写真家であり、映画監督である蜷川実花がメガホンを取り、藤原竜也が主演している『Diner ダイナー 』。藤原演じる天才シェフ・ボンベロが支配する食堂に、ひょんなことから玉城ティナ演じる若い平凡な女性が紛れ込んでしまう。ボンベロは元殺し屋であり、彼の作る極上の料理を求めて、日々この食堂にはクセモノの殺し屋たちがやってくる。『さくらん』『ヘルタースケルター』と、これまでに女性を主人公とした作品を手がけてきた蜷川監督。今作では初めて男性を主人公とし、そのポジションを藤原が担うこととなった。藤原といえば、蜷川の父である、故・蜷川幸雄に俳優として見出された存在だ。今回実現したタッグに期待をかけている方も多いことだろう。そんなタッグの元に集った俳優陣も実に豪華だ。ヒロインの玉城のほか、窪田正孝、本郷奏多、土屋アンナ、真矢ミキ、奥田瑛二らが、クレイジーな殺し屋たちを振り切れたテンションで演じている。極彩色な世界観が魅力の“蜷川ワールド”に、彼らがどのように影響を及ぼしているのか注目だ。先述したように、蜷川が男性主人公の作品を手がけるのは今回が初。それだけでなく、アクションシーンやサスペンスにも、今回は挑んでいる。そんな本作を率いる主人公・ボンベロは、やはり藤原にしか演じられなかったものだと感じたと蜷川は言うが、とうの藤原も本作への想いは特別なようだ。「今ある自分を疑え」とかつて蜷川幸雄に言われた言葉を、今回改めて痛感したのだという。「役者としてもっとステップアップしたいと思わせてくれる特別な作品」だと藤原が語る『Diner ダイナー 』。今秋公開の『人間失格 太宰治と3人の女たち』にも期待が集まる蜷川作品で、どんな新しい姿を見せてくれるのか。そして、クセモノの殺し屋たちに扮する俳優陣は、どんな“狂宴”を繰り広げているのだろうか。あなたの目で、確かめて欲しい。『Diner ダイナー 』公開中
2019年07月05日映像化不可能と言われた原作小説「ダイナー」を、主演・藤原竜也、監督・蜷川実花で映画化した『Diner ダイナー』。本作で、元・殺し屋の“ボンベロ”を演じる藤原さんと、殺し屋“スキン”を演じる窪田正孝が対峙するシーンの場面写真が届いた。殺し屋たちが通い詰める会員制ダイナー<食堂>を舞台に繰り広げられる、極限のバトルを描いた本作。藤原さんに加え、ヒロインに玉城ティナ、そして窪田さんほか、本郷奏多、武田真治、斎藤工、佐藤江梨子、金子ノブアキ、小栗旬、土屋アンナ、真矢ミキ、奥田瑛二が殺し屋として登場し、さらに木村佳乃、川栄李奈、コムアイ、SHIHO、MEGUMI、宮脇咲良も出演するという豪華キャストで話題となっている。■“神”から“殺し屋”へ。演技派の2人が激突する!そんな本作で注目なのは、藤原さんと窪田さんの共演だ。この2人、「週刊少年ジャンプ」で人気を博した「DEATH NOTE」の実写化作品で、ともに主人公の“夜神月”を演じている。藤原さんは2006年公開の劇場版『デスノート』『デスノート the Last name』、窪田さんは2015年に日本テレビ系で放送されたテレビドラマ「デスノート」に主演しており、それぞれ自身の代表作の一つになっている。約10年の月日を隔て、ともに自身を“神”だと信じる強烈なキャラクターを演じきった2人。その後の活躍は言うまでもなく、さらにパワーアップして今回は一癖も二癖もある“殺し屋”として対峙することになった。公開された場面写真には、白いコック服に長い髪を束ねた藤原さん演じるボンベロの姿と、全身黒の服をまとい、伸びた髪で表情が見えない窪田さん演じるスキンの姿が。衣装の色だけでなく、その雰囲気に至るまで全てが対照的となっている。この2人がどんなバトルを見せるのか、ボンベロとスキンの死闘だけでなく、藤原さんと窪田さんの演技対決にも注目したい。『Diner ダイナー』は7月5日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Diner ダイナー 2019年7月5日より全国にて公開©2019 「Dinerダイナー」製作委員会
2019年06月21日モダンスイマーズの蓬莱竜太が作演出を担い、藤原竜也と鈴木亮平がダブル主演を務める新作舞台『渦が森団地の眠れない子たち』。そこでビジュアル撮影中の藤原と鈴木を直撃、現在の心境を聞いた。【チケット情報はこちら】骨太な人間ドラマを、笑いとリアリティのある会話で紡ぎ出してきた蓬莱。その魅力について、「お客さんに対していろいろな変化球を投げてくるんですけど、訴えかけてくるメッセージはとても強い。物語のつくり方が非常に優れている作家さんだと思います」と藤原。また鈴木は、「セリフがとにかくうまいですよね。伝えたいことをはっきり見せるのではなく、その一歩手前、想像の余地は残しつつもしっかりと伝わる。そのバランス感覚が素晴らしいと思います」と絶賛する。藤原は2013年に蓬莱が書き下ろした『木の上の軍隊』に出演。それを機に親交を深め、今回の企画が実現したという。今回蓬莱から提案されたのは、“団地の王座を争う少年ふたりの物語”。小学生役だと聞かされたふたりは…。「特に違和感はありませんでしたね。皆さんは僕の体の大きさや顔の老け方が気になるでしょうけど、僕からは見えませんから(笑)」と鈴木。そんな鈴木を見つつ、「こんな小学生いたよね」と笑う藤原。だが「たぶん蓬莱さんは、竜也くんを見てこの設定を思いついたんだと思いますよ。だってここまで童心を持ち続けている人ってなかなかいないですから」と鈴木も笑う。内容としては、蓬莱いわく「団地の子供たちのスペクタクルものになる」と。そんな本作の主軸となる子供たちについて、藤原は蓬莱にこんなことを言われたと明かす。「“すごく力のある俳優に直接声をかけて集めるから。きっと彼らにとってもビッグチャンスになるだろうし、いい芝居をしてのし上がるための土台を僕はつくるんだ”って。それって企画として本当に面白いと思いますし、僕らにもいい化学反応が起きると思います」。さらに10年ぶりの共演となる藤原と鈴木が、いかなる化学反応を見せてくれるかも楽しみのひとつだ。「僕と藤原くんはキャリアが全然違いますから。こうしてふたりで並んでやらせてもらえるということで、自分の成長を見せられたらなと。そして竜也くんを受け止める、キャッチャー的な存在でいい仕事ができればと思っています」と鈴木。藤原も「10年ぶりの共演でがっちり組ませてもらえるということで、亮平の存在は本当に頼もしいです」と久々の顔合わせに期待を寄せていた。取材・文:野上瑠美子
2019年06月21日美智子さまは6月16日、東京都内の病院で右目の白内障の手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる予定だ。宮内庁は10日、美智子さまのご体調について、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。それでも手術はせず経過観察という方針となり、上皇ご夫妻は翌日から予定通り2泊3日の日程で京都を訪問された。これが上皇陛下の退位に伴う最後の儀式だった。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変――。美智子さまの知人のひとりが明かす。「ご退位までひと月くらいの時期でしょうか、上皇陛下と上皇后さまが3月下旬に京都へ行かれる前にお会いする機会があり、いろいろな話をしてくださいました。そのなかで、ふと上皇后さまが『5月まで(私の体は)もつかしら、心配なのです』とおっしゃったのです。お忙しい日々が続き、お疲れも極限まで来ていらしたのかもしれません。そのお言葉が心に残っています。やはり、上皇陛下のご在位中は、陛下とご一緒にお出ましになることが上皇后さまには何より大切で、手術や検診はお控えになっていたのだと思います」’12年2月には、上皇陛下が心臓のバイパス手術を受けられている。美智子さまは、手術の前後に何度も病院にご宿泊になって献身的に看病された。「上皇陛下の退院後も、料理と担当する大膳課に『タンパク質を多く摂取できるものを』『陛下の食欲が増すものを』と細かい指示を出されていました。リハビリにも片時も離れず寄り添われ、上皇陛下の体力づくりのため、テニスや卓球にもご一緒に取り組まれていたのです」(宮内庁関係者)’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。美智子さまはそれから4年間、満身創痍で上皇陛下を支えられた。去年12月の誕生日会見で、上皇陛下はこう述べられた。《結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました》《60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います》そう美智子さまへの感謝を述べられたとき、上皇陛下は落涙されんばかりに声を震わせていた。「美智子さまは壮絶な覚悟のもと、ご自身の痛みをこらえて上皇陛下を支えてこられました。誰よりもそのことをご存じだったのは上皇陛下でした」(皇室担当記者)美智子さまと長年の友人である元絵本編集者の末盛千枝子さんは言う。「先日、上皇后さまとお電話でお話しさせていただきました。『上皇陛下が退位されて、少しほっとされておられますか?』と伺いましたところ、『今までと同じよ』とおっしゃっていました。お引っ越しの準備もたいへんでしょうが、少しゆっくりされることができましたらと思います」長きにわたる“旅”は終わりを迎えたが、上皇陛下をお支えするという美智子さまの覚悟は変わらない――。
