地が良く、笑顔あふれる家庭をつくることができれば、うれしく思います」と話されていた眞子さま。新たな家庭を築かれるのは、いったいどんなお住まいだろうか――。
2020年12月28日秋篠宮さまの「結婚を認める」発言に続き、小室佳代さんの元婚約者が「400万円は返してもらわなくていい」と表明。眞子さまと小室圭さんの結婚への“障害”が、次々と解消されている。結婚へのシナリオは“逆転完勝”目前となっているが、眞子さまには残された課題があるという。「結婚式に至るまで、数々の儀式に臨まれることになりますが、それらは秋篠宮家と小室家の“共同作業”になります。小室さんを眞子さまの結婚相手として認められた秋篠宮ご夫妻ですが、金銭トラブルの当事者である小室さんの母・佳代さんには、まだ強い不信感を抱かれているのではないでしょうか……。しかし、小室さんと頻繁にビデオ通話をされているという眞子さまは、佳代さんとも直接コミュニケーションをとられることもあると聞きます。小室さんがまだ米国に滞在しているなか、結婚を円滑に進めるためには、眞子さまと佳代さんの“嫁姑タッグ”が鍵を握ることになります」(前出・皇室担当記者)さらに問題となるのが、披露宴の費用負担だ。「眞子内親王殿下のご結婚に直接かかる費用は、男性皇族の結婚とは違いますので、秋篠宮家の私費と小室家の負担で賄われます。披露宴などにかかる費用の分担比率は一般の人の結婚と同様に両家の話し合いで決めることになります」(前出・山下さん)結婚が延期される以前、眞子さまと小室さんの結婚式と披露宴は’18年11月4日に帝国ホテルで行われることになっていた。帝国ホテルといえば、’05年、上皇ご夫妻の長女・清子さんと黒田慶樹さんの結婚披露宴会場でもある。このときは披露宴には両家合わせて約120人が列席していた。「当時は“地味婚”といわれましたが、それでも帝国ホテルで100人前後の披露宴を行おうとすると、少なくとも500万円はかかります。結婚延期前、宮内庁は公式に、帝国ホテルで行うと発表してしまっています。一度、延期で迷惑をかけてしまった以上、会場変更も難しいのではないでしょうか。一連の儀式の段取りから結婚式の費用負担まで、秋篠宮家と小室家の話し合いは難航することが予想されています。そこで眞子さまが橋渡し役となって、“義母”である佳代さんの意見を、秋篠宮ご夫妻に伝え、説得していく役割を担われることになるでしょう」(前出・宮内庁関係者)「お気持ち」を綴られた文書のなかで眞子さまは《結婚に向けて、私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております》と記されていた。小室さん不在の日本で佳代さんとタッグを組まれる眞子さまは、結婚の儀式を実現するため秋篠宮ご夫妻に次々と相談をもちかけられていくことになる――。「女性自身」2020年12月22日号 掲載
2020年12月11日「結婚することを認めるということです」11月30日に満55歳の誕生日をお迎えの秋篠宮さまは、眞子さまの結婚についてこう話された。13日に眞子さまが、結婚へのお気持ちを公表されたことを受けての質問にお答えになったのだ。しかし会見終盤には「特に結婚と婚約は違いますから、結婚については本当にしっかりした確固たる意志があれば、それを尊重するべきだと私は思います」と、一般の婚約に当たる納采の儀を行えるかどうかについては、明言を避けられた。そこには2年前に述べられた「多くの人が納得し喜んでくれる状況」には遠い、眞子さまと小室圭さんの現状が残っているからと思われた。服の色合いをそろえられての仲むつまじい家族写真の秋篠宮さまは少しお痩せになった印象だが、そのお写真に見える家族間ディスタンスは?父親として必要になる愛娘の将来についての選択に、これからも多くの人の視線が注がれそうだ。「女性自身」2020年12月15日号 掲載
2020年12月05日2020年11月30日、秋篠宮皇嗣殿下は55歳の誕生日を迎えられ、これに先立ち、東京都にある赤坂東邸で記者会見が行われました。この会見で、秋篠宮皇嗣殿下は「昨年から行われていた即位礼関連の儀式が終わり、安堵している」と述べ、延期になっている長女・眞子内親王(以下、眞子さま)と小室圭さんの結婚について言及。その内容が反響を呼んでいます。朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)では、殿下の発言について取り上げていました。長女が今の自分たちの気持ちというものを文書で公表いたしました。皇嗣職大夫の気持ちを尊重するということでしたね。それは、結婚することを認めるということです。憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重すべきものだというふうに考えています。スッキリーより引用小室さんの母親の金銭トラブルなどが報じられたことなどから、世間では結婚について厳しい声が上がっています。秋篠宮皇嗣殿下は小室さん側がトラブルについてまったく対応していないわけではないとしながらも、「それが見える形になることが必要だ」としており、国民の反応については次のように語っています。長女の結婚について反対する人もいますし、賛成する人もいますし、まったく関心のない人もいるでしょう。あくまで、私の主観になりますけれども、感じとしては、決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています。そのことは娘もおそらく同じ気持ちを持っていると考えております。スッキリーより引用さらに会見の最後に「結婚と婚約は違う」と話し、「結婚については、確固たる意志があればそれを尊重するべきだと私は思います」と意見を述べられました。[文・構成/grape編集部]
2020年11月30日11月30日、秋篠宮さまは55歳の誕生日を迎えられた。誕生日に先立って、11月20日には宮内記者会への会見が行われている。その席で秋篠宮さまは、眞子さまの結婚について次のように述べられた。「結婚することを認めるということです」眞子さまは11月13日に、小室圭さんとの結婚についての「お気持ち」を綴られた文書を発表している。そのなかで眞子さまは《両親の理解を得た》と記されていたが、これは“結婚容認”の意味であると秋篠宮さまが認められたのだ。秋篠宮さまは以下のように続けられた。「憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」2年前の会見で秋篠宮さまは、小室圭さんの母の金銭トラブルを念頭に「今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をすべきだと思います」とご発言。「やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちはいわゆる婚約にあたる納采の儀というのを行うことはできません」と、お二人の結婚に反対する姿勢を示されていた。しかし、それから2年、ついに結婚容認という決断をくだされたのだ。「今回の会見で秋篠宮さまは、眞子さまと小室さんの揺るぎない愛に、ついに“敗北”を認められたということでしょう」(皇室担当記者)だが、秋篠宮さまは決して、眞子さまと小室さんの結婚に“賛成”というわけではないようだ。今回の会見でも「多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています。で、そのことは娘も恐らく同じ気持ちを持っていると考えております」とご発言。さらに「特に結婚と婚約は違いますから」と、意味深なご発言もあった。「お二人の結婚の意思が固い以上、それを無理やり破談にはできません。基本的人権の観点からも、秋篠宮さまは結婚を容認せざるをえないと結論づけられたのでしょう。しかし、皇族として『納采の儀』は行えないというメッセージを“結婚と婚約は違う”とのお言葉に込められたのではないでしょうか。つまり、もし眞子さまが結婚を“強行”されるなら、秋篠宮さまは結婚に関する儀式をいっさい拒否される可能性もあります。もしかすると納采の儀だけでなく、結婚式さえも行われない前代未聞の“駆け落ち婚”になるかもしれません」(宮内庁関係者)はたして眞子さまと小室さんは、秋篠宮さまから結婚の“容認”だけでなく“賛成”も取りつけ、円満に結婚式を挙げることができるのだろうか――。
2020年11月30日11月30日、55歳の誕生日を迎えられた秋篠宮さま。11月20日には、誕生日に際しての記者会見が行われた。長女・眞子さまについて「結婚を認めるということです」と発言されたことが注目を集めているが、次女・佳子さまについての言及もあった。佳子さまの公務への取り組みについて、秋篠宮さまは次のように評価された。「例えばメッセージを寄せるとか、後はビデオメッセージですか、でもって気持ちを伝えるとかそういうことですけれども、やはり相当一つ一つ熱心に私は取り組んでいたと思います」佳子さまは「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」や「国際ガールズメッセ」にビデオメッセージを送られるなど、コロナ禍でも積極的にオンラインでご公務に取り組まれていたのだ。’19年3月に国際基督教大学を卒業された佳子さまだが、就職も進学もされなかった。秋篠宮さまは会見で「就職については、私は今時点で聞いていることはありませんので、ここではお話はできません」と話され、現在も就職の見込みはないようだ。さらに秋篠宮さまは、佳子さまの結婚について次のように話された。「結婚につきましては、これも聞いていないわけですけれども、もし彼女が結婚について何らか私もしくは妻に話をしてきましたら、その時は時間をかけてゆっくりと話合いをしていきたいと思っております」ゆっくりと話し合いをしていきたい――。その言葉には、眞子さまの結婚問題での“教訓”が込められているように感じられる。「眞子さまのお相手である小室圭さんについては、交際開始から婚約内定までに5年もの期間があったにもかかわらず、金銭トラブルの存在をキャッチすることができませんでした。秋篠宮さまは『婚約内定の前に止めるべきだった……』とのお気持ちを漏らされたこともあるといいます。佳子さまの結婚では、絶対に同じ轍を踏まない――。そんな決意が滲むお言葉だと感じました」(宮内庁関係者)佳子さまは’19年3月、大学卒業に際した文書回答で《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》と眞子さまの結婚に堂々と賛成意見を示されていた。眞子さま以上に確固たる信念をお持ちだという佳子さま。どんなお相手を選ばれるのか、秋篠宮さまは期待と不安を抱かれていることだろう――。
