私の両親は、ウォーキングや地域の仲間とのゴルフなど、日々活動的に楽しんでいました。そんなある日、父の友人から父が足を骨折をしたと連絡を受け駆けつけると、母も足を捻挫していました。幸い母は軽傷で済んだはずが、その後、母親も骨折。両親の介護を一手にすることになりました。スポーツ好きの両親が負傷若いころからスポーツ好きな両親は、日ごろからアウトドアスポーツを活動的に楽しむことが趣味でした。その日も、両親の友人たちと山登りに出かけていました。普段なら、登山道を外れることはないのですが、この日に限って、珍しい高山植物を見つけ、手持ちのカメラで写真を撮ろうとした瞬間、足を踏み外してしまい2m下に落ちてしまったのです。父親の手を引っ張って助けようとした母親も足首を捻挫してしまいました。幸い、同行していた方が2人を介助して下山することができました。両親は年齢の割りには運動神経も良いほうなので、日ごろのスポーツではけがをすることはなかったのですが、さすがに滑落には耐えられなかったようです。父の次は母が…!父親は3週間の入院生活を終えて自宅療養になり、母親の捻挫も改善しつつあったころに、またの悲劇が訪れたのです。父親が自宅療養になったものの、以前の状態に戻るまではもうしばらくかかるため、自宅でのトレイまでの移動やお風呂の付き添いなど、日常生活で介助することが必要となり、母親と私が交代で介助をおこなっていました。とはいえ、60代後半の大柄な父親を介助するのは結構大変な労力で、最初は力任せでやっていたのもあって介助するほうが疲労困ぱい状態でした。そんなある日、ベッドからの立ち上がりを介助しようした母親がバランスを崩し、フローリングでしりもちを付いてしまいました。その後、激痛に襲われた母親は、腰椎圧迫骨折(腰の椎体という部分に外から圧力がかかって起きる骨折のこと)していたことがわかったのです。両親の介護がスタート母親は、固定のコルセットを付けて療養することとなり、私が両親の介護をおこなうことになってしまったのです。父親のほうは、リハビリ効果もあって回復に向かっていたのが幸いでした。家事はもちろんですが、生活動作の介助を2人分しなくてはならないという、とんでもなくハードな日々を送ることになりました。とにかく、私が倒れないようにとしなくてはと思い、母親が落ち着くまで会社には介護休暇を申請することに。その分、両親の介護に集中できたのはよかったです。まとめ運動神経も良く、活動的な両親であっても、けがや病気などで介護や介助が必要になることが突然起こることを目の当たりにしました。現在は、両親ともに回復して今までのように日常生活を送れています。介護している人が介護を要する状態になってしまう状況は、誰にでも起き得ることだと感じました。家族のピンチには家族がなんとかしなくては、という気持ちが強かった私は会社に介護休暇の申請をして集中的に両親を見ましたが、そんな制度があってとても助かりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。文/モカモコイラスト/マメ美ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月26日自分の父が、少しずつ様子がおかしくなっていたのに、なかなか認めることができずにいました。「ちょっとぼんやりしてるだけ」「ちょっとうっかりしただけ」なんて思い、深刻に考えていなかったのです。父が認知症になって、あやうく自宅が火事になる寸前だった事件の話です。定年後、毎日テレビを見るだけの父父は65歳で定年してから、一日中ほとんど外出せず、家の中で過ごすようになりました。ほぼ日中テレビの前から座って動かず、甘いコーヒーを何杯も飲み、母が作る夕食以外は菓子パンばかり食べていました。母はまだパート勤めを続けていたので、昼間家にいる父が家の掃除等はしてくれますが、それ以外に体を動かすような運動は何もしてないのです。父の偏った食事と、刺激のない日々の過ごし方は、さすがに不健康ではないかと心配していたところでした。父の行動に違和感がそんな生活が続いたある日、父は時々ふらりと出かけるようになりました。ようやく健康を意識し始めたのか、近所を軽くウォーキングしてるのだと母や私は思っていたのです。ところが、そのころから少しずつ父の違和感のある行動が気になり始めました。部屋の掃除をしてくれたと思ったら、お風呂場の洗面器がなぜかキッチンに置いたままになっていたり、母や私の私物が押し入れの中など妙な場所で見つかったり……。日中、家の中にいる父が、部屋の掃除をしていてうっかり置いたのだろうと思うことにしていましたが、「どうしてそんな場所にそんなものを置くのか?」と、首を傾げることばかりです。今思うと、私も母も父の様子がおかしいことをどこか受け入れたくなかったのだと思います。焦げ臭い!石油ストーブでボヤ騒ぎ決定的なことが起こったのは、父の気になる行動が増えて、いよいよ私と母も父のことが心配になり始めていた初冬のことでした。寒くなってきたのに、夏のシャツで外に出て散歩していたり、話しかけても聞こえていないようにぼんやりしていたり……。お風呂上がりに、バスタオルと間違えたのか、足拭きマットで体を拭こうとしていたこともあります。母も「お父さん、もしかしてボケ始めてるんじゃないかしら」などとこぼすことが増えて、不安が募りました。そんなある日、パート勤めから帰ってきた母が、家の中から焦げ臭いにおいがするのに気付きました。11月下旬ごろで、急に寒くなってきたため数日前に石油ストーブを出したところでした。慌てて母が見に行くと、火のついたストーブのすぐ前に取り込んだばかりの洗濯物が積まれていて、近くの服が焦げ始めていたのです。あと少し母が帰ってくるのが遅かったら、火事になっていたと思います。しかも、父はストーブを消すこともせず、家のドアに施錠もせずに、ふらりと外へ出て行ったままでした。早急に病院で検査、要介護認定へ事の重大さに気付いた母は、父を病院に連れて行き、検査をしてもらうことに。そこで父の認知症が判明したのです。父はまだ60代でしたが、10年ほど前に軽度の脳梗塞を発症したことがあるため、医師の話ではそれがきっかけで進行の早い認知症になっていたとのことでした。あやうく火事未遂になり、母は心臓が縮むような思いをしたようです。これ以上、父を日中家にひとりきりにさせられないと感じたのです。父の認知症を認めるのはつらかったと思いますが、早急に役所や父のかかりつけの病院に相談に行き、要介護認定を受けることができました。その後、父の施設入所が決まりました。まとめ気付かないまま父の認知症が深刻になる前に、早めに父を施設に預けることができて、結果的によかったと思います。介護施設で手厚く見守ってもらえて、おかげで私たちも安心して過ごせています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。文/雪田みゆ子イラスト/おんたまウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月21日父ががんで亡くなるとき、新型コロナウイルスの蔓延で病院に受け入れてもらえず、最後は自宅で介護をすることになりました。実際の家での介護は想像以上に厳しい環境です。家で介護をする際にいろいろ環境改善を試してみましたが、特に役に立ったものを紹介します。病人の声がなかなか聞こえない家族で自宅介護をしていて大変だったことはたくさんありますが、一番問題だなと思ったのは、病人の声が届かないということでした。介護ベッドの上の父が、何かしら用があって母のことを呼んでも、声もほとんど出ない、音を立てる体力もないので誰にも気付かれないような状態になってしまうことが何度もありました。介護ベッドは1階の部屋に置いてあったのですが、同じフロアの別の部屋にいても父の声はまったく聞こえません。声を出して叫んでいる父もそのたびに体力を削られました。それ以降、母が近くにいる、もしくは物音を立てずに1階の別の部屋にいるということになったのですが、あまりにも負担が大きく、また、眠ることもほとんどできなくなったため母の体力も限界に近くなってしまいました。そこで、私は父のベッド周りの環境を見直してみることにしました。自宅介護の必須アイテム「呼び出しチャイム」いろいろやってみましたが、一番役に立ったのは「呼び出しチャイム」の導入です。呼び出しチャイムは、本来、後付けできる玄関用のチャイムです。本体と子機がセットになっていて、本体のボタンを押すと子機からチャイム音が流れます。子機は、壁のコンセントに挿しておけばすぐに使え、電池はいりません。わが家では、子機を追加で1台購入して、1階のリビングと2階の廊下のコンセントに挿し、一番大音量でチャイムが鳴るように設定しました。病人は指で押す力も弱く、いちいち探すことも大変なので、介護ベッドのフレームにパスケースに付いているような伸縮性のある長いリールを結び、その先に呼び出しボタンをくくり付けたものを父の手元に置いておくようにしました。これだと、父もすぐに押すことができ、もし落としてしまうことがあってもすぐに引っ張り上げることができます。これで、父がベッドでボタンを押すと家中にチャイム音が鳴り、近くに誰もいなくても、誰かが必ず気付くという環境ができました。介護する側もされる側もラクにチャイムを導入して、家の環境は大きく変わりました。誰かが四六時中父の近くにいる必要がなくなり、夜は、誰か1人が起きていればいいので毎日母はきちんと眠ることができるようになりました。介護される側の父も、誰かを呼び出したいときにすぐに来てもらえるようになったので体力の消耗もなくなり、体調は安定状態になりました。チャイム1つでここまで変わるのかといったくらいの変化で、本当に導入してよかったと思えたものの1つです。まとめ介護は想像する以上に過酷な環境です。「人を呼ぶ」という普段当たり前にしているコミュニケーションですが、それが体力的にできなくなっていくとき、スムーズにコミュニケーションを取り続けられるかどうかで、その後のストレス量が大きく変わっていくと感じました。介護する側もされる側も、できる限り穏やかに日々を過ごせるような工夫が必要だと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/大木玲イラスト/やましたともこウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月20日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。義母が積極的に動かなくなってしまい、介護の負担は増すばかり……。なんとかならないものかと、何げなく介護福祉センターからもらった資料を眺めていると、そこに「要介護区分の変更」という一文を発見! これだと思い、早速手続きをしたところ、運良く訪問調査員がすぐに来てくれて、前回よりも悪化している状況をわかってもらえました。心身ともに、もう限界…!ある日、義母から食事に出したゆで卵はいつのものか聞かれ、先週買ってきたものだと答えると、それがあたって気持ち悪くなったと言われました。賞味期限まではまだ4日もあるのに……と、納得できずにいると、納戸の中にヨーグルトを発見……。どうやら、義母の中では冷蔵庫と納戸は同等みたいです。朝、義母の部屋に行くと、ちょうど着替えているところでした。