2019年06月20日グレーのロングドレスをお召しになった美智子さまが、手すりを頼りに、明治天皇陵への階段を一段一段、慎重な足取りで上られていく――。上皇ご夫妻は、6月11日から2泊3日の日程で京都を訪問された。孝明天皇陵と明治天皇陵に退位の報告をされ、平成の御代から続けられていた上皇陛下の退位に伴う儀式をすべて終えられたのだ。「12日の午前に参拝された孝明天皇陵では、女性皇宮護衛官の腕におつかまりになって、約120mの長い坂道をゆっくりと上られました。今回ばかりは美智子さまのご様子が心配でなりませんでした」(皇室担当記者)美智子さまは京都ご訪問直前の8日、心臓の検査をお受けになっていた。宮内庁は、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。心臓への負荷の増大が疑われるものの、すぐに手術はせずに経過観察をしていくという方針を示した。昭和大学横浜市北部病院循環器センターの南淵明宏教授は言う。「経過観察というのは単に放置するわけではありません。症状を見ながら検査を重ねて、慎重にデータを比較していきます。手術による身体への負担は考慮しなければなりませんが、80歳以上でも心臓の大手術を受ける方はいらっしゃいます。高齢を理由に手術ができないということは決してないのですが……」16日、美智子さまは都内の病院で右目の白内障手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる。医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話していたという。退位を控えた時期に両眼の手術を行うとなると、3週間はご公務を離れなければならない。しばらくは外出の際には濃いサングラスのご着用が必要になる。そのため日程が確保できず、手術も、そして病名の公表も、上皇陛下のご退位後まで延期されていたのだ。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変。ただ、美智子さまが心臓に異変を感じられたのは今回が初めてではない。’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。このときも宮内庁は「心身に強いストレスを与えることがないような配慮が望まれる」としたうえで、手術はせずに経過観察を続ける方針をとった。4年前に判明した冠動脈の狭窄は、新たに発表された疾患にも影響していたのだろうか――。今回のご病状である「三尖弁逆流症」について、前出の南淵教授はこう解説する。「一般的に三尖弁逆流症は、ほかの心疾患が原因になっています。何らかの原因で右心室の容積が拡大して弁が引き延ばされ、その機能が低下し、逆流が起こるのです。三尖弁逆流症と冠動脈の狭窄に関連性がある場合もあります。冠動脈の狭窄は治療をしなければ自然に治るということはありませんから、むしろ三尖弁逆流症よりこちらに着目すべきでしょう。冠動脈の狭窄が進むと狭心症や心筋梗塞を引き起こします。心臓が止まり、死に至る危険性もあるのです」美智子さまは深刻なリスクを抱えながら、満身創痍で4年間を過ごされてきた。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは言う。「高齢のお体にメスを入れると、傷の回復やリハビリに長期間かかってしまいます。美智子さまは60年前のご成婚当時から、命がけで陛下をお支えするという強いお気持ちを抱いていらっしゃいました。最後のお務めを果たすまでは……と、かなり我慢をされていたのだと思います」
2019年06月19日女優の藤原紀香が7日、オフィシャルブログを通じ、主演舞台『サザエさん』で共演予定だった俳優・原田龍二が降板したことについて、一部報道を「フェイクニュース」として完全否定した。原田は、5月30日発売の『週刊文春』で自家用4WD車内での不倫が報じられたことを受け、会見を開いて謝罪。『サザエさん』主催のフジテレビジョンと明治座は、原田に代わって葛山信吾がマスオ役を務めることを報告し、「主催者として作品と役柄の持つイメージにそぐわないと判断し、所属事務所と協議の上」で降板を決定したという。藤原は「お伝えしたいこと」と題した7日のブログで、「この度の一連のことで原田龍二さんが降板となってしまいしたが、ある報道で、私が原田さんとはもうお芝居をしたくないとか、そのことで降板させたというような、事実ではない内容のことが書かれており、とても悲しく、残念に思いました」と落胆。「フェイクニュースが溢れている世の中、普段は面白おかしく嘘を9割書かれていても、これまで自身は、あはは と受け流していましたが、今回の件は心無い憶測の記事で、人を傷つけることになりかねないと感じたので、私の気持ちをここで伝えさせていただきます」と記事投稿の真意を伝えた。その上で、「まことしやかに書かれた憶測でしかない私の言葉や行動を、原田さんやご家族、ファンの方が目にしたらどんなに不快な気持ちになるか…共演者の感情で、人の進退を左右することはあってはならないことだと思いますし、もし私が本人なら、少なからずこの状況のなかそうなんだ…と信じてしまうかもしれません」とし、「事実、原田さんとは初めての共演で、発表された時からお芝居を合わせることが楽しみでなりませんでした。一連のニュースを知り、このままマスオさんが続投できるのか、いったいどうなるのかと、日々不安で、心が騒いでいましたが、役者側は 決定を待つしかありません。主催者側から降板の連絡があった時、これまでマスオさんは原田さんだといろんなイメージもしていましたし、心に穴が空いたような感じでした…」と吐露する。「その数日後、葛山信吾さんがマスオさんに決定したと聞いて、以前の楽しかった夫婦役のことを思い出し、とてもご縁を感じましたし、また舞台に向けて、よし頑張ろう!!!と気持ちを新たにしました」と現在の心境を正直につづる藤原。「こんな次第なので、これ以上、無責任で心がない残念なニュースが流れることのないよう、よろしくお願いします」と呼びかけ、「原田さんとはまたご一緒できる機会があればと思っております」「人生いろいろです」「私もがんばります」と結んでいる。藤原がブログを開設しているアメブロには、記事内にハッシュタグを付けることができ、藤原は「#藤原紀香」「#サザエさん」「#マスオさん」「#秘密の奥さん」「#共演者」のほか、「#残念なニュース」「#フェイクニュース」と追記し、ここでも強い否定の意志を表明している。
2019年06月07日「5月10日に、美智子さまは宮内庁病院を訪れ、首のレントゲン写真を撮られていたのです。持病の再発が疑われたので、緊急検査となったようです」(宮内庁関係者)3月から4月にかけて上皇ご夫妻は、通常のご公務に加えて退位に向けた行事が目白押しで、ギリギリまで心身を酷使されてそれらに臨まれていた。「美智子さまはどのような公務に際しても、また人々にお手振りされるときでも、避難所をお見舞いされるときも、背筋を伸ばされて姿勢を保たれています。人目につかないところで椅子に座られても、背もたれに寄り掛かるようなことはありません。ただ、そのお心がけが持病の『頸椎症性神経根症』を悪化させてしまうこともあったようなのです」(前出・宮内庁関係者)宮内庁は上皇ご夫妻が「お引っ越しへ向けて、身近な物から整理を始められている」と公表したが、前出の宮内庁関係者は、引っ越しの準備が「気の遠くなるような作業」なのだと明かす。「退位の当日まで上皇ご夫妻は“全身全霊”で公務に臨まれました。引っ越しの準備ができる余裕などまったくなかったのです。プライベートな品々に関しては職員が手を付けるわけにもいきません。長女の黒田清子さんにもお手伝いしていただくようですが、まだ仕分けが始まったばかりで、遅々として進んでいません。荷造りはだいぶ先になりそうです」’93年に赤坂御所から吹上御苑に新築された御所(現在の吹上仙洞御所)に移り住まれたときは、荷物が2トントラック延べ100台分にも及んだ。「ご家族の思い出の品は前回より増えているはずです。陛下の魚類の研究資料も大量にあります。絵本、児童書はもちろん、退位後に読んでみたいとおっしゃった探偵小説など、美智子さまの蔵書だけでも膨大な量ですので、整理はとても大変だと思います」(前出・宮内庁関係者)新居となる仙洞仮御所の改修工事は3月末に完了しており、引っ越しの作業を始められる状態だ。しかし、上皇ご夫妻にはまだなさらなければならないことがある。「近いうちに、退位の報告のために京都の孝明天皇陵・明治天皇陵へ参拝することが決まっています。その前には東京都八王子市にある大正天皇陵にも参拝しなくてはならないのです」(前出・宮内庁関係者)ご結婚以来60年にわたり、全身全霊で公務に臨まれてきた美智子さまの“後遺症”が軽度で済むことを切に祈るばかりだ――。
2019年05月24日「FNN報道スペシャル平成の“大晦日”令和につなぐテレビ」内で放送されるドラマ「プリンセス美智子さま物語知られざる愛と苦悩の軌跡」に、上白石萌音、和田正人、町田啓太らが出演していることが明らかになった。総合司会をタモリが務める「FNN報道スペシャル平成の“大晦日”令和につなぐテレビ」は、平成最後の夜から新時代・令和の幕開けまで、約6時間半にわたり生放送し、平成という時代が終わる大きな節目に“新しい皇室のあり方”を模索されてきた天皇皇后両陛下のこれまでの歩みを独自映像と関係者から得た秘蔵エピソードでふり返る番組。同番組内では、美智子さまの知られざるお気持ちがつづられた貴重なノートを独自入手し、それを基に世紀のご成婚と美智子さまがこれまで歩まれてきた道のりを、“東宮女官長の目線”からドラマ化したものを放送。東宮女官長・浜村時子(仮名)は、永作博美が務める。今回新たに発表された上白石さんが演じるのは、いまから約60年前、当時皇太子だった天皇陛下のお妃選びの取材合戦の渦中にいる駆け出しの週刊誌記者・宮本ひろ子。熱心に取材を続けるうちに美智子さまに惹かれ、そして美智子さまに対する心ない批判に憤慨しながら取材を進めていく人物だ。ドラマへの出演に関して上白石さんは「この上なく光栄に思うと同時に背筋が伸びました」と心境を明かし、「脚本を読みながらたくさんの気づきや感動がありました。特に、美智子さまのお心模様を知るうちに、女性として、人としての尊敬と憧れが増しました。わたしが演じるひろ子もそうやって影響を受けていくので、心から共感しながら演じました」とコメントしている。また、ひろ子の先輩記者・森富之役には、「陸王」などに出演する和田さん。ベテラン週刊誌記者の森は、ひろ子に取材のいろはから厳しく指導。ひろ子と共に皇太子さまのお妃選びの取材を続け、スクープを狙う。昭和の時代の週刊誌記者を演じるにあたり、「人に厳しく、そして成果にこだわる姿をまっすぐに演じることを心掛けました」と和田さん。「やや嫌なヤツに見えると思いますが、それが彼の正義。昭和の面影を手繰り寄せながら役作りしました」と語っている。ほかにも、華族会の重鎮・藤永菊子役に若村麻由美。時代は平成に移り、ノンフィクション作家となった83歳のひろ子役を草笛光子。ノンフィクション作家となったひろ子の担当編集者・後藤成治役を町田さんが演じる。民間出身の美智子さまに常に批判的な目を向ける役柄を演じる若村さんは「時代に思いをはせて私たちの知り得なかった事柄をドラマとしてお楽しみください」とメッセージを寄せる。また物語のカギとなる人物で、“語り”も重要な役柄の草笛さんは「演じる者としては難しかったです。女優として演じるだけでなく、ノートの代読、和歌詠み人と、美智子さまと沿うことが多面的にあり難しかったです。このようなドラマは初めての経験でした。でも、私から美智子さまへのラブレターのつもりで演じました」とコメントしている。そして「この作品を通じて、僕には想像がつかない程の気高き心と信念に圧倒され、感銘を受けました」と印象を明かした町田さんは、「尊敬する大先輩、草笛さんが発するお言葉に毎回刺激を受けながら、素敵な時間を過ごさせていただきました。以前、美智子さまとお会いになられた時の貴重なお話も聞かせて頂き、美智子さまへの敬意に満ちたお芝居に今作の役どころと同じく心が弾みました」と撮影をふり返っている。「FNN報道スペシャル平成の“大晦日”令和につなぐテレビ」は4月30日(火)18時30分~フジテレビにて生放送。(cinemacafe.net)