2020年11月30日皇嗣の位を意味する黄丹袍をお召しになった秋篠宮さまと、小袿・長袴の装束の紀子さま。眞子さまや佳子さまをはじめとする皇族方や閣僚ら約50人の出席者が待つ皇居宮殿・松の間に、ゆっくりと歩を進められた――。11月8日、「立皇嗣宣明の儀」が執り行われ、秋篠宮さまが皇位継承順位第1位の「皇嗣」であることを、天皇陛下が宣言された。「当初は4月19日に開催される予定でしたが、コロナ禍により延期され、ようやく開催することができました。ただし、感染拡大防止のため、350人程度の予定だった招待客は約50人まで大幅に削減。両陛下と秋篠宮ご夫妻以外は、古式装束の職員までマスクを着用しての出席となりました」(宮内庁関係者)今回の立皇嗣の礼ではお祝いの宴「饗宴の儀」や車列によるパレードも行われず、“お祝いムード”が高まったとは言いがたい。「ただ、そもそも秋篠宮さまはご自身が天皇に即位することに消極的とみられています。秋篠宮さまが『兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです』と漏らされたことがあると朝日新聞は報じています。もしかすると、立皇嗣の礼があまり注目されなかったことは、秋篠宮さまにとってはある意味では都合がよかったのかもしれません」(皇室担当記者)しかし、儀式はまったく別の観点で、密かに注目を集めていた。「立皇嗣の礼の挙行を機に、眞子さまが小室圭さんとの結婚に関する“お気持ち”を発表するとみられていたのです。眞子さまが小室さんへの変わらないお気持ちを示す“結婚宣言”になる可能性も囁かれていました。ただ、どうやらその発表はまたも延期になりそうなのですが……」(前出・皇室担当記者)これまでの経緯を振り返ってみよう。昨年11月の会見で秋篠宮さまは、’20年2月で結婚延期決定から丸2年がたつことを踏まえ、眞子さまの結婚について「何らかのことは発表する必要がある」と述べられた。今年2月になってもその発表はなかったが、眞子さまは4月に予定されていた立皇嗣の礼を待って“発表”の準備を進められており、宮内庁参与にも細かい文面の相談をしていたという。しかし、コロナ禍で立皇嗣の礼は延期に。眞子さまの“発表”も延期になっていたというわけだ。ならば、ようやく立皇嗣の礼が終わったことで、眞子さまによる“結婚宣言”が発せられてもおかしくないはずなのだが……。「実は、11月8日ですべての儀式が終わったわけではないのです。秋篠宮ご夫妻は立皇嗣の礼挙行後に関連行事として、伊勢神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵に参拝される予定でしたが、当面見送りとなりました。新型コロナの感染拡大が収まらないため、実施時期はまったくの未定です。国民がコロナ禍で苦しんでいる状況で、私的な発表で混乱を招くわけにはいかない――。小室さんとの結婚に関する発表も、儀式のすべてが終了してからにするようにと、秋篠宮ご夫妻は眞子さまに“無期限延期”を強く要望されているといいます」(前出・皇室担当記者)11月30日には秋篠宮さまが55歳の誕生日を迎えられ、事前に会見も開かれることになっている。「宮内記者会は、今回も眞子さまの結婚について質問することになっています。ただ、秋篠宮さまが結婚について賛意を示されることはないでしょう」(前出・皇室担当記者)「女性自身」2020年11月24日号 掲載
2020年11月13日明治天皇とその后・昭憲皇太后を祀り、11月1日に創建100年を迎えた明治神宮。10月28日には天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻がコロナ禍になってから初めて皇居以外へ外出しての参拝をなさった。この日の雅子さまは、シルクの生成りのロングドレスにジャケットの装い。ジャケットの襟と、裾のラインが丸くデザインされて優しい皇后さまという印象。お帽子の飾りとジャケットの裾のデザインがリンクした新しい参拝服はとても素敵だった。一方、美智子さまは、白いロングドレスにケープを羽織られた親しみあるスタイル。お帽子に布マスク、そしてサングラスをお召しになっていた。コロナ禍以来、皇居・宮内庁病院での検診以外の外出を控えられている美智子さま。約7カ月ぶりとなる公の場でのお姿に、多くの国民が安堵した。紀子さまは地紋の美しいミントグリーンのロングドレスを。眞子さまのお好きな色をお選びになり、穏やかな笑顔を見せられていた。ご参拝の後、上皇ご夫妻はおそろいで境内にある明治神宮ミュージアムにもお立ち寄り。12月6日まで開催中の明治神宮鎮座百年祭記念展「明治神宮の鎮座」をご覧になった。昨年10月にオープンしたミュージアムには、明治神宮の御祭神である明治天皇と、昭憲皇太后ゆかりの品々や美術工芸品などが展示されている。上皇陛下と美智子さまが公の場でそろって立ち姿をお見せになるのは、1月2日の新年一般参賀以来のこと。ご夫妻はご在位中の平成時代と同じように、案内係の説明を丁寧にお聞きになり、仲むつまじく肩を寄せ合って展示を楽しまれていた。「女性自身」2020年11月17日号 掲載
2020年11月06日10月17日、秋篠宮ご夫妻と眞子さま、佳子さまが、中曽根康弘元総理の内閣・自民党合同葬儀にそろってお出ましになった。この合同葬儀には、さらに常陸宮さま、三笠宮家の信子さま、高円宮家の久子さま、承子さまも参列されたのだが、宮内庁関係者は次のように語る。「これほど多くの皇族方が参列されたことには、いささか驚いています。たしかに過去の首相経験者の合同葬儀にも皇族方が出席されてきました。今回も主催者から各皇族方に案内があり、個別に判断されたようです。しかし、これまで新型コロナの感染拡大を防ぐために皇族方は外出を伴う公務を控えてこられましたし、美智子さまは宮内庁病院以外にはいっさい外出されていないほどです。政治色の拭えない合同葬儀が優先して出席すべき催しとは思えません。とくに秋篠宮家は、未成年の悠仁さま以外の“家族総出”で参列されなくてもよかったのではないでしょうか」この合同葬儀自体も、招待客が当初の4,000人から1,400人まで6割以上も削減されている。また、開催費に9,600万円もの国費が使われたこと、文科省が国立大学に弔意の表明を求めたことなどが物議を醸していた。葬儀委員長は菅義偉首相だ。「秋篠宮ご夫妻としては、菅政権との関係構築を図りたい思惑もあるのではないでしょうか。政府は年内にも、安定的な皇位継承についての議論に着手する予定です。そこでは女性天皇の是非についても議題に上ります。悠仁さまが天皇に即位できるかどうかは、菅首相にかかっているともいえる状況です」(前出・皇室担当記者)菅首相は最近、皇位継承問題について注目すべき発言をしている。10月13日に自民党の保守系グループ「日本の尊厳と国益を護る会」と会談し、「男系による継承が古来、絶えることなく続いてきた重みを踏まえる」との考えは「いささかも変わっていない」と述べたのだ。ただ、菅首相は’05年には新聞のアンケートに女性天皇賛成との回答を寄せている。また’19年10月には皇族数の減少について「先延ばしにできない重要な課題」と述べていた。現在の“男系継承”の限界を認識していたはずだが……。歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、菅首相の発言について、次のように分析する。「11月8日の立皇嗣の礼を前にこうした男系優先の発言をしたのは、安倍政権の路線を継承することで、総理としての自己保身を図るためにも見えます。自民党内には二階氏、河野氏、石破氏など、女性天皇や女系天皇容認の容認論を唱えている人物もいます。一方で男系維持を求める勢力は危機感を持っており、首相は彼らにも配慮する姿勢を見せる必要があったのでしょう」「女性自身」2020年11月3日号 掲載
2020年10月23日紀子さまは9月11日、54歳の誕生日を迎えられた。御代替わりに伴い皇嗣妃となられた紀子さまは、昨年から誕生日に際して、宮内記者会からの質問に文書で回答されている。今回の文書回答では、眞子さまの近況についてもふれられている。コロナ禍でお出ましになる機会はなくなってしまった眞子さまだが、ご自身が総裁を務める団体の活動に携わっていたという。《長女は、総裁を務める日本工芸会や名誉総裁を務める日本テニス協会から、オンラインで説明を受ける機会がありました。毎年おこなってきた日本伝統工芸展の受賞作品の選定は、日本工芸会と話し合った上で環境を工夫し、今年も実際の作品を目の前にしておこなったと聞いております》さらに眞子さまと小室圭さんの結婚については、紀子さまは次のように回答された。《長女の結婚については、対話を重ねながら、親として娘の気持ちを受け止め、一緒に考えていくことが大切だと考えています。その中では、共感したり意見が違ったりすることもありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合いつつ、長女の気持ちをできる限り尊重したいと思っております》これまで秋篠宮さまと紀子さまは、小室さんとの結婚に強く反対されてきた。’18年11月、秋篠宮さまは会見で「やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」と明言されていたが――。「過去の秋篠宮ご夫妻の発言と比較すると、『長女の気持ちをできる限り尊重』との一節は、大きく眞子さまに歩み寄られたという印象を受けます。眞子さまの”お気持ち”とはすなわち『小室さんと結婚したい』ということにほかなりません。まだ意見の隔たりがあるとはいえ、紀子さまは今回、眞子さまと小室さんの結婚を事実上容認されたといっても過言ではありません」(皇室担当記者)10月23日には眞子さまが、11月30日には秋篠宮さまが誕生日を迎えられる。小室さんとの結婚について、近日中に大きな発表があるかもしれない。
