高崎商科大学・高崎商科大学短期大学部(群馬県高崎市、学長:渕上勇次郎、以下「本学」)では、コロナ禍における学生生活や修学環境の変化によって経済的支援が必要な学生が少なくない現状を踏まえ、学内で販売されるお弁当の購入に利用できる「フリーランチチケット」2,000円分を、2022年6月下旬から7月初旬にかけて大学院・大学・短期大学部の全学生1,079名に配布し、「食」による支援を行っています。地元企業が販売するお弁当フリーランチチケットを利用する学生本学では、コロナウイルス感染症の拡大によって修学環境が変化し始めた2020年度より、オンライン環境整備のための給付金(2020年度)や学内金券チケットの配布(2021年度)等、生活と学びを支える取り組みを継続して行ってきました。しかしながら、いまだに続くアルバイトの機会の減少や、昨今の世界的な物価高騰を受けて「食」の面でさらなる支援の必要性が生じていると判断し、今回のフリーランチチケットの配布に至りました。また、同様に厳しい環境下に置かれる地元飲食業界に対しても協力ができればと、地元企業4社に学内での弁当販売を委託し、チケットでの購入が可能な仕組みとしました。フリーランチチケットお弁当を購入する学生なお、「フリーランチチケット」配布は、本学後援会からの寄付、また、大学独自の支援に対して交付される学生支援機構からの助成金を活用しています。「食」によって健やかな学生生活を支え、学びの機会とモチベーションを維持するために後援会をはじめ全学的な協力体制のもと今回の「フリーランチチケット」の配布が実現しました。引き続き、学生の実情を的確に把握しながら、きめ細やかな支援を継続して行ってまいります。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年07月06日グラビアアイドル・高崎かなみのデジタル写真集『hold on』(東京ニュース通信社 1,320円)が20日より、Amazon kindle store、楽天kobo、hontoほか各電子書店で順次配信される。『B.L.T.』や『blt graph.』の誌面で掲載しきれなかった未公開カットを収録した、B.L.T.デジタル写真集。今回は、グラビア、女優、モデルなど多方面で活躍中の高崎かなみが登場する。同作収録のグラビアは、ホテルと海街で撮影。ホテルの客室やお風呂、天気の良い外ロケーションなどで、さまざまな水着姿を披露している。
2022年06月20日神奈川県相模原市に位置する、北里大学相模原キャンパス。大学の近くにあるエクウス・ライディングファームで活動している馬術部は、Twitterアカウント(@equestrian_team)で部活に関する情報や、動物たちの様子を発信しています。来場した人は乗馬体験をすることができるため、多くの馬が生活している同ファーム。馬術部が、白ブチ模様が特徴的な馬のレアダイアモンドちゃんの様子をTwitterに投稿したところ、反響が上がりました。ひょっこりと顔を出して、興味深く何かを見つめるレアダイアモンドちゃん。視線の先にいたのは…。似てるから、気になる?? pic.twitter.com/p0TpHKsxMa — 北里大学馬術部相模原キャンパス (@equestrian_team) June 1, 2022 レアダイアモンドちゃんが見つめていたのは、同じく白ブチ模様が特徴的な、ダルメシアンのメッセルちゃん!「すごくそっくりだなぁ~!」と思い、仲間意識を感じていたのでしょうか。そっくりな馬と犬の姿に、自然と頬がゆるみますね。「最高のツーショットだ…!」「まさか…生き別れの兄弟!?」といった声が寄せられた、レアダイアモンドちゃんとメッセルちゃん。種族は異なっても、姿が似ていると何かを感じるものなのかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2022年06月19日YouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」を運営する株式会社BLOCK(代表:山本達裕、本社:東京都港区)とベースボール専門メディアFull-Count(フルカウント)を運営する株式会社Creative2(代表:石倉勇、佐藤岳、本社:東京都目黒区)は、「江川卓のたかされ」とFull-Countとのタイアップ企画を2022年6月4日から開始します。江川卓のたかされ×Full-Count【江川卓のたかされ×Full-Count タイアップ企画について】■Full-Count編集長による江川卓氏への直撃インタビューFull-Count編集長による江川卓氏への直撃インタビューを行い、Full-Count内のページで記事として公開されます。また、インタビューの様子は、「江川卓のたかされ」でもタイアップ企画として公開されます。プロ野球記者歴17年の編集長が、江川卓氏へズバリと切り込むインタビューは必見です。■「江川卓のたかされ」動画コンテンツのエンベッド記事の公開「江川卓のたかされ」の動画コンテンツの中で、Full-Countが気になる動画をピックアップし、野球専門メディア独自の目線で記事にして公開します。また、記事の中では「江川卓のたかされ」の動画の埋め込みも行い、より詳しく内容を知りたい方は、記事内で動画を視聴することができます。■Full-Count内で「江川卓」特別カテゴリーの設置Full-Count内に「江川卓」特別カテゴリーの設置を行い、今回のタイアップ企画をさらに盛り上げます。〈YouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」〉URL: 〈ベースボール専門メディアFull-Count(フルカウント)〉URL: 【会社概要】名称 : 株式会社BLOCK代表 : 山本達裕所在地 : 東京都港区西麻布1-14-1 井門西麻布ビル5F事業内容: YouTubeチャンネルの制作・運営事業、ECコンサルティング事業URL : 名称 : 株式会社Creative2代表 : 石倉勇、佐藤岳所在地 : 東京都目黒区東山2-3-2 COM'S FORUM 5F事業内容: マーケティング事業、メディア事業、アスリートサポート事業URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月03日こだわりのトリートメントで縮毛矯正並みの美髪になれるやの店舗情報や求人情報を掲載するWEBサイト「Findサービス」にて、群馬県 JR線「高崎駅」より徒歩16分の『Plcra hair art』の情報を2022年3月24日に掲載開始いたしました。Findサービス: 以下『Plcra hair art』の店舗および提供サービスの情報です。JR線「高崎駅」より徒歩16分のところにある『Plcra hair art』は、落ち着きのある雰囲気で心安らぐ時間が過ごせるセット面2席のプライベートサロンです。一人ひとりの髪質やクセ、お悩みに寄り添う丁寧な施術で定評があります。なりたいスタイルはもちろん、「あなたらしさ」も取り入れたスタイルも提案してくれるため、より魅力を引き出すスタイルが叶いますよ。髪質改善にも力を入れており、こだわりの厳選トリートメントでは縮毛矯正並みの自然なストレートヘアが手に入ります。駅から徒歩圏内のプライベートサロン『Plcra hair art』は、高崎駅から徒歩圏内の隠れ家的プライベートサロンです。セット面は2席、大型のサロンが苦手な方でも周りの目を気にせず自分だけのリラックスタイムを過ごすことができますよ。また髪のお悩みを相談しやすく、それに沿ったカウンセリング、施術も丁寧に行ってくれます。お悩みに応じた丁寧な施術で、リピーターが多い人気のサロンです☆「あなたらしさ」も取り入れたスタイルを提案髪質や骨格、クセなどの髪のお悩みは人それぞれ異なりますよね。『Plcra hair art』では、経験豊富なスタイリストが丁寧にカウンセリングを行ってくれ、なりたいスタイルはもちろん、「あなたらしさ」も取り入れたスタイルを提案してくれます。高い技術でも定評があり、再現性の高さ・持ちの良さでサロン帰りの美しい仕上がりが長続きしやすいのも特徴です♪店舗情報はこちら : こだわりの厳選トリートメントで自然なストレートヘアが叶う!スタッフも募集中◎『Plcra hair art』は、トリートメントにもこだわるサロンで、カットやカラーと合わせたセットメニューもおすすめです。「髪質改善トリートメント」は、縮毛矯正をせずにうるおい溢れる自然なストレートヘアが叶うことでサロンでも人気の施術!髪の内部へと栄養を補給してくれるため、パサつきや広がり、カラーやパーマによるダメージでお悩みの方には特におすすめです◎ホームケア付きのメニューもあり、自宅でも継続してケアできるのがうれしいポイント。また、そんな『Plcra hair art』では現在一緒に働くスタッフを募集中です!「美容を楽しく」をコンセプトに掲げ、美容師免許を持っている方なら経験者の方はもちろん、新卒・中途・子育て中のママさん、他業種から来られた方などキャリア問わず大歓迎☆正社員登用もあり福利厚生も充実!安心して働ける職場をお探しの方にはぴったりです。詳しい情報は下記からご覧いただけます。気になった方は是非一度確認してみてください◎求人情報はこちら : Plcra hair art の店舗情報店名:Plcra hair art電話番号:05052680543住所:群馬県高崎市高関町58-3地図 : ※店舗情報詳細は下記リンクページよりご確認ください。Plcra hair art (高崎駅(JR)/美容室)|Find ビューティー : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年06月02日アメリカのミシガン州で馬たちと暮らす女性が、愛馬の動画を投稿しました。5歳のオス馬のクロームは、とてもいたずら好きで、周りにあるものを何でも『遊び道具』にしてしまうのだとか。この日、飼い主さんは野菜を植えている庭でクロームを放し、草を食べさせようとしました。すると次の瞬間…飼い主さんが呆れてしまった理由がこちらです。「クローム、ウソでしょ。あなたを2秒も放っておけないわ。こういうことをするから」ほんの少し目を離したすきに、クロームがまたもや、いたずらをしていたのです!クロームが頭を突っ込んだのは、プラスチック製のゴミ箱。これは干し草のディスペンサーとして使うために、底の部分を切り取ってあります。その穴が、ちょうどクロームの鼻先にジャストフィット!ただ、楽しむのはいいものの、自分ではゴミ箱を外すことができません。「またか…」というような飼い主さんのため息に対して、クロームのしれっとした表情が笑いを誘いますね。この動画を見た人たちは、愉快なクロームに吹き出してしまったようです。・ははは、かっこいいヘルメットだね!・ゴミ箱から見えた、馬のカメラ目線で爆笑した!・馬「何か問題でも?」。・この馬は、ダースベイダーになりたかったんじゃないかな。この後、飼い主さんはクロームの頭からゴミ箱を外してあげました。クロームはケガなどはまったくしていないそうです。クロームはゴミ箱を見て「おっ、面白そうなものがある!」とすかさず頭を突っ込んだのでしょう。愛すべき動物たちはいつだって、私たちの予想を超えた行動で笑わせてくれますね![文・構成/grape編集部]
2022年05月30日北海道浦河町にある、有限会社上山牧場(@kmym_bokujo)は、Twitterに「あなたの25秒をください。絶対に笑います」と投稿しました。コメントとともに投稿したのは、1本の動画です。動画に映る馬は、2022年4月30日に生まれたばかり。動画には、元気すぎる馬が映っていたのです。あなたの25秒をください。絶対笑います。 pic.twitter.com/R095DKnHfK — (有)上山牧場 (@kmym_bokujo) April 30, 2022 地面にある草や、そばにいたスタッフを嗅いでいる馬。すると、馬は母乳を飲むようにスタッフのアゴを吸い始めたのです!きっと馬は、世話をしてくれているスタッフを母親と勘違いしたのでしょう。これには、様子を見ていたほかのスタッフも、「どこを吸ってるの!」と笑いながらツッコミを入れています。同牧場が「25秒で絶対に笑う」と宣言した通り、馬の様子は多くの人を笑顔にしました。・アゴに母性を感じたのだろうか…。・「絶対はいいすぎ」だと思ったら、本当に笑った!・お腹が空いていたのかな…。元気いっぱいだ!スタッフを母親と勘違いして吸うほど元気いっぱいな、生まれたばかりの馬。今後も、スタッフの愛情を受けながら育つ馬は、すくすくと成長していくでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年05月01日英語のことわざで『Sharing is Caring』というものがあります。『シェア(Share)』は分け合うこと、『ケア(care)』は思いやること。つまり、『Sharing is Caring』とはそのまま、『分け合うことは思いやること』という意味です。子供の頃から、おやつやおもちゃなどを兄弟姉妹や友達と共有しなさい、といわれて育った人も多いのではないでしょうか。おいしいごはんをシェアしているのは?そんな『Sharing is Caring』の様子を映した動画を、イギリスに住む人が投稿しました。映っているのは2頭の馬。撮影者が思わず笑ってしまった、馬たちの行動をご覧ください。向かって右手の馬が干し草をくわえて、「食べる?」というように、左の馬に差し出します。すると、左の馬がその干し草をムシャムシャ。仲よくシェアしていますね。この動画を見た人たちからは、驚きの声が上がっています。・信じられない。動物って素晴らしいね。・かわいくて、この動画を何度も見ちゃう!・馬はとても賢くて、優しい動物だ。・ラブラブだね!この2頭は愛し合っているに違いない。それぞれの小屋の仕切り越しに、お互いに首を伸ばして干し草を分け合って食べる馬たち。「おいしいねー」「うん、おいしい」という、馬たちの心の声が聞こえてきそうです。この2頭の馬が、友達なのか恋人同士なのかは分かりませんが、とても仲よしなのは一目りょう然ですね。馬が見せた思いやりあふれる行動に、多くの人が笑顔になりました。[文・構成/grape編集部]