2019年04月24日女優の藤原紀香が23日、都内で行われたぐるなび「接待の手土産」セレクション2019 特選30 発表会に出席した。ぐるなびが運営するサイト「接待の手土産-秘書が選んだ至極の一品-」は、のべ1,000人以上の現役秘書の目利きにより厳選された手土産『こちら秘書室公認"接待の手土産"セレクション2019』の特選30品を発表。その表彰式がここ日行われ、特別ゲストの藤原紀香が登壇して秘書に紹介されたスイーツなどを食して舌鼓を打った。イベント中には実際にスマートフォンで同サイトを閲覧し、5月に引っ越しする友人の引越し祝いとして"ミガキイチゴ・ムスー"を選んだ藤原。「これイイですよね。彼女は苺も大好きだし、苺のスパークリングワインなんて初めてですよ。これは喜ぶと思います」と笑顔を見せ、「これってどんどん更新されるんですよね? 本当にこういうサイトを待っていました!」と感想を語った。さらに「色々と美味しいものをメモしたり切り抜いたりしていましたが限界もあったので、このサイトだと選択の幅が広がります。選べるカテゴリーがあるし、自分が探しているところにたどり着けるので、考えられているサイトだと思いましたね」と満足した様子だった。残り1週間となった平成の時代については、「最高ですよ。最高だし、昭和と平成を生きてきて、もうやり残したことはありません。昭和に生まれてきた人間ですが、半分以上平成にお世話になりました」としんみりと振り返り、「令和の時代は色んなことが起こるだろうし、そういったことを全て楽しみながら令和を生きていきたいと思います。良いことも悪いこともあるだろうし、それも人生だと思って受け入れたいですね」と語った。また、「令和に期待することは?」と報道陣に質問される「期待はしない! 本当に日々健康にそして笑顔で生きられればいいなと思います」と前向きだった。
2019年04月24日今から振り返ると、「あの頃が、自分の転換期だったなー」と思い出される時期があります。それは40歳の時。34歳で自分の事務所を立ち上げてからというもの、自分の限界に挑戦するのが楽しくなり、「まだ、できる」「これも、できる」と仕事の量や幅をドンドン増やしたり広げたりして、寝る暇も日曜もお正月もない生活をしていました。そのツケが38歳の時に一気にきました。身体が異常に硬くなって首は回らなくなるし、歪みもひどくて朝起きるのも大変に。「これではマズイ!」と、人に薦められたいろいろな治療法を試してみたけれど、どれも成果は今一つ。結局、‘もみほぐして柔らかくする’というシンプルな方法が私の身体に必要だとわかるまで、2年かかりました。この‘柔らかな身体’というテーマが決まった40歳の時が、自分の転換期だったと思っています。■ヨガやストレッチという“柔らかな身体作り”そして、週1回のペースでマッサージに通いだしてから2年後の、ある日。フッと、「このままではマイナスからゼロには戻るけど、プラスにはなっていかない」ということに気づきました。元々、子供の頃から硬くて歪みもあったのに、さらに身体を捻って曲げるというメイクの姿勢を一日中しているのですから、週1回の治療で追い付かないのは当然。そこで、やっと「自分でも毎日、ストレッチをしてメンテナンスすればいいんだ!」と気づいたわけです。とは言え、開脚をしてもクの字ぐらいにしか曲がらないし、何をしても痛い。それでも、その頃は寝る暇を惜しんで毎日、3時間ぐらいストレッチをしていました。それから、さらに2年ほど経った頃。今度は「なんか最近、身体が軽くなってきたなー。あれっ?気持ちも軽い……!」ということに気づきました。本などで「心と身体はつながっている」ということを知識としては知っていたけれど、その時に腑に落ちるように「こういうことかー!」って、身体と心で理解することができたんです。それ以来、もっと身体を解放して、もっと軽やかになりたい。どうせなら歪みだす前の自分に戻ってみたい。そうしたら、どんな気分を味わえるだろう。それを体験できるまでは死ぬに死ねない(笑)などと思うようになり、それが10数年経った今も、週に1度の整体や月に1度のスぺシャルな治療院通い、そして週4回のヨガやストレッチという“柔らかな身体作り”を続けられている原動力となっています。■柔らかな身体でいることは「美容の基本」それに硬さや歪みのあるところに贅肉はつくそう。血流やリンパの流れも悪くなって、浮腫んだり肌ツヤも悪くなったりするということも自分の身体を通して知ることができました。だから柔らかな身体でいることは心だけではなく、美容の基本でもあると確信しています。40代は身体にも思考にも余分なものが付き始めて、重い印象の大人なるかどうかの境い目。だからこそ、この年代には“身も心も軽やかに”を意識して欲しいと思うんです。そのためにも30代後半から40代のどこかで、美と健康のためにも、そして軽やかな心作りのためにも一度、身体をリセットしたほうがいいというのが、私からの提案です。あなたの美容の基本はなんですか?※本稿は2012年12月11日に公開された記事を2019年4月22日に再投稿したものです
2019年04月22日『美しく幸せに生きるための逆算思考』2019年6月1日(土)、NHK文化センター浜松教室において、1日講座『LIFE IS BEAUTY 美しく幸せに生きるための逆算思考』が開催される。ヘア・メイクアップアーティストの藤原美智子が、人生100年時代をずっと美しく生きるために、今、すべきことを伝授。10年後、20年後も幸せで美しくいるためのヒントを見つけることができそうだ。開場時間は10:45を予定。開催時間は11:15から12:45まで。受講料はNHKカルチャー会員が3,931円(税込み)、一般が4,492円(税込み)。講座終了後は書籍販売および、サイン会を予定している。申し込みは、NHKカルチャーのWEBサイトにて受け付けている。問い合わせは、NHKカルチャー浜松教室(電話番号:053-451-1515)まで。ライフスタイルも注目される藤原美智子藤原美智子はラ・ドンナを主宰し、ヘア・メイクアップアーティストやライフスタイルデザインとして活躍。「MICHIKO.LIFE」のプロデューサーも務めている。メイクだけでなく、食、健康、装い、暮らし、生き方など、ライフスタイル全般が多くの女性から支持を集めている。著書には「 LIFE IS BEAUTY 美しく幸せに生きるための逆算思考」、「新しい口紅は寝る前に試す」などがある。Instagramのフォロワー数は35,000人を超えている。(画像は藤原美智子 Instagramより)【参考】※NHKカルチャー 浜松教室※藤原美智子 Instagram※ラ・ドンナ OFFICIAL WEBSITE
2019年04月14日羽田美智子(50)が店主を務めるオンラインショップ「羽田甚商店」が4月11日にグランドオープン。それにちなんで「羽田美智子の羽田甚マルシェ」が浅草「まるごとにっぽん」で開かれ、同日オープニングイベントが開催された。「羽田甚商店」は1865年から続く羽田家の屋号。羽田の両親の代で一旦は畳まれたものの、羽田が6代目店主として再開することを決心した。商品は、羽田が日本全国に足を運んでセレクトしたもの。現在9品を扱っており、今後も随時商品を増やしていくという。「羽田甚商店」の前掛けをして登場した羽田は「平成は女優としてスタートし、令和という時代には二足のわらじとなりました」と笑顔で語った。また「店主としてはホヤホヤの新人」「一緒に育てていただけたら!」と呼びかけた。「屋号を継ぐなんて夢にも思わなかった」と明かした羽田は、「独り身の女性が50歳からどうやって生きていこうと思った時に、イキイキと輝けることを始めたいと思った」と屋号を引き継ぐ動機について説明。いっぽう「始めるのは簡単だけど続けるのが大事。やめるほうが難しいと離婚の時に思いました」と話し、会場を笑わせた。またイベント内で開かれた参加者からのお悩み相談コーナーでは、それぞれの悩みについてぬか漬けやしじみ汁といった商品を的確にセレクト。商品の魅力を説明するうちに「これは絶対に美味しいです!」「全部の良さを伝えたいんだけど伝えられない!」と熱の入る場面もあった。イベント後、取材に応じ「定期的にマルシェを開き、日本全国でできればなと」夢を明かした羽田。現在大人気放送中の「特捜9」(テレビ朝日系)の現場にも「羽田甚商店」で扱っている雑穀米と海苔の差し入れをしたと明かし、「羽田甚商店」を通して「食と健康の知識をおすそ分けしたいな」と語った。「羽田甚マルシェ」は同日から14日まで開催され、仕事の合間を縫って羽田も店頭に立つという。オススメ商品はもちろん、羽田の魅力にも触れることのできるまたとないチャンスになりそうだ。