2020年09月11日「コロナ禍の外出自粛の中で、秋篠宮ご一家のみなさんは皇族として『いま、できること』をお考えになり、盛んに医療の専門家や厚労省の担当者とのオンライン会議に臨まれています」(宮内庁関係者)未成年の悠仁さまを除くご一家総動員で臨まれるオンライン会議は5月からほぼ毎週続いており、6月には11回を数えた。7月20日までに合計24回に及んでいる。「医療の現場で防護服が不足していることをお知りになると、すぐにご一家と職員で防護服を手作りされてお届けになりました。これも紀子さまのご提案ではないでしょうか。秋篠宮家の団結力を感じます」(前出・宮内庁関係者)しかし“小室圭さん問題”をめぐり、秋篠宮ご夫妻と眞子さま、佳子さまの間には大きな溝があるとみられていたはず……。昨年3月、大学卒業に際しての文書回答で佳子さまは《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》と、一途に小室さんを思われている眞子さまを応援すると宣言。一方、秋篠宮さまは昨年11月の誕生日会見で《結婚のことについては(眞子さまと)話をする機会はありません》と、突き放すように述べられた。はっきりと浮き彫りになっていた親子の対立関係。ここにきてなぜ、急激な“雪解け”が起こったのだろうか――。「実は、佳子さまには結婚を真剣に考えるほどの交際相手がいらっしゃるとも報道されています。紀子さまが急きょ親子関係の改善を図られた背景にも、佳子さまの“結婚問題”があるようなのです」(前出・宮内庁関係者)最近になって、佳子さまの“お相手”についての報道が相次いでいる。「デイリー新潮」は6月30日に「佳子さまに新しい男性の存在」との記事を掲載。さらに『週刊女性』(8月4・11日号)が「佳子さま結婚へ!」のタイトルで、お相手の男性についても「佳子さまと同時期にリーズ大学に留学していた男性。都内の理系大学出身で爽やか系のイケメン」と踏み込んだ。宮内庁関係者が言う。「佳子さまも25歳ですから、そういうお相手はいらっしゃるというお話は以前から漏れ聞こえていました。皇族の外出時には、プライベートな用事であっても側衛官が同行します。デートも例外ではありませんから、ご家族に隠し通すことはできません。もちろん佳子さまも、ご自身の交際について、秋篠宮ご夫妻に正直に報告されてきたことでしょう」佳子さまはご自身の結婚について《遅過ぎずできれば良いと考えております》と、大学卒業に際しての文書回答で述べられていた。皇室担当記者はこう見る。「眞子さまの結婚を応援されている佳子さまは、お姉さまより先に結婚していいものかと思われつつも、できるだけ早く結婚を決めたいという思いもおありでしょう。つまりは、眞子さまのご結婚が早く実現するよう応援し、ご自身も同時期のご結婚を思い描かれているのではないでしょうか」娘の結婚は祝福すべき出来事に違いないが、紀子さまには悩ましい事情もあると、前出の宮内庁関係者がご心情をおもんぱかる。「現在の皇室典範では、女性皇族が一般の男性と結婚した場合、皇室を離れなければなりません。ただ、秋篠宮ご夫妻がご多忙ななか、まだ13歳の悠仁さまを支える存在が必要です。将来も、眞子さまと佳子さまのどちらかには皇室にとどまってほしい――。紀子さまはそう願われているのです。悠仁さまを支える皇族がいなくなってしまう未来に、不安を募らせていらっしゃるのでしょう」秋篠宮家において、お二人の内親王の役割は決して小さなものではないという。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんもこう語る。「天皇皇后両陛下のご活動だけで、皇室と国民との絆を維持していくのは難しいでしょう。眞子内親王殿下、佳子内親王殿下が公務の担い手として重要な存在でいらっしゃるのは間違いありません」紀子さまは昨年9月、お誕生日の文書回答にこう記された。《長女も次女も、それぞれがよき人生を歩み、これまで2人の成長を支えてくださった方々にも喜んでいただけるよう、将来を築いていってほしいと願っております》前出の宮内庁関係者は、紀子さまは連日のオンライン会議を通じてお二人に“皇族としての自覚”を促しているのではないかと語る。「民間から皇室に嫁がれた紀子さまは、ご成婚当初から皇族としての品位を保たれるために、ご自身を厳しく律してこられました。国民にとって皇室がいかに大切なものなのか、お生まれになったときから皇室にいらっしゃる眞子さま、佳子さま以上に強くお感じなのだと思います。それだけに眞子さまと佳子さまが同時に皇籍を離れることはお許しにならないはずです」紀子さまからの強い圧力をお感じになりながらも、結婚の機が熟すのを待ち望まれている眞子さまと佳子さま。静かなる攻防はいまも続いている――。「女性自身」2020年8月11日号 掲載
2020年07月31日《今後も、この厳しい状況の中で、母子愛育会に関わる皆さまとご一緒に、人々の健康と幸せのために努めていきたいと思います》紀子さまは、ご自身が総裁をお務めの恩賜財団「母子愛育会」へ、6月30日付で2千文字を超える長文のメッセージを寄せられた。宮内庁関係者は話す。「メッセージを送られるきっかけとなったのは6月25日のオンライン会議でした。紀子さまは秋篠宮さま、眞子さま、佳子さまとともに、母子愛育会関係者から状況の説明を受けられたのです」コロナ禍が深刻化した3月以降、一部の祭祀を除いて紀子さまがお出ましになる機会はなかった。その一方で紀子さまは、皇室随一と言っていいほどの発信を続けていらっしゃるのだ。まず3月24日の世界結核デーにあたっては、結核予防会総裁として英語でメッセージを寄せた。結核に関する研究で博士号も取得されている紀子さまは、新たな感染症の流行をたいへん憂慮されているようで《私たち皆が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の脅威に直面している今、人々を感染症から守るために力を尽くしている世界中の人々に深く感謝いたします》(原文は英語)と述べられた。さらに5月29日には結核予防会と結核予防婦人会に向けて送られたメッセージが公開に。《結核予防会をはじめとする結核・保健関係者が長年にわたり積み重ね、研修などを通し伝えてきた、接触者・クラスター調査、感染管理の活動、胸部の画像診断能力、人工呼吸器の扱いや呼吸の見守りなどの豊かな経験や医療技術は、新型コロナウイルス感染症の対策にも大変役立っていると感じております》紀子さまはこのときも長文のメッセージで、労いと励ましの言葉を惜しむことなく贈られていたのだ。「秋篠宮ご一家と職員が協力して500着もの防護服を手作りし、医療現場へ寄贈されたことも話題になりました。紀子さまはコロナ禍においても皇族として『いま、できること』を模索され、実践されているのです」(宮内庁関係者)「女性自身」2020年8月11日号 掲載
2020年07月31日「行ってまいります。ありがとう存じました」’90年6月29日の朝、紀子さまは実家・川嶋家のご家族にそう告げられた。そして皇居で秋篠宮さまとの「結婚の儀」に臨まれ、皇室へと嫁がれた――。秋篠宮さまと紀子さまのご結婚、そして秋篠宮家の創設から30年。ベテラン記者は、紀子さまの“激変ぶり”に驚いているという。「いまや『秋篠宮家のキーパーソンは紀子さま』といっても過言ではないでしょう。ご成婚された当時は、学者の家庭で育った素直なお嬢さまというイメージでしたが、ご一家を支える大きな存在になられました。“皇室一忙しい”と言われるほど多くのご公務にご夫妻で取り組まれながら、3人のお子さまを育てられたのですから」最近のコロナ禍においても、紀子さまのご活躍が目立つという。「秋篠宮ご一家は5月、500着もの医療用ガウンを手作りし、済生会へ寄付されました。ご一家の団結を演出されたのも紀子さまだそうです」(前出・ベテラン記者)ただ、秋篠宮家は現在、決して順風満帆といえる状況ではない。4月に予定されていた秋篠宮さまの「立皇嗣の礼」はコロナ禍のために延期に。そして、長女・眞子さまの結婚も延期されたままだ。そんななか、本誌は小室さんの“肉声音源”と“論文掲載”を相次いでスクープした。小室さんの留学先であるニューヨーク・フォーダム大学のHPで4月、金融の専門家に小室さんが英語でインタビューを行う音声が公開されていたのだ。さらに、昨年の夏に小室さんが英語で執筆した論文が、ニューヨーク弁護士会が発行する雑誌に掲載されていたことも判明した。インタビューと論文はともに、起業家の資金調達がテーマ。小室さんの代理人を務める上芝直史弁護士に、改めてこの快挙について聞くと、「当時、小室さんが関心を持って研究していたのは、株式の配当や投資のリターンとは違う目的を持つ社会的企業のために、どうやってお金を集めるのかということでした。そのため、こういったテーマの論文を書いたということです。そこに特別な意図があったわけではありませんが、論文が掲載されたことはありがたいと思っているでしょう。当時は、論文で取り上げた分野に将来的に進もうと考えていたかもしれませんが、現在は彼の関心も移り、違う分野について勉強していますよ」本誌の報道後、テレビ局も小室さんの論文に注目。『モーニングショー』(テレビ朝日系)、『バイキング』『グッディ!』(フジテレビ系)が続々と取り上げたが――。「実は、宮内庁側も小室さんについての報道に対して、非常に神経質になっているようなのです」そう語るのは、あるテレビ局の報道記者。「眞子さまの結婚問題を取り上げる際に、小室さんのことを過度に美化しないでほしい――。最近になって宮内庁職員から、ひそかにそういった要望を受けたのです。もちろん公式の要請ではなく、あくまで内々での依頼ではあったのですが……。やはりこういった動きの背景には、眞子さまの今後を心配されている、秋篠宮さまと紀子さまのお気持ちがあると思います」小室さんの“快挙”を受けて、ワイドショーのコメンテーターはいったいどのような反応を見せたのだろうか。