2022年03月25日群馬県立伊勢崎清明高等学校(群馬県伊勢崎市、校長:荒木 隆、以下 伊勢崎清明高校)と高崎商科大学(群馬県高崎市、学長:渕上 勇次郎、以下 本学)は、協働で伊勢崎清明高校のキャッチコピーを考えるプロジェクトを実施します。本プロジェクトは、昨年7月に同校の2学年を対象に実施した取り組みの第2弾として、新たに「群馬県立伊勢崎清明高校キャッチコピー大賞」のプロジェクト名にて1学年を対象に実施するものです。伊勢崎清明高校: 高崎商科大学 : 昨年の取り組み: (本学リリース) (日本教育新聞)キャッチコピー大賞今回、キャッチコピーを提案するのは伊勢崎清明高校の1年生201名。キャッチコピーは生徒全員に配布されているChromebookを活用し、冬休みの課題としてGoogleフォームを通してすでに募集を終了しており、応募のあった194作品の中から審査委員会にて選考が行われ、2月3日当日に各審査員賞、1学年賞、大賞の発表・講評が行われる予定です。審査委員会には、審査委員長に千葉工業大学のブランディング施策などを手掛けた株式会社進研アド チーフプランナーの上野 和幸氏、特別審査委員に企業ブランディングや商業施設・美術展のグラフィック制作まで幅広く手掛ける株式会社ワークバンドの代表でクリエイティブディレクターの古屋 貴広氏らが参画しており、結果発表・講評のほか、同氏らによる特別授業も行われます。審査委員長 上野 和幸氏特別審査委員 古屋 貴広氏伊勢崎清明高校では、高校の授業科目「総合的な探究の時間」において、生徒が授業や高校生活を自分事としてとらえ自主性や創造性を高めるきっかけづくりをするため、昨年から高崎商科大学との協働により本プロジェクトを実施しています。本プロジェクトは次の2点を目的に設定しています。ひとつは、生徒が社会の中で自身の個性を活かしより良い人生を送るために、どのように社会と接し、どのような姿勢で学びをとらえることが大切なのか自分なりの考えを深めるという探究教育の意義やメリットを理解すること。また、これに加え、自校が定める高校づくりの指針(グランドデザイン)に対する生徒の理解を促し、教員だけでなく、生徒も一体となってより良い学校づくりを行える共通認識をつくることです。伊勢崎清明高校グランドデザインプロジェクト実施に際し、担当した篠原 真美子氏(伊勢崎清明高校教諭、ガイダンスセンター長)は、「キャッチコピーを考えることで、生徒が自分たちの学校の教育目標を理解し、よりよい学校づくりをめざすとともに一人ひとりが目的意識をもって学校生活を送ってほしい」と2度目となる実施に期待を寄せています。また、綾部 勝久氏(伊勢崎清明高校教諭、1学年主任)も、「将来、自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の周りの人たちと幸せな人生を築くため、今回の活動が何かのヒントになればよいと思います」と生徒たちへの想いを語っています。大学の担当者である羽鳥 広平氏(広報・入試室 係長)は、「本学では長年、社会と大学をつなげる企業連携教育を推進しており、その知見の蓄積やネットワークがある。本プロジェクトはその連携を高校教育までつなげる本来的で意義のある高大連携の取り組み。高校生に自由で多様で明るい社会の姿を伝え、自分自身のことを考えるきっかけを提供したい。」と語ります。<本プロジェクト開催情報>群馬県立伊勢崎清明高等学校 総合的な探究の時間「キャッチコピー大賞 結果発表・特別授業」【開催日時】2022年2月3日(木)14:25~16:15【実施内容】第1部 キャッチコピー講評(各審査員賞発表)第2部 特別授業「優れたキャッチコピーの作り方」【開催方法】オンライン開催※結果発表や講評は事前に録画され、映像を交えた解説授業を大学担当者がオンラインで実施予定。伊勢崎清明高校を配信基地とし、生徒は在宅または各教室にて視聴参加。一部、チャット機能を使用したワークを行います。<探究教育について>探究教育とは、自己の在り方・生き方を考えながら、よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力の育成を目指す教育で、文部科学省が推進し、各高等学校で様々な取り組みがなされています。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年01月31日「田辺弁慶セレクション2020」にて上映され、4日間ほぼ連日満席となった、藤原季節、長尾卓磨出演映画『中村屋酒店の兄弟』が、3月より全国公開されることが決定した。数年前、家を出て一人東京で暮らす和馬(藤原季節)は、親が経営していた酒屋を継いだ兄・弘文(長尾卓磨)の元へ帰ってくる。年齢を重ね、変わってしまった母の姿に戸惑いながらも、そのときを受け入れ過ごしていく和馬。相手を思うほど、和馬、弘文は少しずつズレていったお互いの距離を感じていた。和馬の抱える秘密を知る弘文、それを知る和馬。お互いが前に進むためとった選択には、純粋に相手を思う辛さと難しさがあった。そして、2人は朝を迎える――。藤原さんと長尾さんが兄弟役を演じた本作は、俳優としても活動する白磯大知監督が、独学で脚本を書き始めて初監督した、現代の町の酒屋にスポットを当て、兄弟を通じ家族の距離を描いたヒューマンドラマ。45分の中編ながら、熟成された醸造酒のような味わい深い佳作が誕生した。なお本作は、第13回田辺・弁慶映画祭(TBSラジオ賞)をはじめ、第30回東京学生映画祭(グランプリ)、第11回下北沢映画祭(観客賞)、門真国際映画祭2019(最優秀J:COM賞)など、数々の国内映画賞を受賞した。▼コメント・藤原季節監督の白磯大知は映画「中村屋酒店の兄弟」を撮り終えてから、ロケ地の中村屋酒店さんの閉店を追ったドキュメンタリーを撮った。中村屋酒店が無くなったとしても、決して無くならない"何か"を撮りたかったんだと思う。撮れたんだと思う。撮れたから、こうして劇場公開まで伝わったんだと思う。ここまで尽力してくださった皆様に感謝しかありません。僕は長尾卓磨さんと兄弟を演じましたが、今では白磯大知を含めて三兄弟だと思ってます。ウチの末っ子の大切な作品、よろしくお願いします。・長尾卓磨『中村屋酒店の兄弟』は失われゆく古き良き酒屋さんの姿を残したいという監督の想いから始まった映画でした。実際、撮影で使わせていただいた中村屋酒店は撮影後閉店し更地になりました。今またこうして上映の機会をいただき、その佇まい、店の匂いがたちのぼってくることを、そして多くの皆様にご覧いただける機会をとてもうれしく思います。映画の佳さを体感していただける白磯大知初監督作品です。どうぞよろしくお願い申し上げます。・白磯大知監督初めて撮った映画『中村屋酒店の兄弟』が今改めてスクリーンで上映出来ること、とても光栄に思います。映像のない真っ暗な状態でのスピンオフラジオドラマから始まる、物語。映画館だからこそ、ここまで作品に没頭出来るのだと思います。今とは違うあの頃の感覚、あの頃のスタッフ、キャスト、映画という残り続けるものの良さを噛み締めながら、多くの方々に届くことを祈っております。是非スクリーンでご覧ください。『中村屋酒店の兄弟』は3月4日(金)より渋谷シネクイントにてレイトショー先行公開、3月18日(金)より全国にて順次公開。(cinemacafe.net)■関連作品:中村屋酒店の兄弟 2022年3月18日より全国にて順次公開©『中村屋酒店の兄弟』
2022年01月11日かつて、『庭乗り』と呼ばれ、殿様に自らの馬と乗馬技術を披露したとされている、馬術の『和式馬場』。甲冑・装束騎乗会(@in20876533)のTwitterアカウントが、和式馬場の動画を投稿。馬が見せた、リズミカルな動きに注目してください!こんな動きができる和種馬は初めて見ました!素晴らしく調教されています。正に人馬一体✨素晴らしいっ!乗尻 ウナパルテナ:清水健介氏木曽馬系和種馬:琥太郎 こたろう pic.twitter.com/DatCcMI8sg — 甲冑・装束騎乗会in紅葉台 (@in20876533) December 21, 2021 馬は、ゆったりとした前脚の上げ下げや、斜め方向への歩行を見せるなど、軽快な動きで観衆を魅了しています!演武が終わると、お辞儀をしており、賢さも見せました。演武が終わった後、琥太郎も一緒にペコリとお辞儀をするんです!可愛い過ぎる❤️そして、すごく賢い✨✨ウナパルテ:清水健介氏木曽馬系和種馬:琥太郎 こたろう pic.twitter.com/P8jINvXRfp — 甲冑・装束騎乗会in紅葉台 (@in20876533) December 22, 2021 人間と馬が一心同体となって、馬術を披露しているのが分かりますね。【ネットの声】・こんな軽快に動く馬を初めて見た。・かわいくてお利口さんなんだなぁ。・人間と心が通じ合っているんだなと分かる。近年、注目を浴びつつある馬術。今後も、人々を魅了するでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年01月05日「範宙遊泳」の山本卓卓が、作演出を兼任するスタイルを手放し、脚本に専念する創作シリーズをスタート。川口智子を演出に迎え、「『This is Japan』というようなもの」を描き出すと言う。演出家の視点を加えないことで、山本の脚本はいかなる変化、そして進化を遂げたのか。話を訊いた。演出家ありきの“上演台本”から“戯曲”へ――範宙遊泳の作品ではほぼ作演出を兼ねてきた山本さんが、今回脚本に専念しようと思われたきっかけは?海外アーティストとのコラボレーションは積極的に行ってきて、日本の演出家ともいつかやってみたいって欲望は昔から抱えていたんです。というのも日本の演劇界の、作演出を兼任することによるスターシステムみたいなものに違和感があって。言ってしまえばカリスマは生まれやすいけど、名作は生まれにくい。つまりどんなにいい作品であっても、他者になかなか手渡されず、その人にしか上演出来ない現状がある。そういうところから解放された演劇を作ってみたいと思ったんです。――そこで演出家として白羽の矢が立ったのが川口智子さんです。彼女にオファーされた理由は?まずお互いACY(アーツコミッション・ヨコハマ)のフェローを受けていた、という接点がありました。決定打だったのが、彼女が『4.48サイコシス』の演出をした時。作家のサラ・ケインという人は命を削って戯曲を書くような人だったんですが、川口さんはそんな彼女の戯曲を優しく抱きしめるような演出をされていて。ここまで演出家に読み解いてもらえたら、作家としては相当ありがたいだろうなと。それで僕から「いつか何かやりたいですね」とポーンとボールを投げてみたら、川口さんはすぐに「いいですね」と返してくれた。そういう時、次の話になかなか発展しない方もいるんですが、川口さんとはちゃんと縁が続いていった感じです。『心の声など聞こえるか』演出を手がける川口智子――今回の新作は川口さんが演出されることを前提に書かれたものですか?川口さんだからというより、人に渡すっていう意識で脚本を書き始めたことが大きいと思います。今まで作と演出を兼任していた時は、どうせ僕がやるから、と思って省いていた部分もたくさんあって。これまでが上演するためのメモ帳でしかない“上演台本”だとしたら、今回は読み物としての精度を高めた“戯曲”にしようとした。読み手が僕以外にいて、その人が誤読する可能性をちゃんと持っているもの。つまり読み物として面白いものにしようと思ったんです。家族の最小単位から日本が透けて見えるものを――物語は近所に住むふた組の夫婦をメインに進んでいきます。