2019年04月11日アメリカ・LA発の美容フェス「ビューティーコン(Beautycon)」が日本初上陸。2019年6月15日(土)・16日(日)の2日間、東京・渋谷のベルサール渋谷ガーデンにて開催される。2014年にLAでスタートした「ビューティーコン」は、世界最大級の美容フェス。2018年のLA開催時は150以上の企業が出展、600人以上のクリエイターが出演し、2日間で30,000人以上を動員。キム・カーダシアンやパリス・ヒルトンら数多くのセレブリティも参加し、大盛況のうちに幕を閉じた。初の日本開催となる今回は、双子タレント広海・深海の広海をプロデューサーに迎えて開催。毎年、開催場所ごとに異なるコンセプトを設定している「ビューティーコン」が、「PLANET」をテーマに、日本を起点に世界のビューティートレンドに触れる事が出来る、参加型のイベントとして実施する。会場では、藤原美智子やイガリシノブなどトップクラスのヘアメイクアップアーティストによるメイクチュートリアル、モデルやタレントによるビューティートークショー、化粧品ブランドによるブース出展など、様々なコンテンツを実施。2019年のメイクトレンドからテクニック、コスメに関連したライフスタイルなど、最新のビューティートレンドをキャッチ出来るような内容となっている。【開催概要】「ビューティーコン 東京(Beautycon Tokyo)」開催日:2019年6月15日(土)・16日(日)チケット発売:4月25日(木)チケット価格:・前売り券 2.500円・当日 3,500円<出演予定のヘアメイクアップアーティスト>※50音順イガリシノブ / 木部明美 / KUBOKI / 千吉良恵子 / paku☆chan / 藤原美智子 / 松井里加 / MICHIRU / 美舟 / yUKI
2019年04月11日ブルガリ(BVLGARI)から、フラグメント(fragment design)率いるクリエイティブディレクター藤原ヒロシとコラボレーションしたアクセサリーコレクション「BVLGARI X FRGMT」が登場。阪急うめだ本店、阪急メンズ東京で開催される限定ストアで、2019年6月5日(水)より先行発売される。「セルペンティ」蛇のしなやかな曲線を再現したデザインが魅力の「セルペンティ」。デザイナーに藤原ヒロシを迎えた「BVLGARI X FRGMT」コレクションでは、「セルペンティ」にストリートファッションの代名詞“デニム生地”をブランドで初めて採用した。一方、蛇の頭を模したクロージャ―など、対称的な高級感のあるパーツを組み合わせることで、意外性を残したまま洗練されたアイテムに仕上げている。クロスボディバッグや、ダイヤモンド ブラストといったバッグには、「BVLGARI」の文字と、藤原ヒロシ手掛けるフラグメントのロゴ「FRGMT」を合わせた。また、蛇モチーフのクロージャーには、フラグメントの稲妻ロゴを配している。新たな素材、ロゴ、シェイプをプラスした遊び心溢れるアイテムは、バッグをはじめ、蛇やロゴなどがあしらわれたバンダナやスカーフ、ブレスレットといったアクセサリーをラインナップ。カラーは、ホワイトとブラックを基調に、ピンクとネイビーを組み合わせている。これらはメンズやユニセックスの他、藤原ヒロシ初のウィメンズアイテムとして展開される。「BBフラグメント」エッジを効かせたデザインと実用性を兼ね備えた「BBフラグメント」も登場する。アイテムには、「BVLGARI」と「FRGMT」の文字が円形に稲妻ロゴを取り囲むモチーフを配置。アイコニックな「ブルガリ・ブルガリ」コレクションを彷彿とさせる。展開されるアイテムは、レザー素材のトート バッグやウォレット、キーケースだ。横型のバッグは、無駄のないシンプルなフォルムと控えめなロゴによって、モダンな雰囲気に。いずれのアイテムもカラーは、ヌードクォーツとブラックを用意している。また、キーホルダーストラップ、キーリング、スカーフなど、円形ロゴを活かしたアイテムもラインナップされる。詳細ブルガリ×藤原ヒロシ「BVLGARI X FRGMT」コレクション発売日:2019年6月※6月5日(火)より、阪急うめだ本店、阪急メンズ東京の限定ストアで先行発売。※一部ブルガリ オンラインショップ限定品は、6月12日(水)より発売。<アイテム例>・「セルペンティ」バッグ (W18×H15×D9.5cm) 260,000~275,000円+税・「セルペンティ」バッグ (W19×H10cm) 105,000円+税・「セルペンティ」バンダナ 23,000円+税・「セルペンティ」シェリー 18,000円+税・「セルペンティ」ブレスレット39,500円+税・「BBフラグメント」トートバッグ (W35×H36×D11cm) 180,000円+税・「BBフラグメント」ポシェット 120,000円+税・「BBフラグメント」ウォレット 62,000円+税・「BBフラグメント」ビジネスカードホルダー 34,000円+税・「BBフラグメント」キーリング 32,000円+税※ブルガリ オンライン限定品【問い合わせ先】ブルガリ ジャパンTEL:03-6362-0100
2019年04月06日「あのパレード中継に携わったことで、この先も美智子さまにこだわり続ける予感はありましたね」’59年4月10日午後2時30分に始まった、皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレード。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のり。沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。当時、渡邉みどりさん(84)は日本テレビ入社3年目の新米中継スタッフだった。日本テレビのカメラは、美智子さまの聡明な笑顔をアップで捉えることに成功し、そのあふれんばかりの健康美を全国に伝えた。渡邉さんは、生まれ年も美智子さまと同じ’34年。小学校入学とほぼ同時期に戦争が始まり、玉音放送を疎開先で聞いた世代だ。’57年に日本テレビ入社後は、33年にわたって皇室番組の制作に携わり、昭和天皇崩御の特別番組ではチーフ・プロデューサーを務めている。民放初の女性エグゼクティブプロデューサーまで上り詰めると、文化女子大学の教授に転身。ワイドショーなどに登場する帽子がトレードマークの皇室ジャーナリストとして、おなじみの方も多いだろう。「思えば、日本でテレビ放送が始まったのが’53年。それから5年で100万台まで普及したテレビが、美智子さまのご婚約に始まる“ミッチー・ブーム”で、一挙に200万台に倍増しました。何かあったらテレビをつけるという新しいライフスタイルが生まれ、高度経済成長の前触れともなったのです」美智子さまのご成婚は、日本が終戦後の焼け野原からの復興を果たし、人々の生活が豊かになっていく新しい時代の幕開けを予感させるものでもあったのだ。以後、皇室特番の制作に進んだ渡邉さんは、持ち前の粘っこい取材力を発揮。それまでのメディアでは決して流れなかった皇室の方々の素顔の部分をクローズアップしていった。ファッションや子育てという身近な話題を通して、雲の上の存在としてではなく、美智子さまの人間としての魅力に着目した。初めて一本立ちのディレクターとして手がけたのは、ご成婚10年の記念番組だ。以降、5年、10年の節目ごとに特別番組を制作した。民間から皇室入りした美智子さまは、乳母制度を廃止し、家族で生活を共にする温かい家庭を基盤とした新しい皇室づくりを目指された。しかし、古くからのしきたりを重んずる皇室方や女官からの風当たりは強かった。そんな美智子さまの苦悩に焦点を当てた渡邉さんの番組は、視聴者の共感を呼び、毎回、高視聴率を記録した。見方を変えれば、渡邉さんの番組は、皇室と民間の距離を縮めようと努められた両陛下の“援護射撃”になっていたのではないだろうか。渡邉さんの人脈と取材網は広く、物おじしないエネルギッシュな姿勢は、周囲の人をも動かした。高松宮喜久子妃にはかわいがられ、ダイヤがちりばめられた門外不出のティアラに触れたこともある。両陛下のご結婚25周年のときには、美智子さまの実弟、正田修氏の単独インタビューに成功。このときは、面識のあった当時の日本テレビ副社長・氏家齊一郎氏に最後のひと押しをお願いし、取材の承諾をもらっている。’85年7月、ロンドン留学中の浩宮さま(当時)のコンサートを取材したとき、演奏終了後に渡すはずの花束を若い女性スタッフが1部終了の拍手のなかで渡してしまうというハプニングが起きた。渡邉さんは、そんなときも機転を利かせ、会場に飾られていた花瓶の花で急ごしらえの花束を作って、終演までに間に合わせている。「花瓶の花だったから、花束がびしょぬれなんです。それでも、宮さまはえんび服がぬれるのもいとわず、笑顔で受け取ってくださった。それこそが、陛下と美智子さまから授かった帝王学だったのでしょう」収録後、スタッフとともにご挨拶にうかがい、渡邉さんがスタッフ紹介を始めると、浩宮さまはこうおっしゃった。「渡邉さんとは上野でお会いしているじゃないですか。あのときのテープ、大切にしています」「テープ」とは、その5年前、浩宮さまが上野のコンサートで首席ビオラを担当されたとき、渡邉さんのチームが撮ったものだ。そのとき浩宮さまのほうから、録音テープとビデオテープを所望されたという。そんなささやかな皇族方とのやりとりも、激務の渡邉さんを支えていた。「実は、美智子さまと4分ほど懇談させていただいたこともあります。’09年11月のことでした」日本記者クラブ創立40周年のパーティに両陛下がご臨席になり、渡邉さんは、代表者に選ばれて懇談の機会を得たという。渡邉さんは、すでに日本テレビを退職し、文化女子大学で教壇に立っていた。教えていたのは「女性学」。美智子さまの生き方に焦点を当てた講義だった。美智子さまとの懇談の内容は、くわしくはオフレコということだが、「私のことを学校で教えてくださっているのでしょう?」と、お優しい笑みを浮かべられていたという。報道の現場を離れた渡邉さんの動向まで、美智子さまは把握してくださっていた――。皇室はまもなく大きな節目を迎えることに。「次の皇后になられる雅子さまは、お手本となる美智子さまがあまりにご立派でいらっしゃるので、大変だと思います。頭のよい方ですから、とりあえずは美智子さまのお手本にならい、そこから新しい時代に合った皇后になっていただきたいと思います」新天皇即位のパレードは、10月に予定されている。「新しい時代のパレードも、ぜひ、この目で見届けたいですね」