『モーニングショー』の玉川徹氏は「彼は自らを追い込んで厳しい状況の中に入っていった。努力だけでなく結果を出していることもわかった」と小室さんを評価。「いったい、小室さんをバッシングする理由なんてどこにあるんだろうって思う」とコメントした。さらに『グッディ!』の安藤優子氏は「こういう実績をニューヨークで残したなら国民の見る目、変わりますよね。私、率直に言って(評価が)変わりました。すごく頑張ってるんだなって」と目を輝かせた。ネット上では《どんなに素晴らしい論文を発表しても眞子さまに相応しいかどうかは全くの別問題》などと指摘する声もあるが、ワイドショーの論調に影響される視聴者も多いはずだ。「ニューヨークでの実績が明らかになるにつれ、小室さんの評価もうなぎのぼりになっています。眞子さまとの結婚に強く反対されている紀子さまは、ワイドショーの度重なる“称賛報道”に頭を悩ませているのではないでしょうか」(前出・報道記者)一方で、紀子さまは別の理由で小室さんに反発されている可能性もあるという。「もしかすると、紀子さまは小室圭さんの快挙に対抗心を燃やされているのかもしれません」そう語るのは、皇室ジャーナリスト。「実は、紀子さまは研究者としての一面をお持ちです。結核予防会の総裁を務められている紀子さまは『結核予防婦人会』の毎年の講習会にも参加し、熱心にメモをとるお姿が目撃されていました。さらにはお茶の水女子大学の大学院にも通われて論文を書き上げ、’13年3月に博士号まで取得されました」忙しいご公務と育児の合間に研究活動を続け、博士号を取得された紀子さま。「ただ、紀子さまの論文はアンケート調査を分析したもので、博士論文としては分量も内容もやや寂しい印象でした。それゆえ、全文英語で金融の専門知識を駆使した小室さんのハイレベルな論文に、紀子さまは驚かれたのではないでしょうか。小室さんは学業での実績により、眞子さまとの結婚に弾みをつけたつもりなのでしょうが、むしろ紀子さまの反感を買ってしまったかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)「女性自身」2020年7月14日号 掲載
2020年07月03日6月29日、ご成婚から30年、“真珠婚”を迎えられる秋篠宮さまと紀子さま。3人のお子さま方にも恵まれ、眞子さまと佳子さまも精力的にご公務に励まれている。ご一家の軌跡を、本誌秘蔵写真で振り返ります。【’90年】6月29日、ご成婚パレードに出発されるお二人。平成初の慶事に、日本中が沸いた。【’90年】紀子さま初の園遊会。振り袖姿でデンマーク女王夫妻にカーテシーでご挨拶。【’91年】眞子さまの生後1カ月のお写真を公開。上皇ご夫妻の初孫として、大人気に。(写真提供:宮内庁)【’92年】お二人で初めての海外ご訪問。インドではゾウの背で大揺れだったことも“新婚旅行”の思い出に。【’94年】夏のご静養では、長野県軽井沢町の万平ホテルにご滞在。紀子さまはおなかがふっくらと。【’95年】生後8カ月の佳子さまと軽井沢へ。眞子さまは宿泊先の愛犬・マークくんと仲よし。【’99年】アジア3カ国ご訪問中に、9回目の結婚記念日をお迎えに。ラオスのジャール平原で。【’06年】9月6日、秋篠宮さま以来、40年9カ月ぶりの皇族男子となる悠仁さまがお生まれになった。【’07年】悠仁さま、葉山御用邸で初のご静養。葉山しおさい公園へお散歩に。【’11年】“七五三”にあたる着袴の儀に臨まれた5歳の悠仁さま。ご一家そろって華やかな装いを。【’16年】私的ご旅行で悠仁さまと長崎県をご訪問。長崎市の平和公園で原爆落下中心地にご供花を。【’17年】初のベトナムご訪問へ向かわれる上皇ご夫妻を、羽田空港のタラップ下でお見送りに。【’19年】ラグビーW杯日本大会では秋篠宮さまが名誉総裁に。英国のヘンリー王子とご観覧も。【’20年】6月16日、昭和天皇の后・香淳皇后の命日に、皇后の宮中三殿で行われた二十年式年祭へ。【’20年】6月16日、香淳皇后の二十年式年祭で八王子の武蔵野東陵をご参拝の眞子さまと佳子さま。「女性自身」2020年7月7日号 掲載
2020年06月28日タレントで女優の加藤紀子(かとう・のりこ)さんが、2020年6月8日にブログを更新。ナンパをされたというエピソードを告白し、話題になっています。加藤紀子、渋谷でのナンパに本音ある日、加藤紀子さんは渋谷で軽いノリの男性から「ねぇねぇ、今、ヒマ?」と声をかけられたといいます。誘いには乗らなかった加藤紀子さんですが、本音はというと…。渋谷でナンパかー。昔なら『なんだか面倒だな』みたいな気持ちだったけど、なぜかしらこの年になると『してくださってありがとう』と思っちゃうのって思いながら、着いて行くことなくお別れしました…。加藤紀子オフィシャルブログーより引用しかし、男性が去った数分後、加藤紀子さんは「そもそもナンパではなかったのでは?」と考えてしまったのだとか。数分後、「そもそもナンパじゃなくて、ダイヤとか水晶とか勧められるやつだったのでは?」そんな思いじわり。加藤紀子オフィシャルブログーより引用加藤紀子さんの言葉に、ファンは「いや、絶対にナンパだね!」と断言。「紀子ちゃんはきれいだから、気を付けて」と心配するコメントも寄せられています。・絶対にナンパですね。間違いない!・加藤さんの美しさに思わず声をかけてしまったんですね。分かります。・変な人に引っかからないように気を付けてください!2020年6月現在47歳の加藤紀子さんは、メディアに登場するたびに若々しい見た目が話題になります。 この投稿をInstagramで見る katonoriko(@katonoriko)がシェアした投稿 - 2019年 8月月15日午前6時22分PDT若い男性から声をかけられたとしても、不思議ではありませんね!加藤紀子の昔と変わらぬ美貌に驚き!現在の活動や、夫との結婚生活を調べてみると…[文・構成/grape編集部]
2020年06月10日新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)が流行し、2020年5月現在も対応に追われている医療現場。緊急事態宣言が全面解除された後も感染者の治療にあたり、1人でも多くの人命を助けようと、日々奮闘しています。そんな中、同月18日に社会福祉法人が秋篠宮皇嗣殿下から寄せられたメッセージをウェブサイトに掲載しました。医療従事者への感謝メッセージを掲載したのは、医療によって生活困窮者を救済しようと明治天皇が1911年に設立した、社会福祉法人『恩賜財団 済生会(以下、済生会)』。百年以上にわたって活動している日本最大の社会福祉法人で、総裁は秋篠宮皇嗣殿下です。同月11日に、済生会は秋篠宮皇嗣殿下同妃殿下に済生会病院などの対応状況をテレビ電話で説明。眞子、佳子両内親王殿下も別室のモニターで参加されました。その後、秋篠宮皇嗣殿下は済生会職員と全国の医療従事者に向けた、2千字におよぶメッセージを寄せています。メッセージの中で、秋篠宮皇嗣殿下は医療従事者に敬意を表するとともに、感染防止のための防護服やゴーグルなどの医療資材が不足していること、また医療従事者の心身や偏見について憂慮していることをつづっています。そして最後に、次のように感謝のお気持ちを表しました。COVID-19 は長期にわたって続くものと推察いたします。この感染症と日々向き合っておられる皆さんには、くれぐれも自らの感染防止や心身の健康に留意しながら、誇りをもってこの大きな困難を乗り越えていかれることを願っております。そして、皆さんを始め、日本の各地で医療に従事されている方々の多大なご尽力にたいし深く感謝いたします。社会福祉法人 恩賜財団 済生会ーより引用メッセージを読んだ人々からは、「寄り添っていただきありがとうございます」「本当にありがたいことです」などのコメントがネット上に投稿されています。秋篠宮皇嗣殿下のねぎらいのお言葉が、医療従事者の心のエネルギーとなることを祈ります。[文・構成/grape編集部]
2020年05月28日赤ちゃんの名づけ調査件数日本最大級のベビーカレンダー。2020年1月・2月生まれの女の子13,667名の名前から、人気の「こ止め」ネームをご紹介します。最近は古風で純和風な「レトロネーム」が大人気。イマドキの漢字を用いつつ、「こ」で止めることで、どことなく古風な印象のあるレトロネームに。今回は「こ止め」ネームの中から、特に人気の名前TOP10をご紹介します。 1位りこ「りこ」は2019年のよみランキング14位と、近年人気の高い名前です。2020年1月2月生まれの女の子の名前では、「莉子」「莉心」「莉光」「璃子」「梨瑚」などの漢字が使われていました。「莉」は香りのよい花を咲かせる「茉莉花(ジャスミン)」にも使われている漢字。ジャスミンの花言葉は「愛想のよい」「愛らしさ」ということもあり、女の子の名づけに近年人気。このほか、「り」とよむ漢字では「凛」「琳」が多く用いられていたほか、「りこ」というひらがなネームも人気です。 2位あこ「あこ」は2019年のよみランキング70位にランクイン。2020年1月2月生まれの女の子の名前ではひらがなネームの「あこ」のほか、「愛來」「彩瑚」「兎柑」などの漢字が使われていました。「愛」は2019年の漢字ランキング首位の人気の漢字。「愛し愛される女性になりますように」という願いがこめられているようですね。呼びやすく、かわいらしい印象の名前です。 3位きこ2020年1月2月生まれの女の子の名前では、「嬉子」「稀己」など、「きこ」という名前が人気でした。「嬉子」はその字の通り、にこにこと楽しい様子をイメージできる名前ですね。皇族の秋篠宮紀子さまを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。有名人では、モデルの水原希子さんが活躍されています。 4位にこ2020年1月2月生まれの女の子の名前では、「にこ」が「こ止め」ネームの4位に。「虹心」「笑瑚」「荷瑚」「虹瑚」「仁湖」「虹来」「仁虹」「虹恋」「日瑚」などの漢字が使われており、「虹」「笑」「瑚」という漢字が特に人気なようです。幸せな笑顔を思い浮かべる「笑」は2019年の漢字ランキング88位に、装飾品の材料となる珊瑚のように美しいイメージの「瑚」は漢字ランキング95位にランクインしています。 