創作のきっかけとなったことは?最初は、家庭内の与党と野党みたいなものを作りたいと思っていたんです。イメージとしては、罵倒し合う家族、みたいな。でも書き進めていくうちに、僕にはどうしてもストーリーってものが必要になってくると気づいて。その上で与党と野党だけじゃない対立軸にしつつ、たったふたりという家族の最小単位から、日本社会が透けて見えてくるような構図に出来たらと思って書き進めていきました。範宙遊泳『心の声など聞こえるか』メインビジュアル――戯曲を拝読すると、単に白黒の対立ではなく、グレーな部分を丁寧に描かれている印象を受けました。「『This is Japan』というようなものを描きたい」との山本さんのコメントは、そういった部分を指しているのでしょうか?その通りですね。どうしても僕は、そういうグレーを描くのが好きで。あとはアメリカに留学したことも大きかったと思います。向こうで感じたのは、みんなとても分かりやすいということ。基本的に挨拶をした人は敵じゃないって認識なのですが、日本だと「なんで挨拶なんかしてくんの?」みたいな人もいて。かといって別にその人は僕のことを敵だなんて思っていない。だから日本人ってきっちり真面目なわりに、そういうところは意外と優しくないなと。それが今回のモチーフのひとつでもある、ゴミ出しトラブルなどに繋がっていきました。「心の声など聞こえるでしょうか?」という提案――今回戯曲と純粋に向き合うことで、どんな発見や気持ちの変化があったと思いますか?一番大きいのは、すごく楽しみながら書けたってことだと思います。今までは執筆と演出が同時進行なことも多かったんですが、ものを書くってライブ感覚抜きには語れないので、俳優の出来によってどうしても戯曲に影響が出てしまう。もちろんその良さもありますが、一方でこの戯曲を書こうと思った、元々のピュアなものってなんだったんだろう?ってところに立ち返れなくなってしまうというか。果たしてそれは劇作家と言えるのか、疑問に感じていて。だから今、作演出に固執している若手の劇作家には、ちょっとこのスタイルを試してもらいたいですね。それくらい自分にとっては得るものが大きかったです。――では最後に、読者にお誘いのメッセージをお願いします。突きつけるようなタイトルではありますが、どちらかと言えば疑問符をつけた、「心の声など聞こえるでしょうか?」という僕からの提案でもあります。どうしても僕のクセで批評的に日本を見てしまう部分はありますが、根底に流れているのは、人に対して優しくありたいっていう思い。だから怖がらず、楽しんで観ていただきたいなと。さらにその上で、いろいろ考えることも出来る作品だと思うので。楽しみつつ、考えつつ、この作品が明日をより良く生きるための糧になってくれればいいなと思います。取材・文:野上瑠美子公演情報範宙遊泳『心の声など聞こえるか』2021年12月17日(金)~19日(日)会場:東京芸術劇場 シアターイースト
2021年12月09日令和3年(2021年)11月19日(金)に公認会計士・監査審査会より令和3年公認会計士試験の合格者1,360名が発表され、高崎商科大学(所在地:群馬県高崎市、学長:渕上勇次郎)から現役大学生5名が合格しました。理事長・学長へ報告する合格者今回発表となった令和3年公認会計士試験の合格者は1,360名で合格率9.6%(合格者数/願書提出者数)、そのうち大学在学(短大含む)の合格者は604名、高崎商科大学からは商学部会計学科 3~4年生の合計5名が合格しました。今回の合格者輩出により、北関東・甲信越の国公私立大学で唯一7年連続で現役大学生の公認会計士試験(論文式試験)合格者を輩出する快挙となりました(高崎商科大学調べ)。■令和3年公認会計士試験結果の概要願書提出者数(a) 14,192人論文式試験受験者数 3,992人論文式試験合格者数(b) 1,360人合格率 9.6%(b/a)※公認会計士・監査審査会「令和3年公認会計士試験の合格発表の概要について」「令和3年公認会計士試験合格者調」より【高崎商科大学の学び】高崎商科大学 商学部 会計学科(入学定員70名)では、現役の公認会計士や金融の実務家をまじえた実務中心の学びを行います。会計に関する基礎的・専門的知識と技能を身に付けることにより、経営活動を支え、組織の意志決定を助けることができる人材の育成を目指します。正課授業科目と合わせて、会計教育の専門機関である高崎商科大学「経理研究所」のプログラムを受講することにより、公認会計士や日商簿記1級などの資格取得を目指すことができます。受験生サイト 会計学科 経理研究所 経理研究所(施設) ■高崎商科大学【商学部】会計学科(会計コース/金融コース)経営学科(経営コース/情報コース/観光まちづくりコース)■高崎商科大学短期大学部【現代ビジネス学科】会計・ビジネスコース、英語・編入コース、医療コース、ホテル・ブライダルコース 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年12月02日株式会社ディアラ(本社:神奈川県横須賀市衣笠町39-7、代表取締役:寺内 崇)は、厳選された食品レベルの馬油と馬プラセンタを扱うスキンケアブランド・横濱馬油商店にて、11月22日(月)より「2022年福袋」の予約販売を開始いたします。この福袋は内容と予算から選べる3種類のセット商品となっており、公式オンラインショップ限定で販売されます。横濱馬油商店がおくる3種の選べる福袋2022横濱馬油商店 公式オンラインショップ ■選べる3種類の2022年福袋 商品概要2022年の福袋は、[喜]ライト 5500円(税込)、[福]スペシャル 11,000円(税込)、[寿]プレミアム 22,000円(税込)の計3種類。横濱馬油商店からいつもご愛顧いただくお客様へ、日頃の感謝を込めて考えたセット内容は、絶対に外さないラインナップとして自信をもっておすすめいたします。(1) 馬油スキンケアが始めての方におすすめ! これひとつで基本のスキンケアが完成商品名 : 2022年福袋 [喜]ライトセット(100セット限定)販売価格 : 5,500円(税込)販売元URL: 福袋2022[喜]ライトセット馬油スキンケアの基本をカバーできる、当店イチオシのセットです。素肌に優しい処方にこだわり、無添加を守ったシンプルスキンケア。なのに肌の奥までしっとりとうるおいが続きます。馬油配合の入浴剤「馬油の湯」と一緒に使えば、さらにバスタイムが楽しいひとときに。(2) 旅行時も安心! スキンケアからヘアケアまで馬油で全身保湿ケア商品名 : 2022年福袋 [福]スペシャルセット(50セット限定)販売価格 : 11,000円(税込)販売元URL: 福袋2022[福]スペシャルセットスキンケアはもちろんヘアケアまでできる本セットは、旅行先でも大活躍間違いなしのトータルスキンケアセット。ありとあらゆるシーンに合わせてご愛用いただけます。馬油の持つ高い保湿力が、いつでもどこでも乾燥知らずの素肌に導きます。(3) 馬油と馬プラセンタで全身エイジングケア! 年齢肌に抗うコンプリートセット商品名 : 2022年福袋 [寿]プレミアムセット(20セット限定)販売価格 : 22,000円(税込)販売元URL: 福袋2022[寿]プレミアムセット馬油だけでなく高級馬プラセンタも採り入れて、さらにワンランク上のケアがしたいならこちら。当店の商品を既にご使用いただいている方には、このセットの凄さが分かるはず。売り切れ必至の目玉商品です。※より多くの方にご利用いただけるよう、お1人様1セットまでとさせていただきます。■今年を締めくくるのに外せない!3種類のお歳暮ギフト予算とシーンに合わせてチョイス!お歳暮ギフトも馬油スキンケア横濱馬油商店では、福袋のほかにお歳暮ギフトもご用意しております。ご予算とシーンによって自由にお選びいただけるこちらは、今年1年お世話になった方へのプレゼントにぴったり。遠方にお住まいの方、なかなか会いに行けないあの方へ、横濱馬油商店が心を込めて梱包し、お送りいたします。オリジナルギフト箱での梱包や熨斗もご相談ください。販売元URL: ■横濱馬油商店とは石鹸工場発祥の地である横浜。私たちはこの場所で、食品レベルで新鮮なこうね馬油のみを使ったオリジナルスキンケアブランド「横濱馬油商店」を展開しています。質の高いこうね馬油をそのまま贅沢に使用した「生馬油」や、職人の手で丁寧に作られる「無添加馬油石鹸」など、肌への優しさを追求した商品がこれまでいくつも誕生し、多くのお客様にご愛用いただいています。そうして2017年にはついに横浜市長賞を受賞し、さらに馬油の良さを広く知っていただけるようになった横濱馬油商店。今後も敏感肌の方や赤ちゃん、高齢の方など、本当のシンプルケアを必要とされている皆様に良質な品々をお届けできるよう取り組んでまいります。■会社概要商号 : 株式会社ディアラ代表者 : 代表取締役 寺内 崇所在地 : 〒238-0025 神奈川県横須賀市衣笠町39-7設立 : 2000年12月事業内容: 馬肉食肉加工業馬肉加工品製造業化粧品製造業資本金 : 300万円URL : 【本製品に関するお客様からのお問い合わせ先】株式会社ディアラTel:045-264-9740 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月25日難しそうと思っていても、実は感覚的に楽しめて感受性を育むのにぴったりな【演劇】。今注目の劇作家、「範宇遊泳」の山本卓卓さん & 坂本ももさんに、親子での観劇の楽しみ方や、演劇に込めた想いを教えてもらいました。子どもも観られる演劇を通じて、一緒に感性を育んでみては? 大人にもきっと新しい発見があるはず。子どもという新たな視点を加えて業界のルールを変えていきたい範宇遊泳山本卓卓さん & 坂本ももさん山本卓卓1987年山梨県生まれ。2007年に「範宇遊泳」を旗揚げ。文字や写真、光、影と俳優を組み合わせた独自の演出と倫理観を揺さぶる脚本で注目を集める。アジア諸国や北欧など海外にも活動の場を広げている。坂本もも1988年東京都生まれ。大学時代より学生演劇と商業演劇の制作部・演出部などを両立し、2009年に「ロロ」、2001年に「範宇遊泳」に所属、プロデュ-スを手掛ける。今年度より多摩美術大学 演劇舞踊デザイン学科非常勤講師。子育てを経て生まれた2つの新たな変革〈シリーズおとなこどもも〉で子どもにフォーカスを当てた作品を制作し、KAATキッズ・プログラム2019では『二分間の冒険』を手掛けた、劇団『範宇遊泳』の主宰・山本卓卓さん、プロデューサーの坂本ももさん。4歳のお子さんを育てる夫婦でもある2人は、子育てを通じて創作にも大きな変化があったと振り返る。「社会的存在としての演劇、つまり子どもが観られる作品なのかという視点が新たに加わりました。もともと演劇には「未就学児不可」以外のレイティング(鑑賞できる年齢制限)があまりなく、曖昧だったものをはっきりさせていこうと決めました。暴力描写、性描写などを明示して、観客が作品を選ぶ基準にできるということです」(山本)「出産して演劇を続けることのしんどさを実感し、創作現場にも変化がありました。稽古は基本夕方まで、子連れOKなど、私に限らず子をもつ演劇人が働きやすいように改善しています。育児と演劇は両立できるはずなので、これまでは業界がサボっていただけだなと思いました」(坂本)『二分間の冒険』撮影:田中亜紀演劇体験は思い出がどんどん熟成されていく様々な困難さから、出産を機に演劇から離れた女性は多い。しあし現代の価値観ではそれが常識であってはいけないと山本さん。「演劇は多様性を考える芸術だったはずです。アーティストが家庭をつくると『落ち着いちゃったな』と揶揄されたり、子どもをもつ女性が潜在的にお荷物扱いされてしまうような演劇界の常識にある潔癖主義は、多様性を排他する傾向があると感じていました。どんな人、どんな条件でも演劇をしていい。自分たちが率先してそのモデルケースになれたら」(山本)2人の娘さんの観劇デビューは、1歳の頃に観た人形劇。数年前の作品のことを今でも話す様子から、観劇体験が記憶に刻まれていることを実感するそうだ。「目の前で演じてる人、音楽や光に興味があるのは小さな子どもでも同じ。動物園で動物を、水族館で魚を見るのと同じように。劇場では人間の営みを観ることができる。山本はよく『種をまくつもりで演劇をつくる』と言っています」(坂本)「大人、子どもに関わらず、観劇の時間だけで物語を理解することってあまりない気がするんです。映画のように見返せない分、ディレイ(遅延)しながら記憶で熟成されていき、ある日突然思い出したりする。子どもの頃に触れた物語が、心の成長の何かしらに作用したらと期待しています」(山本)観劇で大切なのは、親子で一緒に楽しむこと。子どものためであっても、親が好きなもの・行きたいものであることが重要だと考える2人.「感想もそれぞれ違っていい。ずれた感想を確かめ合うのも面白いなと思います。あとは、大人も思い切り楽しむこと。生き生きした大人が身近にいることが子どもにとって一番だと思います。楽しむ姿勢は子どもに伝わりますから。僕の両親は芸術には縁遠いけど、人生をとても謳歌していて、それが尊敬できるポイントでもありますから」(山本)『うまれてないからまだしねない』撮影:鈴木竜一朗Next Stage文京シビックホールによる子ども向け映像作品をオンラインにて配信。詳細はHPにて。また公式Youtubeチャンネルでは過去公演を多数全編無料配信中。公式HP : hanchuyuei2017.comphotography/Nobuki Kawaharazakitext/Yukiko Takeda