勝手に手を出すと怒るのに、何もしなくても怒られるなんて……。そういえば、息子には最近の出来事を話していませんでした。想像力豊かな息子には、きつかったみたい……。ごめんね。すかさず夫がフォローに入ります。※王子:まる子さんの息子心身の限界を感じ、地域包括支援センターへ向かうために予約の電話を入れました。あれ? 担当者によって言うことが変わっている……?早速、義母への聞き取りがスタート。よかれと思ってしていることも、「大きなお世話」になっているなら、もう私は頼まれたこと以外はやらないと決めていました。でも、義母にとっては「大変なところは察して助けて」となるようで、結局を文句を言われてイライラしてしまいます。さすがにもう限界! ……そう思い、夫とともに地域包括支援センターへ行くことにして、予約の電話を入れました。その日はたまたま担当者がお休みとのことで、いつもと違うスタッフに話を聞いてもらったところ、なんだかトントン拍子に話が進んで、すぐに居宅介護支援事業所から担当者が来ることに。義母はドヤ顔ではって生活していることを話しましたが、聞いていた担当者は絶句……。今の状況を見ると「要介護2」に相当すると思うと話してくれましたが、ちゃんと認定が下りるまでは少し控えめのケアプランを立てることになりました。今困っているのはトイレとお風呂、そして洗面所までの移動。これが解決して、最低限の生活ができるようになればいいなと思います。--------------いつもと違う担当者だと、話が通じなかったらどうしようと不安になるかもしれませんが、まる子さんのように逆に話が進むこともあるかもしれないと思うと、とにかくいろいろな人と話をするのもいいかもしれません。介護区分が変更になって、大きな負担にならないようにサポートが受けられるといいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年01月11日私は夫と義母と3人で暮らす、アラフォーの専業主婦です。以前は介護施設でヘルパーの仕事をしていましたが、結婚を機に退職。今は義母の介護に追われる日々です。義母の介護を押し付ける夫私が介護の資格を持っているからか、夫は義母の介護を当たり前のように私に押し付けます。平日は、「残業だった」と言って夜遅くに帰宅し、土日も夫が家にいることは少なく、理由をつけてどこかへ出掛けていきます。そして、私が何か意見をすれば、「こんな高級マンションに住めているのは誰のおかげなんだ」と怒ります。義母との仲は良好ですが、私を気づかってくれない夫にはうんざりしていました。義母の遺書に書いてあったことある日、義母が高熱を出し、私はずっと側で看病をしていました。しかし夫は、「接待ゴルフだから」と言って朝早くから出掛けたのです。私は「信じられない」と思いながら、義母の看病を続けました。すると、義母があまりにも苦しそうな表情をしたので、私はすぐに救急車を呼び病院へ。病院で診てもらうも、すぐに義母は息を引き取りました。私は急いで夫に連絡をしたのですが、「お義母さん今息を引き取ったよ…」「お前帰ったら覚悟しとけよ」「え…?」私は夫が何を言っているのか理解できず……最初は義母を亡くしたショックが大きいのだろうと思いました。しかし、夫は「5千万円の遺産のことを知っていたのだろう」と言い、義母の遺書に、遺産はすべて私に譲ると書いてあったことがわかったのです。夫は「ふざけるな」と怒り狂い、いろいろな話を持ち出して私を責め立てました。その勢いで、この日は接待ゴルフではなく、浮気相手と一緒だったことも暴露したのです。夫と立場が逆転その後、遺書に書いてあった通り、遺産はすべて私がもらい、夫からは慰謝料をたっぷりもらって離婚しました。私は実家に戻り、両親のために実家をバリアフリーに改装しました。その一方で、高級マンションに住む夫は、アパートへ引っ越したようです。その1カ月後、私は実家の近くの介護施設に就職が決まりました。毎日、「天国にいる義母はどうしているかな」と考えながら、介護の仕事に励んでいます。--------------これまで義母に尽くしてきた恩返しが、意外な形で届きましたね。施設の人だけでなく、天国の義母からも、「毎日一生懸命介護してくれてありがとう」と言う声が聞こえてきそうですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年01月04日家族の介護をするのは当たり前だと考えていましたが、それが現実になるとすごく大変でした。祖母と祖父の介護を家族と一緒にしたことで、介護の大変さをわずかながら学ぶことができたのはとても良い経験だったと思います。そんな私の体験談です。自分ではない人を支える大変さ私が学生時代、祖母が急病で倒れてしまいました。当時はまだ学生だったので、完全に介護だけに集中することは私自身はできません。そのため、母と父が中心となって介護をしていました。私は授業が終わればすぐに帰宅して母と交代し、祖母の介護をできるだけ手伝っていたのを覚えています。祖母は下半身が動きにくくなってしまいベッドで横になっていることが多かったので、私はトイレの介助や立ち上がって移動する際の支えになるなど、主に負荷が少ないものでした。とはいえ、やはり自分以外の体を考えてあれこれと気をつかうのはとても大変です。母と父は交代で祖母の介護をしていましたが、夜などは特に大変だろうと感じました。自分の祖母といっても、やはり自分の体を自由に動かせなくてイライラしている人の介護は疲れます。家族だからこその甘えもあるのかもしれませんが、介護をされる現実を受け入れられずに傷ついているのだろうと考えると、祖母にひどいことを言われてもなかなか注意ができないことも……。祖母の後は祖父の介護が祖母の介護を手伝っている間に私は社会人になったのですが、その数年後に祖母が亡くなりました。それから数年後、今度は祖父が病気になって介護が始まったのです。祖母よりも自分で体を動かすことができるだけラクでしたが、母も父も大変そうでした。私自身は会社の仕事と介護の両立をするために忙しく、介護疲れでイライラしてしまうことも。家族の皆が疲れている状態だったので、家の中がぐちゃぐちゃだったことを覚えています。介護からの解放祖父が少しでも回復できるように食事にも気を付けて、動けなくなったときには夜中も交代で介護をしてトイレや食事の介助をしていた状態がずっと続きました。仕事と夜中の交代での介護、家族皆が協力をしているので自分ひとりが疲れているからといって休むこともできません。数年ほど続いた祖父の介護は、祖父が亡くなるまで続き、葬儀後には家族全員がぐったりしていました。祖母が亡くなったときも、祖父が亡くなったときも寂しさで涙が出ましたが、大変な介護から解放されたという感覚もあったことを覚えています。まとめ実際に介護を経験してみて、「介護は家族の精神を消耗する」ということがわかりました。ですが、介護をすることで小さいころは頼れる大人だった祖父母が今度は私を頼ってくれるのがうれしかったという思いもありました。家族がきちんと祖父母の介護に向き合えたので、いろいろとしてあげたかったという思いは今でもあるけれど後悔はしていません。祖父母の介護を通じて、改めて「介護は他人事ではない」と感じました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/黒川涼音ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月04日日々の生活に介護と育児の両立は、私にとってまるで綱渡りのような挑戦でした。私が体験した介護と育児のダブルケアの現実を率直にお伝えします。認知症と診断された父私の父が少しずつ日常生活に不安定さを見せ始め、医師から「認知症」の診断が下された瞬間、私たちの日常はがらりと変わりました。父は頼りにしていた存在であり、その変化は私たち家族にとって衝撃的でした。私は当時、小さな子どもを育てていました。育児自体が大変なのに、さらに父の介護が加わり、ストレスは日に日に増していきました。日中の育児、夜間の父のケア、そして仕事……。すべての責任を背負いながら、心身ともに疲弊していく過程がつらかったことを覚えています。介護と育児のダブルケア介護の道はトラブルや困難がつきものでした。施設探しの際には、安心できる場所を見つけることに難航しました。また、父の認知症の進行に伴う行動の変化や、医療面での問題にも直面。しかし、これらの問題に向き合い、解決策を模索することは、家族としての成長をもたらしました。困難な状況の中で、家族の絆も強化されたように感じます。兄弟姉妹や夫との協力が、私たちの日常を支えてくれました。認知症の父に対する理解と、子どもへの愛情を分けることは、私たちにとっての生きる力でした。最後の別れ父の最期が訪れた日は、私たちにとって忘れられない瞬間でした。病室には静けさが広がり、ただ時が過ぎるのを待つばかりでした。父は静かに息を引き取り、その瞬間、部屋には穏やかな平穏が広がったのです。私たちは手を取り合い、感謝の気持ちと深い悲しみに包まれました。父が苦しむことなく、家族の中で安らかに旅立てたことに、心からの感謝を捧げました。長い介護の道のりが終わり、父は苦しみから解放されました。その後、家族で父の遺体を整え、最後のお別れの準備をしました。心から感じる悲しみがありながらも、父への愛情と尊敬の気持ちが満ちていました。父の最期をみとることができたことは、家族全員にとって大きな誇りでした。葬儀の日、親戚や友人、父の友人たちが集まり、父の人生を称える言葉や思い出を分かち合いました。私たちは共に涙を流し、笑顔を見せながら、父の人生を祝福したのです。父が私たちに残してくれた思い出や教訓を胸に、私たちは前向きに生きる決意を固めました。まとめ介護と育児のダブルケアは大変な道のりでしたが、家族の絆とサポートが私たちを支えました。困難に立ち向かうことで、新たな力を見つけることができました。同じような状況にいる方々へ、希望と勇気を届けられたらと思います。文/桜井美咲※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年12月20日がんになっても元気に過ごしていた父ですが、あることをきっかけに一気に病状が悪化。ホスピスにも受け入れてもらえず、病院に入院することもできず、突然の自宅介護生活が始まりました。本人も家族も本当に過酷だった1カ月間の話です。がんでも元気だった父が一気に悪化父は3、4年ほど前にスキルス胃がん(胃壁を硬く厚くさせて広がっていくタイプの胃がんで、進行が早いと言われる病気)のステージ3と診断されました。運良く消化器系のがん治療の世界的権威とされる先生に出会い、治験(病気に効果が期待できる薬の候補を用いて国の承認を得るための成績を集める臨床試験)による最先端の先進医療を受けることで、それまで通りに会社に通い、隔週の通院のみという生活を続けてきました。スキルス胃がんは生存率が低いがんと言われていましたが、父は一度手術をしたのみで、その後は本当に元気なままでした。しかし、コロナ禍の影響で海外の製薬工場で治療に必要な薬の生産がストップし、突然輸入されなくなってしまいました。薬を変更しましたが、それを機に父は一気に悪化。仕事をし、スポーツなども適度にしていた父ですが、そこからは一気に死に向かいました。