2019年04月05日ブルガリ(BVLGARI)が、クリエイティブディレクター・藤原ヒロシとコラボレーションしたカプセルコレクションを販売する。メンズアイテムや、ユニセックスでも使用できそうなアイテムの他、藤原ヒロシが初めて手掛けるウィメンズアイテムも登場。今回のカプセルコレクションでは、藤原ヒロシが、同ブランドの不朽のアイコンである「セルペンティ(イタリア語で蛇の意)」をモチーフにデザインを手掛け、素材選びや、ロゴの配置、形といったさまざまな要素で、今までにないクリエイティブな領域へと昇華させたバッグを始め、バンダナ、ブレスレットといったアイテムを展開する。左から、「セルペンティ」バッグ(26万円)、「セルペンティ」バッグ(31万円)バッグは、クラシカルな「フォーエバー」、トップハンドル付きの「クロスボディバッグ」、そして「ダイヤモンド ブラスト」の3型がラインアップ。 ブラックとホワイトのカーフやナッパレザーに加え、同ブランド初となるデニム素材を採用。デニムにラグジュアリーなパーツという相対する組み合わせで、常識にとらわれずに挑戦し続けるブランドの姿勢を体現した。また、「セルペンティ」コレクションのトレードマークとも言える、蛇をモチーフにしたクロージャーには、藤原ヒロシ率いるフラグメント(FRAGMENT)のシグネチャーである稲妻ロゴが施されている。「セルペンティ」(25万円)「フォーエバー」と「ダイヤモンド ブラスト」には、フロントに「BVLGARI」の文字、バッグに「FRGMT」の文字を大胆に配置しており、遊び心溢れるデザインにも注目だ。左から、「トートバッグ」(16万5,000円)、「トートバッグ」(18万円)アイコニックな「ブルガリ・ブルガリ」 コレクションの円形モチーフを彷彿させるエンブレムが印象的な「BBフラグメント」も展開される。実用的でベーシックながらも、さりげなくエッジを効かせたデザインの「BBフラグメント」。ヌードクォーツとブラックの2色の柔らかなレザーを使用した、トートバッグや、スモールレザーグッズなどがラインアップする。取り扱いは、6月5日より阪急うめだ本店及び阪急メンズ東京のポップアップストアにて先行販売。一部のブルガリ オンラインショップ限定品は、6月12日からの販売となっている。
2019年04月03日藤原ヒロシ率いるフラグメント(FRAGMENT)とポケモン(Pokémon)による合同プロジェクト「サンダーボルト プロジェクト(THUNDERBOLT PROJECT)」が再び始動。ドーバー ストリート マーケット全店にて発売することが決まった。2019年4月6日(土)には、東京のドーバー ストリート マーケット ギンザ(DOVER STREET MARKET GINZA)にて先行発売を行う。サンダーボルト プロジェクトとは?サンダーボルト プロジェクトは、2018年秋にスタートしたプロジェクトだ。ピカチュウのイラストを配したフーディトップスや「FRGMT」ロゴ入りのキャップなどのアイテムを展開。東京ではAmazon Fashion Week TOKYO期間中に渋谷ヒカリエで初展示され、その後、藤原ヒロシが手掛ける銀座ソニーパーク内のショップ「THE CONVENI」期間限定ショップなどで販売が行われた。サンダーボルト プロジェクト第2弾ラインナップそんな人気プロジェクトが再び始動。今回は、ドーバー ストリート マーケット全店で新商品を発売する。フーディフーディは、ブラックカラーに染まったピカチュウやコイルをモチーフにしたデザインがラインナップ。ボディのカラーは、ブラック・ホワイトの2色での展開だ。前回登場した「FRGMT」ロゴフーディは、全面はモノトーンカラーで、バックスタイルはイエローでアクセントカラーを加えたデザインで展開される。TシャツTシャツは、メンズモデル(大人用)の新デザインとしてイーブイが登場。第1弾ではキッズアイテムに起用されていたイーブイが、モノトーンカラーの大人っぽいデザインで提案される。もちろん、人気のピカチュウデザインも。「サンダーボルト プロジェクト」のロゴに起用されている、横を向いて走るピカチュウが、目や口などの表情が露わになった形で新モチーフとして使用されている。フーディ同様、Tシャツも各モデルブラック・ホワイトの2色がラインナップする。“あのピカチュウのぬいぐるみ”がマスコットにまた、前回の「サンダーボルト プロジェクト」で話題になったピカチュウのぬいぐるみ。ニューヨークで開催されたハイプフェストやTHE CONVENIの期間限定ショップで展示されたアイコニックなピースをモチーフにした「サンダーボルト プロジェクト」オリジナルのピカチュウマスコットを全世界で初めて販売する。そのほか、ドーバー ストリート マーケット限定アイテムのTシャツ、フーディが発売予定だ。ドーバー ストリート マーケット銀座店での店頭販売のほか、4月6日(土)11:00より、ドーバー ストリート マーケット ギンザ ホームページでも商品販売を行う予定だ。【詳細】サンダーボルト プロジェクト取り扱い店舗:ドーバー ストリート マーケット全店・フーディ 15,000円+税カラー:黒、白メンズサイズ:S、M、L、XL・Tシャツ 6,000円+税カラー:黒、白メンズサイズ:S、M、L、XL・マスコット 4,000円+税※ピカチュウのぬいぐるみは非売品。先行発売日:2019年4月6日(土) 11:00~20:00※ウェブ抽選発売。4月3日(水)18:00~抽選応募画面がドーバー ストリート マーケット ギンザホームページにて公開。HP:・ドーバー ストリート マーケット ギンザ住所:東京都中央区銀座6-9-5 ギンザコマツ西館※2019年4月6日(土)11:00~ドーバー ストリート マーケット ギンザホームページでも商品販売を行う予定。※ピカチュウマスコットは、ドーバー ストリート マーケット限定商品ではない。※Tシャツ、フーディの取り扱い商品は、ドーバー ストリート マーケット各店舗によって異なる。商品発売元:株式会社ジュン■「サンダーボルト プロジェクト」について藤原ヒロシ率いる「FRAGMENT」とポケモンの合同プロジェクトとして昨年10月に始動。国内外を問わず、様々なコンセプトでオリジナル商品を展開。「HYPEFEST」「AmazonFashionWeekTokyo」でのプレゼンテーション、その後銀座「THE CONVENI」で開催された国内初のPOP UPは業界でも大きな話題に。2019年も様々なサプライズを展開予定。インスタグラム:
2019年04月01日1月14日、京都市上京区の「冷泉家住宅」。年頭恒例の「歌会始」が厳かに幕を開けた。「歌聖」と謳われた公卿・藤原俊成と藤原定家父子から連なる歌道宗家・冷泉家。京都御所と同志社大学のキャンパスに挟まれた“陸の孤島”のようなその住まい、冷泉家住宅は、わが国で唯一、完全な形で現存する公家屋敷だ。この日、集まった約70人の門人に、歌会の段取りを説明していたのは冷泉貴実子さん(71)。和歌のお題を決めるなど、会全体を取り仕切る彼女こそが、平安の美を守り伝えてきた冷泉家の末裔。先代・為任さん(’86年没、享年72)の長女で、婿養子に入った貴実子さんの夫・為人さん(74)が現在の当主を務めている。いまでは美しい庭も「子ども時代は人手もお金も足りず荒れ放題、ジャングルみたいでしたわ」と貴実子さんは笑う。’47年、第二二代・為系さん(’46年没、享年65)の末娘だった母・布美子さん(’11年没・享年94)と父・為任さんの長女として貴実子さんは生まれた。「私が生まれた当時から、両親はずっと、税金との戦いに苦しめられてきたんです」父母の結婚から8カ月後。祖父・為系さんが65歳で他界。冷泉家は戦後の一時期導入されていた財産税、さらに固定資産税と、莫大な税金の納付に迫られた。伯爵だった冷泉家だが、華族制度も廃止され、戦前は毎年あった宮内省からの御下賜金もなくなり、市内で営んできた田畑も没収されていた。「母は死ぬまで言うてましたが、徴税官が土足で家に上がりこんできたそうです。そして『もう出てったらええやんか!』と怒鳴られて。『こんな大きい家にアホみたいにひと家族だけで住んで、何考えてんねや。ここにアパート建てたら、どんだけの人が住める思うてんねや!』って。稼ぎは会社員だった父の給与だけ。母は『もう税務署の前で首つらないかんかな、思うてた』と、そう言うてました」わずかに残っていた屋敷以外の土地を売り、和歌とは関係ない、お茶やお香の道具類や調度品を処分。なんとかしのいできたものの、やがて2度目の危機が。大黒柱・為任さんが定年を迎える年齢に差し掛かったのだ。そのころ、貴実子さんは32歳。「妹たち2人はすでに嫁いで家を出ていました。長女の私はそのころ、高校の教職について社会科を教えていたんです。それで、父が定年を迎えるにあたって、先々のことを考えておこう、と相続税を試算してみたんです。そうしたら……10億年単位のすごい額に。とてもじゃないけど払われへんと、途方に暮れましたよ」ちょうどそのころ、冷泉家の家、土地を「売ってほしい」という具体的な申し出があった。「それまで、きゅうきゅうとしながら家の存続のために働いてきた父も『さすがにもう無理や、売ったとしても、もうしょうがないのとちゃうか』と話していました」すると、この話を聞きつけた京都府が「待った」をかけてきた。「京都府の文化財保護課の担当者が訪ねてきて。『重要文化財に指定したいので、調査させてほしい』という申し出でした。もちろん、家のしきたりに反することで、抵抗はありましたが、『どうせ売るしかないんやから、いっぺん見さしたったらどうや?』いう話になったんです」当主以外の立ち入りを長年拒んできた冷泉家の御文庫に’80年春、学術調査の手が入った。両親が立ち会い、貴実子さんも初めて蔵の内部に入った。調査を担当したのは平安博物館(現・京都文化博物館)の館長や研究者たち。そこに、朝日新聞京都支局の記者も同行していた。それから数日後の4月4日。朝刊を手に取った貴実子さんは目が点になった。全国紙の一面トップにこんな大見出しが踊っていた。《秘蔵800年、冷泉家の蔵開く》さらに、別の面には《開かれた“文書の正倉院”》という見出しの関連記事や、学者の「国宝級……こんなに」という驚きの声も紹介されている。「初めは「名家が潰れかかっている」という単純明快な記事にするつもりだった」こう話すのは、その時、取材にあたった記者で、元朝日新聞編集委員の天野幸弘さん(73)。「事前に多くの学者から冷泉家のことを教えられていましたが、定家が直筆で書いた日記『明月記』など予想をはるかに上回る国宝級の文化遺産が数多く確認され、専門家も圧倒されていました。傷みが激しい屋敷にあって、蔵の中だけはとても奇麗だったのが印象的でしたね」この記事を境に、冷泉家を取り巻く状況は一変する。「もう、家の上をヘリコプターが飛ぶわ、突撃リポーターはやってくるわ、それは大変な騒ぎでした」すぐに国も動いた。文化庁の保護課長が自ら出向いてきて、冷泉家の財団法人化を提案してきた。「財団法人にすれば税金はなくなるというのは、前から聞いてはいました。だけど、4億円の基金を集めてください、と言われ、そんなん無理や、と思うてた。そうしたら、ある大企業のオーナーの方から『5,000万円寄付します』という電話が。もう涙が出ました。それを発端に、京都の財界の方々の多くが支援してくださったんです」翌’81年4月1日。異例のスピードで「公益法人冷泉家時雨亭文庫」は設立された。冷泉家の宝、いや日本の宝は、散逸を免れた。「あそこまで追い込まれていなければ、蔵を開くこともなかったと思います。そして、それしかほかにすべがなかったとはいえ、蔵を開く勇気を持てたことが、いまにつながっているんかな」財団の初代理事長には当主・為任さんが就任。34歳になっていた貴実子さんは、教職を辞め、財団の事務局長になった――。2度の破産危機を乗り越えて、貴実子さんは日本最古の公家屋敷で、藤原定家が築いた和歌を守り続ける。