2021年10月12日株式会社ディアラ(本社:神奈川県横須賀市、代表取締役社長:寺内 崇)は、馬油や馬プラセンタ美容液などを扱うスキンケアブランド「横濱馬油商店」の公式オンラインショップを8月19日よりリニューアル公開いたしました。これを記念して、同サイトでは人気商品をおトクに詰め合わせた「生馬油使い比べセット」が200個限定で発売されるほか、選べる3種の敬老の日ギフトも販売中です。人気商品を詰め合わせた3種の敬老の日ギフト■リニューアル記念キャンペーン1. 生馬油使い比べセット(数量限定)馬油の中でも数%しか採れない「こうね馬油」を100%使用した、当店一番人気の“生馬油ゴールド。しっかりとしたテクスチャーでマッサージもできる、かかと・肘・膝など皮膚が厚い部分の保湿におすすめな“生馬油シルバー”。この2つをセットにした「生馬油使い比べセット」を200個限定で販売しております。乾燥の季節が本格到来する前に健やかな肌の土台を作るため、全身の保湿にお役立てください。【生馬油使い比べセット】生馬油ゴールド 35g生馬油シルバー 35g200個限定特別価格:2,200円(税込)2. お客様感謝クーポン2021年8月19日(木)~9月30日(木)に新規で会員登録いただいたお客様には、通常会員登録特典の300ポイントに加え、お会計時にご利用いただける300円OFFクーポンをプレゼントいたします。なお、300円OFFクーポンは旧サイトから会員移行いただいたお客様にも適用されます。会員限定のクーポンコードを発行いたしますので、ログイン後、決済画面のクーポンコード入力欄よりご記入ください。公式サイト▼ ■選べる3種の敬老の日ギフトサイトリニューアルと時を同じくして、敬老の日ギフトの販売を開始いたします。社会情勢から会いに行くのが難しい家族に、昔ながらの「馬油」の贈り物はいかがでしょうか。看板商品である「生馬油ゴールド」を中心に、スキンケアギフトを3種類ご用意しました。オリジナルロゴ入りギフトボックスにて丁寧に梱包、全国配送も送料無料にて承ります。1. 敬老の日ギフト Aセット販売価格:8,000円(税込)誰でも使いやすい基本のスキンケアセット。話題の馬プラセンタによる最高級の使い心地をお約束します。馬油とプラセンタで!基本のエイジングケアセット2. 敬老の日ギフト Bセット販売価格:12,000円(税込)年齢とともに衰えが気になるのはお肌だけではなく、頭皮・地肌も同じ。アミノ酸系の優しいシャンプーはきめ細やかな泡立ちで髪を優しく洗い上げ、こうね馬油の力で地肌を健康に保ちます。肌と髪をトータルケア!シャンプーが入ったマルチセット3. 敬老の日ギフト Cセット販売価格:15,000円(税込)こうね馬油と馬プラセンタの魅力を余すことなく詰め込んだこだわりのセット。油による保湿力とプラセンタによるハリ感を存分に味わっていただけます。若々しい肌の最適解!馬プラセンタ原液が入ったスペシャルケアセット販売ページ▼ 古来より、火傷や切り傷の民間治療薬として親しまれてきた「馬油」。横浜馬油商店では、この馬油を昔よりもっと使いやすく、もっと高品質に進化させています。きっと在りし日を懐かしみ、お喜びいただける逸品です。■サイトリニューアルの目的とコンセプトこのたびのリニューアルでは、より商品の魅力が伝わりやすく、目的のページへたどり着きやすい構造を目指しました。商品数の増加に伴い、ご利用シーンに沿ったカテゴリを採用。「スキンケア」「バスグッズ」のようなシーンごとの大きな枠組みの中に、「馬油(オイル)」や「シャンプー」など商品ジャンルごとのカテゴリを設け、グッと商品を探しやすくなりました。また、ショッピングガイドは、オンラインショッピングに不慣れな方でもご利用しやすいよう、イラスト付きでデザインしました。サイト会員登録とLINE追加の方法を詳しく解説するページも新設し、よりおトクにお買い求めいただける仕組みをご案内しています。今後は季節のキャンペーンや特集も盛りだくさんとなり、馬油を愛するすべての方必見のサイトです。サイト会員登録で300ポイント、LINE追加で300円OFFクーポンがもらえます。 ■会社概要商号 : 株式会社ディアラ代表者 : 代表取締役社長 寺内 崇所在地 : 〒238-0025 神奈川県横須賀市衣笠町39-7設立 : 2000年12月事業内容: 馬肉食肉加工業馬肉加工品製造業化粧品製造業資本金 : 300万円URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年09月01日硫酸をかけたとして逮捕された花森弘卓(ひろたか)容疑者(25)高校の卒業アルバムより東京メトロ白金高輪駅で男性会社員(22)に硫酸をかけたとして逮捕された花森弘卓(ひろたか)容疑者(25)。『週刊女性』が取材を進めると、容疑者は過去にも大事になりかねない物騒な事件を起こしていたことがわかった――。■花森容疑者の生い立ちと家族今回の事件が起きたのは8月24日の夜。花森容疑者は不動産会社に勤める被害男性を尾行し、硫酸をかけた。男性は顔に火傷を負い、なんとか失明は免れたものの全治6か月の重傷。近くにいた30代女性にも液体がかかり、軽症を負った。「その後、容疑者は自宅のある静岡県にいったん戻ったあと、すぐに飛行機に乗って沖縄まで逃亡を図った。しかし傷害容疑で公開指名手配され、28日に沖縄県内で逮捕された」(全国紙社会部記者)被害男性とは琉球大学時代の映画サークルでの先輩・後輩という間柄だった2人。はっきりした動機は未だ不明。しかし2人は事件の1か月ほど前にも都内で顔を合わせており、その際に容疑者は男性の“態度”について直接文句を言っていた。捜査では「大学時代に(男性が)タメ口を使うなど態度が悪かった」などと供述しており、一方的に恨みを募らせて犯行に及んだと思われる。男性に接触するため事前に沖縄の母校まで名簿を取りに行くなど、計画性の高い犯行だった。それにしては拍子抜けするような動機とも思われるが……。■“隠キャ”だった中学時代に彫刻刀で威嚇静岡県出身の花森容疑者。父親は整体師だったが10年ほど前に亡くなった。当時の容疑者は中学生だったが、そのころの様子はというと、「いわゆる“陰キャ”というか……冷めてて友達も少なくてボソボソ喋る陰気な感じでした。部活はたしか美術部だったはず」(中学の同級生)落ち着いた性格だったというが、あるとき、事件がぼっ発する……。前出の同級生が語る。「何年生のときかは忘れましたが、美術の授業が終わったあとのことです。いきなり、近くにいたクラスの女子生徒に向かって、彫刻刀を突き付けたんです」突然の出来事に周囲も騒然。当時から体格の大きかった容疑者を周りは制止することができず、彼の筆記用具などを投げつけるなどして止めるしかなかったという。「ふざけていただけなのか、女子生徒に彫刻刀を突き刺すことなく収まったのですが、問題はその後。先生を交えた面談になったのですが、先生が叱ってもまったく反省する様子はなかった。終始、ニヤニヤしていたそうです」(前出・同級生)突拍子もないことをしでかすところは当時からあったようだ。中学卒業後は県内の私立高校を一浪した後に琉球大学農学部に進学。ところが数年前に医療関係に勤める中国人の母親が急死。天涯孤独の身となった容疑者は静岡に戻り、静岡大学農学部に編入して昆虫の研究を続けていた。この“昆虫好き”もあらぬ方向に走っていたようで、「容疑者は売買が禁止されている沖縄のカブトムシやクワガタなど、固有種を飼育・密売してひと儲けしていたようです」(前出・全国紙記者)幼少期には将来、生物学者になることが夢だと語っていたという容疑者。今の彼の姿に、亡くなった両親は嘆いていることだろう。
2021年08月31日お盆に先祖たちを迎えるために飾る精霊馬。その始まりは平安時代からだといわれています。キュウリとナスで作る精霊馬は、それぞれの地方によっていい伝えが異なるようです。伝統は令和時代に入っても続き、お盆になるとネット上には各家庭で飾る精霊馬が投稿されています。安藤 しずおかAL330(@AL33012)さんがTwitterに投稿した精霊馬は、ただ飾るだけではありませんでした。一歩進化した精霊馬をご覧ください!そろそろお盆なので精霊馬用意しました。今年は本当に歩いてお迎えに行ってくれる様です♪ #精霊馬 pic.twitter.com/YGZrhdlPFM — 安藤 しずおかAL330 (@AL33012) August 10, 2021 う…動いてる…!なんと、キュウリの精霊馬が自力で動く『メカ精霊馬』で先祖を迎えたのです。さらに、お盆の最終日になると…。最終日なので茄子に換装しました。 #精霊馬 pic.twitter.com/AMG9tqiRec — 安藤 しずおかAL330 (@AL33012) August 15, 2021 次は、ナスに取り換えて先祖を送ったのでした!ワンタッチで変えられる仕様のため、簡単でなおかつ野菜にも優しい設計なのだとか。投稿には「すごい!」「夜中に見たら怖いかも」「ハイテクなお盆」などの声が寄せられていました。目には見えませんが、きっとメカ精霊馬によって先祖たちは無事に送り迎えをしてもらえたでしょう。先祖たちは「現代の精霊馬は楽になったな…」なんて思ったかもしれません![文・構成/grape編集部]
2021年08月16日日本では昔から、ナスやキュウリを使った『精霊馬(しょうりょううま)』がお盆の時期に飾られてきました。先祖の霊魂を乗せてくれる精霊馬。「早く帰ってこられますように」という思いを込めて馬に見立てたり、「ゆっくり帰って行きますように」と牛に見立てたりしているのです。現代では、ナスやキュウリに棒を刺した従来のものだけでなく、オリジナリティのある風貌をした精霊馬も増加しています。先祖の乗る精霊馬が『伝説のポケモン』に!アメノミ(@amenomi1366)さんが作ったのは、アレンジを加えた精霊馬。「ご先祖さま、今年はこちらの馬でお帰りください。お待ちしています」という一文とともに、力作の精霊馬の写真をTwitterに投稿しました。ご先祖さま、今年はこちらの馬でお帰りください。お待ちしています。 #精霊馬 #ガチ精霊馬 #精霊馬ガチ勢 #お盆 #ディアルガ #精霊馬2021 pic.twitter.com/gBq67aAAQz — アメノミ (@amenomi1366) August 12, 2021 先祖のために用意したのは、ゲーム『ポケットモンスター』に登場するディアルガがモチーフの精霊馬!アメノミさんによると、キュウリをカットして各パーツを作り、つまようじで固定をしているそうです。ディアルガは伝説のポケモンであり、過去や未来へ移動することができる能力を持っています。それほどの力を持ったポケモンなら、あの世と現世をつなぐこともできそうですね!『ポケットモンスター オメガルビー』『ポケットモンスター アルファサファイア』公式サイト スクリーンショットまた、さらに希少な色違いのディアルガは全体が緑色をしており、この精霊馬により近い風貌をしています。高いクオリティを誇る『ディアルガ精霊馬』に、多くの人から「これをキュウリで作れるなんて!」「ご先祖様もビックリしそう!」といった声が寄せられました。例によって回転動画です。 pic.twitter.com/57VO0ayIMO — アメノミ (@amenomi1366) August 12, 2021 この精霊馬に乗った先祖は、きっと誰よりも早く現世の家族に会いに来てくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2021年08月14日毎年8月中旬に帰省し、墓参りをする人が多いのは、お盆という行事があるためです。日本では昔から、先祖の霊魂がお盆の間だけ、現世に帰ってくるといわれています。ナスやキュウリを使った『精霊馬(しょうりょううま)』は先祖の霊魂を乗せ、あの世と現世をつなぐ乗り物として活躍してくれるそうです。ある意味最強といえる『精霊馬』が話題に2021年8月のお盆に、醤油皿(@syouyuzara)さんは自作した精霊馬を撮影し、Twitterに投稿。尋常ではない強さが伝わるその出で立ちに、「絶対に強い」「これはテンションが上がる」「乗りたい」といった声が相次いでいます。ほかのどんな霊魂よりも速く現世に帰ってこれるであろう、精霊馬がこちらです!七冠馬シンボリルドルフを超える精霊馬を作りました。_人人人人人_> 九冠馬 < ̄Y^Y^Y^Y ̄ pic.twitter.com/aJG0Lez91r — 醤油皿@レベル38 (@syouyuzara) August 12, 2021 精霊馬の胴体には、競馬でもっともグレードが高いG1(ジーワン)のレースである『日本ダービー』や『有馬記念』、『天皇』などの優勝レイが!史上初の七冠馬である名馬『シンボリルドルフ』を超える、九冠馬の精霊馬が誕生してしまったようです…!また、九冠馬はキュウリの英語名である『キューカンバー』にかけています。優勝レイを見るに、この精霊馬は1992年から2015年まで長期にわたって活躍した様子。きっと、現実のどんな名馬よりも強く、速いのでしょう。先祖が競馬好きの場合、この精霊馬が迎えに来たら大喜びすること間違いなしですね![文・構成/grape編集部]