ホスピスにも病院にも受け入れてもえない父は元々、最期は治療を受けていた病院のホスピス(死が迫っている患者とその家族の苦痛を最小限にすることを目的とするケア)に入る予定でした。しかしこんなに早く悪化するとは誰も予想していなかったため、まだ予約は取っていませんでした。コロナ禍の影響を受け、同じような立場の人が多くいるらしく、他のどのホスピスをあたっても空きはなし……。空いてもすでに予約で埋まっているとのことでした。どうしようもなくなり、病院側は移動による父の体の負担を考え、自宅の近くの大きな病院に紹介状を出しました。しかし、実際に行ってみるとそこも新型コロナウイルスの影響で満床。もはや絶体絶命となり、最終的には消去法で「自宅介護」となってしまいました。想像を絶した自宅介護自宅介護は、現実的には想像を絶するくらい家族の負担が大きく、うちは家族全員が休職しました。介護が始まるまでの数日間は分単位でタスクがあり、常に来訪者があるような状況。忙し過ぎて、そのときの記憶があまりありません。介護が始まり、毎日のように業者やケアマネジャーさん、看護師さんなどが訪ねて身の回りのことをやってくれましたが、1日のほとんどの時間を家族が診て、栄養を少しでも多くとらせ、マッサージや排泄の世話などもしなくてはいけません。父を移動させる際も毎回母が背負っていくなど、身体的負担も大きくありました。薬が使えなくなってから1カ月ほどで父は逝きましたが、骸骨のようになっていきながらも、ホスピスのような手厚い介護、穏やかな時間の中で逝けなかった本人もつからったと思います。現に最期の数日は、声を絞り出して「点滴をしてほしい」と伝え、看護師さんに何度も来てもらっていました。また、病院と違い、死亡確認に医師を呼ぶこと、死後の手続きやケアも自分たちでやらなくてはいけないことも家族の心の負担になった気がします。まとめ周りの人は、「自宅介護にしてくれてよかった。そのおかげで最期に会えた」と言ってくれましたが、当事者の立場からすると、やはりそのようなきれいごとにはなかなかなりません。本人が間違いなく最期まで苦しんだこと、介護をする家族は体を壊すくらいの負担があったこと、喧嘩も多発したこと……やはり、「これでよかった」とは思えないのが正直なところです。手厚い緩和治療を受けながら穏やかに逝ってほしかったというのが本音です。最大のミスは、まだ先だと思い込み、ホスピスの予約をしていなかったこと。「まだ先」という考えの甘さが今回の事態を招いてしまったと感じます。とはいえ、慣れ親しんだ自宅で最期を迎えられたので、そこだけは父も満足してくれたかもしれないと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。文/大東礼ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年12月19日皆さんは、家族の介護をした経験はありますか?今回は義家族の介護を押しつけられた女性のエピソードと、感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!介護を手伝わない父両親と姉と暮らす4人家族の主人公。母は看護師として、夜勤のある生活を送っています。そんなある日の出来事です。父が突然、主人公にとっては祖母である父の母と一緒に暮らすことになったと言ってきました。祖母は思うように体が動かなくなっていたため、介護が必要な状況でした。母は祖母の介護のため、夜勤のない病院に転職するのですが、仕事をしながら介護をする忙しい日々に母はだんだん痩せていってしまい…。母からは笑顔が減っていって…出典:エトラちゃんは見た!主人公や姉も介護を手伝いますが毎日手伝うことはできず、母からは少しずつ笑顔が消えていきました。そして主人公が高校生になった年に、祖母は息を引き取ります。祖母との別れを悲しみながらも、母の負担が減ることに安堵する主人公。しかし次は父の兄が病気になり…。「介護には女手が必要だろう。親族で女手があるのはウチだけなんだ」と母に押しつける父。父は相変わらずまったく手伝わず、苦労が絶えない母なのでした。読者の感想介護はする人にとっては大きな負担ですよね。それが自分の親族ではなく義家族なら、精神的な負担はさらに大きいものになると思います。(30代/女性)父の家族なのにもかかわらず、まったく手伝わない父に怒りがわきました。介護は抱え込んでしまいがちですが、つらいときはつらいと声をあげて、周りの人を頼ってほしいなと思います。(40代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2023年12月18日皆さんは介護の経験はありますか?今回は老人介護施設にまつわる物語とその感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!入居者の女性が弱音を…主人公は老人介護施設で働いています。そこへ1人の新人が入ってきたのですが、言葉遣いが丁寧ではないため、主人公はいつもハラハラしながら見守っていました。そんなある日、主人公がお世話をしている入居者の女性が、体調を崩した後から急に弱音を吐くようになってしまったのです。女性を励ましたのは意外な人物出典:エトラちゃんは見た!主人公が優しく声をかけても、女性は寂しそうに俯くばかりです。しかしそんなある日、例の新人が女性のお世話をするために部屋に入ってきました。そして女性がいつものように「私はもうダメなんだね」とポツリと呟いたときです。新人は「100歳を超えてるんだから、体にガタが来てあたりまえじゃないですか」と返事をしたのです!そんな返答が帰ってくるとは思わず、主人公と女性は固まってしまうのでした…。読者の感想新人のまさかの言葉に、女性がこれ以上落ち込まないか心配になりました。あまりにもまっすぐな言葉で、ショックを受けてしまいそうですね。(30代/女性)新人教育は相性もありますが、難しいことが多いですよね…。こんなことを言われたら、誰でも驚いて呆然としてしまいそうだと思いました。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(愛カツ編集部)
2023年12月14日夫の母が認知症になりました。1人暮らしをしていたのでわが家で引き取ることになったのですが、ガラリと生活環境が変わってしまいました。慣れるまではとても大変で、私自身がうつ病になってしまう寸前に。そんな私のお話です。まさか義母が…夫の母親は1人暮らしをしていて、とても元気な人でした。畑仕事をしながら週に2日、スーパーのお総菜屋さんでパートをしていたのです。ひとりでも幸せに暮らしていたので、まさかそんな人が認知症になるとは思ってもいませんでした。義母が近所を徘徊(はいかい)していることを近所の人が教えてくれたとき、すでに認知症は進行していたことを知りました。いつの間にかパートも辞めており、畑も荒れ放題になっていたのです。定期的に訪問していなかった私たちも悪かったと思います。ひとりで生活させることは難しいと判断し、すぐにわが家で預かることになりました。認知症とはいえ、おばあちゃんがわが家にやって来たことを私の子どもたちは喜んでいたものです。正常なときには、子どもたちにとてもやさしいおばあちゃんだったからです。周りの助けが必要最初は気が張っていたからなのか、義母は正常な状態が続き何も問題がありませんでした。徘徊されるのは困るので、出掛けるときは必ず家族の誰かと一緒に出掛けることにしていました。子どもたちと近所を散歩することもあったのです。ところが、数カ月たったころ、義母の言動がおかしくなってきました。ごはんを食べたのに「まだ食べていない」と言ったり、ひとりでフラフラと外へ出て帰り道がわからなくなったりしてしまったのです。次第に家族だけでのお世話は難しい状態になっていきました。精神的に追い込まれる日々精神的に苦痛になったのは私でした。うつ病になってしまうのではないかという状態で、周りからも心配されたので、親戚や友人などに相談することにしたのです。自治体にも相談しました。今の時代、手助けしてもらえるさまざまな機関があります。教えてもらったところには片っ端から相談して、いろいろな支援を受けるようにしたところ、ずいぶんとラクになりました。私自身の心と体を休ませることができるようになり、うつ病にならずに済みました。まとめ家族の誰であっても、介護をすることになったら環境も大きく変わって大変です。ひとりで全部を抱えることはできないと痛感しました。家族はもちろん、身近な親戚や友人、知人なども巻き込んで助けてもらわないと、自分自身が倒れてしまうと感じました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/みんみんるんるんウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年12月08日介護にまつわる費用負担を軽減してくれる介護保険は、デイサービスや訪問介護サービスなどのほか、要介護者が安全に暮らすために住宅に手すりを付ける工事などでも利用することができます。数年前、私も介護保険を利用して母のために家に手すりを付けました。すると、母に思いがけない変化が……。このときのことをお話しします。もう待てない。言うこと聞いて!当時、母は紙パンツを嫌がって使用しておらず、ポータブルトイレ(持ち運び可能な簡易型トイレ)も拒絶。いつもふらふらしながら、母の部屋から少し離れたトイレに歩いて行っていました。調子が悪いときには、立ち上がれずに赤ちゃんのようにハイハイして向かって行きます。「もう手すりを付けないと、母はひとりでトイレに行けなくなる」と感じた私は、母に介護認定を受けてもらい、介護保険を使って早く手すりを付けたいと思いました。しかし母は「介護認定など必要ない」と、まったく聞く耳を持ちません。介護保険を使うにはまず介護認定を受ける必要がありますが、これから先の介護には、いろいろとお金がかかります。とにかく介護認定を受けてもらおうと、兄とともに、何度も何度も母を説得しました。その結果、しぶしぶですが、何とか母の了解を得ることができました。母の生活を180度変えた、手すりの力母の介護認定の結果は要介護2でした。早速、介護保険の住宅改修を使い、母がトイレに行くときのために、台所、廊下、洗面所、トイレの中に手すりを付けてもらいました。母の部屋の中の手すりは置くタイプです。さらに庭に出るための階段付きの手すりもレンタルしました。工事を伴わない移動可能な手すりは福祉用具貸与で、要介護2の場合は車椅子のレンタルも可能になるので、こちらもレンタルすることにしました。すると、あれほど介護認定や、手すりなど必要ないと拒絶していた母の態度が180度変化したのです。初めて手すりを使ったときの母のセリフは忘れられません。「ラクだねー、ラクだねー、お前が付けてくれたの? ありがとう」と、満面の笑みです。また、しばらくすると何年も屋内にこもりきりだった母が、手すりをつたって庭に降りるようになりました。さらに驚くことに、「車椅子があるから、どこかにお出かけしたい」とまで言うようになったのです。今まで何度誘っても、外出したがらなかったのに。もしかしたら、移動の不自由さや大変さをうまく私に伝えられなかっただけで、外に出たくなかったのではなく、出られなかったのかもしれません。私だけ? 介護保険はチンプンカンプンしぶる母を説得して介護認定を受けたかいがありました。