5位ひなこ「ひなこ」が「こ止め」ネームの5位でした。「ひなこ」というひらがなネームのほかに、「陽菜子」「陽向子」「陽奈子」「陽心」「日那子」「日菜子」「日奈子」「姫菜子」という漢字が使われていました。太陽を表す「陽」は漢字ランキング11位に、おひさまのように明るさをイメージする「日」は漢字ランキング48位に、黄色のかわいらしい花を咲かせる菜の花を連想させる「菜」は漢字ランキング4位にランクインするなど、人気漢字を組み合わせた名前です。同名では、プロゴルファーの渋谷日向子さんが2019年に海外メジャー優勝を果たすなど、活躍されています。 6位みこ「みこ」は、2020年1月2月生まれの女の子の名前の「こ止め」ネーム6位にランクイン。ひらがなの「みこ」のほかに、「心子」「美心」「心虹」「美湖」「弥子」「実乎」「実己」という漢字が使われていました。「心」は2019年の漢字ランキング9位にランクインする人気の漢字。「思いやりのある女性になりますように」という願いを込めて名づけてもいいですね。 7位わこ「わこ」が「こ止め」ネーム7位にランクイン。「和瑚」「和來」「和心」「和子」「環心」「咲虹」「笑幸」「笑子」「和咲」などが使われていました。和やかな印象の「和」は、2019年の漢字ランキング37位にランクイン。思いやりのある女性をイメージさせる「心」は2019年の漢字ランキング9位にランクイン。「わ」というよみからも、どことなく和風な印象を与える名前のようですね。 8位ここ「ここ」が「こ止め」ネーム8位にランクイン。ひらがなネームの「ここ」のほかに、「心々」「瑚恋」「心虹」「心」「心瑚」「来幸」「心喜」「愛絆」「心咲」などの漢字が使われています。「ここ」というよみは、チャーミングで新鮮な雰囲気の名前ですね。 9位まこ「まこ」が「こ止め」ネームの9位に。「麻瑚」「麻心」「眞來」「茉心」「茉子」「真瑚」「真杏」「真子」などがありました。2019年の漢字ランキング23位で、ジャスミンの花のように可憐で魅力的な女の子のイメージのある「茉」、麻の繊維のように素朴で丈夫なぬくもりを感じさせる「麻」、正直で包容力の感じる「真」など、育って欲しいイメージに沿ってさまざまな漢字が考えられます。 10位ななこ「ななこ」が「こ止め」ネームの10位に。「菜々子」「菜七子」「菜奈子」「七菜子」「七瑚」「那々子」などがありました。菜の花を連想させる女の子らしいイメージの「菜」は2019年の漢字ランキング4位に、ラッキーセブンで縁起の良い「七」は2019年の漢字ランキング65位にランクインしている人気の漢字です。な行で始まる名前は、明るい印象になるようです。 近年人気の「レトロネーム」の1つである、「こ止め」ネーム。「子」以外にも「心」「湖」「来」などさまざまな「こ」とよむ漢字が充てられていました。「りこ」「あこ」「きこ」など呼びやすく、キュートな印象になる「二音ネーム」がTOP10中8つもランクインしており、二音の「こ止めネーム」がトレンドでした。これから女の子をご出産予定の方は、参考にしてみてくださいね!【調査概要】調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方 調査期間:2020年1月1日(水)~1月25日(土)、2020年2月1日(土)~年2月25日(火)調査件数:13,667名(女の子) 著者:福島絵梨子
2020年05月21日菅義偉官房長官は2月27日の記者会見で、4月19日に予定される秋篠宮さまの「立皇嗣の礼」について「感染拡大の状況を注視しつつ必要な準備を進めたい」と述べた。現状では予定通り準備を進めるものの、今後の感染状況を踏まえて開催の可否や適切な参列者数について検討していくという。だが、コロナショックが秋篠宮家に与えた影響はこれだけではないという。眞子さまが小室圭さんとの結婚延期を発表されてから、2月6日で丸2年が経過。天皇誕生日が過ぎてから、秋篠宮さまが昨年の誕生日会見で眞子さまにお求めになった“何らかの発表”があるとみられていた。「眞子さまは何らかの文書の準備を進めていらしたようですが、お気持ちの表明、つまり“結婚宣言”は延期になっているようです。もちろん眞子さまは、新型コロナウイルスの感染拡大を憂慮しておられます。ただ実は、発表の延期を決められた大きな背景には、紀子さまからの強いご要請もあったようなのです。日本に平穏な日常が戻るまで、コロナが終息するまでは、発表を控えてほしい、と……」(宮内庁関係者)もし眞子さまから“結婚宣言”が飛び出せば、もはや秋篠宮ご夫妻にも結婚を止めるすべはないと、皇室ジャーナリストが言う。「ご本人の意思に反して結婚を破談にすることは、たとえ親であってもできない――。秋篠宮ご夫妻はそうお考えだからこそ、これまでも破談にはできず、延期という形をとってきたのです。2年間の“冷却期間”のうちに、紀子さまは、眞子さまご本人が結婚の意向を翻すと期待されていたようです。ところが、眞子さまのお気持ちは現在も変わっていません。この先行きの見えないコロナの終息まで待ってほしいという紀子さまのご要請は、ある意味“無期限延期”になる可能性もあります。その間に、今度こそ翻意への説得を成功させたいという、破談へ向けた紀子さまの“逆転作戦”なのかもしれません」そんななか2月28日には、秋篠宮さま、紀子さま、眞子さまが3人でご一緒に公務に臨まれた。ご家族で面識のあるキューバ大使と秋篠宮邸で面会されたのだ。佳子さまを交えず親子3人でのお務めは、昨年9月の秋季皇霊祭以来のことだった。「お三方とも、ときおり笑顔を浮かべられて、大使とは和気あいあいと談笑されていたとのことです」(宮内庁関係者)さらに、休校中の悠仁さまの存在が、紀子さまと眞子さまの“潤滑剤”になりそうだと、皇室ジャーナリストは語る。「悠仁さまの休校は、あと1カ月以上続くことになります。眞子さまは、悠仁さまが幼いころから『ゆっぴー』とお呼びになり、かわいがっていらっしゃいました。しばらくの間、秋篠宮邸で自習に励まれる悠仁さまのお勉強の手伝いなども、眞子さまがなさるのではないでしょうか。悠仁さまを介することによって、眞子さまもかたくななお心を開かれて、紀子さまとの会話も増えていく可能性があります」前出の宮内庁関係者も、これからの皇室を支えていく秋篠宮家の重要性を眞子さまに気づいていただきたいという気持ちだ。「眞子さまにとって、皇位継承順位1位が父親の秋篠宮さま、2位が弟の悠仁さまです。皇族の数が減少しているなかで、悠仁さまを陰日なたなくお支えになれる立場にいらっしゃるのは、眞子さまと佳子さまをおいてほかにはいらっしゃらないのです」そして4月には、秋篠宮さまが皇嗣になられたことを国内外に示す「立皇嗣の礼」が待っている。菅官房長官は、2月27日の記者会見で、「感染拡大の状況を注視しつつ、必要な準備を進めたい」と予定どおり実施する方向で動いていくことを示唆した。「お忙しい中でも、時間ができると秋篠宮さま、紀子さまはじめご家族で『立皇嗣の礼』に向けての習礼、つまりリハーサルに向かわれています。とくに両殿下は、衣冠束帯、十二単をお召しになりますので、衣装合わせ、所作の確認などに余念がありません。一世一代の儀式に向けて、眞子さま、佳子さまが、ご両親をお支えになることが不可欠です。『立皇嗣の礼』に向けて秋篠宮家が一丸となっていく3~4月は、秋篠宮ご夫妻にとっても大きなチャンスとなるでしょう。眞子さまとの関係改善、さらには結婚を考え直すようにとの説得を試みられるはずです」(前出・宮内庁関係者)新型コロナウイルスという逆境に秋篠宮家の一員として立ち向かうなかで、眞子さまのご心境にも変化が生じるのだろうか――。「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月06日「昨年10月22日の『即位礼正殿の儀』のときも、私は宮さま方から呼ばれて宮殿に上がりました。妃殿下方のメークをさせていただき、片付けを終え、控え室に戻ったときは、まだ雨で。ああ、今日は止まなかったと思っていたら、まさに儀式の開始間際、チチチチと鳥の鳴き声が聞こえてきたんです。窓に駆け寄って見上げたら、もう全部が青空になっていて。そうか、あれほどに豊かなお心持ちの方が集まったら、天気も変わるんだなぁと感動しながら、宮殿の中から祝砲の音を聞いておりました」天皇陛下(60)が国内外に即位を宣言された一連の儀式の中でもハイライトといえる正殿の儀。秋篠宮紀子さま(53)はじめ、眞子さま(28)、佳子さま(25)らの妃殿下のメークを担当したのが、与儀育子さん(43)。港区虎ノ門のホテル、オークラ東京にある「与儀美容室」の3代目だ。終戦後、祖母の八重子さんの代に創業して72年。美智子さまは、独身時代からの顧客だった。昭和天皇の弟にあたる三笠宮と結婚された百合子さまが通って以降、皇室とのご縁ができた与儀美容室。上皇陛下の姉君の池田厚子さん(88)のご成婚を始め、三笠宮家皇女の容子さまの裏千家への輿入れを担い、ますます評価を高めていく。もちろん一般の結婚式も、多い年には1,400件を超える人気だった。そして時代も平成に変わった93年6月9日。今上陛下と皇后雅子さまのご成婚で、育子さんの母・みどりさんは、八重子さんとともに雅子さまのヘアメークを担当。お相手と身近に触れ合う美容師ならではの“気づき”もあったという。それは、3代目の育子さんも感じたようだ。前述の即位礼正殿の儀のときのこと。式の荘厳さに感動し、妃殿下方のメークをしながら、育子さんはこんな感慨にふけっていた。「皇族の方たちの、利他の精神を改めて目の当たりにしました。メーク一つとっても、私などはもっと華やかになさっても素敵だと思うのですが、紀子さまは、いつも『自然で控えめに』とおっしゃいます。自分のことを華美に見せたいという思いはまったくなく、皇族としてどうあるべきかを常にお考えです。そのお気持ちこそが、妃殿下方の美しさのもとになっているのだと知りました」そして、その精神は、若い世代の皇族方にも確実に受け継がれていると語る。「眞子さまも、佳子さまも、ご公務の裏側では、お相手の国について事前に学ばれるなど、ご自分の時間を犠牲にしてまで準備をなさっていたり。ですから、お忙しい中でも、少しでも笑顔になっていただけるヘアメークはないかと日々考え、仕上げて差し上げます」正殿の儀の朝、育子さんが皇居に向かうとき、母のみどりさんから手渡されたものがある。「これは、私がおばあちゃまから受け継いだものだから、今日はあなたが身につけていきなさい」それは、かつて八重子さんが、今は上皇后となられた美智子さまのお母さまからいただいたブローチだった。育子さんはいう。「シルバー地のアール・デコ風のブローチです。宮殿では本当に一人でしたから、ときどき胸のブローチに手をやりながら、祖母や母に見守られているんだからと自分に言い聞かせて、無事に大役を果たすことができました」女性の“美の源”から、自然な魅力を引き出すという大役を担った育子さん。美の職人たちの挑戦は、世代をつなぎながら続く。その仕事が、女性に元気と勇気を与えると信じて。「女性自身」2020年3月10日号 掲載