2021年08月13日「春馬が亡くなって1年が過ぎますが、いまだに心の整理がついてません。5歳のときに出会った春馬は、息子同然。あの子が、いなくなった感覚がなくて……」俳優の三浦春馬さんが、30歳という若さで旅立ったという衝撃的な出来事から、7月18日で1年になる。多くのファン同様に、「その死をいまだ受け入れられない」と語るのは、三浦さんを子役から育てた「つくばアクターズスタジオ」の代表を務めた加藤麻由美さんだ。「今年4月5日の春馬の誕生日にあわせ、幼少期を過ごした土浦で、あの子が12歳のときに出演した映画『森の学校』の上映会がありました。私も、ファンの前でご挨拶する機会をいただいたので出席しましたが、まだあの子の姿を見るのがつらくてダメで、映画は見られませんでした」■中学生の頃、思い悩むそぶりを……前出の加藤さんが、自分の主宰するスタジオで春馬少年に初めて会ったのは、彼がまだ5歳のとき。「お母さまが、『一人っ子で遊ぶ友達がいないから』と話されていたのを覚えています。目が本当にきれいで、パッと見て華があったので、“うちのスタジオの顔にしたい”と、月謝なしの特待生で迎えました」地元スーパーのチラシのモデルから始まった芸能活動だったが、すぐに子役として頭角を現す。「会うたびに、挨拶のようにハグしてました。甘えん坊で、小さいころは、車での移動でも私の膝の上にいないとイヤだって(笑)。一人っ子で自宅は寂しかったのか、『帰りたくない』と、うちに泊めて、同じベッドで寝たことも。映画『Nileナイル』(’99年)のエジプトロケには私も現地に同行して、あの子が食べたいという梅干しを必死に探したりも」ところが中学に上がるころ、ある異変を感じ取る。「思い悩む様子がありました。恐らく、お母さまが2度目の結婚をした前後です。突っ込んで聞くと、春馬にお母さん批判をさせてしまうのではと、私はそれ以上詮索しませんでした」実の両親は三浦さんの幼少期に離婚していたが、母親がこのころ、5歳年下の男性と再婚していたことが、三浦さんの死後の報道などで伝えられている。「その後14~15歳で、アミューズさんに預けてからは、私がしゃしゃり出ないほうがいいだろうと、あえて距離を取るようにしました」とはいえ、当の三浦さんは、相変わらず加藤さんを母親のように慕っていたようだ。「社長、アカデミー賞の内示をもらったよ」『恋空』(’07年)で日本アカデミー賞新人俳優賞に輝いたとき、一番に報告したのも加藤さんだった。「もしかしたら春馬は、悩みも同時進行していたのかもしれません。ちょうど’16年に主演舞台『キンキーブーツ』でドラァグクイーンを演じたころで、いつもの役作りとはいっても、“おいおい、大丈夫か”と思うほど、痩せていて。役に打ち込むことで、そんな悩みを振り払っていたのかもしれません。そう思うと、“親心”としては切なくなります」たしかに当時、母親と継父はすでに離婚しており、その母親とも疎遠になっていたとされる。■子犬のような目で「親子だよね!」と言った三浦さん同じころ、やはり切ない親心を抱きながら三浦さんと接していたのが、サーフィンの師匠で「茨城元気計画」代表の卯都木睦さん(うつぎあつし・54)。「春馬と最初に出会ったのは、彼が14歳のときです。映画でサーファー役をやるので、『一から習いたいです』と、お母さんと義理のお父さんと一緒に訪ねてきた。映画が終わった後も、春馬は20歳で車を買うと、今度は自分で運転してうちへ来るようになりました。ちょうど’16年ごろから訪れる頻度が高くなり、亡くなる前年には週2ペースだったと思います」卯都木さんには、三浦さんより年下の3人の息子がいる。にぎやかな食卓で大皿で供される料理に、彼が目を見張る場面もあったという。「’19年の元旦は、一緒にサーフィンをしてから初詣でに行きました。その後、僕と息子3人と春馬とでステーキ店に行ったんです」たわいない会話が途切れたタイミングで突然、三浦さんが言う。「いつも海に行ったり一緒にいて、初詣でまで行って……もう親子だよね!」そのときの表情、特に目が忘れられない、と卯都木さん。「『親子だよね!』と言ったあとの春馬の目が、僕の答えを待っているんだよね。子犬がね、目をキラキラさせて人の顔をのぞき込むように」即座に、こう答えていた。「よし、春馬は今日から長男だ。キミたちは4兄弟だ!今日から親子でいこう!」家族の笑い声がはじけた。「以降、春馬はうちでは短パン姿のこともありましたよ。『ママさん、ただいま~』って妻に言って、ダダーッとリビングのソファに横になって……もう、うちの息子です。結婚の話も出ました。僕は『絶対に芸能人と結婚するんじゃないよ』と言ってた。『夫や子供が帰宅したとき、お母さんが“お帰り”と迎えてくれるような家庭を作りなさい』と。春馬からは、『どうやって一般の女性と知り合うんだよ』と返ってきましたが。僕のことを『尊敬できる人間』と言ってくれてましたが、本当に求めていたのは『親』だったと思います」それから、「春馬が亡くなって1年たつから話せるけど」と、こんな秘話を語ってくれた。「お酒を飲むと素に戻るのは、春馬も同じです。あるとき、僕の息子たちに向かって言いました。『これからの時代は、自分の身は自分で守らなければいけないんだぞ』。いろんなつらい経験をしてきた春馬らしい言葉だと思いました」以前からの母との確執に加え、この前後、幼少期に生き別れた実父と再会するも良好な関係を長くは続けられなかったことが、のちに関係者などから明かされている。その後も、卯都木さんとはアメリカへのサーフィン旅行の夢などを語り合っていたが、『映画 太陽の子』(8月6日公開予定)の撮影などで多忙となり、三浦さんが茨城を訪れる回数は減る。そして、’20年7月18日が訪れる。「スタッフから春馬の訃報を聞いて、『嘘だろ!?』と。直後から怒濤のような取材攻勢で、悲しむヒマもなくて。ただただ、無理にでも春馬に『茨城に帰ってこい』と言っていれば、と思うんです」5歳のころから三浦さんを知る加藤さんは昨年5月、つまり亡くなる2カ月前に、スタジオの仲間を介し、近いうちに会う約束をしていた。「もう春馬も30歳だし、ようやく大人の話ができると楽しみにしていたんです。そろそろ電話があるかな、どこでご飯を食べようかと。私がアミューズさんに送り出した気持ち……もしかしたら春馬には“社長(加藤さん)に距離を置かれた”という誤解があったかもしれない。だから、ちゃんと気持ちを伝えたかったんです」しかし、あの日、自宅リビングのテレビで目にしたのは“息子”の逝去を告げるニュースだった。静かに眠る三浦さんと対面したのは、死の2日後。「内密にされていたからか、平服でと言われましたし、場所も斎場ではなく、貸しビルのようなところの一室でした」30分ほど、2人だけの時間をもらえた。が、棺に入れられていたため、いつものようにハグできない。それでも棺に手を差し伸べ、抱き寄せた。「『ばか、なんで!?なんで!?』……夢を見ているようでした。すごくきれいな顔でした。ほんとにきれいで……また帰ってきてくれるような気がしました」■今でも、三浦さんの愛は息づいている。「今も毎日のように電話がかかってきます。泣きながら、春馬のことをどれだけ好きかを話すファンのコもいれば、子育てが手につかないという若い母親、それに『死にたい』と切実な状況の人も。僕は、『冷静に考えて行動しなくちゃダメだよ』と、丁寧にお話しさせていただいています」三浦さんの死から1年がたってなお、卯都木さんがファンたちの悲痛な声と思いを受け止める生活は続いている。「茨城で春馬にゆかりのある場所を、いわゆる“聖地巡礼”する人も多いです。僕は、春馬のお父さん代わりだった自負がありました。だからこそ、ファンの“行き場”、つまり“生き場”を作ってあげることが役割だと思っています」それは、いつも弱者に手を差し伸べていた三浦さんの遺志を継ぐことでもあるのだろう。卯都木さんや加藤さんの証言から、三浦さんが家族の愛を求め続けていたことがわかったが、一方で、彼が生前にさまざまな活動を通じて注いできた愛情は、ここにきて実を結びつつある。今年5月、アミューズから「三浦春馬支援」に関して報告がなされた。これは、彼の死後、新たに設立されたラオス支援等の基金だ。《このたび第一回目の支援として、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN様を通じ、ラオ・フレンズ小児病院内にて使用される以下の医療物資を購入・寄贈させていただくことを決定いたしました》リストには、注射器、新生児血液採取用針、マスクなどが並ぶ。同時に、フレンズJAPAN代表の赤尾和美さんのコメントから、三浦さんの生前の活動の様子がうかがえる。《春馬さんはご多忙の中、年に1度は必ずラオスの現地へ赴き、(略)同じ目線で「何ができるだろうか」と真剣に考えてくださったことにラオス人スタッフも感動していました》4,000キロ離れたラオスの地でも、子供たちを笑顔にしていたのは、何より三浦さんの「温かいお気持ち」だったそうだ。三浦さんは遠くへと旅立ったが、「人間・三浦春馬」が出会いの場で残した言葉やハグの思い出は、これからも人々の心に寄り添い、励まし続けるだろう。(文:堀ノ内雅一/取材:堀ノ内雅一、小野建史、鈴木利宗)
2021年07月18日三浦春馬さん三浦春馬さんが亡くなって、まもなく1年となる。彼が突然いなくなったのは、昨年の7月18日だった。「マネージャーが自宅まで春馬さんを迎えに行きましたが、電話やメール、インターホンにも応じませんでした。管理会社に連絡して鍵を開けて部屋に入ると、すでに意識のない状態。病院に搬送されて、死亡が確認されました。警察による検証の結果、自殺だったと判断されています」(スポーツ紙記者)新型コロナウイルスの感染が広がっていた時期で、大勢が集まる葬儀は見送られた。「亡くなった2日後に、所属事務所のアミューズのサイトで“お別れできる機会を設けたいと考えている”と発表。昨年10月には“’21年7月を目安に実施予定”という告知がありましたが、結局、7月18日にオンライン上で追悼の特別コンテンツが公開されるだけになったそうです」(前出・スポーツ紙記者)やむをえないのかもしれないが、やりきれない気持ちのファンも多い。「亡くなったことをまだ受け入れられない人もいますから。コロナ禍とはいえ、お別れ会ができないことで、思いをぶつけるところがないんですよ。お墓がどうなっているのかも気になります。同じアイテムを購入して身につけたいと思うファンもいるので、服や小物などの遺品も、何かの機会に公開してほしい」(ファンの女性)■春馬さんが通った地元の映画館春馬さんを偲ぶことができる場所が、茨城県土浦市にある。映画館の『土浦セントラルシネマズ』だ。館長の寺内龍地さんは、春馬さんが子どものころからよく知っていた。「彼が小さいころロビーを駆けずり回って、従業員に“コラ!”と怒られたりしていたんですよ。普通のやんちゃな男の子、という感じでした。2002年に公開された『森の学校』という映画に彼が出たときの舞台挨拶をここでやったんです。2009年の『クローズZERO2』の撮影のときにも挨拶に来てくれました。成長してかなり変わっていたので、“誰!?”って思いましたが(笑)。“ずいぶん大きくなったなあ。モテるだろ”と声をかけたら、“いやいやそんなことないです”なんて返してくれました」同じ建物内にあるスポーツスタジオを貸してほしい、と頼まれたこともあった。「“空き時間を利用してドラマの役づくりがしたいんだ”と言っていました。ご家族の方は1回も来たことないですね。『森の学校』で舞台挨拶をやったとき、まだ12歳だったから、普通は母親も来そうなものなのに挨拶すらなかった。だから顔も知りません。それを反面教師にして、彼は他人を慈しむことができる人に育ったんだと思います」この映画館では、現在も春馬さんが出演している作品を上映している。「彼のことが風化するのもかわいそうだし、地元としてできることはないか、と考えました。彼が亡くなったときに『森の学校』の監督に連絡して、改めて上映できないか相談したら、もともとフィルムだった映像をデジタルにしてくださいました。