2019年02月09日1月14日、京都市上京区の「冷泉家住宅」。年頭恒例の「歌会始」が厳かに幕を開けた。「歌聖」と謳われた公卿・藤原俊成と藤原定家父子から連なる歌道宗家・冷泉家。京都御所と同志社大学のキャンパスに挟まれた“陸の孤島”のようなその住まい、冷泉家住宅は、わが国で唯一、完全な形で現存する公家屋敷だ。この日、集まった約70人の門人に、歌会の段取りを説明していたのは冷泉貴実子さん(71)。和歌のお題を決めるなど、会全体を取り仕切る彼女こそが、平安の美を守り伝えてきた冷泉家の末裔。先代・為任さん(’86年没、享年72)の長女で、婿養子に入った貴実子さんの夫・為人さん(74)が現在の当主を務めている。「私が生まれる少し前まで、うちは伯爵家でしたから。一般社会とは、よそさんとはやっぱり没交渉の家だったと思いますね」’47年、第二二代・為系さん(’46年没、享年65)の末娘だった母・布美子さん(’11年没・享年94)と父・為任さんの長女として貴実子さんは生まれた。幼稚園は家のすぐ裏手の同志社幼稚園、小学校から高校までは地元の公立高校に通った。何やら特別な家に生まれたという認識は、幼いころからあった。「祖母の恭子(’70年没、享年82)はまだ健在で。その、おばあちゃんから年中、聞かされていました。『えらいえらい、怖い怖い俊成さん、定家さんっていう神さんがいはって、それは私らのご先祖さん。その神さんたちが書かはった大切なもんが蔵にはいっぱい詰まってんのやで。だから、蔵の前では手を合わせるんやで』って」貴実子さんは「ホンマの神さんやと思っていた」。だから、教科書に「藤原俊成」「藤原定家」の名を見つけたときは「ヒーッ、実在の人物やったん!?」と驚愕した。冷泉家には現在も5棟の蔵がある。なかでも、もっとも大切にされてきたのが、俊成、定家が遺した典籍や古文書が収められた「御文庫」。当主以外は立ち入ることが許されない“聖域”で、蔵の2階には偉大な先祖が祭られている。「うちの年始は御文庫の参拝から。俊成さん、定家さんは私たちにとってはやはり神さんで、それがうちの初詣で。正月以外も、いまも日に1度は蔵の前で手を合わせます」「けったいな家やな」と幼な心に思いつつも、成長するにつれ、平安時代から続く家の娘としての責任感も芽生えてきた。「自分は三姉妹の長女。誰かが家を継いでいくとしたら……」進学先の京都女子大学で日本史を専攻したのも、そんな気持ちの表れだった。「でもね、一方では『こんなうっとうしい家、たまらんわ』いう思いも強かったんです。高度経済成長まっただ中の日本は、古いもの、歴史のあるものなんて誰も見向きもしなかった。私は先日、亡くなった兼高かおるさんに憧れてましたし、家を飛び出して外の世界に行きたい、そんな夢もあったんです。だから大学に通いながら、フランス語も勉強してました」京都女子大の大学院に進んだ貴実子さんは勢い、春休みにフランスに旅行。そこで目の当たりにしたのは、古い都の景観を心から愛でる人たちの姿だった。「パリの街並み、シャンゼリゼなんて有名な通りだけじゃなくて、その裏街とかも素晴らしかった。だって、近代的なビル、あそこにはないじゃないですか。それだけでもびっくりしたわ。日本なんて新しいビルに建て替えることばかり一生懸命な時代だったから。京都でも、どんどん町家が壊されてましたよ。日本では古いものに一片の価値も見いだされてなかったのに、フランスでは歴史的なものを大切にすることが当たり前のように行われてた」子どものころ、祖母・恭子さんから言われた言葉が脳裏をかすめた。「あんたが守っていってや」。「フランスに行って初めて『冷泉家って価値があるんやないか』と思い至ったんですね。そして、帰国して、あちこち傷みの激しい家を改めて見て「なんとかせな、いかんな」と思いましたね」こうして、貴実子さんは800年の伝統を守り抜く覚悟を決めたのだった――。歌会始のこの日、大広間には、平安の世にタイムスリップしたかのような世界が広がっていた。「800年、先祖が守り抜いた日本の文化を、この先また800年、伝えていきたい、そう思うています」
2019年02月08日藤原竜也が主演する、蜷川実花監督の最新映画『Diner ダイナー』(7月5日公開)特報が5日、公開された。同作は平山夢明による冒険小説『ダイナー』を実写映画化。殺し屋専用のダイナーにウェイトレスとして売られる羽目になってしまったオオバカナコの前に現れたのは、元殺し屋で天才シェフの店主・ボンベロ(藤原)。極限状態の最高にブッとんだ世界が繰り広げられる。この度本編初解禁となる特報映像は、藤原演じるボンベロの「俺は、ここの"王"だ!」と歌うように叫ぶセリフから幕が開き、蜷川監督による色彩美溢れるダイナー(食堂)の一部が明らかになる。ナイフを手に不気味で圧倒的な存在感を放つボンベロと、今はまだ全貌が見えないキャラクターたち。ダイナーに集う強烈な"殺し屋"を演じるのは窪田正孝、本郷奏多、武田真治、斎藤工、佐藤江梨子、金子ノブアキ、さらに、小栗旬、土屋アンナ、真矢ミキ、奥田瑛二ら日本映画界を代表する本格派の豪華俳優たちとなった。殺し屋たちの役柄、ビジュアル、そしてヒロインともいえる役柄の"オオバカナコ"に関してについては今後明らかになっていく。
2019年02月05日東京・西麻布の静かな路地の一角に、モディストで、美智子さまはじめ、皇室の帽子デザイナーでもある石田欧子さん(54)が父・暁夫さんから受け継いだアトリエがある。1階は、帽子ショップになっていて、カラフルな帽子が並ぶ。2階から4階がアトリエだ。欧子さんは現在、これらを運営する会社、オートモード平田の責任者でもある。モディストとは、洋服のオートクチュールに匹敵する高級帽子を作るデザイナーのこと。「私の父、平田暁夫は、かつてジャン・バルテ氏に帽子作りを教わりました」“ジャン・バルテ氏”とは、’60年代にフランスのパリで名をはせたモディストだ。欧子さんの父、故・平田暁夫さん(享年89)は、皇室の帽子デザイナーも務めていた。美智子さまがご公務でお召しになる小さなつばの平らな帽子は、暁夫さんが美智子さまと試行錯誤のすえ、長い年月をかけて、共に作り上げてきたものだ。「父は、常にかぶる方のことを考えていました。どんなフォルムにしたらかぶりやすいか。どんなラインにしたら、その方に似合うか。何度も自分でかぶっては、また形を整えて。私やスタッフにもかぶらせてみて、ここはもう少し、こうしようとか。確認しながら仕上げていくのです」暁夫さん亡きあと、皇室の帽子づくりは欧子さんに引き継がれている。「皇室の方々でも一般の方でも、帽子作りに対する姿勢は同じです」と話す欧子さんだが、皇族ならではの難しさもある。「皇族の方々は、TPOに応じて決まりが多く、帽子もそれに合わせないといけません。それに、一般の方なら、たとえ帽子が風で飛ばされそうになっても手で押さえることができますが、皇族の方々は、お立場上そういうことができない場合も。ほかに気配りなさらないといけないことも多いですから、帽子に関しては、これをかぶっていれば大丈夫と安心していただけるものをお作りしないと」美智子さまの姿勢に学ぶところも多いという。「美智子さまは、いつもご訪問先のことを考えて、その国の国花をモチーフにしたり、素材を使ったりしたお帽子をご希望されます」暁夫さんが亡くなってすぐの’14年6月、両陛下が、とくに思い入れの強い沖縄をご訪問の際には、美智子さまたってのご希望で、沖縄の芭蕉布という生地を使って帽子をお作りしたという。また、’17年3月のベトナム、タイご訪問の際には、現地になじみ深い笹をつかったデザインで、というオーダーがあった。「笹をどうデザインしようかと迷いましたが、いくつかサンプルをお持ちすると、『こういうふうにしたらどうかしら』と、皇后さまもアイデアを出してくださって」天皇陛下退位後に美智子さまからバトンを受け継がれる雅子さまは、欧子さんと同年代。同じく“伝統を継承する立場”として、欧子さんは雅子さまを、どうご覧になっているのか。「私とは、受け継がれるものの大きさが全く違いますから……。ただ、雅子さまはシンプルなものをお好みですが、背もすらっとお高いので、華やかなお帽子もお似合いになると思います」欧子さんの帽子作りを、受け継ぐ若い芽も着実に育っている。’18年10月、青山のギャラリーでは、欧子さんの長女、早姫さん(26)と長男、翔さん(20)が立ち上げたブランド「saki et show」の新作展示会が行われていた。室内に降り注ぐ秋の光に照らされた帽子は、どれもスタイリッシュでかぶってみたくなる。長女の早姫さんは言う。「祖父や母が、美智子さまや皇族の方々の帽子を作っているということは小学生くらいから知っていました。両親はひと言も言いませんでしたから、テレビで見て、『あれ、うちで作っている帽子だ』みたいな(笑)。でも、家業を継ぐつもりはありませんでした。両親からも、継がなくていいと言われていましたし」しかし、暁夫さん亡きあとのお別れ会で、大勢の人が暁夫さんの華やかな帽子をかぶって参列しているのを見て気持ちが変わった。「あんなに多くの方が、祖父の帽子をかぶっているのを見るのは初めてでした。展示品の帽子は目にしていたけど、実際にかぶったら、帽子も人も、こんなに輝くんだ、って。この家に生まれたからには、私がすべきことはこれだと」現在、専門学校生の翔さんも、卒業したら家業を継ぐつもりだ。「母は、ひと目見て、その方に似合う帽子のラインがわかる。いつも、かぶる人のことを考えているからでしょう。それってすごいことだし、祖父から受け継いできたものだと思います。私たちも、そんなよい伝統は継承しながら、もっと、若い人が手軽にかぶれる帽子を提案していきたいですね」欧子さんは、父の暁夫さんがそうだったように、子どもたちの成長を静かに見守る。3代目のこれからが楽しみだ。「時代に合わせて変えなければならない部分もあります。子どもたちには、受け継ぐべきところは受け継いで、新たなチャレンジもしてほしいと願っています」時代が変わっても、代々培われてきた技と心は継承されていく。