2020年03月02日「あのとき、雅子さまのヘアメークを手がけたのも、私の祖母と母でした。当時、私は高校生で、ちょうど髪が長かったものですから、自宅で雅子さまの髪型の練習台にもなったんですよ」そう語ったのは、与儀育子さん(43)。港区虎ノ門のホテル、オークラ東京にある「与儀美容室」の3代目だ。即位礼正殿の儀では、秋篠宮紀子さま(53)はじめ眞子さま(28)、佳子さま(25)らの妃殿下のメークを担当した。27年前、今上陛下と皇后雅子さまのご成婚の時の、いわゆる“世紀のパレード”。オープンカーで30分以上も風を受けながら、少しも乱れなかった雅子さまのお髪と輝くティアラは、多くの人の心に残っただろう。あの奇跡の美の場面を成し遂げたのも、与儀美容室が3代にわたって築き上げた技術の賜物だった。近年も、秋篠宮家の眞子さま、佳子さまの“プリンセス・メーク”や、羽生結弦選手の国民栄誉賞受賞式での羽織はかま姿のヘアメークと着付けを担当したのも、育子さんだった。「雅子さまも、それに先立つ紀子さまのご成婚も、当時の皇后でいらした美智子さまから『ぜひ与儀さまに』とご依頼があったと、祖母たちから聞いておりました。そもそもの始まりは、戦後、祖母が開業した美容室に、一人の妃殿下がご来店されたことでした」やがて、育子さんの祖母の八重子さんは、多くの皇族のお支度を手がけ、“宮さま美容師”とも呼ばれるようになる。「(終戦間際の)物資の乏しい時代に、祖母はGHQ将校の奥様から舶来のパーマ液を入手しては、研究を重ねたそうです」(育子さん)この勉強熱心さを認めて通うようになったのが、昭和天皇の弟にあたる三笠宮殿下と結婚された百合子さま。ここから、現在まで続く皇族とのお付き合いが始まる。証言するのは、終戦の年に生まれた八重子さんの長女で、与儀美容室の2代目となるみどりさん。「皇室の方のご婚儀では、十二単からローブデコルテへのお召し替えがあります。限られた時間で、おすべらかし(平安風の垂髪)の固まった鬢付け油を落とし、洋髪に結い直さなければなりません。母は自分のかもじ(かつら)を使って、何日にもわたって試しながら、髪を傷めずに短時間で行う技法を独自に編み出したのでした」これを契機として、宮中において「与儀さんはよくやってくれる」との評判を呼び、のちの今上陛下ならびに秋篠宮家のロイヤルウェディングにつながっていく。雅子さまのご成婚で、みどりさんは、八重子さんとともに雅子さまのヘアメークを担当することに。本番まで、雅子さまに会えるのはたった2回だけ。「私たちは、まず雅子さまのお顔立ちを研究するために、お姿の載っているあらゆる雑誌を集めたり、デザイン画を何枚も描きました。髪型だけで10パターンは検討しました。(雅子さまは)『私の母も、結婚式のとき与儀さんにしていただいたんですよ』とおっしゃって。長くやっていると、こんな嬉しいご縁もあるんです」お相手と身近に触れ合う美容師ならではの“気づき”もあった。「雅子さまといえば、当時、バリバリのキャリアウーマンと盛んに報じられていました。でも、実際にお会いした印象はきゃしゃでかわいらしい方でした」改めて“内面の美”について考えるきっかけにもなった。「私たちは塗ったり貼ったりはいくらでもできます。けれど、その方の内面からにじみ出た美しさを感じた瞬間、一番いいお顔を引き出せたと思った瞬間に、メークを止める勇気も大事なんです。その意味でも、雅子さまのご成婚のメークでは、そのうちに秘めた純粋さや素直さを、お出しできたのではないかと自負しております」(みどりさん)初代の八重子さんも、いつもこの言葉を口にしていた。「美の真髄は、その人本来の美を引き出し、元気と生きる勇気を与えること」“宮さま美容師”の精神は、その人自身の美しさを引き出すこと――。これからも、その信念は、脈々と受け継がれていく。「女性自身」2020年3月10日号 掲載
2020年03月02日秋篠宮家の次女・佳子さまは1月23日の午前、「東京国際キルトフェスティバル」の開会式に出席された。東京ドームで開催され、1月29日まで世界各地のキルト作品がおよそ1,800点展示される。佳子さまは開会式のあと作品もご覧になり、最優秀賞を受賞した女性に「厚みの違う生地を縫うのは大変ではないですか」などと質問されたという。「東京国際キルトフェスティバル」は’02年に始まり、第1回から紀子さまが出席されてきた。佳子さまは’15年に初めて紀子さまとご一緒に出席されたが、単独でのご出席は今回が初めてとなる。「御代替わりに伴い、紀子さまはいくつかのご公務を佳子さまに引き継がれているのです」(皇室担当記者)佳子さまは、昨年12月にも悠仁さまとご一緒に「第41回少年の主張全国大会」に出席されるなど、昨年の秋ごろからご公務へのお出ましが増加している。秋篠宮さまも昨年11月の記者会見で、佳子さまがご公務に出席される際の準備について《そういう時の事前の調べ物というのは、元々が真面目な性格なのかもしれないですね、よくやっているなという印象を、私は持っています》と”べた褒め”されていた。「秋篠宮ご夫妻は、ご公務に真剣に取り組まれている佳子さまを非常に高く評価されているそうです。これまでは趣味で続けられているヒップホップダンスなど、プライベートに注目が集まってきた佳子さまですが、東京五輪も控える’20年はご公務での活躍が期待されます」(前出・皇室担当記者)
2020年01月23日《少しばかり大人びた雰囲気になったなという感じがします》長男の悠仁さまについて、秋篠宮さまは54歳のお誕生日会見でそう述べられた。そして今後の教育方針については《いろいろな所に行って、実際に見て、話を聞くということをしてほしいなと思っています》と語られた。これらのお言葉が公表されたのは誕生日当日の11月30日。それからわずか8日後、悠仁さまは次姉の佳子さまとお二人でご公務にお出ましになった。12月8日に開催された「第41回少年の主張全国大会」である。大会では、約48万人の応募者から選ばれた12人が発表。終了後、悠仁さまは同年代の中学生と交流し、「どのような思いでスピーチされたのですか」などと尋ねられたという。佳子さまがご一緒とはいえ、13歳にして早くも両親ご不在のなかご公務に臨まれるのは、かなり異例のこと。象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう話す。「おそらく秋篠宮さまと紀子さまは、早くから悠仁さまにご公務を担わせることで将来に向けての“経験”を積ませようとお考えなのだと思います」今年8月にも、秋篠宮ご夫妻はブータンご訪問に悠仁さまを同伴された。悠仁さまにとって素晴らしい経験になったことだろう。皇室ジャーナリストはこう話す。「紀子さまは試行錯誤しながら悠仁さまに“帝王教育”を施されてきましたが、最近は焦燥をつのらせていらっしゃるようです。なぜなら『愛子さまを次の天皇に』との待望論が日に日に高まっているからです。皇后となられた雅子さまのご活躍もあり、天皇ご一家への国民の期待は膨らむばかりです」2年ほど前から、紀子さまは全国各地に悠仁さまをお連れになるようになった。一昨年は小笠原諸島をご旅行。昨年は夏の槍ヶ岳で本格的な登山をされ、広島の平和記念公園もご訪問。秋篠宮さまとお忍びで築地市場を見学されたこともあった。前出の河西さんはこう語る。「将来の天皇として、まさに実地の訓練をされているのだと思います。日本各地への訪問などは、上皇ご夫妻が平成になされていたことの踏襲だと感じます。また、今の象徴天皇制のもとでは、いかに人柄や人物像を国民に知ってもらうかが重要な意味を持ちます。悠仁さまの姿がもっとメディアを通じて伝えられることを望んでいるのではないでしょうか」さらに悠仁さまの場合は、上皇陛下や天皇陛下がお育ちになった環境とは異なる“ハードル”があるという。「直接的に父から天皇・皇太子としてのあり方を伝えられた現在の天皇とは異なり、悠仁さまは“天皇の甥”です。天皇からの直接的な“口伝”ではなく、父である秋篠宮さまや母の紀子さまが伝えなければなりません。天皇と生活や行動を共にすることで伝えられる側面も、今までの皇位継承にはあったわけですが、それがないぶん、将来の天皇としての心構えを肌で感じる場面が少ないと思います。悠仁さまは、そういったハードルも乗り越えていかなければなりません」(前出・河西さん)今回の13歳でのご公務も、その経験が悠仁さまの将来に役立ってほしいという親心から、紀子さまが秋篠宮さまとご相談のうえで演出されたのだろう。