1月からずっと上映しています。それ以外の彼の出演作品も、期間ごとに入れ替えながら上映しています。大きな映画館ではこういうことはできないから、地元の個人館としては、彼の足跡を残す意味で、ずっと続けていけたらと思っています」ロビーでは写真展も。『森の学校』や『天外者』の劇中写真やオフショットが展示されている。「ロビーに桜の木があったでしょ。映画を見終わった方に、春馬さんへのメッセージをピンクの紙に書いて貼りつけてもらっているんです。コロナ禍でここに来られない方もいるので、郵送でも受け付けるようにしました。日本全国からはもちろん、ニュージーランド、カナダ、ニューヨーク、ハワイ、中国からもメッセージが届いています」命日にイベントを行う予定はなく、通常営業だという。「“彼に会いたくなったら、いつでもどうぞ”という気持ちです」春馬さんが土浦セントラルシネマズを訪れていたのは、『つくばアクターズスタジオ』が近かったから。彼が5歳から通っていた芸能スクールだ。当時、代表を務めていた加藤麻由美さんは、まだ自分の気持ちにけじめをつけられない。「ひとりっ子でお母さんもお仕事をされていたので、“帰りたくない!”という春馬を私のベッドに寝かせていたこともありました。小さいころは本当にお母さんのことが大好きでした。会話していて“それ、お母さんにも言われたことある!”と、私にお母さんを重ねているようなところもありました。あの子の人間性はわかっているので、そんな優しい子がなんで、と思うと、何を責めたらいいかわからないですよね……」ひとりっ子の春馬さんをアクターズスタジオに連れて行ったのは母親だった。“友達ができれば”という考えだったが、学校が終わるとほぼ毎日、歌やダンス、演技のレッスン。俳優になりたい、という気持ちが強くなっていった。「お母さんは“ステージママ”というタイプではなかったので、ある意味でスタジオとしてはやりやすい面がありました。よくも悪くも“ドライ”な方なんでしょうが、レッスンや出演する作品などについては、信頼してお任せしていただいていたんだと思います」春馬さんが7歳のとき、地元で“三浦春馬を大きく育てる会”がつくられる。「県議の方、市長さん、商工会の会長さんなど、地元の名士の方に実行委員になっていただきました。1000人以上集めて春馬の映画を公開し、実行委員のみなさんに舞台挨拶をしてもらったこともあります。地元のお祭りで市長さんに、春馬と手をつないで歩いてもらったことも。それだけ私も、春馬のことは目をかけていたというか……」■“あの日”にアミューズから連絡が春馬さんは2007年の映画『恋空』で日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞。報告のため、加藤さんの自宅を訪れた。「キッチンのカウンターに寄りかかりながら“アカデミー賞もらったよ!”と話してくれました。普段はあまり連絡をとっていませんでしたが、報告があると連絡をくれたんです。ただ、“受賞を報告してもらえるような立場でありながら、不幸を止められなかった”という思いがあるんです。“あの日”はテレビの速報をたまたま目にして、彼が亡くなったことを知って、半狂乱でした。しばらくしてアミューズの方から連絡をいただいて、“守れなくて、すみませんでした”と……。それが、近しい大人の素直な感情なんだと思います」一周忌を迎えても、加藤さんは何かをする気持ちにはなれないでいる。「本当に罪なヤツですよ。会ったらぶん殴ってやりたい。なんでこんなに悲しい思いをみんなにさせるのか、どういうことかわかってるのか、と……。スタジオで主に彼を指導していた当時の常務は先に亡くなっていますが、向こうで怒っていると思います。もともと常務は役者をしていた人でもあるので、春馬からすると“師”ともいえるでしょう。あえて時代劇に出演させて、きちんとした演技の基礎や現場の常識から学ばせましたが、ちゃんとあの子は応えてくれました。だから私の半生はなんだったんだろう……って、本当に春馬は馬鹿野郎ですよ」加藤さんは今年、『森の学校』が再上映されたとき、舞台挨拶に登場した。「悪天候の中、全国からファンの方に集まっていただいたんです。舞台挨拶が終わって、みなさんに声をかけていただいて、ひとりひとりとお話ししました。ファンは春馬のお母さん世代くらいの、年配の女性が多いんです。昔からのファンではなく、“亡くなってからファンになりました”という方も大勢いて驚きました」春馬さんにとって加藤さんが母親代わりだったとするなら、父のような存在だったのが卯都木睦さんだろう。茨城県のオリジナルヒーロー『時空戦士イバライガー』を運営する『茨城元気計画』代表を務めており、春馬さんにとってはサーフィン仲間だった。「今でも世界中のファンから手紙が届いています。今、私は春馬ファンのことを優先して日々を考えているので、僕自身が落ち着くのはだいぶ先になると思います。僕は“ヒーロー”でもあるので、目の前のことから逃げるわけにはいかない。泣きながら電話をかけてきたファンの対応を何時間もするような生活を1年続けてきました。だから“あれ、春馬っていなくなっちゃったのかな?”と、思い出す余裕すらないんです」春馬さんの死後、彼の出演する作品を見ていないという。「まだ春馬のことをゆっくり考えている暇がないんです。今いちばん困っている、悩んでいるのは、突然の訃報に苦しむファンたち。彼らに手を差し伸べ、救うことを優先したい。もし天国から春馬が見ていたら“いっぱい迷惑かけちゃってごめんね”なんて言うと思いますが、全然気にならない。“俺メンタル強いから大丈夫だよ、気にすんな”って言ってあげたいですね」■春馬さんから「家族だよね?」春馬さんは、卯都木さん宅では自分の家のようにくつろいでいた。「海から帰ったら、ソファに寝そべって携帯をいじったりしていました。妻の誕生日には“ママさーん!誕生日おめでとう!”と玄関から叫んだことも。春馬から“家族だよね?お父さんじゃん!”と言われたんです。“卯都木さんは僕にとって特別な人だから”って言ってくれたこともありました。“何、照れくさいこと言ってるんだよ”って笑ってごまかしましたけど(笑)。そういうふうに慕ってくれた春馬の、そんな彼のファンをないがしろにするわけにはいかないんですよね」卯都木さんが春馬さんとの関係をより深めていったのは、2016年ごろから。「その当時は、春馬と家族との関係がなくなっていたので、知恵袋であり親代わりとしてついていてあげよう、と思って。春馬がいつ海に来てもいいように、サーフィンに適した午前中には予定を入れないようにしたんです。そうすると電話があって、“あさって空いてる?”とか言われて。亡くなる前の年の秋までは、週2くらいで来ていましたね」春馬さんがサーフィンをしていた海岸には、今もファンが訪れている。「寂しげに海を見つめている女性がいるんです。浜には花が手向けられていることも多いですね。曜日を決めて海岸の清掃を行っているファンもいます。ときどき春馬のファンから僕が写真やサインを求められることもあります。春馬にゆかりのある人と関われることがうれしいみたいで」春馬さんの死を止められなかったことに、悔しい思いは残る。だからこそ、春馬さんの面影を、いつまでも忘れずにいたい。
2021年07月16日誰にでも怖いものや苦手なものはあるでしょう。ほかの人にしてみれば平気でも、無理だと感じる人にとっては無理ですよね。多くの動物たちと暮らすサマンサ・メイさんはある日、パイとドミノという2頭の馬を連れて家に戻ろうとしていました。すると、馬たちの行く手に1匹のウサギが座っていたのです。道の真ん中にちょこんと座っているウサギを見て、思わず立ち止まるパイとドミノ。サマンサさんが「おいで、行くよ!お腹空いてないの?夕ご飯が食べたいでしょ!」と2頭を呼びます。すると馬たちは…見た人たちが爆笑した動画がこちらです。On today's episode of "Why Do I Own Horses"...Brand new page to follow! Please feel free to follow us here, I'll be...Posted by Samantha May on Thursday, April 22, 2021On today's episode of "Why Do I Own Horses"...Brand new page to follow! Please feel free to follow us here, I'll be...Posted by Samantha May on Thursday, April 22, 2021「先に行ってよ」「嫌だよ、きみが先に行ってよ」と、お互いに相手を先に行かせようとするパイとドミノ。サマンサさんが「ただのウサギじゃないの!」というと、2頭はそのまま引き返そうとします。結局最後はサマンサさんがウサギを追い払って、ようやく馬たちは彼女のほうにやってきました。この動画は360万回以上再生され、ウサギを怖がる2頭の馬の行動が笑いを呼びました。・面白すぎる!大笑いしたよ。・「僕たちお腹空いていません。別の道に行きます」ってまるでコントだわ!・2頭ともなんてかわいいんだ!パイとドミノはヤギやニワトリ、カメなどと一緒に暮らしていますが、なぜかウサギは苦手なようです。自分たちよりもうんと小さいのにそばを通ることもできないなんて、ウサギが相当怖いのでしょう。途中で「よし、僕が行く!」と何度もドミノの前に出ながらも、「やっぱり無理!」と後ろに下がってしまうパイがいじらしいです。2頭が繰り返し「先に行ってよ」と先頭を譲り合う様子は、まるで人間のやりとりみたいで、クスッと笑ってしまいますね![文・構成/grape編集部]
2021年06月25日これから生まれてくる赤ちゃんと一緒に撮るマタニティフォトは、今や一般的になっていますね。現在妊娠中のアマンダさんとパートナーのフィルさんも、お腹の中の我が子と記念撮影をすることにしました。そこでたくさんの馬と暮らしている2人は、フォトグラファーのクリステンさんに「馬たちと一緒に撮ってくれますか?」とリクエスト。こうしてアマンダさんたちは馬がいる場所へ移動し、写真を撮り始めます。すると1頭の馬が彼女たちに近付いてきたのです。Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021馬に「笑って!」といったら…?アマンダさんとフィルさんに並ぶように、ベストポジションに立ってカメラに顔を向ける馬。そこでクリステンさんは馬に向かって「笑って!」と声をかけます。するとそれを聞いた馬が、いわれた通りに笑ってくれたのです!Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021豪快な笑顔を見せる馬に、その場にいた全員が大爆笑!クリステンさんがFacebookに写真を投稿すると、32万回以上シェアされて、見た人たちも大笑いしました。・今まで見た中で最高の写真だ。・笑いすぎてお腹が痛い!・生まれた赤ちゃんとこの馬の写真も撮って欲しい!Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021Posted by Photography By Kristen on Friday, June 4, 2021クリステンさんが馬に「笑って!」というと本当に笑ってくれたので、それが面白くて彼女が笑い出すと、笑っている彼女を見た馬がさらに激しく笑い始めたのだとか。それを見た3人もさらに笑いが止まらなくなり、こんなに楽しい写真が撮れたそうです。クリステンさんは「今まで撮影したマタニティフォトの中で最高」と語っています。アマンダさんとフィルさんも撮れた写真をとても気に入ってくれたそうです。マタニティフォトの主役をかっさらってしまった馬。生まれてくる赤ちゃんが、この写真を見て大笑いする日がやってくるのが楽しみですね![文・構成/grape編集部]
2021年06月20日千葉県館山市にある須藤牧場で働く、すどうくん(@ohgoodraiding)さんは、動物たちの日常を撮った画像や動画を撮影しています。ある日、ウマが干し草を食べていると、ちゃっかり横から盗み食いをする邪魔者が入ってきたとか。その時の動画をTwitterに投稿したところ、反響が上がっています。「かわいい!」という声が相次いだ、小さな邪魔者とは…。ウッマのごはん食べてる pic.twitter.com/x9ByevDWBP — すどうくん (@ohgoodraiding) March 14, 2021 ウマの食事を邪魔していたのは、子ヤギのマーブル!ワンパクなマーブルは横から草をついばむだけでなく、ついには干し草の上に飛び乗って、我が物顔で食べ始めてしまいます。よく見ると、もう1頭の子ヤギ、バニラも横から草を食べていました。2頭に食事を取られても、ウマは「仕方ないなあ」という表情で、諦めて受け入れているようですね。投稿を見た人たちからは、たくさんのコメントが寄せられています。・かわいい~!怒らないウマが寛大ですね。・ウマ、子ヤギたちに遠慮して端のほうを食べていて、優しいです。・なんだこのかわいすぎる生きものは…。永遠と見ていられます。元気な子ヤギたちと優しいウマの映像は、多くの人の心を癒したことでしょう。『ヤギ写真集2 バニラとマーブル』が発売中!子ヤギのバニラとマーブルは、生後1か月になるとのこと。2頭のかわいらしい姿をたくさん見られる『ヤギ写真集2 バニラとマーブル』も発売しています。気になる人は、ぜひチェックしてみてください!バニラとマーブルが生まれてもうすぐ1か月!生後1か月までの写真を写真集にします!!!かわいいやつ!!!20日までの注文数でとりあえず発注します!!!よろしくお願いします!!ヤギ写真集2 バニラとマーブル | ヤギまみれ #booth_pm — すどうくん (@ohgoodraiding) March 15, 2021 [文・構成/grape編集部]