今では手すりを使ってトイレに行くことが、母の毎日の運動にもなっています。現在は、要介護2から3に介護度が上がって、常時紙パンツをはいていますが、自分で手すりにつかまりながらトイレに行けるということは、母のプライドを保ち、また在宅での生活を可能にし、私の負担も減らしてくれています。ただ、初めて介護保険の相談をして感じたことは、素人には介護保険の仕組みを理解するのはとても難しいということです。今回の住宅改修にしても、介護保険外サービスになりますが、介護予防住宅改善というサービスもあるようでした。また、手すりも固定ではなく移動可能なものとなると、福祉用具として貸与できます。ケアマネジャーに詳しく説明を聞き、介護サービス利用の手引きをよく読み込まないと、理解できないことも多くありました。そして、仕方のないことですが、手すりを使える状態になるまでに、自治体への申請手続きなどがあり、自費での工事よりはるかに時間がかかります。これを高齢になってから利用しようと思うと、なかなか大変かもしれないと感じました。まとめ両親が安全に生活できるように、早く手すりを付けようと私は一生懸命でした。それなのに両親の強い拒絶にあって、「勝手にして!」と思ったこともありますし、本人たちの言うように、手すりも介護認定も必要ないのかと自信をなくしたときもあります。介護保険は素晴らしい制度ですが、時間もかかりますし、利用するほど金銭の負担も増えます。それでも、要介護2の時点で手すりを付けられたから、母は転倒もせず、寝たきりにもならずに済んでいるのではないかと思っています。介護される母、介護する私も、ともに介護初心者。周りの方の助けを借りながら、母には1日でも長生きしてもらいたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年12月05日しんしんと雪が降り続く、福井県の冬。女ガキ大将だった白鹿むくは、祖母、母、自分、妹の女4人の家で、祖父の介護を常とする「ヤングケアラー」として青春を過ごしてきた。そんな生活が、何年も、何年も続き、自分のやりたいことも、自分の性格さえも見失っていたある日、電車で出会ったのは、やたら背の高く陰気でオタク喋りな男。彼との出会いが、むくの運命を「二度」変える――10年越しに出会う、幼なじみとのピュア&ヘビー・ラブストーリーを全12回でお届け!ぜひ書籍とあわせてお楽しみください。◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら<<前回のお話はこちらいのりの進路が勝手に決められそうになっているところを止めたむく。しかし、むくの思いは祖母と母には伝わらず……。続きは、書籍ならすぐお楽しみいただけます!(漫画:『この雪原で君が笑っていられるように』ちづはるか(小学館)より一部抜粋/マイナビウーマン編集部)(C)ちづはるか/小学館◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら『この雪原で君が笑っていられるように』ちづはるか(小学館)10年後×幼なじみヘビーラブストーリー!しんしんと雪が降り続く、福井県の冬。女ガキ大将だった白鹿むくは、祖母、母、自分、妹の女4人の家で、祖父の介護を常とする「ヤングケアラー」として青春を過ごしてきた。そんな生活が、何年も、何年も続き、自分のやりたいことも、自分の性格さえも見失っていたある日、電車で出会ったのは、やたら背の高く陰気でオタク喋りな男。彼との出会いが、むくの運命を「二度」変える――10年越しに出会う、幼なじみとのピュア&ヘビー・ラブストーリー!小学館:
2023年12月01日皆さんは、家族とトラブルになった経験はありますか?今回は「親の介護」にまつわる物語とその感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!親の介護主人公は妹と差をつけられ、母と妹に邪魔者扱いされて育ちました。しかし今は家を出て結婚し、幸せな生活を送っています。母と妹は大人になっても変わらず、主人公に対して冷たい態度をとりました。そして妹は主人公に「もう家に関わってほしくない。財産は私が引き継ぐかわりに、両親の面倒は見る」と言ったのです。主人公は妹の言葉に同意し、誓約書も作られました。そして数年後、主人公のもとへ親の介護に困った妹から電話がきたのです。主人公が実家へ行くと、部屋にはゴミが散乱し、ひどい有様で…。怒る妹出典:エトラちゃんは見た!妹は「親の面倒を見て!」と、主人公に親の介護を強制してきたのです。しかし主人公は冷静に、妹が親の介護をすると言ったこと、誓約書を書いたことを伝えました。さらに主人公は、今まで助けてくれなかった親や妹を助ける気はないと告げます。主人公は妹の言動に呆れるも、最後にケアマネジャーを手配するのでした。読者の感想妹は身勝手だと感じました。今までつらい思いをしてきた主人公のことを考えず、親の介護を強制しているように思えます。主人公が冷静に対応できていてよかったです。(20代/女性)主人公の冷静な反論にスカッとしました。今まで散々な扱いをしてきたのに急に頼ってくるのはひどいと思いました。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2023年12月01日肝臓がん末期の父の介護と2歳、5歳の子どもの育児が重なり、ダブルケア状態になってしまいました。私は専業主婦で、育児も介護もするのが当然という親戚からの目があったのです。そんな私のダブルケアの体験を紹介します。子育てで大変な中で父の病気が判明専業主婦だった私は、2歳と5歳の育児で追われていました。5歳の長女は幼稚園に通っていたものの、2歳の長男は特に手がかかり毎日育児と家事で1日が終わってしまうような毎日です。そんなときに父の体調が悪くなり、検査をしたところ肝臓がんステージ4で、大腸などの全身にがんは転移している状態でした。父は入院しましたが、大の病院嫌いで、家に帰りたいと訴えてきます。母は持病があり、介護の負担はできない状態でしたが、父と一緒にいたいと言うのです。自宅介護に切り替えるもなんとか両親の望みをかなえてあげたいと、自宅での介護に切り替えることになりました。母と私で介護が可能なのか、私は小さな子どもを抱えながらすべてのケアをできるのか不安もありましたが、もうやるしかない状況だったのです。まず私は、地元の地域包括支援センターに相談し、具体的に得られる支援を確認。子どもの預け先に関しては別窓口で連携しておらず、すぐに対応してもらえずもどかしい気持ちを覚えました。介護自体は専門知識もない私たちだったので、訪問診療と訪問介護を利用することに。介護保険の申請をおこない、ケアマネジャーさんの決定、介護用品のレンタルなど、その後はスムーズに進みました。ケアマネさんをはじめ、ヘルパーさん、訪問看護師さんなどの助けが本当にありがたかったです。介護と育児を終えて父の自宅介護を決めてからは毎日バタバタしていて、2歳の長男の育児はその間ベビーシッターさんに任せました。実家と家との往復で大変だった私に同居を提案してきたのは夫です。同居にしたため、介護を要件として子どもたちは認可保育所に無事に入ることができました。子どもたちの送迎は夫、私は父のケアや母の病院の付き添い、家事などで忙しかったですが、子どもが保育園に行っている間は、家事と介護ができるので、預けて本当によかったと思っています。介護ケアと保育園なしに、父のみとりは難しかったです。父はがん告知から約1年で亡くなりました。ダブルケアは簡単なものではなく、いろいろな人の助けがあって初めて成り立つものだったと思います。まとめ急にダブルケアの状態になってしまった私ですが、すぐに行政に相談し、受けられるサービスはすべて利用しました。子どもをどこにも預けず、介護もすべて自分でやるのは困難です。介護も育児もプロに任せて、自分ができることに注力すれば、満足できるダブルケアができると思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。文/小林友里子マンガ/山口がたこウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月30日義母が糖尿病で入院することになりました。そこから始まった義母の介護についてお話しします。ほぼ寝たきりの状態に義母は、突然血糖値が上がりました。それにより脱水症状がひどくなり、意識はもうろうとした状態に。ほぼ1週間寝て過ごしていました。おむつを替えるだけでもひと苦労入院中、義母は常におむつを装着する状態になってしまい、私よりはるかに体格が良い義母のおむつを、日に何度も替えることになりました。思い通りにおしりを上げてくれるわけではないので、体をあっちに向かせたりこっちに向かせたり、本当におむつ1つを替えるだけでも重労働でした。一筋縄ではいかない介護ごはんの時間は、ずっと寝ていたのでベッドを起こしても、また横になろうとするので、座らせるだけでひと苦労です。インスリンを打った後からの食事なので、ごはんを食べないといけないのですが、思うように口を開けてくれず、これまた大変で……。私は3人の子どもの育児をしてきましたが、義母は体格が良いし頑固な性格もあり、義母の介護は一筋縄ではいかないことだらけでした。まとめ介護をする上で、おむつを変えることも食事の介助をすることも、着替えをさせることも本当に大変です。さらに、床擦れしないように数時間ごとに体勢を変えてあげないといけないので、本当に心身ともに休まらず……。きちんと自身のケアもしないと、介護する側がダウンしてしまうものだと思いました。(30代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月30日私の父は、2年前にステージ4の胃がんと診断されました。コロナ禍で父を自宅でみとった私の体験談です。手術するも再発ステージ4の胃がんと診断された父は、その後手術で胃を全摘出しました。思うように食事ができず、体重は10kgも落ちました。それから1年半後、再発した父。もう手術はせず、抗がん剤もやめて免疫療法に切り替えながら自宅で過ごすことにしました。「最期は大好きな家で過ごしたい」という思いが父の希望でした。父の最後の願いをかなえたい父の希望をかなえるため、訪問診療と訪問看護に切り替えました。医師や看護師さんと一緒に皆で父を支え、情報を共有し合う毎日が続きました。しかし、在宅の診療ではできることが限られているので、何度も病院に入院させようと考えたことも。でもコロナ禍だったこともあり、「今入院させたら、面会はおろか病院で息を引き取ってしまうかも……それでは父の願いが果たせない」と思い、皆と相談した結果このまま自宅で過ごすことにしました。父の死を自然に受け入れた瞬間父が亡くなる1週間前は、ろくに睡眠も取れないまま毎晩お世話をしました。さすがに体力の限界を迎えたある夜、苦しんでいた父の顔がふとやわらかい表情になり、顔の血色も変わったのです。「お迎えが来たのだ」と、父の死を自然に受け入れた瞬間でした。その後、父は皆に見守られながら静かに息を引きとりました。まとめ延命治療をせずに自宅で家族にみとられることを選択した父。静かに息を引き取ることは、本来の人間の姿のように感じました。私の友人の父親は、延命治療のためたくさんの管を体中に通して苦しみながら亡くなってしまったという話を聞きました。