2019年12月10日《やはり人間も少しずつ進歩していくということは大事なことだと思います。そのような気持ちで一つ一つ進めていければ良いなと思っております》秋篠宮さまは11月30日に54歳となられた。誕生日に際しての記者会見で述べられたお言葉からは、皇嗣としての意気込みがにじむ。《国民と苦楽を共にし国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく、これはやはり基本にあることだと私は考えております》会見では、3人のお子さまについても話された。今年4月に中学に入学された悠仁さまのご様子について質問を受けると《少しばかり大人びた雰囲気になったなという感じがします》と、少し顔をほころばせる場面も。また、9月に初の海外公式訪問としてオーストリアとハンガリーを訪問された佳子さまについては《元々が真面目な性格なのかもしれないですね、よくやっているなという印象を、私は持っています》と、まさに“べた褒め”だった。長男の悠仁さま、次女の佳子さまについて明るい口調でお話しになった秋篠宮さま。しかし、その前には、眞子さまと小室圭さんの結婚についても質問を受けていた。《長女との話し合いですね。それについては、結婚のことについては話をする機会はありません》表情を崩さずにお答えになる秋篠宮さま。さらに、にべもなく《小室家とは連絡は私は取っておりません。以上です》とおっしゃって、質問への答えを締めくくられた。「眞子さまは7月に南米のペルーとボリビアを公式訪問。昨年のブラジルに続き現地の大歓迎を受けました。しかし、昨年は眞子さまの公務への取り組みを《極めて真面目》と述べられた秋篠宮さまは、今年は眞子さまをお褒めにはなりませんでした」(皇室担当記者)来年の2月に、宮内庁が眞子さまの結婚に関する儀式の延期を発表してから丸2年がたつ。当時、眞子さまと小室さんは「私たち」という主語を使って、お気持ちを記した文書を発表された。そのことについて、秋篠宮さまが今回こう述べられたのだ。《この次の2月で2年たつわけですね。やはりその、昨年の2月に今の気持ちというのを発表しているわけですので、何らかのことは発表する必要があると私は思っております》2年前のように、眞子さまご自身が“今のお気持ち”を発表するように促したのだ。1年前の誕生日会見で秋篠宮さまは《多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません》とおっしゃり、眞子さまと小室さんの結婚に反対を表明された。今年6月の訪欧前の記者会見でも秋篠宮さまは、この問題について突き放すような発言をされていた。《娘の結婚の見通しについてですけれども、それについては、私は娘から話を聞いておりません》それから5カ月。なぜこのタイミングで、眞子さまにお気持ちの公表を促す発言をされたのか。秋篠宮家の知人によると、秋篠宮家には早急に眞子さまと小室さんの“結婚問題”をクリアにしておきたい理由があるという。「12月4日の『御神楽の儀』で、天皇陛下の即位に関連した一連の儀式が終わります。そして、来年4月19日に行われる『立皇嗣の礼』で秋篠宮さまは、皇嗣となられたことを国内外に宣明されます。秋篠宮さまが“主役”となるのです。秋篠宮家が世界中の注目を集めるのも間違いありません。来年の4月までに、眞子さまの結婚問題をはっきりさせておきたいとの思いがお強いのでしょう」
2019年12月05日眞子さまと小室圭さんの結婚が「再来年に延期」と発表されてから、来年2月で丸2年がたつ。大きな節目を前に、秋篠宮さまからは意外なメッセージが――。《この次の2月で2年たつわけですね。やはりその、昨年の2月に今の気持ちというのを発表しているわけですので、何らかのことは発表する必要があると私は思っております》秋篠宮さまは11月30日に54歳となられ、誕生日に際しての記者会見でそう述べられた。’18年の2月、眞子さまと小室さんは「私たち」という主語を使って、お気持ちを記した文書を発表された。秋篠宮さまは、2年前と同じように眞子さまご自身が“今のお気持ち”を発表するように促したのだ。宮内庁関係者が声を潜める。「秋篠宮さまは本心では、この結婚に強く反対されています。眞子さまが『結婚を諦める』と発表してくれることを願っておられるでしょうが、眞子さまのお気持ちはまったく変わっていないようです。2年前の文書以後、結婚問題に沈黙を貫かれてきた眞子さまが、変わらぬ思いを“肉声”で発表されるとしたら、この結婚は、一気に実現の方向に動きだす可能性が高いと思います」2年前の眞子さまの文書には、このように記されていた。《皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の再来年に延期し、充分な時間をとって必要な準備を行うのが適切であるとの判断に至りました》つまり、ご自分たちの意思で延期を決めたと表明していたのだ。その“再来年”となるのが’20年だ。延期から2年、眞子さまが「充分な準備を行った」「小室さんと結婚したい、これ以上延期したくない」という強い意志を明らかにされたとしたら、秋篠宮さまが結婚を“阻止”することは、はたしてできるのだろうか?象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは「大変難しい」と話す。「平成の天皇によって、結婚への『裁可』が出ている以上、秋篠宮さまがそれを『NO』と言うことは難しいのです。ですから、当時も破談のような形ではなく、延期という形態を取るしかなかったのだと思います。眞子さまが結婚の意思を公式に表明された場合、秋篠宮さまがそれを妨げるような働きかけをされたら、眞子さまの自由な意思を阻害することにもなります。恋愛や結婚においても皇族の自由を尊重してきた皇室の歩みとも、齟齬が生じてしまいます」日本国憲法第24条には《婚姻は、両性の合意のみに基いて成立》と記されており、秋篠宮さまご自身も憲法を尊重する姿勢を示されてきた。「会見や文書の公表を阻止するどころか、眞子さまのお気持ちに結論を委ねたということは、秋篠宮さまが小室さんとの結婚問題について“白旗”を上げられたものといっても過言ではないと思います」(前出・宮内庁関係者)
2019年12月04日11月10日、天皇陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」が行われた。皇族方では、天皇皇后両陛下のほかに秋篠宮ご夫妻も参列された。’90年の平成の即位パレードでは、当時皇太子だった天皇陛下もご参列。今回は、御代替わりに伴って皇嗣となられた秋篠宮さま、皇嗣妃となられた紀子さまも車列に加わられることとなった。Twitter上では《雅子さまも紀子さまも美しい》《紀子さまのドレスもとても素敵だった…!》と、紀子さまの美貌に注目するツイートも。両陛下のオープンカーの後方で車列に加わられた秋篠宮ご夫妻は、オープンカーではなく、窓も閉められていた。そのため《紀子さまオープンカーじゃないのね。もっと映して欲しかったなぁ》と残念がるツイートもみられた。
2019年11月10日《学校の文化祭に秋篠宮様と悠仁さまが来てめっちゃびびった》そんな興奮のつぶやきが投稿された9月28日、秋篠宮さまと悠仁さまは東京都世田谷区の東京農業大学第一高校(農大一高)の文化祭を見学されていた。「紀子さまは、農大一高を悠仁さまの有力な進学先候補と考えていらっしゃるようです。悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学ですが、附属高校は女子校なのです。すなわち、悠仁さまは高校には内部進学できず、別の学校へ進学されなければなりません。東農大といえば、秋篠宮さまが’08年から客員教授を務め、毎年講義を行っています。さらに、紀子さまの実弟である川嶋舟さんも東農大の准教授を務めています。秋篠宮家にもっとも深い縁がある学校といっても過言ではないのです」(皇室担当記者)しかし、こうした見解に宮内庁関係者は首をかしげる。「東農大は日本で初めて設立された私立の農学校という伝統があります。ただ、箱根駅伝の応援で披露される“大根踊り”が有名であるように、皇族方が進学されるには庶民的すぎる気もいたします。そもそも秋篠宮さまと紀子さまは学習院大学の出身で、お二人の出会いも学習院のキャンパスでした。“縁”という意味では学習院に分があると思うのですが……」学習院関係者が、声を潜めて語る。「紀子さまが悠仁さまを学習院に進学させることは、まずないでしょう。学習院に関する“屈辱の記憶”がおありだからです」悠仁さまは’10年、お茶の水女子大学附属幼稚園にご入園。その際は「自主性を重んじる教育方針」「2年間の学習院幼稚園にはない3年間の一貫保育」が選択の理由とされていたが……。「学習院のOBやOGの間では『秋篠宮さまの学年は優秀ではないのに落第生がいない』と平気で吹聴する人もいるのです」(前出・学習院関係者)すなわち、秋篠宮さまより成績の低い生徒がいなかったために誰も落第させられなかった、という噂話が流れていたというのだ。さらに秋篠宮家への“冷遇”を指摘するのは皇室ジャーナリスト。「眞子さまや佳子さまの在学中、初等科や女子中・高等科の改修工事が続きました。これは、愛子さまを受け入れるための準備でした。古くて評判が悪かった女子部のプールまできれいになりました。愛子さまのご入学にあわせたタイミングでの改修でしたので、秋篠宮家としてはないがしろにされていると感じられたでしょう」眞子さまも佳子さまも、大学は国際基督教大学(ICU)を選ばれた。しかも佳子さまは、一度は進学した学習院大学文学部を中退してまで、ICUに入られた。「当時の教授の話によると、大学側にはほとんど相談もなく退学されたそうです。また、佳子さまが女子高等科に在学されていたころ、紀子さまが学校からの“呼び出し”を受けたことがあり、当時は保護者の間でも話題になりました。学校側にも理由があったのだと思いますが、紀子さまは学習院への心証を悪くされたようです」悠仁さまの進学は2年半後。紀子さまはそれまで、学習院以外の進路を探し続けられる――。