2021年03月16日三浦春馬さん(2019年)《私と春馬は、よその親子では考えられないくらい一心同体でした。たぶん、春馬も私がいない生活は考えられなかったと思うの》2月18日発売の『週刊新潮』2月25日号で5ページにわたって組まれた特集記事で、冒頭から《言いたいことはたくさんあるの》と告白を始めたのは三浦春馬さんの実母・A子さんだ。昨年7月18日に自宅マンションで亡くなった春馬さんの遺骨は、現在もお墓に入ることなく彼女が持ち続けているという。訃報から7か月経った今なお、安らかに眠ることが許されない故人の周囲で何が起きていたのだろうかーー。茨城県土浦市に生まれ、幼少より劇団に所属して子役としてデビューした春馬さん。その後もドラマや映画に出演し、2008年にTBS系ドラマ『ブラッディ・マンデイ』で主演を務めると大ブレイク。以後は演技力に磨きをかけて難役もこなす実力派に成長し、順風満帆な芸能人生活を送っているように見えた。しかし、彼を取り巻く家庭環境は複雑なものだったという。スポーツ紙芸能デスクが解説する。「両親は彼が7歳の頃に離婚し、A子さんは春馬くんを連れて自宅から出て行ったのです。その後、彼女は客として訪れていたホストクラブのオーナー男性と再婚して3人で暮らし始めるも、春馬くんは家で1人きりになることが多かったそう。彼の拠り所となったのは、当時通っていた劇団だったと言います」しかし、春馬さんが次第に“芸能人”として有名になっていくと、A子さんの興味は息子に向けられていったようだ。「春馬くんが都内の高校を卒業する頃には、母親や義父との関係も良好に。一方で、次第にA子さんの身なりが派手になっていったと言います。そして、彼女は再び離婚。すると、春馬さんにお金の無心をすることも多くなった、という取り巻く家庭環境の移り変わりが週刊誌などの周辺取材で浮き彫りになっていったのです」(前出・芸能デスク)そんなA子さんに愛想を尽かしたのか、以降は連絡を取ることを断っていたという春馬さん。さらに母方の戸籍を抜けて、本名を生き別れた実父の「三浦」に改姓した、とも伝えられた。つまりそれは母親との“絶縁”宣言だったのかもしれない。■実父との20年ぶりの再会で“歯車”がそして春馬さんはさらなる行動を起こす。報道によると、いまから2〜3年ほど前、“生き別れた”実父・Bさんと約20年ぶりの再会をはたしたのだという。「彼にしてみれば、残された“唯一の肉親”で、幼心に父とのいい思い出もあったのでしょう。ところが、当初こそ迎え入れらて絆を深めるも、心臓の手術をするなど健康面に不安を抱えていたBさんだけに、今度は父親からも金銭的支援を求められた、というのです」(前出・芸能デスク)母親のA子さん、そして父親のBさんと双方が春馬さんの資産を当てにしていた。そして彼が亡くなったことで、これが遺産争いとなったのだ。「春馬さんは個人会社を設立していて、所属事務所『アミューズ』からのギャラや印税がそこに振り込まれていたと言います。今後に見込まれる収益は事務所が管理し、基金を設立して収益を寄付していく仕組みになるようです。遺産となるのは預金や自家用車などの個人資産で、両親や兄弟で分配されますが、彼は一人っ子なので本来ならば父と母で2分の1ずつに分けられると思います。ただ、Bさんは約20年間を“不在”にして父親としての役割を果たしていたと言えるのか、A子さんがどう判断していたのか」(芸能プロ関係者)春馬さんが亡くなって以降、ともに沈黙を貫いてきた両親。A子さんは件の遺骨、生前の記録が残る携帯電話や手帳などの遺品を持ったまま、親族も連絡がとれない“行方不明”状態にもなっていた。そんな中で、先に沈黙を破ったのがBさんだった。昨年末に『女性自身』12月22日号の取材に応じたのだ。同誌ではまずBさんの知人の話として、「(Bさんは)お金に困っている様子はない」「父子関係がギクシャクした様子もない」と、春馬さんとの関係は良好だったとし、さらに「元奥さん(A子さん)はお金遣いが少々荒いタイプ」と添えられていた。そして当のBさんの話。報道をくまなくチェックしていたのか、春馬さんとは「20年ぶりの再会」ではなく「芸能界デビュー後から連絡をしていた」と訂正し、遺産相続については《私自身は息子の遺産はまったくあてにしていません》とするも、《この数年、(春馬は)母と折り合いが悪く、本人も悩んでいるようでした。いくら母と子といっても、金銭的なことでもめていると聞いて、私も心配はしていたのですが……》と、あらためて母子間に金銭トラブルがあったことを強調したのだった。すると、『週刊文春』12月31日号に“行方不明”になっていたA子さんが登場する。涙ながらに重い口を開いたという彼女は、春馬さんが役者として稼ぐようになった後も「仕事を続けていた」とし、「役員報酬」を得ていたことや「車を買ってもらった」ことは認めるも「息子に頼った生活をしたことはない」と、一連の報道を否定。さらに、《ここ七年は経済的な援助と言われるようなものは全く受けておりません。なのでここ数年間本人がどんな心境だったのか、私も全く心当たりがなく……》春馬さんとは連絡を取っていなかったことから、“経済的援助”はなかったと繰り返していた。そして故人の埋葬に話が及ぶと、《まだお墓のことまで考える余裕がありません。ゆくゆくは遺族として為すべきことは必ず行なっていくつもりです。ただ……、もう少し心の整理をつけるまでお時間を頂ければと思います》子を失った母の悲しみを吐露していたA子さん。春馬さんが大事に保管していたファンからの手紙などの遺品を手に感謝の意を述べるも、遺産問題について語られることはなかった。■実父が急死、そして実母は…そして今年、2月9日発売の『女性自身』2月23日号で事態は急展開を迎える。《実父が遺産問題渦中に急死!》として、Bさんが1月中旬に亡くなったことを報じたのだ。心臓に持病があり「俺はいつ死ぬかわからない」と周囲に話していたというBさんは、同誌によれば行きつけの飲食店を後にしてワンルームの自宅アパートで倒れたとある。そんなBさんが生前、取材班にこぼしていたことも付け加えられた。《いまの私お願いは、春馬の墓がどこかに建てられて参ることができるようになること。そして、コロナのために延期になってしまいましたが、仲よくしてくださった方やファンの方のためにも偲ぶ会が開催されること、その2つだけ……》子を追うようにこの世を去った父。そして、この訃報から10日もしないうちに冒頭のA子さんによる“ロングインタビュー”が掲載されたのだ。以前に初告白した『文春』ではなく舞台は『新潮』に移ったわけだが、今回は実に“じょう舌”だった。Bさんが亡くなったことを弁護士を通して知ったという元妻は《それはショックでした》としながらも、《私は香典を送りましたが、やっぱり最低限のことはね……。だからもう、遺産の件はこれでおしまいです》と遺産問題の“解決”宣言をしたのだ。その後も、春馬さんの葬儀に内縁妻を連れてやってきたというBさんがその1か月後に弁護士を立ててきた、などと元夫に対する明らかな不満もぶちまけていた。《彼がすごく主張してきた部分があって。そう、春馬の遺産を欲しがってきたから争うことになった。彼と春馬を最後に会わせてあげたのは私なのに、感謝の言葉の一つもないどころか、彼は私に対して“いい車に乗っているな”とか“随分とよい生活をしているね”と言い放った》《春馬は私が親権を持ち、育てた子です。(離婚時に)一円も貰わずにね。それなのに遺産の権利を主張してきてすごく迷惑でした》春馬さんとの間になされた“お金を無心”をめぐる報道についてもあらためて反論し、息子から連絡を断たれたことについては《春馬の心身の状態がよくなかったのね》と弁明する。《私や再婚相手の男性、そして所属事務所のアミューズとの関係で揉めていたし、いろいろな悪いことが春馬の精神や体に重なっていった。タイミングが悪かったんだと思う》続けて、春馬さんを取り巻いていた環境やボロボロに蝕まれていった心身についてを、まるで息子が我が身に“降りてきた”かのように代弁し、しゃべり倒すA子さん。そして彼が亡くなった原因にも言及したのだった。《春馬が亡くなった一番の原因は、私がそばについていられなかったこと。そこがもう、凄く後悔しています。たとえ何があったって、私が命をかけて守れなかったことは確か。そこはすごく悔しい。(中略)春馬は私がいなきゃ生きていけない。私も春馬がいないと生きていけない。そういう関係だったの》Bさんが亡くなった以上は、おそらくはA子さんが全ての遺産を相続するのだろう。現在も遺骨を持つ彼女は今後、Bさんのお墓に埋葬することは考えておらず、地元の茨城に母子が入るお墓を自ら建てるつもりのようだ。■“死人に口無し”「悲しいですね。亡くなった息子の遺産を両親が取り合うーー。なんとも浮かばれない話になりました」とは芸能ジャーナリストの佐々木博之氏。「遺産問題はなくなったのに、なぜ、ここまでしゃべる必要があったのか。確かに家庭内の事情やトラブルが掘り起こされはしましたが、いずれは忘れられるような話。しかし、今回のような家族による肉声はインパクトが強く、春馬さんのファンも聞きたくはなかった内容でしょう。よほど腹に据えかねるものがあったのか」春馬さんの死去後、ずっと沈黙を守ってきたはずのA子さんだったが、琴線に触れたのはやはり家族の肉声だったのか。「おそらくはBさんが最初に取材に答えなければ彼女も表に出ることはなく、ここまでの展開にはならなかったのかなと思います。“死人に口なし”ではないですが、まるで離婚後も良好な父子関係を築いていたかのような元夫の口ぶりが許せなかったのか。そして、そのBさんも亡くなったことでA子さんのひとり語りになりましたが、世間からすれば彼女の言い分も同じように、証言や反論することが不可能なので“死人に口なし”に映っていると思えてしまいます。こうした状況を何よりも春馬さんが嘆いているのではないでしょうか」(佐々木氏)願わくば、春馬さんが安心して眠れる静かな場所をつくってほしい。
2021年02月19日「本当に、いい映画だったよ。ストーリーもいいし、春馬の姿も見ることができて……。思わず映画館で泣いちゃってさ」三浦春馬さん(享年30)の実父・Aさんが、少し興奮した口調で知人たちにそう語ったのは、昨年12月中旬のこと。昨年7月に急逝した春馬さんの遺作映画『天外者』。その公開初日にAさんは見に行ったのだ。『天外者』は「第94回キネマ旬報ベスト・テン」で「読者選出日本映画ベスト・テン第1位」となった。2月4日に行われた表彰式で、田中光敏監督はこう語ったという。「これは春馬くんにもらった賞。春馬くんの思いがたくさんの人たちに届いた。そう思っています」感動・安らぎ・優しさ……、俳優として、そして1人の人間として、春馬さんは多くの人々に“贈り物”を届け続けた。もちろん前出の実父・Aさんも、それを受け取った1人だろう。そのAさんの突然の逝去を本誌が知ったのは、表彰式の数日前。63歳だったという。Aさんは春馬さんが生まれ育った地である茨城県に住んでいた。Aさんの知人はこう語る。「Aさんが最後に目撃されたのは1月15日未明です。前夜、いきつけの飲食店に現れたのです。しかし朝の3時ごろ、『気分が悪くなった』と、帰宅し、その後、連絡が途絶えてしまいました。店では親しく話す仲とはいえ、Aさんの自宅の住所を知る者はいませんでした。Aさんは’17年に心臓を悪くしてペースメーカーを入れる手術を受けていたのです。そのときに医師から『余命は1年ぐらい』と、宣告されたそうです。本人も『俺はいつ死ぬかわからないから』と、よく言っていましたので、連絡が取れなくなったことを、仲間たちはとても心配していました。実は帰宅した直後に亡くなったということを聞いたのは、1月下旬です。こんなに急にAさんがいなくなってしまったことに、私も愕然として……。でも余命1年と宣告されてから3年以上も頑張ったのですからね。きっと春馬くんの存在が支えになっていたのだと思います」■「英国留学を切り上げて会いに来てくれた」春馬さんの両親は彼が幼いころに離婚し、実父・Aさんは家を出た。