その話を聞くたびに、「私の父親はこれでよかった」と自分に言い聞かせています。(50代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月19日1人暮らしをしていた私の祖母が、アルツハイマー病(記憶や思考、行動などに問題を起こす脳の病気)と診断されたのは約10年前。祖母の自宅介護から施設入所までを経験した私のお話です。1人暮らしの祖母がアルツハイマー病に当時はまだアルツハイマー病の初期の状態で、たまに前後の事実関係がわからなくなったり、同じことを何度も繰り返したりするくらいでした。しかし、だんだんと症状が進行していくうちに1人暮らしがままならない状態になっていきました。それでも本人はずっとグループホーム(高齢者や障害者が支援を受けながら小人数で一般住宅で生活する施設)に入ることを嫌がっていて、家族も祖母の意向を尊重したいと思い、祖母は1人暮らしを続けていました。ひとりの生活に限界が見えてきて頻繁に祖母宅に様子を見に行くも、掃除は行き届いておらず、臭いも発生するように。私は早く施設に入所させたほうが祖母のためなのではないかと思っていたのですが、本人と家族の強い意向でかなわないまま。そうこうしているうちに、祖母の徘徊(はいかい)が始まりました。最初のうちはGPSタグを祖母に取り付けるなどして対策していたのですが、徘徊の回数も増えてきたので、それを機にようやくグループホームの入所申請をすることに。親族の反対を受け…ところが、せっかく入所できる順番が回ってきたにもかかわらず、親族が「祖母がかわいそうだから」と言って入所を見送ることも……。そのたびにグッと耐えて祖母の介護をしてきました。その後、ようやく祖母の入所が決まり、今ではグループホームで暮らすように。健康で清潔な日常を送っている祖母を見て、安心して面会に行くことができるようになりました。まとめ私は、家族を施設に入れることになっても、決して見捨てるということではないと思っています。私の親族のように、家族が介護をすることが当然かのうように思う人もいるかと思いますが、本人と介護者の負担を考えても、プロの力を借りることは重要な選択肢の1つだという考えが、もっと浸透してほしいと思いました。(30代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月07日最高に暑かった2023年の夏。90歳になる義母はデイサービスで週に2回お風呂に入れてもらっていたのですが、暑さのせいでおむつかぶれとあせもに悩まされました。そこであるアイテムを購入し、自宅でもシャワーをしてあげるようにしたところ、おむつかぶれやあせもが治まり、おむつの臭いも軽減しました。そんな私の体験談を紹介します。週2回の入浴では足りない義母はこれまでに2回脳梗塞(のうこうそく)を発症し、車椅子生活をしています。1度目の脳梗塞発症のときに、退院後に自宅でお風呂に入れるようにお風呂場に手すりを付ける工事をしました。そのおかげで、義母は手すりにつかまり家族の介助を受けながらなんとかお風呂に入ることができていました。しかし2度目の脳梗塞の退院後は手足の力も弱まり左半身のまひもあるため、とうとう湯船に入ることができなくなりました。そのため今はデイサービスで週に2回お風呂に入れてもらっています。あれから3年たちますが今までは週2回のお風呂で大丈夫だったのですが、2023年の夏はあまりの暑さのせいでおむつかぶれとあせもを発症してしまいました。ケアマネージャーに相談病院であせもの薬をもらって付けていたのですが、なかなか良くなりません。ケアマネージャーさんにも相談したところ、「シャワーチェアを買って土日に家でシャワーしてあげたらどうですか」と言い、使いやすいシャワーチェアを教えてくれました。シャワーチェアもいろいろなタイプのものがあります。車輪が付いていてそのままお風呂場へ移動して使える物もありますが、それはわが家にとっては高価なので、プラスチック製で軽く、持ち運びにも便利な折り畳み式のシャワーチェアを選びました。シャワーチェアを使い、シャワーでスッキリシャワーチェアが届いたので、早速次の休日にそれを使って義母をシャワーでスッキリさせてあげることに。そのシャワーチェアは両側に肘掛けが付いており、その肘掛けが直角に上に曲げられるようになっています。シャワー中、体を真っすぐに保つために肘掛けはあったほうが良いですが、車椅子からチェアに移動するときには肘掛けがじゃまになるので、この仕組みは便利でした。また座る部分の真ん中に溝があり、座ったままでもおしりのほうまで洗うことができました。シャワー後に素早く体を拭いてあげると義母もスッキリした顔をしていました。その後、あせもの部分に薬を付けて終了です。しばらくの間、土日のどちらかに自宅でシャワーチェアを使ってシャワーをしてあげることを続けたところ、おむつかぶれとあせもが良くなってきました。義母もかゆみがなくなったせいで、よく眠れるようになったようです。おまけにおむつの臭いも軽減されました。まとめ自宅介護ではできることに限界がありますが、介護のお助けグッズを使えばできることがぐんと増えると実感しました。今回は、シャワーチェアを購入したことで、義母のおむつかぶれやあせもも治まり、不快さを軽減してあげることができてよかったです。寒くなるとシャワーはできなくなると思いますが、また暑い時期には自宅でのシャワーをしてあげようと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ラベンダーミント(57歳)子育てを終え、今は義母の介護と仕事に忙しい毎日を送る主婦。日々の楽しみは、おいしいものや体に良いものを見つけてお取り寄せしたり、趣味の手芸でかわいいものを手作りすることにはまっている。
2023年11月02日現在90代の義母を介護しています。歯医者さんに入れ歯の調整で自宅に来ていただいたのをきっかけに、月に一度口腔ケアを受けるようになりました。口腔ケアを受け始めたら、入れ歯の調子も良くなり嚥下(えんげ)機能が改善したお話を紹介します。義母の入れ歯の調子が悪くなり…脳梗塞(のうこうそく)の後遺症で体の左側にまひがあり、食べ物を飲み込みづらくなっていた義母が、入れ歯を入れると痛いと言いだしました。そこで、入れ歯を作っていただいた歯医者さんに連絡して、家まで来て診ていただいたところ、飲み込む力が弱くなったせいでかむことが減り、歯茎の形が変わってきたとのこと。歯茎の形に合うように入れ歯の樹脂の部分を削ったり、樹脂を付け足したりして調整していただきました。そのおかげで、入れ歯を入れて食事をしても痛みなく食べられるようになったようです。口腔ケアを開始するそのとき、歯医者さんに口腔ケアを受けることを勧められました。なんでも口の中には細菌がたくさんいて、常に清潔にしておかないと病気の原因になることもあるのだそうです。それまでは義母に食事の後にうがいをさせるくらいだったため、早速、次の週から口腔ケアをお願いしました。まず入れ歯を取ってから、専用の柔らかいスポンジブラシで口の中の汚れをかき出していただきました。歯がなくなり歯の根っこだけが残っている状態の歯茎の中にも小さなごみがたまっているとのことで、小さなブラシでかき出します。さらに舌の上にも細菌がいっぱいあるとのことで、舌の上も舌専用ブラシでやさしくこすってもらい、最後に口腔用の濡れティッシュで口の中を拭いてもらいました。義母も口の中がスッキリした様子でした。口腔機能改善の効果も歯医者さんによると、口腔ケアをすることで唾液の分泌が良くなり、しいては飲み込む機能の改善にもつながるのだそうです。さらに、誤嚥(ごえん:食べ物や唾液が気道に入ること)の予防にもつながるとのことでした。また、口の体操も教えていただきました。まず大きな口で「あ・い・う・え・お」とゆっくり発音。これを10回繰り返します。さらに「パタカラ」「パタカラ」と50回ほど早口で繰り返します。先生によるとこの口の体操をすることで、のどの筋肉が鍛えられ飲み込む力が改善されるだけでなく、顔の血流も良くなって、脳にも刺激が伝わり認知症予防にもつながるのだそうです。まとめ最初のうちは週1回、半年たった今では月1回ずつ口腔ケアを受けていますが、そういえば最近義母が食事中にむせ込むことが少なくなったような気がします。脳梗塞の後は流動的な物しか食べられなかったのですが、半年たった今では、果物やトマト、かぼちゃ、じゃがいもなど柔らかい物ならかんで食べられるようになりました。今後も口腔ケアと口の運動は続けていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ラベンダーミント(57歳)子育てを終え、今は義母の介護と仕事に忙しい毎日を送る主婦。日々の楽しみは、おいしいものや体に良いものを見つけてお取り寄せしたり、趣味の手芸でかわいいものを手作りすることにはまっている。
2023年10月31日数年前に実家の父が急死して、要介護3の母が家にひとりになってしまいました。ケアマネージャーと相談してデイサービス、ホームヘルパーなどの介護サービスを利用しようと思いましたが、本人が嫌がりました。父が急に亡くなって、母もショックを受けているのだろうと思い、私がしばらく同居することに。結局、私は同居に疲れ果てて家に帰るのですが、その原因は……。夜中に大音量でテレビを見る母と眠れない私母が要介護認定を受けていることはもちろん承知していましたし、同居する前も毎日のように実家に通って家事を手伝っていたので、自分では母の状態をほぼ理解しており、うまくやっていけると思っていました。しかし24時間一緒にいるとなると話はまったく別だったのです。母は昔からテレビが大好きで夜更かしタイプでしたが、同居を始めたときには昼間はうつらうつらしていて夜になると起き出すという完全な昼夜逆転生活になっていました。聴力もかなり低下していて、テレビの音量をどんどん上げてしまい、気付いたら音量が90を超えていたということもしばしば。ただでさえ、同じことを何度も聞かれたりささいなことで何十回も呼ばれたりしてイライラしていた私は、昼夜を問わず大音量のテレビの音を聞かされて、ますますイライラするようになりました。2階で眠っていても、夜中に目覚めた母が急に大音量でテレビをつけて、何度も起こされます。せめて昼間はデイサービスを利用してほしいと思っても、母は外に出たがりません。ひとまず、私の睡眠不足を何とかしなければ。そう思ってネットで調べてみると、高齢者の音に困っている人のためのスピーカーがあることを知りました。私は、早速近くの電器店に行きました。高齢者向けテレビスピーカーを購入全国展開している大きな電器店に行ってみると、目的のスピーカーはフロアの隅のほうに何種類か置いてあるくらいで、一度は通り過ぎてしまいました。あまり需要がないのかな?などと考えつつ売り場を見てみると、Bluetoothで連携するものやコードのあるもの、首に掛ける形状のものなどがありました。価格も数千円から数万円とさまざまです。電器や機械が不得意な私はかなり悩みましたが、結局、テーブルの上に置いてテレビとコードでつなぎ、ダイヤルで音量操作するタイプのスピーカーを選びました。コード式は足に引っ掛けて転んでしまう危ない側面もありますが、要介護3の母はほとんど歩けないので危険性は少ないと判断。