2019年10月10日秋篠宮皇嗣妃殿下がご臨席された映画『蜜蜂と遠雷』(10月4日公開)の試写会が2日に都内で行われ、松岡茉優、森崎ウィン、鈴鹿央士、石川慶監督が取材に応じた。同作は、直木賞・本屋大賞を受賞した恩田陸の同名小説を実写映画化。国際ピアノコンクールを舞台に、亜夜(松岡茉優)、明石(松坂桃李)、マサル(森崎ウィン)、塵(鈴鹿央士)という世界を目指す若き4人のピアニストたちの挑戦、才能、運命、成長を描く。紀子様の隣で作品を鑑賞し、上映終了後に歓談したというキャストと監督。松岡は「大変、言葉にならないほど感動しました。常にこちらまで背筋が伸びるかのような佇まいで、とても貴重な体験をさせていただいたと思っています」と振り返る。森崎は「とても貴重な経験をすることができ、改てこの作品に携われたことに感謝の気持ち。初めてお目に掛かる妃殿下は言葉にできないくらい、見えない包容力で包み込んでくれたような感覚がしました」と感謝する。石川監督も「あまりにも緊張して映画の内容が全然入ってこなかったです。優しく声をかけていただいたりして、今もふわふわと夢の中にいる感じがしています」と夢見心地だった。松岡は「印象的だったのが、『この作品がクラシック音楽の映画ということで、演奏のシーンがたくさんあるんですけど、臨場感があって、会場にいるかのようでした』と言ってくださって。拍手がしたくなったんですけど、周りの私たちがあまりにも緊張していたので、『小さくぽんぽんぽんっと叩きました』と言っていただきました。音楽の映画として胸を晴れるお言葉をいただけたなと思っています」と語る。レポーターからの「震えましたか?」という質問には、「勝手に震えてました」と自身の代表作に絡めて答えた。ミャンマー出身の森崎は「ミャンマー人を代表して、一生に一度訪れるか訪れないかという経験」と感じ入り、松岡は「森崎くんについて、『国際的に活躍されてますね』というお言葉も」と紹介。「いつもおしゃべり」という森崎だが、「何も言えなかったです。『ああ、はい!』って。全然しゃべれなかった!」と反省していた。昨年まで普通の高校生だった鈴鹿は、「他の映画のこういう記事を予習で読んだんですけど、僕が出ていいのかなあって。ちょっとネガティブに考えてたんですけど、最後にお話の時間ですぱっと消してくださって、『これからに期待してます』って言葉をいただいて、もう頑張るしかないです」と意気込む。「次の作品頑張らないとな、とか、19歳なんですけど、人生100年と考えて、あと80年長いなと思って。80年どう生きようかなとか、そういうことをいろいろ考えました」とスパンの長い話で、周囲を和ませていた。「信じられないですね。夢みたい、と思った」という鈴鹿は、「東京に来ることも異世界に来るって感じだったんで、松岡さんと森崎さんおとなりにいるのもびっくり仰天で、ちょっとよくわからないですね」と苦笑。「誰にも言ってはいけない」と言われていたために、親にも報告していないというが、「『ニュース見た?』って言います。『見た』ってきたら、報告します。『見てない』って言われたら、『お楽しみに』って言います」とプランを明かした。
2019年10月02日「紀子さまは9月11日に53歳の誕生日を迎えられましたが、皇嗣妃となられて初めての誕生日は、憂うつなものだったかもしれませんね」(皇室担当記者)昨年までの雅子さまと同様に、紀子さまは今年の誕生日から宮内記者会からの質問に文書で回答されることになった。8月中に宮内庁に提出された3つの質問のなかには、眞子さまの結婚についての問いも含まれていた。しかし、そのご回答は《気持ちを推測するなどして現状や今後についてお伝えすることは、控えたい》という、ノーコメントに近いものだった。「6月に秋篠宮さまと記者会見に臨まれた際、紀子さまは眞子さまに関する質問に《私も(秋篠宮さまと)同じでございます》としか回答されませんでした。現在でも、ご公務についての打ち合わせや相談を除けば、紀子さまと眞子さまの会話はほとんど途絶えてしまっているそうです。母子の仲を引き裂いた小室さんについて、紀子さまは口にも出したくない心境なのかもしれません」(前出・皇室担当記者)実は、紀子さまの誕生日の2週間ほど前の8月27日、小室さんの母・佳代さんも53歳の誕生日を迎えていた。眞子さまと小室さんが同級生であることはよく知られているが、紀子さまと佳代さんも同い年なのだ。前出の皇室担当記者は言う。「夏休みも小室さんの帰国は叶わず、佳代さんは1年以上にわたって息子と顔を合わせていないと思われます。ただ、眞子さまと心を通わせることすらできない紀子さまと違って、小室さんと佳代さんの“一卵性母子”とも称される固い絆は変わっていないようです。ニューヨークの小室さんからは、愛する母を祝福するメッセージが届けられたことでしょう」
2019年09月12日8月25日、ブータンへのご旅行から帰国された悠仁さま。そのご表情は、今回の旅が充実したものであったことを物語っていた。付き添われた紀子さまも笑顔を見せられたが、このブータン旅行の陰には秋篠宮ご夫妻のとある心配があったと語るのは宮内庁関係者。「実は、最近になって悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻に反発する姿勢を見せられるようになっていたのです。たとえばコンサートを鑑賞された際、休憩時間になった途端に悠仁さまが席を立ち、紀子さまの制止を振り切って歩きだされる場面がありました。紀子さまは慌てるように悠仁さまを追いかけていらっしゃったのです。こうした“まさかの行動”も見方によっては順調な成長の証しともいえますが、いまは悠仁さまの“第二次反抗期”かもしれません」秋篠宮家といえば、長女の眞子さまと次女の佳子さまも、秋篠宮ご夫妻への反発をあらわにされている。「小室圭さんとの結婚が延期となっている眞子さまは、いまだに秋篠宮ご夫妻と会話を避けていらっしゃるようです。佳子さまも、今年3月の文書で《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と記されたとおり、眞子さまの恋を応援されています。小室さんとの結婚を阻止したい秋篠宮ご夫妻は、頭を悩まされています」(前出・皇室担当記者)眞子さま・佳子さま姉妹と秋篠宮ご夫妻の対立は、悠仁さまにも影響することが懸念されると前出の宮内庁関係者は語る。「佳子さまは3月の文書で《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》と、ご自身の考えを綴られました。もちろん秋篠宮ご夫妻も、“婚姻の自由”は皇族であってもできる限り認められるべきとお考えです。ただ、悠仁さまの場合はそこまで割り切って考えることができない事情もあります。悠仁さまがご両親への反発から、眞子さまや佳子さまのお考えに近づいてしまうのは、避けなければならないことなのです」現在、皇位継承順位第2位である悠仁さまは、皇室典範が大幅に改正されない限り、将来は天皇となられる。「結婚すれば皇室を離れるお立場の眞子さまでさえ、お相手には“国民の祝福”がハードルとなりました。“将来の天皇”である悠仁さまのお妃となれば、なおさら国民の視線は厳しくなってしまいます。《一個人としての希望》《当人の気持ち》だけではご結婚は難しいということを、悠仁さまには納得していただく必要があるのです」一方で、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、こう指摘する。「悠仁親王殿下のご結婚が難しくなるのは、現在の天皇陛下の次の世代ではただお一人の男系男子だからです。皇統は男系男子で継いでいくとされている現状では、悠仁親王殿下とお妃には男のお子さま誕生という周囲の期待が大きくのしかかります。お妃になる方にかかる精神的な負担は相当大きなものになります」悠仁さまの“天皇への道”は長く険しい――。困難を極めるお妃選びを成功させるためにも、親子の良好な関係は必要不可欠と言えるだろう。「悠仁さまが面会されたブータン国王夫妻は、ワンチュク国王が17歳のとき、なんと当時7歳だったジェツン王妃にプロポーズ。その14年後にめでたく結婚式を挙げました。秋篠宮ご夫妻も、悠仁さまには仲睦まじい国王夫妻のような幸せな結婚をさせてあげたいと思われたかもしれません」(前出・皇室担当記者)なんとしてもブータンご旅行での親子関係修復を……。そんな紀子さまの母心は“反抗期”の悠仁さまに届いたのだろうか――。
2019年08月28日「あっ、秋篠宮さま!」成田空港のロビーに居合わせた20代の女性からそんな声が上がると、搭乗口にお一人で向かわれる秋篠宮さまは、にっこりとほほえまれた。秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは8月16日、ブータンへのご旅行に出発された。12歳の悠仁さまにとって初めての海外ご訪問となる。「御代替わりで秋篠宮さまが皇位継承順位1位、悠仁さまが2位になられました。不測の事態を考慮し、紀子さまが悠仁さまに付き添われ、秋篠宮さまはお一人で別の飛行機に搭乗されたのです」(宮内庁関係者)ブータンといえば、眞子さまが小室さんとの婚約内定報道直後の’17年6月に公式訪問された国。当時は国を挙げて、眞子さまを祝福してくれていた。「眞子さまのご訪問のときに歓迎してくれたワンチュク国王一家と、今回も秋篠宮ご夫妻と悠仁さまが面会される予定です。眞子さまのご結婚延期について、何らかの説明をされることになるでしょう」(宮内庁関係者)東宮家より職員が少なく万全とはいえない環境で、紀子さまは一生懸命ご自身なりに“帝王教育”を模索されてきた。「悠仁さまは昨年の夏休み、紀子さまに伴われて広島平和記念公園をご訪問。また、お忍びで槍ヶ岳登山にも挑戦されました。その時も紀子さまがご一緒でした。今回のブータンご訪問は悠仁さまにとって貴重な経験になります。紀子さまにとっても念願だったはずです」(皇室ジャーナリスト)天皇陛下の海外初訪問は中学3年生、オーストラリアへのホームステイだった。秋篠宮さまも同じく中学3年生の夏休みにニュージーランドを訪問されている。「秋篠宮ご夫妻と悠仁さまにとって、ブータンご訪問が実り多き旅となるよう願っておりますが……」そう前置きしてから、皇室担当記者が声を潜める。「同行する新聞やテレビの記者にすら、旅行の日程は直前まで知らされませんでした。出発日である16日に、やっと翌日17日の分だけが知らされたのです。私的なご旅行とはいえ、前代未聞のことです。周囲への根回しがあまりに不十分なのです。現地とのやり取りを仲介しているのは、秋篠宮さまの知人でブータンに詳しい学者。そのため“蚊帳の外”になった外務省や現地の大使館からは、十分な情報が伝達されないことに不満の声が上がっています」前出の宮内庁関係者はこう憤る。「2人の“将来の天皇”がいらっしゃる秋篠宮家の職員は、皇嗣職として約20人から51人に増員されました。しかし経験が浅い職員が多く、組織はバラバラなのです。何事もご自分でお決めになりたい秋篠宮さまとは、意思の疎通がうまくいっているとは思えません」
2019年08月23日