さらに’17年ごろ、春馬さんは実母とも距離をとるようになったという。「携帯電話の番号も変えて、お母さんからは連絡が取れないようにしたといいます。“絶縁”した理由については“母からたびたび無心されていた”“仕事や恋愛の問題で衝突した”などと報じられていました」(芸能関係者)実母との絶縁と入れ替わるように、春馬さんが復活させたのは実父との交流だった。昨年12月、本誌の取材に対し、Aさんは息子との関係などについて、こう語っていた。「“長い間絶縁していて、20年ぶりに再会した”とも報じられていますが、彼が芸能界デビューした後は、ときどき連絡はもらっていました。春馬の活躍ぶりはずっと楽しみでしたし、私の生きがいでもありました。実際に会うようになったのは3年前(※’17年)ですね。そのとき春馬はロンドンに留学中でした。でも私が心臓の手術を受けるということ、私の命が長くないということを、人づてに聞いたそうです。それで留学を切り上げて、入院先の病院に会いにきてくれたのです。手術がうまくいって元気になった後には、いっしょに食事をしたり、酒も飲んだりするようになりました」Aさんは、それほど飲まなかったようだが、息子が楽しそうにお酒を飲む姿を眺めることは、無上の喜びだったのだ。「春馬もけっこう酒量は多かったですが、そんなに酔っ払うタイプではないし、飲んだ後は、きちんと電車で東京に帰っていきましたよ。ふだんはLINEとかで連絡を取り合っていて、実は亡くなる2週間前にもメッセージをやりとりしていました。近いうちにこちら(茨城県)に来るから、と言っていたのに……。それが最後のやりとりになってしまいました」父子の会話のなかで、実母についての話題が出ることもあったという。「この数年、(春馬は)母とは折り合いが悪く、本人も悩んでいるようでした。いくら母と子といっても、お金のことやら何やらで、もめていると聞いて、私も心配はしていたのですが……」Aさんは、本誌の取材の最後にこんな言葉を言い残していた。「これからの私は“春馬のいない残された時間”を、ただ生きていくだけです」“春馬のいない時間”は、Aさんにとって意味のないものだったのだろうか。春馬さんが急逝してから半年、そして本誌が取材してからわずか1カ月で、Aさんは天国に旅立っていったのだ。■生前のAさんが漏らしていた遺産相続問題の心労前出のAさんの知人によれば、「会えないときも、心臓病という持病を抱えていたお父さんのことが心配だったのでしょう。春馬くんは亡くなる2カ月前にも、かつて仕事でお世話になったという長崎県の旅館に依頼して、Aさんやその知り合いたちに、現地の特産品を送っていたのです。産みたての卵、天然真鯛の真子煮、鯛の塩辛……、“皆さんコロナ禍で大変でしょうから”という心遣いで、Aさんはもちろん、みんな感激していました。そんな優しい息子さんが突然亡くなってしまったのですからね。春馬くんが亡くなってから、Aさんはみるみる元気を失ってしまいました。もともと大病をしたのに、あまり健康に気を使わないタイプだったのですが、さらにその傾向に拍車がかかってしまったように見えました。いま考えれば、春馬さんの遺産相続問題も心労になっていたのかもしれません。『弁護士さんを入れて話し合っているんだけど、いろいろ大変なんだよ』そんなことをポツリと漏らしたこともあったのです」春馬さんの個人事務所を誰が引き継ぐかという問題もあり、遺産相続の話し合いは長期化していたようだ。『週刊文春』’20年12月31日・’21年1月7日合併号には、実母の代理人弁護士のコメントも記載されていた。《(個人事務所については)二一年三月までに株の評価額の算定をした上で新代表者を決めることになります。(中略)動産や権利関係の整理、テレビ局との契約書との確認作業も必要で、通常の遺産相続より長期化する見込みです》生前、本誌には「私自身は息子の遺産をまったく当てにしていません」とも語っていたAさんだが、そんな遺産相続問題の渦中に急逝してしまったのだ。■密葬も参列者は1人だけ。伯父が明かした最期Aさんの訃報を受け、駆けつけてきたのは兄のBさんだった。春馬さんにとっては“伯父”にあたる人物だ。中部地方に住むBさんは本誌に次のように語った。「1月15日、病院から私に連絡が来て、弟が他界したことを知りました。アパートから救急搬送されて、その先の病院で亡くなったそうです。アパートはワンルームで、彼は1人で暮らしていました。もともと心臓も悪かったし、何度も手術は受けていました。体調が急変したようで、本当に残念です。すぐに病院を訪れ、遺体を確認した後、17日に荼毘に付しました。密葬?そうですね、でも弟はずいぶん前に離婚していますし、身寄りもいませんから、火葬に立ち会ったのも私1人だけでした」Aさんにも心残りはあったかもしれない。前述の本誌取材に、次のようにも明かしていたからだ。「いまの私の願いは、春馬の墓がどこかに建てられて参ることができるようになること。そして、コロナのために延期になってしまいましたが、仲よくしてくださった方やファンの方のためにも偲ぶ会が開催されること、その2つだけ……」結局、Aさんが生きているうちに、それらの願いがかなうことはなかった。だがBさんは弟の逝去についてこう漏らした。「私が春馬に最後に会ったのは3年ほど前です。私にとっても“自慢の甥”でしたが、弟にとってはさらに“自慢の息子”だったのです。確かに63歳での他界は早すぎます。でも……、弟は春馬のような息子を持てて、いい人生だったと思いますよ」病院で息を引き取るとき、Aさんのまぶたの裏に浮かんだのは、最愛の息子・春馬さんのあの優しい笑顔だったのだろうか。「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月09日「原因を追究したとしても、もう息子は戻りません……。これからの私は“春馬のいない残された時間”を、ただ生きていくだけです」昨年12月、三浦春馬さん逝去後の心境を本誌にそう語っていた実父・Aさん(63)。だがその1カ月後、Aさんも急逝していたことが本紙の取材で分かった。「Aさんが最後に目撃されたのは1月15日未明です。前夜、いきつけの飲食店に現れたのです。しかし朝の3時ごろ、『気分が悪くなった』と帰宅し、その後、連絡が途絶えてしまったのです。帰宅した直後に亡くなったということを聞いたのは、1月下旬のことでした。こんなに急にAさんがいなくなってしまったことに愕然として……」(Aさんの知人)実はAさんは’17年に心臓にペースメーカーを入れる手術を受けており、その入院を機に息子である春馬さんの交流も復活していた。「手術がうまくいって元気になった後には、いっしょに食事をしたり、酒も飲んだりするようになりました」本誌にそうも語っていたAさん。だが昨年7月の愛息との別れからわずか半年後、Aさんもまた天国に旅立っていったのだ。取材を進めるとAさんの兄であるBさん、つまり春馬さんの“伯父”にあたる人物が密葬の喪主を務めたと判明した。Bさんは本誌に、次のように語った。「1月15日、病院から私に連絡が来て、弟が他界したことを知りました。アパートから救急搬送されて、その先の病院で亡くなったそうです」2月9日(火)発売の「女性自身」では春馬さんとAさんの交流秘話、春馬さん逝去後のAさんの失意の日々、そして伯父が明かしたAさんの最期などについて伝えている。「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月08日三浦春馬さん2020年12月11日、7月に亡くなった三浦春馬さん主演の映画『天外者』が公開となった。都内の自宅マンションで春馬さんが首つり自殺を図ったのは、7月18日。仕事が絶好調な時期に突然の自殺、という衝撃が、世間に強烈な印象を焼きつけた。その死とは裏腹に、“俳優・三浦春馬”の出演作品はその後も公開され続ける。本人がまだ生きているかのように。9月に放送されたTBS系ドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』には、亡くなる前日まで撮影に臨んでいた。これまで、春馬さんの死をめぐる報道は激化。それは主に家族関係の複雑さを扱ったものだった。小学生のときに両親が離婚、母親とふたり暮らしに。中学生になる前に母親は再婚。継父と一緒に生活していたが高校進学を機にひとり上京。幼少時から地元の養成所に通っていた子役は、スターへの道を駆け上がっていく。その過程でカネをめぐって家族との関係が微妙に変化していった。最近では春馬さんの実父も登場し、真相は藪の中に。週刊女性は春馬さんの遺骨を持ち、死の真相を知る母親を探そうと、彼の故郷・茨城に入った。まず、春馬さんの義父の姉が経営する料理屋の話。「春馬のお母さんは今どこにいるかはわからない。春馬の遺骨は母親が持っているけど墓は建てていないようです。遺産はすべて母親に。春馬は昔からママっ子で反抗期がなく、いつか爆発すると思っていました。母親は春馬にカネの無心をしていたんですよ」■春馬さんの母親が“行方不明”に最初から母親とカネの話が飛び出すとは。春馬さんが小中学校時代を過ごした義父の家の隣人が言う。「お母さんは春馬くんが成人してからも毎週木曜には必ず東京のマンションに掃除に行く。正直、春馬くんには重荷だったと思いますよ。プライバシーもありますからね」母方の祖父も、春馬さんの母親には厳しかったようだ。「春馬くんのおじいさんは高校の校長でした。昔、春馬くんのお母さんに言った苦言を覚えています。まだ16歳の春馬くんが『14歳の母』で重要な役を演じたとき“未成年の春馬をあんなドラマに出して稼ぐなんて、母親の資質を疑うよ”って」(近所の住民)たまたま車で帰宅した祖母を直撃、春馬さんの母親と連絡をとりたいと申し出ると、「あんたらに話すことは何もない」と言い残し、家に入った。さらに、母親の妹を直撃。「連絡もとれないので、姉の居場所はわかりません。東京にはいないと思います。実家にも何年も来ていません」■いまだお墓がない春馬さん春馬さんの墓はどうなるのか聞いてみた。「母親の実家の墓に入ることだけはないと思います」釈然としない中、高校を運営する春馬さんの母方の大叔父(祖母の弟)を訪ねた。「春馬の母親の居場所はわかりません。春馬が亡くなったときに電話をしてきましたが、それっきり。春馬が最後に来たのは7年前。義父との縁切りについて相談をしに訪ねて来た。弁護士に相談するようアドバイスしました」母親と縁を切ったとの報道について聞いてみた。「それはないです。実の母親との縁は、そう簡単には切れませんよ」ファンが気をもむ春馬さんの墓について最後に聞いた。「春馬は三浦家の墓に入るのではないかと思います。墓は新しく作ると思います」葬儀は密葬、年内に予定されていた『送る会』は、コロナの影響で来年7月に延期された。ファンからは「どこに向かって手を合わせればいいかわからない」との声もあるが、春馬さんの明るい笑顔は変わらず記憶の中にある。
2020年12月23日「今になってファンの方の要望が多くなって、こうしてリバイバルされるんですから……。春馬の人徳ですし、喜びに堪えません」こう語るのは、三浦春馬さん(享年30)が所属していた児童劇団の社長・加藤麻由美さんだ。11月11日、「NEWS ポストセブン」で三浦さんの出演映画「森の学校」が12月から公開されると報じられた。同作は18年前の作品で、当時の三浦さんは12歳。ファンからの要望が多数寄せられたことで、再上映が決定したという。加藤さんは嬉しさのあまり、涙ぐみながら当時の秘話を本誌に話してくれた。「監督の西垣吉春さんは、当校で大阪校の講師を務めていました。その関係で、春馬も授業を受けていたんです。西垣さんが『春馬を主役で撮りたい』と映画のお話を持ってきてくださって、そこからこの映画はスタートしました」戦前の田舎暮らしをテーマにした「森の学校」。それにちなんで、三浦さんには“丸坊主で出演”との条件が言い渡された。「当時の春馬は長髪で、思わず『ええ〜!』と驚いていました(笑)。初めは坊主が嫌だと言っていたんですが、私は大賛成。『アイドル子役でデビューはいつでもできるけれど、お芝居の基本をしっかり学ぶのが大事よ』と言い聞かせました」兵庫県の丹波篠山で20日間にわたってロケが行われた。自然に囲まれての撮影を終えると、三浦少年に変化があったという。「『森の学校』は男の子と生き物の話で、春馬は山で育ったヤンチャな子供役。さらに撮影は、ベテランの講師がずっと付きっ切りでした。そんなこともあって20日後、撮影終了後に戻ってきたときには何だかたくましい男の子に成長してましたね」加藤さんは懐かしそうに当時を回想し、最後にこう語った。「春馬は小学校の授業が終わると、駆け足でスタジオに飛んできていました。私は彼に惚れてしまって、特待生扱い(笑)。お母さんが忙しいときは、『今日は先生の家に泊るよ』と伝えて私の自宅で一泊することもありました。そんな当時の春馬の姿を、多くのファンの方は知らないはずです。小学5年生の“俳優・三浦春馬”をぜひ見届けて欲しいです」
2020年12月01日