音量をダイヤルで回すシンプルさと、昔からなじみのあるコード式、そして税込み3,000円ほどという価格の安さが購入の決め手となりました。家族だけでなく、近所も巻き込む音問題スピーカーを母の前のテーブルに置くと、音量は少し改善されました。しかし、気が付くと母がテレビのリモコンで音をさらに大きくしてしまったり、スピーカーのボリュームを動かしてしまったり。私がテレビとスピーカーの両方から音が出るように設定してしまったので、聞きづらかったようです。私も何とか夜眠れるように工夫しました。耳栓を装着したり、家の中でも静かな場所を探したり、夜は車で寝れば良いかと真夜中に布団を持って車で寝ようともしました。でもある日、あまりのテレビのうるささに、母を大声で怒鳴りつけてしまったのです。「もう限界」と、夜は家に帰ることを兄に相談したところ、朝と夕、介護に入ってくれることになりました。このままだと私が壊れると思ったようです。しかし、私が出て行った後にご近所から夜間のテレビの音で眠れないと苦情がありました。注意する私がいなくなったので、どんどん音が大きくなっていたようです。後からわかったのですが、スピーカーからのみ音が出るように設定すれば、本人だけに良く聞こえるようになるようでした。そこですぐに設定変更し、音量ダイヤルを固定しました。そのおかげで現在は騒音の問題はひとまず収まっています。まとめ介護というと、排泄や家事などを思い浮かべますが、私が今回苦しんだのは、思ってもいなかった「音」というトラブルでした。自分の家だけでなく、周囲の家にも迷惑を掛けてしまうため、音は大きな問題でした。私は何かあったときのためにご近所の方と電話番号を交換していたので、苦情が来た際、早めに対応できてよかったです。今回のことで、ひとりでは在宅介護は難しいと実感。自分が元気なうちから相談できる人をなるべく多く持つこと、日ごろから介護の情報に敏感でいること、いつか介護される自分のためにも、母を通していろいろなことを学んでいきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年10月29日みなさんは、介護のことで悩みはありますか?今回は同居している義母を介護している女性のエピソードを紹介します。義母の介護でストレス夫から予想外の言葉が…!激しい夫婦喧嘩に発展妻の怒りはピークに不満は募るばかり…義母の面倒を見ている主人公ですが、夫からは労いの言葉をかけてもらえなかったようです。怒りとショックのあまり、やりきれない気持ちになってしまうでしょう。周囲にも相談するといいかもしれません。※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。(Grapps編集部)
2023年10月28日私は義母の介護するため、泣く泣く仕事を辞めました。いまは献身的に介護をしていますが、夫は感謝どころか偉そうな態度ばかりとってきて……。だんだんと介護疲れが増し、ひとりで面倒を見るには限界を感じ始めました。私は義母の介護するため、泣く泣く仕事を辞めました。献身的に介護をしていますが、夫は感謝どころか偉そうな態度ばかりとってきて……。自分の親なのに手伝うことすらせず、他人の手を借りることも許しません。しかしだんだんと介護疲れが増し、ひとりで面倒を見るには限界を感じ始め……。 夫のありえない態度にブチ切れ!このままでは自分がおかしくなると思い、介護サービスの利用をお願いしました。当初、夫は利用を拒否していましたが、私が不機嫌で態度が悪いと家庭を平穏に保てないのでは? と問うと、あっさり許可を出しました。自分が面倒なことはすべて避けるのです。 夫は介護の大変さもわからないのに、他人の助けに甘えるなどと言ってきます。その上、無職になった私に「自分が養っているのだから生意気を言うな」と暴言まで吐くのです。 それから1年。夫の態度はさらに悪くなっていきました。あるときは、山奥にある義母がかつて住んでいた家をリフォームすると言い出し……。私が片付けを拒否すると、自分の主張を受け入れられないのかと苛立ち始めます。「稼いでいる俺が一番偉いんだよ」「お前は黙って俺の言う事だけ聞いていろ」どこまでも奴隷のように扱ってくるため、さすがにキレました。「あんたより稼いでいるから聞かない」 あまりにも腹が立ち反撃スタートあまりにも「稼いでいる人間が偉い」 と強調するので、空き時間を利用して投資の勉強をしていました。今では夫より稼げるようになり、貯金残高は1000万以上に。仕事をしていたとき、金融関連の資格をとろうと学んでいたことも役立ちました。 私が外で働き、夫が主夫になって介護をしたほうがいいのでは?と提案しましたが、夫は断固拒否。仕事を辞めたくないなら離婚してほしいと迫ると、イヤイヤながらも離婚を選択しました。私はすぐ行動を起こし、家を出ることに。 その半年後に義母は他界。そのころ私は再就職し、バリバリ働いていました。株もまだすこし続けており、収入は離婚時よりさらに上がりました。夫も私の真似をして株に手を出しましたが、借金までしてつぎ込んだお金はすべて水の泡になったようです。 私が出て行ったあと…ついでに離婚後のことを聞いてみると、やはり自分で義母を介護することはできず、施設に入れたそうです。人には面倒をみさせておいて、結局はそういうことになるなんて……。今はあくせく働いて借金を返す日々だそうです。 私は仕事を生きがいに、楽しい毎日を送っています。次に出会うなら、自分を支えてくれるようなやさしい男性がいいですね。 ◇ ◇ ◇ 夫はいろいろと才覚のある妻に対して劣等感を抱いており、妻が仕事をやめた途端、威張り散らすようになったのかもしれませんね。気持ちよく生活するためにも夫婦協力し、お互いの良いところに目を向けながら生活したいものですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年10月23日現在、実家の実母(要介護3)と同居の義母(要介護1)2人の世話をしている私。2人とも可能な限り自宅で過ごせるよう、きょうだいと協力したり介護サービスを利用したりしながら生活しています。在宅でのお世話は、できないことが少しずつ増えていくのを見つめる日々でもあります。今回は、要介護1で基本的なことは自分でできる義母だけれど、やはり介護が必要な部分もあるのだと再認識させられた出来事についてお話しします。何事? 真夜中に義母の叫び声ある晩、「痛いよ~、痛いよ~、肩が痛いよ~」と、階下の義母の部屋から悲鳴のような声が聞こえてきて、眠っていた私はその声で目覚めました。義母はもともと大きな声で寝言を言う人で、義母の寝言で夜中に起こされたことも一度や二度ではありませんでした。ただ、今回ほどの大声は初めて。しかも、呪いのように同じ言葉を繰り返しています。様子を見に行こうかと思いましたが、何となくおっくう……。同居する義母への対応が実母と違うのは自覚しています。しかし、少し距離を取って接しているのは自分を守るためでもあります。これから長く介護していくことになる義母に善意だけで関わるのは無理。要介護1は入浴、排泄など基本的なことは自分でできますが、洗濯、料理などの家事はもうできません。よかれと思って手助けをすると、あれもこれもと用事を頼んできて、閉口することになるのは経験済みです。出来の悪い嫁で良いと思っています。義母の叫び声はしばらく続きましたが、じきに静かになったので私もそのまま眠りに就きました。叫ぶ原因は何? 今夜も夜中に起こされるところが話はここで終わりませんでした。その後、頻繁に義母は真夜中に叫ぶようになり、夫も私も夜中に頭を抱えることになりました。義母が腕や肩が痛いのは昔からで、いつも湿布を何枚も貼っていたのですが、昼間は叫ばないのに夜中だけ叫ぶなんて何かの嫌がらせかとまで思いました。隣近所の家が離れているから良いものの、街中だったら虐待しているのではないかとご近所から疑われるようなレベルの大声です。義姉も心配して義母を整形外科に連れて行ってくれたのですが、いつも湿布を処方されて終わり。違う整形外科で診察してもらっても、「もうお年ですからねぇ」のひと言です。離れて暮らしている義姉は、痛い痛いという義母の言葉を、電話で何回も聞かされるので心配を募らせていったようです。一緒に暮らしている私たちは、食欲もあるしけがもしていないことがわかっているので、それほど心配していませんでした。このギャップが原因で言い合いになることもありました。医師次第で、状況は変わるその後、叫ぶ原因がわかりました。 近所の個人病院ではどうにもならなかったので、夫が整形外科の専門医がいる総合病院に連れて行ったのです。「精神的なものかもしれないですね」と、医師に言われたようです。その日は大学病院から派遣されている女医さんが来ていて、その方が診察してくれたのもよかったのかもしれません。「夜中に誰か助けてと叫ぶほど痛いはずはないですね」と血液検査をしてくださり、血液中の鉄分の不足や夜間のドーパミン不足が原因かもなどと、今までと違う側面から診察、治療してくれました。現在は軽い精神安定剤が処方されています。おかげで、夜間の叫び声は随分少なくなり、私も不眠でイライラすることが減りました。また、これが精神科病院だと診察に連れて行きづらいのですが、総合病院の整形外科です。湿布と一緒に精神安定剤を出してもらえるので、本人も嫌がることなく通院してくれます。痛みを訴えるときは精神的なことが原因の場合もあるのだとわかりました。まとめ要介護1の義母は、自身の身体的なことは大体こなせるのですが、要介護という文字が付く通り、何かしら支援が必要な部分があります。それが精神的な問題だと、一緒に住んでいる私たちはかなり影響を受けるのに、原因がわかりづらいので対応が難しかったです。今回は知識のある医師に巡り合えてラッキーでした。まだまだ続く介護生活。私自身がまいってしまわないように、適度な距離を取りながら過ごしていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。介護カレンダー/ウーマンカレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年10月05日脳梗塞で車椅子生活になった義母が、動かない左側の手足の冷えに悩まされるようになりました。デイサービス施設の作業療法士さんに教えていただいた自宅でできる足のマッサージと足湯のおかげで、少しですが冷えが改善し良く眠れるようになりました。その詳細をお伝えします。左半身のまひのせいで手足の冷えが脳梗塞を発症した義母が退院して自宅介護となってから、早1年がたちます。最初は左半身にまひがあるせいでまったく動けなかった義母。ですが、毎日デイサービスに送り出してリハビリを受けていたところ、1年たった今では動かなかった左側の手足が少しだけ動くようになってきました。それでも左側の手足の血流が悪くなっているのか、手足を触ってみるとすごく冷たいのです。冬場は特に足の冷えがひどく、夏場でも冷房のせいでやはり冷えているなと感じます。冷えていると余計に動きが悪いように思い、デイサービス施設の作業療法士さんに相談したところ、自宅でもできる足のマッサージを教えていただきました。足が少しずつホカホカにまず椅子に座って膝を曲げた状態の義母の足首を包むように持ち、足裏を伸ばすように足先を軽く押します。ゆっくり戻したら、次は足の甲が伸びるように、足先を下に向かって20~30秒くらい押します。