2019年01月28日「天皇陛下と美智子さまは、1月下旬に神奈川県の葉山御用邸で静養される予定です。ご滞在中の両陛下は、御用邸裏の『小磯の鼻』と呼ばれる海岸を散策され、地元の人々とお話しされることもあります。ご退位まで4カ月をきったいま、両陛下のお姿を拝見できる貴重な機会になりそうです」そう語る皇室担当記者。退位後の両陛下はご公務をなさる予定はなく、お出ましの機会が激減すると見られている。「両陛下はご静養の初日に横須賀市の観音崎公園を訪れます。戦没船員の慰霊碑に花を手向けられたのち、葉山御用邸へ向かわれるそうです。両陛下として最後のご滞在となりますので、ご家族との思い出にあふれる場所で、お二人の60年間の歩みをゆっくりと振り返られるのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)しかし両陛下、とりわけ美智子さまのご心境は穏やかではないのでは……と心配を口にするのは宮内庁関係者。「眞子さまと小室圭さんの“ご結婚延期問題”が解決しないままお代替わりを迎えることは、ほぼ確実な状況になっているからです」昨年11月に秋篠宮さまは誕生日会見で、現状では『婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません』と明言された。「小室さんに対しての“最終通告”ともいえる、厳しいご発言です。それでも眞子さまのお気持ちは固く、小室さんとの結婚の意志は変わっていないようなのです。年が明けてからも、眞子さまは、小室さんに関しては秋篠宮ご夫妻と“対話拒否”状態にあるようです。美智子さまはこの問題についての発言を慎んでこられました。言葉にはなさいませんが、誰よりも初孫である眞子さまの未来を案じていらっしゃることでしょう」(前出・宮内庁関係者)
2019年01月17日「あ・り・が・と・う」広場に集まった数万人もの人々から大歓声を受けて、皇居・長和殿のベランダに立たれた美智子さま。その唇が何度か、感謝の言葉を紡ぎだすように動いた――。1月2日、快晴の空の下で平成最後の新年一般参賀が行われた。もともと両陛下のお出ましは5回の予定だったが、例年をはるかに上回るペースで人々が詰めかけたため、宮内庁は急きょ6回に変更した。「宮内庁の担当者は、報道陣に対しても『7回目はありません』とアナウンスしていました。しかし、両陛下のお出ましに間に合わなかった人々が大勢いたのです。それをお聞きになった両陛下の強い希望で、7回目のお出ましが決まりました。天皇皇后両陛下は、常に国民に寄り添うことを心がけてこられました。自分たちを求めてくれる声に、できる限り応えたい――。そうお考えになったのでしょう」(宮内庁関係者)昨年12月23日、天皇陛下の誕生日の前に行われた記者会見では、陛下の美智子さまへの深い愛情が伝わってくる場面があった。宮内庁担当記者はこう語る。「会見は20分ほどでした。皇太子殿下、そして天皇陛下としてご自身が歩んでこられた道のりを思い出されたのか、美智子さまへの感謝のお気持ちを述べられるあたりから、涙声を抑えきれなくなられたのです」陛下が涙ぐまれたのは、この言葉を述べられたときだという。《自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民への双方の献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います》文化学園大学客員教授で皇室ジャーナリストの渡辺みどりさんは言う。「会見の内容は事前にご存じだったにせよ、陛下の真情あふれるご様子に、美智子さまも胸を熱くされたことでしょう。84年の銀婚式会見で、陛下は美智子さまに“努力賞”を、美智子さまは陛下に“感謝状”を差し上げたいとおっしゃいましたが、そのやり取りを思い出しました。先日の会見の際、陛下のお隣に美智子さまがいらしたら、どんな感謝のお言葉を返されたでしょうか」実はいま、美智子さまに“最後のお言葉”を語る場へ臨んでいただく計画が進行中なのだという。前出の宮内庁関係者が言う。「宮内庁記者クラブは、今年4月10日のご成婚60周年もしくは4月末の退位直前に、天皇皇后両陛下の記者会見を要請しています。宮内庁サイドは天皇陛下のご体調を考慮して、昨年12月23日の誕生日会見が最後であると明言しています。しかし、天皇陛下の誕生日会見が感動的だったこともあり、記者クラブの熱意はさらに高まっているのです。天皇陛下と美智子さまは、常に“国民の思いに応えたい”というお気持ちでいらっしゃいます。美智子さまも公の場で陛下への感謝を示したいとお考えになっていることでしょう。実現の可能性は決して小さくありません。国民にとっても大きなサプライズになりますね」これまでも数々の名言を残されてきた美智子さま。ご成婚60年をお迎えになる4月、どのようなお言葉を語られるのだろうか――。
2019年01月10日女優の藤原紀香が、9月から上演される舞台版『サザエさん』で、サザエ役を演じることが1日、明らかになった。これは、フジテレビ系で放送されているアニメ『サザエさん』が、今年10月に放送50周年を迎えることを記念して上演されるもの。舞台版は10年後を描くもので、マスオを原田龍二、フネを高橋恵子、波平を松平健が演じる。演出・脚本は、田村孝裕氏。東京公演は、明治座で9月3日~17日。福岡公演は、博多座で9月28日~10月13日に行われる。『サザエさん』アニメ50周年事業では、昨年12月26日から初期フィルム作品をデジタル化し、FODとAmazon Prime Videoで配信しているほか、番組公式ホームページをリニューアル。さらに、最新技術を使って世界観を体感できる『サザエさん展』(仮)も、東京を皮切りに夏以降全国各都市で開催される。(C)長谷川町子美術館
2019年01月01日多彩な人脈をお持ちでいらっしゃる皇室の方々。その交友関係は芸能界にも広がっている。美智子さまと意外な接点があったのは、ダンス&ボーカルグループ・TRFのSAM(56)。実家は埼玉県の総合病院で、父や3人の兄や弟はみな医師として実家を守っている。兄弟の中でSAMだけが、父の反対を押し切ってダンサーになった。「SAMさんは先日、NHK総合の『ファミリーヒストリー』に登場。父方の先祖が石田三成や上杉謙信と交流があったことが明らかになりましたが、実は、SAMさんの母は美智子さまと交流があったのです」(皇室ジャーナリスト)SAMの母は学生時代にテニスの選手で、美智子さまと何度も優勝を争っていたのだ(97年11月25日号「“アムロの姑”は美智子さまのライバルだった!」)。美智子さまは聖心女子大時代に関東学生選手権で優勝するほど。SAMの母も実力者が揃う学習院大学で活躍していた。「動きがキビキビして、よく走るテニス」が持ち味だったという。SAMのダンスにも美智子さまとしのぎを削った“走るテニス”が脈打っているのかも?【創刊60周年記念「女性自身」皇室SPECIAL増刊】ご婚約から60年 美智子さまその輝きは時代を超えて――2018年12月25日(火)発売特別定価 500円(税込)
2018年12月28日藤原美智子がNHK文化センター青山教室に登場2019年1月26日(土)、NHK文化センター青山教室において、1日講座『LIFE IS BEAUTY 美しく幸せに生きるための逆算思考』が開催される。講師は、ヘア・メイクアップアーティストの藤原美智子が務める。美容だけでなくライフスタイル全般に関する知識が豊富な藤原が、大人の女性をさらに輝かせる「美・衣・食・住」のヒントを伝える。人生を軽やかに、美しくする工夫が満載だ。開場時間は10:00。開催時間は10:30から12:00まで。受講料は、NHKカルチャー会員が3,931円(税込み)、一般が4,611円(税込み)。2019年1月18日(金)まで、藤原への質問を受け付けている。講座終了後には、サイン会を実施予定。講座に関する問い合わせは、NHK文化センター青山教室(電話番号:03-3475-1151)まで。ライフスタイルデザイナーとしても活躍する藤原美智子藤原美智子は、ラ・ドンナを主宰し、メイクアップアーティスト、ライフスタイルデザイナーとして、幅広い分野で活躍。ライフスタイルブランド「MICHIKO.LIFE」のプロデューサーも務めている。『新しい口紅は寝る前に試す』、『美の宿るところ』など著書多数。Instagramのフォロワー数は33,000人以上を超える。(画像はNHKカルチャーより)【参考】※NHKカルチャー※藤原美智子 Instagram※ラ・ドンナ
2018年12月04日「@cosme Beauty Day 2018」開催来年で20周年を迎える日本最大級の美容・コスメ総合サイト「@cosme」では、2018年12月3日(月)、1日限りのスペシャルイベント「@cosme Beauty Day 2018」を開催。その気になる内容が公開された。スペシャルアイテムを予約でGET!当日は1,900ブランド、35,000品を超えるアイテムが、なんと全品20%ポイントバック。一部の対象商品は更に還元率がアップするという。また「@cosme Beauty Day」でしか手に入らないスペシャルアイテム(厳選39ブランド・44アイテム)を用意。イベント前日の12月2日(日)まで、毎日12時に3、4アイテムずつ日替わりで公開される。商品は事前予約可能というから嬉しい。記念企画の特別インタビューもイベントの記念企画として、2018年の美容に関するスペシャルインタビュー記事も日替わりで公開される。美容家の藤原美智子さんや女優・タレントの高橋メアリージュンさん、渡辺直美さんなど、蒼々たるメンバーだ。他にもトップメイクアップアーティストによる「プライベートヘアメイク&撮影体験」が限定1名に販売されるなど、さまざまな企画を用意。1日限りのコスメの祭典を、どうぞお見逃し無く。(画像は公式サイトより)【参考】※@cosme Beauty Day 2018