次にふくらはぎをやさしくもんでマッサージしてから、今度は、椅子に座ったまま膝を曲げずに脚を真っすぐ前に伸ばした状態の義母の足首を持ち、20~30秒間足首を上下左右に動く範囲で回します。最後に椅子に座った状態で膝の裏側に手を当てて、膝を伸ばしたり曲げたりを20~30秒間おこないます。これを右足と左足で合わせて2セットおこなうのだそうです。早速試したところ、マッサージ後は血流が良くなったのか、触ってみると足が少しホカホカしていました。足湯でリラックス効果も!義母の足の冷えについてケアマネージャーさんにも相談したところ、「足湯が良いですよ。温まった血液が全身を巡り血行が良くなるし、心臓などへの負担も少ないので高齢者にも安心です」とのこと。そして早速、足湯用フットバスを注文してくださいました。電気で温めるタイプのフットバスや、泡の出るタイプのフットバスなどいろいろありましたが、私はバケツ型のフットバスを選びました。商品が届いた日、早速試してみようと、お風呂のお湯を入れたときに足湯用のフットバスにもお湯を入れました。少したつと冷めてしまうので、冷めたら別に沸かしておいたお湯を足しました。お湯の量はくるぶしの少し上くらいまで浸かる程度にして、そこに義母の両足を入れて15~20分くらいそのままにしました。すると義母の顔が穏やかになり、気持ちが良いかを尋ねると「気持ちが良いよ」とのこと。足だけでなく体全体が温まり、気分も落ち着いてきたようです。そのあとベットに入ったのですが、いつもならなかなか寝付けない義母が、その日はすぐに寝付き、気落ち良さそうに眠っていました。まとめ脳梗塞の後、足の冷えに悩まされていた義母でしたが、マッサージと足湯のおかげで血流が良くなり、冷えが改善。義母の顔も穏やかになり、リラックスした様子で寝つきも良くなりました。さらに足の動きが良くなるように、足のマッサージは毎日できるだけ続けていきたいと思っています。足湯を毎日おこなうのは大変なので、足が冷えているなと感じたときはできるだけしてあげたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。介護カレンダー/ウーマンカレンダー編集室著者/ラベンダーミント(57歳)子育てを終え、今は義母の介護と仕事に忙しい毎日を送る主婦。日々の楽しみは、おいしいものや体に良いものを見つけてお取り寄せしたり、趣味の手芸でかわいいものを手作りすることにはまっている。
2023年10月04日祖父母ともに要介護状態となったとき、3人きょうだいのうち唯一祖父母と同じ町に住んでいた母が、自身も苦しみながらも祖父母を献身的に支えてきました。そんな母が、祖父母ともに他界した今、振り返って感じる介護をしている中でやっていてよかったこととは。★関連記事:父の介護で外出できない日々にひと筋の光が!憂うつな気持ちを軽くしてくれたものとは母が直面した介護のある生活私の母は、3人きょうだいの末っ子。生まれ育った田舎に残り結婚し、私を含む3人の子どもを育ててきました。やがて、祖母が認知症を患い始めたことにより、母に訪れた介護問題。祖母のサポートをしながら慣れない家事を頑張る祖父に、母も全面的に協力していました。そんな中、祖父がある日、外出先で突然倒れ、そのまま寝たきり状態に。そのときには既に介護施設で過ごす時間が多くなっていた祖母と、突然入院した上に祖母とは別の介護施設で過ごすこととなった祖父。母は祖父母の入所後も、祖父母の寝具や衣類の洗濯、各施設との打ち合わせ、祖父母宅の管理など、母自身もフルタイムで働きながら懸命に祖父母のサポートをする日々でした。末っ子の私は当時高校生でしたが、母は私の負担が大きくなるような手伝いはさせず、私が学校や部活に集中できるよう配慮してくれていたのだろうと思います。そんなふうに毎日祖父母のために忙しくしている母を間近で見ていたため、少しでも力になれるよう、祖父母の面会にだけは私も一緒に連れて行ってもらっていました。祖母はどんどん私たちのことを忘れていくし、祖父はほとんど声も出せません。それでも、大好きな祖父母が少し反応してくれるだけで母も私もうれしいものでした。そのころから10年以上たち、祖父母ともに他界した今、母には介護をしているときにやっていてよかったと思うことがあるそうです。介護中にやっていてよかったこと母が教えてくれたのは、次のような内容でした。・介護にかかった費用、収支の記録をつけておく母が祖父母の通帳を管理していたのですが、パジャマや毛布などの生活用品から、施設の利用料金まで細かく収支をつけ、祖父母のお金の動きがわかるようにしていました。それが親戚など周りからの信頼につながったと言います。「何にどのくらい費用がかかったのか」「計算は合っているのか」とわざわざ親戚が見返すことはないのですが、しっかり管理しようとする母の姿勢や、実際にきちんと記録してきた事実に、これなら信用できると親戚にも安心してもらえたのでしょう。・自分のきょうだいと情報共有をする大きな金額が動くときや、入所先が変更になったとき、体調に変化があったときは遠くにいるきょうだいにも母は情報をシェアするようにしていました。叔父や叔母からすると、離れているからこそ、今の祖父母がどんな状態なのか把握できるだけで安心するとのこと。さらに、きょうだいと連絡を取り合うことで、母自身もひとりで悩みを抱え込むのを回避できたそうです。距離があるため、物理的に助けることが頻繁(ひんぱん)にはできない叔父と叔母は、母のこまめな連絡や金銭管理に安心して任せることができ、「あなたに助けられた」と母の頑張りにとても感謝したと言います。一番大事なのは自分自身も大切にすること忙しい介護の中で、疲労やストレス、不安に恐怖などさまざまなものと闘っていた母。祖父が入院してからも、毎日仕事帰りに各施設を訪ねてから帰宅し、夕飯作りやその他の家事をしていました。 そんな生活が続き肉体的にも精神的にも疲れ果てている中、母の友人から、「自分の時間も作っていいんだよ」という助言が。それからは、意識して自分の趣味に費やす時間を増やしていったことで、自身の心の健康を守ることができたと母は言います。その体験があったからこそ母も、知人がかつての自分と同じような境遇だと知ったとき、「自分のことも大切にしてあげてね」ということを伝えたそう。その知人もまた、母のその言葉に救われたのか涙を流したと言います。介護で悩む方はたくさんいて、やるべきことをしていたら1日が終わってしまった……という多忙な毎日を過ごしている方も少なくないのだと思います。そういった境遇の方一人ひとりが、意識して自分をいたわる時間を作っていけたらいいよね、とよく母と話しています。まとめ祖父母の介護を通じて、寂しさや焦り、不安などさまざまな葛藤を抱えながら、とても苦しい思いをした母。自分のきょうだいが近くにいないならなおさら、しっかり金銭管理をし、きょうだいとこまめに連絡を取り合うことが重要だと言います。 身内間のトラブル防止になるのに加え、厳しい状況を理解してくれる人がいるだけで、介護する側の精神的な安定にもつながるのだと教えてくれました。そして何より重要なのは、自分自身をいたわる時間を作ること。精神的にも肉体的にも大きな負担がかかる介護。私も介護問題に直面したときには、自分のできる範囲で、周りにもうまく頼りながら、サポートしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/RIka.航空業界に勤めた後、3人の子どもをのびのび育てるべく田舎にUターン。子どもたちと一緒に、実家の採れたて野菜でピザを作ることに夢中なライターです。
2023年09月06日ずっと気になっていた介護脱毛をするために、動き始めました。やらなくてはと思っていたものの、先延ばしにしていた介護脱毛についての私の体験談をお話しします。★関連記事:蒸れによる湿疹や悪臭対策に!「おまたの悩み」が劇的に減ったVIO脱毛【体験談】介護脱毛は「今のうちに」介護脱毛とは、将来介護されるときを見越して、排せつ物などの拭き取りで介護者の負担にならないようにデリケートゾーンであるVIO脱毛をしておくことをいうそうです。きっかけは保険の見直しをしてもらったときに言われた「40代で若いと思っていても、元気な人が脳卒中になり、倒れてからは寝たきりになった人を知っている」の言葉です。前日まで元気だった人でも、寝たきりになるリスクがある……。私はアラフォーで、まだまだ元気なものの、前に健康診断で再検査になって大学病院に行った過去もあり、老後準備は早めにしておかなくてはいけないことを実感しました。アラフォーやアラフィフで、ムダ毛が白髪交じりになってしまうと、美容脱毛やレーザー脱毛の効果が薄れます。理由は、黒いメラニン色素に反応できなくなってしまうからだそうで、そういったこともあり、早めに動かなくてはと思っていました。かといって、一気に高額な出費は無理な話です。そんなとき、介護脱毛ができるサロンの予約サイトを見ていたところ、「都度脱毛」の文字があり、これなら通えそうだと感じました。「都度脱毛」の初回料金は安かった選んだのはエステサロンの美容脱毛で、種類は光脱毛。そして、料金形態は1回ごとに料金を支払う都度払い形式。私はこれまで、脇、腕、足の脱毛は独身時代に完了しているため、なんとなくの相場を知っています。脱毛は、エステサロンでだと割安ではあるものの、コースで契約するとどうしても金額が高くなってしまうイメージがありました。しかし、1回ごと支払う都度払いなら、そこまで家計負担にならず、いいように思いました。また、初回は安く「顔を除く全身脱毛」は12,980円が6,900円とお試し価格でできました。この都度脱毛は、脱毛コースを一気に契約するほどお金に余裕がないことをカバーできることはもちろん、白髪になったら通えなくなるので都度払いがよかった点。脱毛を始めるなら早めがいいと聞いていたこともあり、見つけてすぐに申し込み。決断は早かったです。初回の施術が終わって次は2回目久しぶりに施術を受けた光脱毛、過去に脱毛経験がある私は、事前にシェーバーでムダ毛を剃っていきました。もしシェービングを忘れた場合などでサロン側でシェービングをすると有料になるそうです。その点は注意が必要だと思いました。気になっていた痛みはほぼなく、全身脱毛も約20分くらいで終了。過去には脱毛でゴムで弾く痛みを感じたので、1回目の効果が本当にあるのか不安ではあるものの、とりあえず無事に終了しました。まとめ都度脱毛を選び、介護脱毛をスタートさせたアラフォーの私、できる限りやっておこうと思っています。エステティシャンによると、VIO脱毛が完了すると、お手入れが不要になりラクになるとのこと。白髪になってしまうと、VIO脱毛に限らず、脱毛全般ができなくなってしまうため、注意も必要だと思っています。「あのときやっておけば」を防ぐため、今のうちから動いてみました。あとは、結果が出るのみ。次はいつ行くかはまだ決まってはいないものの、飽きずに通っていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/Kumiko3(41歳)夫と小学生2人の4人家族。Webライター。子育てしながらの仕事は想像以上に大変。アラサーよりも疲れやすく、美容院では肩凝りを指摘され、夕方にはエネルギー切れ。白髪も生えてきて、毎日イライラするのはもしかして更年期!?それでも身だしなみは整えて、目指せナチュラル若見えキラキラ美人!
2023年09月06日自分の親やパートナーの親が要介護に、という現実はそう珍しくないでしょう。元気だった親が歩けなくなったり、認知能力が落ちたりする姿を見ると、「将来、要介護にはなりたくない」と思ってしまいます。健康寿命を延ばそうと国でもいろいろな施策をおこなっていますが、今回は国も注目する、日本人に不足しがちな栄養素を紹介します。産婦人科医の駒形依子先生にアドバイスをいただきました。教えてくれたのは…監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。★関連記事:要介護にならないために!日本人に不足しがちな「たんぱく質」をうまく摂取するコツを解説【医師監修】知っておきたい「フレイル」とは?要介護になりやすい状態のこと最近、メディアで目にしたり耳にしたりすることが増えた「フレイル」という言葉。どんな意味を持つのでしょうか。「フレイルとは、虚弱という意味を持ち、加齢とともに心身の活力が低下し、将来的に要介護状態となる危険性が高くなった状態をいいます。健康と要介護の中間に位置し、放っておくと要介護につながる危険が高まります。しかし、早めに気付いて適切な取り組みをおこなうことで、その進行を防ぎ、健康寿命を延ばせます」(駒形先生)。要介護というと70代、80代のイメージが強く、40代、50代の自分たちにはまだ先という気もしますが……?「健康とフレイルの間には、プレ・フレイル(前虚弱)という期間もあります。心と体のちょっとした衰えを感じ始める時期のことです。フレイル予防は、このプレ・フレイルの時期に自分の心と体の衰えに気付き、自分事として捉えることが第一歩とされています」(駒形先生)。フレイルを予防するには?たんぱく質を積極的に摂取フレイル予防には「栄養」「運動」「社会参加」が3本柱が必要とされています。中でも「栄養」について、厚生労働省は2020年4月に生活習慣病やフレイル予防を目的に、たんぱく質摂取推奨量を1日50gとしました。「女性ホルモンのエストロゲンには筋肉の再生機能もあるのですが、更年期にエストロゲンが減ることで筋肉の再生が鈍く、遅くなります。 例えば、今までと同じ生活をしていて筋力が“1”衰えていたのが、更年期になると“5”衰えるイメージ です。筋肉は合成と分解を繰り返していますが、その合成の材料になるのがたんぱく質です。筋力が衰えやすい更年期こそ、意識的にたんぱく質をとる必要があります」(駒形先生)。たんぱく質の効率的なとり方は?間食をたんぱく質に置き換え!「たんぱく質による筋肉合成は上限があるため、とりだめはできません。3食になるべくたんぱく質を多く含む食品を加えることが望ましいですが、できる方とできない方がいると思います。そこで、間食にたんぱく質をとるようにするだけでも、摂取量を上げることができます。パンやケーキ、お菓子を、ヨーグルトやサラダチキンにするだけでも十分効果的です。コンビニでも買えるもので手軽にとるのが長続きの秘訣でしょう。そして最後に。気を付けて欲しいのは、たんぱく質をとっても運動しなければ筋肉量は増えず、肥満の原因になるということ。筋肉量低下の予防は、たんぱく質の摂取と運動のセットで考えてください」(駒形先生)。まとめたんぱく質をとるだけではフレイル予防にならない……。食べるのは大好きでも、運動はできればしたくないという私にとって耳の痛い話でした。20年後、30年後も元気で若々しくいるには、まずは要介護になる可能性が自分にもあるという現実を捉えることの大切さを実感しました!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/岩崎みどり(49歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。著者/監修/駒形 依子 先生2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
2023年08月30日介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子氏が提起。自分の親が倒れて要介護となった場合、何が最も重要だと思うか?回答者の26.8%が「介護サービスなどの情報」、25%が「介護するためのお金」。SNSとテクノロジーで社会課題の発見・解決をサポートするICTスタートアップのPolimill株式会社(ポリミル、本社:東京都港区、代表取締役:横田えり、以下Polimill社)は当社が運営・開発する社会デザインプラットフォームSurfvoteで、2023年5月29日から7月31日までの期間、「親を介護するためにもっとも重要なことは?」というイシュー(課題)について、ユーザーの意見投票を行いましたので、その結果をお知らせいたします。Surfvoteは、社会のさまざまな課題や困りごとをイシュー(課題)として発行し、ユーザーが自分の意見を投票してコメントすることのできるプラットフォームです。投票詳細イシュー(課題):親を介護するためにもっとも重要なことは?実際のイシュー問題提起の背景:とある30代以上の男女に行った調査によると、3割以上が親を介護を将来行う「可能性がある」と回答し、さらに介護に備えてすでにやっていることについて、「何もしていない」と回答した人は全体の6割以上に上った。実際に介護が始まった人の中には、「何から始めたらいいのかわからない」という声もあり、これらの背景から問題提起を行った。調査主体:社会デザインプラットフォーム Surfvote(Webサービス) 調査方法:Surfvote上でアカウントを持つユーザーが投票調査対象:Surfvote上でアカウントを持つユーザー投票期間:2023年5月29日〜2023年7月31日有効票数:56票投票結果投票結果各選択肢のコメント紹介(一部抜粋、コメントなしの選択肢は未掲載、原文ママ)介護サービスなどの情報お金、協力者、時間、専門家全てのことを考え決めるためには、まずは幅広い情報収集が必要だと思うから。確かに、いつ自分の親が介護が必要になるか、親の年齢に限らず、日頃から自分ごととしてアンテナを張っておかなければ!と気付かされました。ありがとうございます。(賛同数32)介護をするためのお金自分が労働力を提供するか、お金を払って確保した労働力が介護の実働を担うので、介護を提供しながら自分が仕事を続けるためにはお金が必要だと考えるから。(賛同数29)このコメントの全文はこちら→ 介護をおこなう協力者介護を一人でやるのは難しいと思います。 介護疲れで、鬱になってしまったり、 両親を殺害までしてしまったり。 協力者がいた方がいいと思います。(賛同数17)介護するための時間介護をしてあげたくてもそのためには時間や蓄えが必要。 仕事をしている人が多いと思うので なかなか介護に時間が取れないと思います。(賛同数22)相談にのってくれる介護や医療の専門家介護が必要になった時に、一つ一つ情報を集める時間も労力もありません。無料で総合的にアドバイスをくれて、不安などを誰でも気軽に相談できる地域の専門家が常に必要かと思います。 介護は、お金や時間の問題もありますが、それ以上に弱っていく自分の親の姿を見て不安になったり、孤独を抱え込んだりしてしまう介護する側の精神的サポートなどが、1番必要かと思います。(賛同数29)親がどういう介護を望んでいるのか、その希望を知ることこの状況では、主役は親であるはずなので、親の望みを丁寧に聞きたいと思いました。(賛同数29)その他前提として、認知だけではなく、物理的なものも含めてということに今更気づきましたが、 同じくどのように物理的な介護を行うか、様々な手続き、利用するにしても施設やサービスのタイプ、介護対象者はそれを利用できるか否か、想定する予算と乖離がないか、予算対効果といった前提知識面が重要となると考えています。(賛同数23)このコメントの全文はこちら→ 問題提起いただいたオーサー 太田 差惠子氏京都市生まれ。1993年頃より老親介護の現場を取材。「遠距離介護」「高齢者住宅」「仕事と介護の両立」などの情報を発信。AFP(日本FP協会)の資格も持ち「介護とお金」にも詳しい。著書に『親が倒れた!親の入院・介護ですぐやること・考えること・お金のこと 第3版』『高齢者施設 お金・選び方・入居の流れがわかる本 第2版』(以上翔泳社)『遠距離介護で自滅しない選択』(日本経済新聞出版)『知っトク介護弱った親と自分を守る お金とおトクなサービス超入門』(共著,KADOKAWA)など。太田差惠子氏Surfvoteとは?当社が提供するSNS「Surfvote」は社会にあるさまざまな課題を問題提起し、それについて誰もが簡単に意見を投票できるサービスです。Surfvoteでは「イシュー」と呼ばれる各テーマ(課題)に対して複数の選択肢から自分の意見を投票できます。また他のユーザーのコメントを見たり、評価(いいね)したりすることもできます。イシューは当社編集部だけでなく大学の先生やさまざまな分野の専門家にも執筆のご協力をいただき発行しています。投票結果はイシューの内容に応じて、適宜関係省庁や政治家へ提出し報告を行なっています。 Polimill株式会社Polimill株式会社は社会デザインプラットフォームSurfvoteを運営・開発するICTスタートアップ企業です。Surfvoteは社会課題や困りごとに特化し、ユーザーがあらゆるテーマについて自分の意見を投票できるだけでなく、他のユーザーの意見を傾聴できるサービスです。地方公共団体版のSurfvoteも拡充中で自治体と連携し住民による住みやすい街づくりを促進します。あらゆる人がルール作りに参加し、価値観の変化やテクノロジーの進化に合わせた柔軟でスピーディーな制度改革ができるような社会を、SNSとテクノロジーで実現させます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年08月15日■前回のあらすじ華は自分の家が介護で、どうなったかを語りだす。仲の良かったふたりの仲がだんだんと険悪になっていく様子は耐えがたかったという華。そうはなりたくないから、施設を検討してほしいと訴えるが、義母は息子や夫に世話されるのは嫌だと再度話してくる。義母が施設への入所を嫌がる本当の理由…それは「家族に見捨てられるのではないかと不安だったから」。そんなことあるはずない!と家族みんなで伝えると、義母は安心したようでした。涙を流しながら、施設への入所を前向きに検討してみると言ってくれました。そしてーー。次回に続く(全8話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 日野光里 /イラスト・ 玄米(監修:アトリエPP合同会社)
2023年08月02日