2018年11月25日雑誌や広告などで人気の千吉良恵子氏11月3日、雑誌や広告などで人気のヘアメイクアップアーティストがファッションやイベントごとのメイクの秘訣を紹介している新刊『メイクのヒント 毎日可愛くなれる』が発売された。著者はヘアメイクアップアーティストで「cheek one」主宰の千吉良恵子(ちぎらけいこ)氏である。特別動画が見られるバーコード付きヘアメイクアーティストの藤原美智子氏が主宰する「ラ・ドンナ」を経て、2012年に「cheek one」を設立した千吉良恵子氏は大手化粧品会社などの広告などを担当し、美容、ファッション雑誌でも活躍している。また、『千吉良恵子の効くメイク』『千吉良恵子の可能力メイク』などの著作もある。新刊『メイクのヒント 毎日可愛くなれる』では、女優やモデルから指名され続けている千吉良氏がメイクテクニックを紹介。おめかし感を出したい時、自宅でデートの時、インスタ映えを狙いたい時など、ファッションやイベント、肌の状態に合わせたメイクのヒントが掲載されている。同書には人気モデルが多数登場し、「チークテクニック」の特別動画が見られるバーコードも掲載。新刊はA5判で112ページ、「講談社の実用BOOK」として1,400円(税別)の価格で発売中である。(画像はAmazon.co.jpより)【参考】※メイクのヒント 毎日可愛くなれる
2018年11月11日《陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、ご一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています》10月20日、美智子さまが84歳の誕生日を迎えられた。毎年お誕生日ごとに発表されてきたお言葉。皇后として最後となるお言葉には、天皇陛下のご退位まで半年あまりとなった現在の心境が綴られていた。陛下のご退位後、来年5月からはご公務を離れ、お二人での安らぎの日々が始まる。美智子さまはすでに新生活への準備を始められていると語るのは宮内庁関係者。「高輪皇族邸での生活を経て、赤坂の東宮御所(改修後に仙洞御所に改称)へと、2度のお引っ越しもあります。空いた時間には私物の整理などをされています。また、お代替わり後は新天皇・新皇后より目立たないように配慮して、外出を減らされるご意向もあるそうです。そのため、今のうちに旧友との再会をしておきたいというお考えもおありのようです」11月末には私的に静岡県をお訪ねになり「ねむの木学園」の宮城まり子園長に再会する予定だ。もともとは7月にご訪問が予定されていた。西日本の豪雨被害に配慮し延期となっていたが、4カ月越しに宮城さんとの約束をかなえられるのだ。女官を通じて電話でご訪問を伝えられたという宮城さんが喜びを語る。「その瞬間『うれしい~!』と、受話器を握ったまま泣きだしてしまいました。退位までに残された少ない時間を、学園の子どもたちと私のために割いてくださるのです。子どもたちも一生、感謝し続けることでしょう」60年前、ご成婚の日に陛下は《どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの》と美智子さまにおっしゃったという。美智子さまと交流のある元絵本編集者の末盛千枝子さんもこう語る。「全身全霊をもってお務めを果たされる天皇陛下。お若いころからのゆるぎないご覚悟に心を打たれ、皇后さまは24歳という若さで皇室に嫁がれたのです。それ以来60年間、天皇陛下と同じご覚悟を持って過ごされてきました。平成が終わろうとする今、それはすごいご決断だったと改めて感じます」美智子さまは、皇室に嫁がれてから現在までを振り返って《皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした》と綴られている。数々の困難がありながらも皇后としての“義務”を最優先に取り組まれたからこそ、ご公務を離れてからは穏やかな生活を、とお考えなのだろう。来年5月の陛下のご退位後、美智子さまが楽しみにされていることもお言葉の中にある。《手つかずになっていた本を、これから一冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため、これまでできるだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます》前出の末盛さんが、本に関するエピソードを明かす。「本を読まずに積んでおく“積ん読”をよくしていますねなどと、談笑させていただいたことがありました」お言葉では述べられなかったが、美智子さまが音楽に造詣が深く、ピアノ演奏も得意でいらっしゃるのは有名なことだ。美智子さまを長年取材してきたメディアプロデューサーの渡邉満子さんはこう語る。「4月、皇后さまは陛下とご一緒に鈴木鎮一さんの生誕120周年記念コンサートを鑑賞されました。実はその数日前、お忍びで1度目のリハーサルにお出かけになり、子どもたちの伴奏までなさったのです。来年以降も音楽を通じてのご交流も楽しみにされていると思います。また皇后さまは若いころ、将来は本屋さんか、お花屋さんになりたいというお気持ちを持っていらっしゃったそうです。赤坂御用地でのガーデニングにも、今から胸を躍らせていらっしゃると思います」ご退位後、そして皇太子妃のころの思い出がつまった赤坂御用地に戻られてからも――。美智子さまは天皇陛下とご一緒に、笑顔で過ごされることだろう。
2018年10月26日10月20日、美智子さまが84歳の誕生日を迎えられた。今回のお誕生日は、美智子さまがご自身の文章でお考えを発表される最後の機会と思われるため注目が集まっていた。そのお言葉には、天皇陛下のご退位まで半年あまりとなった現在のご心境が綴られていた。ただ、今回のお言葉の形式に違和感を覚えたと語るのはベテランの皇室ジャーナリスト。「例年は、ご家族や親交のある方々に感謝やエールを述べられるのですが、今年はそれがありませんでした。これまでとは雰囲気が異なる文章です。中でも《また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリを作ってみたいと思っています》という一文で始まるお話が、かなり異質なように思えたのです」それは次のように続く。《こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田の近くに一畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいかと陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げるものだからと仰せで、6月の大祓の日に用いられることを教えてくださいました。大変な瓜田に踏み入るところでした。それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました》さらに「大変な瓜田に踏み入るところでした」という部分については、丁寧にこのような注釈もつけられている。《広く知られている言い習わしに「瓜田に履を納れず」(瓜畑で靴を履き直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきでないとの意から、疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある》皇室ジャーナリストは慎重に続ける。「『疑念を招くような行為は避けるように』といった文言はあまりに意味深です。美智子さまは、ご自身の意図が誤解されないようにと細心の注意を払い、何度もお言葉を推敲されます。注釈についても、美智子さまの要望で入れられ、チェックされているはずなのです。バラやユウスゲなど、多くの花々を栽培されてきた美智子さまが、なぜ20年以上も前のマクワウリの話をあえて持ち出されたのか。マクワウリそのものよりも“言い習わし”のほうをお伝えしたかったのではないかと思いました」この挿話と注釈については、さまざまな解釈が試みられている。森友・加計問題など、数々の疑惑を追及された安倍政権への皮肉ではないかと指摘する声もあった。だが前出の皇室ジャーナリストは次のように語る。「いつも美智子さまはお誕生日のお言葉に、ご家族への思いを込められてきました。とりわけ眞子さまのご結婚問題にゆれる秋篠宮家のことは心配でならないはずです。美智子さまはマクワウリの挿話によって、小室圭さんの件をどう乗り越えるべきか示唆されたのではないでしょうか」美智子さまはこれまで一貫して“小室さん問題”には一切言及してこなかった。それにもかかわらず美智子さまのご発言とされる文言が繰り返し報じられたため、5月には宮内庁が「これまで両陛下は共に首尾一貫このことに関し一切発言を慎まれてこられました」と異例の発表を行った。前出の皇室ジャーナリストはこう語る。「今回のお誕生日は、美智子さまがご自身の文章でお考えを発表される、最後の機会だと思われます。秋篠宮家は、両陛下が貫かれてきた“お立場としての義務を最優先する姿勢”を、本当に受け継いでくれるのか――。小室さん問題により、美智子さまは危機感を抱かれたのではないでしょうか」小室家の借金トラブル発覚は、秋篠宮家に対する国民の見方も一変させた。「皇族やそれに連なるものは、その立場を自覚し、公明正大であるべきというのが美智子さまのお考えです。秋篠宮家も小室家も、国民に疑われるような行動があってはならない――。そんな戒めを込めて、マクワウリの挿話を書かれたのではないでしょうか」美智子さまは“赤坂の広い庭のどこか”にマクワウリを植えたいと綴られた。その記述には“赤坂御用地に住む眞子さま、秋篠宮家にこそわかってほしい”そのような“訓戒”がこめられているに違いない――。
2018年10月25日